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最も心に残った
N響コンサート
ソリスト2013
�
1997 年に「N響ベスト・コンサート」として始まって以来、今回で 17 回目を迎える
「最も心に残ったN響コンサート & ソリスト」。2013 年 1 月 ∼12 月に行われた定期
公演から、演奏をお聴きになったみなさまに投票をお願いし、今年も 450 を超える
票が集まりました。
「感動の瞬間」がどのように順位に反映されているでしょうか。投
票にご参加いただいたみなさま、ご協力ありがとうございました。
2013 年 9 月Cプロ、NHKホール
Program
�
最も心に残ったN響コンサート2013
第1 位
9 月 Cプロ 第 1762 回|9月 27、28日
B
ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮)
フランク・ペーター・ツィンマーマン(ヴァイオリン)
ブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品
ブラームス/交響曲 第 番 ホ短調 作品
⃝《第 4 番》が圧巻。きめ細やかに歌い上げ
る冒頭から、膝が震えるほど感激した。感情
の起伏の描写が、卓越している。前半の《ヴ
ァイオリン協奏曲》でも、指揮者の力量にた
だ脱帽。
(榊原美奈)
⃝これぞブラームスといった曲目で、ドイツ
・
ロマン派の神髄を堪能しました。 (原田進)
⃝いつまでも若々しいブロムシュテットと、巨
匠の風格が見えてきたツィンマーマンの組み合
わせのブラームスが悪かろうはずもなく、久
しぶりのNHKホールでの生演奏を堪能しま
した。最高でした。
(高野稔)
⃝《第 4 番》の冒頭部分の美しさはきわめて
印象的で、さすがブロムシュテットとの感を強
く持った。全体的にも曲の流れ、特に管楽器
同士の受け渡しが素晴らしく、N響の技の高
さを遺憾なく発揮していたように思う。
(北井淳夫)
⃝ブロムシュテットの若々しいテンポ感で一気
に聴かせるすばらしい《第 4 番》でした。N
響の熱演にも拍手。終演後思わず唸ってしま
いました。
(山田良輔)
⃝ブロムシュテットと集中的に取り組んだ 9 月
のブラームス・チクルスは、どれも高水準で感
動的でした。なかでもチクルス最後のCプロ
の充実した演奏は見事!
(吉田雅之)
最も心に残ったN響コンサート 2012
2位
Philharmony April 2014
第
9月 Aプロ 第 1761回|9月 21、22日
ヘルベルト
・
ブロムシュテット
(指揮)
ブラームス/交響曲 第
ブラームス/交響曲 第
番 ニ長調 作品
番 ヘ長調 作品
⃝大好きなブラームス、生演奏で感動したの ⃝特に《第 3 番》は、素晴らしい演奏でした。
は私だけではなかったようで、客席からの「ブ フィナーレは、会場の静けさと相まって心に染
ラボー!」と拍手がすごかった!!!
み入るものがありました。
(中山大輔)
(秋元英央)
⃝まるで、本当にドイツに行って来たような気
⃝ブラームスの「中庸」がもっとも良く出てい 持ちになりました。壮大なドラマのストーリー
る演奏だったと思います。最初の瞬間から最 のようでした。嵐のような大歓声と拍手に包ま
後まで、ずっとうっとりしながら聴いていまし れて終演となり、感動的なコンサートだったと
た。
(深野哲夫) 思います。
(遠藤優子)
⃝ブロムシュテットのブラームスの音楽に寄せ
る息吹が隅々にまでほとばしり、N響も情感
豊かな演奏で応え、晩夏に一抹の清涼感が香
り立った美しい演奏でした。
(鈴木功一)
第
�
⃝ブロムシュテットさんの、年齢を感じさせな
いはつらつとした指揮から導かれたブラームス
《第 2 番》は、耳で聴くだけでなく、目で見て
いても楽しいものでした。
(若山浩二)
3位
9月 B プロ 第 1760 回|9月 11、12日
ヘルベルト
・
ブロムシュテット(指揮)
ブラームス/大学祝典序曲 作品
ブラームス/ハイドンの主題による変奏曲 作品
ブラームス/交響曲 第 番 ハ短調 作品
⃝ブラームス《交響曲第 1 番》は、N響の管 ⃝聴き慣れたブラームスをこんなに新 鮮に、
弦楽器の素晴らしい音の響きが耳に残る名演 感銘深く聴けるとは……。ブロムシュテット氏
奏でした。
(小林基昭) の幸せに満ちた指揮ぶりが実に印象的。
(吉田良輔)
⃝このコンビの初顔合わせの時にも聞いたブ
ラームス。ブロムシュテットさんの堅牢な音楽 ⃝ブロムシュテットの指揮は重厚だが重すぎず、
づくりが印象に残っています。経ること 30 年。 いい意味で伝統の素晴らしさを表現していた。
氏の演奏は深みと輝きを増した、まさに「円
(桑原隆之)
熟の極み」。若々しいエネルギーも発散しつづ
ける“ 万年青年 ” ブロムシュテットさんに拍手! ⃝情熱的、しかしその情熱に流されなかった
(石川智康) ところが良かった。
(荒井孟)
�
最も心に残ったN響コンサート 2012
Program
第
4 位 11月 Aプロ 第 1766 回|11 月 8、10 日
ネルロ・サンティ(指揮)
B
パオロ・ルメッツ(シモン)、アドリアーナ・マルフィージ
(マリア/アメーリア)
、グレゴル・ルジツキ(フィエスコ)、
サンドロ・パーク(ガブリエレ)、吉原 輝(パオロ)、
フラノ・ルーフィ
(ピエトロ)
、松村英行(射手隊長)
、中島郁子(侍女)
、二期会合唱団(合唱)
ヴェルディ/歌劇「シモン・ボッカネグラ」
(演奏会形式)
⃝サンティの音楽性や人柄が、演奏会形式の ⃝このオペラを隅から隅まで知り尽くしている
もとでにじみ出た好演だったと思います。
マエストロ、サンティの凄さを改めて感じまし
(平山朝治) た。しかも暗譜で振るとは! 本物のヴェル
ディを心の底から堪能出来ました。ありがとう
⃝巨匠の音楽の奥深さに圧倒された。ヴェル ございます!!
(清水誠)
ディの歌劇の本当の豊かさを教わった。
(外池昇)
第
5 位 11月Bプロ 第 1768 回|11 月 20、21 日
トゥガン・ソヒエフ(指揮)
諏訪内晶子(ヴァイオリン)
リャードフ/交響詩「魔の湖」作品
ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲 第 番 嬰ハ短調 作品
チャイコフスキー/交響曲 第 番 ホ短調 作品
⃝ソヒエフの卓越した統率力に感心しました。 ⃝旬の指揮者の強力なプロ。諏訪内さんのシ
聴き慣れたチャイコフスキーの《第 5 番》が ョスタコーヴィチ《第 2 番》も世界最高レヴェ
新鮮に聴こえました。
(森田清隆) ル。
(星井歩)
⃝チャイコフスキーの《第 5 番》に今まで気づ ⃝諏訪内さんと、後半のチャイコフスキーで新
かなかった表情がこれほど潜んでいたとは驚 しいN響を引き出してくれたソヒエフさんが最
きだ。ソヒエフはぜひまた聴きたい。
高でした!また共演してほしいです。
(岩田正之)
(小川暁子)
第 6 位 10月 Cプロ 第 1765 回|10月 25、26 日
ロジャー・ノリントン(指揮)
ラルス・フォークト(ピアノ)
ートーヴ ン
ートーヴ ン
ートーヴ ン
曲 レオ ーレ
ア
奏曲
曲
国立音楽大学(合唱)**、NHK 東京児童合唱
団(児童合唱)**
ーラン グロ ア
ル オー
テ・デ
第 7 位 11月 Cプロ 第 1767 回|11月 15、16 日
トゥガン・ソヒエフ(指揮)
ボリス・ベレゾフスキー(ピアノ)
ロディン
アジアの
で
ラフマニ フ
ア
奏曲
ロコフィ フ
曲
ロ
第 8 位 12月 Cプロ 第 1770 回|12月 6、7 日
シャルル・デュトワ(指揮)
エリン・ウォール(ソプラノ)*、ジョゼフ・カイザ
ー(テノール)**、新国立劇場合唱団(合唱)、
第 9 位 12月 Bプロ 第 1771 回|12 月 11、12 日
シャルル・デュトワ(指揮)
ゴーティエ・カプソン(チェロ)
ラヴ ル
曲
ー ランの
デュティ ー チ ロ 奏曲
ートーヴ ン
曲
第 10 位 10月 Bプロ 第 1763 回|10月 9、10 日
ロジャー・ノリントン(指揮)
ロバート・レヴィン(ピアノ)
グルッ
ーグ ー
ア
曲
ートーヴ ン
ア
奏曲
ートーヴ ン
曲
ア
スの フィ ニ
ロ
�
第1位
フランク・ペーター・
ツィンマーマン
(ヴァイオリン)
9 月 C プロ 第 1762 回|9 月 27、28 日
ブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品
⃝洗練され、自然に心に響いてくる。素晴らし ⃝卓越した技巧に柔らかく優しい音色を奏でる
い。
(石亀保伸) 正統派の演奏に感動しました。特に第 1 楽章の
カデンツァは圧巻で、満員の観衆は息をのんで
⃝全体的に力強く、雄渾なブラームスの《ヴァ 聴き入りました。あまりに素晴らしく、演奏後は
イオリン協奏曲》であった。また、彼の世界ト しばらく放心状態でした。
(古川雅彦)
ップクラスの技巧も聴けて満足できた。僕の後
ろに座っていた人が「すごい。こんなの聴いた ⃝抜群の安定感でスケールの大きなブラームス
ことない」と言っていたのもかなり印象に残っ の協奏曲を聴かせてくれました。 (渡辺学)
ている。
(久保田将広)
第2 位
第3 位
諏訪内晶子(ヴァイオリン)
11 月 B プロ 第 1768 回|11 月 20、21 日
ショスタコーヴィチ/
ヴァイオリン協奏曲 第 番 嬰ハ短調 作品
第4 位
ボリス
・ベレゾフスキー(ピアノ)
11 月 C プロ 第 1767 回|11 月 15、16 日
ラフマニノフ/
ピアノ協奏曲 第 番 ハ短調 作品
第5 位
エレーヌ・グリモー(ピアノ)
1 月 B プロ 第 1746 回|1 月 16、17 日
ブラームス/
ピアノ協奏曲 第 番 変ロ長調 作品
ヴィクトリア・ムローヴァ(ヴァイオリン)
4 月 A プロ 第 1751 回|4 月 13、14 日
ショスタコーヴィチ/
ヴァイオリン協奏曲 第 番 イ短調 作品
Philharmony April 2014
最も心に残ったソリスト2013
Program
�
投票を通じて寄せられたみなさまの声
B
⃝タン・ドゥン作曲・指揮の《女書:The Secret
Songs of Women》は、ハープ、管弦楽、映
像が一体となって聴く者に迫ってきて、その衝
撃は忘れることができません。 (佐山正巳)
⃝ 5 月B定期で、タン・ドゥンさん初演の大曲
のパフォーマンスは本当にすごかった。両日と
も聴かせていただきましたが、今まで聴いた
生涯の演奏会の中で 3 本の指に入る演奏会で
した。一生の記念になりました。 (横尾順)
⃝ 4 月のCプロでは 2 月に亡くなられたサヴァ
リッシュさんに捧げられたヴェルディの《レクイ
エム》で涙を流しました。コンサートに行くと
日常の忙しさやストレスも忘れ、とても良い時
間を過ごさせていただいております。
(岡野益美)
⃝二十数年ぶりにN響の定期会員に戻ってき
て、最初のコンサートが 4 月の A 定期でした。
ウンジャンさんの指揮するラフマニノフの《交
響曲第 2 番》第 3 楽章でのクラリネット・ソロ
の温かい音色が、私に「お帰りなさい」と呼
びかけてくれているように思えて涙が出ました。
⃝現在 73 歳の私、高校生のときから定期会 休憩時間には、私が中学生時代に初めてN響
員で父か母の 2 人連れでN響コンサートに聴 を聞いた日の演奏がCDで売っているのを発見
きに来ていました。現在の座席と同じ所です。 してびっくり、早速購入しました(ライトナーさ
隣席には素晴らしい人柄の音楽大好きな人と ん指揮の《運命》)
。様々な思い出が蘇る忘れ
ともに毎月ホールに通っています。(任田節) られない一夜でした。
(染谷知宏)
⃝私の 2013 年の夏は、フェドセーエフさんの
チャイコフスキー《弦楽セレナード》と共にあ
りました。音楽の魔力にこんなに引き込まれ
たのは初めてです。特に第 3 楽章は祈りの結
晶のようで本当に美しかった!(坂本裕美子)
⃝いつもユースチケットで演奏会を聴かせてい
ただいております。価格が手ごろなので普段
はクラシックを聴かない友人たちも誘うと喜ん
で一緒に来てくれます。学生でなくとも 25 歳
以下であれば割引をして頂けるので、すでに
学生ではない知人も誘うことができ、とても
助かっております。これからも若い人がコンサ
ートに行きやすくなるようなサービスを続けて
いただけたら幸いです。
(若生薫)
招聘してほしい
1
2
3
4
5
ベスト 5
ヘルベルト・ブロムシュテット
サイモン・ラトル
ロリン・マゼール
トゥガン・ソヒエフ
グスターボ・ドゥダメル
⃝一昨年、初めて会員になりました。12 月の
デュトワさんの「ローマ三部作」を聴きたくて、
というのがきっかけでした。楽しみに待って
いた 12 月、コンサートの直前の母の急死で叶
いませんでした。昨年の 12 月、やっとコンサ
ートでデュトワさんの指揮するN響を聴けまし
た。素晴らしいものでした。CDで「ローマ三
部作」も聴けました。これからもいい演奏を
期待しています。
(新井政代)
⃝ 9 月 11日のBプロに行く途中、サントリーホ
ールへの道を尋ねられました。一緒に歩くと
「30年振り(あるいは 50年ぶりかもしれません)
にN響の公演に来ました」と話す男性。当時
の思い出も話してくださり、偶然にも時間を共
にできたことを嬉しく思いました。(坂田真由)
招聘してほしい
1
2
3
4
ベスト 5
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
五嶋みどり(ヴァイオリン)
レイフ・オヴェ・アンスネス(ピアノ)
ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)
リサ・バティアシュヴィリ(ヴァイオリン)
ユジャ・ワン(ピアノ)
5 内田光子(ピアノ)
Philharmony April 2014
©FBroede
i
k
s
w
o
n
a
J
k
e
r
a
M
今月のマエストロ
響
文
山崎浩太郎
の
マレク・ヤノフスキの名を日本の
演だった。演出家は
らない名前だ
クラシック好きが
ったが、
台に半円の高
ったきっかけは、
が
くと
で
いひな
があり、そこに
された、ワーグナーの《ニーベ
りと並
でいるのを
1982 年から 1984 年にかけて
でしか
ルングの指環》全曲の録音の指揮者
としてではないかと
イト音楽
う。
唱が
て、
でのヴィーラント・ワー
グナー演出の
の名
くりだったからである。
、シュターツカペレ・ドレス
やルネ・
コロ、ペーター・シュライアーなど
の代表的な歌手が
た、
をそろえ
上初のデジタル録音による全
曲。この大きなプロジェクトに、ま
だ 40 代前半の、それまでその
すらほと
が
し
ど
されたのだから、
などは
ラでも上演し、その
いたものだと
にヤノフスキの実演を生
れて初めて聴いたのは、ち
うどこ
のプロジェクトが進行しているさな
か、1983 年 2 月のことだった。
行で
ドイツが
れた、
に
イツ(ドイツ民
中に、
の
ベルリン。
され、その
共
ド
国)のただ
のように残された、
。そこに
ベルリン・ド
イツ・オペラは、2 月 13 日のワーグ
ナー
100 年の記念日にあ
せ
揮に
したのである。
新
作ではなく、過
の
間近に
だ
はかな
唱団の立
れてしまい、上演中に 1
動して
したりしていた)、
できたのは
しかった。
そのピットにいたのが、ヤノフス
キだったのである。
その音楽は
なところ、小
ワーグナー、という
な
だった。そ
れは《ニーベルングの指環》のレコ
ードでの演奏と変
快なテン
らなかった。軽
、すっきりした室内楽
的な響きは好ましいが、ワーグナー
なのだからもっと
いう
があっても、と
りなさが残ったのだった。
成
楽
指揮者のなかには、スタジオでの
ッション録音だと、
の演出の
と
れていたにしても(
台にのせた。そのうち
の《ローエングリン》で、かれの指
っていたヴ
台を、
けでも、そして演
が
けて
かったが、ともあれ、
ィーラントの
て、
《ローエングリン》と《パルシ
ファル》を
で上演し
ることはできないと
人
が
プロ
に、別の演
出家が手を入れる
ち位
台に、そっ
ダクションをベルリン・ドイツ・オペ
り
いた記憶がある。
的な
あとで、ヴィーラントが
在
られていない指揮者
いた。
たことのない、バイロ
オーケストラはワーグナーゆかり
デン。そしてテオ・アダ
ら
て
重に
さを
め
くなってしまうのに、実
の
進力と
力が出
る、というタイプがいる。ヤノフス
キはそうではなくて、実演でもスタ
ジオと
ように、
な音楽を
くる人のようだった。
それからほ
を
実だが小ぶり
30 年、 今 年 75
えたヤノフスキの
ローチは、
だ
本的なアプ
と変っていない。た
うのは、響きのも
かさと
さだ。
の豊
の
味で
の「中堅」の
の最
実
実
が、その響きに
満ち満ちている。
かれの
歴に
ける大きな
は、
1984 年 か ら 2000 年 ま で、16 年 間
に
たって音楽監督を
ランス
とめた、フ
送フィルハーモニー管弦楽
団での活動だった。このオーケスト
ラは、その名のと
ンス
の団
りラジオ・フラ
弦楽団に次
で、フランス国立管
、第 2 の
送オーケス
トラである。
送
のオーケストラを
1976 年に
その
させた団
と
気を
だから、
するのはたや
すいことではなかったは
ノフスキは
とめ、フランス
ルをま
の実力をも
ーケストラに
スキ
だが、ヤ
にアンサン
オ
てた。そしてヤノフ
身も、それまでのドイツ色の
いレパートリーに
え、フランス
の豊かな色彩
気ただよう作
と
品を演奏して、より幅広く、
い音楽
を
もともとの長
の
な
の
揮するようになった。
である、さま
き
が
く
られたのに、う
まな
けが、それまで
る
ような力と幅をもって、しっかりと
響くようになった。
い
の
で組み立てられていた
ような音楽が、がしっとした、しか
も適
な
で組
だ、
力を
ない
さの
の高い音楽
と、
成熟したのだ。
作
楽
フランス
と、いく
送フィルでの活動のあ
かのオーケストラを
ヤノフスキは第 2 の
ツの、ベルリン
監督に
て、
国であるドイ
送交響楽団の
任した。オーケストラでの
指揮者の任期が短く、
ることが
年で交
す
になっている現代に
いて、ヤノフスキとベルリン
響楽団との
の
い。
200 年
行された、ワーグナー
オペラ 10 作品の演奏
上演とライヴ録音のシリー
した。これは
を
送交
は、長くそして
昨年には、ワーグナー生
を記念して
2 番目、というだけでなく、3
あった
は
者の
が
な
する、最高の
である。な
かでも、ヤノフスキにとってほ
30 年ぶりとなる《ニーベルングの
指環》の
録音の指揮
《ラインの
れ》
》と《神々のたそが
には、
現在の音楽的
れている。
演奏の
とくに
に
べたような
実が、はっきりと表
なくともオーケストラ
に
しては、21
の
スタンダードといって過
ではない。
今回のN
の登場は、
交響楽団
Philharmony April 2014
演になると別
しぶりのN
にもかれにとって 16 年ぶりの
の
客演だそうだ。ベルリン
送交響楽
団で活躍するようになって以
では、
ど
交響楽団とでは、
な響きを聴かせてくれるのか。
「
京・ ・音楽
初めてということになる。
ンの
きと、ここでの
ルックナーの交響曲は、近年の
もう一
の重
な
し、ベルリン
を
成
送交響楽団とのワー
グナーとはまた
なる、より
ーランドのワルシャ
ワ生まれ。
年
にドイツ
、
ヴッパータールで成長する。
アーヘン、ケルン、デュッ
ルフ、ハン
を
ライ
ルド
ルクで指揮者としての
だのち、1970 年代はフ
ルクとドルト
監督を
ントで音楽
歴して地
に
イツの典
的なカペルマイスターと
してキャリアを
ていく、ド
だ。
1980 年代に入ると国際的な活動
を
始、ドイツ、フランスを中心に
のオーケストラの音楽監督や首
席指揮者を歴任している。なかでも
すべき重
に音楽監督に
な
は、1984 年
任したフランス
送
フィルハーモニー管弦楽団との活動
で、
楽団をフランス
人気を誇る団
を高めた。
もあれば
に
もある
音楽が、どのように
者の
るのか。とて
も楽しみだ。
(やま
の実力と
てあげ、一躍名
き・こうたろう 演奏
21
に入ってからの重
)
なキ
ャリアとしては、2002 年から現在
も
しているベルリン
団の
送交響楽
監督、2005 年から 2012 年
までのスイス・ロマンド管弦楽団で
の音楽監督の地位がある。また、前
者とはワーグナーの
作、
とめる。国内の歌劇場を
を重
ルックナーの響き。
な
響きの演奏を聴かせてくれているが、
1939 年、
》で聴けるワーグナーの響
だったスイ
ス・ロマンド管弦楽団と全
2014」での《ライ
全
オペラ 10
者とは
ルックナーの交響曲
の録音を
成し、高い評価を得
ている。ロマン派だけでなく、ヘン
ツェや
音楽も得
ンデミットなど、20
N
としている。
交響楽団の定期公演には
1985 年 9 月に初登場、以
も 1988
年、1989 年、1992 年、1998 年と客
演を重
た。今回は「
京・ ・音楽
2014」でのワーグナー《ライン
の
》(演奏
)の共演にあ
せて、16 年ぶりの定期公演
の
となる。
(山
)
Philharmony April 2014
©Simon van Boxtel
i
v
r
ä
J
e
Neem
ー
今月のマエストロ
ル
作
文
山野雄大
の
ときには
くほど
せながら、
々と豊かなサウンドを
快な
をみ
の
は現
指揮者でも最高
多くの名
魅せてくれるマエストロの登場だ。
トルは 450
76
最新録音が登場する
のネーメ・ヤルヴィは円熟の
にありながら、ますます力みなぎ
る躍動を聴かせてくれている。彼の
子たちも指揮者として
を
揮し快進
の
もパワフルな活躍を
をみせるなか、大家
く
に
も
子たちを
は
い。
せ
け
をみせながら
げている注目
に名
きあげて名
い
き出し、歌と響きのバランス
み
さ
をみせる
えて
で
っと
れ味で聴き
ち
をそれ
を残してゆくパーヴォ
は、
的で
ろを
ら
み
きさせない。
いる
にどう
に楽しみ
ん
むとこ
進し
けて
響されたのか、興味
いところでもある。
ー
ー
の 演で
る。
の作曲家、あるいは
ロシアの大作曲家たち(リ
スキ
ノフ、プロコフィエフ、ショスタ
コーヴィチ
)の
もその
えていたし、やはり
は
録音全
を
的な録音で
くったドヴォルザーク
やグリーグ、マルティヌーなど、民
族の色
く
りた
音楽にも躍動す
る快演をみせた。い
定して
るが
れの演目でも
高
かせてくれるという
の演奏を聴
でも
あ
い。
最近の録音(たとえば、
にも
たしていなかったチャイコ
フスキーのバレエ音楽《
全全曲
る
うだけで
が、
など)を聴いても
》
著だ
定で音楽をき
と
を
ない王
得を
ってみせ
の
と
の
気あるテン
き
が
に 1982 年にエーテ
、
ー・コルサコフやボロディン、グラ
今まで
ネーメのレパートリーの広大な
こと、録音歴を
め
国エストニアの作曲家のみなら
々しくも
ネーメが
に
ンをは
く
るぎない。タイプ
)、その
にか
で力
、
パーヴォ
日を
揮者としての活躍も本
しながら
が
(2015 年 9 月 か ら の、 N 響 首 席 指
広
う
で
れ活かしながら、音楽を 密に
協なき
れを
在な
だし、長
なるオーケストラの
だ
ん
る
々と表現の幅を広
はオーケストラ界の
の
うじ
どれを聴いても、作品の豊 さを
く聴かせてくれる。しかも
クリスティアン
け現代音楽に鋭く
として
う
のマエスト
評を高めたシベリウスやニール
ヤルヴィ家の次
はとり
気
ん
月のように
も
け、新し
くるレコーディングの
、今でも
ロだ。
大きく
れた
だろう。
楽団を次々に振ったタイ
き上げ、
とみせながら、ときにあっ
天するような
ボリ交響楽団の首席指揮者となって
るのも
いところ。しかしそれで
以降の
音楽が
することはまったくない
力的なレコーディング、そ
進力を
かせ
彼の音楽
ハーモニー管弦楽団を振って
は今ますます 々しい。
情
N 響 と は 2011 年 11 月、 イ ル ジ
音中で、このスヴェン
ー・コウトに代
き名演を残している。
って出演しドヴォ
的に録
ンも
り高
フィンランドの
、
ルザーク《交響曲第 7 番》ほかを振
そして
って以来の共演となる。彼のとり
ジャン・シベリウス(1865
け得
の
とする演目を並べた今回のプ
ログラ
中の得
楽団と最初の
の
ーで
プログラ
全
作で
はマエストロが得
とする
音楽
ト」第 1 組曲》。もとは、
を記念して 2
イプ
力に
けられた劇
れた
ン
劇に
音楽だ。1987 年に
の楽
劇音楽全曲
が出
され、
にも新たな
てら
れることになったが、その
音をいちはやく
の
が
界初録
行したのも
らが
ネーメ。マエストロにとっても
入れ
い
でとり
家
身が「
代のノルウェー楽
け管弦楽曲に
したヨハン・スヴェン
年
録音を
成、
」と
り
べたこの
まれた、
大なエネルギーと
の
々たる表現がN響の
に
の
。ネーメ
を
き出してくれるだろう。
る
演の
の
に
プログラ
は、リ
ュトラウス(1864
ャルト・シ
1949)の
を
揮
ン(1840
しかも彼の作品の中でも
大で演奏
のプログラ
だ。
や協奏曲、
し
演
べてくれた
な
い
ネーメは
作品かとは
うが、
も 々しい
かな魅力の響く音
界、グ
好きならこちらも
聴きいただけるは
しく
だ。ネーメ・
ヤルヴィは近年、ベルゲン・フィル
まれない(しか
な
ばしい。
み
に
に編成が
しインパクトは
されるのも
情に
立 100
と
1911) の《 交 響 曲 第 2 番 》 が
リーグが
い
となった。作曲
の
《第 2 番》に
として
録音に
だが、めったに聴くことのできない、
かろう。
グリーグと
団
目の全
これまた彼の代表
演劇
をもたらした
な
を録音、今でも名
て、2005 年には
。ま
1907)の人気作《
「ペール・ギュン
ん う
シベリウス交響曲
聴されているこの
はエドヴァルト・グリーグ(1843
に
十回となく指揮してきた得
ある。1980 年代にエーテボリ交響
スの
の、
1957)
作《交響曲第 2 番》はネーメも
もいよいよ楽しみなところ
だ。
の
れる作曲家たちを
う ん
に交響
)作品を並
いオーケストラ作品まで . シュト
ラウス作品も
パワフルな
的に録音して
り、
進力も若々しくみなぎ
らせながら、その中にサウンドの立
もバランスを
なドライ
Philharmony April 2014
ままに
の
ヴで、音楽をクリアに聴かせるマエ
を
ストロならではの
内楽的表現から
いかなる
演を重
曲にもた
きの高
で
ろ
ことなく、
さ
2600 年
いて、《ヨ
フの
であろうかという
楽
を
この《ヨ
な曲
曲。多
と
子たちも指揮者として
揮し快進
の指
だ。マエ
》全曲録音を
上げたばかり。今回はさらな
生を期待していいだろう。
(やまの・たけひろ 音楽評
クリスティア
を
れた
けるなか、
ネーメ・ヤルヴィの活躍も
1937 年エストニア生まれ。タリ
で
唱指揮と
したのち、名
を
フの
る名演の
パワフルだ。
の
に
の交
パーヴォ、次
ん う
のオーケ
な名
ティッシュ・ナショナル管弦楽団と
ンと
ン音楽
一
と
典曲》に
長
円熟の
される音楽は、
する編成の大きさも
さることながら、神
を
もない振幅を
ス ト ロ は 2012 年、 ロ イ ヤ ル・ス コ
のバレエ音楽で最も上演
の
な室
典
》は古今
の一
まで
ィックな
揮をもってしか実現
ばならない。
前奏曲》
《
で
彩色のアクロバテ
ストラの全力
しい
ージャスな表現力が く《
き出すために、
上げてみせるN響
との共演には、まこと
曲と
ている。
楽
を専
ラヴィンスキーら
け指揮者としての
を
ル管弦楽団、デトロイト交響楽団を
は
め、多くの名
楽団と 450 タイ
トル以上という、現
指揮者で最も
力的な録音活動でも人気を博す。
シベリウスなど
の作曲家や
国の作曲家のみなら
、
新
も
名
名も
的に録音、幅広い
レパートリーを
もすべて
々と手がけながら
定した高
で聴かせ、
国で活躍を
新たな
始めるが、1980 年に家族と共にア
では。
メリカ
現在スイス・ロマンド管弦楽団の
を
む。1960 年代から
家)
を
してからさらに
る。1982 年にエーテボリ交
監督
を
て
けるのも名
なら
音楽監督、エストニア国
響楽団(スウェーデン)の首席指揮
立交響楽団の
者となり、またたく間に
楽団を
ハーモニー交響楽団の客演首席指揮
き上げ多
くる。以
者として来日を重
の録音を
に
監督。日本フィル
みだが、
来首席指揮者・音楽監督を歴任した
N 響 と は 2011 年 11 月 以 来 の 共 演
ロイヤル・スコティッシュ・ナショナ
となる。 (山
大)
A
第 1778 回 NHKホール
4/12[土]開演 6:00pm
4/13[日]開演 3:00pm
[指揮]
1778th Subscription Concert / NHK Hall
12th(Sat.) Apr, 6:00pm
13th(Sun.)Apr, 3:00pm
マレク・ヤノフスキ
[conductor] Marek Janowski
[コンサートマスター]
堀 正文
[concertmaster]
Masafumi Hori
ブルックナー
Anton Bruckner (1824-1896)
Ⅰ 奏:アダージ アレグロ
Ⅱ アダージ :
り
Ⅲス ル :モルト・ヴィヴァーチ ⅠIntroduction: Adagio – Allegro
ⅡAdagio: Sehr langsam
ⅢScherzo: Molto vivace (schnell)
Ⅳ終曲:アダージ アレグロ・モデラート
ⅣFinale: Adagio – Allegro moderato
交響曲 第 5 番 変ロ長調
Symphony No.5 B-flat major
(ノヴァーク版)
(80 )
(Edition by Nowak)
の
休憩
This concert will be performed with no
intermission.
Philharmony April 2014
Program
Program
Anton Bruckner
交響曲 第
番
1824-1896
長調
A
1868 年にウィーン音楽
に
えられた
なかった。さらにその
の
ストでこの作品の
ルックナーは、
1869 年にフランスのナンシーとパ
リ
演奏
行に
ロンドンで行
き、1871 年には
れたオルガン国際コ
ンクールに出場して
し、大きな
実りを得た。ロンドンから
国
、
彼は新しい交響曲の作曲に取り組む。
しかし、《第 4 番》から《第 5 番》
を作曲していた
期は、
ルックナ
ーが
めて
した
的にき
でもあった。ウィーン音楽
いていたが、生活の
成
って
する
での
は
であった
を 1875 年に
り、《第 4 番》の
にも
の
を
している
を
べて
いる。
この《第 5 番》は、
《第 4 番》の
第1
成の 3 か月 、1875 年 2 月
14 日に第 2 楽章から書き始められ
た。その 、第 1 楽章、第 4 楽章と
作曲が進められ、1876 年 5 月 16 日
には一 の 成を る。そして 1877
年に入ってから
めて作品全
の
が行 れ、1878 年に 成した。し
かし、作品
成 、初演に
は長い年月を
るまで
した。作品は 1894
年 4 月 9 日、グラーツに
いてフラ
ンツ・シャルクの指揮で初演された
が、
を
た
年の
ーはこの初演に立ち
ルックナ
うことはでき
年、
ダペ
演がフェルディ
ナント・レーヴェの指揮で行
が、この演奏
れた
にも出席はかな
な
かった。作品は、1896 年にこの交
響曲を初演したシャルクの
って、ウィーンのド
ら
によ
リンガー
か
行された。しかし、この初
ではフィナーレが 122 小
て
に
たっ
されていたほか、作品全
楽
編成も変
典にもと
の
されていた。その 、
いたハース
が 1935
年に 行され、1951 年にノヴァーク
が出された(本日の演奏ではノヴ
ァーク が いられる)
。
この交響曲は、
の長大さもさ
ることながら、コラールの動
的な旋
、動
の
や、
り成す音楽
の
が、ある
の進行を
せ、
々の旋
は
ージが
や動
いメッ
められている。
奏: ア ダ ー ジ ョ
:アレグロ 変ロ長調 2 2
この交響曲で
章に初めてゆったりとした
いた。
弦楽
入
が
旋
を奏する。
が奏され、やがて
の
が
の弦楽
いて、
によるコラールを
では 3
を
がピチカートでゆ
ったりと奏する中で、その
管楽
子。
ルックナーは第 1 楽
せる動
に入る。
される。第
はヴァイオリンのトレモロに
いてヴィオラとチェロによって
される。第 2
て、弦楽
な2
はヘ短調に
は管楽
によるの
である。その
や
る。この楽章で
コーダの
に入
的なのは最
である。
入
楽
の動
最
はトランペットが第 1
の
があらためて
弦
いられて、
めくくる。
アダージョ、
常にゆっ
子。本作で最
初に手掛けられた楽章で、全
の
と
するロンド
の
は
的な 5
される。弦楽
が交代
から
成
によるピチカート
の前奏ののち、オーボエがメランコ
リックな
を
が
してこの楽章を
も回
する。この
ている。弦楽
によって奏される
は「
と」と指
る
一し
常に力
く、はっきり
され、コラールを
動的な楽
せ
である。この楽章は、
3 本のトロンボーンによる、
く
コラール的な音楽によって大きな高
まりを
せ、最
は、ティンパニが
ニ音を奏する中で
めくくられる。
スケルツォ:モルト・ヴィ
ヴァーチェ、
に ニ短調 3 4
子。中間にトリオの
を
むスケ
は
的
からなるソナタ
で
で
され、
して第 2
の
は
いてテン
管楽
を
と
が奏される。トリオ
は変ロ長調、2 4
ルンの音に
らしい
子に
かれて
を
、
管楽
が
する。
曲
を高
らかに奏してこの楽章を
くりと ニ短調 2 2
の
の
成されている。第 1
のピチカートで始ま
る。第 3
かな楽
ルツォの楽章である。
奏:アダージョ
:アレグロ・モデラート 変ロ長
調22
子。この楽章では、第 1 楽
章の
が
る
環
奏で
現れ、い
の手法を
ゆ
いている。こ
の手法はベートーヴェンの《交響曲
第 9 番》に
来し、
ルックナー
のベートーヴェンからの
その
響を
に入り、
第1
が
される。そして
の
で、全
の
の最
に
荘重なコラールの旋
に
で
され、フーガの書法
で
の
す。
なテン
管楽
が
を奏する。そ
を
かれて、このコラールの
いて
この
に入る。その
がフーガによって
て大きな
り上がりをみせる。
コーダでは
が
第 1 楽章の第 1
いられ、コラールの
楽
によって
て、
、
され
が全
々と高らかに奏され
動的なクライマックスをむか
える。最
全曲が
は第 1 楽章の第 1
で
めくくられる。 (
作曲年代:1875 年 2 月 14 日 1876 年 5 月 16 日。 楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ
1877 年 5 月 16 日 1878 年 1 月 4 日
ット 2、ファ ット 2、 ルン 4、トランペッ
初演:1894 年 4 月 9 日、グラーツにて。指揮フラ ト 3、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパ
ンツ・シャルク
ニ 1、弦楽
)
Philharmony April 2014
1
Program
Program
B
B
第 1780 回 サントリーホール
4/23 [水]開演 7:00pm
4/24 [木]開演 7:00pm
[指揮]
[conductor]
1780th Subscription Concert / Suntory Hall
23rd(Wed.)Apr, 7:00pm
24th(Thu.) Apr, 7:00pm
ネーメ ・ ヤルヴィ
Neeme Järvi
[オル ン]
[organ]
[コンサートマスター]
[concertmaster]
小林英之
篠崎史紀
Hideyuki Kobayashi
Fuminori Shinozaki
R. シュトラウス
祝典前奏曲 作品 61(11 )
Richard Strauss (1864-1949)
“Festliches Präludium” op.61
R. シュトラウス
紀元 2600 年祝典曲 作品 84(14 )
Richard Strauss
“Festmusik zur Feier des 2600-jährigen
Bestehens des Kaiserreiches Japan” op.84
休憩 Intermission
R. シュトラウス
Richard Strauss
バレエ音楽「ヨセフの伝説」作品 63
“Josephslegende”, ballet op.63
(58 )
1864-1949
シ
ウス
曲 作品
1912 年
、ウィーン・コンツェル
トハウスのこけら
月に
え、
としを
年 10
ールの
3 回の記念演奏
を
は
ドイツでもっとも
し、
の
名高い作曲家リ
ャルト・シュトラウスに新作を
した。11 月、シュトラウスは書
にて「 う限り最大の
す」と書き送るが、い
力を
く
までに書く、
という期日の指定はなかった。
「
が
ん
の
25 日には、
を
いて
は
り、
の大きさの
オルガンのために作品を書いたのだ
から、バランスはそちらで調
して
くれないと
情の
手
る、という
の
を送っている。
5 管編成によるオーケストラは、
シュトラウス作品の中でも
的に
大きなものであり、この大管弦楽が
奏でる、シャープもフラットもまっ
いたら」書く、という作曲家
たく
は
まさにワーグナー《マイスタージン
の手
をやきもきさせはし
た が、
1913 年 5 月 に は
の作品が
の
10
成し、
「これで
もゆっくり
う」という
に
トラウスは
れるでし
ーモア
れる手
と共
送された。
10 月 19 日のこけら
作品も
としと共に
初演されたが、この大
ールに入っているオルガンは
ものよりも
のストップ(音
された
をかき
常の
かに大きく、
「すべて
)を
いて」と指
での音はオーケストラ
してしまうほどであったと
いう。初演に立ち
えなかったシュ
作曲年代:1913 年(作曲
は 1913 年 5 月 11 日、
ガルミッシュ)
初演:ウィーン、コンツェルトハウス、1913 年
10 月 19 日、フェルディナント・レーヴェの指揮
による
楽器編成:フルート 4、ピッコロ 1、オーボ
いられないハ長調の響きは、
ガー》前奏曲を
せる
な響き
に満ちている。もっとも、
のオ
ルガンはハ長調
長調
イ長調
の
音を次々にな
や
とも
るという、や
うべき音の組み
で始まって
ス
変
せ
り、これがシュトラウ
うところの「
」だったのか
もしれない。この
な
み
り広げられ
せが、ハ長調で
音の組
る作品の中でほどよいアク
ントと
なって、曲全
をいやが
うにも
り上げる
として作
する。
(広
大
)
エ 4、ヘッケルフォーン 1、 クラリネット
2、 クラリネット 2、 クラリネット 1、フ
ァ ット 4、コントラファ ット 1、 ルン 8、
トランペット 4、トロンボーン 4、テューバ 1、
ティンパニ 2、大
、シンバル、オルガン 1、
弦楽、バンダ:トランペット 6
Philharmony April 2014
Richard Strauss
Program
Richard Strauss
1864-1949
シ
ウス
2
曲 作品 4
B
日本
が 1940 年(
に皇
15 年)
2600 年(神武天皇が
たとされる年を
年法)を
位し
年とする日本の
う曲を
国の音楽家に
した際、アメリカは適任者がい
ないと
り(
めという
リテンに
曲(《鎮
日
の
のた
もある)
、イギリスは
するものの
適
な
交響曲》
)を送ってきたた
めに演奏され
、
ッツェッティ)、
イタリア(ピ
ヴィシー
のフランス(イベール)
、ハンガ
リー(ヴェレシュ)
、そしてドイツ
(リ
ャルト・シュトラウス)という、
すべて
国
の曲で
成されるこ
とになった。
ナチス
を
てこの
シュトラウスのもとに
《歌劇「ダナエの
いた
が
は、
」
》の作曲がほ
し、次の《カプリッチョ》が緒
に
いたばかりの
の
ンツの
を
けた
だった。彼がこ
には、
アリーツェが
子フラ
ダヤ人のた
め、より一
の身の
全を
に
してもらうためではなかったか、
というのが専らの
となっている。
のシュトラウスは、8 日間でこの
作品を
上げ、ようやく《カプリッ
チョ》の作曲に
れる、と書き
し
ていることからも、家族のために書
いた、という
は
得力を
るように
れる。
作品は「
に
まれた
てい
国」(イ
長調)
、
「
(
)の活躍」(変
長調)
、
「
の
く
調)と、
的
れている。
国を
を登山者と
えれば、
り」(変ロ長
る調
が
に
定さ
(
)
、
いられてい
は《アルプス交響曲》とまっ
たく
。「
山の
と
のフーガ」を中心に
き、
の
武
国と
ってい
、そして最
くA
B
C
の
C
B
も《アルプス交響曲》と
して
り、本作はその
小
べき作品かもしれない。(広
く人々
、
Aの
を一に
と
大
ぶ
)
作曲年代:1940 年(作曲
は 1940 年 4 月 22 日、 楽器編成:フルート 3(ピッコロ 1)、オーボエ
メラーノ)
2、イングリッシュ・ ルン 1、 クラリネッ
初演: 京・歌
座、1940 年 12 月 7 日(来
ト 2、 クラリネット 2、バス・クラリネット 1、
待演奏 )
、14 日(一
け演奏 )
、 内 ファ ット 3、コントラファ ット 1、 ルン
楽 、 京音楽
(現 京
大 )
、新交 8、トランペット 7、トロンボーン 8、テュー
響楽団(現N
交響楽団)
、中 交響楽団(現 バ 2、ティンパニ 1、シンバル、大
、タ
京フィルハーモニー交響楽団)
、
奏楽団、 タ 、グロッケンシュピール、小
、タン
京 送管弦楽団のメンバーから成る 成オーケ
リン、トライアングル、 、ハープ 2、オル
ストラで、指揮はヘル ート・フェルマーによる
ガン 1、弦楽
1864-1949
シ
ウス
作品 3
リ
ャルト・シュトラウスは 1895
年以降、
》と
作台本による《キティラ
するバレエを
の)場
を中心に
りない
は《キティラ
)
。シ
》の
りてきた。管弦楽も
か作曲し
ようとしたことがある(
え、それでも
成を
し、3
を
大な 4 管編
のパートから成るヴ
ュトラウスがバレエ・リュス(ロシ
ァイオリンなど《エレクトラ》で
ア・バレエ団)
いた
の
アギレフと初めて
ルゲイ・ディ
を
年のこと。フー ー・フォン・ フマ
に
ンスタールとのオペラ
りのための
ていた 1912 年、
作に
し
フマンスタール
り入れた
年のシュトラウスはヨ
したのは 1897
も多い。
フの音楽
いて「ドラマのための
り」を念
り、
に曲を
け
た、と書き している。
は、ディアギレフのためにバレエを
書くよう作曲家を
らの
き
》の
せる。
《ば
で重
なアイ
(バレエ台本を
あ
の音楽的
した
ハ
リー・フォン・ケスラーがより
的
ける
ディアのいく
かを
に台本作りに
り、
を
など
ィファルの
だが、
は
ヨ
記、エジプトの
フのエピソードから
書きに
られた
し、シュトラウスは《楽劇
「サロメ」
》のヨカナーンの音楽を
けたときと
なヨ
フなどと
か 、音楽が
を
の
し、
らす。
う人
に
心は
かばない。適
あたりから
ばなら 、と
こ
満を
な旋
り出さ
交 りに書 で
フマンスタールが
てる
という一 もあった(1912 年 9 月)
。
身の
ィファルの
をかき立てるため、
がヨ
フを
惑するという(シュトラウス
テ
的に
得
。
座に
掛
。
、
ティファルとその
、
ールとの共作というかたちをとった。
書の
成)
めて
な大広間と
フマンスタ
。重
々の
に
ぎ
が
テ
げられるが、彼
ち
徹な表情のまま座り、一 もく
れない(
さを表す
を
せる)
。
たちは
の
ルは《アルプス交響曲》
3
の
で
を
ばれた
管のコラー
する
りをは
める。第 1、
第 2、第 3 の
りと、
情的に
厚
さを増してゆき、そのうちの 1 人が
的な
と
りを披露する。ターバン
きを
クサーを
いは
けた 6 人のトルコのボ
にした一団は
める(《
ルレスケ》を
しく戦
とさ
せるティンパニ)
。
のハンモックが
ばれる。
いのマントにくるまり、
みな
Philharmony April 2014
Richard Strauss
Program
がら
るヨ
れる
うに
フ。目
めたヨ
もなく、神
りは
す第 1 の
に
める。
り、4
フは
られたよ
の
躍の第 2 の
り、
B
1 人が、ヨ
を り、軽々と
るヨ
が、この
れと
ティファルの
める。
次第に興味を
りを
かれ、ヨ
えるが、その
も
フに首
はヨ
フに
。小
るヨ
フ。
ルの
が
が
長調などは、《家
る)
。
は
き、
の
き
いきれ
上がり、
の腕から
を
していたマントを
その首を
フに
。ヨ
フ
り出し、
れるが、それまで
ゆ
めは しを
しみを
してい
、ヨ
から
彼
は、は
に
ティファルの
ロ
けるシュ
めてヨ
の
フのマントを
ティフ
す。
フを
りを
に
める彼
の表
、 れ、
、
る。
フは天上から降り注
に
まれ、
が
々しく
り、ヨ
フを指
が進む中、まっす
の
を
けた大天
う。大天
は
を
く。
フの手を取って
ティファルの
べ、
に
と
は
手を
し
の首
り
を取り、
いていた
らの首を
けが近
めて
える。
いたバラ色の
に天
たちが現れ、音楽を奏で、
の
とす。彼
を振る(オルガンが
奏)
。
フを
ル。ヨ
めようとする。
った彼
れたとヨ
うとするが、
み、
に
りから、
やがてヨ
長調
フの手
ヨ
ティファ
を表す
がヨ
の
と変
り)。
ける。
に
ながら
を
交響曲》に
身の
惑に
する
の
り
ティファルは
に立
でくる( ヴァイオ
リン独奏によって
トラウス
さし、
情が、
で天
を上げながら
き
に手
する。
きもしない。
ま
き
を
ァルの
れ
いや
りを手にして
ティファルが現れ、
に重い
り(チェレスタとハ
いにヨ
る。
める(第 1、第 2 の
ープ、ピアノによる )
。客人たちは目
フを
う
き、
は
り
は
らえるよう
たちが
に られ神を し める第 3 の
、神を
けた
(3 4 子 ハ長調)
美の第 4 の
ティファルの
フを
さを神に
、
り(フルートとハープによる)
と
ったト長調の
と立ち
くす
ティファ
フと大天
は
と
(広
える。
大
)
作曲年代:1912 1914 年(作曲
は 1914 年 ファ ット 1)、 ルン 6、トランペット 4、ト
2 月 2 日、ベルリン)
ロンボーン 4、テノール・テューバ 1、バス・テ
初演:パリ・オペラ座、
1914 年 5 月 14 日、バレエ・ ューバ 1、ティンパニ 2、トライアングル、タ
リュス、指揮はリ ャルト・シュトラウスによる ン リン、小
、シロフォン、カスタネッ
楽器編成:フルート 4(ピッコロ 1)、ピッコロ 1、 ト、ピッコロ・シンバル、グロッケンシュピ
オーボエ 3(イングリッシュ・ ルン 1)、ヘッ ール、タ タ 、大
、シンバル、サスペ
ケルフォーン 1、D クラリネット 1、 クラリ ンデッド・シンバル、ウィンド・マシーン、ハ
ネット 2(コントラバス・クラリネット 1)、バ ープ 4、ピアノ 1、チェレスタ 1、オルガン 1、
ス・クラリネット 1、ファ ット 4(コントラ 弦楽
C
第 1779 回 NHKホール
4/18[金]開演 7:00pm
4/19[土]開演 3:00pm
[指揮]
1779th Subscription Concert / NHK Hall
18th(Fri.)Apr, 7:00pm
19th(Sat.)Apr, 3:00pm
ネーメ ・ ヤルヴィ
[conductor] Neeme Järvi
[コンサートマスター]
篠崎史紀
[concertmaster]
Fuminori Shinozaki
グリーグ
Edvard Grieg (1843-1907)
「ペール・ギュント」組曲 第 1 番
“Peer Gynt” suite No.1 op.46
作品 46(15 )
Ⅰ朝
Ⅱオーセの死
Ⅲアニトラの踊り
Ⅳ山の王の宮殿で
ⅠMorning
ⅡAase᾽s death
ⅢAnitra᾽s dance
ⅣIn the hall of the mountain-king
スヴェンセン
Johan Svendsen (1840-1911)
交響曲 第 2 番 変ロ長調 作品 15(30 ) Symphony No.2 B-flat major op.15
Ⅰアレグロ
Ⅱアンダンテ・ソステヌート
Ⅲ間奏曲:アレグロ・ジュスト
Ⅳ終曲:アンダンテ―アレグロ・コン・フオ
ーコ
ⅠA llegro
ⅡAndante sostenuto
ⅢIntermezzo: Allegro giusto
ⅣFinale: Andante – Allegro con fuoco
休憩 Intermission
シベリウス
交響曲 第 2 番 ニ長調 作品 43(42 )
Jean Sibelius (1865-1957)
Symphony No.2 D major op.43
Ⅰアレグレット
Ⅱテンポ・アンダンテ、マ・ルバート
Ⅲヴィヴァチッシモ
Ⅳ終曲:アレグロ・モデラート
ⅠAllegretto
ⅡTempo Andante, ma rubato
ⅢVivacissimo
ⅣFinale: Allegro moderato
Philharmony April 2014
Program
Program
Edvard Grieg
1843-1907
リ
曲 第 番 作品 4
C
ノルウェーの劇作家、ヘンリク・
イプ
ン(1828
代表作となる
を
1906)は 1867 年、
ペール・ギュント
成させた。それは若い
劇と
年の
実
の間に
る作品であった。
した地
け、
代の歴
人公ペールは
の子。大きな
や
在す
を
いか
人のソルヴェイグを
ませるような、
で
も
的な人間だった。
け
り、祖国に
一
る
界をか
中、
し、
になってしまう。
にやっとの
ていた
し
もない、高
いで
の山小
り、待ち
人ソルヴェイグに
かれ、
えてゆく。
1874 年の劇場公演に際し、イプ
ンはグリーグに
音楽の作曲を
に
れ
ることのない音楽を作曲者に
した。初めは、劇全
し
たが、作曲
上でこの
は
され
ることになる。1876 年 2 月、オス
ロでの初演は成
は2
し、
にこの音楽
の組曲となって、コンサート
でも演奏されるようになった。
初、
音楽として作曲された
この作品は、現代に
いて劇場で上
作曲年代: 曲は 1875 年に 成、1888 年に第 1
組曲として編曲された
初演: 曲は 1876 年 2 月 24 日、オスロの王立
劇場にてヨハン・ヘンヌ 指揮により上演
演されることはほと
し2
どない。しか
の組曲はノルウェーを代表す
る音楽として
に演奏されている。
台はアフリカ、モロ
ッコである。ペールはその取り
と
のない
に
く
き
をしている。そこ
が
り始め、
るさが増
してくる。グリーグは「最初のフォ
ルテに、
の中から
ることを
く
した」と
ー
のベッドの
な
をする。
ながら
っている。
ペールは
の
ー
が現れ
はペールの
的
を
でしまう。その
かないペール。
る音楽と
オ
らに座り、
の
き
実に気
しみを
え
える。
に
ラの
在するオアシスが
台。アラ
の
たちが
り、
中
るアニトラが、人々の注目
で
を
をあげている。その
る。
の
な子
の
りに興
の
で ドヴレ山
たちがグロテスクな
ている。子
を
しめ、最
せ
」と
たちはペール
には「ペールを
ぶ。 (松
振)
楽器編成:フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ
2、
、クラリネット 2、ファ ット 2、 ルン 4、
トランペット 2、トロンボーン 3、テューバ 1、
ティンパニ 1、トライアングル、大
、シン
バル、弦楽
1840-1911
ス
交響曲 第 2 番
楽
であった
を
けたスヴェン
に最初の音楽
ンは、フル
ート、クラリネットをま
の
ヴァイオリンに
になる。23
、そ
心を
すよう
になったスヴェン
ンはヴァイオリニストを目指し、ラ
イプツィ
に
の地を
イツ・ロマン派が
プツィ
で
ッパ
立していたライ
々の作品に
に作曲に
めた。ド
し、次第
てゆく。そしてヨーロ
地、またニューヨーク
し、多様な
1870 年から
法を身に
を
国ノルウェーの首都
すようになったため、作曲に
専念する
はそれ
間が
なくなり、作品の
多くはない。2
の交響
曲、《ヴァイオリン協奏曲》と《チ
ェロ協奏曲》
、4
の《ノルウェー
曲》
、
《ロマンス》
品と
交響曲に
の夕べを歌った美しい
の
えられて
アレグロ。チェロと
ンの広々とした
ル
がこの作品の
をあけ、オクターヴの
躍が実に
的である。しかし、ノルウェーの
作曲家らしく次第にフォーク・ダン
スから
変
を得た
し、田
情的な
気に
となる。
アンダンテ・ソステヌート。
楽章は長いメロディに始まる。
どこか
管楽
を
せる響きが弦楽
の
にも
と
られる。
間奏曲:アレグロ・ジュス
ト。新
曲
さと
の
を
せる間奏
の楽章である。フォーク・ダン
スのモティーフが現れ、管楽
のリ
が快い。
曲:アンダンテ
アレ
グロ・コン・フオーコ。ゆっくりとし
成
は実に劇的であり、この作品全
し、1876 年 10 月 14 日、 オ ス ロ に
いて初演された。この交響曲に
身の交響曲の最
作曲年代:1874 年
初演:1876 年 10 月 14 日、オスロにて
けたと
唱作
品が残されている。
《 第 2 交 響 曲 》 は 1874 年 に
を
ンの
いる。
の管弦楽作
曲の室内楽作品、また
したグリーグは、
ページに「この作品を演奏しない
こと」と記すほど、スヴェン
けた彼は、
オスロでオーケストラの指揮にも
を
長調 作品
た
入により最
の
るに
を
さ
楽章が始まる。
し、交響曲全
しい重厚さを
(松
を
させる。
振)
楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ
ット 2、ファ ット 2、 ルン 4、トランペッ
ト 2、トロンボーン 3、ティンパニ 1、弦楽
Philharmony April 2014
Johan Svendsen
Program
Jean Sibelius
1865-1957
シベリウス
交響曲 第 2 番 ニ長調 作品 43
C
フィンランドに生まれたシベリウ
スは、帝
ロシアがフィンランドを
していた
代に
年から
年期
年の
は、
ペー
を過
した。
ルの
響からヴァイオリンを
では
に
心を
界に身を
に進む
に
ち、
らの
る若者だった。大
、彼は
そらく
いて
の法
に入るが、
にヘルシンキ音楽
(現シベリ
ウス・アカデミー)にも
オリンと作曲を専
していた。音楽
るためヘルシンキにや
響を
的な演奏に
し、
けてゆくうちに、
シベリウスは、より大きな
を
の場
めてゆくようになる。
1889 年からベルリン、そしてウ
ィーンに
した彼は、
たことで
らのルーツを
ンランドに
を
ける独
い
を
れ
し、フィ
の交響曲の
の
き始めた。フィンランド
と歴
れらをひと
りを
、シベ
け取った。
し出し人はカルペラン
タリアに
。「イ
し、カンタービレを
なさい。イタリアの美、
、
ぶこと、それらがチャイコフ
スキーや . シュトラウスにどれほ
ど
響を
えたことか」。
カルペラン
ウスを全
は、その
的に
として
シベリ
し、よき理
者
手となっていった人
により、シベリウスはすでに国を
みてゆく。
ってきた。彼の本
作曲でも
の
、イタリア人作曲家で
し
ピアニストのフェルッチョ・ ゾー
を
代が 1900 年代に入る
リウスは 1
だ。大作《クレルヴォ》
《交響曲第
、
あるが作曲を
ニが
では
では室内楽を
な
いヴァイ
し、フィンランド音楽
を変える作品となった。
を
の進
だのであろう。ま
ヘルシンキ大
そ
い、
様を人々に
、そして
、そ
とした《クレルヴォ》
交響曲全 5 楽章が 1892 年に
成。
それはまだ独立していない祖国の
1 番》
《交響 「フィンランディア」
》
代表する音楽家になってはいたが、
カルペラン
の をも
はフィンランドのそ
えていたのだろう。
1900 年 10 月、シベリウスは家族
と共にドイツを
ってイタリアに
立った。そこは
国とは全く
色とりどりの
う場
が
き、
なる、
が
交
だった。シベリウスはその地
で《第 2 交響曲》の作曲に
でいく。「
は
ストラ・ファンタジーを
《交響曲第 2 番》の進
ち
ほどにオーケ
している。
が
よりの
だ」
。
《第 2 交響曲》は、1902 年 3 月に
ヘルシンキで作曲者
身の指揮によ
送り、初演
くり
は
大な
を
たって
演が
3 回に
され、
《クレルヴォ》
《第 1 交
響曲》以上の成
「熟
を
さめた。
したオーケストレーション、
豊かな音楽的モティーフと
を豊かな
なる人
すべてを
に
かさを
する」
える
人間の
上をにぎ
一
、全
でまとめた」
「
いて
大
大さは、
神の多様な豊
の
評が新
した。
の
戦い 」「この曲のアンダンテはす
に
するプロテストであり、
から
り
を
い、
ろうとする者
から
りを取
の
を表して
いる」というような
治的な
も
あった。シベリウスは「この作品は
が
の
」と
っているが、
治的な
は全くないことを表
ている。
に、この作品が演奏され
ることを
前に
的な
った
には、
し
味は全くないことを
治
者に
することもあったという。
アレグレット ニ長調 6 4
子。快い弦楽にオーボエ、クラリ
ネットが
を奏でる。の
したヴァイオリンによる
間奏、それはひと
が
を
の
バスからチェロに
の
と
ニゾンの
から多くの
ってゆくかのような豊かさ
る。
作曲年代:1901 年
初演:1902 年 3 月 8 日、ヘルシンキにて、作曲
者 身の指揮による
子。コントラ
き
がれる、長
いメロディに始まる。このテーマを
「心の中のサナダ
」と
したの
はイギリス人指揮者、トマス・ビー
チャ だった。61 小 まで くサナ
ダ
の動きにファ
ている。
が、
、「フィンランド、
べての
テン ・アンダンテ、マ・
ルバート ニ短調 4 4
して
、
ットが
をあげ
しい楽章ではない
管がぶ
れが鎮まると
かり
い、そ
音楽的な、
いを
表現するかのような音楽になってゆ
く。
ヴィヴァチッシモ 変ロ長
調6 8
子。
が近
いて来るよ
うな始まりである。しかし
かな
動きを奏でる弦楽
らか
な管楽
の旋
を
た
が歌
れ、田
せる。そして
の
章が近
の上に
の
っ
れやかさ。次第に第 4 楽
いてくる。
曲:アレグロ・モデラー
ト ニ長調 3 2
るような
子。全てを
楽章は実に
す
的であ
り、情熱的なテーマは
管により
きを
の
ち
ける。その
を
は
アイノの
の
むものではない
か、と
れている。作品は 10 年
前に書かれた《クレルヴォ》の
気を
き
ように、
と
る。 (松
す
振)
楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ
ット 2、ファ ット 2、 ルン 4、トランペッ
ト 3、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパ
ニ 1、弦楽
Philharmony April 2014
り初演された。聴
名曲の深層を探る
シリーズ 名曲の深層を探る 第 16 回
「皇紀 2600 年」のリヒャルト・シュトラウス
文
ん
戦」と
「
ばれる
があった。
名
の戦
1
を
の
の
」なのか。
が
した年の
年は
1940 年、
る。そこに
の
1
来するのだろうか。い
や、そうではない。
の
の日本は
とか
とか。し
う変
っち
定が
家に
とか
治
る
では
になりがち。近代国
か
しくない。津田は
に
い
」で
すべきと
」では
るべき
が
戦」の 0 は 2600
い。な
なら
なのである。
」とは
だろうか。
える。 日本書
武天皇の
位年を
うと
は神
前 660 年に
年と
だ。
代には国
えるのが「皇
者や
」
者の
いられていた。たとえば
」の代表者で過
」を いた 田
1840 年、天
う
11 年に「皇
な「
は、
皇
2500 年」
を作っている。
この「皇
」を
に
治新
は「キリスト
生
」であり、日本はキリスト
国
」だ。
「皇
める。津田の
治
「
たる。
であってはよくな
ではないからである。そこで「皇
」
記している。
その年を
あいだで
位
は日本最初の天皇を神
武天皇と
として
者」だった。
年の
で大きな
する。けれど日本国家が
っていた。
「皇
1940 年は「皇
えば「神武天皇
を う
法の
たした。津田は「
を
1
う
交や
には新
一
である。神
じ
し、
を
新
に
で
はて、
「皇
「
。
が
で
った。
2600 年だった。
「
で
オランダに
に出
した
である。
を
え
に
ち
のほかに、もうひと 、年
ある。
年の
でい
は 0 であ
にそう
た。津田
を取っている。
「 戦」
うと 15 年。
と
、新
上戦
は「
」である。な 「
その戦
片山杜秀
るなどとはと
定」に
いて
はや
であった。
は津田
派」が
本的
」を
に
いた。でも
した。
を
でもない。
ち
は国家
新
「日
いた。
う
ことにした。
国との交際の
まさか
いない
けにもゆか
と「皇
」と
を
なかった。
上、
。
かえってややこしくなったのかもし
れない。
ともかく「皇 」は「
いるべきだ。
て
を大きく
る。日本の
るのにはとてもよかった。神
660」
。
を誇
の
Philharmony April 2014
《紀元 2600 年祝典曲》の楽譜をリヒャルト・シュトラウス(左)から受け取る来栖三郎・駐ドイツ大使(右)
(1940 年 6 月 11 日。提供 朝日新聞社)
える年代だから、近代の歴
古
とは
る。が、
の
に
年も
治
や
古
を歴
来る。
以来の国の
を内
国博
治
に誇
の
も
ベルリン・フィルの
し
せて
「皇
2600 年
った。
まった。と
くらいならまだ大
にな
が、
「皇
2600 年
くまで大々的に
い。
たる国内行
際的な色
いは
行
行され
」はあ
ばならな
では
る。国
かせない。そこで
の
であ
の行き来
。オリンピッ
が
え、立派な国際的行
年」の
「
国
博やベルリン・フィルの来日
日本
った。
界大
として
しいとしても、楽
公演とはだいぶ
京はオリ
の一
楽曲」の
演は
博も中
次
界的オーケストラの来日公
戦
上し、
ゆう
された。
いていった。
がある。しか
場に登場したのが、
クや
は長
であったよ
してしまった。
ころが 1937 年から日中戦 になった。
ンピックを
う
でも 1939 年に第
どうするか。
新
するの
。記念年に
好国ド
イツからの、フルトヴェングラーと
戦が
目の 2600 年が
京にオリンピックが
京
的
は けられた。
」で
されたのは、たとえば
うである。そういう
よりも神
」は
1940 年こそ、
好の
れ
代の日本は国家
というような
に
れることは
法
いていた。
「皇
その「皇
や
なるとはい
には
を
として「皇
典を
るべく組
」
(代表は首
の近
いない。
2600
された
)
は、ドイツ、イタリア、ハンガリー、
フランス、イギリス、アメリカの 6
名曲の深層を探る
か国に「
楽曲」を
してくれ
が多かった。
した。アメリカは日
1940 年 11 月 10 日、
を理
前広場で
るかどうか
の
に
ってきた。
けた。ドイツはリ
典を
ャルト・シュトラウス、イタリア
4 回、
残りの 5 か国は
天皇
行し、
席のもと
の初演演奏
まったけれど、そのうち
リテン。大家から新鋭ま
のオーケストラ作品が いた。
そのうち、日本
が最大の目
して期待したのがリ
ャルト・シュ
トラウスの新作だった。な
ュトラウスは
名
ならシ
の大家中の
大家だったからである。20
曲家として日本に限ら
気を誇っていたと
と
の作
的な人
ってよい。マー
ラーの交響曲はまだ人気がない。ス
トラヴィンスキーやバルトークやシ
ェーンベルクよりも、やっ
りシュ
トラウス。日本でもプリングスハイ
やローゼンストックの指揮でシュ
トラウスの大作の実演が行
れてい
たし、日本の音楽家たちにもシュト
ラウスは 大な 響を
山田
2
の
が交響
していた。
とオペラという
の 作に い入れたのは、
シュトラウスを
のN
楽団を
いた
が指揮と作曲
の
に
高
交響
だのも、大作曲家と
たシュトラウスに
ったからだろう。
高は 20
最
色も
が
くキリス
になった。
いたのは、
そこで人目をいちば
やはりシュトラウスの《
年
典曲》だった。
に
く
から音
並べて、旋
アが
う
で
の
め
でインパクトを
サービス
神の
な
音楽の中身も
である。
立て。
の
する日本が
そこでは
え
と
い。シュトラウス
の交響
豊かに
の
こうに
えてくる。
が行
れて、
が
いたりしている。ところが
を
山が
。日本は
的様
な
の際
を奏でる。このアイデ
聴
得
2600
うものを
た。シュトラウスならではの
を
ち大
でいった
するけれど、
に満ち
れた
れが活躍して(
を取り
の大
し、天皇の国、日本
歌となって
テーマの
、す
国者の
なフーガ )
、
ぶ。この
をシュトラウスは
に
書き
される
的変奏によって実現す
るのである。
を
み
と
と
せと
山と
うして
を書いてくれるとは 興
本のイメージの
い
と天皇。この組
番をシュトラウスはど
家が日本のためにオーケストラ作品
する人
リテンの
いということで曲目から
され、4
高の作曲家としてシュトラウスの名
げるのが常だった。その大作曲
を行った。曲は 5
交響曲》は内
ト
としたからと
えてよい。戦中・戦
大指揮者を
《鎮
座で
楽曲」4
ェレシュ、フランスはイベール、イ
で5
大な
月には歌
からの「
はピッツェッティ、ハンガリーはヴ
ギリスは
は皇
いたのか。よくある日
と
えばそれま
Philharmony April 2014
1940 年 12月 7日に行 われた
《紀元 2600 年祝典曲》の初演風景
指揮 はヘルムート・フェルマー
「奉祝楽曲発表演奏会」の合同演奏練習風景
指揮は山田耕筰
でだけれど、
定の
たのかとも
年の日独
る。
する。それは 1936
作
新しき
はもちろ
された。
田
料があっ
して大
でど
30
の
って、という
のは間
に
である。
「皇
な
る組曲の中身を
の
こうに
を
む、
山の大
の
の
た現代日本の
の
書きを
に
する
えてくる日本、
する日本の情 、
と地 、
興に
歌、という
人公は
に
に
り
ちてまた
国日本
されるだろう
2600 年」にこだ
て聴かなくてもよいと
本を
って
になっている
いない。それは
演もした。
作
そして
的音楽が、
管弦楽組曲を編み、ドイツ
で
む日本
げた交響
したのは山
で、彼はそこから
と、
とにかく、シュトラウスが日本に
であ
ドイツでも公
音楽を
演奏
か ている。
書き
っ
う。今の日
っても聴ける。シュトラウス
はそういう
り
を日本にしてくれ
ていたのである。
になる。
を
っ
年なのである。
の
だ
(かたやま・もりひで 評論家、
慶應義塾大学教授)
A
Program
*5 月定期公演の聴きどころ*
若手、中堅、ベテランの実力派指
揮者が次々と登場する 5 月の定期公
演。マエストロの出身国もイタリア、
日本、スペインと多様。軽快なシュ
ーベルトや民族色豊かなファリャか
ら重厚なフランクやワーグナーまで、
多彩な音楽が楽しめる 1 か月となる。
若き俊英による熱い演奏に注目
Aプロを指揮するガエタノ・デス
ピノーサ(1978 年生まれ)は、イタ
う。ワーグナーゆかりのオーケスト
ラでコンサートマスターを務めたデ
スピノーサの手腕も注目。前半には、
じゆう
ベルギー出身でフランス音楽界の重
ちん
鎮だったフランクの《交響曲》が演
奏される。オルガン奏者としても著
名であったフランクが唯一残した荘
重な交響曲を、若きデスピノーサが
どう料理するのか、興味津々である。
得意のマーラーで指揮台に立つ広上
リア出身。ヴァイオリニストとして
1980 年代半ばからしばしばN響の
キャリアをスタートさせ、シュター
指揮台にあがる広上淳一(1958 年生
ツカペレ・ドレスデンのコンサート
まれ)は、バーンスタインや武満徹
マスターを務めた。2008 年以降、指
の作品を指揮した 2012 年 5 月以来
揮活動に専念。N響とは、2012 年 4
のN響定期公演登場。Bプロは、マ
月のN響オーチャード定期で初共演
ーラーとシューベルトの比較的小振
し、レスピーギの《ローマの松》な
りでチャーミングな交響曲が並ぶ。
どを振って好評を博した(アンコー
マーラーは、広上が早くから手掛け
ルの《マノン・レスコー》の間奏曲
てきた作曲家。2003 年 11 月の《交
が、まさにイタリア人という、熱い
響曲「大地の歌」
》は記憶に残る名
演奏であった)
。現在は、ミラノ・ジ
演だった。今回の《交響曲第 4 番》
ュゼッペ・ヴェルディ交響楽団の首
は、1991 年 2 月のN響定期デビュー
席客演指揮者を務める。近年はオペ
で取り上げたほか、イギリスのロイ
ラ指揮者としても活躍。昨年は、ス
ヤル・フィルハーモニー管弦楽団と
カラ座でヴェルディの《マクベス》
録音(1995 年)を残している。近年、
と《ドン・カルロ》を指揮した。
京都市交響楽団の常任指揮者として
今回は現代最高のバリトン歌手の
の活躍などでますます評価を高める
ひとりであるマティアス・ゲルネと
広上がどう円熟味を増したかを聴く
ともにワーグナーに取り組む。ゲル
には最適の曲といえよう。第 4 楽章
ネは、1967 年、ドイツのワイマール
で天国的な独唱を披露するのは、ヨ
生まれ。まさに今が旬といえる彼は、
ーロッパで注目され始めている 1986
オランダ人とウォータンの名曲を歌
年イタリア生まれの新進気鋭のソプ
編成で書かれたシューベルトの《交
響曲第 5 番》では、広上とN響との
親密なコミュニケーションが楽しめ
ることだろう。マーラーとシューベ
ルトの美しいメロディに満ちた交響
曲が楽しみな夕べ。
スペイン情緒あふれるCプロ
の指環》全曲を日本初上演した。
Cプロは、ロペス・コボスの祖国
スペインの音楽を中心としている。
スペイン情緒豊かなファリャのバレ
エ音楽《三角帽子》は、マエストロ
の十八番のレパートリー。林美智子
の魅惑的な歌唱にも期待したい。ク
リストバル・アルフテル(1930 年生
まれ)の《第 1 旋法によるティエ
今回、N響と初共演となるヘス
ントと皇帝の戦い》
(1986 年作)は、
ス・ロペス・コボス(1940 年生まれ)
スペイン古楽の典雅な響きを取り入
は、スペイン国立管弦楽団、マドリ
れた、モダンなオーケストラ作品。
ード王立劇場のシェフを務めた、ス
ラロの《チェロ協奏曲》では、1979
ペインを代表する名指揮者。ほかに
年ミュンヘン生まれ、2002 年のチャ
ベルリン・ドイツ・オペラ、シンシナ
イコフスキー国際コンクールで最高
ティ交響楽団、ローザンヌ室内管弦
位を獲得したヨハネス・モーザーが
楽団の音楽監督も歴任。1987 年には、
独奏を務める。幅広いレパートリー
ベルリン・ドイツ・オペラとともに来
を誇るモーザーだけに、その演奏が
日し、ワーグナーの《ニーベルング
楽しみだ。 (山田治生)
*5 月の定期公演*
◉ 5/10(土)6:00pm、5/11(日)3:00pm (A プロ)NHKホール
指揮:ガエタノ ・ デスピノーサ
バリトン:マティアス・ゲルネ*
フランク/交響曲 ニ短調
ワーグナー/歌劇「さまよえるオランダ人」から
*
オランダ人のモノローグ「期限は過ぎた」
ワーグナー/楽劇「トリスタンとイゾルデ」から「前奏曲」
ワーグナー/楽劇「ワルキューレ」から「ウォータンの別れと魔の炎の音楽」*
ワーグナー/楽劇「神々のたそがれ」から「ジークフリートの葬送行進曲」
◉ 5/28(水)7:00pm、5/29(木)7:00pm (B プロ)サントリーホール
指揮:広上淳一
ソプラノ:ローザ・フェオラ*
シューベルト/交響曲 第 5 番 変ロ長調 D.485
マーラー/交響曲 第 4 番 ト長調*
◉ 5/16(金)7:00pm、5/17(土)3:00pm (C プロ)NHK ホール
指揮:ヘスス・ロペス・コボス
チェロ:ヨハネス・モーザー メゾ・ソプラノ:林 美智子*
クリストバル・アルフテル/第 1 旋法によるティエントと皇帝の戦い(1986)
ラロ/チェロ協奏曲 ニ短調
ファリャ/バレエ音楽「三角帽子」*
Philharmony April 2014
ラノ、ローザ・フェオラ。小さめの