ヨーロッパ史における普遍主義 第2章 ギリシャ精神

ヨーロッパ史における普遍主義
横浜市立大学名誉教授 松井道昭
第2章
はじめに
ギリシャ精神
ギリシャ精神とキリスト教
われわれ日本人にとって「ギリシャ=ローマ」はかなり特殊な分野でしかない。この用語が出
てくるのはせいぜい中学校段階で「歴史」科目に接してからである。ところが、西洋人にとって
は「ギリシャ=ローマ」はきわめて親しみやすい主題である。すでに学齢期前に用語は知ってお
り、小学校でギリシャ時代の物語や神話に接する。ギリシャ=ローマ文化は西洋人のアイデンテ
ィティを成す要素であるともいえよう。
ギリシャ人はBC2000 年ごろからバルカン半島を南下しBC15~13 世紀にかけてエーゲ文明
の影響下にミュケナイ文明をつくりあげ、クレタに代わってエーゲ海に海上覇権を確立した。紀
元前 12 世紀ごろ、鉄器をもったギリシャ人の一部ドーリア人がミュケナイ文明破壊し、ペロポ
ネソス半島を占領すると、先住ギリシャ人の一部は小アジアの西海岸に移住。
前章第1節「分裂と統一、多様化と斉一化」の冒頭部分で述べたように、ヨーロッパ文明を構
成するものに「ギリシャ精神」と「キリスト教」がある。以下、ヨーロッパの普遍的要素をなす
、、 、、、
これらについて述べてみたい。前に述べたように、西洋世界は分裂と多様化に向かうかと思うと、
すぐさま反転して元に戻ろうとする。そうした動きの因子となるのがこれら2要素である。この
ことはすでに述べた。
西洋文明は歴史的にはずっと若い。つまり、メソポタミアやエジプトの古代文明に較べずっと
遅れて形成された。その担い手はインド=ヨーロッパ語族の一部であるギリシャ人やローマ人で
あった。彼らはオリエント文明の波及していた地域に北方から移住し、先進文明から文化を受け
取るかたちで、それらを混ぜ合わせ、それでいて元の文化とは異質の文化を生み出した。それは
近代西洋文明の形成に際して模範となったため「古典文明」とも呼ばれる。
キリスト教はオリエント文明のなかで育ったヘブライ人の宗教から起こったもので、これがロ
ーマ世界にひろがり、ローマ人を通して西洋の諸民族に伝わった。ギリシャの古典文明とキリス
ト教を地中海世界に広め、これを西洋文明の主流としたところにローマ帝国の歴史的意義がある。
後に西洋文明の主要な担い手となるゲルマン人やスラヴ人などの大部分はまだ原始的な生活を
営んでいた時代のことである。
ギリシャの神々が多神教であったのに対し、ヘブライの伝統を引くキリスト教は強烈な一神教
である。ギリシャの神々が人間的な感情を露わにするものであったのに対し、キリスト教の神は
いわば人間世界を超越した存在であり、理性的にしてかつ禁欲主義的な性格を帯びている。ギリ
シャの神々が青年の溌剌さをもち快楽に溺れるのに対し、キリスト教の神は聖人のごとく理知的
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な態度で人々に他者への愛を捧げることを諭す。とにかく、ギリシャの神々とキリスト教の神は
何からなにまで正反対である。ヨーロッパの形成過程でキリスト教の神がギリシャ=ローマの
神々を駆逐していくのだが、その過程で姿を現わしたヨーロッパ文明においては過去の母斑を残
している。
キリスト教はさすがに影響力こそ昔日の勢いこそ失ったとはいえ、今も世界中において厳然と
して大きな影響力をもっている。ギリシャの精神はさすがに場所こそ限定的になったが、死に絶
えているのではなく、今なお文学・詩文・美術・法律・慣習などを通じて西洋文明の中で確実な
命脈を保っている。だからこそ、西洋人は幼児に対してさえギリシャ神話を説き、これから何か
を学ばせようとするのである。ヨーロッパ文明の普遍性を論じるとき、キリスト教とギリシャ精
神は避けては通れないのである。
第1節
ギリシャの神々
ギリシャ人の理想と苦難の生活は多くの神話や伝説に描写されている。ギリシャ神話の神々は
人間と同じような喜怒哀楽をもち、英雄はきわめて個性的でそれらの物語は吟遊詩人によって謳
いつがれた。それは長く西洋の文学と美術の豊かな宝庫となっている。
その中で最も有名なものがホメロス作といわれる「イリアス」と「オデュッセイア」である。
後者は古代ギリシャとトロイアの戦いの記録である。ギリシャではトロイアがイリトンと呼ばれ
ていた。「オデュッセイア」には機略に優れたイタケ王オデュッセウスが主人公である。この作
品はトロイア戦のあと彼が妻ペネロペの待つ祖国ギリシャに帰るまでの紆余曲折を謳った叙事
詩である。
紀元前 800 年以前のギリシャ人を見ると、彼らは民族として現在の居住地に入り込み、国を形
成し、次いでエーゲ海諸島への移住を開始する。紀元前 800 年から紀元前 500 年までのアルカイ
ック時代には貴族による絶対王政から権力奪取を試み成功する。彼らは政治の中心としてアテナ
イ、スパルタ、コリント、テーバイ、アルゴスなどの都市国家を形成していく。
ギリシャ人の共同体意識は半島の全域でおこなわれてきた祝祭、競技、宗教儀式によって維持
されてきたといってよい。ギリシャ語ではギリシャを「ヘラス」と言い、異民族を「バルバロイ」
といった。ここまで述べてくると、読者はすぐにオリンピックを連想するであろう。どの時代、
どの共同体における貴族文化にも見られるのだが、ギリシャ人はスポーツをそうした文化の表徴
、、
としてもっていたのである。この催事は 4 年に 1 度の頻度でBC776 年からAD393 年まで 1 千
、、、
年以上にもわたり実施されてきた。ここでの優勝者は各都市の英雄中の英雄として生涯にわたる
公的補助、年金まで供されたのである。
ギリシャの宗教的生活の中心にはデルフォイのアポロン神殿が置かれ、その神託は絶対であっ
た。ギリシャ神話に出てくる天上の神々すなわちパンテオンは多岐に分かれた血縁集団から構成
されている。それは同時に切り離しがたい近親間の関係を伴う。神話でくり拡げられる諸事件は
本質的に血縁集団、神族の系譜を紹介することになる。
細かな物語の描写は止めるとして、その特徴を述べておこう。ギリシャの神々は人間的な感情
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起伏に富み、煩悩の呪いに苦しみ、近親相姦や横恋慕に狂い、誘拐や横領を平気の平左でおこな
い、他者を憎悪・呪詛し、気短で闘争好みで、
(現代的価値観から見ると)
「悪行」の限りを尽く
す存在である。神々のそれぞれが海(ポセイドン)、黄泉の国(ハデス)、大地(ゼウス)の支配
者でもあり、「美」・「愛」・「知」・「生殖」「狩猟」などを表徴する神もいる。
神話とは物語そのもののおもしろさを提供しようとするものではなく、学問以前の、人間の知
性がまだ複雑怪奇な問題のメカニズムを解析するにいたっていない段階での、人々を悩ます困惑
の負担を軽くするための物語である。進歩に進歩を重ね一般概念に到達する以前の人間は個々の
眼に映る像に頼って考えるし、またそうせざるをえない。出来事のほとんどがその原因不明のま
ま生起する世界に直面した人間は、それを説明するために神話を必要とする。
だが、この説明は人間固有の経験の範囲に合致するものでなければならず、理性的というより、
むしろ情緒的であり、原因と結果を記述するのでなく、特定の経験を別の経験に結びつけて両者
の関連や類似性を思い浮かばせるはたらきをする。こうして得られた「解決」はまったく疎遠な
現象をさほど意外ではないように思わせることによって、それを直視し受け入れることを可能に
する。
未開社会では、自然を理解する主な手段を提供するのが宗教であり、上記の解決法は当然に自
然神信仰と結びつくことが多く、たいていの神話は自然神崇拝の傾向を帯びる。科学的観察や科
学法則で世界を見ることに慣れている現代人には一切が具体的・個別的であるという心理を察す
るのは困難だが、未開人にとってはこれこそが己に付きまとう困難を表現する唯一の手段なので
ある。未開人はいたる処に神や霊が作用しているのを見る。そして、神や霊にいくらかでも接近
してみようという気になれば、神話を通じてそうすることができる。というのも、神話は未知の
ものを既知のものに関連づけ、人間を取り囲む手に負えない現象と人間を隔てる壁を打ち抜く援
けになるからだ。
ギリシャ人は豊富な神話を保持していたが、その大部分は何らかの合理化の作用を受けている
のであり、また、神話の大部分が忘れ去られた祭式の意義づけのためにおこなわれることもある。
というのは、祭式の性格は時の経過のために不明瞭になっていくからである。ギリシャ人は祭式
についてその説明が困難であると感じ、努力しても由来をつきとめることができなくなったとき、
、、、
それを神話に認める。そのとき図らずもその時代のしきたりや実情を洩らしてしまうのだ。
ギリシャ人は神話のなかでしばしば神々に犠牲を差し出す。その時、肉のいちばん最良の部分
は自分たちのために取っておき、神々には脂肪でくるんだ骨しか捧げなかった。たとえば、プロ
メテウスがゼウスのために牛を捧げるとき、ギラギラした脂肪で骨を包む。これは当時の食料事
情を物語るものである。
もう一つの種類の神話は祭式の説明ではなく、自然現象を或る劇的な宇宙論的物語によって説
明しようとする欲求から発する。たとえば、ウラノス(天)とガイア(地)の物語がそれである。
ウラノスは、ガイアの産もうとする子どもたちが日の目を見るのを許さず、子どもたちを大地の
底に隠す。母ガイアは子どもたちに父を襲うよう急き立てるが、だれもしり込みをしてしまう。
クロノスだけが母から刃物を受け取り、ウラノスを襲って殺す。このような破局ののち、天と地
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は昔のように一体となることができず、こうして天と地は永遠に分離してしまう。
その他、愉しみだけを与えることを目的とする神話もある。これは厳密には神話とは言えない
が、記述の神話の焼きなおしや零れ話のかたちで拡がっていく。たとえば、ヘーラーがゼウスを
騙して臥床を共にし、トロイアの戦場で起きている事態に気づかないようにさせるようすを語る。
さらに民間伝説から神話に忍び込むものもある。時と場所が不明確であったり、旅行者の語りの
形をとったりすることが特徴である。これはただ楽しみのために語られ、神学や教訓の意味をも
たないものである。アイオロスの住む浮島、打ちあう岩、キムリオス人の暗黒の世界、一つ眼の
キキュローブス、鳥族、セイレーン…など。
このような物語は世界各地に広く見受けられ、奇怪なものや未知のものを好むすべての心に訴
え、今も生き残っている。ただ、ギリシャではこれら怪物は英雄伝説の中に溶け込んで物語吟遊
詩人の上演目録の一部になった。これら怪物は怪物以外の何かを表現しているのでもなく、教訓
を含んでいるのでもなく、神秘を解釈しているのでもない[注]。
[注]怪物たちは最初こそギリシャ神話における愉しみのための道具立てにすぎなかったが、こ
れらは西洋中世における悪鬼(デモン)の世界に移し入れられる。後述のキリスト教の教義には
出てこない要素である。それがキリスト教の「天国」と「地獄」の対照構図のなかで「地獄」を
構成する不可欠の要素と再生されていく。
本来の神話とそれを補う物語は共に英雄叙事詩の広大な構想の中に取り入れられた。そうした
伝承はホメロスにおいて最高潮に達して生きつづけ、神話と物語の要素のすべてを含む一つの説
話群をかたちづくり、説話ならではのやり方で人間の功業に華を添えた。物語の蓄えがきわめて
豊かであったため、ギリシャの劇作家たちは素材のすべてをそこから取り、彫刻家や画家はそれ
を主題にして公共の建築物を飾りたてた。神話と民間説話はやがて、事実にもとづく英雄物語と
接合することによって多彩さと華麗さを増して一大交響楽の様相を呈していく。
紀元前 14 世紀から 13 世紀にかけてミュケナイ時代のギリシャは詩歌の主題を数多く提供し、
詩人たちがそれを語り継いだので、何世紀にもわたって人々の記憶に残ることになった。かつて
は巨大な集積であった吟唱叙事詩のうち、「イリアス」と「オデュッセイア」しか残らなかった
のはまことに残念である。
第2節
ギリシャの精神
われわれはヨーロッパ史の普遍主義の起源のひとつとして「ギリシャの精神」をもちだした。
神話はそれを探るための宝庫であり、それへの興味は尽きないが先を急がねばならない。ギリシ
ャ文明が後世に伝えたものを要約して示しておこう。ギリシャの精神はそっくりそのままローマ
人に引き継がれていく。ローマ人はギリシャ文明のあらゆる要素を何世紀にもわたり称賛と崇拝
によって理想化した。その貢献を考慮すれば、
「ギリシャ=ローマ精神」いってかまわないだろう。
ローマ人によるこの理想化の過程はギリシャの神話・言語・美術・技術・哲学・学芸のすべて
を網羅する。国家観や政治観、都市形態や住居・生活様式も、経済制度、共同体帰属の観念もそ
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うである。もしローマ人が介在していなければ、ギリシャの精神は後世に伝わらなかった可能性
が高い。
ギリシャ精神の第一は英雄的人間観である。「英雄」とは単に「権力をもつ者」といった規定
では不十分である。
英雄的なものとは、人間が為さねばならない事柄および堪えるべき事柄を弁えた人物、そして、
思弁に耽るに終わらず理想を実現しようとする人物を指す。雄大な企てと比類のない英雄の物語、
地上を人間の友として歩く神々の物語、遭遇する困難に際し勇猛果敢な態度を失わず、比類なき
気品を示す華麗な物語 ― ギリシャ人はこうした人間観と価値観を切り拓いた。つまり、人間は
栄誉と名声のために生きるべきであり、英雄に伍して品位と自尊心をもって自己の本分を尽くす
べきである。ギリシャ人は英雄の叙事詩の長い伝統を介してこれを築いたのである。
ギリシャ人が切り拓き後代に伝えた精神の第二は国家と個人のあり方、つまり法治原理である。
ギリシャ人は都市国家(ポリス)こそが自然で正しい人間社会の単位であると考えた。彼らは他
の民族に都市国家がないことを知っていたが、それがないことはその民族の劣等性を示す証拠に
他ならなかった。ギリシャ人の間で都市国家を弁護する必要を感じたときは、人々が集落で不安
定に暮らし、カツカツの生活状態に縛られた、かつての時代と比較するだけで十分だった。
プラトンとアリストテレスは都市国家を発展の必然的帰結と考えていたし、理想社会の観念す
らも都市国家の上に構築したのである。ギリシャはやがてヘレニズムの君主制やローマ帝国の広
大な支配下に入るが、彼らはそれをむろん予見しなかったし、望みもしなかった。それほどに自
分たちの制度とその魅力に傾倒していたのである。文化面のまとまりを政治的統一に転換させる
のが望ましいという考えは彼らには思い及ばぬことだった。
ギリシャ人が忌み嫌ったのは専制政治であり、これを未開と野蛮の象徴と見た。ギリシャ人は
バビロニアやヒッタイトの法典を知らなかったが、宿敵ペルシャ人の法なき支配や独裁者の気紛
れ行為を野蛮そのものと見た。ギリシャ人にとって「法」こそが文明社会の基礎であった。BC
7 世紀以降になると、ギリシャの多くの地で有名な立法者たちによって伝統的慣例や習慣を法文
に編み込み、市民生活のための適正な法の組織を整えはじめる。しかも、古来の習慣に起源をも
つ法というものは神に認められたもの、神々の意志を表現すると考えた。
法が神の意志を反映しているならば、法に背くことは必然的に「悪」となる。したがって、法
の一点を犯せば法全体の権威を損なうことになり、また、法は家族よりもはるかに神聖な、国家
を保護するものであって、法に背いてはならない。ここにはもはや「近代的な」個人と国家のあ
るべき関係が示されているのである。
アテナイ人はさらに突き進み、直接民主主義を実行したばかりか、「言論の自由」をも尊重し
た。アテナイ人は文書や口頭による名誉毀損に関する法律をほとんどもっていなかったし、政治
論争の無遠慮で毒舌的なことは個人間の私闘や法定闘争と変わらないと見なした。彼らは率直さ
や中傷を方便の一つとさえ見なし、その正当性を認めた。
ギリシャにおける法の成立と民主主義の実行は政治体制の性格に関連し、専制政治の崩壊に伴
う政治改革に結びつく。紀元前 8 世紀の終わりには世襲王権はギリシャではほとんど力を失って
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いた。王権はアテナイのように形式的な地位に限定されるか、スパルタのように力を厳しく制限
されるかのどちらかであった。アテナイでは 9 人の長官のうち 1 人が「王」と呼ばれていたし、
スパルタには 2 人の王がいて、戦場で指揮を執るときこそ、かなりの権限をもっていたが、平時
や内政の問題にはきわめて限られた権限しか行使できなかった。テッサリアでは若い王子たちが
政務を執っていたし、他の都市、特にキュレネでは世襲の王が過去の地位をいくらか維持してい
たのは事実である。しかし、全体としてみると、紀元前 700 年ごろ以降、古い意味での専制政治
はほとんど姿を消し、貴族寡頭制と民主制のどちらかしか存在しなかった。
ここまで述べてくると、ギリシャの法制が中世都市国家はおろか、近代民主主義国家の母型で
あることがわかるであろう。ただし、これをあまりに拡大解釈するのはよくない。
「貴族寡頭制」
という用語で示されるように、ここには人間平等の精神は希薄である。ポリス国家はわずか2割
の自由民によって構成され、残りの8割は奴隷であった。
自由人も血筋による選良とそうでない者とに区分された。出生による身分差別が「貴族」の存
立基盤であるが、彼らは何の気兼ねもなく自分たちのことを「善良」
「高貴」
「公正」と語り、政
敵のほうを「不良」
「卑賤」
「不正義」と語った。彼らは動物の観察にもとづいて育ちの良さが大
事であることを学びとり、血統こそが優秀さの保証であると信じ、「最善の決定は最善の人々か
ら得られるのは当然」と見なし、支配の資格も血統によって支えられるべきだと信じた。
ギリシャ精神の第三は溢れんばかりの活力、それも青年の活力である。これはポリス国家と個
人のあり方をも規定する。それは防御的なものにとどまらず、外に向かって伸びていくエネルギ
ーとなる。いわば日本の格言「義を見てせざるは勇なきなり」がぴったり当てはまる活力である。
パルテノン神殿の彫刻は清新なイデオロギーの息吹を神話のかたちで描いているが、神殿東側の
切妻面には神的知性の力としてのオリンポスでのアテナイの誕生が刻まれ、西側ではアテナイと
ポセイドンの格闘が描かれている。海の神ポセイドンは女神アテナイの前にたじろぐ。東面で力
の出現が、西面における全力挙げての争闘においても力が描かれている。つまり、これは社会(ポ
リス内)において個人の果たすべき義務を示しているのだ。
この侮りがたく抑えきれない力は個人が家庭にとどまったり、国内問題で勝利を収めたりする
だけで満足しない、フランス革命で勝利を収めた闘士が外国に向かって進むように、アテナイ人
は国境の外に飛び出し、他のギリシャ人にこの体制を押しつけようとする。これは民主主義なる
ものはそれを国内で実現するにとどめ置くことなく、外に向かって輸出すべきものであることを
指し示す。フランス革命下でパリのジャコバンの闘士たちが強権的な姿勢で他地域の専制政治を
憎み、「民主主義」の拡大に狂奔した事実が思い出される。勢い余って彼らは軍勢を率いて外国
にまでくり出す。―― それ自体がひとつの専制政治となるが。革命下の闘士たち自身、口々に
ギリシャの故事を喧伝したものである。
ギリシャ精神が後世に与えた第四の要素は善悪判断の基準を提供したことである。ギリシャの
倫理学は実践論を主題とするアリストテレスの「ニコマコス倫理学」に圧縮されているが、ここ
ではふれない。彼がつねに考えていたのは「善」とは何かである。「善」は個人の行為にかかわ
り、理性的動物の理性的たるゆえんは道徳をもつからである。ギリシャ人の「善」は現代人の「善」
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の感覚とは多少違う。アリストテレスは、人間の可能性を一定の方向性をもって発揮する状態を
「善」と見なした。ということは、「善」の範囲は現代人なら適用外と見なすものも「善」にく
り入れることになる。アリストテレスの倫理観は当時のギリシャ人にひろく見られた倫理観を総
合的に自己の哲学の中に取り入れ組織だてたものである。
ギリシャ人の倫理観はもともと批判や哲学とは無縁なものであった。それは人間の義務全体を
規定する聖典が存在しなかったことによって説明できるであろう。ギリシャ人の行動は実践的で
経験に基づく性格のものであった。ギリシャ人は理論を実践によって試してから初めて結論にい
たる帰納法的手法を好む。ギリシャ人は善い人間と善い生活を区別し、それぞれに独自の観念と
用語をもたせた。
善い人間という観念がホメロスには欠けていたことを認めねばならない。ホメロスの暗示した
ものは、
「勇気」
「節制」
「正義」
「知恵」の4つの徳であった。この4徳を最初に唱えたのはピタ
ゴラスである。この4徳はアイスキュロス、ピンダロス、ソクラテス、プラトン、アリストテレ
スに伝えられ、アリストテレスのもとで整然と形を整えられ後世に伝えられた。この倫理観は古
代ギリシャの崩壊後も生きながらえてストア派の新しい倫理学の基礎となっていく。
「勇気」はつねに戦争で身を曝している民族では高く評価される。
「節制」は、誇示したり卑下したりすることなく行為する態度、尊大の風なく振る舞う態度で
ある。
「正義」は本質的に道徳的資質であり、文明社会の慣習と法に従い、人々を功績に応じて遇す
るという性向であり、本来的に社会的なものである。それは他者の所有権の遵守というかたちに
おいてあらわれる。
「知恵」は精神活動一般に適用され、哲学・科学・政治上の能力・技芸の巧みさをも意味する。
これら4徳のすべてが一人の人間において等しく具備されているのを見るのは稀だ。まったく
ありえないことではないが、4 徳の完備はふつうは考えにくい。しかし、これらを重んじたこと
はたしかに、ギリシャ人が人間のあるべき方向性を示している。単純率直な考え方であるが、こ
れが市民生活に適用され、都市国家の要求を受けて新たな深みがつけ加わる。勇気が勇気自体と
しても、都市にとっての利益としても称揚されるようになると、単なる肉体的勇敢さでは不十分
となり、戦う理由を知ったうえで危険に身を曝し、そのためには生命を犠牲にする覚悟が必要と
なる。「勇気」が十全の機能を発揮するにはどうしても「節制」「正義」「知恵」に支えられねば
ならない。そうでないと、いわば「空振り」状態の無駄な骨折りとなってしまう。
ギリシャ精神が遺した第五の要素は造形美術である。ギリシャ人の生活の中で詩が占めた地位
に匹敵するのは視覚芸術のそれである。詩と視覚芸術のあいだには従属関係はなく、独自に発達
したのだが、ギリシャ人は両者に共通するところがあると認める。「絵画は物言わぬ詩、詩は物
言う絵画」である。両者は共通の使命と目的があることを意味する。
ギリシャの視覚芸術は現実の情景から素材を借りるが、その狙いは現実を超えた物を描くこと
であって、真に適切で重要な要素を摘出することによって主題を単純化し強調する。固い石灰岩、
冷たい大理石は建築家や彫刻家の手にかかると、魔法をかけたように強い印象を放つ“生きた”
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造形物となる。メソポタミアやエジプト文明の造形美術には見られない個性、感情、肉感、色彩
美、背景との調和を帯びる。
上述のギリシャ精神をまとめることでこの項を終えることにしたい。①英雄的人間観、②法治
原則、③押しつけがましい活力、④行為準則としての倫理観、⑤造形美術 ― このように整理し
ていくと、これは現代社会でもまちがいなく脈打っていることがわかる。総じていえること社会
の中における個人のあるべき姿を規定していることだ。ギリシャ人はポリスという小宇宙を離れ
て物事を考えることはできなかった ― それゆえにオストラシズムで都市から追放されること
は文字どおりの死刑判決にほかならなかった ― が、人々の行動範囲が都市から地域へ、地域か
ら国家へ、国家から国際環境へと変わってもそうだった。上記5つの要素は依然として適用可能
である。それはギリシャを引き継いだローマ世界ですぐさま実証されることになる。
(次章
http://linzamaori.sakura.ne.jp/watari/reference/universalism_3.pdf)
(c)Michiaki Matsui
2014
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