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Program
B
最も心に残った
N響コンサート&
ソリスト2014
1997 年に「N響ベスト・コンサート」として始まって以来、今回で 18 回目を迎える「最
も心に残ったN響コンサート & ソリスト」。2014 年 1 月∼ 12 月に行われた定期公演から、
演奏をお聴きになったみなさまに投票をお願いし、今年は 550 近くの票が集まりました。
みなさまの思い出がどのように順位に反映されているでしょうか。投票にご参加いただ
いたみなさま、ご協力ありがとうございました。
ブロムシュテット
ルイージ
デュトワ
マリナー
ノリントン
サンティ
第1 位
9 月 A プロ 第 1789 回|9月 27、28日
ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮)
モーツァルト/交響曲 第 41 番 ハ長調 K.551「ジュピター」
チャイコフスキー/交響曲 第 6 番 ロ短調 作品 74「悲愴」
ブロムシュテット氏の真 な音楽作りにオー な気がして、他の演奏を聴けなくなりそうです。
(本田君代)
ケストラが全力で反応したもので、曲に込めら
れた狂気や分裂性が浮かび上がった強烈な演
チクルス最終回の《ジュピター》と《悲愴》
奏だった。ブロムシュテット氏は 87 歳とは思
は稀有な名演。チャイコフスキーに「交響曲」
えないほど元気な指揮ぶりであった。
(西口直克) という文脈でアプローチし、無駄な感傷や味
付けを排したことで、作曲家が思い描いたド
もともとチャイコフスキーが好きで、楽しみ ラマが浮き彫りになり感動的でした。
にしていましたが、予想以上に良かったです!
(吉田雅之)
この公演で、指揮者のヘルベルト・ブロムシュ
ブロムシュテットさんとN響楽員との心が通
テットさんも好きになりました。また彼の指揮
が見たいです。
(大前さやか) じ合っていることを感じることのできる演奏で、
こんな演奏に立ち会うことができてとても幸福
かねてから一度聴いてみたいと思っていたブ でした。
(畠山英二)
ロムシュテット氏の演奏会が叶いました。それ も大好きなチャイコフスキーの《悲愴》で。終
ブロムシュテット氏が初めてN響を振った時
演後は数日間、頭の中で第 3 楽章が鳴り響い の緊張感や充実感が鮮やかによみがえってき
て幸せな余韻に包まれました。
ました。30 年の時を経てもまったく変わらない、
(野澤久美子) すばらしい《悲愴》に喝采!
(松下脩司)
今までチャイコフスキーの交響曲では《第 5
これまで何度も聴いてきた《悲愴》ですが、
番》が好きだったのですが、
《第 6 番「悲愴」》 とくに第 1 楽章のキレの良さに感動しました。
を聴いて深く心に染み入る温かい演奏にとて
(今井達朗)
も感動しました。これ以上の演奏はないよう
Philharmony April 2015
最も心に残ったN響コンサート 2014
Program
第
2位
1 月 Aプロ 第 1774 回|1 月 25、26 日
B
ファビオ・ルイージ
(指揮)
モイツァ・エルトマン(ソプラノ)、ヘルベルト・リッパート(テノール)*、ティモシー・オリヴァー(テノール)**、
マルクス・マルクヴァルト(バリトン)**、東京混声合唱団(合唱)、東京藝術大学合唱団(合唱)**、
東京少年少女合唱隊(児童合唱)**
オルフ/カトゥリ・カルミナ
オルフ/カルミナ・ブラーナ **
圧倒的な迫力の合唱、腹の底から響く管弦
強 な指揮と練達の声楽陣による激烈なる
オルフ。珍曲《カトゥリ・カルミナ》の踏み込ん 楽、ルイージの熱い指揮の《カルミナ・ブラー
だ歌詞対訳にも拍手。
(吉田 淳) ナ》にただただ感動。ソリストも素晴らしかっ
た。期待をはるかに超えたものとなりました。
N響打楽器陣の驚異的アンサンブルを示し
(坂口 誠)
た後、声楽パートも含めて白熱した《カルミ
この日の《カルミナ》はN響の、というより
ナ・ブラーナ》を実現した名プログラム。指揮
のルイージが、音楽の根源的な力を自然な発 日本楽壇史において、特筆されるべき名演だ
(田原 昇)
露として引き出したのがお見事。 (橋本正博) と思います。
ルイージの指揮も素晴らしかったが、ソプラ
初めてホールで涙をこぼしました。一生の
宝物となり、今もエルトマンの声が耳に残って ノのエルトマンも Good。めったに演奏されな
います。
(森 郁生) い《カトゥリ・カルミナ》もおもしろかった。
(滝藤正廣)
第
3位
12 月 A プロ 第 1796 回|12 月 5、7 日
シャルル・デュトワ
(指揮)
ステファーヌ・デグー(ペレアス)
、ヴァンサン・ル・テクシエ(ゴロー)
、フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ(アルケル)
、
カトゥーナ・ガデリア(イニョルド)
、デーヴィッド・ウィルソン・ジョンソン(医師)
、カレン・ヴルチ(メリザンド)
、
ナタリー・シュトゥッツマン(ジュヌヴィエーヴ)
、東京音楽大学(合唱)
ドビュッシー/歌劇「ペレアスとメリザンド」
(演奏会形式)
文句無しに最高至福の《ペレアスとメリザン ことが出来た。デュトワに感謝。オケもこれ以
ド》
!日本でこの水準の歌手とN響の演奏が聴 上望めない繊細さとニュアンスの豊かさで応え
けて大感動!ホルスト・シュタインの《パルシファ ていた。
(大矢行夫)
ル》第 3 幕以来の超名演!
(元井亮一)
《ペレアスとメリザンド》は初めてでしたが、
歌手陣が世界レベルで素晴らしく、オケも 男性歌手陣の演技力に入り込んで観てしまい
緻密・色彩感豊か。この 10 年のN響で最も心 ました。終演間近から終演までの静かな余韻
に残ったコンサートです。
(新井久美子) には自然と目が潤んでしまいました。デュトワ
さんのオペラは毎回楽しみにしています。
初めてこの曲を生で聴け、その真価を知る
(野村有紀子)
4 位 9 月 C プロ 第 1788 回|9 月 19、20 日
ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮)
モーツァルト/交響曲 第 40 番 ト短調 K.550
チャイコフスキー/交響曲 第 5 番 ホ短調 作品 64
ブロムシュテットのチャイコフスキー
《第 5 番》
は、なぜこれほど若い音楽になるのか不思議。
生き生きとしている。N響のアンサンブルも一
段と向上したように聞こえる。
(白井 真)
のモーツァルト《第 40 番》
、生涯最高のチャ
イコフスキー《第 5 番》
。誇張のない、ここま
で完璧な演奏はブロムシュテットにしかできな
い!
(岡本昌夫)
マエストロがこれほど速いテンポ設定をすると
宝石のようにきらきら輝く音楽。まさに至福
は驚き。もちろん素晴らしかった。(丸山明久) のひとときでした。演奏会終了後、楽屋口で
お会いしたマエストロのにこやかな表情も忘れ
低弦の本数を減らした絶妙な音域バランス られません。
(齋藤壽男)
第
5 位 9 月Bプロ 第 1787 回|9 月 10、11 日
ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮)
モーツァルト/交響曲 第 39 番 変ホ長調 K.543
チャイコフスキー/交響曲 第 4 番 へ短調 作品 36
チャイコフスキー《第 4 番》は一体感と集中
サントリーホールでの《第 4 番》の名演がま
力が特に素晴らしかった。ブロムシュテットの たひとつ。お互いの深い信頼関係のもと、指
指揮に必死についていくN響の姿勢にも共感 揮者とオケに加え、聴衆までも一体となって創
した。
(永田英稔) り上げられ、幸せな気分にさせてくれる演奏。
その場の一員でいられたことに感謝。
初めて生でN響を聴きました。大好きなチ
(三井英生)
ャイコフスキーの交響曲はとても力強い演奏で
美しくも激しい演奏で、気持ちがスカッとし
したし、ブロムシュテット氏の細かいこだわり
(石川雄一)
も見られました。会場の盛り上がりも凄かった。 ました!!
愛されてますね!
(小林 慧)
第 6 位 11 月 A プロ 第 1793 回|11 月 15、16 日
ネヴィル・マリナー(指揮)
セルゲイ・ハチャトゥリアン(ヴァイオリン)
ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品 61
ブラームス/交響曲 第 1 番 ハ短調 作品 68
第 7 位 12 月 C プロ 第 1797 回|12 月 12、13 日
シャルル・デュトワ(指揮)
アラベラ・美歩・シュタインバッハー(ヴァイオリン)
ベートーヴェン/交響曲 第 7 番 イ長調 作品 92
第 9 位 12月 Bプロ 第 1798 回|12 月 17、18 日
シャルル・デュトワ(指揮)
ユジャ・ワン(ピアノ)*
ドビュッシー(ラヴェル)
/「ピアノのために」から
「サラバンド」
ドビュッシー(ラヴェル)/舞曲
ファリャ/交響的印象「スペインの庭の夜」*
ラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調 *
ストラヴィンスキー/バレエ組曲「火の鳥」
(1919 年版)
武満 徹/弦楽のためのレクイエム(1957)
ベルク/ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出のために」
ドヴォルザーク/交響曲 第 9 番 ホ短調 作品 95
「新世界から」 第 10 位 11 月 C プロ 第 1794 回|11 月 21、22 日
ネルロ・サンティ(指揮)
第 8 位 10 月 A プロ 第 1790 回|10 月 18、19 日
ロジャー・ノリントン(指揮)
フランチェスコ・ピエモンテージ(ピアノ)
ベートーヴェン/序曲「レオノーレ」第 1 番 作品 138
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲 第 1 番 ハ長調 作品 15
ロッシーニ/歌劇「どろぼうかささぎ」序曲
ベルリオーズ/序曲「ローマの謝肉祭」作品 9
チャイコフスキー/イタリア奇想曲 作品 45
レスピーギ/交響詩「ローマの松」
Philharmony April 2015
第
Program
最も心に残ったソリスト 2014
第1位
B
セルゲイ
・ハチャトゥリアン
(ヴァイオリン)
11 月 A プロ 第 1793 回|11 月 15、16 日
ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品 61
ヴァイオリンの美音をどこまでも堪能できた
演奏。初めてベートーヴェンの《ヴァイオリン
協奏曲》を最後まで楽しむことができた。マ
リナー、N響のサポートも抜群であった。
(後藤英貴)
これほど美しく繊 細なヴァイオリンを奏で
られる人は、そうはいないのではなかろうか。
歌に れたベートーヴェンの協奏曲をここま
で美しく聴くことができ、大いに満足している。
一方で、カデンツァの鮮やかな弾きぶりも見
事であった。
(中野恒平)
本当に素晴らしかった、その一言のみです。
高齢のマリナーさんとゆっくり、一緒に舞台袖
まで歩く青年の姿は、世代も時代も超え、音
楽が人々を繫いでいく素晴らしさを表している
ようでした。
(坂根真美)
第2 位
第3 位
ヤン・リシエツキ(ピアノ)
10 月 B プロ 第 1792 回|10 月 29、30 日
ショパン/ピアノ協奏曲 第 1 番 ホ短調 作品 11
第4 位
パトリツィア・コパチンスカヤ(ヴァイオリン)
6 月 A プロ 第 1784 回| 6 月 7、8 日
プロコフィエフ/
ヴァイオリン協奏曲 第 2 番 ト短調 作品 63
ユジャ・ワン(ピアノ)
12 月 B プロ 第 1798 回|12 月 17、18 日
ファリャ/交響的印象「スペインの庭の夜」
ラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調
第4 位
アラベラ・美歩・シュタインバッハー
(ヴァイオリン)
12 月 C プロ 第 1797 回|12 月 12、13 日
ベルク/ヴァイオリン協奏曲
「ある天使の思い出のために」
いつも素晴らしい演奏をありがとうございま
す。アマチュア・オーケストラで演奏を楽しんで
いますが、N響の演奏会で生の音に触れる事
は大きな励みです。美しい音、きめ細やかで
丁寧な表現、本当に大切なものを教えて下さ
っていると感じます。
(佐藤理子)
音楽とは無縁の妻を誘い出して聴きに行っ
た 6 月Cプロ、アシュケナージさんの優しい顔
と温かい指揮振り、ソリストの熱演、大編成
のN響の響き、すべてが私共の思い出になり
ました。
(藤崎 晃)
ショパンの《ピアノ協奏曲第 1 番》を 19 歳
クラシック音楽を聴き始めて 30 年。N響で のヤン・リシエツキが、明快な自己主張を込め
育ちました。地方ですので、もっぱらFMラジ て雄大な作品として聴かせてくれた。下野さ
オで楽しんでいます。是非ともNHKホールや ん指揮のオケも素晴らしいサポートだった。
(吉岡昌一)
サントリーホールで聴くのが、長年のささやか
な夢です。
(三田陽和)
ユジャ・ワンのとても力強い打 、グリッサ
2014 年の演目の楽しさでは、11 月の C プ ンド、ドレスに耳だけでなく目も楽しませてい
ログラムが一番でした。ネルロ・サンティの力 ただきました。
(高橋宣仁)
量をまざまざと見せつけられた一夜でした。何
人生で初めてのN響公演、9 月Aプロを 2 日
でもいいから聴かせてほしい、そんな指揮者
です。
(高柳一也) 続けて聴きました。ブロムシュテットの熱い魅
力に引き込まれ、ホールに 10 分位上鳴り響い
2 月 14 日、バレンタインデーの日に大雪の た拍手は、テレビ放送では感じられないもの
中を男 2 人でNHKホールを訪れました。この で、感動で涙が れました。
(川口麻衣)
日のドヴォルザークの《第 8 番》、マリナーさ
2014 年はとても良いシーズンでした。名
んの圧倒的な演奏に浸り、雪の積もった道を
興奮しながら帰りました。大雪の映像とともに 演・快演と呼ばれる演奏が多かったように思い
あの興奮が忘れられません。
(渋谷 裕) ます。堀さん、永峰さん、長い間お疲れさま
でした 。そしてここからは、まろさんのN響。
50 歳を過ぎて新しい曲や音楽家を自分か 楽しみにしています。
(佐野智子)
ら探して聴くことがほとんどなくなってきてお
次期首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィとN響
り、N響の定期で自分の知らない音楽や音楽
家に会えることは、人生にとって素晴らしいひ のコンビは本当に楽しみです。2015 年 2 月A
とときです。一方で、学生時代から聴いてい プロの《巨人》も非常に良かった。今後を大
(長須俊一)
るブロムシュテットさんの音楽を毎年聴けるの いに期待しております。
もN響ならではの楽しみです。 (宮田昌一)
▶
招聘してほしい指揮者 ベスト 5
▶
招聘してほしいソリスト ベスト 5
1
2
3
4
5
ヘルベルト・ブロムシュテット
ファビオ・ルイージ
グスターボ・ドゥダメル
エサ・ペッカ・サロネン
アンドリス・ネルソンス
サイモン・ラトル
1
2
3
4
5
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
五嶋みどり(ヴァイオリン)
内田光子(ピアノ)
ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)
庄司紗矢香(ヴァイオリン)
Philharmony April 2015
投票を通じて寄せられたみなさまの声
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Sebastia
今月のマエストロ
©Monika Rittershaus
セバスティアン・ヴァイグレ
ドイツの音楽界で人気を誇る
巧みなバランス感覚を備えた指揮者
文
吉田光司
セ バ ス テ ィ ア ン・ヴ ァ イ グ レ は
1961 年、ドイツのベルリンの生ま
れ。1961 年というと、東西ベルリ
にも関心があったに違いない。
歌劇場のホルン奏者から指揮者へ
ンを完全に分断するベルリンの壁の
1982 年、ヴァイグレはベルリン
建設が始まった年である。ヴァイグ
国立歌劇場管弦楽団(シュターツカ
レがベルリンのどの地区の生まれな
ペレ・ベルリン)の首席ソロ・ホルン
のかは明らかにされていないが、彼
奏者に就任。当時の音楽総監督は、
は東ベルリンのハンス・アイスラー
NHK交響楽団の名誉指揮者だった
音楽大学で学んでいる。ここで主と
オットマール・スウィトナーである。
してホルンを学びながら、ホルス
ホルン奏者としてのヴァイグレは極
ト・フェルスター(1964 ∼ 1967 年、
めて優秀で、ソロ奏者としての録音
ドレスデン・フィルハーモニー管弦
も残されている。また 1991 年から
楽団の首席指揮者)に指揮を学んで
1995 年までベルリン八重奏団(旧
いる。この頃からヴァイグレは指揮
東ベルリンのベルリン交響楽団を母
ており、1993 年 2、3 月には同団の
一員として来日している。
ヴァイグレがベルリン国立歌劇場
のホルン奏者を務めていた 15 年間
のちょうど半ば頃にあたる 1989 年
11 月、ベルリンの壁が崩壊、さら
に 1990 年 10 月 3 日 に ド イ ツ は 再
統一を果たす。もちろんベルリンは
一つの町に戻り、町並みも文化も急
速に変化していく。
ヴァイグレの運命を変えたのは、
ベルリン国立歌劇場の新しい音楽総
監督、ダニエル・バレンボイムだっ
た。バレンボイムは 1992 年に着任
すると、古風なドイツの伝統を守っ
ていたベルリン国立歌劇場を、世界
イムの秘蔵っ子として歌劇場におけ
る指揮のすべてを叩き込まれている。
数々の新制作を大成功へと導く
その後の指揮者ヴァイグレの歩み
は極めて順調である。2004 年から
2009 年までスペインを代表する歌
劇場のひとつ、バルセロナのリセウ
大劇場の音楽監督を務める。ヴァイ
グレは意欲的な新制作を成功に導き、
2005 年、2006 年、さらには退任後
の 2010 年にも、バルセロナの批評
家から名誉ある賞を贈られている。
2007 年から 2011 年には、バイロ
イト音楽祭で、ワーグナーの曾 孫
カタリーナ・ワーグナーが演出を手
掛けた《ニュルンベルクのマイスタ
から注目を浴びる最先端の歌劇場へ
ージンガー》の指揮を受け持つ。カ
と変貌させていった。そして慧眼の
タリーナの挑発的な演出に賛否がひ
音楽総監督は、ホルン奏者ながら既
どく分かれるという難しい状況の中、
にベルリンで積極的に指揮活動をし
ヴァイグレは 5 年間の計 30 公演を
ていたヴァイグレに目を付け、1997
すべて一人で受け持った。2013 年
年、彼をベルリン国立歌劇場の第 1
4 月 に は そ の《 マ イ ス タ ー ジ ン ガ
楽長(楽長=カペルマイスター)に
ー》を東京でN響と演奏会形式で上
する。楽長は音楽総監督の部
演して好評を博したのは、まだ記憶
大抜
下であり、上演の指揮もすれば、音
に新しいところだ。
楽に関する下働きもする役職である。
少し戻って 2003 年 2 月、ヴァイグ
第 1 楽長ともなれば音楽総監督の側
レはフランクフルト歌劇場で R. シ
近であり、責任も大きい。
ュトラウス《影のない女》の新制作
バレンボイムがヴァイグレにい
上演の指揮を務めた。公演は大成功
かに期待を寄せていたのかは、彼
を収め、ドイツの権威ある音楽誌は
が第 1 楽長に就任してすぐの 1997
ヴァイグレを年間最優秀指揮者に選
年 11 月に挙行されたベルリン国立
出した。5 年後の 2008 年、ヴァイ
歌劇場の来日公演で、モーツァルト
グレはフランクフルト歌劇場の音楽
《魔笛》全 5 公演のうち 2 公演をヴ
総監督に迎えられる。今この劇場は
ァイグレに任せたことでも明らかだ。
黄金期と言えるほど充実しており、
2002 年まで、ヴァイグレはバレンボ
とりわけワーグナーやR. シュトラ
Philharmony April 2015
体とする団体)のホルン奏者も務め
今
月
の
マ
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ス
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バ
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テ
ィ
ア
ン
・
ヴ
ァ
イ
グ
レ
ウスのオペラの上演においては、ド
イツでも随一の評判を誇っている。
もちろんヴァイグレは演奏会活動
も活発に行っている。ことにR. シュ
トラウスの管弦楽作品はかなり珍し
い曲まで取り上げており、オペラと
もどもスペシャリストと言ってもよ
いほどだ。一方で、ドイツの指揮者
にしてはブルックナーとマーラーの
交響曲をあまり多く取り上げていな
い。
未来を担う、ヴァイグレの音楽性
上げの指揮者ならではの巧みなバラ
ンス感覚で音楽にあざとさを許さな
いので、常に音楽の風合いが良い。
加えてヴァイグレの音楽には、ホル
ン奏者を務めていた東ベルリン時代
の、スウィトナーが音楽総監督を務
めていた頃のベルリン国立歌劇場の
実直な気風と、再統一ベルリンの同
劇場で養われた活気ある新しい時代
の感覚と、2 つの要素が融合した独
特の魅力がある。今、特にドイツの
音楽界でヴァイグレが非常に高い人
気を誇っているのは、懐古的になら
ヴァイグレの音楽は、適度に引き
ず伝統を担い、先鋭的にならず現代
締まった響き、やや明るめの音色と
感覚を備えたヴァイグレの音楽に、
淀みのない自然な流れを大切にした
良き未来が見いだせるからなのかも
ものだ。ワーグナーやR. シュトラ
しれない。
ウスのような複雑な楽譜の隅々まで
今年で 54 歳、ヴァイグレは着実
神経を通わせ、必要とあらば思い切
にドイツの巨匠へと向かっている。
った表現も採るのだが、歌劇場叩き
(よしだ・こうじ 音楽評論家)
プロフィール
1961 年、ドイツ、ベルリンの生
まで、バイロイト音楽祭で《ニュル
ま れ。 ハ ン ス・ア イ ス ラ ー 音 楽 大
ンベルクのマイスタージンガー》を
学でホルン、ピアノ、指揮を学ぶ。
指揮。他にウィーン国立歌劇場、バ
1982 年、 シ ュ タ ー ツ カ ペ レ・ベ ル
イエルン国立歌劇場、ドレスデン国
リンの首席ソロ・ホルン奏者に就任。 立歌劇場など、世界の主要歌劇場に
並行して指揮活動も開始。1993 年
客演している。ワーグナーとR. シ
からブランデンブルク青年フィルハ
ュトラウスのオペラで高い評価を得
ーモニーの首席指揮者。1997 年か
ている他、演奏会活動も活発に行っ
ら 2002 年まで、ベルリン国立歌劇
ている。
場の第 1 楽長。2004 年から 2009 年
NHK交響楽団とは 2002 年 1 月
まで、スペイン、バルセロナのリセ
に初共演。2013 年 4 月には東京・春・
ウ大劇場の音楽監督。2008 年から
音楽祭で《ニュルンベルクのマイス
フランクフルト歌劇場の音楽総監督
タージンガー》を演奏会形式で演奏
を務めている。2007 年から 2011 年
した。 (吉田光司)
Philharmony April 2015
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Mi
©Marco Borggreve
今月のマエストロ
ミヒャエル・ザンデルリング
オーケストラ・プレーヤーのことばをしゃべる指揮者
文
舩木篤也
第一次世界大戦のさなかにマック
ルベ川のフィレンツェ」は灰燼に帰
ス・レーガーが編曲した、バッハの
した。ザンデルリングが指揮したの
オルガン曲《おお人よ、おまえの罪
は、これを心に刻むメモリアル・コ
に泣け》。これに、休憩を挟むこと
ンサートだったのだ。
なくショスタコーヴィチの《交響曲
1967 年生まれの彼は、戦争を知
第 11 番「1905 年」
》を続ける ─
らない世代に属す。そんな彼が、こ
今年の 2 月 13 日、ドイツはドレス
のような選曲でもって「この日・こ
デンにて、ミヒャエル・ザンデルリ
の場所」というローカルな地点をこ
ングが指揮したプログラムである。
え、まなざしを、20 世紀の、いや
管弦楽は、彼がいま首席指揮者を務
人類の罪全般にまで向けているのが
め、最も心血を注いでいるドレスデ
目を引く。ロシア第一次革命の引き
ン・フィルハーモニー管弦楽団だ。
金となった「血の日曜日」を描いた
2 月 13 日、14 日、15 日は、ドレ
とされるショスタコーヴィチの《交
スデン市民にとって記憶すべき重大
響曲第 11 番》について、ザンデル
な日である。1945 年のこの 3 日間、
リングはこう語る。
英米軍の無差別爆撃によって、
「エ
「ここで作曲家は問うているので
今
月
の
マ
エ
ス
ト
ロ
ミ
ヒ
ャ
エ
ル
・
ザ
ン
デ
ル
リ
ン
グ
す。
『お前たち、自分で自分の血に
銃を向けるとは、気は確かか?』
と」
。
チェロ席から指揮台へ
ばしば指揮者なしで演奏する─も
のの、チェロ席からその役を果たす
のはどうも難しい。ならばと中央に
立ってみたのだ。「なにか準備をし
ていたということは、まったくあり
生まれ育ったのは、東ベルリン。
ません。でも自分の身体が指揮に向
ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)の
いていると、すぐに気づきました。
首都である。いわゆる「冷戦」の前
自分のなかに『ウイルス』がずっと
線であり、危機の感覚が、骨身に沁
眠っていたのかもしれませんね」。
みているのかもしれない。あるいは
そ し て 2005 年、 正 式 に 指 揮 者
父親、故クルト・ザンデルリングか
としてデビュー。このときタクト
らの精神的遺産もあるだろうか。ナ
を 執 っ た ド レ ス デ ン・フ ィ ル ハ ー
チス・ドイツからソ連に亡命し、や
モニー管弦楽団の首席指揮者に、
がてレニングラード・フィルハーモ
2011/2012 年シーズンより就任した。
ニー交響楽団(当時)でムラヴィン
ほかの著名楽団からも今やひっぱり
スキーの片腕となり、1960 年代か
だこなのは、プロフィール欄にみる
らは東ドイツを中心に活躍した、か
とおりである。
の高名な指揮者である。
ミヒャエルは、5 歳になってもま
経験から得た優れたバランス感覚
だ、ことばがほとんど話せなかった
こうして故クルト・ザンデルリン
という。心配した両親は、ことばが
グの 3 人の息子たちは、結局、みな
難しいなら楽器を持たせようと考え
父親の職業を引き継いだことになる。
た(母はコントラバス奏者のバルバ
ミヒャエルの 2 人の兄、トーマスも
ラ・ザンデルリング)
。そうしてあて
シュテファンも指揮者だ。
がわれた楽器、チェロを弾くように
ただ、ミヒャエルに関していえば、
なり、彼は職業チェリストにまで成
直接の手ほどきを父親から受けたこ
長した。ソロ・デビューは 1987 年。
とはないらしい。「もちろん、父の
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管
演奏会は数え切れないほど聴きまし
弦楽団で、次いでベルリン放送交響
たが」
。これにオーケストラ・プレー
楽団で、オーケストラ奏者も務めた。
ヤーとしての経験が加わり、今の彼
教育にも力を入れ、ベルリン、フラ
がある。
「上から意見を押しつける
ンクフルト、ベルンではチェロの教
指揮者というのは、もはや通用しま
職に就いた。
せん。楽員と共通のエモーションを
そんな彼が初めて「指揮」をした
分かち合うことが大切です」
。楽員
のは、2001 年、ベルリン室内管弦
からは、
「オーケストラ・プレーヤー
楽団の中で弾いていたときのこと。
のことばをしゃべる指揮者」と言わ
リーダーを任された ─ 同団はし
れるそうだ。
ル・ザンデルリングはたしかにそう
いう人だと、演奏からも感じ取れる
気がする。筆者はここで、以前聴い
たバランス感覚に優れたベートー
ヴェンの《第 7 交響曲》を思い出
す。ドレスデン・フィルの特質を活
かした弦楽主体の響き。それを破壊
して、これぞ 21 世紀のベートーヴ
ェンなりと肩を怒らせたりはしない。
と同時に、古楽界に刺激された近年
の「歴史的情報に基づく演奏」の成
果をもとりいれる。2 小節周期の前
進運動を明確にした、行進曲にも似
た第 2 楽章は、その好例となろう。
ウィーン古典派や、ロマン派の音
楽は、たしかにザンデルリングのレ
パートリーの中核にあると言ってよ
い。いっぽうで、近現代音楽に注ぐ
情熱も並々ならぬものがある。
なかでもショスタコーヴィチは、
独墺系の名曲よりも演奏頻度が高い
のではないか。今年も先の《交響
曲第 11 番》の演奏会以後、夏が来
るまでに《第 6 番》
(ドレスデン)
、
《第 7 番》
(ベルリン)
、
《第 15 番》
(ライプツィヒ)と演奏する。その
熱の入れようは、この作曲家と親交
のあった父クルト以上かもしれない。
同シーズンにはほかに、ジョン・ア
ダムズ(1947 年∼、アメリカ)
、ト
ビアス・ブロストレム(1978 年∼、
スウェーデン)といった同時代音楽
も指揮する。NHK交響楽団への出
演は今回が初めて。いずれこの方面
の音楽も聴かせてくれることを期待
しよう。
(ふなき・あつや 音楽評論家)
プロフィール
1967 年、旧東ベルリン生まれ。
演も重ね、2011/2012 年シーズンに
最初はチェリストとして活躍し、19
ドレスデン・フィルハーモニー管弦
歳にしてライプツィヒ・ゲヴァント
楽団の首席指揮者に就任、現在に至
ハウス管弦楽団の首席チェロ奏者に
る。この他、ライプツィヒ・ゲヴァ
着任。1992 年まで同職にあった後も、 ントハウス管弦楽団、チューリヒ・
ベルリン放送交響楽団の首席客演奏
トーンハレ管弦楽団、バイエルン放
者を 2006 年まで務めた。
送交響楽団など、世界各地で活躍し
指揮者デビューは 2005 年、ドレ
ている。教育にも熱心で、近年では
スデン・フィルハーモニー管弦楽団
青年ドイツ・フィルハーモニーなど
に登場したとき。2006 年、ポツダ
の指導に当たっている。
ム室内アカデミーの首席指揮者兼芸
日本の楽団を指揮するのは、読売
術監督となり 2010 年までこの座に
日本交響楽団に続いてこれが 2 度目
あったが、その間、著名楽団への客
となる。 (舩木篤也)
Philharmony April 2015
つまりは、アンチ暴君。ミヒャエ
v
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y
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o
d
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F
r
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m
i
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Vla
今月のマエストロ
©Oleg Nachinkin
ウラディーミル・フェドセーエフ
既成の枠にとらわれない並外れた個性を持つ巨匠
文
寺西基之
ウラディーミル・フェドセーエフ
以前に実演に接していたムラヴィン
を実演で初めて聴いたのは 1986 年
スキー、スヴェトラーノフ、ロジェ
だったと思う。オーケストラは彼
ストヴェンスキーといったロシア人
の手兵であるモスクワ放送交響楽
指揮者が豪壮さのうちにも非常に統
団(現在のチャイコフスキー交響楽
制のとれた音楽作りをしていたのと
団)。オール・ロシアもののプログラ
はやや違って、オーケストラのパワ
ムだったが、演奏もいかにもロシア
ーを全開させるような威勢のよい力
的と形容するに相応しいような、た
技に、フェドセーエフの特質を感じ
っぷりとした量感ある響きによる豪
たものである。
放な演奏で、《ペトルーシカ》にし
ろ《展覧会の絵》にしろ、金管や打
細やかに考え抜かれた音楽作り
楽器を凄まじいまでに鳴らして土俗
しかしその後、当時リリースされ
性を強調したその荒々しさに、度肝
ていた彼の数々のレコーディングや、
を抜かれたことを覚えている。それ
再度の来日公演などを聴いて、決し
の特徴ではないことが浮かび上がっ
てきた。たしかに総体的にはロシア
人らしい力感と重量感あふれる骨太
うまく嵌っている。
民族楽器をルーツとする
独自の演奏スタイル
のものながら、彼なりに組み立てら
フェドセーエフのこうした濃やか
れた全体の論理的な流れ、剛毅さの
な表現は好悪の分かれるものでもあ
中に織り込まれるふくよかな感触、
ろう。ロシアでさえ彼の音楽にアク
弱音の多用とその巧妙な生かし方、
の強さを感じる人が結構いるという。
パートや声部に対する入念なバラン
以前はそれを彼の経歴に結び付けて
スのとり方など、細やかに考え抜か
悪く言う人も多かったようで、かつ
れた音楽作りがなされていることが
てあるロシアの音楽関係者と話した
わかってきたのである。自らの感性
機会に話題がフェドセーエフに及ん
によった独自の仕方で筋の通った運
だ際、彼は肩をすくめて「彼が正統
びを作り出し、その中でユニークな
的なきちんとした演奏ができないの
味付けをみせる彼の演奏は、決して
は、民族楽器の楽団を振っていたよ
ただ力だけで押していくようなもの
うな指揮者だからだ」とやや軽 す
でない。
るように述べていたことを思い出す。
彼の音楽は表現のレンジが広く、
もう相当前のことで、その後ウィー
例えばテンポの設定はしばしば極端
ン交響楽団の首席指揮者になるなど、
なほどに緩急のコントラストが際立
押しも押されもしない世界的指揮者
たされ、ダイナミクスも弱く柔らか
として活躍するようになったフェド
な響きから轟くような最強音に至る
セーエフの音楽性を、過去のキャリ
まで振幅が大きい。表情の点でも、
アを理由に貶めるようなことは今で
陶酔的ともいえる濃密さをみせたか
はさすがにほとんどないだろう。し
と思うとそっけないほどにあっさり
かし、フェドセーエフ自身が自認し
と進行するといったように、様々な
ているように、民族楽器・民族音楽
変貌をみせる。叙情的な旋律での息
のジャンルの出身であることは彼に
の長いべったりしたレガートによる
とってマイナスどころか、その独特
歌い回しも独特だし、勢いに任せる
の美質の形成に与って力があったと
かのように前のめりに音楽を進めて
みるべきだと思われる。民族楽器か
いくかと思うと、細部にデリケート
ら出発したことによって、伝統的な
なこだわりをみせたり、意外なほど
アカデミズムに縛られない自由な視
に洒落たセンスを窺わせたりなど、
点と発想を持つことができ、その結
とにかくフェドセーエフの音楽には
果が既成の枠にとらわれない彼独自
一筋縄ではいかないものがある。し
のロシア的な演奏スタイルを生み出
かしそうした多面性は、一本の太い
すことに繫がったのではないだろう
芯に貫かれた全体の流れの中に実に
か。今日の演奏界は世界的にみても、
Philharmony April 2015
てそうした面だけがフェドセーエフ
今
月
の
マ
エ
ス
ト
ロ
ウ
ラ
デ
ィ
ー
ミ
ル
・
フ
ェ
ド
セ
ー
エ
フ
かつてのような個性豊かな巨匠がほ
とんどいなくなってしまったが、そ
の中においてこうした並外れた個性
を持つフェドセーエフの存在はとて
も大きなものがある。
十八番が並ぶロシア・プログラム
独奏者アンナ・ヴィニツカヤとの迫
力ある丁々発止のやり取りが聴きど
ころとなるだろう。一方《シェエラ
ザード》はとりわけフェドセーエフ
の多彩な持ち味が十二分に発揮され
やすい作品だ。これまでもモスクワ
放送交響楽団や東京フィルハーモニ
そのフェドセーエフが今回のN響
ー交響楽団とともに実に凝った味付
定期で選んだ曲目は、ラフマニノフ
けによる《シェエラザード》を何度
の《ヴォカリーズ》と《ピアノ協
か聴かせており、特に第 1 曲のゆっ
奏曲第 2 番》、リムスキー・コルサ
たりとうねるような壮大さやフィナ
コフの《交響組曲「シェエラザー
ーレの凄まじいまでの盛り上げ方に
ド」》で、まさにフェドセーエフの
はいつも圧倒されてきたが、今回N
十八番ばかりが並んだプログラムで
響とはどのような演奏になるのだろ
ある。ラフマニノフの音楽特有の情
うか。フェドセーエフとN響の初顔
感たっぷりなカンタービレはフェド
合わせは 2013 年の定期公演で、今
セーエフが特にお得意とするところ。
回は 2 年ぶり 2 度目の登場となる。
《ヴォカリーズ》の息の長い旋律を
どのように歌わせるのか楽しみだし、
《ピアノ協奏曲》ではそれに加えて
前回以上に息の合った演奏となるこ
とを期待したいものだ。
(てらにし・もとゆき 音楽評論家)
プロフィール
ロシアを代表する名指揮者。1932
ー管弦楽団、ライプツィヒ・ゲヴァ
年レニングラード(現サンクトペテ
ントハウス管弦楽団、フランス国立
ルブルク)に生まれる。モスクワ
管弦楽団、チューリヒ・トーンハレ
のグネーシン音楽アカデミーを経
管弦楽団、クリーヴランド管弦楽団、
て、モスクワ音楽院に学び、指揮を
ピッツバーク交響楽団など欧米各地
レオ・ギンズブルクに師事。1974 年
の楽団に客演し、オペラでもウィ
にモスクワ放送交響楽団の芸術監
ーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座、
督・首席指揮者に就任し、同団がチ
ボリショイ劇場など世界の一流の歌
ャイコフスキー交響楽団と改称され
劇場に登場している。1996 年以来
た今日に至るまで長い信頼関係を築
東京フィルハーモニー交響楽団の首
いてきた。一方で 1997 年から 2004
席客演指揮者を務めるなど、日本と
年まではウィーン交響楽団の首席指
の関係も深い。
揮者も兼任。またバイエルン放送交
NHK交響楽団とは今回が 2 度目
響楽団、ベルリン・フィルハーモニ
の共演となる。 (寺西基之)
A
第 1805 回 NHKホール
4/11[土]開演 6:00pm
4/12[日]開演 3:00pm
[指揮]
1805th Subscription Concert / NHK Hall
11th (Sat.) Apr, 6:00pm
12th (Sun.) Apr, 3:00pm
セバスティアン・ヴァイグレ
[conductor] Sebastian
Weigle
[バス]
[bass]
[コンサートマスター]
[concertmaster]
ヨン・グァンチョル*
篠崎史紀
Kwangchul Youn*
Fuminori Shinozaki
ベートーヴェン
Ludwig van Beethoven (1770-1827)
交響曲 第 6 番 ヘ長調 作品 68「田園」 Symphony No.6 F major op.68
(40 )
“Pastorale”
Ⅰ 田舎に着いたときの愉快な気分:アレ
グロ・マ・ノン・トロッポ
Ⅱ 小川のほとり:アンダンテ・モルト・モー
ト
Ⅲ 田舎の人々の楽しいつどい:アレグロ
Ⅳ 雷と嵐:アレグロ
Ⅴ 牧歌。嵐のあとの喜びと感謝:アレグ
レット
Ⅰ Erwachsen heiterer Empfindungen bei der
Ankunft auf dem Lande: Allegro ma non
troppo
Ⅱ Szene am Bach: Andante molto moto
Ⅲ Lustiges Zusammensein der Landleute:
Allegro
Ⅳ Gewitter, Sturm: Allegro
Ⅴ Hirtengesang, frohe und dankbare Gefühle
nach dem Sturm: Allegretto
休憩 Intermission
ワーグナー
楽劇「トリスタンとイゾルデ」
(30 )
― 前奏曲、
*
「それはほんとうか」
」、
イゾルデの愛の死
Richard Wagner (1813-1883)
“Tristan und Isolde”
– Vorspiel,
‘Tatest du’s wirklich?’* ,
Isoldes Libestod
ワーグナー
Richard Wagner
楽劇「ニュルンベルクの
“Die Meistersinger von Nürnberg”
マイスタージンガー」
(19 )
―「親方たちの入場」、
ポーグナーのことば
*
「あすは聖ヨハネ祭」 、
(第 1 幕への)前奏曲
– Aufzug der Meistersinger,
Ansprache des Pogner: ‘Das schöne Fest,
Johannistag’*,
Vorspiel (I. Aufzug)
Philharmony April 2015
Program
Soloist
Program
バス
ヨン・グァンチョル
A
Kwangchul Youn
韓国出身。1993 年から 2004 年ま
でベルリン国立歌劇場のアンサン
場、ウィーン国立歌劇場、メトロポ
リタン歌劇場など世界中の主要歌劇
ル・ロールなどヴェルディやモーツ
ァルトのほか、ワーグナーの《パル
2014/2015 シーズンはスカラ座で
の《トロヴァトーレ》、バイエルン国
ブル・メンバーを務める。
《運命の
力》カラトラーヴァ侯爵やグァルデ
ィアーノ神父、
《シモン・ボッカネグ
ラ》フィエスコ、《魔笛》ザラスト
ロ、
《ドン・ジョヴァンニ》タイト
シファル》グルネマンツやティトゥ
レル、《トリスタンとイゾルデ》国
王マルケ役などをレパートリーにも
つ。1996 年以来バイロイト音楽祭
にたびたび登場。ベルリン国立歌劇
場で活躍。コンサート歌手としての
活躍も目覚ましく、バルセロナ交響
楽団、ベルリン・フィルハーモニー
管弦楽団、ケルン放送交響楽団と共
演し好評を得る。
立歌劇場で《パルシファル》、ドレ
スデン国立歌劇場でティーレマン指
揮《シモン・ボッカネグラ》に登板。
CD録音も多数。N響とは初共演で
ある。
(小田島久恵/音楽ライター)
1770-1827
ベートーヴェン
交響曲 第 6 番 ヘ長調 作品 68「田園」
1808 年 12 月 22 日 に 行 わ れ た こ
の交響曲の初演の時に使われた第 1
ヴァイオリン・パート譜に、ベート
ーヴェンは「シンフォニア・パスト
レ ッ ラ(Sinfonia pastorella) あ る い
は田舎での生活の思い出。絵画とい
うよりも感情の表出」と記してい
る。 ま た、 初 演 5 日 前 の『 ウ ィ ー
ン新聞』に掲載された演奏会予告で
は、コンサート第 1 部の最後に演
奏されるのは《交響曲、ヘ長調。田
舎での生活の思い出》と題されてい
る。さらにこの作品の作曲に使っ
ていたスケッチ帳にも「性格交響
曲(Sinfonia charakteristique)あるい
は田舎での生活の思い出」と記して
いる。なぜここまで、絵画的描写で
はなく感情の表現ということを強調
しなければならなかったのだろうか。
しかも、この作品では後掲するよう
に、5 つの楽章それぞれに広く知ら
れた標題(書かれた説明文という意
味でのプログラム)が付けられてお
り、ベートーヴェン自身がいかに否
定しても、1809 年 5 月に出版された
初版譜(パート譜)タイトルに「シ
ンフォニー・パストラーレ(Sinfonie
pastorale)
」
(牧歌的交響曲=田園交
標題音楽という用語と概念は、
1850 年代にリストが自ら開拓創案
した一連の「交響詩」を説明するた
めに導入したもので、ベートーヴ
ェンの《交響曲「田園」
》
(1808 年)
や、今日では標題交響曲の代名詞の
ように呼ばれるベルリオーズ(1803
∼ 1869)の《幻想交響曲》
(1830 年)
初演当時でさえも「標題音楽」とか
「標題交響曲」という呼称や概念は
まだなかった。とはいっても、標題
音楽の対立概念として考え出された
絶対音楽という範疇で《交響曲「田
園」
》を捉えることにも無理があり、
不自然さが残る。
ベートーヴェンの主張には 2 つ
の意図が隠されているように思われ
る。後世の概念である標題音楽の美
学的意味はともかくとして、実践的
な音楽表現語法として、描写的表現
を含む広い意味での標題音楽はルネ
サンス時代(さまざまなバッタリア
=戦闘の音楽、カッチャ=狩猟の音
楽等々)やバロック時代(たとえ
ば、ヴィヴァルディのソネット付
きヴァイオリン協奏曲集、いわゆ
る《四季》等々)から存在していた
ばかりか、かなり隆盛してもいたの
響曲)とあることから、これが標題
である。ソナタ形式の発展と並行し
都合ではない。
ざまな器楽ジャンルが開拓された古
交響曲の範疇に含まれるとしても不
て、というより、それに伴ってさま
Philharmony April 2015
Ludwig van Beethoven
Program
典派時代が、むしろ例外的に標題音
楽から遠ざかっていたとも言えそう
だ。そうした時代にあって、ベート
ーヴェンが考えていた作曲理念では、
A
描写語法は高く評価できるものでは
なかったようである。ただ、ベート
ーヴェンも劇音楽、たとえば、バ
レエ音楽《プロメテウスの創造物》
(1800/1801 年 ) の 序 曲 後 の 導 入 音
楽では、
《交響曲「田園」
》の「雷と
あらし」の原型とも呼ベる雷鳴の描
写表現なども見られる。また、後年
の管弦楽曲《ウェリントンの勝利》
(1813 年)では戦闘描写そのものが
作品の前半を成している。つまり、
ベートーヴェンも明確な物語性を表
現する場合には描写表現を使ってい
るのである。ただ、ベートーヴェン
にとって交響曲はそうした対象では
なかったのである。
もうひとつの理由は、おそらく、
これが真意であろうが、当時シュト
ゥットガルトの宮廷楽長で、特にジ
ングシュピール作品で人気のあった
作曲家でありオルガニストでもあっ
たユスティン・ハインリヒ・クネヒト
(1752 ∼ 1817)の作品とは次元の異
なる作品であるという主張であった
と思われる。クネヒトには 1784 年
作曲の 15 の楽器のための交響曲《自
作曲年代:1807 年暮れ∼ 1808 年 8 月、ウィー
ン
初演:1808 年 12 月 22 日、アン・デア・ウィー
ン劇場で。ベートーヴェン自身の指揮による
然の音楽的描写》
、1794 年作曲のオ
ルガンのための《雷雨によって妨げ
られた牧人の喜びのひと時》という
作品がある。クネヒトの作品は作曲
直後に印刷出版されており、かなり
広く知られていたという状況から、
ベートーヴェンがこれら 2 曲を知っ
ていた可能性は高い。
《交響曲「田
園」
》の 5 つの楽章に付けられた標
題の流れや構成がクネヒト作品と相
似しているため、ベートーヴェンは
「自分の作品はクネヒトなどの当世
流行の描写音楽とは次元の異なるも
のである」と自己主張したと考える
べきだろう。
第 1 楽章「田舎に着いたときの愉快
な気分」アレグロ・マ・ノン・トロッ
ポ ヘ長調 2/4 拍子。
第 2 楽章「小川のほとり」アンダン
テ・モルト・モート 変ロ長調 12/8 拍
子。
第 3 楽章「田舎の人々の楽しいつど
い」アレグロ ヘ長調 3/4 拍子。第 4
楽章へアタッカで続く。
第 4 楽章「雷と嵐」アレグロ ヘ短調
4/4 拍子。第 5 楽章へアタッカ。
第 5 楽章「牧歌。嵐のあとの喜びと
感謝」アレグレット ヘ長調 6/8 拍子。
(平野 昭)
楽器編成:フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ 2、
クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 2、ト
ランペット 2、トロンボーン 2、ティンパニ 1、
弦楽
1813-1883
ワーグナー
楽劇「トリスタンとイゾルデ」
前奏曲、
「それはほんとうか」、イゾルデの愛の死
1849 年、ドレスデンの三月革命
1858 年、ワーグナーはマティル
にあたって、リヒャルト・ワーグナ
デやミンナといった、すべての人間
ーは革命側に荷担した。ワーグナー
関係のしがらみを断ち切るようにヴ
は当時、同地の宮廷楽長、すなわち
ェネチアへと逃れるが、あまり作曲
体制側の人間であったにもかかわら
ははかどらず、結局ヴェネチアから
ず、反体制側を後押ししたため、チ
スイス・ルツェルンへと戻り、翌年、
ューリヒをはじめとするスイス各地
孤独な環境で作曲を終えた。
やパリなどで、10 年以上に及ぶ亡
初演は、貧窮のどん底にあったワ
命生活を強いられる。ライフワーク
ーグナーを、即位したばかりのバイ
たる《ニーベルングの指環》四部作
エルン国王ルートヴィヒ 2 世が招聘
は、一括上演どころか、完成の見込
するという「奇跡」の起こった翌年
みすらまったくたたず、さしあたっ
の 1865 年に、ミュンヘン宮廷歌劇
て手軽に上演できる作品を作曲する
場で行われた。曲の長大さに辟易す
必要に迫られた。しかし、そうして
る聴衆が多い中にあって、ワーグナ
作られたはずの《トリスタンとイゾ
ーが理想のトリスタンと褒め称えた
ルデ》ではあったが、ワーグナーの
ルートヴィヒ・シュノール・フォン・
手にかかると、これも空前絶後の壮
カルロスフェルトの絶唱によって、
大な作品へと変貌してしまうのだっ
初演はまずまずの成功を収めたとさ
た。
れる(この初演後、カルロスフェル
楽劇《トリスタンとイゾルデ》は、
トは急死してしまった)
。
チューリヒの絹織物商オットー・ヴ
第 1 幕冒頭に置かれた〈前奏曲〉
ェーゼンドンクの妻マティルデとの
では、チェロによるトリスタンを表
情事によって霊感を受けて作られた
す動機と木管によるイゾルデを表す
とされる。トリスタン=ワーグナー、
動機が組み合わされ、この 2 つの動
イゾルデ=マティルデ、マルケ王=
機が「トリスタン和音」
(ヘ ‒ ロ ‒
オットー(あるいはワーグナーの妻
嬰ニ ‒ 嬰ト)と呼ばれる、従来の音
ミンナか)と考えれば、
《トリスタ
楽の枠組みを超えた和音でつながれ
ン》は、作曲家が自己の体験と思想
ている(この全体を「憧憬の動機」
を音楽に封じ込めた自伝的な作品と
と呼ぶこともある)
。
「トリスタン和
して解釈することも可能であろう。
音」と呼ばれるこの 4 つの音の組み
Philharmony April 2015
Richard Wagner
Program
A
合わせはこれまで様々に解釈されて
まえの勧めに従ってイゾルデを娶っ
きたが、はっきりとした終止感を持
たのに、どうしてこうなってしまっ
たない響きによって、後年、20 世
たのか、という戸惑いのほうが際立
紀の音楽に多大な影響を与えたこと
つ。ふたりの愛を描く音楽とはまっ
は疑いがない。第 1 幕ではイゾルデ
たく異質の、低音で隈取られたオー
が、みずからの許嫁を殺したトリス
ケストレーションによって、その陰
タンに贖罪を迫る。そしてふたりは
鬱さはよりはっきりと聴き手に届く。
ともに毒杯をあおるものの、侍女ブ
第 3 幕では、メロートの剣をわ
ランゲーネによってすり替えられた
ざと受けたトリスタンが、その傷
媚薬を飲み、この世では成就し得な
を癒やすことのできるイゾルデの到
い、許されぬ愛に苦しむことになる。
着を待ちわびるが、その到着ととも
〈前奏曲〉冒頭は、この場面の音楽
に息絶えてしまう。イゾルデはこの
を、凝縮して再構成したものである。
世(昼)ではなく、あの世(夜)の
次から次へと「嵐のように高まる激
世界で結ばれる運命を〈愛の死〉で
情」は、決して終止することなく展
歌いあげ(今回は管弦楽版で演奏)
、
開する音楽によって描かれ、最高潮
そのままイゾルデも息絶える。
〈前
を迎えた瞬間、もとの「トリスタン
奏曲〉ではっきりとした解決を見せ
和音」へと戻ってしまう。そこには、
ることのなかった音楽は、2 小節ご
19 世紀を席巻したソナタ形式に典型
とに転調を繰り返す。ドラマの中で
的な、主題の発展と止揚という「進
は「昼」から「夜」への移行、現世
歩史観」は見られない。
からの離脱というキーワードで表象
第 2 幕、トリスタンとイゾルデの
されたふたりの愛は、やがて「宇宙
瀬を愉しむ
と一体」となり「おぼれて」いく、
が、その現場に家臣メロートに連れ
と歌いあげた後、ロ長調の主和音に
られたマルケ王が踏み込む。マルケ
よって、作品はようやく最終的な解
王が歌う〈それはほんとうか〉では、
決地点を見出すこととなる。
ふたりは人目を忍んで
裏切った妻と甥を責めるよりも、お
作曲年代:1857 ∼ 1859 年
初演:1865 年 6 月 10 日、ミュンヘン宮廷劇場、
指揮ハンス・フォン・ビューロー
楽器編成:前奏曲 フルート 3、オーボエ 2、
イングリッシュ・ホルン 1、クラリネット 2、
バス・クラリネット 1、ファゴット 3、ホルン 4、
トランペット 2、トロンボーン 3、テューバ 1、
ティンパニ 1、弦楽
「それはほんとうか」フルート 1、オーボエ
(広瀬大介)
2、イングリッシュ・ホルン 1、クラリネット 2、
バス・クラリネット 1、ファゴット 3、ホルン 4、
トロンボーン 3、弦楽、バス・ソロ
イゾルデの愛の死 フルート 3(ピッコロ 1)、
オーボエ 2、イングリッシュ・ホルン 1、クラ
リネット 2、バス・クラリネット 1、ファゴッ
ト 3、ホルン 4、トランペット 3、トロンボ
ーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、ハープ 1、
弦楽
Wagner
楽劇「トリスタンとイゾルデ」から
「それはほんとうか」 歌詞対訳
Tristan und Isolde ‒ Tatest du s wirklich?
対訳:広瀬大介
Translation: Daisuke Hirose
Marke
マルケ王
Tatest du’s wirklich?
Wähnst du das?
Sieh’ ihn dort,
den treu’sten aller Treuen;
blick’ auf ihn,
den freundlichsten der Freunde:
seiner Treue freiste Tat
traf mein Herz
mit feindlichstem Verrat!
Trog mich Tristan, sollt’ ich hoffen,
was sein Trügen mir getroffen,
sei durch Melots Rat
redlich mir bewahrt?
誠に そうなのか
Mir dies?
Dies, Tristan, mir?
Wohin nun Treue,
da Tristan mich betrog?
Wohin nun Ehr’ und echte Art,
da aller Ehren Hort,
da Tristan sie verlor?
Die Tristan sich zum Schild erkor,
wohin ist Tugend nun entflohn,
da meinen Freund sie flieht,
da Tristan mich verriet?
それは 余のことか?
Wozu die Dienste ohne Zahl,
der Ehren Ruhm, der Größe Macht,
die Marken du gewannst;
そなたがもたらした 数えきれぬ手柄
正気で 言うておるのか
誰よりも 忠義に仕えた
あやつを 見るがよい
よく見るのだ
誰よりも 親しき友を
その 忠義者の大胆不敵な行動で
わが心は 裏切りに傷ついた
トリスタンが 余を裏切った
傷ついた わが身を
メロートの注進が 救ったとでもいうのか
トリスタンよ 余に言うたのか?
そなたが 裏切るなら
信じられる者など もはやない
名誉 信義は どこへ消えた
あらゆる名誉の鑑 トリスタンが
名誉を 失うとは?
トリスタンこそは 名誉の守護神
今や 名誉は去り
わが友を棄てた
トリスタンが 裏切ったのか?
名誉 名声 強大な権力
何のために マルケに与えたのだ
Philharmony April 2015
ワーグナー
Program
A
musst’ Ehr’ und Ruhm,
Größ’ und Macht,
musste die Dienste ohne Zahl
dir Markes Schmach bezahlen?
Dünkte zu wenig dich sein Dank,
dass was du ihm erworben,
Ruhm und Reich,
er zu Erb’ und Eigen dir gab?
誉れと名声 威厳と権力
Dem kinderlos einst
schwand sein Weib,
so liebt’ er dich, dass nie aufs neu’
sich Marke wollt’ vermählen.
Da alles Volk zu Hof und Land
mit Bitt’ und Dräuen in ihn drang,
die Königin dem Lande,
die Gattin sich zu kiesen;
da selber du
den Ohm beschworst,
des Hofes Wunsch, des Landes Willen
gütlich zu erfüllen;
in Wehr wider Hof und Land,
in Wehr selbst gegen dich,
mit List und Güte
weigerte er sich,
bis, Tristan,
du ihm drohtest,
für immer zu meiden
Hof und Land,
würdest du selber nicht entsandt,
dem König die Braut zu frei’n.
わが后は 子を産まずに逝った
Da ließ er’s denn so sein,
Dies wundervolle Weib,
das mir dein Mut gewann,
wer durft’ es sehen, wer es kennen,
wer mit Stolze seines nennen,
ohne selig sich zu preisen?
Der mein Wille
nie zu nahen wagte,
der mein Wunsch
やむなく 余は認めた
そなたの手柄は すべて
マルケの恥で あがなえというのか
そなたへの 恩賞
そなたに与えた
名声 領土
与えた財では 足りぬと申すか
ために 余はそなたに目をかけ
二度と 后は娶らぬと誓った
だが 廷臣と民が
こぞって 我に迫った
王妃を 娶れ
妻を 選べと
ついには そなたまでが
叔父たる 余に
廷臣と 民の願いを
かなえよと 迫る
だが 廷臣と民
そなたにまで 逆らい
あの手この手で
願いを 退けた
すると そなたは
余を 脅しにかかった
この宮廷 国には
二度と 近づかぬと
願いを 聞き入れ
王の花嫁を得る使者に 遣わされぬならと
この 類い稀な女を
そなたは 勇敢にも勝ち得た
この女を 見知った男は
この女を 妻と呼べる男は
身の幸せを 誇らずにおれようか
余も 気がないではないが
あえて 近づきはしなかった
畏れ敬い
手を付けなかった
Nun, da durch solchen Besitz
mein Herz du fühlsamer schufst
als sonst dem Schmerz,
dort wo am weichsten, zart und offen,
würd’ ich getroffen, nie zu hoffen,
dass je ich könnte gesunden:
warum so sehrend, Unseliger,
dort nun mich verwunden?
Dort mit der Waffe quälendem Gift,
das Sinn und Hirn
mir sengend versehrt,
das mir dem Freund
die Treue verwehrt,
mein off’nes Herz erfüllt mit Verdacht,
dass ich nun heimlich
in dunkler Nacht
den Freund lauschend beschleiche,
meiner Ehren Ende erreiche?
この女を 得たために
Die kein Himmel erlöst,
warum mir diese Hölle?
Die kein Elend sühnt,
warum mir diese Schmach?
Den unerforschlich tief
geheimnisvollen Grund,
wer macht der Welt ihn kund?
天の神々すら 救えぬほどの
輝かしさと 気高さで
わが心を 慰めた女
危険を 顧みず
余にふさわしい花嫁を
そなたが もたらしたのだ
わが心は それまでよりも
傷つきやすくなった
その もっとも弱いところを
そなたは 傷つけた
もはや この傷は治るまい
呪われた そなたよ
なぜこれほどに 余を傷つける
そなたは 毒を塗った剣を振るい
わが 五感と脳を
焦がし 傷つけ
友への誠を 失わせ
わが心は 疑いに満ちた
いまや 余は
夜中に こそこそと
友のもとへ 忍び寄る有様
わが名誉も いまや地に墜ちた
地獄の苦しみを 与えるのか
どれほど苦んでも 追いつかぬ
これほどの恥を 与えるのか
底知れぬほど 深き
謎に満ちた その理由を
明らかにできる者など この世におるのか
Philharmony April 2015
ehrfurchtscheu entsagte,
die so herrlich hold erhaben
mir die Seele musste laben,
trotz Feind und Gefahr,
die fürstliche Braut
brachtest du mir dar.
Program
Richard Wagner
1813-1883
ワーグナー
楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
A
「親方たちの入場」
、ポーグナーのことば「あすは聖ヨハネ祭」
、
(第 1 幕への)前奏曲
《さまよえるオランダ人》以降の
主要なワーグナー作品において、純
粋に喜劇と呼びうる作品は本作だけ
である。だが、ワーグナー自身は決
して喜劇を避けてきていたわけでは
なく、むしろ早い時期から、悲劇で
ある《タンホイザー》と対にできる
ような喜劇作品の構想を持ち続けて
いた。これはワーグナーが終生の理
想としていたギリシャ悲劇の考え方
をもとにしている。
最初期の台本草稿は、その《タン
ホイザー》の成立と期を同じくする
1845 年 7 月に完成してはいたが、そ
の後に実際のマイスタージンガーた
ちの事績を調べたり、1849 年にお
きたドレスデンの三月革命により亡
命生活を余儀なくされたため、台本
の改訂は 1861 年まで続く。その翌
年に台本を書き上げ作曲に着手する
が、チューリヒを離れたワーグナー
は貧窮のどん底にあり、なかなか筆
は進まない。しかし 1864 年、バイ
エルン王国のルートヴィヒ 2 世がワ
ーグナーを自国に招いたことで状況
は一変。1867 年には無事音楽も完成
し、翌 1868 年 6 月にはミュンヘンで、
ハンス・フォン・ビューローの指揮に
よって初演された。
《トリスタンとイゾルデ》に比べ
ると小さなオーケストラ編成ではあ
ったが(ほとんど編成の変わらない
作品として、ベートーヴェン《交響
曲第 6 番「田園」
》がよく引き合い
に出される)
、その作品規模や、歌
手にかかる多大な負担を考えれば、
大劇場といえども、決して上演は易
しくないはずである。この作品がそ
の真価を認められるのは、中規模の
劇場での上演が続いた後のことであ
り、ウィーンやベルリンなどの大劇
場で上演されたのは 1870 年になっ
て以降のことだった。バイロイトで
の初演は 1888 年、ワーグナーが亡
くなって 5 年後である。
舞台設定は 16 世紀半ばのニュル
ンベルク。第 1 幕では、ニュルンベ
ルクへとやってきた、フランケンの
若い騎士ワルター・フォン・シュトル
チングが、金細工師ファイト・ポー
グナーの娘エヴァを見初め、ふたり
は恋におちる。だがエヴァはヨハネ
祭の日に行われる歌合戦で、その勝
者である「マイスタージンガー」の
妻として嫁がねばならない。この日
参集された会議では、マイスター
のひとり、フリッツ・コートナーが、
会議に出席する親方たちの出欠を確
ックスその人を讃える。
施している)
。ポーグナーは、なぜ
は、この作品全体を「要約」するか
自らの娘を嫁がせるという決定に至
ったのかをマイスター全員の前で説
明してみせる(
〈あすは聖ヨハネ祭〉
。
ここも作曲家自身の編曲による開始
部・終結部が用いられる)
。ワルター
はにわか仕込みで、
「マイスタージ
ンガー」の資格を得ようとするが、
同じくエヴァを狙っている市書記の
ジクストゥス・ベックメッサーの厳
しい判定で不合格となってしまう。
続く第 2 幕で、絶望したワルター
はエヴァを連れて駆け落ちしようと
試みるが、靴職人ハンス・ザックス
はこの企みを阻む。第 3 幕は聖ヨハ
ネ祭、歌合戦の朝。ワルターはザッ
クスの前で新しい歌を披露。その新
しさに耳を奪われたザックスは、歌
の規則を当てはめることで、新しい
時代の芸術が生まれると示唆。
歌合戦の行われるヨハネ祭の広場
で、ワルターは称号など要らないと
突っぱねるが、
「マイスタージンガ
ーの芸術に敬意を払え」と諭すザッ
クスの忠告を受け容れ、その場の全
員がマイスタージンガーの芸術とザ
作曲年代:1862 ∼ 1867 年
初演:1868 年 6 月 21 日、ミュンヘン宮廷劇場、
指揮ハンス・フォン・ビューロー
楽器編成:
「親方たちの入場」フルート 3、オ
ーボエ 2、クラリネット 2、ファゴット 2、ホ
ルン 4、トランペット 3、トロンボーン 3、テ
ューバ 1、ティンパニ 1、弦楽
ポーグナーのことば「あすは聖ヨハネ祭」フ
本作の〈第 1 幕への前奏曲〉で
のように、
(
《トリスタン》では意図
的に放棄した)全音階的なソナタ形
式の枠組みの中で作品世界の全体像
が語り尽くされる。冒頭に堂々と登
場するマイスターの動機(ハ長調)
が、ソナタ形式における提示部の第
1 主題とすれば、第 2 主題にあたる
のは騎士ワルターとポーグナーの娘
エヴァの愛を表す動機ということに
なるだろう。中間部となる展開部で
は、このマイスターの動機が木管に
よりおどけた調子で演奏され(変ホ
長調)
、書記官ベックメッサーの妨
害にもめげないふたりの愛の強さが
描かれる。再現部となる最後の部分
では、この愛の動機がマイスターの
動機によって下支えされながら多声
部の音楽として進行し、ふたりの愛
がザックスの自己犠牲、そしてマイ
スターとしてエヴァを愛することに
よって成就することが示される。本
作の〈前奏曲〉ではかなりの部分が
第 3 幕幕切れの音楽を踏襲しており、
長大な音楽の最初と最後を対称的に
結びつけている。 (広瀬大介)
ルート 2、オーボエ 2、クラリネット 2、ファ
ゴット 2、ホルン 4、トランペット 3、弦楽、
バス・ソロ
(第 1 幕への)前奏曲 フルート 2、ピッコロ
1、オーボエ 2、クラリネット 2、ファゴット
2、ホルン 4、トランペット 3、トロンボーン
3、テューバ 1、ティンパニ 1、シンバル、ト
ライアングル、ハープ 1、弦楽
Philharmony April 2015
認する(
〈親方たちの入場〉
。作曲家
自身が、歌の部分を省略した編曲を
Program
A
ワーグナー
楽劇「ニュルンベルクのマイスタージン
ガー」から
「あすは聖ヨハネ祭」
歌詞対訳
Wagner
Die Meistersinger von Nürnberg
‒Ansprache des Pogner:
Das schöne Fest, Johannistag
対訳:広瀬大介
Translation: Daisuke Hirose
Pogner
ポーグナー
Meister, bitt’ ich ums Wort.
Nun hört, und versteht mich recht!
Das schöne Fest, Johannistag,
ihr wißt, begehn wir morgen;
auf grüner Au’, am Blumenhag,
bei Spiel und Tanz im Lustgelag,
an froher Brust geborgen,
vergessen seiner Sorgen,
ein jeder freut sich, wie er mag.
Die Singschul’ ernst im Kirchenchor
die Meister selbst vertauschen;
mit Kling und Klang hinaus zum Tor,
auf offne Wiese ziehn sie vor;
bei hellen Festes Rauschen
das Volk sie lassen lauschen
dem Freigesang mit Laienohr.
Zu einem Werb- und Wettgesang
gestellt sind Siegespreise,
und beide preist man weit und lang,
die Gabe wie die Weise.
マイスターよ お聞きいただきたい
Nun schuf mich Gott
zum reichen Mann;
und gibt ein jeder, wie er kann,
so mußte ich wohl sinnen,
was ich gäb’ zu gewinnen,
daß ich nicht käm’ zu Schand’;
so hört denn, was ich fand.
神の恵みで 私は富を得た
私の話を聞き 正しくご理解を
ご存じの通り ヨハネ祭は
明日 開かれます
緑の野原に咲く 花の蔭
戯れ 踊るひとたちが
喜びに 胸高鳴らせ
憂いを 忘れ
思い思いに 愉しむ日
教会の合唱では しかめ面の
われらマイスターも
声響かせて 城門へ
広やかな野原へ 行くのです
祭りの喧噪のなかで
人々に 披露するのは
自由で 伸びやかな歌
歌競べに勝った歌手には
賞が与えられ
人々が 永く讃えるのは
その賞と 歌の調べ
持てるものは
喜捨するのが 倣い
その賞を何にするか
いろいろと 考えました
我が結論を お聞きあれ
ドイツを旅して
Daß wir im weiten deutschen Reich
die Kunst einzig noch pflegen,
dran dünkt ihnen wenig gelegen.
Doch wie uns das zur Ehre gereich’,
und daß mit hohem Mut
wir schätzen, was schön und gut,
was wert die Kunst, und was sie gilt,
das ward ich der Welt
zu zeigen gewillt;
drum hört, Meister, die Gab’,
die als Preis bestimmt ich hab’!
ドイツ広しといえど
Dem Singer, der im Kunstgesang
vor allem Volk den Preis errang,
am Sankt Johannistag,
sei er, wer er auch mag,
dem geb’ ich, ein Kunstgewog’ner,
von Nürenberg Veit Pogner,
mit all meinem Gut,
wie’s geh’ und steh’,
Eva, mein einzig Kind, zur Eh’!
人々の前で 芸術の名に値する
いつも 残念なのは
われら市民は ケチだという
評判を 聞かされること
宮廷でも 街中でも
ひどい評判は 聞き飽きた
市民が 愛するのは
暴利と金だけと
われらほど 芸術を大事にする街はないのに
ほとんど 知られていない
だが それこそわれらの誇り
志を高く掲げ
美と善を 護ろうではないか
芸術に重きを置く われらの思い
世に知らしめたいと 考えた
だからこそ 私が決めた賞を
皆様に 諮っていただきたい
優れた歌を 披露した歌手には
このヨハネ祭の日
それが 誰であろうとも
芸術を愛する この私
ニュルンベルクの ファイト・ポーグナーが
持てるすべての 財とともに
一人娘のエヴァを 嫁に与えよう!
Philharmony April 2015
In deutschen Landen viel gereist,
hat oft es mich verdrossen,
daß man den Bürger wenig preist,
ihn karg nennt und verschlossen.
An Höfen, wie an niedrer Statt,
des bittren Tadels ward ich satt,
daß nur auf Schacher und Geld
sein Merk der Bürger stellt’.
Program
Program
B
B
第 1807 回 サントリーホール
4/22[水]開演 7:00pm
4/23[木]開演 7:00pm
[指揮]
1807th Subscription Concert / Suntory Hall
22nd (Wed.) Apr, 7:00pm
23rd (Thu.) Apr, 7:00pm
ミヒャエル・ザンデルリング
[conductor] Michael
Sanderling
[ピアノ]
[piano]
[コンサートマスター]
[concertmaster]
ベルトラン・シャマユ
伊藤亮太郎
Bertrand Chamayou
Ryotaro Ito
シューマン
ピアノ協奏曲 イ短調 作品 54(31)
Robert Schumann (1810-1856)
Piano Concerto a minor op.54
Ⅰ アレグロ・アフェットゥオーソ
Ⅱ 間奏曲:アンダンティーノ・グラチオー
ソ
Ⅲ アレグロ・ヴィヴァーチェ
Ⅰ Allegro affettuoso
Ⅱ Intermezzo: Andantino grazioso
Ⅲ Allegro vivace
休憩 Intermission
ブルックナー
Anton Bruckner (1824-1896)
交響曲 第 4 番 変ホ長調「ロマンチック」 Symphony No.4 E-flat major
(70 )
“Romantische”
Ⅰ 動きをもって、速すぎず
Ⅱ アンダンテ・クワジ・アレグレット
Ⅲ スケルツォ:動きをもって―トリオ:速す
ぎず、決して引きずらないように
Ⅳ 終曲:動きをもって、しかし、速すぎず
Ⅰ Bewegt, nicht zu schnell
Ⅱ Andante quasi Allegretto
Ⅲ Scherzo: Bewegt – Trio: Nicht zu schnell,
keinesfalls schleppend
Ⅳ Finale: Bewegt, doch nicht zu schnell
Soloist
ベルトラン・シャマユ
Bertrand Chamayou
1981 年、トゥールーズ生まれ。
フランスの若手世代を代表するピア
リ管弦楽団、ロンドン・フィルハー
モニー管弦楽団、ロッテルダム・フ
ニストとして注目を浴びている。パ
リでジャン・フランソワ・エッセール
のもとで学び、その後ロンドンでマ
リア・クルシオに師事。20 歳でロン・
ティボー国際音楽コンクールに入賞
ィルハーモニー管弦楽団、フランス
国立管弦楽団他の著名オーケストラ
と共演を果たしている。
日本では 5 月に開催される音楽祭
「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」
場、ニューヨークのリンカーン・セ
ンター他に出演している。また、ピ
エール・ブーレーズ、レナード・スラ
ットキン、ネヴィル・マリナー、セ
ミ ョ ー ン・ビ シ ュ コ フ、 ア ン ド リ
ス・ネルソンスらの名指揮者や、パ
レコーディングでは老舗レーベル
と専属契約を結び、シューベルトの
《幻想曲「さすらい人」》他を収めた
アルバムをリリースしている。
N響とは今回が初共演となる。
(飯尾洋一/音楽ジャーナリスト)
を果たし、以後ロンドンのウィグモ
ア・ホール、パリのシャンゼリゼ劇
での度々の来日によって、その名を
一躍知られることになった。
Philharmony April 2015
©Richard Dumas
ピアノ
Program
Robert Schumann
1810-1856
シューマン
ピアノ協奏曲 イ短調 作品 54
B
ローベルト・シューマンの代表作
のひとつで、ピアノ協奏曲の歴史に
おいてフランツ・リストの 2 作品と
ともに 19 世紀前半の展開を総括す
る重要な作品である。
このジャンルの代表作が完成する
までのシューマンの道のりは、交響
曲の場合と同様に長かった。すでに
1827 年からピアノ協奏曲を試作し
ていたが、同年生まれのフレデリッ
ク・フランソワ・ショパンが 1830 年
までに 2 曲完成したのに対して、シ
ューマンの「研究」はさらに続く。
1833 年からはクララ・ヴィークがピ
アノ協奏曲に取り組む。未来の妻の
《ピアノ協奏曲》
(作品 7)は 1835 年
に初演され、1837 年に出版に至るが、
このイ短調(!)の作品にシューマ
ンは助言し続けた。1836 年からは、
自ら 1834 年に創刊した『音楽新報』
誌で同時代のピアノ協奏曲の批評を
展開。そして 1841 年、のちに作品
54 の第 1 楽章になったと考えられる
《幻想曲》が成立、これが 1845 年に
3 楽章構成に拡大されて《ピアノ協
作曲年代:1841 年、1845 年、改訂 1853 年
初演:1845 年 12 月 4 日、ドレスデン、フェル
ディナント・ヒラー指揮、クララ・シューマン
のピアノ・ソロ
奏曲 イ短調》となり、クララによっ
て初演され、翌 1846 年にライプツ
ィヒでパート譜が公刊された(スコ
アは 1862 年刊)
。
「ピアノ協奏曲へ
の道」は、常にクララという同伴者
との共同作業であった。
興味深いのは 1841 年の《幻想曲》
、
つまりのちの第 1 楽章(アレグロ・
アフェットゥオーソ イ短調 4/4 拍
子)の展開部が「アンダンテ」とな
っていることである。そこでは楽章
冒頭から繰り返される有名な「クラ
ラの動機(ハ ‒ ロ ‒ イ ‒ イ)
」が響
くが、他の部分とは異なるテンポと
性格なので、短い緩徐楽章の挿入と
も聞こえる。彼はここで、同じ変
イ長調で書かれた、クララの作品 7
第 2 楽章を当然意識していただろう。
第 2 楽章「間奏曲」
(アンダンティ
ーノ・グラチオーソ ヘ長調 2/4 拍子)
の末尾には再び「クララの動機」が
聞 こ え、 こ れ が 第 3 楽 章( ア レ グ
ロ・ヴィヴァーチェ イ長調 3/4 拍子)
を導き、この華やかな楽章が全体を
締めくくる。 (小岩信治)
楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ
ット 2、ファゴット 2、ホルン 2、トランペッ
ト 2、ティンパニ 1、弦楽、ピアノ・ソロ
1824-1896
ブルックナー
交響曲 第 4 番 変ホ長調「ロマンチック」
ブルックナーの《交響曲第 4 番》
ー開始 (ブルックナーの交響曲の
は様々な改訂作業を経た後、1881 年、
特徴である弦のトレモロによる開
ハンス・リヒター指揮のウィーン・フ
始)から、ホルン独奏の第 1 主題が
ィルハーモニー管弦楽団によって初
登場。
「中世のリンツの教会の塔か
演され大成功を収めた。その練習終
ら朝を知らせるラッパが吹かれる」
。
了後の逸話は、ブルックナーの素朴
夜が明けるようにクレシェンドした
な人柄を伝える微笑ましいものであ
後、 ブルックナー・リズム (ブル
る。リヒター自身の話を引用しよう。
ックナーが好んで用いた 2 連符+
「交響曲が終わるとブルックナー
3 連符のリズム)の副楽想が登場す
は私のところにやってきた。彼は感
る。
「目覚めた町の門が開かれ、馬
激と幸せで輝かんばかりだった。す
に乗った騎士たちが野外へと駆け出
ると彼が、私の手になにかを押しつ
す」
。2 つの旋律が同時に歌われる第
けたのを感じた。
『これを取って下
2 主題は、ブルックナーが生まれ故
さい』と彼は言った。
『そして私の
郷の上部オーストリアでよく聴いた
健康のためにビールを一杯飲んで下
「チチチッ」というヤマガラの鳴き
さい』
」
。リヒターはこの銀貨を、純
声に由来している。ホルンとテュー
真な巨匠の思い出のために、時計の
バなどが力強くブルックナー・リズ
鎖に付けて持ち歩いたという。
ムを吹き下ろすと、それが第 3 主題
ブルックナーの最初の成功作とな
である。ティンパニによる最弱音の
った《交響曲第 4 番》の特徴は、彼
トレモロからおもむろ始まる展開部
自身が付けた「ロマンチック」とい
は、まさに「ロマンチック」
。堂々
う副題が雄弁に語っている。そこに
たる金管のコラールで締めくくられ
は自然への憧れ、
「遠い昔」への郷
る。再びティンパニが最弱音で奏す
愁、神秘的幻想などが込められてお
るトレモロを合図に第 1 主題が登
り、時代を超えて、私たちをそうし
場すると、そこからが再現部。コー
た世界へと誘ってくれる。作曲者自
ダ(結尾部)も第 1 主題を素材とし、
身が語ったという言葉を引用しつつ、
長いクレシェンドで楽章を感動的に
全楽章を見てみよう。
締めくくる。
第 1 楽章は 3 つの主題に基づい
第 2 楽章は 2 つの主題によるソ
いる。朝霧を思わせる ブルックナ
る寂寥たる楽想で、コラール風の間
た大規模なソナタ形式で構成されて
ナタ形式。第 1 主題はチェロが奏で
Philharmony April 2015
Anton Bruckner
Program
奏のあと、総休止を経てヴィオラが
開始する第 2 主題のラメントと対応
している。展開部では新しい楽想の
導入もあって盛り上がるが、再現部
B
からは再び寂寥感が支配し、金管に
よる第 1 主題の咆哮もかえって孤独
な心象風景をえぐり出すのみだ。シ
ューベルトの影響から出発しながら、
ブルックナーはまさに彼のみが描き
得る世界に到達している。
第 3 楽章はスケルツォである。
「狩
の情景」である主要部では、ブルッ
クナー・リズムによるホルンの響き
が、そうした情景をみごとにあらわ
している。中間部のトリオについて
ブルックナーは「狩の昼休みにおけ
る踊りの旋律」と自筆譜に記入して
いる。
第 4 楽章は、ふたたび 3 つの主題
による壮大なソナタ形式。弦のトレ
モロによる 42 小節の序奏が長いク
レシェンドをやり遂げると、全オー
ケストラの斉奏による第 1 主題の登
場である。さらに第 1 楽章の第 1 主
題が金管で奏され、いったん静まる
と、第 2 主題部が始まる。これはハ
長調の主楽想と、フルートとクラリ
ネットによる第 2 楽想、さらにそれ
に続くヴァイオリンによるト長調の
第 3 楽想の 3 素材からなり、まこと
に多彩である。その平和は突然、全
オーケストラの強奏で破られる。そ
れが第 3 主題である。展開部では
第 2 主題部の第 2 楽想がコラール的
に扱われたり、その主楽想が転回形
(上下逆の音型)で用いられたりと、
巧みな作曲技法が凝らされている。
再現部は、第 1 主題によっていきな
り開始されるが、第 3 主題は用いら
れず、序奏のホルンの動機の転回形
によるコーダに入り、長い盛り上が
りを見せたのち、第 1 楽章の第 1 主
題を高らかに奏しながら、
《交響曲
「ロマンチック」
》の幕が下ろされる。
ブルックナーはこの素晴らしいコー
ダを「ロマン主義の白鳥の歌」と呼
んでいる。
( 口 一)
*今回の使用楽譜は 1878/80 稿に基づくハース版だが、指揮者が他の版を参照するな
どして、独自に手を加えている。
作曲年代:1874 年 11 月 22 日(第 1 稿)完成、
その後、1878 ∼ 1880 年にかけて改訂を重ね
る
初演:1881 年 2 月 20 日、ウィーンにて、ハン
ス・リヒター指揮のウィーン・フィルハーモニ
ー管弦楽団によって
楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ
ット 2、ファゴット 2、ホルン 4、トランペッ
ト 3、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパ
ニ 1、弦楽
第 1806 回 NHKホール
4/17[金]開演 7:00pm
4/18[土]開演 3:00pm
[指揮]
C
1806th Subscription Concert / NHK Hall
17th (Fri.) Apr, 7:00pm
18th (Sat.) Apr, 3:00pm
ウラディーミル・フェドセーエフ
[conductor] Vladimir
Fedoseyev
[ピアノ]
[piano]
[コンサートマスター]
[concertmaster]
アンナ・ヴィニツカヤ
篠崎史紀
Anna Vinnitskaya
Fuminori Shinozaki
ラフマニノフ
ヴォカリーズ(7 )
Sergei Rakhmaninov (1873-1943)
Vocalise
ラフマニノフ
Sergei Rakhmaninov
ピアノ協奏曲 第 2 番 ハ短調 作品 18
Piano Concerto No.2 c minor op.18
(35 )
Ⅰ モデラート
Ⅱ アダージョ・ソステヌート
Ⅲ アレグロ・スケルツァンド
Ⅰ Moderato
Ⅱ Adagio sostenuto
Ⅲ Allegro scherzando
休憩 Intermission
リムスキー・コルサコフ
Nikolai Rimsky-Korsakov (1844-1908)
交響組曲「シェエラザード」作品 35
“Schéhérazade”, sym. suite op.35
(46 )
Ⅰ
Ⅱ
Ⅲ
Ⅳ
海とシンドバッドの船
カレンダー王子の物語
若い王子と王女
バグダッドの祭り 海 船は青銅の騎士
のある岩で難破 終曲
Ⅰ
Ⅱ
Ⅲ
Ⅳ
La mer et le vaisseau de Sindbad
Le récit du prince Kalendar
Le jeune prince et la jeune princesse
Fête à Bagdad. La mer. Le vaisseau se brise
contre un rocher présentant l’aspect d’un
guerrier d’airain. Conclusion
Philharmony April 2015
Program
Soloist
©Gela Megrelidze
Program
ピアノ
アンナ・ヴィニツカヤ
C
Anna Vinnitskaya
1983 年、ピアニストの両親のも
とロシアのノヴォロシースクに生ま
たし、2009 年の来日公演はNHK
で放送された。これまでにロイヤ
エリーザベト王妃国際音楽コンクー
ルでは圧倒的な評価を得て優勝。翌
著名指揮者と共演。
母校のハンブルク音楽大学の教授
れる。母親の手ほどきにより 6 歳
からピアノを始め、セルゲイ・ラフ
マニノフ音楽院高等部、ハンブルク
音楽大学にて学んだ。国内外のコン
クールで優勝経験を重ね、2007 年
2008 年、ラン・ランなどが過去に受
賞したバーンスタイン賞を受賞した。
ドイツを拠点に欧米、南米、アジ
ア各国で公演を行う。2007 年には
トッパンホールで東京デビューを果
ル・フィルハーモニー管弦楽団、北
ドイツ放送交響楽団、スイス・ロマ
ンド管弦楽団等の楽団、シャルル・
デュトワ、ウラディーミル・フェド
セーエフ、ピエタリ・インキネンら
に 26 歳という若さで就任した。ラ
ヴェルのピアノ作品集など 3 枚のア
ルバムが高く評価されている。
N響とは今回が初共演。
(飯田有抄/音楽ライター)
1873-1943
ラフマニノフ
ヴォカリーズ
ラフマニノフの代表曲のひとつ
《ヴォカリーズ》は、もともとは《ソ
プラノとピアノのための歌曲集》
(作品 34)の最終曲である。ヴォカ
リーズとは歌詞を伴わずに母音だけ
で歌う歌唱法を意味する。
作曲時期については文献によって
混乱が見られるが、最終的に 1915
年 9 月に原曲の決定稿ができたとさ
れ、曲はアントニーナ・ネジダーノ
ヴァに献呈された。ラフマニノフは
この名ソプラノ歌手に絶大な信頼を
寄せていた。
「この作品には歌詞が
なくて残念」と言うネジダーノヴァ
に対し、ラフマニノフは「あなたは
他の人が言葉で表現するよりもずっ
とうまく、豊かに、声と歌ですべて
を表現できるではないですか。それ
なのになぜ歌詞が必要なのです」と
答えたという。作曲の途中でラフマ
ニノフは何度も彼女に相談し、2 人
で演奏しながら細部を詰めたと言わ
れ、曲にはかなりネジダーノヴァの
助言が反映されている。
1916 年 2 月の初演はソプラノ+オ
ーケストラ伴奏版で行われたが、そ
作曲年代:原曲のソプラノとピアノ伴奏版は
1915 年 10 月 4 日(旧ロシア暦 9 月 21 日)(決
定稿)
、オーケストラ版は 1919 年
初演:ソプラノ+オーケストラ版は 1916 年 2
月 7 日(旧ロシア暦 1 月 25 日)
、ネジダーノ
の成功を受けてラフマニノフは 1919
年にさらにオーケストラ単独版へと
編曲した。現在では原曲のソプラノ
独唱やオーケストラ以外にも様々な
独奏楽器によって広く演奏される。
なお、歌詞を伴わないヴォカリー
ズの作曲は、詩から意味を解放しよ
うとしていた当時の芸術潮流である
ロシア象徴主義の志向に呼応してい
たと指摘されることもある。ラフマ
ニノフ以外にストラヴィンスキーや
グリエール、メトネルらも優れたヴ
ォカリーズ作品を 20 世紀前半に残
しており、ロシア声楽史の観点から
も興味深い。
曲は連続する和音による伴奏で始
まり、憂いを含む旋律が流れ始める。
これはラフマニノフが好んだグレゴ
リオ聖歌《怒りの日》の引用と言う者
もいる。この伴奏と旋律が動く中で、
時折対旋律が絡んでいく様は、バロ
ックの声楽曲を思い起こさせる。静
かな哀調が基調となるが、抑制され
つつも深い激情を秘めた世界を通過
し、曲は冒頭と同じ連続する和音と
共に静かに消えていく。
(高橋健一郎)
ヴァ独唱、クーセヴィツキー指揮、モスクワ
にて。オーケストラ版は不明
楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、イングリ
ッシュ・ホルン 1、クラリネット 2、ファゴッ
ト 2、ホルン 2、弦楽
Philharmony April 2015
Sergei Rakhmaninov
Program
Sergei Rakhmaninov
1873-1943
ラフマニノフ
ピアノ協奏曲 第 2 番 ハ短調 作品 18
C
期待の若手作曲家として華やかな
デビューを飾るはずだったラフマ
ニノフの《交響曲第 1 番》の初演
(1897 年)は、その後数年間の創作
上の停滞を招いてしまうほどの大失
敗に終わる。その後、著名な精神科
医ニコライ・ダーリ博士の催眠療法
を受けて徐々に回復し、この《協奏
曲》の大成功によって作曲界に見事
カムバックを果たす。本作品の作曲
の経緯はいかにもロマンチックだが、
それに負けないほど、この協奏曲独
特の美しさは際立っている。だがい
かにも自然に魂から流れ出たように
独特の旋律で、オーケストラのみで
提示されるのに対し、第 2 主題はピ
アノ独奏が分担することで各々の対
照性が際立つ。緻密な動機展開を経
て第 1 主題は重々しいマーチで再現
され、第 2 主題は弦楽器のトレモロ
を背景にしたホルン独奏が寂々と奏
する。古典派のような独立したカデ
ンツァはない。
第 2 楽章 アダージョ・ソステヌー
ト ホ長調 4/4 拍子。弦楽器による冒
頭部分は尊敬するチャイコフスキー
の《交響曲第 5 番》第 2 楽章へのオ
マージュだろうか。3 部形式ながら、
聞こえる音楽こそ、実は才能と技術
中間部の訴えかけるような主題は、
第 1 楽章 モデラート ハ短調 2/2 拍
ノとオーケストラが一体化したコー
の賜物なのだ。
主部の旋律から発展したもの。ピア
子。ソナタ形式。ピアノ独奏から開
ダの繊細な美しさは無類だ。
始される協奏曲といえばベートーヴ
第 3 楽章 アレグロ・スケルツァンド
ェンの《第 4 番》が有名だが、こち
ハ短調∼ハ長調 2/2 拍子。対照的な
らではラフマニノフ自身の《前奏曲
2 つの主題(第 1 楽章各主題と動機
「鐘」
》の終結部の引用が、まるで叙
的に対応している)が交替しながら
事詩の始まりを告げるモノローグの
発展する自由な形式。ピアノの上か
ような効果を上げる。第 1 主題は短
ら下まで縦横無尽に駆け巡る華やか
い節回しを呟くように繰り返しなが
ら次第に成長していくラフマニノフ
作曲年代:1900 年∼ 1901 年 4 月
初演:1901 年 11 月 9 日(旧ロシア暦 10 月 27 日)
、
作曲者自身の独奏、アレクサンドル・ジロティ
指揮、モスクワ・フィルハーモニー協会交響楽
演奏会にて
なカデンツァが、壮大華麗な第 2 主
題の再現を導きだす。 (千葉 潤)
楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ
ット 2、ファゴット 2、ホルン 4、トランペッ
ト 2、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパ
ニ 1、大太鼓、シンバル、弦楽、ピアノ・ソロ
1844-1908
リムスキー・コルサコフ
交響組曲「シェエラザード」作品 35
19 世紀ロシア音楽のアカデミズム
紀の興行師ディアギレフ率いるロシ
を牽 引 した作曲家ニコライ・リムス
ア・バレエ団の公演で取り上げられ、
キー・コルサコフの《シェエラザー
これらの舞台は「異国情緒あふれる
ド》は、インド・イラン起源の説話集
幻惑的なロシア」の象徴としてロシ
『千一夜物語』にもとづく管弦楽曲。
ア性のアピールに大いに貢献した。
おそらくこの作曲家の作品のなかで
ここでのロシア性とはすなわち、西
最も演奏頻度の高い楽曲といえる。
洋化から抜け出し、独自路線を獲得
そしてこの作品は、ロシア人作曲家
したロシア性である。
ボロディン(1833 ∼ 1887)のオペ
本来、他者たる東洋趣味をロシア
ラ《イーゴリ公》
、なかでも特に有
性に織り交ぜて国外にアピールす
名な〈ダッタンの娘たちの踊り〉と
る仕掛けは、このように当初ロシ
いくつかの共通項をもっている。
ア人によって企図されたようであ
ボロディンが 1887 年に急死した後、
る。1899 年 3 月にもブリュッセルで、
リ ム ス キ ー・コ ル サ コ フ は 直 ち に
《シェエラザード》や《イーゴリ公》
《イーゴリ公》の草稿を集め、同じ
からのいくつかの「踊り」を始めと
くロシアの作曲家グラズノフ(1865
するロシア人作曲家の作品が、ボリ
∼ 1936)とともに補完作業を始めた。
ス・ヤノフスキー指揮による演奏会
本作《シェエラザード》は、この作
で取り上げられている。リハーサル
業過程で着想を得た作品なのである。
に居合わせたリムスキー・コルサコ
《シェエラザード》の「シェエラ
フは、
「どこに向かおうとしている
ザードの主題」と《イーゴリ公》の
のでしょう! すべてが東洋音楽で
〈ダッタンの娘たちの踊り〉の主題
す」と選曲に憤慨し、その様子をソ
はよく似ており、たとえば両旋律と
プラノ歌手ナジェジダ・ザベーラ・ブ
も、短音階の下行音型からなる旋律
ルーベリに書簡で伝えている。
を、隣り合う音同士が行きつ戻りつ
結局ディアギレフが踏襲したこと
しながら装飾する。これによって生
で、ロシア性をアピールするこうし
まれる艶かしい調べが、一度聴いた
ら忘れないような官能的な東洋趣味
を聴く者の耳に植え付けている。
ま た 1909 年 に《 イ ー ゴ リ 公 》
、
1910 年に《シェエラザード》が、世
た路線は決定的なものとなった。そ
してこの路線がヨーロッパ諸国で大
いに受け、ロシア音楽受容は加速し
ていったのである。
《シェエラザー
ド》はこの流れにおける重要な布石
Philharmony April 2015
Nikolai Rimsky-Korsakov
Program
のひとつであった。
さて《シェエラザード》は交響組
曲というジャンルで書かれているが、
交響曲と交響詩を折衷したような形
C
をとる。4 楽章からなる一方、作品
全体にわたって構想(プロット)を
もつ標題音楽でもある。以下はリム
スキー・コルサコフが演奏会プログ
ラムに記した作品の構想である。王
妃の不貞を知り女性不信になったシ
ャフリアール王は王妃を処刑し、そ
の後は若い乙女と一夜を共にしては
翌朝に殺害するという暴君ぶりをく
り返していた。やがて次の花嫁に名
乗り出たシェエラザードは、夜ごと
「今日はここまで」と言って王にさ
まざまな物語を聞かせる。続きを聞
体にわたり登場する。説話の具体的
な展開との一致こそ観られないもの
の、ふたりがさまざまな物語世界を
旅する様子が描かれる。
第 1 楽章 ラルゴ・エ・マエストーソ。
展開部のないソナタ形式。序奏冒頭
に荒々しい暴君「シャフリアールの
主題」
、続いて独奏ヴァイオリンに
よる艶っぽい「シェエラザードの主
題」が流れる。主部に入ると大洋の
浪間が広がるような音型が広がり、
やがて海洋を旅する「シンドバッド
の主題」が朗々と奏でられていく。
第 2 楽章 レント。3 部形式。冒頭で
「シェエラザードの主題」が新しい
物語の始まりを告げる。やがて滑稽
な道化者カレンダー王子の主題がフ
きたい王はシェエラザードを生かし
ァゴットによって奏される。
続け、千一夜経つ頃にはついに殺害
第 3 楽章 アンダンティーノ・クワジ・
することを止めてしまった──。
アレグレット。3 部形式。中間部の
作曲家の自伝『わが音楽生涯の年
冒頭で「シェエラザードの主題」が
代記』によると、各楽章は次の物語
顔を見せる。
にもとづく:第 1 楽章「海とシンド
第 4 楽章 アレグロ・モルト。さまざ
バッドの船」
、第 2 楽章「カレンダ
まな主題が走馬灯のように流れる。
ー王子の物語」
、第 3 楽章「若い王
冒頭で「シャフリアールの主題」が
子と王女」
、第 4 楽章「バグダッド
荒々しく現れ、
「シェエラザードの
の祭り 海 船は青銅の騎士のある
主題」が続く。そして細かな舞踊の
岩で難破 終曲」
。そして「シャフ
リアールの主題」と「シェエラザー
ドの主題」は循環主題として作品全
作曲年代:1888 年
初演:1888 年 11 月 3 日(ロシア旧暦 10 月 22 日)
、
リムスキー・コルサコフ指揮、サンクトペテル
ブルク、ロシア音楽協会
楽器編成:フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ
2
(イングリッシュ・ホルン 1)、クラリネット 2、
リズムに乗って、祝祭の旋律が賑や
かに反復されながら、徐々にはげし
さを増してゆく。 (中田朱美)
ファゴット 2、ホルン 4、トランペット 2、ト
ロンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、シ
ンバル、大太鼓、サスペンデッド・シンバル、
タムタム、トライアングル、小太鼓、タンブ
リン、ハープ 1、弦楽
《幻想曲》から《ピアノ協奏曲》へ
2 つの開始、2 人のシューマン
文
藤本一子
鮮烈なオーケストラの強音とピア
訂正のあとがみられる。
《ピアノ協
ノの華麗なほとばしり、それに続く
奏曲》の第 1 楽章が《幻想曲》
(単
叙情的な旋律のよどみない流れ──
一楽章の小協奏曲)をもとに改訂作
楽曲が始まるこの瞬間は、シューマ
曲されたことは今ではよく知られて
ンの《ピアノ協奏曲》の魅力を最も
いるが、その状況がこの自筆譜にお
よく伝えるものだろう。だがほかな
いて確認されるのである。改訂個所
らぬその開始音がもとは異なってい
は細部も含めると少なくないが、こ
た。自筆譜をご覧いただきたい。上
こでは開始部分に絞って紹介し、そ
2 段にドレスデンの写譜家メーナー
の意味を考えてみたい。
が筆写したピアノパート、下段にシ
ューマンの手でオーケストラ譜が書
《幻想曲》─詩的な小協奏曲
かれている。写真ではわかりにくい
ピアノとオーケストラのための
が、オーケストラの開始は最初、休
《幻想曲 Phantasie》が作曲されたの
符だったものが 8 分音符に書き直さ
は 1841 年 ラ イ プ ツ ィ ヒ。
《交響曲
れ、ピアノパート第 3 小節最後にも
第 1 番》
( 作 品 38) に 続 い て《 序
《幻想曲/ピアノ協奏曲第
1 楽章》自筆譜第 1 ページ
E. Burger. Schumann ,
Schott 1998 より。自筆
譜:ハイネ研究所所蔵( ド
イツ、デュッセルドルフ)
©1999 SCHOTT MUSIC,
Mainz - Germany
Reprinted by permission of
Schott Music GmbH & Co. KG
Philharmony April 2015
シリーズ 名曲の深層を探る 第 25 回
名
曲
の
深
層
を
探
る
曲、スケルツォとフィナーレ》
(作
品 52)とほぼ同時期に構想され、5
月 20 日には、創作メモを兼ねた家
計簿に「完了。とても晴れやか」と
ある。その直後に“交響的幻想曲
Symphonistische Phantasie”
(
《交響曲
第 4 番》の初稿)が着手されるから、
オーケストラの領域であいついで 2
つの“幻想的”作品が書かれたこと
がわかる。いずれも区切りなく演奏
するよう指示された革新的な形式を
目指したものだった。
「やがてこの曲は聴衆を最高に満足
させるに違いない。ピアノとオーケ
ストラはこの上なく繊細により合わ
され、お互いに片方なしには考えら
れない」
(8 月の日記)
。しかしこの
あと作品は手直しを交えて 6 つの出
版社と交渉がなされるものの、結局、
楽譜の状況が整わず出版に至らなか
った。
《幻想曲》と《ピアノ協奏曲》の開
始の仕方
シューマンにおいては伝統的な形
あらたに 3 楽章のピアノ協奏曲が
式に詩性を注ぐことが課題で、その
着手されるのはドレスデンに移住し
根源に“幻想(ファンタジー)
”が
て半年後の 1845 年 6 月。伝統ある
あった。若いシューマンは次のよう
シュターツカペレの活動に触れ、対
に書いている。
「自由なファンタジ
位法の研究を通して創作意欲が回復
ーの中では音楽における最高のも
してきた時期であった。作曲は第 3
のがひとつとなっている。叙情的な
楽章から逆に行われ、7 月末に第 1
ものと自由な拍子が交代する拍節法
楽章が改訂作曲されたあと、最後に
だ」
(1828 年 8 月 13 日の日記)
。こ
第 2 楽章と第 3 楽章を結ぶ独創的な
の想念は《幻想曲》の冒頭にも脈動
移行部が生まれた。
している。だがおきまりの拍子に拘
それでは第 1 楽章の開始部分を
束されるのを拒む一方、各パートは
《幻想曲》と比較してみよう。ポイ
じつに密度濃く織りなされている。
ントは、①オーケストラの開始と、
《幻想曲》が 8 月 13 日に試演された
②独奏ピアノの流れである。譜例 1
とき、妻クララはこう感想を記した。
譜例 1 《幻想曲》
(改訂前)
をご覧いただきたい。上段がピアノ、
冒頭は休符。聴き手に拍子感が与
えられないまま、ピアノと弦が 16
分音符で飛び込んで開始。直ちに管
楽器が加わり、全オーケストラがイ
短調の属音「ホ音」をファンファー
レ風に鳴らすなか、ピアノが華麗な
技巧を披露する。オーケストラは上
声部がピアノの最高音より 1 オクタ
ーヴ低いためにほの暗く、なかでも
ホルンの響きは遠方に呼びかける暗
示的な機能を感じさせる。注目され
るのはピアノとオーケストラが不協
和音程で何度か衝突することだ(↕
印のところ)
。とくに耳に残るのが 2
番目の和音。枠組みを提示するオー
ケストラの「ホ音」とピアノの最高
音「ヘ音」が短 9 度(短 2 度)音程
でぶつかり、くすんだ緊張感が漂う。
ピアノは 2 小節目でオーケストラか
ら解放され、一気に低音域まで駆け
下りて流れを締めくくる。
このように《幻想曲》の開始は、
音響構造の点で実験的で暗示的であ
り(C. マクドナルド)
、その点でロ
マン的である。音楽の実質を主和音
ではなく属音のもとで開始する方法
は他にもみられるが、とりわけ直後
譜例 3 《ピアノ協奏曲》(改訂後)
譜例 2
“交響的幻想曲”
(
《交響曲第 4 番》の初稿)
の“交響的幻想曲”に共通し、主題
の動きも類似している(譜例 2)
。
改訂後の《ピアノ協奏曲》
(譜例
3)では全オーケストラが「ホ音」
を力強く鳴らして開始(★印のとこ
ろ)
。
《幻想曲》で 2 小節に及んでい
たオーケストラのファンファーレが
消され、冒頭 8 分音符ひとつに凝
縮された。音響面でもフルートとヴ
ァイオリンが独奏ピアノの最高音と
同じ高音で輝き、楽曲の開始をきっ
ぱり告知する。これに呼応して独奏
ピアノが華やかに単独で登場。即興
的な雰囲気で低音域へと駆け下りる。
だが突然、1 オクターヴ上に跳躍し
て締めくくる。この効果は大きく、
ここで音楽の流れに明快な区切りが
与えられることになった。ピアノと
オーケストラが同時に響き合う空間
から、ドラマ的対話の構造へと変化
したのである。ちなみに後続部にお
いても、幾つかオーケストラパート
の一部が削除され、独奏ピアノが明
Philharmony April 2015
下段がオーケストラの主要音である。
名
曲
の
深
層
を
探
る
快に響くよう改訂されている。
叙情的な主題旋律の意味は─
このあとに続くのが、語りかける
ような叙情的な主題である。シュ
ーマンは少年の頃から音楽の 暗号
学 Kryptographik に関心を寄せ、人
名や地名を音楽化して器楽曲に用い
てきた。これにならうならこの主題
は「ダーヴィト同盟員」としてのク
ララの名前 キアリーナ が音楽化
一瞬にすぎない。だが作品の冒頭は
音楽の本質を映し出すものであろう。
ここで暗示的ロマン的なものから明
快な古典的なものへの改訂が確認さ
れるとき、シューマンの活力ある新
しい息吹が実感されるように思われ
る。それは 1846 年という時代の要
請でもあった。
ただし、もとになった《幻想曲》
が完成作品として存在したことを忘
れてはならない。シューマンその人
HIA
されたものと解釈される[C
― ―
―
がその完成を喜び、出版を切望し続
律の洗練度において、以前の器楽
とつの実質を有する複数の稿は少な
=ハ・ロ・イ・イ]
。ただし旋
RINA
―
けたことを。シューマンの場合、ひ
曲とは格段の開きがある。
《幻想曲》
くない。背景は多様だがそれぞれに
の前年(1840 年)
、シューマンは約
130 曲の歌曲創作を通して、詩の言
葉を内包する旋律を作り出してきた
から、おそらくその経験を得て、語
りを内にもつ自然な旋律法が練成さ
れたのであろう。
では 2 つの開始に応じて、主題旋
律はそれぞれどのように聞こえてく
るだろうか。
《幻想曲》では、中音
域のファンファーレと不協和音に応
えるかのように、主題旋律はややメ
ランコリックで、内的情感とともに
語りかけるように感じられる。一方、
《ピアノ協奏曲》では、オーケスト
ラによる後景(不安や緊張の要素)
が取り払われ、もはや主題旋律は新
固有の美的価値が備わっており、お
そらくシューマン自身がそのことを
認めている。最終稿をひとつの決定
稿とみなさず、状況に応じて複数の
稿を存在させる姿勢は近代的な創作
方法を示すものではないだろうか。
シューマンにおいて複数稿を聴くこ
とは作品のもうひとつの魅力をたず
ねることであり、近代的な創作者と
してのシューマンを知ることにつな
がるのである。
なお付言するなら、自由な小協奏
曲は以後も革新的な構想を実現する
場であり続け、1849 年には《序奏と
アレグロ・アパッショナート》
(作品
92)の名作も生まれている。
しい時空間から独自に“主題”とし
て語りかけるように感じられる。
2 つの開始が伝えるもの
以上は、演奏時間にすればほんの
藤本一子(ふじもと・いつこ)
専門は 19 世紀の西洋音楽史、とくにR . シュー
マンの音楽。著書に『シューマン』
(作曲家・人と
作品シリーズ)
。
5 月の定期公演は、AプロではN
響定期久々の登場となるフィンラン
ドのユッカ・ペッカ・サラステ、B・
Cプロではアメリカの名匠デーヴィ
ッド・ジンマンの 2 人のベテラン指
揮者が、個性的なソリストを迎えて
多彩なプログラムを披露する。
サラステが描き出す
シベリウスの叙情あふれるAプロ
2004 年 5 月定期以来のサラステは、
の 1979 年ブタペスト生まれのクリ
ストフ・バラーティは、ロン・ティボ
ー国際音楽コンクール第 2 位をは
じめ、その実力は折り紙つきである。
ヨーゼフ・シゲティまでさかのぼる
ハンガリーの伝統を受け継ぎながら、
高度な技巧で端正な演奏を聴かせる
バラーティとN響は初共演となる。
名匠ジンマンが
3 回目となるN響定期に登場
長らくフィンランド放送交響楽団の
2009 年 1 月、2013 年 1 月 に 続 い
指揮者を務めた後、現在はケルンW
てN響定期 3 回目の登場となるジ
DR交響楽団(旧称:ケルン放送交
ンマンは、昨年まで音楽監督を務め
響楽団)の首席指揮者として活躍す
たチューリヒ・トーンハレ管弦楽団
る。オーケストラから清々しく繊細
とのマーラーやベートーヴェンの交
な音を引き出すことに定評があるが、
響曲全集の録音で話題を集めるなど、
Aプロでは祖国の作曲家シベリウス
ドイツ・オーストリアの作品を得意
の名曲を取り上げる。劇音楽として
としてきた。今回は、その「ドイツ
作曲された《クオレマ》からは、鶴
もの」と、ジンマンのまた別の魅力
の鳴き声を音楽に映した〈鶴のいる
が示される「フランスもの」の 2 つ
情景〉
、
〈カンツォネッタ〉
、そして
のプログラムが用意された。
有名な〈悲しいワルツ〉の 3 曲。シ
Bプロは、19 世紀ドイツ・ロマン
ベリウスの叙情あふれる美しい音楽
派の音楽によるプログラム。シュ
を細かなニュアンスまで描き出して
ーマン《「マンフレッド」序曲》は、
くれるだろう。《交響曲第 2 番》で
バイロンの同名の劇的な詩に着想を
は、スケールの大きな演奏に期待し
得て書かれた作品で、音楽と詩の融
たい。
合を目指した作曲家の、内に秘めた
バルトーク《ヴァイオリン協奏曲
情熱が込められている。一方、ブラ
第 2 番》は、十二音音列、半音階、
ームス《交響曲第 2 番》では、牧歌
五音音階など、多様な音素材を用い
的な情緒に満ちた楽想が音楽全体に
て理知的に作られた 20 世紀を代表
広がる。
するヴァイオリン協奏曲。ソリスト
メンデルスゾーン《ヴァイオリン
Philharmony April 2015
*5 月定期公演の聴きどころ*
A
Program
協奏曲》のソリスト、ギル・シャハ
含まれる繊細な音楽は美しい。
ムは、1971 年生まれのヴァイオリ
ソリストは、スウェーデン出身の
ニスト。神童として早くから演奏活
メゾ・ソプラノ、マレーナ・エルンマ
動を始め、今なお世界の第一線で活
ン。オペラのみならず、ジャズ、ポ
躍を続けている。N響定期への出演
ップス、ミュージカルと舞台で広く
は 15 年ぶりとなるが、研ぎ澄まさ
活躍するエルンマンは、表情豊かな
れた音色と抜群のテクニックは圧巻
歌唱と独特の存在感で魅力を放つ。
で、今回もその演奏で大いに楽しま
異国への憧れを歌ったラヴェル《シ
せてくれるだろう。
ェエラザード》とともに、彼女の歌
表情豊かな歌唱も楽しみなCプロ
唱を楽しみにしたい。
さらにラヴェルが友人夫婦の子供
フランス近現代音楽のCプロは、
たちのために書いたピアノ連弾曲
ラヴェルとドビュッシーの作品に加
の管弦楽版、
《組曲「マ・メール・ロ
えて、ショーソン《愛と海の詩》が
ワ」
》では音楽が煌 やかに輝き、ド
取り上げられる。ブショールの同名
ビュッシー《交響詩「海」
》では、
の詩集から選ばれた詩をテキストに、
ジンマンのタクトに導かれて、N響
青年の抑えきれない恋心や、過ぎ去
の精妙なアンサンブルが色彩豊かな
った愛の悲しみが、美しいフランス
世界へと誘うだろう。
語で歌われる。後のドビュッシーの
管弦楽曲や歌曲を予感させる響きも
(柴
純子/音楽評論家)
*5 月の定期公演*
◉ 5/9(土)6:00pm、5/10(日)3:00pm (A プロ)NHK ホール
指揮:ユッカ・ペッカ・サラステ
ヴァイオリン:クリストフ・バラーティ
シベリウス/「クオレマ」作品 44 ―「鶴のいる情景」「カンツォネッタ」「悲しいワルツ」
バルトーク/ヴァイオリン協奏曲 第 2 番
シベリウス/交響曲 第 2 番 ニ長調 作品 43 ※曲目が追加になりました
◉ 5/20(水)7:00pm、5/21(木)7:00pm (B プロ)サントリーホール
指揮:デーヴィッド・ジンマン
ヴァイオリン:ギル・シャハム
シューマン/「マンフレッド」序曲 作品 115
メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品 64
ブラームス/交響曲 第 2 番 ニ長調 作品 73
◉ 5/15(金)7:00pm、5/16(土)3:00pm (C プロ)NHK ホール
指揮:デーヴィッド・ジンマン
メゾ・ソプラノ:マレーナ・エルンマン *
ラヴェル/組曲「マ・メール・ロワ」
ラヴェル/シェエラザード *
ショーソン/愛と海の詩 *
ドビュッシー/交響詩「海」
《交響詩「英雄の生涯」
》演奏風景(2015 年 2 月 18、19 日:サントリーホール)
2015 年 9 月より NHK 交響楽団首
「R. シュトラウスを採り上げるこ
席指揮者に就任するパーヴォ・ヤル
とにしたのは、N 響が偉大な指揮者
ヴィが、N 響との R. シュトラウスの
と共に積み重ねてきた伝統からの
交響詩チクルスのレコーディングを
決断でしたが、今それが正しかった
始 動 し ま し た。2015 年 2 月 18、19
ことを確信しています。私たちの最
日の定期公演 B プログラム(サン
初の録音で、私にとっては初めての
トリーホール)での《ドン・フアン》 R. シュトラウス作品のレコーディン
と《英雄の生涯》の演奏がライヴ・
グとなりますが、N 響の音楽性を生
レコーディングされ、その CD 発売
かした素晴らしい演奏を収録できま
用マスターの試聴を終えたヤルヴィ
した。今後も最善を尽くして良い音
が手応えと意欲を語りました。
楽を届けたいと思っています」
。
CD 発売用マスターの試聴を行う
パーヴォ・ヤルヴィ
(2015 年 2 月 21 日)
* 2015 年 9 月 24 日 ソニー・ミュージック
レーベルズより発売予定
R. シュトラウス:交響詩 チクルス[1]
「英雄の生涯 」&「ドン・フアン」
Philharmony April 2015
パーヴォ・ヤルヴィと N 響、
レコーディングが始動