「利根山光人の世界」展 - 学校法人 東京聖徳学園

特別展覧会
利根山光人没後 10 年
ISO9001
ISO14001
「利根山光人の世界」展
会 期:平成16年7月5日(月)〜10月30日(土)
午前9時〜午後5時
(休館 毎日曜・祝日と学事日程による休業日)
会 場:聖徳大学8号館
クリスタルホール・利根山光人記念ギャラリー
入 場:無料
油 彩
太陽とこども
85.3×111.8cm
1989 年
ご あ い さ つ
創立者川並香順先生は、聖徳太子の「和」を建学の精神とし、すぐれた環境の下で情操教育を進めな
ければならないと絶えず話されていました。昭和39年の聖徳学園短期大学(現、聖徳大学短期大学部)
の新校舎建築に際しても、「校舎は箱を作るだけではなく芸術的な環境が大切である」と説かれました。そ
の考えを受けて、利根山光人先生は新校舎建設にあたり、設計やその他の企画に参画し、芸術的な環境
づくりを目指しました。
こうして学園内には魅力あふれる壁画がいたるところに設置され、その後も引き続き本学園の色彩計
画や緞帳・ステンドグラスの制作などにご協力を頂きました。特に、古代遺跡や古墳の壁画などにも深い
興味と関心を持たれていた先生は、それらをモチーフとした作品を数多く制作しています。1号館の玄関に
制作された初期の作品では「若さ」と題するガラス・モザイクの躍動した壁画が学園の発展に夢と希望を与
えております。その作品数も次第に増加し円熟した芸風で39点にまで達しました。
今年は利根山光人先生(1921-1994)の没後10年に当たります。この機に本学が所蔵している先生の
作品の中から、緞帳の元になった油絵や未公開の秀作品である版画と色鮮やかな油彩の絵画を選び公
開します。この機会に、永遠に生き続ける芸術作品の素晴らしさをご堪能ください。
平成16年7月5日
学校法人東京聖徳学園理事長
聖 徳 大 学 学 長
聖徳大学短期大学部学長
学 園 長
川 並 弘 昭
無
限
油 彩
76.5×127cm
1980 年
この油絵を元に
1980 年
して川並香順記
念講堂の緞帳を
製作し、第6回吉
田五十八賞を受
賞した。
母
子
油 彩
81×93cm
古代の太陽
油 彩
107×133cm
夜も明けやらぬうちに神々は集いたまえり
ここティオティワカンに
油 彩
97.5×72cm
1968 年
自画像
油 彩
122×115.5cm
1993 年
フェスタ
油 彩
128×161cm
1980 年
狂
版 画
気
64×78cm
失
版 画
題
36.3×43.9cm
利根山光人先生年表
1921(大正 10)年( 0 歳) :
1939(昭和 14)年(18 歳) :
1943(昭和 18)年(22 歳) :
1945(昭和 20)年(24 歳) :
1954(昭和 29)年(33 歳) :
1955(昭和 30)年(34 歳) :
1959(昭和 34)年(38 歳) :
1960(昭和 35)年(39 歳) :
1962(昭和 37)年(41 歳) :
1965(昭和 40)年(44 歳) :
1966(昭和 41)年(45 歳) :
1970(昭和 45)年(49 歳) :
1972(昭和 47)年(51 歳) :
1973(昭和 48)年(52 歳) :
1978(昭和 53)年(57 歳) :
1979(昭和 54)年(58 歳) :
1981(昭和 56)年(60 歳) :
1983(昭和 58)年(62 歳) :
1985(昭和 60)年(64 歳) :
1986(昭和 61)年(65 歳) :
1988(昭和 63)年(67 歳) :
1989(平成 1)年(68 歳) :
1990(平成 2)年(69 歳) :
1991(平成 3)年(70 歳) :
1993(平成 5)年(72 歳) :
1994(平成 6)年(72 歳) :
9 月 19 日茨城県結城市に 6 人兄弟の末子と
して生まれる。小学校の頃、蔵の中の古い書
画を見つけて夢中で模写する。
早稲田大学高等師範部国語漢文科に入学する。
早稲田大学高等師範部国語漢文科卒業。静岡の農業学校の教師となる。
1 月栃木県烏山女学校の国語の教師となる。10 月、彌恵子夫人と結婚。烏山女学
校を退職し上京する。
イリゼ・グリリー女史により、ジャパンタイムズなどで画風が取り上げられる。
この頃教員生活から去り、画業に専念する。
メキシコ美術展(東京国立博物館)を見て感動、
「利根山光人石版画集」刊行。
日本版画協会会員になる。5 月から古代遺跡の美を求めてメキシコに渡る。
メキシコの帰途、ヨーロッパ各地、インドを廻る。その間にアルタミラ洞窟、ラ
スコー洞窟などを見学。聖徳学園高等保育科の講師になる。
マヤ文化の拓本採取のため、秘境ボナンパク及びパレンケ遺跡、ユカタン半島の
マヤ遺跡を訪ねる。
聖徳学園短期大学キャンパスの建築にかかわる色彩計画、装飾、壁画を手がける。
聖徳大学 1 号館玄関に聖徳学園壁画第 1 号として、モザイクタイル壁画「若さ」
制作。
聖徳大学 6 号館、陶版壁画「太陽」制作。これより先、聖徳大学、附属学校に次々
と壁画、レリーフを制作。
パレンゲで発見されたマヤの秘法「ヒスイのマスク」の国外出品の特別許可をメ
キシコ大統領より得る。後に日本における最初のマヤ文明展(日本橋三越)
(1972.8.8〜20)を実現する。
メキシコ政府よりアギラ・アステカ・エンコミエンダ章受章。
紺綬褒章受章。朝日新聞連載、松本清張作「火の回路」
(6.16〜1974.10.13)の
挿絵担当。イランに取材旅行。
2 月 5 日NHKの日曜美術館「マヤ遺跡」に出演。
9 月愛媛新聞主催「利根山光人の世界」いよてつそごうで開催。
聖徳学園川並記念講堂の緞帳「無限」が、第 6 回吉田五十八賞受賞(建築美術部
門)
6 月 19 日から 7 月 1 日までスペイン訪問。7 月 15 日から 8 月 3 日までフランス
訪問。11 月 3 日NHKの日曜美術館「私とミロ」に出演。
5.17 活力ある文明批評を内蔵した幅広い造形活動に対して、第 17 回日本芸術大
賞受賞。7 月から 10 月にかけて、メキシコ、インド訪問。
インド訪問。5 月、メキシコ政府より最高文化勲章アギラ・アステカ・プラーカ
章受章。7 月 26 日NHKの日曜美術館「ミロ〜記号が紡ぐ夢〜」に出演。
インド、メキシコ訪問。11 月 26 日NHKの日曜美術館「古代の美と造形〜日本
の考古学展から〜」に出演。
「第 3 回住まいの絵画コンテスト」
(朝日新聞社主催)の審査委員長を務める。
11 月 19 日NHKの日曜美術館「よみがえるアンデス文明〜国立民族学博物館大
アンデス文明展から〜」に出演。
1 月中国訪問。5 月スペイン訪問。
5 月 21 日NHKの日曜美術館「桂ゆき〜ユーモアと風刺の精神〜」に出演。9
月ロンドン訪問。
NHKの日曜美術館「現代の壁画を読む」に出演。
病床にありながら、聖徳大学クリスタルホールに制作する壁画のスケッチにとり
かかる。4 月 14 日心不全のため逝去。享年 72 歳。
発行 聖徳大学川並記念図書館 Tel.047-365-1111(大代)