順徳海爾―中国企業の市場主義管理 - 神戸大学大学院経営学研究科

KOBE
BUSINESS
SCHOOL
2002-05
順徳海爾―中国企業の市場主義管理
1.順徳海爾の奇跡
順徳海爾電器公司(以下、順徳海爾、じゅんとくハイアール)は海爾集団(以下、海爾、
ハイアール)の子会社であり、洗濯機の組立を行っている。1997 年 3 月、海爾は倒産寸前
であった順徳愛徳洗濯機厂(以下、愛徳洗濯機あるいは元の企業)の株式の 60%を取得し
て、会社名を愛徳洗濯機から順徳海爾に変えた。順徳海爾は中国広東省の珠江デルタ中部
に位置する順徳市にある。順徳海爾が海爾の子会社になってからの 3 年間の主要な変化は、
以下の通りである。
(1)倒産寸前の企業が有力企業に変化
愛徳洗濯機は 1991 年、広東愛徳電器集団公司(以下、愛徳集団)の投資によって設立さ
れた郷鎮企業であった。同社は日本の三洋電機から全自動洗濯機の生産技術と生産設備を
導入して洗濯機を生産した。愛徳集団は小型の家電製品を生産し、炊飯器は現在、中国一
の市場シェアを占めている。愛徳洗濯機の設立当初は、洗濯機の年間生産能力は 20 万台で
あり、従業員は 560 人であった。しかし、愛徳洗濯機には単一のモデルしかなく、しかも
品質にはバラツキがあった。1991 年(洗濯機の出荷がはじまった年)から 1996 年 6 月ま
で(愛徳洗濯機が閉鎖された年)、4 年間に愛徳洗濯機が生産した洗濯機の累積生産量は 17
万台に止まっていた。1996 年 7 月には、愛徳洗濯機の従業員は 380 人に減少し、負債比率
は 166%で、閉鎖されざるを得なくなった。
順徳海爾の設立は 1997 年3月である。同社は愛徳洗濯機の建物と生産設備をそのまま使
って、現在は約 20 のモデルの洗濯機を組立てている。順徳海爾は愛徳洗濯機の作業者を解
雇することなく(1、2 名だけ辞めさせた)、また、副社長の周建忠氏をふくめ経営者・管理
者をそのまま引継いだ。海爾は海爾のブランド・製品開発力・販売網・経営方式を順徳海
爾に投入して、同社の再建に成功した。
順徳海爾は、設立された 1997 年に 261.24 万元の利益(税引き前)をあげた。翌年( 1998
年)の 8 月には、順徳海爾の洗濯機生産は ISO9001 の認証を受けた。1999 年 3 月、同社
の洗濯機は、中国の洗濯機業界では自社ブランドで初めてアメリカ市場に輸出することに
成功した。現在の輸出先は約 56 の国と地域に及んでいる。それと同時に、国内市場を精
*本ケースは神戸大学大学院経営学研究科博士課程 欧陽桃花(中山大学管理学院専任講師)が,神戸大学経
済経営研究所教授 吉原英樹の指導のもとに作成したものである。本ケースの記述は経営管理の巧拙を示す
ものではなく,クラス討議の資料として作成された。なお著作権は,神戸大学大学院経営学研究科に帰属
し,無断複製は厳禁とする。
(2002 年 1 月 31 日)
1
力的に開拓して、国内の市場シェアを高めている。
順徳海爾はこのように、ごく短期間に、倒産寸前の企業から中国有数の優良企業に変貌
をとげたのである。
(2)「楽だが将来は暗い」から「きびしいが将来は明るい」への変化1
周建忠氏(31 歳)は、元の企業の副社長であり、現在は順徳海爾の副社長をしている。
周氏は「見えるところ(工場の建物・機械設備)は変わらないが、見えないところ(企業の
雰囲気、従業員のやる気)が変わった」という。順徳海爾は愛徳洗濯機の建物と生産設備
を使っているが、元の企業より何倍以上もの台数の洗濯機を生産し、利益も多くあげてい
る。この変化の主な原因は従業員の意識・やる気が変わったことである。同氏はこのよう
に考えている。
周氏は従業員の変化にかんしていう。従来は、「没油没水不是板金工場(工場の床に油も
水も流れていなければそれは板金工場ではない)」という言い方がなされていた。ところが、
順徳海爾になってから板金工場の床はきれいになった。誰が板金工場の床を掃除するのか、
どの程度まで掃除するのか、掃除するとどのようなインセンティブを受け取るのか。また、
掃除しない場合には、従業員にどのようなペナルティーが課せられるのか。こういうこと
についてルールを明確に作って、全員に公開している。従業員は仕事目標や仕事基準や賞
罰の内容などを事前に了解している。それで、従業員は自分自身の仕事に責任を持ってや
っているという。
われわれは「順徳海爾になってからよりも、愛徳洗濯機のときのほうが仕事は楽だった
のではないか」と周氏に質問した。周氏はつぎのように答えてくれた。「愛徳洗濯機で副社
長をしていた頃は、時間的にも余裕があったし、副社長としての給料も受け取っていたの
で、たしかに楽であった。しかし、順徳市の周りの企業を見回った結果、倒産する企業の
従業員は私のように仕事が楽だったという事実が分かった。元の企業の洗濯機は売れなか
ったので、従業員はあまり仕事をしなくてよかった。しかし、仕事は楽であっても、将来
性が暗いので、従業員の気持ちは不安であったにちがいない。」
何偉涛氏(30 代)は元の企業の部長であり、現在は順徳海爾の技術・品質部部長である。
何氏はいう。「基本的には、周氏の発言に同調するが、洗濯機の生産・品質検査について言
うと、順徳海爾は愛徳洗濯機よりも科学的だと思う。」順徳海爾の洗濯機の組立ラインは元
の企業と同じで一本しかないが、元の企業の日産最高台数は 470 台であった。趙氏たち(海
爾からの経営幹部)が順徳海爾に来て、生産設備を更新せず、ただ生産ラインと修理ライ
ンをすこし改良したり、生産ラインの前後工程の順序を調整したりした。その結果、順徳
海爾の日産最高台数は 2100 台へと拡大した。順徳海爾の生産台数の増大について、何氏は
自分の感想を話した。「順徳海爾の日産最高台数が 1997 年秋に 600 台に達した時、私はび
っくりした。そして、600 台は順徳海爾の日産最高台数であると思った。しかし、その一ヶ
月後、日産最高台数は 700 台に達した。その時は、元の企業の社長も信じられなかった。
かれは私をご馳走してくれて、ほんとうに 700 台生産したかをわたくしから確認しようと
した。」また、何氏はつぎのようにもいう。「正直に言うと、順徳海爾の設立当初、われわ
れ(愛徳洗濯機の経営幹部・管理者と従業員)は海爾からの経営幹部が順徳海爾の再建に成
功するかどうか、大きな疑問があった。その後、順徳海爾の生産性向上について、われわ
2
れはますます海爾からの経営幹部と海爾の経営方式に敬服するようになった。」
鐘氏(20 代の女性)はわれわれにつぎのように話してくれた。「私は 1994 年に愛徳洗濯
機に入社しました。会社では、低い給料を受け取って、つまらない毎日を送っていました。
これから、自分の人生をこのように送っても何の価値も無いと思いました。また、順徳市
のほかの大手家電企業に入社した友達と話す際に、彼らには仕事の能力も蓄積されていて、
給料も高かった。本当にうらやましかった。一時は会社を変わろうかなと思いました。」彼
女はつづけていう。「順徳海爾になってから、仕事の気持ちがずいぶん変わりました。私の
提案した合理化提案が採用されて、わたくしの書いた文章が社内の新聞に載りました。何
となく、自分は重視され、認められたような感じであった。また、毎日、新しいこと(海
爾の企業文化)を習えることもうれしかった。順徳海爾の発展とともに、自分の能力も伸
び、給料もずいぶん上がった。仕事はきつく、疲れるが、心は充実しています。」
(3)生産量・利益・給料の変化
愛徳洗濯機が 1991 年に洗濯機の生産をはじめてから、1996 年 6 月の愛徳洗濯機の閉鎖
までの累計生産量は 17 万台であり、この間の年平均生産量は約 4 万台であった。1997 年 3
月に順徳海爾が設立されてから同年末までの 10 カ月間足らずのあいだに、順徳海爾は 10
万台の洗濯機を生産している。さらに、順徳海爾の生産量は 1998 年には 25.5 万台、99 年
には 31.6 万台と、毎年大きく増えている。2000 年になると、46.7 万台に達している(表
1参照)。
表 1 順徳海爾の生産台数、売上高、従業員数の推移(1)
項目
全自動
日産最高 洗濯機
売上高
年
洗濯機台数
(台)
基板
(万元)
(万台)
(万台)
17
470
1996 年以前
0
不明
全従業員
作業者
348
380
387
421
425
302
333
344
373
368
(累計ベース)
1997
1998
1999
2000
2001
年
年
年
年
年
10.0
25.5
31.6
46.7
58.0
980
1150
1450
2100
2400
0
60
308
540
654
10574.57
24259.58
30632.20
48217.20
57448.00
注 1 9 9 6 年以前の年間生産量は不明である。そのため、1996 年以前の生産台数は、1991 年(洗
濯機の出荷開始時)から 1996 年 6 月(愛徳洗濯機の閉鎖時)までの累計生産量を表示している。
また、表中の 1997 年の各数値は、1年間の数値でなく、1997 年 3 月(海爾の子会社になった
とき)以後のものである。
資料出所:社内の資料
2000 年に順徳海爾が生産した洗濯機は 46.7 万台であり、これは愛徳洗濯機の年間平均生
産台数の 4 万台の 10 倍以上である。順徳海爾になってからも、生産は順調にのびている。
3
1997 年から 98 年にかけては、約 2 倍のびている。98 年から 99 年にかけての伸び率は、
24%、1999 年から 2000 年にかけては 48%ものびている。日産最高生産台数ものびている。
愛徳洗濯機のときの社長は、さきの何氏の話にあるように、700 台の日産最高生産台数を信
じることができなかった。それが、2000 年には、2100 台である。元の社長はこの数字をみ
ると、どのように思うだろうか。
順徳海爾は 1998 年から、全自動洗濯機のコア部品ともいえる洗濯機の操作をコントロー
ルする基板(以下、洗濯機基板)を開発した。開発された洗濯機基板は外部から調達した
ものより、故障率が低く、洗濯機のコストの削減に貢献した(詳細は後述)。また、洗濯機
基板の開発は順徳海爾の利益を向上させている。順徳海爾の 1999 年の税引前利益は
1030.55 万元であり、1998 年より 70.01%増、2000 年の利益は 1999 年より 101.12%増と
なった(表 2 参照)。また、2000 年度には、地方政府に納める税金(付加価値税2と法人所
得税)の金額で順徳海爾は順徳市容桂鎮(町)の企業のなかで3位に入った。順徳海爾は
順徳市政府から「順徳市の超優良合併企業」と評価された。
表 2 順徳海爾の業績の推移(2)
項目
売上高
税引き前
法人所得税
(万元)
(万元)
年
利益(万元)
①=②+③
1997
1998
1999
2000
2001
注
年
年
年
年
年
10574.57
24259.58
30632.20
48217.28
57448.00
261.24
605.88
1030.55
2072.72
2450.00
税引き
後利益
(万元) ③
②
86.21
204.85
432.72
665.74
808.50
175.03
401.03
591.83
1406.78
1641.50
売上
付加
利 益 率 価値税
(万元)
(%)
2.5
208
2.5
562
3.4
890
4.3
2002
4.3
2200
表中の 1997 年の各数値は、順徳海爾になった 1997 年 3 月以後のもの(10 ケ月間足らず)
である。
資料出所:社内の資料
順徳海爾の生産台数と利益の向上につれ、従業員の給料は何倍にも増加した。愛徳洗濯
機の時代、作業者の平均給料は閉鎖の直前には、毎月 380 元であった。この金額は、順徳
市政府が労働者の保護ために規定した最低賃金であった。順徳海爾になってから給料は大
きくのびて、2000 年には作業者の月平均給料は約 1873 元となった。年額にすると約 22476
元である。中国の製造業では、1999 年の作業者の年平均給料は 7794 元であった。中国で
一番高いのは上海市で、上海市の作業者の年平均給料は 15644 元であった。一方、一番低
いのは河南省で、河南省の作業者の年平均給料は 5416 元であった。また、広東省の作業者
の年平均給料は 11317 元であった3。順徳海爾の作業者の年平均給料は、全国の製造業では、
上海市(最高)の 1.44 倍、河南省(最低)の 4.15 倍となった。
4
2.海爾の子会社
(1)愛徳洗濯機
中国の洗濯機産業は 1970 年代末から発展してきた。1985 年には、都市部の普及率は 48%
に達した。洗濯機の普及率は、同時期の冷蔵庫の 6.58%、カラーテレビの 17.21%に比べて、
ずいぶん高かった。そして、1990 年には、洗濯機、冷蔵庫、カラーテレビの普及率はそれ
ぞれ 78.41%、42.33%、59.04%に達した4。洗濯機、冷蔵庫、カラーテレビという「三種
の神器」の中では、洗濯機の普及率が一番高かった。90 年代における中国の洗濯機市場の
主流は二槽式の洗濯機であった。愛徳集団は洗濯機の消費傾向が二槽式から全自動洗濯機
へと転換しようとしていると推測し、全自動洗濯機の分野に参入する意思決定を下した。
その当時、全自動洗濯機の供給は需要に応じきれていなかった。愛徳洗濯機の全自動洗濯
機が登場すると、すぐに注目を集めた。しかし、同社の全自動洗濯機は品質が不安定なた
めに、登場してまもなく、激しい市場競争のなかで排除されてしまった。
愛徳洗濯機の経営不振の原因は以下のとおりである5。
第一は不合格の部品の使用である。
愛徳洗濯機は生産設備と生産技術を日本の三洋電機から導したため、洗濯機の組立技術
は進んでいた。しかし、愛徳洗濯機が不合格の部品を用いたため、洗濯機の品質はよくな
かった。愛徳洗濯機は洗濯機の部品を自社で生産したり、協力メーカーから調達したりし
た。自社で部品を生産する場合には、洗濯機の部品を生産する現場管理者は愛徳集団の経
営幹部と人脈関係があるため、自社生産の部品は不合格でも、愛徳洗濯機はその部品を使
用して洗濯機を組立てた。協力メーカーから部品を調達する際にも、一つの部品を少なく
とも 2 社から調達して価格や品質を競争させることなく、人脈関係の協力メーカーだけか
ら部品を調達した。このように不合格の部品を使っていたため、洗濯機の品質はばらつい
ていた。品質不良の洗濯機が市場に出た結果、愛徳洗濯機の製品には品質が悪いと言うレ
ッテルを貼られた。消費者は愛徳洗濯機に「缺徳」洗濯機(悪い製品で消費者を困らせる
企業)という皮肉な名前をつけた。
第二は新製品を開発しなかったことである。
愛徳洗濯機は設立当初、利益をあげていたが、その利益を製品開発や生産技術の向上に
使わず、株主に配当していた。愛徳洗濯機は、単一モデル(5kg 大容量全自動洗濯機)しか
生産しなかった。90 年代半ば、中国の洗濯機市場では、顧客ニーズは多元化の様相を呈し
てきたにもかかわらず、愛徳洗濯機は新製品を開発せず、市場多元化のニーズに対応せず、
市場から排除されてしまった。
第三の原因は生産・品質管理の甘さであり、職場規律の弛緩である。愛徳洗濯機の経営者
は洗濯機の技術的なことが分からなかったにもかかわらず、技術者の意見を採用しなかっ
た。企業内の生産管理は甘く、工場は汚れ、混乱していた。管理者は勤務時間中に麻雀を
し、作業者はだらけていた。
愛徳洗濯機の生産ラインの年間生産能力は 20 万台であるが、1991 年の操業開始から
1996 年7月の閉鎖までの期間に、17 万台の洗濯機を生産したにすぎなかった。この期間、
愛徳集団は合わせて 9700 万元を愛徳洗濯機に投資したが、愛徳洗濯機の借金は 15744 万
元もあった。愛徳洗濯機は負債比率 166%で、1996 年 7 月に閉鎖に追いこまれた6。
5
愛徳洗濯機を立てなおすための方法として、愛徳集団のトップ経営陣には、二つの考え
方があった。一つは有力企業を積極的に探し、合併企業を設立することである。もう一つ
は、何千万元の資金を更に投入し、設備更新、製品開発などに力を入れることであった 7。
愛徳洗濯機の生産設備と工場の建物は新しいものであった。生産技術と経営方式の遅れで、
洗濯機の品質が良くなかった。また、郷鎮企業として、経営幹部と従業員はほぼ“洗脚上
岸” の農民である8。経営幹部・管理者の経営素質は低いし、同族経営の弊害が多い。それ
なら、外部の力を借りて、郷鎮企業の経営能力を向上させよう。愛徳集団の総裁の李文堅
氏はこのように考えた 9。愛徳洗濯機が倒産寸前となった原因は生産のハード面にはなく、
生産のソフト面にあるから、有力企業と提携して合併企業を作ることを愛徳集団の経営陣
は決めたのである。
順徳市は広東省の珠江デルタの中部にあり、全国の家電、家具、ガス製品の生産基地で
ある。順徳市にある家電企業の売上は全中国の家電販売量の十分の一を占めていた。愛徳
洗濯機の隣には中国の大手家電企業である科龍集団、格蘭仕集団、美的集団などがある。
また、松下電器、フィリップス、ワールプールなど世界の一流家電企業の子会社がある。
それらの企業が愛徳洗濯機を合併することに興味を持った。
1996 年 7 月から、愛徳集団はそれらの家電企業と交渉しながら、有力企業を探していた。
同年の 11 月、海爾はその情報を掴み、早くもその1週間後に積極的なメッセージを愛徳集
団に伝えた。そして、直ちに海爾の技術幹部は愛徳洗濯機を視察し、愛徳集団との交渉を
開始したのである。その 4 ヶ月後(1997 年 3 月)、愛徳集団は海爾集団と順徳海爾を設立
する契約を締結した。愛徳集団が海爾を選んだ理由は二つある。
第一は、海爾が 3 ヶ月で生産を再開できると伝えたことである。他の企業が 6 ヶ月また
は 9 ヶ月で、生産を再開できるといったのに対し、海爾は 3 ヶ月でできると約束したので
ある10。
第二に、1997 年当時、海爾はすでに中国第 1 の総合家電メーカーとなっていた。同社は
優れた経営ノウハウと優良なブランド、さらに強固な販売とアフターサービスの全国的な
ネットワークを持っていた。海爾の生産・品質管理とマーケティングの強さが愛徳洗濯機
の弱さを補充できると、愛徳集団の経営トップは考えたのである。
(2)順徳海爾の設立
海爾は、1993 年にイタリアの Merloni 社とドラム式洗濯機の合弁企業を設立したことを
きっかけに、洗濯機の分野に参入し始めた。全自動洗濯機には、アジア渦巻式、アメリカ
攪拌式、欧州ドラム式という三種類がある。ドラム式洗濯機の性能は渦巻式より高いが、
その価格は渦巻式より約 2 倍も高かった。当時、中国の洗濯機の消費傾向は半自動の二槽
式から全自動渦巻式に転換し始めた。ドラム式の洗濯機は贅沢品と言われたので、中国の
消費市場では、全然普及しなかった。海爾は年産約 20−40 万台のドラム式洗濯機を生産し
て、全自動洗濯機の国内外市場に慎重に参入し始めた。
1995 年 7 月、海爾は経営不振の紅星電器公司(以下、紅星電器)を吸収合併した。紅星
電器は二槽式と渦巻式全自動洗濯機を生産するメーカーであり、年生産能力は 100 万台で
ある。紅星電器の再建に成功したのをきっかけに、海爾は 1997 年に、中国一流の洗濯機企
業として認められた11。さらに、1997 年 3 月、海爾は愛徳洗濯機の株式の 60%を取得して、
6
順徳海爾を設立した。海爾からみて、順徳海爾の設立には以下のような理由がある。
第一は地理的条件の魅力である。
愛徳洗濯機は中国の広東省珠江デルタ中部の順徳市にある。順徳市は中国南部の大都市、
である広州市から 32 キロ、香港から 127 キロの距離にある。順徳市の面積は 806.15 平方
キロメートルであり、人口は約 100 万人である。また、40 万人の順徳籍の華僑、香港同胞
がいる。順徳海爾の設立理由に関して、順徳海爾の社長の趙振中氏はつぎのようにのべて
いる。「広東省は中国の経済発達の地区の一つである。そのため、海爾の経営方式が広東省
で通用するかどうか、移転できるかどうか試してみかった。さらに、ここで蓄積した経験
は香港・東南アジアの進出に役立つはずである12。」
第二は、中国の南部市域において海爾の洗濯機の市場シェアを高めるためである。海爾
は中国一の総合家電メーカーであるが、海爾の洗濯機は中国の南部では市場シェアはそれ
ほど高くなかった。愛徳洗濯機は中国の南部に位置する広東省順徳市にある。愛徳洗濯機
を海爾の傘下に入れることにより、中国の南部市場を開拓するのに役立つ。
第三は、部品の現地調達である。広東省順徳市は中国家電の生産基地と言われる。洗濯
機部品の 80%は同市から調達することが可能である。
愛徳集団と海爾集団は 1996 年 11 月から交渉を開始し、1997 年 3 月 13 日に契約を締結
した。締結した契約には以下の 3 つのポイントがある。
第一に、愛徳洗濯機の負債は 15744 万元であったが、その債務は愛徳集団によって返済
される。愛徳集団が愛徳洗濯機に投資した金額は 9700 万元であったが、広州市の資産評価
会社によって評価された資産は 4880 万元であった13。
第二に、海爾は 2928 万元(3.5 億円に相当する)で愛徳洗濯機の株式の 60%(4880 万
元の 60%)を取得し、愛徳洗濯機の会社名を順徳海爾に変えた 14。愛徳集団はまだ順徳海
爾の株式の 40%を所有しているが、順徳海爾の経営権は持っていない。順徳海爾の経営権
と人事権は海爾集団がもっている。愛徳集団は順徳海爾の利益配分に参加できるだけであ
る。
第三に、順徳海爾は経営再建のための資金を愛徳集団から借り入れた。海爾は愛徳洗濯
機の株式の 60%を獲得するために、2928 万元を愛徳集団に払った。愛徳集団は 2928 万元
を順徳海爾に貸し、順徳海爾はその資金を使って経営再建にあたった。一年後(1998 年)、
順徳海爾は 2928 万元を愛徳集団に返却した15。
3.海爾による経営革新
(1)海爾から 4 人の経営幹部
1997 年 3 月 13 日、 順徳海爾は設立された。海爾は 4 人の経営幹部を順徳海爾に派遣し
た。彼らは順徳海爾の社長の趙振中氏、副社長の宋春光氏、そして製造部長と財務部長で
ある。
順徳海爾の社長になった趙振中氏は 1940 年に山東省の田舎で生まれた。他の 3 人の経営
幹部も山東省の出身である。山東省は中国長江の北にある。趙氏は北京の大学を卒業して、
四川省にある会社の技術者として、20 年間働いた。その後、山東省青島市にある紅星電器
7
に転職した。紅星電器は 1995 年、経営不振で海爾に吸収合併され、それに伴って、趙氏は
海爾に転職した。そして、その 2 年後の 1997 年、趙氏は順徳海爾の社長に就任したのであ
る。趙氏をはじめ海爾からきた経営幹部の 4 人はいずれも、元は紅星電器の管理者・技術者
であった。
4 人が順徳海爾に経営幹部として赴任する前夜、海爾の CEO である張瑞敏氏は彼らに次
のように言って、注意した。「海爾の経営モデルをそのまま順徳海爾に移せば、失敗するだ
ろう。そのため、海爾の企業文化・経営方式を現地に持ちこむにあたっては、現地の状況と
融合させてほしい16。」
趙氏たちは順徳海爾にきた当日、愛徳集団の予約したホテルに泊まらず、愛徳洗濯機の
粗末な宿泊所に泊まった。その宿泊所は宿泊費が安く、工場の隣にある。彼らは荷物を置
いて、直ちに工場を細かく観察し、生産の回復に取り組み始めた。
その後、趙氏は毎朝 7 時 40 分に仕事を始める。趙氏たちは社員と一緒に社内の食堂で食
事をした。残業もした。副社長の宋氏は 2 ヶ月間、髪をきる時間も無かった。「趙氏は一年
365 日、土日祝日もないくらい仕事をする。毎日工場に行くのは一番早く、工場を離れるの
は一番遅い」順徳海爾の社員はこのように言った17。
中国の北方人(長江の北に住んでいるひとを北方人という)が広東省にくると、一般に
仕事においても、生活においても、三つの困難に遭遇する。
第一は言葉の難しさである。広東語(白話)は中国語(普通語、北京語とも言う)と発
音が異なる18。中国語の発音は四声であるが、広東語は六声である。中国語と広東語は通じ
ない。それは筆者の経験からも分かる。
筆者が 1994 年 7 月、広東省広州市にある国立中山大学に転職した。その際に困ったこと
は市場での買い物であった。販売者は自分が作った農産物を販売する広州の近郊の農民で
あったが、彼らは中国語を話せなかった。「0.5 キロの野菜はいくらであるか」と筆者が中
国語でいっても、農民の販売者には通じない。筆者にとっては、広東語は日本語より難し
かったといえるほどである。
順徳海爾は広東省の順徳市容桂鎮にある。順徳市容桂鎮はもともと田舎であった。中国
の改革・開放に伴い、香港に近い順徳市は、地理的な有利性を存分に享受しながら、地域経
済は短期間に高度成長してきた。しかし、中国語を話せない地元人(元の農民)はまだ、
たくさんいる。順徳海爾の経営者・管理者は中国語を話せるから、彼らあるいは彼女たちと
のコミュニケーションは大丈夫である。しかし、作業者の多くは地元の農民であるため、
中国語を話せない。そのため、海爾からきた経営幹部と地元出身の作業者との直接的な交
流はなかなかうまくいかなかった。
第二は高温多湿の気候である。中国の北方の気候は乾燥であるし、寒い季節が長い。一
方、順徳市の平均気温は高く、雪は降らない。蒸し暑い期間は長い。高温多湿を特徴とす
る亜熱帯海洋気候に中国の北方人は、なかなか慣れることができない。
第三は飲食の問題である。中国では、「食は広州にあり」という言い方がされるにもかか
わらず、北の人は広東料理を毎日食べることはできない。広東料理の主食は米であるが、
北方の主食は小麦粉で作った食品(ラーメン、饅頭、肉饅頭など)である。広東料理にも
小麦粉で作った食品はあるが、広東で販売されている小麦粉は細かく加工したものである。
そして、この小麦粉で作った食品は粘りが弱く、北方人(例えば、山東人)は、この主食
8
をたくさん食べても、すぐお腹が空く。海爾から派遣された副社長の宋氏は、順徳海爾の
創業最初の 3 ヶ月間は、「おなかがぺこぺこだった」という。
趙氏はわれわれに語ってくれた。「私は四川省(中国の内陸)で 20 年間はたらいたこと
がある。四川省の気候も非常に湿気が高いし、主食も米である。そのため、順徳市のよう
な高温多湿の気候は好きではないが、すぐに広東地方の生活に慣れてきた。しかし、宋副
社長は気候と飲食に慣れず、長いあいだ苦労した。しかも、仕事が忙しかったので、創業
当初の三ヶ月間に、彼は 10 キロもやせてしまった。」
愛徳洗濯機の従業員は趙氏たちが広東省の飲食・気候・言葉に慣れていなかったことの
辛さがわかり、また、彼らの仕事に取り組むときの「まじめ」で「無私貢献」の姿を目の
あたりにして、感動した。海爾からきた 4 人の経営幹部の仕事態度は、勤務中に麻雀をし
ていた愛徳洗濯機の経営幹部・管理者とは対照的であった。
(2)生産設備の改善と部品開発
順徳海爾の設立の 10 日後、洗濯機の組立ラインが動いた。一時失業した作業者( 380 人)
は工場に呼び戻された。約 1 ヶ月後、つまり、1997 年 4 月 18 日、順徳海爾は第1号 XQB
−C全自動洗濯機を試作した。同社は同月の 25 日、生産を再開した。同社は 3 ヶ月で生産
を再開すると約束したが、実際には一ヶ月半で生産を再開した。そして、早くも 3 ヶ月目
には、利益を計上できた。更に、同年の末には、順徳海爾の製品の機種は、元の企業から
受け継いだ一つのモデルから 6 モデルに拡大した。趙氏たちは元の企業から引継いだ生産
設備を部分的に改善し、中核部品を自社生産した。
①生産設備の改善
愛徳洗濯機は 1991 年、日本の三洋電機から洗濯機の生産技術と設備を導入した。洗濯機
の生産ラインの概要は図1に示すとおりである。
愛徳洗濯機には洗濯機の生産ラインは一本しかなかった。順徳海爾はその生産ラインを
引継いだ。そして、部分的に改善した。まず、洗濯機の生産ラインと修理ラインを延長し
た。生産ラインを約 20 メートルに延長した理由は、元の生産ラインが短すぎて、生産性が
低かったと繋がった。また、工程の順序を調整したり、重要な工程と品質検査の工程を増
加したためである。次に、生産ラインを床から 20 センチ上に据付けた。作業者が床上 20
センチの所に立って働くことにより、集中力が高くなると考えたからである19。第三に、科
学的管理方法に従い、工程から工程に流れる生産の数量と操作の標準手順を作った。趙氏
は「生産設備の改善のために、合わせて 20 万元を投資した。2 年後、日産台数は過去最高
の 470 台から 1450 台 に増え、500 万元以上の利益をもたらした」と述べた20。
②中核部品の内製化
順徳海爾の設立当初は、洗濯機の部品のうち、洗濯機基板と減速器という主要な部品は
海爾本社から調達していた。また、協力メーカーから部品を調達する場合には、順徳海爾
は一つの部品を少なくとも 2 社から調達して価格や品質を競わせて、不合格の部品を決し
て用いない。
洗濯機の生産台数が一定規模に達してからは、生産を拡大することが難しくなり、売上
高を上げるためには、新しいものを開発しなければならないと、趙氏は考えた。
9
市場の調査によると、洗濯機の故障のうち洗濯機基板を原因とするものが全体の 37%を
占めた。洗濯機基板は全自動洗濯機のコア部品である。洗濯機の技術的な付加価値は洗濯
機基板の技術によってもたらされるといってよい。その洗濯機基板に故障がよく生じてい
たのである。
図1 洗濯機組立の生産ライン
第 5 工程
第 4 工程
第 3 工程
第 2 工程
第 1 工程
第6工程
修理ライン
品質検査
第7工程
第8工程
第n工程
出荷
注
修理ラインベルト
生産ラインベルト
出所:筆者が工場の生産ラインを観察して、作った。
元々、愛徳洗濯機は洗濯機基板を自分のところで作るつもりであったが、洗濯機基板の
品質がよくなくて、生産を中止した。1998 年に、趙氏たちはその設備を利用して、150 万
元を更に投資して、洗濯機基板を開発・生産すると決定した。開発・生産された洗濯機基板
の故障率は 0.01%以内にコントロールされた。この故障率は、外部から調達する洗濯機基
板の故障率の 0.5%よりも大幅に低い。現在では、順徳海爾のなかで 20 種類の洗濯機基板
が生産されている。毎月の生産量は 45 万台である。順徳海爾の洗濯機基板は自社で使用す
る以外に、海爾集団の洗濯機事業部にも販売している。洗濯機基板の開発と大量生産に成
功した結果、順徳海爾の洗濯機のコストは低下し、市場での不良率は大きく下がり、売上
高と利益は大幅に上昇した。
洗濯機基板を作る場合には、プラスチックで密接することが要求された。国内の注塑設
備は、従来は日本から輸入していたが、日本の設備の価格は約 700 万円(約 40-50 万元)
もした。そこで、趙氏は機械原理と電気原理を組み合わせて、自動定量の注塑機を開発し
た。この注塑機の性能は輸入品とほぼ同じであるが、開発費は 2 万元(約 30 万円)だけで
ある21。海爾集団の最高経営責任者である張氏は順徳海爾を視察した際、この注塑設備をみ
て、「順徳海爾は元の企業の生産設備を用いて、世界一流の洗濯機を生産するだけでなく、
生産設備も開発・自製できる。すごい」と感嘆した22。
10
(3)海爾の経営資源の活用
順徳海爾は洗濯機を組立てる海爾集団の製造子会社であり、研究開発部門と販売部門は
ない(図 2 参照)。
図2
順徳海爾の組織構造図
取締役
社長
技術品質部
組立工場
製造部
注塑工場
財務部
鈑金工場
総務部
基板工場
資料出所: 社内の資料により作成
順徳海爾の洗濯機は海爾集団の製品開発本部により開発される。順徳海爾は洗濯機を1
台生産するごとに、15 元から 30 元の開発費を海爾の製品開発本部に支払う。
順徳海爾の洗濯機は、海爾のブランドをつけて、海爾の販売部門(商流推進本部という)
によって販売される。商流推進本部は東北推進事業部、華北推進事業部、華中推進事業部、
華東推進事業部、華南推進事業部、西北推進事業部、西南推進事業部及び海外推進事業部
という 8 つの推進事業部から構成されている。推進事業部の下には 42 の工業貿易公司があ
る。そして、その工業貿易公司の下には、直接の販売チャネル(専売店・販売店)が設置
されている。順徳海爾が中国の南方である広東省順徳市にあるため、順徳海爾の洗濯機は
国内市場では、主に華南推進事業部により販売される。海外市場には、海外推進事業部に
よって輸出される。
順徳海爾は商流推進本部の注文にしたがって洗濯機を組立てる。順徳海爾は契約の納期・
品質・数量・価格を守って、注文された洗濯機を商流推進本部(特に、華南推進事業部と海
外推進事業部)に渡し、販売費を受け取る。順徳海爾の売上高は洗濯機を商流推進本部に
販売すること、及び洗濯機基板を海爾集団の洗濯機事業部に販売することにより計上され
る。海爾集団は順徳海爾の売上高と利益を基準として、順徳海爾と趙氏の業績を評価する。
①商流推進本部への電話が一番長い
順徳海爾の毎月の電話統計によると、華南推進事業部と海外推進事業部への電話が一番
長く、頻繁であった。また中国長江にある南方の8省の各工業貿易公司(広東省、広西省、
湖南省、江西省、福建省、海南省、四川省、安徽省)に電話したり、考察したりする23。
11
毎朝 7 時 40 分に、趙氏は仕事を始める。まず、趙氏は中国長江より南方にある8省の工
業貿易公司における洗濯機の在庫情報と百貨店の販売情報を統計員から入手する。特に、
「何型の洗濯機が良く売れるか、各工業貿易公司は何型の洗濯機をほしがっているか」と
いう情報をえて、生産する洗濯機の種類を調整する24。
「市場の動きを知らないと、何もできない。」これは、趙氏がよく使う言葉である。順徳
海爾は製造だけを行う企業であるが、趙氏は市場とくにエンドユーザーのニーズをとらえ
るために、華南推進事業部とひんぱんに連絡をとってマーケット情報を入手する。
② 獅子舞チームで販売活動を応援
獅子舞は中国の伝統芸能の一つで古くから民衆に愛されている。民間伝承の形で伝わっ
た獅子舞の伝説がある。広東省のある村では毎年の大晦日に「年(ニェン)」という怪物が
現れ、人を傷つけることは無かったが田畑の農作物を食べ散らし、人々を困らせていた。
このニェンは一角で大きな顔、鈴のような目と七色の体でニェンという奇声を発し、風の
ごとく現れては消えていった。この怪物に困った人々は竹と紙で頭、布でニェンとそっく
りの衣装を作り、ニェンの出現と同時に太鼓や銅鑼を鳴らしながら踊ってこの怪物を追っ
払った。それから毎年、大晦日の晩に豊作を祈願し、新年を祝う舞いとして各村々に伝わ
っていった25。
順徳海爾は自社の獅子舞チームを作った。獅子舞チームのメンバーは社内の社員である。
平日は獅子舞チームのメンバーはふつうの社員として各自の仕事をする。土日、祝日にな
ると、趙氏は獅子舞チームをつれて、華南推進事業部の販売活動を応援するために出かけ
て行く。
順徳海爾の獅子舞はスーパーの入り口その他のにぎやかな所で踊る。子供たちは獅子舞
を楽しく見る。踊りの休憩時間に、順徳海爾の技術者は海爾の製品(自社の洗濯機だけで
なく他の製品も)を紹介したり、海爾の製品を使用する顧客にコメントを求めたりする。
趙氏はいう。「中国の洗濯機市場は戦場のようなものである。販売部門は、戦場の前線で
ライバルと戦争する軍隊であるなら、われわれ(製造部門)は戦争の武器を作る後援のチ
ームである。不良品の武器を使っては、販売部門は勝つ可能性がない。また、販売部門が
戦争で失敗したら、われわれが作った武器も売れなくなる。より先進的な武器(製品)を
ライバルより速く販売部門に提供する。さらに、われわれは獅子舞いチームによって、販
売部門の販売促進活動をできる限り応援する26。」
(4)海爾の企業文化
海爾は経営不振の企業など 18 社を吸収合併した。順徳海爾はそのうちの 1 社である。海
爾は企業を吸収合併するときには、海爾の企業文化を元の企業の従業員に教えてきた。海
爾の企業文化は、一元価値観、制度行為文化、物質文化という三層によって構成される 27。
一元価値観は、「世界に通用するブランド」、「高品質への独自な理解」、「人材開発―競馬
経」「先難後易の輸出戦略」などの経営方針として具体化されている。「世界に通用するブ
ランド」は、海爾が 1984 年に創業されたときに企業目標としてあげられた。この「世界に
通用するブランド」や「先難後易の輸出戦略」などの経営方針は、すでに「海爾の高始点
経営」のケースでのべているので、ここでは、「高品質への独自的な理解」及び「人材開発
12
―競馬経」を明らかにしたい28。
①高品質への独自な理解
海爾の「高品質の洗濯機」には、以下の 4 つのことが含まれている。
第一に、洗濯機の品質基準は国家の品質基準より厳しいものを設定し、世界一を狙うこ
とに力をいれている。例えば、全自動洗濯機では、日本の家電企業が全品 5000 回安全に回
ることを確認するのに対して、海爾は全品 7000 回以上安全に回ることを確認してから出荷
するというルールを作った。
第二は、洗濯機の優れた性能である。洗濯機の性能は洗浄力、省エネルギー(水と電気)、
騒音などの指標から測定できる。例えば 5kg のドラム式洗濯機に関して海爾の水の使用量
は 42.3 リットルであることに対照して、ドイツ系企業、Bosch-Siemens は 84.2 リットル
で、中国の大手洗濯機企業、小天鵞は 99.7 リットルである。また、5kg の渦巻式洗濯機に
関して、海爾は水の使用量は 66.8 リットルであることに対照して、日系企業松下電器は
125.9 リットル、小天鵞は 167.5 リットルである29。
第三は、顧客の個性的なニーズに対応できることである。90 年代前半には、中国の洗濯
機市場は二槽式から全自動洗濯機への転換の最中であり、全自動洗濯機が良く売れた。90
年代後半になると、全自動洗濯機の市場は供給過剰となった。そのために顧客の個性的な
ニーズに合う洗濯機が良く売れるようになった。多くのモデルの洗濯機を開発・製造する
能力がないと、顧客の個性化のニーズに応じられない。
第四は、製品が高品質であるか否かを決めるのは顧客の満足度であるという考え方であ
る。「高品質の製品」は製品の性能が世界一であることとイコールではない。顧客の満足度
が世界一であることとイコールであるとした。海爾は「優れた性能」と「個性化」と「優
質なサービス」の三つで顧客のニーズに対応し、顧客満足度を最高レベルにあげる考えで
ある。
海爾の従業員の品質意識は元の企業(愛徳洗濯機)の従業員がもっていた品質意識とま
ったく違う。海爾流の品質意識をどのように元の従業員に教えるか。趙氏は具体例を探し
て、それを漫画に表現して、元の企業の従業員の品質意識を海爾のレベルに引き上げるこ
とにする。漫画を利用するのは、海爾のやり方である。
順徳海爾は海爾集団企業文化センター編集した『海爾企業文化手帳』を全員に配った。
海爾本社で作成された漫画を取り寄せて順徳海爾の工場と事務室の壁にはって、全員に議
論させながら、海爾の品質意識を教える。さらに、順徳海爾の従業員にも漫画を作らせた。
順徳海爾では社員が漫画を一枚作ると、10 元を賞金として出した。その漫画が優秀な作品
と認められ、工場や事務室の壁に貼られると、30 元の賞金をもらう。また、海爾本社で、
漫画を定期的に評定して、順徳海爾の作った漫画が優秀賞に選ばれると、順徳海爾は賞金
をその漫画の作者にあたえる。当然、優秀賞を受けた漫画は海爾集団に流れる。漫画作者
の従業員にとって、それは精神的に大きいモチベーションとなる。
例えば、先の「高品質の製品」にかんしては、次ページの最初のような漫画が工場の壁
に貼られている30。
さらに市場のニーズが違えば、販売する製品も変化しなければならないことを説明する
のに、その下のような漫画を貼っている。毎年 2 月 14 日はバレンタインデーである。中国
13
の男性はバラを恋人・妻に送り、愛を告白する。そのため、毎年 2 月 14 日になると、バラ
の価格は急に高くなる。平日の 3 倍−10 倍になる。極端にいうと、99 元、999 元のバラも
売れる。なお、9は中国では良い数字であるので、バラと良い数字を重ねるのである。一
方、水仙の花は春節を迎える時に、家に飾る。以下の漫画では、2 月 14 日になると、バラ
を販売する店では、顧客が並んでいるが、水仙を販売する店では、顧客がない。つまり、2
月 14 日に、バラを売ることは市場のニーズに適合していることを意味する31。
②人材開発―競馬経
14
海爾の人材開発・人事管理の特徴は「競馬経」である。
海爾の競馬経の話をするためには、中国の「伯楽相馬経」を説明しなければならない。
中国の伝説では、「伯楽」とは馬の言葉にも精通する人物である。伯楽は馬の赤ちゃんを観
察して、良馬と悪馬を直ちに判断することができる。そして、良馬を「千里馬」に訓練す
る。現在の中国では、この伯楽は、才能の優れた人を判断して開発・育成する人をたとえ
る場合に用いられる。千里馬とは 1 日に千里も走ると言う名馬の意味である。現在では、
才能の優れた人をたとえる場合に用いられる。
伯楽と千里馬の関係に関して、中国の唐代詩人の韓愈は「世有伯楽、然後有千里馬。千
里馬常有。而伯楽不常有」と述べた(韓愈の『雑説』)。その意味はつぎのとおりである。
世の中の千里馬を発見して育成するのは伯楽である。ただ、伯楽が少ないので、千里馬で
も、世の中になかなか発見されない。
中国では、伯楽、千里馬の言葉は企業の人材開発・人事管理によく応用される。その際
には、伯楽はトップ経営者・人事幹部を意味し、千里馬は有望な人材の比喩として用いら
れる。
多数の中国企業は伯楽相馬の方式で人材開発・人事管理を行っている。即ち、企業の人事
部門は企業発展のために、従業員を観察・評価・判断し(良馬か、悪馬か)て配置・育成
しているのである。愛徳洗濯機は郷鎮企業であった。郷鎮企業は同郷・同族経営といった
特徴がある。即ち、人脈関係を持つ同郷あるいは同族の人々は千里馬として評価され、マ
ネジャーに任命される。
この伯楽相馬式の人材開発・人事管理こそ中国企業の発展を阻害したと、海爾の経営者と
人事部の管理者は考えている。企業の経営者も人事部の幹部にも認識の限界があり、人材
の判断に際しては、独断と偏見がある程度は含まれている。そのため、海爾は競馬式の人
材開発・人事管理を主張する。海爾では誰でも人材であるから、人材の優劣を判断して配置・
育成するのではなく(伯楽相馬ではなく)、公平・公正の原則に従い、競馬ルール(競争規
則)を社員に公開する。その社員が千里馬であるか、千里馬でないかは、競馬場で走らせ
ると、すぐ判断できる。海爾は伯楽相馬経の人事でなく、競馬経の人事によって、経営幹
部・人事部幹部の主観性と一面性を最大限に避けることができる32。
海爾は競馬により、千里馬を発見して、そして、企業の未来を千里馬に任せる。千里馬
が権利と責任を持って、各自の分野の事業を展開する。千里馬を監督するかどうかについ
て、中国の古代では「用人不疑、疑人不用」(その人を使うのなら疑うな、疑うなら使うな)
の人事思想があった。即ち、企業の未来を千里馬に任せるのなら、疑うな、疑うなら使う
な、ということである。
海爾は、「用人不疑、疑人不用」の人事思想は市場経済の原理に逆らうと考えている。千
里馬の自律性の育成を重視しながら、他方で千里馬の行動を監督しなければならない 33。作
業者が受け取る給料の金額は作業の成績にもとづいて決められる。また、管理者や経営幹
部も、業績を査定し、その評価にもとづいて成績のよいひとは昇進させ、他方、成績の悪
い者は降格させる。
順徳海爾の競馬経の人事制度は元の企業・愛徳洗濯機の伯楽相馬経の人事制度とまった
く異なっているのである。趙氏は次の漫画で、海爾の「競馬経」を説明する。
15
4.OEC 管理
(1) OEC 管理の内容
OEC 管理(Overall Every Control and Clear)とは、「日事日卒、日清日高」(「日日清、
日日高」とも言う)である。即ち、今日のことは今日中に解決し、毎日出てくる問題の原
因と責任の所在を調べて瞬時に処理することである。日々足りないところを改善し、質的
にも量的にも更に向上させる。毎日 1%改善すると、70 日後には元の 2 倍のレベルに達し
ている。OEC 管理は日々反省を促し、問題を検討させることで、企業と従業員のレベルを
向上させる。OEC 管理は 1995 年 2 月 21 日、中国企業管理協会から「国家級企業管理現代
創新1等賞」を受賞した。それは海爾が中国では、最高の経営レベルにあることを意味し
ている。そして、それをきっかけに、OEC 管理は社外から注目され、海爾の「鎮山宝」(海
爾の成功の基本要因)と言われるようになった。
OEC 管理は「企業目標」、「日清管理」及び「インセンティブ・メカニズム」からなる。
①企業目標
企業目標とは企業発展の方向及びその方針である。海爾は企業目標の設定に際して、総
目標を部門ごとの目標に分解し、さらに、部門ごとの目標を 1 人ずつの具体的な目標に分
解する。目標の分解は個人単位にまで行われ、しかもそれは具体的かつ定量的である。例
えば、冷蔵庫工場と事務室及び材料倉庫には 2964 枚のガラスがある。その1枚1枚につい
て誰が責任をもって掃除するのかが決められている。また、冷蔵庫の組立は 156 工程・545
作業に分解されており、その作業標準と動作、個人の責任と賞罰が『品質価値手帳』に明
確に規定される。そして、『品質価値手帳』は管理者と作業者の個々人に公開される。その
ため、海爾の管理者から作業者までの全員が毎日、何をやるべきか、どのような基準に従
い、どの程度までやるのか、どの給料と賞罰を受けるのかなどを、事前に理解することが
できる。
②日清管理
16
日清管理とは毎日、設定した目標に従い、企業のモノ・コトを全方位的にコントロール
して整理することである。
日清管理の方法は日々の設定目標と照らし合わせて、従業員が毎日、自己反省した上で、
その反省の結果がチェックされて、公開されるものである。「中国企業の生産管理において、
一番厄介なことは、どんなルール、制度が実施されても、三カ月もするとだんだんマンネ
リ化してくることであった。たとえば、机をきれいに拭くのは簡単な仕事であり、だれで
もできることである。ところが、中国の工場では、今日はきれいに拭く、明日はちょっと
きれいにする、あさっては拭かないということが往々にして見られるのである。易しいこ
とを毎日きちんとやることは、中国の生産管理の難題である」と張氏は述べた。海爾は日
清管理により、中国の工場管理のマンネリ化を克服する。日清管理は毎日、作業者をコン
トロールするだけではなく、管理者をもコントロールする。
具体的には、日清管理は以下の通りである。
第一は「作業者日清」である。作業者は毎日仕事が終わってから、生産数量、品質、消
耗品、金型、安全、文明生産(作業者の躾)、労働規律の 7 項目を点検するする。点検の結
果と当日給料を 3E カード(Everyone、Everything 、Everyday の略称である)に記入し
て班長に渡す。そして、作業者は作業場所を掃除して退社する。一般的には、作業者は勤
務時間外を使って、3E カードを記入したり作業場所を掃除したりする。班長も勤務時間外
に、作業者の 3E カードをチェックする。そして、生産ラインの作業者全員の給料(日給)
を個人別に掲示板に示す。
第二は「管理者日清」である。現場管理者は毎日、2 時間に1回、生産ラインと工場現場
を回りながら、監督する。生産現場で、何も問題が生じていないときは「問題なし」を工
場の「日清欄」に記入する。問題が起きると、それがいかなる問題であるか、そしてその
問題をどのように処理したかを日清欄に記入する。日清欄とは、掲示板に、管理者が生産
ラインに関して、どのようなコントロールを行ったかを定時に記入するものである。そし
て、日清欄に、「問題なし」が連続 3 回書かれると、管理者は現場の目標が低いと判断され、
目標度を上げなければならない。海爾の日々の生産・品質管理のプロセスでは、いろいろ
な問題が必ずたくさん出ている。「問題なし」は、それら多くの問題を隠蔽しているかまた
は目標値が低いとみなされる。現場の管理者には生産・品質管理の問題を積極的に発見し
て解決することが要求される。
また、現場管理者が生産ラインを監督する場合には、赤色と黄色の品質管理価値券を使
用いて、瞬間管理する。赤色券はプラス評価、黄色券はマイナス評価を表わしている。品
質管理価値券は、赤色、黄色とも 2 枚つづりである。1枚は査定された作業者に渡し、も
う1枚は労使課に提出する。月末になると、労使課は作業者の品質管理価値券をまとめて
財務課に渡す。そして、財務課は各作業者の 3E カード及び品質管理価値券に従い、集計し
た給料を作業者に配る。作 業者も各自で 3E カードと品質管理価値券を集計し、当月分の自
分の給料をチェックする。作業者が当月分の給料に何か疑問や、不公平を感じるなら、上
級職位に訴えることができる。更に、現場管理者は毎日、生産ラインの運行状況を整理・
分析する。そして、問題点がどこにあるのか、責任者がだれであるのか、どのように解決
と改善をすすめるのかを、「管理者の日清表」に記入し、上司に毎日報告する。
第三は、上級部門が定期的或いは不定期的に、作業者日清と管理者日清をチェックする
17
ことである。海爾集団の経営幹部及び職能部門は不定期的な審査を行う。海爾のトップ経
営陣は工場現場を不定期的に回る。生産ラインの掲示板「日清欄」を審査したり、工場現
場の作業者のやり方を観察したりする。一方、職能部門は毎月何回か、工場現場の作業者
日清表と管理者日清表を定期的に審査する。
③インセンティブ・メカニズム
海爾は日清管理で、企業のモノ・コトをコントロールする。そして、インセンティブ・メ
カニズムで、従業員のやる気を引き出す。海爾のインセンティブ・メカニズムの最大の特徴
は瞬間賞罰である。海爾はプラス・インセンティブでも、マイナス・インセンティブでも、
動機づけが遅れれば、従業員の印象が薄くなり、インセンティブの効果が低くなると考え
る。その意味で瞬間賞罰は非常に有効な管理方法である。
まずは作業者の動機づけを説明する。
第一に、海爾は作業者を毎日査定する。作業者 3E カードに従い、「最高作業者」と「最
低作業者」を毎日査定する。そして、連続して3日間「最高作業者」に査定された場合に
は、その作業者は勤務時間外に「 6S マーク」(あとで紹介する)に立ち、自身の経験を紹介
する。そして、一ヶ月間のうちで「最高作業者」の評価の数が一番多かった作業者は当月
の優秀作業者と評価される。逆に、一ヶ月間の「最低作業者」の評価の数が一番多かった
作業者は当月の試用作業者と評価される。海爾は作業者 3E カードに従って、作業者を「優
秀作業者」、「合格作業者」、「試用作業者」の3段階に評価する。優秀作業者に評価される
と、社員福祉、職業訓練などの優先権を享受できる。また、試用作業者に評価されると、
仕事の改善をしないと解雇される。最後に、生産現場に張り出される「日清欄」には各作
業者の働きぶりが示されている。優秀作業者には赤い丸のにっこりマーク、合格作業者に
はミドリのマーク、試用作業者には黄色いしかめっつらマークが付される。
第二に、作業者は管理者に昇進できる。海爾は毎月、経営幹部・管理者の査定を行い、成
績のいちばん悪い下から5%の経営幹部・管理者を淘汰(降格)している。その淘汰された
管理者のポストと、新しい分野への事業展開で新設される管理者のポストに就く者は、社
内公募に基づき、競争入札(中国語、競聘)により決まる。毎月、公募する管理者のポス
トを掲示板に公示する。これには、管理者のみならず、作業者にも募集の資格がある。例
えば、1988 年、457 名の大卒者が海爾集団に入社した。その中で、450 名が管理者として
採用されたが、7 名は管理者としては採用されずに、作業者に格下げされて採用された。な
お、中国の慣例では、大卒者は管理者として採用される。他方、50 名の作業者が管理者に
格上げされた34。また、順徳海爾には、計画設備管理部門の管理者、郭小華は、もとは注塑
工場の保全工であった。競争入札により、設備管理者になった。海爾は管理者に昇進する
チャンスをすべての作業者に提供している。順徳海爾の 4−5 年間に、淘汰されたミドルマ
ネジャーは 5 人であった35。
第三に、海爾賞、海爾希望賞、作業員の合理化賞、この他にも、発明・創造に作業者の名
前を付けるなど、精神的なモチベーションを高めている。
第四に、生産ラインは「普通班」、「再審査なし班」、「自主管理班」、「自主創造班」の4
つに分けられている。そして、もし「再審査なし班」と評価されたら、工場長はその生産
ラインを毎日審査しなくてよく、定期的にチェックすればよい。「自主管理班」と評価され
18
たら、審査をうける必要がなくなり、生産ラインのモデルになる。自主管理のもと、イノ
ベーション精神を持つという「自主創造班」と評価されたら、それは、本社の最高レベル
の生産ラインである。自主創造班は本社の最高経営責任者(総裁)の表彰を受ける。
次に、管理者の動機づけを説明する。
OEC 管理は作業者の査定だけでなく、経営幹部・管理者の査定も行っている。海爾は経営
幹部・管理者を「A」,「B」,「C」,「D」,「E」の 5 段階に分けている。「A」と評定された
経営幹部・管理者は給料が一番高い。経営幹部・管理者の査定も、公開され、透明に行われ
ている。海爾では作業者よりも、経営幹部・管理者の査定が厳しいと言われている。
まず、経営幹部・管理者の「評価欄」を社内の掲示板に設けている。評価欄には、「表彰
欄」と「批判欄」がある。表彰でも、批判でも、名前、事実、賞罰がはっきりと書かれて
いる。例えば、われわれが 1999 年 12 月、海爾を初めて調査したとき、食堂前の右側の掲
示板に、経営幹部・管理者の評価欄を見た。「冷蔵庫の副工場長×××が午前中に、工場の
隅でたばこを吸っていたため、企業ルールの×条通り、給料が一級下げられ、100 元の罰金
が課せられた」といったことがそこには書かれていた。人事資源センターの王融民部長は
掲示板の「批判欄」の前で、「日本に帰ったら、日本の大手企業でも、経営幹部・管理者を
対象にこのような公開監督・公開批判・瞬間賞罰を行なっているかどうかを調べてほしい」
と私に言った。彼の知っている範囲では、日本では、このような厳しい監督・瞬間管理は
行われていないということであった。「貴方は批判されたことがありますか」と人事資源セ
ンター研修部の部長にたずねると、「もちろんあります。前日に本社から受け取った書類を
忙しくて、翌日に配ったので、すぐに批判されました」と答えた。「批判欄に自分の名前を
見て、どのような気持ちですか」とたずねると、「ちょっとね、でも、慣れました。これに
よって反省し、もう二度と同じようなことをしません」と彼は答えた。
二つ目は 80:20 経営原則である。海爾では、問題が発見された場合、その問題の責任の
80%は経営幹部・管理者にあり、残り 20%は作業者にあるという原則を作っている。それ
は社内のトラブルを解決する基準でもある。
例えば、1995 年に、海爾は経営不振の紅星電器を吸収合併した。柴永森は社長として就
任してまもなく、直すべき洗濯機は早く修理するようにとミドルの管理者に要求したが、
紅星電器のミドル管理者は期限を越えても、その作業を完遂しなかった。そこで、柴氏は
自分に 500 元の罰金を課した。また、検査員の範平は、間違った所にプラグが挿入されて
いることをチェックしなかった。そして、範平が 50 元のペナルティーを課せられたのに対
し、範平の上司である品質管理の責任者は自分に 300 元のペナルティーを課したうえで、
書類でも反省することになった。
三つ目は毎月 8 日は海爾の経営幹部にとって、大切な日である。海爾の総裁は各事業本
部の本部長や職能部の本部長たちと「集団会議」を行う。集団会議では、海爾の総裁は本
社の経営戦略と方針を伝えると同時に、業績のよい部門及び業績のよくない部門を公開し
て表彰或いは批判する。さらに、関連部の部長を表彰或いは批判する。例えば、2000 年 4
月 8 日、順徳海爾は国内外の市場を積極的に開拓した結果、毎月の売上が本社よりも速い
スピードで伸びたので、順徳海爾及び趙振中社長は総裁の表彰を受けた。それとは対照的
に、小型電器本部である×××本部長は海爾の経営戦略の理解が不十分だった。そして、
その結果、市場目標の実現度が予想よりも大幅に下回ったため、総裁の書面の批判を受け
19
た36。
集団会議では、良い事例(本部、事業部)が無ければ、表彰しなくてもいい。しかし、
良くない事例(本部、事業部)を毎月1つは発見しなければならない。これが集団会議の
ルールである。このように、海爾は業績の表彰より、問題の発見を重視する雰囲気を社内
で作ってきた。海爾のトップの経営者層が最も嫌がる言葉は「今日は問題なし」である。「問
題なし」は、実はたくさん問題を隠蔽していると考えられている。
海爾では本部長に対する批判は口頭の批判と書面の批判に分けられる。集団会議で1年
に 3 回、書面の批判を受けた本部長は、降格しなければならない。そして、その空いたポ
ストは競争入札によって決まる。集団会議の翌日の毎月 9 日、各本部長は集団会議の内容
を本部の事業部長と課長に伝える。そこでも、集団会議と同じような方法で、業績の良い
部門と悪い部門を 1 例ずつ探して、公に表彰或いは批判する。
四つ目は社内新聞によるモニタリング機能である。海爾本社には、『海爾人』(週刊)と
いう社内新聞がある。『海爾人』の第2版からは、「仕事研究欄」が設けられ、そこでは海
爾の本部長と事業部長を時々公に批判する。以下の内容からも、厳しい批判の雰囲気がわ
かる。
2000 年 5 月 31 の『海爾人』の「仕事研究欄」には「索賠喩子達」(喩子達に賠償を求め
る)のタイトルの文章が載せられた37。社内の記者が事実・議論・期待の三つの部分にわけ
て以下のように報道した。
海爾集団のある部門が情報製品本部の電子事業部から 34 インチカラー・テレビを購入し
たときに次のような問題が生じた。電子事業部のセールスマンは土曜日に、カラー・テレビ
を渡すという約束を購入者と締結した。しかし、次週の月曜日になって、注文のカラー・テ
レビをようやく出荷した。電子事業部のセールスマンは「サービス員が訓練を受けなけれ
ばならず、月曜日には配達できないので、カラーテレビを取りに来てください」と購入者
に要請した。社内の記者は次ぎのように書いた。「情報製品本部の本部長である喩子達はこ
の事実をご存知であろうか。知らなければ、情報製品本部には、このような問題がたくさ
ん隠れているかもしれない。‘無料配達’は海爾が提供するサービスの一つであり、海爾の
競争の武器である。なぜ、社内の顧客には配達しなかったか。また、海爾で実施されてい
る市場連鎖(後述)によると、従業員は不合格のサービス(製品)を次の工程に提供すれ
ば、次の工程の作業者から賠償を求められる。この市場連鎖の考え方に基づいて情報製品
本部の最高責任者である喩子達本部長に賠償を求めたい」。そして、文章の最後では、「喩
子達は市場連鎖を深く理解して、顧客(社内の顧客を含める)の意見を良く聞き、電子事
業部の仕事を改善することを期待したい」と書いた。
2000 年 6 月 28 日の『海爾人』の「仕事研究欄」には、喩子達の文章が載せられていた。
喩氏は海爾の市場連鎖の考えを十分には理解していなかったこと、その後、よく理解して、
これまでの行為をどのように改善するかを報告している。これも海爾のルールである。批
判された経営幹部は仕事の反省と改善結果を公に報告する。
海爾の各事業本部は海爾本社を真似して、事業本部ごとの新聞も作っている。例えば海
爾洗濯機本部の『毎週報道』(週刊)がある。その新聞では洗濯機事業本部のミドル管理者
を時々公に批判する。
(2) OEC 管理の導入
20
これまで、海爾は 18 社の経営不振企業を吸収合併した。海爾は自社の企業文化と OEC
管理を合併した企業に導入しながら、経営再建をはかる。しかしながら、趙氏は順徳海爾
の再建の初期には、OEC 管理を導入しなかった。趙氏はいう。「われわれはもともと経営不
振で海爾に吸収合併された企業の管理者・技術者であったため、海爾に吸収合併された従業
員の気持ちをよく理解できる。特に、経営不振の企業の経営幹部は引け目を感じると同時
に、派遣された経営幹部に抵抗感を持つ。OEC 管理は複雑な管理方法ではない。しかし、
愛徳洗濯機の経営幹部・管理者の協力がなければ、いきなり OEC 管理を導入してもよい効
果を得られない38。」
順徳海爾を設立してから三ヶ月間は、趙氏たちは生産を軌道に乗せるために、海爾の「三
検」品質管理を順徳海爾に導入した。「三検」品質管理とは、作業者が自己の担当する工程
を検査し、作業者の間でお互いに検査し、品質検査係が最終検査をすることである。この
三検に従い、順徳海爾の生産・品質管理は①各作業者が自分の担当する工程をチェックする
こと、②次の工程の作業者が前の工程の作業をチェックすること、③品質管理係が完成品
をチェックする仕組みとなった。
順徳海爾の日産台数が過去の最高記録(470 台)を超えて、500 台に達してから、趙氏は
OEC 管理を順徳海爾の経営者・管理者に少しずつ説明し始めた。その時点では、愛徳洗濯
機の経営者・管理者は海爾から派遣された経営幹部に対する抵抗感を軽減していて、信頼感
を抱き始めていた。趙氏は海爾の OEC 管理の導入に際して、次の 2 点を従業員に約束した。
第一に、OEC 管理の導入により、順徳海爾の日産台数は 470 より大幅にあげることができ
る。第二に、過去の最高日産台数(470 台)を更新すれば、従業員を表彰する。
OEC 管理は企業目標、日清管理、インセンティブ・メカニズムからなる。順徳海爾の企業
目標は海爾集団の目標に従い、策定したものである。
1998 年の順徳海爾の企業目標は、高品質の洗濯機の組立であった。具体的には、中国の
品質認証と ISO9001 認証を受けることである。
1999 年の順徳海爾の企業目標は、海爾の「先難後易」の輸出原則に従い、先進国の市場
に輸出することに取り組む。「先難後易」の輸出とは、輸出を始める時には、まず、難しい
市場への輸出を先にして、その後、易しい市場に輸出するというやり方である。つまり、
輸出を開始するにあたり、先進国市場への参入を中心に事業を展開するのである。そして、
先進国市場でブランドパワーを持つことで、発展途上国市場への進出が易しくなるのであ
る。順徳海爾の洗濯機は 1999 年 3 月、アメリカ市場への進出に成功した。その結果、発展
途上国への輸出は易しくなった。現在、順徳海爾の洗濯機は海爾ブランドで 56 カ国に輸出
している。
2000 年の順徳海爾の企業目標は、国際市場を更に開拓すると共に、顧客の個性化のニー
ズに応じることである。
(3)日清管理
1997 年 6 月ごろ、順徳海爾は海爾の OEC 管理の導入を開始する。順徳海爾は企業目標
を従業員の個人単位にまで分解して、個人目標を設定する。順徳海爾の日清管理は、設定
した個人目標に従い、企業のモノ・コトをコントロールする。具体的には、日清管理は「作
業者日清」と「管理者日清」からなる。2001 年の順徳海爾の従業員は 415 人である。その
21
中には、47 人の経営幹部・管理者( 13 人の技術者を含める)と 368 人の作業者がいる。368
人の作業者は「作業者日清」を通じて査定される。47 人の経営幹部・管理者は「管理者日清」
を通じて査定する。
①作業者日清
順徳海爾は海爾の OEC 管理の「作業者日清」を参照して、「順徳海爾作業者 3E カード」
を作成した(表3参照)。それは毎日の計画生産数量、実際生産数量、作業単価、他の賞罰
からなる。表3の作業単価は作業の難易度により異なる。また、瞬間賞罰では、7 つの指標
(生産量、品質、消耗品、金型、安全、文明生産、労働紀律)を参照して、表 3 のように
設定された。作業者は生産数量と各賞罰を勤務時間外に毎日まとめて、班長に報告する。
そして、作業場所を掃除して帰宅する。作業者は掃除に約 10 分かける。班長は生産ライン
の作業者の給料を計算した結果を作業者の 3E カードに記入する。そして、工場長に報告す
る。工場長は作業者 3E カードをチェックしてサインする。作業者の月給は作業者 3E カー
ドに基づき、日給を合計して計算される。計算方法は作業者の日給=出来高給±瞬間賞罰
である。
例えば、作業者である李の仕事は洗濯機のプラスチックの外殻を据付けることである。
作業単価は 0.035 元である(ここでは作業単価として順徳海爾の平均単価を使用)。李のあ
る日の生産数量は 1500 台であった。そして、その中から不良品 1 台がチェックされた。李
は不良品 1 個につき、作業単価の 10 倍の罰金を課せられる。また、李は 1501 枚の洗濯機
のプラスチック外殻を使用した。1枚は消耗品(無駄にした部品・材料)として確認され
た。李はその 1 枚の消耗品が調達部品の品質問題であるのか、それとも作業者の不良操作
であるのかを明らかにして班長に報告する。作業者の不良手順で損失を企業に与えた場合
には、1枚 5 元の罰金と仮定すれば、班長は李の 3E カードの消耗品欄に、5 元を記入する。
「作業者の日給=出来高給±瞬間賞罰」の計算公式に従って、李の出来高給は「1500×
0.035」で 52.5 元となった。李の瞬間賞罰(いまの場合は罰)は「0.035×10+5」で 5.35
元となった。つまり、李の日給は「52.5‐5.35」で 47.15 元となる。
順徳海爾は不良品を中心にチェックすることに加え、消耗品についても重点的にチェッ
クすることを作業者に要求した。
消耗品が重点的にチェックされる理由は以下の2点である。まず、順徳海爾の洗濯機は、
部品の 80%以上を協力メーカーから調達している。従来は、愛徳洗濯機は人脈関係のある
協力メーカーから不良部品でも調達していたため、洗濯機には品質のばらつきがあった。
そこで、順徳海爾は同じ部品の調達は少なくとも、2社の協力メーカーを競争させて、よ
い品質で安い部品を調達するようにした。さらに、順徳海爾は調達した部品のチェックを
厳しくする。先の例でいうならば、李の消耗品の 1 枚は調達部品の品質問題であるのか、
李の不良作業であるのかのいずれかを区別する必要がある。李の不良作業であるなら、李
の作業方法を検討して、改善する。これによって、製品のコストを下げるだけでなく、消
耗品の無駄も減少できる。調達部品の品質問題であれば、不良部品を調達する従業員に責
任を追求する。
表3 順徳海爾の作業者 3E カード
22
氏名:
日
項目
日生産計画量
日実際生産量
作業単価
消耗品
品質
瞬 社会から
間 のフィッ
賞 トバック
罰 労働紀律
設備
安全
現場管理
他の賞罰
計算給料
班 審査
長 当日評価
部門:
27 28
班組:
29 30
31
ポスト:
1
2
・・・・・ 24
25
26
合計
注:このカードは作業者の給料の計算根拠となる。
資料出所:順徳海爾の内部資料
②管理者の日清管理
順徳海爾は海爾本社の OEC 管理に基づき、管理者日清表を作成した。順徳海爾の現場管
理者は日常仕事、問題管理、創造性という三つの指標から、毎日の仕事を展開する(表 4
参照)。
現場管理者は 2 時間に1回、生産ラインと工場現場を巡回しながら、5W3H1S に従い、
監督する。生産ラインの運行状況を点検し、分析する。問題点がどこにあるのか、責任者
がだれであるのか、どのように解決と改善をするのか、これらの検査結果を「日清欄」」に
記入する。その日清欄は掲示板に定時に公示される。
5W3H1S とは以下の内容である。
What どんな問題か
Where 問題はどこにあったか
When 問題はいつ起こったか
Who
責任者は誰か
Why
なぜ、この問題が起こったか
How much 同じ種類の問題は他の所にもあるか
How much cost この問題が企業にもたらす損失はいくらか
How
どのように問題を解決したか
Safety 問題を解決した後、安全確認が必要である
23
そして、管理者は当日の仕事を点検整理した結果を管理者日清表に記入して、上司に報
告する。
表4 順徳海爾の管理者日清表
ポスト:
項目
日常仕事
責任人:
給料の比率
25%
問題管理
60%
創造性
15%
自己審査:
評価:
年月日:
仕事の完成状況
年
月
日
上司の意見
サイン:
資料出所:順徳海爾の提供内部資料。
③日清管理の三つの段階
日清管理は三つの段階からなる。
第一段階は「作業前」と「作業中」である
ⅰ.班組会を行う。順徳海爾の生産ラインには作業者が朝の 8:00 から出勤する。そして、
毎日、勤務時間前の 5 分―10 分間、班長は当日の仕事目標と注意事項を作業者に説明する。
ⅱ.作業者は当日の目標通り作業する。現場管理者は 5W3H1S に従い、瞬間にコント
ロールする。
ⅲ.「日清欄」の記入。現場管理者は 2 時間に1回、生産現場を見回り、監督する。そし
て、問題なし或いは起こった問題とその処理結果を日清欄に記入する。連続して 3 回「問
題なし」が続くと、それは現場の目標が低いことを意味するため、管理者は管理の目標度
をあげなければならない。
第二段階は「作業後」である
ⅳ.作業者と管理者の自己審査。勤務時間が終了してから、すべての作業者は当日の仕
事をまとめて、その結果を班長に報告する。班長はその結果をそれぞれの作業者 3E カード
に記入する。順徳海爾の作業者は午後 6:30 まで勤務する。たまに、作業者は夜 8:00 まで残
業することもある。勤務時間の終了後、作業者は約 10 分かけて、職場を掃除して帰宅する。
班長は作業者の記入にもとづいて 3E カードに記入して、サインする。そして、工場長に渡
24
す現場管理者は生産ラインを点検監督した結果を管理者日清表に記入し、課長に渡す。
ⅴ.工場長の審査。その日の内に、工場長は各班長の作業者3E カードをチェックし、サ
インする。
ⅵ.工場長、製造部長、正副社長の日清会。毎日午後 4 時ごろ、40 分くらいをかけて工
場長、製造部長、正副社長が日清会を行う。日清会には、当日起こった問題とその解決の
方法などを議論する。彼らの勤務時間は平均して朝の 7:30 から夜の 8:00 までである。
第三段階は、反省・改善である。
ⅶ.各職能部門は管理者日清及び作業者日清で指摘されている問題を分類・分析して、
管理制度を反省し、改善する。そして、次の目標を設定する際の根拠とする。
④6S マーク
6S 運動とは、日本の 5S 運動に安全(Safe)を加えたもので、整理、整頓、掃除、清潔、
躾、安全(中国語は整理、整頓、清掃、清潔、素養、安全)からなる。従業員の仕事が安
全性を前提に行われなければならないことを強調するために、日本の 5S に安全を加えた。
海爾は生産現場の管理を強化するために、6S 運動の普及に力を入れている。そして、工場
現場の目立つところの地面には、「6S マーク」が設けられている。つぎに示す 6S マークは
アメリカの海爾工場のものである。
「6S マーク」の大きさは 60 センチ四方の四角形である。その周辺には赤色、真ん中に
は、緑色の足跡が描かれている。緑色の足跡に立つと、足の下に赤い 6S の漢字(整理、整
頓、清掃、清潔、素養、安全)が見える。
順徳海爾の工場現場にも、上の写真のような「6S マーク」が設けられている。毎日勤務
時間の 5―10 分前に、班長が 6S マークに立ち、当日の仕事の目標と注意事項(特に、昨日
に起こった品質問題)を説明する。作業者は 6S マークに向け、横並びの例を作って、班長
の説明を聞く。海爾本社では作業者 3E カードに従い、3 日間連続的して最高に査定された
作業者は 6S マークに立ち、自分の経験を紹介した。また、3日間連続して最低の評価を受
けた者は、6S マークに立って反省した。しかし、1998 年からは、3 日間連続的して最高に
査定された作業者が 6S マークに立ち、良い経験を紹介することは続いているが、最低に査
定された作業者が 6Sマークに立って反省することは、なくなっている。
25
「広東省順徳市は経済発展が進んでいる地域である。経済発展と生活・教育レベルの向上
につれて、従業員の質が上がった。プラス・インセンティブで従業員の力を引き出すほう
がよい」これが趙氏の考え方である。そのため、プラス・インセンティブを中心に、従業
員を動機づける。例えば、3 日間連続して最高評価の作業者は 6S マークに立ち、自分の良
い経験をみんなに紹介する。しかし、3 日間連続して最低に評価された作業者は、みんなの
前で反省させるのでなく、個人別に批判して、教育する。それにもかかわらず、6S マーク
を順徳海爾に導入した当初、作業員たちはそのやり方に熱心でなかった。これに対して、
順徳海爾は事前に指導し、良い経験を 6S マークでみんなに紹介するように作業者を動機づ
けた。6S マークに立って自分の経験を紹介しなかった作業者は、優秀作業者になる資格を
除くというやり方を実践した。その後、作業者達は 6S マークに立って、良い経験を紹介す
ることに慣れて、熱心に話をするようになった。
5. 市場連鎖の内容
海爾の市場連鎖(中国語は「市場鏈」、以下、日本語の市場連鎖の言葉を使う)とは、企業
外部の市場競争と市場取引の関係を企業に内部化することである。つまり、マーケティン
グ、アフターサービス、製品開発、仕入、製造などのプロセスを、市場構造と同様に見立
てる考え方である。工場のなかの作業でいうと、前工程の作業者を「販売者」、後工程の作
業者を「顧客」、作業内容を「商品」と見なす。このようにして、前後の工程は SST で繋が
る。SST とは中国語「索酬 索賠 跳閘」の漢字表音の頭文字を取る略称である。SST は OEC
管理のインセンティブ・メカニズムの新しい発展形態である。順徳海爾は 2000 年 5 月に、
SST 管理を導入し始めた。
(1)SST の内容
「索酬」(表音字母 SUOCHOU)とは、利益を相手に与えたことの見返りにより、報酬
を求めることを意味する。工場での SST 管理では、索酬は、作業者が自分の担当する仕事
(本工程)を遂行して、それを次工程に流して、報酬を求める。本工程の作業者は販売者
であり、次工程の作業者は「購入者」で、「作業」は販売される商品であるという見方があ
る。そのため、本工程の作業者は販売者として、作業を次の工程の作業者に販売して、「販
売収入」を受け取る。海爾はそれを「索酬」という
「索賠」(表音字母 SUOPEI)とは、損害に対して金銭的な賠償を求めることを意味する。
SST 管理では、「索賠」は本工程作業者が担当する仕事をする前に、前工程から流れてきた
作業(仕掛かりの製品)をチェックする。そして、「不良品」を発見すれば、前工程の作業
者に賠償を求める。ここでは、前工程の作業者は販売者であり、本工程の作業者は「消費
者」であり、作業者の作業は「商品」であるという見方があるために、本工程の作業者(消
費者)が前工程の作業者(販売者)から「不良品」を購入すれば、返品だけではなく、賠
償を前工程の作業者に求めることもできるのである。海爾はそれを「索賠」という。
「跳閘」(表音字母 TIAOZHA)の漢字はもともと「ショート」や「ヒューズが飛ぶ」の
意味です。ここでは、前工程のミスを見逃たり、自分の付加価値に問題を残したまま次工
26
程に引き渡したとき、更なる問題を引き起こし、例えば生産ラインであれば一旦ラインを
止めて整理整頓をしなければならないので、こうしたこと並びにこれに対する然るべき責
任を取ることを意味する 39。「跳閘」とは不良品を発見した場所で、不良作業の流れを止め
て、不良品の出荷を未然に防ぐシステムである。以下のことが出ていたら、「跳閘」の必要
がある。
①本工程の作業者は不良作業を行い、次工程の作業者にチェックされて不良を発見され
ると、本工程の作業者は不良品1個につき、次工程の作業者に作業単価の 10 倍の罰金を支
払う。
②本工程の作業者が前工程の不良作業を見逃し、前工程の不良の作業に基づき、本工程
の作業を行った。そして、次工程の作業者に発見された場合には、本工程の作業者が不良
作業を見逃した責任を負って、次工程の作業者に一個につき作業単価の 10 倍の罰金を支払
う。
③本工程の作業者が前工程の不良作業を見逃し、次の工程の作業者もその不良作業を
見逃した。その結果として、品質検査係が不良作業を発見した場合、不良作業の作業者と
最初に見逃した作業者に作業単価の 10 倍の罰金を課す。それらの作業者以外は罰金を支払
わなくてよい。それは後工程の作業者が2工程以上も前の工程の作業をチェックするのは
技術上困難があるからである。
④不良品が作業者と品質検査係に見逃され、出荷された。そして、販売部門またはアフ
ターサービス部門が不良品を発見した場合に、製造部門に品質の責任を追及し、関連者(不
良品の作業者・最初に見逃した作業者・品質検査係・現場管理者・製造部長)に罰金を課
す。
(2)作業者の市場給料
S S T の計算に基づき、作業者の日給は、日給=索酬+索賠-跳閘、になる。海爾はそれを
市場給料あるいは SST 給料と言う。順徳海爾は 2000 年 5 月から市場給料を導入し始めた。
市場給料の計算の具体例(表の数字は仮の数字ではなく実際の数字である)は、表5、6、
7に示されている。表5、6、7によって、順徳海爾の作業者の市場給料を説明する。順
徳海爾は、海爾本社と同様に、作業者を優秀作業者、合格作業者、試用作業者の三つの階
層に分ける。
①芦愛興の SST 査定(優秀作業者の例)
表5の作業者、芦愛興は、洗濯機組立 1 組の社員である。ポスト(担当の工程)は洗濯
機の内桶を固めて、外桶の蓋を置く作業である。作業単価は 0.031955 元である。また、洗
濯機の組立生産ラインでは、いずれの作業者の生産数量も生産ラインの洗濯機出荷台数と
イコールになる。そして、生産ラインの作業者の実際生産数量はみんな同じである。異な
ることは作業単価と不良作業の多少にある。例えば、表5の作業者の「索酬」給料(以下、
S1 給料)は毎日の生産数量×作業単価(0.031955 元)である。毎日の生産数量は海爾の販
売部門の注文量により、異なる。表5のように、S1 給料(日給)は毎日の生産数量×0.031955
となる。そして、2001 年 7 月の日給を合計すれば、芦愛興の S1 給料は 1421.63 元であっ
た。また、作業者は前工程の不良作業を発見すれば、不良作業の作業単価に 10 倍の賠償を
27
求めることができる(索賠)。表5のように、芦愛興は 2001 年 7 月に、前工程の不良作業
を 6 個発見して、一個につき、10 倍の罰金を求めた。そして、前の工程の作業単価が 0.032
元とすれば、「索賠」給料(以下、S2 給料)は 6 個×0.032×10 倍で 1.92 元となる。更に、
表5の作業者は一ヶ月で、不良作業と不良作業を見逃すことが合計 5 個あった。そこで、「跳
閘」給料(以下、T 給料)は5個×0.031955×10 倍で 1.60 元となる。以上から、芦愛興の
2001 年 7 月分の給料は 1421.63+1.92-1.60 で 1421.95 元となった。
先述したように、順徳海爾では作業者を査定するときに、消耗品(作業で使用する部品・
材料を傷つけたり無駄にすること)のチェックを重視する。芦愛興は 2001 年の 7 月の優秀
作業者と評価された。その理由は、同生産ラインの他の作業者と比較して、芦愛興の消耗
品がなかったことと、T の給料つまり不良作業或いは不良作業を見逃したことで罰金される
マイナス給料が一番少なかったことである。
芦愛興は毎日の作業が終わってから、勤務時間外に、上記の三つの視点から 1 日の作業
を点検して整理(日清)する。つまり、前工程の不良作業を何個発見したのか、本人の不
良作業が何個発見されたのか、消耗品があるかどうか及び消耗品があれば、何個であった
のか。そして、日清の結果を生産ラインの班長の陳務心に報告する。陳務心はそのデータ
をチェックして芦愛興の「SST 市場連査定台帳」に記入する。例えば、芦愛興に発見され
た前工程の不良作業は前工程の作業者が申告した不良作業のデータと一致するかどうか、
班長はそのデータを確認して記入する。そして、作業者は約 10 分かけて作業場所を掃除し
て退社する。班長は本生産ラインの作業者の「SST 市場連鎖査定台帳」を記入して、サイ
ンする。そして、副工場長の陳錦文に報告する。陳錦文は作業者の「SST 市場連鎖査定台
帳」をそれぞれチェックしてサインする。
②趙杏歓の SST 査定(試用作業者の例)
表6の作業者、趙杏歓の作業内容は洗濯機の渦巻を据付けることである。作業単価は
0.03150 である。表6の作業者の市場給料は表5の計算方法と同じである。つまり、趙杏歓
の S1 給料は毎日の生産数量×03150 となる。2000 年の 7 月の S1 給料は 1405.82 元とな
った。S2 の給料は 1.6 元であった。表 5 の作業者と比べて、趙杏歓の T 給料は 2.9 元であ
った。優秀作業者の芦愛興の 1.6 元より、1.3 元多い。これは、芦愛興より趙杏歓のほうが
不良作業と見逃した不良作業が多いことを意味する。また、消耗品欄には、2001 年 7 月 9
日と 24 日に、2 個の消耗品がそれぞれ出ていた。1個の部品(渦巻)につき、2 元罰金さ
れた。趙杏歓が 2000 年 7 月に試用作業者として評価された理由は、渦巻を据付ける作業に
不良が多かったことと、消耗品が2個あったためである。
試用作業者がいるときには、工場の管理者は試用作業者の作業手順を調べて、作業方法
を改善して、作業レベルを向上させなければならない。一般的には、海爾では従業員を解
雇するときには試用作業者から解雇する。
③李江堅の SST 給料(合格作業者の例)
表7の作業者、李江堅の作業内容は洗濯機の外桶の蓋を固めることである。作業単価は
0.02911 元である。表7の作業者の SST 給料は 1293.93 元である。2001 年 7 月には、合格
作業者として評価された。李江堅の T 給料と消耗品は、生産ラインで一番低い(優秀な成
28
績)わけではではなかった。
なお、工場の壁に表示される表では、優秀作業者には赤い丸のにっこりマーク、合格作
業者にはミドリのマーク、試用作業者に黄色いしかめっつらマークが作業者のひとりひと
りに付けられる。
(3)市場給料の2つの目的
市場給料は SST に基づき、計算したものである。即ち作業者の市場給料は索酬+索賠-跳
閘となった。「索酬」は生産数量×作業単価となる。そのために、索酬とは出来高給として
理解できる。索酬は、作業を多くするように作業者を動機づける性格のものである。生産
性を向上させるためのものともいえる。「索賠」とは前工程の不良作業を発見すれば、賠償
を前工程の作業者に求める。「跳閘」とは作業者が不良作業を行ったりあるいは不良作業を
見逃した場合には罰金を払う。索賠にも、跳閘にも、それらのいずれも、不良作業に対応
する処置である。そのため、海爾では索賠と跳閘を問題給料として理解している。この問
題給料は、不良を減少させるためのものである。このように、市場給料(SST 給料)は、
生産性の向上をはかるための出来高給(S1 給料)と、不良作業を減少させるための問題給
料(S2 と T)の両方からできているのである。
29
表5
SST 市場連査定台帳
名前:芦愛興
27
2 2
8 9
30
31
作業単価: 0 . 0 3 1 9 5 5
ポスト名称:(略)
1
2
3 4 5
実 際 生 1074
産数量
1720
S1給料 34.32
54.96 21.83 57.53 54.32 60.71
683 1800 1700 1900
S2給料
6
7
8
9
年月 2001 年 7 月
班組:組立一組
10
11 1
13
14
15
16
17 1 1
20
21
22
23
24
25 2 合計
2
8 9
6
2100 2235 2100 2075 2102 2128
2036 2081 2048 2000 2000
2001 2331 2092 2200 2218 1764
67.11 71.42 67.11 66.31 67.17 68.00
0.32
0.32
65.06 66.50 68.64 68.64 63.92
0.32
T給料
63.94 74.49 66.85 70.30 70.88 56.37
0.32
0.32
0.64
0.96
0.32
1421.
63
1.92
1.60
消耗品
合計
月給
34.32
54.96 21.83 57.53 54.96 60.71
月度
査定
類別
優
原因
消耗
品
編成:陳務心(サイン)
67.11 71.42 67.11 66.63 67.17 68.00
65.06 66.50 66.82 68.32 63.92
なし
審査:陳錦文(サイン)
説明:作業者の市場給料=S1+S2–T
S1 は SUOCHOU の略称である。S1=本工程の生産数量×本工程の作業単価
S2 は SUOPEI の略称である。 S2=前工程の作業単価×前工程の不良作業の数量×10 倍
T は TIAOZHA の略称である。 T=前工程の不良作業と本工程の不良作業の数量×不良作業の作業単価×10 倍
資料出所:社内資料
30
63.30 74.49 66.85 70.30 71.20 56.37
1421.
95.
表6
SST 市場連査定台帳
名前:趙杏歓
27
2 2
8 9
30
31
1
2
3 4 5
実際
1074
生産性
1720
683 1800 1700 1900
S1給料 33.94
54.35 21.58 56.88 I53.7 60.04
S 2給
料
T給料 0.29
作業単価: 0 . 0 3 1 5 0
ポスト名称(略)
6
7
8
11 1
13
14
15
16
17 1 1
20
21
22
23
24
25 2 合計
2
8 9
6
2100 2235 2100 2075 2102 2128
2036 2081 2048 2000 2000
2001 2331 2092 2200 2218 1764
10
66.36 70.63 66.36 65.57 66.42 67.24
64.34 65.76 67.88 63.20 63.20
0.64
0.29
0.59
0.58
消耗品
合計
月給
月度
査定
9
0.29
類別
原因
21.29 56.88 53.14 60.04
66.36 70.63 66.36 62.99 66.42 67.24
0.58
64.34 65.47 68.52 62.62 63.20
劣
略
編成:陳務心(サイン)
審査:陳錦文(サイン)
説明: 作業者の市場給料=S1+S2–T
S1 は SUOCHOU の略称である。S1=本工程の生産数量×作業単価
S2 は SUOPEI の略称である。 S2=前工程の作業単価×不良生産数量×10 倍
T は TIAOZHA の略称である。 T=見逃す不良作業と本工程の不良作業の数量×不良作業単価×10 倍
資料出所: 社内資料
31
63.23 73.66 66.11 69.52 70.09 55.74
0.96
2
33.65
年月:2001 年 7 月
班組:組立一組
1405.
82
1.6
0.29
2.90
2
4.00
64.19 73.66 66.11 69.52 67.80 55.74
1400.
52
表7
SST 市場連査定台帳
名前: 李江堅
27
2 2
8 9
30
31
1
2
3 4 5
実際
1074
生産性
1720
S1給料 31.27
50.07 19.89 52.40 49.49 55.31
S2
給料
T給料
0.29
683 1800 1700 1900
0.29
作業単価 0.02911
ポスト名称:(略)
6
7
8
年月 2001 年 7 月
11 1
13
14
15
16
17 1 1
20
21
22
23
24
25 2 合計
2
8 9
6
2100 2235 2100 2075 2102 2128
2036 2081 2048 2000 2000
2001 2331 2092 2200 2218 1764
10
61.13 65.06 61.13 60.40 61.19 61.95
0.58
0.58
0.29
59.27 60.58 62.53 58.22 58.22
0.29
0.58
消耗品
合計
月給
月度
査定
9
班組:組立一組
58.25 67.86 60.90 64.04 64.57 51.35
0.58
0.29
0.29
0.58
0.29
0.29
5
31.55
類別
原因
50.07 20.17 52.40 50.07 5502
2.93
2.00
61.13 64.06 60.98 59.99 61.19 61.95
59.27 60.87 62.24 58.80 57.22
普通
略
編成:陳務心(サイン)
1295.
06.
2.90
審査:陳錦文(サイン)
説明: 作業者の市場給料=S1+S2–T
S1 は SUOCHOU の略称である。S1=本工程の生産数量×作業単価
S2 は SUOPEI の略称である。 S2=前工程の作業単価×不良作業の数量×10 倍
T は TIAOZHA の略称である。 T=見逃す不良作業と本工程の不良作業の数量×不良作業単価×10 倍
資料出所: 社内資料
32
57.67 67.86 60.90 64.04 64.57 56.03
1293.
93
付録1
順徳海爾(ジュントクハイアール)
の概要
前身企業の創業
1991 年
設立
1997 年 3 月
企業形態
海爾の製造子会社
事業
洗濯機の組立、洗濯機基板など
売上
2000 年度 4.8 億元(
約 72 億円)
利益
2000 年度 2072 万元(
約 3.1 億円)
従業員
約 430 人
場所
中国広東省順徳市容桂鎮
社長
趙振中
資料出所:社内資料による作成
付録 2
順徳海爾の沿革
1997 年 3 月、海爾集団は愛徳洗濯機厂を海爾の傘下に入れて、順徳海爾を設立する。
1997 年 4 月 18 日、順徳海爾の第 1 号 XQB-C 洗濯機が出荷された。
1997 年 4 月 25 日、洗濯機を少量生産ことができた。
1998 年 4 月 CCEE の認証を受けて、8 月 ISO9001 の認証を受けた。
1998 年、洗濯機の基板(部品)を開発した。
1999 年、3 月、アメリカの市場に成功に参入した。
(中国の洗濯機として初めてアメリカ市場に進出する。)
2000 年輸出量が 6 万台に達する。約 56 ヶ国の地域に輸出。総生産台数は 45 万台。
33
付録 3
海爾集団
推進本部
製品本部
順徳海爾
(海爾と Merloni との
合弁企業)
34
(元の愛徳洗濯機)
直属事業部
(元の紅星電器)
技術 製・品開発本部
海爾梅洛尼公司
小型の家電本部
情報技術本部
洗濯機本部
エアコン本部
冷凍制品本部
洗濯機事業部
職能センター
注
1
2000 年 3 月 15 日に吉原英樹と一緒に、順徳海爾の従業者5人(元の愛徳洗濯機の社員)に行ったイン
タビューに基づき、整理した。
2 ヨーロッパをはじめ世界各国で広く行われている付加価値税は、製造・卸売・小売の各段階につき、総売
上高を課税標準として、原則として比例税率を適用して税額を算出したうえ、税の累積を排除するため、
前段階で負担した税額を控除し、これを納付税額としている。日本では、同様の税(売上税)として、1987
年の第 108 回国会に提出されたが、国民各層に反対されて廃案となった(金森久雄他編、『経済時点』有斐
閣 P60、1039)。「付加価値税」は中国語では、「増値税」と言う。
3
国家統計局[2000]『中国統計年鑑』p.142.
4
同上。
中国企業管理協会の元副会長であった沙葉氏が 1998 年に順徳海爾を調査して、研究報告(内部資料)を
作った。愛徳洗濯機の経営不振の原因に関しては、その研究報告(以下、沙葉の研究報告)を参考にして
作成した。
5
これらの数字は沙葉の研究報告から引用した。
『人民日報』華南版 1998 年 2 月 11 日。
8 「洗脚(足)上岸」とは、中国の南方では、農民が靴を履かないまま田畑を耕す。仕事の終わりに、汚れた足
を洗ったままに靴を履いて帰宅する。郷鎮企業の経営幹部・管理者・作業者は経営・管理・作業の教育訓練
を受けないままに企業を扱っているが、かつては農民である。
9 『人民日報』華南版 1998 年 2 月 11 日。
10 順徳海爾社長趙振中へのインタビューによる。
11 海爾による紅星電器の吸収合併に関するケースはハーバード大学のケース・スタディに収められている。
12 順徳海爾社長趙振中へのインタビューによる。
13 財務データは沙氏の研究報告を参照した。
14 同上。
15 同上。
16 順徳海爾社長趙振中へのインタビューによる。
17 愛徳洗濯機の元従業員であり、現在は順徳海爾の従業員へのインタビューによる。
18 広東語には、客家話、白話、潮州話という 3 種類の方言がある。白話は広東語の代表的な方言である 。
19 順徳海爾社長趙振中の手紙による。
20 同氏へのインタビューによる。
21 順徳海爾社長趙振中の手紙による。
6
7
22
海爾洗濯機本部の週刊『毎週報道』2000 年 4 月 19 日。
23
24
海爾集団の週刊『海爾人』2000 年 4 月 5 日。
同上。
25
もともと中国大陸には獅子(ライオン)は生息しておらず、シルクロード交易の発達と共に、ペルシャ
商人によって皇帝に本物の獅子が贈られたのが最初である。時の権力者達はその百獣の王の勇ましさを大
変気に入り、招福駆邪の聖獣として崇めていった。(http://www.yahoo.co.jp において獅子舞のキーワード
を入力して調べた。)
26
海爾集団の週刊『海爾人』2000 年 4 月 12 日。
海爾集団企業文化センター編[1999]『海爾企業文化手帳』p.26.
28 筆者が作成した『高始点経営―中国家電企業・海爾』というケースは神戸大学ビジネススクールのケー
スシリーズに収められた。
27
29
海爾洗濯機本部の週刊『毎週報道』2000 年 6 月 7 日。そのデータは『斎魯晩報』(2000 年 6 月 4 日)
から転載した。
30
31
海爾集団組合会編[2000]『海爾従業員の絵と話』(漫画、社内資料)p.28.
同上 p.135.
35
32
http://www.haier.com(中国語)のアクセスによる。
同上。
34 海爾集団企業文化センター編[1997]『海爾、明日の世界に通用するブランドを構築する』
(社内交流)
p.145.
35 順徳海爾社長趙振中の手紙による。
36 海爾集団の週刊『海爾人』2000 年 4 月 12 日。
37 喩子達氏(30 代)は海爾集団の情報製品本部の本部長である。1997 年、彼は海爾のカラーテレビの中
国市場への導入に成功させ、第 4 位の市場シェアを占める業績を上げた。
38 順徳海爾社長趙振中へのインタビューによる。
33
39
杉田俊明「急成長する中国の代表的企業:海爾」『日中経協ジャーナル』2001.10.p15.
(後記)本ケースは、主として、社内資料とインタビュー調査にもとづいている。本ケースの作成にあたり、
海爾集団の代表者の張瑞敏、人事資源センター部長王融民、海爾大学校長? 習文、中国企業家協会沙葉氏、
順徳海爾社長趙振中、副社長周建忠にお世話になった。筆者が指導教官吉原英樹との 2 回の現場調査を行
った上に、無数に国際電話で質問した。順徳海爾社長趙氏はその質問に対して、合せて数千字の手紙で答
えてくれた。ここに記して感謝の意を表したい。
36