教師の学びの質を考える―実践と省察をめぐって

第3回やまがた教員養成シンポジウム報告
教師の学びの質を考える―実践と省察をめぐって―
森
田 智 幸
(山形大学大学院教育実践研究科)
1 シンポジウムの主題
教師教育の高度化は,1980 年代半ば以後の北米
における大学院レベルの標準化に端を発し,1990
年代半ば以後には欧州へと広がった。近年では,
アジア諸国においても活発に議論され,都市部で
は修士号を取得した新任教師が増加している。そ
の一方で,日本は教師教育の高度化において大き
な遅れをとってきた。
教師教育の高度化のキーワードとなるのが,教
師の専門職化である。教師教育の高度化を進める
ためには,専門職としての教師の教育について考
えることが重要となる。昨年度(2012 年度)
,中
央教育審議会が答申「教職生活の全体を通じた教
員の資質能力の総合的な向上方策について」
(2012
年 8 月 24 日)において,教員免許制度改革も視野
に入れた「教員養成の修士レベル化」と,教員を
「高度専門職業人」として位置付ける必要性に言
及したことで,今後の日本の教師教育に関する施
策についても,教師教育の高度化,教師の専門職
化を志向して進展することが予想される。
それでは,教師教育の高度化と教師の専門職化
を目指すという筋道の中で,教師教育に関わるそ
れぞれの立場において,どのような教師の学びを
視野に入れ,構想していけばいいのだろうか。本
シンポジウムでは,
「教師の学びの質を考える―実
践と省察をめぐって―」を主題として設定し,基
調講演とシンポジウムにおける報告を通して,専
門職としての教師の学びの質の向上に向けた今後
基調講演をする佐藤学氏
のヴィジョンを考察し,学ぶことを目的とした。
この目的に照らして,シンポジウムを以下のよ
うに構成した。まず,専門職としての教師の学び
に関する理論的な知見を検討するため,学習院大
学教授,山形大学客員教授である佐藤学氏に基調
講演を依頼した。次に,より具体的な課題として
専門職としての教師の学びに関する検討を行うた
め,学部や大学院の学生と,そこに指導する立場
として携わった大学院の教員や実習校の指導教員
による報告によるシンポジウムを設定した。多様
な立場からの報告がもつ意義の整理を行うために,
報告後に,佐藤学氏,山形県教育庁教育次長の中
井義時氏による指定討論を設定した。
なお,シンポジウムの日時,場所,プログラム
などは次頁に掲げたとおりである。
2 シンポジウムの概要
(1)専門家としての教師の学びを保障するには
学習院大学教授・山形大学客員教授の佐藤学に
よる基調講演は,専門家としての教師の学びの質
の向上に向けて,教師教育関係者が共有しておか
なければならない理論的知見を提起していた。本
報告では,専門家としての教師の学びの特質,そ
れを可能にする方略,それを支える語りの様式と
いう 3 点から整理しておきたい。
第一に,専門家としての教師の学びの質の向上
には,職人としての学びと専門家としての学びと
いう教師の学びの特質を念頭におき,それらを統
合するという発想が必要である。
佐藤は,教師の成長を,職人性と専門性という
二つの側面にみている。職人性は,矜持と技(art;
型の模倣と創造により形成されるもの)により形
作られ,決してトレーニングによって身に付く技
能(skil)や一般化や法則化を通した言語により
伝えられる技術(technique)により形作られるも
のではない。また,専門性とは,専門家としての
自律性と独自の知識体系,複雑な状況における判
断などにより構成されるものである。教師教育の
課題は,教師の成長が職人としての成長と専門家
としての成長の両側面をもつものであることを鑑
み,その両者の統合を推進することにある。
第二に,職人としての学びと専門家としての学
びの統合を目指す一つの方略として,授業の事例
研究を通した専門家共同体の構築がある。
教師は,
専門家共同体の中で,共同体における徒弟制を通
した職人としての学びと,事例研究(ケースメソ
ッド)を通した専門家としての学びを経験し,成
長する存在である。専門家共同体は,教師の専門
的自律と職人性の伝承を担保するものとして構想
されている。
教師の専門職化に向けたこの方略は,専門家と
しての教師の実践的見識の複雑性を前提としなけ
れば達成しえない。たとえば,専門家共同体を構
築するための重要な学びの場である授業の事例研
究は,専門職としての事例研究(
「ケースメソッ
ド」
)
,即ち教育実践の複雑性を前提とした実践的
探究(理論と実践の統合)を目的としたものであ
り,
従来の授業研究とは一線を画したものである。
従来の授業研究は,授業前の「プラン」や,教
師の教育技術を検討し,どの教室にも通用する一
般的な方法への志向性があった。このような授業
研究では,実践の中の思考などの複雑性が捨象さ
れ,職人性や専門性としての成長に必ずしもつな
がるものではなかった。
一方,専門職としての事例研究(
「ケースメソッ
ド」
)は,課題のデザインと学びのリフレクション
(=省察)の研究を中心とした授業の事例研究で
ある。ここでは,実践の中で絶えず遂行されてい
る「状況との対話」を通した教師の判断や省察,
それに伴う不断の課題の再構成(
「デザイン」
)に
ついて,丁寧な観察を通して学び合う。事例研究
の出発点は,多様な文脈の上に成立する学びの過
程をありありと描き出すことであり,そのことを
通じて,教育実践の複雑性と絶えず出会い続ける
ことが必要である。学部や大学院においても,こ
うした新たな事例研究を構想し,実践する必要が
ある。
そして第三に,そうした複雑性を前提とした事
例研究における学びの質は,理論と実践の統合が
どのようになされているかにより規定されるとい
うことである。佐藤は,教師の実践的ディスコー
スの成長過程を表1のようにまとめている。この
成長過程を踏まえるなら,事例研究では,事例を
通して「どのように数学を教えるのか」(「1st
step」
)
という単純化された問題について議論する
のではなく,
「協同的な文脈において,子どもたち
に数学することを教えることについてどのように
学んだのか」
(
「4th step」
)という,その事例を通
して,参加者一人ひとりが学んだことを議論する
ディスコースの成立が重要である。
「4th step」としてのディスコースは,
「熟考」
と「省察」という専門家としての教師の「実践的
見識」の形成を支える行為を表現するものともい
えよう。
「熟考」と「省察」という行為は,専門家
が理論と実践を統合する 2 つのサイクルを意味し
ている。
「熟考」とは,理論的な概念や原理を実践
の文脈に対応させて翻案する思考活動であり,
「省
察」とは,活動過程における省察と,活動過程に
おける認識と省察に関する反省である。授業とい
う一つのフィールドは,
「熟考」と「省察」という,
専門家としての教師が理論と実践を統合する貴重
な場である。
学部や大学院では,この二つのサイクルを通し
て理論と実践を統合する場としての授業研究を中
心とする実践研究の機会を提供していかなければ
ならない。概念や原理を伝達し,それを実践に適
用する場としての実習の機会を提供するのではな
く,複雑な教育実践を語り得る,再定義された概
念や原理(
「学問的教養」と「教職教養」
)を学ぶ
機会を提供し,そして,それらの概念を「熟考」
する場として,また,実践を「省察」する場とし
ての「実践研究」の機会を保障し,教師の専門職
共同体の実践的ディスコースの成長に寄与する学
びの場を構想する必要があるだろう。
表1 教師の実践的ディスコースの成長過程(基調講演スライドより)
st
1 step:
2nd step:
3rd step:
4th step:
How
How
How
How
to
to
to
to
teach
teach
teach
learn
math
math to children
children doing math in collaborative learning
to teach children doing math in collaborative context
(2) 専門家としての教師の成長モデル
シンポジウムでは,
「学校というフィールドで学
ぶとは」を主題として,教育実習やスクールサポ
ーター制度,また,その他フィールドワークなど
学校で学んだことについて,それぞれの立場から
の報告が行われた。報告者は,学部や大学院の学
生と,そこに教育する立場として携わった大学院
の教員や実習校の指導教員である。本報告では,
一人ひとりの実践の省察を検討することを通して,
今後の教師教育の高度化に向けて,学部・大学院
が学校というフィールドにおいて保障する必要が
ある実践的探究の一つのモデルを提起したい。
①わからなさの精緻化
シンポジウムの報告を通して,教師教育の修士
レベル化に向けて,学部や大学院が,省察を通じ
た実践的探求として保障できることの一つとして,
「わからなさの精緻化」をあげることができる。
「わからなさの精緻化」については,教職大学
院の院生の遠藤香菜による学びの物語が象徴的に
示している。遠藤は,まず,学部に所属していた
ころについて,
「何もわからない自分,何もできな
い自分」として振り返っていた。
このようなわからなさは,学部の学生に共通の
経験であった。学部に所属する学生である鈴木聖
太,今野彩夏,信夫椋による報告においても,同
様の経験が,はじめて教室に入った時のとまどい
として率直に表現されていた。鈴木は,はじめて
教室に入ったとき,目の前の生徒たちが「一つの
塊」にしか見えなかったことを,今野は,実習の
際には「授業を成立させなければ」という思いに
かられ,教師と子どものやりとりを一歩引いた立
ち位置から観察することが難しかったことを,そ
して,信夫は,子どもに近い存在としてのかかわ
りと教師としてのかかわりとの間に在る違いにと
まどったことを,それぞれ報告した。学部に所属
する学生たちは,教育実習において初めて,教室
に教師として存在するということと出会い,とま
どっていたのである。
遠藤の報告は,学部学生が経験するわからなさ
の先にどのような学びがあるのかを示している。
遠藤にとって,大学院における理論と実践の学び
は,このような「何もわからない」状況を,より
具体的なものにしていく経験であった。学習科学
をはじめとする様々な理論を学ぶこと,
また,
様々
な実践を丁寧に観察し学ぶことは,
「こういう授業
をしたい」という授業の全体像のようなものを描
くことにつながった。その全体像をもってのぞん
だ大学院 1 年目の実習は,再び「わからない,で
きない自分」
と出会う機会であった。
この経験は,
さらに理論を学びたい,また,実践を丁寧に見る
ことを通して学びたいという思いへとつながり,
本を読み,
フィールドワークに出かけた。
その後,
大学院 2 年目に臨んだ実習も,
再度
「わからない,
できない自分」との出会いであった。しかし,そ
の時のわからなさは,かつてのわからなさよりも
具体的なものになっていたというのである。
現職の教員として大学院で学んだ石田修による
報告は,現職の大学院生にも,理論と実践を行き
来する中での学びの経験があることを示していた。
石田は,大学院に来たことで協同学習(collaborative learning)の諸理論と出会い,自身の実践
を学習者中心のものへと再文脈化する挑戦につい
て報告した。講義形式の授業をしていたときに比
べ,授業中に寝る生徒がいなくなっただけではな
く,
生徒の表情が明らかに変わったという。
また,
漢文の授業では,友達とともに学び合い,白文を
訓読することに夢中になる生徒の様子と出会い,
受験という動機づけがなくても,生徒には学びた
いという欲求が確かに存在するということに気づ
くことができたという。石田には,今後の課題も
見えている。高校からこのような学習スタイルに
しても,どうしてもなじめない子どもたちの姿が
ある。石田の省察の中にも,わからなさの精緻化
が確かにある。
教職大学院の実務家教員である樋渡美千代の報
告は,実習生を指導する立場から「わからなさの
精緻化」について語ったものとして解釈できる。
樋渡は,実習に実務家教員として関わった経験を
通して,大学院の教員として重要なことは,学生
が「わからない」ことを言語化することを支える
シンポジウムの様子
ことだと学んだという。樋渡は,教師を経験して
きた存在である実務家教員だからこそ抱える,
「こ
うした方がいい」という指導をしてしまうことの
危険性を指摘する。こうした指摘は,先の実践的
ディスコースの成長過程を踏まえた指導者のかか
わり方の必要性の主張へとつながるだろう。教師
教育に関わる教員には,学生に対して,
「1st step」
から「4th step」へという,より高度な実践的デ
ィスコースにおいて省察する経験を保障すること
が求められている。
②チームとしての実践研究へ
実習校の指導教員の報告からは,指導教員が教
え,実習生が学ぶという固定化した役割を脱却す
る必要性を学ぶことができた。現在山形県教育庁
義務教育課指導主事で,昨年度まで山形市立第二
小学校の教諭として毎年,大学院からの実習生を
受け入れていた小沼裕佳理は,実習生が,具体的
に固有名を挙げて子どもの学びの過程から丁寧に
学んでいる様子,また,授業中に,一人ひとりの
子どもの学びにこだわる様子を見て,教師として
の自らの実践を問い直すきっかけとなったという。
実習生と指導教員双方の学びの機会となったこと
を支えたことは,子どもの様子を媒介として語る
事だったことも重要だろう。子どもの様子を通し
て学ぶことは,実践に関わる様々な立場の人たち
の学びを保障することにもつながるのである。
山形大学附属小学校の教諭の奈良崎芳晴は,毎
年,
学部,
大学院の学生を実習生として受け入れ,
学生が,実習当初は何もできないという状況に直
面し,どうすればいいのかという悩みや疑問に出
会っていたのに対して,実習の終盤では子どもの
いいところや,意外な側面を見つけられるように
変容していくことに多く出会ったことを報告した。
このような変容を指導教員として見ることを通し
て,奈良崎は現在,教師としての基礎的なことと
シンポジウムの様子
考えられている技術的なことではなく,それを支
えている「日常」と「子どもへの愛情」を実習生
に経験してほしいと思い,
「普段の教室」を経験し
てもらうよう心掛けているという。このことは,
教師の実践的な見識が,子どもへの愛情をはじめ
とする教えるものが抱く感情,また,きれいごと
ではすまない日々の生活などとは切っても切り離
せないところに成立することを示している。
指定討論者の山形県の教育次長である中井義時
は,小沼や奈良崎の学びが,大学院における新た
な
「実習」
のモデルとなりうる可能性を提起した。
小沼や奈良崎が実習生を通して学んでいたように,
特に大学院の実習では,教師,研究者,学生がチ
ームを組み,それぞれの立場から学び合う実践研
究を行う場へと変革する構想である。中井は,大
学院における「教育実習」という名称の変更も提
案していた。
これら実践の省察としての報告からは,学部や
大学院における実習をそれぞれの立場において見
直し,カリキュラムとして再構築する必要性を提
起できる。その際には,実践における学びをわか
らなさの精緻化としての学びとして保障すること,
そして,教師,研究者,学生の三者がそれぞれの
立場から学びうる実践研究の場へと変革すること,
という二点を柱として,学校というフィールドで
の学びを構想していく必要があるだろう。
以上,本稿では,専門家としての教師の学びの
質をいかに高めるかという視点から,本シンポジ
ウムの基調講演,
報告,
指定討論の整理を試みた。
佐藤学氏は,各学校の教師,大学の研究者,行政
担当者らが一堂に会し,教師教育の質の向上を議
論できたこの機会を「歴史的な日」といい,その
意義の大きさを表現していた。シンポジウムは,
休日にもかかわらず,
山形県内の各地から,
また,
多様な立場から 160 名あまりの参加があり,立ち
見が出るほどの盛況であった。足を運んでいただ
いた参会者の方々に感謝を申し上げたい。
教師教育の高度化,教師の専門職化という道筋
は,まだその緒についたばかりかもしれない。し
かし,ここに集った一人ひとりと,教師教育の高
度化,教師の専門職化に向けたヴィジョンを共有
し,今後も互いに学び合うことを通して,山形に
教師の専門職共同体を構築していきたい。