ノ l夕 ! ls t sUC iSUC実 行委員奮闘記 0 一― これは iSUCを 支える人々の物語である 一一 玉次郎 考えに考えた末のタイトル 「SOLUT10N一 人と技術と情報の世界刊 1990年 一―世 界 はあと10年 で新世紀 を迎 えることにな ザー・ニーズとメーカー・ シーズの出会 いの場であり、互 恵的なパー トナーシップが確立 され tゴ お互いに本望 なの である。そこで「リクワイアメント」 というものが重要 な 意味 を帯びて くる。ユーザーは要望 をメーカーにぶつ け、 り、Y2K問 題 も発生するのだが、 コンピューターのシステ ソピーと その望んでいるものが製品化できれば、両者はハ ヽ ム担当者 たちは、 このころはまだ先 の話 と認識 していた。 なるのだ。 この年 は、統 一 ドイツが誕生 した り、秋山豊寛 さんが しかしその理念は、ユーザーからの善意の動機 に基づ く 日本人初 の宇宙飛行 に行 った り してにぎわって いたが 、 「あのIBMの 営業マンは態 製品提案や改善提案であって、 iSUCに とっては、初 めての開催 を迎 える記念すべ き年 で 度 が大 きいから嫌 いだ。あのCEは 毛深 いから来てもらい あった。何 で もそうだが、初 めてのイベ ン トとい うものは た くない」などと、ユーザーの個人的要望 を唱えるもので 不安 と期待 が入 り交 じった緊張感 で膨 らむものである。初 はない。つまり、ユーザーとIBMが 個別の商談や取引手 めての留守番 、初 めてのお使 い、初 めての就職 、初 めての 段 に使われるような低次元のものではないということだ。 ユーザーの要望 は種 々あり似たような要望なのに、その 海外旅行 ……。 iSUCの 会場 は、静岡県掛川市 の「ヤマハ リゾー トつ ま 表現 は豊かである。そこで同 じような要望はまとめ、代表 恋」 に決 まった。 日時 も10月 17日 からの 2泊 3日 コース 的 な要望内容 に統一す る。 陪 の手料理 が毎朝食べたい」隔言はウエディング ドレス で、貫 くよ うな秋 の陽 を浴 びてその幕は切 って落 とされ いた。やるべ きことはや ったはずだ。 この大会 を象徴する が、よく似合 うだろうな」「二人の赤 ちゃんはどんな顔 し てるだろうね」 などというものは、結局 は「結婚 したい」 タイ トル「SOLUT10N一 人 と技術 と情報 の世界一」 は、 というリクワイアメン トなのである。これを「スクリーニ 考 えに考 えた末 のキーワー ドである。 ング作業」とい う。 た。実行委 員一 同 も日本 IBMの 支援部隊 も、皆興奮 して のメンバーが気 に入ったと見 えて、何 とこの後 、第 3回 ま 第 1回 のリクワイアメント委員長 である杉本 久 (山 種 システムサイエンス)は 、会場でそのように説明した。次 い で連続 して使われ るのである。 この大会 は、主催者 が関東 で「代表 したリクワイアメント用語」 に統一 したものを、 IBMユ ーザ ー協議会、協賛 が全 国 IBMユ ーザー協議会、 そして支援 が日本 IBMだ った。 参加者 に公表 して投票 してもらう。そ して要求度 の高 い 副題 の「人 と技術 と情報の世界」は、よほど実行委員 まだiSUCが 今後 どのような展 開 となるのか分か らない ものから順番 にソー トしてIBMに 提 出する。そうすると IBMは その要望 を検討 し、後 日iSUCに 公式回答 して ので、全国研 の イベ ン トにはな らなかった。で も、 この大 くる。 会 が成功すれば全国研 のイベ ン トとして認知 されるかもし 「皆様方からいただいた要望 は、さまざまな角度から検 討 させていただき、その結果を回答 レポー トとしてご返送 才唸 い。何 としても成功 させたい。皆の願 いはひ とつ だった。 こうい う大会 は、参加 したユーザーの満足感 が得 られな します…」。当時 の 中型 システム担 当の宮川保信 (日 本 ければ、開催 の意味 は半減す る。そして支援者 であるIBM IBM)は 、大切 なものを押 し頂 くようにそう答 えてきた。 にとって も得 るものがな ければ い けない。つ まりはユー 宮川 は、この関係 を大切にしたいのだ。 10-― ――IBM USERS 2001・ 7/No 471 参加時に名札 に貼 つて いた、業種、興味、知 り たい分野を表すシール。 アメリカの COMMON で使つていたのを参考 にした い 一 国国 Elr'.,- Qln,:2" &m*. 第 2回 か ら全 国 研 の イベ ン トに 「お―、元気だったか」 第 1回 のiSUCは 、不安や感動 を一 緒 にして大成功 を収 めた。委員長 の勝亦研 二 の宗万 裕 (サ 早̀ 日議 鷲 ■繕 Z轟‐ 國N/― ″ 備 日等 圏辞 " (勝 亦電機製作所)も 、事務局長 ンエス)も 、そ して他 の実行委員 も満足 で と、どちらからともなく肩 を抱 き合 う。たとえ職場 が違 っていて も、それぞれが会社 のシステム部門で活躍 しているのが分 か り合 えるか らだ。 あった。それ は ま さ し くユ ー ザ ー 同士 の交流 で あ り、 それぞれ の会社 の 中 で 、同 じような悩 み を経験 している IBMと い うメーカーとの絆 であ り、皆 が一緒の船 に乗 っ の が分 か り合 えるか らだ。奇 しくも この 仲 間達 は、 そ て荒波 を乗 り切 った感がある。この感 覚 は参加 しなければ れ ぞれ の 会社 が東 京 の 中央 区 にあった 。 こ うなれば話 理解できないだ ろう。 は早 い。 第 2回 の実行委員長 を務めた石原 直 (ホ テルオークラ 久保義弘 徴道会館)、 品田和義 ) (ヤ マ ト科学)、 柳元宏司 モレックス・テレックス)な どが中心 とな り、RSUC中 央 は、開催会場 も、 タイ トル もサブ タイ トル も、なん と第 1 (メ 回 とまった く同 じに した。そ して彼 はつつ ましく言 った。 区友 の会」 と、名称 は平凡 だが活 きの よい若手 メンバ ー 「2番 打者 には巧者 が多い。バ ン トあり、 ヒットエ ン ドラン あり。走者 を得点圏に進めることが使命 だ」 しかしなが ら彼 は、おとな しい発言 とは別に行動 は積極 的 であった。 の交流会 が発足 した。 iSUCの 本大会 では、iES(Information Exchange Session)と い う、初 日の夜 に行われる懇親会 がある。参 加者お互 いが情報交換 をするセ ッシ ョンとして位置づ けて 主催 を全国 IBMユ ーザー協議会 の ものとし、実施 プ ロ ジェク トをiSUC実 行委員会 に したのである。 これによっ て全 国研 のイベ ン トを、 「春 のシンポジウム」「秋 の iSUC」 おり、参 加者 たちが自由 に交流 できるよ うに配慮 されてい 「中央 区友の会」 はその地 元版 である。 る。 一 方 、IBMの 支援態勢 も強化 された。竹林嘉治、大岡 の二 大行事に恒例 化 させたのである。実行委員には、後 明弘 などのほか、里井弘 二 、塚本 年 iSUCの OB会 の会長 となる上 野 政 男 してこの年 、IBM事 務局 に柴 田朋子が入 社 してきた。柴 (テ レビ東京コン 恵 などが加わった。そ ピューター・センター)や 、安井正汎 伏 日本紙業)が 加 わ り、 田はアメ リカからたった今帰 ってまい りましたとい うみた 初 の女性委員 として遠藤浩子 いに、 ミニ スカー トをひ らひ らさせなが ら下働 きに徹 した。 (ヴ ィクトリア情報システムズ) が起用 された。 こりゃまた元気なのが仲 間 になったものだと皆 に可愛 いが ある時遠藤 は、実行委員 の懇親 ゴル フに付 き合 ったの らラ は この後、塚本 恵 の下でコンビを組んでい くのである。 だが、ゴルフはまった く下手 だった。ハーフのアウ トだけ 和暦 でい うと、この平成 3年 はバ ブル経済 が崩壊 し、普 で 180く らい叩 き、見 るに見かねて宮川 がつ きっきりで指 賢岳 の火砕流 に悩 まされ、湾岸戦争 が勃発 して、人 々 を 導 した。遠藤 がゴル フ下手 というよ りも、何 しろ彼女 にと 不安 に陥れ た年 となったのだが、iSUCは 前年 の成功 を引 っては初めての経験 だったのだろう。 ゴル フだろうが酒 だ き継 いで参加者数、 リクワイアメン ト数、ボ ランテ ィア数 ろうがカラオケだろうが、 こうい う付 き合 いによりお互 い などすべ て前年を超 えたのであった。 の絆 が強 まるとい うのが、日本人の特 徴 か もしれない。 1年 ぶ りに出 会 う “同 志 (文 中敬称略、会社名は当時) "た ち 第 1回 で知 り合 ったユーザー仲 間 が、1年 ぶ りで再会 し た。皆 バ リバ リの SE達 である。 たまじろう●筆者の玉次郎氏は、iSUCの 立ち上げ時代から深く運営に かかわってこられた方です。その正体は、最終回で明かす予定です。 IBM USERS 2001・ 7/No,471-― ――――ll ″ シιttuc iSUC実 行委員奮闘記 0 これは iSUCを 支 える人 々 の物 語である。 玉 次郎 目の夜 に神戸港 のクルージングを楽 し ■ 1己 念す べ き「つま恋」を離 れる 中堅企業 の コンピュー ター ・ システ 広 が る情報 の世界一 」。 実行委員長 は 久野雅祥 (ナ ショナーレ・ネーデルランデン みながらの “ 船 上 "iESが 企画 された。 ム運用に従事 しているシステム要員 は、 生命保険会社NV.)。 第 5回 タイ トル は 参加者 たちはお互 いの思いを吐 き出 し、 大型汎用 機 の それに比べ た ら格段 に少 ない。彼 らは毎 日のデイリー ・ ジョブ 「HARMONY一 人 とコンピューターの 大 いに語 り、大 い に飲んだ。酒 に酔 っ 新 しい調和―」。実行 委 員長 は藤田昌 ているのか、船 に酔っているのかわか に追われ、技術研修に参加す る余裕な 弘 (フ ジタ製薬)。 そ して第6回 のタイ ト らない参加 者 も多 かったはずだ。 どなかなか作 れない。そ うい った人た ルは「NATURAL一 よ り自然なこれ ちは近 隣 で の 半 日 コース な らともか 。実行 か らの コ ンピュー ター 利 用一」 く、二 泊 三 日の缶詰研修 に参加 してく 委員長 は中島邦彦 (キ リンエンジニアリン 次 の第 5回 大会 は、北海道 の札幌で るには、 会社 にとってもそれ な りの決 グ)。 iSUCの 理念 と大 会 にかける熱 意 開催 されることに決まったのだが、 委 断が必要 なのである。 iSUCの 運営 メンバーは、そのことを は、確実 に彼 らへ受 け継 がれていった。 員長 である藤 田は不安でいっぱいだっ た。 日本経済 の バ ブルが弾 けた後で、 よく理解 してお り、その貴重 な時間を ■ AS/4000生 みの親、リ レティス登場 本州から離れ た遠 い地に参加者 たちが 久野は、皆が楽 しんでいる姿 を見て 満足感 に浸 っていた。 ムダな消費に終わらせた くなか った。し 久野が選 んだ第 4回 の 開催地 は、神 たがって、 内容 は自然 と熱 を帯 びたも 戸 の「ホテルオークラ」 であった。 こ 集 まって くるか心 配だったのだ。 さら に会場 になる当時 の「ロイ トン札幌」 のとなって くる。 の超 一 流 のホテルで iSUCが 開催 され は コンベンション専門で 一般宿 泊者 を これまでの会場であった「つ ま恋」儲 るようになるとは、iSUCを 立ち上げた 取 ってお らず、採算が合 うのか も心配 岡県掛川市)は 、シンガーソングライター ときには誰 も思わなか っただろう。 さ の種 だった。 たちが ライプを開催できるような多 目 らに久野 は、AS/400の 生みの親であ 採算分岐点 をシビアに検討 していた 的 レジ ャー施設 ではあるが、 泊 まり込 るフラ ンク・G・ ソルテ ィス(米 国IBM)を のだが、フ タを開けてみた ら前年 を上 んだ夜 に、遊 ぶために夜 の 町 に繰 り出 招聘 して「AS/400 NEXT 5YEARS」 回 る参加者数 だったので、ホ ッと胸 を すような環境 ではなく、研 修 目的で過 とい う講 演 をぶち あ げ て もらった。 なで下ろす。 ごすに は もってこいの場 所 であった。 ソルテ ィスはその後 iSUCの 常連 メ しかし、 この大会 も第3回 あた りでほぽ ンバ ーとなり、何 回 も来 日した。 黎明の時期 を終 え、成長期 に移 ろうと 後 に第 10回 の記念大会力湘 岡で行 な われたとき、上野政男 (ビ ー エス・ジヤ していた。 ■僧義則スキ ッ トの誕生 勇気づいた藤 田は、次々に新 しいア イデアを提案 した。 第3回 の実行委員長 に任 命 された吉 パン)率 い るiSUC実 行 委員 OB会 の iSUCに 参加 した経験のある人は、よ 永雅明 (ヨ シナガ)は 、2回 続 いた「つま メ ンバーたちが、出来 立てホヤホヤの くご存 じだと思 うが、大会 には「信義 恋」の会場 を、浜松 の「グ ラ ン ドホテ ホテルオークラ福 岡 で食 事会を行なっ 則」 とい うものがあって、参カロ者はそ ル浜松」 に移 す。 これで、初 期 の実行 た。そ こに、公楽真 一 (日 本IBM)が ソル れを守 らなくてはならない。 委員 メ ンバ ーたちにとって、「 つ ま恋」 ティスを連れて参加する。OB会 のメン 通常は、実行委員長か事務 局長あた は思 い出 の地 となったのである。 バーたちは大 いに盛 り Lが り、ソルティ りが大会初 日に壇上でそれを読み上げ そして この年 の大会には、 日本 IBM ス もす っか りご機嫌 となる。彼は最初 る。大切 な ことなのではあるが、 ご く の椎名武雄社長 もゲス トとして駆けつ 飲 んでいたワイ ンを途 中 で日本酒 に切 当 た り前のこ となので聞いている参加 けて座 を盛 り上げてくれた。 り替 え、中締めまで皆 と打ち解けた。 者 たちはつ まらない。 iSUCの 大会は、全国的 な行事 とし て認知 され定着 しつつあった。 第4回 の タイ トルは「OPENNESS一 8-― ―一―IBM USERS 2001・ 8/No 472 iSUCで は、参加 した人たちがお互 い に交流で きるように、「iES」 とい う懇 親会が催 される。神 戸 大会では、2日 そ こで藤 田は考 えた。そ して「信義 貝」スキット」 なるものをひね り出 した。 スキ ットとは寸 劇 のことで ある。 つ ま 第 5回 札幌大会の実行委員たちの着 た、 「HARMONY」 の文字が輝 くジャンパー。 この「HARMONY」 が、AS/400に 絡ん だコー ドネームだったとは…… ニ ングよりもクロー ジングの方が難 し い。参加者はプロ グラムを見 て、 これ で終 わ りだなと思 うと櫛 の歯 が抜 ける ところ が 本 人 より も、傍 らで開かされ り簡単 な ド ラマ 仕 立 てにして、 日に訴 えようと考えたのであ る。 これは もともと久 野 たちが 前 年 ように帰 ってしまうものである。 終 わ り良ければすべ て良 し。藤 田は 委員全 員に相談 した。 ていた小 学校 4年 生の そ うだ、最後 に抽選会 をやって皆の 娘の方が先に覚えてしま 足 を引 きとめよう。思 い立つ と佐伯達 い 、 以後 自分 の 娘 の リー 之 (日 本IBM情 報システム)の 元 に駆けつ ドで練 習 を重 ねる こととなる。 しか しなが ら衣装 までそろえて 臨んだ この演 出は、参 加 者 の 目は け、大胆 にもAS/400を 賞品 として出 して くれるようお願 い した。 佐伯 は う なって、PCな ら出そうと言 った。 COMMONに 行った とき、オープニ ン 奪 ったものの、肝心の信 義則が何 を さらに、参加者やボランティアで活 グ・ セ ッションを見 て い るうちにひ ら 言っているのか伝 わらず不 評であっ 躍 して くれた方 々の思 い出に残 るよう めいた ものらしい。 た。ちなみ に、池田と娘 は今 でもこ に、現 場 でスナ ップ写真 を撮 り、現地 の歌を歌えるそうである。 でフィルムを現 像。 ほぼ徹夜 で思い出 タイ トルは「天使 の ささやき」で、実 行委員 がプラカー ドに書 いてある信義 のアルバム「キャンディット」 を作 り 則 を読 み上げるのである。頭上に輸 っ ― ■秘密のコ… ドネ‐ を染めたジャ:″ ヾ かを乗 せた天使が側 に立 っている。そ 話は戻 るが、 第5回 札 幌大会 の委員 れだけで参加者は「 なんだろう ?」 と たちは、 実 行 委 員 であ る象 徴 のおそ 藤 田たち実行委員 は、何 よ りも参加 注 目し、 この企画は成功 した。 ろいのジャ ンパー を調 達 し、背 中 に 者 たちが喜 んで くれるのが とっても楽 その年の イ ベ ン ト・ タイ トル であ る しみなのだ。 これに気をよくした実行委員たちは、 翌年 の 大会でもスキ ッ トをやることに した。 事務局長 に就 任 した高階 純 司 (竹 中土木)は 、凝 りに凝 った演出 を考 「HARMONY」 の文字 を鮮 やかに染め 込んだ。 ところが この「HARMONY」 とい う 上 げ、 クロー ジングで参加者たちに見 せて会場 を盛 り上げた。 現在 はPCや ソフ トが充実 してきたの で、キャンディットも奥深 い ものになっ てきたが、藤 田は今 もこの仕事 を誰 に える。 開催地が楽器 や音楽 の町 ・浜松 のは、 IBMロ チ ェス ター 研 究 所 の だった ことから、アイデアが生 まれた。 AS/400に 絡 んだ次期 開発 コー ドネー 出 し物 はずばり「 カルメン」 。信義則 の ムだったのだ。iSUCの 招 聘 を受 けた め、事務局長 の長谷川 内容 を歌詞にした もの を、「闘牛 士 の 本場 のIBMerた ちは、 このジ ャンパー や実行委員、そ して裏 方 として苦 労 し 歌」 の音楽に合わせて歌 うものだった。 を見て腰 を抜 か さんばか りに驚 い た。 た塚本 池 田正己(ホ テルオークラ)を 筆頭 に数 偶然 とはい え、 自分 た ちで秘 密 に し げた任務 の満足感 で胸がい っぱいとな 人のメ ンバーが選出 され、やるか らに ているコー ドネームが、遠 い 日本の実 り、全員で肩 を抱 き合 って号泣 した。 は、 とい うことで専 門家 の先生の元 で、 行委員たち の 背 中で踊 っていたか ら (文 中敬称略、会社名は当時) きちん と練習に励 んだ。 普段 カラオケ である。 で演歌 を歌っているようなメンバーが、 オペ レッタをやるのである。 池田はまじめな男だから、会社から帰 宅すると毎日最低3回 は練習に励 んだ。 も渡 してない。 大会終了後の反省会で、藤 田をはじ 満 (ジ ョンソン ) 恵 (日 本IBM)た ちは、や り遂 そんなこととは知 らない藤 田たちは、 ただニコニ コ して海外 か らのお客 たち に接 していたのである。 さて、イベ ン トというものは、オープ たまじろう ●筆者 の玉次郎氏 は、iSUCの 立ち上げ当時 か ら深 く運営にかかわってこられた方です。 その正体は、最終回で明かす予定です。 IBM USERS 2001・ 8/No 472-9 ダ 〃 嶼 iSUC実 行委員奮闇yO "&suc これはiSUCを 支 える人々の物語である。 玉 次郎 靴なら、 自分力測ヒ を履 いたその上から のAS/4000の 全世界における出荷台数 でも十分履 くことができそ うだ。そ う は、32万 5000台 であった。AS/400に は 思 わせ る くらい、 ダイズの靴 は大 き PowerPCOが 採用 され、競合他社 の かったのだ。 この年、iSUCの 大会は第6回 を数え、 一 一 ● . ・ 7 行委員長 をやった1995年 (平 成7年 )こ ろ ¨ . 一・ 一 . . イメージがある。しかし、このダイズの 一 ″■ 一 がっち り作 られていて、少 し大 きめの 中島邦彦 (キ リンエンジニアリング)が 実 追随 を許 さないほ どに成長 した。 , 1 ■1 ● オーキ ィの意味 ● 名刺交換を終え雑談に入った。―行 はダイズのあまりの背の高さに、2階 の 参加者 は若 い人が多 い し、 セ ッション 音楽 の街・浜松で開催 される。 人を見上げるようにしながら「 うわ∼、 会場 を走 り回るから腹が減 るらしい。 オープニングは、ホール正面のフランス 式パイプ・オルガンが響 く、厳かな雰囲気 大 きい !」 といちいち叫ぶ。 「なんだ、食べ放題 と書 いてあったじゃ ・。 ないか」 「看板倒れだ !」 ¨ の中での幕開けとなった。中島は、 「 太山 ところでオクラホマ州の出身のダイズ は、普通は「OKLAHOMAN(オ クラ は土壌を譲 らず、故によくその大を成す。 ホマン)」 と呼ばれる。 しかし、東京の かもしれない。結果 として、それが参加 河海 は細流 を選 ばず、故 によくその深 P工 戸っ子」や、横浜の「浜っ子」みたい 者 たちへ の負担増 になってはいけない。 さを成す」 と、難 しそ うな中国 のこと 「OKIE(オ ーキィ)」 という他の呼び に、 委員 たちはオロオロしてしまった。 わざを挙 げて中小型 コンピュー ターを 方もある。ダイズは、初めて会ったこの 河 の細流 に例 え、その細流の集 まりは やがて大 河 とな り大海へ 臨むようだと 日本人たちが、 自分の方を見 るたびに RVOW¨・! OKE l(う わ∼、オクラ コメン トした。 ホマ人だ !)」 と、日をそろえて言 うの 第 7回 の実行委員長 となった彼 は、会場 に驚 いていた。 を福 岡の『 シーホー クホテル』に移す。 海の向 こうからは、ボブ・ダイズ αBM コーポレーション副社長)が ゲス トとして ・シリーズ 来 日し、AS/400ア ドバ ンス ド とその方向性 を熱 っぼ く語 った。 「なんで、俺の出身地が分かるのだ ?」 食 べ 物 を追加 すれば予算 を上 回 る この様子 をじっと見ていた男がいた。 「ふ∼ む。食べ物 の恨みは恐 ろしい」 男の名前 は、宗万 裕 (シ イエスシイ)。 彼が念入 りに気 を配ったのは、もちろん この食事 のことだった。下見に出掛けた ● 実行委員長の執念 ● ダイズに会った日本人は、皆 一様 に 大会が終 わると、参加者 の皆 さん 驚 く。なにしろ2メ ー トルは超 えている から全体のアンケー トやセッションごと か もしれないとい うくらい上 背がある のアンケー トをいただく。iSUC実 行 男 なのである。 委員たちが、試食、試食 の連続で食べ 疲 れて しまったほ どである。 宗万 の 執念が ここに感 じられる。 委員たちは、 このアンケー トをかなり ● ついに参加者が1000人 を突破 ● 面 白い話がある。iSUC立 ち上げ前 細か く分析 し、反省会のときに皆 で 宗万はiSUC立 ち上げメンバーの重要 にアメリカのCOMMONを 見学 した関 検討を加 える。こうい う地道な積み重 人物 であ り、iSUCの ことは トコ トン 東 IBMユ ーザこ研究会の一行は、ニュー ねの努力が、今 日の隆盛の礎 となって 知 り抜 いている。 さらに一段 の飛躍 を ヨー クでこの人 に挨 拶 してい る。その いるのだ。 望み、参加者の増大 に力を注 ぐ。なんだ とき、 リーガルの靴 を履 いていた一人 そのアンケー トの中に、夕食会にお が、 ダイズの足 下 を見て思 わず うなっ ける不満があった。食べ物 の量そのもの た。 ご存 じの よ うに リー ガルの靴 は が少ない とい うのだ。なにしろiSUC 10-― ―――IBM USERS 2001・ 9/No 473 かんだと言っても、数 の力 はものを言 う からだ。 それに世 の 中 はマル チ メ デ ィアの ト . 丼ハ ' “ ちは 拌 ■供 一 N.i ヽ 一 ´” ‘ ´ . ″ . r, r. 卜■ ■一 . .r, n lv-'*), そうそうたるメンバーも何 気 なくサインして しまった “血判状"。 これで皆 、命 をかけて協 力 せぎるを得 なく なったとか… 今癬期 を迎 え、勉強すべ きものはい くら でもある。 ユーザ ーの システム担 当者 は、世の中 に次か ら次へ発生 して くる せいなのかは分か らないが、 とにか く LANカ ー ドを貸 し出し、ブロー ドバン ド 参加者は1150名 となった。隣国の中国 に接続 して体験 してもらお う。参加者 や韓国からも申し込みがあった。 か らのア ンケー トは紙 でな く、PCで 実行委員 も、前年 の 12名 か ら18名 やセ ッション案内 は、各階 に備 えてある と増員 される。 ここ数年 iSUCで 活躍 している西條 新技術 を掌握 し、自分の会社 に有効か ど うか を常 に判 断 してゆか な くては 一男 (ァ ロマカラー ならないのだ。iSUCは 、そのための絶好 小池啓嗣 (チ ヤク)な どに加え、平山正孝 の機会に違 いなかった。 (ニ そ して参加者 は、 この大会でついに 大台 の1000人 を超 えた。 iSUCの 大会は例年 10月 か11月 に開催 受け付 けてみよう。開催 中のお知 らせ )、 森 春雄 (文 化放送 )、 ッポンダイナミックシステムズ)や 後年大 電子掲示板で流 し、大型 スクリーンに はモールの状況 を流そう…。実行委員 たちからは、アイデアがいろいろと提出 ιる。 さオ 活躍す る田中徳 尚 (セ ントラルグループ)、 モールは、 もともと小規模 なデモ ・ 竹久保忠幸 (ホ テル小田急)、 丸谷哲 司 コーナー として出発 したもので、出展 (宮 豪)な どが新 メンバー となった。 社数が増加するに合 わせてこの呼称 に なった。 そ してつ い に、今 回 は「 e― されるが、その準備 には約 1年 かかる。 通常その年 の 1月 か 2月 に実行委員が 集 ま り、 キ ックオフ・ミー テ ィ ングが ● 今年の iSUCは 、!丁 がキーワード● 行 なわれる。 iSUCに 飛 ぶ。 学 び、 e_EXPOで 実体 感 し、そ して 交流会で新 しい仲 間を作 って情報交換 上に横長 の巻 き紙みたいなものを広 ι 六 実行委員長 である竹久保 は、今回の フレーズを「e― TRY∼ みんな キャッチ 。 この名簿に記名 して拇印を押 して くれ で語 ろう21世 紀 の夢 ∼」と掲 げた。 後 も長 く交流が続 いてゆ くことが理想 宗万 はキックオフ会場入 り回の机 の ここで、話 は一 気 に今年 の第 12回 と言 った。 冒頭 には「 本 大会 を成功 第 10回 が「21世 紀への序奏」、第 11 させるため、命 をかけて協力すること 回が「21世 紀 の扉 を開けよう」と続 い を誓 います」と書 いてある。最初 の数人 た。 これまでの歩みで扉 を開けたのだ は冒 頭 の コメ ン トをち ゃん と読 んで か ら、今 年 はそこか ら一歩踏み出 し、 いるが、後 か らきた者 は前例 に倣 い、 ITを 十分 に使 っていろいろ挑戦 してみ まねをしてゆく。参加者はなんだか如 ら ないまま素直に自署、拇印を押 し、宗万 ようと、このキャッチ・フレーズになった という。 の術中にはまった。 PCを 持 って きた参 加 者 に は無 線 EXPO」 と呼ぶことになったのだ。 竹久保 は思 っている。 セ ッションで をする。そこで得 た仲間 とは、大会終了 で、それでこそiSUCの 開催価値がある のだと。 (文 中敬称略、会社名 は当時) たまじろう ●筆者の玉次郎氏は、iSUCの 立ち上げ当時 から深 く運営にかかわってこられた方です。 その正体は、最終回で明かす予定です。 実行委員はもとより、 日本 IBMの 北城 l14太 郎 、佐伯 達之 、後藤 三 郎、 蔵 信行、橋本孝之一― 当時 の社長や 副社長な ど、そ うそ うたるメンバ ーが 協力 を約束 させ られてしまったのだ。 この “ 血 判状 "が 功 を奏 して大台 を 超 えたのか、iSUCの 知名度が高 まった 静鞍 第 1回 iSUC実 行委員長 勝亦研二さん、急逝 y蹂 生 策 当 繁武恣 僕 議 は第の 実 委 行 キ││す 、 1回 力こ多大な貢献をされた方で、誠に残念でなりません。心から│ご栞福をお祈り 氏はiSUC立 ち上ι いたしま魂 (写 真は、在りし日の勝亦研二さ紛 IBM USERS 2001・ 9/No 473-― ――-11 ダ ダ サ ん 5U⊂ これはiSUCを 支 える人々の物語である。 玉 次郎 ● 第7回 は、スキツトに黄門様 ● が、立ち回りで杉本に投 げられた高階は だが、何 よりも女性が活躍 しやすい業界 第7回 (1996年 )の 福岡大会では、定着 化 したオープニング・スキットの出し物 を 迫真 の演技 で肋骨 にひびが入 り、小池 なのである。それに女性 の参加率が高まる は信義則 の読み上げで四苦 八苦しaヽ た。 と、iESも 花が咲 いたように盛 り上がる。 このiSUC実 行委員会 のIBM側 事務 『水戸黄門』 でやった。 脚本は会場 セゾ″ングを担当している 山川博正 (三 矢)が 担 当した。上野政男 ビ東京システム)の ナレーション (テ レ 「時 は 元禄 …」の名調子 に乗って、町娘役 の 岡本安喜子 (″・ヵ ―・エス)が 、やくざ者 ● 初めての参加者が多 い iSUC● iSUCへ の参加者数 はその後も年 々 局 は、柴 田朋子 (日 本IBM)と 塚 田理恵 (同 )の 女性 メンバーの力 によるところが 増え続 けているが、これは参加 した人の 大きいし、そのバックではユーザー会事務 回コミによるものが大きい。さらに毎年の 局 の藤 野洋子 (同 )や 喜瀬香 代 子 (同 実行委員 たちが知恵をしt琢 新機軸を たちが支援 してくれている。 ) 役 の高階純 司 (竹 中土木)に 追われて、 オープニング会場 の中ほどから 「きゃ―っ!」 打ち出しつつ継続開催 じCい るのであづて、 彼女 たちは数値 には表しづ らいだろう まさに「継続 は力 なり」を証 明している。 が 、メーカーとユ ーザ ー との 掛 け橋 と と言って逃げてくる。 これというのもスタート時 の 理 念 がしっ なづており、今流行 のCRM(カ スタマー・リレー かりしているからで、今更ながら勝亦研 二 ションシップ・マネジメント )の 一環を担 うている 高階が着物 のすそを翻К 岡本を捕 ら えると、舞 台 の そでから悪代 官 役 の (勝 亦電機製作所)や 宗万 裕 (シ エスシイ) のだ。入 社 当時、皆 にかわいがられた 高橋昭一 (紀 文フレッシュシステム)が 、嫌ら しい顔つきで「フッフッフ」と口元 をゆが たちの コンセ プト作 りにか けた偉 さが 柴 田はその後大 きく成長 し、実行 委 員 分か る。 たちにとって無くてはならぬ存在 になって めて現れ、手籠めにしようとする。 この三人 の演技 は素人離 れしていて 参加者データを分析 してみると、初めて いて、テヤ ヾ キと事務処理をこなしている。 の参加者 の割合が、毎 回約 60%を 占め 2000年 問題に注目の第 8回 ● 実にうまい。会場 の参加者 は息をのんで ている。多 いときは80%と いう年もあった。 ● 見 ている。 彼 らは全体 アンケートで次のようなコメント 「知 的アドベンチャー、君 の 知 らない そこへご存知、水戸黄門役 の小池啓嗣 (チ ヤク)が 登 場 し、助 さん役 の杉 本 久 ステムサイエンス)と 、格さん役 の 内山 (山 種シ 皇美 (三 宝商事)が 大暴れして助 け、最後 を残 している。 世 界 が開拓 がる」と称 して、小 池 啓 嗣 吟 回初めて参加したが、こんなに活気 が第 8回 の実行委員長 になった。小 池 ある楽 しい 大会 とは思 いませんでした」 は北 海道 は札 幌 の地 で、和 太鼓『飛龍 「今回初 めての参加 だったが、ボランシ ア 飛躍』のリズムに乗づてオープニングを演 出 し、大会 の開会宣言 をした。 はお決まりの 印籠を見 せて平伏 させる。 参 加 しなかったのは 申し訳 なかった」 すると水戸黄 門が「よく聞け」などと言 い 「全 体 的 に非常 によく構 成 されている。 ながら、iSUC信 義則を読み上 ι 六 会場 これはボランティアの方 々による努力 の 「お祭 り男」Q盛 り上 げ 彼 はいわゆる 方 が うまい。有 名 な話 で「小 池 の パパ の皆さんにも一 緒 に聞いてもらう段 取 りと 結晶 である」 「盛 り上が りがあり、手作 り ヒュー」というのが ある。簡 単 に言 えば なっている。 の良さが生 かされている」等 々である。 「一気飲み」の囃子言葉なのだが、これを 最初はIBMの 六 本木オーディトリアム さらにデータ分析 を行 なってみると、 でワイシャツとネクタイ姿 で練習したのだが、 年 齢 別 では 20代 と40代 がそれぞれ まるで小学校 の学芸会みたいでサ マに 20%、 50代 が 12%、 残 りの48%が 30代 ならなかった。 である。 それが当日ヅラと衣装を着 けたら、皆 その気になづてしまったのである。 この山川演 出のスキッHま 大受 けだった 8-― ――IBM USERS 2001・ 10/No 474 やるとそれ こそ一 気 に雰 囲気 が 盛 り 上 がる恐 ろしいものである。 「左 手を腰 にぃ∼ 、右手を杯 にぃ∼ 、 女性 の比 率 は 12%く らいだが、年 々 それでは飲んでもらいましょう∼ ! それ カカンカ・カン1 カカンカ・カン!」 と気 分 増 えつつ ある。これはセッション内容 も を盛 り上 げ、少 しでも躊 躇 して い ると 女性向きのものを増やしたりしているか ら 「 そ れ遅 い ぞ、それ遅 い ぞ、お見 事 、 ! iSUCで は毎年おなじみである、 ・ソルティス lBMコ ーポレーションのフランク 重 さ約20kgの 巨大なカンロ飴。こうして写真にしてしまうとわか にくい方t右 下にある実際の飴の大きさと 比 べてみると、その大きさがよくわかる(第 9回 名古屋大会で)。 'り 第9回 のセッションには、経済財政政策担当大臣 としておなじみの竹中平蔵も、講師として登場 ′ ・ シヾ ヒュー、パパヒュー、ンパ・パ・パッ ユーザーであるが、元 々は田中徳 兵衛 大会参 加 者 の気 分 を和 らげようと、 ヒュッヒュー」とあおり立てる。そうすると 商店として10o年 を越す味噌造 りの旧家 実行委 員 の藤谷 巌 (カ ンロ)に 交渉して、 必ず第5回 実行委員長だった藤田昌弘 タ製薬)が 一升瓶を抱えて、もううれ (フ ジ である。 約 20kgも ある巨大 カンロ飴 を会場 に 開催場所は、名古屋 の国際会議場を 「通常 のカンロ飴 の何個分 で 持 ち込み、 しくてたまらないという顔をして、酒を 注ぎにやって くる。 利用した。コンファレンス会場としては問題 しょうか ?」 とグ ズを出した。答えはナント ないが、参加者 の宿泊 と会場までのアク 2,777個 分 である。これは小学生などが この 1997年 (平 成9年 )は 、消 費税 が セスに難 があった。案 の 定 出足 は悪 社会見学でカンロの工場 に訪れたときに 5%と なり大騒 ぎしたのだが、企業のシス かったが、地 区担 当実行 委 員 の加 藤 必ずびっくりする販促物だ。カンロとKは 、 テム担 当者たちは、近 づ く2000年 問題 智 明 (睦 物産)が 地元名古屋 で駆 けずり %技 術 を誇示する 極小飴も巨大飴も作オ で悩 みを抱 き始 めていた。 回る。加 えてユーザー会 の中部地 区研 ために作 ったのかもしれない。今 は、山口 が大活 躍 し、最終 的には前年 を超 えた 県光市 の 同社 工 場 に置 いてある。 実 行 委 員 た ちは そ の 意 をくみ 、 「 AS/4002000年 対 応 ∼ 取 り組 み 過去 最 高 の参 加 人数 となった。 恒例 のスキットで始 まるオープニ ング 対応∼ 「 日本 の ユーズは iSuCへ 行 けば では、テレビでおなじみのマスコットである そろそろ本腰 いれないと」という″訃ルで わかる」と、やが ては田 中家 七 代 目と ライオンのぬいぐるみを、ユーザー会全 国 セッションに盛 り込んだ。さらにこの年 から して田 中徳 兵 衛 を襲 名 する委 員 長 の 研 会 長 の 吉 本 先 知 (ラ イオン)か ら借 り iSUCへ の参加 申込は、従来 の郵送や 田 中は豪語 した。 私 開発 受けた。大和 田和 巳(ォ ォヮダシスラ 事 例 」とか「 AS/4002000年 ファックスなどの紙情報から、Webで の セッションは 「 e― business」 を中`卜 に、 ) は、これ をか ぶ り会 場 を楽 しませ る。 ネット情 報 に切 り替えた。反省 会 資料 グループウェアやインターネットが人 気 を 大和 田はオープニングに参 加 した中 京 などの 内部 の事務資料 などもCD化 が 呼 んだ。ゲスト・スピーチの 本 林 理 郎 大 学新 体 操 部 の女子 大 生 に、 「わ∼ 、 図 られた。iSUC情 報 システム化 へ の (日 第 一 歩 である。 づ く時代 となった」と話 し、音声入力や 本IBM副 会長)は「情報技術が人に近 ウェアラブル・コンピューターの紹介をした。 ● 第 9回 は、巨大なカンロ飴も登場 ● iSUCの バトンは第9回 へ と渡 り、実行 かわいい !」 などと言われ、自分も十分に 楽 しんだ。 (文 中敬称略、会社名は当時) また、毎年定着化 してしまったフランク・ ソルシ ス(IBMコ ーポレーション)の セッション ラルタレープ)が 委員長 には田 中徳 尚(セ ント はもちろん、現在、小泉 内閣で経済財政 選任 された。田中のセントラルグループと 政策担 当大 臣として活躍 している竹 中 いうのは埼玉県川口市 一帯 に名を誇づて おり、自動 車教習所や外車 の輸入事業 平蔵 (慶 應義塾大学)も 、講師 として 「 日本 ンと日本経済」と称するセッション 版 ビッタ ヾ などでグループ形成をしているAS/400 を受 け持 った。 たまじろう ●筆者の玉次郎氏 は、iSUCの 立ち上げ当時 か ら深 く運営 にかかわってこられた方 です。 その正体 は、最終回で明かす予定です。 IBM USERS 2001・ 10/No 474-― ―――-9 〃ダ: *Lsuc 燿瘍C轟 籍委員奮間記 鯰 これはiSUCを 支 える人々の物語である。 玉次郎 利用 して、浅草三社 祭 で御輿 の現在 高まりつつあったのだが、杉本には心配事 地 を iモ ー ドの地 図 に表示 したりする がひとつあった。それは小 池啓嗣 (チ ヤク 「オタク」であり、こうい うのが大好 きな た ちが作 り上 げた恐 るべ き囃 子 言 葉 人種 である。九谷はWorkPadの 本質 「 パパ ヒュー」である。というのは、本番に を理解 し、後日、自社 内で作業管理 シス 向 けての全 体 会議 を軽井沢で行 なった に決まった。すると堀 田一芙 (日 本IBM)が テムを作 り上 げてしまった。おそらくビジ稼 ときに、実行委 員長 である杉本 はこの 電話 をかけてきた。 向けでは、日本で最初 のものかもしれない。 パパヒュー攻勢 にあい、真田淑江 (エ ス・ IBMの 役 員 クラスでは、池 田正弘、 ピー・ランド)に アンダ=シャツまで赤 ワインに染 ● WorkPad° 大活躍の10回 大会 ● iSUC(フ ザック)も 回を重ね、とうとう第 10回 を迎 えることになった。 実行委員長lよ iSUCtttp■ げ当時から 縁 の深 かった杉本 久(山 種システムシ エ琢 ) 「 10回 ともなれば、これは記念大会なのだ ) 「そうですね。 から、何 か趣 向を凝 らそうよ」 内池正名、木村正治 たちが支援体制を て しまった。 めらオ 、 とうとう上 半身裸 にさオ 「これからの 面 白い提案はありますかね」 強化すると約束 してくれた。池 田はIBM その証拠写真を後で見せられ、が く然 と 情報端末 は『誰でも、どこでも、いつでも』 がキーワードとなるパーベイシブ・コンピュー 事務 局 の額 田英靖 や飯 塚 詔男 たちに したのである。 相 談 し、過去 の歴 代 委 員長 に集 って このために実行委員 の誰かが急性 アル もらい座談会を開いた。その結果は『IBM コール中毒 になったり、足元がふらついて 「それ、参加者 の 活用 を考えています」 USERS』 誌に載 り、気分 は大 いに盛 り 思 わぬケガをしてしまっては大 変 なことに ために安価で提供 できませんかね」 上がった。 なる。そしてついに委員長命令で「パパ カ ングの時代で魂 IBMは WorkPadの 「う∼ む、考と みます」と電話を 堀 田は さりこAS/400製 品事業部では、部長の ヒュー禁止令」を発効 した。 切 った。委員長 は、いつも値段 を値切る 高野孝之をはじめ、小林輝男、自田守寛、 ことに頭 を使 う。 萩原進 一 、門野美穂 などの技術 に強 い ● lT研 究会の発表の場として ● ―たちが、 メン ヾ 「第 10回 を盛り上 げよう!」 話 は変わるが、ここでユーザー研 究会 このWorkPadは 会場で大人気 となり、 参加者 1,650名 のうち、実に三 分 の一が と力強 い支援体制 を作 ってくれた。 「システム研究会」 活動 の柱 となりつつある 利用 晩 。このために高尾栄治 (日 本IBM) そして毎 年 参 加 して い るアメリカの とiSUCの 関係 を述 べておく必要がある。 や谷 のぞみ(同 )は 、システムやプログラム COMMON視 察団日 よ、杉本の他に彼と Ⅸrき たこの活動は、 と呼ばオ 通称「シス研」 作成 で昔労することになる。 コンビを組 む事務局長 の皆 上秀樹 (日 信 平成 13年 度になう 電子サービス)や 丸谷哲司、そ区 日本 IBM セッションや会場案内はプログラム化Ⅸ 、 IT研 究会」と名称 WorkPadに 組み込 んだ。画面 には会場 からは通訳を兼ねて萩原進一が同行した。 の平面図が表 オ ヽ 触 れるとトイレや電話の 10年 という区切 りなのだから、ここで 変更 晩 。これは元々、 “ 昭和 60年 代 当初 ・ にゼ ル ア●払分科会が発足し、昭和 ∼ 63年 度の関東 IBMユ ーザー研究会活動 位置が点減するという細かい配慮 もして 「iSUC 10年 史」を作 過去を振り返ろうと、 「ゼネラル・システム研究分科会」の である ある。PCに シンクロをかけると、アンケートや ることに決まった。そのためのメンバーを 「システム部会」から発展してきたもの うちの 掲示板情報が取 れる。この WorkPad 編成晩 り、 広報を大 々的にやるための専任 である。 Il)と セッ ション・ 活用 には、中川雅雄 (中 り ―を選出りつ と杉本 は忙しかった。 メン ヾ リー ダーを担 当 した丸谷哲 司 (宮 豪)が のめ りこんだ。 中川は、創業明治 43年 のお祭 りあ ス を全 国展 開 して いる『 浅 草 中 屋 』の AS/400ユ ーザーだ。位置情報 システムを 12-――――IBM USERS 2001・ 11/No 475 ゼネラル・システムとはミッドレンジ・システム 『iSUC 10年 の歩み』 ズ 10年 史は、 とヒ のS/38や AS/400の ことであり、これらを 小冊子 にまとめられ、現 在 でもWeb上 活用しているユーザーに向けた技術勉強 で見 られ るようになって いる (http:〃 会である。 www.uken.or.jp/isuc/)。 このように記念大会の ムードは大 いに それが平成7年度に至ダ 、汎用機をも 含 めた全機種対象 に広がり、さらに平成 WorkPadが 盛 んに活用 された第 10回 大会。当時の北城 IBM社 長 も、 WorkPadの 赤外線通信機能 を利用 して電子名刺交換 を行なっていた 「清里ガーデンパーティー」が行なわれた 今年も広大な敷地で 9年 度からは活動 エリアも地区版から全国 ベキューや流しそうめんなどの楽しい集 い この後 セッション担当 の中心人物になづて 版に拡大飛躍 した。 がiSUCの OB会 主催 で行なわれる。メン いくのである。 この歴史を最初か ら育 てていたのは 佐藤利行 (日 本IBM)で あり、ユーザー研究 バーは家族を伴うて集合 し、子供 同士は 打 ち解 けて遊び回る。 さらに経験 を積 んだ本 田正法 (ォ ″ ス 本田プランニング)、 石 田 薫 (三 愛石油)、 会 の中では全国版となうてからは、iSUC 幼児から60歳 代までの年齢差 のある ワーク)そ Ⅸ 西村 須藤 勝(シ ージー情報ネット の歴代重要人物がその中心を担 つてきて 集団 であるが、大 先輩 の上 野政男 (Bs 佳 洋 (日 本フィリップス)、 久保 山祐児 (フ ジタ いる。つまり、平成 9年 からは藤 田昌弘、 ジャパン)や 杉本たちは、岡本和博 (″ ・ 崚 藤俊幸(花 王)力 功]わ れ 安藤l靖 義則 高階純司 鮮 中土木)、 森 春雄 (文 化放送 )、 カ ー・エス)や 斉藤陽介 (名 鉄観光)、 大 西 のスキットで好演 を認 められ、自分でも 小池啓嗣、そして今年が池田正己(ホ 771/ 雄 三 (コ スモスブ フ)ら の子供たちのお守 りを 思わぬ能力 が秘められていることを知づて オークラ)で ある。 させ られる。 喜 んだ。 「IT研 究会」と変わったの 今年になづて は、システム技術研究 に加 え、マネジメント やゼネヲレが追加されたためである。そ灰 やはり実行委員だった神 田智夫 (テ レビ 東京システム)は 、変わった男である。 彼 の家 も埼 玉県 さいたま市 の郊外 に ) 新 メンバー には峯 島 一 郎 (丸 八倉庫)、 森 博隆 (中 興化成工業)、 増川重之 (バ ク スター)が加わり、総勢 26名 というかつて その研究は年間を通К 行なわオ ヽ 内容は あるのだが、自宅は大農家 で、彼 は実際 毎年秋に開催されるiSUCで 発表される。 に農業 をしCい る。仕事 は大都会 のド真中 iSUC運 営自体 の情報 システム化も一段 参加者 は年 々増えつづ け、今年 は12 でコンピューター活用 だとか、放送 のシス と進み、この年、Web上 での申し込みは テーマ、125名 の参加 申し込みとなった。 テム戦略研究などの小難しいことをやづて 90%を 突破晩 。以 降 IBMも 含 め、この いる力ヽ自宅では米を作 ったり芋 を作 っ ようなイベントやセミナーの申し込み方法 たりしている。 ではWeb活 用が本格化 していくことに ● 10カ 月の付き合いの実行委員 ● ない大布陣となった。 iSUC実 行委員 になると、顔合 わせ 秋になるとその収穫があるので「神田の なる。なによりも参力Ⅱ者 の満足度は94% から本番まで約 10ヵ 月、さまざまな業務を ―が集まづて iSUCメ ン ヾ 収穫祭」と称して、 と過去最高 となる。サポーター方式も浸透 一緒 にこなすため、かなり親密な付き合 い くる。秋 の陽を浴供 赤く 色 づいた柿の実 し、その満足度 も86%に なった。 が出来上が る。本 来 の業務 以外 にも の下 Qビ =ル を飲みながら神 田の作 った ゴルフで親睦を図 った りするのは一般的 新米 を食べ るのである。 だが、面白くて楽 しい“ 付 き合 い"も ある。 ● 運営の情報システム化もさらに進む ● の自宅敷地内で行なわれる、通称「清里 第 10回 記念大会鍼 行委員 10ま 、しば ガーデンパーティー」は圧巻である。 持 田 の 自宅は埼玉県比企郡 にある。 反省会 Q過 去 の実行委員長は大仕事 のだ力ヽ を終えたことで感激して一様 に泣く そのひとつ、メン ‐ の持田 肇 (ッ ルゲン ) 大盛況 のうちに幕 を閉 じた大会後の らく途絶 えていた女性 委員 も復活 した。 杉本 はその感激 をじっと胸 に秘 め涙 は 見 せ なかった。 しかしその代 わりに、女房役である事務 小畑絹江鯛虎)で ある。 小畑 はシステム室長 局長 の大任 を果たした皆上が、大 きな 広 い庭 を持 ってお り、その一角にはこん の要職 であるが、少女 のようなあどけない 身体 を震わせてわあわあと泣 いてくれた。 もりと土盛 りがしてあづて白樺 の本が数本 素直 さが残 っていて皆 に大 事 にされた。 植 えられている。これを長野県 の清 里 に 重要 なセッション・リーダーは、委員長 に 思 いを寄せ、 「清里 か デン」と称じCい る。 回説かれて4年 目を迎 えた丸谷が担 当 テ以 コートがあるほどの広い芝生の庭 リヒカヽ実質は丸谷の技術指 導 を受けて を、持田はメンバーに開放 してくれ、バー 大西雄 三 が実力 を発揮 した。大西 は、 (文 中敬称略、会社名は当時 ) たまじろう ●筆者の玉次郎氏は、iSUCの 立ち上げ当時 か ら深 く運営にかかわってこられた方です。 その正体は、最終回で明かす予定です。 IBM USERS 2001・ 11/No.475-― ――-13 ISuC実 行委員奮 蘭記 蘇躙嘔 これは iSUCを 支 える人々の物語 である。 玉次郎 ● 開催地選びに一苦労する委員長 ● iSUCの 特徴 は、セッションが多 いために少 電子掲 示板力滞J用 できただけでなく、Webを iSUC実 行委員長の選任日 ま毎年苦労が なくとも20部 屋 くらいの会場 が施設 内に必要 べ‐スにしたことヽ つ きまとう。いろいろと意見は分かれるが、 となづてくることだ。さらにそうやって選 ばれた 電言 舌、それにWorkPad° か らでも利月l nf能 やはり重要視 されるのは人望であろうか。 会場 が、果 たして希 望する日時 と費用 を満足 となった。 なぜならiSUCほ どの規模になると、ひとりや させてくれるのか。こうして第 11回 の会場 は、 ふたりの力ではとても仕 Ltヂ られるものでは なく、女房役 の事務局長、実行委員、そして とはいえ、日本 IBMの 支援が不可欠であり、 特 にiSUCに 参加すれば時代 の最先端技術 らいだから、IBMの 新技術 に接触‐ るというく 恒 例 の iESで は、会場 が数 ヵ所 に分 割 ロイトン札 幌 と、隣接する札 幌厚 生 年 金会館 ざ 崚 ため、IBMの 役 員 たちはノリピ姿に風船 の2つ を利用することになった。 を身 につけた。込み合 った会場 内でも、天丼 OBの メンバーたちの協力が必要だか らで ある。さらにはいくらユーザー研究会の主催 PCや iモ ードなどの携帯 に向 けてゆらゆらと揺 れている風船 の下 に ● 第 11回 で情報 システムが充実 ● 20世 紀 最後 の年 の 2000年 は、もうその 響 きだけで意義深 い年 である。 それだけに事務局長 に決 まった久保義弘 行 けlよ ユーザーはIBMの 役 員と話ができる とい うわけだ。iESで は参加 したユーザ ー 同士 はもちろん、メーカーとユーザ ーの直接 対話ができるのも、ひとつの狙 いなのである。 メンバ ーの 米 田 部隊 との連携 プレーが大会 を成功 させるか (鉄 道会館)や 実 行 委 員 の新 どうかにかかってくる。 幹男 (星 光ビル管理)、 ランプ光 (ニ ッケン産業)、 の動 きも ● ●「東北でミニ iSUCを 」 過去の実行委員長は、大きく分けると技術 渡辺 修鯨 王プラザホヲリ、持 田浩資 lFl本 パーカ 実 はこの札 幌大 会 開催 期 間中 に、iSUC に強 い委員長 と、調整能力 のある委員長 ライジング)、 羽 田英之 (カ ンロ)た ちは張 り切 づて 事務局内に東北 IBMユ ーザー研究 会 のメン になるかもしれない力` 、いずれの場合も人柄 いた。 バーが数人、事務局見習 とtズ参加 じCい た。 の 大会のテ‐マは 「e― revoluion 21世 紀 が悪 くては話にならないのだ。 東 北地 方 だけではないか もしれないが、 第 11回 (2000年 )の 委員長 に決 まった の扉を開けよう」となった。前年は21世 紀へ 地 方 のユ ーザ ー会 員が iSUCに 参加 する 石 田 薫 (三 愛石油)が 、数人 の実行委 員 を 向けて序奏 じCい たのが、この年 は、いよいよ には、アクセスの問題や大会開催期 間の長 さ 伴 って開催地・札幌 に下見に訪れたのは、 扉 を開けることになったのである。 など、難 しい面がある。 そのため黒田信之lrm台 ニコン)は 、このiSUC 春浅い3月 24日 のことであった。札幌市 内の セッションの中心 は、JavaTMや 話 題が高 路 上 には、所々に片付 けられた雪が山 の ズ きたLinuxな a IT時 代に即曖 内容 まィ のミニ版 を東北地方 で開催 できないものかと ように積み上げられていた。 を取 り入れた。オープニングでは、北海道で 常 々考えていた。そこで東北地 区研 の会長 で 開催地 の下見 は大切である。参加者 の 有名なDJで あるタック・ハーシーの軽快 な ある回井匡裕 (東 北電力)に 、その考 えをぶ ち 最寄駅からのアクセスはどうか、会場 の受付は 紹介で石田委員長が登壇 し、石 田は舞台の まけた。 どこにして、どうやづてオープニング会場 に混乱 中央に立ってスマートなあいさつをこなした。 なく誘導できるか、食事はどうか、セッション さらに日本 IBMの 新社長 となった大歳 会場 の割り振 りと、iESの 会場はどうするか… ・スピーチとして、ITの 歩みや 卓麻 がゲスト 等 々。 ネットワーク社会の話 をした。 実 行委 員 の選出か ら始 まり、開催地、開催 時期 その他、決 めることはたくさんある。 ある。千人や二千人 を収容する大会議場 崚 のは、 SUC情 報 新しい企画とLズ 生まオ 「 システム」である。前年兆しを見せた情報シス みたいな設備はどこにでもあるが、それはオー テムは、この大会でWebサ ーバー・システムが したり、日本 IBMに 主 旨を伝 えたりして合 意 プ■)グ やクロージ″ には使な も、大会期 間 から ト 構築された。実行委員たちは、インターネッ を取 り付 け始め、黒 田は古沢直義 (第 一貨物 中パラレルで走るセッション会場を併せ持うて でもWebブ ラウザーを利用して電 子会議 が や佐 竹 治仁 (呉 羽環境)ら 主要 メンバーたちと いる施設は、この日本国内でもそう多くはない。 できるよう0こ なる。参加者もセッション情報や ともに着 々と準備 に入 った。 また、その前 の開催地選 びが大 変なので 16-一 ―――IBM USERS 2001・ 12/No.476 「よし! やろう」と即 座 に 國井 はダミ声 で、 賛成 した。 ミニ版 とはいえ、自分 たちの企画 である。 國井 はiSUC実 行委員長経験 者 に相談 を ) 第 11回 の iES会 場 では、込み合 う会場 でもすぐに分かるよう、IBM役 員は背中に 風船 を付 けた そして東北 ミニiSUCの 実行委員たちは、 実際 の運営方法を学ぶために札幌iSUCの 事務局 に張 り付 いたのである。 彼らはiSUCの 意義やコンセプトについて、 先輩である歴代 の実行委員たちにこんこんと 意見辞 L、 その議論l許 前2時 ころま嚇売いた。 その結果、東北 の実行委員たちの考え方 がひとつにまとまり、権□り 信頼ができあがった。 そしてついに初のiSUC地 方版「東北 ミニ iSUC/e∼ べ東北」力ヽ翌年の2月 15日・16日 にかけて、ホテル仙 台 プラザで古沢実行 委員長 のもと、行 なわれたのである。 石田 薫は、20世 紀最後の大会の実行委員長を 務めた 「信義貝」 第 12回 iSUC大 阪大会で、 」スキットを 演 じる杉本 久 (左 ) 彼 らの味わった感動 は、つま恋で行なわ れた第 1回 iSUCの 実行委員たちが受けた iSUCと 吹 、e‐ EXPOが大成功 を収 めたり、 お許 し願 いたい。そしてこれはあくまでもユー ものと、恐 らく同 じ思 いであったことだろう。 ンド&ヮ イヤレスの時代 が現実 に近 プロール ヾ ザー側 から見た裏話であり、メーカーである さて、第 11回 のオLttiSUCは 、なんと1,878 づいてきたことを十 分 に認識 できた。さらに 日本 IBM側 から見た秘話は、また違つたもの 払 力ヽ米 COMMON 充実しはSUC情 報 シスう に映るであろう。特に立ち上 げ当初は、清水 会 長 に「世 界 一 である」と絶賛 されたのは 照雄氏 (現 常務取締役)や 樗木博氏 (現 日本情報 記憶 に新 しい。 通信)が ご苦労をされたに違いない。 名 の参加者を得 (ゴ ロ合わせで噂 していた 「2000年 、2000人 、200セ ッション」に迫 る 勢 いで幕 を開 じた。 最後に盛 り上がったクロージング・セッション を終 え、参加者が祭 りのあとのようにワ│い た 後、静かになった事務局0ひ とりひとり委員 誌 面 の都合 0第 12回 の内容 は11月 号 『IBM USERS』 の iSUC特 集記事 をご覧 曽我和明氏、杉浦春司氏、宮義彦氏、そして SUCを 支えてくれている講師の皆様にはずつ (文 中敬称略、会社名は当時) その言葉 を聞きながら、実行委員長の石田 とiS∪ Cを 見守 つてもらい、最近では高尾栄治 は、皆 に支えられて成功晩 このビッ ク ベント をllBみ しめ、そっと涙をぬく ア いたのが印象 的であった。 冨吉純司氏、西原裕善氏 、北村恵吾氏、 'よ 願 いたい。 たちや関係者が短 い感想 を述 べた。 テクニカルな支援 としての IBMメ ンバーで 鳳 袋丼真音氏、山田弘氏の技 術力に頼 つて ‐ ‐ 第 12回 IS∪ iS∪ 執 筆 後 記 いる。こOtL:こ も数 々の lBMの ― C大 阪大会の終 了とともに、 Cを 裏 側 から支えた人 々の、この物語 ● 世界一の情報システムと絶賛を浴びる● シリーズも今回で終わりとさせていただきま魂 2001年 、iSUCは 新 しい世紀 を迎え、第 この物語 に登場 した人 々は、すべて実名を 12回 大阪大会がこの10月 に終わったのは 引用させていただいた力ヽ失礼力ち つたことは iS∪ Cフ ァン に支えられ、iSUC関 係者は いからあリカた く 思つている。これぞユーザーとメーカーカ跡目互 に発展 してゆく理想図ではないだろう力ヽ 長 い間のご精読ありがとうございました。 玉次郎 周知 のとおりである。 実行委員長の竹久保忠幸 (ホ 刀レ小田急)、 事務局長 の峯島一郎 (丸 八倉庫)バ舌躍 をし、 新 しいメンバ ー には星野 悦 雄 (ォ リックス・ 翻鼈 0● 簸 コールセンター)、 黒澤義広(セ ント ラル自動車技研)、 神林芳史 (リ ード)、 大竹清治 (ソ ピュァ)、 そして 斎藤和子 (エ ス・以 ザ ー 平中彩子(%巧 く ジー )、 生命保険)の 女性委員力功口わった。 平中の物静かな印象と、斎藤 のめちゃくちゃ な明るさは、男性 の多 い実行委員たちの中で 今までと違 った雰囲気 をかもし出してくれた。 この 「e― TRYみ んなで語ろう21世 紀の夢」 ルで開催された大阪大会は、都市型 のタイト IBM USERS 2001・ 12/No 476-― ――-17
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