研究発表:日中(韓)比較研究 #1200528 #1200514 ニューカマーのコミュニティにおける言語使用とアイデンティティ ―日本、香港・マカオ、韓国の事例から― Language Use and Identity in New -comers’ Communities in East Asian Countries: Case Studies from Japan, Hong Kong and Macau, and South Korea 江仁傑(香港城市大学) 樋口謙一郎(椙山女学園大学) キーワード: ニューカマー・コミュニティ;文化受容;アイデンティティ;言語使用 要旨: 本研究は、日本、香港・マカオ、韓国におけるニューカマー・コミュニティの言語使用 とアイデンティティを分析する。具体的には、在日ミャンマー人、香港・マカオ在住コリ アン、国際結婚や労働者として韓国に滞在する中国人と東南アジアの人々の事例を取りあ げ、それぞれの背景、現状、言語使用、アイデンティティ、そして文化的受容を分析する。 次に、それぞれのコミュニティにおける特徴と共通する課題を整理し、最後に、これから の課題についての若干の提言を試みたい。 1 1.はじめに 本研究は、東アジア諸国・地域において、比較的新しく移住・定着する外国人住民の姿 と、その言語使用の問題について検討する。 これまで東アジア諸国・地域に暮らす外国人に関する研究は、在留外国人の中のマジョ リティーを対象とするものが主であった。例えば日本では、在日コリアン、在日中国人、 日系ブラジル人などを対象とした研究が数多く行われてきた 注 1 。香港では、中国大陸か らの移住者や東南アジアの住民に関する研究が主流である 注 2 。 それに対して、近年、香港・マカオ在住コリアンや、在日ミャンマー人のような、従来 は目立たなかったニューカマーが増え 注 3 、それらの人々が形成するコミュニティの発展 が注目されつつある。ニューカマー、マイノリティの外国人住民がいかに現地社会に適応 し、現地での生活が彼らの言語使用やアイデンティティにいかなる影響を与えているか、 まだ明らかになっていない面が多い。また、東アジアに定住外国人に関する諸問題は各国 の個別的問題として認識・考察されることが多く、グローバル化の進む東アジアにおいて 共通の、あるいは相互に参照可能な問題として分析されることは少ない。だが実際には、 グローバル化する東アジアにおいて、文化的背景が異なる者同士の接触や交流が今後さら に活発化すると見られ、多様な外国人の存在は、一国の多文化的な社会の構築においても、 東アジア全体の発展においても、無視できない存在になりつつある。 そこで本研究は、日本、香港・マカオ、そして韓国におけるニューカマーのコミュニテ ィの事例をいくつかピックアップし、それぞれの背景、現状、言語使用、アイデンティテ ィ、そして文化的受容を分析する。具体的には、香港・マカオ在住コリアン、韓国在住の 中国・東南アジア出身者、在日ミャンマー人を取り上げる。次に、それぞれのコミュニテ ィにおける特徴と共通する課題を整理し、これからの課題と対策についての若干の提言を 試みたい。 研究の方法としては、既往文献・先行研究からさまざまなニューカマー・コミュニティ の歴史的背景・発展を明らかにした上で、そこにおける言語使用・アイデンティティの問 題についてはインタビュー調査も行った。なお、筆者らはすでに、これらの事例に関して 若干の研究を行っており、かつ現在も継続中である 注 4 。 2.香港・マカオ在住コリアン 2.1 香港在住コリアン 香港在住コリアンのコミュニティ形成は、第二次世界大戦の終結期にさかのぼる。それ まで中国に居住していた多くのコリアンが、故郷に戻るべく香港へ逃れてきた。その多く は香港に短期間滞在した後、最終的に朝鮮半島に戻ったが、約 40 世帯が香港に定住する ことを選択した。1960 年代には、韓国政府は経済成長を期して輸出志向の工業化政策を 推し進め、南方物産や大韓農産などの韓国企業が香港に支社を開設した。さらに、中国が 2 改革開放政策を開始した 1970 年代後半、韓国は中国と外交関係がなかったが、多くの韓 国企業が中国市場へのステップとして香港市場へ参入したのに伴い、香港のコリアンコミ ュニティは急速に発展した。1993 年には香港韓国国際学校も設立されている 注 5 。 2011 年現在、香港に暮らしているコリアンの人口は 13,288 人 注 6 であり、2006 年の 4,812 人 注 7 から大きく増加している。2006 年統計によれば、香港在住コリアンの 73.2% が中等教育を受けており、その比率は香港在住のアジア系住民のなかで最高 だった(香港 在住日本人は 72.8%が中等教育を受けており、この比率は香港在住のアジア系住民のな かで 2 番目の高さである) 注 8 。 同統計によれば、香港在住コリアンの 16.3%が日常言語として、67.8%が第 2 言語と して英語を使っている。つまり、香港在住コリアンのほとんどが、日常生活で英語を使っ ている。香港在住コリアンのうち英語を話せる者は多いが、一方で広東語を話せる者は 30.3%にとどまっている。英語が香港や諸外国で使える国際的な言語であること、韓国の ビジネスマンが諸外国の企業との業務において英語を使ってきたことなどによると考えら れる一方、広東語は香港在住コリアンにとってあまり重要ではないものとみなされて いる ようである。 また、同統計によると、香港在住コリアンの 34%は 35-44 歳であり、次に多いのは 15 歳 未 満 の 若 年 集 団 ( 18.2 % ) で あ る 注 9 。 そ の 後 に 25-34 歳 ( 16.4 % ) 、 45-54 歳 (15.2%)と続く。香港在住コリアンの 93.1%が香港以外(おそらくほとんどは韓国) で出生したことから、香港在住コリアンの多くは仕事上の理由で韓国から香港に来ている と考えられる。香港在住コリアンの子弟は、さらなる教育を受けるために韓国に戻ること も考えられるが、韓国の教育システムに適応できるかどうかが大きな問題点とな る。 この点について言えば、香港韓国国際学校(KIS)の設立は、韓国語で教育を受けるこ とを希望するコリアンの子弟に選択肢を提供しているだけでなく、さらなる教育を受ける ために韓国に戻る生徒が韓国の教育システムに適応するのに役立っている。 KIS 創設以前、 香港在住コリアンの多くにとって ESF 校(英国式に基いて英語で授業を行う学校)や私 立学校に通う以外の選択肢はなかった。相当数のコリアンが、企業や政府によって香港へ 短期間派遣されてきており、彼らの子弟の多くは帰国後、韓国の教育システムへの適応に 問題を抱えていたのである 注 10 。KIS では現在、韓国語と英語のほか、北京語も重視され ている。北京語能力は、成長著しい中国での就労や市場参入を望む者にとって有用である。 また、香港企業や香港で活動する韓国企業の多くは中国と取引しており、北京語 能力を持 つ者が労働市場において強みを持つことは疑い得ない。 実際、香港は、中国と地理的に近く、国際金融の中心でもあることから、コリアンにと って魅力的な学習環境である。近年では香港の大学で学ぶコリアンが増加している。 その 理由の 1 つは、英語で行われる授業に出席しながら、中国についてより多くを学べ ること にある 注 1 1 。 3 2.2 マカオ在住コリアン マカオと韓国との交流関係はいつ始まったのだろうか。1836 年に金大建ら朝鮮人宣教 師 3 人がマカオの神学校に派遣されたことはよく知られている。1837 年にマカオに到着 した金大建らは、マカオのパリ外国宣教会司祭のもとで神学、ラテン語、フランス語など を学んだ。しかし、日本政府の統計によると、マカオ在住朝鮮人は 1941 年時点で 1 人の みで 注 1 2 、第 2 次世界大戦終結時までほとんどいなかったと考えられる。 第 2 次世界大戦終結後、韓国・マカオ間に交流は必ずしも密接ではなか ったが、マカオ では 1980 年代半ばから韓国人が増え続けており、主に旅行代理店 など観光関連事業を営 んでいる。最近の資料によると、韓国人 319 人のうち 103 人がマカオの永住権を取得し ており、留学生は 15 人である 注 1 3 。 筆者らの調査によれば、マカオ在住コリアンが増加しつつある理由は、マカオにおける カジノの増加とは無関係ではない。あるインタビュイー(女性)は、中国朝鮮族出身の韓 国移民で、韓国の大学を休学してマカオのカジノで働いている。彼女は韓国に戻らずマカ オで暮らし続けたいと考えており、英語は得意ではないが、マ カオには中国人が多いため、 中国語を解する彼女には仕事の機会も多い。しかも、マカオは中国人社会であるため、韓 国より親近感を持っているという。 1980 年代から、マカオは賭博関連事業による収入に依存している 注 14 。2002 年までは STDM(澳門旅遊娛樂股份有限公司)がマカオのカジノ経営権を独占してきたが、マカオ 政府がカジノ独占権を廃止したことにより、2004 年から Sands Macau や Galaxy Waldo などがカジノを相次ぎ開設した。このことは、マカオを訪問する韓国人観光客の増加にも 関係していると考えられる。実際、マカオを訪問した韓国人観光客数を 2004 年(65,631 人)と 2011 年(398,807 人) 注 1 5 とで比較すれば、カジノ増加の影響が推測される。 マカオ在住コリアンの言語教育の状況はどうであろうか。マカオの学校は公立学校と私 立学校に分かれている。公立学校は中国語で授業を行う学校が主流であり、ほかにポルト ガル語で授業が行う学校もある。私立学校はその 8 割以上の私立学校が中国語で授業を行 っている 注 16 。マカオ在住コリアンは、日常生活では主に中国語や英語を使用しているが、 マカオには韓国国際学校がないため、中国語ができない韓国人の子どもは英語で授業を行 う私立学校に入学するしかない。そのため、彼らは母語である韓国語を学習する機会に乏 しい。インタビュイー(15 歳女子)はマカオで生まれ、現在英語で授業を行う私立学校 で学んでいる。学校で韓国語の教育を受けていないため、韓国語より英語が得意だと述べ た。両親は韓国籍を持っているが 20 年以上マカオで暮らしている。彼女はマカオを「ホ ーム」と考えており、韓国に帰る計画はないという。別のインタビュイー(9 歳女子)は 英語と北京語を学習するために、親とともにマカオに来た。マカオで勉強を続けたいと思 っており、しばらくマカオを離れる予定はないという。彼女にとって、マカオは言語学習 及び練習の場所のようだ。 4 3.韓国在住のニューカマー 韓国に滞在する外国人は 1980 年代まで、主に北米、ヨーロッパ、日本出身の語学教師、 伝道師、外交官、ビジネスマンであったが 注 1 7 、韓国の経済発展に伴い、1990 年代以降は 近隣諸国、特に中国朝鮮族の労働者が増え続けている。 2012 年 8 月末の統計では、韓国在住外国人数は約 143.8 万人 注 1 8 。そのうち、中国人が 約半数(約 69 万人)を占めており、さらにその 68%(46 万人)は朝鮮族である 注 1 9 。 1990 年当時の外国人登録者数は約 5 万人(全人口の約 0.1%)だったから、その増加ぶりは 目を見張るものがある。 就労目的で韓国を訪れる外国人は 57 万人を超えている 注 2 0 。国籍別を見ると中国が最も 多く(約 28 万 4000 人、うち朝鮮族が 26 万 21000 人)、次いでベトナム(約 6 万 5000 人)、インドネシア(約 3 万人)、 ウズベキスタン (約 2 万 6000 人)、フィリピン(約 2 万 2000 人)、タイ (約 2 万人) の順になっている 注 2 1 。彼らの職種は多岐にわたるが、 32.3%が製造業に従事しており、農業や建設業に従事する者も少なくない 注 2 2 。 国際結婚による移民も近年急速に増えている。上記の統計によれば、結婚移民の数は 148,204 人で、国籍別の比率は中国 43%、ベトナム 26.3%、日本 7.8%、フィリピン 6.3%などとなっている 注 2 3 。特に韓国人男性(主に農村住民)と結婚する東南アジアの女 性が増加しており、その背景には、韓国人女性の晩婚化と、結婚仲介業の「活況」がある 注 24 。一方、外国人女性(特に中国やベトナムなどの女性)は、韓国人と結婚することよ る経済的な安定を求める傾向がある 注 2 5 。1992 年の中韓国交樹立の後、1990 年代には中 国朝鮮族と韓国人との国際結婚が増えたが、近年では韓国人男性とベトナム人女性の結婚 が急増している 注 2 6 。 東アジア・東南アジア出身者の増加に伴い、韓国政府はさまざまな多文化主義政策を講 じ、在韓外国人処遇基本法や多文化家族支援法などの法的整備も進めた 注 2 7 。また、結婚 移民者を韓国の社会に適応させるために、結婚移民者への支援も強化し ている 注 2 8 。 結婚移住者はことばや文化の相違に戸惑う場合も多い。農村地域には国際結婚者の支援 機関が少なく、家族の意識も閉鎖的であることが多い。また、結婚費用を支払った夫やそ の家族は、外国人である嫁が逃げるかもしれないと考え、嫁が母国の友人をつくることや 韓国語を習うことを許さないというケースもある 注 2 9 。 外国人労働者や多文化家庭の子女も様々な問題に直面している。キム・ジョンウォン は、 外国人労働者の子どもが学校生活に適応できずに不登校になるケースや 注 3 0 、学校への適 応をねらいとして教師がモンゴル人生徒に韓国式の名前をつけた事例を報告している 注 31 。 また多文化家庭の子女の場合、両親の二重言語の使用によって言語習得が困難になったり、 言語障害ゆえにいじめを受けたりする場合も少なくないという 注 3 2 。 朝鮮族は主にソウル特別市の九老区、永登浦区や近郊の大都市に暮らしている 注 3 3 。朝 鮮族は韓国人とは外見上だけではなく、言葉、生活様式や文化などを共有しており、韓国 社会においては他の外国人労働者より比較的優位を占めるように見えるが、実際、彼らは 他のアジアからの外国人労働者と同様、非熟練外国人労働者として受け入れられ、韓国社 5 会での地位は同胞と外国人との間にいる 注 3 4 。しかも、韓国社会で差別を受け、軽視され ていることによって、不満を抱いている人も少なくない 注 3 5 。 朝鮮族のほかにも、ソウルにはフランス人、フィリピン人、ネパール人、中央アジア出身 者など、韓国に暮らす外国人が集まる地域がある。 4.在日ミャンマー人 2010 年の法務省統計によると、外国人登録者 2,134,151 人のうち、ミャンマー国籍を 保持するものは 8,577 人で、全体の 0.4%を占めるのみである 注 3 6 。しかし、東京都豊島 区・新宿区の外国人登録者数に目を向けると、それぞれ 879 人(2012 年 1 月 1 日現在 、外国人総数の 4.7%)、1,154 人(2012 年 4 月 1 日現在、同 3.4%)と、中国、韓国・ 朝鮮に次いで 3 位を占めており 注 3 7 、この2つの区への高い集住率を示している数字とな っている。特に、豊島区・新宿区の境の地域にあたる高田馬場駅周辺には、ミャンマーレ ストラン、ミャンマーの食材・雑貨店、美容院などのエスニック・ビジネスが集中してい る。 来日の背景は就学、就労、日本人との結婚などさまざまであるが、軍事政権の弾圧を 逃れて来た人が少なからずいる 注 3 8 。 ミャンマーには、中心に位置づけられるビルマ族とは別に多くの少数民族が存在す る。ミャンマー政府は国内に 135 の種族を認め、行政区分として 8 つの主要民族を定め ている。高田馬場の、いわゆる「ミャンマー料理店」においても、 カチン族がカチン料理 店を、シャン族がシャン料理店を経営する姿がみられる。シャン族、カチン族ともに固有 の言語を持っており、それぞれの言語と文化がレストラン名やメニュー名、店内の装飾品 に示されている。このようなことは、ミャンマーにおいて(これまでの)軍事政権への抵 抗という問題だけでなく、ミャンマー国内の少数民族の権利や文化の保護という問題が存 在するということを言語的に可視化しているともいえる。 一方、在日ミャンマー人にとっては、子女の言語継承、日本語へのアクセス、将来を 見越した英語学習の必要性の認識などの言語問題も存在する。ミャンマー料理店において も、子どもたちが自民族のことばや文化に触れられるように、子ども向けの語彙学習用の ポスターが掲示していたり、店主が休みの日に若い世代に自民族の言語や英語を教えたり している場合もある。 言語政策のダイナミズムは、多くの場合、当該の国家・地域内外の政治的動向に影響を 受ける。しかし、移民がホスト国に築くコミュニティでは、かような政府レベルの言語政 策とは別のレベルで、特定の個人や小集団が言語政策的な行為を担い、独自のダイナミズ ムを形成することがある。 6 5.東アジア諸国・地域におけるニューカマー・コミュニティの特徴 ジョン・ベリー(John Berry)は、異文化受容の際の自文化とホスト文化に対する態度 を「同化」(assimilation)、「分離」(separation/segregation)、「統合」(integration)、 「境界」(marginalization)と分類している。「同化」とは、自分の文化的アイデンティテ ィを保持することなく、ホスト文化との相互作用のみを求める場合である。反対に、自分 の文化を保持することに価値を置き、ホスト文化との相互作用を避ける のが「分離」であ る。また、自分の文化とホスト文化との相互作用の両方に価値を置く場合が「統合」であ り、その反対が「境界」である 注 3 9 。 本研究で取り上げたいくつかの事例において、ニューカマーは、集団的には「統合」の 態度・性格を帯びる傾向にあるといえそうである。特に、彼らの教会や食堂など、いわゆ るコミュニティにおいて、その傾向は比較的顕著であるように思われる。しかし 当然なが ら、この傾向は、個人レベルで一般化できるものではないばかりか、しばしば、一個人の なかでも複数の態度が共存するとみられる場合もある。この点は、言語についての態度に 関連して、次のように見て取れることが多い。 (1)長期滞在/定住志向と母語・現地語 ニューカマーには長期滞在ないし定住への一定の志向性がみられる。グローバルリゼー ションは、人の国際的移動を活発化させる一方で、移動する人々の 出身国・地域への帰属 意識を低下させる場合もある。 ニューカマー1 世は、自らの母語や民族の文字に対する愛着を維持している場合が多く、 子女にも母語教育を施している。また実際、彼らは移民してくる前に、移住先の言語を必 ずしも学んでおらず、移民してからも、仕事や家事の都合や、あるいは年齢や居住地によ っては新たなことばを学ぼうという意欲がわかないといった理由から、現地語を学ぶ機会 は制限される。 他方、移住先で生まれ育った 2 世などは、親の世代が持つ母国のことばや文化への愛着 を理解できなかったり、さほど強い関心を持たなかったりする。 例えば、筆者らがインタビューを行った香港・マカオ在住コリアンは、自らを「西洋化 されたコリアン」(Westernized Korean)と呼んでいた。彼らは、日常生活では主に英語 を使い、韓国語が得意ではない。しかも、韓国に帰る計画がないため、言語問題について さほど心配していない。しかし、香港は英語社会である以上に広東語社会であり、住民の 過半数は英語を第 1 言語とはしていない。広東語が学ぼうとさえしない彼らは、長期滞在 ないし定住を目指すときに不自由はないのだろうか。あるインタビュイーの香港在住コリ アンは「広東語ができなくても英語ができれば問題はない」という 考えだった。 これは、香港やマカオにおいて英語が通用することによるものであり、これが韓国、日 本だと状況はやや異なる。日本や韓国の移民は、現地語を学ぶ機会を求めている場合が多 く、それは現地語を学ばなければ生活に困るばかりか、良い仕事に就けないという事情が ある。 7 (2)英語志向 外国人住民が、現地語とともに、もしくはそれ以上に英語を重視する 場合がある。上記 で見た「広東語ができなくても英語ができれば問題はない」という香港在住コリアンの 態 度がまさにそれに当たるし、在日ミャンマー人にも子女の英語教育を気にかけている人は 少なくない。 上で述べた日本・韓国などに比べた場合の、香港・マカオにおける英語の通用度がこの ような英語志向を強化すると考えられるほか、長期滞在/定住を志向していなかったり、 子女にそのような志向性を持たせようとしない親(例えば、在日ミャンマー人が、将来ミ ャンマーが民主化されれば子女たちは帰国するものと見通して英語を学ばせたいと考えて いる、など)が、いわばコスモポリタン、もしくはノマドとしての自己イメージから、国 際通用言語としての英語への志向性を高めるということが考えられる。 (3)個人の言語使用とアイデンティティ、そしてコミュニティ エスニック・コミュニティは、一見すると文化的な特徴やアイデンティティを保持する ための集団・地域のようにも思える。実際、ホスト社会のメインストリームの住民にとっ て、エスニック集団の集住地域や集合場所(教会や飲食店など)は閉鎖的に見え、足を踏 み入れづらいことが多々ある。しかし、一見閉鎖的に見えるエスニック・コミュニティ、 特にニューカマー・コミュニティは、多様な言語態度を持つ個人を結び付け、その生活上 のニーズを補うというオープンな機能を有していることが多い。 特にニューカマーには現地語を解さない人が多い。逆にニューカマーの子弟が、親の母 語を十分に理解しないということもある。このような状況を補うのが、家族の範疇を超え た、いわばミニ地域社会、あるいは地域内地域としてのニューカマー・コミュニティの役 割となっている。例えば、在日ミャンマー人の集住地区である高田馬場のミャンマー料理 店では、ビルマ語を解さない日本人客が来店しても、店員が日本語を解さないということ がある。その場合、店の先客のミャンマー人が日本人客の注文を聞いてやり、時には店員 のように客に気さくにサービスをしたりすることもある。そうしているうちに、日本人客 の側も、フレンドリーなミャンマー人の雰囲気にリラックスして、その店のリピーターに なったりすることがある。これは、言語をめぐる在日ミャンマー人同士の相互扶助が、コ ミュニティにおいて(ささやかであっても)実現しているだけでなく、コミュニティの閉 鎖性を打開するまでに至っているケースだといえる。このほか、店主が休日に子どもたち に母語を教えたり、健康保険に未加入のミャンマー人が病気になったら、知り合いの日本 人医師を紹介したりするなど、行政の支援の手が届かないところで、独自のコミュニケー ションが実現していることが多い。 8 6.結論 以上のように、ニューカマーの多様な言語使用とアイデンティティを、ニューカマー・ コミュニティが結び付け、補完しあっている状況は、グローバル化によって、東アジアに おける人的な交流が一層活発になるのに伴い、今後ますます発展していく可能性がある。 今後、各国でのニューカマー・コミュニティとホスト社会のコミュニケーション上の問題 も増えていくかもしれないが、一方で、新たな可能性をも内包している。 例えば、自治体の言語サービスにおいて、ホスト社会がニューカマー住民一人一人を施 策の対象とみなすのは、そのサービスがきめ細かなものであればあるほど、効率は下がる。 例えば、「在日ミャンマー人」にはビルマ族もシャン族もカチン族もいるのであり、それ ぞれが独自の文字やことばをもっている。そこで、コミュニティの自律的な機能を見極め、 コミュニティベースで言語的支援をしたり、ホスト社会との文化交流を目指したりするこ とが重要になってくる。行政が外国人に個別に対応することは、そもそも限界があるだけ でなく、しばしば個人的ニーズ、社会的ニーズの両面で的外れとなることもある。ニュー カマー・コミュニティの果たす自律的な役割を認知し、そこに適切なリソースを投下して いくことで、そのコミュニティを通じて、ニューカマーが自ら必要な施策を行っていくよ うにするという多文化共生の姿が考えられてよいだろう。 注1 例えば、田中宏『在日外囯人: 法の壁, 心の溝』東京書店、1995 年、永野武『在日中囯人: 歴史とアイ デンティティ』明石書店、1994 年、Yasunori Fukuoka, Translated by To m Gill, Lives of young Koreans in Japan, (Melbourne: Trans Pacific Press, 2000 )、 Nelson H.H. Graburn, John Ertl, R. Kenji Tierney, Multiculturalism in the New Japan: Crossing the Boundaries within , (New York: Berghahn Books, 2008 )、 Hiroshi Ishida and David H. Slater (eds.), Social class in Contemporary Japan: Structures, Sorting and Strategies, (London; New York: Routledge, 2010 ) など。 注2 例えば、Linada Tsung, Minority Languages, Education and Communities in China , (New York: Palgrave Macmillan, 2009)、 Kingsley Bolton and Han Yang, Language and Society in Hon g Kong, (Hong Kong: Open University of Hong Kong Press, 2008 )など。 注3 例えば、日本の法務省の『在留外国人統計』によれば、1998 年までに日本にいるミャンマー人の登録者 数は 4,442 人だったが、2011 年には 8,692 人に上る。2006 年に発表された香港中期人口調査の結果による と、香港在住コリアンの人口は 4,812 人だったが、2011 年に発表された韓国政府の統計によると、13,288 人に上昇した。외교부 재외동포과,「제외동포 본문 (지역별 상세)」, 『재외동포현황 (2011) 』, 2011, 51,53 쪽. http://www.mofat.go.kr/webmodule/htsboard/template/read/korboardread.jsp?typeID=6&boardid=232&seqno =334627&c=&t=&pagenum=1&tableName=TYPE_DATABOARD&pc=&dc=&wc=&lu=&vu=&iu=&du= 注4 筆者らによる先行研究は、次の通り。香港在住コリアンについては、Higuchi Kenichiro and Kwong Yan Kit, Multilingual Hong Kong: Language and Experience , Japan: V2 Solution, 2012. マカオ在住コリアンにつ いては、Kwong Yan Kit, 'Korean Communities in Hong Kong and Macau: Study of the Intercultural Communication and Identity of Korean People in Overseas.' a paper presented in the 9th Biennial Convention of the Pacific and Asian Communication Association which was held at the Sungkyunkwan University, July 3 2012. 在日ミャンマー人については、荒井幸康、猿橋順子、樋口謙一郎「ミャンマーレス トランに見る言語政策のダイナミズム:高田馬場界隈のミャンマーレストランでの実地調査をもとに」日本 言語政策学会 2012 年度研究大会(於・麗澤大学)2010 年 6 月 10 日;Saruhashi Junko, Arai Yukiyasu, and Higuchi Ken'ichiro, 'Linguistic landscape of Ethnic Businesses in the Metropolitan Area of Japan' , Sociolinguistics Symposium 19 (Freie Universität Berlin)August 22 2012. 在日ミャンマー人に関する研究 は、樋口が研究分担者として参加する平成 24 年度科学研究費補助金(基盤研究(C))「言語政策研究の方 法論の体系化に向けての実証研究 」(研究代表者:猿橋順子)の成果の一部である。 注5 以上の経緯は、Higuchi Kenichiro and Kwong Yan Kit, Multilingual Hong Kong: Language and Experience に詳述した。 9 注6 외교부 재외동포과,「제외동포 본문 (지역별 상세)」, 『재외동포현황 (2011) 』, 2011, 59 쪽. http://www.mofat.go.kr/webmodule/htsboard/template/read/korboardread.jsp?typeID=6&boardid=232&seqno =334627&c=&t=&pagenum=1&tableName=TYPE_DATABOARD&pc=&dc=&wc=&lu=&vu=&iu=&du= 注7 Census and Statistics Department of Hong Kong , 2006 Population By-census. Thematic Report: Ethnic Minorities, p. 35. 注8 Ibid., p. 46. 注9 Ibid., p. 23. 注 10 Korean Residents Association in Hong Kong. The Fifty-year History of the Korean Residents in Hong Kong (1949-1999), 55. 注 11 Ibid. 注 12 東亜局第三課『中華民国在留本邦人及第三国人人口概計表/昭和 16 年 4 月 1 日現在』1941 年。 注 13 외교부 재외동포과,「제외동포 본문 (지역별 상세)」, 『재외동포현황 (2011) 』, 2011, 59 쪽. 注 14 A. Pinho, “Gambling in Macau,” in R. D. Cremer (ed.), Macau, City of Commerce and Culture , (Hong Kong: UEA Press, 1987), p. 162. 注 15 Kwong Yan Kit, “Korean Communities in Hong Kong and Macau : Study of the Intercultural Communication and Identity of Korean People in Overseas ”, 2012. 注 16 DESJ,《2010/2011 學年入學指南》。 注 17 http://www.koreatimes.co.kr/www/news/include/print.asp?newsIdx=77536 注 18 범무부. ‘출입국·외국인정책 통계월보 2012 년 8 월호’. 2012.9. 9 쪽. http://www.moj.go.kr/HP/COM/bbs_03/BoardList.do?strOrgGbnCd=100000&strRtnURL=MOJ_40402000&st rFilePath=moj/&strNbodCd=noti0703 注 19 범무부. ‘출입국·외국인정책 통계월보 2012 년 8 월호’. 2012.9. 11 쪽. 注 20 不法就労者を含む。同上、20 쪽. 注 21 同上、21 쪽. 注 22 同上、22 쪽. 注 23 범무부. ‘출입국·외국인정책 통계월보 2012 년 8 월호’. 2012.9. 25 쪽. 注 24 宋嶾營「韓国の多文化家族支援センターの教育事業が女性移住者の生活適応に及ぼす効果―全羅南道に おけるインタビュー調査から―」『政策科学』18-2(立命館大学)、2011 年 2 月。 注 25 馬俞貞「韓国の都市と農村における国際結婚の比較研究―全羅南道における二つの地域を中心に―」『立 命館国際研究』23-3、2011 年 3 月、203 頁。 注 26 同上。 注 27 金侖貞「韓国における多文化共生社会に向けての多文化政策の形成」『人文学報・教育学』44(首都大学 東京)、2009 年 3 月。 注 28 例えば、韓国語教育や料理教室や家庭訪問などを通じて、結婚移民者を支援する。金侖貞 、前掲論文。 注 29 馬俞貞、前掲論文。 注 30 李月順 「韓国の学校における「多文化家庭」の子どもの教育と課題」『京都精華大学紀要』第 36 号、 2010 年、61 頁。 注 31 同上。 注 32 宋嶾營、前掲論文、30 頁。 注 33 In-Jin Yoon, “Plurality and Solidarity: Multicultural Minority Groups and Multicultural Coexistence in Korean Society”. http://ricas.ioc.u-tokyo.ac.jp/aasplatform/achivements/pdf/2010_as_injin.pdf 注 34 Ibid. 注 35 Ibid. 注 36 政府統計の総合窓口「国籍(出身地)別在留資格(在留目的)別外国人登録者」http://www.etat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001074828 注 37 新宿区「外国人登録者数国籍別一覧表」http://www.city.shinjuku.lg.jp/con tent/000107125.pdf (最終ア クセス 2012 年 5 月 11 日)、豊島区「外国人登録者数・上位 20 国籍別」 http://www.city.toshima.lg.jp/kusei/toukei/18326/018328.html (最終アクセス 2012 年5月11日) 注 38 田辺寿夫『負けるな!在日ビルマ人』梨の木舎、2008 年、4 頁。 注 39 John W. Berry, ’Immigration, Acculturation, and Adaptation ’, Applied Psychology: An International Review, International Association of Applied Psychology, 46 -1, pp. 5-68. 10
© Copyright 2024 Paperzz