資料 2 「ジャン・フォートリエ展」 報告書 平成27年 1月 29日 1 事業概要 1-1 展覧会概要 ジャン・フォートリエ(Jean Fautrier, 1898-1964)は 20 世紀フランスを代表する画家の一人で す。第二次世界大戦の戦時下にて描かれた《人質》の連作にみられる醜く歪められた、半ば抽象的 な人物像は、とりわけ戦争の惨禍を思い起こさせ、人類の暴力を告発する 20 世紀絵画の証言者とし て位置づけられています。そこでの絵具の素材感もあらわな独自の表現方法は、絵画の役割を外界 の描写から解放し、画家の行為の場へと、そして絵具という物質とイメージとが混交し詩情を醸し 出す場へと転じました。この転換は同時代の抽象絵画の運動とも呼応し、フォートリエはヨーロッ パにおける「アンフォルメル」運動の先駆けと評されることになります。そうしたフォートリエの 作品は、1959 年の作家の来日をハイライトに、日本でも熱狂的に迎え入れられ、20 世紀後半の本邦 の美術界に多大な影響を与えました。 本展は、フォートリエの専門家であるジャン=ポール・アムリーヌ氏の監修のもと、日本では、 はじめてとなる美術館での回顧展として、彫刻やデッサンなども含めてフォートリエの芸術の魅力 を余すとことなく紹介し、20 世紀美術に偉大な足跡を残した画家の全体像をとおして、時代の証言 を感得できるような企画となった。 [展覧会名] ジャン・フォートリエ展 [会 [会 期] 場] 2014 年 7 月 20 日[日]-9 月 15 日[月・祝]【52 日間】 豊田市美術館 展示室 8 [主 催] 豊田市美術館 中日新聞社 [共 催] [観 覧 料] [出品点数] 東海テレビ放送 一般 1,000 円[800 円] 高校・大学生 800 円[600 円] [ ]内は前売券及び 20 名以上の団体料金 中学生以下、市内高校生、障がい者及び市内 75 歳以上は無料(要証明) 116 点 [関連事業] ■ 連続講演会|フォートリエとはだれか!? 講師:堀江 敏幸(作家/仏文学、早稲田大学教授) 8 月 9 日(土) 午後 2:00-3:30 美術館講堂(172 席) 講師:林 道郎(美術史/美術批評、上智大学教授) 8 月 10 日(日) 午後 2:00-3:30 美術館講堂(172 席) 講師:芳賀 徹 (比較文学、静岡県立美術館館長) 8 月 16 日(土) 午後 2:00-3:30 美術館講堂(172 席) 1 ■ ジャズ・コンサート ピアニスト:後藤 浩二 8 月 24 日(日)午後 2:00-3:30 美術館講堂(172 席) ■ 作品ガイドボランティアによるギャラリーツアー 木曜日を除く午後 2 時より(イベント開催日は午前 11 時より) 土、日、祝日は午前 11 時と午後 2 時より [印 刷 物] ポスター:B1、B2、B3 チラシ :A4(4種)、子ども向けチラシ 作品リスト:A3二つ折り 図録 : 2,500 円 [宣伝広告] ◇新聞広告 中日新聞 8 月 29 日朝刊 半 2 段 9 月 4 日朝刊 半 5 段 9 月 5 日朝刊 半 2 段 東海愛知新聞 7 月 30 日 矢作新報 8 月 22 日 新聞折込 7 月 18 日、9 月 12 日 ◇交通広告 地下鉄鶴舞線窓ステッカー広告 7 月 19 日~9 月 15 日 地下鉄鶴舞線窓B3広告 7 月 19 日~9 月 15 日 豊田市駅駅貼広告 7 月 19 日~9 月 15 日 新豊田駅駅貼広告 7 月 19 日~9 月 15 日 名鉄豊田線ドア横ポスター広告 8 月 7 日~8 月 27 日 都心ループバスポスター広告 8 月 1 日~8 月 31 日 ◇広報誌 『広報とよた』 4 月 1 日号・7 月 1 日号 [学芸担当] 鈴木俊晴、能勢陽子 [庶務担当] 平尾祐未、阿部吉朗 [ホームページ] 鈴木俊晴 2 2 実績 2-1 入場者・参加者数 ◆観覧者総数 区 分 「ジャン・フォートリエ展」 ○有料観覧者数 6,350人 内訳/一般 5,659人 高大生 691人 (うち友の会) (383人) ○無料観覧者数 5,240人 内訳/小・中学生(引率含む) 2,155人 市内高校生 76人 障がい・高齢者 526人 県芸学生・職員 64人 優待・招待等 2,419人 合 計 11,590人 ※ 1日あたり観覧者数 223人/日(会期52日) ◆出版物売上(会期中) 図録『ジャン・フォートリエ』 399冊 (購入率 1冊/29人) 2-2 関連事業参加者数 合 計 375 人 ◇連続講演会 「フォートリエとはだれか!?」 ① 8 月 9 日(土) 70 人 ② 8 月 10 日(日) 70 人 ③ 8 月 16 日(土) 85 人 ◇ジャズコンサート 8 月 24 日(日) 150 人 2-3 教育機関、団体、視察受け入れ 合 計 27団体 団 体 名 1,550人 月 日 曜 7 月 20 日 日 こだわり紀行(遠州鉄道) (ナイトツアー) 7 月 22 日 火 蒲郡市立形原中学校芸術部 8 人 7 月 25 日 金 日進市立日進中学校美術部 25 人 7 月 26 日 土 名古屋造形大学 49 人 7 月 30 日 水 高岡中学校 美術館学習 7 月 31 日 木 巴ヶ丘小学校 7 月 31 日 木 逢妻中学校 美術館学習 人 数 22 人 176 人 5 人 3 273 人 月 日 曜 8月1日 金 小原中学校 美術館学習 36 人 8月5日 火 下山中学校 美術館学習 48 人 8月6日 水 豊南中学校 美術館学習 258 人 8月7日 木 京都工芸繊維大学デザイン経営工学課程 42 人 8月7日 木 石野中学校 美術館学習 25 人 8月7日 木 稲武中学校 美術館学習 24 人 8 月 19 日 火 あいち教育研究会造形部会 37 人 8 月 19 日 火 小原中学校 美術館学習 40 人 8 月 20 日 水 8 月 21 日 木 8 月 22 日 金 こだわり紀行(遠州鉄道) (ナイトツアー) 15 人 8 月 22 日 金 愛知教育大学 27 人 8 月 26 日 火 豊田市教育研究協議会研修 68 人 8 月 28 日 木 豊田市立美里中学校 14 人 8 月 28 日 木 建築文化週間 22 人 9 月 11 日 木 豊田市高年大学文化工芸学科 40 人 9 月 12 日 金 中京大学現代社会学部 20 人 9 月 13 日 土 朝日旅行 名古屋支店 22 人 団 体 名 稲武・旭中学校 美術館学習 (稲武 12 人、旭 24 人、引率合計 5 人) 稲武・逢妻中学校 美術館学習 (稲武 39 人、逢妻 159 人、引率合計 15 人) 2-4 マスコミ等 ◇新聞(展評・紹介記事) 毎日新聞 6 月 16 日夕刊 中日新聞 6 月 23 日夕刊 (林道郎) 読売新聞 6 月 25 日 (前田恭二) 新三河タイムス 7 月 17 日 (鬼頭直樹) 中日新聞 7 月 29 日 (浅野泰生) 矢作新報 8月1日 (貞島容子) 中日新聞 8 月 7 日、8 日 (鈴木俊晴) 日本経済新聞 8 月 14 日 (千葉真智子) ※展示案内 中日新聞 7 月 8 日県内版 情報 赤旗 7 月 25 日 情報 4 人 数 41 人 213 人 ◇美術専門誌 美術手帖 8 月号、216-7 頁 (出原均) 芸術新潮 8 月号、92-6 頁 REAR 33 号、138 頁 (吉田映子) ◇雑誌・地域誌 ぴあ×スターキャット 7 月号、8 月号 秋ぴあ 中面1 P ローズ 7 月 19 日、8 月 16 日 Berry coo 三河版 Vol.54(7 月 15 日~9 月 14 日) 月刊 KELLY 9 月号 月刊サプリ 8 月号、9 月号 とよたまちなか通信 2014 夏号 カレント 夏号 新聞折込 7 月 18 日、9 月 12 日 ◇テレビ・ラジオ 東海ラジオ 6 月 26 日(天野良晴のリアル) ◇ウェブ 東海テレビ ホームページ 7 月 10 日~9 月 15 日 東海テレビ スポット告知 8 月 26 日~9 月 15 日 アプリ「Ha:mo ポータル」 2-5 観覧者アンケート(来館者満足度 主な項目 回答数92) (満足+やや満足) (普通)(やや不満+不満)(無回答) 展示内容 83 % 9 % 1 % 7 % 展示空間 81 % 11 % 1 % 7 % ポスター、チラシ デザイン 73 % 17 % 2 % 8 % 感銘や刺激 80 % ― % 9 % 11 % 他者に薦めたい 76 % ― % 13% 11 % 3 検 証 (学芸担当者) 「ジャン・フォートリエ」展は、東京ステーションギャラリー、豊田市美術館、国立国際美術 館の三館と東京新聞が主催した展覧会である。フォートリエは戦後から日本でも広く知られた 作家ではあったが、美術館での個展ははじめてであり、したがって初期作品を含めた作家の全 貌を紹介する回顧展を目指した。 【企画内容】 企画の中心はふたりのフランス人のフォートリエ専門家によってなされた。 フォー トリエの作品はいまだ個人蔵のものも多く、細やかなネットワークを持つ現地の専門家の存在 は不可欠であったと思う。 よって日本側の学芸担当としては、国内に所蔵されているフォートリエ作品のリスト化およ 5 び出品交渉をとおして、 展覧会の全体像を作り上げていった。 あらためて調査してみるとフォー トリエの作品は思いのほか日本に多く入ってきており、展覧会の出品作品の 1/4 ほどを占める こととなった(予算の都合で借用を断念したものも数点あったことを付記しておく)。とりわ け晩年の第三章は結果的に多くを日本の作品で構成することとなり、これまで他国で開催され た本格的なフォートリエ展と比べても見劣りすることのない特徴を備えた展示構成となった。 また、フォートリエと日本とのつながりを示すために、戦前戦後の日本での紹介記事などをま とめる資料コーナーを展示室に設けることとし、その資料類の整理と手配も行った。惜しむら くは、フォートリエが 50 年代に取り組んだ「オリジナル・マルティプル」という特異なシリー ズを展覧会に含むことができなかったことである。 【展示構成】展示室8を用いた。会場のプランは三章構成に従い、フォートリエの作品が比較 的小ぶりなサイズであることと、基本的に個人コレクターの住居空間を念頭に描かれたもので もあることを踏まえ、小さな部屋が連続するように配し、門型の「くぐり」を多めに用いた。 加えて、小さな作品サイズと当館の高い天井のアンバランスを解消するとともに、閉じられた 部屋の雰囲気を醸すために、展示室内の 3 か所の壁面を低めの3mの高さまでを落ち着いた色 で塗装した。 また、第二章までの各作品をスポットライトで照らすことで、やはり天井高の高さを目立た なくさせ、かつドラマチックな空間をつくった。一方、大型の明るい作品が増える第三章は壁 全体を照らすことで、空間のメリハリをつけた。こうした試みはおおむね好評だった。 しかし、展示室を暗くしたことによって、作品保護のための結界が気づかれにくく、また柔 らかな素材の結界を選択したため、かえって作品にとって危険な状況になっているとの指摘も 多く、総合的に展示空間を演出するにあたっての反省事項となった。 【カタログ】監修者らによる総論とそれぞれ文量のある章解説に加え、日本側からのテキスト と日本語の文献の抄録を掲載し、資料性の高いカタログとなった。生前の盛んな受容をとおし て多くの言葉が重ねられたにも関わらず、今日ではそうした一次資料にあたりづらくなってい ることを考えると、本展のカタログは今後第一に参照すべき資料として活用されるものとなる だろう。とはいえ、資料性を優先してしまったこと(また、おそらくこちらの方が主たる原因 であろうが、デザインが地味だったこともあり)、廉価にも関わらずカタログの販売数が低調 だったことが残念である。 【関連イベント】「フォートリエとはだれか?」という連続講演会を企画した。フォートリエ が今日では語られることの少なくなってきている画家であることから、これを機会にまずは現 代の目線からのさまざまな見解を取り揃えることで、作品をゆたかに解釈する基盤を整えるべ きであると考え、フランス文学者、美術史家、そして 1959 年のフォートリエ来日に直接関わっ た比較文学者の三氏に講演を依頼した。内容はいずれも素晴らしく、資料的価値も高いため、 今年度末刊行の当館の紀要にまとめる予定である。しかし、3 回のうちの2回が開館も危ぶま れるほどの天候にあたってしまい、今ひとつ参加者数が伸び悩んだのが残念であった。 【その他、まとめ】11,500 人という来館者数は目標(15,000 人)から大きく離れてしまった が、東京会場(14,017 人)、大阪会場(18,397 人)と比較し、さらに周辺の人口を勘案すれ ば豊田会場の数字は悪くはないことがわかるだろう。また、アンケートの数字も総じて高く、 鑑賞者の満足度は高かったと言える。とはいえ、著作権の処理に通例の倍以上の時間がフラン ス側の事情でかかってしまい、展覧会前の広報をじゅうぶんに行えなかったことが集客の伸び なやみに結果してしまったことは大いに反省すべき点である。 (庶務担当者) ジャン・フォートリエは、20 世紀フランスを代表する画家の一人といわれている。第二次世 6 界大戦の戦時下に描かれた「人質」連作は、そのインパクトの強さと独特の表現にショックを 受けた。 フォートリエは評価の高い画家であるものの、 日本では一般にあまり知られていない。 この衝撃的な絵画をどのようにすれば多くの人に見てもらえるのか、著作権の関係で掲載でき る作品画像に厳しい条件がある中、広報の方法を考えた。 先に開催された東京ステーションギャラリーでは、客層は 60~70 代、次いで 50 代が多いと のことだった。そこで豊田展の広報も、読者が熟年層であるフリーペーパー「ローズ」を 2 回 にわたり活用するなど、ある程度対象を限定する広報も実施した。また、荒木展に引き続き、 持参すると大人 1 名無料招待になる「子ども向けチラシ」を制作し、市内全小中学校の児童生 徒に配布した。会期がちょうど、夏休みを含むということと、さらに中学1、3年生を対象と した美術館学習を実施したこともあり、幸いにも子どもの観覧者も多い結果となった。また、 豊田市中心市街地まちなか宣伝会議と連携し、まちなか通信夏号において、「ジャン・フォー トリエ展限定デザート」を企画した。フォートリエ展に合わせ、フランス菓子を使用したデザー トプレートは好評であった。 本展は、美術館改修前の最後の企画展ということもあり、特に 9 月のミュージアムフェスタ 中は、約 1 年間の休館を控える当館の企画展を見ておこうと連日多くの観覧者でにぎわった。 観覧者数は 11,590 人と目標には届かなかったものの、 中日新聞社と東海テレビ放送と実行委員 会を組み、新聞広告やウェブでの告知等も積極的に行われた。しかし、学芸担当者が前述して いるように、展覧会前の広報や、著作権の制約のためフォートリエ作品の画像の露出が十分に できず、目標数に届かなかったことが悔やまれる。ただ、4 種のチラシの裏にはそれぞれにコ ラムが記載されているなど、フォートリエをより知るための工夫もされていたと思う。 本展の反省を今後の展覧会に活かし、充実した展覧会の開催に努めたい。 (総 括) ジャン・フォートリエ展は、日本美術界において長年課題のように待たれていた展観であっ た。というのも、単にフランス美術界での 20 世紀の巨匠であるばかりでなく、日本の美術界に おいても、極めて大きな影響を及ぼしていたからである。 殊にフォートリエ展開催に際しての作家来日時の 1959 年を中心とした年代においては、 時の 抽象画ブームという形で、伝統的ないけばな、書、日本画、洋画壇まで広範囲に新たな造形と して注視され、それらに広範囲に影響を与えている。その後、作家死後も日本のギャラリーで はフォートリエ展は継続的に時々に開催されては来たものの、纏まった本格的な展観は開催さ れてはこなかった。また世界的に見ても本展は久々の大きな展観で、当初はフランス本国でも 開催したいという意向もあったが実現しなかった。 1950-60 年代のヨーロッパ美術は、アメリカ美術中心の現代では、教科書的な記述では知られ てはいるものの研究・展観としては等閑視されていて、「待たれていた」ものの、この「久々 の大きな展観」を「教科書」ではなく、いかに現代の問題として回復させるかが課題であった。 実際、大原美術館、ブリヂストン美術館のような、当時から在った美術館以外、現代の美術家 においても実作をほとんど見る機会が無い状況で、今回は全体的な流れの中でほとんど初めて この作家を大多数の者が知ることとなった。 そこでカタログは基本的な資料としての役割を負いながらも、学芸担当者として上述してい るように、当館だけの試みであるが、連続講演会として、文学者、絵画研究、比較文化研究の その第一線の人々を呼んで、その当時の創造性の問題を多角的に検討し、その再考のなかで現 代的な意義を掘り出すことができたことは意義深いことであった。 そして今回初めて、戦時期におけるレジスタンス的な精神性として戦後に衝撃を与えたこと で名高い「人質」シリーズの会場が再現され(その点では豊田会場が一番その場を感じ取れる展 7 示になっていたのではないか)、 その意外なほどに小さな画面の繊細な魅惑にあらためて触れる こととなった。さらに初期から 1920 年代中ごろからのブラックペインティングでの変化以降、 「人質」を挟んで、晩年の作品にいたる一貫した、身体からのかたちの抽出、つまり顔であり、 裸婦でもある原形体の流れが初めて見えてくることで、フォートリエという作家の姿が初めて 浮き出してきたのではないか。 現実的な問題として、 今回はフォートリエの遺族からの著作権処理に異常に手間取り(先行し た東京展でも同様であったが)、 開催数日前にやっとポスター・チラシ等が刷れるという異例の 事態となった。つまりほとんど開幕前での広報活動ができなかったのである。これは遺族側の 問題に、近年の海外展の著作権処理の問題が事態を倍化させたもので、さらに早い交渉をすべ きであった点で大いなる反省材料となった。 しかしながら、実際の入場者数こそ、15,000 人の目標値には届かなかったものの 11,590 人 というその 8 割弱ほどは達成し、会期が長かった大阪展などと比べてもひどく当館が落ち込ん でいる数値とは言えない。これは夏の市内中学校の美術館学習、さらには同時開催していた親 子向けの企画展示、さらには最終週に当たる「ミュージアムフェスタ」に当館閉館時の賑わい があり、そのことが、本展の入場者数を伸ばした側面もあった。 いずれにせよ、むしろ華やかな流行の絵画とは別の姿をしていながらも、8割を超える鑑賞 者にはほぼ満足を与えたようである。 ちなみに制作されたカタログは資料的な価値も高いもので、日本においてもほとんど唯一と 言っていい文献となった。 本展は中日新聞(東京新聞)とのほぼ初めてと言っていい共催になるものであった。ただし、 広報的な面では更なる踏み込んだ共催関係を以って行わないと、中部圏のシェアー№1 を誇る 新聞社といえどもなかなか具体的な広報的な力にはならないことも痛感した。また著作権上の 規制が掛かる中での広報は、他の巡回先でも問題点となっていたが、当館でも同様であった。 展覧会としては、単なる会場のみの巡回ではなく、三館の学芸が知恵と努力を合わせ作った もので、東京国立近代美術館との「フランシス・ベーコン」展以来の、一館では不可能な展観 を充実したものとすることが出来たことに、共催先である他館、東京新聞事業部に感謝すると ともに、新たな協力関係で展覧会が出来たことの意義は当館としては大きいと言える。 8
© Copyright 2024 Paperzz