天理大学人権問題研究室紀要第 く 年表 ノ 6 号 :69 一80, 2003 日本人と黒人との 接触。交流沙虫 一戦後アフリカ 篇一一 古川博己Ⅰ古川哲史 FURUKAWA@ Hiromi@ /@FURUKAWA@ Tetsushi はじめに 本稿は本誌双々 号 (戦前篇), 前号 (戦後アメリカ 後の日本 (火) とブラック・アフリカ 篇 ) に続くものであ る。 第 2 次世界大戦 け ハラ以南のアフリカ ] との関係を扱うが ,エジプト などへの言及があ る項も含まれる。 紙幅の関係上,その地域からの政財界人,芸術・ 芸能・ス ポーツ分野を 含む文化人の 来日や,同地への各界日本人の 訪問,文化交流,著作の刊行などは, 早期ないしは 十七表的なものに限定した。 アフリ ヵ 黒人の名双には 初出時に原語を 佃 し 主要参 考文献はきとめて 最後に記した。 1945 (a 召 ネ ロ 20) 8 月 6 日広島, 9 日長崎に米軍により 原子爆弾が投下される。 となったウランとプルトニウムはべ ホ 8 月 15 日, この原爆の材料 んギ 一領コンゴで 産出された。 日本政府は連合国に 無条件降伏。 連合国にはエジプト ,エチオピア,南アフリ カ連邦, リベリアなどアフリカ 諸国も含まれる。 以降, 1952 年 4 月の平和条約発効まで , 米軍を中心とした 連合国軍による 占領状態が続く。 1950 (昭ネ ロ 25) 6 月,朝鮮戦争が始まる。 国連軍として 朝鮮半島に派兵されたエチオピア 兵士 が日本にも滞在する。 1951 (昭和26) 9 月,サンフランシスコ 講和会議で対日平和条約が 調印され,翌年4 月に発効。 講和と引き換えに 日米安全保障条約が 締結され,米軍基地は 残る。 1952 (日召ネロ 27) 4 月, 日本の主権 が回復し,諸外国との 外交関係が再開される。 ホ 日本とエチオピア , リベリア,南アフリカ 連邦,エジプトとの 間に平和条約批准。 本日本政府,南アフリカのプレトリアに 本日本政府,英領ケニアのナイロビ 総領事館を開設。 ,英領ナイジェリアのラゴス ,南ローデシア 槻 ・ジン 天理大学非常勤講師(元・天理大学国際文化学部教授 @ Ⅰ同志社女子大学嘱託講師,天理大学アメリカス 学会 会員 Re ired Faculty Member, も DoshishaWomen,sC0l Ⅰ 耳 acuIty ofInterna egeofUberal 仮 onal Cu 比 ure 血 ts; Member,Tenh Studies, Tenri Un;vers 汁 y俘art-time Lecturer, UniversityAssociationoftheAmericasS も udies 69 日本人と黒人との接触・交流砂 史 バブエ ) の ソールスベリー (現 ・ハラレ) に領事館を開設。 1954 (昭和29) 6 月,神戸市覚国語大学・ 外国学研究所内で が4 学教授黄巻 一 文 襄鍵が代表となる。 貫名は以後,アフリ ヵ (黒人研究の会 ) が発足し,同大 の歴史書や文学作品の 邦訳にも取り 組む。 会の事務局は 何度か移転するが 現在まで活動。 ホ 西野照太郎 正 鎖を断つアフリ ヵ 1 ㈱ 波新書) が刊行される。 以後,西野は日本一アフリ 力 関係正の先駆的論考を 多数発表する。 1955 (昭和 30) 4 月,インドネシアのバンドンで (アジア,アフリカ 会議) (バンドン会議 ) 精神」に が開催され,平和10 原則を打ち出した「バンドン , 日本代表とエジプト よ り「第姉勢力」の 台頭を予示。 力代表との接触,交流が ェ チオピ ァ ,リベリア, lJ ビアなどアフリ あ る。 ホ 日本アジア連帯委員会が 結成される。 毬 年に,アジア・アフリカ ]956 (昭和31) U 月 連帯委員会に 改称。 , 日本政府,エチオピアに 公使館を開設。 ホ 1 月,スーダンが独立。 日本政府が承認。 ホ 11 月 ,エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ してはじめて 1 世祖 av4la-Sellase I) が戦後初の外国元首と 来日する。 昭和天皇が自ら 空港に出迎えるなど ,国賓として手厚い歓迎を 受 ける。 ネ 1957 ジョン,ガンサー (aB 32) ネ口 2 (-t尾 哲訳) 『アフリカの内幕』 (み すず書房 ) が刊行される。 月,日本政府,スーダンのハルツー ムに公使館を 開設。 ボ 3 月,英領ガーナが独立し,ブラック・アフリカ 諸国の独立の 気運が高まる。 日本政府, ガーナ共和国の 独立を承認。 ホ日本一エチオピア 友好条約締結。 エチオピア政府,東京に 公使館を開設。 ホ エチオピア政府に 招かれ,政治顧問として 6 人,宮廷の女官として 3 人の日本人がアディ ス・ ァベバ に赴任。 1958 (昭和33) 4 月, 日本政府とエチオピア 政府, ァ ディス,アベバと 東京に双方の 大使館を 開設。 ネ 今西錦司と伊 谷 純一郎が日本モンキーセンタ 一の第二次ゴリラ 調査でウガンダとべ ルギ 一 領コンゴ ヘ 赴く。 61 年以後,調査母体は京都大学に移り グループは霊長類字,自然・ 文化人類学などの ,同氏らや梅林忠夫を 中心とした 分野で活発な 研究活動を行う。 ]959 ( ヨ和3% 3 月,日本政府,ガーナのアクラに大使館を開設。 日 求 Ⅱ月 ,エチオピアの 皇太子アスファ・ウォッセン・ハイレ・セラシエ (AsfaWesse Ⅱ Hayla -Sellase) が来日。 1960 (昭和35) 「アフリカの午 」と言われる。 ナイジェリア ,セネガル,コンゴなど 17 カ国が 独立。政治,経済・ 文化面において 日本との関係が 深まる契機になる。 ホ i 月 ,政財界などの要請を受け,社団法人として (アフリカ協会 ) が発足。 東洋レーヨン 会長・田代茂樹が 会長に就任。 しょうぜん ホ 9 月,天理教 A代 真柱中山正善,コンゴ 共和国のブラザビルを 教 のきっかけとなる。 70 訪問。 天理教の同国有 古川・古川 ホ Ⅱ 月 ,日本の皇太子,皇太子妃 (現 ・平成天皇,皇后 ) ボ 12 月,日本政府,ナイジェリアのラゴスに 大使館を開設。 ボ 12 月,日本政府,コンゴ 民主共和国のレオ ポル ドビル (現 ,キンシャサ ) に大使館を開設。 ボク ワタ ・エンクルマレクルマ (野間葉二郎訳 ) コ がエチオピアを 訪問。 『わが祖国への 自伝』 (理論社 ) が刊行 される。 1961 (昭和36) 4 月, (アジア・アフリ ヵ 研究所) が設立される。 所長には非同盟研究で 活躍 の岡倉吉志郎が 就任。 本 5 月,外務省,中近東アフリカ部アフリカ課を 新設。 ホ南アフリカでは ,戦前より日本人は 部分的に「白人」扱いされていたが リカ共和国となり ,内務省は日本人に「名誉白人」 ホ ,この年,南アフ (honorarywh辻 e) の地位を与える。 (早稲田大学アフリカ 大陸縦断 隊 ) がアフリカ ヘ 。 1962 (昭和37) 10 月,ダオメー (現 ・ベニン) 大統領7 ガ (Hube れ Maga) が来日。 ホ 12 月, 日本のアパルトヘイト 反対運動に大きな 影響を与えた 野間 寛 z: 郎が,ガーナのアク ラで開催の (第 本 1 回国際アフリカニスト 会議 ) に出席。 南アフリカ政府,東京に 総領事館開設。 木日本貿易振興会 (JETRO) が南アフリカにヨハネスブルバ 事務所を開設。 本 ナイジェリアの 作家エイモス ,テュテュ オーラ (橋本稿共訳 ) 「ジャンバル放狼言刮 (新潮 祖 ) が 干 付 される。 Ⅱ 1963 (昭木口 38) 2 月,タンガニーカの モシ における (第 3 回アジア,アフリカ 人民連帯会議 ) に, 日本からも社会党・ 田中 稔男 ら国会議員や 野間 寛ニ郎ら 民間人が参加。 南アの (アフリカ民族会議 ) のオリバー・タンボ (OIiverTambo) とも会見。 ボ 文化人類学者の 山口昌男がナイジェリアのイバダン ホ セネガルの作家サンベーヌ・ ゥ スマン 由Ⅰ C 大学・社会学客員講師に 赴任。 (藤井一行 訳) 「セネガルの息子J (新日本出版社 ) が刊行される。 1964 (昭和 39) 10 月,東京オリンピック 開催。 初出場 15 カ国のうち 12 カ国がアフリ ヵ 。 ローマ 大会以降に独立した でり ,ナイジェリア ン 優勝者アベ べ ・ビキラ (AbebeBikila) ,タンガニーカなども 参加。 エチオピアのマラソ が人気に。 北 ローデシアは 閉会式当日に 独立を 迎え,ザンビアとして 新しい国旗をひるがえし ,話題になる。 ホ臼 本 アフリ力学会 ) (JapanAssociation 伍rAf@i;canStudies) が設立される。 以後,活 発な活動実績を 積みあげ,現在,会員は 700 名を超える。 ホ 東京外国語大学に (アジア・ ァブ リが言語文化研究所 ) が開設される。 所長には文化人類 学者の岡正雄が 就任。 木野間 寛 二郎や田中 稔男 ・田中寿美子夫妻らが , く 日本 AA 人民連帯委員会 ) 内に (南ア 人 種差別反対実行委員会 ) (Jap 皿血iti-Apar伍eidCommittee) を発足させる。 ホ 東京都立大学の 地理学者・矢沢 大 二が代表となり ,アフリカの自然地理学的学術調査が 始 まる。 以後,都立大関係者による 調査が本格化。 1965 (昭和40) 2 月,日本銀行の服部正也が国際通貨基金の 依頼で,ルワンダの中央銀行総裁 71 日本人と黒人との接触・交流沙史 に赴任。 7m 年 l 月まで務める。 ホ 5 月,外務省が中近東アフリカ 局を新設。 ボ 8 月,日本政府派遣のアフリカ 経済視察団Ⅸ越後ミッション ), 団長・伊藤忠商事社長・ 越後五Ⅱがアフリカ ヘ 。 34 日間にわたり ,エチオピア,ザンビア,コンゴ ,ナイジェリ ,セネガルの 6 ヵ国を訪問。 ア ,コートジボアール ホ 11 月,マダガスカルのチラナナ ホ ウガンダのミルトン・オボ テ (PhilrbertTs 油皿 ana) 大統領が国賓として 来日。 (Miltonobote)大統領が来日。 ホ エチオピアのハイレ・セラシエ 1 地大学で,鈴木秀夫が地理学を 68 年まで教える。 1966 (昭和41) 日本政府,ケニアおよびタンザニア 3 月にケニア ヘ 3 名,翌 67 年 3 月にタンザニア 以降,アフリカ 地域への隊員の 政府と青年海外協力隊派遣の 取決めを締結。 ヘ 30 名の青年海外協力隊 (JOCV) を派遣。 派遣増加。 (青年海外脇ガ 隊の事業は,外務省の 管轄で1965 年に発足カ ホ 1 胡 ,コンゴのブラザビルに 率 ,天理教が教会および診療所を開設。 eabuaJonathan) ml 月,レソトのレア フ ァ・ジョナサン㎝ 首相が来日。 ボ 南 アブ リ ヵ にヨハネスブルバ 日本人学校が 開校。 1967 (昭和42) 京都大学が (大 サハラ学術探検隊 ) を送る。 (78年まで) 1968 (B 43) 南アフリカ出身の 亡命歌手ミリアム ,マケバ (M ㎡ am Makeba) が来日公演。 召 さ口 ホ 東京外国語大学のアジア・アフリカ 言語文化研究所が , (アフリカ 大 サバンナ学術調査 ) を組織。 (76年まで) ボ コートジボアール 国立アビジャン 博物館提供の 展覧会が東京で 開催される。 ホ京都大学アフリ 力学術調査勝報告として ,今西錦司・ 梅林忠夫綱丁アフリカ 社会の研究 B (西村書店 ) が刊行される。 1969 ( 日召ネロ 44) 5 月,東京で反アパルトヘイト 運動団体 ( ァブ リ力行動委員会 ) が結成される。 木木村重信 f アフリ ヵ 美術探検 J (講談社 ) が刊行される。 l970 (昭和45) 2 月, 日本政府派遣の 経済視察団 (第 1回 (河野ミッション ), 団長・経団連 副会長,三菱重T 会長,河野文彦) がアフリカ ヘ 。 エチオピア,ケニア , タンザニア, ザ ンビア,ザイール ,ナイジェリア ,ガーナ,コートジボアール,セネガルの9 カ国を訪問。 その成果をもとに , ホ 3 8 月に経団連内に 月一 9 月,大阪で万国・博覧会が開催される。 各国ナショナル・ チオピア皇帝ハイレ・セラシエ Bokassa) 大統領 (8 ホ (アフリカ委員会 ) が設立される。 月 ) 1 世 (5 月 ), 中央アフリカ デ 一には要人が 来日。 エ 共和国の ボカ サけ ean-Bedel など。 4 月,モーリシャスのシ ー ウー サ グール ラングーラム (Seewoosa ま打 Ramgoolam) 首 相が来日。 求 9 月,ガンビアのデイビッド ,ジャワ ラ (DavidJawara) 197l (昭和 46) 4 月,ザイール (現 ・コンゴ民主共和国 ) Seko) 大統領が国賓として 来日。 求 12月,松枝 張 が日本政府よりエチオピアの ひらく 72 大統領が来日。 の モブッ 中央衛生研究所に ・ セセ ,セコ 派遣される。 (MobutuSese 2 年間勤務す 古川,古川 る 。 寒 く日本一エティオピア 協会) が設立される。 1972 ( 日召 さ口 47) 4 月,アフリカ 統一機構 (OAU) の使節団長としてモーリタニアのウルドゥ ダ ッダ (Mok ぬrChi 田 Daddha) 大統領が来日。 ㎝hmadouA 1973 (昭和48) 4 月,・カメルーンのアマドゥ・ アヒジョ ボ 8 月,モーリシャスのラングーラム 田山。) 大統領が来日。 首相が来日。 1974 W日酪甘 49) 6 月,アフリ ヵ 統一機構 (OAU) の第11 回首脳会議が ,日本を含む西側諸国 0 対南アフリカ 貿易を,アパルトヘイト 体制に加担と 激しく非難。 ボ 8 月,国際協力事業団 (JICA) が設立される。 アフリカを含め 発展途上国の 開発への寄 与を目的に,政府開発援助 (ODA) や青年海外協力隊といった 事業に携わる。 ホ 10 月,木村俊夫覚相がガーナ ,ナイジェリア,ザイール,タンザニア,エジプトを訪問。 日本の現職の 外務大臣による 初めてのアフリカ 公式訪問 (10月 31 日 一 11 同 9 日 ) 。 石油シ (73年 ) による資源大陸アフリカへの 注目,アフリカ 諸国との関係改善の 必要性と いった背景があ った。 ョック ネ国立民族学博物館が 大阪に設置される (開館,公開は77 年 ) 。 アフリカ地域を 含め,民族 学 を主とした研究や 展示を行う。 ネ ケニアのゴードン ,サイラス・ムアン ギ (Gordon C 打 us Mwan 囲) が京都大学大学院に 留学,政治学を専攻。修了後,各地で教え,現在は四国学院大学教授。 1975 (昭和50) 6 月,ガンビアのジャワ ラ 大統領が来日。 月,ガボンのボンゴ (Ⅲ bert-BernafdBongo) 大統領が来日。 ボ 7 ホ 7 月,沖縄海洋博覧会が開催される ボケニアのナイロビに (一 76 年 1 月 ) 。 アフリカからカメルーンが 参加。 ( 日本一アフリカ 文化交流学院 ) ほ ワヒリ語学院 ) が開設される。 平和運動家,ジャーナリストとしてアフリカに 1976 (昭和51) 4 月,戸川幸夫らによって 係わってきた 星野芳樹が校長をつとめる。 (サバンナクラブ 東アフリカ友の 会 ) が設立さ れる。 国内で写真展などを 開催する一方,現地での 協力活動もおこなう。 ホ 5 月,木村俊夫・ 元外相,ケニアを訪問。 本川田順造『無文字社会の 歴史J (岩波書店 ) が刊行される。 1977 (昭和 52) 9 月,国立民族学博物館の 福井勝義が中心となり ,国際シンポジウム リカ牧畜 民 における部族関係 ホ (東アフ 戦争と平和 ) が開催される。 朝日新聞社がタンザニアのダルエスサラームに 支局を開設。 ビアフラ戦争などの 取材経験 があ る伊藤正孝が 常駐特派員として 赴任。 る最初のアフリカ 通史といわれる 山口昌男Ⅱ黒い 大陸の栄光と 悲惨9 (講談社) ホ 日本人に よ が刊行される。 ボ 土屋背編訳『現代アフリ ネ アフリカ現代文学の 古典とされるナイジェリア れゆく , 、J ホ牛 ヵ 短篇 集 J (全 3 巻,脇書房) が刊行される。 作家 チヌア ・アチェ ベ (古川博己 訳) r崩 (門主 社 ) が刊行される。 3978 (昭和53) 2 月,日本政府派遣の経済視察団 (第 2 回 (河野ミッション ), 団長・姉菱重 73 日本人と黒人との接触・交流砂史 工会長・河野文彦 ) がアフリカ ヘ 。 タンザニア,ナイジェリア ,コートジボアール ,セネ ガルを訪問。 ホ 9 (MaphevuDlamini) 月,スワジランドのラミニ 首相が来日。 ボ 12 月,ガボンのボンゴ大統領が来日 木山川出版社より『アフリカ 現代史J (全 5 巻 ) の刊行が始まる。 執筆者は, 星昭, 林晃史, 吉田畠夫 ,小田英郎,中村腔光,宮治一雄。 l979 (日召 和 54) 4 月,セネガルの詩人でネバ セ ダール・サンゴール り チュード文化運動提唱者でもあ るレオ ポ ルド・ (LeopoIdSedarSen 曲 or) 大統領が国賓として 来日。 す なお ネ 7 月,園田直覚相がナイジエリア ,コートジボアール, セ 不ガル,タンザニア ,ケニア を公式訪問。 第二次石油ショックによる「資源覚交」といった 背景があ った。 詩集J ( 日本セネガル 友好 ホ 日本セネガル 友好協会編アレオ ポ ルド・ セ ダール・サンゴール 協会) が刊行される。 ネ 岡倉登志Ⅱブラック・アフリ の歴史 (三省堂) が刊行される。 ヵ ロ 1980 (昭和 55) 6 月,コートジボアールのそり・トラオレ (Mory Traore) が日本で製作した d,ailleurs") が東京の日仏会館で 一般向け初会 長編映画 7車に 礫 かれた犬J ("L,Homme 開。 京都などでも 上映される。 ポ 7 月,羽仁進 ,サイモン・トレーバー 監督の映画『アフリカ 切言辞 J Wサンリオ ) が公開さ れる。 ネ 9 (KennethKaunda) 月,ザンビアのケネス・カウンダ 大統領が国賓として 来日。 ボ 講談社主催の 第 1 回 野間アフリカ 出版 賞を ,セネガルの女性作家マリアマ・バ (M 酊ia.maR 棚のひ 舵 SiiLo ㎎ up,Lp.ftre ㎝かくも長き 手紙醗が 受賞。 1981 (昭和56) 3 月,タンザニアのジュリアス ,ニエ レレ (JuIius Kambarage ー Nyerere) 大 統領が国賓として 来日。 串 本 ベ (RobertMueabe) 5 月,ジンバブエのロバート・ムガ 11 月,ケニアの亡命作家 グギ ・ ヮ 首相が来日。 ・ジオンゴ (N 輌ま waThiong,o) と南アフリ (AlexLa Guma) が,川崎市での (アジア・アフリ ンアメリカ文化会議 ) に出席のため 来日。 ホれ月 ,ナイジェリア作家チヌア ・アチェベ (ChinuaAchebe) が読売新聞社主催 作家アレックス・ラバーマ ヵ の亡命 ヵ ・ラテ の (東京 会議) にアフリカより 初の参加者として 招待される。 ボグギ ワ ・ジオンゴ (小林倍 次郎訳) 「一粒の麦J (門主柱 ) からゆきさん ボ白石顕二『ザンジバルの 娘子軍』 (冬樹社 ) が刊行される。 ・ 1982 W 廿 ヨネロ 57@ 4 月,ケニアのダニエル・フラップ・モイ が刊行される。 (Daniel arap Mo ) 大統領が国賓 土 として来日 " l983 ( 日召ネロ ホ 58) 3 月,日本の皇太子,皇太子妃がケニア,タンザニア,ザンビアを訪問。 3 月,南アフリカの詩人・作家マジ シ ・クネーネ (Mazisi ルのレバノン 侵略に関する 国際民衆法廷に 本日本国際ボランティアセンター 74 (JVC) Kunene) 陪審員として 出席。) がソマリアで 活動を始める。 が来日。 (イスラエ ボ 松本重治監修,米山俊直 ・併合純一郎 編 『アフリカハンドブック』 (講談社 ) が刊行され る 。 ]984 る。 (昭和59) 2 月,第3 回東京国際マラソンでタンザニアのジュマ・イカンガー (Juma (Juma Ikangaa) が初優勝。 ホ 2 月一 3 月,日本の皇太子,皇太子妃がセネガル ,ザイールを訪問。 ボ 3 月,セネガルの作家・映画製作者サンベーヌ し,映画『エミ タイ が岩波ホールで ,ウスマン (Sembeneousmane) が来日 上映される。 コ ホ 9 月,ガボンのボンゴ大統領が国賓として 来日。 幸 ホ 9 月,ガンビアのジャワ ラ 大統領が来日。 月,アフリカ 協会が「アフリカ 月間」を開催し ,食糧危機を救うキャンペーンやコンサ 9 (SannyAde) ートなどの行事をおこなう。 ナイジェリアの 歌手サニー・アデ 零 10 月 ,国際交流基金主催による ( アフリカ映画祭 ) が開催される。 以後, 85 年 が来日公演。 3 月まで各 都市を巡回。 本 11 月,安部首太郎外相がザンビア ,エチオピア,エジプトを訪問。 難民キャンプなども 視 察する。 帰国後,「アフリカ 支援緊急アピール」を 発表。 ホ 映画『アモ ク !J (モロッコ・セネガル 合作) が日本各地で 公開される。 ネ京大関係の 調査隊 による 1970 年代の研究成果として ,併呑純- 郎・米山 陵直編 『アフリカ 文化の研究』 (アカデミア出版会 ) が刊行される。 ボ 「現代のアフリカ」刊行委員会編Ⅱ文献総覧 現代のアフリ ホ 中村とうよう『アフリカの ヵ 』 lW 新評論) が刊行される。 昔が聞こえてくる ロいユー ジック・マガジン 増刊号 ) が刊行 される。 l985 (B 召ネ 060) 3 月一 9 月,国際科学技術博覧会 (つくば万博 ) が筑波研究学園都市で 開催さ れる。 セイシェル館が 開設される。 ネ 4 月,政府派遣アフリカ 経済使節 囲 (金森政雄・三菱重工業会長,経団連アフリカ 委員会 委員長) が,ザンビア,ジンバブエ,ケニア,ナイジェリア,ザイールを訪問。 幸 6 月,ギニア・ビサウの ビエイラ (Joao Ⅵ efra) 大統領が来日。 ネ 7 月,ケニアのナイロビで「国連婦人の ln 年 」を締めくくる 世界会議と関連 NGO フォー ラムが開催される。 日本からも数百人が 参加。 ホ 9 月,欧米諸国に追従 し , ホ 日本政府が南アフリカに 対する経済制裁措置を 決定。 Ⅱ 月 ,アフリカ・ウィークの一環として,「イメージの 冒険 アフリカ美術展」が 東京 で 開催される。 ]986 (昭和 6]) 2 月,第 4 回東京国際マラソンでタンザニアのイカンガーが 連覇を果たす。 12 月の福岡国際マラソンでも 優勝。 ボ 5 月,モザンビークの サモラ ・マシェル ネ 5 月,ザイールのリンガラ・バンド Wemba&VivalaMusica) 宰 8 月,ノーベル平和賞 (SamoraMachel) 大統領が来日。 (パパ・ウェン バ & ヴィヴ ァ ・ ラ ・ムジー カ ) (Papa が来日公演。 (84年度) 受賞の南アフリカのデズモンド・ ヅツ (DesumondTutu) 75 日本人と黒人との接触・交流砂 史 主教が,広島での平和サミットに 参加のため来日。 ホ 9 月,ニジェールの セイニ ク ・ ンチェ (Seyni 東京でも講演。 ㈲議長 (国家元首 ) が国賓とし Kountch て来日。 ネ (ザ イコ・ランガ・ランガ ) (Z㎡Ⅱ o Langa 10 月 ,ザイールのリンガラ・バンド が 来日公演。 記念盤 "NipponBanza Langa) ㍗も発売。 ボ 12 月,セネガルの歌手 ユッ スー・ ン ドゥール (YoussouN,Dour) が乗口公演。 (B君 ネ ロ 62) 円高により, ドル・べ ー スで日本がアメリカを 抜き,アパルトヘイト 体制を維 1987 持する南アフリカ 共和国の最大貿易相手国となる。 国連アパルトヘイト 委員会などから 非 難を浴びる。 本 4 月,コモロのアーメド・アブダラ㎝ lmedAbdallah) 大統領が来日。 ょ ポ 4 月,アフリカ 協会が南アフリカの ホ 9 月,ブラック・アフリカで ウォレ・ショインカ ANC 議長オリバー・タンボを 招待。 初のノーベル 尹nka) (WoleSo ボ 20 月,スーダンのシディバ・マハディ ホ シネマクシオン 文学賞 (86年度) 受賞のナイジェリアの 劇作家 が,国際交流基金などの 招きで来日。 (Sadiq田-Mahdi) 首相が来日。 編 (白石顕二, 他訳) f ブラック・アフリカの 映画 2 0彩流社) が刊行され る 。 l988 (昭和 63) 2 月,第 5 回東京国際マラソンでエチオピアの Mekonnen) ホ 3 5 月,ルワンダのハ ビヤリマナ (Juv6nalHabyaHmana) 曲 C 事務所の日本開設を せ 月,モザンビークのジョアキン・ チサ / ホ 6 月,セネガルのアブドゥ・ディウ ノン ネ ・メコネン (Abebe が優勝。 ホ 5 月, 日本政府が南アの ボ 々ベべ 6 月,「アパルトヘイト・ 否 @ フ 大統領が来日。 認め,東京事務所が開かれる。 (JoaqurnChissano) 大統領が来日。 (AbdouDiouf) 土 大統領が国賓として 来日。 国際美術展」が ,沖縄から北海道に 至る各地を巡回。 (89 年 12月まで。) 木ロ月 ,アフリカ協会がアフリカ 6 カ国の映画監督・ 俳優などを招き ,東京でⅠアフ lJ 力映 画祭」を開催。 宰 12 月,国連がアパルトヘイト 体制に加世の 日本を非難し , 南アからの禁輸を 求める決議を 採択。 木森川純 $南アフリカと 日本 関係の歴史・ 構造・課題山桐 文舘 ) が刊行される。 本宮本正興・ 責任編集 Tユネスコ・アフリカの 歴史J ( 日本語版,同朋 舎) の刊行が始まる。 1989 (B 64/ 平成り 2 月,昭和天皇の大喪の礼に参列のためアフリカ 各国の要人が 来日。 ザイールのモブツ 大統領,ザンビアのカウンダ 大統領,ケニアのモイ 大統領,ガンビアの 召 ネロ ジャワ ラ 大統領,ギニア・ビサウの ビエイラ大統領,ナイジェリアのイブラヒム・ バ バン ギ グ (Ibrah m GbadamosiBaban 甲da) 大統領,ガーナのジェリー・ローリンバス (Jerry John R0wIingS) 議長 (国家元首 ), ト一 ゴのニ マシンベ・エヤデマ (Gnass ngbe Eyad Ima) 大統領,ブルンジのピエール・ プョヤ (PierreBuyoya) 大統領な ど 宰 2 月,南アフリカの 里人音楽劇団 ( コミッティド・アーテイスツ ) が来日。 反 アパルトヘ 土 士 る イト劇 「アシナマ lJ」を各地で公演。 ホ ホ ホ ホ 6 月,マ 出身の歌手サリフ ,ケイタ (SalifKeita) が来日公演。 月,センベーヌ・ ウ スマン監督の 映画ニチェド が東京の岩波ホールで リ 8 Ⅰ コ 公開される。 0 月,ジンバブエのんガベ 大統領が国賓として 来日。 W0月一 11月にかけて,日本政府が PKO 活動の一環として ,国連ナミビア支援団に 27 名の 選挙監視要員を 派遣。 ホ 12月,タンザニアのアリ・ハッサン・ (AUiHassanMw ム ウィニ 田yi) 大統領が国賓とし て来日。 ホ 西武美術館,アフリカ 協会などが主催の (ナイジェリア・ベニン 王国美術展 ) が開催され る 。 水 例会純一郎・ 小田英郎・川田順造・ 田中 . 郎 ,米山陵 直 監修『アフリカを 九社) が刊行される。 l990( 平成 2) 3 月,国立民族学博物館で <赤道アフリ ヵ の仮面一一秘められた 知る事 $引 (平 森の精霊たち ) 展が開催される。 ホ 4 月一 9 月,大阪で開催された (国際化と緑の 博覧会) (花の万博 ) に,セネガル,ナノ ジェリア, カメルーン, タンザニアなどアフリカ 諸国が参加。 ルネ (由 be 氏㎏ n ㈲大統領が来日。 求 7 月,セーシェルのアルベール・ ホ 7 月,鹿児島県の根占町とギニアの コヤ 県が姉妹都市提携を 結ぶ。 (HassmGouledAp 廿 do め 大統領が来日。 ホ 10 月,梶山静六法相の「里人差別発言」 (9 月 21 日 ) にたいして,セネガル, ボ 9 月,ジブチのハツサン・バレ ド マダガスカル ,ナイジェリア,エチオピア,アルジェリアのアフリカ リベリア, 6 カ国の大使が 外務 省を訪問し,正式に 抗議。 ホ 10 月 ,ネルソン・マンデラ 日 (NelsonMandela) ANC 副議長がアジア 歴訪の - 環として 来 。 政財界要人,市民団体と 会い,国会でも 演説。 ホ 10 月 ,ギニア・ビサウの ビエイラ大統領が 来日。 ボ Ⅱ月 ,平成天皇の即位の礼にアフリカ 各国の要人が 来日。 セネガルのディウフ 大統領, ザ ンビアのカウンダ 大統領,ケニアのモイ 大統領, ト一ゴの エヤデマ大統領,ガンビアのジ ャワ ラ 大統領,中央アフリカ 共和国のアンドレ・コリンバ ボツワナのマシン 本 南アフリカの ANC (QuettMasire) 大統領など。 所属歌舞 団 (アマンドラ ) (AMANDLA) 求 南アフリカのアカペラ・コーラス・バループ (LadysmIⅡ hBlackM8%bazo) 七 求 南アフリカのミュージカルⅠ 後に,アメリカで映画化され (Anldre Kolingba) 大統領, が全国を巡回公演する。 ( レディ・スミス ,ブラック・マンバー ゾ) が来日公演。 (94年にも来日公演。 ) サ ラフィナ」が 来日公演。 (92年にも来日公演じ (ジョン・アヴィルドセン 監督, レレ ティ,クマロ , ウ一ピ 一 ・ゴールドバーバなどが 出演 ), 日本でも 93 年に上映される。 19g1 ボ H平成 3) 4 月,経団連視察団が南アフ。J 力 を訪問。 4 月より大阪外国語大学助教授として ,ナイジェリアの オルレ 2 オモ デ シ (Oluremi 77 日本人と黒人との接触・交流砂 史 Omodele) ボ が異人演劇や コ ルバ語などを 94 を- まで担当。 20 月, (大英博物館所蔵 品によ るアフリ ヵ の染織) 展が京都国立近代美術館で 開催される。 ネくマ コンデ美術館 ) が三重県の二見町に 開館㎝ 長 ・水野恒男) 。 ホ Ⅰ ケニア国立民族音楽舞踊団が 992 (平成 4) 1 月 来日公演。 ,日本政府, デ ・クラーク大統領のアパルトヘイト 法 全廃宣言を受け ,南 アフリカ共和国との 外交関係を再開。 ホ 2 月, 自民党 ODA 視察団,ニジェール訪問。 ホ 3 月,ボツワナのマシン 大統領が来日。 ホ 6 月, デ ・クラーク南アフリカ 大統領が来日 " 率 10 月一Ⅱ月 , (アフリカ文学研究会 ) 世界 の グギ と ( ウリ文化研究所 ) が共催しⅠわたしたちと 第三 アジア・アフリカ 文学者会議」が 京都と大阪で 開かれる。 アフリカからはケニア ・ ワ (Gcina Mhlophe), デニス・ (DennisBru lus), タンザニアのサイド・アフメド・モハメド (Sa d Ⅲ med ・ジオンゴ,南アフリカの ブルータス グシナ ・ムショー べ 七 王 ュ Mohamed) らが参加。 ボ日本政府,第二次国連アンゴラ 監視囲へ選挙監視要員を 派遣。 ホ ナイジェリア 国立舞踊団が 来日公演。 1993 (平成 5) 5 月,国連平和維持活動 (PKO) の一環として ,日本政府が国連モザンビー ク活動の司令部要員,輸送調整部隊などに 自衛隊員を派遣。 (95年 2 月まで) ホ 10 月 ,日本政府,国連, GCA 京国際会議 ) (TICAD (Global CoaIition 椅r 虹rica) の共催で (アフリカ開発東 I) が開催される。 48 のアフリカ諸国が 参加。 4 人の国家元首を はじめ要人が 来日。 ガーナのローリンバス 大統領,ボツワナのマシン 大統領,ブルキナフ Compaore) 大統領,ウガンダのョ ウェリ・ ムセベ Museve ㎡) 大統領,ベニンのソ グロ (Nicephore Soglo) 大統領など。 細川 ァソのブレーズ・コンパオレ① ニ (Yowe ㎡ laise 護煕首相が基調講演。 日本の団長は 羽田孜副総理 兼 外ザ 。 「東京宣言」を採択して閉幕。 目 串 10 月 , TICAD I を契機に (TICAD I に招かれたのは 政府関係者のみ ), 日本の NGO がアフリカの NGO を招き , ( アフリカシンポジウム ) を開催。 そのシンポジウムの 実行 委員会が母体となり ,翌年, ( アフリカ日本協議会 > (AJF) が発足。 本岡倉登志・ 北川勝彦『日本一アフリカ 交流鬼 明治期から第 2 次世界大戦 期 まで J (同 文綿) が刊行される。 青木澄夫『アフリカに 渡った日本人 J W時事通信社 ) が刊行される。 l994 R平成 6) 2 月,ベニンのソ グロ大統領が 来日。 ホ 10月 ,ルワンダ難民救援の 国際平和協力業務に ,自衛隊から難民救援隊,輸送部隊を ボ ホ 10 月,国連モザンビーク 活動に自衛隊員が 参加。 宰 10 月 ,経団連視察団が南 アブ リ ホ 川端正久 編仁ァブ リ ヵ を訪問。 ヵと 日本J (勤 草書房) が刊行される。 1995 (平成 7) 6 月,ザイール (現 ・コンゴ民主共和国 ) が来日。 派遣。 の ケ ンゴ (KengoWaDondo) 首相 ホ 宰 Ⅰ 7 月,南アフリカ 共和国のマンデラ 12 月,ブルキナファソのコンパオレ 996 (平成 8) ホ 9 4 大統領が国賓として 来日。 大統領が来日。 月,池田行彦覚相が南アフリカを 訪問。 (MelesZenawi) 月,エチオピアのメレス・ゼナウィ 首相が来日 ホ 9 月,ガボンのボンゴ大統領が来日。 (SamuelNWoma) 大統領が国賓として 来日。 1997 (平成 g) nl月 ,京都で The 細 3IthlnternationalCon 良renceof 式 thiopianStudies (第 本 10 月,ナミビアのサミュ エ ル・ ヌジョマ 13 回国際エチオピア 学会 ) が開催される。 ホ 12 月,ガーナのローリンバス ホ 12 月,大分県の「一村 - 大統領が来日。 品運動」に関心をもち ,マラウィ政府が農相を派遣。 ポ日本一エチオピア 航空協定が発効。 ポ JunMorhkawa (森 @), Ⅲ 一BigBusinessa れば Dipfo 佛しり (London: が刊行される。 Hurst&Company) ホ 爪や㎝㏄ 田 Africa 北川勝彦咄本 一 南アフリカ通商関係 史 研究』 (国際日本文化研究センタ㍉が 刊行され る。 ボ宮本正興,松田 素 二編『新書アフリカ 史 J (講談社) が刊行される。 (平成 10) 1998 3 月,国立民族学博物館で (サバンナの絵画 ティンガティン ガの世界 ) 展 が開催される。 ホ 4 月,南アのタボ ,ムベキ副大統領 (Thabo Mube 拓) が来日。 国連大学での 講演で「 ア フリカ・ルネッサンス 論」を展開。 ホ 8 月,ジブチのハッサン・バレド 木 10 月 , 大統領が来日。 (第 2 回アフリカ開発東京国際会議 ) (TlCAD Ⅱ オピアのメレス 首相,ガーナのジェリー・ローリンバス ド大統領,ブルキナファソのコンパオレ ァ・ K るⅡ (Alpha コ ナン 乱 ou) ) が開催される。 参加者に,エチ 大統領, ジブチのハッサン ,グレ 大統領,ボツワナのマシン 大統領,マ Konare) 大統領,ベニンの マ テュー・ Oumar ケ レク のアルフ リ (Mathieu 大統領など 0 ホ 12 月, タンザニアの ん ウィニ大統領が 来日。 1999 (平成 11) 2 月,ナイジェリアの オルシエグン オバザンジョ (Oluse部皿 Obasa 却o) 次 期大統領が来日。 求 6 月,コートジボアールの ホ 外務省主催の コ ナン・ ベ ディエ 日本一アフリカ 交流事業として , (Henri-Kon 皿 Bedie) 大統領が来日。 ( アフリカン・フェスタ ) が東京で開催さ れる。 ホ エチオピア国立民族舞踊団が 2000 (平成 12) 6 月, NGO 団体 来日公演。 く ピースボート ) が (エリトリア,エチオピア和平のための 市民会議 ) を,両国の代表者を 日本に招いて 開催。 ボ 6 月,急死した小渕恵姉首相の 公式 葬に ,アフリ ヵ 諸国からも外相級の 要人が参列。 ホ 7 月,南アフリ ヵ の んベキ 大統領が来日。 79 田本人と黒人との接触・交流沙 史 ボ 10 月, ポ ( ジンバブエ・コミュニティ 劇団 ) が来日公演。 "International Symp0sium 10 月, ( アフリカ文学研究会 ) 主催で,京都精華大学で ㎡Ⅱca: Cu 比 ureandDevelopmen on げが開催される。 基調講演は グギ,ワ ・ジオンゴがお こなう。 幸 11 月 ,第22 (Joyce 回東京国際女子マラソンでケニアのジョイス・チェプチュンバ Chepchumba) がアフリカ 勢 として初優勝。 水青木澄夫『日本人のアフリカ「発見」 (山川出版社 ) が刊行される。 コ く 主要参考文献 ) ボアフリが協会編『アフリカ 年鑑d, アフリカ協会。 971年一) ㎝ 求伊谷 純一郎・小田英郎・ 川田順造・田中二郎・ 米山佐直監修了アフリカを 知る事典・ 1( 新 訂 増補版 ), 平凡社, 1999 年。 ホ 岩波書店編集部 綱 丁近代日本総合年表口 (第 3 版 ), 岩波書店, 現代アフリカ 9, 明石書店, 2002 年。 ホ 岡倉登志 編 Ⅱハンドブック ボ 1991 年 。 外務省外交史料館,日本覚交 史 辞典編纂委員会編旧日本外交 史辞典J (新版), 山川出版 社 , 1992 ポ,。 ホ 外務省情報文化周編Ⅱ あ ふりか アフリカ一一サハラの 向こうの世界 ロ ,世界の動き 社 , 1984 年。 ホ 川端正久 編 『アフリカと 日本d, 動 草書房, 1994 年。 ホ北川勝彦『日本一南アフリカ 通商関係 史研究9, 国際日本文化研究センタコ ボ 現代のアフリカ 刊行委員会編下文献総覧 1997 年。 現代のアフリカ d, 新評論, 1984 年。 ネ 富田仁編 Ⅱ海外交流史事典 , 日外アソシェーツ , 1989 年。 求 永野信利 編 『日本覚交ハンドブック d, ザイマル出版会, 1981 年。 ロ 水平野健 - 郎監修 旧 対日関係を知る 事上町,午下し 社, 2001 年 。 木森川純 『南アフリカと 日本 関係の歴史・ 構造・課題 d, 同文 舘 , 1988 年。 率Ⅰ日本におけるアフリカ 研究の回顧と 展望」,『アフリカ研究』 25 号 ( 日本アフリ力学会 創立20 周年記念特集号 ), 1984 年。 ホ Kwame Anthony Appiah and Henry Louis Gates, E れりclopedia of 坊eA 斤ic㎝ o,㎡ A r/,ic ㎝ A 胤㏄ic㎝ 何ズが Jr., eds, A 斤ica れ し p,「 た れ ce, N.Y.: : BasicCW;ulfo,R Books, 1999. 求 Jun Mor kawa,Jap Ⅰ ㎝ a Ⅱ dA 斤ic0 一 B 牡 Busi れ ess0% Company,1997. ホ その他,外務省,在日公館などの各種ホームページ。 ぱ D 甲z0 硯㏄ 鋤, Lon tん hle、 け on : Hurst&
© Copyright 2024 Paperzz