詩「虻」(嶋岡晨)の授業 1

詩「虻」(嶋岡晨)の授業 1
=浜上薫実践の修正追試=
まず、音読から。教師の範読。
落石におびえつつハーケンを打ち
雷鳴におののく手でザイルをたぐり
あせにまみれてよじ登った
山
追い掛け読み(教師→子ども→
教師→子ども…)1回。これ
で、読み方が大体分かる。次に、
各自に微音読させる。起立させ、
1回読むごとに向きを変えさせ
いつもはおとなしいが
て、2回読ませる。終わったら
暴れだしたら手のつけられない
座らせて読ませる。こうすると、
大きな牛
それぞれの読みの速さが分かる。
ぼくらはそのかたにとまった
またいつ読み終わったかが、教
虻みたいなものだ
師にもよく分かる。
浜上実践には、意味指導がな
けれど今ぼくらの中を
い。子ども達には馴染みがない
まじりっけなしの風がふきぬけ
登山についての詩のため、ここ
このよろこびのひととき
で意味指導を入れる(修正)。
虻のこころは山よりも大きくなる
全員すわったので、意味の分
かりにくい言葉を説明したり、
岩燕の歌
たずねたりする。教科書に説明
わかさのこだま
のある「ハーケン」「ザイル」
いかにも地球にこしかけて
「岩燕」と、子ども達から「雷
いっぷくしているぼくらのいのちだ。
鳴」「まじりっけなしの風」が
出たなお、なぜ登山の途中雷が
こわいかは、黒板に絵をかきながら説明した。(雷が山の斜面をなめるよう に枝分かれして流れる。人はこれから逃げることは難しい。)。 発問1 「大きな牛」は、何をたとえていますか。
牛 雷 「大きな山」[橋本君]他の子も賛成する。 発問2 「虻」は、何をたとえていますか。
「ぼくら」
ぼくらはそのかたにとまった と書いてある。[北林君] 他の子から「ほくらは人間のこと」「登山をしている人間」と追加。 発問3 語り手は今どこにいますか。
指示1 ノートに書きなさい。図で書いてもいいです。
指示2 書けたら、ノートを先生の所に持ってきなさい。
持ってきた人には、全員に丸を付けた。そして、図を書いてない子には書か せた。また、図が書けている子にはその理由を書くように言った。なお、3 つの考えがあった。子ども達が慣れていない学習のため、時間が以外にかか った、。ここで学習を終えた(浜上実践は話し合いまでで1時間)。 第2時
前時の続き。3つの考えが、2つに減った(「山の下」派がなくなる)。 挙手で人数を調べる。 A.頂上派(27人) B.途中派(9人) 少数派から考えを言ってもらう。 B.途中派(9人) 「『ぼくらはそのかたにとまった』と書いてあるから、途中です。」 A.頂上派(27人) 「『よろこび』こころは山よりも大きくなる と書いてあるから、頂上 に着いています。」[山野君] 「『あせまみれてよじ登った』と書いてある。『登った』と『登ってい る』は違います。」[中塚さん] (頂上) (途中 1字の違いに気付いたことをほめる。 ( 日記の例で説明) 木村さん、長森君、岩脇さん、木戸君が中塚さんに賛成意見。 ( 手紙の例で説明) B.途中派(9人)から反論 「『よろこび』は、もう少しで頂上に着く時もある。」[洲浜君] A.頂上派(27人)から再反論 「『うれしさは山より大きい』は、頂上に着いたから。」 [石原君・安藤さん] 「よろこびは頂上の方が大きいから。」[柴田君・植田君] 「いっぷくするは、頂上です。」[長森君] 「『まじりっけなしの風がふきぬけ』とは、頂上の気持ちのいい風のこ とです。」 [岩脇さん] 「B.途中派」は反論出来なかった。黒板に牛が寝ている絵を書いた。この 絵で、寝転んだ牛では肩が1番高いことを説明した。これで「B.途中派」 も納得してくれた。「A.頂上派」に決定する。 浜上発問は、この詩の「登頂の喜び」を理解するのに重要な発問である。 しかも、間接性もあり、言葉を検討させたりし、いい発問であると考える。