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8. Missing the Revolution
Darwinism for Social Scientists Jerome H. Barkow (ed.)
Oxford University press
84
05.12.01
5,054 0-19-513002-2
08/07/25
本書は社会科学者への進化生物学的知見への招待状だ.本書には社会科学者にもこれ
までの進化生物学の成果と知見(特にヒトについてのそれ)を利用してもらいたいと
いう願いが込められている.なぜなら(本書によると)社会科学者は進化生物学が人
間の理解について成し遂げてきた膨大な成果について概して無知であるからだ.本書
の題「Missing the Revolution」はダーウィン革命を見逃しているという意味なのだ.
もちろんすべての社会科学者がそのような知見について無知であるわけではない.
(本書では取り入れつつある例もふんだんに紹介されている)しかしメインストリー
ムの社会科学者は進化生物学的な知見を積極的に取り入れようとはしていないという
ことだ.本書は上に述べたようなテーマに沿って,進化生物学者側の視点,学説史の
視点,進化的な考え方を採用しつつある社会科学者の視点それぞれから見た風景がわ
かるように,多角的多彩な執筆陣により各章が書かれている.
冒頭は編集者でもあるバーコーによる全体の見取り図が示されている.その後の2章は
ホットトピックであるフェミニズムと男性の暴力の解釈についての進化生物学的な視
点からの解説になる.フェミニズムの章では,フェミニズムには「政治運動」としての立場,性差は環境によってのみ
生じるという見方に立つ「環境リベラル」としての立場があることが説明される.政治運動は置いておくとしても,ヒ
トについての事実については虚心坦懐に認めても,いや認めてこそ女性のためのフェミニズムは正しく主張可能である
ことが説かれる.自身女性でもある筆者の最後の言葉は説得的だ.「女性の幸せは選択肢を増やすことで得られる.そ
してまったく自由に選択できるようになっても男性と同じ選択はしないだろう.そしてまさにそういう実験をしてみる
べきなのだ.女性の幸せのために.」
男性の暴力の章では,これまでの社会科学が進化的理解を受け入れなかったのは,それが遺伝的決定論であるという誤
解のためであることが強調される.そしてユニバーサルなヒトの心が「条件」としての環境にどう影響を受け,どのよ
うな「文化」を形成するのかというフレームワークによる研究の実り豊かなことが紹介される.
このように進化的視点を取り入れた社会科学が生産的であることを示した上で,何故社会科学は進化生物学に背を向け
るのかに関して過去の歴史と現在の状況を説明した2章がおかれている.過去の歴史は「社会生物学論争史」の著者であ
るセーゲルストローレによるもので力が入っている.この2章を読み,さらに「社会生物学論争史」を読み返して感じる
のは,同じテーマ(そして同じ誤解)が30年以上,繰り返し繰り返し,議論され,現れていることだ.進化生物学的理
解が遺伝的決定論であり社会の格差を是認する(さらには是認するための)議論であるという誤解,現在の適応主義的
議論はスロッピーでハードサイエンスではないという誤解,そして自由意思をめぐる議論と自然主義的誤
の問題だ.
このような誤解が生じるのは何らかのヒトの認知傾向の深いところに原因があるのかとさえ思ってしまう.しかし,真
実と人々の幸福を追求する社会科学にはぜひ乗り越えてほしい部分だ.
ここから本書はまた各論に戻り,すでに進化生物学的観点を取り入れた社会科学者の執筆した章が並ぶ.人間行動生態
学が豊かな民族学的データをうまく利用していること(さらに進化心理学的な基礎理論を認めればもっとよくなるよう
にも感じるところだが),同じく民族学的データを霊長類のデータを比較することで得られる豊かな知見などが語られ
ている.このなかでは犯罪学への応用の章が興味深かった.犯罪を進化心理学的な視点から考え,条件依存的な行動戦
略を行うための心理メカニズムという点で捉えると,今までの犯罪学では説明できなかった広範囲なデータに豊かな理
解が得られることを非常に丁寧に説明している.犯罪抑止そして広く望ましい刑事政策への応用に向けて,ぜひこの試
みが進んでいくことを願わずにはいられない.本書は最後に,ヒトの自由意思を強調すればもっと社会科学者が進化生
物学的な理解を受け入れやすくなるだろうという招待状をもって完結している.
社会科学や人文科学の業界では,実験とデータにより決着がつくことが自然科学より難しいため,リサーチャーのキャ
リアにとってはインナーサークルの評判が非常に重要であるのだろう.だからメインストリームに認められにくい研究
が進むにはいろいろな困難があるのだと思われる.しかしこれまで社会科学が生物学を排斥してきた理由は,主に誤解
に基づくものであること,そして進化生物学的な理解を取りいれれば豊穣な学問的な世界が広がっていることがわかれ
ば,そのような障害も徐々に低くなっていくだろう.社会科学の究極の目的である人々の幸せのためには,ヒトという
生物がどのようなものであるかの正しい理解が必要なはずだ.本書がこのようなゴールに向かって少しでも役に立つこ
とを願ってやまないものである.
9. ダーウィンとデザイン
進化に目的はあるのか? マイケル・ルース
978-4-320-05664-0
08/04/20
共立出版
83
08.03.10
3,800
Darwin and Design :Does Evolution Have a Purpose?
Michael Ruse
Harvard University Press 2003
佐倉統,土明文,矢島荘平
本書「Darwin and Design」は科学哲学者マイケル・ルースによるダーウィニズムと進化に
関する3部作の3巻目ということだ.前2作はMonad to man: the concept of progress in
evolutionary biology (1996),Mystery of mysteries: is evolution a social construction?
(1999)で,いずれも残念ながら翻訳されていない.副題などを見る限り,前者は進化にお
ける「進歩」概念を扱ったもので社会科学者が進化を進歩と捉えたことなどを題材にして
いるようだし,後者は「進化」という概念が社会的な構築物かというポストモダニズム的
な議論を扱ったもののようだ.
本書で取り扱われているのは科学と価値の問題だ.西洋文化の起源と目的論的思考から始
まる大作であり,進化をめぐる様々なトピックも扱い,さらに目的を与えるのは誰かとい
う問題に絡んで仮想敵は創造論ということになる.ドーキンスの「盲目の時計職人」と重
なる領域だ.もっとも本書はテンプルトン財団の援助を受けており,当然ながらドーキン
スのような激しい議論とはなっていない.本書では進化を巡る目的論的な議論を大きく2つに分けて論じている.1つ
は「複雑性へ向けた議論」:なぜ自然には組織化された複雑性を持つものが存在するのか,目的があるかのような構造
があるのかという議論.もう1つは「デザインへ向けた議論」:このような目的を持つようなものをデザインしたのは神
でしかあり得ないのではないかという議論である.
本書の最初は議論の歴史である.この議論は古代ギリシアにさかのぼる.プラトンは将来の善のために物事の秩序を
作っているのは神だと論じた.アリストテレスはプラトンとは異なり複雑性へ向かう議論の方に興味を持ったという.
キリスト教は,当初信仰の基礎はデザインではなく聖書だとした.アキナスは一部デザインへ向かう議論も援用してい
る.キリスト教が神の存在の基礎としてデザインへ向かう議論を行うことは自然神学と呼ばれる.16世紀以降ルターに
始まるプロテスタントは聖書を基礎とした.キリスト教には大きく聖書を基礎とする立場とデザインへ向かう議論を使
う立場の2つの流れがあったことがわかる.18世紀以降はヒュームとペイリーとカントが取り上げられる.ヒュームは
キリスト教のデザインへ向かう議論に対して,設計者が多数いる可能性があること,いまあるデザインは多くの試行錯
誤の末のものである可能性があること,自然に見られる多くの邪悪を説明できないことから反論した.ペイリーはドー
キンスと同じく好意的に取り上げられている.ルースによれば,自然淘汰が提唱されていない当時,神の議論は最善の
仮説であったのであり,ペイリーの議論はその意味でアブダクションだと考えられると言うことだ.カントは私達の認
識は心の産物であることを認めつつもある種の必然と客観を得ようとした.ルースの紹介はやや難解だが,因果と思考
を巡る考察の結果,道徳律を導くには神が必要だと論じ,生物学は目的論を含まざるを得ないと主張したということの
ようだ.当時の生物学はどうだったのか.エラズマス・ダーウィン,キュビエ,オーウェンの考えをたどりながら,目
的論的に進化を考えたいといいながら「相同性」をどう解釈するかが最大の難問であったというのがルースの整理だ.
進化の議論を大きく歴史的に見るようなものは時々読むことがあるが,さすがに古代ギリシアと中世キリスト教神学か
ら説き起こしているものは少ない.18世紀以降の議論の背景を理解するにはここから始める方がよいということだろう
が,蘊蓄好きにはなかなか興味深い部分だ.
ここでダーウィンが登場する.自然淘汰は「複雑性へ向かう議論」を肯定し,目的的に見える性質の説明と相同性とう
まく説明できる議論であり,「デザインへ向かう議論」を否定するものだったのだ.そして「適応は絶対的なものでな
く,同種個体よりよければいいという相対的なものであることから目的論も相対化している」というのがルースの見立
てになる.「種の起源」の出版後の議論を追いながら,ルースはダーウィンの「複雑性へ向かう議論」が科学,「デザ
インへ向かう議論」が哲学と神学という領域の区別が,ハクスリーにより両方において行われるようになったと解説し
ている.ハクスリーとオーウェンの争いの背景にはオーウェンのプラトンのイデア論的な観念論(適応にあまり関心が
ない)とハクスリーの経験論(神の存在については,デザインへ向かう議論はダーウィンにより粉砕され不可知論しか
あり得ないという立場)の対立があるのだ.アメリカのエイサ・グレイはやはり適応には関心がうすく,地理的分布に
関心があった.そしてダーウィンと神の存在は両立すると考えた.ルースの解説は詳細だが,結局「適応」についてど
こまで真剣に考えているかが,デザインへ向かう議論についてどう考えるか(つまり神の存在についての考え)に大き
く影響を与えるというのがダーウィンが登場して以来の基本構造だということがわかる.
しかしダーウィンの死後,いったん適応に関する考察は影が薄くなる.それはダーウィンの自然淘汰とメンデルの遺伝
についての総合を待たなければならなかったのだ.この部分についての本書の記述は,ダーウィンの研究を受け継ぐも
のとしてベイツによる擬態の議論,そしてメンデルの再発見後,いったん自然淘汰とメンデル遺伝は矛盾すると考えら
れたのを統合したものとして,特にフィッシャーを取り上げている.フィッシャーは適応至上主義者であり,生物は環
境に敏感に反応するものと考えた.これに対してアメリカのライトは,理論的にはフィッシャーと等価なものを主張し
たが,実際の生物進化観としてはランダムなものを重視し,小集団への隔離,浮動を強調した.このあたりはイギリス
による適応重視ナチュラリスト,大陸における観念派,アメリカにおけるランダム重視派という流れを見ているよう
だ.(この流れを強調した書物としてはマレク・コーンによる「A Reason for Everything」がある.)本書ではこの後ラ
イトの後継者であるドブジャンスキーが両者の中庸に立ち,マイヤー,シンプソンにつながっていき,第二次世界大戦
後,適応を重視する考えが復活しダーウィン革命が成就したと捉えている.(マレク・コーンは引き続きグールドの考
えの中に米国のランダム重視派の伝統が残存していると捉えている)
このダーウィン革命後の世界についてはルースは順番にいろいろ紹介している.最初に取り上げられるのはDNAにかか
る研究の進展が与えた影響だ.ルウォンティンによって膨大な変異が集団内にあることがわかり,それが進化適応を生
じさせていることの例としてショウジョウバエのアルコール耐性遺伝子の研究が示される.また行動特性の進化につい
てウィリアムズ,ハミルトンの役割にふれ,例としてはニック・デイビスのヨーロッパカヤクグリの研究が示される.
古生物学への影響についてはステゴザウルスの背版についての解釈が紹介される.ヒトについての研究は,ダーウィン
から始まり,ドブジャンスキー,ハミルトン,E. O. ウィルソンにふれる.もっともここでは文化についての考え方にま
で踏み込んで,性比理論を例にして研究の進展を説明しようとしているが,状況や理論がうまく整理して紹介されて無
く,説明としては失敗しているように思う.いずれにせよルースの言いたいのは,大戦後のダーウィン革命により「複
雑性へ向かう議論」についてはダーウィンの自然淘汰ははっきり成功しているということだ.
このあたりから本書は現在いろいろ議論されている各論についてのさばきにはいる.まず現在生物にみられる様々な形
質はどこまで適応していると考えるべきかという議論.あるいは適応に制限はあるのかという議論だ.適応が完全では
ないことがあることはダーウィン主義者も明快に肯定している.時間的にな制約,材料としての変異がないことによる
制約,浮動によるものなど様々な原因で完全な適応からずれることは誰しも認めているところだ.だからこの点から
ダーウィニズムを否定することはできない.これに関連にして,最適性を前提としたモデルにかかる実証データをとる
という形の研究方法については,局所配偶競争にかかる研究を紹介しながら,そのプログラムが,自然を理解する上で
有益であることを説明している.
次は大進化に関する議論.生物の大進化に傾向はあるのか. 明確に大きくなるとか,明確に進歩すると言うことは誰
も主張していないし,誤りだ.それでもなお一般的な傾向はあるのかが議論される.グールドによるほとんど偶然だけ
で決まっているという主張とドーキンスによる軍拡競争を通じた傾向があるという主張がよく対比される.ルースはこ
れについては「進歩」という言葉の定義の問題だとさばきながら,グールドの壁のある拡散状況という「フルハウス」
における主張に共感しているようだ.
次は「選択のレベル」の議論.ここのルースのさばきは満足できるものではない.ステレルニーのように集団淘汰理論
と包括適応度が等価であるというような一刀両断のさばきをしていないのは少し残念なところだ.ルースは集団遺伝学
の理論が遺伝子中心であることがすべての基本にあるのだが,集団が単位になる議論も誰も否定していないという.し
かしそこでD. S. ウィルソンを取り上げずに,有性生殖が集団淘汰の実例ではないかというメイナード=スミスの主張
と,「種淘汰」を巡るグールドの主張を紹介しているだけだ.なおルースは「種淘汰」については,利他的行為のよう
な性質を説明できるわけではなくあまり興味深い「淘汰」ではないというコメントをしている.
次は「形態」 ルースによれば,本来進化は形態の変化を元なうので,形態を研究するものにとってインパクトが大き
いはずであったが,現実はそうではなかった.研究者をそれを無視しし,寄与も小さかった.しかし21世紀になってこ
こはまた新たな論争の場となっているという.それは形態主義と進化の制約を巡る議論だ.遺伝的制約についてはまだ
明らかになっていることは少ない.歴史的(系統的)制約についてはエヴォデヴォの進展によりHox遺伝子などと発生
の基本の理解が進み,大きな動きとなっている.グールドはここについて系統的制約を強調した主張を行った.ウィリ
アムズやメイナード=スミスは相同性と適応はそれぞれ深く分析されるべきであり,制約に見えるものの中にも安定化
淘汰で十分に説明できるものもあるはずだと主張した.ルースはこの点では後者に親和的なようだ.ここで構造的制約
として,グールドのスパンドレルの議論が紹介されている.主流派の学者の反応は,そんなことはわかっているという
ところだが,特に大きな問題になるのはヒトの脳と行動特性についてだというのがルースの見立てだ.(このあたりは
ステレルニーの著書と同じような見方だ)道徳に関する考えを巡るルウォンティンとE. O. ウィルソンの考え方も紹介さ
れている.最後の物理的制約としてカウフマンの自己創発性の議論が紹介される.ルースはこれについては冷ややか
だ.ルースはいずれもダーウィニズムの脅威にはならないとまとめている.
次は「目的」について.ルースによれば,目的と機能からダーウィニズムへの懸念は4つあるという.
1.超自然的な存在 2.目的と物理は矛盾するか 3.目的論はパラドックスか 4.目的論は擬人化か
まず超自然についてはあっさりと否定している.物理学と矛盾するかについては,自動追尾装置付のミサイルを例にあ
げて,そうではないと議論している.なかなか哲学的な議論は難しい.パラドックスかという点についてもなかなか難
しい哲学的な議論がなされているが,要するに,組織化された複雑性に対して,デザインというメタファーを与えるの
が進化生物学の核心であり,原因による結果が自然淘汰というプロセスを通じて原因へフィードバックされているため
に「目的」のようなものが現れる.そしてそのような言い回しが許されるのだという議論だ.最後の擬人化についても
哲学的な議論が続いている.メタファーを使うことが進化生物学の説明として適切かと言うことだが,明確に肯定する
ドーキンスに対し否定する論者が存在するという形だ.ルースはメタファーの使用は問題ないし,理解が進むという観
点から望ましいという立場から説明している.この部分は哲学的なこだわりがなければ,いったいなぜこんなに真剣に
議論しているかよくわからない印象だ.いずれにせよ,自然淘汰と適応を理解するには「デザイン」と「目的」という
メタファーが有効であれば十分のように思う.
最後にキリスト教との関連が取り上げられる.まずキリスト教徒による進化の受容と反発の歴史が概観される.ダー
ウィンのデザインに向かう議論を受けて,当時の主流のキリスト教徒は進化を抵抗なく受け入れたし,それが信仰と矛
盾するとは考えられていなかったようだ.しかし1920年代以降社会問題を背景にしてアメリカでファンダメンタリズム
が盛んになり始める.カトリックは進化に対しては基本的に傍観者であり続けたようだ.理論的には「種の起源」以降
のキリスト教関係者には選択肢は3つしかない.まず信仰を捨てること,次に「創造」は「進化」と通じて行われたと
考えること.最後に「進化」を否定することだ.2番目の考えの極端な例がテイヤード=シャルダンのオメガポイントと
言うことになる.この場合「進化」=「進歩」という考えが強くなる.過去のような自然神学は「種の起源」以降は不
可能になったのだとドーキンスは主張するし,それは非常に説得力がある.自然神学は「自然の神学」になり,神は
「法則」のみを定め.法則を通じて世界を創造したのだと考えるようになる.ルースが主張するのは,キリスト教はこ
の立場に立つ方が良く,デザインへ向かう議論は止めて,再び複雑性へ向かう議論に注力したほうがよいということの
ようだ.このあたりはテンプルトン財団から支援を得ていることもあってキリスト教により良い役割を果たして欲しい
というルースの希望が見える.ファンダメンタリズム,そしてそれの新しい装い,インテリジェントデザインやマイケ
ル・ビーヒーの義論についてルースは冷たい.ビーヒーの議論はその前提(偶然だけでは複雑なものができないから自然
淘汰による進化はあり得ない)が間違っているし,また世界になぜ邪悪があるのかをやはり説明できない.ルースは
ドーキンスの盲目の時計職人の議論に全面的に賛意を示しつつ,自然の驚異に対する愛はキリスト教にあり,複雑性へ
向かう議論こそ実りあるのだと言って本書を締めくくっている.
前半の思想史の部分は啓発的な視点も多く,蘊蓄を楽しめる.大きな歴史的視点からダーウィンの
位置を眺めることができて読んでいて大変楽しい.後半の各論には,進化生物学的議論についてと
ころどころ甘いところがあるように思う.また「目的」を巡る哲学的な議論は哲学好きな人以外に
はやや冗長なところもある.最後のキリスト教との関連についてはキリスト教側の受容と反発の歴
史は詳しくて興味深い.全体的な議論の整理はドーキンスの盲目の時計職人の議論に加えるところ
はあまりないと思う.自然淘汰を問題なく受け入れている読者にとっては議論を追うと言うより
も,議論の骨格を鳥瞰的な視点から眺めつつ,蘊蓄たっぷりのその詳細を楽しむという読み方がよ
いだろう.
10. 生命をつなぐ進化のふしぎ
生物人類学への招待
内田亮子
978-4-480-06441-7
08/10/23
ちくま新書 筑摩書房
83
08.10.10
720
本書は内田亮子先生の新刊でちくま新書だ.生物人類学の紹介書ということになるだろうが,
単純な概説本ではない.著者独自の切り口から生物としてのヒトを眺め,最近の世界の研究成
果を紹介し,関連する興味深いトピックにふれ,さらに生物人類学者としての深いコメントが
ところどころに挟まっている.新書というあまり固くない様式をうまく生かした独特の本に仕
上がっている.切り口としては,生命や進化をどう説明するか,食事あるいはエネルギー効
率,社会,配偶,育児,老化,死という各章で構成されている.最初のどう説明するかという
観点からは,何でも必然として説明したがるヒトの認知傾向と,真
な科学的な営みから生ま
れる知見とのギャップが語られる.科学者として誠実に説明しようとすることが一般になかな
か理解してもらえないという悩み,あるいは憤慨が行間から見えてくるようだが,本文では軽
やかにエスキモーの「いやー,そんなものできちゃいましちゃか」という創造神話がお気に入
りだと結んでいる.
そこからは最近の生物人類学の知見が,透徹な文章で次々と語られる.まずエネルギー効率のところでは直立二足歩行
は長時間の移動のエネルギー効率の最適化であって,これは結局食物獲得のエネルギー効率の問題だろうと結構大胆に
書かれている.また人類進化でよく問題になる脳の増大についても因果を大胆に推定していて快感だ.著者によると,
「まず脳の増大には社会的なメリットがあったのだろう.そして増大するためにはどこか別のところでエネルギー効率
を上げなくてはならない.それをヒトでは消化効率の向上(調理,肉食)で行っている.」という順序になるようだ.
著者による興味深い推測や指摘には,このほか貨幣経済システムでは,ヒトの脳が慣れ親しんだ社会的互恵性とは多少
異なる情報処理をしている可能性があるとか,ヒトと動物の最大の差は知識の世代間累積ではないかなどがある.わ
かっていないところは,はっきりわかっていないと書かれている.たとえば何故チンパンジーの雄がグループによる襲
撃を行うのかの究極因,何故ヒトで格差のない平等社会と恒常的な食料配分が生じたのかの究極因はよくわかっていな
いとしている.ところどころに著者が特に興味深いと考えているトピックがちょっと詳しく紹介されていて,そのメリ
ハリも新書らしいところだ.ブチハイエナのメスが集団の中で優位であり,生殖器がオスのものに類似しているのは有
名だが,この生殖器により,オスから強制的に交尾されることを避けることができて,メスの優位性と共進化したのだ
ろうという議論とか,天敵のいない島ではオポッサムの寿命が延びるリサーチなどが詳しく語られている.著者自身の
研究にかかるものもちょっと詳しく紹介されている.オランウータンの頭骨測定から,オスの成長具合に多型があるこ
とを発表し,後にオスの成長・繁殖戦略としてのスニーキー戦略が見つかった話や,血中テストステロンの測定方法の
革新や,男性のテストステロン濃度が20-40歳で上昇するのは生殖機能に必要なためではなく,人類史上のホンの最近の
出来事かもしれないなどの議論が紹介されている.
フェミニズムと関連した話題もいろいろと語られている.一夫多妻制度は人類の自然の傾向などと議論されることがあ
るが,それは「条件が許せば」という話であって,その「条件」は農耕以降に満たされたという要素が大きく,また当
初は女性側の選択という要素も大きかったはずだが,ある時点から男性が自分たちの力や能力を勘違いして女性 視へ
と暴走してしまったのではないかという記述や,少子化に関連して1人の子どもに多大な投資をするという親の行動は,
生物学的には暴走であるが,意識的な利得計算をしていることも確かだという記述があって,女性研究者としての抑え
きれない主張がちょっと顔をのぞかせているようで,本書の魅力の一部といえるだろう.その中にはチンパンジー観察
のフィールドで出会った現地の女性割礼のエピソードが語られていて,「人権侵害であり,女児たちの命さえおびやか
すことにもなる女性割礼が悪習であると発言しただけで,それ以上のことは何もできなかった私は確かにナイーブであ
る」などの記述がある.1人の女性として,人類学者として,どう対処すればよかったのか,どう向き合うべきなの
か,無念の気持ちがにじんでいて胸を打たれる.女性割礼について,著者は,通常女性学の運動家によってジェンダー
論の枠組みで議論されるが,異なる次元の認識と理解が必要だとし,「この慣習は男性の傲慢からというより,人間と
いう生き物の哀れな猜疑心から生まれたものである」とコメントしている.
最終章では,生物としてのヒトと現代社会の不適合として,肥満,成人病,身体の成長と心の成長のアンバランス,人
口密度と遠距離移動による感染症の脅威,大量殺戮が技術的に可能になっていることなどをあげている.そのなかでは
CO2排出に加えて人口増加圧についても,国際間で同じ程度の関心を持つべきであり,インドなどにおいて,女性への
教育,家族計画啓蒙が必要ではないかという主張を行っている.確かに問題なのはCO2だけじゃないだろうというもっ
ともな主張だ.
というわけで,本書は新書ということである程度自由に書かれていて,しかし非常に濃密なヒトについての本に仕上
がっている.コンテンツとして私としてもっとも評価したいのは最近数年間の面白いリサーチ結果が数多く紹介されて
いることだ.巻末にはしっかり引用元が書かれてあり,非常に良心的な作りだ.この高いコストパフォーマンスには脱
帽である.
最後に本書で紹介されている最近の知見の一部を抜粋しておこう.
1.
カリマンタンのオランウータンとスマトラのオランウータンでは,主食の果実の豊凶のあるなしに差があり,豊凶
があるカリマンタンのオランウータンは果実が豊富な時期に食いだめして脂肪をため込んで少ない季節に備えると
いう適応が見られる.1998
2.
ヒトの女性が授乳中に妊娠しにくいのはホルモンを通じてだとされてきたが,それよりも単純に栄養状態が効いて
いるらしい.2001
3.
農耕以降にデンプン消化能力にも進化適応が生じている可能性がある.穀類をよく食べる人類集団(日本人を含
む)ではよりアミラーゼ遺伝子のコピー数が多い.2007
4.
ネズミは人間型食事とチンパンジー型食事(菜食)によって消化酵素遺伝子の発現パターンが異なってくる.2008
5.
アメリカの32年,12000人のデータからは「肥満は伝染する」ことが示されている.2007(太った人が周りにいる
と個人的な基準がずれてくるからではないかと推測されている)
6.
ヒト以外の霊長類の新皮質の相対的な大きさは社会の中の「裏切り」の頻度と正の相関がある.2004
7.
脳の各部位の大きさを霊長類の中で比較すると,ヒトでは
桃複合体の一部が大きい.2007
8.
ヒトにおいて信頼ゲームを行うときにオキシトシンをスプレーで嗅がせると有意に相手を信頼するようにな
る.2005
9.
自己申告で料金を払うコーヒーメーカーに眼の写真を貼ると花の写真に比べて有意に支払われる比率が上が
る.2006
10. 年ごとの10万個体当たりの集団間の抗争が原因とされる死亡率の平均は狩猟採集民とチンパンジーで大差な
い.2006
11. 15の社会の比較的研究から互恵的懲罰行動と利他的行動の変異には正の相関がある.2004
12. 社会的脳仮説を肉食動物,偶蹄類,コウモリ,鳥類,霊長類に拡大して検証したところ,脳の大きさにもっとも効
いているのはつがいがユニットになって生活しているかどうかという点だった.2007(このことから異性のパート
ナーとうまく暮らすということが脳にとって大変負荷のかかることで,情報処理の必要性が生じているという可能
性がある)
13. ヒトのメイトチョイスが臭いによるMHCの型に影響されているのは知られているが,視覚的にも同じ情報を得てい
る可能性がある.(自分とのMHC型の変異性が高い男性の顔ほど女性から見て魅力的と判定されている)2005
14. アイスランドの記録からは遠縁の婚姻の方が有意に子どもや孫の数が多い.2008
15. ワキモンユタトカゲでは成長・繁殖行動に3戦略あってグーチョキパーの関係になっている.2003
16. 歯のエナメルから見るとネアンデルタール人の成長は現代人ほど遅くなかったようだ.2006
17. ヒトの子どもの成長の遅さは,多くのエネルギーが必要になる身体の成長を遅らせてエネルギーを節約し,食料調
達能力,社会性を発達させるという戦略ではないか.2007
18. カロリー制限の寿命延長効果は,単なる活性酸素量の問題ではなく,サーキュインと呼ばれるタンパク質が関係し
てミトコンドリア機能が向上しているらしい.2008
19. キイロヒヒの父親は父性が不確実であるように見えるが,自分の血縁である子どもを見分けて選別的に世話をす
る.2003
20. 80カ国200万人の調査によると中年期のヒトの幸福感は,40-50歳で憂鬱感がピークになり,その後上昇,70歳では
(健康であれば)20歳の時と同じ程度幸福になる.2008
21. HIV-IはアフリカのサルのSIVがカメルーンのチンパンジーに広がり,そこからヒトに感染した.2006
11. ローマ亡き後の地中海世界 上
塩野七生
新潮社
83
08.12.20
3,000 978-4-10-309630-6
08/12/29
ローマ人の物語完結後2年たっての塩野七生の新刊はローマ亡き後の地中海世
界.まさか続巻が出るとは思っていなかっただけに嬉しいところだ.中世のこの
あたりは私の世界史関連読書領域であまりカバーしていないのだが,ベネチアや
ビザンチンまたノルマンの征服や十字軍ならそれなりに知識もあるところだ.し
かしこの本ではイスラム側からの海賊が焦点に挙げられている.この部分はあま
り歴史書には取り上げられていないところで非常に新鮮だった.それにしても産
業として確立し,淡々と数百年も実行されるイスラムの海賊と,それに対して国
民を守るという意思を持った統一政権のないキリスト教側の対応ぶりは結構
ショッキングだ.巻末のおびただしいサラセンの塔の写真群もなかなか印象深
い.1月刊行予定の下巻が楽しみだ.
12. 心の起源
脳・認知・一般知能の進化
978-4-563-05714-5
D. C. ギアリー
08/02/01
培風館
83
07.11.15
5,000
The Origin of Mind :Evolution of Brain, Cognition, and General Intelligence
David C. Geary
American Psycological Association
2004 小田亮
本書は一般向けというより,もう少し専門的な端正な書物である.著述密度は高く,読
み進むには結構体力が必要だ.ヒトの心の進化的な成り立ちの解説としてはいろいろな
本があるが,これまでは領域特殊的ないわゆる「モジュール」部分が強調されて説明さ
れることが多い.それはなんといっても,言語能力とか,心の理論とか,だまし検知モ
ジュールとかは,あまりヒトの認知能力について考えたことのない人にとっては驚きの
能力であり,その進化的な起源も単一の特定課題に対する適応として非常に興味深い仮
説になるからだ.本書はモジュール的でない,いわゆる一般的な知能の進化的な考察に
ついてのこれまでの知見をまとめた総説本だ.なぜモジュール的な領域特殊能力以外
に,他の動物には見られないような高い一般的な知能がヒトにはあるのだろう.認知科
学の発展が続く現在,これはますます興味深い問題になりつつある.
さて本書はまず第1章で本書全体の構図を丁寧に紹介してくれる.本書のようなやや固
い総説書では,読書中に時に叙述の流れを見失うことがよくあるのでこれは大変親切な
作りだ.本書の流れが頭に入ったところで,第2章は自然淘汰の簡単な解説.通常の解説に比べると社会的な淘汰圧の解
説が詳しいのはある意味当然だろう.第3章はホミニッドの進化.興味の中心はいつ大脳の増大が生じたのかというと
ころだ.まずエレクトゥスのところで増大し,その後50万年から20万年まで緩やかに増加,さらに2万年前ぐらいまで
に急激に増加し,その後少し小さくなっている(!)と紹介されている.著者はこれは2万年以降はそれまでの淘汰圧が
弱まったのだろうと理由付けしている.
淘汰圧については詳しく考察されている.まず,気候的な淘汰圧が重要だったとは考えられない,増大化の初期には生
態的淘汰圧が,そして生態系の中で超捕食者に進化した後は社会的な淘汰圧が重要だっただろうというのが結論だ.面
白いのはミトコンドリア遺伝子と,Y染色体遺伝子の分析から淘汰圧について考察している部分だ.男性は集団にとどま
り,女性が移動したパターンとともに,男性は血縁を基盤とした同盟に,女性は移動してきた先の集団での社会的関係
作りが重要だっただろうと推測している.本書における淘汰圧のキーワードは「コントロールへの動機」である.社会
的淘汰圧は,結局集団の他者に対して,より有利な社会経済的地位を得ることが重要であり,それは他人,社会関係を
如何にコントロールするかに大きく依存しているという認識である.そしてこのコントロールへの動機が,個別の社会
的課題に対するモジュール的な知能だけは対応しきれない,他者の予測不可能性への対処,自分自身が予測不可能にな
るための戦略としての一般的知能の理解のために重要なのだ.さらにこの一般的知能は,コントロールするために,望
ましい世界を生成し(メンタルモデル),それに近づくためにシミュレーションする能力(ワーキングメモリ)をもっ
ているとするのだ.コントロールの強調はいわれてみれば当たり前のようなことだが,いったん中間目標として「コン
トロール」をあげると,一般的知能を考えるときにいろいろと見通しがよくなるのは実感できる.
第4章では具体的に一般的知能の淘汰圧を考える.ここではまず比較神経生物学,比較遺伝学,比較生態学の知見が紹
介されていて興味深い.哺乳類の新皮質と皮質下領域は,ヒトも含み,作りとしては共通している.そしてヒトとチン
パンジーの最大の違いは遺伝子自体ではなく,その発現頻度にある.もっともこの部分はまだこれからという分野のよ
うだ.また哺乳類の新皮質はそれぞれの生態に応じて特殊に発達している.アロメトリーや脳の持つトレードオフにも
ふれたあとで,著者はヒトの脳の淘汰圧について,普遍的な環境に対応する能力はモジュール的な固定的な構造を,可
変的な環境に対応するものは柔らかなモジュールや可塑的な構造を生み出すだろうと予想している.
第5章ではヒトの心の能力をカテゴリー分けする.素朴心理学,素朴生物学,素朴物理学という分け方がまず提示さ
れ,それぞれの能力において普遍の入力に対しても固定的な,可変的な入力に対しては可塑的なモジュールが対応して
いることを見る.特に社会的関係は可変的であり,モジュールも柔らかいとしている.またより可塑的なモジュールは
より長い発達期間を必要としただろうとしている.
第6章は問題解決に向けた知能について.ここは特に力が入っている.固定的な入力があるような問題についてはヒュー
リスティックスとよばれる固定的な問題解決モジュールが進化していることをまず見る.顔の認識,感情の認知などが
これに含まれる.経験にもとづいて発達するモジュールもこれに含まれる.しかし予測不可能性が支配する社会的な戦
略などにおいてはヒューリスティックスに頼らない対抗戦略が重要になる.これが一般的な知能を生み出すのだ.本書
で面白いのは,ダーウィンとウォーレスが自然淘汰を導き出した過程をその例として使っていることだ.そして興味深
い著者の主張は,一般知能の重要な特徴の1つはヒューリスティックスによる解決を抑制することだという点だ.これ
は代謝レベルでの観察事実にも合致している.
第7章では一般知能をさらに細かく見ていく.メンタルモデル,ワーキングメモリ,実行コントロール,そしてその働き
方が示される.このあたりは最新の認知科学の知見が紹介されていいて,興味深い.注意の持続,自己認識,心理的タ
イムトラベルの能力が重要であることが強調される.
第8章では,ここまで説明された一般知能と,IQ検査から得られる g との関係が説明される.まずこれまで知られてい
る,様々なIQに関する知見が紹介される.なかなか政治的に微妙な話題なので,きちんと紹介されることの少ない問題
であるが,客観的にまとめてあって,参考になる.g は現在では流動的知能 gF と結晶的知能 gC に分けて論じられるこ
とが多く, gF はワーキングメモリと関連があること,特に注意のコントロールを維持し,無関係な情報によって注意が
そらされることを防ぐことに関係していることを説明している.また脳サイズは gF と中程度の相関があるが, gC とは
相関がないことなども紹介されている.行動遺伝学的な知見も丁寧に紹介されていて,まとめ記述として参考になる.
ちょっと面白いのは,前頭葉の容量に見られる個人差は環境より遺伝の影響が強く,後頭葉の容量は遺伝より固有環境
に影響されているという部分だ.また容量に関する遺伝的な影響はアロメトリー的なものとそうでないものの両方があ
る.これだけではなかなか全体像は不明だが,今後いろいろ面白いことがわかってくる気配を感じさせる.またIQの解
釈についての重要な知見もいろいろと紹介されていて興味深い,いわゆる共有環境の影響の重大な側面は,本来の潜在
的な能力の開花に対する制限要因としての側面が強いこと,Flynn効果として知られるIQの歴史的増大傾向も同様に解釈
できることなどは示唆するところが多いだろう.結論としては知能の高い人の特徴は,情報のわずかな変異を素早く見
抜き,素早く一貫して処理するところにあり,それは注意を持続させるワーキングメモリの働きが重要だということが
強調される.また第7章までに見たコントロールのための一般的知能は,IQの能力に加えて自己認識モデルが必要である
とも述べられている.
第9章は,では現代において一般的知能にどのような意味があるのかを考える.この章も力が入っている.著者の理解で
は一般的知能に対する淘汰圧は2万年前以降は弱くなっている.しかしそれでも現代でもこれは重要であり,またヒトの
本性としての動機的な傾向が見られるはずだというものだ.まず現代社会でもIQの高い人たちは成功しやすいことが示
される.学歴,学業成績,成功,知能はそれぞれ正に相関しているので見極めは難しいが,因果関係は知能から成功へ
向かっていることは否定できないようだ.特に職務パフォーマンスに限ると,IQはこれまで示された要因の中では唯一
パフォーマンスを予測できる要因であるそうだ.この章では最後に gF と進化的に新しい学習過程(読み書きなど)に関
する認知的な問題が詳しく考察されていて興味深いものになっている. gF はこの能力の最初の段階のみに関連し,素朴
心理学などのモジュールも重要な役割を果たしていて,完全に発達した能力は gF を支えているのとは別の認知と脳の
ネットワークによっているようだという野心的で面白い考察になっている.
本書は一般的な知能について,様々な角度からの情報を総合し,進化的に考察するという重厚な取り組みを行ってい
て,現時点での総説としては非常に参考になる書物だと評価できる.またところどころに著者独自の説明などもなされ
ており,総説にありがちな乾燥した雰囲気を和らげている.全般として歯ごたえのある書物であり,心して読み込むほ
どに味が出てくる書物に仕上がっていると思う.
13. Female Infidelity and Paternal Uncertainty
Evolutionary Perspectives on Male Anti-Cuckoldry Tactics Steven M. Platek, Todd K. Shackelford (ed)
Cambridge University Press
83
06.01.01
4,780 0-521-60734-5
08/06/22
本書は2006年に出版されたヒトの男性の対寝取られ戦略についての論文集だ.パートナーの
浮気に対する男性の戦略には大きく分けて3つのフェイズがある.まず予防戦略.パート
ナーがそもそも浮気をしないように働きかけるというもの.これにはガード,嫉妬などが含
まれる.第2フェーズとしていったん寝取られたあと受精までの間に,自分もパートナーと性
交におよび,浮気相手の精子に対する精子競争をしかけるというもの.最後の第3フェーズ
に,生まれてきた子に対して選択的に投資量を決めるという戦略がある.本書はそれについ
て様々なリサーチが収録されている.非常にまっとうな論文集であり,奇をてらったような
仮説は出てこないし,ある意味重複した話も多い.真剣なリサーチを読み続けたあとにだけ
得られる真実への接近感覚が本書のような論文集の醍醐味だ.
最初は Platek と Shackelford によるイントロダクション.ヒトの男性と女性の間に父性の不確
実さと父親から子供への投資を巡ってコンフリクトがあること,男性はパートナーがほかの男性と子供を作るという戦
略に対して対抗戦略を進化させているであろうことが解説される.
第2章もD. C. Geary によるイントロダクション.ここで面白いのは,ヒトの配偶システムはチンパンジー型からよりもゴ
リラ型のシステムから移行したと考える方がわかりやすいという説だ.ゴリラ型のハーレムでは40%の群れが複数オス
を抱えており,オス同士は通常血縁で仲がよく,群れ同士も友好的だ.オスとメスの関係は長期的で父性の確率も95%
以上だ.そして配偶者防衛も少なく,父と子の間に絆形成が観察される.これでオス同士がもう少し協力的になればヒ
ト型に近くなる.ヒト型に移行すればより強く一夫一妻的になるので,劣位オスのパートナーメスはより浮気戦略が有
利になりやすく,父性も不確かになるだろう.これに応じてオスの配偶者防衛戦略も強く現れると予想されている.
第3章から第5章まででまず第1フェーズの配偶者防衛戦術(Mate guard)にかかる論文が並んでいる.
第3章はまず女性の浮気戦略が適応かどうかについてのS. W. Gangestad による論文.冒頭で,子の質説(よい遺伝子
説),子殺し防止説,物質的な利益説(売春説)が概観される.そして,実際の浮気率はどのぐらいかということにつ
いての数々のリサーチが紹介される.著者はEEAにおいて5%未満程度ではないかと推定している.しかし直接的な調査
はできないのだから,現在見られるデザインフィーチャーから考えようというのが本論文の骨子.生理周期によって好
みの男性のタイプが変化することは重要な特徴で,適応である可能性が高いと議論している.好みのどこが変化するか
についても詳しく書かれているが,面白いのはより妊娠しやすいときに金持ちより才能ある男性に引かれるというデー
タだ.対立仮説(生理周期によりまず性交への意欲が変わり,その結果好みが変わるという説)についてこれでもかこ
れでもかと反論している(データ不足,それが適応価をあげる説明がない,などなど)のがちょっと面白い.
第4章はTodd K. Shackelford と Aaron T. Goetz による男性の配偶者引き留め行動としての暴力についての論文.多くの男
女にアンケート調査を行って分析している.結果はより女性を引き留めようとする男は様々な手段を使い,より暴力的
だったというもの.ある意味常識的な結果だ.
第5章では同じくTodd K. Shackelford と Aaron T. Goetz がパートナーレイプについて論じている.ソーンヒルの「レイプ
の自然史」では著者が見知らぬ相手へのレイプについて強い仮説と弱い仮説を提示していたが,ここではペア内でのレ
イプ,およびより広い「親密な関係における性的強制」について男性の対寝取られ戦略の視点から考える.これは精子
競争上有利なことからパートナーの浮気が懸念されるときの男性側の戦略ではないかという論点だ.リサーチの結果
「親密な関係における性的強制」は女性の浮気と相関し,男性のほかの配偶者防衛戦略の行使とも相関するというデー
タが得られ,上記仮説が支持されたかたちだ.わりと淡々と論文として記述されているが,一部の進化心理学批判派か
らは強い反応がありそうな内容だ.
第6章から第10章までは第2フェーズの精子競争に絞った論文が収められている.ヒトの精子競争については90年代のベ
イカー/ベリスのカミカゼ精子をはじめとするセンセーショナルな主張と,それに対する懐疑論が一時激しく論争してい
たようだが,冷静にその後の議論を見ることができる.
第6章は同じくAaron T. Gotz と Todd K. Shackelford によるヒトの精子競争の総説的な論文.ヒトでの精子競争の淘汰圧
が大きかったことはペニスの大きさ,形状,精巣の大きさ,男性の嫉妬心理から推測できると主張している.面白いの
は精子生産にかかる遺伝子は通常の遺伝子より10倍速く進化しているというデータがあるということだ.ベイカー/ベリ
スの「女性はより精子競争を起こそうとしている」という仮説については,単に女性がEPCを好んでいるだけというデー
タの可能性がありまだ結論は出ていないとしている.また同じくベイカー/ベリスの「男性は条件に応じて精子生産を調
節している」(パートナーと離れていた男性はより精子を多く産出する)という仮説については,逆因果の可能性(よ
り精子生産量の多い男はより離れても平気)もあるとしている.さらにカミカゼ精子仮説については現在のところ追試
に失敗しており,結論は出ていないとしながらも,クラとナカシマによる数理モデルによると兵士精子が進化する条件
はあり得ないというほど厳しくはないという結果が出ていることを紹介している.これはまだわからないみたいだ.ペ
ニスについては,その長さは精子競争への適応である可能性があること,模型を使った実験で,その形にはそれ以前に
ある精子を掻き出す効果があることが確認されていることがなかなか興味深い論点だ.なお掻き出しに関しては自分の
精子まで掻き出さないために射精後は萎えるのだろうと推測されていて面白い.
第7章ではGordon G. Gallup と Rebecca L. Burch により,精液の物理的性質からいろいろな考察がされている.精液の
粘着性には,粘着性が高い方が排出されにくいが,高すぎても精子が泳いでいけなくなるので不利になるというトレー
ドオフがあることが説明され,また女性が性交後垂直な姿勢をとると,より流れ出てしまうから,それに対する適応が
あるだろうと推測している.オーガズムにはより寝ている姿勢を長く続けるという機能があるのかということが議論さ
れている.またペニスの形状とその民族差のデータに意味があるのか(具体的にはアフリカ系でより精子競争が激し
かったのか)が議論されていて,これも合わせちょっと微妙な感じだ.
第8章には同じくRebecca L. Burch と Gordon G. Gallupによる精液の化学成分とその適応的な議論が収められている.精
液には,女性ホルモンなどの各種ホルモン,ニューロトランスミッターなどが含まれているのだそうだ.それもちょっ
と驚きだが,この論文では20以上の成分について細かくいろいろな作用と適応的な議論が繰り広げられていてなかなか
すごい.大きく分けると女性の性的な意欲を高める成分,排卵誘発する成分,女性の鬱を防ぐ成分などがあるようだ.
実際にコンドームを使っている女性は鬱のリスクが高いなどのデータもあるようで結構衝撃的だ.
第9章ではAaron T. Gotz と Todd K. Shackelford により,精子競争リスクと男性の戦略との関連が議論される.実際に浮
気リスクが高いときにより掻き出し行為(深く長く激しいスラスト)が見られ,さらにほかの配偶者防衛戦略の行使と
も相関しているというデータが示されている.ある意味常識的だが,スラストについてまで調べているのもなかなか
だ.
第10章はJennifer A. Davis と Gordon G. Gallup による子癇前症についての議論.これは面白かった.子癇前症は一般に
は「子癇前症とは妊娠高血圧症候群に蛋白尿が合併した状態を言い,これが重症化して痙攣や意識障害などの中枢神経
症状が起きた場合に子癇と呼ぶ」などと説明され,高血圧,タンパク尿が原因だと理解されている.しかし進化医学的
な視点に立てば,そもそも高血圧,タンパク尿は胎児がより強く栄養要求しているから生じる症状であり,胎児に対す
る栄養不良が原因なのではないかと考えられる.データとしては,いつもと異なる精子は子癇前症のリスクも高める,
また妊娠前に同じ精子にさらし続けると不妊治療にいい効果がある,またバリアメソッドによる避妊により子癇前症リ
スクは2倍になる,そしてこれはオーラルでも同じ結果が得られるなどの事実が示されていて精子の成分と子癇前症に関
連があると議論されている.本論文ではいつもと異なる精液にさらされた母胎が,この子供に対する父親からの投資不
足リスクに対応して栄養をカットして流産するような反応をしているのではないかという仮説を提示している.なかな
か説得的だ.また自然流産,分
後の鬱も同じ結果にかかる適応ではないかとも議論していてこちらもあわせ今後の進
展が興味深い.
第11章と第12章は第3フェーズの生まれたあとの投資調整戦略について.
第11章ではRebecca L. Burch と Daniel Hipp により,父親は子供と自分が似ているかどうかをどう知覚し,どう反応す
るかが議論されている.母親及びその親族が子供が父親に似ていると有意に言い張るというのはよく知られた事実だ
が,父親はどう対処しているのか.本論文ではコンピュータ上にモーフィングした写真を並べて,「どの子に○○したい
ですか」と質問するというリサーチを行っていろいろな議論をしている.これによると,子供の顔が誰かに似ているか
どうかの判定能力には男女の性差はないのだが,男性は投資が含まれる文脈(どの子を養子にしますか,どの子といっ
しょに過ごしますか)では(無意識に)自分と似た子供を選ぶが女性はそうではない.これは男性特異的なモジュール
があるのではないかと議論されている.また面白いのはEEAには鏡がなかったはずで,現在よりもさらに自分の親族
(特に兄弟)や友達の意見を重視しただろうという議論だ.
最後の第12章はSteven M. Platek と Jaime W. Thomson によるもの.第11章にあるモジュールについてfMRIで確かめる.
すると投資文脈では男性のみ反応する回路があるというのだ.実際に顔の類似度と投資判断が絡んだ男性特異的なモ
ジュールがあるのかもしれない.ちょっとした驚きだ.
全体を読み通すとヒトの進化において父親の投資判断にかかる淘汰圧が大きく,いろいろな男性心理に大きく影を落と
していることがよくわかる.精子競争を巡る議論ははベイカー/ベリスが批判されたあといったんあまり聞かなくなって
いたが,やはり着実に知見が増えているのがわかりうれしい.ペニスの掻き出し機能や精液の化学的な性質およびそれ
に関連した適応仮説の面白さなどには驚かされる.子癇前症の仮説も見事だ.ちょっと固い論文集だが興味のある人に
とっては,大変興味深い記述が多く,便利にまとまった情報源だと思われる.
14. アマゾン河の博物学者
H. W. ベイツ
平凡社
83
96.10.10
5,000 4-582-53719-7
08/07/15
The Naturalist on the River Amazons :A Record of Adventures, Habits of Animals, Sketches of Brazilian and
Indian Life, and Aspects of Nature under the Equator, during Eleven Years of Travel Henry Walter Bates
John Murray 1892 長澤純夫,大曽根静香
過日,偶然ベイツの伝記の新古本を入手することができて1読んでみた.生い立ちからウォーレス
と共に出かけたアマゾンへの博物学標本収集の旅,そして英国に戻ってからの日々が簡単に書か
れていたが,やはり面白いのはアマゾンの日々だ.そういえばダーウィンの「ビーグル号航海
記」,ウォーレスの「マレー諸島」,および「熱帯の自然」は読んでいるが,ベイツの「アマゾ
ン河の博物学者」まだ読んでいなかったなあと思い,この機会に読んでみることにした.本書は
A5版,2段組,500ページと結構なヴォリューム(価格も5000円だ)で,「完訳」とあるよう
に,原書のいろいろなバージョンの中からもっとも削除の少ない版を選んで全訳されたものだ.
本書はダーウィンの熱心な励ましと仲介によって生まれたもので,冒頭にはダーウィンその人に
よる序言がある.著述はアマゾンへの到着から英国へ向けての旅立ちまでの11年にわたる旅の記
述がなされ,土地風景の描写,人々の生活,様々な標本採集の苦労,博物学的に興味深い事例の紹介と一部考察などが
描かれている.博物学への思いからほぼ徒手空拳で大西洋を横断し,いっしょに渡ったウォーレス氏と別れたあとも現
地に残り,なんと11年にわたる採集を続けた記録はずっしりと重いのだが,ベイツはその重さを感じさせないように
淡々と様々な描写を続けてくれる.博物学的な記述は現在の視点から読んでも大変面白い.ベイツの渡米は1848年,帰
1
ベイツ̶アマゾン河の博物学者 George Woodcock(著) 長沢純夫, 大曾根静香(訳)伝記としてはこれしかないと
いうことのようだ.生い立ち,アマゾンへウィーレスとともに旅立つ経緯,帰国後の苦労,なぜウォーレスのように自
然科学の研究を続けなかったのかなどが語られている.アマゾンの標本採集の日々も背景がいろいろ書かれていて,あ
わせて読むとより深く旅の事情がわかる.この伝記は四六版の普通の本だが4000円近くする.なかなか売れ行きは悪
いだろうと思われる,なお新古本は半額程度で購入できた.
国は1859年で,ちょうどダーウィンの「種の起源」が出版された時期を挟んでいる.そもそもの渡米の意図も種の起源
の に迫りたいという動機が大きいのであるが,11年の採集生活の中でダーウィン説が(それも友人のウォーレスが関
わった上で)発表されていてベイツにとってはさぞいろいろな感慨があったであろう.本書が書かれたのはベイツの帰
国後,ダーウィンの自然淘汰説が発表されていろいろな論争がなされていたちょうどそのときであり,ベイツの観察は
ダーウィン説を裏付けるものとしてダーウィンを喜ばせたのがよくわかる.残念ながらベイツの名を高らしめているベ
イツ型擬態の考察は本書には収録されていないが,地理生物学的な記載は非常に多く,現在でいうところの環状種的な
分布を見せるチョウ,河の両側ではっきり区分されているようで,一部地域に中間形が見られるチョウの記載,および
その解釈,大きくは新大陸と旧大陸のサル類の系統分岐の推測など,様々なダーウィン擁護的な考察がなされている.
個別の行動観察的な記載も多く楽しめる.ハキリアリ,グンタイアリ,シロアリ,ハチ,チョウ,様々な鳥,ワニ,カ
メなど周囲の情景描写とともに語られていて魅力にあふれている.標本としては甲虫の方が多かっただろうが,ダー
ウィン的に考えるとハチの社会性について強い関心があったのだろう,チョウの分布と並んで,アリやハチについては
詳しく生態が示されていてベイツの関心の高さが窺える.
そのほかの風景,土地土地の人々の描写はまさに旅行記の魅力がよく出ている.ベイツは淡々とした記述振りなのだ
が,その控えめな書きぶりの中に読者を引き込むうまさがあって,当時よく売れたというのも頷ける.一般向けの旅行
記としてはダーウィンやウォーレスより面白いかもしれない.蚊やブヨやアリに悩まされながら,日常としての標本採
集,標本作り,記載の日々,時に挟まる大冒険,人々との交友,出会いと別れ(中には現地インディオの少女の病死に
涙する物語もある),社会慣習の違いとそれに慣れていく自分,信じられない熱帯の自然,150年前のラテンアメリカ
の状況など次から次に語られる.政治状況の解説,人種に対する記述(人種間にどのような差があるのかという博物学
的な興味からいろいろな記述がある.現代的なスタンダードでは不適切といわざるを得ないだろうが,価値中立的で,
カテゴリーとしての記述と個人的な例外にもきちんと目配りがあり,当時のスタンダードでは大変リベラルな記述だろ
う)や奴隷制についての記述(当時英国では大変先鋭な政治的な意見の対立があったことはダーウィンのビーグル号航
海記でもよくわかる.当時のブラジルではまだ奴隷制が制度としては残っていたが,アフリカからの供給が途絶え,子
供の頃に奴隷として使われても長じると自由の身になることが多かったとベイツの記述にある.本書においてベイツ自
身は奴隷制について明快な価値判断を表明していないが,行間からは批判的であることが窺える)を読むと,大きな時
代の流れや歴史を感じることもできる.読んでいた10日ほどは,ベイツに150年前の大河のほとりに連れて行ってもら
い,アマゾンををゆったり漂うように,時に地図を見ながら,時に様々な挿絵を見ながら,時空を越えて楽しませてく
れたように思う.なかなか得難い読書のひとときであった.
15. ダーウィンのジレンマを解く
新規性の進化発生理論
08.08.08
マーク・W. カーシュナー,ジョン・C. ゲルハルト
3,400 978-4-622-07405-2
08/09/15 The Plausibility of Life :Resolving Darwin's Dilemma
Yale University Press
2005 赤坂甲治
みすず書房 83
Marc. W. Kirschner, John C. Gerhart
滋賀陽子
自然淘汰に必要な変異がどのように生まれるのかについて,遺伝子発現の仕組みから詳しく語っ
てくれる一冊.著者は細胞運動やその形態の専門家カーシュナーと酵素の調節機構から発生生物
学に転じたゲルハルトの共著となっている.二人ともアメリカで活躍している学者のようだが,
名前からしてドイツ風であり,発生に深く関わる内容,そしてみすず書房ということで,予想に
違わず,ドイツ風観念論の色の濃い,難解な書物に仕上がっている.
さて冒頭に本書が解決しようとしている問題意識が書かれている.曰く,ダーウィニズムには表
現型変異の出現(本書ではこれを「新規性」の議論と呼んでいる)の説明に穴がある.一般の生
物学者は遺伝的変異はランダムであり,表現型の変異もランダム,そしてそこから淘汰が生じると考えて満足している
が,表現型の変異はランダムではない.それを「促進的変異理論」を提唱して説明しようというもの.私にとっては,
本書はこの大上段の構え振りに相当違和感がある.そもそも一般の進化生物学者は,現代の進化理論に穴があるとは
思っていないし,表現型の変異が遺伝的な突然変異のとおりランダムに生じるとも思っていないだろう.そこには遺伝
子発現や発生のブラックボックスがあって,今後詳細がわかってくるだろうと考えているだけだ.だから邦題の「ダー
ウィンのジレンマを解く」というのもいただけないし(ちなみに原題は「The Plausibility of Life: Resolving Darwin's
Dilemma」),本書のスタンスにはちょっとついていけないところがあるのだ.もっとも「そのブラックボックスがだ
んだんわかってきました」という話として読めば結構面白い部分もある.
さて本書の議論に戻ると,ダーウィン自身もこの変異の出現には悩んでいて,一時ラマルク説も受け入れたりしていた
が,結局進化の現代的総合の結果,適応のみが重視されるようになり,その部分は無視されるようになったとして,ベ
イトソン,メンデルの再発見,ド=フリース,モーガン,ケアンズらの議論をおさらいしている.本書はしかしその部分
は説明されるべき問題であり,「促進的変異理論」として提示したいという.このエッセンスをまとめると以下のよう
になる.
1.
表現型の変異はランダムではない.
2.
生物の遺伝子発現過程には,強い拘束がかかって長期間保存されるコアプロセスと,その組み合わせ,そし
てコアプロセスに対する複雑な調節からなっている.
3.
コアプロセスは,まれに新しいものが出現し大きな変化を生むが,通常は長期間事実上不変である.
4. コアプロセス同士の連携は,スイッチのオンオフによる弱い連携になっていること,フィードバックのかか
る探索的なプロセス,区画化してそれが入れ子になっていく発生プロセスなどにより,変異に対してきわめ
てロバストになっている.
5. 生物個体が環境に順応する体細胞適応という現象が進化による淘汰改変に絡む(発生におけるボールドウィ
ン効果)
6.
これらにより遺伝子のランダムな突然変異に対して,表現型変異は,多くの形質の同時発現が必要という問
題を抑え,致死率が低く,より環境変化に対して進化しやすい変異を作り出す方向に偏向する.だからダー
ウィン理論の持つ新規性の問題を補完できるのだ.
ボールドウィン効果についてはあとで触れるようにちょっと難しい微妙な議論だが,議論の本筋はもっともなものだ.
そして普通の進化生物学者にとってほぼ想定内だろう.本書はこの個別の問題について詳しく取り上げていく.コアプ
ロセスとは,例えば,原核生物内における化学プロセス,真核生物の細胞の構成と調節,多細胞生物の細胞の接着,情
報伝達,ボディプラン,肢などを指している.歴史的に見て時に爆発的に進化が進み,それにより得られたものがその
後保存されているというのは,多くの例を見ていけばそのような現象が生じていることが納得できる.そしてそのよう
なコアプロセスの共通性,保存性にもかかわらずに生物が多様なのは,調節の部分に変異が生じるからだというのもよ
くわかる.コアプロセスが調節スイッチのオンとオフによる複雑でロバストなネットワークになっていることや,「探
索プロセス」と呼ぶフィードバックの仕組みも詳細が解説されていて興味深い.発生についてはさすがに詳しくて,区
画化がまず生じてその中で遺伝子発現のセットが変わること,それが入れ子状に繰り返されて発生が進むことなどの面
白い知見が紹介されている.ただ本書の主張とは違って,これはまさに普通の進化生物学者の予想通りというところだ
ろうと思われる.
微妙な議論は発生におけるボールドウィン効果の主張だ.体細胞適応がいろいろな環境下で生じた方が適応的なのは明
らかだが,そのような獲得的な反応が生じる能力が土台になり,それが頻発する環境下ではその反応がより安定化して
さらに増強されるように淘汰されるという主張だ.本書ではなかなか難解に語られているが,要するに促進的変異理論
のもとではこのような発生におけるボールドウィン効果がより生じるし,より理解されやすくなるだろうということの
ようだ.私の理解ではボールドウィン効果というのは,学習で獲得されるような能力が,そのような学習を行う個体が
多い環境下では,生得的に獲得されていた方がより速く低コストで獲得できるのであれば有利であるという淘汰が働い
て,生得的に獲得されるようになるという文脈で提唱されているものだ.(そもそもボールドウィンは心理学者であっ
た)どうも,これに似ているということで発生生物学でもボールドウィン効果という名前で議論されているらしい.確
かに発生においてもそのようなことが生じないとは言えないだろう.しかしそれがどれだけ重要かというのは本書にあ
る議論だけではよくわからなかった.
本書は現在遺伝子の知見が急速に増加していることからこの「促進的変異理論」がテストできるようになるだろうと主
張している.例えばフィンチのクチバシの変異とその遺伝子の発現をクチバシに特徴のある他の鳥についても調べてみ
れば面白いだろうと提案している.確かにいろいろ調べてみると面白いだろう.そして進化生物学者が多分そうだろう
と考えていたような事実がいろいろ明らかになるのだろうと思われる.またコアプロセスの起源についてはわからない
ことが多いとしながら,若干の推測を述べている.例えば,原核生物から真核生物,多細胞生物の起源あたりのコアプ
ロセスの変換は,非常に多くのプロセスがいっせいにかなり大きく変更されていてまれな事柄が生じたことがわかって
いる.本書の推測では,まず新規プロセスができあがり,その後ロバストさが加わり,さらに調節のネットワークによ
り表現型変異がより可変になるようになっ他のだろうと示唆している.
最後に本書はこのような促進的変異理論の他分野への応用として,工学,人間社会の制度設計分野において,モジュー
ル性,ロバストさ,拡張可能な相互作用などについての示唆を与えるだろうと示唆し,また新規性についての指摘をや
めない創造論者との論争にも一助になるのではないかと希望を述べている.
最初にも述べたが,本書の大上段の振りかぶりについては違和感がある.個別の議論のスタイルにおいても,ダーウィ
ン理論の穴として「新規性」が説明できないと主張しているが,仮に表現型変異がランダムだったとしてどうして量的
にそれで足りないと考えるのか(個体数が多く,長時間かければ十分かもしれないではないか)の根拠が全くないとこ
ろも残念なところだ.冗長で難解な表現も多く,観念論的な議論は読み進めるにはつらいものがある.そのあたりは軽
く読み飛ばして,遺伝子発現や発生の詳細を楽しむというスタンスで取り組むとよいのではないだろうか.
16. ミトコンドリアが進化を決めた
ニック・レーン
みすず書房 82
07.12.21
3,800 978-4-622-07340-6
08/04/01
Power, Sex, Suiside :Mitochndria and the Meaning of Life Nick Lane Oxford University Press
2005
斉藤隆央
本書はミトコンドリアを軸に,いろいろな生物現象の
を考えていこうという本で,同じく
ニック・レーンの前著「生と死の自然史」の続編ともいってよい内容だ.原題はPower, Sex,
Suicideとなっているが,これは邦題の方がよいかもしれない.(「決めた」というのは
ちょっと気になるが)
最初に取り上げられる
は,なぜ真核生物のみが多細胞生物となれたのかというものだ.
その前段としてそもそも「真核生物」とは何かと言うことが問題になる.真核生物の起源に
ついてはそれまでの主流であったカヴァリエ=スミス説は,アーケゾアがミトコンドリアの
祖先原核生物を摂食し,それが寄生となり,さらにエネルギー獲得を巡る共生に進化したと
いうものだ.これに対して1990年代にビル・マーティンがとなえた水素仮説は,古細菌の
一種メタン生成菌とα-プロテオバクテリアの水素提供に関する共生から真核生物が生まれた
とするものだ.本書はこの説によっている.これは前著「生と死の自然史」で唱えられたシナリオの一部であり,より
具体的に描かれている.続いてミトコンドリアによるエネルギーの獲得の本質は何か.著者によるとすべての基本は膜
の内側と外側のプロトンポンプによる電位差だという.これは呼吸と光合成に共通であり,酸化のエネルギーでポンプ
を回すのが呼吸,光のエネルギーで回せば光合成ということになる.
そしてではなぜ原核生物は大きく複雑になれないのか.細胞の淘汰圧はエネルギー効率と複製効率の世界だ.原核生物
では栄養さえあれば複製する方が有利になる.そして細胞が巨大化する制約は呼吸効率にある.ミトコンドリアが内側
にあれば細胞壁不要で膜の面積を稼げるので初めて呼吸効率が高いまま巨大化できるのだ.では原核生物が内膜を進化
させられなかったのはなぜか.呼吸を効率的に行うには,局所的な状況に応じた遺伝子発現が重要になる.ミトコンド
リアなら,そこにある遺伝子を現場で活性化できるが,巨大細胞ではそのコントロールが難しいのだ.
さらに大型化するとエネルギー的には有利になるのかどうかが考察される.ここはやや議論が込み入っている.まず代
謝率と体重の冪乗則が取り上げられ,なぜ表面積と体積の関係が2/3ではなく,言われているような3/4になるのかと問
いかけ,実はそれほど単純ではないことを説明している.最終的に基礎代謝では0.75,最大代謝率なら全体で0.88.最
大代謝は骨格筋でほぼ1,臓器ではもっと低い.多くの議論がなされているが,いずれにしても1より小さいと言うこと
は動物は大型の方が効率的だということになる.次に内温性の問題を取り上げる.本書の依拠する考え方は内温性は有
酸素運動能力を上げるための適応から生じたものだというものだ.その要素はスピードと持久力だ.まずスピードをつ
けるために最大代謝率を高くする.それは必然的に安静代謝率も上昇させる.なぜなら臓器のミトコンドリアを増やし
て,フリーラジカルを抑える必要があるからだと解釈している.アイドリング状態になって結果として内温性が獲得さ
れたということになる.その後,獲得された内温性自体が有利になってさらに内温性のための適応が生じるというシナ
リオだ.
ここまで整理してから,真核生物のみが代謝的に有利な大型化できた理由を考える.結局大きな真核細胞のみが大きな
核をもてる.そして大きな核をもてる動物のみが細胞間の分業による多細胞生物化ができたのだろうというのが本書の
推測だ.この第一の問題に関する本書の説明は細部はなかなか複雑だが,大筋はわかりやすく説得的だ.要するにエネ
ルギーを効率よく得るためには膜面積を持ち,そのそばに遺伝子発現できる仕組みが必要で,それはミトコンドリアに
よってのみ獲得できた.そしてそれが細胞の大型化,多細胞化に道を開いたというものだ.
次に2番目の問題,多細胞生物の細胞間コンフリクトにうつる.ここでは前振りに,単細胞生物の世界ではドーキンスの
「利己的遺伝子」説の評判がよくないことと,それが複製子と個体がほぼ一致している関係にあり,細胞単位で淘汰を
考える方がわかりやすいためではないかというようなことがふれられている.本書の他の部分とはあまり関係のなさそ
うなことでもあり,本当は何を主張したいのかよくわからない部分だ.しかしマーギュリスがドーキンス嫌いだったと
いうような話はエピソードとしては面白い.次にアポトーシスの仕組みとそれにミトコンドリアが重要な役割を占めて
いることについて解説が入る.アポトーシスの仕組みの骨格は,何らかの欠陥,理由によって細胞が分裂できなくなる
と細胞内でミトコンドリアのみ分裂をするために栄養不足になりフリーラジカルが過多になり,そしてそれがカスパー
ゼ連鎖反応に結びついて細胞がプログラム死するということになる.このカスパーゼ連鎖反応との結合の進化は独立に
何度も生じているらしい.
続いて性の異型性について.本書の異型性の説明はよくある説明とおなじだ.要するに細胞内オルガネルのコンフリク
ト抑制の理由から片方の性からのみミトコンドリアを入れるために異型性が大きくなったという説明だ.被子植物の雄
しべの不稔性やヴォルバキアとミトコンドリアの差など興味深い話も交えながら語ってくれている.面白いのはそのあ
とだ.上記異型性から接合子には2セットの核遺伝子と,1セットのミトコンドリアが混じることになる.ここでミトコ
ンドリアと核遺伝子にいろいろな組み合わせの有利性の差があるとするなら,母親由来の核とミトコンドリアについ
て,卵母細胞から卵になるまでの間に組み合わせについて淘汰する仕組みがあるためにうまく働いているというもの
だ.
3番目の問題は前著でも詳しく取り上げられていた老化について.著者の変わらぬ主張は,老化はフリーラジカルにより
生じるものだということだ.フリーラジカルによるシグナルで,ミトコンドリア内遺伝子が呼吸鎖をより作ってフリー
ラジカルを抑制するフィードバックの仕組みにかかるいろいろ細かい議論がされている.前著より一歩進んで議論され
ているのは鳥とコウモリがより老化が遅い点について.本書はこれは鳥とコウモリが,より多くのミトコンドリアを持
ち,より多くアイドリングをしているためによりフリーラジカルを抑えられるからではないかと推測している.そして
より多くアイドリングしているのは,究極の有酸素運動「飛翔」にかかる淘汰圧にかかる適応だというものだ.そして
他の哺乳類でアイドリングを増やして長寿にならないのは,アイドリングにより何らかの効率が下がって,飛翔しない
動物にとって逆に不利になるからだろうとしている.この説明は非常に説得的だ.ハミルトンの老化にかかる議論など
を読むと,個体にとって長寿になっても遺伝子の観点からの利益はほとんど無いことが明瞭だ.それを前提に考えると
アイドリングによりほんの少しでも何かの効率が下がるなら,何か大きなメリットがない限り高アイドリング状態は進
化し得ないだろう.
全体を通して非常に濃密で粘着的な議論が続いている.論旨がわかりにくいところもあるが,それも著者の誠実性がそ
うさせているのだろう.個人的には多細胞化の議論はわかりやすくて買える.コンフリクトの議論はややミトコンドリ
アにこだわりすぎていてもう少し大きな視野から捉えた方がわかりやすいのではという感想.最後の老化についての部
分は前著をさらに進めていて,特に鳥とコウモリの優れたミトコンドリア特性についての説明は前著に空いていた穴を
埋めるものとして評価したい.読むなら前著とあわせて読まれることをお勧めする.
17. 共進化の生態学
生物間相互作用が織りなす多様性
978-4-8299-1069-6
種生物学会(編) 文一総合出版
82
08.03.31
3,800
08/05/14
種生物学会の最新刊.今回は2004年に開催されたシンポジウムの講演内容を深化させた
もので,テーマは共進化だ.共進化はいかにもアームレースにより非線形な動態が出やす
そうで興味深そうであるのだが,本書によると意外にもこれを真正面から捉えた日本語
の本は少ないのだそうだ.本書はいつもの通り若手研究者の意欲あふれるリサーチ結果
が次々と紹介されていて内容の濃い本に仕上がっている.なお本書は表紙カバーの絵も
大変楽しくて上品だ.センスの良いデザインだと思う.
序章で自然界の共進化現象を大まかににまとめ,どのような研究が行われているか概観
する.種生物学会は基本的には植物研究が主体であるので,本書は植物が絡む共進化現
象が中心になる.まずは植食者との共進化.次は送粉共生系,さらに種子散布,養分・
炭素源の供給,被食防衛などがある,相手としてはアリ,微生物が特に面白そうだ.リ
サーチのポイントとしてはまず基本と言うべき対応関係の把握,系統解析,選択圧の評
価,遺伝的的背景の解明などがあげられている.
第1章はマルハナバチ送粉系.日本においてマルハナバチは3種存在し,それぞれの口吻の長さが異なっている.この口
吻部の図解が示されていて三段階で口吻と舌が伸びる様子が見事な吸蜜への適応を物語っていて興味深い.本章はこの3
種のマルハナバチに対して送扮してもらう側の花の形態がどう適応しているかをリサーチしたもの.それぞれのマルハ
ナバチの口吻長に応じたそれぞれの花があるのかと予想して読んでいくと,実はそうなっていないことが示される.ク
サボタン類は,開花からの時間によって花筒の長さを変え,訪花する2種のマルハナバチに対応している.本書ではこれ
は2種のハチの訪花頻度の変動に対応するコストの安い方法ではないかと推測されている.別の植物群,ヤマハッカ類で
は花筒長に地理的変異が見られる.これは送粉者側の地理的分布や共存植物によりそれぞれの地域に適応していると解
釈されている.またママコナ,オオバギボウシと言ったラッパ状の花をつけるものはハナバチの種類を限定していない
ことも示されている.送粉共生系では1対1だけでなく多対多の共進化関係を考えていかなければならないということが
よくわかった.ちょっと考えただけでも非常に多くのパラメーターがありそうで,目が回りそうだ.とりわけ興味深い
のは特定の送粉者を選ぶ(同種の花への送粉効率)のとある程度広く送粉者を集めること(訪花頻度)のトレードオフ
関係だろう.また本章では考察されていないが,ハチ側の適応にも興味深い問題が多いと思われる.
第2章はツバキとゾウムシの植食・被植防衛の共進化.京都産と屋久島産のリンゴツバキの実,及びそれぞれのゾウムシ
が並んだ写真が口絵にあるが,そのツバキの実の大きさの違いにまずびっくりさせられる.本章は研究の進展にした
がって記述されていて,リサーチの裏側もかいま見える.緯度にしたがって大きさに差があり,数理モデル解析によれ
ば光合成の気候条件がよくなると資源を被食防衛に回すことが合理的になり共進化を起こすのだろうということだ.そ
れにしても防衛にかかるコストは直径の3乗に比例するのに対して光合成効率の向上はそうではないのだから,屋久島の
リンゴツバキが極端に大きいのは強い非線形的なダイナミクスがあるようで興味深い.研究の進展を期待したい.また
ゾウムシの形態進化が最終氷河期以降に生じているという知見も印象的だ.
第3章はチャメルソウの送粉共生系.まずその面白い花の形態が興味深い.そしてわかっていなかった送粉者の特定物語
も面白い.つづいて送粉者がキノコバエであること,花の形態とキノコバエの種類に関連があること,分子系統分析か
ら花の形態の推移確率が非対称であること,チャメルソウが多系統であること,キノコバエのチャメルソウとの送粉関
係は独立に何度も起源していること,日本における地理的な共進化関係の分布などが次々と語られている.リサーチの
水準の高さが窺える.
第4章はイチジクとイチジクコバチの送粉共生系.この奇妙な絶対共生系はドーキンスの「Climbimg Mount
Improbable」などで詳しく紹介されていておなじみだが,日本における共進化の話はあまり読んだことがなかった.本
章では小笠原諸島のイヌビワとイヌビワコバチの種分化の状況が取り上げられている.
第5章はカンコノキとホソガの送粉共生系.これもイチジクと同じ絶対送粉共生系の話.ユッカ,ユッカガと並んで絶対
送粉共生系ではこの3つが代表的なのだそうだ.ここでまず興味深いのは,ホソガが積極的にめしべに丁寧に花粉を授
扮させる行動を進化させていることだ.考えてみれば,種子ができることはホソガにとっても重要なのだからそういう
行動が進化しても何の不思議もないのだが,やはり(コノハアリと同じように)そのような意図的に見える行動は驚き
だ.このような能動的受粉行動はホソガのほかにユッカガすべてとイチジクコバチの一部にも見られ,それぞれ独立に
進化しているらしい.この送粉共生系で興味深いのは,カンコノキは種子が一房に6個でき,ホソガはそのうちの3個程
度を食害し,残りは見逃す.これにより共生系が保たれているのだが,その維持メカニズムはどうなっているのかとい
うことだ.これについては古くからいろんな議論があり,理論的には花側のパニッシュメント(多く卵を産み付けられ
た房を間引くなど)を含むいろいろな抑制メカニズムが予測されているが,実際にどうなっているかはまだ結論がない
らしい.本章では,その起源,種分化様式などを双方の系統樹を比較することにより考察している.
第6章はアリ植物とアリ.アリ植物とアリの共生系の複雑さ,カイガラムシを加えた3種共生のシステムなどがまず解説
されている.本章もアリ植物とアリの双方の系統樹を比較することによる考察が中心.アリ植物に共生関係において大
きく3グループあり,その系統的な進化のプロセスが推測されている.アリ側の適応との共進化も考察に含まれていてな
かなか興味深い.また植物側からは物理的防衛を行うか,アリと共生するかが選択肢になっており,ニッチの分割によ
り他種共存に道を開いているという指摘も面白い.
第7章はマメと根粒菌共生系.マメ科の植物は根粒菌と共生し空中窒素を固定できるという知識はあったが,その適応の
トレードオフについてはあまり考えてみたことがなかった.考えてみればそれが窒素固定を通じて有利であるのなら,
なぜほかの植物は根粒菌との共生を進化させられないのだろう.本章で説明されているのは,単純な相利関係ではない
ためゲーム理論的な解析が必要になるということだ.資源を受け取るだけで窒素を渡さない菌(ぼったくり菌)への対
処が特に問題になる.これには制裁メカニズムが実際に発見されているそうだ.垂直伝播が無く,一代限りで共生関係
を築かなければならないので,このようなゲーム理論的な状況が現れやすいのだろう.大変興味深い.また系統樹の比
較により進化プロセスも深く考察されている.菌側では遺伝子水平流動もあることからどの遺伝子で解析するかと言う
ことも問題になりそうだし,一代ごとに共生を築くので地理的パターンも問題になる.ここも大変興味深いところだ.
このほかにも共生にかかるメカニズム,分子的な仕組み,などが説明されている.
第8章はアーバスキュラー菌根共生系と根粒菌共生系アーバスキュラー菌根菌はリン酸などのミネラルを植物体に供給す
る共生菌だそうだ.本章ではこの両システムを比較しながら,根粒菌共生系がどのようにして現在の姿になったかを
探っている.本章の説明の中心は,根粒菌との共生は,植物側から見て窒素のメリットと根粒菌に渡す資源のデメリッ
トがあり,それをうまく調整しているというものだ.この部分の分子機構からいろいろな推測がなされている.
第9章は農学的雰囲気の抵抗性品種に関してのもの抵抗性品種はある病害に対して抵抗性を持つが,そればかり植えると
それに適応した病原体が進化して全滅してしまう.どのような比率で感受性品種と混植すればもっとも収量が多くなる
かを,疫学的な微分方程式モデルを作って解析したもの.
第10章は矢原徹一先生によるハイレベルな章だ.ハミルトンによる有性生殖の維持は病原体に対する抵抗のためという
赤の女王仮説をヒヨドリバナとジェミニウィルスの系で調べようとした話から始まり,現在耐病性についてはかなりそ
の遺伝子的な機構が解明されていることを解説している.そして驚くべきことにその「R」遺伝子はシロイヌナズナで
120個,イネで400個もあることが判明している.これは進化史を通じて敵対的共進化が続いてきたことを示している.
さらにこの具体的な仕組みはどうなっているのか,シロイヌナズナの研究が紹介されている.遺伝子レベルからの解析
によると,病原体と耐性については,フローによる遺伝子対遺伝子の頻度依存型の仕組みと,超優性が有利になるマッ
チング関係の2種類が観察されるということだ.ハミルトンは超優性だけでは有性生殖の維持は説明できないとしてお
り,それもあわせて興味深い内容である.最後にリサーチのための付録的な章が2つあり,系統解析の基礎と共種分化
解析の基礎が収められている.
共進化を巡る自然史だけでも十分に面白いが,本書はそれに若手研究者の奮闘振りが収められており読んでいて楽し
い.最後の矢原先生の章もぴりっと効いていてシリーズの中でも高い水準に仕上がっていると思う.
18. 女が男を厳しく選ぶ理由
アラン・S. ミラー,サトシ・カナザワ
978-4-484-07103-9
阪急コミュニケーションズ
82
07.08.06
2,200
08/01/11 Why Beautiful People Have Daughters Alan S. Miller, Satoshi Kanazawa 2007
伊藤和子
性淘汰や配偶関係にかかるまじめな進化心理学の啓蒙書は,日本では,しばしば,あたかも軽
い恋愛指南書のような形で翻訳出版される.本書もまさにそういう体裁だ.本の予想売れ行き
を考えるとまあそういうことなのかもしれないが,やはりその辺の恋愛指南書だと思われるの
も大変不幸なことではないだろうか.さて本書はなかなか特徴の多い本だ.まず本書は共著と
いう形をとっている.もともと北海道大学で教
をとっていたミラー博士のアイデアに基づい
て本書はカナザワ博士との共著本として構想される.しかし最初の草稿の一部ができた段階で
ミラー博士はなくなり,その後カナザワ博士が完成させたものであり,実質的な著者はカナザ
ワ博士だと言える.カナザワ博士は名前から見て日系の方だとは思われるが,日本語は母語で
はなく,アメリカの学者だ.そういう意味で微妙に日本には関係がある.(もっとも本の中身
にはほとんど日本の話題はない)著者は社会科学出身で,ライトの「モラルアニマル」を読ん
で進化心理学に目覚めたという(進化心理学への入り方としてはちょっと軽い)経歴を持つ.そして進化心理学周りの
研究を積み重ねており,本書では進化心理学の紹介を兼ねつつ,良くある疑問に答えるという体裁をとっている.基本
的に著者は社会科学のフィールドで活動しているので,当然ながら,進化心理学的な言説が politically incorrect だと非
常に多く批判を受けているようだ.そこでまず序章にはそのあたりの注意書きが書かれている.面白いのは通常の「自
然主義的誤
」に加えて「道徳主義的誤
」(これこれであるべき.だから事実もこうなっている(はずだ))にもふ
れている点だ.批判サイドにはこういう言説が多く見られるのだろう.
人間の本性について自然科学者側は遺伝と環境が両方とも重要だと考えているが,多くの社会科学者は遺伝の影響を認
めない環境決定主義者だと述べており,結構批判にうんざりしている様子が窺える.極端なフェミニズムは別にして,
実際の批判者は,そこをまじめに考えたことがないか,政治的なリスクを考えて議論を避けているだけのような気もす
るが,どうなのだろうか.いずれにせよ本書は,環境や学習の重要な影響も認めつつ,叙述の中心は遺伝の影響を受け
た「人間の本性」についてであると断っている.
続く第1章と第2章は進化心理学,その性差についての解釈を初心者向けに要約したものだ.大きな破綻無くわかりやす
くまとめているが,ところどころ戦闘的な部分がある.マーガレット・ミードと「サモアの思春期」のスキャンダル,
そしてそれの現代版の「タサダイ族」(マルコス政権による平和な部族の存在のでっち上げ)の物語などが語られてい
る.(もっとも本書にあるように未だに人類学者がタサダイ族の真偽を議論しているのなら重要な話になるのだろう
が)
第3章からは最近の進化心理学の議論をふまえた各論だ.政治的に問題の少ないものから問題含みの問題に順番に並んで
いるようだ.興味深かったところを上げてみよう.
まず,男性から見た女性の魅力について.WHRについてそれが多産度を表す指標になっているからだとしているが,何
故そうなのか(至近因,またこのシグナルが信頼できるためのコスト(究極因))にまでは踏み込んでいない.ここは
ちょっと残念だ.次のシグナルとして,豊胸が上げられている.これは歳を取るとたれてくるので,若さを表す正直な
シグナルとして機能しているのだという仮説が紹介され,また同様に男性はブロンドの髪の毛が好きであり,それはよ
り女性の年齢が若いかどうかを検査しやすいからだという仮説が紹介されている.(そして肌をあまり露出しないため
検査しにくい北欧でブロンドが多いことと符合するとしている)また青い目は感情を読みやすいために好まれるという
説も紹介されている.確かにこれらはシグナルとしては機能するだろう.しかし,では貧乳や黒い髪の毛を持つ戦略に
ついてはどう考えるべきなのか.このあたりの踏み込みが無く,叙述のレベルとしては浅いのが残念だ.(また,そも
そも男性がブロンドが好きというのはユニバーサルなのかという疑問もなきにしもあらずだが)息子がいる家庭の方が
有意に離婚率が小さいというデータがあるというのは興味深い.息子の成功度の方が親の援助により影響を強く受ける
ことから予想される方向だが,ちょっとした驚きだ.
トリバース=ウィラード仮説をヒトで実証するようなデータが最近多く得られているというのも非常に興味深い.これは
著書のカナザワ博士のリサーチエリアのようだ.アメリカの大統領,副大統領,閣僚,17,8世紀のドイツ,シャイアン
族などの記録からはエリート層は息子の方が多いそうだ.著者によるデータでは,技術者や数学者などシステム化志向
が高いと有利だと思われる職業の親から生まれる子供の性比は0.58,看護婦など共感志向が高いと有利だと思われる職
業の親から生まれる子供の性比は0.43だそうだ.また身長の高い親からの子供は息子が多く,非常に魅力的とされる親
の子供は娘が多いそうだ.引用元は明記されているが,実際の数字があまり載せられていないのが残念だ.いずれもト
リバース=ウィラード仮説の予想の通りだ.赤ちゃんが有意に父親に似ているかどうかについては追試のデータでは確認
できず,なお疑問の余地があるが,母親の親族が赤ちゃんが父親似であると有意に主張するのは確からしい.著者は,
夫婦別姓をとる欧米のキャリア志向の高い女性も子供たちには夫の姓を名乗らせるが,これは無意識にでも夫に子供の
父性をアピールしているのだろうと推測している.フェミニストに対して風刺の効いたちょっと面白い仮説だ.
レイプにかかる男性心理については,資源のない男性が配偶相手を求めようとする心理メカニズムに原因があるだろう
とソーンヒルの弱い仮説と同じ考え方をとっている.犯罪の性差については,男性の犯罪は地位確保(そして配偶機会
獲得)の心理メカニズムが,女性の犯罪については子育てのための資源確保の心理メカニズムが中心にあるだろうとい
うアン・キャンベルの説を支持している.アン・キャンベルについては未読だが.面白そうだ.さらに面白いのは犯罪
の動機も,芸術やビジネスや研究の動機も男性の場合深層では同じ(配偶機会の獲得=女にもてたい)であり,犯罪率
や生産性の生涯曲線は同じだという指摘だ.このような現象は女性の芸術家や研究者には見られないのだそうだ.この
ような心理メカニズムにより文明や文化が築かれたのだという主張なのだが,ビル・ゲイツの生産性も中年になり結婚
して下がっていると揶揄されているようで笑ってしまった.(なおスティーブ・ジョブズについては記述がない)
職業選択の意識にかかる性差と,それがもたらす帰結についてはキングズリー・ブラウンの主張を支持している.なお
この部分はフェミニストたちとのバトルグラウンドであり続けているようだ.男性と女性で,相手の性的関心の評価が
食い違うのはエラーマネジメント理論で説明できるとし,これは宗教の起源にも同じ現象がある(何らかの脅威を認め
る方にエラーする傾向を持つ)のだとしている.また女性の方がリスク回避的なのでより信心深いという現象と合致し
ていると主張している.宗教の起源については,さらにいろいろな説明が近時なされており,そこにも言及が欲しいと
ころだ.
政治的に微妙なのは,自爆テロがイスラムに多い理由についても言及しているところだ.おそらくこの部分が引っか
かって本書の出版はいくつもの出版社から断られたのだろう.著者の主張は,まずイスラムの自爆テロは他のテロと異
なり明確な目的のない殺戮に近いこと,それはイスラムは一夫多妻を認めており,資源のない男性から見ると配偶機会
を巡る競争が厳しいこと,コーランで殉教者には72人の処女を与えると約束されていることが原因として効いているの
だという.さすがにこれは単純化し過ぎではないか.社会文化の特質や,殉教者の家族が地域からどういう扱いを受け
ると期待できるかなどの論点も重要なのではないかと思う.独身女性が海外旅行好きなのに独身男性がそうでないの
は,地位を示すコストの高いディスプレーが文化が異なると意味を持たなくなるからだという仮説もなかなか面白い.
しかし資源のない男性から見ると逆ではないかという気もする.
最後に,なお進化心理学にとって説明できない難問をいくつか示している.ここは,しかし,私にとってはもっとも納
得感のない部分だった.まず同性愛についてはいくつかの仮説が提示されているが,まだよくわからないと認めてい
る.これは妥当な部分だ.成熟した産業社会になると少子化することを
としているが,ここは疑問だ.著者は理屈で
は繁殖の究極因が意識的でないことを認めているが,この部分では混乱してるように思われる.成熟した産業社会は進
化的な過去にはなかったのだから,
様だ.子供が親を愛することが
かなのだから,
でも何でもないように思う.兵士が国を守るために命をかけることについても同
だとしてるが,ここも理解できない.子供にとっても親があった方が有利なのは明ら
でも何でもないのではないか.そして親から子への愛と子から親への愛では,予想通り,その強度は
異なっているように思う.おそらく進化生物学への造詣が浅く,心理メカニズムが過去環境に適応した無意識のメカニ
ズムであるということがきちんと落ちていないのではないかと思う.
全般的に本書は,仮説と検証された事実をきちんと叙述し分けてはいないので,ある意味で誤解されやすい書物に仕上
がっていると思う.そういう意味で自然科学の啓蒙書としては叙述はかなり大胆で,かつややスロッピーだ.このよう
な印象を持つのは,1つには社会科学では普通なのかもしれないが,なお確証の無い説でも断定的に主張するスタイル
をとっていることにあると思われる.そして残念ながら微妙に進化生物学の理解が浅いと思われるところがある.この
部分をふまえて読めば,本書は最近の進化心理学で議論がなされているトピックについて(通常の著者が避けるような
話題にも)踏み込んだ記述がなされており,どのようなことが議論されているのか,よく議論されている仮説にはどの
ようなものがあるのかを知るには大変参考になる書物である.また引用,参考文献をきちんと収めてあり,恋愛指南書
的な企画の中で良心的な邦訳書の作りだと評価できるだろう.