「マタイ6章 山上の垂訓(2)」 イントロ: 1. 文脈で判断することが大切。 2

2007 年 11 月4日(日)、5日(月)定例会 「マタイ6章 山上の垂訓(2)」
「マタイ6章 山上の垂訓(2)」
イントロ:
1. 文脈で判断することが大切。
2. マタイ 5:20 が、山上の垂訓を解釈する鍵
(1) 救いに至る道を教えているのではない。
(2) 山上の垂訓の本質は、「メシアによる律法の義の解釈」である。
(3) 今回、山上の垂訓は難しくはない、実に分かりやすいと感じた。
①複雑な問題に、単純な回答が用意されている。
②原則が重要。
マタイ5:20 を分析することによって、山上の垂訓が開かれる。
Ⅰ.5章の残り(メシアによる律法の義の解釈)
1. 定型句に注目する。
(1) 「…と言われたのを、あなたがたは聞いています」
①「口伝律法」、イエスの時代にはまだ「言い伝え」の段階。
②後代に、「ミシュナ」として文書化され、それがタルムードの中心となる。
(2) 「しかし、わたしはあなたがたに言います」
①メシアによる律法の解釈、あるいは、義の解釈。
②外側に現れた行為ではなく、人の内面が問題にされている。
(例話)Ⅰサムエル 16:6~7 エッサイの8人の息子の中から王が出る。
2. 具体的展開。
(1) 殺人
①殺人という行為を問題にする。
②行為の前に、心の中で罪を犯している。
(2) 姦淫
①姦淫という行為を問題にする。
②心の中で、姦淫を犯している。
③右の目(罪が入る道)、右の手(罪を犯す道具)を断固取り除く。
6章-1
2007 年 11 月4日(日)、5日(月)定例会 「マタイ6章 山上の垂訓(2)」
(3) 離婚
①申命記 24:1 妻の権利を保護するため。
②後代になると、離婚状を出せば、合法的に離婚できるとなる。
③ヒレル派とシャマイ派
④ヒレル派は律法解釈が緩やか。「料理が下手というだけで離婚原因となる」
⑤不貞以外の理由は不法。
* 離婚されると他の男性に身を寄せるしかない。
* それで、「姦淫を犯させる」という表現になっている。
(4) 誓い
①レビ記 19:12、申命記 23:21、23 など。
②誓うな。誓ったことは実行せよ。
③口伝律法では、誓いをさまざまな理由で取り消せるようになっていた。
④イエスの教えは、「正直な人になれ」ということ。
⑤父なる神の性質。誓いを守る。
* アブラハムが義とされた理由は、神を信じたから。
* 申命記 4:31
(5) 報復
①「目には目で、歯には歯で」。出エジプト 21:24、レビ 24:20。
②同害復讐法は、際限のない復讐に歯止めをかけるもの。
③それが、私的復讐の根拠として利用される。
④イエスの教えは、無抵抗の姿勢。
* 悪や不正を容認せよということではない。
* 仕返しをしないで、求められた以上のものを出す。
(6) 隣人愛
①「隣人」とは、同胞のユダヤ人のこと。
②「自分の敵を憎め」とは、パリサイ派ではなく、エッセネ派の教え。
③イエスの定義では、「隣人とは助けを必要としている人」
④ルカ 10 章、良きサマリヤ人のたとえ
Ⅱ.6章(律法の義の実践)
1. 原則はマタイ 6:1
(1) 善行を行う場合の動機が問題。
(2) 人の歓心を買うためなら、神からの報いは受けられない。
6章-2
2007 年 11 月4日(日)、5日(月)定例会 「マタイ6章 山上の垂訓(2)」
2. 具体的展開
(1) 施し
(2) 祈り
(3) 断食
①以上の3つが、パリサイ人たちが特に好んで善行と考えてきた行為。
②イエスはその3つの行為を再解釈する。
(4) 富に対する態度
①二人の主人に仕えることはできない。
②自分の宝を天に蓄えよ。天で受け取る冠は、それで作られている。
(5) 思い煩い
①将来を見ようとするのは罪。
②天の父に信頼していないこと。
3. 祈りについて
(1) 原則
①パリサイ派的偽善を避ける。
②異邦人の祈り方を避ける。
* ことばの繰り返し。
* 仏教、イスラム教、ユダヤ教には、自発的祈りはない。
* 父なる神は、願う前から私たちの必要を知っておられる。
(2) 主の祈り
イントロダクション
* この通りに祈ってもいいが、モデルとして使用するのがよい。
* 前半の3つが、神の御心を求める祈り。
* 後半の3つが、自分の必要のための祈り。
* 共同体としての祈り。「私たち」
①「天にいます私たちの父よ」
* 呼びかけ。
* 神への完全な信頼から生まれる言葉。
* キリストを通して、御霊によって、天の父なる神に祈る。
②「御名があがめられますように」
* 神の偉大さや、性質を思う。
* 過去に受けた祝福を思い出す。
③「御国が来ますように。みこころが天で行われるように…」
* 神の国の前進を祈る。
* 教会、牧師、宣教師、役員、求道者のために祈る。
6章-3
2007 年 11 月4日(日)、5日(月)定例会 「マタイ6章 山上の垂訓(2)」
④「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」
* 肉体の必要のための祈り。
* 経済的試練、人間関係の試練、病との闘い。
⑤「私たちの負い目をお赦しください」
* 罪の告白が冒頭に来ていない。
* そのままで神の前に出る。
* 他人の罪を赦すことが、自分の罪が赦される条件ではない。
* 罪の赦しを体験した人の強みが、ここに表現されている。
⑥「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください」
* 霊的な戦いの中での守り。
* ヨハネ 16:33
* クリスチャンが経験する平安とは、患難の中での平安である。
結論
1. 神は、行為ではなく、心をご覧になる。
2. 常に動機が問われる。
3. 祈りは、父なる神への信頼の表明である。
6章-4