Session 1 10:00-11:30 (Sat.) A202 Chair:坂井二郎(Sakai, Jiro) 意味と認知 1. Recognition and Meaning 意味とは何か――クオリアを中心に前言語的な観点から―― 高崎商科大学 渡邉美代子 2. 暗黙知とコミュニケーション 東京経済大学 大崎正瑠 3. コミュニケーションに与える適格性の影響 広島国際大学 森口 稔 A203 パネル・ディスカッション1 4. Panel Discussion 1 コミュニケーション科学:日本におけるコミュニケーション障害教育の課題 パネリスト: 赤坂和雄(青森県立保健大学) 川島彪秀(日本大学) 會澤まりえ(尚絅大学) 井本一明(井本学院 IEC 国際外国語専門学校) A207 Chair:長谷川典子(Hasegawa, Noriko) コミュニケーション不全 Dyscommunication コミュニケーション活動におけるストレスマネジメントとしてのアサーションの効果 5. ――認知的ストレスマネジメントの視点から―― 青森県立保健大学 アスペルガー障害成人の「情報要求」の発話からみたコミュニケーション特徴 6. コミュニケーションと食育 7. 九州大学大学院生 稲田尚子 九州大学大学院 神尾陽子 敬和学園大学 中村義実 敬和学園大学 A208 マーク・フランク Chair:青沼 智(Aonuma, Satoru) レトリック研究 8. Rhetorical Studies 意識覚醒のレトリック――アフガン女性ミーナの詩の分析を通じて―― 津田塾大学大学院生 9. 新妻 絢 Rhetorical Perspective as a New Approach to Social Movement Studies in Taiwan: Application and Adaptation 10. 川内規会 Fu Jen Catholic University Jenny Jing-Ling Lin The Swastika: 卍 the First Global Symbol and its Transformation Hosei University 7 Daniel P. Considine A209 パネル・ディスカッション 2 Panel Discussion 2 11. 日本のイメージ、中国のイメージ――異文化教育の必要性―― 司会兼パネリスト:鄭 偉(国際基督教大学大学院生) パネリスト:三井えい子(中国ハルビン工業大学) 灘光洋子(城西国際大学) 池田理知子(国際基督教大学) A211 Chair:吉武正樹(Yoshitake, Masaki) 共同体と他者性 Community and Otherness 12. 近代性と認識形式:異文化コミュニケーション研究への示唆 13. なぜ日本人はエスペラントを学んだのか 長崎大学 丸山真純 ――ヨーロッパに対するアイデンティティ主張の一形態として―― 日本エスペラント学会 14. 沖縄人(ウチナンチュー)のコミュニケーションについての研究 ――「模合」(もあい)を通して―― Session 2 A202 沖縄キリスト教学院大学 13:00 -14:30 (Sat.) Language Education コミュニケーション能力の育成を主眼とする学習指導要領国語科の音声言語教育 日本大学 16. 伊佐雅子 Chair:山上登美子(Yamagami, Tomiko) 言語教育 15. 臼井裕之 村井佳世子 コミュニケーション能力は育つか ――いわゆる禁止表現からみた日本語教科書と教師用指導書―― 常葉学園大学 17. 国際語としての英語教育:議論の中の学習者 関西外国語大学 清 ルミ 窪田光男 A203 パネル・ディスカッション 3 Panel Discussion 3 18. メディアとコミュニケーションに関する研究 司会:孫 宝寅 パネリスト:陶 丹(河北大学メディア研究所所長) 陳 燕(河北大学ジャーナル主編長) 候 ? 霖(清華紫光コミュニケーション研究センター) 陳 星(清華大学大学院生) 8 (通訳付) A207 Chair:中川典子(Nakagawa, Noriko) 対人相互作用 Interpersonal Interaction 19. 異文化コミュニケーション研究における共分散分析の応用 Gustavus Adolphus College Sakuragi, Toshiyuki 20. 情報公正と手続き的公正感との関係への組織コミュニケーション戦術の影響 明治大学 21. 山口生史 Late Adolescents' Perceptions of Conversational Processes: Relationships to Parenting Style, Independence, Family Closeness and Expressiveness. A208 Creighton University Richard I. Falvo Chair:町 恵理子(Machi, Eriko) アジアのパラダイム Asian Paradigm 22. 儒教的対人関係モデル 23. 禅とコミュニケーション理論 獨協大学大学院生 海谷千波 Monterey Institute of International Studies, Graduate Student Kosaka, Takashi 24. 謝る意識――中国、日本、台湾の対照研究―― 広島大学大学院生 鄭 加禎 広島大学 上原麻子 A209 パネル・ディスカッション 4 Panel Discussion 4 25. レトリックの主体と言説 パネリスト:柿田秀樹(獨協大学) 藤巻光浩(文教大学) 青沼 智(神田外語大学) 中西満貴典(愛知県立岡崎東高等学校) 司会:畑山浩昭(桜美林大学) (レトリック研究会企画) A211 IBC(国際ビジネスマンクラブ)セッション IBC Session 26. 講演:中国ビジネスの現場から 27. 講演:コミュニケーションとは能力だ パイオニア㈱ ㈱ロッキー副社長 28. IBC メンバーによるミーティング 小泉敏章 広瀬義征 司会:土屋秀夫(IBC 会長) 9 Session 3 A202 9:30 -11:00 (Sun.) Chair:丸山真純(Maruyama, Masazumi) マイノリティとアイデンティティ 29. Minority and Identity Language and Gender: Shift in English and Japanese Terminology Kochi Technology University 30. Myojin, Chiyo 現代の日本人独身女性のアイデンティティーのコミュニケーション学的考察 ペンシルバニア州立大学大学院生 31. 前田江里子 The Three Faces of Japan in Taiwanese New Cinema California State University, Hayward Meiling Wu A203 パネル・ディスカッション 5 Panel Discussion 5 32. 日中メディアとコミュニケーションに関する比較研究 (通訳付) 司会兼パネリスト:頼 茂生(北京大学) パネリスト:崔 保国(清華大学) 崔 揚(清華大学) 張 勝利(清華大学) A207 Chair:桜木俊行(Sakuragi, Toshiyuki) 異文化コミュニケーション Intercultural Communication 33. あるべき法廷とは何か ――日本における法廷通訳人資格認定制度導入への一考察―― 東京外国語大学大学院生 34. 宮岸真希 対人距離とコミュニケーション――日韓の若者の親密度比較を中心に―― (財)日本国際協力センター 韓国製テレビドラマの受容研究 35. ――質問紙調査の結果から―― A208 北星学園大学 長谷川典子 Chair:野中昭彦(Nonaka, Akihiko) 教育と言説 36. 鈴木修子 Discourse of Education ケース・ディスカッション形式授業のクラス・リード方法に関する考察――コンテクストと コンテンツという階層構造を前提としたモデルの提示とその運用について―― 慶應義塾大学大学院生 37. ディベートの功罪――パーラメンタリー・ディベートに参加する大学生の意識―― 九州大学大学院生 38. 北垣武文 歴史教科書問題を巡るディスコース 愛知淑徳大学 10 中野美香 福本明子 A209 Chair:五十嵐紀子(Igarashi, Noriko) パネル・ディスカッション 6 Panel Discussion 6 39. New Perspectives on Japan-U.S. Communication Address: Ryo Kitade (President of JUCA and CAJ ) Speech & Chair: Tom Bruneau (Radford University Vice President of JUCA) Panelists: Kenji Kitao (Doshisha University) Katsuya Tasaki (Ferris University) David Prucha (Takushoku University) (Presented by JUCA-CAJ) Chair:灘光洋子(Nadamitsu, Yoko) A211 メディエーテッド・コミュニケーション Mediated Communication 40. E-Learning を利用した留学生のための討論授業の効果と言語不安の変化 一橋大学留学生センター 41. 西谷まり 携帯メールコミュニケーションにおける倫理 ――同時性を持った文字コミュニケーションが抱える諸問題―― 42. 宮崎 新 中国大学生の携帯電話のメールに使用する絵文字に関する一考察 中国ハルビン工業大学 三井えい子 中国ハルビン工業大学学部生 馬 洪東 C201 パネル・ディスカッション 7 Panel Discussion 7 43. New Challenges and Opportunities of Communication in Asia: Korea and Japan―Japan and Korea Chair and Panelist: Kawashima, Takehide (President, Pacific and Asian Communication Association and Nihon University) Panelists: Chong-Hyunk Cho (President, Korea Communication Association and Hankuk University of Foreign Studies) Kee-Soon Park (Former President, Korea Communication Association and Sungkyunkwan University) Tezuka, Chizuko (Professor, International Center, Keio University) (Presented by Pacific and Asian Communication Association and Korea Communication Association) 11 Session 4 A202 15:00 -16:30 (Sun) Chair:中林眞佐男(Nakabayashi, Masao) コミュニケーション教育 44. Communication Education The Effects of Depth of Assignment Specialization on Student Learning and Speaker Confidence in the Basic Communication Course 45. Creighton University Richard I. Falvo 日本語学習者のアーギュメント――構造上の特徴と母語話者評価の関係―― 北海道大学 鈴木志のぶ 46. English as a Medium of Combining Asia and Japan――The Concepts of Self and Other―― Michie Schwer A203 パネル・ディスカッション 8 Panel Discussion 8 47. メディアと市場に関する研究 (通訳付) 司会:崔 保国(精華大学) パネリスト:田 勝力(中国大百科事典出版社社長) 姚 剛(清華大学) 楊 雷萍(清華大学大学院生) 艾 勤径(清華大学大学院生) A207 Chair:藤巻光浩(Fujimaki, Mitsuhiro) コミュニケーション哲学 48. “Where Speaking is Art, so is Understanding”: Constructive Hermeneutics as a Task and a Hope for Asia and Japan in the Age of Diversity 49. Philosophy of Communication Duquesne University, Graduate Student Hirano, Junya 原理としてのコミュニケーション論構築へ向けて ――ソシュールとウィトゲンシュタインに学ぶ―― 福岡教育大学 吉武正樹 50. 「ケータイメール」コミュニケーションに関する一考察 ――G.H. ミードのコミュニケーション論をベースとして―― 東京福祉専門学校 菊地大介 A208 Chair:工藤和弘(Kudo, Kazuhiro) メディア・コミュニケーション Media Communication 51. 現代日本におけるインターネットを利用したポリティカル・コミュニケーションの現状とそ の諸問題について 異文化コミュニケーション研究所 石橋嘉一 52. Affordances: Implications for Media Design National Chengchi University 53. An Analysis of Japanese TV Commercials that Feature Foreign Celebrities: A Content Analysis Wei-wen Chung University of Oklahoma, Graduate Student Yamada, Michiko 12 A211 パネル・ディスカッション 9 Panel Discussion 9 54. アジアとのコミュニケーションを語る パネリスト:坂田貞二(拓殖大学商学部教授・インド) 藤森英男(拓殖大学商学部教授・フィリピン&アジア諸国) 村上祥子(拓殖大学商学部助教授・韓国) 司 会:坂田善種(拓殖大学商学部) (拓殖大学商学部教員有志企画) 発表要旨 Abstracts 1. 意味とは何か――クオリアを中心に前言語的な観点から―― 高崎商科大学 渡邉美代子 意味というものが客観的に捉えることの難しい心理現象であるため、意味をどう捉えるかは、いまだ解明でき ていない難問の一つである。認知意味論においては、伝統的な、客観主義的な意味論に風穴を開けるような理論 が生み出され、活発な議論が続いている状況にあり、意味の解明に向けて、以前よりも一層よく見える位置へと 進展していることは確かである。更によく見ようとするならば、学際的な視点が必要である。なぜならば、認知 活動の内部には知覚・感覚・空間認知などの複雑なインタラクションがあり、言語はその表出であると捉えれば、 意味の解明は認知意味論という一分野を遥かに超える研究だからである。 この小論では、脳科学の知見を取り入れ、クオリア(qualia)という観点から言葉の意味について考察を加える。 クオリアとは、私たちが心の中で感じるさまざまな質感を表す言葉である。現実世界はクオリアに溢れており、 クオリアを感じるのは私たちの意識である。(意識が脳内のニューロン活動によって生み出されていることにつ いては、既に突き止められている。)また、二種類のクオリアがつくり出され、これらは異なる性質を有している。 色、テクスチャ、光沢などの感覚的クオリアが安定した表象として感じられるのに対して、志向的クオリアは経 験やコンテクストによってダイナミックに変化するという。これら二種のクオリアが組み合わさって、心中に立 ち上がる表象が意味である。詰まるところ、意味とはクオリアの束であるという。認知意味論では、意味づけを 主体のかかわる作業と位置づけ、言語の身体性を説いてきたが、この主張は私たちがクオリアを感じる生体であ るという脳科学の知見によって支持される。 また、私たちの意識がクオリアを感じるからこそ、それをもとに意味を紡ぎ出し、メタファーの理解に至るこ とができるのであり、メタファー理解の根底には、クオリア体験があると推すことができる。クオリアという観 点からのメタファー研究は、意味研究に新たな見解を加えるものになりうる。 2. 暗黙知とコミュニケーション 東京経済大学 大崎正瑠 コミュニケーション研究では、まずはその活動元となる「認知」について知らなければならない。コミュニケ ーションは「感覚」「知覚」に加えて記憶、判断、推論、決定、課題の発見と解決などを伴うからである。しかし 13 一般には「認知」はコミュニケーション行動の中心であると考えられているが、実際にはそれだけではない。「暗 黙知」の存在がある。 「暗黙知」の役割としては、まず「暗黙知」なくしては人間のコミュニケーションは成り立たないことである。 すなわち「暗黙知」は、「認知」と相互作用を行いながらコミュニケーションを実現させる。コミュニケーション においては、通常「認知」が主役で、「暗黙知」は黒子のように表には現われず、しばしば本人が無意識の状態で、 裏方として「認知」の活動を支える。「認知」と「暗黙知」は一体となり相互作用を行いながらコミュニケーショ ンが行われると考えられる。 暗黙知のその他の役割としては、技能の習得および伝達における役割、および問題の所在を知るとか、何かを 発見するといった創造的な活動の源となることがある。 しかし「暗黙知」は、その習得や発現のプロセスが不明で詳記不能である。すなわち「認知」を超える次元に 存在すると考えられる。したがって「暗黙知」の研究自体が難しいと言えるが、どんなものかできるだけ沢山知 っておくことが必要である。コミュニケーション研究においては、「暗黙知」の存在が充分知られていないが、こ れを念頭に置いた上で論ずるべきである。 3. コミュニケーションに与える適格性の影響 広島国際大学 森口 稔 従来の言語研究は、母語話者が直観によって「適格性」を判断できるという前提に立ち、さまざまな言語現象 を分析してきた。しかし、その「適格性」という概念自体に対して、疑問を提出する二つの観点が存在すること も事実である。その一つは認知言語学であり、もう一つはコーパス言語学である。認知言語学は、人間の外界認 知の枠組みを通して言語現象を解明しようという取り組みであり、文法的に適格であるか否かの明確な境界線を ひくことはできないという立場を取る。一方、コーパス言語学は、規範文法で非文とされてきた言語現象が実際 に発話され、印刷されていることを示し、「適格性」を実例の出現頻度の問題として捉えることが例証する。 しかし、この二つの立場が見逃しているのが、コミュニケーションの立場からの適格性である。コミュニケー ションの観点から問題となるのは、発話された文が適格文であるか非文であるかではなく、その発話が聞き手に とって理解可能かどうかにほかならない。事実、我々が日常話している言葉を録音しテープ起こしされたデータ を見ると、非文であることも少なくない。本発表では、非文とされる文を、理解可能か否かという観点から分類 し、コミュニケーションに与える適格性の影響を分析する。 4. コミュニケーション科学:日本におけるコミュニケーション障害教育の課題 パネリスト:赤坂和雄(青森県立保健大学) 川島彪秀(日本大学) 会澤まりえ(尚絅大学) 井本一明(井本学院 IEC 国際外国語専門学校) 日本の現代社会においては (1) 音声言語・聴力障害のコ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン教育 (2)学校におけるコ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン障害教育 (3) 医療福祉におけるコ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン障害教育 (4)家庭・地域社会におけるコ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン障害教育 日本人が国際社会において行うコミュニケーション障害に対する教育など、コミュニケーション科学領域の障 害教育が大きな課題となってきている。このパネルでは、これからコミュニケーション科学領域を中心とするコ ミュニケーション障害教育の課題に対して問題解決の方向を探ろうとするものである。 14 5. コミュニケーション活動におけるストレスマネジメントとしてのアサーションの効果 ――認知的ストレスマネジメントの視点から―― 青森県立保健大学 川内規会 対人コミュニケーションの過程において、継続的に多くのストレスを抱えている人は少なくない。また、複雑 な人間関係の中で蓄積されたストレスから、人とコミュニケーションをはかることに自信を喪失している人々も 多く存在している。このような現代社会では、ストレスマネジメントは適応能力を高め、心体を蝕むものに対す る身近な治療法として、より多くの人に認識される必要があると考える。 多種多様なストレスマネジメントの中から、ここでは認知的な分野に焦点をあてた。特にアサーティブな言動 に関しては、日々のストレスを軽減させ自分に自信を持たせるきっかけとなる多くの要因が含まれていると考え る。本研究は、事例に基づき誰もが身近におこりうるいくつかの例を取り上げ、アサーティブな考え方が実際に どのように対人関係におけるストレスを軽減させているのか、認知的ストレスマネジメントの視点からその効果 を分析し考察するものである。 6. アスペルガー障害成人の「情報要求」の発話からみたコミュニケーション特徴 九州大学大学院生 稲田尚子 九州大学大学院 神尾陽子 アスペルガー障害は、言語発達に目立った遅れがなく、相互的対人関係の障害、興味や行動の限局性を主徴と し、自閉症を中核とする広汎性発達障害の下位カテゴリーである。彼らの多くは IQ が正常範囲にあり言語発達も 良好だが、会話はぎこちなく、対人関係の困難さが深刻である。言語能力において、統語論、意味論に障害はな いが、語用論に明らかな障害を持つ。従って対人的場面での会話を扱う研究が必要と考えられるが、言語能力の 量的研究に偏っており、相互作用という観点からの会話の質的検討は少ない。本研究では、他者との相互作用の 1 側面である「発話の調整」を取り上げ、その指標として「情報要求」の発話に注目した。すなわち、「情報要求」 の発話頻度の変化を発話調整の結果とみなし、会話の全体、時間の経過、話題転換の三つの観点において、アス ペルガー障害者とその対話者双方の発話頻度の変化を調べることにより、アスペルガー障害の発話の特徴を明ら かにすることを目的とする。対象はアスペルガー障害成人の男性 1 名(31 歳、以下 A)と対話者である筆者とし た。一般の日本人同士、異文化間での会話の発話特徴と比較検討のために、佐々木(1998)の定型発達成人データを 参考とした。「情報要求」の発話頻度は、会話全体において、A では 1 回、筆者では日本人同士の会話より多く、 異文化間同士の会話と同程度であった。時間経過に伴う変化は、A では会話開始直後の 1 回で、筆者では変化が 見られなかった。定型発達成人では同文化内、異文化間共に減少する。話題転換としての「情報要求」発話は、A ではみられず、筆者でもほとんどみられなかった。これらより、A は対話者より自分が話す方に注意が向き、日 本人同士の会話と比して A からの情報要求は極端に少なく、また筆者の「情報要求」の発話頻度が発話調整のた めに代償的に増加した可能性が考えられる。会話において発話の調整は行われにくいことが推察される。 7. コミュニケーションと食育 敬和学園大学 中村義実 敬和学園大学 マーク・フランク 現代社会において、人間関係の希薄化、換言すれば「コミュニケーション不全」が叫ばれて久しい。近年の様々 な社会事件の発生は、人間同士の信頼の崩壊を象徴するに余りある。現代におけるコミュニケーション研究の要 諦は、人と人が信頼に満ちたつながりを紡ぎあうための方策を考察することにある。私たち(中村、フランク) は、「食」を切り口にしてこの課題にアプローチする。 今日の「コミュニケーション不全」社会を生み出している背景には、「食」の軽視、あるいは劣化という問題が 潜んでいる。ファストフード化、グルメ志向、ダイエットブーム等、現代社会における「食」という営みの「病 15 理」現象を捉え、それらがいかに「コミュニケーション不全」に結びつくかを考察する。 さらに、私たちが、勤務校にて手がけている「食」を通したコミュニケーション教育の実践を紹介する。真の コミュニケーションは「文化的実践への参加」を通してなされると主張する佐伯胖氏(東京大学名誉教授)の見 解をテーゼにして、大学教育の場に展開しうる「食」を通したコミュニケーション教育(「食育」)の可能性を探 る。今年次大会のテーマである「アジアと日本」の関係においても、「食」の問題が大きく横たわる。「食」は健 康や栄養のみならず、国際理解、地域理解、経済、歴史、文化等、様々な領域に関わる総合的な営みであること を明らかにしたい。 日常の基本的な営みである「食」を通して、私たちは知らず知らずのうちに世界観を形成する。命を支えるも のを作る側とそれを食する側のコミュニケーションの欠如が、人と人のつながりを切断し、人間の社会化の機会 を奪っている。今回の発表を、コミュニケーション教育における「食」の重要性について問いかけるための契機 としたい。 8. 意識覚醒のレトリック―アフガン女性ミーナの詩の分析を通じて 津田塾大学大学院生 新妻 絢 本発表では、ミーナと呼ばれるアフガン女性の詩を分析することにより、彼女の詩が創られた1970年代か ら1980年代にかけてのアフガニスタンの複雑な歴史的状況を考察する。その次に、ミーナは当時のレトリカ ルな問題を、詩によってどのように対処しようとしたのかという点ついて考察する。具体的には傀儡政権による 粛清が激しさを増し、裏切りが横行する中で、彼女はどのようにしてアフガニスタンの人びとに連帯を訴えたの か、またその中で、民族、階級、教養レベルの異なる読者に対し、どのようなレトリックを用いたのかを分析す る。 ミーナはアフガニスタンにおける女性解放運動の先駆者であり、RAWA と呼ばれる組織を1977年に創設し た。彼女は、1970年代から、ソ連とその傀儡政権による暴力に抵抗する一方で、ソ連と戦っていた一部のム ジャヒディーンの女性に対する暴力にも反対し、当時の権力の犠牲となっていた女性たちの結束を促そうとした。 本発表で分析する詩は RAWA が発行した雑誌 Payam-e-Zan の創刊号に掲載されたものである。 ミーナの詩を分析することは次の意味で重要であると考える。それは、これまでのレトリックの分野における 研究では、中東地域についてほとんど扱ってこなかったという点である。とくに、アフガニスタン人のレトリッ ク分析は、私の知る限り行われていない。そのなかでもさらに女性に対する分析は皆無といってよい。多くの国 際問題はお互いに対する無知からきていると考えると、一人のアフガン女性のレトリックを分析することは知の 不均衡を是正し 1 人のアフガン女性に対する理解に貢献できると考える。 9. Rhetorical Perspective as a New Approach to Social Movement Studies in Taiwan: Application and Adaptation Fu Jen Catholic University Jenny Jing-Ling Lin Rhetorical approach to social movement studies has emerged in 1960s and has flourished in 1970s in the U. S. Rhetorical approach to movement studies has maintained a major research interest of rhetoricians in the U. S. By comparison, social movement studies have been research concerns mainly by sociologists in Taiwan since 1980s. Few communication scholars paid attention to movement studies. Most of them are mainly concerned with media representation of social movement. Neither sociologists nor communication scholars in Taiwan paid adequate attention to rhetorical dimension of social movement. In this paper, I will first argue why rhetorical approach to social movement studies is important. Secondly, 16 I will review some case studies of social movement rhetoric in Taiwan. Thirdly, I will discuss how to apply and adapt Western rhetorical theories/concepts to local social movements. Lastly, I will propose reflexive thinking and dialectic research attitude as two major principles in applying and adapting Western theories to non-Western cases. I will also argue why emic approach is preferrable than etic approach when Eastern cases meet Western theories. 10. The Swastika: 卍 the First Global Symbol and its Transformation Hosei University Daniel P. Considine The story of the 卍 is most fascinating. It is arguably the oldest symbol known to man and exists, or has existed, in virtually every culture on earth. As a model for semiotic and symbolic theory discussion it is unique because it comprises more than a word symbol or icon. The complete change in the meaning of the 卍 brought about during a short blip in history by one culture is an amazing phenomenon from any perspective. Signs, symbols and rhetoric trace their roots back to classical times. But it is rare for a scholarly investigation in communication to reach back to antiquity to shed a new light on a major episode of modern history. Comprising an introduction and four sections the author first lays the foundation of symbolic theory, in particular that formulated by Cassirer, Langer, Wheelwright and Burke. The subject- concept-object paradigm is explained. Distinctions are made between denotative and connotative symbols and further separations between presentational and discursive symbols. In the second section the author examines the history of the swastika and its evolution from individual to specific to universal (global) symbol as well as discussions of archetype. The research of Wilson and Brown are frequently cited. The third section traces the roots of the Volk movement as described by Mosse and lays the foundation for the Nazi appropriation of the swastika. The final section shows that the underlying conceptions of both the Volk philosophy and the swastika are the same, and hence the same symbol: one being presentational and the other discursive. 11. 日本のイメージ、中国のイメージ――異文化教育の必要性―― 司会兼パネリスト:鄭 偉(国際基督教大学大学院生) パネリスト:三井えい子(中国ハルビン工業大学) 灘光洋子(城西国際大学) 池田理知子(国際基督教大学) 日本と中国は、本来国際問題、政治、経済のあらゆる面において協力すべく東アジアの近隣同士であるにもか かわらず、両者の軋みのみがメディアの報道等では目に付く。「日中友好」という古びたスローガンだけがむなし く響くかのように、相互の関係は前進というよりむしろ後退した観を抱かせる。瀋陽事件や靖国神社の参拝問題 など政治レベルの問題や、国民の強い反対によって先が見えない新幹線導入問題や、三菱自動車、JAL 事件につ づき、トヨタの広告問題なども頻繁に新聞の紙面をにぎわしている。また、民間レベルにおいてもさまざまな事 件が報じられている。珠海の集団買春事件や、西安の学生暴動等、まだ記憶に新しい。日本国内においては、中 国人が引き起こしたとされる犯罪事件のニュースが次々と報道される。まるで冬の静電気のように、双方の間の 摩擦は止むことがない。些細な出来事であっても、メディアによって必要以上に煽られ、傷口の痛みが増したり、 痛みがようやく癒えても、新たな傷が痛み出すといった状態が繰り返されている。だが、メディアが創り出すイ メージは、大衆の嗜好を少なからず反映するという一面も持つ。日本と中国双方の草の根レベルにおける潜在的 不信と対抗意識が、それぞれネガティブなイメージを創り出したともいえる。したがって、こうしたネガティブ なイメージを変えるためには、日中間の外交チャンネルというよりも、むしろ 1 人ひとりの相互理解が必要とな ってくる。 17 今回のパネル・ディスカッションでは、日本と中国のコミュニケーション研究にたずさわるパネリストが、日 中それぞれの現状を報告すると同時に、ネガティブな相互意識を解消するためには何が必要なのか、それぞれの 考えを述べる。草の根レベルの異文化理解には、異文化教育が大きく関わってくるし、その異文化教育を担う教 育者自身の意識が問われる。 そして、パネリストとフロアの参加者双方が、相互理解のための異文化教育の今後の行方を探っていくという ディスカッションを行いたい。日中間の個々人のインタラクションは、急速に増大しつつある。現時点における 日中間の異文化コミュニケーション研究の実情を考えると、とてもこうした現実のニーズに答えられてはいない。 よりよい答えを模索していくことが急務であると考える。 12. 近代性と認識形式:異文化コミュニケーション研究への示唆 長崎大学 丸山真純 「異文化コミュニケーション論」は、科学技術の発達などによって、地球の相対的縮小化に伴う文化背景が異 なる人々への意識の高まりと、そうした人々との「誤解が少なく、効果的にコミュニケーション・理解する能力」 や「うまくそうした人々を理解し扱うこと」を促進するという実際的関心とともに起こってきたといえる (Gudykunst & Kim, 1997, p. 4)。異文化コミュニケーションの初期研究が留学生や平和部隊(Peace Corp)、海外駐 在員のいわゆるカルチュア・ショック研究を中心に行われたこともこれを示唆している。 こうした実際的関心は、言い換えるならば、ウォーラスティンの言う「近代世界システム」の進展とともに、必 然的に生じたと言える。つまり、世界システムが要求する効率的、円滑なコミュニケーションを是とするような 価値観に支えられている。このような価値観はマクロレベルでは「近代性(文化としての近代)」と密接なかかわ りがある。この近代性はグローバルレベルで浸透し、肯定的効果をもたらした一方で、さまざまな否定的な結果 ももたらしてもいる。また、近代をめぐっては、近代の外側から批判するアプローチが見られるが、われわれは 良くも悪くも近代の枠組みの中にいる。したがって、異文化コミュニケーション研究にとって、その大きなパラ ダイムを支える近代性の構造を理解し、近代を内側から批判的に検証し、戦略を構想することが重要である。 本論文は、こうした観点に立脚し、近代性の構造の一端を、認識形式(見るということ) ・言説形式(語ること) の観点から接近する。具体的には、ゲブサーの perspectival consciousness の歴史的展開に着目し、ありのままに見 るという様式、そして、それを語り出すこととそれが含意すること(たとえば、主客の分離;直線的時間概念な ど数量化など)を中心に論を展開したい。 13. なぜ日本人はエスペラントを学んだのか ――ヨーロッパに対するアイデンティティ主張の一形態として―― 日本エスペラント学会 臼井裕之 日本は、非ヨーロッパ文化圏では異例なほど早く、20 世紀初頭にはエスペラント運動が根付き、その後も活動 が継続された数少ない国の一つである。本報告は、このように日本でエスペラントが定着した要因を、ヨーロッ パに対する日本人のアイデンティティ主張の一形態として考察するものである。 語彙の 8 割強がラテン系であり、非常にヨーロッパ的に見えるエスペラントが、このような機能を果たしたと は、にわかには信じがたい。まず考えられるのは、日本人が、ヨーロッパから近代文明を摂取しようとしてエス ペラントを学んだということである。もちろん、そのような側面を否定することはできない。しかし、ヨーロッ パ文明を取り入れることに積極的な人たちばかりが、日本でエスペラントを学んだわけではない。北一輝などの 「右翼」思想家など、そのような類型に入らない人たちも少なくなかった。これらの人々の存在はどのように説 明できるだろうか。 18 ここで参考になるのが、ピジン諸語の事例である。ピジンも、エスペラントとは異なった社会背景ではあるが、 ヨーロッパ人と非ヨーロッパ人とのコミュニケーションを媒介した。ピジンは、エスペラントと同様にその語彙 の多くがヨーロッパ語に由来し、ヨーロッパ人に接近するための言語のように見える。しかし、ピジンが発生し た背景には、直接ヨーロッパ人の言語を学ばないことで、ヨーロッパ人から距離を取り、自分たちのアイデンテ ィティを維持しようとする動機があった、と指摘されている。 ピジンとの比較で考えると、日本人がエスペラントを学んだ背景にも、特定のヨーロッパ言語を学ばないこと で、ヨーロッパから距離を取ろうとする動機があったと考えられる。それはヨーロッパ文明全盛の時代にあって、 日本人がアイデンティティを主張する手段の一つだったのである。 14. 沖縄人(ウチナンチュー)のコミュニケーションについての研究 ――「模合」(もあい)を通して―― 沖縄キリスト教学院大学 伊佐雅子 異文化コミュニケーションにおいて、「文化」と「コミュニケーション」は重要な概念である。人類学者のエド ワードホールは、文化そのものがコミュニケーションの一体系であると述べている。また、文化とコミュニケー ションには密接な関係がある。遠山(2001)によれば、文化とは変わるものであり、安定的側面だけではなく、 変化的側面もあり、このことこそコミュニケーションの役割である。つまり、文化の安定と変化を担っているの がコミュニケーションだといえる。沖縄には、昔から代々受け継がれてきた「模合」という文化がある。模合は、 広義には相互扶助や共生を目的とした共同行為(波平、2001)を意味し、もっと狭い意味では相互扶助を目的と した庶民金融システムのことである。この言葉が文献に最初に出てくるのが 1733 年である。『球陽』という歴史 書には、貧しい士族に対する救済措置として、模合を奨励する法律まで定めていたことが記されている。本土で は模合に相当する頼母子(講)や無尽(講)は金融機関の普及とともに消滅しているといわれるが、沖縄では「模 合」は盛んに行われている(波平、1998)。これまでの模合に関する先行研究には、金融面からみた模合研究や、 模合を支えている社会構造(社会の結合原理)を調査した研究はみられるが、模合そのものについての研究はあ まりない。本研究では、270 年以上も続いている模合を人々のコミュニケーション行動だととらえ、コミュニケー ションの観点から模合について調査する。今回は、地元新聞に 2 年以上掲載され、現在も好評を得ている連載記 事「ザモアイ(模合)」の内容を分析し、模合からみえてくる沖縄の人たちのコミュニケーションについて考察す る。 15. コミュニケーション能力の育成を主眼とする学習指導要領国語科の音声言語教育 日本大学 村井佳世子 話す・聞くというコミュニケーション能力の育成に社会的関心が高まっている。現代社会で必要とされている コミュニケーション能力には、情報や意見を正確に伝えたり公けの場で説明したりする発表能力や伝達能力など の伝達技術能力と、コミュニケーションの主体であるメッセージの送り手と受け手、および両者のコミュニケー ションの過程を重視した表現能力とがある。前者には情報や事象を消化して表現する知的なコミュニケーション の過程があるし、後者にも経験や反復を通じた即時的な伝達技術の要素が不可欠である。コミュニケーション活 動は両方の能力がうまく発揮されて円滑に行われるのであり、両者を分けてとらえることはできない。教育の場 では豊かで健全な人間性と自立した人格を育成するという目標のもと、コミュニケーションの技術と過程の重要 性が認識され始めているが、これはどのように具体化されているのだろうか。 平成 10 年に改訂された学習指導要領の国語科では、従来の「読むこと」と「書くこと」に加えて「話すこと」 と「聞くこと」の記述が並列に提示されている。読み書き教育中心だった国語教育に話す・聞くという音声言語 19 教育の重要性が認知されたのである。この改訂で文化科学省はどのような音声言語教育を意図したのか。教育課 程編成の一般的な指標となる学習指導要領の記述は、教科書の内容から教室での授業の中身まで実際の教育内容 を決定するうえで最も重要である。ともすれば発表能力や対話能力という技術指導にとられがちな音声技術教育 は、コミュニケーションの発信者や受信者を主体にしたコミュニケーションの本質を大事にした視点で考えられ ているのだろうか。本論では学習指導要領の総則、および国語科の記述における音声言語を、人間形成のひとつ の要素としてのコミュニケーション能力の育成という視点で考察しなおし、さらに今後の国語科における音声言 語教育の可能性について議論する。 16. コミュニケーション能力は育つか ――いわゆる禁止表現からみた日本語教科書と教師用指導書―― 常葉学園大学 清 ルミ 先行研究において、「ないでください」(以下「な」と記す)の文型を例にとり、一般社会人・日本語教師各 100 名の作文例と機関売上ベスト8の教科書文例、テレビ・映画のシナリオ文例を比較考察した結果、現実の言語使 用では配慮表現として機能している「な」が、教科書文例と教師意識においては禁止表現として表出されている 傾向と、教師の作文例と教科書文例の酷似が明らかになった。これにより、一般の言語使用と教科書文例のズレ、 教科書文例の‘刷り込み’を強く受けた教師の言語意識が浮き彫りになった[清(2003)]。 これを踏まえ、本研究は、コミュニケーション能力育成のための教育方法・教材開発、教員養成を前提に、教 育の現状の見直しをさらに進めることを目的としたものである。研究方法として、日本語教育の現場において多 く使用されている教科書 8 種(機関売上ベスト8)を分析研究対象として選択し、教科書本体だけでなく付随す るドリル練習帳、文法解説書、教師用指導書等も含めたトータルな形での各教材における「な」を、コミュニカ ティブアプローチの視点から多角的に分析を試み、それぞれの教材の教育内容と教育意図を比較し考察した。 その結果、次のような結論を得た。①国内外いずれにおいても圧倒的な使用率である教材は、いわゆる文型積 み上げ式の構造シラバスで作成された教材が多い②コミュニカティブアプローチを背景にした教材においても、 文脈や関係性が不明確な表現の提示が目立つ③同一教材において教科書本体とドリル練習帳の文例を比較すると、 提出された機能の齟齬が目立つ④文法解説書、教師用指導書の教育意図が曖昧である。 コミュニケーション能 力養成の教育志向が強い現場とは裏腹に、使用教材と教師用指導書に多くの課題が山積されていることが明らか になった。 17. 国際語としての英語教育:議論の中の学習者 関西外国語大学 窪田光男 本発表の目的は、近年高まりを見せている「国際語としての英語」の指導を支持する論文中の記述を再調査、 ディスコース分析することで、これら論文の著者が前提としている英語の学習者像を探り具体化することである。 そして、これら前提とされる学習者像を批判的に分析することにより、日本のように外国語として英語を学習す る環境において、国際語としての英語を教育に取り入れるためには学習者の視点を取り入れた研究の必要性があ ることを提議する。 これら国際語としての英語の指導を推進する理論的根拠の一つとして、第2言語として英語を使用する非母語 話者の急増に伴い、非母語話者同志のコミュニケーションの手段として英語が使われる機会が増加している現実 を考えた時、これまで伝統的に行われてきた民族語としての英語教育が必ずしも適切ではない点が指摘されてい る。また、もう一つの理由として、ある特定の民族語が英語教育のモデルとして使われることに伴って構築され ていく、言語差別、不平等といった政治的問題も議論されてきている。 20 しかし、これらの議論の中で実際に英語と向き合うことになる学習者の能力、ニーズ、学習の動機、英語の変 種に対する態度、そしてアイデンティティの問題については突っ込んだ議論や研究がなされないままに想定され ている部分や、或いは政策者や教育者の意のままにコントロール可能な存在であるかのような前提が見られる。 本発表は、こうした点を明らかにし、研究者、政策決定者が国際語としての英語教育の中の主人公ともいうべき 学習者の視点をどのように取り入れる必要があるかについて、第二言語習得理論や社会言語学の研究が明らかに してきた人々の言語選択におけるメカニズム、学習の動機、言語学習とアイデンティティの関係などに関する研 究の成果と関連付けて議論する。 18. メディアとコミュニケーションに関する研究 司会:孫 宝寅 河北大学メディア研究所所長 陶 丹 「ネットワーク時代における編集と出版の特色」 :本稿はネットワーク時代における編集と出版の特色をまとめる。 具体的には、編集の特色とは、編集者は担当している職務以外、コンピューターを使うこととネットでサーフィ ンすることに熟練しなくてはいけないということである。出版の特色とは、ネット出版は伝統的な観念を更新す るとともに、出版業界に新たな印刷・発行方式をもたらし、出版管理と関連法律の制定にも新しい課題を出した ということである。 河北大学ジャーナル主編長 陳 燕 「中国書物電子商取引の発展の道筋に関する研究」:電子商取引は書物販促の目指している発展の方向である。本 稿は『人民時空ネット』の経験を結びつけ、中国で電子商取引の発展の道筋を研究する。 清華紫光コミュニケーション研究センター 候 ? 霖 「デジタル言語及びそのコミュニケーションにおける意義」:言語は最も基本的なコミュニケーションの手段、あ るいは技術の一つである。だが、コミュニケーションの角度から言語及び言語の移り変わりを直接で系統的に研 究した人が少ないとは言えよう。それにしても、デジタル・メディア時代では、情報のコミュニケーションはデ ジタル言語に基づいて立てられるものである。また、デジタル言語の新しい情報のコーディングはコミュニケー ション方式とメディア形態に一系列の変化をもたらした。それだけではなく、新しいメディア形態は、デジタル・ コミュニケーション技術の発展にも重要な影響を与えている。本稿はコミュニケーションの角度から言語の移り 変わり、デジタル言語とデジタル技術の関係、また、デジタル言語の上でコミュニケーションの新しい特色をま とめ、情報、技術とメディアの一つのインタラクションを分析する。 清華大学大学院生 陳 星 「先史時代のメディア生態の中での非言語メディアの移り変わり」 :筆者はメディア発展の歴史に関する研究の上 でメディア生態学を活用しようと思う。本稿は先史時代の非言語メディアから、先史時代メディア生態を背景と し非言語メディアの物理的形態と符号形態及び各形態の移り変わりを分析する。具体的には、先史時代での岩絵、 舞踏、のろし、縄に結び目を作って記録すること、鼓、笛などのメディアについて分析する。それを通して先史 時代の非言語メディアが人間の思惟及び交流活動に与えた影響を検討する。 19. 異文化コミュニケーション研究における共分散分析の応用 Gustavus Adolphus College Sakuragi, Toshiyuki 近年の異文化コミュニケーション研究の発展における大きな流れの一つに、コミュニケーション行動について の単純な文化グループ間の比較研究から「文化変数」(または「文化側面」)を利用してグループ差異の説明を試 みる研究への移行が挙げられる。さらに、この文化変数を利用する研究もホフステッドの「個人主義/集団主義」 21 等の四つの文化変数に代表される文化グループレベルの尺度を基にした初期の研究から、個人レベルでの文化変 数の測定を目的とする尺度の作成、さらにそのような尺度を利用して文化とコミュニケーション行動の関係を検 証する研究へと発展してきている。しかし、仮に個人レベルの尺度を利用して、ある文化変数とコミュニケーシ ョン行動の相関関係が確認されたとしても、この相関関係だけを根拠にその文化変数を使って文化グループ差を 説明するのには大きな問題がある。この問題に対処するための統計学的分析方法としては様々なアプローチが考 えられるが、最近研究者の間で提唱されることが多くなってきた方法の一つが共分散分析である。共分散分析は 分散分析と回帰分析を組み合わせた分析方法で、この方法の異文化コニュニケーション研究への応用としては、 文化変数を共変量として位置付けた上でコミュニケーション行動における文化グループ差を検証するというアプ ローチが考えられる。本研究ではシャイネスにおける日米の文化グループ差を「対称/補完関係志向」の文化変 数によって説明する場合を例にとり、この分析アプローチの有用性を考察する。 20. 情報公正と手続き的公正感との関係への組織コミュニケーション戦術の影響 明治大学 山口生史 組織での意思決定や報酬分配に関して「公正(justice)」であることがメンバーの職務満足、離職率、献身度など に影響を与えることが、組織公正理論(organizational justice theory)に基づく研究で実証されてきた。組織公正理 論の一つである相互作用的公正理論(interactional justice theory)は、主として「情報公正(informational justice)」と 「対人公正(interpersonal justice)」に分類される。前者には、意思決定者(報酬分配者)の被意思決定者(報酬受け取 り者)への発言機会の提供、説明、正当化などが含まれ、後者には、意思決定者の被意思決定者に対する誠実な態 度、敬意の表明などが含まれる。相互作用的公正理論においては情報公正も対人公正も対人コミュニケーション に関係しているにも拘らず、これまで組織公正理論ではコミュニケーション学の分野の研究が言及されてきたこ とはほとんどない。本研究では、情報公正に焦点を絞り、情報公正が組織における様々な意思決定に対する従業 員の結果満足感への影響力が対人コミュニケーションによっていかに影響されているかを発見することを目的と する。すなわち、対人コミュニケーションが、意思決定者の情報公正と被意思決定者の意思決定に対する手続き 的公正感との関係を媒介しているのか(mediator)あるいはその関係を弱めたり、強めたりしているのか(moderator) を明らかにしたい。それ以外にもこの研究を通して組織公正理論と対人・組織コミュニケーション学との接点も 見出すことができるだろう。本研究は、2002 年秋から冬にかけて行った 1,100 人の企業従業員を対象にしたアン ケート調査による実証研究である。共分散構造分析(Structural Equation Modeling)によりデータ分析を行い、仮 説の検証を行う。 分析(Structural Equation Modeling)によりデータ分析を行い、仮説の検証を行う。 21. Late Adolescents' Perceptions of Conversational Processes: Relationships to Parenting Style, Independence, Family Closeness and Expressiveness Creighton University Richard I. Falvo The unique qualities comprising family interactions with respect to child autonomy was the focus of this study. The following research question was advanced: In what ways are conversational exchanges within family contexts similar and/or different, given the varying levels of autonomous functioning? To answer this, three phases of research were conducted. The first phase consisted of an empirically-based quantitative analysis which uncovered respondents scoring higher and lower in their degrees of autonomous functioning within the family environment. The second phase involved categorizing respondents deemed as (1) higher or (2) lower in autonomous functioning. These respondents were asked to meet for interviews to learn more about pivotal 22 moments in their lives where they asked for parental advice or consent. Taking Grice's theory of Conversational Maxims and Implicature, a series of open-ended interview questions was used. The third phase involved a qualitative analysis of responses. Results found that the extent to which a person is highly assertive and aggressive in demanding parents to provide reasons for a position, is what might be associated with some highly autonomous people. Conversely, those somewhat less confrontational or more deferentia l may be less likely to have high autonomous functioning. These findings suggest that absences of valuable parental information may place youths in a position of more direct self-reliance, and might help account for more autonomous functioning. Respondents whose parents gave relevant information to comfort were those who sensed closeness and expressiveness; these respondents who felt the significance of parental interventions also displayed lower levels of autonomous functioning. These findings suggest that higher levels of parental interventions (or higher importance placed on parental interventions) -- while functioning in a supportive and comforting capacity -might lead to reliance on future parental interventions to guide children. Implications for fa mily communication and it's impacts on adolescent growth are addressed. 22. 儒教的対人関係モデル 獨協大学大学院生 海谷千波 異文化コミュニケーションの研究が行われるようになって 50 年以上が経った。この間、特に「異文化トレーニ ング」や「異文化適応」などの実益を目的としたものが多かった。しかしながら、これらの研究の背景にある西 洋的価値観の中には非西洋世界に適応不可能な概念や理論もある。この概念的・理論的限界という問題には改善 の余地が残されたままであり、今後の研究課題となっている。実際、概念上の問題はあるが、非西洋的視点から の研究の重要性がさけばれてから久しいが、とりわけ日本においては、未だに欧米におけるコミュニケーション 研究の結果に基づいた応用研究が主流をなし、東アジア文化に基づいたの基礎研究は少ない。 そこで、本研究の目的は従来の異文化コミュニケーション研究を批評的に考察することであり、以下の 3 つに 研究目標を設定する。第 1 の目標は、異文化コミュニケーション研究の歴史的背景とその問題点を指摘すること である。既述のとおり、欧米における研究成果がコミュニケーション研究に絶大な影響力を持っており、それら を「文化」の概念を中心に批評する。第 2 は、儒教という視点から、人間関係を中心に捉えたコミュニケーショ ンを再考することである。近年、非西洋的視点、特にアジアからの研究の貢献の重要性が指摘されているが、「宗 教」という視点からコミュニケーション観を再考する。そして第 3 の目標は、異文化という状況における第 3 文 化構築に向けた対人関係モデルを提示することである。その 1 つの試みとして、「和」の概念を中心とした対人コ ミュニケーションモデルを構築する。以上の点から、本研究が今後の異文化コミュニケーション研究に新たな視 座を与えることを期待したい。 23. 禅とコミュニケーション理論 Monterey Institute of International Studies, Graduate Student Kosaka, Takashi 近代コミュニケーション理論は、欧米において構築・発展を遂げ、先駆的努力だけではなく、科学的・実証面 での評価も高くなっている。一方、欧米中心的な考え方にて研究が実施されているため、多くの批判・反省的発 言が繰り返されているのも事実である。その中にあり、アジア的なコミュニケーションの構築に向けた努力が払 われ始めたのは喜ばしいことであり、本論の目的は、アジア的コミュニケーション理論の構築の一助とする点に ある。 仏教はインドにその端を発し、中国・韓国を経由して日本に輸入された。その過程において幾多の宗派が生ま 23 れ、現代の社会の根底を為す思想の礎となった。他宗教と比較して生活哲学としての要素が強い仏教は、組織的・ 体制的な発展に全市民が参加する機会は日常において少ないものの、我々の日常生活を支える慣習を創り出すき っかけとなったのは否定できない。 石井敏は諸研究にて、コミュニケーション理論の構築概念のひとつとして、仏教にその拠り所を見出している。 石井の研究に触発され、本論では、アジア的コミュニケーション理論構築を促進するための一手法として、海外 で発展を遂げた禅仏教の思想を中心に、いかにして海外発展が可能となったかを背景に、この動きを創りだした 鈴木大拙の著作を分析することで、禅仏教のコミュニケーション理論への適用を最終目標に掲げる。 本論では、鈴木の著作の中から、これまでのコミュニケーションを取り巻く概念に関連するものを抽出し、鈴 木の考え方をまとめていく。禅仏教の中心的考え方であり、実践面では只管多座、座禅などに表れる反面、これ までのコミュニケーション理論では否定・過小評価され続けてきた「沈黙」に関して、本論で考察する。既製理 論を違った世界へ適用することに満足するだけではなく、違った世界で発展した考えを理論にまとめあげ、それ を独自世界へ適用する。禅仏教をその出発点としたい。 24. 謝る意識――中国、日本、台湾の対照研究―― 広島大学大学院生 鄭 加禎 広島大学 上原麻子 本研究は中国、日本、台湾における異文化摩擦を減少するために、3 地域の謝る意識の異同を調査した。具体 的な目的は謝罪者の視点から中、日、台における①謝る意識の異同②罪意識の異同③罪意識が謝る意識に影響を 与える程度④位相差(上下差と親疎差)の解明である。多くの先行研究(池田 1993 他)の対象者が学生であるが、 本研究は社会人を対象とした。データの収集は質問紙調査法を用いた。予備調査(2002 年)の結果に基づき、21 場 面を設定し、2003 年の夏、参加者に回答してもらった。有効回答数は中国 106 名、日本 104 名、台湾 122 名、計 332 名。分析手法は、因子分析、Anova 多重比較、重回帰分析およびt検定を使用した。本研究で扱う謝る意識と 深く関わっている face の概念は、Goffman(1967)の"face"と社会秩序理論および Brown&Levinson(1987)のポライト ネス理論に従う。 研究結果は次の通りである。 ①中、日、台における謝る意識は場面によって高低が見られるが、全体から言えば、本研究で謝る意識が一番 高いのは中国で、日本はその次、台湾は最下位にある。相対的に中国では礼儀の正しさと道徳の提示が高く要求 されているようである。②「自己罪意識」と「他者罪意識」が謝罪の主要因であると判明した。その二要因は中 国と台湾の謝る意識よりも、日本において影響が大きいことが明らかになった。つまり、「自分が悪かった」とい う意識は中、台よりも日本の謝る意識に大きく働いていた。③中国と台湾の結果からは、親疎差は出なかったが、 上下差が見られた。一方、日本に関して、親疎差が現れて、上下差が提示されなかった。つまり、中、台では、 相手との親疎関係よりも上下関係の方が謝る意識に影響を与えて、日本では、親疎関係の方が謝る意識と関わっ ていた。 先行研究および上記の謝る意識に係わる概念、文化の視座から考察を行う。 25. レトリックの主体と言説 (レトリック研究会企画) 司会:畑山浩昭(桜美林大学) パネリスト:藤巻光浩(文教大学) 青沼 智(神田外語大学) 中西満貴典(愛知県立岡崎東高等学校) 柿田秀樹(獨協大学) 昨年度の CAJ 年次大会のパネル(「レトリカルな主体とその構成力」)で展開された議論を受け、本パネルでは レトリックと主体との関係について新たな理論的地平を開くことを試みたい。昨年確認された点は、レトリック 研究の目的は学生に自らが主体であることを再認識させることであった。しかし、従来の日本でのレトリック研 24 究の問題点の一つは、研究者がレトリックの主体を措定してしまう為に、その技術性と効果に焦点を当てようと する姿勢に顕著に見られる。したがって、レトリックと主体の関係は限定的に理解されているようである。そこ では、主体の存在を前提とするために、レトリックが主体を構成する言説編成の権力を考察しえなかった。如何 にして自らを主体として構成するのか、その構成はどのような言説を編成するのか、その編成が如何に権力関係 を打ち立てるのか。これらの問いの重要性を確認すべく、本パネルでは各発表者が主体とレトリックの新たな理 論的地平を開くこととなる。 藤巻は、レトリックと主体との関係が、レトリックの起こる場(rhetorical situation)を経由することなしには存 在し得ないことを示す。ケーススタディとして、1995/2003 年に起こったアメリカはスミソニアン航空宇宙博物館 に於けるエノラ・ゲイに関わる論争、または展示を批評することにより、具体的に言説化されるべきレトリック の起こる場を示し、記憶の分有、つまりトランスナショナルな記憶への可能性を探る(「母の名前を思い出すこと とは:トランスナショナルな記憶としてのエノラ・ゲイ論争・展示」)。 中西は、多義的な差異の世界が対立概念を生みだす過程は言語(レトリック)あるいは人間(主体)の本質と いかに関係しあうかを言語の弁証法的構造の考察をつうじて議論する。換喩や隠喩との対比において、K. バーク が注目した提喩概念の作用を米国によるイラクの他者化表象を分析することによって明らかにする(「言語の弁証 法的構造と主体概念の形成」)。 青沼は、「心理学」という学術的分野を言説として把握することで見えてくる還元論的イデオロギーの権力をレ トリック研究の視点から考察する。「こころ」に基づいて社会一般を語ることを可能とさせる言説としての心理学 が働かせるイデオロギーの権力について論じることを試みる。心理学という言説を無批判に受容していしまうコ ミュニケーション研究の専門分野への学術的介入の可能性を同時に模索することとなる(「『心理(学)化する社 会』のレトリック」)。 柿田は、古代ギリシアの弁論家・イソクラテスの視点からミシェル・フーコーの倫理の可能性の中心をレトリ ック理論としてその読みを提示する。謎とされるミシェル・フーコーの『性の歴史』の第2巻、『快楽の活用』の 鍵をフーコーによるイソクラテスの引用に見出し、レトリック理論としての倫理を解釈することとなる。実践と しての倫理が引用可能性という条件での主体の構築であり、その主体の権力関係が倫理的主体を構成する過程を テクストに読み込むことで、レトリック理論としての倫理の可能性を実践に見出す可能性を探求していく(「倫理、 実践、権力関係:レトリック的行為主体」)。 このパネルを通じ、各発表者は主体を形成する力をそれぞれの視点から取り上げる。主体を構成する力を持つ 言説を批評・実践することにより、理論的な系譜が作成されることを期待している。 IBC(国際ビジネスマンクラブ)セッション (26-28) 26. 講演: 中国ビジネスの現場から パイオニア(株) 小泉敏章 パイオニアは4年前から、中国蘇州にある台湾系パソコン及び周辺機器製造会社へパソコン用 DVD-ROM ドラ イブを生産委託しており、私は当初より参画し、品質関係の仕事をしている。今年3月末時点で、通算出張 42 回、 滞在日数は延べ約 800 日になった。今回の講演では、これまでの体験を踏まえて、中国とはどんな所か、中国で ビジネスや生活をする上で、日本人はどのような事を心がけなければならないか等について述べたい。中国はあ らゆる面でバラツキが非常に大きく、何でもありの国と言える。生活様式や行動など多くの部分が均質化されて いる日本人にとって、中国は正に驚きとカルチャーショックの連続の国といえよう。近代工業化が始まって 10 数 年、特に最近、急速に IT 化やモータリゼーション化が進む一方で、昔からの変わらない伝統的な文化が存在して いることも事実である。そこで新旧が複雑に混在している中国を、日本人ビジネスマンの視点からお話したい。 25 27. 講演:コミュニケーションとは能力だ (株)ロッキー副社長 1)マーケットニーズと客のニーズは一致するか 性の増大につながった 売れるのか 2)「売り手市場」から「買い手市場」への転換が対話の重要 3)保守的な自分を対話でどう打破するか ップにコストを惜しまない 6)数字の奥にあるものと対話する 9)対話は双方向のティーチャーであるべき 28. 広瀬義征 4)対話力は話術ではない 7)仮説と検証 5)対話力ア 8)お客と対話なしで物は 10)積み重ねが対話のすべて IBC メンバーによるミーティング 司会:土屋秀夫(IBC 会長) IBC(国際ビジネスマンクラブ)は故平沢和重氏の意思を継いで開催された国際人養成セミナーを母体として 1978 年に設立された勉強会で、今年創立30周年になる。設立当初は国際問題をメインテーマに国際派有名講師 を招いて月例会を開催し、真の国際人とは何かを学んだ。中国など海外セミナーも実施してきた本格的な勉強会 である。更に、日米交流の実績として、平沢基金への参加でメイン州ベイツ大学への交換留学生の実現に多少な りとも貢献してきたことが特筆される。 その後、世の中の変化に対応し、サラリーマンの生き方等、身近で実践的な内容を盛り込み、テーマも多様化 してきている。また、企業、工場見学等訪問シリーズ、動く勉強会の展開も IBC の特色となっている。ミーティ ングでは創立30周年に向けて、IBC のあり方、活動計画等について討議したい。勉強会の最近の傾向は交流会、 サロン化方向にある。組織論としての NPO への移行、社会貢献の可能性等も検討し、具体的に論議を深めたい。 29. Language and Gender: Shift in English and Japanese Terminology Kochi Technology Univesity Myojin, Chiyo Gender-neutral language is a style of writing with certain rules that were first proposed by feminist language reformers in the US in the 1970's. According to the rules, we should avoid the use of English terms such as "he" and "man" as gender-neutral meanings, because they refer exclusively to males. In addition, a number of new terms have been recommended; for example "police officer" and "chairperson" instead of "policeman" and "chairman", respectively. Some language reformers point that the reason why such sexist words should be avoided is not just because they confuse us but because they do have effects on our thought. In fact, the results of some experiment studies show that readers of terms like "he" and "man" are more likely to think more readily of males than of females (Erlich and King 1998:168). In the case of Japanese language, there is no usage of "generic he". That is, if we need to use the third person singular pronoun as a generic meaning, sono hito "that person" can be chosen or even no pronoun is necessary. How about the Japanese equivalents of "policeman" and "chairman"? They are keikan and gichoo, respectively, and do not include the meanings of "male", so they are not "sexist" words like the English equivalents. Aren't there any sexist words in Japanese then? Some Japanese people point out that using shujin -whose literal and original meaning is "my master", for "my husband" and kanai for "my wife" is not appropriate anymore because they sounds quite sexist and outdated nowadays. This paper describes how gender-related English and Japanese terminology has been changed. This also shows the results of the investigation on how widely English "gender-inclusive language" are currently used and also on how Japanese people feel about the use of shujin and kanai . 26 30. 現代の日本人独身女性のアイデンティティーのコミュニケーション学的考察 ペンシルバニア州立大学大学院生 前田江里子 日本人の未婚化、少子化が進行しており、この問題の社会的影響については近年頻繁に取りざたされている。 しばしばこの現象の核心とされているのは独身女性であるが、学術的観点からこの問題を見た場合、結婚・出産 が自然な女性の発達段階として考えられがちな社会の中で育ちながら未婚である彼女たち自身のアイデンティテ ィーというのは、心理学的、社会学的、文化的に、興味深い存在である。 本研究は、日本人未婚女性たちのアイデンティティーを、Communication Theory of Identity と Standpoint Theory の観点から探求した。Communication Theory of Identity はアイデンティティーをコミュニケーション過程であると いう観点に立ち、女性たちが家族や友達を始め色々な人とのコミュニケーションを通してどのように独身である 自分を捕らえたり、表現しているのかに注目した。一方 Standpoint Theory は、人はそれぞれの立場があり、その 立場から物事を理解していく事の重要性を唱える。特に社会的に主流な立場にいない人々は、社会で生き抜くた めに、主流の物の見方と、自分の立場からの見方の 2 つを理解していることがあり、その独自の立場を理解する ことによって、当然とされている主流にある社会構造を再考察する機会を与える。本研究では未婚女性の立場か ら、日本の主流社会・家族構造を考察した。 この研究では、30 歳から 55 歳の東京近郊と関西地方に住む未婚女性 30 人にインタビューを行い、内容分析 を 行った。その結果、自由、父母の関係、父母との関係、結婚の理想と現実、無所属感、人生の意味と目標といっ たテーマが現れた。これらのテーマの中には欧米の研究に見られたように、相容れないテーマの共存が認められ (例:自由と寂しさ、自立と無所属感)、彼女たちの心の葛藤がうかがわれた。その一方で、欧米では論じられてい ない両親の影響や、結婚の意味とその代償といった現代日本社会特有のテーマも認められ、日本人未婚女性のア イデンティティーが構築されている背景を浮き彫りにした。 31. The Three Faces of Japan in Taiwanese New Cinema California State University, Hayward Meiling Wu This paper discusses the cinematic conceptualization of Japan in Taiwan through the camera lens of three prominent filmmakers of Taiwanese New Cinema, Hou, Hsiao-Hsien, his mentor Wang Tung and his protégé Lin, Cheng-Sheng. From the comparative study of Hou’s A City of Sadness (1989), Wang’s Hill of No Return (1992) and Lin’s March of Happiness (1999), the director’s unique portrayal of Japan in Taiwan at the dawn of sovereignty transition will be examined. From the comparison of their artistic styles, techniques, and approaches to Japanese colonization and to nationalist Chinese’s neo-colonialism in Taiwan, the construction of post-colonial identity in Taiwan remains a problematical and difficult task. Like his mentor and other New Cinema directors, Hou’s highly acclaimed film A City of Sadness takes a introspective approach in examining the effects of the tremendous political, social, and economic changes that Taiwan had experienced during the years of political violence of Nationalist takeover. While most of the critics focus on the conflicts between the local Taiwanese and the newly arrived Nationalist government that came to a climax in the February 28 Incident of 1945, this paper will discuss the role of Japan in Hou’s film as democratic and native cultural inspiration. Shifting the focus from the intellectuals to the lower class people, in Hill of No Return Wang Tung explores a typical subject like most of Taiwan’s New Cinema filmmakers– portray the tragic, work-burdened lives of rural Taiwanese during the Japanese occupation. This paper will address the problematic yet symbolic relationships among the three parties – the Japanese prostitute, the Chinese opportunist, and the silent Taiwanese observer. It is certainly audacious of Lin to try to follow in the footsteps of A City of 27 Sadness, account of the same period of Taiwanese history, yet instead of confronting history directly Lin’s film is more allegorical. Lin creates story within stories and stage within stages in his film, March of Happiness. Lin deploys many impressive cinematic techniques, rapid montage scenes, flights of flashbacks, and dreamlike fantasies, and applies them to interrupt the characters’ traditionally bound lives. Until the very end of the film, Chen’s final tough of synchronization reveal the relevance of individual lives and the blooming Taiwanese identity. All the films have ambiguous closing, with death of major characters and the confused survivors. The open ending suggests a possibility of a new post-colonial identity blooming in the globalized world, while the conventional national identity has been severed, distanced, and challenged, a new post-colonial and multi-cultural identity will soon be initiated from unexpected encountering. 32. 日中メディアとコミュニケーションに関する比較研究 司会:頼 茂生 清華大学 崔 保国 「中日関係とニュース報道」:1.報道と社会現実の間の関係:社会現実を反映できるかどうか 現実を反映すべきか どのような影響を受けているか 2.議題設定は存在するか どのような社会 3.研究方法: Bernard Berelson による定義(客観的、系統的、かつ定量的な分析を行う研究方法)8 月 4 日チチハル日本軍の 遺棄化学兵器毒ガス事件 事件 新幹線技術採用に抵抗する署名運動 日本人留学生の西北大学寸劇事件 湖南省のラジオ番組で偽日本人による中国侮辱 4.議題設定背後の力学関係 これらの事件について、日中両側の異 なる報道の仕方を分析することにより、背景を読み取ることができる。 メディアと情報ソースの間の関係:情 報操作の可能性 議題設定研究と中国の世論研究の接点 らに高まってく 日中関係については、中国社会における対日新思考の論議。 北京大学 事件が注目され、またメディアの報道により関心がさ 頼 茂生 「中日情報学の発展と教育問題に関する比較研究」 :本稿は中日情報学の生まれた背景、特徴、移り変わり(特に、 研究内容の変化)、教育パターンの変化、中日情報学教育の発展状況などを論じる。それに、今日まで世界情報学 の発展における若干の問題及び未来の見通しをも分析する。 清華大学 崔 揚 「日本の healthy communication 組織の組み立てが中国に対する参考できること」:「healthy communication」と は健康教育と健康促進を進める系統的な工事である。中国にとっては、日本の組織の healthy communication 経 験がとりわけできることである。本稿は日本の高齢者福祉事業から、中国の healthy communication 学科の設立 に関して検討する。 清華大学 張 勝利 『「朝日新聞」と CNN から携帯電話と伝統的なマス・メディアの交錯及び融和関係に関する検討』:携帯電話は新 しいメディアとして社会に対する影響を広めている。ウェッブサイトが直接に伝統的なメディアの内容を利用す ることと違い、携帯電話とマス・メディアは交錯及び融和関係で互いに双方の発展を進める。例えば、携帯メー ルはテレビと視聴者の間のインタラクションを実現させた。また、携帯電話はマス・メディア機関の間の提携を も促進している。例えば、日本の「朝日新聞」と CNN の提携活動はそのようなことである。携帯電話自身の特色 はいつでもどこでも情報を伝播すると言う夢を実現させた。それにしても、大衆は携帯をどの程度で利用してい るか、マス・メディアはどのように友好的に携帯と融和していくか、携帯はこれからマスコミ産業にどのような 影響を与えるかなどに関するそれぞれの問題は最も解決すべきことである。 28 33. あるべき法廷とは何か ――日本における法廷通訳人資格認定制度導入への一考察―― 東京外国語大学大学院生 宮岸真希 日本語を理解できず、また話せない外国人が裁判に関わる際には、通訳を介して裁判手続きがなされる。裁判 における通訳者である法廷通訳人は、希少言語を中心として不足している。 日本における法廷通訳に関する研究は、今まであまりなされてこなかった。法廷通訳人の体験談的なものをま とめたものが多く、通訳人の生の声を知ることができる点で貴重だが、通訳人の守秘義務のために事件の特定を 避けざるを得ず、一般的な議論になってしまう。また、法廷通訳人の資格認定制度の必要性は、外国人問題を論 ずる上で、検討すべき課題として指摘されることがあるが、何が必要とされているのか、また、どのように改善 していくべきなのかに対する具体的な議論は見られない。 小論の目的は、「あるべき法廷」とは何かを探究することである。そのために、法廷通訳をめぐる諸問題を考察 し、現状改善の方策のひとつとして、法廷通訳人資格認定制度の導入を提案する。まず、日本の法廷通訳をめぐ る現状を考察しながら、法廷通訳人資格認定制度導入の必要性を明らかにする。何が法廷通訳人に求められてい るのかを、具体的に検証していく。次に、アメリカでの通訳人資格制度を参考にしながら、資格認定制度導入の 是非を論じる。最後に、冤罪事件と言われている2つの事件を取り上げ、各事件に法廷通訳人がどのように関わ っていたのかを出来る限り具体的に考察しながら、資格制度の限界を論じていく。1997 年に日本人女性が殺害さ れ、ネパール人の被告が罪に問われた、「東電 OL 殺人事件」と言われる事件と、1992 年にオーストラリアのメル ボルンで日本人観光客が麻薬密輸の疑いで逮捕された「メルボルン事件」を取り上げる。 34. 対人距離とコミュニケーション――日韓の若者の親密度比較を中心に―― 鈴木修子 (財)日本国際協力センター 「留学生に日本人の友人ができにくい」という問題が、日本語教育や異文化コミュニケーションの分野で、あ るいは留学生適応問題として指摘され、研究されている。本研究ではそのような観点から、それぞれの友人関係 に望む意識、対人関係の親密度意識、対人行動による親密度、及び親密度のコミュニケーションスタイルへの影 響について、実際に検証し、『心理的な対人距離』の要因をあきらかにした。調査は日本の大学における韓国人と、 日本人学生の各約100人を対象に、質問紙調査を行った。この結果より、韓国人は友人関係に家族同然の付き 合いを望む人、つまり親密な付き合いを望む人が7割以上いることがわかり、日本人よりも圧倒的に多いことが わかった。 また親密度意識と対人行動「自己開示」「対人接触」「援助」「共同行動」から見る親密度調査では、日本人と比 べて韓国人の親密度は高く、特に「家族」「親しい友人」「親しい先輩」「親しい後輩」について韓国人は親密であ ることがわかった。本研究から、内集団に含まれる「友人」とは、韓国では「親しい友人」「親しい先輩」「親し い後輩」の 3 つの関係であり、日本では「親しい友人」のみであることがわかった。 これらの具体的な違いをまず日韓の学生同士が学習しておくことは、円滑な友人関係を構築し、有意義な学生 生活をしていく上で大変重要なことであると考える。今後はこの研究を、日本語、異文化化教育に応用させてい くことを試みていきたい。 35. 韓国製テレビドラマの受容研究――質問紙調査の結果から―― 北星学園大学 長谷川典子 当発表は、2003 年春、韓国ドラマとして日本において初めて全国規模で放映された「冬のソナタ」の視聴者を 対象として行った質問紙調査の結果報告である。「冬のソナタ」は、新聞各紙や雑誌、テレビなどに頻繁に取り上 29 げられ、それらの報道によると、ドラマ視聴後、多くの視聴者が「韓国に対するイメージが大きく変化した」と 報告し、ビデオ、DVDなどで何度も視聴を繰り返したドラマ愛好者の中には、韓国、韓国人に好意を抱き、韓 国音楽、映画などの韓国文化愛好者となったり、韓国語の学習に精を出すものも多数出現しているという。この ような一連の報道通り、「冬のソナタ」の視聴者たちには韓国人や韓国に対する態度やイメージの変化が生じたの であろうか、そしてその変化とは韓国人に対する心理的距離の縮小をも意味するのだろうか。また、視聴者が報 告した心理的変化は、ドラマ視聴前の韓国人に対する心理的距離やドラマへの傾倒の程度などの諸要因と如何に 関連しているのだろうか。当発表においては、上記のような問に答えるべく、筆者が 2003 年 12 月末から 2004 年 2 月末までの期間、北海道、関東、関西の3地区に居住する「冬のソナタ」の視聴者に対して行った質問紙調査の 結果を量的分析方法を用い分析した結果の報告を中心とする。また、視聴者たちがドラマ「冬のソナタ」に描か れた韓国文化や人々をどのように捉えていたかという「韓国文化の受容」について、自由記述項目を内容分析の 手法に基づき分析を行った結果をもとに考察する。 36. ケース・ディスカッション形式授業のクラス・リード方法に関する考察――コンテクストと コンテンツという階層構造を前提としたモデルの提示とその運用について―― 慶應義塾大学大学院生 北垣武文 大学院におけるMBAスクールの相次ぐ設立や民間のビジネス・スクールの台頭など教育機関の拡充が目立つ ようになってきている。これらビジネス教育機関の多くが、ハーバード・ビジネス・スクールに代表されるケー ス・ディスカッション形式の授業を採用している。本形式は実践を重んじるビジネス教育との整合性が極めて高 く、優れた教育実践方法である。 しかしながら本形式の実践は決して容易ではない。教材選択やラーニング・ポイント設定など事前の準備が重 要であることは論を待たないが、それ以上に重要であるクラスの運営が、それを司る講師の技量に大きく依存す るからである。本形式の授業における講師の役割は知識を背景とした所与のコンテンツを提供することに留まら ず、むしろ受講生の発話を受け止めた上でそれらを組合せ、クラス全体の学びを形成していかねばならない。し かしながらクラスの展開が、講師が意図しない方向に流れていくことは日常茶飯事であり、それらに適切に処理 しながらクラス全体の学びを深めていくことは困難を伴うことが多いといえる。 本稿では、ケース・ディスカッション形式の授業におけるクラス・リード方法について考察する。具体的には、 クラスを「学びを深める」という目的を共有する組織と捉え、その有効性や能率という観点から分析を行う。そ の上でそれらを高めるためのクラス運営の具体的な方法論を、仮説的なモデルを提示することにより展開する。 ここでは、講師が事前に計算に入れていない、「意図せざる結果」をクラスの学びにどれだけ取り込めるかについ ても議論する。同時にモデル上で議論しきれない、人間の認知的な部分を如何に取り扱うかという難題について も言及する。 有効なケース・ディスカッション形式の授業のクラス・リード方法のモデル化は、会議やプロジェクト・チー ムの運営など日常的なビジネス・シーンへの示唆にも富む点で意義が深いと考える。 37. ディベートの功罪――パーラメンタリー・ディベートに参加する大学生の意識―― 九州大学大学院生 中野美香 国家間のボーダレス化が進む現代社会において、ディベートは複雑化する問題への平和的解決・交渉法として、 あるいは国際舞台で活躍する人材育成を目的として、ここ数年でさらなる注目を集めている。しかし、イギリス 議会をモデルとするパーラメンタリー・ディベート(PD)は、現在世界最大規模で活動がおこなわれているにも かかわらず、国際的に研究は十分におこなわれていない。PD は聴衆とのコミュニケーションや即興性に重点を置 30 く独特のスタイルをもつため、その特徴を明らかに必要がある。また方法論に関しても、これまでのディベート 研究では実証的アプローチをとる研究の数は少なく、ディベート形式の多様化や学生の生活パターンによる変化 を追認するためには、定期的な意識調査が有効だと考えられる。本研究の目的は、ディベートの功罪を実証的に 検証し、PD の特徴を明らかにすることである。本研究は Williams, D. E., McGee, B. R., & Worth, D. S. (2001) に基 づいて、大学生のディベート参加の効果に関する調査をおこなった。この結果、先行研究との比較から、学生の ディベート活動の実態や日米の大学生の認識の相違点についても示唆が得られた。実証データを用いて、ディベ ートの利点と問題点、今後の展望を論じる。 38. 歴史教科書問題を巡るディスコース 愛知淑徳大学 福本明子 「歴史教科書問題」を取り上げ批判・分析した研究は多くある。「新しい教科書をつくる会」の言説に着目した 研究やつくる会に呼応した社会現象を分析した研究等が主流である。この呼応現象を「下(民間)からのナショ ナリズム」と命名した学者もいる。本稿ではコミュニケーションの観点から教科書問題をとりあげ、オーディエ ンス側の言説を分析し、視点・認識・意味の構築与の探求し、安易にナショナリズムに迎合しないために、自ら の言説パターンへの注意点を喚起したい。 「歴史教科書問題」とは、2000 年 7 月に「新しい教科書をつくる会」が独自に編纂した教科書を検定のため文 部科学省へと提出してから、2001 年 8 月に全国の教育委員会や学校が採択・不採択を決定した一年強にわたる期 間、つくる会・報道・諸団体・諸外国を巻きこんだ一連の騒動を示す。 データは、1999 年に毎日新聞社がネット上(毎日インタラクティブ)で主催した E-mail Debate に投稿された 一般の 234 人の日本人からの投稿意見を分析した。分析には二段階踏まえた。まず、投稿意見を集団の記憶に分 類し(四つに分類できた。本稿ではその詳細に触れない)、其々の記憶を維持・構築している言説のパターンをデ ィスコース分析を用いて検証した。 結果として、各記憶の其々のパターンは機能的には Potter(1996) の表象構築のための三つのパターン (Normalization/Abnormalization, Omission/Categorization & ontological gerrymandering, Extrematization/Minimization)に 集約することができた。自らの言説を省みる時、何を如何なる基準を用いて「普通・異常」「重要・重要でない」 と認識しているのか、またその基準を維持するために何を言説の舞台から排除し、如何に区分けしているのか深 く認識することが、安易にメディアや特定の集団の言説に迎合しないために重要であると結果がでた。 39. New Perspectives on Japan-U.S. Communication (Presented by JUCA-CAJ) Address: Ryo Kitade (President of JUCA and CAJ) Speech & Chair: Tom Bruneau (Radford University Vice President of JUCA) Panerists: Kenji Kitao (Doshish a University) Katsuya Tasaki (Ferris University) David Prucha (Takushoku University) This program offers several new perspectives on problems of Japan-U.S. communication. The presenters will discuss their views on these problems. Presenters will make suggestions for improving Japan-U.S. communication, communication research and education in Japan and the U.S., as well as suggestions on the importance of indigenous Japanese Communication scholarship. 31 40. E-Learning を利用した留学生のための討論授業の効果と言語不安の変化 一橋大学留学生センター 西谷まり 外国人日本語学習者の言語不安を軽減し、口頭表現能力を高めることを目的として、2003 年度後半に e-learning システム WebClass を使用したオンライン教材を補助教材とする討論授業を行った。WebClass に討論資料と語彙、 漢字の練習問題をアップし、授業前に予習をさせてから授業に臨んだ。一学期間継続的にデータがとれた 6 名の 学生のデータを分析した結果、WebClass はよく利用されており、学習者の評価が高かった。特に、日本語力の低 い学生は WebClass を利用した事前学習を経て討論授業に臨むことによって、日本語力の自己評価が高まり、口頭 表現能力が高くなった。しかし、言語不安が軽減したのは 6 名中 1 名のみであった。 今回の調査では低い日本語力の不安と、日本語における意思疎通の不安については事前事後に測定を行ったが、 日本語学習項目別の不安を測定しなかった。語彙力に不安を持っている学習者、日本語のコミュニケーションス トラテジーに不安を持っている学習者など、学習者ごとに不安の対象は異なるはずであり、今回の調査の結果か ら、学習項目ごとに感じる不安を整理して測定することが必要であることが明らかになった。2004 年度は、事前 調査において言語不安を学習項目ごとに測定し、漢字、語彙、文型、コミュニケーションストラテジー等の不安 を軽減するための事前学習教材を提供していく。WebClass の事前学習だけでなく、討論授業後に DWP(ディジタ ルワークプレイス)のメーリングリスト機能を利用して、学習者同士のコラボレーションを活発に行わせる。 本論分の最終的目的は討論授業における言語不安の制御と学習効果の関係について検証することである。6 月 の発表では 2003 年度後半の取り組みとともに、2004 年度前半の取り組みの中間発表を行う予定である。 41. 携帯メールコミュニケーションにおける倫理 ――同時性を持った文字コミュニケーションが抱える諸問題―― 宮崎 新 本論文では、現代社会で急速な進歩を続ける『携帯メール』という、「文字」を媒体とし口頭会話と同等の「同 時性」を兼ね備えた新たな文字コミュニケーションに着目し、その特性から生じる倫理的諸問題についての考察 と、今後のコミュニケーション研究・教育に於けるこの問題の重要性を提示するものである。現在の携帯メール の普及で一番注目すべき点は、我々の生活の中で「文字」によるコミュニケーションが「日常茶飯事化」した事 である。瞬時にメッセージが行き交う電話や会話などの音声コミュニケーションと違い、これまでの手紙・FAX・ 電報・ポケベル・E-mail(PC)・チャット等の文字コミュニケーションは、ある特定の人々や特定の環境下で使用さ れ、やりとりにある程度の時間がかかる事を前提とするものだった。しかし携帯メールの出現は、文字というコ ミュニケーション媒体をどの世代の人間にも身近で日常的なものにし、更に制限の少ない自由な利用環境を与え たのである。結果今や日常でのその割合は、電話や顔を合わせた口頭会話のそれと同じ、若しくはそれ以上にな ったと言える。これは携帯メールの特徴が、我々にとって一番身近な「お喋り的内容」を扱い、それに本来「文 字」が持ち得ない会話の同時性を兼ね備えたメディアであったからである。しかし、その手軽な文字を使ったお 喋りが氾濫する中で、時に倫理観の欠如により個々の擦れ違いから事件に発展するものまで様々な問題が生じて いる。特にこの問題には、学生を中心とした若者世代が深く関っている。しかし、コミュニケーション倫理に対 する認識がまだ低い上に、前例の無い特殊なコミュニケーション環境を与えるこのメディアに対し、利用者側の 準備が十分とは言えないのが現状である。この論文を通じて、携帯メールという新たなメディアの特性から、今 後の我々の文字コミュニケーションとその倫理観に対する方向性を示唆していきたいと思う。 32 42. 中国大学生の携帯電話のメールに使用する絵文字に関する一考察 中国ハルビン工業大学 三井えい子 中国ハルビン工業大学学部生 馬 洪東 中国では20世紀80年代から始めた移動通信事業は、20年余りの間に著しく発展してきた。携帯電話の普 及は急速に伸び、昨年10月末には、その使用人口は約2億6千万人,世界最大の携帯電話大国である。ことに 携帯電話のメール使用は盛んであり、今年旧正月中(1月23日)、携帯による新年挨拶のメールは98億件数と、 驚くほどのお数字に上ったと、中国のメデイアが報道した。本論文は携帯電話のメール発信には最多層と思われ る中国大学生を対象に書面によるアンケート調査を実施し、彼らの携帯電話のメールの使用実態、その中に絵文 字の使い方などを重点的に考察することを目的とする。 意義:文字はコミュニケーションの手段の一つである言語の中で、もっとも重要な要素である。現在、携帯電 話のメールにも文字はやはりコミュニケーションを図るうえで、不可欠 なものである。しかし 、いわゆる MMS(Multimedia Message Service)マルチメデイアの技術進歩によって、携帯電話のメールは従来の文字以外に、絵 文字、映像など、様々なコミュニケーション様式が出現し始めた。もしかすると、将来、メールには文字が消失 し、代わりに絵文字や映像、その他のものになるという予測を立てることができないだろうか。それを検証する には、現在、中国における携帯電話のメールに使用する文字およびその他のものの実態を調査することが第一歩 であると考える。 43. New Challenges and Opportunities of Communication in Asia: Korea and Japan―Japan and Korea (Presented by Pacific and Asian Communication Association and Korea Communication Association) Chair and Panelist: Kawashima, Takehide (President, Pacific and Asian Communication Association and Nihon University) Panelists: Chong-Hyunk Cho (President, Korea Communication Association and Hankuk University of Foreign Studies) Kee-Soon Park (Former President, Korea Communication Association and Sungkyunkwan University) Tezuka, Chizuko (Professor, International Center, Keio University) Communication Education in Korea has developed only in minor degree, largely on the fringes of the school system; this is despite the fact that quite literally the modernization of the nation commenced through an organization devoted to the study of communication. Korea has a republican government are eagerly and alertly interested in the values in its long past. Today there is in Korea an obvious need for broad and serious communication research and education. The history of communication research and education in Japan began in 1873, when Fukuzawa Yukichi, the founder of Keio University in Tokyo, instituted on his campus the practice of Japanese language oratory and debate based on Western rhetorical principles and the rules of parliamentary procedure. Since those early days, communication research and education has become a firmly-entrenched force in Japanese society. In this Distinguished Panel Session, we are going to present some aspects of communication in Korea and communication in Japan under the topic “New Challenges and New Opportunities of Communication in Asia: Korea and Japan−Japan and Korea”. 33 44. The Effects of Depth of Assignment Specialization on Student Learning and Speaker Confidence in the Basic Communication Course Creighton University Richard I. Falvo An issue that some communication studies departments may face is how to design the basic communication course in a way that maximizes student outcomes. This study compared two course content structures. The first structure involved a basic communication course that included an interpersonal communication component, along with three speaking-based presentations (informative, group decision-making and persuasive). The second structure reflected the removal of a relational communication component (consisting of a reflective report on a past interpersonal relationship), and the addition of a fourth category of speaking (referred to as "specialized presentations"). Each structure used different textbooks: the first structure employing a "human communication" format that included chapters on interpersonal communication, and the second structure using a "public speaking" format. For each course format, students were assessed for changes in: (1) cognitive learning, and (2) speaker confidence (measured by changes in communication competence and communication apprehension). Results suggest that decreasing course breadth by eliminating the interpersonal communication component and increasing the number of speaking-based assignments created greater improvements in cognitive learning and communication competence with strangers, acquaintances, and overall competence. The most significant finding was that the course structure with decreased breadth and increased amounts of speaking assignments produced lowered communication apprehension (in all contexts) by the semester's end, while the course structure with more breadth was associated with higher levels of communication apprehension (in all contexts) at the post-semester. These findings suggest that having a basic course which (1) immerses students in more speaking-based assignments with varied purposes (such as informative, persuasive, impromptu, group decision making, ceremonial, self-introductions, and so forth) and (2) excludes a relational communication assignment may yield greater student cognitive learning, increases in communication competence and reductions in communication apprehension. Implications for course design and textbook selection are also addressed. 45. 日本語学習者のアーギュメント――構造上の特徴と母語話者評価の関係―― 北海道大学 鈴木志のぶ この研究は、これまでのアーギュメント研究、および日本語学習者の母語話者評価研究に欠けている部分を補 うべく日本語学習者によるアーギュメントに注目する。特に、日本語教師が評価する日本語運用能力の差によっ て、学習者のアーギュメントの特徴がどのように異なるか、という点を明らかにすることを目的とする。その目 的を達成するために、日本語学習者(超級者および上級者)の OPI(oral proficiency interview)データを分析した。 データからアーギュメントの部分を抽出し、Suzuki の提案するインフォーマル・アーギュメントの構造分析方 法(2003)を用いて、それらのアーギュメント構造の特徴を分析した。データ抽出の対象となった学習者計 36 名の うち、発言の中にアーギュメントの存在が認められた学習者は計 29 名、うち、超級者は 15 名(英語・韓国語・ 中国語学習者各 5 名)、上級者は 14 名(英語母語話者 9 名、韓国語母語話者 5 名)であった。なお、アーギュメ ント数は計 102 で、そのうち、超級者によるものが 56、上級者によるものが 46 であった。その結果、超級者と上 級者は、いずれも日本語の談話形成能力を有する水準に達しているのだが、アーギュメント構造に関しては、ア ーギュメントのマクロな構造、ローカルな構造、分析単位間の関係、のそれぞれについて二者の間に有意な差が 認められることが分かった。この結果に基づき、本研究が、アーギュメント研究と日本語教育研究に示唆する点 を考察する。 34 46. English as a Medium of Combining Asia and Japan ――The Concepts of Self and Other―― Michie Schwer There are two ways in which the concept of English as an International language might be approached, with reference to the need for efficient global communication and the issue of Self and Other in terms of both individual and national identity, Edward W. Said addresses. It is evident that English as a global language promotes commercial, and widespread transfer of technology: many areas of Asia and Japan have economic and commercial links which are conducted in English. Whereas historically the widespread use of English in most other countries in Asia came about as a result of colonial domination, its modern expansion into Eastern areas is due to the domination of science and technology. However, one then has to consider the issue from the opposing perspective: namely, the way in which minority cultures themselves are served by the increasing dominance of English, and the impact which this might have on their own national identities and, by implication, the sense of Self which each individual possesses. The Western perspective held cultural and economic superiority, and the character of Asia was defined through the western viewpoint. In terms of the divide between Self and Other, the Western view of Asia tends to be confined to contemplation of its Otherness; that is, the ways in which it offers a contrast to the Self, or to what is considered normal and familiar. Said is particularly well placed to pronounce on such issues, who acknowledged the need for minority cultures to participate in discourse with the majority in order to avoid a cultural filtering, or ‘marginalisation’. Obviously, Japan could play an important role for attempting to reconstruct, and or to communicate with Asia for Japan is the country who has two spheres of the West and the East in itself. 47. メディアと市場に関する研究 司会:崔 保国 中国大百科事典出版社社長 田 勝力 「中国出版社の核心的な競争力の育てに関する研究」:一般的なメーカーと比べ、出版社の核心的な競争力には違 う特色がある。その競争力の育ては出版社がこれから発展しつつある重要な保証である。その故、出版社は自分 自身の核心的な競争力を分かり、それぞれの地域と市場環境によってそだてなくてはいけない。 清華大学 姚 剛 「メディア産業形態のインテグレート」 :メディアのインテグレートは形態のインテグレートと資本金のインテグ レートという二つの面を含める。メディア産業の形態インテグレートには幾層もある意味があり、単なるメディ ア機関の間の合併を指すことではない。同じく、資本金インテグレートも豊かな意味を持ち、ただ大手メディア 産業の創立を指すことではない。更に、メディア技術の発展につれ、有効的な形態インテグレートにより、新し いコミュニケーション方式が生まれる可能性がある。だからこそ、メディア産業形態のインテグレートはメディ ア機関の競争力を強め、利潤を最大限度にするだけではなく、それにより、より多くのメディア機関を産業化・ 技術化に目指して進めるということである。 清華大学大学院生 楊 雷萍 「中国で新聞部数公査制度を立てるに関する実行性の研究」 :本稿は 2003 年 6 月に、世界新聞協会の公表した「世 界長官発行部数トップ 100 紙」という発表は中国で話題になった事件から話し始め、中国では第三者とする部数 公査機構がないことをその事件の原因とする。また、中国はそういう機構を設立する必要性・切実性・可能性及 35 びそれぞれの困難を具体的に分析する。更に、筆者は世界の ABC 機構に対して全面的な比較研究を行い、各国の 経験を取り入れる。最後に、中国の事情を結びつけ、ABC 機構の設立に関する構想を出したい。 清華大学大学院生 艾 勤径 「中国携帯電話メールに関する四辺形構造図形」:筆者はコミュニケーション原理にもとづき、携帯電話メールの 伝達チェーンに組み合わせられる要素−テレホン・オペレーター、SP、メーカー、ユーザーを分析し、簡潔な四 辺形構造図形を描き、この四つの要素が伝達チェーンの中での地位と作用を説明する。また、四辺形構造図形を 通し、携帯電話メールが「一対一」、「一対多」、「個人対 SP」、「コミュニティ」など状況での伝達方式を分析する。 さらに、携帯電話メール伝達の仕組みと特徴をまとめる。最後に、「内容」や「サービス」というものは携帯電話 メールの発展に最も重要な位置を占め、これから膨大な発展空間を持っている、と筆者は思う。 48. “Where Speaking is Art, So is Understanding”: Constructive Hermeneutics as a Task and a Hope for Asia and Japan in the Age of Diversity Duquesne University, Graduate Student Hirano, Junya The world exists in postmodernity and forces Asian and Japan, countries of homogeneous culture, to face issues outside their economical, political, religious, and cultural concerns. However, as Aihwa Ong explains, Asian countries are still in “Asian modernity,” maintaining stable cultures within their countries under authoritative and collectivistic socio-political structures by silencing different voices. My study offers constructive hermeneutics as an effective communication style for Asia and Japan to adapt in order to live through “the age of diversity.” Communication is no longer a language-centered, linear type (where a speaker has an active role to create understanding), but a narrative-centered, complex dialogic type (where texts and engagements/“listening” are active) in this historical moment. The study first explains Heidegger and Gadamer who shift the focus of attention from “speaking” to “listening,” emphasizing the importance of hermeneutics. Any given historical moment calls people to engage in certain texts. People must let texts speak because any text is there to be listened to; it is “the reconstruction of a construction.” Secondly, by comparing M. M. Bakhtin to Derrida, two major critics of structuralism, the study discusses intersubjectivity as a crucial notion in order to reconstruct understanding where deconstructionism doubts the possibility of doing so. Bakhtin’s notions of dialogic utterance and “heteroglossia” note the importance not of silencing but of listening to different voices. The nature of discourse is dialogic and open to multiple interpretations. Thirdly, the study asserts that the modernistic communication style of Asia and Japan must transform into that of constructive hermeneutics. Constructive hermeneutics calls people of Asia and Japan to listen to different narratives that have been silenced under “Asian modernity,” and it encourages them to reach intersubjective understanding. This style of communication will guide Asia and Japan through in the age of diversity. 49. 原理としてのコミュニケーション論構築へ向けて ――ソシュールとウィトゲンシュタインに学ぶ―― 福岡教育大学 吉武正樹 現在のコミュニケーション論の多くは、物神崇拝、個人主義、資本主義といった時代の産物と化している。こ のような事態に対する批判にもかかわらず、多くの研究者は機械的コミュニケーション観の呪縛から解かれずに いる。一方、批判の先鋒を担ってきたポストモダニストによる脱構築の功績は大きいが、現状を克服するだけの 36 原理を提出できなかった。本稿は、論理実証主義的コミュニケーション論批判の要点を再確認し、時代意識を乗 り越え、人間や社会の原理となりうるコミュニケーション論の構築を試みる。ここでは特に、ソシュールとウィ トゲンシュタインに示唆を求めたい。 構造主義は静態的であると批判されがちであるが、多くの場合、その批判の矛先は構造主義の祖ソシュールに 向けられる。しかし、彼の試みは学問対象としての「言語」を方法論的に抽出することであった。事実、「言語は 形態であって、実体ではない」というソシュールの言葉は、学問対象である言語が物的な実体ではなく、「差異の 関係性」としか存在し得ないことを見事に言い当てた。また、「言語はその使用である」と宣言したウィトゲンシ ュタインは、実は言語使用(パロール)が言語(ラング)を共時レベルで常に支え、根拠を与えていることを示 した。 研究対象としての言語構造は差異の関係性であり、その差異が再生産され、また戯れつつあること、以上が言 語の本質である。しかし、それは言語に限らず、自己、社会、文化構造の本質でもある。論理実証主義の誤りは、 ウィトゲンシュタインの功績を無視し、ソシュールが抽出した差異としての構造を静態的な実体と誤解すること に起因する。よって、コミュニケーションを自己が社会や文化の内外で行う情報交換とみなし、自己、社会、文 化、言語こそコミュニケーションに依拠した構造であるという本質を理解しない。この事実の転換の是正こそ、 原理としてのコミュニケーション論構築の鍵である。 50. 「ケータイメール」コミュニケーションに関する一考察 ――G.H.ミードのコミュニケーション論をベースとして―― 東京福祉専門学校 菊地大介 今日,携帯電話のメール機能(以下,ケータイメール)を使ったコミュニケーションは,通話を凌ぐ勢いで利 用されている。コミュニケーションを「言語による情報交換」と「非言語による文脈付与」と捉えた時,ケータ イメールによるコミュニケーションは多くの場合に「言語による情報交換」を満たすものの,「非言語による文脈 付与」は皆無もしくは極めて貧弱である。 にもかかわらず,ケータイメールによるコミュニケーションは広く普及し,特に10代から20代前半の若者 層にとっては不可欠のコミュニケーションツールといっても過言ではない。本稿では,「文脈付与」に乏しいケー タイメールが,若者層のコミュニケーション手段のひとつとしてどのように意識・位置づけされ,またどのよう なコミュニケーションにおいてケータイメールが信用に足るコミュニケーションツールとして利用されているの かについて,その一端を解明することを試みる。 G.H.ミードのコミュニケーション論をベースとしつつも,ケータイメールによるコミュニケーションは『「言語 を用いた情報交換」および「非言語による文脈付与」』という従来の図式ではなく,『「言語を用いた文脈付与」 もしくは「非言語による情報交換」』と捉えることでより理解可能となるのではないか,という視点を提示する。 51. 現代日本におけるインターネットを利用したポリティカル・ コミュニケーションの現状とその諸問題について 異文化コミュニケーション研究所 石橋嘉一 本稿は、日本政治におけるインターネットを利用したメディア・ストラテジーの実例を分析し、その現状と諸 問題を論じたものである。近年、日本においてもインターネットを利用したポリティカル・コミュニケーション の発達がめざましくなってきた。インターネットのインフラ整備が進み、ADSL、光ファイバーなどによる動画を 含む大容量の情報通信が可能になり、今ではテレビに変わりインターネットも次世代の中心的メディアになりつ つあると言っても過言ではない状況が生まれて来た。 37 分析対象の具体例としては、「小泉内閣メールマガジン」や管直人民主党代表が参加した「チャット・イベント」 があげられる。2001 年4月には小泉内閣が発足し、E メールを利用した「小泉内閣メールマガジン」が発刊され、 約 80 万人の配信希望者を有するになった。このメールマガジンは、政府の政策を平易な言葉で説明し、各大臣の 私的な情報をも掲載して小泉内閣に親密さをもたせることに成功した。2003 年 10 月には、管直人民主党代表が一 日に 1000 万人以上ものアクセス数を有する「ヤフー・ジャパン」を利用し、チャットという双方向コミュニケー ション機能を使用した。一般のインターネット利用者とウェブ上で会話を試みたのである。それは有権者にも自 分も政治に参加しているのだという達成感を与え、その政治家に対し親密感をも覚えるのである。 インターネットを利用したメディア・ストラテジーは、テレビ番組やテレビ・コマーシャルに比べ、メッセー ジをより焦点化でき、聴衆のターゲット層も絞りやすい。また対話型のコミュニケーションも可能にし、情報発 信が 24 時間可能で、情報流布のコストも安く済むという利点がある。その一方ではインターネット利用者層に偏 りが見られ、加えてホームページ、メールマガジンの作成者、チャット・イベントの主催者に「メッセージの主 導権」が常に帰属し、大衆操作の可能性の問題もあることが先行研究と実例の分析から明らかになった。 将来予定される電子投票選挙や日々情報技術の革新が進む社会背景の中で、インターネットの双方向性、即時 性、機動性などコミュニケーションの機能面に焦点をあてつつ、インターネットを利用した情報公開のあり方、 民意反映のプロセスを含むこれからの政治コミュニケ−ションのあり方を検討する。 52. Affordances: Implications for Media Design National Chengchi University Wei-wen Chung This paper proposes to use the concept of affordance to examine the interaction between the media and their cultural and social contexts, with special attention to the Asia contexts. The concept of afforadances, which originates in the work of Gibson (1979), refers to the possibilities that objects and artifacts (media , for instance) offer for action. A river may have the affordance, for a buffalo, of providing a place to drink. In a sense affordances refer to the material aspect of artifacts. It is, however, important to note that these properties are not determinate or even finite, for they only emerge in the context of material encounters between actors and objects. As Gibson observes, 。ァ an affordance is neither an objective property nor a subjective property ; or it is both if you like。KAn affordance points both ways, to the environment and to the observer。ィ (1977, p. 129). It follows that an object, such as the internet, depending on its contexts and users, may have uses other than the current ones. A case in point is telephone, which was originally used for the broadcast of concerts. To be specific, the uses and perceptions of media may vary across cultures and societies, which are nevertheless subject to the constraints of the properties of media.oHowever, The present paper thus argues that the concept of affordances provides a new perspective for understanding the nature of media. In the first place, the use of the media are considered as the emergent property arising from the dynamic interactions between the media, their contexts and users. Using the concept of affordances, two questions will be examined in the paper. First, the properties of media will be examined, with special attention to the constraints they may impose as well as the opportunites they may offer. Second, considering that affordances hinge on contextual factors, we will explore how the Asian contexts may affect the uses of media. To be specific, considering the dynamic character of the media, what possible uses they may have in a particular context such as Taiwan? What are the uses they may have other than those we know for the time being? It is obvious that the concept of affordances has significant implications for media design, which 38 necessitates a consideration of both the properties of a particular media and its contexts. This is the point where creativity may arise. 53. An Analysis of Japanese TV Commercials that Feature Foreign Celebrities: A Content Analysis University of Oklahoma , Graduate Student Yamada, Michiko Japanese TV commercials often star with Japanese or Western celebrities. Moreover, not only Western celebrities but also ordinary foreigners, especially Whites, do appear in commercials . This study utilized the content analysis to examine foreign elements including Western celebrities and the usage of European language. It further examined the race, age, and sex of foreigners and the background of each commercial. The commercials were recorded between 1999 to 2001 in Tokyo and Osaka for the total of 6,246 commercials. Twenty five percent of the total, or 1,606 commercials, are randomly chosen and examined in this study. The results showed that almost a half of commercials have either Japanese or Western celebrities. In terms of European languages, 1,370 (85.3 %) of the commercials either used spoken or written words or used both types of words. This high rate of having European words in Japanese commercials indicates the penetration of European languages into Japanese commercials. Next, in terms of foreigners, the survey results showed a total of 224 (13.9 %) commercials with foreigners: Whites appeared in 109 commercials. There are no commercials starring only Blacks. One more item, an endorsed product, was added to this research to examine the tendency for commercials to use foreigners. Foreigners are included in 67 (23.7 %) car commercials. Thus, there seems to be a strong connection between the appearance of a foreigner and a car endorsement. Whether a background is urban is examined in conjunction with foreigners in commercials. A total of 100 (44.6 %) commercials with ordinary foreigners and 28 (58.3 %) commercials with Western celebrities are considered to have an urban background, while 398 (28.8 %) commercials with Japanese have urban background. Therefore, it seems to be a connection between foreigners and advanced technology in Japanese audience’s mind. 54. アジアとのコミュニケーションを語る (拓殖大学商学部教員有志企画) 司 会:坂田善種(拓殖大学商学部) パネリスト:坂田貞二(拓殖大学商学部教授・インド) 藤森英男(拓殖大学商学部教授・フィリピン&アジア諸国) 村上祥子(拓殖大学商学部助教授・韓国) 拓殖大学は 1900 年に創設されましたが、歴史的にアジアとのつながりが非常に強く、アジア各国との大学間 交流を促進させ、現在まで多数の留学生が本学で学び、卒業していきました。本学にはアジアを専門研究領域と する研究者は非常に多くおります。本セッションでは主催校側として、商学部に所属されている優れたアジア研 究者による特別パネルを開催します。周知の如く、アジアは今、イスラム圏、朝鮮半島など激動の時代を迎えて います。また日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)との経済交流は重要性を増し、ASEAN+3(日中韓)は将来の欧 州連合(EU)を目指すものとして期待されています。 このような中で、日本人はアジアとのコミュニケーションをどのように進めたらよいか、パネリスト達による 優れた研究や豊かなアジア体験を通し、アジアを熱く語って頂きます。会場からの積極的な発言を期待します。 39
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