Nagasaki Peace Park(平和公園) 1/3 ページ [長 崎 平 和 公 園 ] 平和祈念像地区 (平和公園) 「平和祈念像地区(平和公園)」は原爆落下中心地の北側に広が る丘の上にあります。階段を上ると「平和の泉」があり、公園の奥 には、郷土出身の故北村西望氏作の高さ9.7m、重さ30tの青銅の 「平和祈念像」があります。毎年8月9日の原爆の日には、この像 の前で平和祈念式典が催され、全世界に対して平和宣言がなさ れます。 この間には、世界各国から贈られたモニュメントが立ちならぶ一 角や、「長崎の鐘」、原爆で破壊された「長崎刑務所浦上刑務支 所」の基礎部分の発掘遺構などがあります。 平和祈念像地区(平和公園)入口 原爆落下中心地の横の国道を北へ交差 点を越えると、すぐに右側にあります。 階段を登りきると、「平和の泉」がありま す。その奥に平和祈念像があります。 平和の泉 刻々変化する水形は、平和のはとの羽ば たきを形どり、つるの港といわれる長崎港 のつるを象徴しています。 のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが 一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました file://C:¥WINDOWS¥デスクトップ¥修学旅行・調べ学習資料集¥heiwanoizumi.htm 02/10/12 Nagasaki Peace Park(平和公園) 2/3 ページ ある日ある少女の手記から 世界各国から贈られたモニュメント 平和の泉の奥に世界各国から平和を願って贈られた、多くのモニュメントや像があり ます。右は、イタリア共和国ピストイア市から贈られた像で、母親が我が子を両手で 高々と抱き上げ、愛と平和を表現しています。 長崎の鐘 原爆殉難者の冥福を祈り、再び原子爆弾 が地球で炸裂しないようにこの鐘を鳴らし続 けようと、昭和52年7月20日に設立されまし た。 長崎刑務所浦上刑務支所遺構 被爆時の町名で松山町、橋口町、岡町 の3町にまたがっていました。敷地約2万平 方メートル(6,060坪)、庁舎面責1万3,000平 方メートル(3,940坪)ありました。爆風と火 災により、一瞬にして全施設(13棟)が全 壊、全焼しましたが、炊事場の煙突1本だ けがかろうじて残りました。 file://C:¥WINDOWS¥デスクトップ¥修学旅行・調べ学習資料集¥heiwanoizumi.htm 02/10/12 Nagasaki Peace Park(平和公園) 3/3 ページ 所内にいた受刑者48人、刑事被告33 人、職員18人、家族35人のあわせて134 人、全員が即死しました。(長崎原爆戦災 誌による) 平和祈念像 この像は神の愛と仏の慈悲を象徴し、上に指さした右手は原爆の脅威を、水平にの ばした左手は平和を、軽く閉じたまぶたは原爆犠牲者の冥福を祈っているといわれて います。(作者の故北村西望氏による) 恒久平和の願をこめて、被爆10周年にあたる1955年(昭和30年)に完成しました。内 部は鉄骨の櫓を芯にして、青銅製のパーツをステンレスのボルトで縫ってあります。 所在地 長崎市橋口町、岡町 路面電車:松山町から徒歩1分 アクセス バ ス:松山町から徒歩1分 [写真および内容の複製、転用を禁じます。] |HOMEへもどる| |電車路線案内図| file://C:¥WINDOWS¥デスクトップ¥修学旅行・調べ学習資料集¥heiwanoizumi.htm 02/10/12
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