2008/9 No.32 http://www.silk.or.jp ―飛鳥時代の組紐技術を応用した帯締め― ―絹刺繍をほどこすウズベキスタンの少女― 現代に甦る日本の伝統組紐の美と技を紹介します かつてのシルク大国におけるシルク復興計画について紹介します <貞明皇后蚕糸記念科学技術研究委託事業> 生糸機械検査システムの改良・開発に関する研究 宮下 昌則 ・・・・・・・・・p-2 < オ ア シ ス> 日本の伝統組紐 文化女子大学名誉教授 道明 三保子 ・・・・・・・・p-6 <セレスの広場 > 一粒繰りをとおして思うこと 蚕糸科学研究所技師補 天方 美帆・・・・・・・・・・p-8 桑園管理業務の紹介 蚕業技術研究所 技師 松川 < 海外 見 聞 録 > 武・・・・・・・・・p-10 シルクロード農村副業復興計画 東京農工大学大学院農学府教授 濱野 國勝 ・・・・・・・・p-12 < 行 事 予 定 >< 行 事 記 録 > < 人 事 異 動 > <シルク掲 示 板 >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p-15 <見学・研修受入><関連業界・学会の動き> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p-16 (2) シ ル クだ よ り < 貞明皇后蚕糸記念科学技術研究委託事業 > 生糸機械検査システムの改良・開発に関する研究 宮下 1.はじめに 昌則 受け、「生糸非破壊検査装置」の制御装置部分の改 生糸の品質や正しい重さは、外観だけでは見分け 良に取り組み、パソコン、インターフェース及びシ られません。そのため、生糸検査が行われ、生糸の ス テ ム 制 御 プ ロ グ ラ ム を 米 国 Microsoft 社 公正な取引や品質向上に利用されています。生糸検 Windows-XP に対応させるなどして「生糸機械検査 査は官能や手作業を必要とする計測が多く、中でも、 システム」(以下「新システム」という。)を開発 糸むら・節検査は標準写真と対照して行う目視判定 し、更に、システムの計測部分を縦型方式に改良し による官能検査であるため、個人差が避けられず熟 て実用性の高い「縦型実用検査装置」の開発を行い 練を要することから、検査方法の改善合理化が望ま ました。なお、中国において取り組まれている生糸 れていました。そのため、生糸検査の省力化、機械 電子検査システムの開発及びそれに伴う電子検査 化については、生糸の品質向上及び国際的な規格基 規格基準の策定に際して、本委託事業の中で技術協 準の統一から国内蚕糸絹業界関係者からの要請の 力等も行いましたが、本報告では省略いたします。 ほかに、国際的にも推進されてきました。(独)農 林水産消費安全技術センター本部横浜事務所(以下 2.生糸機械検査システムの開発 「センター」という。)は、これまで蓄積した生糸 (1)生糸機械検査システムの概要 検査技術を活用して生糸検査の機械化を図るため、 図1及び図2に開発した生糸機械検査システム 近年のエレクトロニクス技術を応用して、繊度、糸 (縦型実用検査装置)の写真と模式図を示します。 むら、節成績を同時に測定できる生糸の非破壊によ ここに示す装置は繊度と節の測定システムであり、 る品質評価システム「生糸非破壊検査システム」 一つのレーザーセンサー(繊度測定装置)、四つの (以下「旧システム」という。)を開発してきまし デュアルビーム光電センサー(スラブキャッ た。しかしながら、当時の装置で使用していたパソ チャー)、一つのショックセンサー、及び一つの糸 コン等の体系が現在のパソコン環境に合致せず、試 長計から構成されています。旧システムは、更に物 験研究の遂行及び中国等への技術協力を推進する 性測定システム(ヤング率の測定)も装備しており 上でも障害となっていました。 ます。 このため、センター(検査技術研究官グループ) は平成 16 年度から(財)大日本蚕糸会から委託を ワインダー部 コーン モーター 制御部 ロータリートラバース ガイド コンピュータ部 カッター 糸長計 ショックセンサー表示部 制御部 ショックセンサー スラブキャッチャー 糸 長 計 表示部 レーザーセンサー 制御部 表示部 制御部 特大節 大 節 5000m 中 節 0m 小 節 繊度測定装置(レーザーセンサー) 張力調整装置(ゲートテンサー) スラブキャッチャー表示部 制御部 ガイド コーン or ボビン 図 1.縦型実用検査装置の写真 図 2.縦型実用検査装置の概略図 (3) シ ル ク だよ り 開始 糸長 Ln 繊度測定装置 (繊度)Dn スラブキャッチャー(1∼4) (節)F1,F2,F3,F4 ショックセンサー (ずる系節)Z F1-F2 =F(小) F2-F3 =F(中) F3-F4=F(大) F4=F(特大) ずる系節判定 平均繊度 繊度偏差 繊度最大偏差 糸むら判定 F(小) 小節減点パネル調査 ずる系F(中) ずる系F(大) ずる系F(特大) No Yes わ系F( 中) わ系F( 大) わ系F(特大) 糸むら二類 糸むら三類 図 3.生糸機械検査のアルゴリズム システムの機能は、図3の「生糸機械検査のアル ゴリズム」に示すとおり、現行生糸検査の繊度、糸 むら、節及びヤング率検査を機械検査で実施するこ とであります。 コーンあるいはボビンに巻かれた生糸は、各セン サーを通過した後で、ワインダーによりコーンに巻 き取られます。生糸は、糸長計により測定開始から 終了までの長さが測定されます。繊度は、レーザー センサーにより生糸の直径を読み取り、平均繊度、 繊度偏差、繊度最大偏差が計算されます。また、こ の繊度の連続データは糸むら判定に利用されます。 節は、まず光電センサーにより節の長さ、太さを計 図 4.生糸機械検査システムのディスプレイ画面 測し、小節、中節、大節、特大節に分類されます。 ショックセンサーによりずる系節とわ系節の判定 及び固定ディスク装置の能力・容量が制約されてい を行い、小節及び小ずる節、大わ・さけ節、大ずる たものの、リアルタイムに繊度変化及び節データを 節、わ系大節、ずる系特大節、わ系特大節の7種類 ディスプレイ表示し、印字出力したことは高く評価 に識別されます。図 4 に繊度と節の測定画面を示し されていました。しかしながら、平成 16 年当時に ます。繊度の値および節の出現はリアルタイムに は、既に使用パソコン機種の製造中止、OS が MS・ ディスプレイ画面に表示されます。 DOS から事実上の世界標準である米国 Microsoft 社 Windows-XP に切り替わるなどパソコンのハード及 (2)システム制御装置の開発 びソフトの技術環境が大きく変化していました。こ 旧 シ ス テ ム の 制 御 装 置 は NEC 製 パ ソ コ ン のため、旧システムの 制御装置部分については PC9821-Xa13 であり、ソフトウエア(以下「ソフト」 Windows-XP に対応することが課題となっていまし という。)は NEC-MS・DOS-BASIC で作成された「デ た。そこで、ハード及びソフト全体を統括したシス ニールモニターソフト」(約 24,000 ステップ)でし テム制御装置を構築し、Windows-XP への対応を図 た。開発当時のパソコンの技術水準から、OS、CPU りました。Windows-XP は世界に共通する OS である (4) シ ル クだ よ り ことから、中国等に対する技術協力も可能となりま した。 生糸を測定し、リアルタイムに繊度及び節をディ スプレイに表示する。平均繊度、繊度偏差、最大繊 度偏差、糸むら及び節などの測定結果を計算する。 (3)計測処理システムの開発 システム制御用プログラムは C++言語で作成し、 拡大画面は 0∼50D 及び超拡大画面は 0∼100D を表 示できる。その結果、後述する絹糸(40∼80D)の計 計測データの表示デザインが改善され操作性が向 測結果を印字出力できるようにしました。また、小 上しました。計測データが Windows-XP に対応して 節データ消去機能も付加しました。 いることにより、データの処理、解析に EXCEL 等の (2)生糸検査後処理ソフト 市販のアプリケーションの活用が可能になりまし た。また、旧システムの繊度解析装置は汎用品でな いため、新システムではパソコン直結で、かつ、繊 維の外径から繊度に転換する新しい繊度計測方式 (1)で作成されたファイルを読み出して、デー タを再生し解析処理をする。 (3)生糸検査レポート作成ソフト ①複数かせ検査表ソフト を開発しました。PLC(プログラブルコントローラ; (1)のファイルを読み出して、1荷口分の複 マイクロコンピュータの一種)、A/D 変換器を装備 数かせについて、パソコン上で繊度糸及びパ し、サンプリング回数及びデータのパソコンへの入 ネルを作り、解析処理する。 力時間を任意に設定できるようにしました。巻取り ②繊度検査表作成ソフト モーター及び生糸カッターの制御もこの PLC によ (1)のファイルから取得した繊度糸データ り一元的に管理しました。また、旧システムの制御 (対 112.5m繊度糸毎の区間平均繊度)の度数 信号を中継するカウンターインターフェース も汎 分布表(階級間隔 0.5D)を作成する。 用品でないため、新システムでは節及び糸長計信号 をパルスカウンタボードに直接接続しました。 ③糸むら検査表ソフト (1)のファイルを読み出して、1荷口分の複 数かせについて、糸むらの総括表を作成する。 3.縦型実用検査装置の開発 (4)節関係伝票作成ソフト 旧システム及び制御装置を改良した実験機(「横 (1)のファイルを読み出して、27∼36D では対 型実験装置」という。)は、センサー部分が横方向 330mまたは 17∼26D では対 400mパネル毎のず に配置され、ボビンに巻かれた生糸をかせに巻き上 る節、わ・さけ系節、大中節分類、小節減点パ げる方式を採用していたため、実験操作は行い易い ネルの帳票を作成し、節の種類を判定後、節個 が、装置全体の専有面積が大きく、巻取り装置付近 数を手入力する。 の作業安全性 を確保できないため実用機としては ①ずる節検査表ソフト 不向きでありました。そこで、一般の繊維機械等と ②わ・さけ系節検査表 同様に、センサー部分(糸道)を縦に設置し、生糸糸 ③大中節分類検査表 条をボビンからコーンに巻き上げる方式の縦型実 ④小節減点パネル検査表(17∼26D 版、27∼ 用検査装置を開発しました。また、制御部の制御装 36D 版)パネル毎の小節数から、パネル毎 置類をラックに納めるとともに、センサー部の上部 の小節点を決定する。 にカバーを設置することにより、操作性及び巻取り (5)検査成績表作成ソフト(17∼26D 版、27∼36D 走行性が改善され、装置全体がコンパクトになると 版)17∼26D 及び 27∼36D の2規格に対応する ともに作業安全性が確保できました。 検査成績を印字出力する。 (6)生糸ヤング率計測システムソフト 4.ソフトウエアの開発 旧システムのソフトを土台にして、新システムで は以下のようなソフトを作成しました。 (1)生糸検査システムソフト (7)生糸ヤング率計測後処理ソフト (8)繭糸纎度曲線表示ソフト (9)旧データ変換ソフト (5) シ ル ク だよ り 図 5.絹撚糸注)の例(中国浙江省20/22D、f 3、S150−180) 図 6.完成撚糸の例(中国31D/2駒) 注)絹撚糸とは、撚り数の少ない片撚りで、そのまま使用することもある が一般には加工途中の糸である。また、完成撚糸とは、諸撚糸、駒撚 糸など完成した状態の糸である。 特長である繊度変化(糸むらの状況)が測定表示 できます(図5、図6)。特に、絹撚糸については、 手動の測定で伸度の少ない箇所が多く確認されて 5.絹糸の評価方法の開発 おり合糸むらと判断されていましたが、この機械検 (1)絹糸の評価方法の課題 査の結果から見て細繊度と表示されているもので 我が国の生糸及び絹糸を取り巻く流通状況は、平 成 17 年の絹糸の輸入自由化以来、生糸に替わり絹 はないのかと考えられます。完成撚糸の糸むらの変 化は小さいことが確認できました。 糸の輸入量が増加しています。しかし、絹糸に対す 輸入された絹糸には、絹撚糸の太さむら、合糸不 る品質評価方法が確立されておらず、当システムで 良、節、撚糸形状、撚糸バランスの不良があり製織 の絹糸に対する測定及び品質評価が要望されてき 工程への影響や織物の品質にも影響が出ていると ました。これを受けて京都府織物・生糸機械金属振 言われています。機械検査から繊度変化(糸むらの 興センターと共同で絹糸の測定評価方法を確立し 状況)が把握できることは、品質評価の有効な手段 ました。手動による絹糸の平均繊度の測定方法は、 となると考えられます。 試料 90mを採りその重量から算出しています。繊 度偏差及び繊度最大偏差の算出は手間がかかる上 6.終りに に、もし実施しようとすると相当な量の絹糸を切断 本研究を実施するに当たり、農林水産省生産局特 する必要があり事実上不可能であります。一方、当 産振興課、財団法人大日本蚕糸会を始めとする蚕糸 システムによる平均繊度、繊度偏差及び繊度最大偏 絹業団体及び関係大学並びに農林水産消費安全技 差の算出は、パソコン上で 112.5m毎に繊度糸を仮 術センター本部横浜事務所及び神戸センターの皆 想的に作成し計算することにより可能であります。 様からご支援をいただきましたので感謝申し上げ (2)開発内容及び結果 ます。なお、本委託事業に係わったセンターの検査 絹糸の評価のためのシステムの改良点は、生糸検 査システムソフト 及び生糸検査後処理ソフトにお 技術研究官グループは次のとおりである。 山田 晶子、森 良種、宮下 昌則、坂部 寛 いて、40∼80D の絹糸の繊度変化が表示できるよう にしたことです。また、結果の印字出力時に帳票表 現上煩わしい小節データが消去できるようにして、 大中節の表示を見易くしました。 機械検査 の平均繊度と手動測定の平均繊度とを 比べた場合、一致が見られ、特に、このシステムの Masanori MIYASHITA 前(独)農林水産消費安全技術センター本部横浜事 務所 検査技術研究官 (6) シ ル クだ よ り < オ ア シ ス> 日 本 の 伝 統 組 紐 文化女子大学名誉教授 日本の絹文化において、世界に類のない輝かしい 歴史を築いてきたのが組紐の世界である。歴代の組 道明 三保子 隆寺と正倉院に伝来したものである。 ば ん と う 紐の工匠たちは時代に合った新たな用途を開拓し、 法隆寺献納宝物中の「幡頭の組紐」は、赤・浅緑・ 紺・淡黄の矢羽根文様の組紐である。幡は仏をたた それに適した技術と装飾を追及し、伝統工芸の美を え寺院を荘厳するものであるが、その三角形の幡頭 支えてきた。今日では着物のアクセントである帯締 の部分で、吊緒をかね幡頭を縁どっている。同じく めや羽織紐をはじめ、ネクタイやベルトなどに組紐 の美と技が広く応用されている。絹の特性を活かし た日本の組紐は、組み方の種類の豊富さ、幅広い用 途、格調高い工芸美などにおいて、他の国の追随を 許さない。 組紐とは 織物の“織る”とは、たて糸とよこ糸を直角に交 差させながら、互いの上に浮いたり下に沈んだりさ せて面状の広がりを作ることである。これに対し、 組物の “組む”とは、組みはじめが一つにまとめ られた糸束を斜めに交差させながら、互いの上に浮 いたり下に沈んだりさせて紐状のものを作ること で、これを“組紐”と呼んでいる。手組みの組紐は、 複雑な組み方や均一の組み目、伸縮の調節のために、 た か だ い 四つ打台(角台)、丸台、高台、綾竹台などの簡単な 木製の組み台を用いる。糸束の端におもりとなる玉 を付けて、台の上でリズミカルに交差させる。動力 を用いた機械製に比べて、手組みの組紐は固すぎず しなやかで、絹の光沢や品格が活かされている。 組紐を断面の形から大別すると、平面的な平組と、 立体的な角組と丸組とに分けられる。また、平組の 図 1.組紐の名品を応用した帯締め 左から「幡頭の組紐」(法隆寺 飛鳥時代)、「垂飾の唐組」 (法隆寺 飛鳥時代)、「奈良組」(正倉院 奈良時代) 製作:組紐司「道明」 組紐は主として高台を用い、糸が他方向の糸に対し て斜めに交差するとき、1本おきに浮き沈みする組 い っ け ん ぐ み み方を一間組、2本おきに浮き沈みする組み方を二 間組と呼んでいる。 献納宝物の「垂飾の唐組」は、茜色の地に紺・浅緑・ 淡紅の色糸と金銀糸で菱形文様を表した幅広の組 紐で、両端には金銅製の金具を付けた華麗な垂飾で ある。唐組の源流として、シルクロードの中央アジ 名品でたどる組紐の歴史 すでに縄文時代に3、4本の糸で組んだ単純な組 アから前5∼前3世紀頃のウール製の出土品が発 見されている。大陸から組紐の技術を学んだ日本は、 紐があったことは、土器の文様や組紐の実物が出土 素材に絹を用い、平安時代には束帯の平緒というき したことからうかがい知ることができる。本格的な わめて精緻な唐組を発展させた。 組紐の展開は、大陸の文化を導入した飛鳥・奈良時 断片を含め数千の組紐を所蔵する奈良の正倉院 代から始まる。7、8世紀のこの時代の組紐は、法 は、古代組紐の宝庫である。長短、太細さまざまな (7) シ ル ク だよ り 組紐が、幅広い用途に合わせて使い分けられている。 横に四つ連結した複雑な組み方によって作られて 組み方の種類はほとんどが一間組、二間組、三間組 などの平組系統と立体的な角組系統で、いずれも基 いる。秀衡の懸守りであったとされ、呪術的な守護 の力がこもっているかのような 重厚な組紐であっ 本となるシンプルな技法である。その代わりに、配 た。 か け ま も 色が工夫され、濃い色から淡い色へとぼかす優美な う ん げ ん 平安中期から鎌倉時代にかけて武士が台頭し、組 繧繝が駆使された。この時代の組紐は簡素な組み方 ながら優美さやおおらかさを感じさせる。奈良組と 紐は武具・武器に多く使われるようになった。とり 呼ぶ角組は、武具・馬具、楽器とその袋、衣服や装 の死装束にふさわしい日本独特の典雅壮麗なもの 身具、宗教用具(幡、経巻など)、調度品(鏡、敷物) で、鎧の随所に組紐を使い、その配色の美を競った。 などに幅広く使われている。平組系統の幅広の組紐 青梅の御嶽神社所蔵、鎌倉時代の「 紫 裾濃 鎧 の繰締 ざ っ た い は、雑帯と称し衣服の帯に使われた。 わけ、大鎧は、騎馬の実戦に適した機能性と、武士 み た け むらさき す そ ご よろい く り し め お 緒」には、表裏両面に亀甲柄が組まれている。八つ の角組を連結した両面亀甲の複雑な技が見事だ。 室町時代には茶の湯や能楽、舞楽などの世界に、 優雅な紐が多く見られる。江戸時代には高台が考案 されて製作の効率があがり、柄や配色が多種多様と ひゃく こ う ひ しょう なった。諸工芸の見本帳『 百 工比 照 』は、加賀前 田藩の藩主が藩の特産品を振興させるために作ら せたもので、組紐の項にはさまざまな組み方のサン プルが並べられている。 現代の組紐 和装に帯締めを用いるようになったのは江戸時 代も末期のことで、明治の頃は細幅の帯締めが主で あった。大正時代を迎え、美術愛好熱が高まり、当 時、日本の美に対する深い素養と見識を持った上流 の実業家・趣味人のあいだで、歴史的な組紐の名品 図 2.組紐の名品を応用した帯締め を着物の帯締めに応用することが流行った。それら 左から「一切経竹帙の巻緒」(神護寺 平安時代)、「平家 には日本の伝統組紐のもつ格調の高さが反映され 納経の巻緒」(厳島神社 平安時代)、「入唐求法目録の ていた。 東京、上野不忍池のほとりの組紐の老舗「道明」 組紐」(聖護院 平安時代) 製作:組紐司「道明」 は三百年の歴史を持ち、代々日本の組紐を調査研究 平安時代は、奈良時代の基本型から複雑な組み方 し、組紐の名品を復元してきた。わずか 50 グラム を開発し、洗練された組紐を完成させた組紐の黄金 たらずの絹で作る1本の帯締めには、日本の伝統工 時代である。平家納経は、1164 年に平清盛が厳島 芸の歴史と美のエッセンスがつまっている。谷崎潤 神社に奉納したもので、現存する日本の経巻の中で 一郎や三島由紀夫の名作にも登場し、皇室をはじめ、 最も美しいといわれている。巻緒は経巻を巻きとめ 作家、画家、学者、女優、着物愛好家など、今日ま るもので、「平家納経の巻緒」は、使いやすいよう で多くの人々に愛顧されてきた。丁度 40 年前の に柔らかく薄く組まれている。二間組と四間組の組 1968 年に夫とともに、正倉院の宝庫の中で正倉院 み方を同時進行させ、次に二間組のみとする複雑な の組紐を調査させていただいたことが昨日のよう 組織の繰り返しになっていて、微妙な色調の変化の によみがえってくる。 中に、矢羽根文様が浮かび上がっている。平安貴族 の優雅さと武士の気迫を感じさせるものがある。 藤原三代の栄華を伝える奥州平泉、中尊寺金色堂 の藤原秀衡の棺中から発見された組紐は、角組を縦 Mihoko DOMYO 文化女子大学名誉教授・大日本蚕糸会評議員 (8) シ ル クだ よ り <セレスの広場> 一粒繰りをとおして思うこと 蚕糸科学研究所 天方 美帆 私が蚕という生き物のことを初めて知ったのは 小学校の理科の授業で蚕を飼育した時でした。蚕が 6 パリパリと音を立てて桑の葉を食べ、繭を作ってし く思え、蛾を手に這わせて遊んだ事や羽ばたく様子 を見た事をよく覚えています。繭から糸が繰れるな んて全く考えもしませんでした。 繭糸繊度 (d) 回って一緒に遊べる蚕や蛾が繭よりもとても可愛 普通繊度繭 太繊度繭 細繊度繭 小 石 丸 黄 繭 5 ばらくすると蛾になりましたが、その当時は動き 4 3 2 また、昔は製糸が日本の重要な産業のひとつだっ たことを授業で学びました。それでも製糸は身近に は感じられず、実際に繭から糸を繰る仕事があるこ とを知ったのは蚕糸科学研究所 に就職してからで 1 0 0 250 500 750 した。見るもの聞くもの全てが初めての事ばかりで、 そのような中で初めて関わった仕事が一粒繰りで 1000 1250 繭糸長 (m) 1500 1750 2000 一粒繰りで得られた繭糸繊度の変化 した。一粒繰りとは繭一粒から一本の糸を繰る事で す。一本の糸を連続して 112.5m 毎に分けて繰り、 のか全く分からず、ただひたすら与えられた繭から その糸を初めから終わりまで重さを順番に量って、 糸を引いていた記憶があります。けれども現在は、 繊度を算出することで、一つの繭の中で繊度の違い その一粒繰りが面白いと思うようになってきたの や、繭糸長、繭糸量などを調べる事ができるのです。 です。それは、繭を繰糸することで、糸を吐いてい 新人研修として、就職してすぐにドッサリと私を たときの蚕の様子が目に浮かぶからです。 待ち受けていたのがその一粒繰りでした。品種の違 繭は、作られた時の環境によって、繰れの良い繭 いなどにより、どういった糸が繰れるのかなど繭の と悪い繭といった違いがでてきます。糸繰れの良い 特徴を把握するにはもってこいの仕事なのですが、 繭は中の蛹が透けて見えるほどの薄い膜になるま それでも就職したての新人にしてみれば何の事な で、一度も切れること無く糸を取りきることができ ます。これは相当機嫌よく蚕が糸を吐いたのでしょ 一粒繰りの作業風景 糸繰れの良い繭 糸繰れの悪い繭 (9) シ ル ク だよ り う。糸を繰り終わった後に私は「ああ、がんばった ね」と蚕に言ってやりたくなるほど爽快な気分で、 嬉しくなってきます。しかし、糸繰れの悪い繭の場 合には「こらこら、そんなに何度も何度も、糸を吐 くのを休むなよ」と眉間に皺を寄せて怒りたくなる ような繭もあるのです。そういった繭は営繭時に、 気温が高かったりして蚕がバテて糸を吐くのを途 中で休んでしまうのだそうです。そのたびに糸が途 切れて、糸緒を探しては繋げる作業を繰り返さなけ ればならないのです。でもそんな繭があると、暑さ にバテるなんて自分と一緒だなと思えて蚕がより 身近な存在に思えてくるのです。 就職して 3 年目頃から、大学生や専門学校生に一 小学生の一粒繰り体験での一幕 粒繰りを教える機会が増えました。糸を繰っている ときに、殆どの学生が私と同じように、繭がお湯の 中で揺れながら繰れていく様子をジッと見つめて いるのが面白いところです。自分でも気が付かない うちに何気なくそうすることがあって、なぜか他人 がそれをしていると「ああ、そうそう、なぜか繭が 揺れていると見てしまうよね」と、とても共感を覚 えます。繭が繰れていく様子は不思議なほど私たち の視線を惹きつけることは確かです。これは私だけ かも知れないのですが、一粒繰りでクルクルと揺れ ている繭を見ている、ゆったりとした静かな時間が とても好きなのです。 一変して賑やかになるのは 小学生が見学に来た 一粒繰りを終えて蛹を観察する 時です。毎年ある小学校の三年生達が総合学習の一 環として蚕や製糸を学びにやってくるのですが、最 はいままでにいませんでした。そんな生徒達を見て 初は大きくて騒々しい繰糸機械を静かに見入って いると、糸繰りって確かに面白いなと思うのです。 いた生徒達が、検尺機を使っていざ自分達の手で糸 私が就職してもうすぐ 10 年になります。これま を繰ってみようと言われた時の盛り上がりといっ で色々な事を経験してきたつもりですが、先輩の黒 たら想像を絶するものがあります。大人には絶対に 川主任技師の技術や知識にはまだまだ遠く及ばず 真似のできないパワーを全開にしてブンブンとハ がっかりすることもあります。しかし、まだ一度も ンドルを回す姿に、私は思わず笑顔になってしまい こんな仕事は二度と御免だ、と思った事はないので ます。飛び散る水しぶきを浴びながらも、繭から糸 す。一粒繰りを教わった時もそうでしたが、知らな がどんどん繰られていき、繭層が薄くなって蛹が見 い事を知ることはとても楽しい事です。ですからこ えてくると不思議そうに「中の蛹が見えた」と言う れからも、新しい事を見聞きして、色々な事に挑戦 生徒達の姿に、新鮮な驚きがあってとても嬉しく していきたいと思います。 なってくるのです。一巡して全員が糸を繰った後も 「もっとやりたい」という声が必ず聞こえてきます。 Miho AMAGATA 「もういいや、もうやりたくない」なんて言う生徒 蚕糸科学研究所 技師補 (10) シ ル クだ よ り <セレスの広場> 桑園管理業務の紹介 蚕業技術研究所 松川 武 当所の桑園管理は、栽桑チーム 2 人で作業を行っ る量が違ってきますが、当所の桑収穫量を年間 10 てきましたが、一昨年から週一日、農業生物資源研 究所を定年退職された栽桑専門家の市橋隆壽氏に、 ㌃当たり約 1,600 ㎏を目標として、10 ㌃当たり約 140 ㎏を撒布致しました。ご指導をうけて、丸桑 栽桑チームの頼もしきアドバイザーとして桑園管 理の効率化にご指導して頂いております。今まで困 スーパー特 1 号を撒布した桑園は、夏秋用桑園だけ にし、春秋用桑園は丸桑特 2 号を春肥と夏肥に分け 難だった株間の除草作業、肥培管理、桑収穫法など、 知識と技術が向上したことに感謝しております。当 施用することにしました。 所の桑園は、面積が 6 ㌶、栽植面積は約 3.4 ㌶で、 蚕品種育成用に栽培管理を行ってきました。圃場 は、初期から機械管理向けに根刈り拳式で、畝幅 2.5m×株間 0.6m の 664 株/10 ㌃植え付けで、1 畝 50mに枕地(農道)を設けてあります。春秋兼 用桑園が約 1.4 ㌶で、品種は、しんいちのせ、はや てさかりを収穫しております。夏秋専用桑園が約 1 ㌶で、品種は、改良鼠返、はやてさかりで、すべて 人力収穫です。多植桑園は約 1 ㌶で、品種は、しん 年 1 回施肥用肥料 いちのせ、はやてさかりを機械収穫用として利用し ております。桑園管理作業で一番忙しい時期は、1 雑草・病害虫防除作業では、一昨年の夏に大変苦 月下旬∼2 月下旬までの春切り、5 月下旬∼6 月中 旬までの夏切りで、雇用 3 名を動員して作業してお 労しました。この年は温暖で雨が多く、急激に雑草 が生い茂り、シントメタマバエなどの発生原因と ります。私達は、エアー剪定で伐採しております。 なってしまいました。飼育期間中でしたので、薬剤 散布が出来ず、被害枝は飼育が終わってから除去す ることとなりました。雑草はイネ科のメヒシバ、チ ガヤが増えたので、イネ科専用除草剤ワンサイド P 乳剤を散布しました。この薬剤は、野菜などの広葉 作物にはほとんど影響なく、広葉作物の生育期に全 面茎葉散布することにより、イネ科の雑草を防除す ることができました。ただし、イネ科以外の雑草に は効力が無いため、従来の除草剤を基部伐採後にす エアー剪定での春切り ぐに散布しました。その結果、クワシントメタマバ エの被害が減少致しました。 桑園の施肥は、春肥と夏肥を基本に、夏肥の一部 昨年の 7 月頃にはキボシカミキリが多く発生し、 適期に薬剤散布を行いましたが、それを減少させる を追肥として年 2∼3 回の施用を行ってきましたが、 作業効率を向上する為に、従来の丸桑粒状固形肥料 ことができませんでした。しかし、このまま放置し てしまうと桑株に産卵し株を枯死させてしまうの に被覆肥料をチッソ成分で 30%混合し、年間を通 じて桑の生育にマッチするよう肥効を調節してい で、収穫終了後に 2 回目の殺虫剤エルサン乳剤 500 倍を散布しました。散布後はキボシカミキリの死骸 ます。年 1 回施肥用肥料の丸桑スーパー特 1 号を桑 園に撒布し、その施肥量は目的収穫量により撒布す が落ちていましたので、かなり減少することができ たようです。 (11) シ ル ク だよ り . キボシカミキリ虫 殺虫剤散布 晩秋蚕期が終了後、残桑整理作業で畝間などに倒 堆肥を積み込む 堆肥を畝間中央に撒く れ込んだ枝をヘッジトリマーで刈り込み、トラク ターのホークで枝を道路まで持ち出し、軽ダンプに 積み込み枝を焼却します。中耕や堆肥入れなどで倒 堆肥を撒いた後は、株間の落ち葉をブロワーで畝 間中央に集めます。集めたらロータリーで深目に攪 れ込んだ枝があると障害になるので処理していま す。 拌を行います。株間の落ち葉を綺麗にすることで、 害虫防除にもなります。 以上が年間の作業ですが、気象変動に影響されま す。 枝を刈り込む 枝を押し出す 株間の落ち葉を吹く 枕地まで枝を出す トラックに積み込む 落ち葉を畝間中央に集めた状態 冬の堆肥投入は、マッシュルーム廃堆肥を搬入し、 小型特殊運搬機に積み込み、2 人 1 組で低速走行で 徐々に荷台を上昇させ、後方の作業員が万能鍬で均 Takeshi MATSUKAWA 等に降ろします。 蚕業技術研究所 技師 (12) シ ル クだ よ り < 海 外 見 聞 録 > シルクロード農村副業復興計画 東京農工大学大学院農学府 ウズベキスタンのフェルガナ地方をフィールド として、筆者の所属する国際環境農学専攻を中心に、 壮大だか矮小だか判然としない表記題目の計画を、 濱野 國勝 そのまま中国に輸出されており、輸出水準の生糸を 生産するのは難しい現状である。 酷暑の夏と、乾燥で葉質が著しく低下する秋には JICA 草の根プロジェクトとして 2007 年企画立案し 飼育することができないので、ウズベキスタンの養 た。それが今年度採択され、3 年間総予算 5 千万円 蚕は春一回5,6月にのみ行われている。また、桑 の小さな計画が実現の運びとなった。日ウズ二国間 栽培も日本と異なり、桑畑がほとんどない。多くは 協定の締結を待って 2009 年末か、2010 年初頭には 喬木仕立てで、畦畔や水路脇、あるいは路傍の並木 事業が開始される見込みである。 桑である。つまり、養蚕を奨励しても綿花、小麦、 この国で最も養蚕の盛んなフェルガナ州マルギ 果樹など主産物、食糧生産を圧迫することがない。 ランを中心にして、優良蚕品種を導入し、養蚕農家 個々の養蚕農家も、殆どが専用の飼育設備を持たず、 に高品質の繭を生産させることを目標にしている。 蚕期には彼らの居住空間を蚕に明け渡す、明治期の 養蚕そのものが年一回春のみであり、綿花など主力 日本と同じ状態である。そのうえ、世界第三位の繭 作物の隙間、いってみれば副業としての位置づけで 生産を支えてきた養蚕の基盤である桑葉の供給に あることから、なんとなくみみっちい“副業復興計 ついては全く従前と変わらない栽培が保障されて 画”と命名した。繭の他にも、この国に多い桑の大 いる状態で、農家の意欲だけが低下している現状を 木を木材として、また、ドドメと言われて日本でも 見て、我々は養蚕の復興の可能性を確信し、計画を なじみのある桑の実を加工食品として、それぞれ活 立案した。 用することも計画に含まれている。イスラム諸国共 ウズベキスタンはシルクロードの重要な中継地 通のジェンダー問題を解決する一助となる、婦女子 点として知られており、古くは紀元前 3 世紀アレキ への就労機会の付与にも貢献することができると サンダー大王の大遠征にも記録され、中国の史書に 自負している。 も度々登場している。プロジェクトのメインサイト ウズベキスタンは知る人ぞ知る、シルク大国で であるフェルガナは大苑として漢書に記されてお あった。伝統的なアトラスといわれる矢絣のような り、名馬の産地として記録され、走ると血の汗を流 絹織物や、カーペット、スザネとよばれる壁掛けな すと言う、汗血馬が産することが伝えられ。漢の武 どが知られており(表紙参照)、つい数年前まで、 帝は大軍を派してこれを求めたと伝えられている。 ベトナムと並び、世界第 3 位、2 万トンに及ぶ繭生 フェルガナはフェルガナ、アンディジャン、ナマン 産を誇っていた、市街部にも農地にも一抱えもある ガンの3州からなり、面積は日本の四国と同じくら 桑の大木が聳え、中には 1477 年と植栽年代が記録 いの 19000k ㎡の土地に、630 万人が住む盆地であ されている、500 年を超す樹齢の桑の巨木が大切に り、ウズベキスタンの穀倉である。中央アジアの乾 されており、古くから絹には馴染みのある国である。 燥地帯の中では数少ない緑豊かな土地で、シルダリ ところが昨今は凋落著しく、関係者によると高々 アという大河が中央を流れ、縦横に水路が走り、 7000 トン程度の生産に落ち込んでいる。一説には 様々な果物が実る。しかし、ソ連の侵略以来紛争地 2000 トンとも言われ、実勢が今一掴みきれていな として戦乱の絶えないアフガニスタンに接し、キル いが、見る影もない現状であることは確実であった。 ギスタン、タジキスタンに囲まれた貧しい地方で、 その原因については、繭値の低下と、取引の不透明 外務省の海外安全ホームページには渡航注意の地 さにあるようで、農家の養蚕に対する意欲が著しく 域と指定され、ウズベキスタンの中ではタジク人、 低下していると指摘され、生産された繭は、多くが キルギス人が多く、紛争の頻発する地域とされてい (13) シ ル ク だよ り た。陸路峠越えしてフェルガナに入るには、必ず、 て記録され、現在の市街地に隣接した遺跡が往時を パスポートのチェックがあり、武装した兵士の立哨 物語っている。13世紀にはジンギス汗の遠征によ する検問所を通過しなければならない。 り灰燼に帰したが、14∼15世紀にはチムール大 19世紀、中央アジアに吹き荒れたグレートゲー 帝国の首都として奇跡の復興をはたした。往時を物 ムという歴史の荒波の中で、ヒバ、ブハラの二汗国 語る青いタイルで覆われた大ドームが今も美しく がロシア帝国の属国とされ、当時フェルガナ盆地に 威容を誇り、ユネスコの世界遺産にも指定されてい あって、サマルカンドやタシケントを支配していた る。シルクロードを旅したキャラバンも、聳え立つ コーカンド汗国はロシア帝国に滅ぼされ、ロシア人 大ドームを遠望して、街中の安全な宿を思い、安堵 が入植し、新たに建設されたのが、現在のフェルガ したに違いないと思われた。 ナ市である。西欧風な瀟洒な建物が街並みを形作り、 今は盆地の行政の中心となっている。なお、グレー トゲームとは、ゲームソフトではなく、インド、ア フガンを含め当時は西トルキスタンと呼ばれた中 央アジア一帯を舞台に行われた英露両帝国の領土 的野心のせめぎ合いを言う。 ここフェルガナのマルギランはウズベキスタン 絹産業の中心地であり、この国最大の製糸工場、丸 紅との合弁により設立され、国営企業であったシル クロード社もここに位置を占めていたが、残念なこ とに倒産し、操業が停まっている現状である。なお、 マルギランは昨年二千年祭を祝うという古い歴史 サマルガンド遠望 中央に見えるのがビビハヌムの大ドーム がある。最近では今年 2 月、市政府や、国立絹研究 所を訪問した。その折は、一面白皚皚の銀世界、雪 で航空便が遅れ、往復とも6∼7時間、空港で待た されることになってしまった。首都のタシケントか らフェルガナに行くには、陸路もあるが、3000m級 の急峻な峠を越えなければならず、真冬は、積雪の ためしばしば交通が途絶してしまう。帰りは便の都 合でアンディジャン空港からタシケントへ戻った が、フェルガナからアンディジャン に行く道路は 2m 先も覚束ない濃霧に見舞われ、周囲は愚か、セ ンターラインさえ碌に見えない凍った路面を這う 樹齢 500 余年の桑の古木 ようにして進む車の中で、ひたすら無事に空港に着 くことを祈っていたのを思い出す。2 月のフェルガ ウズベキの街には、必ず桑の大木が、今も緑の葉 ナは雪の低温と河水からの水蒸気で濃霧が多発す 陰を市民に提供している。街毎に開かれ、人々の生 ることを聞かされ、その時は、とんでもないところ 活を支えているバザールには、季節を問わず、その をプロジェクトサイト に選んでしまったと後悔し 苗木と、枝から作られた籠や、桑の実のドライフ た。 ルーツが売られている。また、季節には新鮮な桑の この国の主要都市であるタシケントは石国、サマ 実とそのジュースが甘い香りと共に食欲をそそっ ルカンドは康国として中国史に記録されており、サ ている。筆者もこの地に来て、随所にある白く熟す マルカンドにいたっては紀元前 2 世紀、アレキサン 桑の実を眼にして始め てカラヤマグワの学 名、 ダー大王遠征の折の東端の街、アフラシャーブとし Morus alba、白を意味する alba という命名に納得 (14) シ ル クだ よ り したものである。日本では白実の桑を見かけること 桑の木に宗教的意味があるかどうか尋ねたが、明確 は全くないが、Morus alba に属するものの、実が な答えは返ってこなかった。また、市内随所に枝垂 黒い桑が豊富に植えられている。具体的に品種名を れ桑が植えられ、景観に趣を添えている。この国の 挙げると、イチノセやカイリョウネズミガエシと 枝垂れ桑は全て眼通り位の高さで接木されており、 いった alba 種の桑が、養蚕を支えてきたのはご承 その苗木もバザールで売られ、養蚕の古い歴史が文 知と思う。 字通り根付いているのを眼にすることができた。長 いロシアによる支配のせいか、イスラム色は薄く、 ベールをかぶって顔を隠す女性を眼にすることは 殆ど無い。また、お酒も自由に呑める良いお国であ る。 読者諸賢 はアグラを意味する漢字をご存知と思 う。そう、胡坐である。この辺り、中央アジアの民、 胡人の習慣であったことを示しており、桑の木の緑 陰に縁台を並べ、その上で胡坐をかいて、食事や宴 会、喫茶談笑する風習は今も連綿と受け継がれてい る。プロジェクトが始まった暁には是非ウズベキス タンを訪問され、樹下の胡坐の宴に参加されること を蚕糸関係者にお勧めして本稿を閉じることとし バザールで売られる白実桑 たい。 読者の中にはクロミグワというのをご存知の方 も居られるかも知れない。黒を意味する nigula と いう学名の桑で、養蚕に用いられることはなく、日 本で眼にすることは殆ど無い。カラヤマグワや、ヤ マグワよりも大きく甘い黒く熟す実の桑で、生物資 源研究所の小山氏によればすべて 3 倍体であると いう。06 年 6 月彼にも同行してもらって、かの地 を調査した折、国内随所に大小のクロミグワが植え られている状況を確認している。バザールでは青果 とジュースが豊富に売られ、我々一行も賞味したも のである。3 倍体であると言うことは、種無しスイ カと同じく、実はなっても種は無く、実生で繁殖す ることはない。事実同氏は、モスクや民家、路傍に 植えられた木、眼にしたクロミグワすべてが接木で 緑陰で胡座をかく(中央が筆者) あり、人為的に植えられたもので、自然繁殖ではな いことを確認している。 ここウズベキスタンは、8世紀以来のイスラム国 であり、街には必ず、お寺に相当する大小のモスク がある。宗教学校であるメドレッセも多い。そう いった施設の中庭には必ずと言ってよいほど、桑の Kunikatsu HAMANO 大木が聳え、涼しげな緑陰と、美味しい果実を振 東京農工大学大学院農学府 舞ってくれる。alba も nigula も植えられていた。 国際環境農学専攻 教授 シ ル ク だよ り (15) < 行 事 予 定> ◎平成 20 年度蚕糸功労者表彰式 ◎日本絹業協会純国産絹マーク審査委員会 平成 20 年 11 月 7 日(金) 平成 20 年 7 月 4 日 於:東京會舘 於:日本絹業協会 < 行 事 記 録> ◎第 1 回コーディネーター活動推進会議 ◎内外シルク講演会 平成 20 年 7 月 11 日(金) 平成 20 年 5 月 15 日(木) 於:糖業会館 於:蚕糸会館 ◎蚕糸絹情報連絡会 ◎平成 20 年度第 2 回蚕糸褒賞等選考委員会 平成 20 年 5 月 19 日(月)及び 7 月 18 日(金) 平成 20 年 6 月 16 日(月) 於:蚕糸会館 於:蚕糸会館 平成 20 年度蚕糸功績賞及び貞明皇后蚕糸科学賞の 受賞者選考等 ◎第 2 回コーディネーター活動推進会議 平成 20 年 8 月 28 日(木) 於:蚕糸会館 ◎理事会・評議員会 平成 20 年 6 月 20 日(金) <人事異動> 於:蚕糸会館 蚕業技術研究所(6 月 30 日付) 退職 常楽千恵子 ◎蚕糸絹業元年の集い 平成 20 年 6 月 20 日(金) 蚕糸・絹業提携支援センター(8 月 1 日付) 於:蚕糸会館 採用 ◎(財)全国蚕業技術員養成研修基金協会理事会 平成 20 年 6 月 20 日(金) 於:JA ビル <シルク掲示板> ○「財団法人大日本蚕糸会 要覧」最新版の発行 当財団に蚕糸・絹業提携支援センターが設置されるなど、 組織編成の動向に合わせて「財団法人大日本蚕糸会 要覧」 の全面改訂版を発行いたしました。最新の研究業務内容に ついても関係者のみならず、一般の方々にもわかりやすく 紹介してあります。 宮下昌則(システムクリエーター) (16) シ ル クだ よ り <見学・研修受入> 開 催 年 月 日 見学・研修者と研修内容等 ≪人数≫ 開 催 場 所 20.5.23(金) (株)さが美、(有)理公 小石丸に関する研修 ≪6名≫ 蚕糸科学研究所 小石丸商品の研修と純国産糸の情報収集 ≪6名≫ 蚕糸科学研究所 研究調査 ≪1名≫ 蚕業技術研究所 太繊度低張力糸の繰糸等についての見学 ≪15名≫ 蚕糸科学研究所 7. 3(木) 農林水産省 他 CT・繰糸太繊度低張力糸繰糸等の見学 ≪8名≫ 蚕糸科学研究所 7.3(木) (株)マルシバ 他 6.13(金) (株)すずのき、(有) 理公 6.19(木) コーネル大学大学院生 6.27(金) 多摩シルクライフ21研究会 事業打ち合わせ・所内見学 ≪2名≫ 蚕業技術研究所 研究調査 7.4(金) 九州大学 ≪1名≫ 蚕業技術研究所 7. 7(月) 井本商店 他 繰糸を中心とした所内見学と蚕糸技術の情報収集 ≪20名≫ 蚕糸科学研究所 7.7(月) ツムラライフサイエンス(株) 桑について ≪3名≫ 蚕業技術研究所 紅葉山御養蚕所小石丸及び白繭の生挽き等の見学 ≪2名≫ 蚕糸科学研究所 7.10(木) (株 )さが美、(有 )理公 小石丸に関する研修および繰糸見学 ≪40名≫ 蚕糸科学研究所 7.22(火) 工房 洞 蚕糸科学研究所 7. 9(水) 放送大学 8. 4(月) 文化女子大学 煮繭・繰糸技術の基礎についての研修 ≪20名≫ 蚕糸科学研究所 ∼ 8(金) テキスタイルアドバイザー資格取得のための研修 ≪2名≫ 8.12(火) (株)三越 蚕と蚕品種及びシルクに関する研修と繰糸等の所内見学 ≪29名≫ 蚕糸科学研究所 8.22(金) 織道楽塩野屋 他 蚕業技術研究所 研究業務打ち合わせ ≪3名≫ <関連業界・学会の動き> 開 催 年 月 日 行 事 名 ≪主催等≫ 開 催 場 所 20.6.10(火) 白繭細1号プロジェクト開発チーム第2回全体会議 ≪㈱マルシバ≫ 蚕糸会館 6.17(火) プラチナボーイ研究会第3回全体会議 7.7(月) 第14回絹まつり ジャパンシルク ≪(社)日本絹業協会≫ センター ∼9(木) 7.20(木) 第61回製糸夏期大学 ≪㈱マルシバ≫ 蚕糸会館 ジョイントプラザ ≪製糸技術研究会・(独)農業生物資源研究所≫ マリオ ∼21(金) 7.23(水) 高島屋「日本の絹展」 ∼28(月) 日本橋高島屋本店 ≪(社)日本絹業協会≫ 7.24(木) プラチナボーイ検討会議 ≪㈱マルシバ≫ 蚕業技術研究所 10.21(火) 農業生物資源研究所研究成果発表会 ≪(独)農業生物資源研究所≫ つくば国際会議場 11.20(木) 日本蚕糸学会関東支部第58回学術講演会・総会 文部科学省 ≪(社)日本蚕糸学会関東支部≫ 研究交流センター 11.21(金) カイコ産業の未来 ∼遺伝子組換えカイコ実用化の課題と展望∼ 文部科学省 ≪(独)農業生物資源研究所・(社)日本蚕糸学会関東支部≫ 研究交流センター 12.5(金) 日本シルク学会第56回研究発表会・総会 シルクだより No.32 平成 20 年 9 月号 ≪日本シルク学会≫ 蚕糸科学研究所 編集・発行:(財)大日本蚕糸会 シルクだより編集委員会 〒100−0006 東京都千代田区有楽町 1−9−4 ℡03−3214−3411 FAX 03−3214−3415 URL http://www. silk.or.jp 無断転載不可
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