9回報告書 - npo-if 歴史文化交流フォーラム

(2016 年 2 月 18 日~26 日)
アンコールやまなみファンド Angkor Yamanami Fund
i
第九回〝やまなみ塾〟訪問と遺跡見学ツアー
目
次
ページ
【巻頭言】
AYF10年に寄せて ………………………………………………… 中川
武 …… 1
【ツアー行程記録】
日程表 ………………………………………………………………………………………… 4
行程記録:カンボジア ………………………………………………… 横山
貴文 … 6
行程記録:ミャンマー編
啓輔 …13
……………………………………………… 川上
【AYF10年の歩み】
AYF年表 ……………………………………………………………………………………21
第九回AYFツアー旅行
―10年を振り返りながら― ………… 多賀
正夫 …23
やまなみ塾設立から10年経過して ………………………………… 山岡
直子 …26
10年目のカンボジア訪問ツアーに思う …………………………… 岡田
雅子 …30
【交流会】
プログラム ……………………………………………………………………………………33
AYFツアー:交流会での絵と歌 …………………………………… 金岡
隆 ……34
ヨーヨー遊びを担当して
-第九回やまなみ塾訪問- …………… 青木
克子 …36
七夕飾り、ブローチ作り
-やまなみ塾交流会-
………………… 早内
佳子 …39
紙トンボを持って ……………………………………………………… 多賀
敏美 …42
【参加記】-カンボジア&ミャンマー-
やまなみ塾訪問とアンコールワット、バカン ……………………… 森尻ふみ子 …44
日本、カンボジア、ミャンマー融合のツアー ……………………… 永井
進 ……47
AYFツアー、胸に迫るもの ………………………………………… 喜田
粂吉 …50
第九回やまなみ塾訪問ツアーに参加して …………………………… 佐脇
修司 …52
「やまなみ塾訪問旅行」に参加して ………………………………… 熊倉
利司 …54
楽しく過ごした「やまなみ塾訪問旅行」 …………………………… 熊倉
静代 …56
ツアーに初参加、そしてカンボジア、ミャンマーへ ……………… 佐藤
悦子 …58
Etc、Etc -巨大遺跡に圧倒されながら- ………………… 岡田
寛 ……60
ii
【参加記】-カンボジア-
やまなみ塾訪問と遺跡見学ツアーに参加して ……………………… 的場
信良 …65
「またカンボジアへ行くの?」 ……………………………………… 盛 和子 ……68
バイヨン中学校での再会
……………………………………………… 中嶋
治長 …70
2度目のカンボジア …………………………………………………… 横山
貴文 …72
ライ王のテラスからバイヨンを眺めたら …………………………… 山岡
義典 …76
【参加記】-ミャンマー-
境内は素足で気持ちよく ~足裏の感覚で知る宗教文化~ ……… 山岡
「ビルマの竪琴」考 …………………………………………………… 内田
義典 …78
滋 ……80
バガンを訪問して ……………………………………………………… 関野
晉 ……82
【編集後記】
……………………………………………………………………………………85
【巻頭言】
AYF10年に寄せて
中川
武
今回のAYFのアンコール行は、ほぼ毎年1回、10 年目であると聞いて感無量であった。
AYFを始める時、施設をつくるためのお金を寄付するだけでなく、先生の人件費、交流、
想いを伝えること等を、たとえ小規模であってもとにかく継続すること、とりあえず 5 年
間は最低限続けて、その時点でまた見直しましょう、と皆で話し合ったことを憶えている。
5 年経過した時には、もうそろそろ、というような話しはあまり出なかったばかりか、その
後さらに参加者が増えた年もあったように思う。
「もう 10 年か、いろんなことがあったナ
ァ」とか、
「流石にもうそろそろかも」といったような諸々の想いが交錯しなかったわけで
はないが、純粋に、皆よく頑張ったナァと強く思った。私は、だいたい私のアンコールプ
ロジェクトのためにシェムリアップに滞在して、皆さんを迎え、AYFのアンコールの活
動が終了すれば、そのままシェムリアップに残ることが常であった。最初の頃は、活動終
了後は、カンボジア内の遠隔地の遺跡へ、オプションで行くことが多かったが、何年目か
らだろうか、カンボジア以外の隣接国の遺跡や観光地へ行くようになったが、私が関係し
ているベトナム・フエとカンボジア国内以外のオプショナルツアーに私は参加していない。
また、日本国内でのアンコールツアーの準備作業等にも、私はほとんど役立っていないの
で、私以外の人がよくやった、と言うのがまったく本当のところである。特に中心になっ
て取り組んできた人達の顔がすぐに思い浮かべることができるが、交流のためだけに 10 年
間も通ったあなた方は、本当にすごい、よく頑張った、と掛値なしに言うことができるの
である。確かに私もAYFの一員
ではあるが、ほとんどオンブにダ
ッコだったので、自画自賛ではな
く、そう思うのである。勿論問題
がないどころか、毎年のように新
しい課題が頻出してくるのに、私
たちメンバーの大部分は、一年一
年老齢化が確実に進行してくる。
もうそろそろ、という声が出てき
てもおかしくないのである。この
やまなみ塾開校式(2006.5) 乾杯!
1
際、AYFの最初期の目的は何であったのか振り返っておきたいと思う。
私が初めてアンコール遺跡に来た 1992 年の 10 月には、アンコールワットを訪れる外国
人は、休暇中のPKOの兵士達ぐらいであったが、現在は 400 万人超の外国人観光客であ
る。そもそも、アンコール遺跡救済のための国際協力の枠組は、長くカンボジア和平に取
り組んできた日本政府が、和平後のカンボジアの社会復興のための国際協調を持続させる
ために、世界的に関心の高いアンコール遺跡の救済を皆で協力してやりましょう、という
考えから行ってきたもので、その意味では、観光客の急増という一事だけでも、この大プ
ロジェクトは成功であったと思う。
カンボジアの来訪者数と観光業収入の対 GDP 比率の推移
http://www.dir.co.jp/consulting/asian_insight/20130124_006709.html
また、アンコール遺跡の保存修復現場で働く、カンボジア人専門家や現場作業員は、東
南アジアの石造遺跡の中では、一番素晴らしいと思う。特に、現在日本政府チームとバイ
ヨンで協働しているカンボジア人チームは、技術水準ではトップレベルであると自負して
いる。このような技術の質を永続させていくための手助けを、カンボジアのアンコール・
クラウ村の子供達を通してやっていこう、ということであった。
今回のツアーでの遺跡修復現場とその解説、いずれもバイヨン寺院にて
2
なにしろ、10 年の活動であるから、ひとことでは纏めきれないが、英語、日本語の学習
を通して外国との交流に眼を開く手助け、そして音楽や絵画に馴染むことによって、将来
アンコール遺跡の保存に向き合うに足る意欲や情操を育み、元気な子供達が、村や地域を
活性化させていくこと、それがアンコール遺跡の永続的な保存に対して、側面から、ある
いは基礎からの下支えに育って欲しい、ということであった。5,6年前に「桃太郎さん」
の寸劇で、ドンブラコッコ、ドンブラコッコのセリフと共に名演技で人気を博した少年1が、
昨年、
「育てる会」2とJST3と連携して、日本に派遣され4、強い印象を抱き、現在は素晴
らしい英語を駆使して、バイヨン遺跡の紹介などJSTスタッフとして活動している。彼
の元気な活躍を見ると、AYFの活動にそれなりに意味があったと認められよう。
しかし、ものごとには必ず反面がある。村も街もきれいになり、10 年前からは格段の利
便性の向上である。シェムリアップの中心街は、世界遺産都市では最も高密度で、混み合
う都市になった。人々は、有形無形の商業主義、拝金思想などのために、明らかに追い詰
められつつあるように見える。かろうじて、子供たちは、まだ明るい。変なおじさんやお
ばさん達が、毎年来て、いろいろやっていったけど、あれは何だったのか、という不思議
な記憶や想いが残るような活動を、少しでも良いから、深く、鮮やかに続けたいと思う。
海外青年協力隊やシニアボランティアの活動との連携、職業訓練学校的なものとの協力も、
可能性を追求し続ける
べきであろう。しかし
何よりも、アンコール
遺跡に、自立的に向き
合う精神とは何か、私
たち自身が考え続ける
ための交流であること
を忘れるべきではない
と思われる。
オートバイ会社の宣伝看板
1
p28、p31 を参照。
2
公益財団法人「育てる会」のこと。http://www.sodateru.or.jp/ を参照。
3
Joint Support Team for Angkor Preservation and Community Development のこと。
http://www.jst-cambodia.net/about.html を参照。
4
AYF の HP(http://www.npo-if.jp/yfund/jp/activity_16.htm)を参照。
3
【ツアー行程記録】
日
日程
程
2016 年 2 月
表(〝やまなみ塾〟訪問と遺跡見学ツアー)
日
出発地/到着地
時刻
内容
羽田/バンコク
(NH847)
バンコク/シェムリアップ
(PG907)
10:50
16:05
17:40
18:40
東京昼グループ
富山/羽田
(NH322)
20:10
21:15
富山グループ
19 日(金) 羽田/バンコク
(NH849)
00:30
05:45
富山グループ
羽田/バンコク
(JL033)
00:05
05:05
東京夜グループ
バンコク/シェムリアップ
(JL5963/PG903)
08:00
09:00
バンコクにて富山グループと東京夜グループが
合流し、シェムリアップへ
<東京朝グループ>
1
18 日(木)
羽田出発
(時差:-2時間)
Monica Angkor Hotel
<富山夜グループ・東京夜グループ>
1
2
18 日(木)
羽田へ
(機中泊)
羽田からバンコクへ
羽田からバンコクへ
<全員>
2
19 日(金)
シェムリアップ
(ホテルにて全員合流)
自由
昼食(バンテアイ・スレイ レストラン)
交流会の打ち合わせ(各パートの担当者)
遺跡見学(アンコール・ワット&バイヨン)
Monica Angkor Hotel
遺跡見学(バプーオン)
バイヨン中学で昼食、のち交流会
夕食(ラッキー・レストラン)
Angkor Riviera Hotel
やまなみ塾での交流会
昼食(ウイリアム・テル)
遺跡見学(ニャック・ポワン、プリア・カーン)
夕食(モイ・モイ)
Angkor Riviera Hotel
午前
午後
3
20 日(土)
シェムリアップ
午前
午後
4
21 日(日)
シェムリアップ
午前
午後
カンボジア
午前
<東京直帰組>
5
6
22 日(月)
23 日(火)
シェムリアップ/バンコク
(PG908)
バンコク/羽田
(NH850)
羽田/富山
(NH313)
午後
遺跡見学(スラ・スラン、タ・プローム、タ・ケウ)
昼食(パリ・サイゴン)
小さな美術スクール見学
19:30
20:25
22:45
06:30
09:15
10:15
羽田発
富山着
(機中泊)
4
<ミャンマー(バガン)組>
5
22 日(月)
シェムリアップ/バンコク
(PG924)
バンコク/ヤンゴン
(PG707)
ヤンゴン/バガン
(Y5602)
09:50
10:45
13:40
14:35
18:30
19:50
6
23 日(火)
バガン
午前
午後
夕刻
7
24 日(水)
バガン
午前
午後
8
9
25 日(木)
26 日(金)
JL=日本航空、
早朝
午前
05:30
08:30
バガン/ヤンゴン
(Y5102)
ヤンゴン/バンコク
(PG704)
バンコク
(JL034)
12:30
15:40
18:20
20:15
22:25
バンコク
(NH850)
羽田着(JL034)
22:45
羽田着(NH850)
06:30
羽田/富山
(NH313)
09:15
10:15
NH=全日本空輸、
06:00
ミャンマーへ移動
(時差:-2.5時間)
ヤンゴン市内(スエドーパヤ寺院、町のスパーマーケ
ットなど)見学
夕食(宿泊ホテルにて)
Bawga Teiddhi Hoel
バガン観光(シュエジーゴンパゴダ他見学)
漆工房、ダビニュー寺院ほか見学
日の入り見学
夕食(ナンダー レストラン)
Bawga Teiddhi Hoel
市場見学、ポッパ山へ(途中ヤシ工房見学)
本ポッパ山中腹のレストランで昼食
スラマニー寺院、ダマヤンジー寺院他見学
エーヤワディー川のクルーズ
夕食(アマタ レストラン)
Bawga Teiddhi Hoel
日の出見学
出発までグービヤウジー寺院、ミンバガ村見学
(Y5102 便、途中 Heho と Thandawe に立ち寄る)
東京夜グループ
※機体荷物室の整備トラブルにより、JL組は出発が
2 時間ほど遅れる。更に荷物が後便となり、夏服の
まま帰宅というハプニングに見舞われた。
東京昼グループと富山グループ
(機中泊)
※追い風で、遅れを 2 時間から 50 分ほど短縮し、
7 時 10 分ごろ到着
※NH は、追い風により予定より 40 分ほど早く着く
PG=バンコク・エア、
5
Y=Asia Wings
【ツアー行程記録】
-カンボジア編-
横山貴文
参加者
富山組 直帰組
5名
バガン組 6名
東京組 直帰組
1名
バガン組 12 名(内、2名は朝出発)
<2月18日(木)> 日本→カンボジア
10:50 東京朝出発組、バンコク経由でシェムリアップへ。
19:00 富山組集合し、20:10 羽田へ出発。
22:10 東京夜出発組・富山組の 22 名が合流。
0:05(東京組)、0:30(富山組)の出発までカフェにて歓談。
<2月19日(金)> 交流会打合せと遺跡見学
0:30 0:05(東京組)、0:30(富山組)
羽田空港出発。
5:05 バンコクに到着(東京組)
タイ、カンボジアは東京より 2 時間遅れの時差
6:30 バンコクに到着(富山組)
合流し、シェムリアップ便までの待ち時間にバ
ンコク・エアウェイズのラウンジにて休憩
7:20 搭乗口へ移動し、入出国カード、税関申告書を記入。
6
8:30 30 分遅れでシェムリアップへ出発。
9:30
シェムリアップ到着。
① ビザ申請-->②入国手続きの順に進む
ビザ申請は旅行会社から渡された用紙で全く問題なし。チップを強要される
ことはなかった。しかし、施設が広くなったのはいいが、約1時間もかかる。
10:30 JASA 職員のタウリさんと合流し、ホテルへ向
かう。
10:50 モニカ・アンコール・ホテルに到着し、休憩
12:00 前日の東京朝発組も加わり、全員合流。昼食はバンテアィ・スレィ・レスト
ランへ。デザートには「ちまき」のような食べ物と甘ーいコーヒー
13:50 A,B 班別行動
A.バイヨン遺跡、アンコールワットの見学
参加者 14 名:早
内、西邨、永井、山岡
(義)、熊倉夫妻、内田、
中嶋、佐藤、的場、川
上、喜田、森尻、盛
7
B. 現地スタッフと翌日、翌々日の交流会内容の打合せ
参加者 10 名:岡田(雅)、佐脇、多賀夫妻、青木、岡田(寛)、金岡、
関野、山岡(直)、横山
JASA 事務所にて、タウリさん、ヴィアスナさん、ダーさん、と打合せし、
5
順序や役割分担を確認。
18:00 クーレンⅡにて、アプサラ・ダンスを鑑賞しながら夕食。
<2月20日(土)> バイヨン中学校交流会
8:40 モニカ・アンコール・ホテル前で交流会へ向けてダンス、合唱練習
9:20 ホテル出発
10:00 バプーオン遺跡見学
3 層のピラミッド型寺院であり、約 200m の空中
参道が特徴の遺跡で中川先生の解説を受ける。
多くのアンコール遺跡では、建物の軸線が 2-4m
ずれている。それは、新しい価値を建物で表し、
古くからの価値を敷地で表そうとしているため
である。
ピミアナカス、象のテラスを経由し、車乗り場へ
移動
11:50 バイヨン中学校へ向けて出発
12:10 バイヨン中学校到着。校舎が増築されていることに驚く。
12:30 地元の方が作ってくださったカレーを頂く。香辛料がたっぷり入っており、
汗が吹き出す。パンがとても美味しく、相性ぴったりでした。
13:30 交流会開始。
①歌:富士の山、証城寺の狸囃、手のひらを太陽に
②フォークダンス:キンダーポルカ、ジェンカ、マイムマイム
③スポーツゲーム:ビーチボール、玉運び競争
5
JAPAN-APSARA Safeguarding Angkor(http://www.jst-cambodia.net/about/04.html)
8
15:20 チアさん挨拶。チョム・ルー校長先生のバイヨン中学校の現状を報告。
2005 年の生徒数は 130 人だったが、年々増加し、2016 年現在は 406 人の生
徒数。
戸籍制度がしっかりしていないので、3年制だが、実際には 11 歳~20 歳の
生徒がいる。バイヨン中学校が設立されてから復学する生徒がいることも生
徒数増加の一因。
授業は 7:00-12:00 で行われるが、
栄養事情のよくない生徒が多く、
必ず誰かが倒れるので 11:30 には
終了させる。
この村の保護者は読み書きが出来
ないので、3か月に1度保護者会
で、子供の成績を発表。
卒業後の進路は8km 先の高校に進学するか、働く年齢に達している場合が多
いので働くそうです。
16:00 バイヨン中学校出発
16:40 アンコール・リビエラ・ホテル着
17:30 明日のやまなみ塾での交流会に向け、風船
アート、ヨーヨー釣りの下準備
18:30 ラッキー・レストランにて夕
食。
タウリさん、ソパニーさん、ニ
ータさん、ダーさん、アオイさ
ん、ソレヤーさんも合流
<2月21日(日)> やまなみ塾交流会
9
8:40 ホテル出発
9:10 やまなみ塾到着。交流会開始。
① 挨拶
② 七夕飾りづくり
③ 水ヨーヨー釣り
④ コマ回し
⑤ 風船アート
⑥ 歌(七夕の歌、スズメの学
校)
⑦ お菓子のプレゼント
12:10 やまなみ塾出発
12:50 ウィリアム・テルにて昼食。タウリさん、ソパニーさん、ニータさん、ダー
さん、アオイさん、ソレヤーさんも合流
15:00 遺跡見学出発(喜田さん 15 分遅れ)
15:20 岡田寛さんが遺跡入場チケットを忘れ、チケット検査員との協議の結果、$6
でバイクタクシーに乗り、ホテルへ取りに戻る。
15:50 岡田さん戻ってくるが、
道中で帽子を吹き飛ばす。
16:15 ニヤック・ポワン到着後、
露天商から
$8$6 で帽子を購入
16:50 プリア・カンへ移動するが、
途中で永井さんの乗り遅れ
に気が付き、引き返す。
16:55 永井さんを発見する。
17:40 再びプリア・カンへ向かう
プリア・カン出発
19:40 モイ・モイ到着。
タウリさん、ソパニーさん、ニータさん、ダーさん、アオイさん、ソレヤー
さん、ヴィアスナさんも合流
10
喜田さん持参の昆布〆、昆布巻
きはカンボジアの方にも好評。
21:40 中川先生、岡田(寛)さん、熊倉さん、佐藤さんが、今夕ベトナム経由でカン
ボジア入りした「育てる会」の国際交流事業6に参加の学生達 10 人と、ホテ
ル前シムリアップ川対岸のホテル&レストランで会い、情報交換。
<2月22日(月)><日本直帰組>
7:20 バカン組見送り
9:15 ホテル出発
9:45 スラ・スラン見学
12世紀末に完成した王様の沐浴場で、テラスがある。昔は宝物がたくさん
あったといわれる。
10:00 タ・プローム見学
参道よりもテラスが充実しており、プリア・カンと同様の2階建ての建物が
あるのが特徴。
11:10 タ・ケウ見学
アンコール遺跡の中で、最も丈夫な石を使用している。頂上付近の石造が角
ばっていることからも分かるように、建設途中で放棄されている。
12:00 JASA 事務所見学
12:45 パリ・サイゴンにて昼食
中川先生がシェムリアップ
で一番おいしいと言われる
揚げ春巻きは確かに美味し
かったです!
6
http://www.sodateru.or.jp/blog/camp/cat3/
11
14:20 美術学校訪問
笠原先生、坂田さん、ヒアさんが出迎えてくださる。画用紙、クレパス等を
寄付。街の展示館の閉鎖にあわせ、美術学校を改装し、1階をギャラリーへ。
<笠原先生のスケジュール>
土曜日:やまなみ塾
他の日:自スクールでの
指導と他地域での指導
金曜日:週に一回の休み
笠原先生の美術学校を卒業
した生徒が先生となってス
クールを開いているまでに
スキルが上がっている。
<カンボジアと日本の生徒
の違い>
日本の生徒は「課題に取り組む」という感覚だが、カンボジアの生徒は
「描きたい」から描くそうで、非常に伸び伸びと取り組んでいる。
17:20 中川先生が空港まで見送ってくださり、バンコク・羽田を経由し、翌日 10:30
富山空港無事到着、解散。早内さんは、羽田まで。
アンコールワット(中央祠堂から)
12
ツアー行程記録
-ミャンマー編-
川上
啓輔
《ミャンマー旅行の不正確な記録》
記録担当の横山氏がミャンマー旅行に参加できないということで、
ミャンマーの部分の記
録係りがこちらに回ってきたようだ。当方の苦手で嫌いな部分だが、まあ、ミャンマーのバ
ガン行きは、
やまなみ塾の目的とは関係ない単なる観光だから適当に書いておけばいいだろ
う。
ということで・・・・。
2月22日
7時10分:ミャンマーに向かう総勢18人ロビーに
集合。胃腸が疲れてきている人も何人かいる
ようだが、おおむね元気。
7時20分:今日で帰国の途に就くメンバーに見送ら
れてリヴィエラホテルを出発、バスでシェム
リアップ空港に向かう。
10時:定刻よりわずかに遅れて離陸。ひとまずバンコクへ。
11時:バンコク国際空港到着。ラウンジでサンドイッチをつまんだり、空港内のラーメ
ン店で昼食をとる人など3時間ほどの時間待ち。
14時20分:定刻より40分ほど遅れてバンコク空港を離陸。
15時:ミャンマーのヤンゴン空港に着く。30分ほどの遅れ。空港では、この後のミャ
ンマー観光を案内してくれる現地の「さくら観光」の小須田社長夫妻らが自ら出
向かえに。ガイドは、サニーさん42歳、日本
語も流暢で、若いころ日本に2年ほど留学の経
験があるとのこと。社長もサニーさんもスカー
トのようなものを身に着けている。日本的には、
巻きスカートとか腰巻とか呼べそうだが、ミャ
ンマーで「ロンジー」というこの着衣、男女と
も公式の席でも家でくつろいでいるときでも
利用でき、サニーさんによれば、男性はだれで
も50着前後は持っているという。
13
中央「紫のロンジー」がサニーさん
15時30分:リラックスシートのついた大型バスでヤンゴン市内
に。
15時40分:スエドーパヤという寺院に着いた。金色の豪華絢爛
寺院。裸足になって見学。中央の金色のケースのような中
には仏陀の聖歯が祀られているという。
17時05分:予定にあったもう1か所の寺院見学は時間の都合で
省略し、「オーシャンスーパーセンター」というスーパー
マーケットに立ち寄る。小生は1キロのはちみつを買い、
レジで6ドルを渡し350チャット(現地通貨、35円)
のおつりを受け取った。はちみつもいろいろだが、日本で
は3000円前後はするはず。
17時30分:ヤンゴン空港着、チェックイン。バガンへの便には
ミャンマーナンバーワンの楽団と、超有名歌手が同乗する
とのこと、超有名歌手は、中年男性、ヴィトンのバッグを手に黒ずくめの服装だ
った。席は自由席。
18時30分:ヤンゴン空港を定刻通り離陸、
バガンへ。
19時50分:ようやくバガンのニャウンウー空
港に定刻に到着。荷物引き取り後バス
でホテルへ向かう。途中、ライトアッ
プされたバゴダも見えた。
20時30分:ボーガテェイッディ・ホテル
(Bawga
Theiddhi
Hotel)に到着。
ここに3連泊となる。
21時:庭にしつらえられた戸外のレストランで遅い夕食。中華風大皿理。
14
2月23日
6時
:各自で朝食。
9時10分:今日は最初に見学の予定だった市場は“満月”のため休みとの由、寺院やパ
ゴダ巡りにバスで出発。
9時30分:金色に輝くシュエジーゴン・パゴダに到着。バガン朝初代アノーヤター王が
建設に着手し、3代チャンスィッター王が完成させた、まさに黄金の豪華絢爛た
るパゴタ。このあと行くアーナンダ寺院と並んでバガンを代表する建物だそうだ。
ちなみに、シュエジーゴンの「シュエ」は金とか黄金の意。ヤンゴンの有名なシ
ュエダゴンパゴダも同様。ミャンマーでは、参拝客が仏像やバゴダに貼るための
金箔も寺の売店などで売っているらしい。時間をかけ、パゴダの周りを一回り。
11時
:当初予定にはな
いティーロミンロ寺
院を見学。13世紀
初頭、8代ナンダウ
ンミャー王が創建。
寺院の名前ティーロ
ミンロは「傘の王」
の意。先代の王が5
人の王子から後継者
を選ぶ際、傘占いで
傘が倒れたほうにい
たナンダウンミャーを選んだことから寺院がこのように呼ばれるようになったと
のこと。4体の黄金の仏座像。境内には、寺にちなんでかカラフルなお土産の日
傘が売られている。また、首長族の女性2人の織物の実演販売や最近バガンの人
気お土産の一つになったという砂絵の実演販売も。これもサニーさんの説明付き。
15
12時5分:バガンで最も美しいといわれ
るアーナンダ寺院を見学。3代チ
ャンスィッター王が創った。こち
らは、4体の大きな仏立像。北面
と南面にある2体は、12世紀初
頭の創建当時の古い仏像だという。
12時45分:エーヤワディー(イラワジ)
川に面した「サンセットガーデン」レストランで昼食、雄大な川の流れ、下流方
向左岸にはアノーヤター王が建立した金色のローカナンダパゴダが遠望できる。
中華風の大皿料理、野菜の天ぷら、ナッツの入った炒め物なども。
14時:漆工房を見学。ミャンマーの主要な伝統工芸品でもある漆芸は、バガンが最大の
生産地で、石川県の輪島塗りなどとも交流があり、品質の向上が図られているら
しい。細く割いた竹を編んだり、さらにそれに馬のしっぽの毛を編み込んだりし
たものが容器の素地になっており、そこに漆を塗り重ねても硬くならずに柔らか
なままなのがおもしろい。帰国した後、買ったお椀にお茶を注いだが、漆のにお
いがちょっと強すぎた。
15時:暑さを避けるため、ホテルに戻り休憩。
16時:マヌーハ寺院見学。アノーヤター王との戦いに負け、バ
ガンで捕らわれの身となっていたモン族タトウン国のマ
ヌーハ王が1059年に創建。巨大な三体の仏座像とこ
れも巨大な涅槃仏が建物の内部いっぱいに。
続いて、隣にあるナンパヤー寺院。捕らわれたマヌーハ
王がここに幽閉されていたとも伝えられる。太い柱には、
ヒンズー教の最高神の一人ブラフマーのレリーフが。
16
16時45分:タビニュー寺院。65メートルともい
われるバガンで最も高い寺院。12世紀前半。
向かいの僧院の敷地に1992年に創られ
た第二次大戦の日本人戦没者の鎮魂碑があ
る。参拝。
17時15分:夕陽を見るため、グニ寺院というかなり古びた寺院の内階段を上る。テラ
ス様のところで林立するパゴダの間に沈む夕日を待つが、太陽は沈む前に雲間に
隠れてしまった。
18時10分:夕陽をあきらめ、ナンダー レストランへ。伝統芸能の操り人形劇を観なが
ら、丸いお重のような器に盛られたミャンマー御膳の夕食。
20時:ホテルに帰着。
2月24日
6時:朝食に庭に出たら沈もうとする丸
い月のすぐ上に明るい星が。木星
が大接近していたらしい。
17
8時:ホテルをバスで出発、昨日見学できなかったニャウンウー市場へ
8時25分:市場に着く。市営の市場とそれを取りまくようにフリーマーケットが広がっ
ている。フリーマーケットはすれ違うのもやっとのほど市民や観光客でごった返
していた。
9時15分:ポッパ山に向け出発。
9時40分:途中にあるヤシ工房に立ち寄る。原液のジュース、酒、砂糖菓子、小粒ピー
ナッツ、ごま、生のお茶などを試食。皆おいしい。
10時過ぎ:いよいよポッパ山に向け出発。我々が登るのは小ポッパ山(737m)で、
「タ
ウンカラッ」と呼ばれる頂上は、土着の神々「ナッ神」の総本山である。
11時15分:777段の階段口に到着。
37
体が勢ぞろいしている「ナッ神」を見た
後階段を上る。1/3ほどのところで靴を
脱ぎ裸足に。階段は屋根付きなので暑く
もなく上りやすく、20~30分前後で
頂上に。林立する金ぴかのパゴダや電飾
付きの仏像など荘厳というより派手派手
しい感じのタウンカラッを見学、参拝の後下山。多くのサルが階段のあちこちに
たむろしており、手に持っていたペットボトルをサルに奪われた人もいた。
13時10分:向かいの本当のポッパ山(1518m)の中腹にあるリゾートホテルのレ
ストランで昼食。ここからの小ポッパの眺めが素晴らしい。食事はビュッフェ形
式で、ミャンマー産の白ワインを飲む人もいた。
18
14時20分:昼食を終え、一旦宿泊してい
るホテルに帰る。
15時30分:ホテル着、小休憩。
16時05分:ホテル発
16時20分:スラマニ寺院に到着。12世
紀、あの「傘の王」を指名した第7
代ナラパティシートウー王が創建。
回廊に鮮明な壁画(フレスコ画)が
残っている。
16時50分:ダマヤンジー寺院に到着。ピラミッドのような巨大寺院。12世紀、第5
代ナラトゥ王が父と兄を殺した罪滅ぼしに創ったと伝えられる。
自身も殺され寺院は未完に。
17時30分:2艘の船に分乗し、エーヤワディー川のサンセット・クル
ーズ。乗船時は太陽が見えていたが、間もなく雲間に隠れてしま
い沈む夕陽は見られず。クルーズを30分で切り上げレストラン
へ。
18時10分:伝統舞踊や操り人形のライブがついた夕食(アマタ レストラン)。ミャンマ
ー産赤ワインは熟成感もありまずまずだった。
20時30分:ホテルに帰着。
2月25日
5時30分:日の出
を期待して
8人が早朝
散歩に参加。
日の出は不
首尾だった
との由。
地平線上の丸く見えるのは、バルーン
19
8時30分:バスで出発。グービヤウジー(Gu Byauk Gyi)寺院。
12世紀初頭。内部の壁画等は撮影禁止。隣接するミャン
マーのロゼッタストーンと言われるサンスクリット、古ミ
ャンマー語、モン語、バーリー語の4種類の言葉で記され
た石碑(ミヤ・ゼーディー)を見る。
続いて、この寺院のあるミンガバ(Myinkaba)村を見学。
炊飯器や冷蔵庫などもある「モデルハウス」をみたり、結
婚式に出くわし、新郎新婦を中心に記念写真の撮影も。道
端の市場では、干物のにおいが強烈だった。
ミンガバ村の結
婚式で記念撮影
10時過ぎ :ホテルに戻る。
11時15分:バスでホテルを出発、帰途に就く。
12時30分:バガン発。途中、2か所に立ち寄り
15時35分:ヤンゴン空港着
18時20分:ミャンマー、ヤンゴン空港発
20時15分:タイ、バンコク空港着
22時45分:富山グループと関野、川上はANA機でバンコク空港発
2月26日
5時50分:追い風に乗って予定より40分ほど早く羽田に着いた。
なお、東京グループが乗ったJAL機は、機体荷物室のトラブルで出発が2時間
以上遅れたうえ、預けた荷物も後便になったため、後日に届くという難に見舞わ
れたという。お気の毒様。
拙いミャンマー旅行の記録は以上だが、中川先生からもらった、最近では珍しい手書き
手作りの資料が、怪しいメモと薄れた記憶を補って大いに役立った。多謝。
20
【AYF10年の歩み】
AYF(アンコールやまなみファンド)年表
設立:2005 年 5 月
会
員:日本国アンコール遺跡修復チーム団長 中川武(現 早稲田大学名誉教授)
の中学・高校の同期生を中心に会員を募り設立する。
(代表 多賀正夫、スタート時会員数 28 名)
会計年度:10 月 1 日~9 月 30 日とする。
設立趣旨:アンコール遺跡の保全につながる人材育成をめざして、カンボジアの子ど
も、若ものたちに教育支援をする。対象地域は、遺跡修復の仕事に従事して
いるカンボジア人の多くの出身地であるクラウ村とする。
事 務 局:150-0002 渋谷区渋谷 2-17-3 渋谷アイビスビル 9 階
NPO-IF 歴史文化交流フォーラム内
☆現地での管理などは、現地 NGO-JST(代表:チア・ノル)に委託
現況:2016 年 4 月現在の〝やまなみ塾〟の状況
1.2013 年にできたバイヨン中学(クラウ村を含め 4 つの地域の子どもたちが通う)の
教師が、午後クラウ村に来て、村の子どもたちに、クメール語、英語、日本語、算数
などを教えてもらうよう依頼し、2016 年 4 月より開始している。
月曜日~土曜日
午後 2 時から 4 時まで。登録生徒数は、45 名。
月、水、金、土にはバイヨン中学の校長先生も同行し、視察。
曜日
月曜日
火曜日
水曜日
木曜日
金曜日
土曜日
内容
算数
算数
英語
英語
カンボジア語
カンボジア語
環境・衛生
2.
「小さな美術スクール」の笠原知子先生の絵画の指導は、継続している。
経緯:設立から現在まで
年
2005
2006
月
日
内
容
5月
AYF(アンコールやまなみファンド)設立
11 月
AYF〝やまなみ塾〟建設着工
・カンボジアシェムリアップ郊外にあるアンコールクラウ村に
学び舎〝やまなみ塾〟を建設
AYF〝やまなみ塾〟完成
・完成と同時に、村出身の 2 名の青年に英語の授業を依頼
(月~金まで、午前の部と午後の部の2部制で実施)
AYF〝やまなみ塾〟開校式
※「〝やまなみ塾〟開校式と遺跡見学ツアー」として、第一回
目のツアーを実施(2006 年 5 月 4 日~9 日)
15 名参加
4 月末
5月6日
21
2007
1 月 25 日
第二回〝やまなみ塾〟訪問と遺跡見学ツアー実施 13 名参加
~30 日
2008
2 月 22 日
~26 日
2009
2月6日
第三回〝やまなみ塾〟訪問と遺跡見学ツアー実施 34 名参加
・10 月から要望により、日本語の授業行も行う(毎週土曜日)
第四回〝やまなみ塾〟訪問と遺跡見学ツアー実施 21 名参加
~10 日
2010
5 月 27 日
~6 月 3 日
第五回〝やまなみ塾〟訪問と遺跡見学ツアー実施 29 名参加
オプショナルツアー:ベトナム(ホーチミン・フエ)
・10 月から青年部の日本語授業を開始(毎週土曜日)
2011
11 月 25 日
~12 月 2 日
2013
1 月 12 日
~19 日
8 月 15 日
第六回〝やまなみ塾〟訪問と遺跡見学ツアー実施 29 名参加
オプショナルツアー:ラオス(ルアンパバーン)
・会員も徐々に増え、86 名となる。
「カンボジアの子どもたちの小さな絵画展」実施
ギャラリーNANZUKA にて
「カンボジアの子どもたちの絵画展」実施
~20 日
10 月 18 日
~24 日
新宿高島屋 特設会場にて
第七回〝やまなみ塾〟訪問と遺跡見学ツアー実施 20 名参加
オプショナルツアー:ミャンマー(ヤンゴン、バゴー)
・
「小さな美術スクール」
(シェムリアップ)主催の笠原智子先生に、
絵画指導を依頼(毎週土曜日)
2014
8月7日
~12 日
11 月 13 日
~21 日
2015
8 月日
~12 日
8 月 23 日
2016
「カンボジアの子どもたちの小さな絵画展-Ⅱ」実施
ギャラリーNANZUKA にて
第八回〝やまなみ塾〟訪問と遺跡見学ツアー実施 15 名参加
オプショナルツアー:ラオス(パクセー)
「カンボジアの子どもたちの小さな絵画展-Ⅲ」実施
ギャラリーNANZUKA にて
~9 月 1 日
(公財)「育てる会」の国際交流事業に協力
長野県富士見町、都内代々木
1月
・設立以来英語の授業を担当していた 2 名の現地スタッフが退
職。臨時の措置として、関西学院大学のインターン生 2 名が
週 2 回英語の授業をボランティアで実施。
2 月 18 日
~26 日
第九回〝やまなみ塾〟訪問と遺跡見学ツアー実施 25 名参加
オプショナルツアー:ミャンマー(バガン)
・現在会員数は 86 名(途中多少の変動はあった)
22
第九回 AYF ツアー旅行
-10 年を振り返りながら-
多賀
正夫
「出発」
2 月 18 日午後 7 時、富山発ツアー参加者 11 名は富山キトキト空港へ集まった。3 名は初
参加者である。それにしても空港に人の少ないこと。1F には「寿司屋」さん、2F には「パ
スタ屋」さん、2 軒のレストランしか営業していない。当初は、みんなで簡単に会食でも、
とも考えていたがムリ。搭乗口へ入ってからか、羽田国際線ターミナルで軽く腹に詰め込
んで出かけよう、ということにした。
今年は暖冬、
いつもはこの NH322 便が雪で飛ばなかったらどうしょうと悩むところだが、
今年からは新幹線がありその心配だけはない。
22 時、東京発グループと羽田空港国際便ターミナルで合流、自己紹介をして記念写真を
パチッ。少しの時間ビールで喉を潤し、そ
れぞれの搭乗口へ向かった。それぞれとい
うのは日航便の利用と、全日空便の利用と
に別れての出発だからだ。今回は東京発グ
ループも 13 人の参加、総計 24 人、久しぶ
りの大所帯である。しかもミャンマー経由
で 9 日間の長旅でもある。緊張、緊張。
「シェムリアップ」で
タイ、スワンナブーム空港へは 5:45 到着、30 分前に到着の東京 G と再び合流。8 時発の
バンコク・エアウェイ便で 9 時、シェムリアップへ到着。アレッ、空港ビルが 2 倍ほどに
大きくなっている。
初めて来たのが 2002 年、ホーチミンから入ったが、乗客はわれわれ 4 人を含めて 6 人、
空港も確か木造だったのに‥毎回大きくなりつつあったがまさかこんなに大きくなるとは。
空港でとるビザの費用もあがって 30 ドルに…このせいだナ。
昼はバンテアィスレィ・レストラン、それから初めてのメンバーを中心にアンコールワッ
ト、バイヨンの遺跡見学、交流会の担当者は JASA の事務所を借りての打ち合わせになる。
久しぶりのクーレンⅡでの夕食、一泊目はモニカ・アンコール・ホテルでの宿泊。明日
はバイヨン中学での交流会、体力を温存しておかなくては‥。
23
遺跡見学と「バイヨン中学」
カンボジアでの二日目、20 日は遺跡見学から始ま
る。「バプーオン」、はじめてカンボジアへ来た時か
らずーっと工事中だった。200m の空中参道、すすめ
に従って私ども夫婦が手をつないで真っ先に歩かせ
てもらう。旅のことと言いながらちょっぴり恥ずか
しい。参道は地上と天界をつなぐ虹の架け橋とか‥。
遺跡修復方法は国ごとに違うという。ここはフランスが工事をしたもので構造体はコン
クリートで造り直されたと言うが、さすが壁面の水平線はきれい、遺跡を際立させている。
王のテラスから JASA が手掛けた「プラサット・スゥル・プラット」を見てバイヨン中学へ。
バイヨン中学へついてまたびっくり、教室棟が増えて、校舎が 2 倍の大きさになり、生
徒も 2 倍に増えたという。昼食にパンとカレーをいただく。とっても失礼な言い方だが、
食べ物には気をつけて、が旅行の最大注意事項。でも昨年もごちそうになったからかメン
バーの食べっぷりがいい。
少しの休憩のあと、交流会に入る。例年のように歌での交歓のあとビーチ・ボール、ス
プーンレース…そうそう今年はフォーク・ダンスをしようということでホテルを出る前に
練習までもした。「背を向けあって、すれちがって‥」。練習でさえできないものが本番で
うまくいくはずがない。なんどやってもおんなじ相手、キャーキャー言いながらの交流会
は瞬く間に時間が過ぎた。校長先生の説明会、昨年同様感銘を覚える、頑張ってほしい。
手伝ってくれた JST のみなさんには感謝、感謝である。
クラウ村、
「やまなみ塾」
開校式の光景は忘れられない。ほんとうに暑
い日だった。たくさんの子どもたちと村人が集
まって、意味もわからないだろうわれわれのお
祝いのことばを暑い中でじっと聞いてくれた。
いっしょに踊った。子供たちと体をぶっつけあ
いながら遊んだ。数回後の訪問では、子供たち
村長もチア
さんも私も
若かった
は英語劇「モモタロウ」を演じてびっくりさせてくれた。コミニュティ・センターの竣工
式には近隣の村長から、われわれのところにも「やまなみ塾」が欲しいとうらやましがら
れたという。
あれから約 10 年、その時の感動が今もわれわれの活動を支えている。もう社会へ出てい
る子供も多いだろう、もうアンコール遺跡の修復に関わっている子供もいるかもしれない。
「子どもたちの瞳、きれいですね」
、高校の同窓会誌で活動紹介した時の同級生の言葉で
24
ある。七夕飾りをつくり、願いをこめた短冊を竹につる
し、細やかに七夕祭りをした。「お父さんに車を買って
あげたい」‥インターンで来ている関西学院の学生さん
に読んでもらった短冊のひとつ。ヨーヨー釣り遊び、紙
トンボ、コマ回し。締めくくりはいつものように風船アート、風船の刀で切りつけてくる。
逆に頭をたたかれてキャッキャッ逃げ出す子供たち。時間が来て、車で帰るわれわれに風
船を持った手でサヨナラの合図。家内は前回撮った写真で子供たちを探すが、見つからな
かった様子。でも次回を期待して子供たちの写真をパチリ、手を振って村を後にした。
ミャンマーの夕陽、朝日
22 日、ミャンマーに飛んだ。シェムリアップから一度バンコクへ戻り、ヤンゴンで降り
る。前々回に引き続いいて二度目のミャンマー、正直あんまりいい印象はない。ヤンゴン
では現地のガイドさん、サニーさんが迎えてくれる。日本語がうまいな、と思ったら信州
大学に 2 年いて、松本に住んでいたという。この先はすべてサニーさんの案内となる。ヤ
ンゴンでスエドーパヤ寺院(名前はとにかくわからない、あとで写真を見ながらここだっ
たのかなァ‥と、いうことで間違えていればご勘弁を)を見学のあと、ふたたび空港へも
どり、今度はニャウンウー空港へ向かう。宿泊先であるボウガ・ティディ・ホテル・バガ
ンで夕食をとる。航空機は ATR-72 型、前回エンジンが稼働しないで何時間も待たされたも
のと同型機。そのためちょっと不安がよぎったが、今回は異常なし。
バガン遺跡はとにかく広い。草原に転々とする寺院、仏塔は三千を超えるという。23 日
いくつかの遺跡見学のあと「素晴らしい夕陽」をパゴダから、ということで見どころの寺
院へ行ったが、もう人でいっぱい。では、ということでグニ寺院へ上る。この情景は素晴
らしい、遠くまでの寺院が夕もやで影が変わっていく。ところが肝心の夕陽は期待通りに
姿をみせてくれない。降りてくるごとに雲に隠れていくようだ。
では今度は朝日をみようということで 25 日は早朝にシュエサンドー・パゴダへ上る。ま
だ暗くて足元がよく見えない。肝心な場所はもうすでに占拠されている。何とか自分の場
所を確保して朝日を待つ。少しずつ明るくなって点在する寺院が見えてきて、これも絵を
見るようですばらしい。‥が朝日はほんの少し姿をみせてくれただけだった。
ハダシの寺院見学、ポッパ山でサルに襲われ水のボトルをひ
ったくられたこと、いろいろあったが点在する仏教遺跡の情景
はしっかり脳裏にやきついた。
おわりに
われわれのようなボランテイア活動は年が経つにつれ衰退していく。若い年
代に引き継がれていくことは稀なのかもしれない。
「クメール文化を引き継いで、自らの手
で遺跡を修復するような子供たちを育てたい」この AYF をつくったとき中川先生から聞い
た言葉、これから先もこの気持ちをずっと持ち続けたい。
25
やまなみ塾設立から 10 年経過して
山岡
直子
前回訪問したのは、2014 年 11 月。それから一年と数ヶ月経って再び訪れたカンボジア。
カンボジアの代表的観光地であるシェムリアップそしてクラウ村の状況そしてそれを取り
巻く環境はずいぶん様変わりしていた。もちろん私が初めてカンボジアに来たときから、
この十年の間に少しずつ変化してきたことではある。
まず、空港についたとき、カンボジの青い空を見ることができなかったことが非常に残
念であった。お天気が悪かったわけ
ではない。これまでカンボジアの空
港に降り立つたびに、無限に広がる
真っ青な空を仰いで、
「あぁ、またこ
こへ来たんだ」と、感慨にふけって
いたものである。今回は、たまたま
その日の気象状況のせいかと滞在中
何度か空を見上げたが、あの深く青
いカンボジアンブルーにはお目にかかれなかった。
第四回ツアー(2009.2)時の空港
次に、車が非常に多くなった。信号のない道路でもひょいと渡ることができたのに、今
回はよほど気をつけて、タイミングをみはからないと危険である。また、これもホテルあ
れもホテルかと思われる数多くの大きな建物が林立し、建設中のものもあまたあった。こ
れらのことは、カンボジアが経済的に大きく発展した証拠なのだとは思うが、このままで
いいのだろうかと複雑な思いが残る。
私たちの活動のメインは、現地の子どもたちとの交流である。最初に訪問したのはバイ
ヨン中学。立派な校舎がまた増築されていた。海外の援助によるものと聞く。前回(2015
年 11 月)より生徒数は2倍になっているとのこと。このバイヨン中学ができる前は、子ど
もたちは遠くの中学に通学しなければならず、自転車がないため通学できず、中学進学を
諦めていた子も多くいたと聞いている。今、このように大勢の子どもたちが学びの機会を
与えられたことは本当に喜ばしいことである。
ただ、外国の資本で校舎は建っているが、生徒数に対して、教師の数がまったく足りて
いない。教材なども不十分である。ここでも、学校は建ったけれども・・・という、状況
がある。
26
しかし、バイヨン中学では、校長先生がとても熱心で少ないけれども若い元気な先生た
ちを上手に指導して、生徒たちの教育に取り組んでいることが伺われた。学習面はわから
ないが、前回と比べると、規律の面
でずいぶん行き届いてきているとい
う印象をうけた。とても明るく、素
直で天真爛漫なところは変わらない
生徒たちであった。フォークダンス、
ビーチーボールバレー、玉運び競争
など、私たちもついつい一緒に楽し
んでしまった。
翌日は、クラウ村のやまなみ塾訪問。9 時に着いたときは、笠原先生の指導で絵画教室が
始まっていた。カンボジアの学校には絵画、音楽など情操教育の授業がないということを
聞いて、第四回目(2009 年 2 月)のツアーの際に、画用紙クレヨンなどを持参し、子どもた
ちに絵を描くことを体験させたのが始まりである。その後、笠原先生の指導もあって、瞬
く間に子どもたちは、才能を開花させ、
「あの子たちが・・・」と、驚くようなすばらしい
絵を描くようになった。子どもたちのナイーヴな表現や独特な色づかいに感動し、少しで
も多くの日本人に観てもらいと、2013 年から毎年このクラウ村の子どもたちの絵画展を日
本で開催している。今回、少々気になったのは、絵を描いている子たちの人数が少なくな
っていることだ。
絵画教室以外に集まってきていた子どもたちは幼い子が多く、製作担当の早内さんやス
タッフの方々が手取り足取りで大変の様子。ようよう釣り、牛乳パックとんぼ、恒例のゴ
ム風船は幼い子どもたちにはぴったり
のプレゼントであった。
ただ、日本のおじさんおばさんたちが
来て、何かプレゼントをもらったという
ことだけが残るようでは、淋しい。洗濯
ばさみのマイ・ブローチを作り、短冊に
願い事を書きながら、また、牛乳パック
とんぼを飛ばし、風船アートのおじさん
の手品をみながら、それぞれがなにかし
ら感動したことを心に残していてくれ
ていることを願いたい。
クラウ村「やまなみ塾」での大きな変化は、創立以来 10 年あまり、塾で英語の指導に当
たっていた先生が2名とも辞めて、村の外で別の仕事に就いていたことである。
27
村で育った先生たちがやまなみ塾に常駐しなくなったことは、英語の勉強の面だけでなく
クラウ村の子どもたちにとって精神的にも大きな損失のように思う。また、当然やまなみ
塾の運営管理に大きな支障をきたしている。そこに至った理由や原因は、さまざまで一言
では説明し切れないものがあると思う。経済的な発展、それとともに物質的なものが重視
される風潮、またそれに伴う人々の生活の変化などなど。
「クラウ村の子どもたちに教育の機会を!」
「アンコール遺跡の修復・保全につながる人
材育成を!」ということでスタートしたやまなみ塾。これからどのように運営していくか、
目の前に課せられた大きな問題である。
ただ、今回現地に行って、ヴィアスナ君に会ったことは、大きな励みであり、希望を与
えてくれた。彼は、
『ももたろう』の英語劇にキジ役で出ていた子で、今は、学んだ英語を
使って、
JST のスタッフとして遺跡の紹介などをして社会人としていきいきと働いている。
彼は去年の夏、
「育てる会」の国際交流事業の中で選ばれ日本にも来ていて、多くの新しい
体験をして帰ったのだと思う。他にクラウ村で勉強していた子どもたちの中には、JST で
働いていたり、トゥクトゥクの運転手をしたり
と社会で立派に働いている青年もいる。また、
第三回目に行ったとき一緒に歌った「しあわせ
なら手をたたこう」を現地クメール語の歌詞で、
子どもたちの間にしっかり伝えられているこ
とも嬉しいことであった。笠原先生の指導で絵
画教室も続いている。
教育は長い目でみていかなければならない。
初心に帰って、細くとも長く続けていくことが
大切なのであろう。直面している課題を抱えな
がらも、私達の進む道はきっと開かれると願い
ヴィアスナ君と若手のホープ横山さん
つつ帰ってきた今回のツアーである。
初めてのミャンマー、バガン観光の旅では、雑草の生い茂る広い草原に林立する 3000 も
のパゴダは壮観であり、別世界に誘われたような不思議な感覚にとらわれた。金ぴかの立
派なパゴダより、名もない無数のパゴダが建てられた裏にある数知れない人々の営みに思
いを馳せた。その他、今回のミャンマー観光で思ったことは二つ。
ひとつは、宗教(上座部仏教1)が長い歴史を経て人々の日常生活に密着していること。
もうひとつは、まだ国の経済力として具体的に表れていないように思われたが、とても豊
かなものが潜在している感じがあった。エーヤワディー川(中学の地理ではイラワジ川と
1
かっては、小乗仏教と言われていましたが、今はこのように言うようだ。
28
教わった)の砂を使って描く砂絵など珍しいものにも出会った。また、漆工芸など日本文
化と通じるものもある。今後、日本との交流を深めて互いに豊かになっていけることを願
いたい。
ティーロミンロー寺院を背景に
29
バガン組全員集合
10 年目のカンボジア訪問ツアーに思う
岡田
雅子
開校式から 10 年目
2006 年 5 月のやまなみ塾開校式から、今年はもう 10 年目になる。この 10 年の間にシェ
ムリアップには、新しいホテルや大型レストラン、ショップが建ち並び、町の様子が急速
に変化し発展してきた。シェムリアップ空港もこの数年で改築され、今回見違えるほどの
近代的な空港になっていた。海外からの観光客が増えてきたためであろうか、マーケット
やみやげ物店が並ぶ街の通りには、今まで散乱していたゴミの山も驚くほどきれいに始末
されていた。
このようにカンボジアの国内事情が目まぐるしく変化してきた中、やまなみ塾やバイヨ
ン中学校の周辺の状況と子どもたち自身の環境も変わり、私達の平均年齢も高くなってい
くことを思いながら、今回のツアーに参加するかどうか悩んでいた。そんな時、7 人もの新
しい人が参加されることを知り、私も初心に帰り、皆さんと一緒に参加しようと決意した。
やまなみ塾交流会
今回のツアーは私にとって 6 回目になる。毎回やまなみ塾を訪問し、交流会を通して子
どもたちの屈託のない笑顔に会えるのが一番の楽しみになっている。
・・・いつも私達が行
くのを待っていてくれる、英語や日本語はどの程度上達しただろうか・・・などと、今回
もそう思いながらやまなみ塾を訪れた。毎回少なくとも 100 人近い子どもたちが集まって
来ていたのに、今年は少なく 70 人程で、どちらかと言えば小さい子どもたちが多く、いつ
も見る英語の先生の姿もなかった。
それぞれの担当者が日本で準備してきた七夕飾り、牛乳パ
ックトンボ、ヨーヨー釣りなど子どもたちは好きなグループ
に入って楽しんだ後、ふうせん刀(なぜかみんな我先にと紫
色の風船を選んだ?)とジュースをもらって帰った。
やまなみ塾には、この 10 年間いろいろ支援してきたが、今回は通ってくる子どもたちの
数も減り 2 人の英語教師の姿も見られず、大変寂しい気持ちになる。やはりいろんな意味
で、AYF の今後について考える時期に来ているように思う。
バイヨン中学交流会
前の日に訪問したバイヨン中学校は、校舎がずいぶん増築されて職員室もあり、実に立
派な大きな学校になっていた。昼食には、恒例のクメール流カレーとフランスパンをいた
30
だいたのだが、400 人近くもいる生徒の分も合わせ大量のカレーを作ってくださった地元の
おばさん達は、さぞ大変だったこととありがたく思う。
食後の交流会のフォークダンス、スプーンレース、ビーチバレーボールでは大いに盛り
上がり、キャーキャー・ワーワー叫びながら必死に勝敗に賭ける子どもたちと、一方その
子らに負けずにマイクを持って、大声でゲキを飛ばしている熱い先生方の姿があった。
中学校は公立とのことなのでいろんな支援もあり、校長先生のお話からも、今後は徐々
にではあるが確実に発展していく明るい希望が見えているような気がする。ここから巣立
った生徒たちが、何らかの形でカンボジアの将来を担うようになってくれるようにと、心
から願っている。
お世話になった青年達
この 2 か所での交流会には、タウリさんが中心になって精力的に子どもたちへの通訳や
指導をされていた。他にも、昨年の夏「育てる会」の交流で日本に来た青年たちが常に数
人いて、昼食時の準備をしたり交流会の子どもたちの手助けをしたりして、私たちの昼・
夜の食事会にも一緒に参加された。この青年たちのおかげで今回のツアーの雰囲気が若く
明るくなり、一人で平均年齢を下げていた 20 代の横山君にとっては、会話もはずみ大いに
ストレス解消になったにちがいない。
若者たちは皆チャーミングで快活、年齢より若く見え、JST で働いている人、バイヨン
中学の英語教師、医師を目指す大学生など様々だが、その中にはクラウ村のやまなみ塾 OB
で、『ももたろう』の英語劇では“キジ”役だったヴィアスナ君もいて大変賑やかだった。
それぞれに夢を持ち、自国のことを考えている実に頼もしい青年たち。今後順調に自分の
目標に向かって進んで行って欲しいと、陰ながら応援していたいと思う。
第五回ツアー「ももたろう」
英語劇。左端:ヴィアスナ君
今回のモイモイにてああああああ
中央:タウリさん、右端:ヴィアスナ君
ミヤンマー組を見送ってから、さらに遺跡見学
22 日カンボジア最後の早朝、ミヤンマー観光組(18 名)は私たち帰国組 6 名を残してホテ
ルを出発。残った私は、この一日をどのように過ごしたらよいのかとても不安に思ってい
るところへ、中川先生が登場。「帰りまで一緒に行動しますよ」との言葉に、“私たちの専
属添乗員さん!”と思いホッとする。
遺跡見学は、スラ・スラン、タ・プローム、タ・ケウの 3 か所で、中でも王族たちが水
31
浴びをしたという沐浴池のスラ・スランは初めてだった。ここは対岸の池の向こうから昇
る朝日を見るのには格好の場所だとのこと。午後からの美術スクール訪問を残し全ての日
程が終了。昼食は横山君の春巻き食べたい願望により、中川先生お薦めのフランス系レス
トランで春巻き付きランチをいただき、みんな満足する。
スラ・スランの沐浴池
タ・プロム
中川先生は、夕方マイクロバスとともにホテル
まで迎えに来て、シェムリアップ空港まで送ると
いう完全に添乗員の役目まで果たされたことにな
る。お忙しい中、本当にありがたく、私たち帰国
組一同、心より感謝、感謝でした。
未完のままの遺跡タ・ケウ
終わりに・・・・・
今回のツアーでは初参加の方が多く、それも皆さん率先していろんな係りを引き受けて
下さるなど大活躍されました。いつものツアーの中に新しい空気が入ったように思いまし
た。
私は久しぶりに独身に戻り、初参加の西邨さんと同室でした。ツアーの経験者とは思え
ないような私のドジぶりに西邨さんは驚かれていたようですが、さりげなくサポートもし
ていただき、楽しく過ごすことができました。
今回のツアーの計画の段階から交流会などを経てすべてが終るまで、いろんな係の担当
をされた方々は、それぞれに忙しく大変だったことと思います。事後の処理もまだあるで
しょうが、本当にお疲れさまで、また有難うございました。
おかげさまで、私もツアーの間じゅう独身者として楽しく落ち着いて過ごせましたし、
いろいろ心に残る旅でした。これからは、次回もまた参加できるよう、日々心身共に鍛え
ながら過ごしていきたいと思っています。
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【交流会】
プログラム
バイヨン中学での交流会(2 月 20 日(土) 12 時~17 時 30 分)
1.カレーライス昼食
2.歌で挨拶
担当:金岡 隆
「富士の山」
、
「手のひらを太陽に」、
「證誠寺の狸囃」
3.フォークダンスで楽しもう
担当:熊倉静代、佐藤悦子
「キンダーポルカ」
、
「ジェンカ」、「マイムマイム」
4.スポーツゲーム
担当:横山貴文
「ビーチボール」
、
「スプーンレース」
5.バイヨン中学の現状を聞く
― バイヨン中学校長先生(チョム・ルー氏)より
―
クラウ村での交流会(2 月 21 日(日) 9 時~12 時 30 分)
AYF 多賀代表
1.挨拶
2.創作(作ったものを七夕に飾ろう)
担当:早内佳子
ブローチ、折り紙切り細工、短冊(願い事)
牛乳パック製紙トンボ
担当:多賀敏美
3.水ヨーヨー釣り
担当:佐藤悦子、熊倉静代
ヨーヨー300 セット、ビニールプール2個など
4.コマ回し
担当:的場信良
5.風船アート
担当:喜田粂吉
6.歌っておわかれ
担当:金岡 隆
「七夕さま」
、
「スズメの学校」
7.お菓子のプレゼント
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AYFツアー:交流会での絵と歌
金岡
子供たちの絵
隆
AYF塾との交流会当日、教室で笠原先生が絵の指導をしていた。20
名ほどの小学生が八つ切りのマーメイド紙にクレパスと水彩で描いている。先生の指導方
法は生徒が描きたい題材をノートに複数描いてその中から先生が選んであげると聞いてい
る。何人かの生徒のノートを見せてもらったが真新しいノートで何も書いていない。この
日は初めての生徒が多かったし、ノートが切れて新しいものを支給したばかりということ
もあったようだ。ノートは罫線のない白紙を束ねたもので先生が特注しているとのこと。
日本で調達して持参することはお易い御用だと思うが、先生はお願いしますとは言われな
い、遠慮されているのかもしれない。
生徒たちの絵は初心者が多いせいか、展示会に出品されたものほどのものは少なかった。
中学生や高校生がいないこともあるのだろう。毎年生徒を受け入れて指導にあたる先生は
本当にご苦労なことである。先生の美術教室から数人の助手が手伝ってくれていることは
ありがたいと思った。
前日バイヨン中学を訪
ねたが入口の廊下に生徒
の作品がたくさん飾られ
てあった。塾よりも大きな
サイズの白地の画用紙に
描かれたもので水彩画で
あった。まだ絵を描き始め
たばかりなのだろう。学校
のカリキュラムに美術は
なく、ここでも笠原先生が
特別に教えているとのことだ。描きたいものを生徒が自分で考えて描くと、いう先生の指
導は素晴らしいことだ。しかし私たちが学んだデッサンなども取り入れられたらいいのに
と思うことは余計なお節介か。
美術教室
今回は伺えなかったが笠原先生の美術教室の生徒たちは素晴らしいレベルの
絵を描いている。教室には熱意ある生徒が先生の指導のもと、研鑽を積んでいるのだろう。
先生の教室に通えない子供たちの中にも絵を描きたい子供たちがたくさんいると思う。そ
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れを考えるとき、私たちは恵まれていたなと感じている。先生にはこれからもご指導をお
願いしたいし、私たちのできるささやかな援助も続けたいものだ。
訪問チームの歌
交流会で訪問チームは歌を歌うことになった。塾では「雀の学校」
、中
学では「ふじの山」
「手のひらを太陽に」
「證誠寺の狸囃」を歌った。「雀の学校」では「ち
いちいぱっぱちいぱっぱ」
、
「證誠寺の狸囃」では「ぽんぽこぽんのぽん」が大受けだった。
調子の良い擬音は意味が分からなくとも共鳴できるのだろう。「雀の学校」は以前に塾で歌
ったことがあるが共感抜群は経験済みである。生徒たちは「アラッピア」
、身振り手振り入
りの「幸せなら手をたたこう」を歌ってくれた。以前訪問チームが塾で生徒たちと一緒に
歌ったものだが内容が少し違っている。我々でない別のチームが教えてくれたものかもし
れない。今回は紙芝居も英語劇もなかったが、歌合戦みたいなものがあってもよいかもし
れない。
歌を歌うにあたって岡田寛さんがラジカセを用意して曲を吹き込んでおいてくれた。こ
れをバックにチームが歌う手はずだった。それが中学の放送部?の生徒がPCに組み込ん
で拡声器で流す手配をしてくれた。いざ歌うところでなかなか音が出てこない。先生が心
配してPCをいじくり、順番がめちゃくちゃになったようだ。担当の生徒が懸命に調整し
てくれるのだがなかなかうまくいかない。何とか3曲を歌ったがその間数百人の生徒がニ
コニコしながらじっと待っていてくれた。PCで頑張ってくれた生徒といい何かほほえま
しく、懐かしいような気持であった。
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ヨーヨー遊びを担当して
―第九回 やまなみ塾訪問-
青木
克子
私がこのツアーに参加したのは第二回目からですので、今回が8回目のやまなみ塾訪問
となりました。早いものです。
この度は例年より間が空いてしまい、1年3か月ぶりの訪問となりました。シェムリア
ップ空港に到着した瞬間から全体の景色、雰囲気がこれまでと様変わりしてしまっていて、
いつもの懐かしい気持ちは無く、初
めての土地に降りたような錯覚さえ
覚えました。というのも、これまで
の小規模の空港どころか、建物は幾
棟も増築され、目的の棟までしばら
く歩かねばならなくなっていたので
す。それでも、現地独特の花や木を
楽しみながら外を歩いて目的棟に入
るようになっているのは旅人にとっ
て癒されました。建物は空港らしからぬカンボジアならではの木造建築であることに変わ
りなく、落ち着きのある雰囲気に造られていました。驚いたことに、中は非常に広々と閑
散としていて、入国手続きを行う制服のお役人がずらりとカウンターに待ちかまえている
のです。広いカウンターの半分は空のままに飾り物のようにあるだけで、お役人がのんび
りと審査をやっている姿は、日本人から見るとイライラさせられました。しかし、漠然と
ではありますが、カンボジアの国として何かが変わり始めているような印象を受けました。
アンコール遺跡のあるシェムリアップを観光都市として発展させ、多くの人を迎え入れる
ための準備の過程なのかもしれません。
翌々日に、目的とするやまなみ塾を訪問しました。やまなみ塾の現状は、子供らの人数
は減り、二人の先生は転職され、勉強することが出来ない状態である、と聞かされてはい
たのですが、当日足を踏み入れたとき、やはりいつもの活気が感じられませんでした。集
まっていたのは、年少の子供達ばかりで、70~80名位だったでしょうか。多分初めて
会う子供が多いようでしたが、みな無邪気に嬉しそうに我々を迎えてくれました。
例年の如く事前に準備していった、七夕飾り、工作、ヨーヨー釣り、独楽、フーセンア
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ート等を楽しませることができ一応目的は果たすことが出来ました。
私はヨーヨー担当でした。通訳のお手伝いくださる方がいなくて、30人ほどの子供ら
を相手に我々はただ実演をして見せながら、ワイワイガヤガヤやらせていました。紙縒り
が濡れないようにしてゴム風船を如何に釣り上げるかの説明が出来ないまま、子供らは、
ただただゴム風船欲しさに直接手でつかみ取ったりして濡れた手で紙縒りを持つももので
すから紙縒りはすぐ切れるばかりで、全く意味なさず、せめて金のフックで直接釣るよう
指導して何とか終わらせました。それでも、釣ったゴム風船でなんとか思い思いに遊んで
くれてはいました。
ヨーヨー釣りには、学び取る内容がいろいろ含まれています。通訳がいないまま終わら
せてしまったために遊びながら学習するという目的を果たすことが出来ず、大きな反省が
残りました。それでも、子供らはゴム風船を何とか手に入れれば、
「ヨシ」と満足気でした。
日本の子供達ならば日常的に紙は濡れると弱くなることは知っていますが、紙は貴重品で
簡単に使えないカンボジアの子らはそんなことをよく知らないはず。ヨーヨー釣り経験し
て、紙は濡れると使えなくなることだけは多少学習できたのではないかと思われます。
準備段階で、ビニールプールに入れる水は
どこから持ってくるのか心配したのですが、
塾の敷地内に立派(?)なポンプが造られて
いて、地下水をくみ上げることができ、とて
も感激しました。ポンプといっても日本の汲
み上げの発想と全く構造が違っていて、横に
鉄の長い管を渡し管の中に通した鉄棒を横
に一所懸命動かすことで水を汲み上げる仕
組みになっているものでした。
国が変われば品変わるようで、私にはとても珍しく不思議な構造になっているポンプを
見ることが出来、ひとつ勉強しました。
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この度のやまなみ塾の訪問は、これまでと全く雰囲気が違っていて、この子供達とはこ
の当日限り会うだけで終わりとなり、多分子供らも日本から何か持ってきてくれたお客さ
んという程度に接していたように見え、私自身いつもと何かが違う・・・?という思いが
してなりませんでした。
やまなみ塾の内情を聞かされていたこともあってか、私のみならず、皆も少なからず感
じられたことかもしれません。
発展途上にあるカンボジア、特にクラウ村にも学校が増えているようで、子供の教育の
必要性が末端まで浸透しつつあるのであれば国の発展のために喜ばしいことであります。
AYF の会の一員として、やまなみ塾の今後を考えると、クラウ村の子供達が一人でも多く
学べる場として利用できる体制の塾としての存在価値あるものに立て直す必要があるので
はないかと考えを新たにさせられた次第でした。
最後になりましたが、ヨーヨ
ーを担当していただきました
熊倉様ご夫妻、佐藤悦子様には
初めての参加に関わらず、前日
の準備段階から当日の水運び
に至るまで、大変なご尽力をい
ただき無事終えることができ
ましたこと感謝いたします。有
難うございました。
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七夕飾り、ブローチ作り
-やまなみ塾交流会-
早内
佳子
第七回についで2度目の参加です。前回は雨季の終わりでしたが今回は乾季ということ
で少し町全体が白っぽい印象でした。今回もバイヨン中学ややまなみ塾の訪問をとても楽
しみにしていました。
バイヨン中学は前回の訪問ではまだ校舎の一部をつくっていましたが、今回は立派な校
舎ができ、大勢の子ども達が勉強していてびっくりしました。一緒にやったフォークダン
スやゲームはとても盛り上がり、はずかしそうに手をつないでダンスに参加する様子がか
わいらしいです。学校の入口に絵が貼ってあるのをみつけました。運動会の絵や朝礼の様
子(?)などの絵です。子ども達は絵で表現する楽しさに気がついてくれているようです。
3日目のやまなみ塾の交流会では準備していった工作をしました。木のせんたく鋏を使
ったブローチ作りと七夕飾りです。やまなみ塾の子ども達はちょうど笠原先生の絵の授業
中だったので、最初の内はもっと小さい子ども達と工作をしました。七夕飾りはホチキス
がうまく使えなかったりしましたが慣れてくるとカラフルな飾りがたくさんできました。
ブローチ作りは小さい子にはちょっと難しかったかもしれません。その後、やまなみ塾の
子ども達ともブローチ作りをしました。みんなとっても上手でそれぞれ工夫して作ってく
れました。ここの子ども達は色使いが明るくてきれいです。なぜか女の子達はブローチを
みんな髪に止めています。髪飾りが好きなんですね。少しバタバタしてしまいましたが楽
しく工作ができて嬉しく思いました。やはり子ども達の絵はすてきです!
遺跡見学ツアーは今回も中川先生の案内で楽しく見させて頂きました。バイヨンの修復
現場で働く熟練した職人の方々の丁寧な作業は興味深く、長い長い時間の流れを感じまし
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た。初めて行ったニャックポアンは貯水池に浮かぶ寺院で静かなたたずまいが美しく、と
ても良かったです。修復作業見学や子ども達との交流など貴重な体験をさせて頂きありが
とうございました。
髪飾りが大好きなの!きれいにできたでしょ。
かわいくできました。
僕達のも見て!
男の子達の作品はユニーク!
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子ども達の願い事をのせて・・・
①上手に勉強ができ、いい得点になるように。
②両親に恩返しを。大きい家と、いい仕事を。
③旅行に両親を乗せて行くための車がほしい。
④車がほしいです。
⑤車がほしいです。
⑥両親と一緒に暮らすことができるように。
そして、両親がずっと元気になるように。
(タ
ウリさんの和訳を多少簡略化)
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紙トンボを持って
多賀
敏美
今回もいつものことながら、バタバタしながらの準備。荷物をまとめてはひろげ、また
まとめる。そんなに多い荷物でもないのに。
出発日 2 月 18 日になる。今年は暖冬、雪の心配はない。主人と喜田さんを乗せて 19 時
空港へ到着。富山出発組は 11 人。他の旅行者の少なさに驚く、少しおなかに入れて、と思
うがパスタ屋さんと寿司屋さんだけ。新幹線の影響は大きい。いくつかあったレストラン
が無い。20 時 10 分、預け入れ荷物をフロントで預け、富山空港を出発する。荷物はこのま
まシェムリ・アップまで行ってくれるからぐっと楽になる。東京出発組は国際線ターミナ
ルで 22 時の集合という。22 名が顔合わせをして簡単に自己紹介。日中に既にカンボジア入
りしている 2 名を合わせると総勢は 24 人だ。東京グループは日航、富山グループは全日空、
それぞれ 0:00、0:30 バンコクに向けて飛ぶ。バンコクで再び合流して 9:00、シェムリ・ア
ップに到着。
現地での初日、19 日の午後は交
流会打ち合わせ組と、遺跡見学組
に分かれる。私は JASA オフィス
での打合せ。タウリさんをはじめ、
JST のみなさんが頼もしい。打合
せは順調にいったが、本番はどう
なることやら。
20 日は午前遺跡見学、午後はバイヨン中学での交流会。
「少しは練習もしなきゃ」とホテ
ル・エントランスでフォーク・ダンスの練習。「できたはずなのに‥」
、と思ってもそうは
いかない、できるようになったつもりでホテルを出た。
バプーオンから王宮を見学して昼、バイヨン中学につく。前回は1棟だった教室棟が二
つになっている。生徒も 500 人近いとか。前回同様、カレーをごちそうになる。パンがお
いしい。フランス直伝だもの~なるほど。
いつものように歌での交流に始まって、バレーボールやスプーンレース、競争となると
熱が入り、声が大きくなる。‥のは中学生。われわれは息がきれて、足がもつれる。練習
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したはずのフォーク・ダンスぐらいはと思ったが「ジェンカ」や「キンダーポルカ」は体
の重さが邪魔をして続かない。ペット・ボトルの水ばかりがどんどん減ってゆく。予想通
り大変に疲れた交流会で・し・た。
21 日はメインの「やまなみ塾訪問」、子供たちと洗濯バサミを髪飾りやブローチに変えた。
絵を描いた厚紙を張り付けて。短冊に願い事をいっぱい書いて七夕を作った。ビニールの
プールにヨーヨーを浮かべ釣り上げて歓声をあげた。
牛乳パックとストローで「竹トンボ」ならぬ「紙トンボ」を作った。色をつけて飛ばし
た。思い思いの「紙トンボ」が青空に舞った。
風船アートはいつも子供たちの人気の的、しっかりとプードルを抱えながらヨチヨチ歩
く子。刀をもってチャンバラを始める子。相手をしてほしくて切りつけてくる子、離れな
い。
JST のみなさんにもお世話になって、交流もあっという間。一回り大きくなった子供た
ちに今度はいつあえるだろうか。楽しみにしてクラウ村を後にした。今日の写真はつぎの
時、あげるからね~。
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【参加記】-カンボジア&ミャンマー-
やまなみ塾訪問とアンコールワット、バカン
森尻
ふみ子
今回で4回目のやまなみ塾訪問となりました。19:00 富山空港で富山組の皆さんと集合、
22:00 頃羽田空港で東京組と合流して、懐かしく、嬉しかったです。毎年のことながら、空
港で 20 名も座れるレストランもなく大変でしたが、皆様またよろしくお願いします。
19 日:羽田発 00:30 バンコク スワンナブーム経由シェムリアップ 9:00 着。シェムリア
ップ空港は、行くたびに清潔になっていました。ビザ取得もスムーズにできました。
(これ
は、私が慣れたせい?)
午後:アンコールワット他遺跡見学。毎回閉鎖中
だった、アンコールワット中央塔に初めて登ること
ができました。美しい夕日、バルーンが飛んでいて、
夕日に映しだされる壁画と塔から見渡す風景にし
ばし見とれていました。
はじめて上る中央塔
そして、そこからみた夕日とバルーン
20 日:午前中は遺跡見学、午後はバイヨン中学校訪問。
バイヨン中学校は校舎が増築されて、着実に学校らしさができてきているように見受けら
れましたが、校長先生のお話では、教員数他沢山課題があるとのこと。校長先生の意欲に
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心動かされました。裸足またはビーチサンダルで、まだまだ小柄な中学生とフォークダン
スを踊ったり、ミニ運動会して楽しみました。中学校で頂いたカレーは美味しく、おかわ
りしてしまいました。
21 日:午前中はやまなみ塾で交流会、午後は遺跡見学。
いつものように子どもたちは、お絵かき、工作などに熱中している。まあ、ヨーヨーや竹
とんぼ等で遊んで交流しました。おみやげになったでしょうか。七夕さまの飾りをつけ、
願いごとを短冊に書いて広場に飾りました。いつもと同じのように思えるけど、環境が変
わってきていると聞きました。子どもたちの、遊びたい、学びたいが充たされる環境であ
ればと願うばかりです。
カンボジアでは 3 日間にわたり遺跡案内していただいた中川先生、いつも大変お世話に
なり、ありがとうございました。半分もお話を理解できていませんが、感謝しています。
22 日:終日かけて、カンボジアからタイ経由でミャンマーへ移動。
リビエラホテル 7:00 出発。
9:50 カンボジアシェムリアップ空港発。 13:15 タイバンコ
ク スワンナブーム空港発。 14:35 ミャンマー ヤンゴン着。 2 時間程ヤンゴン観光(パ
ゴダとデパート)
。 18:30 ヤンゴン発。 19:50 バガン ニャウンウー空港着。 21:40 ボ
ーガ・テイーデイホテル着。
ホテルで夕食(屋外)
。
11:00 就寝。 お疲れ様でした
23 日、24 日、25 日:バガン観光
前々回の第七回ツアーも、オプシヨナルツアーはヤンゴンだけでしたがミャンマーでし
た。今回の第九回ツアーのメインはバガン遺跡群でした。先ずは、シュエジーゴン・パゴ
ダの金ピカ仏塔、大きなお釈迦様に驚きました。煉瓦色の広大な大地に林立する様は、素
晴らしかったです。ガイドさんのパゴダとパヤーの言い伝えも物語のようで、はるかな国
に踏み込んだような気持ちになりました。ご来光は見られなかったけど、暗いうちから移
動して、パゴダの上で 40 分ほど、オールドバガンの夜明けを堪能しました。美しかったで
す。裸足になる、サンダル履きする、の連続で、ウエットティッシュが足りませんでした。
バルーンに乗って、ご来光を見ようとしている人も多いようでした。
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乾季のため?食事は毎日ホテルのガーデンでいただきました。日中は 30~40 度度以上、
蒸し暑くはありませんが、直射日光の中には長くはいられません。夜は 20 度ほど?肌寒い
時もありました。夕食は、操り人形を見たり、楽しみました。
ポッパ山を遠くから眺めると、まさに天空の城ですね。美しいと思いました。ポッパ山
は寺院なのですが、実はおサルさんと階段と神話?しか印象に残らなかったです。
遺跡近郊の村を訪問したとき、たまたま結婚式の最中で、美人の花嫁様に会いました。
25 日 12:30、帰路につく。ニャウンウー空港からの飛行機は自由席、各空港経由(私たち
は乗降せず、乗ったままで2つの空港を経由のため離着陸)初めてでした。飛行機の窓か
ら見る風景は赤土煉瓦色大地緑があっても、埃っぽかったです。日本の風景とは全く違い
ました。
バガン→ヤンゴンの機上から
18:20 ヤンゴン発、20:15 バンコク着。
22:45 バンコク発、東京経由富山着便で翌 26 日 10:15 に無事帰りました。
前八回ツアーでは途中から体調不良となり、今回の第九回ツアーはどうしようかなと、
ちょっと迷いましたが、主人が背中を押してくれたことと、ツアー日程が決まりましたと
の連絡受けたら、やっぱり行きたいと思い、参加させていただきました。楽しかったです。
毎回迷惑かけることを最小限にして、いっぱい楽しむこと、皆様と行動することを旅の目
標の一つとしています。今回は1つ2つ喜ばれることをしたような気がして嬉しかったで
す。
皆様 多賀さん 山岡さん 関野さん 本当にお世話になり、ありがとうございました。
次回もよろしくお願いいたします。
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日本、カンボジア、ミャンマー融合のツアー
第九回AYFツアーに参加して
永井
進
過去の海外旅行は登山目的で、ついでに観光でした。しかし今回はバイヨン中学、やま
なみ塾を訪問し、現地の子供たちと直接交流出来たことは印象深く有意義な旅でした。お
世話下さった皆様、同行の皆様に感謝申しあげます
印象に残った点を列記します
アンコール遺跡
アンコ-ルワット中央塔の上からの展望
は最高でした。何度来ても登れない人がい
る中、初めてで登ることが出来、本当にラ
ッキーでした。急傾斜の手すりつき階段は
きつく 5 年後は無理ですね。再度挑戦した
いです(2~3 年の間に)
、中川先生のガイ
ドで。
クメール人が 11~12 世紀に造ったアン
コール遺跡はすばらしい。先人が造った民
族の遺産に誇りを持って現地の若人は大
切に維持管理をしてほしいと願うばかり
です
阪神・淡路地震程度の地震がくれば、崩
壊するのではと心配です。維持、補強工事
を急ぐ必要あり・・・・・人材育成=教育
が大事ということでしょうか。
登ったのだから下りることが出来ると思いつつも・・・
バイオン中学の交流会
校舎は立派な物だが照明がないのには驚きました。パソコンは太陽光パネルで OK との
事。夕方や夜の授業は無し、ということか。先生も不足のようだ。
生徒は朝食食べてこない子が多く 11:30 に給食を出すとのこと。農業国なのになんてこ
った(日本の 60 年前より貧しい・・・小生貧しいながらも 3 食をたべることができた。感
謝、感謝!)
47
しかし、子供達の表情は明るく伸び伸びした感じで安心しました
スプーンレースでは
私の担当したチームが
1着でした。実をいうと、
試走で一生懸命に走り
私が 1 番、4 人にスプー
ンの根元を持つように
教えたのが良かったの
かも。15 人全員が手抜
きせず一生懸命やった
と感動しました。
バイオン中学の卒業
生の中から遺跡修復技
諸先輩方々と一緒に試走
術者、教育者が育ちますように!
やまなみ塾の交流会
喜田さんの風船アートは子供達に人気でしたね。子供達の表情は明るく無邪気に絵を描
いていました・・・子供達の未来に希望あれ。
福島県の 20 代の女性が有給休暇をとって NPO の人と視察に来ていました。メンバーの
横山さん共々、今後若い人達に支援活動を継承していく必要があると思いました。
夜のレストラン
<中華のラッキー・レストラン>
日本でも滅多に見せない姿を見せて
しまいました。歌ったのは、こきりこ節、
上を向いて歩こう、君が代など。カンボ
ジアの人たちが歌った歌は、アラッピア
とか言うそうな。君が代は評判が悪かっ
た由。融合には必要とも思うが、反省。
<チアさんのモイ・モイ>
カンボジア最後の夜と思い、ここでも
一生懸命に歌いました。ここでも、お世
話になったカンボジアの若者達が歌っ
てくれました。
ホテルでは、明日からのミャンマーに
思いを馳せる。
48
バカン遺跡
見渡す限りの 3000 以上の仏塔、寺院群に圧倒されました。ビ
ルマ族が 11~13 世紀に造ったとの事、感動の一言でした。
数珠、線香、ローソクを日本から持参しましたがローソク立て
が無かったですね。賽銭は 1000 チャット札しか手持ちがなかっ
たため、10 円玉を入れました。
次回は馬車で廻り、バルーンに乗って空中散歩もしてみたい。
漆喰に描かれた壁画が傷んでいるのが残念です・・・早急な対
策が必要と思いました。
スラマニ寺院でみた壁画→
その他1:みやげ
スカーフ 2 枚・・・10 ドル・・・知人女性用「値引き交渉の間に置いてきぼりに合う」
tamarind flakes 2袋・・・2 ドル・・・登山携帯用
bamboo hat・・・・・・・・・・・3 ドル・・・自分用
ロンジー10 枚・・・・・・・・・・・・・・40 ドル・・・4姉妹、知人女性用
バンブーハットをかぶり、片手にロンジーを持ち、出腹もそっくり。
ミャンマーに溶け込んだ私です。
その他2:CAP
SNOW の富士山
2 月 26 日、羽田から富山の飛行中に眺めました。初経験と思いながら、富山着。
その富山は雪でした。
49
AYFツアー、胸に迫るもの
喜田
粂吉
AYF のツアーに初めて参加したのは 2008 年 2 月の第三回ツアーの時でした。富山市四
方で寿司屋を営んでいますが、常連客の多賀さん、砺波から来てくれる高橋さんなどから
遠くカンボジアで塾をつくり、子供たちと交流をしているという話に惹かれ、同行したい
と話をしたのがきっかけでした。多くの会員のかたが参加された年で、仁川経由、しかも
全員のチケットをそろえることができず、富山発アシアナ利用組と小松発大韓航空利用組
とに分かれていったかと思います。
やまなみ塾で子供たちと遊び、モイモイでの食事の時は、たまたま誕生日だったので誕
生祝いをしてもらい、寿司屋だけで
過ごしてきたわれわれ夫婦には知
らない世界の話を聞き、逆に魚料理
を教え、いままでにない楽しい、ま
た刺激的な旅への参加でした。仲間
に加えてもらったことを本当に喜
んだものです。
第三回ツアーの記録から
翌年の第四回ツアーも、次の年の第五回ツアーも参加しました。せっかく参加して子供
たちと遊ぶなら‥と、かねてからやっていた風船アートをやまなみ塾でやってみることに
しました。これが大うけ。子供たちが集まってきました。風船造りが大変、欲しがる子ど
もたちに行き渡りません。他の会員のかた
にも手伝ってもらったのですが最後は「ゴ
メンね」と子供たちに風船だけを置いてく
るという始末でした。
今回は東京グループもヨーヨー遊びで
風船をつくるとのこと、富山グループでも
昨年よりも応援の手を増やし、かなりの数
をつくりました。
事前に作っておいた風船
ところが逆に、塾に来ている子供たちが前よりも少なくなり、来ている多くの子どもたち
50
の手に行き渡ったのはよかったのですが、寂しさを覚えています。次回はもっと子供たち
が増えてくれればと思ってやまなみ塾をあとにしました。
子ども達の前で、アートを作成
多賀代表。子ども達とチャンバラ
この AYF ツアーはどんなことがあろうと参加したいと思っています。失礼ながら付き合
いにくそうな顔ブレと思ったのに、いまや参加するごとにまわりの「暖かさ」がまた次も、
という気持ちを持たせてくれます。AYF の会員のみなさんも、何人も四方の店へ来ていた
だきました。突然に東京から来たよ、と、おいでになることもあります。
残念ながらツアー参加することを私よりも楽しみにしていた家内は4年前、急逝してし
まいました。でも、心の中ではいつも同行させています。
まだまだこのツアーが続くことを願っています。
51
第九回やまなみ塾訪問ツァーに参加して
佐脇
修司
この度のツアーに参加させていただき、無事にとても楽しく、多くの遺跡を見学できた
事、子供たちと楽しく交流出来た事を皆様に深く感謝いたします。
やまなみ塾・バイヨン中学訪問、遺跡見学
年とともに羽田空港からの深夜便の機中で眠れないのが身体に堪えます。シエムリアッ
プ空港が年々改修されて立派になって行くのはアンコール・ワット遺跡群観光の収入増の
おかげなのでしょう。今回も入国ビザ、入出国カード書類の記入に大慌てしたカンボジア
到着でした。
遺跡見学では、バプーオン、ピミアナカス、象のテラス、
プラサット・スゥル・プラット、ニヤック・ポアン、プリ
ア・カーン、と何度か来ている遺跡ですが、中川先生の説
明を聞いていて、途中から前に説明されたのを思い出す有
様で自分の記憶力の無さに落胆、反省しきりの二日間でし
た。
前回の訪問の際建築中だったバイヨン中学校が、ハワイ
のロータリー会員の寄付で立派に完成したのにビックリ
し、恒例のカレーの食事会、童謡の交換、おたまでのボー
ル運びゲーム、フォークダンス、ビーチボールバレー(横
山さんの企画感謝)と盛り沢山、少し疲れたけど楽しい交
アンコールワット
歓会でした。
やまなみ塾では七夕飾り、ヨーヨー釣り、コ
マまわし、牛乳パックヘリコプター、風船細工
他、子供と楽しく遊ばせてもらいました。(子
供たちが少なくなったのは残念だったけど)
フォークダンス
(バイヨン中学)
52
バカン遺跡 観光
今回のオプションツァーのバカン観光は、ミヤンマーの古都バカンの三千ものパコダ・
寺院遺跡が主目的(気球で空から見たかったな・・)、二日目のポッパ山の山頂寺院へは猿
に励まされて八百段近くの階段を息弾ませて登った和気あいあいの旅でした。
バカンの仏教遺跡は11世紀から13世紀に建てた建造物で、アーナンダ寺院、ダビィ
ニュ寺院、シュエジーゴン・パゴダが特に印象に残った。中に安置してある釈迦仏は上座
部仏教の顔立ちと華やかな色彩とで違和感を覚える物が多かった。
スラマニ寺院の仏像
シュエジーゴン・パゴダ
前回の飛行機トラブル遭遇で心配した同型飛行機も、ヤンゴンとバカンをエンジントラ
ブル無しで無事に往復出来、ほっとした空の旅でした。
イラワジ河のサンセット・クルー
ズで乗った小舟、こちらもトラブル
無し。船名はRUBY。特産である
宝石ルビーにちなんだものかも。こ
の名のミャンマー料理店が高田の
馬場にあると言うし、ミャンマーに
とって自慢のものなのだろう。
最後に、スケジュール、旅行社へ
の手配、交流会の計画、会計等に大
変ご苦労かけた関野様、山岡様、青
木様、多賀様、そして楽しい旅をご一緒させていただいた皆様に感謝し、また参加できる
ことを心より願っています。
53
「やまなみ塾訪問旅行」に参加して
熊倉
利司
半世紀ほど前、授業で密林の中に浮かび上がる遺跡
の写真を見た。そのたたずまいに強く引かれ、ぜひ実
物を見たいと思ったものだ。しかし、その想いは受験
や日常生活の喧噪の中に埋もれ忘れてしまっていた。
今回「やまなみ塾訪問旅行」に参加させていただき、
何も役に立つことはできなかったが、50 年来の忘れて
いた夢を実現できたことは嬉しく、大いに感謝申し上
げたい。ただ、密林の中で微笑んでいる仏陀は変わらなくても、切り開かれた舗装道路と観
光客の雑踏にはとまどいをおぼえ、時代の流れを強く感じた。また、破壊や崩壊から免れた
遺跡の保存や修復活動に、日本が多くの役割を果たしていることを知って、すなおに嬉しく
感じた。
観光旅行のバガンでは、3,000 以上もの寺
院や仏塔が立ち並ぶ景色に圧倒された。し
かも、それらが王様の財力で建立したもの
ではなく、全て帰依した一般市民の寄進に
よるものだとの説明を聞き、「貧者の一灯」
という言葉を思い出し、経済的、物質的に
恵まれているとは言えないミャンマーだが、
まさにイラワジ河の流れのように、ゆった
りとではあるが動き続けている活力を感じた。
54
[写真記録を担当しました]
さて、大した予備知識もなく臨んだ交流会だが、そこでは文化・生活環境の違いを強く
感じた。驚いたのは「遊ぶ」ということを知らないような子がいたことだ。遊びにも守る
べき一定のルールがあると思われるが、なかなか「仲良く」とか「順番に」いうことが理
解できないようだ。中学生になると理性が働くものの、小さいうちは「自分のモノにした
い」という物欲の方が強くなってしまうようで、例えばヨーヨー釣りは釣るのではなく手
づかみで取るし、ビーチバレーでは全くの他人の領域でも当然のごとくボールを打ってい
た。一方、スプーン(ピンポン)レースではずるもなく全員で盛り上がっていたので、遊
び方の指導はもちろんのこと、遊びそのものの選定にも留意していくことが必要だと感じ
た。
ウーン、届かない!直接掴もうかな。
ビーチボールバレー
うまく釣れて満足
スプーンレース
初めての東南アジアではあったが、また皆さん
とご一緒したいと感じた旅行だった。
55
楽しく過ごした「やまなみ塾訪問旅行」
熊倉
静代
初めての東南アジアではあったが、また皆さんとご一緒したいと感じた旅行だった。こ
の度は皆様方の活動に参加させていただき、ありがとうございました。内容も良くわから
ずに観光気分で参加いたしました。でも、いろいろとお話を伺っているうちに、有意義な
ことを全く肩肘張らずに行なっている様子に感ずるところがたくさんありました。
バイヨン中学校では、生徒に年齢差がかなりあるように見え、校長先生のお話で、その
理由もわかりました。生徒達は人懐っこい笑顔で、特に女子ははにかみながらも嬉しそう
でした。合唱は日本語が伝わらず残
念でした。生徒達と一緒に歌える歌
があればと思いました。フォークダ
ンスは 2 曲にして、同じ曲を回数多
く繰り返したほうが、ステップを理
解できてダンスを楽しめたかもし
れません。バレーボールは楽しそう
でしたが、ボールに触れられないで
いる小柄な生徒もいたのが、残念で
した。ピンポンリレーはとても楽し
フォークダンス
く、全員で盛り上がりました。
翌日のやまなみ塾では、工作の時、どの程度、手伝うのが良いのか、予め伺っておけば
良かったと思いました。ヨーヨー釣りも、釣ることを楽しむより、手に入れる事が先にな
ってしまいました。風船アートは、大人も子供に還り一緒になって遊び、コマ回しは大人
もなかなかできず、紐の掛け方を工夫している子もいました。この子達にカンボジアの「わ
らべ歌遊び」を教えてもらい、一緒に遊べたらいいなと思いました。
ミャンマー観光はとても面白く、楽しかったです。何よりも、静かな佇まいの中の小さ
なパゴダ群は、平山画伯の絵を彷彿とさせてくれました。砂絵も興味深かったのですが、
吟味している時間が少なかったのが残念でした。
56
ティーロミンロー寺院
ガイドの SONNY さんも熱心に解説!
砂絵を描く青年
ところで、私は野鳥を見るのが大好きで、今回もホテルの周りを散策していて色々な野
鳥を見つけました。例えば、どこにでもいたのは、頬に黒斑のない「ニュウナイスズメ」、
キジバトより一回り小さい「ベニバト」や「カノコバト」、飛ぶと両羽の白いラインが美し
い「カバイロハッカ」等です。また、からだ全体が黄緑色に輝く「ミドリハチクイ」
、くち
ばしと足が赤い「ギンムクドリ」も見ることができました。でも識別はなかなか難しく、
分からない鳥も多かったです。ホテルの裏庭のようなところで、5〜6 羽がそれぞれ尾羽を
高く持ち上げ、ダンスをするように飛び跳ねている鳥がいたのですが、名前は分かりませ
んでした。帰国して調べた結果、やっと「ノドグロハウチワドリ」であると分かったとき
はとても嬉しかったです。
ニュウナイスズメ
カバイロハッカ
ノドグロハウチワドリ
肉眼で見る感じ
ギンムクドリ
バルーンも飛んできました
機会があれば、また参加させていただければと思っております。役員の皆様はじめ、多
くの方にお世話になりました事、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
57
ツアー初参加、そしてカンボジア、ミャンマーへ
佐藤
悦子
今回、私は熊倉ご夫妻を通して岡田寛さんからツアー参加のお誘いをうけました。海外
旅行は久しく機会がありませんでした。岡田さん、熊倉さんご夫妻と一緒なら、とすぐ手
をあげました。
岡田さんがカンボジアに係わるお手伝いをしていることは前から知っていました。去年
の夏、
「カンボジアから子ども達が日本に来る」というので、寄付を募っていました。お付
き合い程度の気持ちをさせていただきました。その後、絵画展のお知らせ、会計報告が届
き、AYFという団体をその時にはじめて知り「しっかりした団体」と思ったのが私の第
一印象でした。去年の 12 月 4 日にAYFの事務局でツアー準備会会合に初参加。AYF活
動は 10 年近くになり、今回のやまなみ塾訪問が9回目とか。活動内容も少しずつわかって
きました。
訪問の目的であるやまなみ塾とバイヨン中学校での交流会出し物として、熊倉奥様がフ
ォークダンスとヨーヨー釣りを提案し、それが通り、私もその担当になってしまいました。
「えー、そんな!!」と思う間もなく、山岡さん、青木さんから「大丈夫ヨ、私たちが協
力バックアップするから」とやさしく言われたのでした。選んだダンスは、
「キンダーポル
カ」
、
「ジェンカ」
、
「マイム・マイム」の3曲。渋谷で1回、現地ホテルロビーで1回と練
習も行いました。
ホテル前で、フォークダンスの練習
本番は、バッチリ!
交流会本番では、熊倉ご夫妻、音楽担当の岡田寛さんと皆さんの協力で無事やり終える
58
ことが出来ました。
私たちの中学高校時代は、フォークダンスが盛んだった時代でした。バイヨン中学の生
徒さんがとまどい、はにかみながらも手をつないでいる姿は私たちの青春時代を思い出さ
せました。
交流会の合間をみて、遺跡見学に行きました。中川先生からご自身の研究成果を分かり
易く説明していただきました。遺跡の修復という大変意義ある活動の話を聞いていると中
川先生の想像力とロマンを感じ、心打つものがありました。しかも先を見て技術者を養成
し、その延長にバイヨン中学そしてやまなみ塾があるということが理解できました。
先生とお別れして我々はミャンマーに向かいました。日本語の上手なガイドさんが付き、
いろいろ沢山の寺院の説明を受けましたが、私は移動中のバスの中からみた柱と屋根だけ
の小屋の中で鏡もなくロングケープを首にまいている床屋のお客、サーキット場のような
ロータリー、やせ細った野良犬、偶然出会った結婚式、サンセットクルーズで見た川の浅
瀬で服を着たまま沐浴している女性と子ども、そのそばで石に衣類を叩き付けて洗濯して
いる女性、庶民の集まる活気ある市場、同じ太陽であるはずなのに微妙に違う色、等々。
多少なり想像はしていましたが、同じ人間、同じ太陽なのに地域、文化の違いを強く感じ
た旅でした。
はじめてのやまなみ塾訪問ツアーなのに、皆様にあたたかく迎えていただき、楽しい旅
が出来たことをお礼申し上げます。
イラワジ河畔
結婚式
バガン近郊村の活気あふれる市場
59
Etc、Etc
-巨大遺跡に圧倒されながら-
岡田
今回までのツアー、そして第九回
寛
Etc、Etc
「やまなみ塾訪問と遺跡見学ツアー」は、第三回ツアーに参加したのが初めてで、今回
と同じ2月でした。その後、第六回、第七回の参加時期は 10 月、11 月でしたから雨季が終
わり乾季の始まった時でした。
今回、日の出も日の入りも薄ぼんやりと霞にかかったように見えたのは、乾季の最中と
いうこともあったのかもしれません。当然、雨にたたられるようなことはなく、またシェ
ムリアップのホテルもバガンのホテルも空調機はしっかりと効いていたので、まずまず快
適だったと言えるでしょう。
第七回の時は、ホテルロビーで有線 LAN が使えたので、今回もその準備をしていました
が、無線 LAN の Wi-Fi 通信が、どちらのホテルでも、途中の空港でも簡単に使えたので、
重宝しました。スマホの普及と関連するのでしょう。いわゆる低開発国は、進むところは
一気に変化して進むけれども、全体の底上げには時間がかかるものだとあらためて思いま
した。
第三回の時は家内、第六回・第七回の時はそれぞれ友人一人と一緒に参加でした。今回
は富山の友人一人(永井さん)と東京の知人3人(熊倉夫妻、佐藤さん)を誘いました。
知人3人は、
「育てる会」1の山村留学(約 30 年前)の同期の親友達です。
「育てる会」国際交流事業
Etc、Etc
「育てる会」と言えば、昨年の8月、
「育てる会」としての国際交流事業2で、カンボジア
から 10 人、ベトナムから 10 人が来日して、日本の青少年と交流しました。その来日時の
歓迎会と、帰国時の送別会には何人かの AYF 会員も参加しました3。事の発端は、ツアーは
我々がカンボジアに行くだけの一方通行、狭い我が家にホームステイは無理だし、一人で
も二人でも日本に呼べないかと「育てる会」に相談した事でした。
今回、バイヨン中学でも、やまなみ塾でも、その 10 人中の7人が、私たちの世話をして
くれました。下にその一端の写真と彼らにもらったサインを載せます。たまたまこの写真
1
2
3
http://www.sodateru.or.jp/
http://www.sodateru.or.jp/blog/camp/2015/09/
http://www.npo-if.jp/yfund/jp/activity_14.htm
60
に載ってないクラウ村出身のヴィアスナ君については、山岡直子さんと岡田雅子さんの感
想文に載っています。
お世話になったカンボジアの若者達(バイヨン中学にて)
アンコール遺跡、バガン遺跡
Etc、Etc
アンコール・ワットとバイヨン寺院は、今回どういうわけか側を通りはしたものの、中
に入っての見学が出来ませんでした。ワットの中央祠堂を、またもや登り損ねたわけです。
単純に高いところに登って見たかっただけの野次馬に過ぎないのですが。今回のオプショ
ンツアーは、ミャンマーのバガンと決まったのは 11 月になってからだったでしょうか。そ
の直前 10 月 17 日、18 日にNHKスペシャル:アジア巨大遺跡4の第1集で「アンコール」
、
第2集で「バガン」を放映していました。以下、その解説を含めて;
日本では平安時代に相当する約 1000 年も昔に密林の中に栄えたアンコール文明は、農業
を支える壮大な水利システムと周辺国との交易という、人民を安定させ近隣国と仲良くと
いう「平和主義」が栄えの元だという。水の守護神とされるナーガがシェムリアップのあ
ちこちにあるのも肯けます(写真、右二つはガルーダに乗っています)。
ワットのナーガ
4
バイヨンのナーガ
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20151017
61
プリア・カーン
のナーガ
同時期、西洋ではキリスト教徒とイスラム教徒の対立が激しい時期(十字軍遠征)で、
中東紛争として未だに尾を引いています。カンボジアの西側タイの隣国ミャンマーではバ
ガン王朝は「命令によって民衆を統制するよりも、人々が仏教信仰をもって正しく生きる
事の方が人心は安定し、社会も安定する」と考え、王みずからパゴタ、寺院を築造した由。
パゴダは4段構成で、最下段は下界、その上は人間界、その上は天界、最上段は涅槃を
表し、
「人々に自分がどの段階にいるかを自覚させる」ためのものとことでした。目指すべ
き涅槃に行くためには、どのくら
い努力をしなければいけないか、
パゴダはそれを一目で教えてく
れるものとか。このような仏教の
教えを人々に伝える役目を果た
したのが寺院の由。ガイドのサニ
ーさんの説明がどのようだった
シュエージーゴンパゴダ前での祈り
かは・・・。
3000 にもなるという数々のパゴダなどには驚くばかりですが、王だけでは無くて一部に
自ら富を蓄えることができる人が現れ、寄進するなり、自ら建造するなりの社会的な流れ
が出来てこのようになったのだろうとの事。大きな功徳となる寄進等により、富が回り再
配分され、格差が生まれにくい世界、それが今も続いていると言うことなのでしょう。バ
ガン時代、西欧は封建社会で農奴もおり富が偏在していた頃で、それが最近のパナマ文書
にまでつながっていると思うのは、考えすぎか。
西面
北面
東面
南面
上は、アーナンダ寺院の東西南北の4面にある仏像。右端上は北面
のものを近くから、下は遠くから撮ったもの。目つき、上は厳しく、下は優しく見えます。
予期せぬトラブル
Etc、Etc
東京・バガン組の帰国時 JAL 機の預け荷物システムのトラブルもさることながら、遺跡
見学で私自身の不注意で起こしたトラブル、深く深くお詫び致します。「正直者が馬鹿を見
る」と言いますが、
「正直の頭に神宿る」の方が勝ったトラブルでした;
62
21 日の午後は午前中にやまなみ塾での交流会を終え、22 日の朝には直帰組と別れる前の
最後の遺跡見学でした。中川先生は、最初は「タ・プローム」とも考えておられたようで、
17 時にはホテルに帰り、関野さんは今回初参加の方達にモイモイでの夕食の前に市内の市
場見学などを計画されていた状況でした。私は交流会のあとホテルに寄ったので着替えを
しました。見学に参加の約 10 数人はバスに乗りましたが、見学先は「タ・プローム」でな
く「ニアック・ポアン」と「プリア・カーン」に変更、かなり遠い所です。
バスは、もちろんアンコール遺跡パスの検問所を通りますが、ここで初めて遺跡パスを
忘れていた事に気付きました。検問者が各自のパスを見るのですが、私だけは出せません。
隣席の人が第八回ツアー時のパスを持っていたのでこれを借用しましたが、直ぐに見破ら
れました。新たに 20$出して1日券を購入しようとしても、中川先生が事情説明しても、
駄目。気易く一旦誤魔化そうとしたのがまずく、検問者は上司を呼んできました。「既にパ
スを購入済で忘れて来たのなら、ホテルにあるだろうから行って持ってこい。あそこにあ
るオートバイを使え!」と言うわけです。
確かに検問所脇には、日本で言えばガードマンみたいな服装のお兄ちゃんがオートバイ
とともに何人かおり、その内の1台に乗せてもらいホテルに向かいました。待っている皆
さんを乗せたバスに戻る途中、風切りバイクに乗っていたので、帽子が後方に飛んでいき
ました。検問所に着いてお兄ちゃんに6$払いました。
「二アック・ポアン」の入り口で、6$の帽子を買いま
したので、20$よりは安い計 12$で済んだものの、バ
ス内で待たせた皆さん、ホテルで 17 時から市内観光を
と待っていた皆さんには、多大な時間的ロスを与えてし
まいました。ここにあらためてお詫び申し上げます。
どっちの帽子が似合うかな?
感想文を書いている最中に熊本地震が発生、小ポッパ山は死火山のようですが、今回の
ような地震が登山中に起きていたらと思うと、ぞっとします。黄金の仏塔瓦礫の中であれ
ば仏様の加護が絶大だから安心と思うのは小人の浅知恵か。また、沢山の宗教施設・神仏
像等、これらが元となる世界各地の紛争、早
小ポッパ山
く無くなってほしいと思うばかりです。
皆様、ご同行ありがとうございました。
確認した私の寄進札
63
これホント?
小出さんから届いた
ホットな写真(2016.4)
クラウ村の子どもたちに、これからの
授業について説明をするバイヨン中
学の先生たち(於:バイヨン中学)
4 月からスタートした
やまなみ塾での授業
ミャンマーで見た
バスあれこれ・・
私たちが乗った HIGER バス
バガンで見た「日の丸」バス
ポッパ山で見た「草軽」バス
バガンで見た「濃飛」バス
64
【参加記】―カンボジア―
やまなみ塾訪問と遺跡見学ツアーに参加して
的場
信良
空港にて
2005 年に、チャーター便のツアーで訪問後、AYF に加入して今回 10 年後に再度訪れる
ことができた。空港の施設も近代的になっており大変な発展と感じた。10 年前は空港の管
理棟は、小さな小屋のようで薄暗く入国審査でスンナリ入国できるのか不安を感じた記憶
がある。審査官も人によっては色々注文を付けることがあると聞いていた。今回は明るく
大きく整備されており、不安感は感じなかった。入国手続きでの失敗は、パスポートにタ
イからの搭乗券に羽田からタイ
までの搭乗券と荷物の引換券を
挟んだまま審査官に提出。パスポ
ートを受け取ったら、荷物の引換
券を破棄されていた。このままで
は荷物の引取りの証明が出来ず
受け取れないと心配していたら
同行者の中島さんが日本と異な
りチェックされることは無いと
アドバイスされ、速やかに自分の
荷物を取り出し、事なきを得た。
パスポートに余計な物を挟むものではないと反省した。
世話方
今回は、一般のツアーと異なり、お世話される人達の努力と参加者の協力で成り立った
訪問と感じた。事前の準備と到着後のホテルでの準備に皆さんの手馴れた対応に感心した。
遺跡施設
各施設とも、10 年前と比べ柵などが増え、ずいぶん変わったと思った。アンコールワッ
トの第三回廊への昇階段に手すりが取り付けられており、安全対策がされていると感じた。
ガイドブックに女性の服装について記載があったが、私たちの前に肩に薄いショールを掛
けた日本人女性の二人連れが、私の見た感じでは同じような服装に見えたが、一人はオッ
65
ケーでもう一人は駄目。よほど口を出そうと思ったが二人は昇るのを諦めた。判断基準が
解らない。彼らが駄目と言えば駄目なシステムと聞いた。
修復工事
中川先生に案内と説明をしていただき、遺跡保存修復工事の現場でも説明してもらい、
遺跡保存修復工事に係わっている現場を見れたのが、よかった。工事に係わっている、現
地の作業者・責任者達の中川先生を信頼して作業を継続している様子がよく解った。作業
に携わっている人達が、技術力がついてくると他へ移ったりして、定着してこの遺跡保存
修復工事に従事する人材確保が悩みとお聞きした。帰国後改めて、保存ビデオ「THE 世界
遺産×夢の扉」を見て中川先生が監修されており、伝え残す大切さ・技術伝承の難しさを
感じた(http://www.tbs.co.jp/heritage/feature/2015/201503_01.html、2015.2.22 放送)
。
「THE 世界遺産」のアンコールワット
「夢の扉+」のバイヨン寺院
バイヨン中学
子供たちの表情は非常に明るく、規律的にもよく指導されていると感じた。お昼に頂い
たカレーとパンがおいしかった。お世話していただいた先生方に感謝です。チアさんと校
長さんの中学の現状と今後の課題を聞き AYF を含めた活動のあり方について、どうやって
子供たちの将来に手助けができるか、難しい問題と感じた。電気は太陽光パネルとバッテ
リーで賄って PC に使用。トイレでは水の重要性を痛感した。教室に五箇山の民謡で使うサ
サラが掛けてあり、同行の人に聞いたが由来は不明だった。
やまなみ塾
今回初めて訪れ、今までより参集してくる子供たちが減少していると、事前に聞いてい
たが、ここでも子供たちの表情も明るくよく指導されていると感じた。10 年前に観光で訪
れたときは、どの場所でも子供たちの物売りが多くいて、地雷の被害を受けた子供も見か
け、子供の後方に親と思われる大人が見張っていたことを思うと、さすがに今回はその様
な子供を見かけなかった点は、少しずつだが生活的にも改善されてきているのかと思った。
前回のツアーガイドから、子供たちが物乞いをしてきても、直接お金を渡さないでほしい。
将来の子供たちのためにはならない。出来れば公の組織に寄付などしてもらうほうが有り
難いと、現地人のガイドの話を思い出した。
66
子ども達との交流会では、私はコマ回しを。平坦な場所が無かったので、ヨーヨー釣り
に使ったビニールプールを上下逆さにしてやった。
先ずは、会員達が試験回し
次は、ひもの巻き方を見せて
そして手ほどきして
ヤッタ!回ったぞ!
感想
思い起こせば 2005 年 2 月 25 日の富山空港、夫婦で直行チャーター便の搭乗手続きをし
ていたら、多賀さんの夫婦に出会った。その時は多賀さんの詳しい目的も聞かなかったが、
後日に AYF 設立経緯を聞いて会員になった。どこでどんな繋がりが出来るのか面白いもの
だと思う。2005 年の AYF 設立から係わってこられた人達と、今回のお世話いただいた人達
のお陰で一般の観光旅行と異なった経験をさせていただきありがとうございました。今後
の活動については定期総会などで検討されると思うが、やまなみ塾・バイヨン中学の卒業
生と意見交換会し、今後の活動に反映する方法も考えられる。
追記
シェムリアップの街の中や郊外への配電線は、電柱でなく樹木や塀に取り付け、積算メ
ーターはポールに取り付けた状態で、感電・盗電・電圧維持など安全面などその国の実情
にあった方法と感じたが、電力OBの私は違和感を持った。
67
「またカンボジアへ行くの?」
盛
和子
ほんのわずかでも人の役に立ちたいと考えていた時に AYF の話が出て、それまで全く未
知の国であったカンボジアへ、紙芝居を携えて訪れたのは9年前、2007年のことです。
以来、
「またカンボジアへ行くの?」と、友人から呆れられながら、6度目の訪問になりま
した。
その間、世界遺産のアンコールワット遺跡のあるシェムリアップの町は、赤土の道路が
立派な舗装道路になり、建物も瞬く間に増えて目覚ましい発展を遂げ、今や観光客が引き
も切らず訪れる一大都市に変貌してしまいました。
町の玄関口である空港もとてつもなく広くなり、大勢の観光客でごったがえし、入国手
続きにとても時間がかかり、随分待たされたのは想定外でした。
2 日目、交流会でバイヨン中学を訪れ、か
つてやまなみ塾で顔なじみになった、あの時
の子供たちと再会し、もうすっかり大きくな
った生徒達と、あら、とか、こんにちは、と
か声を掛け合い、旧交を温めました。外では、
フォークダンスをしたり、いろいろなゲーム
等をしたりして盛り上がっている時、教室を
のぞいて、そこにいる中学生やもっと大きい
子達とも話をすることができました。彼らは
確実に、逞しく知的に成長しています。
やまなみ塾については、増築があり、また色々な方面からの寄付などもあって、ある時
期には随分施設が充実していて喜ばしいことだと思っていました。
しかし、前回訪れたとき、おそらく日本では想像できないような熱帯の気候条件等によ
り、施設維持管理が大変難しいだろうことを実感し、今後のことが気になっていましたが、
今回体調不良で訪れることができず、自身の目でその後の状態を確認できなかったことは
残念でした。
私たち自身が高齢化していく中で、これからの支援の在り方を問われる時期なのかもし
68
れませんが、同時に小さかった子供たちが逞しく成長していく姿に希望も湧きます。
初めて訪れたミャンマーは、長期間の鎖国の為、どんな国なのか全く知りませんでした
が、今回バガンを訪れて、仏教国の不思議な世界に驚きました。
バガンで見た寺院、仏塔は、カンボジアの、大きな石のブロックを積み上げていく構法
と全く異なる、煉瓦の組積構造で、全く意外なものでした。しかしその繊細で優雅な形に
魅せられ、ヨーロッパの古城をも彷彿させるそれらの姿・形は、意外性に満ち、見れば見
るほど興味が尽きませんでした。
ティーロミンロー寺院
アーナンダ寺院
金色に輝く建物、仏像等は、熱帯の強い日差しとその陰の中で、とても力強く輝いてお
り、嫌みなく実に美しく素直に受け入れられる気がしました。
また、この地での“境内土足厳禁”は、戦後ほんの子供のころ、近所の農家の子たちが
履物を履かずに遊びまわっていたことを思い出し、大きなカルチャーショックでした。迂
闊にもそのことをきちんと頭に入れていなかった為、ホ
テルで同室の森尻さんにすっかりお世話をかけてしま
いました。しかし、久しぶりの屋外での素足は意外に心
地よいものでした。
後半大分体調を取り戻し、ポッパ山の頂上まで到達で
きて、ともあれ、皆さんのおかげで、無事旅行を終えて
帰国できました。
អរគុណ
、オークン、有難うございました。
ポッパ山の登りと参道のサル
69
バイヨン中学校での再会
中嶋
治長
楽しい訪問ツアーを終えてツアー感想文の提出時期が来た。毎回悩んでしまい今回は、横着し
てバイヨン中学校の続編を書くことにした。
アンコール・トム遺跡の近くに
建てられたこの「都の西北バイヨ
ン中学校」を再び訪問した。教室
がさらに一棟増設され、校舎の前
庭も綺麗に整備され益々の充実
ぶりが窺える。今回もカレーとフラ
ンスパンの昼食で歓待を受ける。カ
レーも然る事ながらフランスパン
の美味しさは、改めて感心する。フ
ランス統治時代にパンの作り方を
習得したものと思われる。パン好きの小生、軽く2本を平らげた。
食後、校舎を一周りしてみる。職業柄前回訪問時の電源設備の状態が気になった。安心
した。これから交流会に使用するのであろう中庭前の廊下に設置したパソコンは順調に作
動していた。そしてパソコン教室へ入ってみる。そこには、ソーラー電源を蓄えているバ
ッテリーが設置してある。ここも特に問題がなさそうだ。高価な AC/DC コンバータ(変換
器)も快適に作動しているようだ。待てまて、2台の内1台が止まっている様子だ。これで
は、予備機が無いため非常時は、停電と成りかねないが致し方ございませんね。何しろ高
額な機器なれば購入するにも難儀すると推察します。以前パソコン教室に LED ランプのラ
ンタンが数個吊るしてあり、この明りで夜間も学習していると思っていたが、今回すべて
撤去されていた。この国のメンテナンスの難しさが再認識させられる思いであった。
交流会の時間がやってきた。今回もボール遊びにフォークダンス、合唱会と多彩なプロ
グラムを準備してきていた。この時珍事が起きた。持参した音楽 CD から音が出ない。CD
デッキのケーブル接続が正しく繋ぐ事ができず先生は四苦八苦している。万事休すと諦め
たところへ一人の生徒が現れてパソコンを立ち上げ CD を挿入して難なく音楽を流した。
なんのことはない担当する生徒に任せておけば良いものを、先生が先走って触ったことに
70
よる不具合で、どの国もパソコンテクノロジーは先生よりも学生のほうが上手である。
今回は、ボール遊びとしてビーチバレーボールを担当することになった。ネットといっ
てもビニール紐を張った簡単な
ものであったがそれなりに楽し
んでくれていたようだ。ただ此
のゲームは屋外でするにはボー
ルが軽すぎて風に流され強風の
ため趣を欠いた。2 月のカンボ
ジアは乾季の真っただ中である。
校庭は乾燥して砂埃が舞い、埃
っぽく喉が渇くのである。
グランドの近くに学校農園が
あり種々の野菜を栽培している
が水遣りに苦労している様子が
覗える。水は、井戸水を汲み上げ
ているとのことだが、トイレ近く
に設置してある高さ 10m位の水
タンクを満タンにするには並大
抵でないであろう。
最後に今回も校長先生(チョム・ルーさん)のプレ
ゼンテーションがあり、熱の籠った生徒・学校に対す
る思いを語っていた。先生不足であることは否めないことであるが、今年から校長先生の
娘さんも先生として加わり更なる教育を充実させたいとの意気込みが感じられた。バイヨ
ン中学校の益々の発展と教育の豊かさが根付くことをお祈り申し上げます。
71
2度目のカンボジア
横山
貴文
2013 年 10 月に初めてカンボジアを訪問して以来、約 2 年 3 か月振りの訪問となりまし
た。今回の訪問で一番良かったことは、学校の先生方と沢山のお話しを出来たことです。
ビーチボールと玉運び競争
バイヨン中学校のスポーツゲーム担当でビーチボールと玉運び競争を行いました。ビー
チボールは富山県朝日町発祥ということもあり、思いつきました。現地でもバレーボール
は知っているということで、どのように教えようかと思っていましたが、すぐに楽しんで
くれました。玉運び競争は今回も大いに盛り上がりました。
10 年間の変化
「開校してから 10 年、やまなみ塾の大きな変化は何ですか?」とアオイさんに聞いたと
ころ、以前は継続的に通える生徒が少なく、すぐに通わなくなってしまう生徒も多かった
が、今は村の経済が豊かになり、継続的に通える生徒が増えたという事でした。やはり 10
年経過し、村の中でも少しずつ教育が浸透しつつあるという事だと思います。
生徒数増加
下に示した表は小出様から頂きました 2015 年~2016 年のバイヨン中学校校区の小学生
生徒数です。現在 6 年生の生徒数は 186 名で、ほぼ 100%進学します。この人数は現在でも
バイヨン中学校校区の小学生生徒数
72
受け入れられる人数ですが、例えば現在の 1 年生は 359 名で、このまま全員が進学したら
とても受け入れられない人数だそうです。どのように受け入れするかが問題という事でし
た。
中学校卒業後の進路
村には高校がないので高校の建設をすることも考えているそうですが、学習内容が中学
校の延長となってしまうので、職業訓練校として、英語やホテル接客などを学んだほうが
より実践的でよいと考えられているそうですが、結論には達していません。
クラウ村の生徒数
小出さんからもらった同じ資料で NorKork クラウ村小学校の状況をみると、下表&下
図の通りです。3年生位でほぼ半数に減り、6年生で1/3位になってしまうようです。
NorKork Krau Primary School
(Number of Students and Teachers)
Year of 2010-2011
Year of 2011-2012
Year of 2012-2013
Year of 2013-2014
Year of 2014-2015
Year of 2015-2016
Total
Girl
No. of
Total
Girl
No. of
Total
Girl
No. of
Total
Girl
No. of
Total
Girl
No. of
Total
Girl
No. of
1st
200
96
4
151
59
3
150
55
3
159
61
3
160
76
3
164
91
3
class
class
class
class
class
class
2nd
105
50
2
150
73
3
146
62
3
127
57
2
111
51
2
137
54
3
3rd
112
47
2
99
43
2
102
64
2
81
35
2
89
51
2
98
48
2
4th
108
59
2
100
45
2
95
43
2
79
45
2
83
35
2
85
50
2
5th
100
54
2
99
51
2
93
39
2
80
48
2
70
41
2
81
34
2
6th
85
31
1
62
40
1
90
49
2
98
36
2
67
40
1
67
40
2
250
200
「同期」の進級人数
200
150
150
102
100
79
70
67
4th
5th
6th
50
0
1st
2nd
73
3rd
Total Teacher
710
8
337
5
13
661
13
311
10
13
676
14
312
9
14
624
14
282
9
13
580
12
294
7
12
632
14
317
12
14
お堅い話はここまでで・・・
教育はどの国にとっても基礎になることを深く感じました。親が読み書き出来ないとい
う事を伺って、私の頭の中をよぎったのは、大河ドラマの見過ぎのせいかもしれませんが、
「花燃ゆ」の幕末~明治維新の時代のようだと思ってしまいました。カンボジアでも都市
部では進学が当たり前のようですが、少し離れるとこれだけの違いが出ている現状に驚き
ました。
若者はどこの国も同じなわけで…
2 年前とカンボジア人の持っている物が違うものが 1 つあります。何でしょうか?スマー
トフォンです。前は縦長の「携帯電話」だったのですが、みんなスマートフォンへ切り替
わっていました。聞いたところ、端末代金はピンキリですが、普及帯は$200~300 だそう
です。(私のスマートフォンより高い!)
そして国内では Smart 社と Cell Card 社が2大キャリアで、通信状況により使い分けし
ているそうです。
カンボジア2大キャリア
また、今回宿泊したモニカ・アンコール・ホテルと、アンコール・リビエラ・ホテルの
両方とも Wi-fi 環境が整備されており、部屋でも使用できました。2 年前は違うホテルでし
たが、せいぜいロビーだけでした。
雨季と乾季の違い
たまたまバプーオン遺跡の同じか所で写真を撮っていました。遺跡の明暗、草の色など
雰囲気が異なっていて驚きました。
74
バプーオン遺跡(左:2013 年 10 月
右:2016 年 2 月)
美術学校
こちらも 2 年前に訪問しました。1 階がギャラリーになっており、前回とは見違えるよう
でした。笠原先生も精力的に活動を続けており、助手のヒアさんが私のことを覚えていて
くださったことが嬉しかったです。
美術学校(左:2013 年 10 月 右:2016 年 2 月)
おわりに
社会人になり 2 年目、思い切って有給休暇を取り訪問できて本当によかったです。街は
着実に変化しており、良くも悪くもグローバル化が進んでいるカンボジアの今後を見続け
ていきたいと思いました。
75
ライ王のテラスからバイヨンを眺めたら
~濃密な物語を思い起させるアンコール・トムの構成とその空間デザイン~
山岡
義典
この 2 月、女房の仲間に加わって初めてカンボジアとミャンマーを訪問した。最初の 3
日間はカンボジア、次の 3 日間はミャンマーだ。
先ずカンボジアでは、乾季の炎天下に「大いなる寺」アンコール・ワットと「大いなる
町」アンコール・トムを訪ねたカンボジアからの報告。
初日の 19 日に回ったのは 2
つの寺院。ワットともう一つ
はトムの中央に位置するバイ
ヨン寺。前者は西を正面とす
るヒンズー教の寺院。半世紀
後に建てられた後者は東が正
面の大乗仏教の寺院。建築造
形も全く違う。前者が“理”
のデザインなら、後者は“情”
のデザインとも言える。2 つの
寺院は余りに有名なので、こ
れ以上は何もいうことがない。
翌日はバイヨン寺の北西に位置するバプーオン寺を観て、その北に広がる熱帯性雑木林
の王宮跡とその周辺を歩き回った。王宮の敷地を東に歩くと、小さな塔門に至る。狭い門
をくぐると、少し緩やかな傾斜の階段を上がって「王のテラス」にでる。すると正面には
まっすぐ凱旋道路が延び、左右には広大な広場が広がる。見事に演出された閲兵の場であ
り、公式行事の謁見の場でもあったろう。「王のテラス」の両サイドには象のレリーフで壁
面を飾りあげた「象のテラス」が続き、その左手(北側)の先には高さ約 6mの「ライ王の
テラス」がある。今回はバスの中から通りがかりに側璧をチラリと観ただけであったが、
このテラスにはライ王の像が座し(今はレプリカとか)、「内壁と外壁の間は迷路のような
通路になっており、王宮の様子を描いたレリーフが美しい」と『地球の歩き方』にある。
旅から帰って間もなく、何の縁か「ライ王のテラス」という芝居をやっているというの
で、これも女房と観にいった。脚本は三島由紀夫(原題は「癩王のテラス」
)、1969 年 7 月
76
に松浦武夫の演出によって帝国劇場で初演。アンコール・トムの現地で着想し、4 年をかけ
て実現したという。翌年 11 月には割腹自殺するから、最後の戯曲になった。遺言芝居だ。
今回の再演は宮本
亜門の演出で場所は
赤坂 ACT シアター。
ライ王(ジャヤヴァ
ルマン七世)の凱旋
帰国から病魔に苦し
められて死に至る過
程と、永久平和を祈
って発願されたバイ
ヨン寺の構想から完
成に至る過程が、2 人
の夫人や母親(王太
后)たちとの人間関
係の中で描きだされ
る。生と死、精神と肉体、愛と憎しみ、それらが苦悶の中で問われる。三島自身の苦悶で
もあったろう。主役のライ王を演じるのは鈴木亮平(初演では北大路欣也)
。2 人の夫人は
倉科カナと中村中が対照的に演じ分け、息子への愛の故にその死を願う母親は鳳蘭が演じ
る。他にカンボジアの伝統芸能の踊り子たちが華やかな王宮文化を再現し、妖艶なナーガ
(蛇神)になって魅了する。強靭な肉体をもつカンボジア・サーカスのパフォーマーの激
しい動きも、実に美しく見事だ。日本とカンボジアの国際的な共同制作にもなっている。
残念ながら今回の旅では自らの目で確認しなかったが、図面で見ると「ライ王のテラス」
からほぼ真南の 500 メートル先に、バイヨンの中央祠堂と聖顔の尖塔群を眺めることがで
きた(はずだ)
。バイヨンの施主でもある病苦のライ王が、日々このテラスに出てその建設
過程を眺め見ていたとしても、おかしくない。三島の戯曲は、この空間的関係性に想を得
たものではなかったか。実際、第三幕第二場は「バイヨン寺院を望むテラスの場」となっ
ている(舞台のイメージはちょっと違うのだが)
。次に来る機会があれば、是非ともライ王
のテラスに立ってレプリカでもいいからライ王像を確認し、南に目を向けてバイヨンを眺
めてみたい。そして内壁と外壁の間の迷路のような通路を、美しいレリーフを一つ一つゆ
っくりと奥まで見ながら歩きたいところだ。
40 年以上も前になるが、若い頃に都市デザインを学び、その仕事を楽しんだ者として、
濃密な物語を思い起させるアンコール・トムという「大いなる町」の構成とその空間デザ
インには、実に興味深いものがあった。旅の感想のほんの一部だが、芝居によって触発さ
れた記憶として報告に代えたい。
77
【参加記】―ミャンマー―
境内は素足で気持ちよく
~足裏の感覚で知る宗教文化~
山岡
義典
カンボジアに 3 日滞在の後、2 月 22 日にミャンマーに向かった。空港でいえばシェムリ
アップからバガンへ。といっても直行ではない。タイのバンコクで乗り換え、ミャンマー
の旧首都ヤンゴンでまた乗り継いでの長旅だ。バガンのホテルで夕食にありついたのは夜
の 9 時過ぎ、カンボジアとは 30 分の時差(遅れ)があってのことである。
バガンは 11 世紀半ばから 13 世
紀末まで栄えたビルマ民族最初
の統一王朝、バガン王朝の首都で
あった。そのころの日本(平安朝
から鎌倉・室町に至る 250 年)で
栄えたのは大乗仏教だが、バガン
王朝は上座(部)仏教(小乗仏教と
いう言葉は大乗仏教側からの蔑
視用語とのことで用いない)に帰
依し、人々は熱心に信仰し、喜捨
に励んだ。大小合わせて 3000 に
及ぶ仏塔(パゴダ)や寺院(パヤ)
を寄進し、そこに仏像を納め、日々お参りした。王朝が滅びて 700 年以上にもなるが、こ
の伝統は今も生きている。
同じ時代のアンコールワットやバイヨンは、今は遺跡であって、もはや宗教施設とは言
えない。信仰をもって参詣する人はいない。しかしバガンのそれは、決して遺跡ではない。
王朝が最初に建てたシュエジーゴン・パゴダは、今でも黄金に輝いて青空に聳えたってい
る。外観だけ見れば廃墟のような塔や寺院も多いが、中に入ると金色や極彩色の仏像が安
置され、色鮮やかな花や果物が供えられ、透明ガラスの賽銭箱には紙幣が盛り上がってい
る。篤い信仰に支えられた宗教施設なのだ。
生きた宗教施設であることを最も実感させてくれるのが、聖なる境内には素足で入ると
いう、守り続けられてきた習慣だ。3 日間の滞在中、何度、靴を脱ぎ靴下を脱いだことか(途
中からは地元で買ったスリッパに履き替えたから少しは脱着が楽にはなったが)
。面倒では
78
あるが、素足で聖所を踏みしめる足裏の感覚は、実は大変気持ちよい。きっと健康にもよ
いはずだ。その感覚は、目で見た感覚や耳で聞いた感覚以上に、記憶に残る。ミャンマー
の宗教文化は、この気持ちよい足裏の感覚によってこそ本当に理解できるのかもしれない。
殆ど予備知識ないままに参加した今回のミャンマー旅行を終え、もっとよく知らなけれ
ばと探して辿りついたのが『物語ビルマの歴史―王朝時代から現代まで』
(根本敬著 中公
新書 2014.1)
。バガン王朝からスーチー政権前夜までの政治社会史を、実感のこもった物語
として丁寧に描いている。特に英国の植民に始まる近現代史は、第二次大戦中の日本軍の
関与も含め、国際社会の中で翻弄されながら近代化する伝統社会の動きが心に響く。その
中に、素足による参拝に関する出来事が 3 カ所も紹介されている。
一つは 19 世紀初めの、外国人に対する「パゴダ内土足禁止」運動だ。ビルマを植民した
英国人は、聖所の掟を守ることなく靴のまま境内に入っていたという。これを政治問題視
したのだ。結局は、植民政府はパゴダの管財人の判断に任すという決着をつけ、政治問題
化することを避けた。本書にはこの決着に至る興味深い対応過程が詳しく報告されている。
次はその百年以上も後の話しで、1940 年代の日本軍占領期のことだ。日本軍がパゴダの
境内に軍靴のままで入ったり、僧院で裸になって水浴びをしたことが「ビルマ人に対する
文化的恥辱行為として戦後も記憶されている」というのである。全く知ることのなかった、
心痛む記述と言わざるを得ない。意識するしないにかかわらず、今でも私たちは至る所で
「文化的侮辱行為」をまき散らしていないかと心配になる。
第3は本文ではなく、
「サイゴンのシュエダゴン・パゴダに立ち寄り、ビルマの伝統に従
い裸足で見学するオバマ大統領とクリントン国務長官」と説明された 2012 年の写真だ。黄
金の塔を背景に颯爽と歩む 2 人の姿は清々しい。見事な演出、見事な演技ともいうべきか。
今回のミャンマー旅行では、日本に留学経験もある現地のガイドが 3 日間ずっと付き添
い、観光ツアーの合間に半世紀ぶりの政治的な大転換を直前にした「ミャンマーの今」に
ついても巷の様子を交えながら生き生きと話してくれた。それ
から一月余り、この 3 月 30 日にはアウンサンスーチー政権が発
足した。その直前の時代感覚に触れることができたのも、今回
の旅のもう一つの成果ではなかったか。
やがて素足で悠然と境内を歩むスーチーさんの姿も、目にす
ることになるかもしれない。経済開発も大事だが、そんな平和
な時代を迎えてほしい。
ティーロミンロー寺院を背景に
79
「ビルマの竪琴」考
内田
滋
今回のやまなみ塾訪問旅行は、前の第八回ツアーに続いて2回目です。前回は、シェム
リアップだけでオプション旅行には不参加。今回は、ミャンマーのバガン遺跡ということ
で、バガンにはぜひ行きたいと思っていましたので、気合を入れて参加させてもらいまし
た。
4年前に、インドネシアのボロブドゥール仏教遺跡へ行きました。カンボジアのアンコ
ール・ワット、そして今回のミャンマーのバガン遺跡、これで、世界3大仏教遺跡をすべ
て踏破したことになります。
同じ仏教遺跡とはいえ、3か所とも様子が異なります。ボロブドゥール遺跡はイスラム
教に侵攻され、アンコール遺跡はヒンドゥ教に侵蝕され、壁面のレリーフを削り取られた
り仏像を破壊されたりしています。それに比べ、バガン遺跡は一部金色仏をチンギス・ハ
ンに持ち去られたりしましたが、三千箇所に及ぶ仏塔や金色に輝く大寺院に圧倒されまし
た。信仰の力を感じました。
我々日本人には、ミャンマーと言うよりビルマです。
なんといっても「ビルマの竪琴」です。独文学者の竹
山道雄が、童話雑誌「赤とんぼ」に発表したのが 1947
年3月から 1948 年2月までです。今日でも、中等教
育の国語の教科書などにしばしば登場します。
その後、1956 年に市川昆監督によって映画化され、
さらにほぼ同じシナリオで 1985 年に同じ市川昆監督
によってリメイクされました。どちらも大ヒットし、
日本人がビルマについて言及するときの、定番の参照
例になっています。
ところが驚くことに、
「ビルマの竪琴」はビルマ語に
翻訳されたり、映画もビルマでは上映されたことはありません。素晴らしいガイドをして
くれたサニーさん(日本の信州大学に2年留学)も、ミャンマーでは、僧侶が歌を歌うこ
とも楽器に触れることも禁じられており、ミャンマー人にとっては「ビルマの竪琴」はあ
り得ないことだと話してくれました。
80
映画の第1作目はビルマでの撮影の許可が下りず、ほとんど日本で撮影し、その後、水
島上等兵役の安井昌二だけが同行して1週間のビルマロケを行い、機材がロケに適さない
ということで、モノクロで公開されました。
第2作目は、中井貴一の水島上等兵役で、こ
れも製作当時ビルマが騒乱状態でロケが不可
能だったので、ロケ地はタイで行われました。
中井貴一のオームを肩に載せた僧侶の服装も
動作も、タイの僧侶を真似たようです。
私は、映画は2作品とも見ました。
日英両軍が「埴生の宿」を歌うシーン。後半
のクライマックスで、巨大な涅槃像の中に隠れ
ていた水島が、森の中で合唱する井上小隊の声
を聞きつけ、思わず竪琴を鳴らし、隊員が大仏
の鉄扉を開けようとするのを水島が拒むシー
ン。隊員たちの日本への帰還前日、姿を現した
青年僧、収容場の柵越しに隊員達が「埴生の宿」
を合唱すると、ついに堪えきれなくなった青年
僧が竪琴をかき鳴らす。やはり水島上等兵だっ
た!一緒に日本へ帰ろうと必死に呼びかける隊員に、黙ってうなだれ「仰げば尊し」を弾
く―“今こそ別れめ!いざさらば”と……心打たれる隊員をあとに、水島は森の中へ去っ
て行く。
「ビルマの土はあかい、岩もまたあかい」バガンの赤い土を踏みしめ、神妙な気分に浸り
ました。
ところでバガンは、あの無謀なインパール
作戦で敗色濃厚な日本軍がイギリス軍の機甲
部隊に撃破され、多数の死傷者を出した場所
です。まさに「ビルマの竪琴」の通りです。
バガンで最も高い寺院(高さ六十数m)ダビ
ニュ寺院の向かいにあるダビニュ僧院には日
本兵の慰霊碑がありました。僧侶が手厚く管
理してくれていたようです。永井進さんが日
本から持参したマッチで線香を焚き敬虔な祈
りを捧げるのにつられ、私も同じく手を合わせ、深く頭を下げました。今日の日本の繁栄
は、戦没者の犠牲の上に成り立っている、の思いを新たにしました。
81
バガンを訪問して
関野
晉
バガンで一番記憶に残っている景色は、奇妙な事に実際の景色ではなく、ヤンゴンの空
港で見た大きな壁一面の写真パネルでした。そのパネルには、夕暮れ時の薄ぼんやりとカ
スミがかった森の中に多くの寺院や仏塔が浮かび、真っ赤な太
陽がそれらを映している写真でした。これを見た時『まさにこ
れを見るためにここに来たんだ』と言う強い思いを抱きました
が、実際に寺院に登って夕日をみようとした時やイラワジ川で
夕日をみようとした時の両方とも真っ赤な太陽を見そびれた
のが、かえすがえすも残念な思いにかられています。それでも
仏教三大遺跡の一つと言われているバガンの寺院や仏塔はど
れか一つでもそれがあれば観光地になりうるほどの物なのに、
それが林立している景色はやはり圧巻で自分が今まで見て来
た景色の中では最高の部類に入り、行って良かったと実感して
います。
ところで、次のガイドさんの説明を面白く聞きながら、2つの疑問が浮かびました。
82
説明:
『これらの寺院や仏塔が作られる直前に日本の麻原彰晃のような僧侶が愛人を多く抱
えて淫らな世の中を推奨するような宗教を広めていた。王様がモン族の所有している『三
蔵の経典』を譲るようモン族に要請したが、モン族から『あのような邪教が流行っている
所に持って行っても宝の持ち腐れ』と断られたので怒った王様がモン族を攻め滅ぼして三
蔵の経典と共にモン族の王様以下多くの民を奴隷として連れ帰り、自国の民に「奴隷を貸
し出すのでそれを使って寺院や仏塔を作って功徳を積むよう」奨励したので、多くの寺院
や仏塔が建てられた。
』とのこと。
先ず最初に驚いたのは、ガイドさんが何度も麻原の名前を口に出していた事でした。そ
れを知っている事自身も不思議でしたが、それを象徴するような淫らな行為の壁画にも「ほ
ら同じでしょう」と説明しているのを聞いて、自分たちが最も誇りに思っている寺院や仏
塔の話の中に、自国の恥ずべき話を自慢話のように喋っている姿に奇妙な感覚を覚えてし
まいました。
もう一つは、一口に寺院や仏塔が 3000 基と言っても、当時の状況などの詳細は分かりま
せんが非常に理解しがたい数字だと思いました。当時のバガンの人口は、多くても数万人
と思われ、家族構成が少なくても平均5人とすれば、ほぼ半数の家でこれら寺院や仏塔を
建てた計算になります。これら寺院や仏塔は 200 年余りの間に建てられたと言うことなの
で、一時期ではないにせよ、半数の家族系統で建てられたと言うことになるからです。奴
隷は借りるにしても材料費だけでも莫大なお金が必要になるはずで当時の一般の民がそん
なに裕福であったとはどうしても思えませんでした。日本に帰って調べてみると、当時の
成人男性の奴隷の価格が 20~25 チャッ(Tyat)の銀であった時代に、仏塔1基当たりに
44,027 チャッの銀が必要であったと言う記録があるそうですが、これは一般庶民にはどう
しても無理な数字です。もしかしたら、当時の王侯貴族の一人一人が来世の幸福を願って
功徳を積むために自分用の寺院や仏塔を建てたのであれば、可能な数字かなと思いますが
それにしても、ただただ驚嘆する膨大な数の寺院と仏塔でした(下はポッパ山の周辺)。
83
旅行の最後に近郊の村を見学させてもらいましたが、実際の現地の生活の様子が面白く
うかがい知れる事ができました。結婚式にちょっとだけ参加させてもらい一緒に新婚夫婦
と記念写真を撮ってもらったのも良い思い出です。
村の生活の様子
はフリースクール
の奥のクラウ村よ
りかなり良いよう
に思え、2年前のヤ
ンゴン近郊の村よ
りも生活が豊かに
感じました。考えて
みればクラウ村で
は(訪問がいつも乾
季と言うこともありますが)働いている大人を見かけた事がありませんが、この村では漆
塗りの工芸品などを一家総出で作っている家などもあったので当然かも知れないと思いま
した。着ている服も写真で分かるよ
うに子供も小ざっぱりとした良い服
を着ていました。カンボジア、ラオ
ス、ベトナムなどでは小さい子は大
体土埃にまみれた感じの子供がほと
んどと言う印象ですが、この写真の
多賀さんの隣の子は学校に入る前く
らいの年齢なのに、将来は俳優にで
もなれるような目のきれいなかわい
い子供で、これまで感じていた現地
に不釣り合いな感じさえ受けました。
84
【編集後記】
ツアーは 9 回目になるが、今年度は設立してから 11 年目になる。10 年という節目を通過
したことを顧み、急遽「AYF の 10 年のあゆみ」をまとめてみた。振り返って、よくここま
で続けてきたと感慨深いものがある。
この 4 月からバイヨン中学の先生たちが、午後、クラウ村の子どもたちの指導にあたっ
てくれることになり、やまなみ塾の新しいスタートとなった。
最後になったが、今回のツアーは AYF の会員以外で 6 名の初参加者があった。初めての
方々が積極的にかかわってくださり、新しい風を交流会に入れていただいた。感謝。
(NY)
ツアー参加の皆さんから預かった写真は約 4,000 枚。これを感想文に積極的に使い、各
自の感想文の中に文面に見合い且つ筆者が写っているものも載せた。また、AYF の 10 年を
振り返る感想文も多く、古いツアー時の写真も使わせてもらった。
各感想文タイトルだが、交流会・遺跡見学・バガンとツアー全体を網羅的に書いている
皆さんのものは、ほぼ同じようなものになりがちで、当方の一存で適宜変更した。(HO)
85
やまなみ塾周辺の
のどかな一面
インターン生と
子どもたち
第九回 〝やまなみ塾〟訪問と遺跡見学ツアー
発行日 2016年6月1日
発行者 アンコールやまなみファンド
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷2-17-3 渋谷アイビスビル9階
NPO 歴史文化交流フォーラム内
TEL:03(3400)1216
Eメール:[email protected]
FAX:03(3400)1217
URL:http://www.npo-if.jp/yfund/
86