ヴィトゥルヴィウスの知的背景に関する研究

ヴィトゥルヴィウスの知的背景に関する研究
長友隆明・米丸祐太郎 ( 指導教員 : 林田義伸 )
1. 研究の目的と方法
1-1. 目的
西洋の古代建築に見ることができるリファインメン
トやプロポーションなどの建築の美しさを構成する要
素は、ヴィトルヴィウスの記した「建築十書」という
書物に記されている。また、彼が示す建築に対する思
想や技術は、一般に、古代ギリシア建築に関するもの
であると言われている。
しかし、ヴィトゥルヴィウスは紀元前 1 世紀のロー
マの建築家であり、彼の示す建築的な思想や技術が、
実際にはどの様な知識に裏付けられたのか、明確とは
言えない。そこで、本研究では、ヴィトルヴィウスが
「具体的」に如何なる知識があったのかを明らかにし、
ヴィトルヴィウスの著書の知的背景を探ることを目的
とする。
1-2. 研究方法
ヴィトルヴィウスが「具体的」に如何なる知識を有
していたのかを明らかにするため、ヴィトルヴィウス
の著書「建築十書」に記されている具体的な事項を抽
出することとする。抽出する事項は、
「建築」と「人物」、
「比例に関する数値」とした。
「建築」においてはヴィトルヴィウスの建築物のあ
り方への考え、またその考えを述べている際に挙げて
いる具体的な建築を「建築十書」の本文と「建築十書」
の訳者である森田慶一の「註」から、
「建築名、つづり、
所在・・・」等の情報を取得する。その二つからとれ
ない建築の情報を他の文献か抽出する。また、その他
の文献を使い、「建築」の別名や具体的な所在、その
建築の特徴等の情報を補足した。
「人物」においても基本的な進め方は同じである。
しかし「建築十書」には、「名前」はあがっているが、
詳細な情報が書かれている物は少ない。名前以外の情
報が記載してあったとしても名前の他は、
「職業」、
「活
躍した年代」ぐらいである。従って「建築十書」以外
の文献からも「年代」や「出身地」、「対象にしている
人物の功績」などのより多くの情報を取得する。
また、ヴィトゥルヴィウスは、建築を設計するに当
たり、様々な比例関係で各部の寸法を決定していくと
いう設計法を示している。このことからルネサンス以
降、様々な比例関係が提案されており、最終的には無
理数を使用した比例関係までパルテノン神殿に使用さ
れているという研究までなされた。しかし、ヴィトゥ
ルヴィウスの著書を一見する限り、その様な複雑な比
例関係を記しているようには見られない。そこで、ヴィ
トゥルヴィウスが如何なる比例関係を著書の中で記し
ているか、調べることとする。
「比例に関する数値」は、「建築十書」内に出てくる
「アストラガルスはトロキルスの 1/8 につくられるべ
き」など、分数等の数値を使用し比例関係 (1:1/8) を
示している場合や、「... は 7 部分に分けられ、その
うちで 3 部分が一番上のトルスになる」などの文章と
して比例関係 (3:7) が示される場合がある。これらの
比例関係やそこで使用している数値を調べることで、
ヴィトゥルヴィウスが如何なる比叡関係を使用してい
たか、具体的に考察する。
以上に事項を、建築十書から調べ、これらの情報を
統計的に分析したり、個々の情報について検討するこ
とにより、ヴィトゥルヴィウスはどの時代、どの地域
の情報を得ていたか、どの様な数字や比例を使用して
いたかついて考察する。
使用するテキストは、参考文献の 1) 〜 4) に示した
4 冊を使用する。主に使用するのは 1) の森田慶一の
訳書で、他の 3 冊の文献の記述と比較しながら、必要
な情報を得ることとする。ヴィトルヴィウスの「建築
十書」はラテン語で記載されており、それぞれの訳書
の原書は、それぞれ異なるテキストが使用されている。
4 冊の訳書を使用することで訳者が参考にした原書の
違いや、訳し方、訳註を比較検討することで、より正
確でより多くの情報を得ることができると思われる。
2. 建築十書に掲載される「建築」について
2-1.「建築」に関するデータの収集
今回の研究では、建築十書に記載された建築名を
データとして収集した。建築十書には 41 件の「建築」
が挙げられている。収集する情報は、「建築名」、建設
年代 (「時代」、建設された場所 (「所在」)、「緯度・
経度」、建築の「種類」、「平面形式」、「様式」等、13
項目について調べた。
森田慶一の訳書には、「建築名」はラテン語の名称
をカタカナで表記してある。従って、カタカナ表記と
ラテン語表記で、その名称を記録した。しかし、現在
においてその建築が具体的に判明している場合、ヴィ
トゥルヴィウスが記した名称が、一般的な名称と言え
ない場合がある。その様な場合は、建築の英語名を別
の資料から調べて記載した。
建設年代 (「時代」) は、森田慶一の注釈や、その
他のギリシアやローマ建築に関する著書から調べた。
しかし、「建設年代」は、正確且つ明確に分かるもの
が少ないので、アルカイック、クラシック、ヘレニズ
ム、ローマ 4 期に分類することにした。建築の建設年
代が、森田慶一の注釈にヘレニズムなどと記載されて
いる場合は、それを「時代」とした。しかし、西暦な
どで期さされている場合は、紀元前 6 世紀以前の建設
年代はアルカイック、紀元前 5 から 4 世紀の間の建設
年代はクラシック、紀元前 3 〜 2 世紀の間はヘレニズ
ム、紀元前 1 世紀以降はローマとい「時代」に便宜的
に振り分けた。
建設された場所 (「所在」) については、建築の建
設されていた場所の現代の都市名 ( 現在は都市として
存在せず、遺跡としてぞんざいしている場合は遺跡
名 ) を記し、その都市 ( 遺跡 ) のある現代の国名を「所
在」データとして取った。また、その「緯度・経度」は、
熊本大学の報告書に示された緯度経度のデータを使用
した。このデータは、「緯度・経度」の「分」の部分
を切り上げて記載してある。
また、建築の「平面形式」というのは、神殿の平面
計画を示し、
「様式」は建築に使用されておるオーダー
( ドリス式、イオニア式、コリント式 ) を示している。
2-2.「種類」と「所在」による分析
表 1 は、「建築」数を、「種類」と「所在」別にカウ
ントしたクロス集計表である。ヴィトルヴィウスは「神
殿」、住居、記念碑、門、時計台、闘技場など、様々
な多彩な建築について、事例を挙げていることが分か
る。ただ、全「建築」41 件の内、75% は神殿である。
また、神殿に関しては、建築十書の第 3、4 書で細か
いオーダーの比例関係や、発展過程などに深く自ら
の意見を記し、建築平面形式についても複数の例をあ
げ、説明している。このことから様々な建築において、
ヴィトルヴィウスは特に神殿を重要視し、神殿につい
ての知識を深く且つ多く有していたと考えることが出
来る。
建築十書に掲載された「建築」の「所在」は、イタ
リアが最も多く、半数近く存在している。しかし、ギ
リシアやトルコをの合計数もほぼ同数あり、ヴィ
トルヴィウスが生活していたローマから遠く離
れた地域の建築に関しても、十分な知識があっ
たと推測できる。また、「所在」が判明していな
い 1 件を除き、全てこの 3 国にある「建築」で
あることも判明した。
次に「建築」の「種類」と「建築」の「所在」
を照らし合わせてみる。イタリア、ギリシア、
トルコのどの国も神殿が一番多く挙げられてお
り、その傾向は全体の建築数の傾向と殆ど差異
がない。
神殿以外の建築に関しては、イタリアの「建築」が
比較的多く掲載されている。しかし、その掲載のされ
方を見た場合、「キルクス - マクシムスの近く」など
のように単に場所を説明するためだけに挙げている建
築もある。一方、ギリシアの建築にはヴィトルヴィウ
スが建築の特徴やその建築がどのような意味を持って
いるのか説明している建築物がある、例えば、建築十
書の第 1 書で「アンドロニコスの時計塔」を「風」が
人体に与える影響について説明をする際に挙げてい
る。この様に、神殿以外の「建築」に関しては、ギリ
シアやトルコにある「建築」に関する記載が、どちら
かと言えば詳細であるように思える。
2 − 3. 「時代」と「種類」による分析
表 2 は、「建築」数を、「時代」と「種類」別にカウ
ントしたクロス集計表である。建設された「建築」の「時
代 ( 建設年代 )」に関してみれば、ヴィトルヴィウス
はローマ時代の建築だけでなく、ヘレニズム期やクラ
シック期の建築の事例を比較的多く挙げていることが
分かる。また、エフェソスの「ディアーナの神殿」は、
ヘレニズム期に改築される前のアルカイック期の神殿
について記している。この様な神殿については、書物
等により学習したことが推測できる。また、神殿の「時
代」別の数は、ほぼ全体の傾向と類似している。
2 − 4. 「時代」と「場所」による分析
表 3 は、「建築」数を、「時代」と「場所」別にカウ
ントしたクロス集計表である。ヴィトルヴィウスが事
表1.建築の種類と所在によるクロス集計表
表2.建築の時代と種類によるクロス集計表
は、通常、巨大な神殿となる。ヴィトルヴィウ
スはこの「平面形式」の神殿の事例としてロー
マのクイリーヌス神殿、エペスス ( エファソス )
に建設されたケルシプロン作のディアーナ神殿
( アルテミス神殿 ) を挙げている。
クイリナリスの神殿はローマでは珍しいドリ
ス式の巨大神殿であり、唯一ヴィトルヴィウス
例として挙げているイタリアの「建築」は、多くがロー が実際に見たドリス式神殿である可能性がある。一方、
マ時代の「建築」で、その半数がヘレニズム期 ( 便宜 ディアーナ神殿の神殿は、ヘレニズム期に建設された
的に「ヘレニズム期」と呼んでいるが、正確にはロー 正面幅が 50m という巨大神殿が有名であるが、ヴィト
マの共和制期 ) のものである。また、ギリシアの「建 ルヴィウスが記した神殿は紀元前 6 世紀に建造された
築」は、クラシック期のモノが多く、トルコではヘレ 古い神殿である。地域的にも遠く、また、ヴィトルヴィ
ニズム期の「建築」が多く掲載されている。即ち、掲 ウスが活躍した 3 世紀前には建て替えられていた神殿
載されている「建築」の事例の多さは、その地域の度 に関して記していることになる。従って、実際にはけ
合いと比例しているように見える。
して見ることに出来ない建築について、その建築の建
築家名、建築の平面形式、様式まで記していることに
2 − 5. 神殿の「平面形式」に関する考察
なり、明らかに著書等により学習した知識と考えるこ
ヴィトルヴィウスは第 3 書で、神殿の「平面形式」 とができる。
について、イン・アンティス式、前柱式、周翼式、擬
二重周翼式、二重周翼式、露天式を挙げている。
2 − 6. 「柱間形式」に関する考察
イン・アンティス式、前柱式については、具体的な「建 ヴィトルヴィウスは建築十書の第 3 書で、円柱の
築」の事例を示していない。これらの平面形式の神殿 直径と柱間寸法との比例関係による形式分類 ( 柱間形
は、イン・アンティス式の場合は、アンタの間に 2 本 式 ) について述べている。円柱の直径に対して柱間
の円柱が立てられるディ・スタイル・イン・アンディ ( 柱と柱の間隔 ) が 1:1 1/2 の場合を「密柱式」、1:2
スであり、前柱式では正面に 4 本の円柱が立てられる の場合が「集中式」、1:3 の場合が「隔柱式」、1:3 の
平面形式というように、小規模な神殿に使用される場 比例関係以上の柱間寸法がある場合を「疎柱式」、1:2
合が多い。前柱式の事例は、第 3 書では掲載されない 1/4 の場合を「正柱式」と呼んでいる。密柱式や集
が、第 1 書でエレクテイオンの「カリュアーティデス」、 中式は、柱間の間隔が狭すぎてその間を人が通り抜け
即ち「カリアティッド」に係わる物語という文脈で登 るのが困難であり、隔柱式ではエピステリウム ( 石造
場している。このエレクテイオンは、複雑な平面形式 梁のアーキトレイブ ) が壊れやすく、疎柱式では石造
をしているが、主要部分は正面 6 柱の前柱式である。
は無理で木の梁を使用するしかないと述べ、正柱式を
周翼式とはケラの周囲にペリスタイルを巡らした神 美的にも構造的にも適当な柱間形式であると記してい
殿の平面形式であり、重要な神殿の殆どが、この「平 る。
面形式」で建設される。通常、正面には 6 本の柱が並 集中式の事例としてフォルトゥーナ = エクエストリ
べられる。ヴィトルヴィウスはこの「平面形式」の事 スの神殿を挙げている。これは紀元前 1 世紀にローマ
例として、ローマに建造されたユーピテル・スタトル に建設された神殿である。またヴィトルヴィウスは、
神殿とウィルトゥースの神殿を挙げている。ユーピテ 正柱式の事例はイタリアには無いと述べ、正柱式の事
ル・スタトル神殿が改築された頃に、ヴィトルヴィウ 例として紀元前 2 世紀後半、トルコのイオニア地方の
スは建築十章を製作しており、実際にこの建築や建設 てテオスと言う都市に建設された、リーベル = パテル
について見ていた可能性あると考えることが出来る。 の六柱式の殿堂 ( 神殿 ) を挙げている。
また、この建築の設計者として「ムーキウス」という 古代ギリシア時代の建築、特にドリス式では、集柱
建築家を挙げている。ムーキウスがどの様な人物か不 式よりも狭い柱間が殆どであり、ギリシアの建築の柱
明であるが、建築家として名前まで挙げているからに 間形式については比例的であったので、ヴィトルヴィ
は、ヴィトルヴィウスはムーキウスやその建築から、 ウスはその事例を挙げてないと思われる。また、正柱
何かしろ学習していたと考えられる。
式については、ヘルモゲネースというヘレニズム期の
二重周翼式は、周翼式の周囲に、更にペリスタイ 建築家の発明であり、8 柱式の擬二重周翼式の発明者
ルを巡らした平面形式であり、正面には 8 本の円柱 でもあると紹介しており、更に、実際神殿を設計する
が置かれるのが一般的である。また、この二重周翼式 場合のモドゥルスの求め方まで言及している。
表3.建築の時代と場所によるクロス集計表
以上のことから、ヴィトルヴィウスは、ギリシアに
おいて使用された柱間形式についても、またローマに
おいて使用された柱間形式についてもよく知っていた
ことが分かる。また、柱間形式をつくり出す比例関係
を使用した設計法については、正柱式においてのみ述
べており、その参考となったのはヘレニズム期のトル
コの建築であり、正柱式はローマには存在しないとい
うことから、柱間形式の設計法に関しては、少なくと
もローマ時代の設計法ではなく、ギリシア時代の建築
を参考にしたと推測できる。
コリント式については、アテネにあるオリュムピウ
スの神殿のみが事例としてあげられており、これ以外
の神殿についての知識は乏しかったように思える。
2 − 8. 「建築」に関してのまとめ
ヴィトルヴィウスの記載についての考察から、様式
については、イオニア式に関してはトルコから、ドリ
ス式に付いてはギリシアからその知識を学んでいたこ
とが、おおよそ判明した。また、全般的に、ギリシア
やトルコの建築だけではなく、ローマの建築にも言及
していることが多い。ただ、ギリシアやトルコの建築
2 − 7.「時代」と「様式」による分析
に関しては、ヘレニニズム期とクラシック期の建築が
表 4 は、「建築」数を、「時代」と「様式」別にカウ 多く示され、書物等により学習した知識であると推測
ントしたクロス集計表である。ドリス式の建築は 4 件 できる。一方、ローマの建築は実際に見ており、具体
あるり、アテネのミネルバの神殿 ( パルテノン神殿 )、 的な事例として紹介したり、或いは、彼が学習した知
デルピー ( デルフィ、ギリシア ) の円堂 ( 神殿に分類 ) 識との比較検討する材料として記載しているように思
は、共にクラシック期の神殿である。また、ユーノー えた。
の神殿 ( ヘラ神殿 ) は、時代が明確でなく、その名前
しか分かっていないが、イオニア式の巨大神殿がある ことで有名なサモスという古くからあるギリシアの都 3. 建築十書に掲載される「人物」について
市でにある神殿である。唯一、クイリーヌス神殿が
ローマにあった神殿であるが、「ローマで最も古い神 3-1. 登場する人物
殿」とあり、実質的にはその存在が確認されていない。 建築十書の中で 160 名の人物名が挙げられている。
即ち、ドリス式神殿に関しては、パルテノン神殿や円 その内、森田慶一による建築十書訳注に開設があり、
堂を中心に、ギリシアのドリス式神殿の知識が、ヴィ その情報を元に参考文献 14)、15) から更に詳細に知
トルヴィウスにとっては主なものであったと考えられ ることが出来た人物は 82 名である。 その大半が現
る。
在も知られている著名な人物である。例えば、アルキ
一方、イオニア式の「建築」は、9 件の内 6 件がト メデスはギリシア文明下のイタリアで名をあげた数学
ルコにあるものであった。残り 3 件の内 2 件はアテネ 者であり、現在の高校数学の教科書にアルキメデスが
に建造された建築で、エレクテイオンとアンドロニコ 生み出した「アルキメデスの螺旋」が掲載されている。
スの時計塔である。エレクテイオンについてはその建 また、ピタゴラスはギリシアの哲学者で現在も数学な
築について記載すると言うより、カリュアーティデス どで使われる「ピタゴラスの定理」つまり三平方の定
( カリアティッド ) と呼ばれる女性像柱の謂われにつ 理を考え出した。 いて記載しており、アンドロニコスの時計塔について フィーディアスはアテネの政治家ペリクレスの命令
は、時計のしての仕組みが主な記載内容であり、建築 を受けパルテノン神殿建設の総指揮を勤めた。他にも
の規模も小さく、オーダーが使用されているのはポー アテナ神殿、ゼウス神殿を手がけている。建築だけで
チの部分だけである。残り 1 件はローマにある神殿で、 なく彫刻家としても有名でゼウスの像やアマゾンの像
柱間形式の事例として記載している。以上のことから、 などを作っている。次に、イクティノスはパルテノン
ヴィトルヴィウスは、イオニア式神殿に関する具体的 神殿の建築家としてもっとも著名である。
な記述はトルコの神殿から得た知識が主なものであっ また、建築十書にはその名が記載されているレオー
たと推測できる。
ニダス、ポッリス、デーモピロス、テオキュデース、
カルピオン等は、出身地や職業など情報が記載
表4.建築の時代と様式によるクロス集計表
しているだけで、それ以上の情報を得ることが
出来なかった。この様な人物は 33 名であった。
残りは、「あまり有名でない○○な人物」とし
て紹介されるなど、その名前しか分からなかっ
た人物が 45 名あった。
3-2. 人物の活躍した時期について
掲載されている人物の活躍した時期について、
年代単位で判明した人物もいるが、世紀単位でし
か分からない人物もいる。そこで、本研究では時
代単位のデータも世紀単位に置き換え、世紀単位
で分析することとした。その数は 106 名で、記載
された人物の活躍した世紀ごとの人数を、表 5 に示す。
この表より、ヴィトルヴィウスが幅広い世紀にわ
たって活躍した人物について掲載していたことが分か
る。特に紀元前 4 世紀に活躍した人物が多く掲載して
ある。紀元前 1 世紀のローマの建築家とされるヴィト
ルヴィウスは、本人が生きた何世紀も昔の人物を取り
上げていることから、それらの人物から直接学んだの
ではなく残された書物や資料を使って研究していたこ
とが分かる。
3-3. 人物の活躍した場所について 建築十書に記載されている人物に関する出身場所や
活躍した場所を建築十書や参考文献を用いて調べ、表
6 に、国別に纏めた。
ヴィトルヴィウスが記載している人物の出身地や活
躍した国は、ギリシアが 46% と群を抜き、その次にイ
タリアとトルコが多く、どちらも同じく 20% 程度と
なっている。この三国で全体の 9 割を占め、あとの 1
割は複数の国に散在している。これは、ヴィトルヴィ
ウスがギリシア出身の或いはギリシアで活躍した人物
について、非常によく知っていることを示している。
また、詳細に見れば、トルコはその地中海沿岸地方に、
イタリアは南イタリアやシシリーなど、ギリシア人の
国家が繁栄した地域で多くなっている。
また、大半がギリシア、トルコ、イタリアに集中し
ているが、南フランスやエジプト、イラン、イラク、
リビアなどの広い範囲にまでその分布は及んでいる。
これらの久野々人々は、イラクはバビロン人、イラン
はペルシアのダレイオス 1 世などという人物もいる
が、エジプトはプトレマイオス王朝の人物、イスラエ
ルの人物は明らかにギリシア人の名前であるなど、ギ
リシア人である場合もある。
表5.人物の活躍した時期
表6.人物の活躍した時期について
表7.人物の職業・身分について
即ち、ヴィトルヴィウスが紹介している人物の多く
は、ギリシア人や、ギリシアの都市国家で活躍した可
能性が読み取れる。つまりヴィトルヴィウスは、ギリ
シア的文化を非常に尊重し研究していたと推察するこ
とができる。
3-4 人物の職業、身分について
表 7 は、建築十書に掲載された人物の職業や身分に
ついて纏めたものである。建築十書が建築に関する書
物にも関わらず、表 7 に示されるように、多方面の職
業の人物が登場し、しかも建築家よりも画家・彫刻家、
権力者、学者の方が多い。これは、ヴィトルヴィウス
が、「建築家の知識は多くの学問と種々の教養によっ
て具備され、この知識の判断によって他の技術によっ
て完成された作品もすべて吟味される」とし、建築家
にとっての様々な学問の必要性を説いていることに由
来する。また、建築十書でも、建築に関連する「建築家」、
「建築材料」「建築の歴史」「建築の設計法」「建築の構
造」などばかりでなく、気候や色彩、水、星座や音楽、
機械や武器などについても、建築家の必要な知識とし
て記載しているからである。
一方、建築家については、エピダウロスのアスク
レピオス神殿を建てたティーモテオスや、パルテノン
神殿の建設にかかわったフィーディアスとイクティノ
ス、ミネルヴァの殿堂のピュテオス、ドリス式よりも
イオニア式を好み、八柱擬二重周翼式を発案し、リー
ベル = パテルの六柱式の殿堂を建てたヘルモゲネス、
ウィルトゥースの神殿のムーキウスなど、神殿の建設
に関わった人物が多く記載されている。パルテノン神
殿は紀元前 5 世紀、アテネに建てられたドリス式神殿
であり、アスクレピオス神殿やミネルバの殿堂、リー
ベル = パテルの殿堂は、4 〜 3 世紀に建造された、ト
ルコのエーゲ海沿岸に建設されたイオニア式神殿であ
り、ヴィトルヴィウスは、これらの神殿から多くを学
んでいると推測できる。
ムーキウスは、唯一ローマ人であり、
「シュンメトリアを技術の正統な定めに
従って完成させた人」として賞賛してい
る。つまり、ヴィトルヴィウスは、ムー
キウスの建築作品ばかりでなく、その設
計理論につても知識があったということ
であり、「ローマの先人」の建築や建築
書についても学習していたことが推測できる。
3-5 人物についてのまとめ
以上の考察から、ヴィトルヴィウスは紀元前 6 世紀
から紀元後 1 世紀に渡る幅広い世紀にわたって活躍し
た人物について掲載しており、特に紀元前 4 世紀、或
いはその前後の世紀の人物から多くを学んだと考えら
れる。また、ヴィトルヴィウスが紹介している人物の
多くは、ギリシア人や、ギリシアの都市国家で活躍し
た人物であり、ギリシア人から多くの知識を得ていた
と思われる。
掲載している建築家も紀元前 4 世紀の人物を中心
に、紀元前 5 世紀から 3 世紀の人物について記載して
おり、それらの建築家は神殿建築に係わった著名な人
物ばかりである。このことから、ヴィトルヴィウスは
本人が活躍していた当時の建築様式ではなく、紀元前
5 〜 3 世紀頃に建設された建築や建築様式を重要視し、
建築について研究していたと考えられる。
4. 建築十書に掲載されている比例関係について
建築十書で記載されている数や比例関係をすべて抽
出する。そして、そのデータが文章中で「○○を▲で
分割したのち、■であて・・・」や「○を▲で割る」
などのように文章によって比例関係が表されているも
のを「比例表記」。その他の「○を▲ / ■する」など
の分数によって表されているものを「分数表記」の 2
種類に分類し分析を行った。尚、「○」は分割する部
分などの名称で、
「▲」や「■」は数字を意味している。
比例の関係の分析計の結果、全部で 273 件の比例関
係のを見いだした。そのうち「分数表記」が 226 件、
「比
例表記」が 47 件であった。また、建築に関連する比
例関係は、圧倒的に「比例表記」が多いことが分かった。
また、比例関係を一番簡単な比例関係に約分し、そ
れを分数と帯分数の形で変換して、その分数や帯分数
の分数部分でどのような数の分数が使われているのか
を求めた。その結果、分数部分の分子が 1 で表される
分数が多いことが分かった。また、その様な分数の分
母は、大半が 2 や 3 の簡単な整数となっている。従って、
ヴィトルヴィウスが示した比例関係は、整数対整数や、
分数が使用される場合も、分子が 1 であり、分母も極
めて単純な整数しかあらわれず、基本的には極めて単
純な比例関係しか使用していないことが判明した。
ヴィトルヴィウスは、数学者であるピタゴラスやプ
ラトンについても言及している。そのため、古代建築
の比例関係の分析も、無理数などの複雑な数字が使用
されている場合もあった。しかし、元来ヴィトルヴィ
ウスは極めて単純な比例関係しかその著書には記して
いない。また、ヴィトルヴィウスは前章までの分析
で、彼が提唱している比例関係を使用した設計法につ
いて、その知識の元は、クラシック期やヘレニズム期
のギリシア建築が主要な情報源となっていることが推
測できた。従って、際のギリシア建築における比例関
係も、単純なものであったと推測することができる。
5 おわりに
ヴィトルヴィウスの記載についての考察から、ヴィ
トルヴィウスの知識は、その多くはギリシアやトルコ
のヘレニズム期及びクラシック期の人物や建築から学
んでいることが判明した。また、イオニア式に関して
はトルコの神殿が知識の源となっており、ドリス式に
付いてはギリシアの神殿、特にパルテノン神殿やデロ
フィの円堂が、知識の源のように思える。また、建築
の設計に用いられる比例関係は、極めて単純なものし
か使用されていないことも判明した。
参考文献
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