長崎検定公式テキストブックの主な改訂箇所一覧 (H21.9) 【長崎歴史文化観光検定公式テキストブック「改訂新版(ブルー表紙)」をお持ちの方へ】 本テキストブックにつきましては、広くご愛顧いただきありがとうございます。 さて、公式テキストに掲載されている内容について、時事反映や諸事情により内容の更新等 を迫られ、今般、グリーンの表紙の再改訂版を発売致しました。 下記に再改訂版で更新した主な内容をまとめましたので、ブルーの表紙のテキストをお持 ちの方はどうぞご利用下さい。 〈概論&問題編〉 ・P14問題(26)/問題文一部変更 ルビ ⇒鵜瀬島(うせじま)大蟇島(おおひきじま) ・P20問題(28)/問題文変更※選択肢は同じ 明治15年(1882)ごろに南山手と高島間に私設電話を引いたといわれている人は? ・P26問題(25)/問題文一部変更 『 万才町の … から、住友生命ビル裏までの通りを何という?』 ・P40問題(7)/問題文変更 広島原爆の日(8月6日)に長崎市稲佐山野外ステージ等で開催された「夏 長崎 から さだまさし」は、全部で何回開催された? ①5回 ②10回 ③15回 ④20回 ⑤25回 (正解 ④) ・P45概論右側/文章一部変更 ルビ ⇒ 『竪削盤』(たてけずりばん) 『 … 国指定重要文化財の「旧出津救助院」、県指定の「大野教会堂」が …』 ・P55問題(35)/問題文変更 現在、長崎港内で行われている長崎ペーロン選手権大会の漕路は往復で何m? ①950m ②1,050m ③1,150m ④1,250m ⑤1,350m (正解 ③) ・P76概論右側/文章一部変更 『・・・土神堂、天后堂、観音堂(いずれも市指定史跡)、福建会館の天后堂(市指定有形文 化財) ・P82概論右側/文章一部変更 『 … 国選定重要伝統的建造物群保存地区に … 』 ・P96概論右側/文章一部変更 『 … 日本で最初の西洋式近代病院「小島養生所」 … 』 〈解答&解説編〉 ・P4解説(26)/解説文一部変更⇒ 鵜瀬島(うせじま) 大蟇島(おおひきじま) ・P8解説(28)/解説文一部変更 次の箇所を削除⇒『これは日本初の私設電話といわれている。』 ・P9解説(3)/解説文一部変更 『 … 文政元年(1818) … 』 ・P16解説(2)/解説文一部変更 『・・・長崎奉行に申請して後興善町に創建された。敷地は・・・』 ・P17解説(17)/解説文一部変更 『・・・「岩かどに 立ちぬる石を 見つつをれば になへる魚も さはくちぬべし」と詠んだ・・・』 ・P18解説(7)/解説文変更 ④20回 さだまさしの呼びかけで、無料の野外平和コンサートが、昭和62年(1987)から 平成18年(2006)まで20回行われた。毎年多彩なゲストが出演し、全国のさだファンが集ま る長崎の夏の一大イベントであった。 ・P19解説(19)/解説文一部変更 『・・・昭和6年(1931)愛八がビクター・・・』 ・P25解説(40)/解説文一部変更 『 … 芭蕉の弟子で、蕉門十哲と … 儒学を教えた向井元升。向井去来は … 』 ・P27解説(18)/解説文一部変更 『 … 旧暦の2月25日と3月3日が風頭山で … 』 ・P27解説(22)/解説文一部変更 『 … 呼吸を合わせる。長崎ペーロン選手権大会では、舟の長さ45尺、乗員30名以内 (漕手26名以内、太鼓、銅鑼、舵手、采振り、あか汲みなど)となっている。 』 ・P28解説(34)/解説文一部変更 『 … 竹ン芸は市指定無形民俗文化財(国選択)。』 ・P28解説(35)/解説文変更 ③1,150m 毎年7月に開催される長崎ペーロン選手権大会では、往路630m、復路520 mの長崎港を折り返す往復1,150mのコースで競われる。 ・P30解説(13)/解説文一部変更 『 … は、正徳3年(1713)の松森神社 … 』 ・P32解説(38)/解説文一部変更 『 … 安政元年(1855)伊豆下田で … 』 ・P35解説(24)/解説文一部変更 『 …そしてそこにパリ外国宣教会から派遣された司祭… 』 ・P36解説(36)/解説文変更 ①雪のサンタ・マリア 日本に残る17世紀の宗教作品のひとつで、二十六聖人記念館所蔵。 西洋的なマリア絵を日本の色彩と技法によって描かれた珍しい作品。作者・制作年代不詳だ が、慶長5年(1600)から慶長19年(1614)の間、南蛮絵師により描かれたと考えられてい る。 ・P37解説(1)/解説文一部変更 『・・を著した。明和9年(1772)周防の・・・』 ・P38解説(23)/解説文一部変更 『・・・寛政11年(1799)から18年間出島に・・』 ・P43解説(8)/解説文一部変更 『・・・第一峰門は中国(寧波)で木材を加工し・・・』 ・P43解説(11)/解説文一部変更 『・・・出島の約2倍の9,373坪ほどに・・・』 ・P44解説(28)/解説文一部変更 『唐通事会所は、宝暦元年(1751)設立、同12年(1762)に現長崎市立図書館の地に移転 され、唐通事の事務所とされた。・・・』 ・P51解説(7)/解説文変更 『明治2年(1869)、松田雅典は広運館のフランス人教師のレオン・ジュリーから缶詰の製法を 学んだ。雅典は自ら工夫をこらしながらいわしの缶詰を製造。これが日本最初の缶詰といわれ る。明治12年(1879)には県知事に働きかけていた長崎県缶詰試験所が長崎公園内に設置 される。雅典はのちに缶詰試験所の払い下げを受け、松田缶詰製造所として工場を開業して いる。現在、長崎公園の入り口には日本最初の缶詰製造の記念碑が建てられている。』 ・P55解説(2)/解説文一部変更 『 …延宝4年(1676)東上町に再建され…「中島聖堂遺構大学門」は県指定有形文化財。』 ・P57解説(28)/解説文一部変更 『 …時代は変わり、明治12年(1879)に甲斐国現在人別調… 』 通史年表/年号・文言変更 ・114 ページ ・114 ページ ・114 ページ ・114 ページ ・114 ページ ・114 ページ ・114 ページ ・114 ページ ・114 ページ ・115 ページ ・115 ページ ・115 ページ ・115 ページ ・115 ページ ・115 ページ ・115 ページ ・115 ページ ・115 ページ ・115 ページ ・115 ページ ・115 ページ ・115 ページ ・115 ページ ・115 ページ ・115 ページ ・115 ページ ・115 ページ 1570・・・「大村純忠 長崎開港の要請を受ける」 (全書き換え) 1571・・・「ポルトガル貿易船」 1634・・・「(昭和35年国の・・)」 1636・・・「1637 14」 1646・・・「(昭和28年国宝・・)」 1711・・・「立山書院を中島・・」 1720・・・「1721」 1770・・・「1770 7」 1779 ・・・「ドゥーフ 長崎に来航」 1808・・・「フェートン号」、「長崎奉行松平康平自刃」 1809・・・「薬園を西山に開設」削除 1841・・・「洋式砲術」 1856・・・「1857」 1856・・・「長崎鎔(熔)鉄所の建設はじまる」 1857・・・「1858 5」 1859・・・「グラバー、グラバー商会開業」を削除 1861・・・「グラバー商会開業」を加筆 1865・・・「プチジャン神父、浦上の信徒発見」を削除し、 ⇒ひとつ上にブロックを設け、1865(元治 2 年)「プチジャン神父、浦 上の信徒を発見。」 1865・・・「佐賀藩、五島町の諫早・・・」 1868・・・「ロシア領事館」 1869・・・「本木昌造、新町活版所を開業」を削除 1870・・・「3 本木昌造、新町活版所を開業」 1904・・・「旧香港上海銀行長崎支店建設」 1930・・・「昭和5」 1935・・・「人口 211,702 人」 1986・・・「1985 60」 1987・・・「1986 61」
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