最も心に残った N響コンサート ソリスト2013 � 1997 年に「N響ベスト・コンサート」として始まって以来、今回で 17 回目を迎える 「最も心に残ったN響コンサート & ソリスト」。2013 年 1 月 ∼12 月に行われた定期 公演から、演奏をお聴きになったみなさまに投票をお願いし、今年も 450 を超える 票が集まりました。 「感動の瞬間」がどのように順位に反映されているでしょうか。投 票にご参加いただいたみなさま、ご協力ありがとうございました。 2013 年 9 月Cプロ、NHKホール Program � 最も心に残ったN響コンサート2013 第1 位 9 月 Cプロ 第 1762 回|9月 27、28日 B ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮) フランク・ペーター・ツィンマーマン(ヴァイオリン) ブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品 ブラームス/交響曲 第 番 ホ短調 作品 ⃝《第 4 番》が圧巻。きめ細やかに歌い上げ る冒頭から、膝が震えるほど感激した。感情 の起伏の描写が、卓越している。前半の《ヴ ァイオリン協奏曲》でも、指揮者の力量にた だ脱帽。 (榊原美奈) ⃝これぞブラームスといった曲目で、ドイツ ・ ロマン派の神髄を堪能しました。 (原田進) ⃝いつまでも若々しいブロムシュテットと、巨 匠の風格が見えてきたツィンマーマンの組み合 わせのブラームスが悪かろうはずもなく、久 しぶりのNHKホールでの生演奏を堪能しま した。最高でした。 (高野稔) ⃝《第 4 番》の冒頭部分の美しさはきわめて 印象的で、さすがブロムシュテットとの感を強 く持った。全体的にも曲の流れ、特に管楽器 同士の受け渡しが素晴らしく、N響の技の高 さを遺憾なく発揮していたように思う。 (北井淳夫) ⃝ブロムシュテットの若々しいテンポ感で一気 に聴かせるすばらしい《第 4 番》でした。N 響の熱演にも拍手。終演後思わず唸ってしま いました。 (山田良輔) ⃝ブロムシュテットと集中的に取り組んだ 9 月 のブラームス・チクルスは、どれも高水準で感 動的でした。なかでもチクルス最後のCプロ の充実した演奏は見事! (吉田雅之) 最も心に残ったN響コンサート 2012 2位 Philharmony April 2014 第 9月 Aプロ 第 1761回|9月 21、22日 ヘルベルト ・ ブロムシュテット (指揮) ブラームス/交響曲 第 ブラームス/交響曲 第 番 ニ長調 作品 番 ヘ長調 作品 ⃝大好きなブラームス、生演奏で感動したの ⃝特に《第 3 番》は、素晴らしい演奏でした。 は私だけではなかったようで、客席からの「ブ フィナーレは、会場の静けさと相まって心に染 ラボー!」と拍手がすごかった!!! み入るものがありました。 (中山大輔) (秋元英央) ⃝まるで、本当にドイツに行って来たような気 ⃝ブラームスの「中庸」がもっとも良く出てい 持ちになりました。壮大なドラマのストーリー る演奏だったと思います。最初の瞬間から最 のようでした。嵐のような大歓声と拍手に包ま 後まで、ずっとうっとりしながら聴いていまし れて終演となり、感動的なコンサートだったと た。 (深野哲夫) 思います。 (遠藤優子) ⃝ブロムシュテットのブラームスの音楽に寄せ る息吹が隅々にまでほとばしり、N響も情感 豊かな演奏で応え、晩夏に一抹の清涼感が香 り立った美しい演奏でした。 (鈴木功一) 第 � ⃝ブロムシュテットさんの、年齢を感じさせな いはつらつとした指揮から導かれたブラームス 《第 2 番》は、耳で聴くだけでなく、目で見て いても楽しいものでした。 (若山浩二) 3位 9月 B プロ 第 1760 回|9月 11、12日 ヘルベルト ・ ブロムシュテット(指揮) ブラームス/大学祝典序曲 作品 ブラームス/ハイドンの主題による変奏曲 作品 ブラームス/交響曲 第 番 ハ短調 作品 ⃝ブラームス《交響曲第 1 番》は、N響の管 ⃝聴き慣れたブラームスをこんなに新 鮮に、 弦楽器の素晴らしい音の響きが耳に残る名演 感銘深く聴けるとは……。ブロムシュテット氏 奏でした。 (小林基昭) の幸せに満ちた指揮ぶりが実に印象的。 (吉田良輔) ⃝このコンビの初顔合わせの時にも聞いたブ ラームス。ブロムシュテットさんの堅牢な音楽 ⃝ブロムシュテットの指揮は重厚だが重すぎず、 づくりが印象に残っています。経ること 30 年。 いい意味で伝統の素晴らしさを表現していた。 氏の演奏は深みと輝きを増した、まさに「円 (桑原隆之) 熟の極み」。若々しいエネルギーも発散しつづ ける“ 万年青年 ” ブロムシュテットさんに拍手! ⃝情熱的、しかしその情熱に流されなかった (石川智康) ところが良かった。 (荒井孟) � 最も心に残ったN響コンサート 2012 Program 第 4 位 11月 Aプロ 第 1766 回|11 月 8、10 日 ネルロ・サンティ(指揮) B パオロ・ルメッツ(シモン)、アドリアーナ・マルフィージ (マリア/アメーリア) 、グレゴル・ルジツキ(フィエスコ)、 サンドロ・パーク(ガブリエレ)、吉原 輝(パオロ)、 フラノ・ルーフィ (ピエトロ) 、松村英行(射手隊長) 、中島郁子(侍女) 、二期会合唱団(合唱) ヴェルディ/歌劇「シモン・ボッカネグラ」 (演奏会形式) ⃝サンティの音楽性や人柄が、演奏会形式の ⃝このオペラを隅から隅まで知り尽くしている もとでにじみ出た好演だったと思います。 マエストロ、サンティの凄さを改めて感じまし (平山朝治) た。しかも暗譜で振るとは! 本物のヴェル ディを心の底から堪能出来ました。ありがとう ⃝巨匠の音楽の奥深さに圧倒された。ヴェル ございます!! (清水誠) ディの歌劇の本当の豊かさを教わった。 (外池昇) 第 5 位 11月Bプロ 第 1768 回|11 月 20、21 日 トゥガン・ソヒエフ(指揮) 諏訪内晶子(ヴァイオリン) リャードフ/交響詩「魔の湖」作品 ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲 第 番 嬰ハ短調 作品 チャイコフスキー/交響曲 第 番 ホ短調 作品 ⃝ソヒエフの卓越した統率力に感心しました。 ⃝旬の指揮者の強力なプロ。諏訪内さんのシ 聴き慣れたチャイコフスキーの《第 5 番》が ョスタコーヴィチ《第 2 番》も世界最高レヴェ 新鮮に聴こえました。 (森田清隆) ル。 (星井歩) ⃝チャイコフスキーの《第 5 番》に今まで気づ ⃝諏訪内さんと、後半のチャイコフスキーで新 かなかった表情がこれほど潜んでいたとは驚 しいN響を引き出してくれたソヒエフさんが最 きだ。ソヒエフはぜひまた聴きたい。 高でした!また共演してほしいです。 (岩田正之) (小川暁子) 第 6 位 10月 Cプロ 第 1765 回|10月 25、26 日 ロジャー・ノリントン(指揮) ラルス・フォークト(ピアノ) ートーヴ ン ートーヴ ン ートーヴ ン 曲 レオ ーレ ア 奏曲 曲 国立音楽大学(合唱)**、NHK 東京児童合唱 団(児童合唱)** ーラン グロ ア ル オー テ・デ 第 7 位 11月 Cプロ 第 1767 回|11月 15、16 日 トゥガン・ソヒエフ(指揮) ボリス・ベレゾフスキー(ピアノ) ロディン アジアの で ラフマニ フ ア 奏曲 ロコフィ フ 曲 ロ 第 8 位 12月 Cプロ 第 1770 回|12月 6、7 日 シャルル・デュトワ(指揮) エリン・ウォール(ソプラノ)*、ジョゼフ・カイザ ー(テノール)**、新国立劇場合唱団(合唱)、 第 9 位 12月 Bプロ 第 1771 回|12 月 11、12 日 シャルル・デュトワ(指揮) ゴーティエ・カプソン(チェロ) ラヴ ル 曲 ー ランの デュティ ー チ ロ 奏曲 ートーヴ ン 曲 第 10 位 10月 Bプロ 第 1763 回|10月 9、10 日 ロジャー・ノリントン(指揮) ロバート・レヴィン(ピアノ) グルッ ーグ ー ア 曲 ートーヴ ン ア 奏曲 ートーヴ ン 曲 ア スの フィ ニ ロ � 第1位 フランク・ペーター・ ツィンマーマン (ヴァイオリン) 9 月 C プロ 第 1762 回|9 月 27、28 日 ブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品 ⃝洗練され、自然に心に響いてくる。素晴らし ⃝卓越した技巧に柔らかく優しい音色を奏でる い。 (石亀保伸) 正統派の演奏に感動しました。特に第 1 楽章の カデンツァは圧巻で、満員の観衆は息をのんで ⃝全体的に力強く、雄渾なブラームスの《ヴァ 聴き入りました。あまりに素晴らしく、演奏後は イオリン協奏曲》であった。また、彼の世界ト しばらく放心状態でした。 (古川雅彦) ップクラスの技巧も聴けて満足できた。僕の後 ろに座っていた人が「すごい。こんなの聴いた ⃝抜群の安定感でスケールの大きなブラームス ことない」と言っていたのもかなり印象に残っ の協奏曲を聴かせてくれました。 (渡辺学) ている。 (久保田将広) 第2 位 第3 位 諏訪内晶子(ヴァイオリン) 11 月 B プロ 第 1768 回|11 月 20、21 日 ショスタコーヴィチ/ ヴァイオリン協奏曲 第 番 嬰ハ短調 作品 第4 位 ボリス ・ベレゾフスキー(ピアノ) 11 月 C プロ 第 1767 回|11 月 15、16 日 ラフマニノフ/ ピアノ協奏曲 第 番 ハ短調 作品 第5 位 エレーヌ・グリモー(ピアノ) 1 月 B プロ 第 1746 回|1 月 16、17 日 ブラームス/ ピアノ協奏曲 第 番 変ロ長調 作品 ヴィクトリア・ムローヴァ(ヴァイオリン) 4 月 A プロ 第 1751 回|4 月 13、14 日 ショスタコーヴィチ/ ヴァイオリン協奏曲 第 番 イ短調 作品 Philharmony April 2014 最も心に残ったソリスト2013 Program � 投票を通じて寄せられたみなさまの声 B ⃝タン・ドゥン作曲・指揮の《女書:The Secret Songs of Women》は、ハープ、管弦楽、映 像が一体となって聴く者に迫ってきて、その衝 撃は忘れることができません。 (佐山正巳) ⃝ 5 月B定期で、タン・ドゥンさん初演の大曲 のパフォーマンスは本当にすごかった。両日と も聴かせていただきましたが、今まで聴いた 生涯の演奏会の中で 3 本の指に入る演奏会で した。一生の記念になりました。 (横尾順) ⃝ 4 月のCプロでは 2 月に亡くなられたサヴァ リッシュさんに捧げられたヴェルディの《レクイ エム》で涙を流しました。コンサートに行くと 日常の忙しさやストレスも忘れ、とても良い時 間を過ごさせていただいております。 (岡野益美) ⃝二十数年ぶりにN響の定期会員に戻ってき て、最初のコンサートが 4 月の A 定期でした。 ウンジャンさんの指揮するラフマニノフの《交 響曲第 2 番》第 3 楽章でのクラリネット・ソロ の温かい音色が、私に「お帰りなさい」と呼 びかけてくれているように思えて涙が出ました。 ⃝現在 73 歳の私、高校生のときから定期会 休憩時間には、私が中学生時代に初めてN響 員で父か母の 2 人連れでN響コンサートに聴 を聞いた日の演奏がCDで売っているのを発見 きに来ていました。現在の座席と同じ所です。 してびっくり、早速購入しました(ライトナーさ 隣席には素晴らしい人柄の音楽大好きな人と ん指揮の《運命》) 。様々な思い出が蘇る忘れ ともに毎月ホールに通っています。(任田節) られない一夜でした。 (染谷知宏) ⃝私の 2013 年の夏は、フェドセーエフさんの チャイコフスキー《弦楽セレナード》と共にあ りました。音楽の魔力にこんなに引き込まれ たのは初めてです。特に第 3 楽章は祈りの結 晶のようで本当に美しかった!(坂本裕美子) ⃝いつもユースチケットで演奏会を聴かせてい ただいております。価格が手ごろなので普段 はクラシックを聴かない友人たちも誘うと喜ん で一緒に来てくれます。学生でなくとも 25 歳 以下であれば割引をして頂けるので、すでに 学生ではない知人も誘うことができ、とても 助かっております。これからも若い人がコンサ ートに行きやすくなるようなサービスを続けて いただけたら幸いです。 (若生薫) 招聘してほしい 1 2 3 4 5 ベスト 5 ヘルベルト・ブロムシュテット サイモン・ラトル ロリン・マゼール トゥガン・ソヒエフ グスターボ・ドゥダメル ⃝一昨年、初めて会員になりました。12 月の デュトワさんの「ローマ三部作」を聴きたくて、 というのがきっかけでした。楽しみに待って いた 12 月、コンサートの直前の母の急死で叶 いませんでした。昨年の 12 月、やっとコンサ ートでデュトワさんの指揮するN響を聴けまし た。素晴らしいものでした。CDで「ローマ三 部作」も聴けました。これからもいい演奏を 期待しています。 (新井政代) ⃝ 9 月 11日のBプロに行く途中、サントリーホ ールへの道を尋ねられました。一緒に歩くと 「30年振り(あるいは 50年ぶりかもしれません) にN響の公演に来ました」と話す男性。当時 の思い出も話してくださり、偶然にも時間を共 にできたことを嬉しく思いました。(坂田真由) 招聘してほしい 1 2 3 4 ベスト 5 マルタ・アルゲリッチ(ピアノ) 五嶋みどり(ヴァイオリン) レイフ・オヴェ・アンスネス(ピアノ) ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン) リサ・バティアシュヴィリ(ヴァイオリン) ユジャ・ワン(ピアノ) 5 内田光子(ピアノ) Philharmony April 2014 ©FBroede i k s w o n a J k e r a M 今月のマエストロ 響 文 山崎浩太郎 の マレク・ヤノフスキの名を日本の 演だった。演出家は らない名前だ クラシック好きが ったが、 台に半円の高 ったきっかけは、 が くと で いひな があり、そこに された、ワーグナーの《ニーベ りと並 でいるのを 1982 年から 1984 年にかけて でしか ルングの指環》全曲の録音の指揮者 としてではないかと イト音楽 う。 唱が て、 でのヴィーラント・ワー グナー演出の の名 くりだったからである。 、シュターツカペレ・ドレス やルネ・ コロ、ペーター・シュライアーなど の代表的な歌手が た、 をそろえ 上初のデジタル録音による全 曲。この大きなプロジェクトに、ま だ 40 代前半の、それまでその すらほと が し ど されたのだから、 などは ラでも上演し、その いたものだと にヤノフスキの実演を生 れて初めて聴いたのは、ち うどこ のプロジェクトが進行しているさな か、1983 年 2 月のことだった。 行で ドイツが れた、 に イツ(ドイツ民 中に、 の ベルリン。 され、その 共 ド 国)のただ のように残された、 。そこに ベルリン・ド イツ・オペラは、2 月 13 日のワーグ ナー 100 年の記念日にあ せ 揮に したのである。 新 作ではなく、過 の 間近に だ はかな 唱団の立 れてしまい、上演中に 1 動して したりしていた)、 できたのは しかった。 そのピットにいたのが、ヤノフス キだったのである。 その音楽は なところ、小 ワーグナー、という な だった。そ れは《ニーベルングの指環》のレコ ードでの演奏と変 快なテン らなかった。軽 、すっきりした室内楽 的な響きは好ましいが、ワーグナー なのだからもっと いう があっても、と りなさが残ったのだった。 成 楽 指揮者のなかには、スタジオでの ッション録音だと、 の演出の と れていたにしても( 台にのせた。そのうち の《ローエングリン》で、かれの指 っていたヴ 台を、 けでも、そして演 が けて かったが、ともあれ、 ィーラントの て、 《ローエングリン》と《パルシ ファル》を で上演し ることはできないと 人 が プロ に、別の演 出家が手を入れる ち位 台に、そっ ダクションをベルリン・ドイツ・オペ り いた記憶がある。 的な あとで、ヴィーラントが 在 られていない指揮者 いた。 たことのない、バイロ オーケストラはワーグナーゆかり デン。そしてテオ・アダ ら て 重に さを め くなってしまうのに、実 の 進力と 力が出 る、というタイプがいる。ヤノフス キはそうではなくて、実演でもスタ ジオと ように、 な音楽を くる人のようだった。 それからほ を 実だが小ぶり 30 年、 今 年 75 えたヤノフスキの ローチは、 だ 本的なアプ と変っていない。た うのは、響きのも かさと さだ。 の豊 の 味で の「中堅」の の最 実 実 が、その響きに 満ち満ちている。 かれの 歴に ける大きな は、 1984 年 か ら 2000 年 ま で、16 年 間 に たって音楽監督を ランス とめた、フ 送フィルハーモニー管弦楽 団での活動だった。このオーケスト ラは、その名のと ンス の団 りラジオ・フラ 弦楽団に次 で、フランス国立管 、第 2 の 送オーケス トラである。 送 のオーケストラを 1976 年に その させた団 と 気を だから、 するのはたや すいことではなかったは ノフスキは とめ、フランス ルをま の実力をも ーケストラに スキ だが、ヤ にアンサン オ てた。そしてヤノフ 身も、それまでのドイツ色の いレパートリーに え、フランス の豊かな色彩 気ただよう作 と 品を演奏して、より幅広く、 い音楽 を もともとの長 の な の 揮するようになった。 である、さま き が く られたのに、う まな けが、それまで る ような力と幅をもって、しっかりと 響くようになった。 い の で組み立てられていた ような音楽が、がしっとした、しか も適 な で組 だ、 力を ない さの の高い音楽 と、 成熟したのだ。 作 楽 フランス と、いく 送フィルでの活動のあ かのオーケストラを ヤノフスキは第 2 の ツの、ベルリン 監督に て、 国であるドイ 送交響楽団の 任した。オーケストラでの 指揮者の任期が短く、 ることが 年で交 す になっている現代に いて、ヤノフスキとベルリン 響楽団との の い。 200 年 行された、ワーグナー オペラ 10 作品の演奏 上演とライヴ録音のシリー した。これは を 送交 は、長くそして 昨年には、ワーグナー生 を記念して 2 番目、というだけでなく、3 あった は 者の が な する、最高の である。な かでも、ヤノフスキにとってほ 30 年ぶりとなる《ニーベルングの 指環》の 録音の指揮 《ラインの れ》 》と《神々のたそが には、 現在の音楽的 れている。 演奏の とくに に べたような 実が、はっきりと表 なくともオーケストラ に しては、21 の スタンダードといって過 ではない。 今回のN の登場は、 交響楽団 Philharmony April 2014 演になると別 しぶりのN にもかれにとって 16 年ぶりの の 客演だそうだ。ベルリン 送交響楽 団で活躍するようになって以 では、 ど 交響楽団とでは、 な響きを聴かせてくれるのか。 「 京・ ・音楽 初めてということになる。 ンの きと、ここでの ルックナーの交響曲は、近年の もう一 の重 な し、ベルリン を 成 送交響楽団とのワー グナーとはまた なる、より ーランドのワルシャ ワ生まれ。 年 にドイツ 、 ヴッパータールで成長する。 アーヘン、ケルン、デュッ ルフ、ハン を ライ ルド ルクで指揮者としての だのち、1970 年代はフ ルクとドルト 監督を ントで音楽 歴して地 に イツの典 的なカペルマイスターと してキャリアを ていく、ド だ。 1980 年代に入ると国際的な活動 を 始、ドイツ、フランスを中心に のオーケストラの音楽監督や首 席指揮者を歴任している。なかでも すべき重 に音楽監督に な は、1984 年 任したフランス 送 フィルハーモニー管弦楽団との活動 で、 楽団をフランス 人気を誇る団 を高めた。 もあれば に もある 音楽が、どのように 者の るのか。とて も楽しみだ。 (やま の実力と てあげ、一躍名 き・こうたろう 演奏 21 に入ってからの重 ) なキ ャリアとしては、2002 年から現在 も しているベルリン 団の 送交響楽 監督、2005 年から 2012 年 までのスイス・ロマンド管弦楽団で の音楽監督の地位がある。また、前 者とはワーグナーの 作、 とめる。国内の歌劇場を を重 ルックナーの響き。 な 響きの演奏を聴かせてくれているが、 1939 年、 》で聴けるワーグナーの響 だったスイ ス・ロマンド管弦楽団と全 2014」での《ライ 全 オペラ 10 者とは ルックナーの交響曲 の録音を 成し、高い評価を得 ている。ロマン派だけでなく、ヘン ツェや 音楽も得 ンデミットなど、20 N としている。 交響楽団の定期公演には 1985 年 9 月に初登場、以 も 1988 年、1989 年、1992 年、1998 年と客 演を重 た。今回は「 京・ ・音楽 2014」でのワーグナー《ライン の 》(演奏 )の共演にあ せて、16 年ぶりの定期公演 の となる。 (山 ) Philharmony April 2014 ©Simon van Boxtel i v r ä J e Neem ー 今月のマエストロ ル 作 文 山野雄大 の ときには くほど せながら、 々と豊かなサウンドを 快な をみ の は現 指揮者でも最高 多くの名 魅せてくれるマエストロの登場だ。 トルは 450 76 最新録音が登場する のネーメ・ヤルヴィは円熟の にありながら、ますます力みなぎ る躍動を聴かせてくれている。彼の 子たちも指揮者として を 揮し快進 の もパワフルな活躍を をみせるなか、大家 く に も 子たちを は い。 せ け をみせながら げている注目 に名 きあげて名 い き出し、歌と響きのバランス み さ をみせる えて で っと れ味で聴き ち をそれ を残してゆくパーヴォ は、 的で ろを ら み きさせない。 いる にどう に楽しみ ん むとこ 進し けて 響されたのか、興味 いところでもある。 ー ー の 演で る。 の作曲家、あるいは ロシアの大作曲家たち(リ スキ ノフ、プロコフィエフ、ショスタ コーヴィチ )の もその えていたし、やはり は 録音全 を 的な録音で くったドヴォルザーク やグリーグ、マルティヌーなど、民 族の色 く りた 音楽にも躍動す る快演をみせた。い 定して るが れの演目でも 高 かせてくれるという の演奏を聴 でも あ い。 最近の録音(たとえば、 にも たしていなかったチャイコ フスキーのバレエ音楽《 全全曲 る うだけで が、 など)を聴いても 》 著だ 定で音楽をき と を ない王 得を ってみせ の と の 気あるテン き が に 1982 年にエーテ 、 ー・コルサコフやボロディン、グラ 今まで ネーメのレパートリーの広大な こと、録音歴を め 国エストニアの作曲家のみなら 々しくも ネーメが に ンをは く るぎない。タイプ )、その にか で力 、 パーヴォ 日を 揮者としての活躍も本 しながら が (2015 年 9 月 か ら の、 N 響 首 席 指 広 う で れ活かしながら、音楽を 密に 協なき れを 在な だし、長 なるオーケストラの だ ん る 々と表現の幅を広 はオーケストラ界の の うじ どれを聴いても、作品の豊 さを く聴かせてくれる。しかも クリスティアン け現代音楽に鋭く として う のマエスト 評を高めたシベリウスやニール ヤルヴィ家の次 はとり 気 ん 月のように も け、新し くるレコーディングの 、今でも ロだ。 大きく れた だろう。 楽団を次々に振ったタイ き上げ、 とみせながら、ときにあっ 天するような ボリ交響楽団の首席指揮者となって るのも いところ。しかしそれで 以降の 音楽が することはまったくない 力的なレコーディング、そ 進力を かせ 彼の音楽 ハーモニー管弦楽団を振って は今ますます 々しい。 情 N 響 と は 2011 年 11 月、 イ ル ジ 音中で、このスヴェン ー・コウトに代 き名演を残している。 って出演しドヴォ 的に録 ンも り高 フィンランドの 、 ルザーク《交響曲第 7 番》ほかを振 そして って以来の共演となる。彼のとり ジャン・シベリウス(1865 け得 の とする演目を並べた今回のプ ログラ 中の得 楽団と最初の の ーで プログラ 全 作で はマエストロが得 とする 音楽 ト」第 1 組曲》。もとは、 を記念して 2 イプ 力に けられた劇 れた ン 劇に 音楽だ。1987 年に の楽 劇音楽全曲 が出 され、 にも新たな てら れることになったが、その 音をいちはやく の が 界初録 行したのも らが ネーメ。マエストロにとっても 入れ い でとり 家 身が「 代のノルウェー楽 け管弦楽曲に したヨハン・スヴェン 年 録音を 成、 」と り べたこの まれた、 大なエネルギーと の 々たる表現がN響の に の 。ネーメ を き出してくれるだろう。 る 演の の に プログラ は、リ ュトラウス(1864 ャルト・シ 1949)の を 揮 ン(1840 しかも彼の作品の中でも 大で演奏 のプログラ だ。 や協奏曲、 し 演 べてくれた な い ネーメは 作品かとは うが、 も 々しい かな魅力の響く音 界、グ 好きならこちらも 聴きいただけるは しく だ。ネーメ・ ヤルヴィは近年、ベルゲン・フィル まれない(しか な ばしい。 み に に編成が しインパクトは されるのも 情に 立 100 と 1911) の《 交 響 曲 第 2 番 》 が リーグが い となった。作曲 の 《第 2 番》に として 録音に だが、めったに聴くことのできない、 かろう。 グリーグと 団 目の全 これまた彼の代表 演劇 をもたらした な を録音、今でも名 て、2005 年には 。ま 1907)の人気作《 「ペール・ギュン ん う シベリウス交響曲 聴されているこの はエドヴァルト・グリーグ(1843 に 十回となく指揮してきた得 ある。1980 年代にエーテボリ交響 スの の、 1957) 作《交響曲第 2 番》はネーメも もいよいよ楽しみなところ だ。 の れる作曲家たちを う ん に交響 )作品を並 いオーケストラ作品まで . シュト ラウス作品も パワフルな 的に録音して り、 進力も若々しくみなぎ らせながら、その中にサウンドの立 もバランスを なドライ Philharmony April 2014 ままに の ヴで、音楽をクリアに聴かせるマエ を ストロならではの 内楽的表現から いかなる 演を重 曲にもた きの高 で ろ ことなく、 さ 2600 年 いて、《ヨ フの であろうかという 楽 を この《ヨ な曲 曲。多 と 子たちも指揮者として 揮し快進 の指 だ。マエ 》全曲録音を 上げたばかり。今回はさらな 生を期待していいだろう。 (やまの・たけひろ 音楽評 クリスティア を れた けるなか、 ネーメ・ヤルヴィの活躍も 1937 年エストニア生まれ。タリ で 唱指揮と したのち、名 を フの る名演の パワフルだ。 の に の交 パーヴォ、次 ん う のオーケ な名 ティッシュ・ナショナル管弦楽団と ンと ン音楽 一 と 典曲》に 長 円熟の される音楽は、 する編成の大きさも さることながら、神 を もない振幅を ス ト ロ は 2012 年、 ロ イ ヤ ル・ス コ のバレエ音楽で最も上演 の な室 典 》は古今 の一 まで ィックな 揮をもってしか実現 ばならない。 前奏曲》 《 で 彩色のアクロバテ ストラの全力 しい ージャスな表現力が く《 き出すために、 上げてみせるN響 との共演には、まこと 曲と ている。 楽 を専 ラヴィンスキーら け指揮者としての を ル管弦楽団、デトロイト交響楽団を は め、多くの名 楽団と 450 タイ トル以上という、現 指揮者で最も 力的な録音活動でも人気を博す。 シベリウスなど の作曲家や 国の作曲家のみなら 、 新 も 名 名も 的に録音、幅広い レパートリーを もすべて 々と手がけながら 定した高 で聴かせ、 国で活躍を 新たな 始めるが、1980 年に家族と共にア では。 メリカ 現在スイス・ロマンド管弦楽団の を む。1960 年代から 家) を してからさらに る。1982 年にエーテボリ交 監督 を て けるのも名 なら 音楽監督、エストニア国 響楽団(スウェーデン)の首席指揮 立交響楽団の 者となり、またたく間に 楽団を ハーモニー交響楽団の客演首席指揮 き上げ多 くる。以 者として来日を重 の録音を に 監督。日本フィル みだが、 来首席指揮者・音楽監督を歴任した N 響 と は 2011 年 11 月 以 来 の 共 演 ロイヤル・スコティッシュ・ナショナ となる。 (山 大) A 第 1778 回 NHKホール 4/12[土]開演 6:00pm 4/13[日]開演 3:00pm [指揮] 1778th Subscription Concert / NHK Hall 12th(Sat.) Apr, 6:00pm 13th(Sun.)Apr, 3:00pm マレク・ヤノフスキ [conductor] Marek Janowski [コンサートマスター] 堀 正文 [concertmaster] Masafumi Hori ブルックナー Anton Bruckner (1824-1896) Ⅰ 奏:アダージ アレグロ Ⅱ アダージ : り Ⅲス ル :モルト・ヴィヴァーチ ⅠIntroduction: Adagio – Allegro ⅡAdagio: Sehr langsam ⅢScherzo: Molto vivace (schnell) Ⅳ終曲:アダージ アレグロ・モデラート ⅣFinale: Adagio – Allegro moderato 交響曲 第 5 番 変ロ長調 Symphony No.5 B-flat major (ノヴァーク版) (80 ) (Edition by Nowak) の 休憩 This concert will be performed with no intermission. Philharmony April 2014 Program Program Anton Bruckner 交響曲 第 番 1824-1896 長調 A 1868 年にウィーン音楽 に えられた なかった。さらにその の ストでこの作品の ルックナーは、 1869 年にフランスのナンシーとパ リ 演奏 行に ロンドンで行 き、1871 年には れたオルガン国際コ ンクールに出場して し、大きな 実りを得た。ロンドンから 国 、 彼は新しい交響曲の作曲に取り組む。 しかし、《第 4 番》から《第 5 番》 を作曲していた 期は、 ルックナ ーが めて した 的にき でもあった。ウィーン音楽 いていたが、生活の 成 って する での は であった を 1875 年に り、《第 4 番》の にも の を している を べて いる。 この《第 5 番》は、 《第 4 番》の 第1 成の 3 か月 、1875 年 2 月 14 日に第 2 楽章から書き始められ た。その 、第 1 楽章、第 4 楽章と 作曲が進められ、1876 年 5 月 16 日 には一 の 成を る。そして 1877 年に入ってから めて作品全 の が行 れ、1878 年に 成した。し かし、作品 成 、初演に は長い年月を るまで した。作品は 1894 年 4 月 9 日、グラーツに いてフラ ンツ・シャルクの指揮で初演された が、 を た 年の ーはこの初演に立ち ルックナ うことはでき 年、 ダペ 演がフェルディ ナント・レーヴェの指揮で行 が、この演奏 れた にも出席はかな な かった。作品は、1896 年にこの交 響曲を初演したシャルクの って、ウィーンのド ら によ リンガー か 行された。しかし、この初 ではフィナーレが 122 小 て に たっ されていたほか、作品全 楽 編成も変 典にもと の されていた。その 、 いたハース が 1935 年に 行され、1951 年にノヴァーク が出された(本日の演奏ではノヴ ァーク が いられる) 。 この交響曲は、 の長大さもさ ることながら、コラールの動 的な旋 、動 の や、 り成す音楽 の が、ある の進行を せ、 々の旋 は ージが や動 いメッ められている。 奏: ア ダ ー ジ ョ :アレグロ 変ロ長調 2 2 この交響曲で 章に初めてゆったりとした いた。 弦楽 入 が 旋 を奏する。 が奏され、やがて の が の弦楽 いて、 によるコラールを では 3 を がピチカートでゆ ったりと奏する中で、その 管楽 子。 ルックナーは第 1 楽 せる動 に入る。 される。第 はヴァイオリンのトレモロに いてヴィオラとチェロによって される。第 2 て、弦楽 な2 はヘ短調に は管楽 によるの である。その や る。この楽章で コーダの に入 的なのは最 である。 入 楽 の動 最 はトランペットが第 1 の があらためて 弦 いられて、 めくくる。 アダージョ、 常にゆっ 子。本作で最 初に手掛けられた楽章で、全 の と するロンド の は 的な 5 される。弦楽 が交代 から 成 によるピチカート の前奏ののち、オーボエがメランコ リックな を が してこの楽章を も回 する。この ている。弦楽 によって奏される は「 と」と指 る 一し 常に力 く、はっきり され、コラールを 動的な楽 せ である。この楽章は、 3 本のトロンボーンによる、 く コラール的な音楽によって大きな高 まりを せ、最 は、ティンパニが ニ音を奏する中で めくくられる。 スケルツォ:モルト・ヴィ ヴァーチェ、 に ニ短調 3 4 子。中間にトリオの を むスケ は 的 からなるソナタ で で され、 して第 2 の は いてテン 管楽 を と が奏される。トリオ は変ロ長調、2 4 ルンの音に らしい 子に かれて を 、 管楽 が する。 曲 を高 らかに奏してこの楽章を くりと ニ短調 2 2 の の 成されている。第 1 のピチカートで始ま る。第 3 かな楽 ルツォの楽章である。 奏:アダージョ :アレグロ・モデラート 変ロ長 調22 子。この楽章では、第 1 楽 章の が る 環 奏で 現れ、い の手法を ゆ いている。こ の手法はベートーヴェンの《交響曲 第 9 番》に 来し、 ルックナー のベートーヴェンからの その 響を に入り、 第1 が される。そして の で、全 の の最 に 荘重なコラールの旋 に で され、フーガの書法 で の す。 なテン 管楽 が を奏する。そ を かれて、このコラールの いて この に入る。その がフーガによって て大きな り上がりをみせる。 コーダでは が 第 1 楽章の第 1 いられ、コラールの 楽 によって て、 、 され が全 々と高らかに奏され 動的なクライマックスをむか える。最 全曲が は第 1 楽章の第 1 で めくくられる。 ( 作曲年代:1875 年 2 月 14 日 1876 年 5 月 16 日。 楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ 1877 年 5 月 16 日 1878 年 1 月 4 日 ット 2、ファ ット 2、 ルン 4、トランペッ 初演:1894 年 4 月 9 日、グラーツにて。指揮フラ ト 3、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパ ンツ・シャルク ニ 1、弦楽 ) Philharmony April 2014 1 Program Program B B 第 1780 回 サントリーホール 4/23 [水]開演 7:00pm 4/24 [木]開演 7:00pm [指揮] [conductor] 1780th Subscription Concert / Suntory Hall 23rd(Wed.)Apr, 7:00pm 24th(Thu.) Apr, 7:00pm ネーメ ・ ヤルヴィ Neeme Järvi [オル ン] [organ] [コンサートマスター] [concertmaster] 小林英之 篠崎史紀 Hideyuki Kobayashi Fuminori Shinozaki R. シュトラウス 祝典前奏曲 作品 61(11 ) Richard Strauss (1864-1949) “Festliches Präludium” op.61 R. シュトラウス 紀元 2600 年祝典曲 作品 84(14 ) Richard Strauss “Festmusik zur Feier des 2600-jährigen Bestehens des Kaiserreiches Japan” op.84 休憩 Intermission R. シュトラウス Richard Strauss バレエ音楽「ヨセフの伝説」作品 63 “Josephslegende”, ballet op.63 (58 ) 1864-1949 シ ウス 曲 作品 1912 年 、ウィーン・コンツェル トハウスのこけら 月に え、 としを 年 10 ールの 3 回の記念演奏 を は ドイツでもっとも し、 の 名高い作曲家リ ャルト・シュトラウスに新作を した。11 月、シュトラウスは書 にて「 う限り最大の す」と書き送るが、い 力を く までに書く、 という期日の指定はなかった。 「 が ん の 25 日には、 を いて は り、 の大きさの オルガンのために作品を書いたのだ から、バランスはそちらで調 して くれないと 情の 手 る、という の を送っている。 5 管編成によるオーケストラは、 シュトラウス作品の中でも 的に 大きなものであり、この大管弦楽が 奏でる、シャープもフラットもまっ いたら」書く、という作曲家 たく は まさにワーグナー《マイスタージン の手 をやきもきさせはし た が、 1913 年 5 月 に は の作品が の 10 成し、 「これで もゆっくり う」という に トラウスは れるでし ーモア れる手 と共 送された。 10 月 19 日のこけら 作品も としと共に 初演されたが、この大 ールに入っているオルガンは ものよりも のストップ(音 された をかき 常の かに大きく、 「すべて )を いて」と指 での音はオーケストラ してしまうほどであったと いう。初演に立ち えなかったシュ 作曲年代:1913 年(作曲 は 1913 年 5 月 11 日、 ガルミッシュ) 初演:ウィーン、コンツェルトハウス、1913 年 10 月 19 日、フェルディナント・レーヴェの指揮 による 楽器編成:フルート 4、ピッコロ 1、オーボ いられないハ長調の響きは、 ガー》前奏曲を せる な響き に満ちている。もっとも、 のオ ルガンはハ長調 長調 イ長調 の 音を次々にな や とも るという、や うべき音の組み で始まって ス 変 せ り、これがシュトラウ うところの「 」だったのか もしれない。この な み り広げられ せが、ハ長調で 音の組 る作品の中でほどよいアク ントと なって、曲全 をいやが うにも り上げる として作 する。 (広 大 ) エ 4、ヘッケルフォーン 1、 クラリネット 2、 クラリネット 2、 クラリネット 1、フ ァ ット 4、コントラファ ット 1、 ルン 8、 トランペット 4、トロンボーン 4、テューバ 1、 ティンパニ 2、大 、シンバル、オルガン 1、 弦楽、バンダ:トランペット 6 Philharmony April 2014 Richard Strauss Program Richard Strauss 1864-1949 シ ウス 2 曲 作品 4 B 日本 が 1940 年( に皇 15 年) 2600 年(神武天皇が たとされる年を 年法)を 位し 年とする日本の う曲を 国の音楽家に した際、アメリカは適任者がい ないと り( めという リテンに 曲(《鎮 日 の のた もある) 、イギリスは するものの 適 な 交響曲》 )を送ってきたた めに演奏され 、 ッツェッティ)、 イタリア(ピ ヴィシー のフランス(イベール) 、ハンガ リー(ヴェレシュ) 、そしてドイツ (リ ャルト・シュトラウス)という、 すべて 国 の曲で 成されるこ とになった。 ナチス を てこの シュトラウスのもとに 《歌劇「ダナエの いた が は、 」 》の作曲がほ し、次の《カプリッチョ》が緒 に いたばかりの の ンツの を けた だった。彼がこ には、 アリーツェが 子フラ ダヤ人のた め、より一 の身の 全を に してもらうためではなかったか、 というのが専らの となっている。 のシュトラウスは、8 日間でこの 作品を 上げ、ようやく《カプリッ チョ》の作曲に れる、と書き し ていることからも、家族のために書 いた、という は 得力を るように れる。 作品は「 に まれた てい 国」(イ 長調) 、 「 ( )の活躍」(変 長調) 、 「 の く 調)と、 的 れている。 国を を登山者と えれば、 り」(変ロ長 る調 が に 定さ ( ) 、 いられてい は《アルプス交響曲》とまっ たく 。「 山の と のフーガ」を中心に き、 の 武 国と ってい 、そして最 くA B C の C B も《アルプス交響曲》と して り、本作はその 小 べき作品かもしれない。(広 く人々 、 Aの を一に と 大 ぶ ) 作曲年代:1940 年(作曲 は 1940 年 4 月 22 日、 楽器編成:フルート 3(ピッコロ 1)、オーボエ メラーノ) 2、イングリッシュ・ ルン 1、 クラリネッ 初演: 京・歌 座、1940 年 12 月 7 日(来 ト 2、 クラリネット 2、バス・クラリネット 1、 待演奏 ) 、14 日(一 け演奏 ) 、 内 ファ ット 3、コントラファ ット 1、 ルン 楽 、 京音楽 (現 京 大 ) 、新交 8、トランペット 7、トロンボーン 8、テュー 響楽団(現N 交響楽団) 、中 交響楽団(現 バ 2、ティンパニ 1、シンバル、大 、タ 京フィルハーモニー交響楽団) 、 奏楽団、 タ 、グロッケンシュピール、小 、タン 京 送管弦楽団のメンバーから成る 成オーケ リン、トライアングル、 、ハープ 2、オル ストラで、指揮はヘル ート・フェルマーによる ガン 1、弦楽 1864-1949 シ ウス 作品 3 リ ャルト・シュトラウスは 1895 年以降、 》と 作台本による《キティラ するバレエを の)場 を中心に りない は《キティラ ) 。シ 》の りてきた。管弦楽も か作曲し ようとしたことがある( え、それでも 成を し、3 を 大な 4 管編 のパートから成るヴ ュトラウスがバレエ・リュス(ロシ ァイオリンなど《エレクトラ》で ア・バレエ団) いた の アギレフと初めて ルゲイ・ディ を 年のこと。フー ー・フォン・ フマ に ンスタールとのオペラ りのための ていた 1912 年、 作に し フマンスタール り入れた 年のシュトラウスはヨ したのは 1897 も多い。 フの音楽 いて「ドラマのための り」を念 り、 に曲を け た、と書き している。 は、ディアギレフのためにバレエを 書くよう作曲家を らの き 》の せる。 《ば で重 なアイ (バレエ台本を あ の音楽的 した ハ リー・フォン・ケスラーがより 的 ける ディアのいく かを に台本作りに り、 を など ィファルの だが、 は ヨ 記、エジプトの フのエピソードから 書きに られた し、シュトラウスは《楽劇 「サロメ」 》のヨカナーンの音楽を けたときと なヨ フなどと か 、音楽が を の し、 らす。 う人 に 心は かばない。適 あたりから ばなら 、と こ 満を な旋 り出さ 交 りに書 で フマンスタールが てる という一 もあった(1912 年 9 月) 。 身の ィファルの をかき立てるため、 がヨ フを 惑するという(シュトラウス テ 的に 得 。 座に 掛 。 、 ティファルとその 、 ールとの共作というかたちをとった。 書の 成) めて な大広間と フマンスタ 。重 々の に ぎ が テ げられるが、彼 ち 徹な表情のまま座り、一 もく れない( さを表す を せる) 。 たちは の ルは《アルプス交響曲》 3 の で を ばれた 管のコラー する りをは める。第 1、 第 2、第 3 の りと、 情的に 厚 さを増してゆき、そのうちの 1 人が 的な と りを披露する。ターバン きを クサーを いは けた 6 人のトルコのボ にした一団は める(《 ルレスケ》を しく戦 とさ せるティンパニ) 。 のハンモックが ばれる。 いのマントにくるまり、 みな Philharmony April 2014 Richard Strauss Program がら るヨ れる うに フ。目 めたヨ もなく、神 りは す第 1 の に める。 り、4 フは られたよ の 躍の第 2 の り、 B 1 人が、ヨ を り、軽々と るヨ が、この れと ティファルの める。 次第に興味を りを かれ、ヨ えるが、その も フに首 はヨ フに 。小 るヨ フ。 ルの が が 長調などは、《家 る) 。 は き、 の き いきれ 上がり、 の腕から を していたマントを その首を フに 。ヨ フ り出し、 れるが、それまで ゆ めは しを しみを してい 、ヨ から 彼 は、は に ティファルの ロ けるシュ めてヨ の フのマントを ティフ す。 フを りを に める彼 の表 、 れ、 、 る。 フは天上から降り注 に まれ、 が 々しく り、ヨ フを指 が進む中、まっす の を けた大天 う。大天 は を く。 フの手を取って ティファルの べ、 に と は 手を し の首 り を取り、 いていた らの首を けが近 めて える。 いたバラ色の に天 たちが現れ、音楽を奏で、 の とす。彼 を振る(オルガンが 奏) 。 フを ル。ヨ めようとする。 った彼 れたとヨ うとするが、 み、 に りから、 やがてヨ 長調 フの手 ヨ ティファ を表す がヨ の と変 り)。 ける。 に ながら を 交響曲》に 身の 惑に する の り ティファルは に立 でくる( ヴァイオ リン独奏によって トラウス さし、 情が、 で天 を上げながら き に手 する。 きもしない。 ま き を ァルの れ いや りを手にして ティファルが現れ、 に重い り(チェレスタとハ いにヨ る。 める(第 1、第 2 の ープ、ピアノによる ) 。客人たちは目 フを う き、 は り は らえるよう たちが に られ神を し める第 3 の 、神を けた (3 4 子 ハ長調) 美の第 4 の ティファルの フを さを神に 、 り(フルートとハープによる) と ったト長調の と立ち くす ティファ フと大天 は と (広 える。 大 ) 作曲年代:1912 1914 年(作曲 は 1914 年 ファ ット 1)、 ルン 6、トランペット 4、ト 2 月 2 日、ベルリン) ロンボーン 4、テノール・テューバ 1、バス・テ 初演:パリ・オペラ座、 1914 年 5 月 14 日、バレエ・ ューバ 1、ティンパニ 2、トライアングル、タ リュス、指揮はリ ャルト・シュトラウスによる ン リン、小 、シロフォン、カスタネッ 楽器編成:フルート 4(ピッコロ 1)、ピッコロ 1、 ト、ピッコロ・シンバル、グロッケンシュピ オーボエ 3(イングリッシュ・ ルン 1)、ヘッ ール、タ タ 、大 、シンバル、サスペ ケルフォーン 1、D クラリネット 1、 クラリ ンデッド・シンバル、ウィンド・マシーン、ハ ネット 2(コントラバス・クラリネット 1)、バ ープ 4、ピアノ 1、チェレスタ 1、オルガン 1、 ス・クラリネット 1、ファ ット 4(コントラ 弦楽 C 第 1779 回 NHKホール 4/18[金]開演 7:00pm 4/19[土]開演 3:00pm [指揮] 1779th Subscription Concert / NHK Hall 18th(Fri.)Apr, 7:00pm 19th(Sat.)Apr, 3:00pm ネーメ ・ ヤルヴィ [conductor] Neeme Järvi [コンサートマスター] 篠崎史紀 [concertmaster] Fuminori Shinozaki グリーグ Edvard Grieg (1843-1907) 「ペール・ギュント」組曲 第 1 番 “Peer Gynt” suite No.1 op.46 作品 46(15 ) Ⅰ朝 Ⅱオーセの死 Ⅲアニトラの踊り Ⅳ山の王の宮殿で ⅠMorning ⅡAase᾽s death ⅢAnitra᾽s dance ⅣIn the hall of the mountain-king スヴェンセン Johan Svendsen (1840-1911) 交響曲 第 2 番 変ロ長調 作品 15(30 ) Symphony No.2 B-flat major op.15 Ⅰアレグロ Ⅱアンダンテ・ソステヌート Ⅲ間奏曲:アレグロ・ジュスト Ⅳ終曲:アンダンテ―アレグロ・コン・フオ ーコ ⅠA llegro ⅡAndante sostenuto ⅢIntermezzo: Allegro giusto ⅣFinale: Andante – Allegro con fuoco 休憩 Intermission シベリウス 交響曲 第 2 番 ニ長調 作品 43(42 ) Jean Sibelius (1865-1957) Symphony No.2 D major op.43 Ⅰアレグレット Ⅱテンポ・アンダンテ、マ・ルバート Ⅲヴィヴァチッシモ Ⅳ終曲:アレグロ・モデラート ⅠAllegretto ⅡTempo Andante, ma rubato ⅢVivacissimo ⅣFinale: Allegro moderato Philharmony April 2014 Program Program Edvard Grieg 1843-1907 リ 曲 第 番 作品 4 C ノルウェーの劇作家、ヘンリク・ イプ ン(1828 代表作となる を 1906)は 1867 年、 ペール・ギュント 成させた。それは若い 劇と 年の 実 の間に る作品であった。 した地 け、 代の歴 人公ペールは の子。大きな や 在す を いか 人のソルヴェイグを ませるような、 で も 的な人間だった。 け り、祖国に 一 る 界をか 中、 し、 になってしまう。 にやっとの ていた し もない、高 いで の山小 り、待ち 人ソルヴェイグに かれ、 えてゆく。 1874 年の劇場公演に際し、イプ ンはグリーグに 音楽の作曲を に れ ることのない音楽を作曲者に した。初めは、劇全 し たが、作曲 上でこの は され ることになる。1876 年 2 月、オス ロでの初演は成 は2 し、 にこの音楽 の組曲となって、コンサート でも演奏されるようになった。 初、 音楽として作曲された この作品は、現代に いて劇場で上 作曲年代: 曲は 1875 年に 成、1888 年に第 1 組曲として編曲された 初演: 曲は 1876 年 2 月 24 日、オスロの王立 劇場にてヨハン・ヘンヌ 指揮により上演 演されることはほと し2 どない。しか の組曲はノルウェーを代表す る音楽として に演奏されている。 台はアフリカ、モロ ッコである。ペールはその取り と のない に く き をしている。そこ が り始め、 るさが増 してくる。グリーグは「最初のフォ ルテに、 の中から ることを く した」と ー のベッドの な をする。 ながら っている。 ペールは の ー が現れ はペールの 的 を でしまう。その かないペール。 る音楽と オ らに座り、 の き 実に気 しみを え える。 に ラの 在するオアシスが 台。アラ の たちが り、 中 るアニトラが、人々の注目 で を をあげている。その る。 の な子 の りに興 の で ドヴレ山 たちがグロテスクな ている。子 を しめ、最 せ 」と たちはペール には「ペールを ぶ。 (松 振) 楽器編成:フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ 2、 、クラリネット 2、ファ ット 2、 ルン 4、 トランペット 2、トロンボーン 3、テューバ 1、 ティンパニ 1、トライアングル、大 、シン バル、弦楽 1840-1911 ス 交響曲 第 2 番 楽 であった を けたスヴェン に最初の音楽 ンは、フル ート、クラリネットをま の ヴァイオリンに になる。23 、そ 心を すよう になったスヴェン ンはヴァイオリニストを目指し、ラ イプツィ に の地を イツ・ロマン派が プツィ で ッパ 立していたライ 々の作品に に作曲に めた。ド し、次第 てゆく。そしてヨーロ 地、またニューヨーク し、多様な 1870 年から 法を身に を 国ノルウェーの首都 すようになったため、作曲に 専念する はそれ 間が なくなり、作品の 多くはない。2 の交響 曲、《ヴァイオリン協奏曲》と《チ ェロ協奏曲》 、4 の《ノルウェー 曲》 、 《ロマンス》 品と 交響曲に の夕べを歌った美しい の えられて アレグロ。チェロと ンの広々とした ル がこの作品の をあけ、オクターヴの 躍が実に 的である。しかし、ノルウェーの 作曲家らしく次第にフォーク・ダン スから 変 を得た し、田 情的な 気に となる。 アンダンテ・ソステヌート。 楽章は長いメロディに始まる。 どこか 管楽 を せる響きが弦楽 の にも と られる。 間奏曲:アレグロ・ジュス ト。新 曲 さと の を せる間奏 の楽章である。フォーク・ダン スのモティーフが現れ、管楽 のリ が快い。 曲:アンダンテ アレ グロ・コン・フオーコ。ゆっくりとし 成 は実に劇的であり、この作品全 し、1876 年 10 月 14 日、 オ ス ロ に いて初演された。この交響曲に 身の交響曲の最 作曲年代:1874 年 初演:1876 年 10 月 14 日、オスロにて けたと 唱作 品が残されている。 《 第 2 交 響 曲 》 は 1874 年 に を ンの いる。 の管弦楽作 曲の室内楽作品、また したグリーグは、 ページに「この作品を演奏しない こと」と記すほど、スヴェン けた彼は、 オスロでオーケストラの指揮にも を 長調 作品 た 入により最 の るに を さ 楽章が始まる。 し、交響曲全 しい重厚さを (松 を させる。 振) 楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ ット 2、ファ ット 2、 ルン 4、トランペッ ト 2、トロンボーン 3、ティンパニ 1、弦楽 Philharmony April 2014 Johan Svendsen Program Jean Sibelius 1865-1957 シベリウス 交響曲 第 2 番 ニ長調 作品 43 C フィンランドに生まれたシベリウ スは、帝 ロシアがフィンランドを していた 代に 年から 年期 年の は、 ペー を過 した。 ルの 響からヴァイオリンを では に 心を 界に身を に進む に ち、 らの る若者だった。大 、彼は そらく いて の法 に入るが、 にヘルシンキ音楽 (現シベリ ウス・アカデミー)にも オリンと作曲を専 していた。音楽 るためヘルシンキにや 響を 的な演奏に し、 けてゆくうちに、 シベリウスは、より大きな を の場 めてゆくようになる。 1889 年からベルリン、そしてウ ィーンに した彼は、 たことで らのルーツを ンランドに を ける独 い を れ し、フィ の交響曲の の き始めた。フィンランド と歴 れらをひと りを 、シベ け取った。 し出し人はカルペラン タリアに 。「イ し、カンタービレを なさい。イタリアの美、 、 ぶこと、それらがチャイコフ スキーや . シュトラウスにどれほ ど 響を えたことか」。 カルペラン ウスを全 は、その 的に として シベリ し、よき理 者 手となっていった人 により、シベリウスはすでに国を みてゆく。 ってきた。彼の本 作曲でも の 、イタリア人作曲家で し ピアニストのフェルッチョ・ ゾー を 代が 1900 年代に入る リウスは 1 だ。大作《クレルヴォ》 《交響曲第 、 あるが作曲を ニが では では室内楽を な いヴァイ し、フィンランド音楽 を変える作品となった。 を の進 だのであろう。ま ヘルシンキ大 そ い、 様を人々に 、そして 、そ とした《クレルヴォ》 交響曲全 5 楽章が 1892 年に 成。 それはまだ独立していない祖国の 1 番》 《交響 「フィンランディア」 》 代表する音楽家になってはいたが、 カルペラン の をも はフィンランドのそ えていたのだろう。 1900 年 10 月、シベリウスは家族 と共にドイツを ってイタリアに 立った。そこは 国とは全く 色とりどりの う場 が き、 なる、 が 交 だった。シベリウスはその地 で《第 2 交響曲》の作曲に でいく。「 は ストラ・ファンタジーを 《交響曲第 2 番》の進 ち ほどにオーケ している。 が よりの だ」 。 《第 2 交響曲》は、1902 年 3 月に ヘルシンキで作曲者 身の指揮によ 送り、初演 くり は 大な を たって 演が 3 回に され、 《クレルヴォ》 《第 1 交 響曲》以上の成 「熟 を さめた。 したオーケストレーション、 豊かな音楽的モティーフと を豊かな なる人 すべてを に かさを する」 える 人間の 上をにぎ 一 、全 でまとめた」 「 いて 大 大さは、 神の多様な豊 の 評が新 した。 の 戦い 」「この曲のアンダンテはす に するプロテストであり、 から り を い、 ろうとする者 から りを取 の を表して いる」というような 治的な も あった。シベリウスは「この作品は が の 」と っているが、 治的な は全くないことを表 ている。 に、この作品が演奏され ることを 前に 的な った には、 し 味は全くないことを 治 者に することもあったという。 アレグレット ニ長調 6 4 子。快い弦楽にオーボエ、クラリ ネットが を奏でる。の したヴァイオリンによる 間奏、それはひと が を の バスからチェロに の と ニゾンの から多くの ってゆくかのような豊かさ る。 作曲年代:1901 年 初演:1902 年 3 月 8 日、ヘルシンキにて、作曲 者 身の指揮による 子。コントラ き がれる、長 いメロディに始まる。このテーマを 「心の中のサナダ 」と したの はイギリス人指揮者、トマス・ビー チャ だった。61 小 まで くサナ ダ の動きにファ ている。 が、 、「フィンランド、 べての テン ・アンダンテ、マ・ ルバート ニ短調 4 4 して 、 ットが をあげ しい楽章ではない 管がぶ れが鎮まると かり い、そ 音楽的な、 いを 表現するかのような音楽になってゆ く。 ヴィヴァチッシモ 変ロ長 調6 8 子。 が近 いて来るよ うな始まりである。しかし かな 動きを奏でる弦楽 らか な管楽 の旋 を た が歌 れ、田 せる。そして の 章が近 の上に の っ れやかさ。次第に第 4 楽 いてくる。 曲:アレグロ・モデラー ト ニ長調 3 2 るような 子。全てを 楽章は実に す 的であ り、情熱的なテーマは 管により きを の ち ける。その を は アイノの の むものではない か、と れている。作品は 10 年 前に書かれた《クレルヴォ》の 気を き ように、 と る。 (松 す 振) 楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ ット 2、ファ ット 2、 ルン 4、トランペッ ト 3、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパ ニ 1、弦楽 Philharmony April 2014 り初演された。聴 名曲の深層を探る シリーズ 名曲の深層を探る 第 16 回 「皇紀 2600 年」のリヒャルト・シュトラウス 文 ん 戦」と 「 ばれる があった。 名 の戦 1 を の の 」なのか。 が した年の 年は 1940 年、 る。そこに の 1 来するのだろうか。い や、そうではない。 の の日本は とか とか。し う変 っち 定が 家に とか 治 る では になりがち。近代国 か しくない。津田は に い 」で すべきと 」では るべき が 戦」の 0 は 2600 い。な なら なのである。 」とは だろうか。 える。 日本書 武天皇の 位年を うと は神 前 660 年に 年と だ。 代には国 えるのが「皇 者や 」 者の いられていた。たとえば 」の代表者で過 」を いた 田 1840 年、天 う 11 年に「皇 な「 は、 皇 2500 年」 を作っている。 この「皇 」を に 治新 は「キリスト 生 」であり、日本はキリスト 国 」だ。 「皇 める。津田の 治 「 たる。 であってはよくな ではないからである。そこで「皇 」 記している。 その年を あいだで 位 は日本最初の天皇を神 武天皇と として 者」だった。 年の で大きな する。けれど日本国家が っていた。 「皇 1940 年は「皇 えば「神武天皇 を う 法の たした。津田は「 を 1 う 交や には新 一 である。神 じ し、 を 新 に で はて、 「皇 「 。 が で った。 2600 年だった。 「 で オランダに に出 した である。 を え に ち のほかに、もうひと 、年 ある。 年の でい は 0 であ にそう た。津田 を取っている。 「 戦」 うと 15 年。 と 、新 上戦 は「 」である。な 「 その戦 片山杜秀 るなどとはと 定」に いて はや であった。 は津田 派」が 本的 」を に いた。でも した。 を でもない。 ち は国家 新 「日 いた。 う ことにした。 国との交際の まさか いない けにもゆか と「皇 」と を なかった。 上、 。 かえってややこしくなったのかもし れない。 ともかく「皇 」は「 いるべきだ。 て を大きく る。日本の るのにはとてもよかった。神 660」 。 を誇 の Philharmony April 2014 《紀元 2600 年祝典曲》の楽譜をリヒャルト・シュトラウス(左)から受け取る来栖三郎・駐ドイツ大使(右) (1940 年 6 月 11 日。提供 朝日新聞社) える年代だから、近代の歴 古 とは る。が、 の に 年も 治 や 古 を歴 来る。 以来の国の を内 国博 治 に誇 の も ベルリン・フィルの し せて 「皇 2600 年 った。 まった。と くらいならまだ大 にな が、 「皇 2600 年 くまで大々的に い。 たる国内行 際的な色 いは 行 行され 」はあ ばならな では る。国 かせない。そこで の であ の行き来 。オリンピッ が え、立派な国際的行 年」の 「 国 博やベルリン・フィルの来日 日本 った。 界大 として しいとしても、楽 公演とはだいぶ 京はオリ の一 楽曲」の 演は 博も中 次 界的オーケストラの来日公 戦 上し、 ゆう された。 いていった。 がある。しか 場に登場したのが、 クや は長 であったよ してしまった。 ころが 1937 年から日中戦 になった。 ンピックを う でも 1939 年に第 どうするか。 新 するの 。記念年に 好国ド イツからの、フルトヴェングラーと 戦が 目の 2600 年が 京にオリンピックが 京 的 は けられた。 」で されたのは、たとえば うである。そういう よりも神 」は 1940 年こそ、 好の れ 代の日本は国家 というような に れることは 法 いていた。 「皇 その「皇 や なるとはい には を として「皇 典を るべく組 」 (代表は首 の近 いない。 2600 された ) は、ドイツ、イタリア、ハンガリー、 フランス、イギリス、アメリカの 6 名曲の深層を探る か国に「 楽曲」を してくれ が多かった。 した。アメリカは日 1940 年 11 月 10 日、 を理 前広場で るかどうか の に ってきた。 けた。ドイツはリ 典を ャルト・シュトラウス、イタリア 4 回、 残りの 5 か国は 天皇 行し、 席のもと の初演演奏 まったけれど、そのうち リテン。大家から新鋭ま のオーケストラ作品が いた。 そのうち、日本 が最大の目 して期待したのがリ ャルト・シュ トラウスの新作だった。な ュトラウスは 名 ならシ の大家中の 大家だったからである。20 曲家として日本に限ら 気を誇っていたと と の作 的な人 ってよい。マー ラーの交響曲はまだ人気がない。ス トラヴィンスキーやバルトークやシ ェーンベルクよりも、やっ りシュ トラウス。日本でもプリングスハイ やローゼンストックの指揮でシュ トラウスの大作の実演が行 れてい たし、日本の音楽家たちにもシュト ラウスは 大な 響を 山田 2 の が交響 していた。 とオペラという の 作に い入れたのは、 シュトラウスを のN 楽団を いた が指揮と作曲 の に 高 交響 だのも、大作曲家と たシュトラウスに ったからだろう。 高は 20 最 色も が くキリス になった。 いたのは、 そこで人目をいちば やはりシュトラウスの《 年 典曲》だった。 に く から音 並べて、旋 アが う で の め でインパクトを サービス 神の な 音楽の中身も である。 立て。 の する日本が そこでは え と い。シュトラウス の交響 豊かに の こうに えてくる。 が行 れて、 が いたりしている。ところが を 山が 。日本は 的様 な の際 を奏でる。このアイデ 聴 得 2600 うものを た。シュトラウスならではの を ち大 でいった するけれど、 に満ち れた れが活躍して( を取り の大 し、天皇の国、日本 歌となって テーマの 、す 国者の なフーガ ) 、 ぶ。この をシュトラウスは に 書き される 的変奏によって実現す るのである。 を み と と せと 山と うして を書いてくれるとは 興 本のイメージの い と天皇。この組 番をシュトラウスはど 家が日本のためにオーケストラ作品 する人 リテンの いということで曲目から され、4 高の作曲家としてシュトラウスの名 げるのが常だった。その大作曲 を行った。曲は 5 交響曲》は内 ト としたからと えてよい。戦中・戦 大指揮者を 《鎮 座で 楽曲」4 ェレシュ、フランスはイベール、イ で5 大な 月には歌 からの「 はピッツェッティ、ハンガリーはヴ ギリスは は皇 いたのか。よくある日 と えばそれま Philharmony April 2014 1940 年 12月 7日に行 われた 《紀元 2600 年祝典曲》の初演風景 指揮 はヘルムート・フェルマー 「奉祝楽曲発表演奏会」の合同演奏練習風景 指揮は山田耕筰 でだけれど、 定の たのかとも 年の日独 る。 する。それは 1936 作 新しき はもちろ された。 田 料があっ して大 でど 30 の って、という のは間 に である。 「皇 な る組曲の中身を の こうに を む、 山の大 の の た現代日本の の 書きを に する えてくる日本、 する日本の情 、 と地 、 興に 歌、という 人公は に に り ちてまた 国日本 されるだろう 2600 年」にこだ て聴かなくてもよいと 本を って になっている いない。それは 演もした。 作 そして 的音楽が、 管弦楽組曲を編み、ドイツ で む日本 げた交響 したのは山 で、彼はそこから と、 とにかく、シュトラウスが日本に であ ドイツでも公 音楽を 演奏 か ている。 書き っ う。今の日 っても聴ける。シュトラウス はそういう り を日本にしてくれ ていたのである。 になる。 を っ 年なのである。 の だ (かたやま・もりひで 評論家、 慶應義塾大学教授) A Program *5 月定期公演の聴きどころ* 若手、中堅、ベテランの実力派指 揮者が次々と登場する 5 月の定期公 演。マエストロの出身国もイタリア、 日本、スペインと多様。軽快なシュ ーベルトや民族色豊かなファリャか ら重厚なフランクやワーグナーまで、 多彩な音楽が楽しめる 1 か月となる。 若き俊英による熱い演奏に注目 Aプロを指揮するガエタノ・デス ピノーサ(1978 年生まれ)は、イタ う。ワーグナーゆかりのオーケスト ラでコンサートマスターを務めたデ スピノーサの手腕も注目。前半には、 じゆう ベルギー出身でフランス音楽界の重 ちん 鎮だったフランクの《交響曲》が演 奏される。オルガン奏者としても著 名であったフランクが唯一残した荘 重な交響曲を、若きデスピノーサが どう料理するのか、興味津々である。 得意のマーラーで指揮台に立つ広上 リア出身。ヴァイオリニストとして 1980 年代半ばからしばしばN響の キャリアをスタートさせ、シュター 指揮台にあがる広上淳一(1958 年生 ツカペレ・ドレスデンのコンサート まれ)は、バーンスタインや武満徹 マスターを務めた。2008 年以降、指 の作品を指揮した 2012 年 5 月以来 揮活動に専念。N響とは、2012 年 4 のN響定期公演登場。Bプロは、マ 月のN響オーチャード定期で初共演 ーラーとシューベルトの比較的小振 し、レスピーギの《ローマの松》な りでチャーミングな交響曲が並ぶ。 どを振って好評を博した(アンコー マーラーは、広上が早くから手掛け ルの《マノン・レスコー》の間奏曲 てきた作曲家。2003 年 11 月の《交 が、まさにイタリア人という、熱い 響曲「大地の歌」 》は記憶に残る名 演奏であった) 。現在は、ミラノ・ジ 演だった。今回の《交響曲第 4 番》 ュゼッペ・ヴェルディ交響楽団の首 は、1991 年 2 月のN響定期デビュー 席客演指揮者を務める。近年はオペ で取り上げたほか、イギリスのロイ ラ指揮者としても活躍。昨年は、ス ヤル・フィルハーモニー管弦楽団と カラ座でヴェルディの《マクベス》 録音(1995 年)を残している。近年、 と《ドン・カルロ》を指揮した。 京都市交響楽団の常任指揮者として 今回は現代最高のバリトン歌手の の活躍などでますます評価を高める ひとりであるマティアス・ゲルネと 広上がどう円熟味を増したかを聴く ともにワーグナーに取り組む。ゲル には最適の曲といえよう。第 4 楽章 ネは、1967 年、ドイツのワイマール で天国的な独唱を披露するのは、ヨ 生まれ。まさに今が旬といえる彼は、 ーロッパで注目され始めている 1986 オランダ人とウォータンの名曲を歌 年イタリア生まれの新進気鋭のソプ 編成で書かれたシューベルトの《交 響曲第 5 番》では、広上とN響との 親密なコミュニケーションが楽しめ ることだろう。マーラーとシューベ ルトの美しいメロディに満ちた交響 曲が楽しみな夕べ。 スペイン情緒あふれるCプロ の指環》全曲を日本初上演した。 Cプロは、ロペス・コボスの祖国 スペインの音楽を中心としている。 スペイン情緒豊かなファリャのバレ エ音楽《三角帽子》は、マエストロ の十八番のレパートリー。林美智子 の魅惑的な歌唱にも期待したい。ク リストバル・アルフテル(1930 年生 まれ)の《第 1 旋法によるティエ 今回、N響と初共演となるヘス ントと皇帝の戦い》 (1986 年作)は、 ス・ロペス・コボス(1940 年生まれ) スペイン古楽の典雅な響きを取り入 は、スペイン国立管弦楽団、マドリ れた、モダンなオーケストラ作品。 ード王立劇場のシェフを務めた、ス ラロの《チェロ協奏曲》では、1979 ペインを代表する名指揮者。ほかに 年ミュンヘン生まれ、2002 年のチャ ベルリン・ドイツ・オペラ、シンシナ イコフスキー国際コンクールで最高 ティ交響楽団、ローザンヌ室内管弦 位を獲得したヨハネス・モーザーが 楽団の音楽監督も歴任。1987 年には、 独奏を務める。幅広いレパートリー ベルリン・ドイツ・オペラとともに来 を誇るモーザーだけに、その演奏が 日し、ワーグナーの《ニーベルング 楽しみだ。 (山田治生) *5 月の定期公演* ◉ 5/10(土)6:00pm、5/11(日)3:00pm (A プロ)NHKホール 指揮:ガエタノ ・ デスピノーサ バリトン:マティアス・ゲルネ* フランク/交響曲 ニ短調 ワーグナー/歌劇「さまよえるオランダ人」から * オランダ人のモノローグ「期限は過ぎた」 ワーグナー/楽劇「トリスタンとイゾルデ」から「前奏曲」 ワーグナー/楽劇「ワルキューレ」から「ウォータンの別れと魔の炎の音楽」* ワーグナー/楽劇「神々のたそがれ」から「ジークフリートの葬送行進曲」 ◉ 5/28(水)7:00pm、5/29(木)7:00pm (B プロ)サントリーホール 指揮:広上淳一 ソプラノ:ローザ・フェオラ* シューベルト/交響曲 第 5 番 変ロ長調 D.485 マーラー/交響曲 第 4 番 ト長調* ◉ 5/16(金)7:00pm、5/17(土)3:00pm (C プロ)NHK ホール 指揮:ヘスス・ロペス・コボス チェロ:ヨハネス・モーザー メゾ・ソプラノ:林 美智子* クリストバル・アルフテル/第 1 旋法によるティエントと皇帝の戦い(1986) ラロ/チェロ協奏曲 ニ短調 ファリャ/バレエ音楽「三角帽子」* Philharmony April 2014 ラノ、ローザ・フェオラ。小さめの
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