ジョセフ B.コーネル氏の思想形成過程について

ジョセフ B.コーネル氏の思想形成過程について
社団法人日本ネイチャ ーゲーム協会 常務理事
日本体育大学教授
小
泉
紀
雄
はじめに
本研究は「自然保護・野外活動系 環境教育の学習 過程に関する理論的・実証 的研究」と題す
る研究の一部「J.コ ーネルの思想 形成過程につ いて」を元にまとめた ものである。
コーネル氏の著書「ネ イチャーゲーム Ⅰ」(原 題:Sharing Nature with Children)は、1978
年に米国で初版が出版 され、日本で は日本ナチュ ラリスト協会によって 1986 年に翻訳出版さ
れて以来、1997 年に社団法人日本 ネイチャー ゲ ーム協会が設 立される など、日 本の自然保 護
や野外活動系環境教育 活動の一端を 担うバイブル として広く普及されて きている。日 本におい
てこの様な確固たる普 及が実現し教 育効果が得ら れている背景には、ネイチャーゲー ムのコン
セプトが現代社会に生きる日本の人々が抱えている環境不安や次世代を担う子供たちの教育
に対する意識変容と同 調したことの 表れとも受け 取れる。
ネイチャーゲームの 本質を探るこ とも重要であ るが、ここではネイ チャーゲームの 創始者で
あるコーネル氏自身の 生い立ちと、シェアリ ング ネイチャー思想の形成 過程について、インタ
ビュー調査を基に報告 をまとめる。
1幼少期
ジョセフ B. コーネル氏は、1950 年カリフォル ニア州北西の小 さな町ライ ブオークで 父ウ
ッドローと母ヘレンの 間に三男とし て生まれた( 兄弟は兄2人弟1人 )。5 歳頃父親が自営 業を
始めたため、一家は近くの ユバシティへ 移り住ん だ。この一帯は、シエラネバダ 山脈から太平
洋へ流れるフェザーリ バー、ユバリバーなど に育 まれた草原や肥沃な湿 地が広がり、有数の渡
り鳥飛来地として知ら れ、野生動物 の多さからア フリカのセレンゲティ 大草原に例え られてい
る。幼少期の自然体験 について、コ ーネル氏は以 下の様なエピソードを 語っている。
ユバリバーは 20 世紀初頭まで頻繁に洪水を起こ しており、コーネル氏 も5歳の時に 家屋が
流されるほどの洪水を 体験した。いかだで行 き来 した思い出について「幼かっ たので冒険気分
を味わった」と回想し ている。
少年の頃は、週末に 叔母が経営する 牧場へよく出 かけ、乗馬したり雄 牛の後ろから忍 び寄っ
て尻尾で遊んだり、小鳥を 眺めたりして、自然 に とっぷりと浸かった。余暇 には家族でラ ッセ
ン国立公園やヨセミテ 国立公園に出 掛け、父親や 叔父たちが釣りやシカ 狩りをする際 には渓谷
や静かな山中へよく連 れて行かれた 。また毎朝6 時頃に起きて1人で日 の出を見なが ら原野や
川を走り抜ける日課を 持っていた。目覚めの 時を 迎えようとする大自然 の中で1人に なり、カ
モやガチョウの大群が 大地を揺るが さんばかりの 轟音とともに飛び立つ ところを見た り、コヨ
ーテ やジ ャッ クウ サギ など に出 会う な ど、「 周り で息 づく すべ ての 命の 存在 を全 身で 感 じる経
験」をしていた。
コーネル氏の自然ヘの 思いは、家 族と自然の中へ 出かけて過ごした余暇 や日常的に身 近な自
然に親しんだ経験によ って育まれた と言える。
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2.青 年期
1960 年代当時、 青少年は野 球などの スポーツを 楽しむのが通 例であり、 コーネル氏 も他の
青少年 と同じ ように 抜群 の運動 能力 を持っ てスポ ーツに 親しん でいた が、16 歳の頃、高 校の
教師からヘンリー・デ ービッド・ソ ローの著書「 ウォールデン」を読む ように薦めら れた。
アメリカの自然保護運 動の精神的基 盤となったソ ローの文学的思想を 、コーネル 氏は自然に
受けとめ、間もなくソロー の著作を読破 したとい う。コーネル氏は「自分では気 づいていなか
った性分を教師が見抜 いたのではな いか」と語っ ている。この頃からコーネル 氏は自然の中で
1人 で過 ごす こと を通 して 「自 分が 何 者な のか」、自 然の 純粋 さや 静寂 の中 で過 ごす こ とによ
って「真実を理解できるの ではないか 」、また、「 人生のあり方」や「真実を知りた い」と考え
るようになった。そう した意識はと ても重要な自 覚であったと回想して いる。
短期大学在学中(18
21 歳 1968
1970 年)は、ベトナム戦争(1960
1975 年)に反対し
て「Students for Peace(平和を指示する 学生の 会)」という団 体を立ち上げ 、演説や小規模
ながら反戦の行進をし た。コーネル氏は学生 であ ったため徴兵を免除さ れていたが、世界平和
実現を信じて抗議行動 をしていたと 言う。それは 一般的に報道されてい たような怒り をあらわ
にしたデモ行進ではな く、少人数で 集まって静か に話し合ったり、町役 場の広場へ 80 人くら
いで集って数日間ロウ ソクを灯して 静かに座り込 むといった活動だった 。
3. 思想形成期
(1)国際関係学とビスマルク
短大で一般 教養を修 了した コーネル 氏は、1973 年にチコ大 学3年に 編入し 、国際関 係学を
専攻した。当初は世界平和 の実現を目指し、国 家 の機能について理解し ようと履修し たが、18
世紀ドイツ(プロイセン)の政治 家、ビスマルク の言葉「戦争には反対だが、母国 が戦争で得
られる利益を確実に得 るようにした い」という 一 文に出会い、ふと 、人を集め て「皆で平 和を
実現しよう」と訴えて も効果がない ことを理解し たと述べている。
人がそれぞれ異なるこ とに関心を持 つことは、人 間の本性であって 、正論をかざす だけでは
変えることはできない、すな わち世界平和を 訴え ても世界は平和にはな らないと悟り、正論の
主張を自省したのであ る。そして自分の根源 とな る信念にもっと集中し、考え を深めて立脚点
を持ってから、それを人とわ かちあえばより パワ フルに伝えることがで き、指導者はより効果
的に主張を伝えること ができると考 えたと言う。
(2)シェアリング ネイチャーの思想へ
国際関係学に行き詰 まりを感じて いたコーネル 氏は、大学キャンパ ス内で自分を取 り囲んで
いた自然からとてもダ イナミックな 平和と平穏を 感じる経験をした。この頃「自然に は本当の
平和 が実 在し 、そ れは 人の 心に 深く 触 れる こと が でき るこ と」 に気 づき、「も し人 と自 然に 存
在する平和をわかちあ うことができ たら、本当の 意味で人々に自分の心 の中の平和を 感じても
らえ る」「 本当 の平 和の 中で 生き るこ とを 体 験さ せて あげ られ たら 、そ の人 は平 和の 中 で生き
たいと思うようになる」と いう考え方、それが 人 の心を魅了するであろ うことに気づ いた。ま
た「その体験は、根本的に1人1 人が体験しない といけない」と考えたので ある。そして「こ
れこそ、自分が人に与えら れることだ」と思う よ うになり、それを1番効果 的に実行でき るの
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は自然の中であると考 え、シェアリ ング ネイチャ ーの思想の出発点を見 出したのであ る。
(3)国際関係学から自然認識学へ
大学4年に進学する 際、コーネル氏は「既存の 学部に学生自身が学び たい科目がな い場合に
は、自分で履修科目を 選べる」という「 特殊専攻 (Special Major)」に転科し、 卒業まで更に
2年 間在 学す るこ とに なっ たの であ る。「 特 殊専 攻」 を履 修す る学 生が 科目 を独 自に 決 める際
には、選ぶ理由やコンセプト が道理にかなっ てい ること、研究目的に対応する 科目を履修する
こと、学部長の審査、面接を受 けて認められる こ と、研究目的に沿った科目 の教授が担当 教官
としてつくこと、といった条件が あった。コ ーネ ル氏はチコ大学で「特殊専攻 」を選んだ最初
の学生であり、こ の時「自 然認識学(Nature Awareness)」という新 しい分野を自 ら想定した。
この言葉は「自然の中に神 を見出すこと」と言い 換えることもでき、ここで いう「神」とはキ
リスト教のそれとは違 い「もっとも 崇高な命の真 実(the highest truth in life)」という意味
であると説明している。当時 は技術者指向が 強く 、ほとんどの学生は科学的な 研究者を志望し
ていたが、コーネル氏は「自然認 識学」を探究す べく地形学や考古学、生態 学、鳥類学などの
他、科学以外の学部や大学院でアメリカ先住民に関する授業やネイチャーフォトグラフィー
(自 然の 写真)、超 絶主 義の 文学 作家 など の 科目 も履 修し た。 卒業 論文 は必 須で はな か ったた
め、執筆されなかった ことは大変残 念なことであ る。
(4)環境教育の創造
1970 年代初頭当時は環 境教育と いう分野が 認 知されておら ず、自然 保護教育 が唯一環境 に
関する情報を学ぶ教科 であった。チ コ大学は学生 が環境教育の授業をク リエイティブ に創造す
る科目を設け、学生は自ら創 造する熱意と興 奮を もって模索した。先進的な環 境教育を進める
上でコーネル氏が強い 影響を受けた トーマス・ロ ジャース教授は、後 に「ネイチ ャーゲーム1 」
を出版する資金を提供 したそうであ る。コーネル 氏と共に学生時代を過 ごした人には 後に偉業
を成し遂げた人 が多く 、「ネイチ ャーゲーム 4」(Listening to Nature)の写真家、ジョ ン・
ヘンドリクスもその1 人である。
4. 社会的活動期
(1)オーデュボン協会のネイチャーセンター
コーネル氏は 1973 年の初夏にチコ大学を卒 業し 、その年の秋から翌年 までの4ヶ月 間、オ
ハイオ州のデートン・ネイチャー センターでイ ン ターン(研修 )を経験してい る。当時の アメ
リカでは環境教育の分 野で行われて いたインター ンシップ・プログラム(研修制 度)は2つし
かなく、1つは全米オーデュ ボン協会のネイ チャ ーセンター、もう1つはオー クランド市近郊
のイースト・ベイ・パークで実 施されていた。コ ーネル氏はオーデュボ ン協会の研修 を受けた
いと強 く要望 し、20 人もの人に 推薦状 を書い て もらっ て、4 つあっ たオ ーデュ ボン 協会のネ
イチャーセンターそれ ぞれに応募し たところ、生物 学専攻の学生が 299 人も応募するという大
変な難関であったにも 関わらず、全 てのネイチャ ーセンターで抜擢され ている。
コーネル氏が選んだ 、デートン・ネイチャーセ ン ターは、主に技術的 なことを中心 に知性的
なこと指導していた一 般的なネイチ ャーセンター と違い、 ス タッフが愛情を込めた教 え方をし
ており、指導技術にも 優れ、心の重 要性について も深く理解して指導し ていた。
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(2)ネイチャーゲームの誕生
インターンとして経験した諸活動の中で、オハイオ州イエロー・スプリングスにあるグレ
ン・エレン野外教育セ ンター(Glen Elen Outdoor Education Center)のプログラムはとて
も革新的で、コーネル氏に とって刺激と なり、強 い関心が寄せられた。中で もゲームを使 った
プログラムは、コーネル氏 に「ゲームには人の 注 意を惹きつけたり、グルー プに熱意や意 欲を
湧かせる可能性がある」とい う特質に気づか せた 。コーネル氏はこの時ゲーム についてよく学
び、オリジナルのゲ ームを創作し始 めたことがネ イチャーゲーム誕生の 発端となった のである 。
「ネイチャーゲーム1」には 当時のグレン・エ レン野外教育センター で開発された ゲームに
ついて引用許可を得て 、アクティビ ティ<カモフ ラージュ>や<フクロ ウとカラス> を掲載し
ている。
(3)ボーイスカウト協会と指導者養成
その後、コーネル 氏はオハイオか らカリフォルニ アに戻り、1973 年
1978 年の夏期をシエ
ラ・ネバダ山中の高 地にあるボーイ スカウト協会 のキャンプ場でナチュ ラリストとし て働いた
り 、 ウ ッ ド リ ー フ 野 外 教 育 プ ロ グ ラ ム の ( 生 態 保 護 デ ィ レ ク タ ー (Ecology Conservation
Director)として環境教育の指 導した。
コーネル氏の指導する プログラムは 当時特異であ ったため多くの人の関 心を惹き 、全米キャ
ンプスクールでキャン プ・ディレクター やプログ ラム・ディレクター、運営スタ ッフなどの指
導者研修を担当するな ど、間もなく アメリカにお ける野外教育に大きな 影響を与える ようにな
っていたのである。
5. メディテーション(瞑想)との出会い
(1)スピリチュアルな体験
コ ー ネ ル氏 が 幼 少 期 か ら 自 然 との 一 体 感 を 強 く 実 感 し て 成長 し た こ と は 前 述 の とお り で あ
る。若い頃から自然の中を 歩くとき、コーネル 氏 は木々や水平線に自分 を感じ、自らのエ ネル
ギーやオーラが自分の 周りを囲んで いること、周 りのものにもエネルギ ーがあること を感じる
ことができたとしてい る。また人が 自然に関心を 持つのは自然のエネル ギーを自分の 中にも感
じるからであり、コ ーネル氏は子ど もの頃からそ うしたエネルギーをも っと感じたい といつも
思って いたの である 。16 歳の頃 からソ ローの 著 作を読 み進め 、自然 の中 で深い 静寂 を体験す
るよう になっ たコー ネル 氏は、18 歳の頃には メ ディテ ーショ ンをす る必 要があ ると 理解して
いたという。
学生時代に自然の中で とてもダイナ ミックな平和 と平穏を感じた体験に ついて、コ ーネル氏
は「スピリチュアルな体験 と言える」としてお り 、スピリチュアルな体験に ついて強い関 心を
持っ て調 べて みる と、「 思考 を受 容的 にす る こと によ って 」そ うし た体 験が でき るこ と がわか
るとともに、それがメディテ ーションであり、自 分が求めているものは まさにそれで あると理
解した。
1971 年にチコ大学の近くで始め てメディテーシ ョンを習い、その前後 数年間は様々 な瞑想
方法を探究している 。禅の瞑想方法 を学ぶために サンフランシスコ郊外 にある曹洞宗 の禅寺に
滞在して老師の思想を 学び、2年ほ ど座禅を日常 的に実践していた。
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1974 年、1人でヨセミテ渓谷を 訪れたコーネル 氏は、湖や山々と一体 になっている 感覚を
味わい、何とも云えな いスピリチュ アルな体験を した強烈な印象を心に 留めている。
(2)アナンダ思想(クリア・ヨガ)との出会い
コーネル氏は大学を卒業する前後頃から人生を通してメディテーションをして過ごせる所
に住みたいと願うよう になっていた コーネル氏は 、大学近くの自然食 品店でアナンダ 村の創始
者スワミ・クリアナンダの著 書に出会い、インド のヨガと西洋のキリス ト教思想の融 合である
アナンダの思想を知っ たのである。
当時のアナンダ村は創 設後間もなく 、100 人程度の住人は若い人が中心 で、長時間 にわたる
メディテーションをし ながら、村の開拓のた めに 設備を整えるなどよく 働き、とても強固で理
想的な精神があったよ うである 。コーネル氏は 1973 年に始めて短期間アナンダ村 を訪れ、1975
年にアナンダ村こそ自 分が居たい場 所であるとい う自己認識に至って移 り住み、村の メンバー
となった。以来、アナンダ村の コミュニティづ く りに尽力し、メディテーシ ョンの技術を 深め
ながらアナンダ思想を 広め、2002 年にはクリア・ ヨガの導師となってい る。
6. ネイチャーゲームの執筆と世界的普及
コーネル氏は、アナ ンダ村へ移っ て 1 年後くらいから「Sharing Nature with Children」
を執筆し、1978 年に出版されてい るが、執筆 や 出版にあたっ てはアナ ンダ村の 人々の深い 理
解や多くの協力を得 、資金的な面も 合わせてアナ ンダ村の後押しがあっ て出版された と述べて
いる。国際的な展開と しては 1981 年にイギリスへ5週間、オーストラ リアに5週間 滞在して
普及活動をしたのが最 初であるが、その後数 年は 特に大きな変化はなか った。しかしこの間コ
ーネル氏の著書は 15 カ国語に翻訳され、1980 年代後半から国際的な展 開が見られる ようにな
った。初来日されたの はそんな折り の 1986 年である。以来 20 年近くネイチャーゲームの普
及のため世界中の国を 訪れ、2001 年にはメイン州のユニティ大学(環境に関する 専科大学)から
博士号を、2003 年にはヨーロッパにおける 環境教 育賞であるソーニャ賞 を授与されて いる。
おわりに
コーネル氏はネイチャ ーゲームのコ ンセプトとし て、インドの導師 、パラマハン サ・ヨガナ
ンダ の教 えか ら次 のよ うな 言葉 を引 用 して いる。「直 感は 魂の 知識 であ り、 私た ちは 直 感を通
して でな けれ ば、 何事 につ いて も本 当 に学 ぶこ と はで きな いの です 」ま た、「 科学 は物 事を 説
明しますが、直感 を使えば理解す ることができ ま す。科学は知覚を 通して物事を把 握しますが 、
すべ ての もの は魂 (ス ピリ ット )の レ ベル でつ な がっ てい るの で、 自然 を理 解す るた め には 、
魂を通して知る必要が あります」
私 たち は自 然の 中に 存在 する すべ て のも のに つ いて 生命 ある もの とし て受 容す ると と もに 、
それらと調和しながら 一体感を感じ る必要があり 、その感性を高める ためのあり様を 認識して
いか なく ては いけ ない と言 える 。そ の ため には 「 自然 をど のよ うに 認識 して いる か」 を 把握 、
研究する必要がある 。コーネルは「人は意識 が向 上すると、物事の 認識の仕方が変 わり、認識
が変わると、とる行動 が変わる」と している。
コーネル氏の思想形 成に関する研 究はまだ始ま ったばかりで、とて つもなく奥が深 く、今
回の研究報告では十分 なものとは言 えないため、まだまだ研究課題が残 されているこ とを付し
ておくものとする。
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謝辞:本研究 は、平成 16年度科 学研究費 補助 金「自然保護 ・野外活 動系環境教 育の学習
過程に関する 理論的・実証的研 究」(課題番号 1 550057 6)の 一環として 行なった も
のである。本 研究にあ たり、研究 代表者の 朝岡 幸彦東京農工 大学助教 授、長時間 のインタ
ビュー調査に 協力いた だいたジョ セフ B. コーネル氏、イン タビュー テープから の翻訳作
業や校正をい ただいた 岡部世良氏 をはじめ とす る関係の皆様 に感謝申 し上げたい 。
参考資料および文献
1)コーネル氏インタ ビュー
アメ リカ
カリフ ォルニア州アナンダ村
訪問 者:小泉紀雄
2 ) Reflections on Living
降旗信一
石崎一記
於コーネル 氏宅
2004 年 1 月
30 years in a Spiritual Community, Interviews with
Members of Ananda Village; by Sara Cryer 1998, Crystal Clarity Publishers
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