パリ 4 区 マレー地区

パリ 4 区 マレー地区
パリ 4 区
マレー地区
パリ生活2年の秋、この街に移ってきた。
ってしまった。
古い街並み,哀愁漂う裏通り,私は気に入
ティボルブル通りの古いアパートの2階,風呂もトイレもない8坪ぐら
いの部屋に,
どういうわけかベットが2つある,
部屋の窓から見える広場に3店の CAFÉ ,
部屋の裏側には,幼稚園と小学校があり,すぐ近くには,オデルドヴィル(パリ市庁舎)もあ
る。 ちょっと歩くとバスティュがあり,手前にヴォスジュ公園があり,公衆風呂もあっ
てなかなか楽しい街である。 そして路地裏を歩くと 200 年も 300 年以上も前に建てられ
た建物が壊れっかかっていて,太い丸木棒で止めている風景がマレー地区一帯に見らた,
その壊れかかった建物にも人が住んでいたのには驚かされた。
住み始めて1ヶ月,朝早くにノックする音で起こされた。
機嫌悪くドアを開けると,
信じられない光景があった。 ドアの前から階段のしたまで,モヒカンがりの男たちがい
るではないか,それも日本人ばかり14,5人で,殺されるのではないかとおもった。
リーダー格のモヒカン男が手紙を差し出し,読んでくださいという。
封を切ったら,月刊誌の編集長,編集者,インテリアデザイナーなどから10人ぐらい
からの手紙が入っていた。
い)と書いてあった。
皆同じような内容で(何かあったら面倒を見てあげてくださ
と,ムっシュ,ムっシュと声がするので3階から2階への踊り場
に,3階に住むおばちゃんが立ちすぐんで,動けなくなっている。
何でもないからとい
って、玄関まで連れて行くと皆に聞こえないように,おばちゃんが(気をつけてね)といって,
外へ出て行った。
とりあえず,皆を部屋にいれ話を聞いた,
寺山修二の劇団員で,ミューヘンオリンピ
ックの開催期間中ミューヘンで公演していて,今朝電車でパリにつぃたばかりで,知り合
いの人のところに泊めてもらうことに成っている,ここにも何人か泊めてほしい,と,い
ってきた。
私は今このことを知ったばかりで,急に言われても困ると,断ると,カメ
ラマンの楠野だったらお願いできますか,今呼んできますからちょっと待っててください
といって,何人か外に出て行った。 二十分ぐらいして髪の毛の黒い人間を連れてきて,
楠野ですよろしく,といわれたが,いくら紹介状を持ってきても勝手すぎると思い,親分
に合わせろ,それから考える,といって,サン ミッシェルの CAFÉ にモヒカン人間とぞ
ろぞろと歩いていく, 店に入ると,寺山修二と奥さんの九条英子がお茶を飲んでいた。
二人の噂は聞いていたけど,何も知らない。
寺山修二が立ち上がって,よろしくと挨
拶され何かあったら,責任は私が持ちますので楠野を頼みますと,先に言われてしまった。
楠野と共同生活が始まって1週間,楠野が主婦の友社から頼まれている,岸恵子さんの
写真を撮りに行くけど一緒に行ってください,と,時間があるので一緒に
凱旋門に近い
アパートを訪ねる。 高級アパートの立ち並ぶその一角のひとつ,10 階建ての2フロアー
を使用,らせん階段がつぃている,すばらしい部屋だ。 岸さんが入れてくれた日本茶を
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飲みながら雑談,今日は撮影が出来ないので今度の日曜日にしてくれとの事,場所はブロ
ーニュの森,パリ大学の東洋学部の前で午前10時に待ち合わせできまった。 私にも来
てくれと頼まれたが,土曜から,スペイン,ポルトガルの取材旅行があるのでことわった。
1週間して旅行から帰ってくると,2日後にブラジルにエアーチケットが取れたので行
きます,ブラジリアで兄が絵描きをしていて遊びに来いと誘われているので,この際行っ
てみることにした,と。
2日後オルリー空港から飛び立っていった。
写真の整理をして日本に送ると,やっと自分の時間が取れたような気がする。
2,3日のんびりしていたら,女性自身のカメラマン渡辺さんが尋ねてきた,
んとは初対面で,結婚式と新婚旅行をかねてきたという,
渡辺さ
結婚式はエッフェル塔の近く
のアメリカンチャーチでするのでぜひ参加してください,と頼まれた。
*パリでは,日本人が結婚する場合アメリカンチャーチでしかできない。
田村 亮子とオリックスの谷の結婚式もアメリカンチャーチでした。
当日アメリカンチャーチに行くと,フランス人のマダム
二人とも初対面だ。
バルダン,戸田洋子がいた,
挙式が始まり,牧師さんの声とオルガンの音が教会の中に,響きわ
たる,ステンドグラスに吸い込まれそうな,そんな雰囲気だ。
式が終わりレ・アール中央市場(その当時肉と魚だけになっていた。市場がオルリー空港
の近くに移動するためちかちか閉鎖する)の周りにあるイタリアンレストランで5人だけの
披露宴。 5人とも初対面で,自己紹介から始まり料理とワインを楽しんだ。
翌日パリの案内するということで分かれて,部屋に戻るとドアの手紙が差し込んであっ
た, カルチェラタンのホテルに泊まっているので,電話くださいと, 早速電話したら,
ホテルで会うことになってしまった。
パリ市庁舎の前を通り,セーヌ川のシティ島に
あるノートルダム寺院を横に見て,ホテルに行く。
男一人と女性二人が,待っていた。
近くの CAFÉ でビールを飲みながら話を聞く,男性は女性月刊誌の編集者で,女性二人は
編集長の知り合いの娘さんとの事。 この雑誌の会社は知っているけど,雑誌も編集長も
知らない,どうしで私に,と聞くと,パリに誰も知り合いがいないので,新規開発担当の
内村さんに相談したら,井上さんを紹介されたといった。
めであって2日ぐらいお付き合いしたことが,あっただけ。
内村さんとはロンドンではじ
それでどんなご用件でしょ
うか。と聞くと来春のプレタポルテの撮影をお願いします,といって撮影リストを渡され,
見たら30件ぐらいあり1件1万円で撮影申し込みもすべて含む。とあった。
ストを読んだ瞬間に,頭にきた,即座に断る。
このリ
編集者は別の人を探すからといって、帰
っていった。
翌日,渡辺夫婦の泊まっているホテルに迎えに行き,とコーヒーショップで今日のスケ
ジュールを決めた。
地下鉄に乗ってモンマルトルの丘に,映画の中でオードリ
パーンが階段を登った同じ階段を登った。
渡し,説明した。
ヘップ
そしてサクレクール寺院の前からパリ市内を見
サクレクール寺院の中を見てから,テルトル広場へ移動,たくさんの
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画家がキャンパスに絵を描いていたり似顔絵を描いていたりしている,その広場に面した
CAFÉ でビールとサンドウィッチを食べながら広場を見ていた。
食べ終わって,サクレクール寺院裏にあるぶとう畑を見,古いシャンソニエ,ラパン・
アジルを横に見て,メトロでカルチェ・ラタンを散策。 エッフェル塔に上がり,セーヌ
川を船で観光,凱旋門に上がり,シャンゼリーゼでお茶を飲み,マドレーヌ寺院に近い場
所にフランスの航空会社 UA の経営している動物のいる店に行く,サルがいたり,トラが
いたり大蛇がドグロをまいているそんな店に案内した。ワインやビールを飲んで楽しんで
いた。
お腹がすいたというので、オペラ座の隣にあるグランドホテル内のグランドカフエの2
階でフランス料理を食べた。
明日の朝,8時の飛行機でニースに行くというので,ホテルまで送って別かれる。
2,3日のんびりしながら次の取材先を考えていた,
そこへ又編集者と女の子が来てお
下の Café でビールを飲みながら雑談。
茶でも飲みに行きませんか,といってきた,
明日,編集者だけロンドンによって帰ります,2人の女の子はパリが気に入った見たいて,
お金が続く限りパリにいたいということで,
何か問題があったとき面倒見てくださいと,
それとプレタポルテの撮影の件は, カメラマンが見つからないので通信社から買うことに
なりそうだ,
ところで井上さんだったら
てくださいと。
,いくらで引き受けでくれますか,参考に聞かせ
これは大変な仕事なんで,まずプレタポルテの協会に行ってスケジュー
ル表をもらい,撮影するメーカーに撮影依頼をして,OK が出だら日程を組み,同じ時間帯に
当たる時もあるので調整が難しいときもあり、そのときには知り合いのカメラマンに頼む
しかなく,
それに会場が同じところでやるわけでないので,時間調整が難しいときもある。
約1ヶ月他の仕事が出来ず,かかりきりになるので
アパレル会社からの依頼の場合,1社
部分撮影費は10万から20万円フイルム役10本ぐらい, 30社だと300万から60
0万かかる。
これはパリのカメラマンの平均的な値段たと話をしたら,編集者びっくりし
ていた。
ドイツのハンブルグにあるキッコーマン系列のステーキハウス「大都会」に取材撮影に
行く,パリから夜行列車でハンブルグまで来たのだが,朝5時ごろ着いてしまった。
コインロッカーに荷物を入れ身軽になってから,構内にあるベンチでコーヒーショップ
が開くまで寝ることにした, 目が覚めると構内には人がいっぱいで9時 30 分過ぎだった,
駅の両替所でフランからマルクに両替して,駅前のコーヒーショップで,トーストとコ
ーヒーを注文して時間をつぶし 10 時過ぎタクシーに乗りアルスター湖の真ん中の道を通り
大都会へ,
社長の川上さんがまっててくれた。
すぐに店内の撮影を始めた,ランチ
タイムの始まる前に終わらせてくれとの注文,4x5のカメラはこういうとき大変だ, 3
カット撮り終えたときに最初のお客さんが入ってきてしまった,
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仕方なしに表に出てフ
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ァサードの写真を撮ろうとカメラをかまえていたら人たかりがしてしまった,人が多すぎ
るので写真も撮れないでいると,質問がきた,この店を日本の雑誌に載せるといったら観
ていた人が,大都会に入り始めた。 ランチタイムが終わって残りの写真を撮り終え鉄板
のステーキをご馳走になった。
パリに戻るとドアに手紙が差し込んである,編集長の知り合いの女性二人からだ,
時間があったら連絡ください,ホテル名と電話番号が書いてあった,見覚えのあるホテ
ルの名前,すぐ近くのホテルではないか,星なしの安ホテルで一泊 10 フランぐらいだ, 帰
ってきたばかりて疲れもあったが歩いても 2,3 分のところ,荷物を置いて出かけることにし
た。
ホテルに行くと日本人の男性がチェックインしていた,
コンシェルジェにマドマゼル
を呼んでくれと頼むが,出かけでいないという,仕方ないのでメモを書いて渡してくれと
いって帰ろうとしたら,チェックインしていた男性が井上さんですか,カメラマンの
と
いってきた,これから井上さんのアパートに行こうと思っていたところです,といって名
刺を差し出された,理研映画社の鈴木さんと分かったがどんな用で来たのか分からない。
取りあえず自分に会いに来たことが解ったので,Cafeで話を聞くことになった。
月刊女性誌の編集長の紹介で仕事の依頼であった,内容は来年岡山県倉敷に新しい美術
館が出来る,アイビー・スクエアーという名前で印象派美術を主に扱うという,このとき
まで絵画というものにすごく疎い人間だったから,この仕事は自分にあっていないので断
ろうと思った,
鈴木さんはパリに日本人の絵画評論家がいるので二人でやってほしい,
これから会いに行きませんかと誘う。
ヴィクト−・ユーゴ通りの高級住宅街に評論家が住んでいた,
わかった,
挨拶をして岡本さんと
奥さんがコーヒーを入れて持ってきてくれて,一緒に鈴木さんの話を聞く,
奥さんすごい美人だ,
岡本さんは耳が難聴らしいく奥さんの手話とメモに書いたのをよ
む。
井上さんは写真を撮れるが絵画に弱い,岡本さんは絵画に強いがカメラに弱い,と言う
事なので二人でやってくださいと鈴木さんが言う,岡本さんは耳が難聴なので奥さんも連
れて行かないと迷惑かけるという,ところでこの取材費はいくらもらえるのかを聞くと,
すべて込みで 3,500,000 円だとわかった,取材期間は約 100 日で日本での打ち合わせも
入ると聞き,岡本さんが 3 人で行動していたら赤字になるから降ろさしてくれということ
になった。
岡本さん宅を後にして,ヴィクトー・ユーゴのCAFEでビールを飲みながら,どうし
ますかとお互いに顔を見合わせながら聞く。
ちょっと考えさせてくれといって,ギャルソンからメモ用紙をもらって逆算し始めた。
日程的には間に合いそうだ,11 月から 2 ヶ月あれば撮影は出来る,ただし冬景色になる
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おそれあり, 取材のための足はレンタカーを借りることでOK,後は助手を探さねば,
お金に方は,月刊誌をやっているより条件はいいと思うので引き受けてもいいか,
・・・・・
フランス国内を観光できるし絵画の勉強にもなるし,やらせて下さいと言う事になった。
ヴィクトー・ユーゴから凱旋門,シャンゼリーゼを歩きコンコルド広場に,左に昭和天
皇が泊まったホテル,ホテルクリヨンの前を通り、リヴォリ通り,ルーヴル美術館の前を
通り案内しながらホテルに到着,夜一緒に食事の約束してわかれた。
鈴木さんが迎えに来た,外に出るとあの二人の女性もいた,
ことにして,薄暗い路地裏を歩く, ピストロ
近くのピストロで食べる
シス(六)に入ると 10 席しかない小さな
店だが,お客がいない,50 歳ぐらいの夫婦でこの主人の作るかにスープがうまいので,何
回か来たことがある。
ワインとかにスープにステーキを注文,ワインを飲みながら仕事
の話になった,明日モンマルトルに行ってユトリロやモネ,モジリアニの描いた場所で写
真を撮ることになり,日本に帰るのは 10 日後に決まった, 急に決まった仕事て他の仕事
もあるのでのんびり出来なくなった。
と,思っていたら女性(名前紹介されたとき名前
を聞いたけど覚えていない恵子だか洋子だかどうでもよかった,
)が,いない間部屋を貸し
てくれといってきた,部屋には何も無いから留守の間だけ貸すことにした。
ステーキが
出てきたときにはワインが 5 本も空いていた。
日本から帰ってくると,部屋の中が変わっていた。
ベットカバーがオレンジ色,鍋
類がオレンジ色,カーテンもオレンジ色,光の色がいつもと違うので見ると電球の傘もオ
レンジ色,あれ・れ・れ・・・
コーヒーが飲みたくなって表のCAFEで飲んでいると,恵子と洋子が入って来た,オ
レンジ色になった部屋にびっくりしたといったら,井上さんはいつもオレンジのシャツに
オレンジのズボンをはいているからオレンジが好きだと思って替えじゃいましたと,恵子
が言う。
ついに オレンジマンになってしまったか・・・・
5/5
終わり