もくじ、あいさつ、ちひろ美術館のあゆみ

ちひろ美術館の30年 もくじ
4
30年の感謝をこめて
(財)いわさきちひろ記念事業団理事長 山田洋次
5
ちひろさんの心を受けついで
6
ちひろ美術館の仕事 −30周年を迎えて
8
ちひろ美術館のあゆみ
ちひろ美術館・東京館長/ユニセフ親善大使 黒柳徹子
安曇野ちひろ美術館館長 松本 猛
14
ちひろのことば
16
展示
28
教育・普及
ちひろ美術館での展覧会
館外展
ちひろ美術館・東京
安曇野ちひろ美術館
36
いわさきちひろ 絵と人生
絵のような人
(財)いわさきちひろ記念事業団副理事長 松本善明
40
世界の絵本画家のコレクション
48
ちひろ美術館友の会
52
国際交流
56
ちひろのことば
58
建築
メッセージ
赤羽研三/西巻茅子/エリック・カール/
グヴィエタ・パツォウスカー/ジョン・バーニンガム/
ユゼフ・ヴィルコン/フィールーゼ・ゴルモハンマディ/
武建華
絵本とイラストレーションの歴史資料
いわさきちひろ絵本美術館(ちひろ美術館) 1977年∼2001年
はじめの一歩 建築家 早川 洋
ちひろ美術館・東京 2002年∼
記憶や思い出が堆積していく建物 建築家 内藤 廣
安曇野ちひろ美術館 1997年∼
66
いわさきちひろ ブックリスト
76
来館者感想ノートより
80
あとがき
ちひろ美術館・東京副館長/(財)いわさきちひろ記念事業団
事務局長 松本由理子
30年の感謝をこめて
ちひろさんの
心を受けついで
練馬区の住宅地のなかに、遠慮がちにひっそりと建っている東京館と、北アルプ
ちひろさんが亡くなって 3 年目に誕生したちひろ美術館が、開館 30 年を迎えました。
スを望む広々とした高原にゆったりと屋根を拡げる安曇野館。このきわめて対照的
30 年も経っているのに、いまだに沢山のお客様が来てくださり、ちひろさんの絵が好き
な風景のなかの二つの建物がわれらの「ちひろ美術館」です。それぞれに腕利きの
だといってくださる。素敵なことだと思います。本当にありがたいと思っております。子
学芸員やスタッフが見事なチームワークで、つぎつぎに新しい企画を実現し、地域
どもの可愛さは変わらないんだな、今のほうがもっと、可愛いものや、やさしいものが必
としっかり結びついた美術館活動を展開しています。
要だとみなさんが思っているんじゃないかな、と思います。
美術館を支える財団の役員の皆さんは、それぞれが立派な文化的な業績の持ち主
ユニセフ親善大使として 26 カ国を訪れて、つくづく思いました。アフリカでもアジア
で、心からこの美術館を大事にしてくださっていて 10 年 20 年のおつきあい、な
でも中近東でも、1 回戦争になると、本当にたくさんの子どもたちが被害を受ける。それは、
今も昔も変わらないと。
かにはちひろの生前からの長い長いおつきあいの人たちが何人もいます。
財団法人
いわさきちひろ記念事業団
理事長
ぼくには、いわさきちひろの柔らかな絵は、か弱い少年や少女、くじけそうにな
山田洋次
るように感じられます。雨上がりの水たまりに映る青い空を見てすがすがしい気持
る弱い人間たちを必死になって、あらゆる意味での 暴力 からかばおうとしてい
ちになったり、名も知らぬ小さな草花の美しさに感動したり、ありとあらゆる生命
をいとおしく思う、人間が人間であることのあかしであるような柔らかな感性―
ちひろは、それを断固として守り続けた人だと思います。
月に一回か二回でいい、家族や恋人たちが連れ立って美術館に出かけて絵を見な
がらゆったりと時間を過ごす、そんなことが日本人の暮らしのなかの習慣になれば
どんなにいいだろう、ぼくたちの国がそのような穏やかで平和な国であってほしい
と思います。
どんな理由であれ人と人とが殺しあう戦争は絶対に反対するという、ちひろの思
ちひろ美術館・東京館長
ちひろさんの青春時代は戦争の中でした。絵にこめられた「戦争はやめて」
「子どもって、
ユニセフ親善大使
こんなに可愛いのよ」
「この子たちを泣かせないで」という願いは、今も私の中に生きつ
黒柳徹子
づけています。
30 年間で世の中はずいぶん変わってきました。子どもたちは機械を見て育っています。
でも、たまには、ちひろさんの絵を見て、少し目を休め、心を休めてほしいなって思います。
子どもの、真っ白な画用紙のような心に何を与えるかは、大人にかかっています。初めて
目に入ってくるものは、美しいものであってほしい。ザラザラしていないもの。繊細でや
さしい、ちひろさんの絵を見て、心やさしい気持ちの子どもに育ってほしい。
今、ちひろ美術館には、4 世代での来館も増えました。これからもみんなでがんばりま
すので、40 年、50 年とちひろ美術館に 5 世代、6 世代目の方々が訪れてくださるよう、願っ
ています。そうなったら、
ちひろさんもどんなに喜んでくださるでしょう。子どもの幸せと、
平和 ! ちひろさんの願いでした。
想を大切に守りながら、冬の時代といわれて久しい美術館活動を、われわれは力強
く推し進めていきます。ちひろ美術館を愛してくださるみなさん、これからもどう
かよろしくお願いします。
4
5
ちひろ美術館の仕事
̶30周年を迎えて
安曇野ちひろ美術館館長
松本 猛
6
30 年前の 9 月 10 日、東京練馬の住宅街に
います。収蔵作品数はちひろ作品 9,400 点を含
わずか 180 ㎡の小さな美術館が産声をあげま
め、28 カ国 171 人のイラストレーターによる
した。
「いわさきちひろ絵本美術館」と名づけ
26,000 点に及びます。これは、世界最大規模
られたこの美術館が世界で最初の絵本美術館
のコレクションであり、東京と安曇野のちひろ
だったことなど、その時は当事者の私を含めて
美術館で順次これらの作品を公開しています。
誰も知りませんでした。
今では、日本に 30 以上の絵本美術館が生ま
本当に小さな美術館でしたが、志だけは大き
れ、公立美術館でも絵本の原画展を行うのがあ
く、二つの理念を掲げて活動を始めました。一
たりまえになりました。これは 30 年前には予
つは「子どもの幸せと平和」
。もう一つは「絵
想もできなかった状況です。ちひろ美術館の活
本文化の発展」でした。
動がその端緒を切り開いたことは素直に誇りに
いわさきちひろは一人の母親であり、絵本
したいと思います。と同時に、社会的責任の重
をはじめとした子どもの文化に深くかかわっ
さを自覚しなければならない時代に入ったと考
て生きた人でした。画家としての出発点に第
えています。
二次世界大戦の体験が大きく作用したことも
ちひろ美術館はいま、学校との連携に力を入
あり、この二つの理念はちひろの中で分かち
れ、ちひろの絵や絵本を通して子どもたちが美
がたく結びついていました。
術の楽しさと出合う活動を展開し、また、他の
「絵本文化の発展」を目標に掲げた理由は、
美術館や絵本関係者と協力して、絵本の調査研
いわさきちひろが絵本画家だったからだけでは
究、普及にも力を入れています。さらに、世界
ありません。当時、絵本を美術として正当に評
に向けて絵本の魅力を広く伝える活動にも取り
価する人はほとんどいませんでした。しかし、
組み始めました。美術という世界共通言語を使
初代館長を引き受けてくださった飯沢匡氏をは
う絵本を通しての国際交流はそれぞれの国の文
じめ、私たち美術館スタッフは、子どもやお母
化の尊重につながり、国際平和にも貢献できる
さんたちに愛されている現代の絵本の世界にも
ものだと考えています。
すばらしい芸術性を持った作品があることを
子どもたちを取り巻く環境が極めて難しい状
知っていました。世の中の美術館が絵本の芸術
況にあり、憲法 9 条が脅かされようとしている
性を認めないのであれば、微力ながらも、ちひ
いま、ちひろ美術館の「子どもの幸せと平和」
ろ美術館がその美術的価値を世に問いたいと考
を大切にしようという理念はますます重要に
えたのです。
なってきているでしょう。
現在、ちひろ美術館は、ちひろの作品はもと
これからも、ちひろ美術館は初心を忘れずに、
より、絵本の歴史的資料や世界の絵本原画の蒐
社会的責任を自覚して、日々新たに歩みつづけ
集、保存、研究、紹介をする活動に力を入れて
てゆきたいと考えています。
7
ちひろ美術館のあゆみ
1974年
8月
いわさきちひろ、肝臓がんのため死去
1974
10
1975
6
いわさきちひろ記念事業団設立準備委員会発足
1975
9
1975
1982
11
種」を発行
銀座「画廊はばたき」でちひろの遺作展を開催
2
第2期増築工事(C棟)着工 没後1周年記念「いわさきちひろ愛と夢の原画展」を日本橋高島屋で開催
9
いわさきちひろ絵本美術館新館オープン 遺作
『赤い蝋燭と人魚』
『いわさきちひろ抒情画集』
(童心社)
9
特別展「夢二からちひろへ−子どもの心を持ちつづけたイラストレーターの
1983
「徹子の部屋」
出演
歴史」開催。飯沢匡館長 テレビ朝日
『いわさきちひろの世界』
(すばる書房)
『花とこども画集』
『母と子の画集』
(岩崎書店)
刊行
1976
6
10
いわさきちひろ記念事業団設立(初代理事長中谷泰)
『ちひろのひきだし−母の絵を語る』
(松本猛著/新日本出版社)
いわさきちひろ絵本美術館 開館式で挨拶する
中谷泰理事長 1977 年
『あかちゃん画集』
『こども百態画集』
『愛と平和の画集』
(岩崎書店)刊行
1984
平和の願いを伝える「いわさきちひろカレンダー」を原水爆禁止日本協議会
7
没後10年記念展「いわさきちひろの歩み展」開催
9
開館7周年特別展「子どもをみつめて−佐藤忠良・いわさきちひろ展」開催
『いわさきちひろ全集』
(第1期5巻/ほるぷ出版)刊行開始
と協力して制作、現在に至る
『あおいとり』
『 おやゆびひめ』
『 しらゆきひめ』
『 はくちょうのみずうみ』
『いわさきちひろの青春』
(すばる書房)刊行、
『いわさきちひろ作品集』
(全7巻/岩崎書店)刊行開始
1
いわさきちひろ絵本美術館(ちひろ美術館A棟)着工(設計 早川洋氏)
9
いわさきちひろ絵本美術館開館(初代館長飯沢匡)
10
いわさきちひろ絵本美術館開館記念コンサート開催
11
いわさきちひろ記念事業団、財団法人として認可される
開館式で挨拶する美濃 開館式で挨拶する飯沢
部亮吉東京都知事
匡館長
『ふたりのぶとうかい』
『りこうなおきさき』復刊(講談社)
1985
4
4
9
『いわさきちひろ全集』
(第2期6巻/ほるぷ出版)刊行開始
1986
7
1987
1980
7
第2回ちひろ美術館セミナー「いわさきちひろの魅力をさぐる」開催。
1981
特別展「ちひろ平和への願い−つぶらな瞳ちいさな手」開催
1
第1期増築工事(B棟)着工 1988
4
8
1
エントランス、前庭を増築
月刊誌「本」1月号より、ちひろの評伝「つば広の帽子をかぶって」
( 飯沢匡・
特別展「輝く瞳をみつめて−田沼武能・いわさきちひろ展」開催(ユニセフ共
催)入館料の1割をユニセフに寄付
9
都市センターホールにて講演会「考えて見ませんか へいわときょういく」
新設した庭での開館 10 周年レセプション
1987年
プレミ・カタロニア(バルセロナ世界絵本原画展)に国際審査員として松本
猛参加、クヴィエタ・パツォウスカーさんがグランプリを受賞
11
第2回国連軍縮総会に先立ち、核兵器廃絶と軍縮の実現を願って特別展「世
かける(53,000余の署名が寄せられる)
『ちひろへの手紙』
(講談社文庫)刊行
BIB(ブラティスラバ世界絵本原画展)に国際審査員として松本猛参加
7
特別展「ささやくひとみ ちひろの心−いま、ほんとうのやさしさと平和を
界中の子どもみんなに平和としあわせを」を開催、来館者に反核署名を呼び
9
1 「ババール原画の世界展」開催(初めての外国作品展覧会)
開催。小山内美江子さんより「ちひろ平和Tシャツ」が提案される
1982
福岡県立美術館にて「いわさきちひろ展Ⅰ」開催
開館 10 周年記念レセプションにて黒柳徹子さん
( 左 )、中原ひとみさん ( 中央 )、山田洋次氏 ( 右 )
1987年
黒柳徹子著/講談社)連載開始(89年5月号まで)
求めて」開催
8
開館10周年記念特別展「いわさきちひろ展 ①子どもを描いた画家ちひろ
7
12
3 『窓ぎわのトットちゃん』
(講談社)刊行 7
大阪大丸ミュージアム梅田にて「いわさきちひろ展Ⅰ」開催
②ちひろの心をたずねて ③ちひろの描いた童話の世界」開催
いわさきちひろ展
パンフレット
(福井県立美術館)
1979年
以後5回連続で毎月開催
8
3
4
福井県立美術館にて
「いわさきちひろ展−野の花の心」
開催
(公立美術館での
開館2周年記念特別展「現代絵本画家展」開催
子どもの本世界大会記念特別展「戦後絵本の歩み展」開催
翌88年まで全国5美術館を巡回、32万人の入館者数を記録
以後5回連続で毎週土曜日開催
9
「佐藤忠良・ちひろ展」に来館したロダン美術館
館長(中央)と佐藤忠良氏 1984年
『あなたがうまれたとき ちひろのあかちゃん日記』
(岩崎書店)刊行
第1回ちひろ美術館セミナー「いわさきちひろの世界」開催。
最初のちひろの個展)
企画展「武井武雄絵本原画及び刊本展」開催 以後ちひろ以外の作家による企画展を開催
2 「窓ぎわのトットちゃん」雑誌連載開始(文・黒柳徹子 80年12月号まで)
7
3
来館者でにぎわう展示室
(松本猛著)
『ちひろのことば』
(講談社文庫)刊行
6
BIB(ブラティスラバ世界絵本原画展)での戦後40年記念シンポジウム
松本猛参加
6 「外国絵本を読む会」開催。以後7回連続で毎週開催
1979
核兵器廃絶を求めるヒロシマ・ナガサキからのアピールへの賛同署名を来
「イラストレーションにおける子どもと平和について」にパネラーとして
いわさきちひろ絵本美術館、登録博物館となる
『ちひろとわたし』
(松本善明著/新日本出版社)
『いわさきちひろの絵と心』
新館オープン ピアノコンサート 1983年
館者に呼びかける(97年までに148,000名)
『いわさきちひろ詩画集』
『いわさきちひろの想い出』
(すばる書房)刊行
1978
新館オープンに際し、復元アトリエの除幕をす
る飯沢匡館長 ( 右 )、松本善明副理事長 1983年
『ちひろ愛の絵筆』
(滝いく子著/労働旬報社)
いわさきちひろ絵本美術館建設募金開始(9ヵ月間で賛同署名3万余名一般
寄付1200名の方々より622万余円が寄せられる)
1977
1983年の4月まで6回にわたり、平和について考える平和通信「ひとつぶの
特別展「幻想へのいざない−ビネッテ・シュレーダー展」開催
『ちひろのパレット−母の絵を語る』
(松本猛著)
「ちひろ平和 T シャツ」ポスター
1981年
『思い出のちひろ』
(松本善明著/ともに新日本出版社)刊行
いわさきちひろ展Ⅰ
図録 1987年
9
1989年
1995
2月 「『風になる』出版記念−俵万智といわさきちひろ展」開催
2
4 「パツォウスカー展Ⅱ」を大丸ミュージアム梅田、伊勢丹美術館他3会場にて
詩画集『あかちゃん』
『おかあさん』
(サトウハチロー著)
『つば広の帽子をかぶって』
(飯沢匡・黒柳徹子著/講談社)
『18枚のポートレート』
(俵万智・山田洋次他著/新日本出版社)刊行
1990
4
ちひろの絵を「毎日夫人」表紙に使用、現在に至る
2
特別展「色彩と空間の魔法使い−パツォウスカー展」開催
3
山口県立美術館にて「いわさきちひろ展Ⅱ」開催
開催,、あわせて講演会も開催
いわさきちひろ展Ⅱ
図録 1990年
5
安曇野ちひろ美術館着工
7
戦後50年特別展「いま、世界の子どもたちに」開催
7
NHK「おはよう日本」輝くこの人松本由理子副館長出演(7.29)
クヴィエタ・パツォウスカーさん来日
7
愛知県美術館にて「いわさきちひろ展Ⅱ」開催
9
特別展「赤羽末吉遺作展」開催、翌年姫路市立美術館他1館にて開催
家−子どもを見つめたアーティストたち』
(松本猛著/大和書房)刊行
1996
中庭で制作する
パツォウスカーさん
1990年
『ちひろの手鏡−母の絵を語る』
(松本猛著/新日本出版社)刊行
1991
4
2
11
1997
中谷泰初代理事長の退任にともない、第2代(財)いわさきちひろ記念事業団
伊勢丹美術館にて「いわさきちひろ展Ⅲ」開催
3
画集「ちひろ美術館」
(全12巻+別巻/講談社)刊行開始
4
安曇野ちひろ美術館開館(館長松本猛)、ロゴマークとロゴタイプ作成(デザ
宏、俵万智、山田洋次)
(6.1)
アメリカ(5月)、ヨーロッパ(10月)を中心に10ヵ国を巡り、
コレクションに努める
開館15周年記念特別企画として海外絵本画家シリーズを7回連続で開催、
ちひろ美術館コレクションを中心に海外の作品を展示(93年1月まで)
『ちひろの世界』
(松本猛・松本由理子著/講談社)刊行
1992
2
「赤羽末吉遺作展」オープニングにて 左より
赤 羽良 子 さ ん、赤 羽 大 四 郎 氏、赤 羽 研 三 氏
1990年
1998
北海道立近代美術館にて「いわさきちひろと絵本の世界展」開催
3
長野県北安曇郡松川村に新ちひろ美術館建設決定
7
長野県・豊科近代美術館にて「ちひろ・心のふるさと 信州へのメッセージ−
7
NHK「夢用絵の具 いわさきちひろ−まなざしのももいろ」
(7.24)
8
安曇野ちひろ美術館入館者、20万人を超える(8.23現在)
8
テレビ信州
「開館記念番組・夢みるまぁるい瞳∼いわさきちひろと信州」
(8.9)
9
ちひろ美術館、開館20年を迎える(8月末現在延べ入館者数175万人)
12
ちひろの作品とともにちひろ美術館コレクションの中から30点余を公開
1993
1999
信越放送「愛しきものよ∼いわさきちひろの世界」放映(7.24)
9
安曇野ちひろ美術館(仮称)設計を内藤廣氏に依頼
安曇野アートライン構想発表
3
絵本画家、故・赤羽末吉の全遺作約6,800点が遺族より寄贈される
4
ちひろ美術館公式ホームページ開設
6
NHK教育「新日曜美術館」
「クヴィエタ・パツォウスカー 絵本がわたしをつ
7
キューバ大使 ( 右 ) から作品寄贈を受ける箕田
源二郎理事長 ( 中央 ) 1992年
ちひろ展100回記念「ちひろの花ことば」展開催
2
日本テレビ「知ってるつもり?! いわさきちひろ」放映(2.20)
7
4
朝日新聞記事掲載「ちひろ展100回目」
(4.20)
7
没後20年記念特別展「ちひろ再発見−後期の変貌」開催
ちひろ展 100 回記念
「ちひろの花ことば」
1994年
2000
東京館にて「茂田井武−印象のレンズ−」開催
12
福井県武生市天王町に「いわさきちひろ生誕の地」記念碑建立
2
6
公共広告機構、
子ども読書推進キャンペーンにちひろの線画が採用され現在
パツォウスカーによる子どものためのワーク
ショップ ( 安曇野ちひろ美術館 ) 1999年
に至る
没後20年記念特別展「ちひろとローランサン、コルヴィッツ=少女の心 母の
2001
7
朝日新聞(ASA)額絵シリーズ「ちひろと世界の仲間たちⅡ」1年間、スタート
1
東京館、工事のため一時閉館となる(2000年12月までの延べ入館者数約
まなざし」開催
195万人)。前年12月13日、朝日新聞に記事
『ちひろの花ことば』
(講談社文庫ギャラリー)
『ちひろ美術館物語』
(松本由
10
箕田源二郎第2代理事長の死去にともない、
(財)いわさきちひろ記念事業団
第3代理事長に山田洋次氏就任
発表。あわせて全国の書店でちひろのブックフェア開催
理子著/講談社)
『いわさきちひろ画集』
(毎日新聞社)刊行
赤羽末吉作品の寄贈をうける 1998年
朝日新聞(ASA)額絵シリーズ「ちひろと世界の仲間たち」1年間、スタート
11
7 「ちひろ・再発見の集い」を東京會舘で開催、安曇野ちひろ美術館建設計画を
11
信濃町に寄贈した黒姫山荘が、黒姫童話館の南側の森に移築され、一般公開
始まる
『ももいろのクレヨン−大切なあなたへ』
(大和書房)刊行
2
ちひろ美術館・東京 20 周年記念パーティ
1997年
くった」
(6.6)
『ちひろ・子どもの情景』
『ちひろ・紫のメッセージ』
(講談社文庫ギャラリー)
1994
安曇野ちひろ美術館、登録博物館となる
2
いわさきちひろ展」開催
7
ノーマン・ロックウェル美術館 ( アメリカ ) にて
ちひろ展開催 トップパネル 1996年
6 「新日曜美術館」
(NHK教育テレビ)
「安曇野ちひろ美術館への旅」
(出演・高田
91年、95年に6美術館を巡回、35万人の入館者を記録
11
ノーマン・ロックウェル美術館(米国・MA)にて、ちひろ展開催。
(海外の美術
イン佐藤卓)、いわさきちひろ絵本美術館の呼称を「ちひろ美術館」に変更
3週間で10万人を越える入館者数を記録
5
特別展「八島太郎の世界−アメリカに生きた日本人画家の軌跡」開催
館での最初のちひろ展)
理事長に箕田源二郎氏就任
4
安曇野ちひろ美術館 オープン当初空撮 1997年
『ちひろ・平和へのねがい』
(講談社文庫ギャラリー)
『ぼくの出会った絵本作
以後全国17美術館を巡回
3
飯沢匡初代館長の死去にともない、第2代館長に黒柳徹子さん就任
3
「ちひろ再発見の集い」東京會舘にて 1994年
安曇野ちひろ美術館新館オープン
記念特別展Ⅰ「ナンセンス絵本の王様 長新太の世界」開催
公共広告機構「子ども読書推進キャンペーン」
2000年
11
2001年
2002
9月
1
2005
5
NHK「迷宮美術館 我が子を描く」
(5.20)
ちひろ美術館コレクション「いわさきちひろと日本の絵本画家たち」展を伊
6
NHK「おはよう日本」黒柳徹子ユニセフ親善大使の活動記録展の紹介(6.4)
勢丹美術館で開催。4月、大丸ミュージアム・梅田、10月、大丸ミュージアム・
7
東京・安曇野両館にて、高校生以下の入館料を無料とする
7
朝日新聞夕刊記事掲載「ちひろが描いた5姉妹 戦火生き抜き健在」
(7.7)
7
映画「明日の記憶」
(堤幸彦監督・渡辺謙主演)で、安曇野ちひろ美術館がロケ
新ちひろ美術館・東京着工(設計 内藤廣)
京都へ巡回
3
テレビ東京「たけしの誰でもピカソ」でちひろがとり上げられる(3.15)
7
安曇野館にて、夏休み期間中、作品解説と実演をする中学生ボランティアを
導入。以後毎年夏休みに取り組む
8
朝日新聞東京版記事掲載「バリアフリーでなごみの空間に」
(8.30)
9
開館25周年を記念して、新ちひろ美術館・東京オープン。開館記念展「時
地となる
ユゼフ・ヴィルコン氏を安曇野にむかえて
2001年
9
11
3
11
12
テッカーを配布開始。2ヶ月で受け付けた申し込み枚数は、約15万枚
東京館にて「山田洋次セレクション・シネマ倶楽部」スタート、以後毎年開催
11
いわさきちひろ作品のデジタル・アーカイブ化の第一歩として、セイコー
2006
をスタート(2007年3月現在で約200点)
東京館にて「まど・みちおの絵−行間の宇宙−」開催。翌3月には安曇野館へ
3
NHK「新日曜美術館」
「いわさきちひろ 戦場の少女を見つめて」
(3.7)
3
NHKBS-hi「ちひろが残してくれたもの∼いわさきちひろ没後30年」
(3.20)
3
名古屋松坂屋美術館にて「いわさきちひろ没後30年記念展」開催
5
中国・大連市の遼寧師範大学芸術学院美術系美術館にて、ピエゾグラフ作品
による、中国での初めてのいわさきちひろ展を開催
5
ちひろ美術館の携帯電話向けインターネットサイト開設
6
18ヵ国語で「平和」ということばが入った「ちひろ平和Tシャツ」を制作(デザ
毎日新聞朝刊全段記事「ちひろの世界」
(7.22)
8
長野県松本市にある城山公園に、ちひろ記念碑「ちひろの椅子」完成
8
テレビ朝日「徹子の部屋」松本猛出演(8.10)
8
信越放送「いわさきちひろ没後30年記念番組 わたしのちひろ」
(8.29)
9 『ちひろBOX』
(ちひろ美術館編/講談社)刊行
9
安曇野館の休館日を毎週水曜日から第2・4水曜日に変更
4
TBSドラマ「クロサギ」でちひろ美術館・東京がロケ地となる(4.21)
5
NHK「迷宮美術館 出張! ちひろ美術館∼カワイイの秘密」放映(5.14)
5
東京館にて「ありがとう! チョーさん 長新太展ナノヨ」開催、愛知県刈谷市
7 『ちひろの絵のひみつ』
(ちひろ美術館・編/講談社)、
『井上ひさしの子どもに
つたえる日本国憲法』
(井上ひさし・文/講談社)刊行
7
共同通信の配信記事「ちひろの画法体験して」が秋田さきがけ、新潟日報、岐
8 『千の風になって ちひろの空』
(新井満・日本語詩/講談社)刊行
9 「婦人画報」
「特集 もういちど、いわさきちひろのメッセージ」刊行
10
長野県長野市にて、ちひろの初期の作品である雑誌「新詩人」等の原画18点
が発見され、寄託される。
11
翌3月には安曇野館へ巡回
12
ベトナムホーチミン市の戦争証跡博物館、ほか1館にて、ピエゾグラフ作品
によるいわさきちひろ展を開催
安曇野ちひろ美術館「木遊人 島添昭義展」に
て 中学生ボランティアによる作品実演と解説
2002年
2007
3
ちひろ美術館・東京が開館30年、
安曇野ちひろ美術館が開館10周年を迎える
にあたり、両館で記念展を1年間にわたってそれぞれ開催
3
をもとに、
「いわさきちひろ没後30年 わたしが選んだちひろ展」開催
3 (財)いわさきちひろ記念事業団の主務官庁が東京都教育委員会から文部科
東京館、平成16年度第45回BCS賞(日本建築業協会賞)を受賞
9
朝日新聞夕刊記事掲載「没後30年リクエスト展 わたしのちひろ4000通」
「長新太展」チラシ
(東京館)2006年
東京館にて「ノルシュテインの絵本づくり展」開催
東京・安曇野両館にて、全国の方々から寄せられた4000余通のリクエスト
9
「佐藤忠良といわさきちひろ」
展
(東京館)2005年
阜新聞、愛媛新聞、岩手日報、南日本新聞、河北新報、山陽新聞に掲載
東京館リニューアルオープン 2002 年
(上)ケヤキの緑がはえる外装 (中)
バリアフ
リーの美術館に (下)
不思議な鏡をみる子ども
イン福田繁雄氏)
7
3
没後 30 年特別展「わたしが選んだちひろ展」
レセプションにて 左より 2 人目海老名香葉子さ
ん、4人目白鳥英美子さん
(東京館)2004年
美術館ほか3館に巡回
巡回
2004
東京館の全館バリアフリーの取り組みが認められ、第29回練馬区障害者福
祉大会にて表彰される
エプソンの協力を得、代表作の高精細デジタル化ならびにピエゾグラフ化
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朝日小学生新聞に「井上ひさし先生の特別講座 わたしたちの国の憲法、
知ってる? 」連載開始(11.20)
アメリカによるイラク攻撃に対し、抗議をこめてちひろの「NO WAR」ス
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ベトナム女性博物館(ハノイ市)とベトナム南部女性博物館(ホーチミン市)
にて、ピエゾグラフによる、ベトナムで初めてのいわさきちひろ展を開催
東京館にて、ちひろ美術館・東京館長黒柳徹子講演会「世界の子どもたちは、
今」開催。以後、2006年をのぞく毎年開催
2003
韓国のソウルにて、ちひろ美術館の絵本の歴史資料と、いわさきちひろのピ
エゾグラフ作品を展示する
をこえる視点 いわさきちひろ・山本正道」開催
9
2004年3月名古屋松坂屋美術館ギャラリートーク
別冊太陽『いわさきちひろ』
(平凡社)刊行
長崎県美術館開場式にて祝辞をのべるさだまさ
(写真提供 長崎新聞社)
し氏 2006年
学省に移管される
(9.20)
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BS-i「私の美術館 ちひろ美術館 やさしさを絵筆にたくして∼」
(10.12)
その後、DVD化
2005
12
5
安曇野館にて「出前授業」
「出前講座」スタート
安曇野ちひろ美術館「荒井良二風 生き方の提
案」展にて インスタレーションと荒井良二氏
2003年
ユーリー・ノルシュテイン来館
2006年
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