失業給付の効果に関する 分析 - 慶應義塾大学 経済学部ゼミナール委員会

三田祭論文
失業給付の効果に関する
分析
正規雇用への転換を目指して
慶應義塾大学
山田篤裕研究会
楠本尚史・小林まり・沢柳大地・瀬戸陸斗
2013 年 11 月
要約
日本における非正規労働者数は現在増加傾向にある。しかし、非正規雇用は景気変動や
企業業績の変化に対する雇用の調整機能の役割を担っており、正規雇用と比較すると不安
定な状態にある。こうした状況は自発的に非正規雇用という雇用形態を選択した者にとっ
ては問題がないかもしれないが、非正規労働者の中には、正規雇用で働きたいにも関わら
ず、不本意に非正規雇用として働く「不本意型非正規労働者」が存在する。そこで、本稿
ではこの不本意型非正規労働者の処遇改善として、正規雇用への転換促進を検討する。
我々は、彼らの転換を阻害する要因として非正規労働者の約 3 割が加入対象外とされてい
る雇用保険制度、特に失業給付に注目した。なぜなら退職した際に失業給付を受けられる
かどうかで、職探しにかけられる期間、予算が制限され、そのことが非正規から正規への
転換を左右する要因となりうるからである。そこでリクルートワークス研究所の「ワーキ
ングパーソン調査 2010」を利用し、失業給付受給の有無が非正規労働者の正規雇用への転
換に与える影響について実証分析を行った。その結果、失業給付の受給は正規雇用への転
換を促進することが明らかにされた。この結果を踏まえ、我々は「不本意型非正規労働
者」への失業給付の適用拡大をすることで彼正規雇用への転換を促すことを提言する。
本稿の構成は以下の通りである。
第 1 章では、非正規労働者の現状と課題、更には雇用保険制度の概要・課題を分析し、
失業給付がジョブサーチのための期間と費用を増加させていることから、正規雇用への転
換を促しているという仮説を提起している。
第 2 章では、第 1 章の仮説を踏まえ、正規・非正規間の移行要因、また失業給付に関す
る先行研究を体系的にまとめた。
第 3 章では、失業給付受給の非正規から正規への転換にあたえる影響について実証分析
を行った。その結果、失業給付の受給が非正規労働者の正規化を促していることが明らか
にされた。
第 4 章では、失業給付の基本手当の受給要件を「30 歳未満の非正規労働者である世帯
主」に限定して緩和することを提言した。この政策により、対象を「不本意型非正規労働
者」に限定した上で基本手当の受給要件を拡大し、彼らの正規雇用への転換を促すことが
できると考えられる。1
1
本稿の作成にあたっては、山田篤裕教授(慶應義塾大学)、高橋氏(労働政策研究・研修機構)をはじ
め、多くの方々から有益且つ熱心なコメントを頂戴した。ここに記して感謝の意を表したい。しかしな
がら、本稿にあり得る誤り、主張の一切の責任はいうまでもなく筆者たち個人に帰するものである。
1
目目
はじめに
第1章
現状分析
第 1 節(1.1)非正規労働者の現状と課題
第 2 節(1.2)雇用保険制度の概要
第 3 節(1.3)雇用保険制度の課題
第 4 節(1.4)小括
第2章
先行研究
第 1 節(1.1)正規・非正規間の移行要因
第 2 節(1.2)失業給付と求職行動
第 3 節(1.3)本稿の位置づけ
第3章
実証分析
第 1 節(1.1)使用するデータの作成方法・基本統計量
第 2 節(1.2)実証分析モデル
第 3 節(1.3)分析結果
第4章
政策提言
第 1 節(1.1)分析を踏まえて
第 2 節(1.2)基本手当の受給資格の検討
第 3 節(1.3)「特定若年離職者」の設置
第 4 節(1.4)今後の課題
先行論文・参考文献・データ出典
2
はじめに
現代の日本では雇用形態の多様化が進んでおり、特に非正規労働者の増加が顕著であ
る.この要因のひとつとしては長期安定的な景気回復の見通しがつかないことから、企業が
正規労働者の採用を控え、雇用量の調整が容易な非正規労働者を代わりに雇用していると
いうことが考えられる。こうした状況は家計補助のための主婦パートなど、自発的に非正
規労働者として働いているケースであれば特に問題は無いかもしれない。しかし、本来は
正規雇用への就業を望んでいるものの、やむを得ず非正規雇用に従事している「不本意型
非正規労働者」にとっては大きな負担となっている可能性がある。
不本意型の非正規労働者は男性、特に若年層に多いことが厚生労働省の調査で明らかに
なっているほか、非正規雇用の中でも特にストレスを抱えていることが判明している。こ
れらの現状を踏まえると、不本意型の非正規労働者の処遇改善が必要であると考えられ
る。
本稿では不本意型非正規労働者の正規雇用への転換を妨げている要因の一つとして、労
働者の職業の安定に資する雇用保険制度、特に失業給付に注目した。なぜなら失業期間に
失業給付を受けられるかどうかでジョブサーチのために期間や予算が制限され、そのこと
が非正規から正規への転換を左右する要因となりうるためである。
現行の雇用保険制度は 1974 年の成立以来、景気情勢や社会の変化に伴って度々改正が
成されている。直近では 2010 年に改正が行われており、適用範囲の拡大によってこれま
で対象外であった非正規労働者の一部も新たに雇用保険の被保険者となった。しかしこの
改正は必ずしも雇用保険を必要としているすべての労働者をカバーしているとは言い切れ
ない。また前述した不本意型非正規労働者が現行の失業給付の受給要件を満たすことがで
きずに手当を受けられない場合もある。したがって万が一失職してしまった際、公的な支
援を受けられないために新しい職業として安定した働き口を見つけることが難しい。仮に
失業給付を受給できていれば、失職中でも一定の生活水準が保障されるため、ある程度の
時間と費用をかけてジョブサーチを行うことが可能になり、その結果として正規雇用に転
換できる可能性がある。
このような仮説に基づき、本稿では失業給付が非正規労働者の正規雇用への転換に与え
る影響について実証分析を行った。「失業給付の適用要件緩和が、不本意型非正規労働者
の正規雇用への転換に有効であること」を示すのが本稿の貢献である。
実証にあたってはリクルートワークス研究所の「ワーキングパーソン調査 2010」を利用
し、どのような非正規労働者が転職を通じて正規労働者へ転換することが出来ているのか
プロビットモデルを用いて分析を行った。その結果、男性の場合は他の正規雇用への転換
に影響を与えると考えられる要因をコントロールしたうえでも、前職を退職した際に雇用
保険の失業給付を受給した場合の方がそうでない場合よりも正規労働者へ転換できる確率
が高いことがわかった。また年齢別で見ると、15~29 歳の若年層で特に失業給付を受給し
た場合に正規雇用への転換が起こりやすく、40~49 歳・50~59 歳の中高年層では正規雇
用への転換が起こりにくいことが判明した。
以上の結果を踏まえると、失業給付の受給により、ジョブサーチにかけることのできる
期間や費用が増加し、それによって自らの希望する職種への転職が実現する確率が上昇し
3
ていると解釈できる。そのため、正規化を希望する非正規労働者に対し失業給付の受給要
件を拡大し、彼らの正規化を促進させるという方向性で政策提言を行うのが妥当であると
考えられる。そこで本稿では、「30 歳未満の非正規労働者である世帯主」を新たに「特定
若年離職者」として分類し、その対象となる者への基本手当受給資格の緩和を提言する。
4
第1章
第1節
現状分析
非正規労働者の現状と課題
日本における非正規労働者数は様々な要因から増加傾向にある。総務省「平成 24 年就
業構造基本調査」によると雇用者に占める非正規労働者の割合は 38.2%であり、非正規労
働者が 4 割近くを占めていることがわかる。男女別に比較すると、男性は正規労働者が 8
割近くを占めているのに対し、女性は 4 割程度と半数以下である。これは女性の場合、家
計を支えるための補助的な役割として非正規労働に従事していることが多いためであると
考えられる。実際に 2013 年の厚生労働省『労働力調査』でも、現職の雇用形態(非正規
の職員)についた主な理由として女性の 27%が「家計の補助・学費等を得たいから」と回
答している。
このように自発的に非正規雇用として就業している者もいるが、非正規労働者の増加の
全体的な要因としては、長期安定的な景気回復の見通しがつかないことから正規労働者の
採用を控え景気変動に応じて雇用量の調整が容易な非正規労働者の採用に移行したことな
どが挙げられる。いわば雇用の調整機能としての役割である。
非正規労働者は雇用期間の定めの有無によって区分することができるが、定めのある有
期契約労働者が半数以上を占める。「平成 23 年有期労働契約に関する実態調査」による
と、事業所側の有期契約労働者を雇用している理由(複数回答可)は「業務量の中長期的
な変動に対応するため」が 47.7%と最も多く、目いで「業務量の急激な変動に際して雇用
調整ができるようにするため」が 27.3%となっている。この調査結果から、非正規雇用の
有期契約労働者が経済変動や企業業績の変化に対する雇用の調整機能の役割を担っている
ことが覗える。
こうした状況は主婦のパートなど自発的に非正規雇用という就業形態を選択した者に
とっては問題ないかもしれない。しかし、やむを得ず非正規雇用として労働に従事してい
る「不本意型非正規労働者」にとっては経済的な負担はもちろん、精神的にもストレスが
大きくなる。
厚生労働省の「労働力調査」によると、2013 年時点での非正規労働者に占める不本意型
非正規労働者の割合は図1の通りである。男性の方が 29%と女性より割合が高くなってい
るが、これは前述したように女性の場合は自発的に非正規雇用に従事している者が多いと
考えられる。同調査の「現職の雇用形態(非正規の職員)についた主な理由」という項目
でも、男性は「正規の職員・従業員の仕事がないから」と回答した人が 31.1%を占めてお
り、不本意型の非正規労働者が多いことが覗える。
さらに男女共に若年層で不本意型の非正規労働者が多いことが分かる。図2では年齢階
級別・男女別に、非正規労働者の全体数と不本意型の非正規労働者数を比較した。この図
からは、男女共に 15~34 歳で特に不本意型の非正規労働者の割合が高くなっていること
が判明している。
また山本(2011)では「慶應義塾家計パネル調査」の個票データを用いて不本意型の非正
規労働者の実態と主観的厚生水準を分析している。それによると不本意型の非正規雇用労
5
働者の正規雇用に占める比率は 13.8%であり、業者数と比べるとその数は約 1.5 倍と無視
しえないことも示されている。さらに精神面の分析ではストレスの大きさを点数化した指
標が雇用形態間で比較されており、年齢や所得などの個人属性や就業選択の内生性をコン
トロールした場合、非正規雇用の中でも特に不本意型非正規労働者のストレスは大きく
なっていると示されている。2
したがって彼らにとっては正社員への転換の道が開かれていることは重要であるが、現
状として非正社員から正社員への転換への間口はそれほど広くない。2007 年のパートタイ
ム労働法の改正においては改正法第 12 条において「正社員への転換を推進するための措
置を講じることを義務化する。」とされている。しかし、現実には転換制度があってもそ
の利用実績が伸びない企業は多い。四方(2011)は、日本は常用雇用への解雇規制が強
く、臨時雇用に対する解雇規制が弱いために臨時雇用から常用雇用への移行が生じにくく
なっているとしている。これは常用雇用への解雇規制が強まると一度常用労働者を雇うと
解雇が困難となるため企業にとって労働者と有期雇用契約を結ぶインセンティブが生じる
こととなり常用へ転換させる誘引も低くなること、臨時雇用への解雇規制が弱いことで雇
用調整を容易にできるため臨時雇用を雇いやすくなること、これら二つの効果が重なって
生じているとしている。これらの現状を踏まえると「不本意型非正規労働者」の処遇改善
が必要であるといえよう。具体的には、正規雇用への転換を促進させることができれば、
多くの労働者が納得して自らの望む雇用形態に属することができると考えられる。
このような非正規から正規への転換には二種類ある。一点目は、前職では非正規雇用で
あったが転職した際に正社員として雇用される、企業間での転換である。そしてもう一点
は、非正規として雇用されていた企業で正社員に登用される、同一企業内による転換であ
る。こうした二種類の転換ルートがあるが、今回は転換の約 7 割以上3を占める前者に注目
する。
ではこれまで紹介してきた不本意型の非正規労働者の企業間転換を阻害している原因は
どのようなものがあるのだろうか。本稿ではその一つとして、非正規労働者の約3割が加
入対象外とされている雇用保険(失業給付)に着目した。なぜなら失業期間に失業給付を
受けられるかどうかで職探しにかけられる期間、予算が制限され、そのことが非正規から
正規への転換を左右する要因となりうるからである。そこで目節では現行の雇用保険制度
を非正規労働者の観点から検討する。
2011)
非正規から正規への転換がどの程度起こってきたかについては先行研究が多数ある。特に小杉(2011)で
は 2008 年の労働政策研究・研修機構『働くことと学ぶことについての調査』を用いて分析している。
それによると正社員への転換を経験した人の割合は 13.9%であり、企業間と企業内はそれぞれ 10.7%と
3.2%であった。
2一方、本意型のストレスは正規雇用と同程度のストレスにとどまっている。(山本
3
6
図1 非正規労働者に占める不本意型非正規労働者の割合
男性
女性
14%
29%
本意型
本意型
不本意型
不本意型
71%
86%
(出典)厚生労働省「労働力調査」より筆者ら作成
図2 年齢階級別の不本意型非正規労働者数
男性
女性
250
350
300
200
人
数 150
(
万 100
)
50
250
200
非正規労働者全体
数
不本意型
150
非正規労働者全体
数
100
不本意型
50
0
0
(出典)厚生労働省 HP より筆者ら作成
7
第2節
雇用保険制度の概要
雇用保険制度は日本における社会保険制度のひとつであり、求職者給付をはじめとした
失業給付と、能力開発などの二事業で成り立っている。そのうち失業給付はさらに大きく
分けて4種類に分類され、①基本手当をはじめとした求職者給付、②早期再就職の支援を
目的とした就職促進給付、③教育訓練の受講のために設けられた教育訓練給付、④雇用の
継続を希望する者に支給される雇用継続給付となっており、それぞれ様々な手当が存在す
る。
また被保険者も年齢や雇用形態によって受給する給付の種類が区分される。具体的には
①一般被保険者、②65 歳に達した日以降も継続して同一事業主に雇用されている高年齢継
続被保険者、③季節的あるいは 1 年未満の短期の雇用が常態の短期雇用特例被保険者、④
一定の条件を有する日雇労働被保険者の4種類である。これに加え、2010 年の改正によっ
て非正規労働者も 20 時間以上であれば雇用保険が適用される。
雇用保険の保険者は政府であり被保険者の種類は法律によって定められている。この法
律は日本の景気情勢や社会の変化に応じ、1974 年の成立以来、たびたび改正が行われてき
た。適用範囲や受給要件の改正について、特に非正規労働者の観点から見ると目の通りで
ある。
まず 1989 年には「短時間労働被保険者制度」が雇用保険の失業給付の一部として新た
に創設されている。この制度は雇用形態の多様化を受けて成立したもので、短時間労働者4
のうち一定範囲の者を短時間労働被保険者として定め、雇用保険の適用拡大を図ってい
る。
続く 2000 年の改正では、90 万円以上の年収要件と 11 日以上の所定労働時間要件が撤
廃され、所定労働時間が「週 20 時間以上」「1 年以上雇用見込み」があれば短時間労働
被保険者となった。
そして 2007 年には「短時間労働被保険者」という区分そのものが廃止され、前述の要
件を満たす非正規労働者は雇用保険の一般被保険者として扱われるようになった。ただし
無論、これらの条件を満たさない短期雇用の者は適用範囲外のままである。具体的には 1
週間の所定労働時間が通常の労働者より短く 20 時間未満であり、「同一の事業主に引き
続き被保険者として雇用される期間が一年未満である」短期雇用を常態とする者がこれに
あたる。
こうした人々は 2008 年に発生した金融危機による雇用失業情勢の悪化に伴い、大幅に
増加した。派遣や短時間労働者など多くの非正規労働者が雇止めや解雇によって職を失っ
たが、「1 年以上雇用見込み」の要件がネックとなり雇用保険に加入できず、失業給付も
受け取れないという状況に陥ったのである5。このような情勢をふまえ、2009 年からは
「同一の事業主に 1 年以上の雇用見込み」という条件は「6 カ月以上の雇用見込み」へ緩
和された。またこの条件は前述したように 2010 年 4 月から「同一の事業主に 31 日以上
の雇用見込み」へと変更されており、非正規労働者に対して適用範囲が拡大している。
以上のように、雇用保険の適用範囲は時代の変化とともに非正規労働者に対しても少しず
つ広がっているが、雇用保険を必要としている非正規労働者を網羅しているわけではない
6。ではなぜ適用拡大が単純には行われてこなかったのか、雇用保険制度が抱える課題を通
して目節で検討する。
4
5
6
一週間の所定労働時間が、同一の適用事業に雇用される通常の労働者より短く週 30 時間未満の者)
2009.01.27「週間 エコノミスト」第 87 巻 第 5 号 p18-22 より。
例として、同時に2以上の雇用関係にあるマルチジョブホルダーが挙げられ、労働政策審議会の職業安
定分科会雇用保険部会でもその取り扱いが議論されている。
8
第3節
雇用保険制度の課題
先行研究でも数多く指摘されている雇用保険制度の課題としてモラル・ハザードが挙げ
られる。雇用保険は失業時におけるセーフティーネットとしての役割を担っているが、こ
れが逆に再就職を阻害してしまっているのではないかという問題である。こうした問題は
「失業」の定義の難しさが要因として挙げられる。「失業」は労働者自身の能力や意志が
関わってくるため、外部から客観的な判断を下すことが困難なためである。「失業」状態
は自発的に創出することも可能であるため、濫用を招く危険性がある。(濱口 2010)
したがって制度設計の際にはモラル・ハザードを防止するための工夫が不可欠となって
おり、これが受給要件の複雑化を招く一因にもなっている。なぜなら、例えば被保険者で
あった期間を基準に設定すれば長期勤続者にモラル・ハザードが発生し、年齢で差をつけ
れば短期勤続の高齢者にモラル・ハザードが発生してしまう。このように幅広い労働者を
対象とするには、制度は複雑にならざるを得ないのである。
こうしたモラル・ハザードとの兼ね合いも考慮すると単純に適用要件を拡大することは
できないが、雇用情勢の変化などに応じて雇用のセーフティーネットたる雇用保険制度も
適応が求められる。そうした対策としては、一時的なものではあるが「緊急経済対策」や
「暫定措置」が挙げられる。これらは景気悪化に伴う失業率の増加などに対し、暫定的な
セーフティーネットとして設けられるものである。近年では 2008 年の金融危機直後には
雇用調整助成金の要件緩和をはじめとする雇用政策が打ち出されている。また 2009 年か
らは常用就職支度手当の適用要件が拡大される措置が取られている。これは雇用保険受給
者が早期に再就職7した場合に、その再就職の度合いに応じて一時金が支払われる制度であ
るが、従来の対象者である障害者に加え、40 歳未満の者も暫定的に支給対象となってい
る。
このような制度は期間を限定した上で施行されるが、厚生労働省の労働政策審議会で議
論された上で、延長が決定する場合もある。
第4節
小括
前節までで、非正規雇用の中でも特に不本意型非正規労働者の存在と、現行の雇用保険
制度について分析を行った。不本意型の非正規労働者は現行の雇用保険制度の適用要件を
満たすことができず、失業給付をはじめとした手当を受けられない場合がある。したがっ
て万が一失職してしまった際、公的な支援を受けられないために新しい職業として安定し
た働き口を見つけることが難しい。仮に失業給付を受給できていれば、失職中の生活に不
安が薄れ、失業給付を受給できていれば、職探しにかける期間や予算が確保され、正規へ
の転換に寄与する可能性がある。
以上の仮説に基づき、雇用保険制度、特に失業給付が不本意型非正規労働者の正規雇用
への転換に与える影響について更に分析を行う。
7
ただし就職先の条件として、「安定所の紹介により1年以上引き続いて雇用されることが確実であると
認められる職業」であることが規定されている。(第 88 回 職業安定分科会雇用保険部会資料より)
9
第2章
先行研究
本稿では失業給付の受給が非正規雇用者の正規化に貢献するという仮説のもと実証分析
を行う。そこで、本章では非正規雇用から正規雇用への移行の要因、また、失業給付に関
しての先行研究を体系的に参照する。
第1節
正規・非正規間の移行要因
非正規雇用を離職した人々が、転職をする際に影響する要因について分析を行っている
研究には、玄田(2008)、相澤・山田(2008)、四方(2011) 、小杉(2011)、堀(2007)、上西
(2002)などがある。
まず相澤・山田(2008)は、1982〜2002 年の『就業構造基本調査』(総務省統計局)の 5
時点間分の個票データを用いて、説明変数を個人の属性として多項ロジットモデルで「転
職を通じた労働者の従業上の地位変化に関する特徴」について分析している。その結果, 学
歴が高いほど非常雇から常雇への移動が生じやすく、移動の学歴における格差も 20 年間
で強まったこと、また非常雇としての勤続年数が長いほど常雇へ移動しにくいと述べてい
る。
「非正社員の正社員への移行を抑えている理由」について分析を行ったのが玄田(2008)
である。『就業構造基本調査』(総務省統計局、2002 )を用いた分析の結果、女性を中心に
「家事とのバランスや生活上の自由度を優先する傾向」が存在することや、地域の失業
率、「採用のニーズが高学歴者や医療・福祉分野といった職業に偏っていること」などが
正規への移行に関係するとしている。また、「離職前の一定期間の継続就業が正規化に対
して有利に働いている事実」を確認している。これは一定期間働き続けることが正社員と
して求められる潜在能力や定着性向を示すシグナルとなるという主張であり、学歴に関し
ては相澤・山田(2008)と同様の結果を得ているが、継続就業に関しては逆の主張をしてい
ることがわかる。
これらを踏まえて、四方(2011)では上記の玄田(2008)、相澤・山田(2008)の結果の違い
に言及し、玄田(2008)の使用データでは離職せず非正規労働者に留まった就業者や企業内
登用で正規労働者になった就業者がもれてしまっていることを指摘している。そのため四
方(2011)は、内部労働市場を通じての非正規雇用から正規雇用への移行を拾うために,
『慶應義塾家計パネル調査』の 2004 年から 2008 年まで 5 カ年分のパネルデータを用い
て分析を行っている。その結果、非正規労働者から別企業の正規労働者への移行について
は、勤続年数が長いほどその確率が低下することを結論付けている。
継続就業に関連して、上西(2002)はフリーターから正社員へ移行した者にはフリー
ター通算期間が 1 年未満である者が多く、移行していない者には 2 年を超えた者が多いこ
とを明らかにした。フリーター通算期間が 1 年未満であることが移行を左右するという指
摘は、地方の若者の移行の実態を調べた堀(2009)でもなされている。
10
小杉(2011)では、上西(2002)と、前出の玄田(2008)とを比べ、この2つの主張を「年齢
の若さから期待できる訓練可能性」と「勤続期間から推し量られる定着のシグナル」のど
ちらが企業に重視されるか、という視点で考えている。そこで継続就業と正規労働者への
移行の関係を年齢ごとにわけて調査し、初職が非正規雇用である場合「二十四歳以下なら
前職である非正規雇用に長期勤続したことは正規労働者への移行において積極的に評価さ
れる可能性が高いが、三十歳以上であればそうとは限らない」と結論付けている。
また、小杉(2010)では、非正規雇用者の能力開発機会の少なさとそれが今後のキャリア
形成に与える影響に注目し、非正規雇用から正社員への移行がどうしたら促進されるかを
調査するため、非正規雇用から正社員になり引き続き正社員として働いている者と非正規
のまま働いている者の違いを検討し、正社員への移行が何によって規定されるか分析して
いる。労働政策研究・研修機構が 2008 年 10 月~12 月に実施した「働くことと学ぶこと
についての調査」を用いた分析の結果、年齢が若いことや前職が同一の職種であったこ
と、正社員並みの時間で働いていたことなどが正社員への移行に有意に正の影響を与えて
いることを結論付けている。
以上のように非正規雇用から正規雇用への移行の要因についての先行研究においては、
1、年齢、性別、学歴といった個人の属性 2、完全失業率などの労働需給因 3、勤続年
数、経験会社数などといった職歴 4、職場環境や訓練の有無などが主な説明変数として用
いられ、失業給付の受給が正規化に与える影響を分析した研究は必ずしも検討されてきた
わけではない。
第2節
失業給付と求職行動
離職者の正規化における規定要因についての先行研究は第 1 節で挙げた通りであるが、
職を失った労働者が、目の職と出合うまでどのようなプロセスを辿るかを描写したモデル
としてジョブサーチ理論が存在する。また、同様に摩擦を伴った労働市場について分析す
る手法としてマッチング理論も存在し、以下ではこの両者についての先行研究を参照して
いく。
まずジョブサーチ理論については今井(2012)において、主として労働市場を分析するた
めのモデルを考えるための枠組みであると紹介されている。サーチ理論では、均衡におい
て、一定の充足されない求人と、就職先を探す失業者が常に存在する。局所的・分権的な
労働市場で絶え間行われる取引と、同時に、均衡状態においても充足されない需要や雇用
されない資源が残る経済の姿を、数学的に表現するための理論である。
目にマッチング理論については二村(2009)の中で、労働者による求職活動と生産者によ
る求人活動とを同時に考察することで賃金、雇用、および失業が労働市場における需要と
供給の相互作用を通じて決定される過程を説明するものであると紹介されている。
こ の ジ ョ ブ サ ー チ 理 論 と マ ッ チ ン グ 理 論 の 労 働 市 場 分 析 へ の 応 用 か ら Diamond,
Mortensen と Pissarides によって確立された DMP モデルについて紹介した研究に山上
(2011)がある。山上(2011)によれば、DMP モデルは、サーチ理論の職探しと求人への適用
とマッチング関数の導入により、構造的・摩擦的失業の構造を解明するとともに、雇用対
策や労働市場における様々な制度的要因が賃金や雇用に与える影響を分析することを可能
とした理論である。この DMP モデルにおいて失業給付の支給は留保賃金の上昇をもたら
し、雇用創出の抑制、失業率の上昇をもたらすとしている。
目に留保賃金と失業給付の関係に着目した研究として、久米・鶴(2013)では、(独)経
済産業研究所が実施した『派遣労働者の生活と求職行動に関するアンケート調査』を用い
11
て、非正規雇用から正社員あるいは失業に転じる場合の決定要因について、雇用形態や留
保賃金の違いに注目して実証的な分析を行った。分析の結果、失業者の就業と失業の選択
に関して、ジョブサーチ理論によれば、「失業給付等の外生的なパラメータが留保賃金を
変化させ、留保賃金が高いほど、失業期間が長くなること」が予測されると述べている。
これと同様の結果は、失業給付を操作変数として分析を行った Jones (1988)や、ドイツ
の German Socio-Economic Panel を用いて、留保賃金と失業期間の関係を分析した
Prasad (2000)においても得られている。また、Addison, Centeno andPortugal(2009)に
おいても、留保賃金と失業期間について 13 カ国の個票パネルデータを用いて分析した結
果、失業給付が高く、ジョブオファーの到着率が高いほど、留保賃金が高くなることを示
した。
失業給付が再就職活動に与える影響を分析した研究として、小原(2000)では 1999 年
に大阪府が行った『「成長が期待される産業分野における人材の確保・育成」に関するア
ンケート調査』を用いて失業給付の存在が失業期間を長期化させているかを検証してい
る。分析の結果、①失業給付受給者は被受給者よりも再就職率は低く失業期間は長い、②
受給者は給付終了まで残り 1 か月で駆け込み就職すること、③2の影響は失業期間が長い
ほど大きくなることを結論付けている。
また、小原(2004)では小原(2000)では為されなかった「失業給付額や 2001 年度雇用保
険法改正が失業の長期化与えた影響」を分析するために『雇用政策の有効性に関するシ
ミュレーション:実査データ』を用いて、失業者の再就職率に失業給付制度がどのような
影響を与えるかについて分析している。分析の結果、40 歳未満では給付額が高くなるほど
再就職率は下がり、また給付期間いっぱいまで受給してから再就職するという再就職抑制
効果を確認している。これに対し 40 歳以上 60 歳未満では、失業給付は再就職率を低下さ
せていなかった。このことから小原(2004)は 2001 年度雇用保険法改正により 45 歳以上
60 歳未満の層の特定離職者について給付日数を増加し、一般離職者について給付日数を削
減したことが、特定離職者の再就職インセンティブを下げずに、一般離職者の再就職イン
センティブを上げることにつながった可能性を指摘している。
また、橘木(1984)が失業給付の満期受給者の多さを挙げて、失業給付期間の延長が失業
期間を長期化させる可能性について指摘しているほか、OECD(2007)においても限界実行
税率 METR を利用した議論において、新たな職に就く際に停止されることになる失業給
付が大きすぎると、METR が上昇し労働供給を阻害する傾向にあることを指摘している。
これらを踏まえると、失業給付の期間の延長は再就職の確率を小さくし、結果として失
業期間を長くすることにつながる。そして多くの失業給付受給者が給付終了直前まで求職
活動を行い、再就職してゆく現象が推測されている。
しかしながら、こうした失業給付についての研究には失業期間との関係に焦点を当てた
ものが多く、再就職後の労働条件との関係を分析した論文は数少ない。そうした中の一つ
として、失業給付が求職活動において果たす役割について大日(2001)は、『転職者総合実
態調査』の個票を用いて失業給付が有利な転職に結びつくか否かの分析を行っている。分
析の結果,受給者のほうが非受給者よりも賃金,企業規模で有意に不利な就職をしてお
り,他方で職階、転居で有利な就職をしていること、職種に関しては有意ではないもの
の,産業に関しては部分的には有意に有利な就職を行っていることが明らかにされた。し
かし、大日(2001)において対象となった労働者には前職が正規労働者だった者も含まれて
おり、非正規雇用から正規雇用への転換へ及ぼす効果は実証されていない。
12
第3節
本稿の位置づけ
本章で紹介してきたように、日本において失業給付が再就職活動に与える影響を分析し
た研究は数少ない。その理由として小原(2004)で指摘されているように、失業者について
失業前の状態から失業期間中、再就職までを調査したマイクロデータの入手が日本では難
しいことが挙げられる。また、それらの数少ない論文ではモラル・ハザードなど負の側面
を強調した研究が多い。
そこで本稿では再就職率ではなく、失業給付の受給が「非正規労働者の正規労働者への
転職」に与える影響について分析を行う。「失業給付の受給が、非正規労働者の正規化に
貢献すること」を示したことが本稿の貢献である。
13
第3章
実証分析
第 3 章では、非正規労働者の正規雇用への転換に影響に与える要因に関する研究を示し
た。それらの研究の中で失業給付の受給を、非正規労働者における正規化の要因として分
析しているものは存在せず、むしろ負の側面を強調しているものが多いことが明らかに
なった。
そこで本章では、正規雇用への転換に影響すると考えられる諸要因に加えて、失業給付
の受給有無を変数に用いて分析を行い、失業給付の受給が正規化に与える効果及びその効
果の年齢層別の差異を明らかにする。
第1節
データの作成方法・基本統計量
本稿では、データ分析に当たり、東京大学社会科学研究所附属社会調査・データアーカ
イブ研究センターSSJ データアーカイブから「ワーキングパーソン調査 2010」(リクルート
ワークス研究所)の個票データの提供を受けた。本調査は首都圏で働く人々の就業実態と意
識を明らかにすることを目的としたもので、個人の基本属性、現在の働き方・勤務先、職
場の満足度などのデータに加えて、転職経験の有無、転職前の働き方、転職時の失業給付
の受給有無といった質問項目が用意されている。したがって前職が非正規労働者だったも
のが退職の際に雇用保険の失業給付を受給することで、正規雇用への転換にどのような影
響を与えるかについて分析を行うにあたって適しており、このデータを使用した。また
2000 年から 2 年ごとに行われている本調査のうち 2010 年のものを使用した理由として、
2008 年のリーマン・ショック以降に我が国の雇用情勢が大きく変化し非常に不安定な状態
になったため、2013 年 9 月 19 日時点で利用可能なもののうち、最新の 2010 年のデータ
を使用することで、より現在の状況に即した分析を行うことが可能であるということに加
えて、今回の分析で重要となる「転職時の雇用保険(失業給付)の受給有無」という質問項
目が 2010 年のものでしか用意されていないというデータ上の制約が挙げられる。
第 1 章でも触れたように、我が国においては非正規雇用から正規雇用への転換の間口は
それほど広くなく、一度非正規雇用に就いてしまうと正規雇用に就くことが困難になりや
すい。そのため雇用保険の失業給付の受給が非正規雇用から正規雇用への転換を促進する
か否かについて分析を行うことには一定の価値があるものと考えられる。なお今回の分析
では転職による正規労働者への転換を対象としているため、内部労働市場における正規雇
用への転換は分析の対象となっていない点に留意する必要がある。
以下では分析に用いる変数について表 1 及び文章を用いて説明する。また各変数の記述
統計量は表 2 の通りである。
14
表 1 各変数の説明
変数名
被説明変数
現職正規ダミー
説明
予想符号
現職の雇用形態が
0:非正規雇用(契約社員・嘱託、フリーター、パートタイ
マー、派遣、業務委託)
1:正規雇用(正社員、正職員)
-
説明変数
性別が
0:女性
1:男性
現在の勤務先の直前の勤務先を退職した後に、雇
用保険(失業給付)を
失業給付ダミー
0:受け取っていない
1:受け取った
最終卒業校が
0:中学校、高等学校、専修各種学校、短期大学、高
大卒・院卒ダミー
等工業専門学校
1:大学、大学院
転職の前に何か仕事に関する資格を
資格保有ダミー
0:持っていなかった
1:持っていた
前職労働日数
前職の週当たり労働日数
前職労働時間
前職の週当たり労働時間
現職に就いた年齢が
現職年齢ダミー
0:下の年齢層ではない
【レファレンス:15-29歳】 1:【15-29歳】・30-39歳・40-49歳・50-59歳
居住地域が
居住地域ダミー
0:下の地域ではない
【レファレンス:東京都】 1:【東京都】・千葉県・埼玉県・神奈川県
(注)ダミー変数のレファレンスグループは【】内表示で示している
性別ダミー
※男女別に分析
-
正
正
正
正
正
負
-
(出典)リクルートワークス研究所「ワーキングパーソン調査 2010」より著者ら作成
15
表 2 各変数の記述統計量
(出典)リクルートワークス研究所「ワーキングパーソン調査 2010」より著者ら作成
① 被説明変数
現職正規ダミーについては、現職の直前の勤務先での雇用形態が非正規雇用である者
で、転職を通じて現職で正規雇用に就いている者を 1、現職でも非正規雇用に就いている
者を 0 とおく。ただし非正規雇用とは、契約社員・嘱託、フリーター、パートタイマー、
業務委託、派遣を指すものとする。
② 説明変数
性別ダミーについては、性別によって働き方が大きく変わってくる可能性が高いため、
性別ごとに分けて分析を行う。
失業給付ダミーについては、前職を退職した際に雇用保険の失業給付を受給した場合の
影響をみる今回の分析において重要な変数である。失業給付を受給することで失業中も一
定の収入を得ることができ、時間と費用を掛けたジョブサーチを行うことが出来ると考え
られるため、予想される符号は正である。
大卒・院卒ダミーについては、学歴が正規雇用への転換に及ぼす影響をみるために用い
る。相澤・山田(2008)や玄田(2008)において、学歴が高いほど非常雇から常雇への移動が
生じやすいことや採用のニーズが高学歴者に偏っていることが示されたように、大卒者・
院卒者であれば正規雇用へ転換しやすいと考えられるため、予想される符号は正である。
資格保有ダミーについては、転職時に持っていた資格の影響をみるために用いる。阿形
(2010)では、資格は企業が新たな労働力を合理的・効率的に調達する際の 1 つの有力な指
標になりうる、としている。したがって転職時に仕事に関する何らかの資格を持っている
ことは企業に対して自身の能力を示すシグナルとなり、正規雇用への転換を促進すると考
えられるため、予想される符号は正である。
前職労働日数・前職労働時間については、前職の時間面での働き方による影響をみるた
めに用いる。小杉(2010)で示されたように、前職において正社員並みの時間で働いていた
16
非正規労働者は、正規雇用へ転換した際の労働時間面での働き方のギャップが小さいた
め、正規雇用へ転換しやすいと考えられる。したがって予想される符号は正である。
現職年齢ダミーについては、年齢による影響をみるために用いる。なおレファレンス・
グループを 15-29 歳とする。小杉(2011)をはじめ、数多くの先行研究で年齢が高くなるほ
ど正規への移行が起こりにくいと言及されており、15-29 歳と比較して年齢が高い層では
正規雇用への転換は難しいと考えられるため、予想される符号は負である。
居住地ダミーについては、居住している地域ごとの労働環境などの影響をコントロール
するために用いる。なおレファレンス・グループは東京都とする。
第2節
実証分析モデル
前職が非正規労働者である者が、転職によって正規労働者になったか非正規労働者のま
まであるかという 0、1 のダミー変数を被説明変数に置いているため、プロビットモデル
を用いて分析を行い、限界効果をみる。なお今回は、「非正規労働者の転職による正規雇
用への転換」をみるために、サンプルを「現在の勤務先の直前の勤務先での雇用形態が非
正規雇用(契約社員・嘱託、フリーター、パートタイマー、業務委託、派遣)であったも
の」に限定して分析を行った。分析に用いるモデルは以下の通りである。
(現職正規ダミー) = a + 𝑏1 (失業給付ダミー) + 𝑏2 (大卒・院卒ダミー)
+𝑏3 (資格保有ダミー) + 𝑏4 (前職労働日数) + 𝑏5 (前職労働時間)
+𝑏6 (現職年齢ダミー) + 𝑏7 (居住地域ダミー) + 𝑢
第3節
分析結果
表 3 に男女計モデル・男性モデル・女性モデルの 3 つのモデルの分析結果を示した。た
だし表中の値は、被説明変数に与える限界的な効果を表す限界効果である。得られた結果
として、まず初めに今回最も注目する変数である、失業給付ダミーに関して言えば、男性
モデルで有意に正の結果が出ている。つまり男性の場合、他の正規雇用への転換に影響を
与えると考えられる要因をコントロールしたうえでも、前職を退職した際に雇用保険の失
業給付を受給した場合、そうでない場合と比較して正規雇用へ転換できる確率が約 11.5%
高くなることがわかる。しかし男女計モデル・女性モデルについては有意な結果が得られ
ておらず、男性モデルで観測された効果はみられなかった。その理由として男性と異なり
女性の場合は、家事の傍らで家計補助を目的として就業している主婦パートなど、いわゆ
る本意型非正規労働者が多いということが考えられる。そのような労働者はそもそも時間
的拘束の強い正規雇用に就くことを望んでいないために、女性モデルでは男性モデルのよ
うに失業給付受給の効果が観測されなかったと推測される。また男女計モデルについて
も、女性に非正規労働者が多いために女性の比率が高くなり、男性モデルでみられた効果
が希釈されたと考えられる。そのため不本意型非正規労働者に限れば、失業給付の受給は
正規雇用への転換に一定の効果があると考えるのが妥当である。
目に表 3 についてその他の変数をみていくと、大卒・院卒ダミーは男女計・男性で有意
に正の結果が得られた。すなわち学歴が高いほど正規雇用へ転換する確率が高くなるとい
17
う、相澤・山田(2008)と整合的な結果となっている。また資格保有ダミーについてはすべ
てのモデルで有意に正の結果が出ているため、転職時に何らかの資格を持っていた非正規
労働者は正規化しやすい、という仮説通りの結果が得られたと言える。さらに前職労働日
数については男女計・女性で、前職労働時間についてはすべてのモデルで有意に正の結果
が出ている。このことから前職の労働日数あるいは労働時間が長い非正規労働者ほど、正
規労働者への転換が進んでいることがわかり、フルタイムパートなど前職で正規労働者に
近い働き方をしている労働者の方が正社員へ移行しやすいという、小杉(2010)と整合的な
結果が得られた。また現職年齢ダミー関しては 30-39 歳ではすべてのモデルで有意な結果
が得られておらず、15-29 歳の年齢層と比較して 30-39 歳の年齢層では正規雇用への転換
が起こる確率は大きく変わらないと言える。しかし 40-49 歳は男女計モデル・女性モデル
で、50-59 歳はすべてのモデルで有意に負の結果が得られていることから、40-49 歳や 5059 歳といった年齢層では 15-29 歳の若年層と比較して正規雇用への転換が起こる確率が低
くなっていると判断でき、年齢が若いほど正規雇用への転換が起こりやすいことを示した
小杉(2010)と整合的な結果が得られたと言える。
さらに正規雇用への転換には年齢が大きく影響するため8、失業給付受給が正規雇用への
転換に与える効果についても年齢層によって異なるのではないかと考え、前述した分析モ
デルに「失業給付ダミーと現職年齢ダミーの交差項」を説明変数として別々に加え、新た
に分析を行い、その結果を表 4 に示した。なお失業給付ダミーおよび失業給付ダミーと現
職年齢ダミーの交差項以外の変数については、表 3 の結果とほぼ同様の結果が得られたた
め、紙幅の都合上省略する。表 3 と同様に表中の値は、被説明変数に与える限界的な効果
を表す限界効果である。分析の結果として 15~29 歳との交差項については男女計モデル・
女性モデルで有意に正の結果が得られている。このことから 15~29 歳の年齢層では他の年
齢層と比較して、失業給付の受給が正規雇用への転換を促進する効果が高いことがわか
る。目に 30~39 歳との交差項はすべてのモデルで有意な結果が得られていないため、
30~39 歳の年齢層における失業給付受給による正規化の効果は、他の年齢層での効果と違
いはないと言える。さらに 40~49 歳との交差項はすべてのモデルで、50~59 歳との交差項
は男女計モデル・女性モデルで有意に負の結果が得られている。つまりこれらの年齢層で
は他の年齢層と比較して失業給付受給の正規雇用への転換の効果が低いと言える。以上の
ことから正規雇用への転換が若い年齢層ほど起こりやすいことと同様に、失業給付の受給
が正規雇用への転換に与える効果についても 15~29 歳の若年層で高く、40~49 歳および
50-59 歳の中高年層で低いことから、年齢が上昇していくにつれてその効果は小さくなっ
ていくと推測される。
なお今回の分析の留保点として、データの制限からそもそも失業状態を経験していない
転職者、すなわちジョブトゥジョブトランジションによって前職から現職に移った労働者
を識別出来ておらず、失業給付を受給していない労働者として一括りにまとめられてし
まっている、という問題が挙げられる。そのような労働者を識別することが出来れば、分
析対象を失業期間を経験した労働者に限定することが可能になるため、条件を等しくした
うえでの失業給付受給有無の効果をみることができ、より精度の高い分析結果が得られる
のではないかと考えられる。
8
小杉(2010)より
18
表 3 分析結果 1(限界効果)
被説明変数:現職正規ダミー
失業給付ダミー
大卒・院卒ダミー
資格保有ダミー
前職労働日数
前職労働時間
男女計モデル
男性モデル
女性モデル
0.0051
[0.21]
0.0764
[3.64]***
0.0707
[3.62]***
0.044
[3.12]***
0.0049
[5.93]***
0.115
[2.00]**
0.1223
[2.74]***
0.0976
[2.13]**
0.0375
[1.22]
0.0059
[3.32]***
-0.0229
[-0.99]
0.0331
[1.49]
0.0709
[3.58]***
0.0471
[3.21]***
0.0025
[2.85]***
-0.0246
[-1.11]
-0.1046
[-4.67]***
-0.1679
[-7.82]***
-0.0097
[-0.19]
-0.0198
[-0.27]
-0.2168
[-3.18]***
-0.0182
[-0.78]
-0.0861
[-3.81]***
-0.1391
[-6.96]***
-0.0051
[-0.19]
0.0038
[0.15]
-0.0041
[-0.17]
2010
0.0081
[0.12]
-0.0312
[-0.53]
0.0282
[0.48]
542
-0.0011
[-0.04]
0.0069
[0.26]
-0.0159
[-0.64]
1468
現職年齢ダミー【15-29歳】
30-39歳
40-49歳
50-59歳
居住地域ダミー【東京都】
千葉県
埼玉県
神奈川県
サンプルサイズ
* p<0.1, ** p<0.05, *** p<0.01
(注)ダミー変数のレファレンスグループは【】内表示で示している
(出典)リクルートワークス研究所「ワーキングパーソン調査 2010」より著者ら作成
19
表 4 分析結果 2(限界効果)
男女計モデル
失業給付ダミー
失業給付ダミー
×15-29歳ダミー
失業給付ダミー
×30-39歳ダミー
失業給付ダミー
×40-49歳ダミー
失業給付ダミー
×50-59歳ダミー
サンプルサイズ
男性モデル
失業給付ダミー
失業給付ダミー
×15-29歳ダミー
失業給付ダミー
×30-39歳ダミー
失業給付ダミー
×40-49歳ダミー
失業給付ダミー
×50-59歳ダミー
サンプルサイズ
女性モデル
失業給付ダミー
モデル1
-0.0298
[-1.10]
0.1370
[2.13]**
モデル2
-0.0103
[-0.35]
モデル3
0.0386
[1.35]
モデル4
0.0157
[0.62]
0.0425
[0.81]
-0.1165
[-3.09]***
2010
モデル5
0.0721
[1.00]
0.1184
[0.99]
2010
モデル6
0.0594
[0.83]
2010
モデル7
0.1605
[2.57]**
-0.1037
[-1.74]*
2010
モデル8
0.1432
[2.35]**
0.1534
[1.29]
-0.2424
[-2.31]**
542
モデル9
-0.0513
[-2.05]**
0.1396
[1.84]*
542
モデル10
-0.0294
[-1.02]
542
モデル11
0.0043
[0.15]
失業給付ダミー
×15-29歳ダミー
失業給付ダミー
0.0186
×30-39歳ダミー
[0.35]
失業給付ダミー
-0.0871
×40-49歳ダミー
[-2.43]**
失業給付ダミー
×50-59歳ダミー
サンプルサイズ
1468
1468
1468
* p<0.1, ** p<0.05, *** p<0.01
(注)ダミー変数のレファレンスグループは【】内表示で示している
-0.2276
[-1.73]*
542
モデル12
-0.0167
[-0.69]
-0.0761
[-1.18]
1468
(出典)リクルートワークス研究所「ワーキングパーソン調査 2010」より著者ら作成
20
第4章 政策提言
第1節
分析を踏まえて
第3章では失業給付の受給が非正規労働者の正規雇用への転換に有意に正の効果がある
ことが明らかにされた。この結果は失業給付の受給により、ジョブサーチにかけることの
できる期間や費用が増加し、それによって自らの希望する雇用形態への転換が実現する確
率が上昇していると解釈できる。9従って不本意型非正規労働者への失業給付の適用拡大を
行うことで、彼らの正規化を促進させるという政策が適切と考えられる。
ただ、基本手当の適用拡大といっても、二種類の方法が存在する。第一に、雇用保険の
適用拡大をして、失業給付を受け取ることができる母数を増やすことで基本手当の受給者
を増加させるという方法があり、第二に基本手当の適用要件そのものを拡大することで、
雇用保険に加入はできているが現行の制度下では失業しても失業給付を受給ができていな
い層を受給資格者に新たに取り込み、基本手当の受給者を増加させるという方法がある。
ここで、前者と後者の拡大方法で新たに生まれる失業給付の受給者を比較する。前者は現
行の雇用保険の受給資格が「同一の事業主の適用事業に継続して 31 日以上雇用見込み」
「1 週間の所定労働時間が 20 時間以上であること」であることから、この拡大によって雇
用保険への適用がなされるのは、拡大の方法にもよるが、主に短時間労働者であると考え
られる。一方、後者は雇用保険の加入要件を既に満たしているものの、失業給付の受給資
格を満たしていないために失業給付を受け取れていない者への拡大となる。ここで、本稿
が失業給付の給付拡大を行いたい正規化を希望するものを不本意型非正規労働者と定義
し、どちらの方法での拡大がより適切であるかを検討する。不本意型非正規労働者の属性
を扱った論文としては永瀬(1997)がある。この論文によれば、不本意型非正規労働者は本
意型非正規労働者と比べ、長時間労働者に多いとしている。このことを考慮すると、雇用
保険の受給資格の拡大よりも失業給付の受給資格の拡大の方が不本意型非正規労働者への
失業給付の適用拡大という観点からみれば、適切であるといえるだろう。そのため、本稿
では失業手当の受給資格の緩和を提言する。
第2節
基本手当の受給資格の検討
現行の基本手当の受給要件は、一般被保険者については以下の2つの要件を満たせば受
給可能となる。①ハローワークに来所し、求職の申込みを行い、就職しようとする積極的
な意思があり、いつでも就職できる能力があるにもかかわらず、本人やハローワークの努
力によっても、職業に就くことができない「失業の状態」にあること。②離職の日以前 2
9
OECD の’’Employment Outlook”の 2007 年版によると失業給付の削減をすれば、失業者は十分にマッ
チングした仕事をみつけるための時間や資源を制約されるとしている。
21
年間に、被保険者期間が通算して 12 か月以上あること。10である。ただ②の被保険者期間
に関しては、離職理由等によって異なる。倒産・解雇等により再就職の準備をする時間的
余裕なく離職を余儀なくされた受給資格者(特定受給資格者)と特定受給資格者以外の者
であって期間の定めのある労働契約が更新されなかったこと、その他やむを得ない理由に
より離職した者(特定理由離職者)については離職の日以前1年間に被保険者期間が通算
して 6 ヶ月以上あることとしている。
以上の受給要件を踏まえた上で再度政策を検討すると、一般被保険者の基本手当の受給
資格を緩和することは妥当ではないと考えられる。なぜなら、②の要件である被保険者期
間を短縮した場合、失業給付を新たに受給する者には不本意型非正規労働者以外の者が含
まれてしまうからである。そのため、特定受給資格者や特定理由離職者といったカテゴ
リーを新たに設けることで一般被保険者に含まれる不本意型非正規労働者に出来る限り 11
限定して受給資格の緩和をするのが妥当であると考えられる。
第3節
「特定若年離職者」の設置
第1項 政策内容
本稿では前節までを踏まえ、不本意型非正規労働者を主な対象として、基本手当の受給
資格緩和を提言する。そこで本稿では、「30 歳未満の非正規労働者である世帯主」を新た
に「特定若年離職者」として分類し、その対象となる者への基本手当受給資格の緩和を提
言する。具体的な緩和策として、特定受給資格者および特定理由離職者と同様に受給資格
を「離職日以前 1 年間に被保険者期間が通算して 6 ヶ月以上あること」とする。
第2項 政策提言の根拠
まず、「30 歳未満の非正規労働者である世帯主」という制限についてだが、これは不本
意型非正規労働者が 20 歳代に多い(山本 2011)こと、世帯主が不本型非正規労働者の約
半数を占める12 ことから「30 歳未満の非正規労働者である世帯主」という制限を設定し
た。また、第 3 章から 15-29 歳の年齢層すなわち 30 歳未満の年齢層では、他の年齢層と
比較して失業給付の受給が非正規労働者の正規雇用への転換を促す効果が高いということ
が示されたため、この受給資格緩和によって、より効果がある人々への給付拡大が期待で
きる。更に、小杉(2010)で示されたように正規雇用への転換は年齢が若い層で起こりやす
く、年齢が高くなっていくにつれて正規雇用への転換は難しくなっていくため、より若い
層で正規雇用への転換を促進していくことが効果的だと考えられる。
一方、現行の制度では「離職の日以前 2 年間に、被保険者期間が通算して 12 か月以上
あること」という受給資格が設けられていた一般被保険者の中の「30 歳未満の非正規労働
者である世帯主」に対して、特定受給資格者および特定理由離職者と同様の受給要件「離
職日以前 1 年間に被保険者期間が通算して 6 ヶ月以上あること」とし、受給資格の緩和を
提言している。これにより、より多くの若年の不本意型非正規労働者が基本手当を受け取
ることができ、正規雇用への転換を促すことができると考えられる。この政策提言によ
被保険者期間とは雇用保険の被保険者であった期間のうち、賃金支払いの基礎となった日数が 11 日以
上ある月を 1 ヶ月と計算する。厚生労働省(2013)。
11 正規雇用への就職を希望するか否かという意思を客観的な指標を元に判別し、正確に不本意型非正規労
働者のみを抽出するのは困難であると考えられるため。
12 総務省「労働力調査」2013 年より
10
22
り、失業した場合、基本手当を受け取ることのできるようになると考えられる具体的な人
数については第3項で示す。
第3項 政策導入による新たに加わる受給資格者数の概算
この政策を導入することで新たに加わると推定される受給資格者数を推計したい。た
だ、雇用保険被保険者期間についてのデータが不足しているため、ここではこの政策導入
により潜在的に受給資格者になり得る人数の推計をする。まず、「ワーキングパーソン調
査 2010」によれば、15〜29 歳の非正規労働者数に占める 15〜29 歳の世帯主であり、雇
用保険に加入している非正規労働者の割合は 25%となっている13。15〜29 歳の非正規労
働者数が約 408 万人14であることから、この政策提言により受給資格者となり得る者の数
は 408 万×0.25=102 万人と推計できる。ただし、この 102 万人の中にはすでに受給資格
を満たしている者等も含まれているため、この数値は新たに受給資格者に加わると推計さ
れる人数の最大値であると考えられる。
第4節
今後の課題
本稿では、基本手当の受給資格の緩和による不本意型非正規労働者の適用拡大を提言
し、それによって受給資格者に加わると考えられる最大人数を推計した。だが、あくまで
この人数は最大値に過ぎず、正確な推計には至らなかった。この原因としては、雇用保険
の被保険者期間について基本手当受給者以外について公開されているデータが存在しない
ことが挙げられる。ただ、基本手当の受給要件が被保険者期間に基づいて定められている
以上、このデータが存在しないことは、より効果的な政策提言をする上で障害となると考
えられる。また、非正規労働者へのセーフティネットの拡大という観点から雇用保険の適
用拡大の動きが続いているが、実際にその拡大によって非正規労働者が失業時に基本手当
を受給することができている人数が増えているのかといった具体的な政策効果正確に把握
することができない。そのため、今後基本手当を受給していない人々についても雇用形態
別など属性別の被保険者期間を示したデータが収集されることが望まれる。また、同様の
原因で、この政策導入に要する財源を示すことが出来なかったため、今後の課題とする。
データの制約上、「週当たり平均労働時間が 20 時間以上である者」を雇用保険に加入していると仮定
した。
14 総務省「就労構造基本調査」平成 24 年度より
13
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