工業化初期ロウエルの女工たち

〈参考資料〉ロウエルの女工たち
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工業化初期ロウエルの女工たち
──ニューイングランド綿業史研究の新動向──
(米国における社会史研究の紹介)
上 野 継 義 1.はじめに
2.『ロウエルの贈り物』とその文化的背景
3.工場労働の実際
4.女工たちの手紙と文章(抄)
1.はじめに
アメリカでは社会史 (social history) の興隆にともなって、1970年代以降、ニューイングランドの産業革命史研
究にも新しい光が当てられるようになった。労働者の日常生活やコミュニティに着目して、「下から」から産業
革命を再構成する研究があらわれたのである。ここでは綿業都市ロウエル (Lowell) に関する新しい研究を紹介し
てみたい。
19世紀初頭のニューイングランドでは、織物の生産は、家庭内で、それも主として女性によって、先祖から受
け継いだ伝統的な手作業でおこなわれていた。織布のほとんどが専門の織布職人によってなされ、縮絨工場が普
通に見られるようになってからも、長らく紡績だけは主婦や娘たちの家内労働にまかされていた。それがわずか
数十年の間に、このような伝統的世界は過去のものとなった。1
繊維産業の発展によって、ニューイングランドは、農業と商業の支配的な地域からアメリカ工業の中心地へと
変貌した。紡ぎ車 (spinning wheel) のメタファーにも大きな変化が起きた。かつて紡ぎ車は家庭生活と美徳と勤勉
を象徴しており、また革命の直前には一時的に独立のシンボルとなって歌にまで唄われた。だが、紡ぎ車はたち
まちのうちに過去の遺物となってしまったのである。
手工業から機械生産への移行は、ロードアイランド州ポタケット (Pawtucket) で1791年に、およびマサチューセ
ッツ州ロウエルで1815年に基礎が築かれた。1791年、サミュエル・スレイターとロードアイランドの幾人かのパ
ートナーによってアメリカ最初の紡績工場が建設された。それから1815年までの間に綿業はロードアイランド北
東部から同州の他地域やコネチカット州東部、マサチューセッツ州南部へと徐々に広がった。一推計によれば、
1815年に、この地域で操業する綿工場は200以上あったという。
そして原綿を最終製品に変えるまでの全工程が一つの屋根の下でなされると言う意味での「近代的」工場(い
わゆる「紡織一貫工場」)は、1815年にロウエルで建設された。すぐに他の都市が「ロウエルの実験」に倣い、
マサチューセッツ州のチコピー (Chicopee) やローレンス (Lawrence)、ニューハンプシャー州マンチェスター
(Manchester) で工場建設がすすみ、小規模なかたちではニューイングランドの中央部全体に広がった。1810年に
新式の自動織機(power looms)が導入され、アメリカの綿製造業者によって一万梱 (bales) の原綿が消費された。
1835年にこの数字は25万に上昇する。1841年にアメリカで生産された綿布の三分の一はロウエル製であった。
当時アメリカで知られていた807の綿工場のうち、ニューイングランドで674以上を数え、しかもロードアイラン
ド、マサチューセッツ、コネチカット三州だけで600を数えた。
ロウエルの綿業経営を特徴づけるのは、いわゆる寄宿舎制度である。ニューイングランドの農村からやってき
た未婚女性を管理の行き届いた寄宿舎に住まわせることによって、質の高い労働力を確保することができた。従
来の研究は、同時代の観察記録に依拠して、女工たちの勤勉さなど工場内での働きぶりについて主に言及してき
たが、近年は工場外の日常生活にも注意が払われ、それをいきいきと再現する試みがなされるようになった。ま
た、従来からよく知られていながら注意深い検討がなされてこなかった史料の再評価も進んだ。なかでも、アメ
リカ社会史研究の泰斗ガットマン (Herbert G. Gutman) が述べているように、女工たちの文集『ロウエルの贈り
物』Lowell Offering は、「会社がスポンサーとなっており、工場の経営方針をあからさまに批判するような文章
1 以下の記述は、主として
Jim Douglas, comp., From Farm to Factory: The Story of the New England Textile Industry in
Song (Sturbridge, MA: Pedlar Press, 1988), 1-3.
1
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は載せなかったことから、[これまでの]歴史家たちはこの雑誌を安易にも無視してしまった」2 が、新世代の
若い歴史家たちは、ジェンダーや家族史などの新しい視点から、女工たちの驚くべき知識欲や労働条件をめぐる
逞しい抵抗の姿を掘り起こし、この文集の歴史的背景を詳細に明らかにしている。以下では、アイスラー (Benita
Eisler) の研究 3 や同時代の観察記録に依拠して、そのような女工たちの生活と労働のありようを再現してみたいと
思う。
2.『ロウエルの贈り物』とその文化的背景
a) 女工の労働力の質 ロウエルの綿業企業家たちはあらゆる産業社会の中で「もっとも上質の工場労働者階級」the "most superior
class of factory operative" を手に入れることができた。工場所有者アップルトン (Nathan Appleton) が述べているよ
うに「教養あり徳性の高い労働者の集積」"a fund of labor, well-educated and virtuous" が見られた。ロウエルには児
童労働も文盲も存在しなかった。女工の大部分は "common school" (公立小学校)を修了しており、なかには情け
ないほどの低賃金職である田舎の学校教師も少なからず混じっていた。女性が学校で雇われるのは夏期に限られ
ていたために(冬期は男子のためにとっておかれた)、年収でみれば女工の賃金は女教師の平均年収の6、7倍
にもなったのである。
農村の女性たちは清教倫理のかがみ (paragons) といってよい。長時間にわたる無償の家事労働に耐え、勉学に
精を出して心を磨く、こうした郷里での生活様式は大都会のロウエルに来ても変わらなかった。織布工程での重
労働によって、家族の住む農場の抵当支払いを助け、兄弟の学資を稼ぎ、嫁資やさらなる勉学のための資金を蓄
えた。(16) 英国の文豪チャールズ・ディケンズ (Charles Dikens, 1812-1870) が1842年にロウエルを訪ねたとき、
女工たちの多くがロウエル貯蓄銀行の預金者になっていたとの観察記録を残している。 4
同じくディケンズの観察によれば、身だしなみもこざっぱりとして清潔であった。以下少しく引用してみよ
う。
ここの女子工員たちは皆よい身なりをしていた、と先ほど言ったが、この表現は当然ながら大変清潔であ
るという意味をも含んでいる。彼女たちは、手軽なボンネット帽をかぶり、暖かそうなマントとショールを
身につけ、木底靴やコルク底靴以上のものは履いていなかった。さらに工場内には彼女たちがこれらの衣服
を損なうことなくしまっておける場所があり、また洗濯のための設備もあった。外観においても彼女たちは
健康そうで──その多くが驚くほど健康そうだった──若い女性らしい作法や振舞いをし、それは労働の
重荷に心のすさんだ野獣のそれではなかった。5
b) パターナリズム 初期の工場所有者を特徴づけるパターナリズムには次の二つの要素が含まれていた。ひとつは、怠け者の若い
娘は堕落する傾向が強く、彼女たちを雇用することは公衆道徳に寄与するとの強固な信念である。いまひとつ
は、対公衆の関係とか営利という領域を超えた社会的理由、つまり労働者と経営者とが階級ならびに宗教的出自
を共有していたことである。ボストン商人も、女工の父親たち独立自営農民 (yoeman) も、ともにニューイングラ
ンドに入植したピューリタンの末裔であり、加えて、工場所有者のいく人かは一世代のうちに農場から転じた人
たちであり、彼らは互いの価値観を共有していた。(19)
寄宿舎はよく手入れされていた。女工たちは会社の所有する複数の寄宿舎の中から好きなところを選ぶことが
できたために、寮母の間に良い食事を出そうとの競争が働いた。アメリカ旅行中のアンソニー・トゥロロープ
(Anthony Trollope) は、寄宿舎を訪ねて、立派な食事 (substantial meals) が出されていることに感嘆の声をあげてい
2
Herbert G. Gutmann, Work, Culture, and Society in Industrializing America: Essays in American Working-Class and Social
History (New York: Alfred A. Knopf, 1976), 28;『金ぴか時代のアメリカ』大下尚一ほか訳(平凡社, 1986), 44. 訳文は翻訳書
に依拠していない。
3
Benita Eisler, ed., The Lowell Offering: Writings by New England Mill Women (1840-1845) (Philadelphia and New York: J.
B. Lippincott Co., 1977). 本文中の括弧内の数字は、本書からの引用頁である。
4 ディケンズ『アメリカ紀行(上)』伊藤弘之、下笠徳次、隈元貞広訳 (岩波文庫, 2005), 153.
5 ディケンズ『アメリカ紀行』上:150.
2
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る。日に二度も肉がだされ、しかも「調理したての暖かい肉」であった、と。女工自身の記述によれば、「夕食
には、肉とポテト、野菜、トマトとピクルス、プリンとパイ、バター付きのパン、コーヒーか紅茶」という具合
である。(24)
寄宿舎の政治的機能にも注目しておきたい。寄宿舎が監視 (surveillance) と「モラルの取り締まり (moral
policing)」の機関として機能するよう考案されていたのは明らかである。だがこのシステムがその目的通りに機能
していたかどうかは定かではない。いうまでもなく寄宿舎の政治的役割は寮母の忠誠心に依存していたが、実際
には彼女ひとりに依存していたわけではない。会社は寄宿舎が労働者同士の団結を培養する場になることなどま
ったく予見していなかった。食住を共にすることによって女工たちは緊密に結びつき、これが新しい価値観や政
治的実力行使に結びついた。(26)
c) 自己修養と読書 少女たちにとってロウエルの魅力は、社会的視野を広げるとか、高い賃金やにぎやかな街の通り、舶来装飾品
のディスプレイにとどまらない、それ以上のものを約束していた。女工と雇主はともにニューイングランドの基
本的な信仰箇条、つまり自己修養 (self-improvement) の精神を共有していた。女工たちは高等学校のカリキュラム
に則った課程を有する夜学校に出席したのみならず、元気な者は長時間の労働をおえた後に、ドイツ語や音楽や
植物学の教師について習うために小銭を蓄えようとしていた。このような勉学に対する並外れたきちょうめんさ
は人目を引いた。ロウエルの女工たちが貪欲な読書狂であることは旅行者や地方史家が等しく言及している。
1844年に、ロウエルにある22の教会の日曜学校教師のほとんどは工員あがりであった。ハリエット・ロビンソン
(Harriet Hanson Robinson) は、ロウエルに関する幼少時の想い出を書物にまとめているが、その中で、自分の母親
が寮母を勤めていた寄宿舎に住むひとりの女工に言及している。
「メイン州」出身の農夫の娘さんは、故郷ではみることの出来ない書物、普段読むのは小説なのですが、
それを手に入れるというはっきりした目的をもってロウエルへ働きにきていました。彼女は一週間に二冊か
ら四冊読んでいましたが、子どものわたくしたちは彼女のためにこれらの本を巡回図書館 (circulating
library) で借り出しては返却したものです。その代わり彼女は、自分が工場で働いている間、借りた本をわ
たしたちに見せてくれましたから、新しい本を一番最初にみたくて、学校から大急ぎで飛んで帰ったもので
す。(31)
一週間の予約購読料は通常6.25セント、人気の新刊書が含まれていると若干割高だった。女工たちの間で読書
が大流行したために、工場規則には「構内での読書を禁ず」との一文が明記される始末であった。
d) 講演会 1830年代のロウエルの文化的呼び物のひとつに講演会があった。ロウエル協会やロウエル・ライシアムという
文化施設があり、1839年度のシーズンには50セントで、エマースンが「倫理的英文学」について話すのを聴くこ
とができた。工場労働者マーサ・ウルスン (Martha Woolson) は、肉体的、あるいは精神的健康を害してロウエル
を去ったが、彼女の妹が自分の代わりに工場で働き、「かつてわたしがそこで享受し、それなしには修養がまま
ならなかった」講演という「貴重な特権」を役立てられることをとても喜んでいた。多くの講演会の題目から推
して、自分に関係があるかどうかは、これらライシアム巡礼者たち (lyceum trippers) の主たる関心事ではなかった
ようだ。聴衆はそれが自分に役立とうが役立たつまいが、どのような知識にも貪欲であったのは間違いない。ハ
ーヴァードのピーボディ (A. P. Peabody) 教授は、後年、次のように振り返っている。
わたしは毎冬ロウエル・ライシアムへ講演に出かけました。お楽しみのためではなく、教育がこの講演の目
的でしたが、……ロウエル・ホールはいつも満員で、聴衆の5分の4は女工さん (factory girls) でした。講師
が会場に入ると、少女たちのほとんど全員が本を手に読みふけっておりました。講師が立ち上がると、その
書物は脇に置かれ、紙と鉛筆が用意されました。……わたくしはこれほどせっせとノートをとる姿を見たこ
とがありません。自分の生活のために労働するうら若き女性たちのこのような集まりは、カレッジの教室
でさえかつて見たことがありませんでした。
e) 文学クラブと『ロウエルの贈り物』 3
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1840年代初頭のロウエルには、自己修養クラブ (Mutual Self-Improvement Club) が7つもあった。クラブのメン
バーは集まって、お互いの文章を読み合うのである。アメリカ最初の女性の文学クラブ会員はすべて工場労働者
だったのである。これらの文学グループのうち二つは、ユニヴァーサリスト (Universalist) 6 と組合教会
(Congregationalist) がスポンサーになっていた。この二つのグループは『工場の詩歌選』The Garland of the Mills と
いう計画中の地方年報に良くできたスケッチや詩、物語やエッセイを送るよう勧められた。ユニヴァーサリスト
の若く情熱的な牧師アベル・トーマス師 (Reverend Abel C. Thomas) は女工たちの反応に大喜びし、年報を待てず
にそれを1840年に不定期で印刷しはじめた。これが『ロウエルの贈り物』という雑誌である。この雑誌が成功を
収めたことから、当初計画していた『詩歌選』は取りやめとなった。『贈り物』は翌1841年に30ページの月刊
誌、一冊6.25セントで購読者の募集をはじめるに至る。
ところで、このように向学心旺盛な女工たちは、家族や友人に宛ててたくさんの手紙を書いており、それが後
代の歴史家にとっては第一級の史料となっている。第4節では、トマス・ダブリン (Thomas Dublin) の収集した女
工たちの書簡を紹介する。彼は博士論文を完成させたとき、会社の賃金支払簿やセンサス原票から集めた数量デ
ータを無条件に信ずる態度に疑問を持ちはじめており、手紙や日記、思い出などを調査しはじめると、そのなか
に初期ニューイングランド綿業女工たちの心のありかがいきいきと語られていることに気づいたという。
3.工場労働の実際
日の出とともに就労し、鐘の音がすると女工たちは朝食をとるために寄宿舎へ大急ぎで戻る。7時35分になる
とベルで工場に呼び戻される。10分後に作業再開し、お昼のベルが鳴るまで続く、そして45分間の昼食。12時45
分には仕事に戻り、7時の終業まで働く。7
英人ジェームズ・モンゴメリーは、ローウェルの製造業者から情報を得て、各月ごとの平均労働時間を調べて
いる。表1のとおりである。
表1 労働者の平均労働時間 月
労働時間
月
労働時間
January
11:24
July
12:45
February
12:24
August
12:45
March
11:52
September
12:23
April
13:31
October
12:10
May
12:45
November
11:56
June
12:45
December
11:24
(出典) James Montgomery, A Practical Detail of the Cotton Manufacture of the United States of America and the
State of the Cotton Manufacture of That Country Contrasted and Compared with That of Great Britain (Glasgow: John
Niven, 1840), 174.
4.女工たちの手紙と文章(抄)
The Spirit of Discontent
「みんなあなたの言う通りよ」エレンは応えた。「でもね、私たちの修養に役立つすべての公共機関、すべて
の夜学校に参加しようとしたら、僅かばかりの賃金を使いはたさなきゃならないし、それでも足りないくらい。
それに病気にでもかかってごらんなさいよ、どんなことになるか? ここには親戚も家族もいないわ。それに財
布が空っぽじゃあ、友達だっていなくなるわ。」
6 18世紀米国に起こった教派で、普遍救済説を信じる。
7
Harriet Hanson Robinson, Loom and Spindle: or, Life among the Early Mill Girls, With a Sketch of "The Lowell Offering"
and Some of its Contributors (T. Y. Crowell & Co., 1898), 20-21.
4
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「そんなことないわよ、エレン。これほど沢山のことが労働者階級 (the laboring class of people) の手の届くとこ
ろにあるところなんて他にないと思うの。平等に扱ってもらえるし、貴族的な格差もないし、仲間の連帯感だっ
てこのコミュニティにはあるじゃない。……」
「この土地の道徳については何も問題はないの。」エレンはまた続けた。「私が嫌なのは、なにもかもが速い
ことなのよ。食べて、飲んで、眠る時間がないわ。たった30分かせいぜい45分間で、仕事から離れて、食事をし
て、喧しく音を立てる機械のところへ戻らなければいけない。……まるで生きている機械だわ。私は明日辞表を
出すつもり、私は出ていくの。もうここにいたくないし、白人奴隷になんかなりたくないの。」……
「でもね」エレンはいう。「田舎の人たちには始終人の耳元でがんがん唸る機械の騒々しさがないわ。」
「その通り」私は応えた。「でもね田舎の人たちにはもっと悪いことがあるじゃない。退屈で活気のない静け
さに囲まれているわ。ときには鶏がクワックワッ、ガチョウがガーガー、豚がキーキーなくでしょうけどね。」
出典: Eisler, ed., The Lowell Offering, 160-62.
【参考文献】
Dazell, Robert F. Enterprising Elite: The Boston Associates and the World They Made. Cambridge, Mass.:
Harvard University Press, 1987.
Douglas, Jim, comp. From Farm to Factory: The Story of the New England Textile Industry in Song. Sturbridge,
MA: Pedlar Press, 1988.
Dublin, Thomas, ed. Farm to Factory: Women's Letters, 1830-1860. New York: Columbia University Press,
1981.
Dublin, Thomas. Women at Work: The Transformation of Work and Community in Lowell, Massachusetts,
1826-1860. New York: Columbia University Press, 1979. ["Thomas Dublin's Women at Work offers a
view of a paternalistic industrial order that attempted to control the lives of women workers both in the
workplace and in the home. Despite these controls, however, Lowell mill workers maintained a strong
voice in public and in private. Peer control, socialization of newcomers, and work routines among the
women themselves characterized the factory floor, while economic independence mediated relations
outside of it." Timothy G. Borden, "Labor History Bibliography," OAH Magazine of History 11 (Winter
1997): 27-30, available from <http://www.indiana.edu/~oah/magazine/>.]
Eisler, Benita, ed. The Lowell Offering: Writings by New England Mill Women (1840-1845). Philadelphia and
New York: J. B. Lippincott Co., 1977.
岡田泰男「スレイター工場再訪──会計簿に見るアメリカ産業革命──」『社会経済史学』第62巻第2号 (June/
July 1996): 1-23.
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