参考資料配布 2011 年 7 月 19 日 独立行政法人理化学研究所 2型糖尿病に関わるグルコース輸送体「GLUT4」上の糖鎖の機能を解明 -たった1つの N 型糖鎖がインスリンに応答した血糖値調節を左右する- 本研究成果のポイント ○N 型糖鎖の付加がインスリンに応答するグルコース輸送体の「品質管理」に重要 ○N 型糖鎖の構造は、GLUT4 が正しい経路で細胞膜へ輸送されるための「目印」 ○血糖値を調節する仕組みや糖尿病発症に糖鎖が果たす役割の解明に期待 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、2 型糖尿病に関わるグルコー ス輸送体「GLUT4」上の N 型糖鎖※1 が、タンパク質の安定性とインスリンへの正 しい応答に重要であることを初めて発見しました。これは、理研基幹研究所(玉尾 皓平所長)糖鎖代謝学研究チームの鈴木匡チームリーダー、芳賀淑美日本学術振興 会特別研究員らによる成果です。 糖尿病の一種である 2 型糖尿病は根本的な治療法が無く、具体的な発症の仕組み も十分に解明されていません。その治療法を開発するには、膵(すい)臓が分泌す るインスリンに応答して、細胞ではどのようなことが起こるのかを解明することが 必要です。2 型糖尿病になると、血液中のグルコース(ブドウ糖)が正常に細胞内 に取り込まれず、血糖値が上昇したままになります。インスリンに応答して血糖値 を保つために重要な役割を果たしているのが、グルコース輸送体「GLUT4」です。 通常 GLUT4 は、細胞内の特殊な小胞※2(GLUT4 小胞)に蓄積しており、インスリ ンの刺激に応答して細胞膜に輸送され、血中のグルコースを細胞内に取り込みます。 一般に、細胞膜に存在する膜タンパク質のほとんどは糖鎖が付加されており、こ の糖鎖がさまざまな生理的・病理的現象に関わっていることは広く知られています。 GLUT4 も N 型糖鎖が 1 カ所付加されていますが、その性質や機能にどう影響する のかは全く不明のままでした。 研究チームは、N 型糖鎖の付加されない GLUT4 は、付加された場合に比べて分 解が速いことを明らかにし、N 型糖鎖が GLUT4 の品質管理に重要な役割を果たし ていることを見いだしました。さらに、GLUT4 が GLUT4 小胞に蓄積してインスリ ンに応答するには、N 型糖鎖の正しい構造が必要であることも発見しました。これ は、GLUT4 が正しい経路を経て細胞膜へと輸送される際に、糖鎖が「目印」となって いる可能性を示しており、血糖値の恒常性維持の仕組みを理解するための大きな一 歩となります。 本研究成果は、米国の科学雑誌『The Journal of Biological Chemistry』 (9 月号) に掲載されるに先立ち、オンライン版(7 月 14 日付け:日本時間 7 月 15 日)に掲 載されました。 1 1.背 景 糖の一種であるグルコース(ブドウ糖)は、細胞のエネルギー源として生物に必須 の栄養素です。血液中のグルコース濃度はさまざまなホルモンの働きによって常に一 定となる(恒常性)ように調節されていますが、最近の研究から、血糖の恒常性維持 の仕組みが徐々に明らかになってきました。例えば、膵(すい)臓が分泌するインス リンがインスリン受容体に結合し、細胞内にその情報が伝わると、グルコース輸送体 「GLUT4」が細胞表面に移動して血液中のグルコースを細胞内に取り込み、血糖の 恒常性を保つことが分かってきました。また、インスリンの刺激のない状態では GLUT4 は細胞内の特殊な小胞(GLUT4小胞)に蓄積しており、その小胞への局在 が GLUT4 のインスリン応答性に重要であることも示されてきました(図 1)。 世界的に患者数が増加傾向にある糖尿病は、このような血糖値の恒常性維持機構が 破綻し、血液中のグルコースが細胞内に取り込まれなくなって血糖値が上昇する病気 です。1 型と 2 型がある糖尿病のうち、インスリンの分泌能の低下や、インスリン感 受性の低下によって引き起こされるのが 2 型糖尿病です。GLUT4 は血糖の恒常性維 持に重要な役割を果たしているため、その機能の変質が 2 型糖尿病の発症に関与する と考えられています。しかし、インスリンに応答して引き起こされる細胞内の情報伝 達機構は複雑で、グルコースの取り込みの仕組みはいまだに不明な点が多く残ってい ます。 生体内でしばしば細胞の顔に例えられる糖鎖は、細胞間の認識、細胞の分裂増殖、 がん化、受精、ホルモンやウイルス・毒素との結合など、さまざまな生理的、病理的 現象に深く関与しています。特に、N 型糖鎖は、正しく折り畳まれたタンパク質と異 常なタンパク質を判別するための目印となったり、タンパク質の安定性や細胞内への 取り込みに影響を与えたりすることが知られています。GLUT4 もまた、N 型糖鎖を 1 カ所付加されています。GLUT4 がインスリンに応答する仕組みについては古くか ら研究されてきましたが、この N 型糖鎖が GLUT4 による血中グルコースの取り込 みにどのように影響するかは、これまで全く調べられていませんでした。 2.研究手法と成果 研究チームは、GLUT4 の性質に N 型糖鎖が及ぼす影響を明らかにするため、緑色 ※3 を融合させた野生型 GLUT4 と、その糖鎖欠損変異体(N57Q 蛍光タンパク質(GFP) 変異体)を作製し、ヒト子宮頸がん由来細胞(HeLa 細胞※4)に発現させて解析を行 いました。GFP を融合すると、GLUT4 の機能を損なうことなく、細胞内での GLUT4 の動きを簡単に可視化することができます。その結果、N 型糖鎖が付加した野生型 GLUT4 は安定化しますが、糖鎖が付加しない N57Q 変異体は不安定化して、小胞体 関連分解(ERAD)※5 で分解されることが分かりました。 さらに、GLUT4 が細胞膜に移動してくる様子を顕微鏡で観察したところ、野生型 GLUT4 はインスリンに応答して細胞内小胞―細胞膜間を移動するのに対し、N57Q 変異体はインスリンに応答しないことが明らかとなりました(図 2)。そこで、GLUT4 に糖鎖が付加していることが重要なのか、糖鎖の構造が重要なのかを調べるため、野 生型 GLUT4 を発現した細胞を糖鎖合成ステップの阻害剤で処理し、糖鎖の構造を変 化させた GLUT4 を作製しました。興味深いことに、糖鎖構造を変化させた GLUT4 も、N57Q 変異体と同様にインスリンに応答しなくなることを確認しました。 2 一般に、細胞内で合成された膜タンパク質は、エンドソームという小胞によって細 胞膜へと輸送され、この経路にはインスリン刺激は影響しません(図 3a)。一方、正 しい N 型糖鎖が付加された GLUT4 など、いくつかの選ばれた膜タンパク質は、エ ンドソームから GLUT4 小胞に移動、蓄積され、インスリンの刺激に応じて細胞膜に 移動することが知られています(図 3b)。しかし、糖鎖構造を変えた GLUT4 や糖鎖 を欠失した GLUT4 は、GLUT4 小胞を経た経路を通らず、エンドソームから直接細 胞膜へと移動するため、インスリンに応答することができないと考えられます(図 3c)。つまり、GLUT4 に付いた N 型糖鎖は、正しい経路をたどるための「目印」と なっていることを示しています。さらに、血液中のグルコースを細胞内へと運ぶ性質 (グルコース輸送活性)について調べてみると、糖鎖付加の有無による差は見いだせ ませんでした。 これらの結果から、GLUT4 に付加した N 型糖鎖は、グルコース輸送活性へは影響 しませんが、GLUT4 の品質管理と、インスリンに応答するための GLUT4 小胞への 蓄積には重要であることが明らかとなりました。 3.今後の期待 今回、GLUT4 がインスリンに応答する正しい経路を通るために、たった 1 つの N 型糖鎖付加がその目印となる可能性を示したことは、2 型糖尿病の発症の仕組みを理 解する上で大きな発見です。 今後、糖鎖の構造を認識する分子を同定し、選別輸送の仕組みを解明する必要があ ります。また、糖尿病罹患者のタンパク質の糖鎖構造を調べたところ、健常人とは異 なっていたという報告があります。そのため、糖尿病罹患者のもつ GLUT4 の糖鎖構 造が注目されます。特定の糖鎖構造を認識する制御因子が明らかになれば、糖尿病の 原因究明に役立つ新たな知見を得られると期待できます。 <報道担当・問い合わせ先> (問い合わせ先) 独立行政法人理化学研究所 基幹研究所 ケミカルバイオロジー研究領域 システム糖鎖生物学研究グループ 糖鎖代謝学研究チーム チームリーダー 鈴木 匡(すずき TEL:048-467-9628 ただし) FAX:048-467-9626 (報道担当) 独立行政法人理化学研究所 広報室 TEL:048-467-9272 3 報道担当 FAX:048-462-4715 <補足説明> ※1 N 型糖鎖 タンパク質中のアスパラギン残基に結合する糖鎖。 ※2 小胞 細胞内に形成される膜に包まれた袋状の構造物のこと。小胞によるタンパク質を含む物質 輸送は小胞輸送と呼ばれる。 ※3 緑色蛍光タンパク質(GFP) Green Fluorescent Protein。下村脩博士が 1960 年にオワンクラゲから見つけた分子量約 27 kDa の蛍光タンパク質。生きた細胞内で、特定の場所や機能しているタンパク質を発 光させることができる。このため、細胞生物学、発生生物学、神経細胞生物学などの分野 で最も広く利用されている。2008 年、下村脩ボストン大名誉教授ら 3 博士が、「緑色蛍光 たんぱく質(GFP)の発見と発光機構の解明」によってノーベル化学賞を授与された。 ※4 HeLa 細胞 世界で初めて樹立されたヒトの細胞株(生体外で一定の性質を持って長期間培養できる細 胞)。子宮頸(けい)がん由来の細胞で、世界中でさまざまな研究に利用されている。名 前は、患者である黒人女性の名前(Henrietta Lacks)に由来する。 ※5 小胞体関連分解(ERAD) 小胞体で生合成された糖タンパク質が正しい高次構造をとれなかった場合、そのような異 常糖タンパク質を小胞体から細胞質へ放出し、分解する機構。細胞小器官の 1 つである小 胞体は、分泌経路にのるタンパク質を合成する場で、N 型糖鎖の付加やタンパク質の正し い折り畳みが行われる。 4 図 1 グルコース輸送体 GLUT4 のインスリンに応答した細胞膜への移行 (a)通常、グルコース輸送体 GLUT4 は、細胞内の特殊な小胞(GLUT4 小胞)に蓄積して いる。 (b)細胞膜に存在するインスリン受容体にインスリンが結合すると、細胞内にシグナルが伝 わる。 (c)GLUT4 が細胞膜へと移動し、血中のグルコースを細胞内に取り込む。 5 図 2 GLUT4 のインスリン応答による細胞膜への移行には N 型糖鎖が必要である GFP を融合させると、GLUT4 の機能を損なわずに可視化することができる。野生型では、 インスリンによる刺激前は丸い小胞に蓄積していた GLUT4 が、刺激後は細胞膜に局在して いる。一方、N57Q 変異体はインスリンの刺激に反応せず、局在が変化しない。 6 図 3 GLUT4 の糖鎖に依存した細胞内局在とインスリン応答性の変化 (a)新しく合成されたタンパク質はゴルジ体(細胞小器官の1つで数多くの糖転移酵素が存 在する)を通って成熟したタンパク質になる。普通の膜タンパク質はゴルジ体からエン ドソームという輸送小胞に送られ、細胞膜に達する。 (b)GLUT4 は、エンドソームに送られた後 GLUT4 小胞に送られ、そこで待機する。イン スリン刺激を受けると GLUT4 小胞から細胞膜に移動する。 (c)正しい糖鎖構造という「目印」を持たない GLUT4 は、GLUT4 小胞に行くことができ ず、普通の膜タンパク質と同じようにエンドソームから直接細胞膜に送られるため、イ ンスリン応答性が無いと考えられる。 7
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