セラミックIC基板の開発

"1919年に開設された農商務省陶磁器試験所で
は、1929年頃から電熱器用素地の研究が行われてい
た。1931年には小川新一郎が「電熱用苦土素地の研
究」を発表するとともに、マグネシア質低膨張素地
の画期的な研究も行った。このようなコージライト
質素地の研究は、戦後へ続き、コージライト、ステ
アタイトの研究に結びついた。 "
セラミックIC基板の開発 独立行政法人産業技術総合研究所中部センター 日本特殊陶業株式会社
"陶磁器試験所瀬戸試験場では、愛知、岐阜、三重の
東海三県を中心に、業界の指導と企業から依頼され
る試験を行っていた。1938年、国家総動員法が公布
され、「各種材料試用禁止または制限令」が出され
たことで、銅、鉄、ゴムなどの軍事資材の統制が行
われた。翌年さらに統制が強化されたことで、陶磁
器試験所では代用品研究が本格化した。代用品研究
とは、陶磁器を銅や鉄の代用品とした試作であり、
ガスコンロ、十能、火格子、魚焼き網などが試作さ
れた。家庭用品を中心に、耐熱陶磁器の研究が進め
られた。 "
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"陶磁器試験所では代用品研究に続き、1941年に特
殊磁器部門が新設された。特殊磁器部門では軍需用
品の研究も行われた。ステアタイトによる電波兵器
(レーダーとみられる)の高周波絶縁体の研究が、
保野福太郎、熊沢靖一などによって行われた。基礎
研究に2年をかけ、1944年には試作品を完成させ、
さらに改良を重ねたとされるが、1945年の終戦で試
作品やデータはすべて処分された。この他、軍需研
究として行われたものに、透輝石磁器、フォステラ
イト磁器、マグネシア磁器、アルミナ磁器などがあ
り、すぐれた研究成果は戦後、民需製品として花開
いた。 "
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"・・・ここから後中略、重要ワードで紹介 一方、
企業にも軍部の統制が影響していた。第二次世界大
戦中、日本陶器(現、ノリタケカンパニーリミテ
ド)では、軍部の命令で食器生産は技術の保存に必
要なものだけに制限された。食器を生産する替わり
に、中部地域に多くあった戦闘機などの軍需工場
で、金属の加工に使われる砥石の生産が行われ
た。磁器をつくる過程では、底を滑らかにするため
に砥石が使われる。砥石は陶磁器製品と同じ窯で作
られ、食器類の生産現場だけでなく、その他の分野
にもこの研削砥石が使われていた。 戦時中に開発さ
れた新しい素地や金属代用品、金属加工用の砥石の
技術は、戦後、電気電子部品へと応用されるように
なり、セラミックス分野の拡大につながった。 "
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"――セラミック基板、ICパッケージの開発 戦後、
軍需研究を行っていた人たちが陶磁器試験所に入所
した。そのうちの一人が杉浦正敏だった。1950年
代、杉浦たちは、IC(集積回路)の基板にセラミッ
クスを使用することを提案した。IC基板は、集積回
路を支える絶縁体の基板である。 "
セラミックIC基板の開発 独立行政法人産業技術総合研究所中部センター 日本特殊陶業株式会社
"・・・ここから後中略、重要ワードで紹介 当
時ICの基板には樹脂が使用されていたが、樹脂は伝
熱性と耐熱性に問題があった。 日本特殊陶業で
は、1965年からICパッケージの基礎的な開発をはじ
め、ガラスシール、メタライズ、メッキといった技
術を開発。1967年から生産を開始した。1968年に
は、セラミックパッケージとして初めて電電公社
(現、NTT)が、電子交換機やコンピュータに採用
したことで、生産量が急ピッチに伸びた。最盛期に
は月産100万個に達する主力商品となった。 基板に
ついても、1967年にアルミナ基板を、1973年には多
数個に分割できる板チョコのようなブレーク基板な
どが次々と開発されていった。 "
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"――オーガニックパッケージへの展開 これまでセ
ラミックスで製造されてきたICパッケージに、近
年、技術的な変化が起こった。日本特殊陶業の顧客
の多くは、MPU(Micro Processing Unit)のメー
カーで、より信号処理を高速に行うことを目的に開
発を行ってきた。しかし、周波数が100メガヘルツ
から最近では5ギガヘルツと50倍まで上がってい
る。そうなるとセラミックで対応できていた電気的
な特性に問題が起きた。MPUが高周波になるほど、
新たな素材を使ったパッケージが必要になった。 "
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"基本的にセラミックはアルミナで、これにいろいろ
なパターンで積層する。積層して、同時に積層す
る。焼成するが、このとき、電気回路のパターンに
は通常タングステンが使われる。タングステンが使
われるのは、アルミナの焼成する温度が約1,700度と
高く、この温度でも蒸発しない金属は限られるから
である。しかしタングステンは、銀や銅に比べると
抵抗が高い。MPUが高周波になるほど、抵抗が高い
ことが問題となった。 "
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"またアルミナセラミックの誘電率は約8~9と高
い。より高周波では、誘電率が高いとインピーダン
スが下がり、損失が多くなる。誘電率が小さく、電
気のよく通る金属が使えるという条件で、素材を探
していくと、有機材料(樹脂)が候補となった。樹
脂は誘電率が約4とアルミナの半分で、高周波での
損失も少ない。さらに導体をタングステンから銅に
代えると、抵抗を減少させることができる。絶縁体
に樹脂を、電極に銅を使い、いくつかの層で構成し
たのがオーガニックパッケージである。 "
セラミックIC基板の開発 独立行政法人産業技術総合研究所中部センター 日本特殊陶業株式会社
"日本特殊陶業では、もともとオーガニックパッケー
ジの考えは持っていたが、ユーザーの意向を待って
切り換えた。そのため後発となり、MPUの総合パッ
ケージメーカーとなるまでには5年の月日が流れて
いた。セラミックスとオーガニックの両方のパッ
ケージを生産しているのは日本特殊陶業だけであ
る。特許の問題や、先発ではない苦労もあり、現在
は独自の方法で生産している。 技術革新は、その時
代の必要に応じて求められるものである。ある時
はセラミックスになり、ある時はオーガニックにな
り、将来、また変わっていく可能性も十分に考えら
れる。今以上の周波数になったとき、また新たな技
術革新が求められるであろう。 "
セラミックIC基板の開発 独立行政法人産業技術総合研究所中部センター 日本特殊陶業株式会社
杉浦正敏らがIC基板にセラミックを使用することを
提案したのは、陶磁器で利用する金線、銀線の技術
を踏まえたものだった。彼らの呼びかけに応じたの
は、地元企業では日本特殊陶業と鳴海製陶の2社。
地元以外では京都セラミックス(現、京セラ)で
あった。参加した企業には、試験所が直接、指導に
行った。1963年頃には、伝熱性のよいアルミナを使
用したセラミック基板が実用化されていった。
セラミックIC基板の開発 独立行政法人産業技術総合研究所中部センター 日本特殊陶業株式会社