特集・翅を失った昆虫Ⅱ−寒冷環境下での翅の退化 ガロアムシの生き残り戦略, 翅をすてる前と後 ミなどの原始的な昆虫にみられ,2はアブラムシ やアリなどで良く知られる。しかし3のタイプは 案外知られていない。そこで本稿ではこの3のタ イプの代表であるガロアムシという昆虫を紹介 し,翅を捨ててしまった原因をさぐってみよう。 に わ なお 丹羽 尚 (独立行政法人 理化学研究所 発生再生科学総合研究センター) Profile: 1998 年徳島大学大学院工学研究科博 士課程修了。博士(工学)。国立遺伝学研究 所研究員,理化学研究所基礎特別研究員を経 て 2001 年より現職(研究員) 発見の歴史と分布 ガロアムシの目名は Grylloblattodea(Notoptera を使う場合も少なくない)という。1914 年にカ ナダの昆虫学者 E.M.Waker が北米のカナディアン ロッキーでこの昆虫の仲間を最初に発見し,その 姿がコオロギとゴキブリの両方に似ていることか ながしま たかゆき 長島 孝行 (東京農業大学 農学部) Profile: 1983 年東京農業大学農学研究科博士 後期過程修了。農学博士。2009 年より東京農 業大学農学部教授 Survival strategy of Grylloblattodea before and after abandoning their wings Nao Niwa: Riken Center for Developmental Biology Takayuki Nagashima: Faculity of Agriculture, Tokyo University of Agriculture ら,Gryllus(コオロギのラテン語)と Blatta (ゴ キブリのラテン語)を合わせた属名 Grylloblatta を 使ったことに由来する。日本では 1915 年に日光 中禅寺湖畔で当時のフランス外交官ガロアが最初 に採集したことから,採集者を記念してガロアム シと呼ばれるようになった。 現在では約20種のガロアムシ類が北米北西部 とアジア極東地域(ロシア,朝鮮半島,日本)に 分布する。日本では本州中部をおもな生息地とす るガロアムシ Galloisiana nipponensis をはじめ, Key words 【ガロアムシ】 ,【翅】 , 【生態】 , 【分布】 ,【生活史】 オオガロアムシ G. kiyosawai,ヒメガロアムシ G. yuasai,北海道からはエゾガロアムシ G. yezoensis, それに香川県女木島から G. chujoi の5種が知られ ている1)。また,埼玉県の十文字峠からは黒いガ ロアムシ,対馬からは今年になって不明種の個体 が多数採取されている。 はじめに 直翅系昆虫のなかで完全に翅がない 唯一の昆虫 「翅がないのに昆虫なのですか?」。よく聞か コオロギとゴキブリの両方に似た昆虫という れる質問である。たしかに昆虫の大部分は翅をも が,具体的にはどんな特徴があるのだろうか? つ。しかし,そもそも昆虫には翅がなく,カブト ガロアムシの体長は 20 ∼ 30mm で,成虫は褐色, ムシの角と同じように進化の途中で手に入れたア 若虫は成虫と同じ形をしており,乳白色のものが ウトグロース(外生物)であると考えられている。 多い。口絵図1にあるように,体の前半分は扁平 面白いことに,せっかく手に入れたこの翅を後 で,頭部の眼は小さく単眼はない。前口式のかむ に捨ててしまったものもいる。つまり翅のない昆 型の口をもつ。糸状の触角と有節の尾毛は長く, 虫といっても次のようないくつかのタイプがある 多くの感覚器官を有する。このような形態的特徴 のである。1.もともと翅をもっていないタイプ, は直翅系昆虫(多新翅群;シロアリ目,カマキリ 2.生活のある段階,または雌雄差によって翅を 目,ゴキブリ目,ナナフシ目,シロアリモドキ目, なくしてしまうタイプ,3.大昔は翅をもってい バッタ目,カワゲラ目,ハサミムシ目など)の基 たが現在は完全に捨ててしまったタイプ。1はシ 本体制を示すため,現在では直翅系昆虫の一員と 2 昆虫と自然 46(1),2011 ガロアムシの生き残り戦略,翅をすてる前と後(丹羽 尚・長島 孝行) 図1 ガロアムシ化石 (Rasnitsyn 2)より改変。スケールは10 mm) みなされている。 しかし,他の直翅系昆虫が立派な翅をもつのに 場合が多い。そのことを考えると,ガロアムシは 他と違う方法で翅を無くしたのかもしれない。 対し,ガロアムシだけは翅がない。バッタやナナ 最近になって,昆虫の翅の起源について新しい フシなどでは,種によって,あるいは雌雄によっ 仮説が報告された。遺伝子レベルでの解析結果を て翅がないものがいるが,ガロアムシの場合は現 もとにしたこの説では,昆虫の翅は,筋肉を備え 存するすべての種において翅の痕跡すらない全く た外突起を脚の基部に作る分子機構と,側背板領 の無翅である(若虫には翅原基も生じない) 。 域をさらに平坦に伸長させる分子機構の2つが組 昔のガロアムシは翅をもっていた 合わさったことで生じたという(Combinatorial model) 3)。この説に従えば,ガロアムシにおい 現在は翅のないガロアムシも大昔は翅をもって て飛翔筋(外突起の筋肉に相当)が残っている状 いたらしいことが化石記録と筋肉系の解析から示 態は,翅をつくる2つの分子機構のうち,側背板 唆されている。1976 年,ロシアのカラタウ山脈 を伸ばす機構だけをとりあえず抑制して,手っ取 からガロアムシの仲間と思われるジュラ紀後期の り早く翅をなくすことに成功したと言えるかもし 化石が発見された(図1)。この化石では胸部に れない(図3)。同じ直翅系昆虫でも無翅化の方 立派な4枚の翅をもっており,このころまでは空 法に違いがあることは大変興味深いが,いずれに を飛んできたらしいことを示唆するものだった2)。 せよ,ガロアムシは大昔までは翅をもっていて, さらに現生のガロアムシの胸部を解剖すると,多 それをいつしか捨ててしまったらしいことは事実 くの昆虫で飛翔に関係している筋肉がいくつか残 のようである。 っている(図2;多くの昆虫で関節飛翔筋となっ ているt13,14,t− p muscle 群,翅を折り たたむp3などがみられる) 。 低温環境への適応として翅を捨てた では,なぜガロアムシはせっかくの翅を捨てて 同じ直翅系昆虫でもナナフシなどが無翅化した しまったのだろうか?翅のない昆虫の多くは,そ 場合は,これらの筋肉の多くが無くなってしまう の生息環境や生活様式と密接な関係があることが 昆虫と自然 46(1) ,2011 3 特集・翅を失った昆虫Ⅱ−寒冷環境下での翅の退化 翅を失った昆虫 シリアゲムシ類 は北海道にエゾユキシリアゲ Boreus jezoensis Hori et Morimoto(図2)が分布するが,生態の詳細は 不明である。 ユキシリアゲムシの仲間と特徴 ユキシリアゲムシ科 Boreidae はシリアゲムシ目 もりもと かつら 森本 桂 (九州大学名誉教授) Profile: 1956 年九州大学農学部卒業。'56 ∼'61 年同大学院修了。'61 年「日本産ゾウムシ上科 甲虫の比較形態と系統」で学位取得'61 ∼'77 年農林省林業試験場・同九州支場で森林害虫 研究。1978 ∼ 1997 九州大学農学部助教授・ 教授。'97 年九州大学名誉教授 Flightless insects - Mecoptera Katsura Morimoto: Emeritus Professor of Kyushu University Mecoptera の小さな科で,下記の特徴を持ってい る。 科の特徴:雄では前翅が翅脈のない先細りの板 状となり,また後翅は針状となって前翅の下に収 まる。雌の翅は殆ど退化する。単眼は小さく,側 単眼は複眼近くにあり,中単眼はときに消失する。 卵巣は無栄養型。幼虫に頭蓋縫合線がなく,腹脚 を欠く。この科はつぎの2亜科に大別される。 オレゴンシリアゲムシ亜科 Caurininae は Key words 【ユキシリアゲムシ】,【タスマニアユキシリアゲムシ】 【エゾユキシリアゲムシ】 ,【翅の退化】 , 【生態】 Caurinus dectes 9) だけがオレゴン州西部の海岸山 脈でコケからベルレーゼ装置および水洗で分離さ れたもので,前頭部は短くて吻を形成せず,大き な大顎をもっている。後胸と第 1 原節は癒着し, 第 2 ∼ 6 腹節は強く角質化して側膜状部は見えな い。雌の第 9 ∼ 11 腹節は小さくて 8 節内部に落ち ヨーロッパや北アメリカでは,冬になる とユキシリアゲムシが出現し,雪の上で活 動する種も多く,褐色∼黒色の目立つ色彩 と危険を感じると跳躍して逃げる習性で古 くからよく知られている。ユキシリアゲム シの属名 Boreus は,ギリシャ語で「北風」 または「北」を意味する。 雪の上に出現するシリアゲムシ類は,2 つの科が南・北半球の高緯度地域に離れて 分布し,南半球ではタスマニアにタスマニ アユキシリアゲムシ科 Apteropanorpidae (Apteropanorpa 2 種)(図1)が,また北半 球には北海道を含むヨーロッパから北アメ リカにかけての全北区にユキシリアゲムシ 科 Boreidae の 3 属 24 種が知られている。こ れら両科のシリアゲムシは,雪面で活動す る昆虫の一般的特徴である小型,濃色,翅 の退化,成長期間の長期化などの共通特徴 をもち,一見よく似ているが系統的にはか け離れており,特殊な生活環境に適応した 平行的変化と考えられている 8,13)。日本に 10 昆虫と自然 46(1),2011 図1 タスマニアユキシリアゲ♂ 翅を失った昆虫 シリアゲムシ類(森本 桂) 込む。幼虫に脚がない。成虫は 11 月下旬から 4 月 上旬に採集されている9)。 ユキシリアゲムシ亜科 Boreinae は全北区から 23 種の記録があり,前頭部は伸長して吻を形成し, 小さな大顎をもっている。後胸と第 1 腹節は癒着 せず,腹部側面の膜状部は顕著,雌の第 9 ∼ 11 腹 節は角質化した産卵管を形成する。幼虫に脚があ る。 この亜科には2つの属が含まれる。 Hesperoboreus は,北アメリカ西部のオレゴン州 とカリフォルニア州に各1種が分布し,11 月か ら 12 月に出現する。ユキシリアゲムシ属 Boreus は多様で現在 21 種が知られており,4 種群8)や3 亜属 6) に分割される。成虫は殆どの種が 11 月末 期から 4 月にかけて出現し,日本のエゾユキシリ アゲムシなど 3 種だけが 7 ・ 8 月の夏に採集され ている8)。 ユキシリアゲムシ属の生態 ヨーロッパと北アメリカの種では,11 月末の 図2 エゾユキシリアゲ(上♀,下♂) 低温になって成虫が出現し,高山や極地では 3 ・ 4 月と出現時期が遅くなる。成虫はコケや雪の上 を歩行し,危険を感じると跳躍する。新雪で表面 種ではこの活動は否定されている。成虫の活動に が軟弱な場合にも跳躍を繰り返しながら移動する は温度が関係するが,小型であることから体内熱 ことがある。成虫は薄暮期に活動するものが多く, で体温を増加せることは不可能である。 Boreus また夜間灯火に集まるという報告もあるが,別の brumalis での研究では,活動は気温や雪面温度と 図3 交尾中の Boreus brumalis, ♂(下)は前翅 で♀を保持する 昆虫と自然 46(1) ,2011 11 特集・翅を失った昆虫Ⅱ−寒冷環境下での翅の退化 カワゲラ目における 翅の多型性 わかった。カワゲラ目では退化的な翅の多型が出 現することは珍しくないといえる。 それでは,なぜカワゲラ目では退化的な翅の多 型が生じるのであろうか。今のところ,カワゲラ 目の翅の退化について確実に答えられるような研 究はほとんど行われていないのが現状である。本 きしもと とおる 岸本 亨 (つくば国際大学医療保健学部 教授) Profile: 1986 年筑波大学大学院博士課程生物 科学研究科修了(理学博士)。'94 年より現在 の所属 Wing polymorphism in Plecoptera Toru Kishimoto: Faculty of Health Science, Tsukuba International University 稿では,カワゲラ目において退化的な翅が生じる 分類群とその生態特性を概説するとともに,翅の 退化の要因について解説する。 翅の多型性の類型化 カワゲラ目における翅の長さは,一般的に,長 翅型(macropterism),短翅型(brachypterism), 微翅型(micropterism),無翅型(apterism)の4 つの型に類型化されているが,これは便宜的であ Key words 【カワゲラ目】 ,【翅の多型性】 ,【翅の退化】 ,【生態特性】 【要因】 り,類型化の基準には厳密な基準はない。 Brink 1)によると,短翅型は長翅型と比較して 短いものを指し,長翅型の 50 ∼ 90%の長さであ る。多くの場合,折り畳んだ翅の先端が腹部末端 を越えない程度の長さから(長翅型は翅の先端が 腹部末端を越える),腹節の第 2 ∼4節程度まで はじめに のものをいう。短翅型が現れる種では,一方の性 だけに現れたり(性的二型),地域個体群によっ カワゲラ目は,カゲロウ目やトビケラ目などと て二型が現れたりする場合がある。また,短翅型 ともに水生昆虫類としてよく知られている有翅昆 は体長と翅長との相対的なものであり,翅の長さ 虫類である。カワゲラ目は今までに世界で約 は変わらないが体長が異なるために短翅型となる 3500 種が記載されている小さな昆虫群であるが4), 場合があるので気をつけなければならない 1,2)。 熱帯地域から南極を除く寒帯地域まで広く分布す 微翅型は長翅型の 50%より短い,膜状の翅である る。 が,痕跡的であり,翅としての機能はほとんどな カワゲラ目は幼虫が河川や湖沼などの水中に生 い。無翅型は完全に翅がない(図1a,図2)か, 息し,成虫は陸上生活をする種がほとんどである 微翅型よりも痕跡的で,翅としての機能を全く有 が,幼虫が陸生の種や幼虫から成虫まで一生を水 しないようなパット状のもの(図1b)である。 中で生活する種も知られている。 さて,カワゲラ目の多くは発達した翅をもって おり,休息する時には後翅の後方の部分を折りた たみ,さらにその上に前翅を水平に重ねる。学名 退化的な翅が出現する分類群と その生態特性 カワゲラ目は2亜目 16 科に分けられている。 の Plecoptera はこのような翅の状態に由来してい ミナミカワゲラ亜目 Antarctoperlaria は4科からな る。しかしながら,この名前の由来に反して,カ り,オーストラリア,ニュージーランド,南アメ ワゲラ目は飛ぶことがあまり得意ではないし,さ リカ大陸に分布するが,北半球とアフリカ大陸に らに,短翅型,微翅型,無翅型などの翅が退化的 は分布しない。キタカワゲラ亜目 Arctoperlaria は な種が意外と多く知られている。筆者が標本や文 12 科からなり,多くは北半球に分布するが,カ 献で確認したところ,カワゲラ目の 16 科のうち, ワゲラ科 Perlidae のように北半球から東南アジア, 13 科において退化的な翅をもつ種がいることが 南アメリカ,アフリカまで広く分布する科もある。 18 昆虫と自然 46(1),2011
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