こちら(PDF/18MB) - 東京理科大学・小布施町まちづくり研究所

About Obuse Town
Obuse Town is situated in the northern
part of Nagano Prefecture and in the
northeast section of Nagano Basin which
is known as Zenkoji Plain. Local products
include the famous chestnut sweets and
chestnut rice, but the basic industry is
agriculture. The town produces high quality
fruits such as apples, grapes, peaches, pears,
as well as local vegetables such as eggplants
and hot radishes.
History of Obuse Town
東京理科大学・小布施町まちづくり研究所
-Town of Chestnuts, Hokusai and Flowers-
In the late Edo Period, when transportation
along the Chikuma River and Tani Road
went into service, Obuse Town flourished as
a cultural and economic center of Northern
Shinano. As wealthy farmers and merchants
rose, writers and artists were invited to
Obuse Town. Hokusai Katsushika was one
of them. His remaining original drawings
in Obuse Town led to the opening of
"Hokusai-kan" in 1976. The original
purpose of the Hokusai-kan was to store
and hand over the parade floats to the next
generation, to collect and stop the outflow
of Hokusai's drawings and to set up a base
for the research of Hokusai. In those days,
Hokusai-kan was called a "small museum in
the rice field" which described its status. The
museum was initially intended to protect
the culture rather than to attract visitors.
Eventually, the museum gathered many
tourists to function as a new meeting place
in Obuse Town. After opening the Hokusaikan, more than 10 museums were opened,
including Obuse Museum/Nakajima
Chinami-kan, which are enriching the art
culture of Obuse Town.
The foundation of Hokusai-kan has led
to the original Machizukuri method known
as "Shukei Project" where townspeople
and the administration cooperate to create
public urban space by opening private
properties and commercial spaces. The
building activities in the town have been
guided by the "Cooperative Environmental
Design Standards" and "Designing Manual
for Dwelling" to create a harmonious
and beautiful living atmosphere. These
movements have encouraged townspeople's
recognition of town space as "outside
is for everyone, inside is for your own."
Furthermore, heightened awareness of the
"landscape" has also led to Machizukuri
with "flowers" in 1990s. "Open Gardens,"
beautiful private gardens opened to the
public, have proliferated to more than 100
places.
〒 381-0297
長野県上高井郡小布施町大字小布施 1491-2
TEL 026-247-3111
FAX 026-247-3113
URL http://www.machizukuri-lab.com
Hokusai's Ceiling Painting at Ganshoin
発行日
平成22年7月18日
企画・監修
川向正人
制作
東京理科大学・小布施町まちづくり研究所
東京理科大学理工学部建築学科川向研究室
編集
山中章江
勝亦達夫
奥田翔
湯本紗代子
関場翔
Townscape in Obuse
大野隆司
壁谷健一
佐々真康
草間奏介
前田久徳
英訳
山中章江
編集協力
上原大史
印刷
祥美印刷株式会社
中野千尋
周翰韵
宮内雅未
宮内雅未
至 中野
至 中野
長野電鉄
小布施駅
至 豊野
北斎ホール
栗ガ丘小学校
至 長野
Open Garden
東京理科大学・小布施町
まちづくり研究所
小布施町役場 2F
中町南
交差点
至 須坂
須坂長野東 I,C,
Chestnut Alley
©東京理科大学・小布施町まちづくり研究所
研究所の概要
02
2009 年の研究活動
INDEX 2009
04
国道 403 号線整備計画
06
里道ネットワークの整備とマップ
08
地域活動の拠点づくり
広い視野と正しい方向づけ
シンポジウム(本書 20-21 頁)のゲス
後の動きに期待したい」と発言しました。
になる。その意味で、みなさんの提案は、
ト・コメンテーターに登場した国交省の
続いて、現代建築の最前線で構造デザ
赤星健太郎氏は、国道 403 号線の将来像
イナーとして活躍する佐々木睦朗氏も、
を歩道整備と里道ネットワークの視点から
今後の日本社会の大きな転換を見通しつ
これまで研究所が調査に基づいて提案
今後の都市づくり全般に対する提案にも
なっていると感心しました」と。
考えた住民+研究所の発表に賛意を示しな
つ、昔ながらの拡幅手法にこだわらず沿
してきたプロジェクトが動き始め、里道
がら、
「旧街道だった国道の狭く歩きにく
道の生活を優先させる道路計画を高く評
やいくつかの拠点づくりなど、具体化す
い歩道は、全国的な問題でもある。街道は
価しました。
「これからは車自体が電気
るものも出てきました。小布施での研究
10
押羽はよんば再生計画(2)
~賑わいのある広場へ
12
生きつづけるまち
~銀座・日本橋の奥
もともと歩行者の道であり、周辺の歩行者
自動車になって、ガソリン車のようにス
所の活動が第 2 ステージに入ってきたこ
ネットワークとも自然にリンクしていたわ
ピードをガンガン出すのではなく、小型
とを物語っています。赤星、佐々木の両氏
14
地域の素材と技術
~倉敷と浦辺鎮太郎
けだが、そこに自動車交通を優先する(国)
化してゆっくり走るようになる。そうい
のコメントに示されているように、調査
道の考え方が入ってきた。この辺りの根本
う時代に必ずなる。あと 10 年、20 年経
研究にも、自分たちが目指すものをグロー
16
たたき
的に対立する問題を整理して、沿道住民の
てば、いたずらに道幅を広げる必要もな
バルに捉え直し、正しく方向づける姿勢
合意をどう形成してゆくか、小布施での今
く、ゆっくりと静かに車が走る道路環境
が求められるようになってきました。
18
WORKSHOP 2009
20
EXHIBITION + SYMPOSIUM
ば、各々のマップの上で修正します。
02
研究所の概要
22
小さな動きの集まり:マップづくり
About Machizukuri Institute
ここ数年「里道ネットワークと拠点の
ます。この沿道での生活・活動がどうい
構築」が研究活動の基本方針になってい
うものか、その実態を捉える指標ごとの
ますが、
「国道 403 号線整備計画」が新
マップも必要です。
このマップづくりは、一点豪華主義で
はない、住民が全員参加で進めるまちづ
たに課題に加わったことで、道空間の捉
つまり、場所を構成する小さな要素を
くり・景観づくりの本質にかかわる手法
え方に変化が生じています。
これまでは、
拾い上げて、
要素ごとにマップをつくる、
でもあります。一つひとつは小さくても
国道についても距離が短く、歩道の現状
マッピング(mapping)という作業です。
地区全体、町全体に広がるような要素が
把握と改善案の提示が目的でしたので、
何枚ものマップをレイヤー(layer、層)
対象です。目を楽しませ、心を癒すもの。
About Us
典型的な場所を選んで実測図面を作成
と捉えて、それを重ね合わせると、その
ちょっと腰を下ろせるもの。訪れる人々
東京理科大学・小布施町まちづくり研究所
し、空間的特徴をスケッチや写真で記録
場所の全体像に近づいてゆきます。
をもてなす心の表れたものが、すでに町
活性化という課題
建築でもまちでも「生き生きした」あ
しかし、小布施町では今日まで、住民
るいは「活き活きした」状態をどう生
たちが集まって話し合い、納得すれば実
み出すか、つまり活性化(revitalization)
践、という形で進んできました。大切な
するという、まさに農村部で一本、一本
現状に変化がおきればマップを修正し
内のあちこちに用意されていますが、そ
が真剣に問われる時代です。少子高齢化
のは「自主性」「納得」です。
の里道を調査するのと同じ方法でした。
ます。ある要素が必要だと分かれば、新
れらをマッピングすることは、小さな努
が進み、人口が減少して、経済は言うに
そして、目標は経済的にも精神的にも
しかし、小布施町内と限定されるにせ
たに、その要素についてマップを作成し
力を全体の動きに結び付けるのに有効で
及ばず人心までもが重く沈みこむ。そん
豊かで健全な生活環境を整えることで
よ国道 403 号線全体の現状を把握する
ます。パソコンでやっておきますと人が
す。ばらばらだった動きが、自然に、あ
な地域社会をどう活性化するか。
あって、この目標に向かって住民たちは
には、
いくつかの景観要素に着目し、
各々
代わっても作業が継承されますから、ま
る統一感をもつようにもなります。
についてマップ(map、分布図)を作成
ちづくり・景観づくりには欠かせない手
するといった新たな工夫が必要になりま
法です。
2009 年 9 月、小布施町を舞台に「地
協力し、実践してきました。このような
域再生実践塾」(主催:地域活性化セン
思いで生活しているからこそ、同時にま
ター)が開催されました。地域を生き生
ちづくり・景観づくりになっているので
きさせるための理念・手法・仕組みを、
しょう。一時的な助成を受けることも競
成功事例に 3 日間の集中講義で学ぶとい
うことも、そもそも必要がないのです。
うものです。塾長が決められ、3 日間の
塾生からの質問に答えましたが、小布施
カリキュラムが組まれました。全国の自
の「オープンガーデン」に参加基準はあ
治体や NPO などでまちづくり・景観づ
りません。訪れる人々に、もてなしの心
くりに取り組む人々が塾生となって、頭
をもって「にわ」を、「うち」を開くこ
が下がるほど真剣に学びます。塾長は研
とが目的ですから、庭の種類・デザイン・
究所長の川向が務めました。
手入れの良し悪しといった参加基準を決
この 3 日間で、地域・まちの活性化を
めないのです。
巡る課題が明らかになりましたが、とく
みんなで実行して、日々それを世話す
に問題なのは、現場に立つ人々が「助成
る。だから、景観が全体として生き生き
金」
「競争原理」の有効性を疑っていな
する。研究所は、正しい方向に進みなが
いことです。この種の
「外」あるいは「上」
ら、なお躊躇する人がいれば、少し背中
からの刺激なくしては地域社会が活性化
を押す程度の手助けもしています。
しない、と信じている様子でした。
開所式の日
2005年7月18日、大学と自治体が費用を出
し合って共同研究を進める、全国でも初めての
常設の研究機関として開設されました。写真は
開所式当日の、大勢の訪問者で賑わう研究所内
部の光景です。
役場2階、町長室の手前に研究所があって、
研究所内にも外の廊下にも、調査分析・提案の
成果である各種パネル・模型などが展示されて
います。
毎年度6つから7つのテーマを設定して、博
士課程から学部4年生までの学生が常駐して研
究を進めます。町内の小学校・中学校と協働し
て「次世代ワークショップ」を8月の夏休み明
けに開催するほか、まちづくりに関する住民説
明会も不定期に開催しています。年間の活動成
果は、11月の第2か第3土曜日に開催する「研
究活動報告会・展示・シンポジウム」で公開し
ます。「小布施まちづくり大学」(町主催)の
ほか、小布施町で開催される国・県主催の研修
会・シンポジウムなどの企画運営もサポートし
ています。
した。たとえば、
今回は
「舗装の種類」
「植
「はよんば」「蚕室」
「納屋」「たたき」
などで研究所が提案し、学生たちが試み
「里道ネットワークの整備とマップ」
に実践しているものも、いずれも、その
栽」
「工作物」「見通し」「建物用途」の
は、この手法をもう一度農村部の里道に
気になれば住民だけで可能です。費用を
マップを作成していますが、電柱、水路、
適用して、
ウォークラリーや散策に使う、
かけない。そして、地域の実状に合って
沿道の建物・塀、花壇などについても丁
更新可能なマップを制作しようというも
継続・持続が可能なものを、常に模索し
寧に調べてマップを作成する必要があり
のです。ルートや休憩所の位置が変われ
ています。
研究所構成員:
所長
川向正人
副所長
山中章江
修士2年
修士1年
博士課程 大野隆司
勝亦達夫
高取万里子
川井澄子
児島弘基
座古竜介
馬場理
吉田淳一
奥田翔
壁谷健一
佐々真康
杉山拓真
趙建青
中野千尋
林絵里子
馬振薇
学部4年
他大学
安原幸子
湯本紗代子
渡辺明
今井皓
浦秀成
草間奏介
周翰韵
関場翔
千葉弘美
前田久徳
宮内雅未
田尾祐太(金沢工大)
多田正幸(工学院大)
03
国道 403号線整備計画
04
歩道整備案
歩道幅検討図
歩道の整備
国道の歩道を詳しく見ると、幅が狭く
て小刻みに段差のある歩きづらい個所が
ある。そのために、歩行者が車道にはみ
だし、車道を歩く状況が発生している。
そこで、まず歩道の段差をなくして歩き
歩道幅90センチ
歩行者が歩道上ですれ違えない。
車道
歩道
やすくしたい。
舗装
民有地
石・タイル・木・アスファルトなどの
舗装を混在させないで、透水性の高い土
色のアスファルト舗装ですっきり統一し
たい。そして、雨水がたまって滑りやす
歩道幅120センチ
い歩道をなくしたい。車道も、車の重量・
傘をさすと歩道いっぱいに広がる。
交通量を調整して透水性の高いアスファ
ルト舗装に変え、雨のときに濁流が発生
したり雨水を車がはねたりする現象が生
じないような対策を講じたい。
歩道と車道、路地を一体的に舗装し植栽を施す
現状(上)と提案(下、合成写真による)
国道403号線整備計画
歩道と民有地の舗装を統一し、植栽とベンチを
配置する
現状(上)と提案(下、スケッチによる)
歩道幅150センチ
ゆとりある歩道空間になり、短時間の駐停
車が可能になる。
国道の分析図
←至 小布施駅
国道の整備にむけて
←至 小布施駅
←至 小布施駅
←至 小布施駅
N
谷街道だった国道 403 号線は、時代
とともに、人の歩く道から町を通過する
自動車のための道に変わっている。しか
し、詳しく調査すると、歩いて楽しい道
空間となる可能性を秘めた場所が存在す
る。具体的提案に向けて、昨年よりも範
囲を広げて実測と図面分析をやり直し、
二つのテーマを立てて分析する。
中町
中町
中町
歩道の段差をなくして土色のアスファルト舗装
で統一し、沿道に植栽を施す
現状(上)と提案(下、合成写真による)
中町
国道の現状
幅
現状の分析
広がり
歩道の幅についても、歩行者の目線で
奥行き
検討する。幅 90 センチでは歩道上です
れ違えない。120 センチは、傘をさした
歩道のみで、あるいは、歩道とそれに
国道だけを整備すると表層的な美化
接する民有地を一体にすることで、広が
に陥り、舞台の書割のような家並みに
りのある空間をつくり出してゆく。所有
なってしまう。そこで、国道に直交する
ある。150 センチにすると、余裕のある
者と協議しながら、接する民有地と歩道
車道・路地・水路などを活用して、向こ
歩道空間になり、人の通行幅を確保しな
のレベルをそろえ、舗装を同じものにす
うへ、奥へという奥行き感を生み出す工
ることによって、沿道に魅力的な小広場
夫をしたい。
的場所をたくさん生み出してゆきたい。
歩行者にやさしい道空間を創出して、
中町南
人の動きにも「奥行き」を与えたい。裏
路地を使って近道をしたり、道歩きを楽
果的に用い、沿道の住宅・店舗の日常生
しんだり、昔は当たり前だった人と道と
活を快適で楽しいものに改善することも
の関係を復活させる。
中町南
中町南
人同士がすれ違う際に傘を傾け合う幅で
そのときに、眺めだけではなく実際の
同時に植え込み・水路・ベンチなどを効
目指したい。
中町南
0
6m
アスファルト
(道路)
アスファルト
(黒色)
コンクリート
栗の木レンガ
栗の木レンガ+レンガ
インターロッキング①
インターロッキング②
コンクリート玉砂利洗い出し
アスファルトカラー舗装
(赤色)
タイル
土・草・石
石
砂利
舗装の種類
道案内
看板
街灯
ベンチ
アート・石碑
道案内
看板
街灯
ベンチ
アート・石碑
がら植栽を施すことも可能である。ただ
し、この時の車道は幅の広い一車線道路
のようになって、対向時に車が少しだけ
歩道領域に入りこむ。人や荷物をのせる
道案内
看板
街灯
ベンチ
アート・石碑
工作物
商店
飲食店
ためのごく短時間の駐停車は可能、とす
商店
飲食店
見通せる空間
見通し
商店
飲食店
見通せる空間
商店分布
ることもできる。対策を練ることで、ま
さに人と車が共生する賑わいのある道空
間が誕生する。
05
里道ネットワークの整備とマップ
06
小布施町での里道を使ったイベント
る。町道の一部に未舗装があるが、いず
上下諏訪神社
おぶせフラワーセ
ンター
れもアスファルト舗装で、自動車が通る
道である。
果物直売店
浄照寺
北西部まち歩きマップ
郷原神社
研究所では、今回は①②③のレイヤー
+
欅原神社
果物直売店
北岡神社
を重ね、散策ルートを提案した。
提案に際して重視したのは、すでにい
07
西證寺
+
テニスコート
くつかのイベントで使われているルート
里道第一号開通式
2007 年 10 月
11 月
2008 年
6月
10 月
2009 年
4月
6月
9月
10 月
2010 年 4 月
5月
6月
を参考にして、それらをつなぎ合わせ、
里道第一号『馬場先中通』開通
里道第二号『まちなか小路』開通
花巡り健康ウォーク(東地区)
里道第三号『畑中大通』開通
秋の農村散策ウォーク(北地区)
花巡り健康ウォーク(西地区)
花巡り健康ウォーク(東地区)
地域再生実践塾
秋の農村散策ウォーク(北地区)
花巡り健康ウォーク(西地区)
栗の里道フルコース・ランチ・
トレッキング
深緑さわやかウォーク(東地区)
回遊して出発点(今回は小布施駅)に戻
れることである。
につれてその風景が劇的に変化するよう
②
+
③
+
サイクリングコース
新たな拠点候補
拠点
私道を積極的に取り入れ、沿道の果樹園
や畑などの風景が美しく、また移動する
+
マラソンコース
小布施駅
普段は歩くことのない赤線や未舗装の
①
①マラソン・サイクリングコース
+拠点・新たな拠点候補
に、ルートを決めていった。とくに美し
い栗林の風景はこの北西部の特徴であっ
て、その中を通り抜けるように全体の
ルートを決めていった。それに相応しい
小道が 1 本あるわけではないので、種
+
類の異なる小道をつなぎ合わせている。
里道ネットワークの整備とマップ
また、栗・りんご・ぶどう・野菜など
を、この散策ルートを歩く観光客や町民
に販売してもよく、その園や畑の中に直
まちづくりにおける里道
小布施町での道の研究も 4 年目となっ
調査結果のレイヤー分け
訪れる人が増え、農業と結びついたまち
北西部の調査結果を要素ごとに分けて
販所を設けることもできる。今回提案す
るルートには、栗林の中に建つ納屋を改
た。2007 年度までは小布施町の東部地
づくりを模索する動きが強まっている。
マップを作成する。そのマップを一つの
区、雁田を対象とし、赤線とも呼ばれる
北西部でも関連するイベントが開催され
レイヤーと捉えて、レイヤーを重ねると
里道の活用を提案してきた。研究所では、
ているが、そのほとんどが町道などの舗
北西地区の全体的な姿が現れると考える。
血管のように張り巡らされた用水路、石
この活動を里 道プロジェクトと命名し、
装された小道を使用するものである。
右頁の図①は、サイクリングやマラソ
垣・石碑・道標などの石造の構築物、あ
き込んでいる。
図①②③のほかにも、たとえば、毛細
まちあるきルートマップ」を作
研究所では 2008 年度から、林・北岡・
ンなどの、散策とは異なるイベントで使
ちらこちらの母屋・付属屋に痕跡を残す
成して、地区を楽しく回遊するルートも
押羽などの小布施町の北西部を中心に、
われるルートを示す。散策には、草花で
蚕室などのマップを作成して、地域の特
提案した。
さまざまな角度から里道の調査を進めて
おおわれた自然豊かな土の小道が好まれ
性を示すレイヤーとして重ねることもで
「雁田
近年は、町組の修景地区だけでなく、
静かで美しい農村風景の広がる北西部を
きた。それにより雁田地区と異なる北西部
るが、マラソンやサイクリングでは、同
の里道の特徴が次第に明らかになった。
じ里道でも、舗装された道が使われる。
併せて、ルートに沿って休憩所となる
神社や寺に加えて、新たに拠点の候補と
なる古屋(納屋や蚕室など)なども書き
込んだ。
2007年作成
りどう
上下諏訪神社
おぶせフラワーセ
ンター
果物直売店
りどう
②赤線(里道)+沿道の土地利用
浄照寺
郷原神社
欅原神社
北岡神社
きる。
果物直売店
西證寺
テニスコート
更新可能なマップづくり
休憩所
栗林の中の納屋
これまで観光用につくられてきたマッ
平松家蚕室
プは、必ずしも必要な情報が示されてお
図②は、赤線(里道)や未舗装の私道
らず、しかもそれが紙に印刷されて情報
などを示す。ほとんどが未舗装で、草花
の更新ができなかった。調査・研究の結
におおわれている。栗林やぶどう園の内
果をプロットし、それをレイヤーとして
部を通り抜ける、道とは識別できない赤
重ねることによって、使用目的に合った
線(里道)もある。沿道の果樹園や畑の
最新版の地図を提供することができる。
あり方が道の魅力に決定的な影響を及ぼ
小布施町のように地区で、季節ごとに
すので、沿道の土地利用、作物の種類な
イベントを開催するところでは、目的に
どを描き込んでいる。
合った地図を作成すべきであって、その
図③は、国道・県道・町道を示してい
赤線
私道 未舗装
リンゴ
ブドウ
モモ
クリ
カキ ナシ サクランボ
畑
休畑 空地
装した、直販所にもなり得る休憩所を書
要求に応えるのが、この方法である。
国・県・町道
小布施駅
町道
舗装済み
未舗装
赤線
私道
未舗装
マラソンコース
サイクリングコース
国・県・町道 アスファルト舗装済み
町道
③国道・県道・町道
未舗装
今回提案するコース
地域活動の拠点づくり
08
蚕室を再生する動き
小舞のスクリーンへ
蚕室を活動拠点に再生する動きも進んでい
あった!土壁を塗るときに下地にする
材が内側にくるように竹の格子を組む。
」である。栗ガ丘
「小舞(木舞とも書く)
そして横材の間に、2 本ずつ束ねた葦を、
小学校児童を対象とした「土壁ワーク
指 2 本分の間隔をあけながら細縄で編
内包しており、ライブハウスや趣味の教室に
ショップ」
(2006 年度開催)で、小舞編
み込む。
も利用できる。
みも体験している。
る。林地区に続き大島地区でも、蚕室から不
要のものを運び出し、内部の大掃除をして、
再利用できる状態にした。
清掃した 2 棟の蚕室は、ともに大空間を
大島地区の蚕室の場合、敷地の奥に位置し
て、アクセスするのに母屋の玄関前を通る必
蚕室の大掃除(大島地区)
要があるため、趣味やサークル活動の場のよ
うな、あくまでも家族生活の延長のような活
用を提案している。
稠密な縦横の格子が誕生した。
動線とは別の出入り口も備わっているので独
細く不揃いな葦を束ねて編む小舞は、繊
細で独特の風情がある。
奏会も開催している。もともと蚕室は室内環
今回は、小舞のままで留めて、その上
境を調整しやすく、一年を通じて快適に利用
できる仕組みになっている。
に土を塗らない。究極のポーラスな壁を
使用可能になった蚕室(大島地区)
蚕室でのジャズ演奏会(林地区)
大島地区の蚕室には、昔りんごの出荷に使
った木箱が400以上保管されていた。現在で
は珍しく貴重な木箱は、ワークショップのと
きに版築ベンチの型枠に使い、町立図書館で
開催される古本市の棚やケースに転用される
など、町の至るところで活躍している。「は
よんば」では、ベンチやテーブルとして、賑
わいのある場を演出する小道具に使う案も出
ている。
目指した。あるいは、
「壁」よりも小舞
の「スクリーン」と呼んだほうが正確か
統的な材料や技術を蘇らせることで、
どを栽培する、入念に手入れされた果
地域の特徴を最大限に生かした「ここ」
樹園が広がり、町の中心部にはない魅
にしかない交流の場をつくろう、とい
力的な田園風景に出あえる。どこかヨー
う提案である。
いろいろな付属屋を調査して、「小布
拠点づくりの材料と技術
葦
根曲り竹
北信地域で用いられる小舞の材料
もしれない。部分的に小舞の密度や編み
方を変えて、
「あな」の大きさ、外の風
景の見え方に変化を加えている。その疎
と密の割合や位置関係は、模型でも確認
した。
葦を使った小舞の場合、まず積雪地帯
に多い「根曲り竹」を用いて一尺間隔の
格子をつくる。このとき横材が外側、縦
北西部では、栗・ぶどう・りんごな
ロッパの田園風景にも似ている。研究
こむことによって、葦 2 本ずつによる
では竹があまり採れないので、昔から葦
を用いて小舞を編んできた。竹に比べて
地域活動の拠点づくり
ずつ束ねた葦を、今度は縦に細縄で編み
一般に竹を用いるところを、小布施地方
一方、林地区の蚕室は通りに面し、家族の
立性が高く、地域活動の拠点としての積極的
な活用が望まれる。すでに実験的にジャズ演
研究目的・方法
材料の地域特性を簡単に説明すると、
編み込んだ葦の上から、さらに 2 本
2本ずつの葦で編まれた小舞
ポーラスな建築
この納屋は、屋根はかかっているもの
面白いのは、たんぼや畑の中に建てら
の木造の軸組が残るだけで、屋根・壁・
れる納屋(農機具小屋・作業小屋)が必
床の大幅な補修が必要であった。
要最小限の建築だということだ。納める
今回も地元の左官の親方、持田篤雄氏
が材料の調達・加工・施工を指導してく
職人の知恵
所は、まず車が通らない、そして草花
施の原風景」とも言われる魅力的な栗
補修にあたっては、北信地域の材料と
べきものが納まり、必要な農作業ができ
におおわれて自然豊かである、そんな
林の中にぽつんと建っている古い納屋
技術を用いることと、自分たちの手で行
る最小限の広さと高さがあれば良いので
れた。専門の職人の知恵と技術がなけれ
里道が散策できる「里道ネットワーク」
(農機具小屋)を選び出し、所有者の同
うことを前提にした。この種の付属屋を
ある。
ば、小舞の建築は、これほど見事にでき
を、この田園風景の中につくり上げる
意を得て、拠点づくりのモデルとして
補修するにも専門業者に頼るようになっ
さらに言えば、農家の人々にとって大
ことを提案してきた。
整備することにした。
たのは、そう遠い昔のことではない。身
切なのは米や野菜や果樹のほうであっ
美しい田園風景が広がる反面、観光
の回りの材料を使って自分たちで補修す
て、そこに建つ納屋は、風の流れを妨げ
エッセンスの部分を、学生たちに実に平
スポットとなるほどの美術館も社寺も
る。再びそのような状況になれば、交流
ず周囲に大きな日陰を落とさない、でき
易に教えてくれたからだろう。その技術
ないのが、北西部の現状である。だが
の場が地域住民の手で維持されてゆくこ
るだけ「ポーラス(porous)な」建築で
が簡単に思えるのも、彼らがエッセンス
研究所は、観光施設を一つ、二つ建設
とになろう。そのときに、地域の中で生
あったほうが良い。
ポーラスとは、
「あな」
を、理屈抜きで分かりやすく教えてくれ
するよりも、田園風景そのものを楽し
きて、地域の一員でもある職人たちが、
がいっぱい開いた多孔質な状態を意味し
たからかもしれない。一つひとつの現場
む歩行者の流れを生み出し、そのネッ
重要な役割を果たすように思われる。
て、風も光も視線も、何もかもが通り抜
が、貴重な学習の場である。
今回は、研究所の学生が計画から施工
トワーク上に、訪れた者と地域住民が
交流できる常設/仮設のレストラン・カ
補修前の納屋の状態
フェ・市場のような小さな拠点をあち
までを担ったが、所有者とその仲間の地
域住民が担うようになれば、さらに理想
らこちらに整備することを提案したい。
的だ。必要な技術は単純素朴なもので、
田園地帯にあって周囲の作物にやさし
まず思いつくガラスは、今ではどの地
にしか使われていない土蔵・納屋・蚕
の材料費のみで補修し維持してゆける。
定しないが、
風が通り抜けない。
土に戻っ
室などの古い付属屋を再利用する形で
研究所としては、何度か実験的なワーク
てゆく、地球にやさしい材料で、地域住
進められる。公共施設の新設によって
ショップを繰り返して、そういう材料と
民が自分たちの手を動かして、真にポー
町の財政負担が増えるのを抑えるだけ
技術を探し当てたいと考えている。
ラスな建築を生み出せるものはないか。
納屋の周囲に広がる栗林と里道
疎密の変化があるポーラスな小舞壁
いのは、ポーラスな建築だ。
域でも身近な材料になっていることを否
ではなく、古屋を再生させ、併せて伝
が何度も失敗して獲得したに違いない
け可能なものだ。
地域住民が労力を提供すれば、ごく少額
しかも、この拠点整備は、物置程度
上がらなかったはずだ。おそらく、自ら
模型による壁(スクリーン)の開口のスタディ
小舞を編み終えた納屋
職人さんの指導を受けながら作業する学生たち
09
押 羽 は よ ん ば 再 生 計 画(2)
10
大きさの異なった赤白のパラソルをはよんばに配置し、人が集まる明るく生き生きした広場に
現在のはよんばの活用状況
舗装
ヨーロッパの古都を訪れると、広場や
「はよんば」を通り抜ける道路は、集落
街路の舗装の素晴らしさに驚く。舗装の
の内部までのびている。部分を決める場
デザインによってその外部空間の印象
合に全体のことも考えねばならない。凍
が、がらりと変わる。
って滑りやすくなる水たまりが発生しな
現在、小布施町全体で、つぎはぎだら
はよんば祭(2009 年 3 月撮影)
いことも、この町では重要である。
けのパッチワークのような街路・広場に
舗装は基本的に、
土色の透水性脱色アス
ならないように、ある程度、舗装を統一
ファルトとする。
その土色は、場所によって微
することが検討されている。ここでも、
妙に変化してもよいのではないだろうか。
広場の印象をがらりと変える土色のアスファルト舗装
パラソル
パラソルのデザインが実に多様になっ
ミニマラソン(2009 年 7 月撮影)
とも出来る。
ている。形・素材・色・仕組み・大きさ
その下に人が集まる点では樹木に似て
にかなり選択の幅がある。外部空間の設
いるが、パラソルは必要な場所に立て、
計に欠かせない装置だ。パラソルを並べ
必要でなくなれば折り畳んで収納でき
るだけで、ヨーロッパの石の広場や街路
る。
も、明るく生き生きした空間に変貌す
予算を立てて毎年買い足していけるの
る。デザインの選択によって、コンパク
も魅力だ。それには最初に基本デザイン
トに人やモノが集まる空間をつくること
を決めておきたい。
密集させたパラソルの下に人が集まり、賑わいの広場に
日常では使う人が各々好きなように並べて使う
野菜市、野外 BAR ではテーブルや椅子として使用
野外映画鑑賞会ではスクリーンを吊るす構造体にも
ボックスが光ると周囲に光が漏れ、夜も静かに賑わう
も、ルーズに伸び広がる空間をつくるこ
押 羽 は よ ん ば 再 生 計 画(2)
ボックス
まず一辺 50 センチのボックスを考え
〜賑わいのある広場へ〜
た。ちょうど一人が座れるほどの大きさ
であり、長く並べてベンチとして使うこ
「私的」VS「公的」
輪郭を固定しない空間装置
とも、二段に積んでテーブル本体やテー
ブルの支えに使うこともできる。
押羽地区の地域住民の活動拠点となっ
人総出の祭のようなイベントのときに
長い間、村人総出で続けてきた祭などを
ボックスの配置によって、「はよん
ている「はよんば」について、昨年度の
は、賑やかに「ハレ」の空間が演出され
実行するときの人々の組織づくりや空間演
ば」内部に、ある空間秩序を生み、人とモ
調査報告に続いて、今回は 3つの提案を
て、みんなで楽しんだに違いない。だ
出は見事で、伝統の重みを感じさせる。だ
ノの密度も自由に決めることができる。
したい。昨年度までの調査によって、こ
が、私的な、あるいは私的なものと公的
が、現在「はよんば」に求められているの
村のイベントのときには同じボックス
の場所が祭などの伝統行事のほかにも
なものが融合したような使い方は、不文
は、新しいタイプの文化イベントにも柔軟
を家々の庭先に並べ、もてなしのテーブ
様々な活動の拠点となっていることが明
律で認められてこなかったのではない
に対応して、人々の集まりの濃度が場の賑
ルやイスに使う。そうすれば、全員参加の
らかになった。「見えない秩序」がこの
か。だから、これほど村の、あるいは村
わいとなるような空間デザインであろう。
村の祭礼だという意識が高まるだろう。
場所を支配している。その一方で、イベ
として受け入れたイベントには頻繁に使
その催し物の空間の輪郭は固定せず、
小布施には、かつてのりんごの木箱を
ントのない普段の日は、車が走り抜け、
われても、イベントがないときには閑散
人・モノの密度と配置をデザインする。
大切に保管している農家がある。その数
しばしば駐車場にもなっているが、木陰
としているのであろう。
風の強いこの場では、砂ぼこりを抑え
が数百になる農家もある。あのりんごの
やパラソルの下に人々が集まって飲み、
私的なものと公的なものが融合した使
る「舗装」が欠かせない。加えて、場の
木箱を「ボックス」に使い、集落ごとに
食べ、談笑するといった光景に全く出あ
い方を提案するにも、時間をかけた、さ
全体形状を自由に変化させられる「パラ
決めた色を塗るのもアイデアであろう。
えない。
らに入念な計画と試行錯誤が求められる
ソル」と、りんごの木箱を再利用した
ように思われる。
「ボックス」を提案したい。
おそらく、「はよんば」は、昔から村
聞き取りによれば、かつての「はよん
ば」は、村の子供たちの遊び場で、賑や
椅子を置くことで街路が賑わいの広場に(パリ)
質感を持った石畳による広場の舗装(ポルト)
り、同じ場所に集まって同じ時を過ごす
ことがなくなってしまったのである。
かな声が響き渡っていたのだそうだ。大
しかし、最近になって、少なくとも村
人たちも、夕方になれば自然に集まって
のイベントには全員が参加し、そのイベ
夕涼みをしながら、話に熱中した。そう
ントも年々盛んになる傾向も見せている。
いう時代があったのである。
パラソルを並べることで出来る広場(北京)
りんごの木箱を使ったボックスの制作
結
パラソルやボックスは、もっと普段か
それが家の中でテレビを見る生活に変
ら人々が「はよんば」に集まって村の生
わり、村の外に仕事を得ることによって
活を楽しむようになるための、新しい秩
個々ばらばらのライフスタイルに変わ
序と場をつくる提案でもある。
小布施の各家に保管されているりんごの木箱を再
利用し、実際にボックス案の試作を制作した
11
12
参考文献:周翰韵・宮内雅未『生き続けるまち~銀座・日本橋の研究~』
(2009 年度卒業論文)
生きつづけるまち
銀座の現状
日本橋の現状
を調査して、住居のみ、住居と店の併用、
かつては店も営んだが現在は住居のみ、
というように用途によって 3 タイプに
分類した。店には、今でも座売り形式を
残して、そこで職人の手仕事が行われて
いる例もある。
また、木造のほとんどは切妻屋根で、
銀座四丁目交差点
日本橋中央通り
妻入、平入、妻入と平入を組み合わせた
タイプがある。組み合わせたタイプは、
住居のみに使われる木造住宅(左)
閉店して今は住居のみに使われる木造住宅(右)
街角に多く現れる。
さらに、3 タイプのいずれにも、前面
に看板のような壁を巡らせた、いわゆる
看板建築化したものが見られた。
今日も生き生きとした生活が繰り広げ
られている低層木造住宅には、ヒューマ
銀座の路地
日本橋の路地
ンスケールをもった落ち着いた路地に面
しているものが多い。低層木造住宅とい
住居・店併用の木造住宅
う、小さくて「弱い」建築は、交通量の
激しい表通りの喧騒から、路地の空気の
かたまりに守られることによって生きつ
づける。住宅は、さらに、地面や植木鉢
生きつづけるまち
~ 銀 座・日 本 橋 の 奥 ~
み食料品も生活雑貨も大型スーパーでま
とめて購入し、家を出てから帰るまで外
て路地から守られる。小さな植物たちが
東銀座にある肉屋(左)、花屋
(右)
人形町商店街にある鶏肉屋
(左)
、路地
(右)
人々の暮らしの現状を、「銀座・日本橋」
を対象に調査する。
方法としては、まず交流の場となり地
外部との緩衝帯になるのである。
一般的に、住宅・店の内部から路地に
向かって、生活用具(自転車、傘立て、
小売店
研究目的・方法
現在の都心では、高層マンションに住
に植えられた樹木・草花・竹などによっ
如雨露、バケツなど)や商品の「溢れ出
には、たくさんの客で賑わう八百屋や、
し現象」が見られるが、それらが路地空
対象とする。地域住民以外の、オフィス
高齢のおばあちゃんが営む昔ながらの玩
間の活気を生む要因にもなっている。無
ワーカーや通行人が主たる客層となる洋
具屋、6 代続く老舗の銭湯などもある。人
秩序に置かれるのではなく、それなりに
品店や薬局などは除外している。
地域住民を主たる客層とする小売店を
での会話がないという生活を送る人々が
域生活との結びつきが強い小売店、そし
形町・蛎殻町にはほかの調査対象地区に
整頓され、粋な雰囲気を醸し出している
大半だが、昔はそうではなかった。その
て生活空間の現状を捉えるために、古く
銀座・日本橋全域を調査した結果、こ
比べて、肉屋や米屋など、地域住民の生活
例もある。それが日本橋界隈らしさとも
日の献立によって肉屋・魚屋・八百屋・
からある路地とそれに沿う低層木造住宅
の種の小売店が最も集中するのは日本橋
に密着した食料品店が多く、これらを必
言えるだろう。
酒屋などに買い物に行き、そこであう店
を調査する。
の人形町と蛎殻町であった。この 2 地区
要とする生活者の存在を物語っている。
主や隣人との会話を楽しんだ。まちのあ
まとめて大型化するのではなく、生き
ちらこちらに、出あい・会話の場所と機
生きとした生活の場としての小さな住
会があった。
宅・店・仕事場が分散し混在する状態を
古き良き生活。
それは、もう都心に残っ
ていないのか。日々、変化する都心での
まちづくりと生活者
維持する。そんなまちづくりを考えるた
めの調査である。
人形町駅
人形町二丁目
丁
横
酒
甘
人形町二丁目
銀座・日本橋の現状
銀座エリアには、高級ブランドショッ
を離れるにつれて、庶民的な生活空間に
プや夜のネオン街など、庶民の生活とは
なってゆく。買い物客と店主が生き生き
縁遠いイメージがあるが、賑やかな中央
と会話し、路地を子供たちが元気に走り
通りを離れて 1 本、2 本と奥に入ると、
まわるなど、昔懐かしい光景にも出あえ
低層の木造住宅が並ぶ路地空間がある。
る。銀座と比較して、奥の深い日本橋エ
たとえば、銀座の端、木挽町などである。
リアのほうが、この「昔懐かしい光景」
一方、日本橋エリアも、中央通り沿い
には高層オフィスと高級な老舗店舗が並
ぶ。だが、銀座エリアと同様に中央通り
を残すまちの広がりが大きい。
人形町にある看板建築
人
形
町
通
り
人形町二丁目にある八百屋
激しく変化して建築が巨大化している
この危機と背中合わせの銀座・日本橋エリ
銀座・日本橋エリアも奥に入ると、庶民
アだからこそ、庶民の生き生きとした日常
的でヒューマンスケールの「まち」が、
生活がいかに大切であるかがよく分かる。
なお生きつづけている。そこに生活しつ
銀座・日本橋のような都心部でも、生
づける人々、働きつづける人々が主体と
活しつづけ、働きつづける人々がいるこ
なって、これらのまちを維持している。
とで、まちは維持され、更新されてゆく。
今、人形町商店街でも室町小路でもま
低層木造住宅
ー八百屋
ー肉屋
ーパン屋
ー豆腐屋
ー菓子屋
ー酒屋
ー花屋
ーお茶 屋
ー米屋
ー海苔屋
現存する小売店(人形町二丁目)
ー靴屋
ー電機屋
ーおもちゃ屋
ー魚屋
ー漬物屋
ちづくりが進んでいる。この動きを支
え、広げる力となっているのも、そこで
地域住民と強く結びついた小売店の分
生活する住民たちなのである。ブランド
布を見ながら、
生活者が多く住む人形町・
ショップ、オフィス、高層マンションな
蛎殻町を対象に選んで、そこに古くから
どがますます増えつつある東京のこの一
ある低層木造住宅(店を含む)の現存状
画でまちづくりを進めようとしても、
「庶
況を調査した。
民の日常生活」が消滅すれば、継続して
現在、居住者のいる木造住宅 253 戸
運動の主体となる者が存在しなくなる。
室町小路(左)、人形町商店街(右)
13
14
参考文献:草間奏介『浦辺鎮太郎による風土の展開~素材と仕上げについて~』
(2009 年度卒業論文)
地域の素材と技術
浦辺鎮太郎
1909
1924
1934
1957
1961
1962
1963
1964
倉敷に生まれる
大原総一郎に出あう
京都帝国大学建築学科卒業、倉敷絹織に入社
倉敷考古館増築:①
大原美術館分館:②
倉敷建築研究所を大原総一郎と開設
倉敷国際ホテル:③
倉敷レイヨン(前・倉敷絹織)を退社
独立して倉敷建築事務所を開設
1965
倉敷ユースホステル:④
1969
倉敷公民館:⑤
1972
倉敷市民会館:⑥
1973-81 倉敷中央病院増改築:⑦
1974
倉敷アイビースクエア:⑧
1980
倉敷市庁舎
地域の素材と技術の展開
石の埋め込み
浦辺は、大原美術館分館の外壁を倉敷
コンクリートブロックを貼っている。こ
の美観地区を守る城壁にしたいと述べ、
のように浦辺は、工業的な素材を用いつ
外壁の腰に、岡山県西部を流れている高
つ、そこに地元産の石や砕石を埋め込む
梁川の玉石を埋め込んだプレキャスト
ことで地域との結びつきをもたせ、伝統
コンクリートを貼っている。また、彼は
的な倉敷の町並みに調和する表情を与え
倉敷国際ホテルの腰や玄関の壁面、屋
ている。
上の塔の最上部は、砕石を埋め込んだ
玉石を埋め込んだ壁面
砕石を埋め込んだ壁面
錆石の乱貼り(床)
格子状の万成石(床)
倉敷の蔵の貼り瓦
打ち放しの庇と貼り瓦
旧材の瓦と石の舗装
水路や池の縁石
ペンキをはがした壁面
粗く削った壁面
石の床仕上げ
地域の素材と技術
〜倉敷と浦辺鎮太郎〜
浦辺鎮太郎(1909 〜 1991)は倉敷と
関ロビーや倉敷市民会館のロビーの床仕
石がその最たるものであろう」と述べ
上げでは、錆石と同じく赤褐色の石を乱
て、自らの建築に石を多用している。大
貼りし、岡山県万成周辺で採れる「万成
原美術館分館の玄関ポーチの床仕上げに
石」を整然と格子状に貼っている。浦辺
は岡山県の北木島で採れる「錆石」を
は足の触れる床を第一のデザイン要素と
乱貼りしている。また、倉敷公民館の玄
して、そこに地元産の石を貼った。
瓦の表現
倉敷における浦辺の作品
倉敷の町家や蔵での独特な瓦の使い方
これは白い外壁を保護するという水切り
に、雨などから白壁を守るための外壁の
瓦に近い機能を期待するものである。彼
「貼り瓦」や窓の下につけられた「水切
はこのように、在来の瓦の形態と機能を
づくりの構想を立てて建築を設計して
り瓦」がある。浦辺は倉敷国際ホテルな
新しいコンクリートという素材に置き換
いった。
どの多くの作品に、貼り瓦とコンクリー
え、町家や蔵との調和を図っている。
研究目的・方法
いう伝統的な町並みを色濃く残す町の中
浦辺は「素材に地域性を求めるとき、
に多くの建築作品を設計し、また、伝統
その上で、浦辺は自身の設計する建築
的な建築の改修や保存、再生を多く行っ
の随所に、地域の素材・技術である石・瓦
てきた建築家である。
を多様な手法で用いて、地域との結びつ
浦辺は、倉敷の実業家であり同級生で
きを維持しつつ新しい建築をつくり出し
もある大原総一郎とともに、倉敷を地方
た。地域の素材と技術を展開させた浦辺
のモデル都市にすることを目指し、まち
の多様で豊かな建築の世界を見てゆく。
ト打ち放しの庇を併せて用いているが、
場所の痕跡と素材の再利用
倉敷アイビースクエアの休憩広場で
路や池の縁石に再利用している。形がば
は、倉敷紡績工場を解体する際に生じた
らばらな石材は、職人の力を借りて、新
基礎石を再利用し、紡績工場の柱の位置
築された東口のレンガアーチの足元に積
に配して、その痕跡を示している。そ
んでいる。こうして浦辺は、使われなく
の周囲には、もともと屋根材として使わ
なった素材を徹底的に再利用して、紡績
ースクエアは、 1889 年に建てられた倉
れていた瓦を埋めて舗装材に利用してい
工場時代の痕跡を残しつつ、建築を再生
敷紡績工場をホテルに改修したものであ
る。また、使われなくなった石材を、棒
させている。
浦辺の初期の代表作として大原美術館
る。この建築は、美観地区に集中する観
状に埋めて休憩広場の舗装としたり、水
分館がある。美観地区の境目に建つ同館
光客の足を延ばさせる役割をもつ。この
はその正面に広場をもつ。路地によって
建築で浦辺は、もともと屋根がかかって
つながれた倉敷美観地区にとっては貴重
いた部分を解体して広場に変えた。ここ
な広々とした空間で、隣地の木々が茂る
も大原美術館分館の広場と同じく、宿泊
大原美術館分館(1961)
まちづくりと浦辺の建築
浦辺鎮太郎はまちづくりの構想を持ち
つつ倉敷に多くの作品を残した。
倉敷国際ホテル(1963)
レンガの再生
倉敷アイビースクエアでは、倉敷紡績
え、新しい空間を生んでいる。新築した
大原美術館の新渓園と併せて、観光客な
客だけではなく、まちを回遊する観光
工場のレンガ造の壁面を残す際に、そ
壁や床仕上げにはレンガタイルを貼って
どが足を休める場所になっている。周囲
客も、しばし足を休める場所になってい
こに塗ってあった白色ペンキをはがした
いるが、職人 4 人で 1 ヶ月を要して古い
の町並みへの配慮から分館の高さが抑え
る。漆喰の白壁、黒い屋根瓦や貼り瓦、
り、工場時代の油汚れが染みついて傷ん
レンガに近い風合いを出すと共に、粗い
られることによって、より広々とした印
木造の町家などがつづく倉敷の町並みの
でいたレンガの表面を粗く削ったりする
目地をつくり出して、古いレンガとの調
象を生み出している。
中で、レンガの壁と生い茂るアイビーが
ことによって、レンガに新しい質感を与
和を図っている。
また、浦辺の後期の代表作として倉敷
アイビースクエアがある。倉敷アイビ
モダンで、どこかヨーロッパ的でもあっ
て異彩を放つ。
倉敷アイビースクエア(1974)
15
たたき
16
たたきの工程
硬化する原理
5.
繰り返し
2〜4の工程を繰り
1.
下地づくり
砂利や砕石を敷いて
返して、たたきの層を
重ねて厚くしてゆく。
下地をつくり、土の食
い込みをよくする。
たたきが硬化するのは、消石灰が空気
中の二酸化炭素や土中の水分と反応し
ワットの修復工事に利用されるなど、再
評価されている。
て、炭酸カルシウムや水和物を形成し、
土の粒子を強固に結びつけて固定するか
らである。こうした反応はゆっくりと進
むため、時間の経過とともに次第に強度
が上がってゆく。
炭酸カルシウム
土粒子
さらに長い時間が経過すると、消石灰
2.
土をまく
6.
ならす
消石灰とにがりを混
土が締め固まってく
ぜた土を入れて、広げ
る。たたく力を下まで
ると、土中の水分が浮
いて光沢が出てくる。
層を重ね、ある程度の
伝えるため、一層の土
厚みになると、たたき
ながら表面を平らにな
らす作業を入れる。
の厚さは5センチ程度
を目安とする。
は石灰石へと変化し、たたきはもとの土
に戻ってゆく。近年では、こうした環境
負荷の少なさが注目されて、アンコール
たたきの材料
たたきの材料は、土に消石灰とにがり
を加え、さらに水を混ぜてつくられる。
たたき
7.
仕上げ
3.
たたく
道具(たたき板、た
こなど)を使って土面
をたたく。むらが出な
いように全体を均等に
たたく。
最後に、全体の表面
を整え、際も入念にた
たく。そして、水を含
ませた刷毛やスポンジ
で表面を拭き取り、滑
らかに仕上げる。
研究目的・方法
いて修復できたことから、コンクリートが
統技術を研究して、毎年、その成果を栗ガ
普及するまで、日本の民家の土間や基礎づ
丘小学校の児童を対象とする「次世代ワー
くりに一般的に使われてきた。
本年度は、地面を仕上げる伝統技術の
を上げる。
にがりは、主成分である塩化マグネシ
土の性質は、粘土質と砂質に大きく二分
ウムに水を吸う性質があって、土の保湿
されるが、粘土だけでは乾燥するとひび
のために混ぜる。たたきが水分を失って
割れ、砂だけでは固まらない。たたきに
脆くなり、ひび割れることを防ぐ。「次
は、両者が適度に混ざった「まさ土」が
世代ワークショップ」では塩化カルシウ
適している。
ム、子供たちの作業用には食塩を使って
消石灰は、水や二酸化炭素と反応して
いる。
土の粒子同士を結びつけて硬化し、強度
研究所では、継続して景観を形成する伝
クショップ」に活かそうと努めてきた。
水和物
たたきの構造
本研究は、たたきの原理・材料・道具を
明らかにし、同時にこの伝統技術の現代社
8.
完成
4.
際をたたく
たたき板でたたくの
が困難な縁の部分は、
木槌や角材で隅々まで
たたく。
+
+
一つ、
「たたき」に着目した。たたきとは、
会における再生方法を探ろうとするもので
土に消石灰、にがりを混ぜて水を加え、た
ある。職人や研究者からの聞き取り調査を
土(まさ土)
消石灰
にがり
たいて締め固めたものである。材料の入手
進め、実際に現場を訪れて「たたき」を体
粘土質と砂質の土を混合した
土の粒子を互いに結びつけ
土中の水分を保ち、消石灰の
が容易で、体力を使うが技術的にもむずか
験して、再生方法を考えた。その再生方法
もの。
て、たたきを硬化させ、いわ
反応をサポートする。
しくはない。壊れても再び土を入れ、たた
を「次世代ワークショップ」で試みている。
たたきの技術と版築
ば接着剤の役割を果たす。
道具と根気のいる作業
たたきには「たたき板」
「木槌」
「たこ」
たたきは、身近なところでは民家の土間
結
数の人々の参加を前提としていたことを
かつて民家の土間や基礎などに一般的
の仕上げ技術として一般的に使われてきた
といった道具が使われる。これらを用い
が、頑丈な基礎を築く技術として、寺や城
て土をたたき締めながら、地面を平滑に
のコンクリートに取って代わられ、この
ならしてゆく。作業を早めようと一度に
数十年間、使われなくなっていたが、近
大量の土を入れると力が下まで十分に伝
年、土に戻る、地球にやさしい材料・技
わらず、強度が下がる。何層かに分け、
術として再評価されている。実際に体験
しかも隅々までたたいて、むらのないよ
してみると、コツの習得と根気が求めら
などの大規模建築の工事にも使われた。た
たき技術の応用として、土を型枠に入れ、
たたき固めて、垂直方向に積層させたもの
を「版築」という。
「塗る」ことによって面を仕上げる工法
とは異なり、
「たたく」あるいは「突き固
める」ことによって面を立ち上げる。その
工法と得られた質感に、現代の打ち放しコ
ンクリートに通じるものがある。版築は、
建築の基礎のほかに土塀・土塁などにも使
われている。
土を入れ(左)
、たたくと締め固まり、中
の水分が浮いて表面に光沢が出る(右)
土1の層
土2の層
土1の層
土2の層
2 種類の土の版築、土の層の重なりが
色の違いで視覚化される
うに努める。力と根気のいる仕事である。
窺わせる。
に使われていた「たたき」は、工業材料
れるが、技術そのものは素朴で誰にでも
たたき板
全体を「たたき板」でならしながら、
可能である。土が固まって姿を変える過
際の部分などは「木槌」を用いて丁寧に
程、自らの手、みんなの手で場がつくり
仕上げる。この 2 つは一人でも使えるが、
出される過程が実感できる貴重な伝統技
術である。
「たこ」は 2 ないし 3 個の取っ手がつい
ており数人で扱う。これは、もともと、
たたき自体が共同作業の性格をもち、複
木槌
たこ
実際に民家の土間でたこを使って、たたきを体
験実習する(2009 年 10 月撮影)
17
WORKSHOP2009
18
第5回
東京理科大学・小布施町まちづくり研究所&栗ガ丘小学校ワークショップ
「たたこう!たたき」
たたきブロックの制作方法
消石灰
土
たたきブロックと版築ベンチ
食塩
水
子供たちが体験を通してまちの景観・生活空間がどのように構成されているかを学ぶ「次世代ワークショップ」も、今年で5回目です。今
回は、かつて農家の土間などに使われていた「たたき(叩き、敲き、あるいは三和土)」の体験です。一つは、たたきの要領で土のブロック
をつくり、それを並べて舗装すること。小布施町には、栗の木のブロックを使った、歴史風土を感じさせるユニークな舗装材があります。第
①土・消石灰・食塩・水
2の小布施らしい舗装材を開発しようと考えて、今回の土のブロックは、あの栗の木のブロックに近い形状にしています。もう一つは、たた
を混ぜて、
混合土をつく
きという同じ技術で、版築ベンチをつくること。あいだに、職人さんの指導と実演をまじえながら、研究所の大学生、担任の先生、ボランテ
ィアの町民などといっしょに、栗ガ丘小学校3年生がたたきにチャレンジします。
1.土の塊をたたいて砕く
5.パックをテープで補強する
2.土をふるいにかける
3.木枠をつくる
4.牛乳パックの型枠をつくる
8.職人さんによるたたきの実演を見る
6.木枠にパックの型枠をはめる
7.土・消石灰・食塩・水の混合
②混合土を牛乳パックに
③突き棒で何度もた
一層分
(2〜3㎝)
入れる。 たく。
る。硬さは、
手で握ってや
っと固まる程度とする。
④作業②③を繰り返
⑤たたきの作業が完了
⑥牛乳パックを開き、
ブ
し、
ブロックの高さが7
して、
養生。
ロックを取り出す。
⑦たたきブロック完成。
㎝になるまで続ける。
12.牛乳パックの型枠をはずす
13.たたきブロックの完成
14.ブロックを藤棚の下へ運ぶ
15.たたきブロックを敷きつめる
16.版築ベンチとたたきブロック
10.混合土を入れて棒でたたく
9.版築ベンチと土間をたたく
11.木枠をはずす
17.藤棚下の休憩場所の完成
18.藤棚の隣で記念撮影
スケジュール
8/22 ~ 8/23
8/24
下準備
たたきの授業
版築ベンチの制作方法
型枠づくり
混合
たたきの実演
版築ベンチに挑戦
たたきブロックの制作
敷きつめる
完成
写真4-6
写真7
写真8
写真9
写真10-13
写真14-16
写真17-18
準備の中で最も大変だった
たたきが、かつて土間
まず、切り開いてある牛
土・消石灰・食塩・水を
職人の澤田さんが
型枠に少しずつ
たたきブロックも
体育館でつくった
藤棚の下の
のは土づくり。たたきはサラ
などに使われたことやそ
乳パックの底から 7 センチ
混ぜます。この時の水加減
土間をたたくのを、
土を入れては木の
高さが 7 センチになれ
「たたきブロック」を
休憩場所が完
サラとした均質な土を使わな
の特徴について、大学生
のところに線を引きます。
が重要で、多くても少なく
みんなで見学しまし
棒でたたく作業を
ば、木枠をはずし、牛
藤棚の下に運び、「版
成しました。
ければ、うまく固まりませ
が説明しました。
次にガムテープを貼って組
ても土はうまく固まりませ
た。その後、実際に
繰り返します。夢
乳パックの型枠を切り
築ベンチ」の周りに敷
最後に全員で
ん。学生たちは土塊を砕き、
み立て、木枠の中にはめ込
ん。指導する大学生の勘が
土間と版築ベンチの
中でたたき続け、
開いて取り出します。
きつめます。色の違う
記念撮影で
ふるいにかける作業を何度も
みます。ガムテープをきれ
頼りです。小学生たちが勢
たたきに挑戦して、
土の層が増えて版
土のブロックの角が崩
4 種類の土を使ったの
す。
繰り返しました。また、小学
いに貼るのは、手の小さい
いよく混ぜては、大学生
職人さんに負けない
築ベンチが次第に
れないように、慎重に
で、色の変化に富む舗
生が使う木枠も、一つ一つ手
小学生にはむずかしく、み
が手で触って確認する作業
くらい力一杯たたき
でき上がります。
型枠をはずします。
装になりました。
んなで助け合いました。
を、何度も繰り返します。
ました。
写真1-3
作業で組み立てました。
授業の様子
①地面をならして砂
利・砕石を敷き、下地
をつくる。
②土・消石灰・塩化カルシ ③混合土を入れては何度も
ウムにセメントを混ぜ、水 たたく作業を繰り返す。
を加える。
④慎重に型枠をはずす。 ⑤水を含んだスポンジ
で表面をなめらかに仕
上げる。
⑥完成。混ぜた土の違い
で側面が縞模様になっ
ている。
協力:澤田商会
EXHIBITION + SYMPOSIUM
20
里道ネットワークの整備とマップ
EXHIBITION + SYMPOSIUM
2009 年 11 月 14 日
栗林の中の気持ちの良い休憩所
北西部で最大の栗林ゾーン
りんご園に囲まれた道を
田植えの時期で、田圃
に水がはられている。
水路が流れる
稲が育ち始めている。 収穫期。見える色が
道を緑が覆い始めた。 秋の装いに変化した。
とても立派な蚕産建築
■道にある小さな発見
平松家蚕室
道には水路や石碑など様々な発見がある。
研究活動報告
14:00 〜 14:15
ワークショップの報告
14:30 〜 16:30
シンポジウム
っています。昨年は、収穫期の忙しい時間を割いて準備を重ね、住民
ご自身に発表していただきましたが、今年は、少し負担を軽減して、事
前に打ち合わせをして研究所の学生が発表します。
2009 年 11 月 2 日~ 11 月 21 日
4月
■
研究所は、
いわゆる
「ハコモノ」
と呼ばれる施設を建てるのではなく、
10:30 ~ 17:00
地域の中に毛細血管のように張り巡らされた里道を再生して人・モノ・
□進行役
川向正人
□ゲスト・コメンテーター
市村良三(小布施町長)
佐々木睦朗(構造デザイナー・法政大学教授)
赤星健太郎(国土交通省 関東地方整備局
建政部 都市整備課長)
澤芳昭(東京理科大学常務理事)
■
5月
6月
7月
■
春季薬師堂例祭
まちでもむらでも、里道のネットワークをつくってゆく。
「はよんば」
もそ
9月
小布施大元神社御柱祭
10 月
11 月
12 月
1月
2月
はよんば祭り
■
上下諏訪神社春祭り
■
■
北岡神社秋祭り
小布施大元神社春の例大祭
■
小布施大元神社新嘗祭
■
弘法堂栗祭り
■
郷原神社春祭り
■
小布施大元神社大祓祭
■
郷原神社御柱祭
■
上下諏訪神社新嘗祭・大祓祭
■
獅子舞
■
北岡神社新嘗祭・大祓祭
■
郷原神社新嘗祭・大祓祭
淨照寺の庭園の牡丹が見どころ
桃の収穫
りんごの収穫
ぶどうの収穫
栗が実る
テムにする予定です。
栗の収穫
稲の花が咲く
稲が実る
稲の刈り入れ
地域活動の拠点づくり
(発表者:佐々真康)
これまで、里道沿いに地域活動の拠点となる場を創設すること
の一部です。今年からスタートする町の背骨、
国道403号線の整備計
を提案してきましたが、所有者の賛同を得て、ついに一つ、実現
画も、
このネットワークと切り離しては議論できません。
ネットワークの節
です。場所は北西部、
「小布施の原風景」と言われる栗林の中の
々で地域活動の拠点をつくる動きも、
具体化し始めました。
□発表内容(発表順)
里道沿いです。1 軒の古い納屋(農機具小屋)を改装します。
「改
ゲスト
・コメンテーターにも、
その道の専門家を迎えて、
アイデアがい
・国道 403 号線の歩道と沿道空間
・中町エリア回遊路計画
・里道ネットワークの整備とマップ
・地域活動の拠点づくり
・蚕室の活用
・はよんば再生計画
作成したルート・マップは、基礎データをパソコンに入れておいて、季節・目的に合
わせて内容を変えることができ、また増える活動拠点などを随時描き込めるようなシス
りんご・桃・ぶどうが実る
りんご・桃の花が咲く
栗の花が咲く
ほかの道につなぎ、季節や目的によってルートが選べるように条件を設定しながら、何
通りかのルートを策定する予定です。
郷原神社秋祭り
■ 秋季薬師堂例祭
■ 小布施大元神社秋の例大祭
ぶどうの花が咲く
3月
上下諏訪神社秋祭り
■
情報の流れを促進しようと訴えてきました。建物ではなく道に注目する
という、
発想の転換です。
8月
■ 神輿で村中をめぐる
■ 上下諏訪神社御柱祭
■
の中を抜ける、車のこない未舗装の里道を選んでいます。今後は、途切れている赤線を
軒先の干し柿
北岡神社春祭り
■
■
農作物
東京理科大学・小布施町まちづくり研究所内
街を流れる水路
を提案することにしました。散歩コースを歩けば、沿道の農作物によって全く違う風景
う観光客もいるようなコースです。所有者の了解を得て、できるだけ種類の違う園・畑
小さな石碑
赤線にある石碑
ました。研究所では、北西部の里道の魅力を知ってもらうために、お勧めの散歩コース
が展開します。栗やりんごの下を歩いて「なにか、ヨーロッパみたいね」とうなずき合
昔、蚕を育てていた、
て、
それに住民が意見を述べるという、
まさに「住民主体」の形式をと
13:00 〜 14:00
北斎ホール(勤労青少年ホーム)
□展示
納屋を改装した新たな拠点
も印象が異なり、様々な楽しみ方がある。
イベント・祭り
□場所
季節が変われば道空間も変化する。そのため、同じ道を何度歩いて
テニスコート
整備から」です。
シンポジウムでは、住民自ら実践する内容を発表し
□日時
小布施での「道の研究」も 4 年目。赤線とも呼ばれる里道の活用について提案してき
■道からの風景
「生き生きしたまちへ~道空間と拠点の整備から」
(発表者:湯本紗代子)
装費がない」という前提です。しかし所有者にも地域の人々にも
っぱいの刺激的な議論が展開します。
愛される、その場所にフィットした、美しい建築をつくるという
当初からの目標があります。デザイン、材料の調達から加工・組
み立ての全工程を自分たちで進めます。
木造軸組だけの建築でしたから、それに「小舞のスクリーン」
毎年、
この研究活動報告からシンポジウムまで、町からは町長、大
学理事会からは常務理事の先生が出席して、
貴重なご意見をいただ
を付けるだけの、究極のポーラスな建築を考えました。10 月の
ありがとうございます。
いています。
2 日間、学生 20 人が参加して賑やかに作業しました。
さて、今年の統一テーマは「生き生きしたまちへ〜道空間と拠点の
蚕室の活用
シンポジウムの様子
(発表者:勝亦達夫
前田久徳)
小学生によるワークショップの報告
研究所ではよく「まちづくりは引き算だ」と言っています。新
国道 403 号線の歩道と沿道空間
しいものを建設すると費用がかかる。まずは自分たちで片付けと
(発表者:中野千尋)
掃除です。
今年は大島地区の蚕室で、所有者の賛同を得て、内部の片付け
すでに直接関係する自治会ごとに国道 403 号線のあるべき姿について
と大掃除です。これだけで素敵な出あいの場所になっています。
議論が始まっています。研究所も、歩きにくい歩道を車道や隣接する民有
一方、昨年この片付けと大掃除をした林地区の蚕室では、実験
地と同一レベルにそろえて一体的に舗装する案など、検討すべき選択肢を
的にジャズ演奏会を開催しました。電気屋さんの厚意でライト
具体的に提示しています。少なくとも、国道を拡幅すれば通過車両がます
アップも実現。テーブル・イス・ストーブを入れて、地域の人々
ます増え、町並みは一変して、現在の町組にある「小布施らしさ」が完全
を招待しました。
に消滅するだろうという危機感を、町民が共有するに至っています。この
周囲は静かな栗林です。木質の空間にジャズの音が響きます。
国道を、里道やオープンガーデンと結び付けて奥行きのある豊かな生活道
内部に入ったことのなかった地域の人々も、この蚕室が生む空間
に戻すための留意点を、視覚的に描いて示します。
中町エリア回遊路計画
はよんば再生計画
(発表者:杉山拓真)
国道403号線の議論が進行中ですが、北斎館エリアの北に隣接する中町
おぶせミュージアムへ
桜井甘精堂
エリアは、たとえば国道沿いに修景事業を広げようとすれば最初の対象地
松葉屋本店
中町
区になります。これまでも研究所は、「栗の小径」から大日通りを渡って
引き続き裏の小道を歩いて松葉屋本店の裏まで来る観光客が、そのまま松
やましち
栗の木テラス
現代中国美術館
ヤマサ
小布施堂
駐車場
葉屋内部を通り抜けられるようにする方策を、松葉屋さんと検討してき
ました(左図の提案ルート)。松葉屋の裏の塀を一部撤去して、内部のオープ
櫻井甘精堂
駐車場
ンガーデンを楽しみながら北の観音通りに出る動線をつくるのです。そこ
に、国道が歩いて楽しい道となれば、国道からやましち山野草店・桜井甘
中町南
大日通り
オープンガーデン
N
提案
北斎館へ
と音楽の魅力を十分に堪能したようです。
精堂のオープンガーデンに入って、この松葉屋の通り抜け動線につながる
という、実に面白い迷路のような回遊路が街区内部に生まれます。
(発表者:壁谷健一)
これまでの調査に基づいて「はよんば」再生を具体的に提案します。ヨーロッパでは、
街路や広場にパラソルを立ててテーブル・イスを並べるだけで、魅力的な賑わいのある
空間を生み出しています。ここでも、新たに施設を建てるのではなく、小道具を使った
再生計画を考えています。すでに地区の人々は、この活用法を実践しているようにも思
われます。今後もみなさんと話し合って、舗装・パラソル・ボックス(テーブルとイス)
の色・形・組み立て方法などを決めたいと考えています。
蚕室にあったりんごの木箱のような身近な材料を使い、自分たちで制作できること、
使いやすく収納しやすいこと、また、徐々に増やしても統一感を失わないことなど、デ
ザインの基本方針を確認し合うことの大切さが分かってきました。
About Machizukuri Institute
22
About Professor Kawamukai
Sums of Small Activities: Creating Maps
Annual reports of 2005, 2006, 2007 and 2008 can be downloaded at our HP.
Biography
23
Major Publications
1974
Graduate Tokyo University
・ Miraculous Machizukuri of Obuse Town, Tokyo,
Shinchosha Publishing Co.,Ltd, 2010.
1977-79
Technical University of Vienna and
University of Vienna, With a fellowship
from the Austrian government
1981-88
Assistant, Meiji University
1988-93
Associate Professor, Tohoku Institute
of Technology
1993-2002
Associate Professor, Science University of Tokyo (TUS)
2002-
Professor, TUS
・ Critical Studies on the 20th-century Modernism
. Tokyo:
–Beyond Destruction of the“World”and“Self”
Nikkan-Kensetsu-Tsushin Shinbunsha, 1998.
2005-
Director of Machizukuri Institute of
TUS & Obuse Town
・City and Architecture of Vienna, Tracing the Circuits
of Styles. Tokyo: Maruzen Co., Ltd., 1990.
・ The Trace of Contemporary Architecture –The Meth-
od and Idea Connecting City and Architecture. Tokyo:
Kajima Institute Publishing Co., Ltd., 2005.
・ Contemporary Architecture on the“Interface”–Towards the Depth of“Topos (Place) and“Body”
. Tokyo:
Shokokusha Publishing Co., Ltd., 1998.
・ Adolf Loos―
“fin de siácle”Games of Architectural
Languages.
1987.
Tokyo: Sumai Library Publishing Co.,
・ C.Norberg–Schulz.
The Concept of Dwelling.
Masato Kawamukai trans. Tokyo: Kajima Institute
Publishing Co., Ltd., 1988.
・ Vittorio M. Lampugnani. Architektur und Staedtebau
des 20. Jahrhunderts.Masato Kawamukai trans. Tokyo:
Kajima Institute Publishing Co., Ltd., 1985.
・ David Smith.
Amenity and Town Planning. Masato Kawamukai trans. Tokyo: Kajima Institute
Publishing Co., Ltd., 1977.
About Our Institute
mukai, the director of the Machizukuri
The main stream of our research activ-
This method is related to an essential
Institute of TUS and Obuse, served as
ity has been Structuring of Satomichi
part of Machizukuri and Landscaping:
the leader of the seminar held in Obuse.
(country road) Network and its Base
all the townspeople can participate and
Numerous issues related to regional
for the past few years, but with the ad-
not just put all their money into one fo-
and town revitalization had been clari-
dition of the research on Service Plan of
cal point. It is fine with mini scale ac-
fied during the three days and the most
the National Road 403, our perception
tivities, but it is desired that they spread
concerning problem was that the people
of street space has started to change.
in mass around the whole town. Some-
actually working in the field believed in
Street research, sidewalk conditions in
thing that is comforting and enjoyable
the effectiveness of subsidy and com-
particular for the National Road, are
to see. Something that people can use to
petition. It seemed that they believed
done in short distances to document sur-
rest on. Mapping is effective when con-
that revitalization of a community would
vey plans, sketches that show its spatial
necting these small efforts (activities) to
not proceed without stimulations from
characteristics and photographs in order
Machizukuri and Landscaping which are
the outside community or from the
to present alternative solutions. We have
already there expressing their welcom-
used the same method to research each
ing hearts for the visitors. Activities that
top.
However, to this day, Machizukuri and
were unrelated naturally achieve some
Satomichi in rural areas.
landscaping in Obuse has been practiced
Although, we needed to create layers of
by the townspeople with agreements
maps (maps and survey plans) by focus-
kind of unity.
As we have presented and students have
backed by numerous discussions. The es-
ing on particular landscape elements in
practiced in Hayonba (squares) ,
sence is autonomy and agreement.
order to grasp the conditions of the whole
worm houses,
The townspeople have had a common
National Road 403 in Obuse. Maps were
ery one of them are viable for townspeo-
objective, to create a healthy living en-
made by focusing on pavement materi-
ple. These do not require extra monetary
plants,
structures,
visibilities
silk-
sheds and Tataki, ev-
vironment that is economically and psy-
als,
Foundation of Machizukuri Institute of
Six to seven themes are set annually for
urdays of November. We also support the
chologically enriching, which have led
and building uses and there are needs
sustainable and maintainable things that
Tokyo University of Science and Obuse
the Senior, Master and Doctoral Course
project management of the Obuse Machi-
them to cooperate and practice. Living
of new maps on utility poles, waterways,
suit the rural conditions.
was established on July 18th, 2005. This
students to live for an extended period of
zukuri University (sponsored monthly by
with such a thought (idea) have led to
roadside buildings and fences and flower
was the first permanent research institute in
time at the Institute to carry out their re-
Obuse) and the Training Association and
both Machizukuri and landscaping of
beds based on thorough research. Also,
Japan for the university and the local gov-
search. The elementary school and junior
Symposium held in Obuse sponsored by
Obuse. There is no need to rely on tem-
there is a need to create maps that indi-
ernment to share an investment in carrying
high school in Obuse cooperate to hold the
the prefectures and the country.
porary subsidies or competition. As was
cate the conditions of life and activities
along the National Road 403.
out joint research. The photo captures the
annual Workshop for the Next Genera-
answered in the questions from the pu-
scene of the Institute crowded with many
tion which takes place in August after the
pils in the seminar, there is no partici-
In other words, this work is called
visitors on the day of the opening cer-
summer holiday. In addition, meetings are
pation criterion for Open Gardens in
mapping : creating distribution maps
emony. The Institute is on the second floor
held irregularly to explain to townspeople
Obuse. Participation criterion for open
by finding the small structuring elements
of the town office situated just in front of
about Machizukuri (town building). Every
gardens such as type, design or condition
of its place. The whole image of the place
the mayor s office. There are various panels
year, production of research activities are
of the gardens had not been stipulated
will surface when these layers of maps are
and models of the production of research
presented to the public by the Research
because its purpose is to open gardens
put on top of each other.
analysis and propositions displayed in the
Report Association, Exhibition and Sym-
Institute and also in the outside corridor.
posium held on the second or third Sat-
Inside the Institute, the day of the opening
ceremony
The Issue of“Revitalization”
to revitalize a region from the case s phi-
or inside areas for the visitors with
hospitality.
investment. We are always searching for
The map is modified when the condition changes. A new map is made when
Practicing it together and taking care
a specific element is in need. Even when
of it day by day. This is the key for the
the people change, the work can be suc-
landscape to become lively as a whole.
ceeded because this is done on computer.
Our Institute researches and simulates
This succeeding method is necessary for
to discover what and how we can do to
Machizukuri and Landscaping.
Revitalization is the manner in which
less to say that both the economy and the
we can create a lively or perhaps an
people s hearts have fallen. How do we
losophy, technique and mechanism of
create better landscapes and prepare ap-
Service and Mapping of Satomichi
active living environment and is serious-
revitalize such a local community?
the success in Obuse. The seminar leader
propriate choices for practice. We also
Network is a research that applies this
ly questioned in individual architectural
In September 2009, Regional Regen-
set up the curriculum for the three days.
encourage and support the townspeople
method for Satomichi in rural areas to
design or Machizukuri (town building)
eration Practical Seminar (hosted by Ja-
People who were involved in Machizuku-
who desire to move toward the right di-
create a renewable map for walk rallies
rection but still have hesitations.
today. With the decline of birthrate and
pan Center for Regional Development)
ri and landscaping in local governments
a growing proportion of the elderly, the
was staged in Obuse. This Seminar was
and NPOs from all over Japan came to
the routes and resting areas (base) are
population itself is decreasing. It is need-
a three-day intensive course to learn how
the seminar to learn. Prof. Masato Kawa-
changed.
and strolls. Each map is renewed when
Repairing a barn along the Satomichi