9・11テロ攻撃と欧州

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9・11テロ攻撃と欧州
片岡貞治
1. はじめに
9月11日の衝撃は、世界及び人類を揺るがした。今、正に、人類は、これ
まで考えられもしなかった前代未聞の事態に直面し、それに対する取り組みを
迫られているのである。
第一次世界大戦が、20世紀の幕開けとなり、20世紀の歴史の方向性を形
作っていたように、21世紀始めに勃発した9・11テロ攻撃が、21世紀の
何らかの道標を暗示しているのかもしれない。
9・11テロ攻撃は、二つの意味で前代未聞であった。一つは、国籍を有し
ないグローバル化した外部のテロ組織によって、米国本土で、行われたテロ行
為であるということである。米国が自国内で外国の組織の前にその脆弱さを初
めて見せたという点で前代未聞なのである。二つ目には、9・11テロ攻撃が
劇場型、スペクタクル型テロであったということである。唯一の超大国となっ
た米国の力の象徴である国防省と米国を中心とした世界経済の象徴である
WTC に米国民間航空会社の航空機が突っ込むというハリウッドのアクション
映画顔負けの事件が現実に起こったのである。特に、WTC への二機目の激突
はライブで全世界中に放映された。その為、9・11テロ攻撃は、国際世論に
激しく深いショックと動揺をもたらした。9・11テロ攻撃に関する夥しい数
の分析記事、特集、論文、書物等がその事件の大きさを証明している。
第一次世界大戦の舞台でもあり、また、様様なテロに悩まされ続け、絶えず
テロと向き合ってきた欧州にとっては、9・11テロ攻撃は決して対岸の火事
では済まされない深刻な問題であった。
2.大西洋同盟への影響
9・11テロ攻撃は、冷戦後の存在意義を探し求める NATO に大きなインパ
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クトを与えた。9・11テロ事件後、NATOは迅速な反応を示した。9月1
2日に、NATO加盟国19カ国を代表する北大西洋理事会は、1949年の
北大西洋条約第五条を援用し、テロ攻撃を「条約締結国に対する武力攻撃」と
みなし、
「国連憲章第51条によって認められている個別的或いは集団的自衛権
の行使」を認め、米国に対して米国の同盟国として協力の用意があることを発
表した1 。10月2日には、米国への攻撃が外国から行われたものであること
が確認され、北大西洋理事会第五条の援用を承認した2 。NATOの原則原理
である北大西洋条約第五条の援用は、NATO 創設以来、初めての出来事であっ
た。
しかしながら、この第五条の援用は、必ずしも段階的な第五条の適用を意味
しなかったし、その援用自体、自明のことではなく、多くの矛盾点や歴史的な
皮肉を含んでいた。
1949年当時、この条約を起草した人々の頭の中には、「武力攻撃」とは、
古典的な意味での軍事的な攻撃を意味していたし、集団的安全保障の適用は、
米国の欧州防衛義務の保障であって、これが欧州から米国に対して援用される
とは思ってもいなかったであろう。また、1999年に採択されたいわゆる「新
戦略概念」においても、テロ攻撃に対する安全保障は、寧ろ純粋な第五条任務
とは見なされていなかったからである3。
恐らく NATO は、法的には、テロ後の米国主導の対アフガニスタン攻撃にお
いて、米国と共に戦い得たであろう。しかし、NATO はその実質的な軍事的関
与を極めて限定的且つ側面的なものに留めた。即ち、AWACS5機を米国領土
の保全の為に米国に派遣したのとNATOの緊急展開軍の一つである地中海常
設艦隊 STANAVFORMED を東地中海に展開させたのみであった4。
北大西洋条約五条を援用しつつも、NATO の貢献が象徴的なものに過ぎなか
ったのには、少なくとも二つの理由があると考えられる。
一つには、NATO 全体として軍事オペレーションを行うことに、NATO 加盟
国間で全体のコンセンサスを得ることが非常に困難であったし、時間もかかっ
たであろうということ。もう一つは、米国自身も NATO として軍事オペレーシ
ョンを行うことは望んでいなかったということである。つまり、米国はコソヴ
ォ紛争で行われたような NATO という組織を通じて複雑化する軍事オペレー
3
ションを行うよりも、国際的な支援を得て、単独で自分のやり方で行うことを
好んだのである。米国は、軍事的にはもとより NATO を頼りにしていなかった
し、NATO を介入させる意思は全くなく、NATO による如何なるオペレーショ
ン上の関与も忌避していた5。即ち、米国は、コソヴォ紛争の様に NATO の他
のメンバー諸国が、米国の軍事オペレーションに口を出すことを望んでいなか
ったのである6。
また、仮に NATO19カ国が、たとえ象徴的なものであったとしても、NATO
としてアフガニスタンに対して軍事オペレーションを行っていたとしたら、
NATO の既存の軍事活動範囲を大幅に修正し、既存の任務をも拡大させる革命
的なオペレーションとなっていたであろう。
他方で、冷戦後変容し続ける NATO にとって、対テロという問題は、新たな
任務と成り得るのであろうか。確かに、テロは NATO が直面すべき安全保障上
の脅威の一つとして99年以来認識されてきた。しかし、テロ問題は加盟各国
の内務問題に関わるので、加盟各国は、NATO をテロ対策に巻き込むことにこ
れまで非常に慎重であった。事実、トルコは、PKK などのクルド系テロ組織に
対する戦いに NATO の支援を得ようとしていたが得られなかったという経緯
がある。
また、2001年12月に発表された、
「テロに対する戦い」と題した、NATO
の一連のコミュニケにも見られるように、NATO 自身も対テロ対策への遅れと
欠陥を認識し、NATO の軍事能力をテロに対しても有効になるように如何に適
用させていくかに腐心しているのが現状である7。
結局、9・11テロ攻撃はNATOの弱さを露呈してしまったのである。テ
ロ攻撃に対して、NATOは北大西洋理事会第五条を援用し、政治的且つ軍事
的連帯を表明し、北大西洋間の絆を表面的に強化することに成功した。しかし、
一方では、逆説的に、対テロに限っては、寧ろNATOはテロに対処できない
脆弱な機構であることが明らかになってしまった。また、米国との関係性にお
いても、NATO は政治的な役割を演じたのみで、米国にとっては、NATO は数
ある他の機関の一つと同様の働きをしたに過ぎなかった。NATO は、結局のと
ころ、地域的な機関に過ぎないのである。
NATO は、冷戦後の国際社会で存続していくためには、「新たな戦争」にも
4
対応出来るよう変容していかなければならないということが、このテロ事件を
契機として、再確認されたのである。
2.EUの対応と反テロ対策
EUも、9・11テロ攻撃直後、NATO同様に、米国との政治的な連帯を
表明した。NATOの対応が注目されたのとは対称的に、超国家機構であるE
Uとしての最初の対応が、世間の耳目をひくことはなかった。国際社会が注目
したのは、EU外交の顔であるソラナ上級代表やプロディ委員長の発言ではな
く、EU の主要メンバー国の首脳であるブレア首相であり、シラク大統領であ
り、シュレーダー首相なりの発言であった。
しかしながら、組織としてのEUは、テロ攻撃直後、即座に、EUがテロと
の戦いに関して、多国間の協力体制の上に立脚した共通の政策を策定可能であ
り、グローバルに対処しうる最適の機関であることを証明しようと努力した。
事実、テロ事件の翌日から、EUは、司法・内務、運輸・通信、経済・財務
(ECOFIN)の各理事会にテロ対策に関する適切な措置を準備するよう指示し
た。続いて、20日には司法・内務理事会が行われ、委員会より提出されてい
た「対テロ枠組み決定案」に関する議論が行われた。
EUは、まず欧州各国のテロ対策に関する法的欠陥と調和の必要性を認識す
ることとなった。EU15カ国の中でも、テロ行為という犯罪に対して明示的
な特殊な規定を設けているのは、英、仏、独、伊、西、葡の6カ国のみであっ
た。直ぐにEUは、共通のテロ行為の定義とテロ行為に対する量刑の策定に取
りかかった。
固より、EUは、シェンゲン協定の締結及びそのEU化に伴って、いわゆる
「第三の柱」として司法・内務協力の枠組みで、刑事問題における加盟国間の
司法・警察協力を推進してきた。これまで準備されてきたこうした一連の作業
が9・11テロ事件によって一気に加速化することとなったのである。
9月21日の欧州理事会においては、EUは更に踏み込み、司法・警察協力
の強化、欧州逮捕礼状の導入、テロ行為の定義、欧州におけるテロリストの身
元確認、テロ組織リストの策定、ユーロポール内でのテロ対策専門家チームの
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設立、テロ対策専門機関の協力体制の確立、資産の凍結等一連の対テロ措置に
関する行動計画を発表した。EUは、12月のラーケンの理事会においても、
同行動計画の実施を改めて表明している。今後は、EU がESDPの枠組みで、
ピータースバーグ任務8を遂行しいていく過程で、如何に国際テロと関り、対
峙していくのかが注目されるところである9。
3・欧州:イスラム系テロリストの受入地? テロの標的?
EUが組織を挙げて、司法・警察協力を行うことは極めて有意義なことであ
る。9・11テロ事件後に行われた欧米諸国の内務省関係の諜報機関などの多
くの調査によれば、イスラム過激派のネットワークが、最も張り巡らされてい
るのは欧州であると言われているからである。
欧州諸国は、かなり以前より、イスラム系テロに限らず、テロ問題に悩まさ
れてきた。イタリアのおける赤い旅団(Brigate Rosse)、ドイツの赤軍派(バ
ーダー・マインホフ・グループ)、フランスの直接行動派(Action Directe)等
の極左系のテロ集団、或いはスペインの ETA、英国の IRA、フランスの FLNC
(コルシカ民族解放戦線)などの民族独立派・分離派等の二つに大別される多
種多様なテロリズムに欧州諸国は直面してきた。その対応策もまた、各国ごと
に様々である為に、欧州諸国間でのテロリズムに対する司法・刑事協力が声高
に叫ばれている。
テロに対する多国間の協力体制が最も深化しようとしているのが欧州である
が、その欧州こそが、国際テロの温床となっているのである。欧州は、イスラ
ム・テロの標的の一つでもあり、受け入れ地、根拠地にもなっている。イスラ
ム過激派は、欧州各国の有する様々な政府留学制度、経済協力の枠組みでの研
修制度、政治亡命等を利用して入り込み、シェンゲン協定を悪用し、ネットワ
ークを構築していったのである。また、欧州に在住する移民二世、三世や一般
の留学生の中にも、欧州に入り込んだイスラム過激派に洗脳され、テロ組織に
入っていくというケースも多く見られている。
一方で、テロという危機に対する認識は、欧州各国間で一様ではなく、相当
の温度差がある。従来より様様なテロの危機に曝されてきた諸国では、それな
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りの専門家が育成され、対テロのノウハウを体得しているが、そうでない諸国
では、今回の事件が真の認識となった。
欧州諸国の中でも、英国は極めて特殊な存在である。英国は、イスラム・テ
ロの危険性を認識していながらも、多くのイスラム過激派を迎え入れ、反西欧
のプロパガンダを流布させ続けたのである。在仏のレバノン系イスラム研究者
Antoine Basbous アラブ諸国観測所所長は、英国を「欧州のカブール」とまで表
現している10。
特に英国で活動するイスラム過激派は、大抵の場合、政治亡命者として合法
的に滞在している為に、民主主義国家英国で合法的に滞在している市民すべて
に保証されている「表現の自由」から様々なプロパガンダを行ってきた。英国
は、他国からの犯罪者引渡し要求を拒否することが殆どで、イスラム系テロリ
ストにとっては絶好の隠れ処のような存在になっていた。95年にエティオピ
アのアディス・アベバでムバラク・エジプト大統領を暗殺しようとした犯人(テ
ロ組織ガマアト・アル・イスラミーヤのメンバー)も、再三再四に亘るエジプ
ト政府の引渡し要求にも拘らず、英国政府は拒否し、同人はロンドンで暮らし
ている由である。
更にロンドンは、多くのイスラム過激派グループのイデオロギー的根拠地で
もあった。事実、パレスチナのハマース、アルジェリアの GIA、エジプトのジ
ハード等のイスラム・テロ集団はロンドンに密かに「代表部」を設置していた
し、ビン・ラディーンもロンドンをテロ・オペレーションのコーディネーショ
ンの場として使用していたとされている。実際に、1998年2月23日にビ
ン・ラディーンが世界中のイスラム教徒に宛てた「米国人を殺すのは、イスラ
ム教徒の義務である」というあのファタワ(死刑宣告)もロンドンにベースを
持つアラブ系の新聞より発せられている。
米国の対アフガニスタン攻撃に英国が徹頭徹尾積極的な協力姿勢を見せたの
も、こうしたイスラム過激派の自国におけるテロ活動を放任していたことに対
する贖罪意識からとも見られている。
次に、フランスも英国とは別の意味で特殊な存在である。フランスは、古く
から、アルジェリア解放戦争時の独立反対派 OAS によるテロ、コルシカ島に
おける分離・独立派のテロと対峙してきた国である上に、現在恐らく西欧諸国
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の中でもっともイスラム系テロリストの脅威に曝されてきた国であるからであ
る。現に、85−86年、95年と二つの大きなテロの嵐が吹き荒れ、その1
0年間の合計で23のテロ事件がフランス国内で勃発している。また、国内に
は 400 万人のイスラム教徒を抱えており、イスラム教はカトリックに次いで第
二番目の宗教となっている。70 年代初めより、フランスは、イスラム過激派の
みならず国際テロの標的となっていた。
それ故、フランスはこうした脅威を早くから認識し、94 年に発表された国防
白書においても「テロは主要な非軍事的脅威として我々の安全保障を脅かしう
るものであり、フランスは特にこの危険に曝されている。」と明記している。
2003−2008 年用の五ヵ年軍事計画法案においても、テロ対策が急務のもので
あるとして謳われている。
フランスにおける 80 年代のテロは、イラン系のシーア派過激派によって引
き起こされたものであり、フランス・イランの外交関係の悪化によって特徴付
けられるものであった。イラン・イラク戦争の終焉及びテュニジア人シーア派
テロ活動家アリ・サラの逮捕によって、80 年代に吹き荒れたテロは収斂した。
一方、90 年代に勃発したテロは全く様相を異にする。フランスとアルジェリ
アの歴史的で且つ複雑な因縁関係に端を発している。フランス政府は、95 年 7
月から 10 月までの一連のテロ事件を通じて、GIA によって構築された仏・ア
ルジェリア・テロ組織の実態を目の当たりにすることになる。以降、フランス
は綿密且つ大胆な徹底した捜査を断行し、約 800 人以上を逮捕し、国内のアル
ジェリア系のテロ組織の解体に成功した。この解体によって、多くのアルジェ
リア系のイスラム系活動家が英国、ドイツ、ルクセンブルグ、ベルギー、イタ
リア等に渡り、その後アルカイダにリクルートされたと言われている。事実、
1996 年の「Roubaix のギャング団11」事件12の際に、捜査の過程でフランス
の諜報機関(内務省国土監視局)は、欧州におけるビン・ラディーン・ネット
ワークとアルジェリア系犯罪組織及びテロ組織との関わりを確認していたので
ある13。
また、ドイツにおいても、9・11テロ事件後、ハイジャックを行った首謀
者がハンブルグに留学生として滞在していた事実が明るみになった様に、ドイ
ツ連邦政府は、自国における大規模なテロ・ネットワークの存在を再認識し、
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米国及び欧州各国との情報交換、司法・内務・警察協力に積極的である。
4.おわりに
9・11テロ攻撃は、米欧関係の政治的且つ軍事的な側面のみならず、欧州
諸国の様々な面で大きな影響を与えた。NATO は確かに大きな役割を演じるこ
とはなかったが、NATO メンバー諸国間の政治的連帯は再確認されたし、冷戦
後の NATO の任務を再び考えさせる契機となった。
また、NATO 拡大プロセスに関しては、一定の前進が見られた。9・11テ
ロ攻撃によって、ロシアが米国を中心とする国際的反テロ同盟に対する政治的
連帯を表明したこもあり、NATO・ロシア間の関係が若干改善されたからであ
る14。NATO 拡大プロセスに関するロシアの発言権を認めたという側面もある
15
。
米国が行った9・11テロ攻撃に対する報復軍事オペレーションは、非国家
主体に対する「新たな戦争」という呼称とは全く裏腹に、最新の情報ネットワ
ークを駆使したものの、ある一国に対して、大艦隊を派遣し、空爆、パラシュ
ート部隊の投入などを行うという古典的な軍事的手段によるものであった。即
ち、米国は非国家主体に対する戦争をビン・ラディーン及びアルカイダを通じ
て、タリバン・アフガン政権に対する戦争という国対国の戦争に変換したので
ある。欧州諸国は、この国家対国家の戦争には結局参加しなかった。
9・11テロ攻撃後の国際的な連帯の中で最も画期的なことは、空前絶後の
多国間の枠組みにおける司法・内務・警察協力の活発化である。事件後直ぐに、
米国の司法関係者、諜報機関関係者と欧州の関係者との間で意見交換が行われ
ているし、インターポールはジハードのリーダーに対して国際逮捕令状を発し
ている。
欧州諸国が対テロで結束し、司法・内務・警察協力で各国国内法の調整と調
和を行ってゆくことで合意し、米国とも協力体制を構築していくことは、良い
方向性にあるものであり、テロのネットワークを根絶するには、つまり「新た
な戦争」に対処していくには、こうした地道な努力をたゆまなく続けてゆくし
かないということである。
9
Statement by the North Atlantic Council, Brussels, 12/09/2001.
http://www.nato.int/docu/pr/2001/p01-124e.htm。
22001年10月2日の NATO の特別記者会見でロバートソン事務局長は、北大西洋条
約第五条の援用を再確認した。http://www.nato.int/docu/update/2001/1001/e1002a.htm。
3 “24. Any armed attack on the territory of the Allies, from whatever direction, would
be covered by Articles 5 and 6 of the Washington Treaty. However, Alliance security
must also take account of the global context. Alliance security interests can be affected
by other risks of a wider nature, including acts of terrorism, sabotage and organised
crime, and by the disruption of the flow of vital resources. The uncontrolled movement
of large numbers of people, particularly as a consequence of armed conflicts, can also
pose problems for security and stability affecting the Alliance. Arrangements exist
within the Alliance for consultation among the Allies under Article 4 of the Washington
Treaty and, where appropriate, co-ordination of their efforts including their responses
to risks of this kind.” , The Alliance’s Strategic Concept, NATO Press Release, 24/04/99.
http://www.nato.int/docu/pr/1999/p99-065e.htm。
4 “Deployment of NATO Forces”, 09/10/2001.
http://www.nato.int/terrorism/deployment.htm。
5 例えば Philip H. Gordon, “NATO After 11 September”, Survival, London, Oxford
University Press, vol43, No 4, Winter 2001-2002, p92-93; Jacques BELTRAN et
Guillaume PARMENTIER, “Les Etats-Unis à l’épreuve de la vulnérabilité”, Politique
étrangère, Paris, Ifri, Octobre-Décembre, N°4, 2001, p790-792.
6 Daalder and Michael E. O’Hanlon, Winning Ugly: NATO’s War to Save Kosovo,
Washington, Brookings Institution Press, 2000, p220-223..
7 “NATO’s Response to Terrorism”, NATO Press Release, M-NAC-2(2001)159,
06/12/2001. http://www.nato.int/docu/pr/2001/p01-159e.htm。
1
ピータースバーグ任務という名称は、92年6月の西欧同盟の閣僚会議でまず使用され、
97年のアムステルダム条約に任務として明記されるようになった。「ピータースバーグ」
という呼称は西欧同盟が開催されたボンのホテルの名前が由来となっている。ピータース
バーグ任務において、EUが行うべき紛争防止、人道支援、救援活動、平和維持活動、危
機管理における平和創設を含む戦闘部隊活動の任務が規定された。同任務を遂行すべく、
50000―60000人規模の危機管理部隊(常設ではなく必要に応じ加盟国が要員を
派遣し、60日間の準備期間で部隊を編成、最低 1 年間駐留できる)の設置が目標として
設定されている。
9 2002 年上半期の議長国スペインのアスナール首相は、EU議長として「EUがESD
Pの枠組みでテロ対策に取り組むべく議論を着手すべきである」との考えを示している。
http://www.ue2002.es/portada/plantillaDetalle.asp?opcion=0&id=1132&idioma=ingles
10, Mission d’information de la Commission de la défense et des forces armées de
l’Assemblée Nationale sur les conséquences pour la France des attentats du 11
septembre 2001, Rapport d’information, op. cit., p.46.
11 1996 年 1 月―3月にかけてリール等のフランス北部で強盗殺人などの悪行を重ねたフ
ランス・アルジェリア形のギャング団。銀行強盗、現金輸送車強盗、偽造旅券、武器の売
買等を行っていた。
12 同ギャング団と警察の銃撃戦で 4 人が死亡した 1996 年3月 29 日の事件。
13 http://www.elwatan.com/journal/html/2001/11/04/actualite.htm。
14 9・11テロ攻撃は世界を一変させ、国際社会の戦略的環境及び秩序に大きな影響を
与えた。しかし、ロシアのように、多くの諸国が、9・11以前に存在した自国の国益に
基づいて、この新たに出現したコンテキストを巧みに利用しようとしている。
8
10
Philip H. Gordon and James B. Steinberg, “NATO Enlargement: Moving Forward”,
Policy Brief, Brookings Institution, Washington, December 2001, NO 90, p3-8.
15