『成熟した人格形成と プレイバックシアターの関係性について』

『成熟した人格形成と
プレイバックシアターの関係性について』
リーダーシップ 3 期 生 長 谷 川 里 美
Satomi Hasegawa
【はじめに】
私 にと ってプレイバックシアタ ーとの出 会 いは、と ても衝 撃 的 な出 来 事 だった。その
時 のことを、数 年 後 に下 記 のようなエッセイにまとめ、 公 開 している。
『私 の父 は、アルコールに依 存 していた。 物 心 ついた頃 から酒 を飲 むと人 が変 わって
しまう父 親 が恐 かった。次 第 に豹 変 していく父 親 の姿 を 見 て、泣 き声 を かみ殺 しながら
恐 怖 に震 えていたのをよく覚 えている。「どうしてこんな家 に生 まれてきちゃったんだろ
う・・・」いつもそんなことを考 えている子 供 だった。
大 人 になっても、幼 少 期 に植 えつけられてしまった「恐 怖 心 」をぬぐいさることはできな
かった。さすがに年 齢 とともに酒 の量 は減 ってきたが、父 親 がお酒 を飲 み出 すとその場
に一 緒 にいることができず、私 はさっさと逃 げ出 した。いくつになっても、恐 いのだ・・・。
そんな時 、プレイバックシアターに出 会 った。それもその「場 」に偶 然 流 れていたテーマ
は、「家 族 」。ある人 の幸 せな家 族 のストーリーを観 て、対 極 である自 分 の境 遇 を語 りた
くなった。そして、思 いがけず子 供 の頃 日 常 的 に 見 ていた恐 怖 シーンを再 現 してもらうこ
とに。テラー席 に座 った私 は、ずっと乗 り越 えることができず一 生 登 ることすらできないで
あろうと思 っていた「険 しい崖 」を一 瞬 にしていとも簡 単 に飛 び越 えちゃった・・・そんな不
思 議 な 感 覚 を 味 わ っ た 。 そ し て 「 ト ラ ン ス フ ォ ーメ ー シ ョ ン 」 で 、 さ さ や か な 私 の 夢 だ っ た
「和 やかな家 族 の団 欒 」を観 た。その日 学 校 であった出 来 事 を家 族 4人 で語 り合 いなが
らみんなで微 笑 んでいるシーン・・・を再 現 してもらったその瞬 間 だった。とめどなく頬 をつ
たった涙 とともに、何 かが洗 い流 されたような気 がした。そして、その体 験 が 私 の人 生 の
大 きな転 機 となった。
自 分 自 身 が「親 」となり、子 供 を育 てるという苦 労 や大 変 さも実 感 できるようになった。
それから何 年 かたっ て父 が定 年 を 迎 えた 日 、「私 はお 父 さ んがこれまで一 生 懸 命 に 働
いてくれたおかげで、大 学 まで通 わせてもらってここまでくることができました。長 い間 お
疲 れ様 でした。ありがとう」と初 めて心 の底 から父 に感 謝 の 気 持 ちを伝 えることができた。
そして、この瞬 間 父 のことを本 当 の意 味 で許 せたような気 がする。
もしプレイバックシアタ ーに出 会 ってなかったとしたら、今 だ「救 われない自 分 」がいたか
もし れない 。私 が偶 然 にも手 に入 れたこ んな感 覚 を 、多 かれ少 なかれ「必 要 と し てい る
人 」に1人 でも多 く味 わっていただけたら・・・と、これが私 の活 動 を支 えている源 なのだ。
これからも心 に響 くア クティングを めざし て、「引 き出 し 」作 りと スキルの向 上 に励 んでい
きたい。』と。(一 部 抜 粋 )
縁 あって、カンパニーに5年 間 所 属 し、プレイバックシアターの活 動 を続 けた。当 初 の
2
2年 間 は、プレイバックシアターに関 わる体 験 のすべてが新 鮮 で、楽 しく、充 実 感 に満 ち
たものだった。そして、ちょうどグループプロセスに行 き詰 りを感 じ始 めていた時 期 だった。
世 界 大 会 の最 終 日 、ジョナサンの基 調 講 演 の中 で語 られた『成 熟 した大 人 としてのプレ
イバックシアター』というキーワードが、私 の心 の奥 底 へ一 瞬 にして突 き刺 さった。それは
私 にと って、 その時 ぶちあたってい る厚 い 壁 を打 ち破 るために必 要 不 可 欠 なこと だった
からだ。そして、今 後 私 自 身 が長 い時 間 をかけてめざしていく大 きな目 標 は「これだ!」
と直 感 したのだ。その日 から、常 にこの大 きなテーマについて自 問 自 答 しつつ、プレイバ
ックシアターの勉 強 や活 動 を続 けている。
卒 業 論 文 のテーマを考 えた時 に、迷 わずこのテーマを選 んだ。まずは「人 が“成 熟 ”す
るとは一 体 どういうことなのか?」ということから考 えてみたい。そして、人 が成 長 していく
ためのひとつの手 段 として、プレイバックシアター が提 供 できうる可 能 性 とその有 効 性 に
ついて検 討 してみた。それが、“私 らしく”プレイバックシアターの活 動 を 長 く続 けていくた
めの指 針 につながると考 え、この大 テーマにあえて挑 戦 したいと思 った。未 来 の自 分 へ
愛 を込 めて・・・Good Luck!と。
3
【目 次 】
第 一 章 人 が成 長 するとは?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6 ページ
1.「欲 求 5 段 階 説 」
2.互 いの存 在 意 義 を認 め合 う
3.自 己 実 現 のために
4.EQ:「こころの知 能 指 数 」
5.自 分 を知 る
6.感 情 のコントロール
7.自 分 自 身 を動 機 づける
8.共 感 する
9.社 会 的 能 力 の向 上 をはかる
10.EQ を高 めるために
第 二 章 「人 間 的 なコミュニケーション」とプレイバックシアター ・・・・・・・・・・12 ページ
1.「自 己 表 現 」とは
2.「ストーリー」を語 ることの意 義
3.「傾 聴 」の重 要 性
4.相 互 理 解 のための「準 拠 枠 」
5.「ストーリー」を真 に理 解 するために
第 三 章 「アクティング」と人 間 的 成 長 の関 係 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 15 ページ
1.ニュートラルでいること
2.アクター自 身 の問 題 を整 理 する
3.アクターとしての「成 長 」から得 られるもの
第 四 章 対 話 と信 頼 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・17 ページ
1.心 の対 話 を観 客 の一 員 として体 感 する
4
第 五 章 人 間 的 な成 熟 をめざして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・18 ページ
1.『成 熟 ししたパーソナリティの定 義 』
【さいごに】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・20 ページ
【引 用 文 献 】
5
【第 一 章 】人 が成 長 するとは?
人 は、誰 でも多 かれ少 なかれ人 間 的 な成 長 をしたいと考 えていると思 う 。子 供 たちは
早 く 大 人 になり たい と 思 っ てい る だろう し 、 大 人 は家 庭 で も 職 場 でも 、 各 人 の役 割 と 責
任 を果 たすことによって、自 己 の確 立 をめざしている という。周 囲 の人 々とのかかわりや
変 動 する社 会 との関 係 の中 で、順 境 と逆 境 を経 験 しながら、一 人 ひとりが固 有 の人 生
を生 きることを余 儀 なくされているはずだ。では、人 間 が成 長 するということは一 体 どうい
うことを指 すのか?先 人 たちが提 唱 してきた 「人 間 の成 長 に関 する理 論 」に焦 点 をあて
てみた。同 時 に 、プレ イバックシ ア タ ーが果 たす役 割 と その有 効 性 につい ても考 え て み
たい。
■「欲 求 5 段 階 説 」
人 間 の成 長 を考 える上 で、まず注 目 すべきは、アメリカの心 理 学 者 マズロー
〔Maslow,A.H. 1908~1970〕が提 唱 した『動 機 づけの理 論 』だろう。マズローは「人 間
は生 まれながらにして、より成 長 し よう 、自 分 の持 てるものを 最 高 に発 揮 し ようという 動
機 づけ を 持 つ存 在 である」と いう 考 え方 に 立 って、人 間 の研 究 をし た人 物 である。そ の
中 でも「欲 求 5 段 階 説 」は有 名 だ。
1.生 理 的 欲 求 …飢 え・渇 き・性 欲 を満 たしたい
2.安 全 の欲 求 …保 護 されたい・雨 風 をしのぎたい
3.所 属 と愛 の欲 求 …愛 や友 情 を分 かち合 いたい・集 団 に所 属 したい
4.承 認 の欲 求 …人 から尊 敬 されたい・自 尊 心 を持 ちたい
5.自 己 実 現 の欲 求 …可 能 性 の実 現 ・使 命 の達 成 をしたい
(カウンセリング辞 典 より)
マズローは、「それぞれの人 が持 つ能 力 や人 間 性 を最 高 に発 揮 して生 きるようにする
ことが、人 間 の望 みであり、人 間 の方 向 性 なのだ」と述 べている。個 人 が自 己 の内 に潜
在 している可 能 性 を最 大 限 に開 発 し、それを実 現 して生 きることが「自 己 実 現 」 であると
い う 。ただ、人 間 の 存 在 が本 来 その よう な ものであっ たと し ても、実 際 の 生 活 の場 面 で
はなかなか「自 己 実 現 」を果 たせないのが現 実 である。
例 えば人 間 が飲 食 の危 機 にさ ら さ れると 、いかにし て飢 えや渇 きを 満 たすか・・・、そ
のことしか考 えられなくなるだろう。また、戦 争 や災 害 などに遭 遇 したとしたら、人 間 はい
かにして安 全 を確 保 し、身 を守 るかにほとんどのエネルギーを費 やすことだろう。 このよ
6
うに食 べるものがなくても身 の安 全 が脅 かされても、一 瞬 にして人 間 の「自 己 実 現 の欲
求 」は忘 れ去 られてしまうということである。
「5段 階 の欲 求 」には、明 確 な行 動 支 配 の順 序 が存 在 するという 。第 一 の「生 理 的 欲
求 」と「安 全 の欲 求 」がある程 度 満 たされると、次 に「所 属 と愛 の欲 求 」が出 てくる という。
マズローは、「人 間 には愛 の欲 求 があり、愛 し愛 されたいという気 持 ちが満 たされること
が大 切 だ」と 主 張 し ている。人 間 がこ の世 に存 在 することを 慈 し む気 持 ちや人 と 人 と の
かかわりが重 要 なのだと 。そして、愛 し 愛 される人 間 関 係 が成 立 すると 、次 に、自 分 が
他 者 からどのように評 価 されているのか、誰 かに認 められたいという「承 認 の欲 求 」が芽
生 えてくるという。他 の人 から尊 敬 され、自 分 の成 し遂 げたことを認 めてもらいたいという
気 持 ちを強 く意 識 するようになるのだ。と同 時 に、自 分 も自 分 自 身 を受 け入 れ、自 尊 心
を持 って生 きていきたいとも考 える。この3と4の欲 求 を満 たすには、親 の愛 や家 族 のか
かわりなども大 変 重 要 テーマになってくるという。
こうして 4 つの基 本 的 な欲 求 がある程 度 満 たされると、最 後 に「自 己 実 現 の欲 求 」が
でてくるという。マズローは、「最 初 の 4 つの欲 求 は、人 間 の欠 乏 に根 ざした動 機 であり、
満 たされる必 要 があるのだ」と。そして、人 間 は欠 乏 動 機 によってのみ生 きるのではなく、
それがある程 度 満 たされることにより、真 の成 長 動 機 である「自 己 実 現 の欲 求 」 が浮 上
してくるというのである。それは、「自 分 に与 えられたものを十 二 分 に生 かして生 きようと
する欲 求 」を指 し 、人 と比 較 したり 、自 分 の欠 点 を 苦 にしたり するのではなく、主 体 性 を
持 ち、自 分 のありのままの姿 を理 解 し 、受 け入 れ、それをよしとして、その生 き方 を貫 こ
うとすることだという。
■互 いの存 在 意 義 を認 め合 う
私 たちはプレイバックシアターを通 じて、個 人 によって多 少 の感 じ方 の違 いはあるが
「所 属 と愛 の欲 求 」や「承 認 の欲 求 」を満 たしたことを体 感 できる機 会 を得 ることが可 能
だ 。各 人 の「 ストーリ ー」を その場 にい る 全 員 で共 に分 かち合 う ・・・そこは、単 に安 全 な
場 というだけではなく、基 本 的 に暖 かく、慈 愛 に満 ちた居 心 地 のよい空 間 の中 で行 われ
る。そして共 感 的 な 雰 囲 気 の中 で、常 に親 しみと敬 い の気 持 ちを持 って、テラーの話 し
に耳 を傾 ける。その基 本 的 な姿 勢 は、その場 にいる誰 もの心 を暖 かい「愛 」で包 み込 み、
互 いの存 在 意 義 を認 め合 うことにつながる。また、テラー は自 分 自 身 の人 生 のひとコマ
が演 じられ、その時 の気 持 ちを最 大 限 にくみ取 った奥 深 いスト ーリーが展 開 されている
のをステージ上 のテラー席 で目 にする時 、誰 もが多 かれ少 なかれ「承 認 されている」とい
う感 覚 になる。その場 にいるすべての人 々が同 じ視 点 に立 って、目 の前 で繰 り広 げられ
る再 現 ドラマを通 じてテラーと同 じような体 験 していくことは、 ついさっきまで「遠 い存 在 」
7
だったはずの人 々と の一 体 感 を も共 有 で きる とい う 。そのよう な体 験 からテ ラー は自 然
な形 で愛 情 充 足 感 や安 心 感 を培 い、自 尊 感 情 を育 んでいく のだと思 う。プレイバックシ
ア タ ー の 一 連 の プ ロ セ スを 踏 ん でい く 中 で 、 結 果 的 に 「 所 属 と 愛 の 欲 求 」 と 「 承 認 の 欲
求 」が満 たされていくことを実 感 できるのだ。
■自 己 実 現 のために
人 間 の本 来 の姿 を自 己 実 現 に求 めるのか、欠 乏 動 機 を満 たすことに求 めるかという
スタンスは、各 人 の人 生 設 計 において重 要 な分 岐 点 のひとつになるそうだ。「自 己 実 現
の欲 求 」まで満 たそうという 人 は、自 分 はどんな考 え方 や価 値 観 を持 ち、人 間 にどう 対
処 し ようと しているのかというこ とまで 検 討 されなければならない という 。そのためには、
まず自 分 にはどんな パーソナリティの傾 向 があり 、どんな能 力 を 持 ち、どんなことをした
いと思 っているのかということなどを明 確 にすることが大 切 になる。
そんな 自 己 理 解 のた めの手 法 のひと つと し て 、プ レ イバ ックシ ア タ ーは有 効 で ある と
思 う。自 身 に起 こった過 去 の出 来 事 を「ストーリー」として客 観 的 に観 ることで、「自 己 洞
察 」への扉 を開 き、自 分 自 身 では気 づかない考 えや感 情 までもはっきりと 理 解 するこ と
が可 能 になる 。そし て 、テ ラー体 験 を 何 度 か繰 り 返 し てい くこ とで、自 然 と あり のまま の
自 分 自 身 を受 け入 れることができるのだ。そういった自 己 理 解 の作 業 なしには、自 分 を
発 揮 することもできないし、他 者 にかかわることも不 十 分 となってしまうだろう。心 豊 かに
実 りある人 生 を送 るために、私 たちはまず「自 己 理 解 」という作 業 で土 壌 を耕 し、「自 己
実 現 」のための種 を巻 き、それを大 きく育 てていく・・・。いつか大 輪 の花 を咲 かせるため
に必 要 不 可 欠 な要 素 のひと つであり 、皆 を 暖 かく包 み込 む陽 光 となりう るものがプレイ
バックシアターだと思 う。
■EQ:「こころの知 能 指 数 」
人間の成長を考える上で、近年注目されている「こころの知能指数」
EQ :Emotional intelligence Quotient という概 念 についても考 えてみたい。D.ゴー
ルマンによって提 唱 された「こころの知 能 指 数 」 EQ とは、一 般 的 な知 能 テストで測 定 さ
れる IQ とは質 の異 なる頭 の良 さを指 し、「自 分 の感 情 を適 切 にコントロールし、自 分 の
持 ってい る能 力 を 最 大 限 に発 揮 するため の社 会 的 知 性 」 のこ とである。こ の心 の知 能
指 数 は、人 生 を 聡 明 に生 きていく上 で非 常 に重 要 な要 素 である という 。具 体 的 には以
下 の 5 つの能 力 をさす。
(1)自 分 の本 当 の気 持 ちを自 覚 し尊 重 して、心 から納 得 できる決 断 を下 す能 力 。
8
(2)情 動 を自 制 し、不 安 や怒 りのようなストレスのもとになる感 情 を制 御 する能 力 。
(3)目 標 の追 求 に挫 折 した時 でも楽 観 を捨 てず、自 分 自 身 を励 ます能 力 。
(4)他 人 の気 持 ちを感 じとる共 感 能 力 。
(5)集 団 の中 で調 和 を保 ち、協 力 しあう社 会 的 能 力 。
(EQ:心 の知 能 指 数 より)
■自 分 を知 る
(1)の能 力 を高 めるために必 要 なことは、「自 分 自 身 を知 る」ということが第 一 条 件 に
挙 げられるという。特 に自 分 が今 何 をどのように感 じているのか・・・という自 分 の中 にあ
る感 情 を常 にモニタリングすることができれば、より自 分 らしく生 きやすくなるはずである。
し かし 現 実 社 会 で は 、 人 間 関 係 などさ ま ざま な 理 由 か ら 自 分 の感 情 を 押 し 殺 し て 、 本
心 とは逆 の行 動 をとってしまうという状 況 にも陥 りがちだ。さらに内 面 が混 乱 して、自 分
自 身 の本 当 の気 持 ち に蓋 を し てし まったり 、何 が本 当 の気 持 ち なのか全 く気 が つか な
かったりする場 合 も。そんな時 、個 人 の主 観 を扱 うプレイバックシアターは、具 体 的 なシ
ーンを再 現 することで客 観 的 に自 分 自 身 の心 の動 きを振 り返 ることができる と思 う。
■感 情 のコントロール
多 かれ少 なかれ私 たちは、朝 起 きてから夜 眠 りにつくまで感 情 を 適 切 な状 態 に保 つ
ために感 情 のコントロールをしているという。自 分 の気 持 ちを静 めるという能 力 は、日 常
生 活 の基 本 になると述 べられている。特 に怒 りや不 安 、悲 しみや憎 しみ、そして孤 独 感
など不 快 な感 情 が極 端 に強 かったり 、長 時 間 持 続 するような状 態 は、精 神 の安 定 をも
脅 かすことになりかねない との指 摘 もある。そこで、プレイバックシアターの「自 らの経 験
を語 り、それが表 現 され集 団 の中 で分 かち合 われる」という枠 組 みの中 で「ありのままの
自 分 を 受 け 止 めてもらえる 」と いう 体 験 が、浄 化 的 効 果 (カタ ルシ ス )を 得 て心 を 落 ち着
かすこ とを 可 能 にさ せると 思 う 。折 にふれてそうい った経 験 を 積 み 重 ねていくう ちに、自
己 制 御 の能 力 を高 めていくことができるのではないかと考 える 。
■自 分 自 身 を動 機 づける
(3)の「自 分 を 動 機 づ ける」とい う セルフ・コ ント ロールは、ある事 柄 に集 中 し たり 何 か
を習 得 したり創 造 したりする時 、また目 標 を達 成 するためには不 可 欠 な能 力 である とい
う。中 でも、ものごとを楽 観 的 にみるか悲 観 的 にみるかは生 まれつきの気 質 よる部 分 が
大 きい のかもし れない。が、気 質 は経 験 によってある程 度 は変 えられると 考 えられてい
る。楽 観 も希 望 も、そして無 力 感 や絶 望 感 も学 習 可 能 な領 域 であるという 。人 は何 であ
9
れ得 意 な 分 野 が でき ると その人 の 自 己 効 力 感 が 強 まり 、より 大 きな目 標 を めざし て 冒
険 したり挑 戦 したりする意 欲 が沸 いてくる。心 理 学 でいう「自 己 効 力 感 : self efficacy」
は、「 自 己 に 対 す る 有 能 感 ・ 信 頼 感 」の こ と を 指 し 、「 自 分 が、ある具 体 的 な状 況
において、適 切 な行 動 を成 功 裡 に遂 行 できるという予 測 および確 信 」のことである。また
自 分 自 身 の 力 だけ で難 局 を 乗 り 切 ると い う経 験 を すると 、それがより 自 己 効 力 感 を 高
めてくれる。自 分 の才 能 を伸 ばそうとする努 力 ができるようになるのだと。
プレイバックシアターでもそういった部 分 でのアプローチは可 能 である。プレイバックシ
アターのプロセスには、「自 発 性 」という重 要 な要 素 が常 に根 底 に流 れている と学 んだ。
誰 に強 要 をされることなく、気 持 ちのおもむくままに 自 らの意 思 で テラー席 につき、個 人
的 な体 験 を 語 る。または 、ア クタ ーとしてテラーのために数 々の 「ストーリ ー」を 演 じ なが
ら、自 己 表 現 力 を高 め、自 分 の限 界 を取 り払 っていく作 業 をする。そういった成 功 体 験
を 重 ねてい くう ちに結 果 とし て、「自 己 効 力 感 」を 自 然 な形 で伸 ばし ていくこと が可 能 で
あると思 う。
■共 感 する
(4)の他 者 がどう感 じ ているのかを 察 する共 感 能 力 は、人 生 のありとあらゆる場 面 で
必 要 な 能 力 であ る と い う 。また、 互 い に心 を 開 き、 理 解 し 信 頼 し あえる関 係 (Rapport)
の形 成 にも不 可 欠 である。そして、人 間 の感 情 は、言 葉 よりも言 葉 以 外 のしぐさで表 現
されることが多 い。他 人 の気 持 ちを感 じとるためには、声 のトーンや身 振 り、顔 の表 情 、
全 身 から醸 し出 される雰 囲 気 など言 語 以 外 の伝 達 手 段 を読 みとる能 力 も必 要 である と
いう。
プレイバックシアターでは、どのような「ストーリー」を語 っても、集 団 の中 で受 けとめて
もらい、再 現 ドラマを観 て心 動 かされた観 客 からの共 感 や賞 賛 をもらうという体 験 ができ
るという。実 際 にそういった観 客 の様 子 を目 の当 たりにして、「他 者 から理 解 され、共 感
されてい る」自 分 を感 じ、その喜 びを 実 感 することと なる。また、テラーとしての関 わり だ
けでなく、その場 に参 加 しているすべての 人 々が、自 然 と他 人 の痛 みを自 分 の痛 みとし
て共 に感 じるという 体 験 をしてい く。そうい った経 験 を 多 く積 むこと で、他 者 の心 の波 長
を読 み取 るアンテナを磨 き、それを 高 く保 つことができるのだと考 える。
プレ イバ ッ クシ ア タ ー を ア クタ ーと し て 実 践 し てい く場 合 に も 、テ ラーが 何 を 感 じ 、どう
考 えてい る のかを 自 分 の主 観 的 な憶 測 に と らわれない で 、正 確 に知 ろう と す る能 力 が
必 要 となると思 う。短 時 間 のインタビューの中 でテラーが語 った少 ない情 報 だけを頼 りに
即 興 で演 じることを 常 に求 められてい るからだ。テラーが本 当 に観 たいシ ーンは何 なの
か?そして、その「ストーリー」を語 っている意 味 とは?など、一 瞬 で深 い洞 察 を加 味 した
10
上 に、忠 実 にそのシ ーンを再 現 していくと いう作 業 はかなり難 し いことだ と感 じている人
が多 い。アクターは、自 分 の価 値 観 やフィルター を取 り払 い、ニュートラルな状 態 でステ
ージ に立 つこと が基 本 姿 勢 だと 学 んだ。その中 で、テ ラーの心 の声 までも聴 こう と 努 力
しつつ、言 語 以 外 のボディランゲージからも何 かを感 じ取 っていく。 そして「ストーリー」に
敬 意 を 払 い つ つ、ベ スト を 尽 くし て演 じ る のだ。こ う い った「 生 の感 覚 」を 繰 り 返 し つ つ、
場 数 を踏 んでいくことで、共 感 能 力 もパワーアップさせていけるのだと思 う。
■社 会 的 能 力 の向 上
情 動 の自 己 管 理 と 共 感 の基 礎 の上 に、他 人 とうまくやっていくために必 要 な社 会 的
能 力 「対 人 能 力 」は成 熟 していくという。これには以 下 のような 5 つの効 能 が提 示 されて
いる。
①良 好 な人 間 関 係 を 築 く② 人 の心 を 動 か す③親 し い 人 々と の 関 係 を 豊 かにす る④
他 人 に影 響 を及 ぼす⑤周 囲 の人 をくつろがせたりする。
人 間 対 人 間 の駆 け引 きを適 切 な場 面 で、いかに効 果 的 に使 えるのかは大 切 な要 素
になる。このような社 会 的 能 力 の向 上 についても、プレイバックシアターは有 効 である と
思 う。プレイバックシアターについて、ジョナサン・フォックスは『コミュニティの中 で人 と人
とのつながりを 育 む場 』と 述 べてい る。ワークショップ形 式 であろうとパフォーマンスであ
ろうと、そこで起 こるすべてのプロセスから私 たち は社 会 的 能 力 をアップさせるための方
法 を学 ぶことができると思 う。具 体 的 には、即 興 で瞬 時 にさまざまなロールを表 現 するこ
とを繰 り返 し体 験 したり 、多 くの人 々の人 生 のひとコマに触 れ、深 くフォーカスしていくこ
とで、各 人 の内 面 にさまざまな「気 づき」がもたらされる と考 えるからだ。プレイバックシア
ターを通 じて社 会 的 能 力 の向 上 をめざしていくことは 、自 然 な形 で豊 かな人 間 関 係 を育
んでいくことにもつながると思 う 。
■EQ を高 めるために
一 般 的 に、EQ が高 いと、対 人 関 係 能 力 や自 己 実 現 能 力 も高 く、周 囲 の人 から援 助
や支 援 を得 られやすいという。つまり、EQ が高 ければ本 来 備 わっている能 力 や 蓄 積 し
てきたノウハウが充 分 に発 揮 できる人 的 環 境 を自 分 で作 り出 す ことが可 能 となるのであ
る。EQ を磨 き、高 めるという意 味 においても、プレイバックシアターは実 用 的 である と思
う。
プレイバックシアターで語 られる「ストーリー」には、喜 怒 哀 楽 を始 めとして、必 ずといっ
ていいほど何 らかの人 の感 情 の動 きが内 在 している。特 に自 分 の感 情 をコントロールで
きないほど衝 撃 的 な場 面 に遭 遇 し た人 の 「ストーリ ー 」や、度 重 なる不 幸 に直 面 し て内
11
面 が混 乱 したままその状 況 から容 易 に抜 け出 すこと ができ ない でい るシ ーンなど、テ ラ
ーの心 の奥 まで深 く聴 けば聴 くほど、多 種 多 様 な難 しいテーマを扱 うことになる。 長 くプ
レイバックシアターに取 り組 んでいる人 々は、そのトレーニングや経 験 を重 ねていくうちに、
自 分 の気 分 をうまく整 え、感 情 の乱 れに思 考 力 を阻 害 されない能 力 を自 然 と高 めてい
くこ とができる と 思 う 。そし て、他 人 の気 持 ちを 推 察 し 共 感 でき る能 力 を 身 につけ ていく
のだ。心 内 知 性 (セルフコンセプト )、対 人 関 係 知 性 (ソーシャルスキル)、状 況 判 断 知 性
(モ ニタ リ ング能 力 )と い う 3つの要 素 を バランス よく 育 んでい け る 手 法 と し て、 その取 り
組 みは大 きな価 値 があると思 う。
【第 二 章 】「人 間 的 なコミュニケーション」とプレイバックシアター
「人 間 的 なコミュニケーション 」を重 ねることによって、人 は自 分 を高 められ、成 長 させ
られるという 。「人 間 的 なコミュニケーション 」とは、単 に意 見 を交 換 することや情 報 を誰
かに伝 えるということではなく、真 に他 者 を理 解 しようと努 め、内 面 まで深 く触 れるような
コミュニケーションをすることと定 義 付 けされている。また、他 者 に対 して援 助 的 な存 在 と
なることで、他 者 とのかかわり のプロセスが自 分 自 身 の成 長 をも促 進 させてくれるという。
人 が互 いに信 頼 し合 い、愛 し合 うことによって、人 間 的 に高 め合 うプロセスこそが 「生 き
る」ということ なのかもしれない 。 このような 心 と 心 が触 れ合 う ようなコ ミ ュニケーショ ンを
可 能 にするためには、「自 己 表 現 」と「傾 聴 」 という基 本 姿 勢 が重 要 な条 件 としてあげら
れるという。ここでは、「人 間 的 なコミュニケーション 」という視 点 から、プレイバックシアタ
ーについて考 えてみたい。
■「自 己 表 現 」とは?
私 たちは日 常 生 活 の中 で、心 の中 では様 々な感 情 が流 れているにもかかわらず、自
分 が思 ってい ること や言 い た いこと を 相 手 にう まく伝 えるこ とができ ずに もどかしい 思 い
をするという場 面 に多 く出 くわす 。特 に他 人 が期 待 するままに動 くというよう な状 況 が長
期 間 続 くと、自 分 を抑 えられなくなり、突 然 爆 発 してしまうこともあれば、自 分 ひとりで 長
きに渡 って苦 しみ続 けるということもある。また、自 分 の本 当 の望 みや考 えを表 現 するの
ではなく、相 手 を感 情 的 に非 難 したり、批 判 したりして誰 かを傷 つけてしまうこともある。
他 者 とのスムーズな相 互 理 解 を促 進 するためには、何 だかの「自 己 表 現 」は必 要 不 可
欠 であると思 う。
「自 己 表 現 」と は、 自 分 の思 っ てい るこ と や 感 じ てい るこ と を 相 手 にわかり やすく、 適
当 な方 法 と 場 所 で積 極 的 に伝 えるこ と と 定 義 さ れてい る 。その 目 的 は、本 当 の自 分 を
12
相 手 によりよく理 解 してもらうということであるという。自 分 が言 いたいことや感 じるままを
何 でも口 に出 して言 う ことや相 手 に自 分 の考 えを押 し付 けたりすること、時 には相 手 に
対 して命 令 したりするような「自 己 主 張 」と 、「自 己 表 現 」とは明 らかに違 いがある。他 者
との信 頼 関 係 を確 立 するためには、この「自 己 表 現 」が重 要 な要 素 になるという 。
リチュアルに守 られた プレイバックシアター の場 を 通 じて、「スト ーリー」として 語 ること
は、「自 己 表 現 」のひとつの方 法 として活 用 される場 面 も多 い と思 う。さまざまな 想 いや
複 雑 に絡 み合 った感 情 などを客 観 的 に表 現 してもらい、当 事 者 の五 感 に訴 える形 でそ
れを伝 えるということは、単 なる「自 己 主 張 」として捕 らえられてし まう リスクを うまく回 避
し、結 果 として好 作 用 に働 く可 能 性 が高 いと思 う 。
■「ストーリー」を語 ることの意 義
プレイバックシアターで過 去 に起 こった出 来 事 を語 るということは、単 なる日 常 会 話 の
中 で話 すの と は違 い 、より 深 く掘 り 下 げた 「自 己 表 現 」の一 種 と 言 えるだ ろう 。たと え ど
んなにささいな日 常 のひとコマを語 ったとしても、「ストーリー」として語 られるとプレイバッ
クシアターの様 式 と芸 術 的 感 覚 によって、そのシ ーンの美 しさ と深 い意 味 を 引 き出 すこ
とを可 能 にするからである。また、 どんな「ストーリー」が語 られたとしても、より 尊 いもの
として大 切 に扱 うことができる 。そして、その場 に集 った人 々が共 通 して持 っている心 模
様 を、ひとつの統 合 された「ストーリー」になるようにひとつひとつの「ストーリー」を結 びつ
け、皆 で「スト ーリ ーの綾 」を 織 り 上 げてい く 。「ストーリー 」を 分 かち合 い ながら、互 いの
つながりまでも感 じることができる のだ。非 日 常 的 な「自 己 表 現 」の方 法 ではあるが、 テ
ラーは、その時 その場 で沸 き起 こった何 らかの「 想 い」を「スト ーリー」として語 ることで、
心 の 落 ち 着 きや 喜 び まで も 得 ら れると い う 。と 同 時 に、 未 来 へ の希 望 や 勇 気 が 自 然 と
沸 いてきたりもする。さらにプレイバックシアターには、人 と人 のつながりを生 み出 す強 い
力 があり、強 い信 頼 関 係 を育 くむことも可 能 にすると思 う 。
人 は人 生 の意 味 を探 し求 めているからこそ、自 分 の 「ストーリー」を語 る必 要 があると
いう。「 スト ーリ ー」を 語 ること で、自 分 のア イデンテ ィテ ィーやこ の世 の中 での自 分 の居
場 所 、そし てこ の世 の中 そのものの枠 組 みを 確 認 するこ とができる と 言 われてい る 。そ
れぞれの心 模 様 を 他 者 と 分 かち合 う ための「自 己 表 現 」の場 と して も、誰 からも批 判 さ
れることのない場 であるプレイバックシアターは必 要 であると思 う 。
■「傾 聴 」の重 要 性
誰 かの話 を 「 聴 く」こ と は、一 見 簡 単 なこ と のよう に思 えて も、 一 筋 縄 で はい かない も
のだ。「傾 聴 」するということは、相 手 の言 葉 や、その中 に含 まれている問 題 のみに注 目
13
して、それだけを 取 り 扱 うこ とではない 。それらも含 めて相 手 の表 情 ・姿 勢 ・態 度 などに
よる非 言 語 的 な表 現 からも、話 し手 の「心 の声 」に耳 を傾 けようとする姿 勢 のことを指 す
という。日 常 会 話 の中 では自 然 と 他 者 が発 する言 葉 や問 題 だけに気 がと られて、その
人 自 身 を顧 みない と いうことをし てし まい がちである。また時 には、他 者 が何 を 言 お うと
しているのかということに耳 を傾 けないで、自 分 自 身 の関 心 や興 味 のある一 部 分 だけを
聞 いて、わかったよう なふりをしてしまう。もしくは、聞 く人 が話 す人 の問 題 を解 決 しなけ
ればという気 持 ちで話 しを聞 いてしまう。このような問 題 解 決 的 スタンスで話 しを聞 くと、
その問 題 の回 答 を出 そうとして理 論 的 説 明 や事 実 の証 明 を相 手 に要 求 してしまいがち
になるそうだ。これも、相 手 を真 に理 解 しようとして「聴 く」態 度 とはまるで違 う と思 う。「こ
の人 の内 面 には、今 何 が起 こっているか?」という深 い心 の動 きまでも感 じ取 りながら、
「聴 く」ことが大 切 なのだと思 う。
このように他 者 と相 互 に理 解 しあおうと努 力 していくことは、互 いに人 間 的 な成 長 をし
ていくための基 盤 となるという。この人 間 理 解 の基 本 となる「傾 聴 」は、プレイバックシア
ターを 提 供 し てい く側 と って 必 要 不 可 欠 な こと である と 思 う 。真 摯 な「傾 聴 」の姿 勢 は 、
必 ずや「ストーリーを真 に理 解 する」ことにつながっていくと信 じている 。
■相 互 理 解 のための「準 拠 枠 」
例 えば、「悲 しい」という感 情 を表 現 する言 葉 を聴 いたとする。突 き詰 めて 考 えてみる
と、自 分 が感 じる悲 しみと他 者 が語 る 「悲 しい」という言 葉 が指 す感 じ方 の度 合 いという
のは、明 らかに違 うこ とに気 づく。これは、自 分 の体 験 と言 葉 と の結 びつけ方 は個 々人
によって異 なっているからだ。人 はそれぞれ自 分 の内 的 準 拠 枠 を基 に適 当 な言 葉 を選
び、伝 達 しているという。人 間 は言 葉 を使 ってさまざまな考 え方 や複 雑 な感 情 を表 現 す
ることができるが、互 いに理 解 しあう ためには、その拠 りどころとなるものが必 要 である と
いう。その拠 りどころとなるものが「準 拠 枠 :frame of reference」であると言 われてい
る。
「準 拠 枠 :frame of reference」を理 解 するために、以 下 のような具 体 例 が紹 介 さ
れている。「言 葉 のわからない赤 ちゃんはおむつの汚 れなどで不 快 であったり、おなかが
すいた時 など、すべて「泣 く」という信 号 で表 現 する。これは、O歳 児 が表 現 の拠 りどころ
となるものをそれほど多 く持 っていないからである。「空 腹 」や「不 快 な感 じ」などのさまざ
まな感 覚 を表 現 できるようになるまでには、たくさんのことを体 験 し、その体 験 に匹 敵 す
るような言 語 を学 び、体 験 と言 葉 を結 び付 けながら表 現 方 法 を身 につけていく。それに
よって 、 単 に「お なか が痛 い 」と 言 う 表 現 だ け ではなく、「シ クシ ク 痛 む」と か「キリ キリ 痛
む」などどんな風 に痛 いのかを、さらに細 かく発 信 できるようになる。言 い換 えると 、体 験
14
を区 別 し、照 らし合 わせる照 合 枠 のようなものが私 たちの内 面 には積 み重 ねられ、それ
が言 葉 になり、表 現 となっているのである。
私 たちが日 常 生 活 の中 で、互 いに自 分 を表 現 したり相 手 を理 解 したりすることができ
るのは、体 験 を表 す言 葉 があり、その言 葉 で表 現 可 能 な体 験 があるからこそであるとい
う。そして 、その体 験 を照 合 する枠 組 みがある程 度 共 有 さ れることに よってのみ、コ ミュ
ニケーションや相 互 理 解 が成 り立 つと考 えられている。
■「ストーリー」を深 く理 解 するために
「準 拠 枠 」は人 間 の相 互 理 解 に大 切 なカギとしての役 割 を果 たすかわりに、誤 解 のも
とにもなりやすいと思 う。プレイバックシアターを提 供 する側 としては、テラーが本 当 に表
現 したい中 身 を、その人 自 身 がどう認 識 し、どう受 け止 め、どう表 現 しているのかという
ことまで、理 解 しようする謙 虚 な姿 勢 が大 切 だと思 う。それを怠 ってしまうと、テラーが真
に語 ろうとし てい るこ とを本 当 の意 味 で理 解 したことにはならない からだ。テラーが発 す
る言 葉 だけを そのまま 鵜 呑 みにし たり 、独 自 のフィルタ ーを 通 し て間 違 った思 い 込 みを
加 味 し てしまったり 、安 易 にレッテルを 貼 ったりすると 、誤 解 がますます深 まってし まう 。
テラーを真 に理 解 するためには、その人 の「準 拠 枠 」と自 分 の「準 拠 枠 」との一 致 、不 一
致 までを確 かめ、共 通 のものにたどりつこうとする努 力 が不 可 欠 である であると思 う 。コ
ンダクターであろうと、アクターであろうとそのプロセスがない限 り、ピントはずれになりか
ねない 気 がする。短 時 間 の中 でそうい った作 業 を求 められるため、基 本 的 な「傾 聴 」の
姿 勢 を意 識 するだけではなく、 テラーの体 験 が意 味 することを直 感 的 に感 じるためのア
ンテナを常 に磨 き、高 く保 持 しておくことも大 切 であると思 う。
【第 三 章 】「アクティング」と人 間 的 成 長 との関 係
語 られる「ストーリー」には、日 常 的 な出 来 事 から「超 越 的 な体 験 」に至 るまで、まさに
千 差 万 別 である。一 般 的 な演 劇 の役 者 とプレイバックシアターのアクター の間 には、求
められるスキルに決 定 的 な違 いがある。それは、 ステージ上 では「自 分 自 身 を保 つ」こと、
つまりニュートラルな状 態 で立 つということを学 んだ。アクターが人 間 的 な成 長 することを
求 められる大 きな理 由 のひとつであると思 う。
■ニュートラルでいるということ
一 般 的 な演 劇 の中 では、幕 が開 いて幕 が降 りるまで、与 えられた役 柄 (自 分 とは異 な
った人 物 )であり続 ける。一 方 で、プレイバックシアターのステージ上 では、 一 人 のアクタ
15
ーである「そ の人 自 身 」で幕 が 開 き 、スト ーリ ーが始 まると 、テ ラーから与 えられた 役 柄
(自 分 とは違 う人 格 )になりきり、演 じ終 わった後 は「その人 自 身 」に戻 る という。もちろん、
即 興 で演 じる時 は自 分 のフィルターや癖 を取 り払 い、ニュートラルな状 態 で役 に入 るこ と
が望 ましい。ただ、どんな人 でもその人 なりの問 題 を抱 えているため、自 分 が聴 きたいよ
う に テ ラ ーの話 し を 聴 い てし まったり 、自 分 の過 去 の体 験 に影 響 さ れてテ ラーの話 し を
理 解 してしまうという事 例 が数 多 くあるのもうなずける 。常 にニュートラルな状 態 でテラー
が語 ったそのままを深 く聴 き、忠 実 にそれを再 現 することは、大 変 難 しい作 業 であるとい
う。相 手 の話 しを深 く聴 く受 容 性 や共 感 性 をベースに、どんな役 でも即 興 で演 じられる よ
うに心 の準 備 を日 ごろからしておくことが大 切 であると思 う。
■アクター自 身 の問 題 を整 理 する
テ ラ ーが語 る 「 スト ーリ ー 」 の意 味 を 正 し く把 握 するためには、 ア クタ ー自 身 が自 ら の
問 題 に気 づき、自 分 はどんなテーマにとらわれているのか、内 面 に何 を抑 圧 しているの
か、 対 峙 す るのを 避 け てい る 問 題 は 何 な のかな ど につい て 、 自 分 の 内 面 に つい て 深 く
知 ることも必 要 なことであるという。熟 練 したステージを展 開 していくためには、情 緒 面 と
表 現 力 の両 面 で優 れた柔 軟 性 が要 求 されると言 われている。自 分 のことをよく分 かって
いるアクターは、どのような役 がふられようとも演 じるすべ を見 出 せるという。ニュートラル
な状 態 で「ストーリー」を聴 き、その「ストーリー」に必 要 な感 情 を呼 び起 こしながら与 えら
れた 役 柄 に深 く入 り 込 み、劇 の終 結 とと もに 役 柄 を落 と す (デロールする )こ とを 実 践 の
中 で学 んだ 。そし て、その一 連 のプロセスが自 分 の中 でスム ーズに且 つ、絶 妙 のタ イミ
ングで切 り 替 えができるよう に日 々稽 古 に励 んでい る。 プレイバックシ アタ ーのア クタ ー
にとって、情 緒 面 での十 分 な成 熟 と自 分 を知 るということは重 要 なことだと思 う 。
■アクターとしての「成 長 」から得 られるもの
プレイバックシアターのアクターを選 ぶ基 準 や条 件 として 、前 IPTN の会 長 であってニ
ュージーラ ンドのベブ・ホスキンは、 「表 現 力 」「即 興 性 」「協 調 性 」「演 じ る役 の多 様 性 」
を挙 げているという。
また、一 般 社 会 の 中 で 数 多 くの 立 場 や役 割 を 経 験 し てい る人 は、 さ まざまな世 界 を
知 っていたり 、各 方 面 に精 通 してい る場 合 が多 い 。そのよう な人 は、テラーが語 る 体 験
をより共 感 し、受 容 できる背 景 を持 ったアクターになりうる という。それは、テラーが語 る
内 容 が人 生 の ありと あらゆる役 割 や出 来 事 にまつわるものであるためだ。 プレイバック
シアターのアクターに期 待 されることは、まず、振 られた内 容 を即 興 で演 じられるというこ
と、どんな役 が振 り当 てられても偏 りなく演 じられること、 自 分 が目 立 ちたいというエゴを
16
捨 てて他 のアクターを支 援 できること、そして自 分 自 身 の強 みも弱 みもよく理 解 できてい
ることであるという。実 際 にアクターとしてステージに立 った時 には、どんな役 柄 であろう
とも固 定 観 念 や自 意 識 を捨 ててその役 になりきる必 要 があるのだ。
テラーはまれにアクターの事 情 をまったく知 らないのに、実 生 活 で登 場 人 物 と同 じよう
な境 遇 のアクターを選 んだり、同 じような体 験 をしたことがあるアクターを、直 感 で選 んで
しまうことがあるそうだ。また、与 えられた役 とアクター 自 身 の実 際 の人 生 の間 に、共 通
の辛 い体 験 が存 在 する場 合 もあるという。こういった「偶 然 の一 致 」は、アクター 自 身 の
痛 みをともなうことも。どんなに厳 しい状 況 下 でも、最 後 まで役 柄 を全 うできるアクターで
あろうと努 力 すること は、アクター自 身 の成 長 にもつながっていくと思 う 。そのためにも、
舞 台 経 験 を 数 多 く積 み重 ね、さまざまな分 野 のトレーニングを継 続 的 に行 うことが重 要
になってくる。 自 分 を 危 険 にさ らすこと なくどんな役 にでも挑 戦 できる 「強 さ 」を 身 につけ
ていけることを 知 識 として学 び、そして 実 際 に場 数 を踏 んでいく 中 でも体 感 している。委
ねられた「ストーリー」に敬 意 を払 い 、ベスト を尽 く して演 じること 、そして多 くの 「ストーリ
ー」を聴 き、自 分 の「ストーリー」を語 り続 けていると自 然 と自 己 認 識 や寛 容 さ、そして 大
きな意 味 で「人 」を愛 する広 い心 が育 まれてくのではないかと感 じている 。
【第 四 章 】対 話 と信 頼
「プレイバックシアターは、答 えを求 めない代 わりに深 い対 話 の手 段 になる」とジョナサ
ン・フォックス は述 べている。「対 話 」とは一 般 的 に、自 己 を開 いて、真 実 の自 分 自 身 を
相 互 に伝 え合 うプロセスのことであると定 義 されている。「私 は今 、本 当 の気 持 ちが聴 い
てもらえたし、あなたの真 実 の声 を 聴 かせてもらえた」とい う 確 信 が相 互 に話 しをし なが
ら沸 き起 こってくる時 、対 話 が進 んでいることを意 味 する という。このような対 話 があって
初 めて、相 互 に分 かり合 うことができ、相 互 の結 びつきが深 められる と思 う。人 間 は「対
話 」によって成 長 していく。と同 時 に、対 話 によって相 互 の 「信 頼 」が生 まれるという。一
般 社 会 の中 では、その人 が持 つ肩 書 きや権 威 に対 する 信 頼 でお付 き合 いをするという
ことが往 々にしてあるが、ここで取 り上 げる「信 頼 」は、 その人 自 身 に対 する「信 頼 」であ
って、前 者 とは区 別 して考 えたい。
■心 の対 話 を観 客 の一 員 として体 感 する
プレイバックシアターを介 して、同 じ時 間 と空 間 を共 有 すると、始 まる前 は全 く見 ず知
らずの人 同 士 だったにもかかわらず、パフォーマンスやワークショップが終 わる頃 には不
思 議 と身 近 な人 であるかのように感 じられる。これは、その場 に集 った人 々同 士 の心 の
17
「対 話 」が促 進 されるからだと 思 う 。そして「自 分 もこの場 を支 えている 一 人 である」と い
う意 識 が共 有 され始 めると、場 の「一 体 感 」が自 然 と 沸 き起 こる という。これは、勇 気 を
持 って自 分 の「ストーリー」を語 るテラーを支 えるという意 味 も込 めて、心 と心 のつながり
が生 まれるの である 。 さ らに ア クタ ーがベ ス ト を 尽 くし て演 じ る感 動 的 な ステ ージ を 観 た
観 客 たちは 心 が動 か さ れ、 その場 にい る 人 全 員 の 一 体 感 と 結 びつきが強 ま る。たと え
短 い時 間 であっても、全 体 を通 して流 れていた深 いテーマに触 れ、その感 動 を分 かち合
った仲 間 に対 して抱 く親 近 感 と「信 頼 」を実 感 できるというのは、 とても有 意 義 なことであ
ると思 う。
「自 分 は 一 人 では な い 」と い う 感 覚 は 、 自 分 の 人 生 に 対 し て 喜 びや 生 き る 意 味 を 見
出 すこ と にもつながる そう だ。勇 気 と 希 望 を 持 って、 生 き生 きと 生 きてい け たらすばらし
いことだと思 う。プレイバックシアターを経 験 する人 々は、その受 容 的 で寛 大 な環 境 に身
を置 くだけで、成 長 するために必 要 なさまざまな「気 づき」がもたらされると信 じている。
【第 六 章 】人 間 的 な成 熟 をめざして
ジョナサン・フォックスは、 プレイバックシアターの アクターを選 ぶ基 準 や条 件 のひとつ
として、「人 間 としての成 熟 度 」を挙 げている。 では、「成 熟 」の先 にある理 想 の人 間 像 と
は具 体 的 にどんなことを指 すのか?
もちろん、同 じ 出 来 事 を体 験 しても、人 によって見 るもの・聞 くもの・感 じることに違 い
があるのは周 知 の事 実 である。また、物 事 のとらえ方 や考 え方 、大 切 にしている価 値 観
や目 指 している目 標 にも違 いがあるのは当 然 のことである。このように「人 は一 人 ひとり
違 う 」と い うこ とを 踏 まえた 上 で、「 成 熟 」の ゴールと なる指 針 に つい て 調 べてみた。「 成
熟 」へのプロセスの中 で、プレイバックシアターが持 つ可 能 性 について考 えてみたいと思
う。
■『成 熟 ししたパーソナリティ』の定 義
アメリカの人 格 心 理 学 者 であり、社 会 心 理 学 者 であるオールポート (G.W.Allport)は、
次 のような『成 熟 したパーソナリティの定 義 』を提 唱 している。
①自 己 意 識 の拡 大
人 は成 熟 していくにつれて、外 部 への活 動 や思 想 へと興 味 を広 げていく。自 分 の周 りに
ある経 済 的 、教 育 的 、レクリェーション的 、政 治 的 、家 庭 的 、宗 教 的 などのいろいろな事
柄 に、自 分 がどのように関 与 しているのかということに対 し、関 心 を持 つ。人 間 の努 力 を
18
要 するいくつかの、自 己 にとって重 要 な領 域 へ自 分 が参 加 し、その意 味 を理 解 する。
②他 者 との温 かい関 係
直 接 、あるいは非 直 接 的 な接 触 において、自 分 を他 者 に暖 かく関 係 づけることができる。
十 分 に発 達 し た自 己 同 一 性 の感 覚 を もち、他 人 と 親 密 になり、愛 する人 と 心 からの関
係 を 持 ち、その人 の幸 福 を 願 う 。暖 かく共 感 できる。他 者 対 し て 寛 容 な心 で接 するこ と
ができる。
③情 緒 的 安 定 (自 己 変 容 )
あるがままの自 分 を 受 け容 れて、バランス のとれた情 緒 を持 っており、自 分 の情 動 をコ
ント ロールし て、 より 生 産 的 な 方 向 へと 向 きを 変 え る。 欲 求 不 満 に対 する 耐 性 が あ り 、
衝 動 的 な行 為 をせず、他 人 の福 利 を妨 げない。自 分 の 生 涯 の中 に連 続 的 な安 定 感 を
持 ってい る。生 への恐 怖 や自 我 への脅 威 につい て バランス感 覚 を もって、コ ント ロール
できる。他 人 の確 信 や感 情 を考 慮 に入 れながら、自 分 の確 信 や感 情 を表 す。
④現 実 感 覚 、現 実 能 力 および現 実 的 課 題
外 的 な現 実 に従 って喜 んで知 覚 し、思 考 し、行 為 する。現 実 をあるがままに受 け 容 れる。
自 分 の要 求 や空 想 に合 わせようとして、現 実 を歪 めることをしない。知 覚 がほぼ真 実 で
あり、認 知 作 用 が正 確 で、現 実 的 である。真 実 へと導 く「構 え」を持 っている。
⑤自 己 客 観 視 、洞 察 とユーモア
自 己 客 観 視 、自 己 に対 する洞 察 ができる。他 人 の意 見 に耳 を傾 ける。知 性 的 である。
ユーモア感 覚 を備 えている。
⑥人 生 を統 一 する人 生 哲 学
統 一 を与 える人 生 観 と調 和 して生 活 する。しっかりとした目 的 意 識 と使 命 感 、価 値 観 を
持 っている。
成 熟 し た 人 は 、未 成 熟 な人 より も、方 向 決 定 や指 向 性 が 明 確 であり 、内 より も外 の
世 界 へ向 かって焦 点 を 合 わせて 生 きてい るという 。このような「自 己 意 識 が拡 大 してい
く」プロセスの中 で、その「 潤 滑 油 」としての役 割 を果 たしてくれるのが、 プレイバックシア
ターだと思 う。それは、個 人 の主 観 の世 界 を客 観 視 できるツールにもなりうるからである。
内 なる世 界 と外 界 とを無 理 なく自 然 な形 でつなぐことができるプラグのようなものだと感
19
じている。折 にふれて、自 分 を深 く知 る努 力 は続 けていきたいと思 う。
また、プレイバックシアターは、「優 しさ」と「愛 」に満 ちた空 間 で、その場 に集 う人 々の
それぞれの人 生 のひとコマを 「ストーリー」として扱 い、それを大 切 に分 かち合 うことを通
じて、コミュニティの中 で生 きている一 人 ひとりを認 め合 う価 値 観 を共 有 する という。「ス
トーリー」を語 り、分 かち合 う中 で生 まれてくる「人 を大 切 にする気 持 ち」こそ、個 々人 が
「成 長 」するために必 要 不 可 欠 なエッセンスに違 いないと思 う 。それぞれのコミュニティに
集 う人 たちが互 いに「成 熟 し た人 格 」の形 成 をめざ し て、プレイバックシアターを有 効 活
用 していくことが大 切 になると思 う。
【さいごに】
ロジ ャーズは、「自 己 実 現 は到 達 点 や完 了 した状 態 ではなく、プロセスである」と 言
っている。自 分 で定 めた目 標 に向 かって、継 続 して努 力 しつつ、その瞬 間 ごとにベストを
尽 くして生 きていくことこそ意 義 深 いことだと思 う 。
「人 間 的 に成 長 する」とは、言 うはやすく、行 うに難 い難 問 だと思 う 。だからこそ、常 に
高 い 意 識 を 持 って自 分 自 身 を 磨 き、一 生 をかけて努 力 し 続 け ていかなけ ればならない
大 きな課 題 なのである。プレイバックシアターを良 きパートナーとして。
【引 用 文 献 】
1.ジョー・サラ 『プレイバックシアター~癒 しの劇 場 』
2.宗 像 佳 代 『プレイバックシアター入 門 』
3.平 木 典 子 『カウンセリングの話 』
4.中 西 信 夫 他 『カウンセリングのすすめ方 』
5.ダニエル・コールマン 訳 土 屋 京 子 『EQ 心 の知 能 指 数 』
6.小 林 司 『「生 きがい」とは何 か 自 己 実 現 へのみち』
7.小 林 純 一 『創 造 的 に生 きる』
8.羽 地 朝 和 『プレイバック・シアター -語 るなかで育 まれるもの』
9.國 分 康 孝 『カウンセリング辞 典 』
20