JAIS 論文 独英日間翻訳における「視点」の考察:Momo を題材に 加藤 久佳 ( 慶 應 義 塾 大 学 大 学 院 政 策 ・ メ デ ィ ア 研 究 科 後 期 博 士 課 程 S) T his paper examines ‘point of view’ in a narrative and its translations. If ‘point of view’ appears differently between narrative and translation, does that make any difference between the context of an original text and that of its translations? After making a distinction between ‘point of view’ and ‘narrative voice,’ I claim that the former plays an important role in identifying what is called ‘grooves of expression’ as found in each language. Also studied is the relationship between ‘point of view’ and the use of personal pronouns, tenses, and various speeches, as well as the types of ‘representations of speech’ and ‘representations of thought.’ Based on these theories, I have analyzed the German narrative Momo and its English and Japanese translations. This paper concludes with a proposal that there are some types of ‘point of view’ which have not been identified so far. 1. はじめに:研究の目的と問題の所在 本研究の目的は、文学作品とその翻訳作品における「視点」の所在の変容を検 証することである。変容があるとすれば、その原因が何かを考察する。 ところで、文学における「視点」とは何か。まさに「視点」研究はこの術語の 定 義 づ け に 多 く の 時 間 を 費 や し て き た 。こ れ ま で 諸 説 が 繰 り 広 げ ら れ て き た 1 が 、 こ こ で は 、結 論 的 に 、 「 視 点 」と は 、物 語 を「 見 て い る 主 体 が 担 う も の 」と し て お く 。 こ れ と 並 び 、「 語 る 声 を 発 す る 主 体 が 担 う も の 」 と し て 、「 観 点 」 と い う 術 語 を 用 い る こ と に す る 。そ し て 、 「 視 点 」と「 観 点 」の 所 在 の 有 様 を「 伝 達 様 式 」と 呼ぶ。 「 視 点 」と「 観 点 」と の 峻 別 、な ら び に「 伝 達 様 式 」に つ い て は 、後 述 す る 。 KATOU Hisaka, “A Study of 'Point of View' in Translation: Analyses of English and Japanese Translations of Momo.” Interpretation Studies, No. 7, December 2007, Pages 117-146. (c) 2007 by the Japan Association for Interpretation Studies 『通訳研究』第 7 号 (2007) 物語において、 「 視 点 」や「 観 点 」の 所 在 が 移 動 す る こ と は 少 な く な い 。さ ら に 、 翻 訳 作 品 に お け る そ れ ら は 、原 典 で の 「伝 達 様 式 」と は 異 な る 場 合 が た び た び あ る 。 上述したように、 「 視 点 」が 、物 語 を「 見 て い る 主 体 が 担 う も の 」で あ る と す れ ば 、 「視点」が変わるということは、物語を「見ている主体」が変わるということで あ る 。「 見 て い る 主 体 」 が 変 わ れ ば 、 当 然 な が ら 、 物 語 の 見 え 方 が 変 わ っ て く る 。 また、 「 観 点 」が 、 「 語 る 声 を 発 す る 主 体 が 担 う も の 」で あ る と す れ ば 、 「 観 点 」が 変 わ る と い う こ と は 、「 語 る 声 を 発 す る 主 体 」 が 変 わ る と い う こ と で あ る 。「 語 る 声を発する主体」が変われば、物語の口調などに変化が見られるであろう。そし て 、忘 れ て な ら な い の は 、 「 視 点 」と「 観 点 」と は 峻 別 し な け れ ば な ら な い と い う 点 で あ る 。つ ま り 、一 人 の 人 物 が「 見 て 語 っ て い る 」と は 限 ら な い の で あ る 。 「見 ている主体」と「語る声を発する主体」とは異なる 2 者であり、ときに同一の人 物に重なる、と考えるのが妥当であろう。 さ て 、こ こ で 問 題 の 所 在 を 明 確 に し て お き た い 。原 典 と そ の 翻 訳 作 品 と の 間 で 、 「視点」ならびに「観点」が異なる場合、上述したように、物語の根幹に影響を 与 え る 可 能 性 が あ る 。「 視 点 」 が 異 な れ ば 、 見 え る 物 語 世 界 が 変 わ る 。「 観 点 」 が 異 な れ ば 、物 語 の 語 ら れ 方 が 変 化 す る 。こ の こ と は 、 「 意 味 の 均 質 な 移 行 」と い う 翻訳の大前提を危うくするのではないか。無論、それぞれの言語の特質や言語世 界の特有性を考慮に入れれば、 「 視 点 」と「 観 点 」の 所 在 の 維 持 が 、翻 訳 時 の 絶 対 不可欠条件であると述べることはいささか危険過ぎるであろうし、本研究の目的 でもない。本研究における問題の所在は、文学作品からその翻訳作品への「意味 の 均 質 な 移 行 」に 際 し 、 「 視 点 」な ら び に「 観 点 」の 所 在 の 変 容 が 影 響 し て い る の か ど う か 、と い う 点 で あ る 。ま た 、影 響 し て い る と す れ ば 、 「 視 点 」と「 観 点 」の 所在の変容の要因を探る必要があると考える。 2. 本 稿 の 枠 組 み と 位 置 づ け こ こ で 、本 研 究 の 枠 組 み を 述 べ た い 。ま ず 、 「 視 点 」に 纏 わ る い く つ か の 概 念 に つ い て の 理 論 を 概 観 す る 。次 に 、こ れ ら の 理 論 を 土 台 に 、ド イ ツ 文 学 の Momo と そ の 英 訳 と 邦 訳 と を 対 照 分 析 す る 。対 照 分 析 に あ た っ て は 、 「 伝 達 様 式 」の パ タ ー ン化 2 という方法を使用する。そして、分析結果を基に、原典ならびに英訳と邦 訳 に お け る 「 視 点 」 な ら び に 「観 点 」の 所 在 の 差 異 の 原 因 に つ い て 考 察 す る 。 本 稿 で 扱 う 「 3 人 称 物 語 」 に つ い て の 研 究 結 果 を 、「 1 人 称 物 語 」 に つ い て の そ れ 3 と 対照したい。言語ならびに翻訳者の訳文を特徴づけるものとして、文脈を考慮し た上での「視点」からのアプローチが効果的であることを示し、結論とする。 本研究は、翻訳研究としての「視点」研究のケーススタディという位置づけを 持つ。異なる原典言語や語りのタイプについて分析し、それぞれの差異を見極め 118 独英日間翻訳における「視点」の考察:Momo を題材に ていきたい。これまでの研究ならびに本研究において浮上した課題について、考 察を加え、今後の研究に繋げたいと考える。 3. 研 究 の 背 景 本章においては、本研究の背景について述べる。第 1 節において、物語理論に おける「視点」研究の現在までの状況について、第 2 節において、翻訳研究とし ての「視点」研究の現況について述べたい。 3.1 物語理論における「視点」研究 第 1 章において述べたように、物語理論における「視点」研究は、この術語の 定 義 づ け に 終 始 し て き た 、 と い う の が 現 状 で あ る 。 ウ ェ ー ル ズ (Wales 1989: 362) が 述 べ て い る よ う に 、「 視 点 」 と い う 概 念 は 、 20 世 紀 の 小 説 批 評 に お い て 最 も よ く 議 論 さ れ て い る 概 念 の ひ と つ で あ る 。そ れ に も 関 わ ら ず 、 「 視 点 」の 定 義 は 、ま だ定まっておらず、小説自体、簡単には分類できない種々の技法が用いられるた め 、視 点 に つ い て の 議 論 は 複 雑 な も の に な っ て い る 。換 言 す る な ら ば 、 「 視 点 」の 定義づけは多数あり、今後もさらに多様化するのであろう。 「視点」の定義づけの歴史を辿ることは、本稿の主眼ではなく、また、現時点 で有効とされる定義づけも、今後、無効なものとなっていく可能性もある。その 上で、 「 視 点 」と い う 概 念 と「 視 点 」研 究 の 現 況 に つ い て 、概 要 を 述 べ て お き た い 。 モ リ セ ッ テ (Morrissette 1985: 84) に よ れ ば 、「 視 点 」 と い う 術 語 に 意 味 づ け を お こ な っ た 人 物 は 、 作 家 ヘ ン リ ー ・ ジ ェ イ ム ズ (Henry James) で あ る 。 I do not know who first spoke of “point of view”; but in any case, it was Henry James who gave this term its definitive meaning, namely, “post of observation” from which a narrative is built and which can occasionally, …, shift from one character to another. こ れ に よ れ ば 、ジ ェ イ ム ズ は 、 “point of view” (「 視 点 」) を 、“post of observation” 「 ( 観 察 地 点 」) と 意 味 づ け し て い る 。ま た 、ジ ェ イ ム ズ に よ る “the analogy between the art of the painter and the art of the novelist is, …, complete.” (James 1884: 127) と いう記述からは、この術語の意味づけを、絵画理論の類推からおこなっているこ と が 推 察 さ れ る 。 前 述 の ウ ェ ー ル ズ (1989: 362) は 、 ジ ェ イ ム ズ に よ る 主 張 を 後 押ししている。 …PERSPECTIVE, point of view in the basic AESTHETIC sense refers to ‘angle of vision,’ as in art and film theory: so the angle of vision or perception by which the events of a novel are narrated and the information presented. 119 『通訳研究』第 7 号 (2007) ウ ェ ー ル ズ は 、 ‘point of view in the basic AESTHETIC sense’ (「 審 美 的 な 意 味 で の 『 視 点 』」 と は 、 ‘angle of vision’ (「 視 覚 」 ) の こ と で あ る と 言 っ て い る 。「 視 点」という術語は、元来は絵画や映画の理論における用語であった。これが、物 語理論に援用されたわけである。絵画などにおける「視点」の主体は、作品を創 作する画家などであり、この主体の身体的位置が問題となってくる。同様に、物 語 に お け る 「視 点 」の 主 体 は 、作 品 を 語 る「 語 り 手 」 (当 初 は「 作 家 」と「 語 り 手 」 の峻別も明確ではなかった) であるとされ、 「 語 り 手 」の 位 置 が 問 題 と な っ て い っ た 。つ ま り 、物 語 に お け る「 視 点 」と は 、 「 ど こ か ら 語 っ て い る の か 」の 基 点 で あ るとされたのである。これが「視点」という定義づけの混乱を招く元となった。 つ ま り 、視 覚 芸 術 に お い て は 、 「 ど こ か ら 描 い て い る の か 」と「 誰 が 見 て い る の か 」 と は 同 一 で あ る が 、物 語 に お い て は 、 「 ど こ か ら 語 っ て い る の か 」と「 誰 が 見 て い るのか」とは必ずしも同一ではないのである。さらに言えば、前者においては、 「 誰 が 見 て い る の か 」は 、そ の 作 品 の 創 作 者 で あ る 。後 者 に お い て は 、 「誰が見て い る の か 」は 、 「 語 り 手 」あ る い は「 他 の 登 場 人 物 」の 誰 か で あ り 、決 し て そ の 作 品 の 創 作 者 で は な い 。そ の 後 、ジ ュ ネ ッ ト (Genette: 1980: 186) が 、 「 視 点 」と「 語 る 声 」 と の 峻 別 を 主 張 し 、 よ う や く 混 乱 解 消 へ と 向 か う 。 山 岡 ( 2001: 第 1 章 ) は 、 ジ ュ ネ ッ ト が 指 摘 し た 2 者 の 主 体 が 担 う も の を そ れ ぞ れ 、「 視 点 」 と 「 観 点 」 と し た 。こ れ に よ り 、 「 視 点 を 担 う 主 体 」と「 物 語 る 声 を 発 す る 主 体 」と の 峻 別 が 明 確 と な っ た 。「 視 点 」 と い う 術 語 の 定 義 づ け は 、 実 に 120 年 余 の 歳 月 を 要 し た のである。 3.2 翻訳研究としての「視点」研究 文学作品とその翻訳作品とを対照するとき、あるいは、同一言語による複数の 翻訳作品を対照するとき、文章が頭の中を自然に流れるものとそうではないもの と が あ る 。こ れ は 、 「 視 点 」や「 語 り 」の 差 異 の 大 小 が 影 響 し て い る 場 合 も あ る の ではないか。とくに、近年の文学作品には、作者が文学技巧を凝らし、意図的に 「視点」の所在を複雑化しているものもある。たとえば「語り」の最も新しいタ イ プ と し て 、「『 移 し 手 』 に よ る 語 り 」 4 が あ る 。 こ れ は 、 い わ ゆ る 「 語 り 手 」 で も「私」でもない、物語中の「登場人物」に「視点」を担わせ、あたかも「語り 手 」 不 在 で あ る か の よ う な 世 界 を 展 開 す る も の で あ る 。 そ し て も ち ろ ん 、 「視 点 」 は 固 定 さ れ る こ と は な く 、他 の「 登 場 人 物 」へ と め ま ぐ る し く 移 る 。 「 視 点 」を 担 うこの「登場人物」のことを「移し手」と呼ぶのであるが、このような語りのタ イプの文学作品の「視点」の所在を見極めることは、きわめて困難である。その 翻訳作品における「視点」の所在を原典のそれと対照するとなれば、問題はさら に複雑である。 「 視 点 」の 所 在 の 見 極 め が 容 易 で は な い の は 、従 来 の い わ ゆ る「『 語 り 手 』の 語 120 独英日間翻訳における「視点」の考察:Momo を題材に り に よ る 物 語 」 や 「『 私 』 の 語 り に よ る 物 語 」 5 で あ っ て も 、 同 様 で あ る 。 一 見 、 「語り手」や「私」などに「視点」が固定されているかのように思えるものであ っても、文脈を読み込むと、そうではないものも少なくない。同時に、第 1 章に おいて触れたように、 「 視 点 」と 並 列 し て「 観 点 」と い う 概 念 を も 考 え る 必 要 が あ る。 「 視 点 」が 移 動 し て も「 観 点 」は 固 定 さ れ て い る 場 合 も あ れ ば 、そ の 逆 も あ り 得るのである。また、原典における「視点」の所在が比較的容易に判断し得た場 合であっても、その邦訳においては判断に迷う、というケースもある 6 。なお、 本 稿 に お い て は 、 便 宜 上 、 理 論 説 明 に お い て は 、「 観 点 」 を 含 め た 意 味 で 「 視 点 」 と い う 術 語 を 用 い る 場 合 が あ る 。例 証 に お い て は 、両 者 を 明 示 し 、 「 伝 達 様 式 」の パターンを明らかにする。 ここで、翻訳研究としての「視点」研究の現況について簡単に述べたい。第 3 章第 1 節において言及したように、物語理論における「視点」研究は、その術語 の定義づけに終始し、進展が長らく阻まれてきた。翻訳研究としての「視点」研 究 は 、無 論 、物 語 理 論 に お け る「 視 点 」研 究 を 基 盤 と す る 。物 語 に お け る「 視 点 」 の 所 在 を 見 極 め 、そ の 翻 訳 作 品 (こ れ も ひ と つ の 物 語 に は 違 い な い ) に お け る「 視 点」の所在を対照するからである。したがって、翻訳研究としての「視点」研究 は、現時点では未開の領域と言って差し支えないであろう。本研究を含む、筆者 の こ れ ま で の 研 究 に 際 し 、参 照 し た も の の 中 に 、 『「 語 り 」の 記 号 論 』 (山 岡 2001) があるが、これはあくまでも記号論的な側面からの方法論である。筆者は、これ に 文 学 的 要 素 を 加 味 し 、文 学 作 品 を 読 み 込 ん だ 上 で 、 「 視 点 」の 所 在 を 判 断 し た つ も り で あ る 。し か し な が ら 、第 8 章 第 2 節 に お い て 言 及 す る が 、文 学 的 判 断 と は 、 き わ め て 主 観 的 に な ら ざ る を 得 ず 、こ の 基 準 を 明 確 化 す る こ と は 今 後 の 課 題 で あ る 。 4. 「 視 点 」 と そ の 関 連 概 念 7 本章においては、 「 視 点 」の 関 連 概 念 で あ る 「伝 達 様 式 」に つ い て 概 説 す る 。第 1 節 に お い て は「『 語 り 手 』の 語 り に よ る 物 語 」の 場 合 に つ い て 、第 2 節 に お い て は 日本語と英語の類別パターンについて、それぞれ図示し述べる。 4.1 「 伝 達 様 式 」 :「『 語 り 手 』 の 語 り に よ る 物 語 」 の 場 合 第 3 章第 2 節において触れたように、物語の「語り」のタイプは 3 つあるとさ れ る 。 こ こ で は 、 そ の う ち 、 本 研 究 に お い て 扱 う 「 3 人 称 物 語 」、 す な わ ち 「『 語 り 手 』の 語 り に よ る 物 語 」に つ い て 、 「 視 点 」と「 観 点 」の 所 在 を 図 示 す る と 次 の よ う に な る 8。 121 『通訳研究』第 7 号 (2007) 図 1 視 点 ∈ 見 る 主 体 ≠観 点 ∈ 語 る 主 体 図 の 説 明 : 右 側 の 2 つ の 楕 円 = 「 物 語 世 界 外 」。「 物 語 世 界 外 の 発 話 時 点 」 = N1 (N = now)。「 物 語 世 界 外 」 に い る 「 語 り 手 」 = S1 (S = speaker) 。 S1 は 「 物 語 る 声 を 発 す る 主 体 」 と し て 「 観 点 」 (口 の マ ー ク ) を 担 い 、「 語 る こ と 」 を お こ な う 。 左 側 の 二 つ の 楕 円 を 含 む 円 = 「 物 語 世 界 内 」。「 物 語 世 界 内 の 発 話 時 点 」 = N2。「 物 語 世 界 内 」 に い る 「 登 場 人 物 」 = C (= character)。C1 は「 視 点 を 担 う 主 体 」と し て「 視 点 」 (目 の マ ー ク ) を 持 ち 、「 見 る こ と 」 を お こ な う 。 こ の 「 語 り 」 の タ イ プ に お い て は 、 原 則 的 に 、 S1 は 物 語 世 界 に は 登 場 で き な い 。 す な わ ち 、 N2 か ら 「 見 る 」 こ と は で き な い 。 し か し 、 S1 は 、 C 同 様 、「 視 点 」 を 担 う こ と は 可 能 で あ る 。 す な わ ち 、 N1 か ら 物 語 世 界 を 「 見 る 」 こ と が で きる。 「 語 り 手 」の「 見 る 」は 、 「 登 場 人 物 」の「 見 る 」と は 別 の も の で あ る た め 、 前 者 の「 見 て い る 点 」を「 観 点 」と し 、後 者 の「 見 て い る 点 」を「 視 点 」と 峻 別 し た わ け で あ る 。物 語 は 、場 合 に よ っ て は 、 「 語 り 手 」の「 観 点 」と「 登 場 人 物 」 の 「 視 点 」 と の 両 方 を 通 し 見 せ ら れ る こ と に な る 。 つ ま り 、「 登 場 人 物 」 が 「 見 る 」こ と を お こ な い 、そ れ が「 語 り 手 」の「 観 点 」を 通 し「 物 語 る 声 」に よ っ て 言 語 化 さ れ る 。 あ る い は 、「 語 り 手 」 の 「 観 点 」 を 通 し て 「 見 る 」 こ と を さ れ 、 そ れ が 語 り 手 の「 物 語 る 声 」に よ っ て 言 語 化 さ れ る 。あ る い は ま た 、 「登場人物」 が 「 語 り 手 」 と し て 語 る 内 的 独 白 の 物 語 の 場 合 は 、「 登 場 人 物 」 の 「 視 点 」 を 通 し「 見 る 」こ と が お こ な わ れ 、そ れ が「 登 場 人 物 」の「 物 語 る 声 」に よ っ て 言 語 化されることになる。 4.2 「 伝 達 様 式 」 : 日 本 語 と 英 語 の 類 別 パ タ ー ン 本 節 に お い て は 、「 伝 達 様 式 」、 す な わ ち 「 視 点 」 と 「 観 点 」 の パ タ ー ン を 、 日 本 語 と 英 語 に つ い て 整 理 す る 9。 122 独英日間翻訳における「視点」の考察:Momo を題材に 日本語の場合 日本語の伝達様式は 4 パターンあるとされる。これらを図示すると次のように なる。 図 2 日本語の伝達様式 図 の 説 明 (円・記 号 が 意 味 す る も の は 図 1 と 同 じ ):「 物 語 世 界 外 」に 移 動 し た「 語 り 手 」 = S2。横 軸 = 時 間 の 経 過 。下 の 軸 = 「 視 点 」が S1 か ら S2 に 移 動 し た 場 合 に 使 用 。上 の 軸 =「 視 点 」が S1 か ら C に 移 動 し た 場 合 に 使 用 (S2 へ の 移 動 の 場 合 と 峻 別 )。縦 軸 =時 間 軸 。左 の 軸 =「 物 語 世 界 内 の 発 話 時 点 」と し て の 過 去 の あ る 時 点 。右 の 軸 =「 物 語 世 界 外 の 発 話 時 点 」 と し て の 現 時 点 。 伝 達 様 式 (I) は 、語 り 手 S1 が 、発 話 時 点 N1 か ら 、物 語 世 界 の 出 来 事・状 況 を過去のものとして語ったり、それについて説明的・評価的に語ったりすること が で き る 様 式 で あ る 。 伝 達 様 式 (II) は 、 発 話 時 点 N2 に 移 行 し た 語 り 手 S2 が 、 物語世界の現場で目の当たりに知覚している出来事・状況・存在物を、発話時点 N2 で 語 る こ と が で き る 様 式 で あ る 。伝 達 様 式 (III) は 、登 場 人 物 C が 、物 語 世 界 の 現 場 で 目 の 当 た り に 知 覚 し て い る 出 来 事・状 況・存 在 物 を 、登 場 人 物 C 自 身 が 発 話 時 点 N2 で 語 る こ と が で き る 様 式 で あ る 。 伝 達 様 式 (IV) は 、 登 場 人 物 C が 物 語 世 界 で 知 覚 ・ 思 考 な ど し て い る あ る い は し て い た こ と を 、語 り 手 S2 が 発 話 時 点 N2 で 語 る と い う 伝 達 様 式 で あ る 。日 本 文 学 に お い て は 、パ タ ー ン (II) と (III) が 頻 出 す る と さ れ る 。 123 『通訳研究』第 7 号 (2007) 英語の場合 続いて、英語の伝達様式を図示すると次のようになる。 図 3 英語の伝達様式 図 の 説 明 (円 ・ 記 号 が 意 味 す る も の は 図 1 と 同 じ ): 英 語 の 場 合 、 原 則 的 に 、 S1 は「 物 語 世 界 内 の 発 話 時 点 」は N2 に 移 動 す る こ と は で き な い 。し た が っ て 、 英 語 の 場 合 は 、 S1 は 単 に S と し て も 問 題 は な い が 、 日 本 語 の 場 合 の S1 と 同 等 で あ る た め 、 英 語 の 場 合 も S1 と す る 。 伝 達 様 式 (V) は 、 語 り 手 S1 が 、 発 話 時 点 N1 か ら 、 物 語 世 界 の 出 来 事 ・ 状 況を過去のものとして語ったり、一般的心理や習慣などについて語ったりするこ と が で き る 様 式 で あ る 。 伝 達 様 式 (VI) は 、 登 場 人 物 C が 物 語 世 界 の N2 で 知 覚 し て い る 出 来 事 や 状 況 を 、 語 り 手 S1 が 発 話 時 点 N1 か ら 語 る 様 式 で あ る 。 伝 達 様 式 (VII) は 、 語 り 手 S1 の 登 場 人 物 C の 視 点 へ の 移 入 と 、 発 話 時 点 N2 へ の移動とが、同時におこなわれ、登場人物 C が知覚・体験している出来事・状 況 を 、登 場 人 物 自 身 が 発 話 時 点 N2 で 語 る 様 式 で あ る 。英 文 学 に お い て は 、パ タ ー ン (V) が 最 も 多 い 。 「 視 点 」が 移 動 す る 場 合 、パ タ ー ン (VI) が 出 現 し や す く 、 パ タ ー ン (VII) は 稀 で あ る と さ れ る 。 上記 7 パターンを念頭に置き、第 7 章の例証において分析をおこなう 10 。 5. 「 視 点 」 の 周 辺 概 念 本 章 に お い て は 、「 視 点 」 の 周 辺 概 念 に つ い て 述 べ る 。 第 1 節 に お い て は 、「 話 法」とその決定要素について概説する。第 2 節においては、英語における「発話 の表出」と「思考の表出」について述べる。 124 独英日間翻訳における「視点」の考察:Momo を題材に 5.1 「 話 法 」 と そ の 決 定 要 素 本節においては、第 1 項において、英語における「話法」の類別と、中でも特 徴 的 な 「 自 由 間 接 話 法 [思 考 ]」 に つ い て 概 説 す る 。 第 2 項 に お い て 、 独 語 に お け る 「 話 法 」 の 類 別 と 、 中 で も 特 徴 的 で あ り 、 英 語 の 「 自 由 間 接 話 法 [思 考 ]」 に 相 当 す る と 考 え ら れ る 「 体 験 話 法 [内 省 ]」 に つ い て 説 明 す る 。 そ し て 、 第 3 項 に お いて、 「 話 法 」を 決 定 す る 要 素 と し て の 、 「 [非 ]人 称 [代 名 ]詞 」と「 時 制 」に 言 及 す る。 5.1.1 英 語 に お け る 「 話 法 」 :「 自 由 間 接 話 法 」 を 中 心 に 物語の文中には、発話や思考の内容が組み入れられる場合がある。この発話や 思考内容の表出を「話法」と呼ぶが、これは、統語上の問題であるとともに、修 辞 上 の 効 果 も 持 つ 。一 般 に 、英 語 に お け る 話 法 に は 4 種 類 あ る と 言 わ れ る 。 「直接 話 法 (direct speech = DS)」、 「 間 接 話 法 (indirect speech = IS)」、 「 自 由 直 接 話 法 (free direct speech = FDS)」、 「 自 由 間 接 話 法 (free indirect speech = FIS)」で あ る 。く わ し くは第 5 章第 2 節で述べるが、近年、これらに「発話行為の語り手による伝達 (narrative report of speech acts = NRSA)」 を 加 え る 類 別 も 見 ら れ る 。 ま た 、「 話 法 」 をさらに「発話」と「思考」に分類し、思考内容の表出についても類別をおこな う動きがある。 ここではおもに、話法の中でも特徴的な「自由間接話法」について触れたい。 な お 、第 5 章 第 2 節 に お い て は 、 「 発 話 」と「 思 考 」と を 分 類 す る が 、こ こ で は 便 宜的に両者を含め「話法」とする。自由間接話法は、言語により名称が異なる。 独 語 で は 「 体 験 話 法 (erlebte Rede)」、 英 語 で は 「 抽 出 話 法 (represented speech)」 あ る い は 「 自 由 間 接 話 法 (free indirect speech)」、 仏 語 で は 「 自 由 間 接 話 法 (style indirect libre)」 と 呼 ぶ 。 そ し て こ れ ら を レ ル ヒ (Lerch 1922:16) に 倣 い 、「 擬 似 直 接 話 法 (Uneigengliche direkte Rede)」 と 呼 ぶ 時 代 も あ っ た (バ フ チ ン (Bakhtin) 1929: 316-359)。名 称 だ け で な く 、定 義 も 言 語 に よ り 異 な る 部 分 も あ る で あ ろ う が 、 ここでは、共通事項としての特徴について述べることにする。 自由間接話法を特定の手法として最初に指摘したのは、スタウブとトブラー (Staub & Tobler 1887: 27) で あ る 。自 由 間 接 話 法 は 、統 語 的 に は 、直 接 話 法 か ら は 語調と語順とを、間接話法からは時制と人称とを引き継ぐ。しかし、単に話法を 混合したものではない。語り手と他の登場人物のそれぞれの発話の間に新たな関 係 を 生 み 出 す 効 果 こ そ が 、こ の 話 法 の 発 生 理 由 で あ ろ う 。ロ ル ク (Lorch 1921: 75) は、この話法を、芸術的叙述のための話法と位置づけ、読者の想像力に訴える話 法であると言っている。文法的形式を見ると、自由間接話法は、直接話法と間接 話法との中間に位置する話法である。語り手の記述なのか、登場人物の発話なの か、判断に迷わされる点は、この話法の特徴のひとつである。つまり、語り手と 125 『通訳研究』第 7 号 (2007) 他の登場人物の「視点」の境界を見極めにくくする話法なのである。例を挙げて 説明しよう。 [1] He made his declaration to her that evening. He loved her. He would always. Would she never understand that? She stared silently out the window. [1] の イ タ リ ッ ク 部 分 が 、 自 由 間 接 話 法 で あ る 。 こ の 部 分 で は 、 過 去 時 制 が 過 去 の 意 味 を 喪 失 す る 。 ハ ン ブ ル ガ ー (Hamburger 1980: 65) が 「 現 前 化 」 と 呼 ぶ も のである。この部分を日本語に翻訳するとどうなるか。3 人称と過去形を持ち込 んでも、現前化は表現できない。1 人称と現在形に変えて翻訳するしかない。こ のことからも、自由間接話法に用いられる過去形は、本来の過去形とは異なるこ とがわかる。また、日本語では動作主を明示しないことが多い。さらに、日本語 においては、直接話法と間接話法との区別は明確ではない。動作主も時制も、統 語的に拘束の受け方が少なく、登場人物の発話を、語り手のそれに一体化したり 曖昧化したりすることが比較的容易なのである。日本語においては、結果的に、 自由間接話法は頻出することになる。同じ自由間接話法であるが、英語と日本語 とでは、統語的にも表出頻度も異なる。日本語における「話法」の独自な類別を する必要があると考える。 5.1.2 独 語 に お け る 「 話 法 」 :「 体 験 話 法 」 を 中 心 に 前 項 に お い て 、 英 語 に お け る 「 話 法 」 と は 、「 発 話 」 の み な ら ず 「 思 考 」 の 内 容をも指す動きがあると述べた。独語においても事情は同様である。ヘルビヒ& ブ ッ シ ャ (Helbig & Buscha 1991: 158, 204-211) に よ れ ば 、 「 話 法 」の 類 別 は 6 つ で あ る (略 語 は 筆 者 に よ る : 第 7 章 に お い て 使 用 )。 「 直 接 話 法( 説 話 ) (direkte Rede = DR)」、 「 間 接 話 法( 説 話 ) (indirekte Rede = IR)」、 「 体 験 話 法( 説 話 ) (erlebte Rede = ER)」、 「 直 接 内 省( 思 考 ) (direkte Reflexion =DRf)、 「 間 接 内 省( 思 考 ) (indirekte Reflexion =IRf)」、「 体 験 内 省 ( 思 考 ) (erlebte Reflexion = ERf)」 で あ る 。 広 義 の 「話法」は、これらすべてを含み、狭義の「話法」は、前半 3 つの「発話」に関 するものを指す。 続 い て 、「 体 験 話 法 」 に つ い て 述 べ る 。「 体 験 話 法 」 と い う と き 、 上 記 の 分 類 で い う 「 体 験 話 法 (説 話 )」 の み を 指 す 場 合 と 、「 体 験 話 法 (説 話 )」 な ら び に 「 体 験 内 省 (思 考 )」の 内 容 を も 指 す 場 合 と が あ る と 考 え ら れ る 。こ こ で は 、便 宜 上 、広 義で用いることにする。 「 体 験 話 法 」の 判 断 基 準 の 主 た る も の は 3 つ あ る (ヘ ル ビ ヒ ら 1991: 158)。 「 3 人 称 」、 「 過 去 形 」、そ し て「 疑 問 [感 嘆 ]符 」で あ る 。こ れ ら は 、 英 語 の 「 自 由 間 節 話 法 」 に お け る 判 断 基 準 (第 5 章 第 2 節 を 参 照 ) と ほ ぼ 同 じ で あ る 。 た だ し 、 英 語 に お い て は 、「 伝 達 節 」 や 「引 用 符 」が 省 か れ た 形 態 の も の を 126 独英日間翻訳における「視点」の考察:Momo を題材に 「 自 由 間 接 話 法 」と 捉 え る 、と い う 判 断 基 準 が あ り (リ ー チ & シ ョ ー ト (Leech & Short) 2003: 第 7 章 )、 こ の 点 は 、 独 語 に お い て は 事 情 が 異 な る よ う で あ る 。 本 研 究 の 言 語 資 料 に お い て も 、こ の 差 異 は 明 瞭 に 見 ら れ た 11 。独 語 に お い て は 、 「体験 話法」の使用頻度は高くない。これは、前項において述べた日本語についての事 情 の 対 極 で あ る と 考 え れ ば 説 明 は つ く で あ ろ う 。つ ま り 、統 語 的 拘 束 が 多 い た め 、 動 作 主 や 時 制 を 自 由 に 変 え る こ と は 難 し い 。 結 果 的 に 、「 記 述 文 」 が 頻 出 し 、「 体 験話法」は姿を見せにくい、ということになる。なお、本稿における「記述文」 と は 、「 発 話 [思 考 ]の 表 出 」 を 含 ま な い 文 を 指 す 。 5.1.3 「 [非 ]人 称 [代 名 ]詞 」 と 「 時 制 」 こ こ で 、「 話 法 」 の 主 た る 判 断 基 準 で あ る 「 [非 ]人 称 [代 名 ]詞 」 と 「 時 制 」 に ついて説明を加えたい。まず、筆者は、対照分析を「統語的」基準だけではおこ なわないことを断らせていただく。 「 話 法 」の 判 断 基 準 と し て 、記 号 論 的 ア プ ロ ー チと文学的それとを併用したいと考える。その上で、記号としての「3 人称代名 詞 」な ら び に「 過 去 時 制 」へ の 言 及 (山 岡 2001) に つ い て 、賛 同 す る 点 を 挙 げ て おきたい。 少なくとも英語の 3 人称物語における「3 人称代名詞」は、登場人物を客観的 に 対 象 化 し て 表 す と い う 記 号 論 的 意 味 を 持 つ 。ま た 、 「 過 去 時 制 」は 、語 ら れ る 出 来 事 が 過 去 の も の で あ る こ と を 知 ら せ る と い う 記 号 論 的 意 味 を 持 つ 。し た が っ て 、 これら 2 者は、 「 語 り 手 」の 存 在 を 示 す 言 語 的 特 徴 で あ る と 言 え よ う 。こ れ ら の 出 現の有無により、 「 語 り 手 」に よ る 語 り で あ る か 否 か を 判 断 し 得 る の で あ る 。つ ま り 、3 人 称 代 名 詞 が 出 現 し な い と き は 、「 語 り 手 」が「 登 場 人 物 」を 客 観 的 に 見 る ことを放棄しているのであり、 「 視 点 」が こ の「 登 場 人 物 」に 移 動 し て い る 可 能 性 を 示 唆 す る 。ま た 、過 去 時 制 が 出 現 し な い と き は 、 「 語 り 手 」は「 登 場 人 物 」が い る 物 語 世 界 内 の 発 話 時 点 に 移 動 し て い る か 、あ る い は 、 「 語 り 手 」は 物 語 世 界 外 に 留 ま る も の の 、「 登 場 人 物 」 に よ る 発 話 あ る い は 思 考 の 表 出 (「 自 由 間 接 話 法 [思 考 ]の 使 用 」) で あ る と 考 え ら れ 、 「 視 点 」が 物 語 世 界 内 へ 移 動 し た「 語 り 手 」に 、 あるいは物語世界内の「登場人物」に移動していることを示唆する。なお、これ は、英語の 3 人称物語についての理論であり、英語の 1 人称物語や他言語による 物語についても検討する必要がある 12 。 5.2 英 語 に お け る 「 発 話 の 表 出 」 と 「 思 考 の 表 出 」 こ こ ま で は 、お も に 記 号 論 的 側 面 か ら の 理 論 を 説 明 し て き た 。本 節 に お い て は 、 文 体 論 の 見 地 か ら 、 英 語 に お け る 「 発 話 [思 考 ]の 表 出 」 に つ い て 述 べ る 。 第 5 章 第 1 節 第 2 項 に お い て 挙 げ た 、 リ ー チ ら に よ る 共 著 Style in Fiction (1981) よ り 、 本 研 究 に お い て 注 目 す る 「 自 由 間 接 話 法 [思 考 ]」 を 中 心 に 概 説 す る 。 127 『通訳研究』第 7 号 (2007) 1) 英 語 に お け る 「 発 話 の 表 出 」 第 5 章 第 1 節 第 1 項 に お い て 触 れ た よ う に 、話 法 に は「 直 接 話 法 (DS)」、 「間接 話 法 (IS)」、「 自 由 直 接 話 法 (FDS)」、「 自 由 間 接 話 法 (FIS)」 の 4 種 類 が あ る 。 リ ー チ ら (2003: 235-255) は 、こ れ ら に「 発 話 行 為 の 語 り 手 に よ る 伝 達 (NRSA)」を 加え、詳細に説明している。ここでは、それぞれの発話の表出パターンについて の 詳 述 は 省 き 、「 視 点 」の 見 極 め に 際 し 、最 も 特 徴 的 な「 自 由 間 接 話 法 (FIS)」に ついて言及したい。 リ ー チ ら (2003: 238) に よ れ ば 、 「 自 由 間 接 話 法 (FIS)」の 統 語 上 の 特 徴 は 、(i) 引 用 符 を 取 り 去 る 、 (ii) 導 入 の 働 き を す る 伝 達 節 を 取 り 去 る 、 (iii) 引 用 符 と 伝 達 節 と を 取 り 去 る 、 の 3 点 で あ る 。 つ ま り 、「 直 接 話 法 (DS)」 に 存 在 す る 、 語 り 手 の 存在を示す 2 つの特徴の一方あるいは両者を取り去ればよい。例文により示すと [2] の よ う に な る [2] 13 。 DS: He said, ‘I’ll come back here to see you again tomorrow.’ FIS1: He said I’ll come back here to see you again tomorrow. / FIS2: ‘I’ll come back here to see you again tomorrow.’ / FIS3: I’ll come back here to see you again tomorrow. 「 自 由 間 接 話 法 (FIS)」 は 、 意 味 的 地 位 が 不 明 瞭 で あ る 点 が き わ め て 特 徴 的 で あ る 。ま た 、通 常 、語 り に よ る 伝 達 と い う 文 脈 に お い て 現 れ る 。大 半 の 物 語 は 、3 人称の語り手が過去時制で語るため、この話法による語りは、語りによる伝達形 式 に 一 致 す る 直 接 性 と 同 時 に 、間 接 性 を 示 す 。さ ら に 、自 由 さ を 示 す 特 徴 も 持 つ 。 2) 英 語 に お け る 「 思 考 の 表 出 」 い さ さ か 文 学 史 的 な こ と に な る が 、 19 世 紀 以 降 の 作 家 た ち は 、「 内 的 発 話 (internal speech)」 の 描 写 に 関 心 を 抱 い て き た 。 内 的 発 話 と は 、 い わ ゆ る 「 内 的 独 白 」( = 意 識 の 流 れ )」 と 同 義 で あ る 。 リ ー チ ら は 、 話 法 と 思 考 の 表 出 様 式 が 、 形 式的には似通ったものであると指摘している。同時に、思考の描出は、最も間接 的な形においてさえ、究極的には創作物であることを忘れてはならない、と主張 す る 。 そ し て 、 思 考 の 表 出 は 、「 自 由 直 接 思 考 (free direct thought = FDT) 」、「 直 接 思 考 (direct thought = DT) 」、 「 自 由 間 接 思 考 (free indirect thought = FIT) 」、 「間 接 思 考 (indirect thought = IT) 」、「 思 考 行 為 の 語 り 手 に よ る 伝 達 (narrative report of a thought act = NRTA) 」 に 類 別 さ れ る と し 、 詳 細 な 説 明 を 加 え て い る (リ ー チ & シ ョ ー ト 2003: 255-268) 。こ こ で は 、そ れ ぞ れ の 思 考 の 表 出 パ タ ー ン に つ い て の 詳 述 は 省 き 、「 視 点 」の 見 極 め に 際 し 、最 も 特 徴 的 な「 自 由 間 接 思 考 (FIT)」に ついて言及したい。 128 独英日間翻訳における「視点」の考察:Momo を題材に リ ー チ ら (2003: 257) に よ れ ば 、 「 自 由 間 接 思 考 (FIT)」の 統 語 上 の 特 徴 は 、 (i) 伝 達 節 の 時 制 に 変 換 す る 、 (ii) 1 人 称 代 名 詞 を 適 切 な 3 人 称 代 名 詞 に 変 換 す る 、 (iii) 伝 達 節 を 取 り 去 る 、 (iv) 疑 問 形 [詞 ]が あ れ ば 保 持 す る 、 の 4 点 で あ る 。 つ ま り 、 「 直 接 思 考 (DT)」に 存 在 す る 、語 り 手 の 存 在 を 示 す 特 徴 を 取 り 去 れ ば よ い 。例 文 に よ り 示 す と 、 [3] の よ う に な る 14 。 [3] DT: He wondered, ‘Does she still love me?’ FIT: Did she still love him? 「 自 由 間 接 話 法 (FIS)」 同 様 、「 自 由 間 接 思 考 (FIT)」 も 意 味 的 地 位 が 不 明 瞭 で ある点が特徴的である。 「 自 由 間 接 思 考 (FIT)」に よ る 語 り は 、語 り に よ る 伝 達 形 式を一部維持する点で直接的であり、同時に時制や人称が伝達節と一致させられ るため間接性も示す。ある程度の自由さも持つ。 こ こ で 、「 発 話 の 表 出 」 と 「 思 考 の 表 出 」 の 様 式 を 図 示 す る と そ れ ぞ れ 図 4 と 図 5 の よ う に な る (リ ー チ & シ ョ ー ト 2003: 264 [図 7.3]; 筆 者 が ア レ ン ジ )。 図 4 「発話の表出」 話法表出: NRSA IS FIS DS FDS [DS が 基 準 ] IT FIT DT FDT [IT が 基 準 ] 図 5 「思考の表出」 思考表出: NRTA 2 つ の 図 を 簡 単 に 説 明 し よ う 。ま ず 、「 発 話 の 表 出 」の 基 準 は「 直 接 話 法 (DS)」 である。語り手の伝達支配は、左へ行くほど大きくなり、右へ行くほど小さくな る。登場人物が語り手を交えず読者に直接的に話しかける効果は、左へ行くほど 小 さ く な り 、右 へ 行 く ほ ど 大 き く な る 。一 方 、 「 思 考 の 表 出 」の 基 準 は「 間 接 思 考 (IT)」 で あ る 。 登 場 人 物 の 心 中 へ と 向 か う 動 き は 、 右 へ 行 く ほ ど 強 く な る 。 作 者 の 意 識 性 や 技 巧 性 は 、や は り 右 へ 行 く ほ ど 強 ま る 。そ し て 、 「 発 話 の 表 出 」と「 思 考の表出」とが対応関係を成していることは自明である。 図 4 と 図 5 か ら は 、さ ら に 、 「 視 点 」の 存 在 と そ の 移 動 の 有 様 を も 連 想 し 得 る 。 つ ま り 、図 の 左 側 へ 向 か う ほ ど 、作 者 の 介 入 が 大 き く な り 、 「 視 点 の 主 体 」と「 語 る声の主体」は、物語世界外へ向かうと考えられる。逆に、右側へ向かうほど、 作者の介入から解放され、 「 視 点 の 主 体 」と「 語 る 声 の 主 体 」は 、物 語 世 界 内 の 登 場人物へと向かうと考えられる。 ま た 、発 話 な ら び に 思 考 の 表 出 の 基 準 は そ れ ぞ れ「 直 接 話 法 (DS)」と「 間 接 思 考 (IT)」で あ る 。そ し て 、 「 間 接 話 法 (IS)」と「 直 接 話 法 (DS)」、 「 間 接 思 考 (IT)」 129 『通訳研究』第 7 号 (2007) と 「 直 接 思 考 (DT)」 と い う 明 確 な 様 態 の 間 に 、 そ れ ぞ れ 「 自 由 間 接 話 法 (FIS)」 と「 自 由 間 接 思 考 (FIT)」と い う 様 態 が 存 在 す る 。つ ま り 、 「 自 由 間 接 話 法 (FIS)」 と 「 自 由 間 接 思 考 (FIT)」 は 後 に 組 み 込 ま れ た 様 態 な の で あ る 。「 自 由 直 接 話 法 (FDS)」と「 自 由 直 接 思 考 (FDT)」、 「 発 話 行 為 の 語 り 手 に よ る 伝 達 (NRSA)」と「 思 考 行 為 の 語 り 手 に よ る 伝 達 (NRTA) 」 も 同 様 で あ る 。 こ れ ら 後 発 の 様 態 の う ち 、 図 4 と 図 5 そ れ ぞ れ の 中 心 に 位 置 す る 「 自 由 間 接 話 法 (FIS)」 と 「 自 由 間 接 思 考 (FIT)」は 、様 態 と し て き わ め て 興 味 深 い も の で あ る 。第 5 章 第 1 節 第 1 項 に お い て 言 及 し た よ う に 、「 自 由 間 接 話 法 (FIS)」 は そ の 特 徴 と し て 、「 芸 術 的 叙 述 の た め の 話 法 と 位 置 づ け 、読 者 の 想 像 力 に 訴 え る 」点 や 、 「 感 情 移 入 」が 可 能 な 点 を 備 え る か ら で あ る 。「 語 り 手 の 叙 述 」 な の か 、「 登 場 人 物 の 発 話 」 な の か 、 判 断 に 迷 わ さ れ る こ と が 多 い 点 も「 自 由 間 接 話 法 (FIS)」の 特 徴 で あ る 。つ ま り 、「 語 り 手 と 登 場 人 物 の 視 点 の 境 界 」 を 見 極 め に く く す る の が 「 自 由 間 接 話 法 (FIS)」 で あ る 。「 自 由 間 接 思 考 (FIT)」 も 同 様 の 見 極 め の 困 難 さ を 持 つ と 想 像 し 得 る 。 以 上 の こ と か ら 、 本 稿 で は 、「 自 由 間 接 話 法 (FIS)」 と 「 自 由 間 接 思 考 (FIT)」 に着眼し、例証を試みることにする。なお、ここまでの議論は、すべて英語の物 語に関する観察である。今後、他の言語に関しての観察、ならびに相互の対応関 係 の 検 討 を お こ な う 必 要 が あ る 。 本 稿 で は 、 便 宜 上 、 リ ー チ ら (独 語 は ヘ ル ビ ヒ ら) の類別に沿い検証を試みる。 6. 言語資料 本研究の第 7 章においてケーススタディとして用いる言語資料は、独文学作家 ミ ヒ ャ エ ル・エ ン デ (Michael Ende) に よ る Momo 15 とその英訳ならびに邦訳であ る。言語資料の選択理由は、筆者の翻訳研究としての「視点」研究において一貫 している 16 。 第 1 に 、発 行 部 数 が 多 い こ と で あ る 。や や 古 い 数 値 で あ る が 、1996 年 時 点 で 230 万 部 と の デ ー タ が あ る (独 本 国 以 外 が 80 万 部 、 う ち 50 万 部 が 日 本 で の 発 行 部 数 で あ る と い う )。第 2 に 、世 界 中 で 翻 訳 さ れ て い る こ と で あ る 。1996 年 時 点 で 330 カ 国 の 言 語 に 翻 訳 さ れ て い る と い う 。第 3 に 、現 代 小 説 で あ る こ と 。1973 年 に 本 国 ド イ ツ で 出 版 さ れ 、30 年 余 を 経 た 作 品 で あ る 。第 4 に 、中 長 編 小 説 で あ る こ と 。 い く つ か の イ ラ ス ト 数 が 挿 入 さ れ た 300 ペ ー ジ 強 の 作 品 で あ る 。 第 5 に 、 使 用 語 彙の難易度が低いこと。母語話者の小学生高学年が十分読める平易な語彙により 編まれている。ただし、使用言語が平易であっても内容的に薄いということでは 全くない。児童書のようにも見えるが、実際は大人たちに向けられた、メッセー ジ性の高い文学作品である。第 6 の理由がこの文学性の高さである。物語が言語 の壁を超え人々に浸透するのは、原典の世界が翻訳作品に巧みに移行されている からであろう。本研究においては、記号論的方法論の援用に留まらず、文学的な 130 独英日間翻訳における「視点」の考察:Momo を題材に 読み込みを分析に加味する。このため上述の 6 条件を備えた作品を選択するしだ いである。 ここで言語資料の出版情報を示しておく。 《 原 典 》 Ende, Michael. (1973). Momo. Stuttgart/Wien: Thienemann. 《 英 訳 》 Brownjohn, J. Maxwell. (1984). Momo. (New English language translation.) (Trans.) New York: Doubleday & Company Inc., and Penguin Books Ltd. 《 邦 訳 》 大 島 か お り (2001). 『 愛 蔵 版 モ モ 』 岩 波 書 店 なお、本稿においては、紙面の都合上、英訳と邦訳それぞれ 1 点を扱い、例文 は 特 徴 的 な 4 つ を 掲 載 し 、詳 し い 分 析 を 示 す 。全 20 の 例 文 の 分 析 に つ い て は 、簡 潔に要点を述べる形にする 7. 17 。 例証 本 章 に お い て は 、ケ ー ス ス タ デ ィ と し て 、 Momo と そ の 英 訳 な ら び に 邦 訳 の 分 析をおこなう。第 1 節においては、例文の選択理由を述べる。第 2 節と第 3 節に お い て は 、そ れ ぞ れ「 自 由 間 接 話 法 」と「 記 述 文 」の 対 照 に 焦 点 を 当 て 分 析 す る 。 そ し て 、「 [非 ]人 称 [代 名 ]詞 」、「 時 制 」、「 話 法 」 の 側 面 か ら 検 証 し た 上 で 、「 視 点 」 について考察する。なお、第 5 章第 1 節第 2 項において触れたように、本稿にお け る 「 記 述 文 」 と は 「 発 話 の 表 出 [思 考 ]」 を 含 ま な い 文 を 指 す 。 7.1 例文の選択 例文の選択にあたっては、次の 2 点を条件に、全編から均等におこなった。1 点目は、 「 英 訳 に お い て『 自 由 間 接 話 法 』で あ る 箇 所 」に つ い て 、原 典 な ら び に 邦 訳 を 対 照 し た 。こ れ は 、独 語 と 邦 訳 に お け る 対 応 箇 所 が 、そ れ ぞ れ 、 「 記 述 文 」と 「自由直接話法」であるケースが多いとの予測からである。この予測が正しけれ ば、 「 視 点 」の 所 在 が 、独 語 に お い て「 語 り 手 」寄 り で あ る も の が 、英 訳 に お い て は「語り手」と「登場人物」のいずれか判断が困難なものに、そして、邦訳にお いては「登場人物」寄りなものへと変容する可能性を示すことができる。 2 点 目 は 、「 邦 訳 に お い て 、『 記 述 文 』 で あ り な が ら 『 現 在 形 』 と な っ て い る 箇 所」について、原典ならびに英訳を対照した。これは、独語や英訳における対照 箇 所 の「 記 述 文 」が「 過 去 形( あ る い は 過 去 完 了 形 な ど )」で あ る ケ ー ス が 多 い と の予測からである。さらには、一見すると「記述文」であっても、じつは「自由 間 接 話 法 [思 考 ]」 で あ る 場 合 も あ る 。 こ の こ と も 想 定 し 、 例 文 を 選 択 し た 。 こ の 131 『通訳研究』第 7 号 (2007) 予 測 が 正 し け れ ば 、邦 訳 に お い て は 、独 語 や 英 訳 に お い て よ り も 、 「 語 り 手 」が「 物 語世界内」に移動する可能性を示すことができる。 7.2 「 自 由 間 接 話 法 」 の 対 照 邦 訳 に お い て 「 自 由 間 接 話 法 [思 考 ]」 で あ る 箇 所 」 に つ い て 、 独 語 な ら び に 英 訳を対照し、さまざまな話法あるいは記述文の峻別をしたものが図 6 である。 図 6 「 記 述 文 」 /「 話 法 」 の 対 照 ( 注 ) 例文# 独語 英訳 邦訳 1 D D FDT 2 IR IS FDS 3* DRf DT FDS 4 DRf IT+FIT / D FDT 5 D IS FDS 6** D IS FDS 8 D D IS 9 ERf FIT+D FDT 10*** ERf FIT FDT 12 ERf IT+FIT FDT 13**** ERf FIT FDT * 例文 3 のみならず、翻訳では、必ずしも引用符を用いない場合もある。 邦訳も「直接話法」の可能性あり ** 例 文 6 は 、 会 話 中 の 伝 聞 *** 例 文 10 は 、 独 語 ・ 英 訳 ・ 邦 訳 と も 、 最 終 文 は 「 体 験 話 法 」 中 に 「 間 接 話法」が埋め込まれた形 **** 例 文 13 は 、 独 語 の 網 か け 部 分 は 「 記 述 文 」 で あ ろ う が 、「 体 験 話 法 」 の 可能性もある ※ 例 文 14 と 例 文 15 は 「 『 記 述 文 』 の 対 照 」 (第 7 章 第 3 節 ) の 例 と し て 選 択したが、「体験話法」か「記述文」か微妙な例でもある。 ( 注 ) 略 語 は 、 記 述 文 = D =(description)、 独 語 の 話 法 の 類 別 に つ い て は 第 5 章 第 1 節 第 2 項を、英語のそれについては第 5 章第 1 節第 1 項を参照のこと。日本語について は便宜上、英語に準じる。 132 独英日間翻訳における「視点」の考察:Momo を題材に 図 6 に お い て き わ め て 特 徴 的 な 点 は 、 全 11 例 の う ち 邦 訳 に お け る 「 自 由 間 接 話 法 [思 考 ]」 は 10、「 間 接 話 法 」 が 1 (例 文 8) と い う 数 で あ る 。 英 訳 に お け る 「自 由 間 接 話 法 [思 考 ]」は 6 (う ち 例 文 4 と 例 文 12 は 一 部 「 間 接 思 考 」 )、「 間 接 話 法 」 が 3 (例 文 4 と 例 文 12 の 一 部 の「 間 接 思 考 」を 含 め る と 5)、「 直 接 話 法 」が 1、そ し て 「記 述 文 」が 2、そ し て「 自 由 間 接 思 考 」か「 記 述 文 」か 判 断 に 迷 う も の が 1 (例 文 4) で あ る 。独 語 に お け る 「体 験 話 法 [思 考 ]」は 4、 「 間 接 話 法 」が 2、 「 直 接 話 法 [思 考 ]」が 2、そ し て 「記 述 文 」が 3 で あ る 。予 想 ど お り 、邦 訳 の「 自 由 直 接 話 法 [思 考 ]」 の多さは際立っている。英訳と独語では、客観的記述が後者にやや多いことが伺 われる 18 。 こ こ で 、3 言 語 に お け る 差 異 を 見 極 め る た め 、特 徴 的 な 4 つ の 例 文 (例 文 1、4、 6、 13) を 取 り 上 げ 、「 視 点 」 と 「 観 点 」 の 所 在 に つ い て 分 析 す る 。 選 択 は 、 英 訳 において、 「 視 点 」の 所 在 が「 語 り 手 」と「 登 場 人 物 」の い ず れ か 判 断 し に く い「 自 由 間 接 話 法 [思 考 ]」に 変 容 し て い る も の を 中 心 に 、邦 訳 に お い て 、「 視 点 」が 明 ら か に 「 登 場 人 物 」 へ と 移 動 す る 「 自 由 直 接 話 法 [思 考 ]」 に 変 容 し て い る も の を 中 心 に お こ な っ て い る 。 ( 文 中 の 時 制 の 説 明 と マ ー キ ン グ は 筆 者 。凡 例: 話法、 = 発話、 = 体験 = 記述文) 例文 1 ...― und er ging hin und erzählte alles das der kleinen Momo, dann wurde ihm, noch während er redete, auf geheimnisvolle Weise klar, dass er sich gründlich irrte, dass es ihn, genauso wie er war, unter allen Menschen nur ein einziges Mal gab und dass er deshalb auf seine besondere Weise für die Welt wichtig war. (過 去 形 ) So konnte Momo zuhören! (Ende: 16) …And if someone felt that his life had been an utter failure, and that he himself was only one among millions of wholly unimportant people who could be replaced as easily as broken windowpanes, he would go and pour out his heart to Momo. And, even as he spoke, he would come to realize by mysterious means that he was absolutely wrong: that there was only one person like himself in the whole world, and that, consequently, he mattered to the world in his own particular way. Such was Momo’s talent for listening. (Brownjohn 訳 : 18-19) こ の 人 が モ モ の と こ ろ に 出 か け て い っ て 、そ の 考 え を う ち あ け た と し ま す 。す る と し ゃ べ っ て い る う ち に 、ふ し ぎ な こ と に じ ぶ ん が ま ち が っ て い た こ と が わ か っ て く る 133 『通訳研究』第 7 号 (2007) の で す 。い や 、お れ は お れ な ん だ 、世 界 じ ゅ う の 人 間 の 中 で 、お れ と い う 人 間 は お れ ひとりしかいない、だからおれはおれなりに、この世の中でたいせつな存在なんだ。 こういうふうにモモは人の話が聞けたのです! (大 島 訳 : 11) ま ず「 視 点 」に つ い て 見 よ う 。例 文 1 の 独 語 は「 記 述 文 」で あ り 、 「 視 点 」は「 S1」 に あ る 。 英 訳 も 「 記 述 文 」 で あ り 、「 視 点 」 は 「 S1」 に あ る 。 邦 訳 は 「 自 由 直 接 思 考 」で あ り 、「 視 点 」は 、「 C」 (「 お れ 」と い う 、語 り 手 が 想 定 し た 不 特 定 の 1 人称の人物) に移動している。 例文 4 Da sie sich keinen anderen Rat wusste, beschloss sie, nun doch in den Zauberspiegel zu blichen. Denn sie dachte: Vielleicht kann der Spiegel mein Bild zu dem Prinzen bringen. Vielleicht blicht der gerade zufällig in die Hӧhe, wenn der Spiegel am Himmel dahinschwebt, und dann sieht er mein Bild. Vielleicht folgt er dem Spiegel auf seinem Weg und findet mich hier. (現 在 形 ) (Ende: 53) ‘For want of a better idea, she decided to look into the magic mirror after all, thinking that it might carry her own reflection to the prince. There was a chance that he might be looking up at the sky when the mirror floated past and would see her in it. Perhaps he would follow the mirror back to the palace and find her there. (Brownjohn 訳 : 47) お 姫 さ ま は ど う し て も ほ か に 方 法 を 思 い つ か な い の で 、と う と う 魔 法 の 鏡 に じ ぶ ん を う つ す 決 心 を し ま し た 。こ う 考 え た か ら で す 。も し か す る と 鏡 は わ た し の 影 を 王 子 さ ま の と こ ろ に は こ ん で く れ る か も し れ な い 。も し か す る と 鏡 が 空 に た だ よ っ て い る ときに、たまたま王子さまが目をあげて、わたしのすがたに気がつくかもしれない。 そ う し た ら 鏡 の あ と を 追 っ て こ こ ま で や っ て 来 て 、わ た し を み つ け て く だ さ る か も し れないわ。 (大 島 訳 : 64) 例文 4 19 の 独 語 は 「 直 接 内 省 (思 考 )」 で あ り 、「 視 点 」 は 「 S1」 に あ る 。 英 訳 は「 記 述 文 」と も「 自 由 間 接 思 考 」 (う ち 最 初 の 導 入 の 伝 達 節 に 導 か れ る 節 は「 間 接 思 考 」) と も 取 り 得 る 。前 者 の 場 合 、 「 視 点 」は「 S1」に あ り 、後 者 の 場 合 (「 自 由 間 接 思 考 」 の 部 分 )、「 視 点 」 は 「 S1」 に あ る か 、 あ る い は 「 C」 (「 わ た し 」、 134 独英日間翻訳における「視点」の考察:Momo を題材に つ ま り モ モ ) に 移 っ て い る 可 能 性 も あ る (「 間 接 思 考 」の 部 分 の「 視 点 」は「 S1」 に あ る )。 こ こ で は 、 過 去 形 と 3 人 称 代 名 詞 の 使 用 か ら 、「 視 点 」 は 「 S1」 に 固 定 さ れ て い る と 判 断 し 得 る で あ ろ う 。邦 訳 は「 自 由 直 接 思 考 」で あ り 、 「 視 点 」は「 C」 (「 わ た し 」、 つ ま り モ モ ) に 移 っ て い る 。 例文 6 ≫ Stell dir vor, Momo≪ , sagte Liliana strahlend, ≫ Nino ist zu Onkel Ettore und den anderen Alten, jedem Einzelnen, hingegangen, hat sich entschuldigt und sie gebeten, wiederzukommen.≪ (過 去 形 ) (Ende: 93) ‘Just imagine, Momo,’ said Liliana, beaming, ‘Nino went to see Uncle Enrico and the other old men. He apologized to them, one after the other, and asked them to come back.’ (Brownjohn 訳 : 80) 「ねえモモ、考えてもごらんよ」と、リリアーナは顔をかがやかせて言いました。 「 ニ ノ は ね 、エ ッ ト ー レ お じ さ ん と ほ か の 年 よ り の と こ ろ を ひ と り ず つ ま わ っ て 、ま え の こ と を あ や ま っ て 、 ま た 来 て く れ と た の ん で 歩 い た ん だ よ 。」 (大 島 訳 : 115-116) 例 文 6 の ア ン ダ ー ラ イ ン 部 分 の 独 語 は 「 記 述 文 」 で あ り 、「 視 点 」 は 「 S1」 に あ る 。 英 訳 は 「 間 接 話 法 」 で あ り 、「 視 点 は や は り 「 S1」 に あ る 。 邦 訳 は 「 自 由 直 接 話 法 」 で あ り 、「 視 点 」 は 「 C」 (「 ニ ノ 」 と い う 登 場 人 物 の 一 人 ) に 移 動 す る 。 た だ し 、 こ の 箇 所 は 、 独 語 で い う Liliana に よ る 発 話 中 の 伝 聞 で あ り 、 こ れ を 考 慮 に 入 れ る と 、「 視 点 」 は 独 語 ・ 英 訳 ・ 邦 訳 と も に 「 C」 (Liliana / リ リ ア ー ナ) にあると言える。 例 文 13 Also, wohin?≪ , fragte der Fahrer, als Momo sich wieder zu ihm in Gigis langes elegantes Auto setzte. Das Mädchen starrte verstӧrt vor sich hin. denn eigentlich? Was sollte sie ihm sagen? Sie musste Kassiopeia suchen. denn verloren? (こ こ ま で 過 去 形 ) Aber wo? Wohin wollte sie Wo und wann hatte sie sie Bei der ganzen Fahrt mit Gigi war sie schon nicht mehr dabei gewesen, (過 去 完 了 形 ) das wusste Momo ganz sicher. (過 去 形 ) Also vor Gigis Haus! (過 去 形 ) Und nun fiel ihr auch ein, dass auf ihrem Rückenpanzer ≫ LEBEWOHL!≪ und ≫ ICH GEH DICH SUCHEN≪ gestanden hatte. 135 Natürlich hatte 『通訳研究』第 7 号 (2007) Kassiopeia vorher gewusst, dass sie sich verlieren würden. (過 去 完 了 形 ) sie also Momo suchen. (過 去 形 ) Und nun ging Aber wo sollte Momo Kassiopeia suchen? (過 去 形 ) (Ende : 233) ‘Where to?’ asked the chauffeur when Momo got in beside him. She looked perplexed. where? Where did she want to go? Where had she lost her? She had to look for Cassiopeia, but The tortoise hadn’t been with them on the drive to the airport, that much she knew for sure, so the likeliest place would be outside Guido’s house. Then she remembered the words on Cassiopeia’s shell: ‘GOODBYE’ and ‘TO LOOK FOR YOU’. Of course! Cassiopeia had know beforehand that they would lose each other, so she’d gone looking for her. But where should she, Momo, go looking for Cassiopeia? (Brownjohn 訳 : 188) 「 で 、行 く さ き は ? 」と 運 転 手 は 、モ モ が ふ た た び ジ ジ の す ら り と 長 い し ゃ れ た 自 動車にのりこんだとき、ききました。 彼 女 は 放 心 し た よ う に 目 の ま え を 見 つ め ま し た 。な ん と こ た え た ら い い ん だ ろ う ? いったいあたしは、どこに行くつもり? で も 、ど こ を さ が す ? カシオペイアをさがさなくちゃいけない。 い っ た い 、い つ ど こ で は ぐ れ た の か し ら ? ジジと車で走っ て い た と き に は 、も う い な か っ た 、そ れ は た し か だ 。じ ゃ 、ジ ジ の 家 の ま え だ ! こ の と き ふ と モ モ は 、 カ シ オ ペ イ ア の 甲 ら に 「 ゴ キ ゲ ン ヨ ウ ! 」 と か 、「 ア ナ タ ヲ サ ガ シ ニ ユ キ マ ス 」と か い う 文 字 が う か ん で い た こ と を 思 い 出 し ま し た 。や っ ぱ り カ シ オ ペ イ ア は 、あ の と き ふ た り が す ぐ に は ぐ れ て し ま う こ と が わ か っ て い た の で す 。そ し て い ま は モ モ を さ が し て い る は ず で す 。で も そ う だ と す る と 、モ モ は ど こ に カ シ オ ペイアをさがしに行けばいいのでしょう? (大 島 訳 : 293) 例 文 13 20 に つ い て 、 独 語 は 「 体 験 内 省 (思 考 )」 で あ り 、「 視 点 」 は 「 S1」 に あ る 。 英 訳 は 「 自 由 間 接 思 考 」 で あ り 、「 視 点 」 は 「 S1」 に あ る 。 邦 訳 は 「 自 由 直 接 思 考 」 で あ り 、「 視 点 」 は 「 C」 (「 モ モ 」 ) に 移 動 し て い る 。 続いて「観点」について見よう。例文 1 の独語における「観点」は物語世界外 の 「 S1」 に あ る 。 英 訳 に お け る 「 観 点 」 も 「 S1」 に あ る 。 邦 訳 に お け る 「 観 点 」 は 物 語 世 界 外 の 「 S1」 か ら 物 語 世 界 内 の 「 C」 (「 お れ 」 ) へ と 移 る 。 例 文 4 の 独 語 に お け る 「 観 点 」 は 物 語 世 界 外 の 「 S1」 に あ る と 考 え ら れ る 。 英 訳 に お け る 「 観 点 」 も 「 S1」 に あ る と 考 え ら れ る 。 た だ し 、 独 語 と 英 訳 (「 間 接 思 考 」+「 自 由 間 接 思 考 」と 捉 え た 場 合 の「 自 由 間 接 思 考 」の 部 分 ) に つ い て は 、 複数の可能性が考えられる。統語上は、3 人称代名詞や過去形の使用により、 「視点」 136 独英日間翻訳における「視点」の考察:Momo を題材に も「観点」も物語世界外の「S1」にあると判断できる。しかし、文脈を考慮すると、 「C」(モモ ) あるいは 物語世界内の「S2」が 語る声を発しているとも考えられる 。 邦 訳 に お け る 「 観 点 」 は 物 語 世 界 外 の 「 S1」 か ら 物 語 世 界 内 の 「 S2」 へ と 移 る 。 例 文 6 の ア ン ダ ー ラ イ ン 部 分 は 、 原 典 言 語 で い う Liliana に よ る 発 話 中 の 伝 聞 で あ る 。 し た が っ て 、 独 語 に お け る 「 観 点 」 は 物 語 世 界 内 の 「 C」 (Liliana) に あ る 。 英 訳 に お け る 「 観 点 」 も 「 C」 (Liliana) に あ る 。 邦 訳 に お け る 「 観 点 」 も ま た 物 語 世 界 内 の 「 C」 (「 リ リ ア ー ナ 」 ) に あ る 。 例 文 13 の 独 語 に お け る 「 観 点 」 は 物 語 世 界 外 の 「 S1」 に あ る 。 英 訳 に お け る 「 観 点 」 も 「 S1」 に あ る 。 邦 訳 に お け る 「 観 点 」 は 物 語 世 界 外 の 「 S1」 か ら 物 語 世 界 内 の 「 C」 (「 モ モ 」 ) へ と 移 る 。 ここで、上記 4 つの例文について「視点」と「観点」の所在を図示する 図 7 図 8 例 文 1、 4、 13 の 独 語 と 英 訳 例文 4 の独語と英訳 21 。 図 9 例 文 6 の 英 訳 、 1、 4、 6、 13 の 邦 訳 (新 XIV) (III) (V) 「視点」と「観点」は 「視点」は物語世界外 「視点」と「観点」は、 物 語 世 界 外 の 「 S1 」 に の 「 S1」 に あ り 「 観 点 」 物 語 世 界 内 の「 C」に あ ある は 物 語 世 界 内 の 「 S2 」 る あ る い は 「 C」 に 移 動 7.3 「 記 述 文 」 の 対 照 邦 訳 に お い て 、「 記 述 文 」 で あ り な が ら 「 現 在 形 」 と な っ て い る 箇 所 に つ い て 、 独 語 な ら び に 英 訳 を 対 照 し 、 時 制 の 峻 別 を し た も の が 、 次 の 表 ( 図 10) で あ る 。 137 『通訳研究』第 7 号 (2007) 図 10 「 時 制 」 の 対 照 ( 現 在 形 = present、 過 去 形 = Präteritum / past、 過 去 完 了 形 = Plusquamperfekt / past perfect、 接 続 法 未 来 形 = Konjunktiv Futurum) 例文# 独語 英訳 邦訳 3 Präteritum past 現在形 7* Präteritum / past / 現在形 Plusquamperfekt / past perfect Präteritum 8 Präteritum past 現在形 11** Präteritum / past 現在形 Plusquamperfekt/ Präteritum 12 Präteritum past 現在形 13*** Plusquamperfekt / past / 現在形 Präteritum / past perfect Präteritum 14**** past 現在形 Plusquamperfekt / past perfect / 現在形 Plusquamperfekt / past / Präteritum / present Konjunktiv Futurum / Präteritum / Präteritum / Plusquamperfekt 15***** Präteritum / Präteritum 16 Präteritum past 現在形 17****** Präteritum / past 現在形/ 過去形 (Plusquamperfekt) 18 Präteritum (訳漏れ) 現在形 19 Präteritum / past / 現在形 Plusquamperfekt past perfect Präteritum past 20 現在形 * 例 文 7 の 独 語 の 一 段 目 の 時 制 は 、 “Ihm war……” の 主 文 に つ い て の 時 制 ( 複 文 部 分 を 含 ま な い )。 例 文 7 の 邦 訳 は 、対 照 の た め に 原 典 と 対 応 箇 所 を 合 わ せ る と 、 あみかけ部分の第 1 文が過去形。 138 独英日間翻訳における「視点」の考察:Momo を題材に ** 例 文 11 の 独 語 の 3 段 目 の 時 制 は 、 “Aber nun log er!“ の 1 文 に つ い て の も の 。 *** 例 文 13 の 独 語 の 時 制 は 、 1 段 目 が “Natürlich hatte...“ 、 3 段 目 が ”Aber wo sollte...” に つ い て の も の 。 **** 例 文 14 の 独 語 の 時 制 は 、 1 段 目 が “Und bei dem Gedanken ...“、 3 段 目 が “ Nein, sie wollte ...”、 4 段 目 が “... war ja mehr als deutlich gewesen“ に つ い て の も の 。 ***** 例 文 15 の 独 語 の 時 制 は 、1 段 目 が “Sie war davon gelaufen “、2 段 目 が “Die ganze Zeit hatte sie ...”、3 段 目 が “Und dabei waren ...“、4 段 目 が “Wenn es überhaupt ...“、 5 段 目 が “Mochte ...”に つ い て の も の 。 ****** 例 文 17 の 独 語 の 2 段 目 の 時 制 は 、 “Damals!“ と い う 1 語 文 に つ い て の も の 。こ こでは文脈から判断。 上 記 の 表 に お い て 最 も 特 徴 的 な の は 、こ れ ら 全 13 例 は 、邦 訳 に お い て「 現 在 形 」 (例 文 17 の み「 過 去 形 」も 含 ま れ る )で あ る 箇 所 で あ る の に 対 し 、英 訳 な ら び に 原 典の独語においては、 「 現 在 形 」は ほ と ん ど 見 ら れ ず 、 「 過 去 形 」あ る い は 「過 去 完 了 形 」 (例 文 15 の 英 訳 は「 現 在 形 」を 含 み 、例 文 14 の 独 語 は「 接 続 法 未 来 形 」を 含 む ) が 用 い ら れ て い る 点 で あ る 。 ま た 、 こ れ ら 全 13 例 中 に 「 自 由 間 接 話 法 [思 考 ]」 な ど が 含 ま れ て い る か を 探 っ た が 、 3 言 語 の い ず れ の 例 文 も 「 発 話 [思 考 ]の 表出」を含むと明断するには至らなかった。今後、それぞれの言語の「話法」の 類別を再検討する必要がある。 なお、 「 視 点 」と「 観 点 」の 所 在 に つ い て は 、紙 面 の 都 合 上 、詳 述 を 別 の 機 会 に 譲る。原則的に「過去形」で語られるはずの記述文が「現在形」で記述されてい ることは、 「 視 点 」と「 観 点 」と が 物 語 世 界 内 に 移 動 し て い る 可 能 性 を 示 し て お り 、 言 語 (あ る い は 翻 訳 者 ) に よ る 差 異 が 顕 著 に 見 ら れ る こ と が 予 測 さ れ る 。 Momo の 邦 訳 に は 、「 現 在 形 」で 記 述 さ れ る「 記 述 文 」 (と 考 え ら れ る も の ) が き わ め て 多い。これは、この物語の特質によるものか、邦訳者の文体なのか、あるいは日 本 語 が 持 つ 特 有 性 な の か 、判 断 が 難 し い と こ ろ で あ る 。そ し て 、い ず れ の 例 文 も 、 「 語 り 手 」 の 内 的 独 白 の よ う に も 思 え る 。「 視 点 」 と 「 観 点 」 の 所 在 は 「 語 り 手 」 に固定されているものの、物語世界外と物語世界内との間を浮遊しているイメー ジがつきまとう。 8. おわりに:研究の結論と今後の課題 本章においては、第 1 節において研究の結論を、第 2 節において今後の課題に ついて述べる。 8.1 研究の結論 22 ま ず 明 ら か な 点 は 、 英 訳 に お け る 「 自 由 間 接 話 法 [思 考 ]」 に 対 し 、 原 典 言 語 で 139 『通訳研究』第 7 号 (2007) ある独語においては、 「 体 験 話 法 [思 考 ]」で あ る も の が 多 く 見 ら れ る こ と で あ る 。 つまり、これらの箇所の「視点」は、独語においては物語世界外の「語り手」に あ り 、英 訳 に お い て は そ れ が 維 持 さ れ て い る と 言 え る 。一 方 、邦 訳 に お い て は「 自 由 直 接 話 法 [思 考 ]」の 出 現 度 が 高 い 。つ ま り 、 「 視 点 」の 所 在 が 、物 語 世 界 外 の「 語 り手」から物語世界内の「登場人物」へと容易に移動しやすいと言える。 本 研 究 の 問 題 の 所 在 で あ る 、「 翻 訳 時 の 『 意 味 の 均 質 な 移 行 』 に 際 し 、『 視 点 』 や『 観 点 』の 所 在 の 変 容 が 影 響 し て い る か ど う か 」と い う 点 に つ い て 、 「 視 点 」や 「観点」の変容が大きい箇所においては、物語の世界観も変わっているという印 象を受ける。本研究においては「3 人称物語」を扱っており、物語世界外の「語 り 手 」が 物 語 世 界 内 に 登 場 す る と い う こ と は あ り 得 な い 。こ の た め 、 「 視 点 」の 移 動は、物語世界外の「語り手」あるいは物語世界内の「登場人物」のいずれかの 人物ということになり、比較的見極め易いという側面もあった。 一方、過去の物語を記述する「記述文」でありながら、邦訳においては「現在 形 」が 多 用 さ れ る 点 は 、あ る 意 味 、複 雑 な 問 題 を 孕 ん で い る 。明 ら か な「 記 述 文 」 であれば、 「 視 点 」の 所 在 は 物 語 世 界 外 の「 語 り 手 」に あ る と 判 断 で き る 。し か し 、 「現在形」で記述される文章は、読み込むほどに単なる「記述文」とは異なる効 果を発揮する。 「 視 点 」の 所 在 は 、物 語 世 界 外 と 物 語 世 界 内 の 間 の 空 間 に あ る か の よ う で あ る 。こ の 感 覚 は ま さ に 、本 研 究 の 問 題 の 所 在 で あ る 、 「均質な意味の移行 に 際 す る『 視 点 』や『 観 点 』の 所 在 の 影 響 」な の で は な い か 。 「 視 点 」の 所 在 の 見 極めに迷ったひとつの原因はここにあったのである。今回、顕在化した問題点と して、今後の課題としたい。 結論的に、文脈を考慮した上での「視点」からのアプローチは、課題を多く抱 え る も の の 、 言 語 (あ る い は 翻 訳 者 ) の 訳 文 を 特 徴 づ け る も の と し て 効 果 的 で あ り、さらなるケーススタディの蓄積が必要であると考える。 8.2 今後の課題 23 1 点 目 に 、「 1 人 称 代 名 詞 」 に つ い て で あ る 。 独 語 の ‘ich’ と 英 語 の ‘I’ と 、 日 本 語 の 1 人 称 代 名 詞 と は 、 同 一 で は な い 。 ‘ich’ と ‘I’ が 指 す 対 象 は 1 人 称 の 人 物 だ が 、日 本 語 で は「 私 」、 「 先 生 」、 「 ぼ く 」な ど 多 様 で あ る 。あ る い は 、 “How old are you?” と 子 ど も に 聞 く と き の 邦 訳 は 、 「 ぼ く い く つ ? 」で あ り 、 「あなた何歳?」 で は な い 。 か つ て 金 田 一 (2007: 159-173) は 、 日 本 語 の 人 称 代 名 詞 に つ い て 「 自 称 代 名 詞 」と「 他 称 代 名 詞 」と の 対 比 を 論 じ た 。鈴 木 (1998 :39-41, 151-189, 2001: 129-177) も 、「 自 称 詞 」 と 「 対 称 詞 」 と い う 対 比 か ら 、 日 本 語 の 1 人 称 代 名 詞 の 特質に言及している。西欧語と日本語の 1 人称代名詞の位置づけの差異を十分検 討する必要がある。 「 人 称 代 名 詞 」を 判 断 基 準 の ひ と つ と す る「 視 点 」の 所 在 の 見 極めに影響するからである。 140 独英日間翻訳における「視点」の考察:Momo を題材に 2 点 目 に 、 同 じ く 「 人 称 代 名 詞 」 の う ち 、 日 本 語 の 「自 分 」と い う 代 名 詞 に つ い て で あ る 。 こ の 代 名 詞 は じ つ に 独 特 で 便 利 な (あ る い は 面 倒 な ) も の で あ る 。 状 況により、すべての人称を指すことが可能であり、少なくとも独語、仏語、英語 に は 、 こ れ に 相 当 す る 語 は な い 。 1 点 目 で 述 べ た よ う に 、「 人 称 詞 」 は 、「 話 法 」 の 峻 別 や「 記 述 文 」と の 区 別 の 判 断 基 準 の ひ と つ で あ り 、慎 重 に 扱 う 必 要 が あ る 。 とくに「自分」という代名詞の出現時には「視点」の所在の複数の可能性を考え ね ば な ら な い 。「 語 り 手 」 が 「 登 場 人 物 」 を 指 し て 用 い て い れ ば 、「 視 点 」 は 「 語 り 手 」 に あ り 、 一 方 、「 登 場 人 物 」 自 身 が 用 い て い れ ば 、「 視 点 」 は 「 登 場 人 物 」 にある、と判断できよう。 3 点 目 に 、独 語 の「 体 験 話 法 」、英 語 と 日 本 語 の「 自 由 間 接 話 法 」は 、相 当 す る ものと考えられているが、3 者は同一ではない 24 。独語の「体験話法」の判断基 準 と し て は 、「 3 人 称 」・「 過 去 形 」・「 疑 問 [感 嘆 ]符 」 な ど が あ る 。 し か し 、 こ れ ら の 要 素 が 揃 わ な く て も「 体 験 話 法 」の よ う で あ っ た り 、揃 っ て い て も「 体 験 話 法 」 ではなさそうであったり、というケースもある。英語の「自由間接話法」との対 照 で 言 え ば 、た と え ば 、英 語 の「 自 由 間 接 話 法 」の 特 徴 の ひ と つ に 、 「伝達節を省 く (つ ま り 引 用 符 も な い )」こ と が あ る が 、同 様 の 形 の 文 章 を 、独 語 で は「 直 接 話 法 」と す る ケ ー ス も あ っ た( 例 文 4)。以 上 の こ と か ら 、独 語 の「 体 験 話 法 」の 判 断 基 準 の 再 点 検 が 要 さ れ る 。な お 、今 回 は 、 「 記 述 文 」と 言 っ て 構 わ な い も の に つ い て は 「 記 述 文 」 と し て い る (消 去 法 的 判 断 )。 4 点目に、同じく「話法」について、日本語での「話法」の類別は、英語のそ れに倣っている形であり、本質的にはまだ明確にされていない。今後の課題のひ とつである。 5 点 目 に 、過 去 の 出 来 事 を 語 る 物 語 に お い て 、日 本 語 に お け る「 記 述 文 」が「 現 在 形 」で 記 述 さ れ る と き の 、 「 視 点 」の 所 在 の 見 極 め 方 を 追 究 す る 必 要 が あ る 。物 語を読み込むにつれ、これらの「記述文」はあたかも「語り手」による「内的独 白 」 や 「 自 由 間 接 話 法 [思 考 ]」 の 一 種 の よ う に 見 え て く る 。 主 観 を 排 せ ば 文 学 の 分析は偏ったものになるが、 「 記 述 文 」な の か 否 か 、そ し て「 視 点 」の 所 在 は ど こ なのか、という問題についての判断基準を探す必要がある。 そ し て 6 点 目 は 、本 研 究 の 最 大 の 課 題 で あ る 。言 語 資 料 と し て 文 学 を 扱 う 以 上 、 主観的判断に頼らざるを得ない部分がある。 「 視 点 」の 所 在 と し て 複 数 の 可 能 性 が ある場合もあり、最終的に文学的見地から判断するしかない。これの基準をある 程度、明瞭化する必要がある。さらに、言語学的要素と文学的要素をどのように ブレンドするか、という課題もある。さらに多くの言語資料にあたり、検討して いくことにより、解決策を探りたいと考える。 141 『通訳研究』第 7 号 (2007) 著 者 紹 介 : 加 藤 久 佳 (Hisaka Katou) 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 後 期 博 士 課 程 在 籍 中 。翻 訳 論 専 攻 。文 学 作 品 と そ の 翻 訳 作 品 と の「 視 点 」の 所 在 の 変 容 を 研 究 。文 学 と 言 語 学 と を 融 合 し た 分 析 を 模 索 中 。主 な 論 文『 仏 英 日 間 翻 訳 に お け る「 視 点 」の 考 察 ―Le Petit Prince を 題 材 に 』〔 優 秀 修 士 論 文 〕 (2007. 慶 応 義 塾 大 学 湘 南 藤 沢 学 会 ) な ど 。 連 絡 先 : [email protected] 【註】 1. 「 視 点 」 の 定 義 づ け の 変 遷 に つ い て は 、 第 3 章 第 1 節 に お い て 概 説 す る 。 こ こ で は 、ジ ュ ネ ッ ト (Genette 1980:186) に よ る「 視 点 」と「 語 る 声 」と の 峻 別 の 後 、 山 岡 (2001: 第 1 章 ) に よ る 「 視 点 」 と 「 観 点 」 と の 区 別 に 至 る ま で の 変 遷 に つ いて触れておく。 ジ ュ ネ ッ ト の 指 摘 と ほ ぼ 同 時 期 、フ ィ ル モ ア (Fillmore 1981: 49) は 、 「 視 点 」の 所在を考える際に、 「 過 去 時 制 」と「 3 人 称 代 名 詞 」に つ い て 触 れ な い と い う 点 も 、 誤った認識がなされる要因のひとつであるとした。 「 視 点 」 の 諸 定 義 に つ い て 以 下 に 簡 潔 に 記 す 。 シ ュ タ ン ツ ェ ル (Stanzel 1984: 9) に よ る 2 種 類 の 定 義 、ア ブ ラ ム ス (Abrams 1985: 144) や フ ァ ウ ラ ー (Fowler 1987: 188) に よ る 定 義 づ け な ど が あ る が 、「 見 る こ と 」 と 「 語 る こ と 」 の 行 為 者 を 「 語 っている人物」に一括するなど、それぞれ諸レベルでの混同を残す。 ジ ュ ネ ッ ト (1980: 74) は そ こ で 、 “point of view” の 代 替 物 と し て “focalization” (「 焦 点 化 」) と い う 術 語 を 提 案 す る 。し か し そ の 理 論 に お い て は 、 「 視 点 」が「 物 語る声」に包括されてしまう。この「焦点化」という術語について、リモン・キ ー ナ ン (Rimmon-Kenan 1983: 71) や バ ー ル (Bal 1985: 100) は 、更 な る 術 語 を 用 い て 説 明 を 試 み た 。し か し 、 「 語 り 手 」に 2 つ の 役 割 を 持 た せ て い る な ど 、こ こ で も ま た 混 同 が 見 ら れ る 。チ ャ ッ ト マ ン (Chatman 1990: 142) は こ れ に つ い て 、「 語 り 手 」の「 見 る 」行 為 を「 焦 点 化 」と 呼 び 、 「 語 り 手 」を「 焦 点 人 物 」と 呼 ぶ こ と は 、 混乱を免れないと指摘した。リモン・キーナンとバールの理論においては、ジュ ネットと逆の意味で、 「 視 点 」と「 物 語 る 声 」と の 混 同 が 残 さ れ た ま ま な の で あ る 。 2. 「 伝 達 様 式 」の パ タ ー ン に つ い て は 、そ の 基 本 形 を 第 4 章 第 2 節 に お い て 示 す 。 加 藤 (2007: 第 7 章 ) に お い て は 、 Le Petit Prince と そ の 英 訳 な ら び に 邦 訳 に お ける「伝達様式」をパターン化し示した。基本形以外のパターンも多数表れた。 本研究においては、これを継続使用する。 3. 「 1 人 称 物 語 」 に つ い て の 研 究 結 果 は 、 加 藤 (2007) を 参 照 さ れ た い 。 対 象 言 語 は、フランス語、英語、日本語である。 142 独英日間翻訳における「視点」の考察:Momo を題材に 4. 「 語 り 」 の 類 別 に つ い て は 、 3 つ の タ イ プ が あ る と す る 前 田 (2004: 108) を 援 用 す る 。 (A) 「『 語 り 手 』 の 語 り に よ る 物 語 : 3 人 称 小 説 」、 (B) 「『 私 』 の 語 り に よ る 物 語:1 人 称 小 説 」、(C) 「『 映 し 手 』に よ る 物 語:語 り 手 不 在 の 3 人 称 小 説 」、 の 3 つ で あ る 。 (A)、 (B) は 2 項 対 立 的 な も の と し て 認 識 さ れ て い る 。 し か し 、 (C) が 第 3 の「 語 り 」の 形 態 と し て 近 年 台 頭 し て き た 。こ れ は 小 説 に お け る「 劇 化 」の 要 請 に よ る も の で あ る 。劇 化 と は 登 場 人 物 や 出 来 事 を 客 観 的 に 非 人 称 的 に 描 写 す る こ と で あ る 。 こ の 要 請 に 応 じ る た め に は 、「 全 知 」 の 立 場 か ら 語 る 「 語 り 手 」が 抹 消 さ れ ね ば な ら な い 。こ の 第 3 の「 語 り 」の タ イ プ は 、読 者 が そ の 存 在を感じることができないという意味で、 「 語 り 手 不 在 の 語 り 」な の で あ る 。 「語 り 手 」が 物 語 へ の 干 渉 を せ ず 、特 定 の 登 場 人 物 の「 視 点 」を 通 し て 物 語 が 語 ら れ る こ と に な る た め 、読 者 は「 登 場 人 物 」の「 視 点 」か ら 小 説 世 界 を 見 て い る か の よ う に 感 じ る 。つ ま り 、そ の「 登 場 人 物 」は そ の 意 識 の 中 に 出 来 事 を 映 し 出 す 存 在 で あ る 。 こ の た め 、 こ の 「 登 場 人 物 」 を 「 映 し 手 」 と 呼 び 、「 映 し 手 」 に よ る 物 語 を「 語 り 」の 第 3 の タ イ プ と し て 位 置 づ け る 。3 つ の「 語 り 」の 類 型 に つ い て は 、 シ ュ タ ン ツ ェ ル (Stanzel 1981) に も 言 及 が あ る 。加 藤 (2007: 第 4 章 第 2 節) においても詳述している。 5. 「『 語 り 手 』~ 」は い わ ゆ る「 3 人 称 物 語 」、 「『 私 』~ 」は い わ ゆ る「 1 人 称 物 語 」。 6. 「 視 点 」 の 所 在 の 複 数 の 可 能 性 を 持 つ も の に つ い て は 、 加 藤 (2007: 第 7 章 ) に おける分析を参照。 7. 「 視 点 」 と そ の 関 連 概 念 の う ち 、「 視 点 」 に つ い て は 第 3 章 に お い て 、「 伝 達 様 「 語 り 」の 種 類 式 」に つ い て は 第 4 章 に お い て 、そ れ ぞ れ 概 説 し て い る 。ま た 、 に つ い て は 、 注 3 に お い て 触 れ て い る 。 そ れ ぞ れ の 更 な る 詳 細 は 、 加 藤 (2007: 第 4 章) を参照されたい。 8. 「『 私 』 の 語 り に よ る 物 語 」、「『 映 し 手 』 に よ る 物 語 」 の 図 示 は 、 加 藤 (2007: 第 4 章第 2 節) を参照。 9. こ こ で は 、山 岡 (2001: 48-121) に よ る 日 本 語 と 英 語 の 3 人 称 物 語 に つ い て の 類 別 を 援 用 し 、加 藤 (2007: 第 4 章 第 2 節 ) に お い て 図 示 し た も の を 使 用 す る 。ま た 、 英 語 と 日 本 語 そ れ ぞ れ の 伝 達 様 式 と 両 者 の 比 較 に つ い て は 、加 藤 (2007: 第 4 章 第 3 節 ) に お い て 、例 文 を 挙 げ 解 説 を 加 え て い る の で 参 照 さ れ た い 。な お 、本 稿 における例証では、暫定的に、独語についてもこれらの類別を援用する。 10. な お 、仏 語 を 原 典 言 語 と す る 1 人 称 物 語 と そ の 英 訳 な ら び に 邦 訳 に つ い て の 分 析 (加 藤 2007: 第 7 章 ) に お い て は 、 上 記 7 タ イ プ 以 外 に 、 新 し い 「 伝 達 様 式 」 の パ タ ー ン が 発 見 さ れ た 。今 回 、こ れ ら 新 パ タ ー ン が 現 れ た 場 合 、そ の 際 に 用 い た 番号を使用する。 11. リ ー チ ら の 英 語 に お け る 「 発 話 [思 考 ]の 表 出 」 の 類 別 に つ い て の 判 断 基 準 は 、 そ の 妥 当 性 を 再 検 討 す る 必 要 が あ る と 考 え る 。適 用 す る 基 準 が 異 な る た め 、言 語 に 143 『通訳研究』第 7 号 (2007) よる差異が見られるとも考えられるからである。 12. ケ ー ス ス タ デ ィ と し て 、仏 語 の 1 人 称 物 語 な ら び に そ の 英 訳 と 邦 訳 に つ い て 考 察 を 加 え て い る 加 藤 (2007: 第 7 章 ) を 参 照 さ れ た い 。 本 研 究 に お い て は 、 独 語 の 3 人称物語ならびにその英訳と邦訳について分析している。詳しくは本稿の第 7 章において述べる。 13. ひ と つ の DS に 対 し FIS は 複 数 の 形 に 変 換 さ れ る 得 る 。逆 に 、ひ と つ の FIS に 対 し 複 数 の DS の 形 に 変 換 さ れ 得 る 。 14. こ こ で は 、 DT な ら び に FIT の 例 文 を そ れ ぞ れ ひ と つ ず つ 示 し た が 、 ひ と つ の DS に 対 し て 、 FIS は 複 数 の 形 に 変 換 さ れ る こ と が 可 能 で あ り 、逆 に 、ひ と つ の FIS に 対 し て 、 複 数 の DS の 形 に 変 換 さ れ る こ と も 可 能 で あ る 。 15. エ ン デ (Ende) と Momo に つ い て は 、紙 面 の 都 合 上 、説 明 を 省 く が 、子 安 (1996) 、 島 内 (1990)、 Steiner (1904) な ど に 概 説 が あ る 。 言 語 資 料 と し て 文 学 作 品 を 扱 う 場合、作家や作品に関する情報を有することは、分析において有用であると考える。 16. 加 藤 (2007) で 扱 っ た 言 語 資 料 Le Petit Prince (初 版 (米 版 ) 1943) に つ い て 、 こ こ で 触 れ て お く 。 本 稿 で 扱 う Momo (初 版 1973) と 対 照 し て い た き た い 。 第 1 に 、2005 年 時 点 で 5000 万 部 を 発 行 し て い る 。第 2 に 、2005 年 時 点 で お よ そ 140 カ 国 以 上 の 言 語 に 翻 訳 さ れ て い る 。第 3 に 、1943 年 に ま ず ア メ リ カ で 出 版 さ れ 、 1945 年 に 本 国 フ ラ ン ス で 出 版 さ れ る と い う 、 や や 特 異 な 経 緯 を 持 つ が 、 出 版 さ れ て お よ そ 60 余 年 を 経 た 現 代 小 説 と い う こ と に な る 。 第 4 に 、 イ ラ ス ト を 随 所 に 挿 入 し た 約 100 ペ ー ジ の 中 篇 小 説 で あ る 。第 5 の 使 用 語 彙 の 難 易 度 の 低 さ に つ いて、また、第 6 の文学性の高さについては、本論における記述と同様である。 17. Le Petit Prince については、英訳 4 点と邦訳 13 点を扱い、例文 9 つを挙げ詳述した。 18. た だ し 、こ こ で は 、独 語 は 独 語 の「 話 法 」の 類 別 に 、英 語 と 日 本 語 は 英 語 の「 発 話 [思 考 ]の 表 出 」の 類 別 に 拠 っ て い る 。そ れ ぞ れ の 類 別 の 妥 当 性 と 対 応 関 係 に つ いては再検討の余地がある。 19. 上 記 18 に お い て 指 摘 し た 点 が 如 実 に 現 れ た 例 文 が こ れ で あ る 。 「 視 点 」の 所 在 の 判別に関わる事項であり、今後、さらに慎重な検討が要される。 20. 例 文 9、10、12、13 は 、独 語 は す べ て「 ERf」 (「 体 験 内 省 (思 考 )」) で あ り 、 「視 点 」 は 「 S1」 に あ る 。 英 訳 は い ず れ も 「 FIT」 (例 文 9 中 の ア ン ダ ー ラ イ ン し た 3 文 目 は 「 D」 ) で あ り 、「 視 点 」 は 「 S1」 に あ る 。 邦 訳 は い ず れ も 「 FDT」 で あ り 、「 視 点 」 は そ れ ぞ れ 、「 C」 (例 文 9 は 「 モ モ 」、 例 文 10 は 「 ジ ジ 」、 例 文 12 は 「 モ モ 」、 例 文 13 は 「 モ モ 」 )に 移 動 し て い る 。 21. 図 に 付 し た「 伝 達 様 式 」の 番 号 は 、 (I) ~ (VII) に つ い て は 第 4 章 第 2 節 に お い て 提 示 し た も の で あ り 、 (新 n) に つ い て は 、 加 藤 (2007 第 7 章 ) に お い て 使 用 したものである。 22. 本 研 究 の 結 論 に 関 連 し て 、 加 藤 (2007) に お け る 研 究 結 果 か ら 一 部 触 れ て お き た 144 独英日間翻訳における「視点」の考察:Momo を題材に い。第 1 に、本研究において、独語においては「視点」の所在が「語り手」に あ り 、英 訳 に お い て は そ れ が 維 持 さ れ 、邦 訳 に お い て は「 語 り 手 」か ら「 登 場 人 物 」へ と 移 動 す る と い う 傾 向 が あ っ た 。こ の 点 に 関 し て 、原 典 言 語 が 仏 語 で あ っ た 加 藤 (2007) に お い て も 同 様 の 傾 向 が 見 ら れ た 。第 2 に 、本 研 究 に お い て は 、 「 3 人 称 小 説 」 を 扱 っ て い る た め 、「 視 点 」 の 移 動 が 「 語 り 手 」 あ る い は 「 登 場 人物」のいずれかであり、 比較的見極めやすいと述べた。これに関して、加藤 (2007) で 扱 っ た 言 語 資 料 は「 1 人 称 物 語 」で あ っ た た め 、物 語 世 界 外 の「 語 り 手 」 が 物 語 世 界 内 で は「 登 場 人 物 (ぼ く )」と し て 登 場 し 、「 視 点 」の 所 在 が 複 雑 な ケ ースもあった。第 3 に、本研究において、過去の物語を記述する「記述文」で あ り な が ら 、邦 訳 に お い て は「 現 在 形 」が 使 用 さ れ る 文 章 は 、文 学 的 見 地 に 立 つ と 、「 視 点 」 の 所 在 が 物 語 世 界 外 と 物 語 世 界 内 の 間 の 空 間 に あ る か の よ う に 感 じ ら れ た 。こ の 点 に 関 し て 、同 様 の 違 和 感 は 、加 藤 (2007) で の 分 析 に お い て も 潜 在した。 23. 今 後 の 課 題 の う ち 、4 点 目 は 加 藤 (2007) で の 研 究 に お い て も 潜 在 し た 問 題 で あ り、6 点目は同研究時からの課題でもある。 24. こ こ で の 「 話 法 」 は 広 義 で 用 い て い る 。 【引用文献】 Abrams, M. 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