39. 真社会性げっ歯類ハダカデバネズミをモデルとした哺乳類の「性差

かなえ医薬振興財団2011年度研究業績集(第40集)
39.
真社会性げっ歯類ハダカデバネズミをモデルとした哺乳類の「性差」
獲得機構の解明
慶應義塾大学医学部生理学教室
三浦 恭子
キーワード: ハダカデバネズミ,heterocephalus glaber,naked mole rat,真社会性,性差
Abstract
Naked mole rat (NMR) is one of only two eusocial mammals like ant or bee. This subterranean rodent lives in a large
colony averaging 60-80 individuals, including a single breeding ‘queen’, one-to-some ‘king’ and many sterile adults
such as ‘solders’ and ‘workers’. To investigate the mechanism of sexual maturation of NMR, we developed CT/MRI
brain atlas. Acquired data contained three-dimensional images with high tissue contrasts as well as stereotaxic coordinates.
Next, we collected gene expression data sets in several NMR tissues by RNA-seq, and constructed NMR genome browser
with the data of gene expression patterns in several organs. We also constructed a pipeline to compare the species difference
in gene expression patterns in several tissues among NMR, mouse, rat and human.
背景および目的
哺乳類の行動において、雌雄の個体は各々に特徴的な行動様式をもつ。性差の決定機構は、種間の多様性が非
常に大きく、生物固有の社会システム・繁殖システムに大きな影響を受けながら進化を遂げたと考えられてい
る。このような「行動の性差」は「脳の構造と機能における性差」と「生殖巣における性差」の緊密な相互作用
によりもたらされると考えられる。実際、ヒトを含む哺乳類では、脳の多数の部位において構造的、あるいは生
理学的な性差が確認されている。脳の構造と機能の性差のほとんどは、遺伝的性別とは独立に、脳の発生途上の
特定の時期に生殖巣が分泌する性ホルモンによって決定される。実験的に新生仔期に生殖巣の除去や移植、ある
いは性ホルモンの投与を行うと、脳の性転換が起こることが知られている。これらのことから、行動における性
差を解明するためには、”脳”における性差に加えて、”内分泌”・”生殖巣”における性差を包括的に理解する
必要がある。
ハダカデバネズミ(naked mole rat) (Jarvis, Science, 1981) は、珍しい性差決定様式を持つ真社会性げっ歯類であ
り、哺乳類における性決定様式の理解のための、極めて興味深い研究ツールとなる。その特徴は下記の通りであ
る。
①ハダカデバネズミは、アリやハチに類似した分業制の真社会を形成する(繁殖カースト:Queen, King, 非繁殖
カースト:Worker, Soldier, 巣の防衛、巣の拡張、餌収集、子育て等)。②多くの近縁の個体からなる1つのコロ
ニーにおいて、繁殖を行うのは 1 匹の Queen と 1-数匹の King のみである。③繁殖個体の決定は生得的ではな
い。コロニー内の状況変化に応じ、一部の非繁殖個体は自らのカーストとカースト特異的な行動を変化させ、
Queen, King へと変化する。一方、非繁殖カーストのまま生涯を終える個体も数多く存在する。④非繁殖成体にお
ける体重・骨格には性差が見られない(Seney et al., PLoS ONE, 2009)。⑤非繁殖成体における生殖巣の発達は未成
熟である(Holmes et al., Front. Neuroendocrinol., 2009) ⑥コロニーから隔離非繁殖成体(性未成熟成体)は、自動
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的に性成熟する。申請者らはこれまでに、ハダカデバネズミのコロニーの各個体に関して、定期的/定量的な行動
観察を行い、性未成熟成体において、その行動に雌雄差が見られないことを確認している(未発表データ)。こ
れらのことから、申請者はハダカデバネズミの雌雄性未成熟成体における脳機能について、下記の 2 つの仮説を
立てている。1. 雌雄非繁殖成体: 生殖巣は未成熟、脳の雌雄差は性成熟以前(第二次性徴以前)で停止してい
る。 2. 雌雄非繁殖成体: 生殖巣は未成熟、脳の雌雄差は存在せず、性成熟(女王化・王化)して初めて性差が
生じる。
このように、ハダカデバネズミは、哺乳類で極めて珍しい、人為的に性成熟を誘導することが可能な動物種で
ある。性成熟誘導時の全脳の変化を MRI により非侵襲的に解析することにより、世界で初めて実験的に、哺乳類
の性成熟過程における脳構造/機能の継時的変化を解析することが可能となる。我々は新規モデル動物としてこ
のハダカデバネズミに着目し、慶應義塾大学医学部生理学教室において、飼育環境及び分子生物学的研究のため
の基本的な基盤を立ち上げている。本申請研究では、真社会性ハダカデバネズミの脳の性差、そしてハダカデバ
ネズミ成体脳の、性差という観点からの“可塑性”の可能性について包括的な理解を行うべく、前段階の準備と
して、ハダカデバネズミ脳 CT・MRI アトラスの作成を行った(実験動物中央研究所 関布美子、疋島圭吾と共
同)。また、脳における遺伝子発現解析に向けて、ハダカデバネズミの遺伝子情報の取得を行い、脳を含む各種
臓器における発現情報を併せ持つハダカデバネズミゲノムブラウザーの作成を行った(岩手医科大学・いわて東
北メディカル・メガバンク機構 清水厚志、八谷剛史と共同)。
方法
本研究で行った動物実験は、慶應義塾大学の規定に基づいた審査を受け、承認された上で実施された。
ハダカデバネズミの飼育
ハダカデバネズミは、室温 30℃、湿度 60%に維持された飼育室において、アクリル製のボックスをトンネルで
つなぎ作成された巣(図 1)の中で飼育された。ハダカデバネズミの餌は、ニンジン・リンゴ・バナナ・サツマ
イモ・ゴボウ・オートミールである。
ハダカデバネズミ脳 CT・MRI アトラス作製
雄の成体ハダカデバネズミ(weight = 53.3g)・新生仔(生後6日)の脳を、4% パラホルムアルデヒドで固定
し、ハダカデバネズミ脳 CT・MRI アトラスの作成に用いた。脳の CT 画像は、CT scan (Rigaku corp., Tokyo, Japan)
を用いて取得を行った。MRI 画像は、CryoProbe (Bruker biospec MRI GmbH; Ettlingen, Germany)と 7-T Biospec
70/16 scanner を用いて、取得を行った。
mRNA-seq
ハダカデバネズミ個体の各組織(肝臓♂、心臓♂、精巣♂、脳♂、脳♀、卵巣♀、脾臓♀、腎臓♂、肺♂、線維
芽細胞♂)を採取し、液体窒素で急速凍結した。TRIzol 試薬に溶解後、RNeasy カラムで全 RNA を抽出した。抽
出した RNA は Bioanalyzer2100 RNA6000Nano kit を用いて、RNA の分解度等のクオリティーを確認した。全
RNA は TruSeq RNA Sample Prep Kit v2 を用いて、polyA 選択した後に約 250bp の cDNA 断片ライブラリーを作成
した。TruSeq Single-Read Cluster Generation Kit v5 を用いて Flow cell に充填した後、Illumina Genome Analyzer IIx
でシークエンスし fastq ファイルを得た。TopHat v.v2.0.4 により、reference sequence files と annotation file (from
BGI ftp://ftp.genomics.org.cn/pub/Heterocephalus_glaber/ )に得られた fastq ファイルを annotation し、遺伝子毎の
FPKM(Fragments Per Kilobase of exon per Million fragments mapped)を算出した。
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結果
ハダカデバネズミ脳 CT・MRI アトラス
現在ハダカデバネズミの個体数が限られているため、生きたまま階級変化時の脳の構造・神経走行変化の解析を
行うべく、前段階となる MRI 脳アトラスの構築を進め、成体脳・新生仔脳のアトラスの作製が完了した(論文作
成中、図 1)。
図 1.ハダカデバネズミ脳 CT・MRI アトラス
図 1 上が成体脳、図 1 下が新生仔脳である。CT 画像・拡散テンソル画像(DTI)・T2 強調画像(T2WI)を結合
した図を図 1A に示す(Abbreviations: T₂WI with CT: Amy; amygdala,Cx; cerebrum, H; hippocampus, ic; internal
capsule、DTI: cc; corpus callosum, hc/fi: hippocamal commissure /fimbra, ic; internal capsule, sm; stria medularis. )。トラ
クトグラフィーにより描出した 3 次元白質神経走行を図 B に示す。(Abbreviations and colour scheme: ac; anterior
commissure (pink), f; fornix (light blue), fr; fasciculus retroflexus (light green), hc/fi; hippocamal commissure /fimbra (red),
ic; internal capsule (orange), mcp; middle cerebellar peduncle (green), sm; stria medularis (blue) , st; stria terminalis
(yellow) together with the caudate putamen (CPu; light green), cerebellum (CB; green) and hippocampus (H; light blue))。
皮質の厚さを図 C に示す(dark blue; 0.2mm to red; 1.8mm)。Scale bar は 5mm。
現在、生きたまま性成熟個体および性未成熟体の脳の比較・性未成熟個体の性成熟過程(女王化・王化)過程
を観察するために、生体 MRI の詳細な条件検討を進めている。
ハダカデバネズミ遺伝子情報の整備
ハダカデバネズミの各種臓器(脳、肝臓、心臓、肺、脾臓、腎臓、精巣、卵巣)と線維芽細胞から RNA を抽出
し次世代シーケンサーを用いた mRNA-seq により配列を決定した。当初、遺伝子カタログを作成するため、完全
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新規(de novo)の方法のためのプログラム群の開発と解析を進めていたが、研究期間中に他のグループからゲノ
ム配列と遺伝子モデルが公開されたため、ゲノム配列をベースとした(resequencing)方法に方針を変更した。当
初の予定よりも早い時期に遺伝子カタログが入手できたため、組織別発現遺伝子リストの作成と、ヒト/マウス
の組織別発現遺伝子の情報を組み合わせたハダカデバネズミ(DEBA)特異的発現遺伝子(DeBAT; DEBA-associated
transcripts)の抽出パイプラインを構築した。また、ハダカデバネズミの組織別遺伝子発現情報(脳、肝臓、心
臓、肺、精巣、卵巣、腎臓、脾臓、線維芽細胞)を組み込んだ独自のハダカデバネズミゲノムブラウザーの開発
を行った。現在、サーバーシステムの構築準備中であり、まもなく一般公開する予定である。
考察
生体 MRI を用いて生きたままハダカデバネズミの階級変化時の脳の構造・神経走行変化の解析を行うべく、前
段階となる MRI アトラスの構築を完了させた(論文作成中)。現在は生体 MRI の詳細な条件検討を進めている段
階である。また、最近は順調に個体数が増加してきているため、今後、必要な個体数が揃った時点で、脳の組織
学的解析を開始する。また、次世代シーケンサーを用いた解析を進めることにより、遺伝子配列情報の取得・
mRNA-seq による発現比較、さらに、mRNA-seq を応用したマウス・ヒト・ラットとの種間の遺伝子発現比較パ
イプラインを整備し、分子生物学的解析・網羅的遺伝子解析を行うことが出来る状態に達した。
今後、生体 MRI をハダカデバネズミの性成熟成体(King, Queen)
・性未成熟成体(雌雄 Worker)に適用し、そ
れぞれ皮質密度分布、神経走行構造の比較を行う。性成熟前後の組織学的脳構造の違いとして、Queen と下位の
個体における、視床下部腹内側核の細胞数、分界条床核・室傍核・内側扁桃体のサイズ、また Motoneuron の数
が異なる事のみがわずかに報告されている(Holmes et al., PNAS, 2006; Seney et al., Journal of neurobiol., 2006)。し
かし、雌雄成体・性成熟前後の相互比較は行われておらず、脳の形態的差異については未だほとんどが不明であ
る。そこで、MRI データのボクセル統計解析により、相関する脳領域を網羅的に探し出す。その後、女王化時の
脳神経の変化について、同一個体の経時的な MRI 解析を進めていく予定である。MRI により変化が確認された
領域について、今後詳細に神経走行や遺伝子発現について比較解析を進めていく。
発表論文・参考文献
・ 細胞工学 4 月号 2013 年 3 月 22 日発刊 総説 おもろいバイオロジー 第 5 回
めっちゃ!おもろい!ハダカデバネズミ!:超長寿・がん化耐性・社会性のひみつを探る
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