お稲荷様あれこれ(第36回WR会別紙)

<別紙資料>
お稲荷様あれこれ
稲荷神社
(稲荷大明神、お稲荷様・お稲荷さんとも呼ばれる。)
もともとは京都一帯の豪族・秦氏の氏神であり、和銅年間(708 - 715年)に
勅命により伊奈利山(稲荷山)の三つの峯にそれぞれの神を祀ったことに始
まる。
その昔山麓で農耕を行っていた人々がこの山をご神体として信仰して
いたこともあり、本来稲荷神は穀物の神だったが、その後、豊作のみな
らず豊漁や商売繁盛をも司る神として選ばれ、その信仰は商業地等に
も広がった。現在では産業全般の神として信仰されているほか、芸術・
一家和合・長寿にもご利益ありとされている。
京都の伏見稲荷大社本殿(重要文化財)
全国には現在3万2千の稲荷神社があるが、個人や企業などに祀られているものや、山野や路地の小祠まで入
れると稲荷神を祀る社はさらに膨大な数にのぼる。江戸の町の至る所で見かけられるものとして「伊勢屋、稲荷に、
犬の糞」とまで言わるようにもなった。
東伏見稲荷神社(ひがしふしみいなりじんじゃ)
関東地方の稲荷神を信仰する信者たちの希望により、昭和4
年(1929年)に稲荷神の総本社である京都伏見区にある伏見
稲荷大社の祭神5座の内から分霊(3柱)を勧請して創建され
た。この3座は「東伏見稲荷大神」と総称されている。
なお、東伏見という地名はこの神社が出来てから付けられた
地名で、それにあわせて西武新宿線の駅名も上保谷駅から東
伏見駅に変更された。
東伏見稲荷神社鳥居
また、勧請の新しさからか、規模は大きいが近代社格制度下で社格が与えられることはなかった。
きつねと稲荷神社
狐とお稲荷さんの関係については諸説があるが、有力な説は以下の通り。
狐は穀物を食べる野ネズミを食べてくれるので、もともと農民たちは穀物の守り神
として信仰していた。
そんな中で、稲荷神と同体の御饌津(みけつ)神が誤って三狐神(「けつ」は狐の
意味の古語)と書かれ、そこから狐が登場した。 神は眼に見えないが、神が遣わし
たものは眼に見ることが出来、それが神意を暗示するという思想が古くからあったこ
ともあり、狐が稲荷神の神使の稲荷狐として定着した。
やがて、稲荷狐には朝廷に出入りを許された「命婦」の格が授けられたことから、命婦
神(みょうぶがみ)と呼ばれて上下社にも祀られるようになった。
東伏見稲荷神社の狐
東伏見稲荷神社の狐は「玉」と「鍵」をくわえている。これは「玉鍵の信仰」によるもので、玉は穀物、鍵は穀倉の鍵と解
釈されている。それにしても本土の狐はどこに隠れているのでしょう。(開発とタヌキ・野犬の繁殖でその数激減)
いなり寿司
昔豊作を祝う意味で、村人は狐の巣穴のそばにオムスビをお供えした。 しかし肉食の狐は
当然ながらあまり食べてくれない。 そこである村人がオムスビを油揚げに包むと食べてくれた
ので、それが評判となり習わしとなった。 これが稲荷寿司の語源と言われている。
一方、古くから狐の捕獲には「鼠の油揚」を利用してきたが、狐の好物として豆腐の油揚げを稲荷神に供えたこと
から、油揚げを使った寿司は「きつね寿司」あるいは「稲荷寿司」と呼ばれる様になったとの説もある。
稲荷神社の鳥居について
稲荷神社の鳥居は朱塗りとされている。
朱塗りの塗料は有毒な水銀を含み、防食・防虫の効果があるためか魔
除けの効果があるとされ、稲荷神社では神殿などにも多用されており、
稲荷大神様のお力の豊穣を表す色と説明されている。
因みに、鳥居は神域と俗界の堺のことで、語源は「通り入る」から来た
とか、天照大御神を天岩戸から誘い出すために鳴かせた鶏の止まり木
を置いたことが起源とする説など諸説あり。
なお、京都の伏見稲荷神社には約1万基の鳥居が参道全体に並んで
いるが、これは願い事が「通る」或いは「通った」御礼の意味から、鳥居
を奉納する習慣が江戸時代以降に広がった結果である。
東伏見稲荷神社の裏の森にも数多くの鳥居が奉納されている。
東伏見稲荷神社に奉納された鳥居
編集・制作担当:金野