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国際交流ニュースの発刊に寄せて フルブライト・教育者

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創
刊
環
号
(1)2001年7月23日発行
目
宮城教育大学
国際交流ニュース
創
刊
号
次
◆フルブライト・教育者団の本学訪問
◆ひと・もの・ことに出会う喜びを!
◆特集Ⅰ
アメリカ研究 〜 チャータースクールとは何か 〜
◆特集Ⅱ
マカレスター大学
〜 姉妹校 その一 〜
◆留学して未来を拓け
2 0 0 1 年 7 月
◆特別寄稿
留学生教育に関わって
国際交流ニュースの発刊に寄せて
学
国際交流委員会の広報誌の発刊にあたり、ご挨拶申
し上げます。
本学は、教員養成を主目的とする単科大学ですが、国
際交流という大きな事業については、これまでのとこ
ろよくやってきたと思っています。公式の姉妹校とし
て提携している大学は5大学あり、相手国はアメリカ合
衆国、コロンビア、英国、オーストラリア、中国となりま
す。現在、韓国の教育大学との提携も進めようとして
いるところです。もちろん、この他に個々の教職員や
学生が、研究、留学、語学研修などで連携している大学
はたくさんあります。学長としても外国からの訪問者
を応接する機会はかなり頻繁です。
現代社会において国際交流が重要であり、国民の誰も
が国際的視野をもたなければならないことは言うまで
もありません。それは各個人の利害からのことではな
く、国の進路に関わることとしても言えると思います。
過去の大戦に至った経緯にはさまざまな要素がからん
フルブライト・教育者団の本学訪問
副学長
吾妻
一興
アメリカの初等中等教育教員19名が6月25日午後1時
から4時にかけて本学を訪問しました。今回のフルブラ
イト・メモリアル基金教員プログラムにより来日した
アメリカ教育関係者200名のうち、宮城県気仙沼市に訪
問滞在する一行でした。
本学訪問は、3時間と限られたものでしたが、授業見
学や本学関係者との懇談会をもち、時間ぎりぎりまで
友好的な交流が行われました。
授業見学は、「わらべうたあそび」の意義をあそびの
なかで体験・理解する授業の体育B(佐藤(雅)教授)
と芭蕉の「奥の細道」の句を素材に、かなの美を再現
する授業の書道B(加藤教授)を参観して頂きました
が、授業の中にすぐに溶けこんで学生たちと一緒に授
業に参加し、本学学生たちにとっても楽しい有意義な
交流になったと思っています。両授業とも、当日の授
業の趣旨・概要の英訳を準備したことも好評だったと
思います。
引き続いての懇談会では、通訳の終わるのが待ちき
れないように次々と質問の矢が放たれました。話題は、
日米の教員免許制度、教育実習、新学習指導要領、学
校行政などの教育制度の問題は勿論、ホームレスなど
の社会現象から本学の大学改革に対する取り組み方ま
で極めて幅広いもので、その好奇心と知識欲に受け答
長
横 須 賀
薫
でいるとしても、その一つに国民の国際感覚の欠如を
挙げることもあながち的はずれではないでしょう。教
員養成の仕事は、主に義務教育学校の教師を養成し、学
校現場に送り出すことを通して、国民の社会意識の形成
に寄与するものです。その意味で、未来の教師たちの
国際感覚を養うことの重要性を、この仕事にあたって
思わざるをえません。
そのためには本学がこれまで積みあげてきた国際交
流の実績を学内、学外に広く知ってもらう活動、いわゆ
る広報活動をもっと積極的に進めなければなりません。
交流のこまごました内容、人と人との交際の襞までが届
くのでなければ、国際交流の実績とは言えないと思い、
この点での立ち遅れを強く反省しています。
このニュースはささやかなものですが、本学の国際
交流に関わる人々の輪を学内、学外に広げる役目を背負
って出発します。ご期待下さい。
えをする本学関係
者もたじたじの態
でした。次の滞在
地の気仙沼市では、
面瀬小、面瀬中、
気仙沼西高を訪れ
る予定となってお
り、そのハードス
ケジュールの最中
での本学訪問を終
え、あいにくの雨
の中、別れを惜し
芭蕉の俳句を毛筆で書写する
むかのように本学
アメリカの教師たち
を後にしました。
今年4月、国際交流委員会が改組になったこともあり、
今回のような訪問も、単なる儀礼的な応対ではなく、本学
の国際交流の一貫として積極的に位置づけようと委員
会としては意欲的に取り組みました。終えてみると、来
年以降も予想される同様の受け入れ体制にいろいろと
検討を要することがなかったとはいえません。しかし、
国際交流委員会としては、今回のような外国教育者等の
訪問の機会をも含めて、それが本学の学生に対する国際
理解教育にどのように位置付けられるかを今後の課題
として検討したいと考えています。
(本学教授 解析学)
※フルブライト・メモリアル基金による米国人教員受け入れは、文部科学省が経費を拠出し
日米教育委員会が平成9年度から実施している事業である。米国の初等中等教育教員等を200
人ずつ年3回、3週間の日程で日本に招聘し、学校、文化・社会教育施設等の視察及び日本人
教員との交流を行う。その内10日間程度は県市町村の教育委員会の協力で地方都市及び国立
大学を訪問し、教育現場やそれを取り巻く地域社会や日本文化等の理解を増進する。
環
(2)2001年7月23日発行
・・
論説
・・
創
刊
号
・・
ひと・もの・ことに出会う喜びを!
〜教員養成教育と国際交流〜
〈教育課程の改革とその帰結〉
本郷
隆盛
まらず、教育の職に携わる者が具備すべき2、3の要件
について考えてみたい。
日本の学校教育が現在大きな危機の中にあることは
誰の目にも明らかである。学校内におけるいじめ、不
登校、校内暴力、学級崩壊は、いまや学校外における 〈教育者の具えるべき要件とは何か〉
一般的にいえば、教育者が具備すべき要件は、一つ
弱者に対する殺人、バスジャック、親父狩り、引った
は、教育の本来性に対する理解、すなわち子供の精神
くりなど若年層による凶悪な社会的事件を続発させて
的・肉体的発達に応じて子供を教えることができる能
いる。
力であり、これらは教育学や教育心理学を通して学ぶ
このような憂うべき学校の状況を眼前にして、政
府・文部科学省も決して手を拱いていたわけではない。 べき能力である。二つは人文・社会・自然等に関する
基礎的学力の上に、それぞれの教えるべき教科に関す
来年4月から施行される予定の学校週5日制、学習内
る専門的知識を有し、それを教えることのできる実践
容の30%削減は、これまでの学校教育が子供たちの個
的な能力を有することであり、これらはいわゆる教科
性や能力差を考えずに、一律に同一内容を教える詰め
専門とか、教科教育法といわれるものである。
込み教育であったとの反省に立って、これからは「ゆ
旧来、教師たるべきものが具備すべき要件は、主と
とり」を与え、子供自身がそれぞれの個性に即して
してこの二本の柱であったが、最近はそれにもう一つ
「生きる力」を身に付けさせようとするもので、その意
の柱が加わった。それは、現代社会の変化に対応する
図は評価できるものである。
新しい教養教育の必要性である。具体的には、激しく
だが、旧来の40人学級をそのままにして、果たして
「ゆとり」ある教育ができるものだろうか。「ゆとり」 変化する生活環境や社会環境、地球環境など、環境に
対する関心、情報革命といわれるようにより多くの情
というならば、まず第一に子供と直接接触する教師自
報をすばやくキャッチし、交換するための情報機器の
身に「ゆとり」を与えるべきであろう。数日前のアメ
操作能力の習得、あるいはまた、少子・高齢化社会の
リカの教育者団の本学訪問に際して、私は現在の日本
到来に伴う福祉や介護体験の必要性などがそれである。
の教育が多くの困難を抱えつつも、容易に40人学級が
一般に学校の先生になろうとする学生たちが大学で
改善されないこと、それのみならず、いまや国立大学
身に付けるべき能力は、概説すれば以上のようなもの
の再編・統合=縮小化をめざし、より一層の教育改革
である。
を意図していることを説明しつつ、ひどく恥ずかしい
だが現在は、それだけでは不十分である。日本の学
思いを禁じえなかった。欧米先進国では、いずれも一
校制度の中でそれなりに勉強もよくできた優秀なはず
クラスの生徒数は15〜20人程度であり、国の高等教育
費負担も、日本はきわめて低い。
(GDP比で独は2%、 の学生が大学で4年間学び、それなりの能力を身に付
けたはずなのに、教育現場では、教師の手に余る問題
英1.8%、米1.4%、仏1.1%に対して日本は
が続発していることは、周知の事実である。このよう
0.9%)どこが「経済大国」なのかという情けない数
な現実に対応するために、いまや、学校はそれ自体が
字である。
いわば 一種の病院 であるとの考えから、現在は、
このような教師と子供との基本的な関係の改革抜き
教師たちが抱えている切実な子供の問題に対応するた
の「ゆとり」教育は、改革の意図とは反対に、個性
めの臨床的な能力を身に付けることが必要とされてい
化・自由化の名をかりた多様性の容認、すなわち一方
での全体的な学力の低下と、他方で
のできる子、できない子への両極分
化をきわめて早い段階から加速させ
ることになろう。すなわち学力形成
における学校の役割の低下は、他方
での学習塾の役割を相対的に押し上
げると同時に、親の教育力や経済力
の有無が子供の二極分化に大きな影
響を与えることになろう。
だが、私のいいたいのはそのこと
ではない。いかなる制度改革が行わ
れようとも教育の担い手は教師自身
であり、教師の教育力こそが、教育
の質を決定する重要な要素であると
すれば、社会的に教員養成に責任を
持つべき教育大学に籍をおき、教員
養成に日々関わる者としては、現在
のような学校の解体状況にどのよう
に対処するかは他人事ではありえな
「わらべうた」の授業で、学生たちの説明をうけ、また問い直すアメリカの教師たち
い。ここでは狭義の学校教員にとど
創
刊
環
号
2001年7月23日発行(3)
る。それに対応するために作られたのが、
現職教員のための大学院である。
だが、私は教育者たらんとするものにと
って、もう一つ重要な要素があると思う。
・ ・
・ ・
・ ・
それはことやもの、あるいはひとと関わる
能力である。
・ ・
・ ・
・ ・
〈こと、もの、あるいはひとと関わる力〉
いま日本の社会は、自分の身の回り以外
のことにはほとんど関心がない若者が少な
くないと聞く。いわゆるミーイズムである。
場所を全く弁えない携帯電話、電車・バス
の中での化粧直し、傍若無人なおしゃべり
など枚挙にいとまがない。そして一言注意
されるとたちまちキレてしまい人を殺す!!
だが、このような行為の背後にあるのは、
他人を顧みないだけではなく、自分のこと
日本語で自己紹介するアメリカの教師たち。その表情は明るく、輝いていた。
すらまともに考えようとはしない態度なの
ではないか。
との関係で日本の過去と向き合う必要があることを改
カエルは生まれたときからカエルであるが、生まれ
めて痛感させられた。
たばかりの赤ん坊はヒトではあってもいまだ人間では
ない。道具やものは、それ自体特定の目的・使用に供
される一定の有用性を具えたものであり、人間によっ 〈他者と向き合い、自分と向き合う〉
これからの日本は、日本という閉域に自らを封じ込
て意味づけられたものである。
めるのではなく、外に向けて自らを解き放つこと、ア
それに対して人間の生は、それ自体、何物によって
メリカ、西欧、アジア、アフリカ等の国々と真っ正面
も意味づけられてはいない。人間がいつも不安定であ
り、不安を抱えながら生きているのはそのためである。 から向き合う必要がある。それはかつて日本が近隣諸
国を侵略したという過去の罪責に対する贖罪としてだ
それではヒトが人間になるというのはどのようなこと
けではない。人類の未来と世界に対して日本及び日本
であろうか。それは、人間は自分と対話することので
人が、あるいは一人の人間として何をなしうるかとい
きる唯一の動物であるということである。
・ ・
・ ・
う問題である。
自分の外にあるものやさまざまなことに関わり、ま
世界の国々の言葉を学び、その地域文化を知り、
た他者と関わることを通して新たな自分を発見してい
人々と交流しよう。そこには今の日本には失われた人
くこと、人間が人間として生きるとは、そのようなこ
間の原点がある。自然との共生、そして人と人との素
となのではないか。
朴な出会いが……。
私がこの10余年間で楽しかったことの一つは、日本
最近、文部科学省は、日本の対外援助団体の中核組
というこの国の外に出てこの国の中では見ることので
織であるJICAの要請を受けて、教員の青年海外協力隊
きない異なる文化や異なる生活様式を営む人々との出
への参加や、開発途上国への教員派遣を積極的に進め
会いであった。
ることを決定し、教員養成大学に対し、それへの協力
15、6年前、初めての韓国旅行で農村をバスで走り抜
を要請してきている。
けつつ、キリスト教の教会や十字架が林立する風景に
宮城教育大学では、過日、国際交流を大学の研究・
びっくりしたし、シンガポールでは、多くの異なる民
教育の重要な一環とすることを決定したが、多くの留
族が居住地域を隣り合わせにして平和的に生活してい
学生や研修生を受け入れ、他方でより一層多くの学生
た。インドネシアのスラウェシ島では海底10mの神秘
たちを海外に送り出し、新しい生活体験の機会を与え
が肉眼で見透かせるのに一驚したし、ジャカルタの村
ることはこれからの課題である。人に何かを教えよう
では朝4時に拡声器から流れるイスラムのお祈りで目を
醒まされた。その日は翌朝に備えて早く寝たところ、 とする者は、まずもって自ら学び続ける態度をもつこ
とが肝要である。
翌日の朝は拡声器の声が全く聞こえない。どうしたの
私たちが、今回「国際交流ニュース」を発行しよう
だろうといぶかしく思い聞いてみると、その日は停電
と決意したのは、これからの教育者は、単に大学のな
で拡声器が使えなかったとのことであった。中国では
かで、前記のような教師の三つの要件を学だけではな
万里の長城や故宮の大きさに圧倒されつつ、初めて
・ ・
く、日本の外に出て、異質な文化やことにふれ、異質
「天の思想」を身体的に理解した。2年前、中国に半年
な他者と出会うことを通して、新しい自分と出会う経
近く滞在した際には、小渕首相の北京訪問の翌日の新
験をもつことが、教師となる上で必ずやプラスになる
聞「DAIRY CHINA」に南京虐殺で、日本兵が片手に日
ことを確信するからにほかならない。
本刀を持ち、片手に中国人の頭部を手に持って微笑ん
国際交流とは、人が慣れ親しんだ日常性から自らを
でいる写真が掲載されているのを見て、私は一瞬言葉
・ ・
・ ・
解き放ち、新たなことやひとと出会うことを通して、
を失い、その日は一日中言葉を発することができなか
いまだ見ぬ新しい自己と出会うこと、自己を新しく発
った。中国に行く直前に訪れた韓国のソウル大学での
見することであると私は思う。
国際シンポジウムでは、日本人と同席することすら嫌
(本学教授 日本思想史)
だと感情をむき出しにした大学教授と3日間、時間と空
間を共にした。
われわれが現代の日本と向き合うためには、アジア
環
(4)2001年7月23日発行
特集Ⅰ
創
刊
号
チャータースクールとは何か?
アメリカ研究−①
〜アメリカの教育事情〜
霞ヶ関をはじめ、日本各地におけるチャータースク
ールへのまなざしは熱い。チャータースクールも視野
にいれた公募式研究指定校制が昨年より開始され、首
相の諮問機関としてたちあげられた教育改革国民会議
は、その審議過程において、アメリカのチャータース
クール(以下CS)を参照とした「コミュニティー・スク
ール」を提案した。神奈川や兵庫、広島をはじめ、幾
つかの地域ではチャータースクールの具体化に関する
動きもみられた。
では、一体、アメリカのチャータースクールとは何
なのか、なぜ、アメリカはチャータースクールによっ
て教育改革を行おうとしたのか、それはどのような成
果をあげているのか、についてみてみよう。
〈1.CS制のしくみ〉
本図
愛実
支払う、すなわち、生徒一人あたりの年間標準教育費
の合計額である。追加授業料の徴収や学校債の発行な
どは禁止されている。標準教育費の額は、州法等によ
って規定されており、標準教育費を満たすことのでき
ない貧困な学区に対する補助の根拠として使用されて
いる。各CSは、標準教育費の額を増やすためには多く
の生徒を集めなければならない。ただし、学校に対す
る生徒や親の評価は、学校に通学するという行動によ
って示される単純なものである。その行動に対する解
釈は、CSを作る教師集団が、教育の専門家として行え
ばよい。
CSの経営にとって、さらに重要であるのは、提供す
る教育が地域社会に認められ、その支援を得ることで
ある。地域社会からの物的人的支援はCSの経営に欠か
せない。実際のところ、多くのCSの経営は、公的資金
だけでは難しく、寄付や校舎となるスペースの提供の
他、有償無償のボランティアによって成り立っている。
地域社会のCSに対する評価が、支援獲得の有無によっ
て示されることになる。
CSとは何かを考える際、それが学校選択制のオプシ
ョンの一つであることをみのがすことはできない。つ
まり、CSというより、CS制と理解する方がより正確で
あり、それは、「教師の専門性に基づく自由な学校経営
を主体とした学校認可更新式の公立学校を、学習者が
居住地に関係なく選択できる制度」と定義できる。具 〈2.CS制成立の背景とその成果〉
体的な制度運営は、州や学区(州の下位に位置する行
CS制成立の主な理由の一つには、80年代から90年代
政組織、日本の学区とは意味が異なる)によって差異
にかけての国家をあげての教育改革の時代に、「学校の
があるが、CS制が、アメリカの公教育に新風をまきお
再構築」が議論され、なかでも「教育の官僚制」が問
こすという期待を
題視されたことが
背負って誕生した、
ある。「教育の官僚
新たな学校制度で
制」とは、学校を
あることにかわり
とりまく規制や規
はない。
則により、学校組
CS制が新たな学
織が官僚制化し、
校制度である最大
個々の学習者の要
の理由は、行政、
求に応ずるという
教師集団、学習者、
教育的かつ弾力的
地域社会の関係性
な対応ができない
が、教師集団を中
状態をいう。
心としながら、大
具体的にいうな
きく変わることに
らば、学区と教職
ある。それは以下
員組合との間で結
のような仕組みに
ばれる団体交渉協
よってもたらされ
約から、アメリカ
る。
の学校現場は数多
まず、各CSを構
くの規制に拘束さ
成する教師集団は、
れている。たとえ
学校認可を与えら
ば、8時間労働制の
カリフォルニア州のアクセラレイティッド・チャータースクール。同校では、ヨガが必修
科目の一つとなっている。
れている一定期間に
適用は驚くほど厳格
達成すべき教育結果
であり、教師は学校
について、認可を行う行政主体と「契約」をかわす。 にいることのできる8時間のなかで授業ほかの仕事を終
えねばならない。地域との懇談会の回数が一律にきめ
「契約」は結果についてだけで、教育方法、教材、スタ
られている学区もある。教職員組合がそのような規制
ッフ等については、全て各CSが独自に行う。「契約」が
履行されたと行政が判断すれば、認可は更新されるし、 と官僚制化の主体となっているのは、アメリカの教師
が、いわゆる日本のような公務員としての保障を受け
そうでなければ閉校となる。
ることができなかったからである。しかし、団体交渉
「契約」期間中、行政からの管理は最小限になるも
協約による教師の集団的な身分保障は、教育現場を硬
のの、その間、各CSは、学習者である生徒や親の評価
直化させることにもなってきた。そこで「教育の官僚
をうける。各CSの主な財源は、行政が生徒の人数分を
創
刊
環
号
2001年7月23日発行(5)
制定して以来、CSの数は年々増加してきた。さらに、
CSの大半は、100人以下の小規模校であり、教師が生徒
一人一人と深く関わっていくことのできる環境は、「危
機的状態にある子どもたち」の教育に、テストの点数
はともかくも、よい効果をもたらすものであることは
想像に難くない。全米初のCS、シティ・アカデミーを
はじめ、筆者の訪問を受け入れてくれた、ミネソタ州
やカリフォルニア州のCSでは、「危機的状態にある子ど
もたち」や貧困地域の子どもたちの教育に、それぞれ
の先生がいきいきと取り組まれている様子をみること
ができた。インタビューしたどの先生も「通常の公立
学校ではできないことがここではできる」と答えてく
ださったことも印象的であった。
〈3.日本への示唆〉
全米初のCS、シティ・アカデミー。
「危機的状態にある子どもたち」を対象に、
地域の公民館を校舎として教育活動を行っている。
制」のはからずも主要な構成員となってきた教師を中
心に、行政、学習者、地域社会の関係性を新しいもの
にし、「学校の再構築」をはかることが目指されたので
ある。
しかしながら、CS制は、アメリカの公教育の刷新に
目を見張るような成果をあげているわけではない。そ
もそも、連邦教育省が公的に示しているCSの規模は、
CS法制定州36州、学校総数1484校にすぎない(1999年9
月現在)。割合でいえば、CSの数は全公立学校のわずか
2%にもみたないのである。これまでの開校総数のう
ち4%にあたる57校が財政難を理由に閉校に追い込ま
れている。加えて、アメリカでは、教育改革の成果は
生徒の学力テストの点数によって測られる。それにお
いても、もともと「危機的状態にある子どもたち」を
対象とするCSが多いため、CSによってテストの点数が
大幅に上昇したとはいいがたい状態にある。
とはいえ、CS制による教育改革が失敗に終っている
わけではない。1991年にミネソタ州が全米初のCS法を
いうまでもなく、アメリカのCS制をそのまま日本の
教育制度に導入することはできない。冒頭でも述べた
通り、CS制は学校選択制の一形態であり、学校選択制
の形成には、アメリカにおいてさえ、50年の月日を要
している。換言すれば、CS制は、学校選択制の形成過
程における試行や議論の上に成立しているのであり、
そこには、50年にわたる教育改革の技法や仕組みが埋
め込まれている。CS制の見た目の仕組みのみに囚われ
るのではなく、アメリカの教育改革におけるCS制の意
味をどのように捉え、CS制に組み込まれているどの部
分に焦点をあて、日本の教育改革に活かしていくかを
議論していく必要がある。
管見では、先に述べた、行政、教師集団、学習者、
地域社会の関係性の再構築をCS制のエッセンスと捉え、
日本の教育制度改革に活かそうとするならば、大々的
な変更を加えなくとも、現行の諸施策の微調整によっ
て、かなりの部分を実現することができるのではない
かと考える。
(本学講師 教育行政学)
※本稿は、拙稿「『チャータースクール』と『コミュニティースクール』」
(CS研レポートVol.43、啓林館、2001年)を加筆・修正したものである。
国際事情セミナー開催のご案内
中国の東北師範大学から現在、宮城教育大学研究員として来日中の張明先生をお招きして、下記の日程
で「国際事情セミナー」(第9回)を開催します。
張明先生は教育心理・特殊教育がご専門で、このたび東北師範大学に附設されることになった国家レベ
ルの研究所「特殊教育研究所」の開設をめざして、鋭意準備中です。
現代中国の特殊教育はどうなっているのか、その現状と課題について具体的にお話いただく予定です。
お暑い中ですが、貴重な機会ですので是非ご参加くださいますようご案内いたします。
題目 : 現代中国の特殊教育 〜その現状と課題〜
日
場
時:7月24日
(火) 16:30〜
講
所:宮城教育大学226教室(2号館2階)
宮城教育大学国際交流委員会
師:張
明 先生
1959年生れ。中国・東北師範大学教育科学学院・副院長
東北師範大学心理学系・副教授
宮城教育大学研究員(指導教官・山県系浩教授)
宮城教育大学留学生委員会
環
(6)2001年7月23日発行
特集Ⅰ
アメリカ研究−②
創
刊
号
アメリカのアート・センター探訪
〜現代芸術の創造機関と地域社会〜
〈コレクションを持たない美術館〉
アメリカはミュージアム大国と言われる。メトロポ
リタン美術館やボストン美術館などの大美術館が19世
紀半ばから多数誕生した一方で、20世紀後半には老舗
の向こうを張るように、現代アーティストの実験を支
援するアート・センターが各地で創設されてきた。大
美術館では富豪の経済力を象徴する名品コレクション
の豊かさに目を奪われるが、一方のアート・センター
では、草の根パワーの活力を肌で感じる。それは一種
の対抗文化であり、その場はオールタナティヴ・ミュ
ージアムとも呼ばれる。
筆者は、1999年から2000年にかけて文部省在外研究
員として、スミソニアン博物館を拠点にアメリカの美
術館建築史を調査する機会を得た。滞米中、大美術館
にはない魅力に惹かれてアート・センターをいくつか
探訪した。ワシントンD.C.の隣町、ヴァージニア州ア
レキサンドリア市のトーピドー・ファクトリー・アー
ト・センター(Torpedo Factory=魚雷工場)もそのひ
とつ。ここを例にアート・センターと地域社会との結
びつきの一端を紹介してみたい。
「コレクションを持たない美術館」であるアート・
センターにはいくつかの共通点がある。第一に、古い
学校、工場などの地域資源を有効に活用していること。
裕福な大美術館と違ってアート・センターには建物に
お金をかける余裕はない。廃屋ならば実験的表現のた
めに惜しげもなく改造できるメリットもある。第二は、
芸術家に創造の場を提供するアーティスト・イン・レ
ジデンス事業により芸術における「研究開発(R&D)」
の拠点になっていること。第三には、教育事業や観光
サービスで地域への文化的、経済的波及効果を生むこ
とがあげられる。
トーピドー・ファクトリーもこうした特徴をすべて
備えたアート・センターである。ポトマック河畔の再
開発地区にあるここの建物は、連邦政府が1918年に建
設した魚雷工場
を再利用したも
の(図1)。その
最大の特徴は展
示ギャラリーと
制作スタジオ、
そしてアーティ
ストの作品の直
売店舗を一体化
新田
秀樹
している点にあ
る(図2)。80以
上の販売テナン
トがあるが、営
業活動はセンタ
ーに賃貸料を支
払うアーティス
トが個人または
共同で行ってい
図2
る。非営利機関
(NPO)の営利事業の成功例として全米のモデルになっ
ているという。
〈非営利機関の役割〉
アーティスト・イン・レジデンスが運営の柱で、絵
画、版画、写真、ガラス・金属工芸、宝飾品など多分
野のアーティスト約160人が自主組織をもっている。公
募の競争率は約10倍、選ばれたアーティストは低額の
賃料でスタジオと店舗を使用できるが、地域貢献のた
めに制作スタジオを一般来館者に年間1248時間は公開
する取り決めになっている。観衆はアーティストたち
と気軽に交流できるし、作品が気に入れば購入もでき
る。センターには考古学博物館や美術学校も同居して
おり、カルチャー・センターの役目も果たしている。
このファクトリーはアート・センターとしては並外
れた集客実績をもち、地域への大きな経済的波及効果
を生んでいることが指摘されている。ジョージ・ワシ
ントン大学の国際観光研究所が1994年に出した調査報
告書によれば、1994年の入館者は82万人、そのうち68
万人が旅行者。この68万人が、5,500万ドル(1ドル120
円換算で約66億円)をホテル、レストラン、レンタカ
ーなどの地元サービス産業に、230万ドル(2億8000万
円)をアート・センター自体に落としている。市の税
収も180万ドル(約2億2000万円)にのぼるという。地
域への波及効果から見れば、メトロポリタン美術館の
ように観光客の大群を引き寄せる著名美術館のほうが
はるかに大きいであろうが、鑑賞人口の少ない現代ア
ートでも工夫しだいというわけだ。
非営利の文化が精神面で地域のプライドを高め、街
づくりにも役立つ。この命題が、大美術館にも対抗型
の文化機関にも共通するテーマであることが、アメリ
カ文化の底力となっているように思われるのだ。
(本学教授 美術史)
図1
ニュースレターの名称は「環」!
「環」は「輪」であり「めぐる」「かこむ」
の意味。「環球」は地球、世界の謂であり、
「環座」は車座を意味し、多くの人が丸くすわ
ることである。
国際交流とは、人と人とが交流することであり、人と人とが交
流することによって、そこにはじめて公共的な空間が生まれる。
人と人とが出会うことはそれまで見知らぬ他人同士が、互いに認
め合うことであり、互いに認め合うことによって、共存・共生が
はかられる。
人と人とが出会い、互いに輪となり、関わりあって生きる世界、
それが私たちのめざす世界である。人はことにふれ、他者と出会
うことによって、生きる喜びを感じるのではないか。本誌の名称
を「環」としたのはそんな思いをこめてである。
(本誌編集委員会委員長 本郷 隆盛)
創
刊
環
号
特集Ⅱ
マカレスター大学
マカレスター大学
マカレスター大学と宮城教育大学の交流
武元 英夫
宮城教育大学がアメリカ合衆国ミネソタ州セントポール市
のマカレスター大学と提携して、相互の学生や教員の交流の
プログラムを発足させてから、今年で28年になる。この間、
宮城教育大学からマカレスター大学に留学生として勉学をし
てきた学生は50名近くになり、研究生、聴講生、大学院生と
して宮城教育大学に在籍したマカレスター大学学生、卒業生
は50名を越えるにまでなった。また、日本語教師、在外研究
員、大学間共同研究者として宮城教育大学からマカレスター
大学に訪問し滞在した教員は50名近く、マカレスター大学か
ら宮城教育大学を訪問し滞在した教員は30名にのぼる人数と
なっている。このようにマカレスター大学と宮城教育大学と
の国際親善と交流が盛んに行われてきた。本年4月、この28年
の間において宮城教育大学からマカレスター大学への留学生
に対して公私にわたってご助言・お世話を頂いたマカレスタ
ー大学の日本語学科の講師であった愛子・フイッシャー先生
への感謝の会が、宮城教育大学からマカレスター大学への留
学生であった人たち、在日のマカレスター大学から宮城教育
大学への留学生だった方々、また、マカレスター大学に滞在
した教員たち約50名が参加して、開催された。懐かしい留学
時代の話、滞在中の研究成果等の話で両大学の交流の深さに
感激させられた。
何故、宮城教育大学がマカレスター大学とこのような密接
な提携を結び、学生の交流や教員間の盛んな交流が行われる
ようになったのか、先輩の先生方が残していった記録をもと
「決して忘れない経験」
〜私のアメリカ留学〜
河北新報社学芸部
遠藤
直子
長い時間がたっても、まるでついこの間のこ
とのように思い出せる。楽しいことばかりではなく、苦しか
ったことも含めて。ぱあっと目の前が開けるようなうれしい
感じ、それから、胸の痛みも一緒に。それが、私のアメリカ
での留学体験です。何年分もの、密度の高い一年間を過ごし
ました。それは、今の私をかたちづくった一部になっている
と感じています。
1990─91年の約1年間、ミネソタ州・セントポールのマカレ
スター大学に交換留学生として在籍しました。母校では小学
校課程(英語教育専攻)でしたので、マカレスター大では関
連のある英文学の授業に加え、日本では受けられない授業を
と思い女性学やスペイン語、文化人類学を受講しました。ま
た、留学生のための英語のクラスも通年で受講。中間学期に
はイギリスで演劇を見るクラスに参加し、他大学の学生と一
緒に観劇三昧の日々を過ごしたのが素晴らしい体験です。
生活環境が一変したので、慣れるまでには時間がかかりま
した。暮らしのすべてがキャンパス内にあり、寮や食堂、教
室、図書館を行ったり来たりの毎日でした。平日は宿題に追
われ、金曜日は学内で映画を見たり、飲んで騒いだりして土
曜日にひと休み。日曜日の昼頃からまた宿題にとりかかると
いう繰り返しが学期中続きます。授業は大抵午前中で、午後
からは毎日2時間ほど日本語クラスのアルバイトをしました。
2001年7月23日発行(7)
〜 姉妹校 その一 〜
に述べたいと思う。この強い両大学の連携は、宮城教育大学
の学長であった林竹二氏とマカレスター大学の東洋史の教授
であったジェリー・K・フイッシャー氏との師弟関係に端を
発するものであった。フイッシャー氏がフルブライト奨学金
により当時東北大学の教授であった林先生のもとで学び、林
先生が学長であった時代の1973年にフイッシャー教授が客員
教授として宮城教育大学に滞在している間に、宮城教育大学
とマカレスター大学との交流関係の計画が宮城教育大学で検
討、話し合いが重ねられ、1974年12月20日付、林竹二学長か
らマカレスター大学長宛に書簡が送られ、その書簡を受けて
同年12月31日付で宮城教育大学との姉妹校提携案の賛同の返
書があったことで交流が出発した。両大学間での交流の道が
開かれ、折りしも当時、文部省(現在の文部科学省)による
教員養成大学学部学生海外派遣制度の発足により、マカレス
ター大学の受け入れ体制が万全であるということでマカレス
ター大学に宮城教育大学から2名の留学生が送り出された。こ
の制度による学生の交換、教員の派遣等による交流が相互に
行われたという経過を経て、1989年2月15日に宮城教育大学菅
野正学長とマカレスター大学ロバート・R・ギャヴィン学長
は、両大学間の学術交流に関する協定文書に署名し、姉妹校
提携が結ばれた。
はじめにも述べたように多くの留学生・教員の交流がマカ
レスター大学と宮城教育大学との間に行われてきた。互いに
学び、得たもの与えたものが両大学の発展の糧となったと思
うが、今後さらに、充実した両大学間の交流が期待される。
(本学教授 解析学)
当時、母校に送ったレポートを読み返すと「大学生活は非常
にコンパクトで快適」とする一方で「社会と切り離されたよ
うな疎外感」を感じていたのが分かります。仙台を離れたこ
とがなかったので、家族や友人と別れた寂しさもありました。
幸い、大学でホストファミリーを紹介してもらうことができ
たので、週末に訪ねていくなどしてアメリカの温かい家庭生
活に触れたのが社会との接点になりました。
留学の目的の一つに「アメリカの暮らしを知りたい」とい
うことがあり、ホストファミリーとのお付き合い、旅行を通
じてたくさんの人に出会い、それぞれの価値観に触れられた
のがかけがえのない体験です。「自分の目で見て体験して、確
かめたい」という好奇心がかなえられたことでより広い世界
に目を向けるきっかけになり、今の仕事にも間接的に生きて
いると感じます。
留学する時にご挨拶に行ったところ、大学の恩師から「ま
あ、一年間思いっきり遊んで来ることだね」という言葉をい
ただきました。「遊びじゃなくて、勉強に行くのに」と当時は
生真面目にも反発したのですが、時間がたつほどこの言葉が
私の留学について的を得ていると感じるようになりました。
何をしたかももちろん大切ですが、「絶対終わりっこない!」
と悲鳴をあげながらレポートを書くとか、顔では笑いながら
も友人の会話についていけるように全身を耳にするとか、必
死になった思いというのは何年たっても色あせることがあり
ません。過ぎてみれば、あんな経験は二度とないでしょう。
ある意味で、思いっきり 遊んで 来たのだと思います。
(平成6年本学大学院修了)
環
(8)2001年7月23日発行
「ハンバーガーとカレーライス」
カリフォルニア大学・ロスアンジェルス校
助教授
マイケル・ボーダッシュ
1984年10月のある夜遅く、仙台駅に到着した
とき、私は何を予定すべきか、よくわかりませんでし
た。来る前に、マカレスター大学に来ていた日本人の
留学生に仙台のことを聞いたら、東京から来た留学生
は仙台は大田舎だと言います。宮教大から来た留学生
はそれに強く反発し、仙台はとても近代的な、文化的
な町だと主張します。「マクドナルドは二つもある」と
自慢した仙台人の声がまだ記憶に残っています。それ
を聞いたとき、私はさらに心配しました。なぜかとい
うと、我が町にマクドナルドが二店もあると自慢する
人は間違いなく、田舎ものだと判断したからです。
ですから、初めて仙台駅で降りた時、町の中心部に
ロバや牛の群れに出会うんじゃあないかと半分心配し
ていました。新幹線からおりて、改札口で丸山先生と
握手してから、町に出ました。ホッとしました。仙台
はちゃんとした都会だとわかったからです。そして、
東京人の話は必ずしも信頼できるものではないと悟り
ました。
最初の夜は丸山先生のお宅にお邪魔しました。その
ころの先生のお宅には伝統的なお風呂があり、それに
入って旅の疲れを落としたとき、自分につぶやきまし
た。「ああ、これは日本だ」と、とても満足していまし
た。次の日は窮屈な、そして清潔とは言えない男子寮
に移りました。「ああ、これも日本だ」とつぶやきまし
た。最初の何週間かはカルチャーショックに悩まされ
ましたが、ルームメートの本田くん、そして周りの寮
生の親切のおかげで、何とか生活できるようになりま
した。そのころバスケット部にも入り、言葉が要らな
い練習を頼りにしました。
もちろん、日常生活で一番大変なのは、自分の日本
語の不足でした。仙台に来るその年の1月からしか勉
強していませんでした。幾らか文章を作ることができ
ましたが、相手の日本語に対して自分の耳はほとんど
役に立たなかったのです。最初は辛かったです。松本
先生や島森先生の日本語授業があり、先生方や周りに
いた日本人の学生は一生懸命教えようとしてください
ましたが、自分の耳はなかなか日本語が聞き取れるよ
うにはなりませんでした。そのころ、同じ悪夢を何回
か見ました。その夢のなかで、私は宮教大の生協で昼
食をしようとするところで、食堂のおばさんに「カレ
ーライスをください」と言います。しかしおばさんは
どうしても私の言う言葉を理解出来ません。何回も繰
り返して「カレーライスをください」と言っても、通
じません。そしておばさんは他の店員さんを呼んでも、
彼らも私の下手な日本語を理解できません。目覚める
ところでは、食堂にいる人たちは皆私の周りをとり囲
み、だれも私の「カレーライスをください」を理解出
来ないのでした。
それは夢だけで、助かりました。しかし、その夢が
象徴するように、宮教大での留学経験の特徴は、その
時代に学内にいた人のほとんどは日本人だったことで
す。つまり、日本語が出来なければ、飯も喰えない状
態でした。実は、留学生にとって(少なくとも私にと
って)最適な状況でした。どうしても日本語を覚えな
創
刊
号
ければならないからでした。仙台に来てから2、3ヵ
月が経ったとき、ある日とても絶望的なことに気がつ
きました。自分の日本語はほとんど上達していなかっ
たようだったのに、ルームメートの本田くんの英語は
日々見えるように上手になっていたのです。辛い目覚
めでしたが、実は先生方のご指導と親切な寮生やバス
ケットのチームメート、合研の仲間との毎日の生活の
おかげで、自分では気がつかないうちに、毎日私の日
本語能力が少しずつ伸びて来ていました。1985年
1月に東京に行き、私と同時期にマカレスターから日
本に来ていた東京の大学での留学生に会った時、びっ
くりしました。彼らより自分の日本語のほうがずっと
上達していたのでした。彼らは有名な大学で、外国人
の専門的な授業に通っていましたが、まわりにアメリ
カやヨーロッパから来た留学生が多くいたため、毎日
の生活にはほとんど日本語を使う必要がなかったよう
です。そのとき、自分が宮教大でどんなに恵まれてい
たか、よくわかって来ました。
宮教大に来てからの最初の2、3ヵ月は大変でした
が、帰国する前の半年は自分の人生のなかで一番楽し
く、刺激に富む時期になりました。そのころは留学生
が非常に少なかったので、日本人の学生と毎日付き合
うことができました。もちろん、数少ない外国人の一
人でしたから、まわりの学生たちに特別に親切な取り
扱いを受けましたが、合研の活動であれ、日向(康)
先生の日本史ゼミであれ、バスケット部の試合やコン
パであれ、日本人の学生と同じ生活を経験しました。
東京の大学に行った同級生は経験できないことでした。
そういう貴重な経験が出来たからこそ、自分の人生が
まったく予定していなかった方向に変わりました。宮
教大で初めて夏目漱石など、日本近代文学の作品に出
会いましたが、現在私はカリフォルニア大学ロサンゼ
ルス校(UCLA)で近代日本文学を教えています。そし
て、なによりも留学の時に知り合いになった、次の年
マカレスターに留学してきた小倉聡子という宮教大の
卒業生と1988年に結婚し、1991年に長男が、
1995年に長女が生まれました。間違いなく、私の
人生の方向は宮教大で決定されました。そして、自分
だけではなく、マカレスターや宮教大での先輩や後輩
を見ますと、1970年代に林竹二先生やフィッシャ
ー先生が作った姉妹大学関係は多くの人々の人生に深
い意義を与え、独特な経験を可能にしたと思います。
今自分の留学を顧みると、ご親切な方々が目の前に
よみがえってきます。ホストファミリーの柴田さんや
日本語などを教えてくださった先生方、バスケット部
の高木先生とチームメート、MacManus先生、合研の仲
間とチューター、本田くんを始めとする寮生たち、な
どなど。そして、1984年以来、仙台は市内のマク
ドナルドが2店から6、7店ぐらいまでに増えてきた
ようです。それを自慢にする仙台人の声が想像出来ま
す。まだ田舎です。だから好きです。
〔付記〕
マイケル・ボーダッシュ氏
は、昨年4月から今年3月ま
で東北大学に研究員として
在籍し、その間、本学にも
しばしば足を運んだ。
(H記)
創
刊
環
号
2001年7月23日発行(9)
留学して未来を拓け!
〜留学に関するQ&A〜
Q:宮城教育大学から海外留学できるって聞いたんですけど、
どこへでも行けるんですか。
A:宮城教育大学と姉妹校関係を締結している海外の大学が
5つあります。アメリカのマカレスター大学、イギリスのエ
セックス大学、オーストラリアのセントラル・クィーンズラ
ンド大学、中国の東北師範大学、コロンビアのロス・アンデ
ス大学。このうちはじめの4つの大学と現在、留学生交換を
しています。ですからこの4つの大学に宮城教育大学からの
推薦で留学することができます。
Q:行きたい気持ちと、何だか不安な気持ちとあって迷って
いるんですけど、だいじょうぶでしょうか。言葉とか……。
A:それは思い切って行った方がいいでしょう。言葉や生活
の心配は、行ってしまえば何とかなるものですし、そこで得
られるものは日本の小さな大学でおとなしく4年過ごして卒
業するのとは段違いの収穫があるのですから。単に留学先の
大学で学べる知識や語学力だけでなく、外国の友人たちとつ
きあうことによって、ものの見方が広くも深くもなるし、日
本や自分というものを相対化できます。留学から帰ってきた
人たちがみんな人間的にぐんと成長しているのからみても、
それは分かります。自分なりに苦労をしながら乗り切ってき
た、その自信というかバイタリティーというか、それが人間
を大きくさせるんだと思います。それに留学で得られた経験
や語学力は就職活動のときにも、自分の「売り」になるし…。
Q:どうすれば推薦してもらえるんですか。
A:毎年9月に、主に2年生を対象に派遣留学の選考試験をし
ます。実際に行くのは3年になってからですがね。2年生以
外でも特に希望があればその試験を受けるのを認めています。
Q:どんな試験ですか。
A:語学力の試験と留学の意志や目的、計画などを聞く面接
試験を総合して、結果を決めています。
Q:語学力のレベルはどのくらいですか。
A:英語圏の大学の場合、ふつうの授業を受けるわけですか
ら、それぞれの大学でこのくらいの成績が必要という数字が
TOEFLの点数で指定されています(詳しくは宮城教育大学ホ
ームページ「留学希望者への情報」参照)。それを基準にあと
1年努力して届きそうならば、派遣もOKということにしてい
ます。中国の場合は語学研修中心の留学ですから、まずは基
本的なところが分かっていればだいじょうぶです。いずれも
面接のときにちょっとしゃべってもらいます。あとは何をや
りたいかが具体的にはっきりしていて、計画性があるかどう
か。
Q:お金のことが心配なんですが、どのくらいかかるんでか。
A:一年で全部含めてだいたい、中国なら70〜80万、オ
ーストラリアは100万、イギリスは200万、アメリカだ
と授業料が高いので全部で300万ぐらいだと考えて下さい。
中国とオーストラリアは大学どうしが授業料を相互に免除す
宮城教育大学留学生委員会
る規定を作っているので、安くて済むわけです。物価も安い
けど。
Q:ええっ、アメリカやイギリスはそんなにかかるんですか。
アメリカに行きたかったのに。
A:たしかに高いといえば高いけれど、同じ大学生活を留学
なしで過ごすのと、1年留学するのとでは全然違いますから
ね、あなたの長い一生を考えたら、無理をしてでも投資した
方が、絶対、得だと思うけどなぁ。親に頼んで出世払いで貸
してくれとお願いするとか、最初からそのつもりでバイトす
るとか。それから奨学金もあります。国費の場合は月8万円。
ただしわずかに1人程度。その他の奨学金もあります。
Q:1年留学した場合、大学は4年で卒業できるんですか。
それとも5年。
A:二つの行き方があります。留学するときに留守の間、宮
城教育大学にも授業料を納めた場合、4年で卒業できますし、
向こうの大学での単位も一部、宮城教育大学の単位として認
められます。でも両方に授業料を納めなければならないから、
ちょっと大変。もうひとつの行き方は、宮城教育大学を1年
休学して、留学する場合。この場合は卒業は1年遅くなるけ
れど、宮城教育大学に授業料は納めなくていいから、留学費
用にまわせるわけです。単位は認められません。
Q:留学の時期は3年生といいましたね。
A:はい。2年の秋にさっき言った試験をして、大学からの派
遣が決まったら、語学の準備と並行していろんな手続きをして
いきます。実際に出発するのは向こうの大学の学期との関係
でオーストラリアは2年次の終りの1月からさっそく行くこと
になります。その他の3つの大学は3年次の夏休みに渡航し、
9月から向こうの新学期スタートということになります。
Q:そうすると4年で卒業しようという場合は4年生の夏休
みに帰ってくるということですか。
A:そうですね。
Q:卒論とか就職活動とか大変じゃありませんか。
A:確かに。その場合は向こうでも研究できるような卒論の
テーマを行く前から決めて準備しておくことですね。そうい
うふうにして卒業した人もいますよ。就職活動はちょっと出
遅れるけどね。でもばっちり受かった人もいます。要は実力。
Q:就職先はたとえばどんなところがありますか。
A:英語の教師になった人もいるし、県庁で国際交流の仕事
をしている人や、旅行社に勤めて海外に羽ばたいてる人、そ
の他いろいろで、みんなやっぱり実力を発揮しているという
感じですね。国際結婚しちゃった人もいます。
Q:それはいいかも。私も留学しようかな。
A:確かな目的をもって、語学力の養成と貯金を着々と進め
てください。応援します。
編 集 後 記
いま日本の大学は大きな転換期を迎えていま
す。国立大学の統合・再編の大きな柱として、
教員養成学部がその対象となっています。少子
化により、一県一教員養成大学・学部の在り方
が議論されています。教育現場が抱える問題は
より一層、困難が予想されます。宮城教育大学
は、教員養成教育においてこれまで先進的な役
割を果たしてきた実績を踏まえつつ、いま新た
な挑戦に立ち向かっています。宮教大が、いま
何を考えているか、これからの日本の教育をど
のように改革していこうとしているのかを、大
学の中から発信し、またそれに対する社会から
の反応を積極的に受け止めていきたいと考えて
います。皆様のご支援とご協力をお願いいたし
ます(H記)。
宮城教育大学「国際交流ニュース」編集委員会
委
員
宛
先
本郷隆盛、青木守弘、猪平真理、島森哲男、
武元英夫
本ニュースレターは、7月、10月、2月の年3回発行します。
ご意見・ご要望は下記のところまでお寄せください。
〒980-0845
仙台市青葉区荒巻字青葉
宮城教育大学 総務課総務係
TEL 022-214-3430
FAX 022-214-3309
環
(10)2001年7月23日発行
特別
寄稿
創
刊
号
留学生教育に関わって
元マカレスター大学上級講師
〈マカレスター大学から宮教大へ〉
二十年ぐらい前になるであろうか、アメリカ人の学
生が私のところに留学の相談に来て言った。
「日本に行ってカルチュアルショックになったらどうし
ようと考えると、留学する決心がつかないんです。」
「何言ってんの。留学なんてカルチュラルショックを経
験しに行くようなもんじゃない。」
地球の表と裏にある二つの国が違わないわけがない。
言葉が違うし生活習慣も違う、文化が違えば価値観も
違う。違う世界だからこそ留学する意味がある。違い
を体験し視野を広めることによって、自分の国がもっ
とはっきり見えてくる。
宮城教育大学とマカレスター大学の交換プログラム
は大勢の方々の支援と貢献により28年もの長い間続
いている。その間多くのマカレスター大の学生が宮教
大に留学した。どの学生も大きな好奇心を携え、不安
を抱きながら未知の世界に飛び込んで行った。留学に
最も必要な日本語も本人たちは精一杯学習したつもり
でも、数年の学習成果では実用化は高がしれている。
日本史のクラスをとり、日本諸事情をひもといたりの
準備をして出かけても、実際に日本の社会で生活して
みると、あまりの違いの深さに面喰らってしまう学生
が少なくない。
しかし一旦は戸惑っても、それをばねにして飛躍す
る。見事な成長だ。これこそ若者に与えられた柔軟性、
適応性の幅の広さだと感動する。言葉も一段と上達し、
人間的にも一回りもふたまわりも成長して帰ってくる。
その素晴らしい成長ぶりを見る喜びは格別だ。
そうした学生の反面、カルチュラルショックを乗り
越えられず、困惑の中で自分を失ってしまい、宮教大
の担当教授達に多大な迷惑をかけた学生達もいる。そ
の学生達でさえ、何年か後に再会するとそれぞれに成
熟し、しかも何らかの形で日本と関わりを持っている
のを見ると、不成功だったと思われた彼らの留学も決
して無意味には終わらなかったと痛感し喜びが湧いて
くる。
学生達は自分が留学した土地に非常な愛着をもつ。
宮教大に留学した学生は、仙台を第二の「故郷」と感
じている。理由は様々だが、半数以上の元留学生達は
仙台に一度は戻って行く。
更に日本の研究を続けるために大学院に進み、院生
として再留学する者も少なくない。一人の学生は仙台
市役所の国際交流プログラムに従事するために、また
ある者達はただ忘れられない懐かしい人達に再会する
ために仙台に帰って行く。若い人生での強烈な留学体
験が若者達の心の奥深くに根づいていることは疑いな
い。
〈宮教大からマカレスター大学へ〉
これも随分前のことだが、宮教大からの留学生が私
の研究室に現れ、「先生、夢中で宿題をしていたら、い
つの間にか夜が明けてしまいました。それでもまだ宿
題が終わらないんです。」と深刻な顔をして言った。日
本からの留学生は、だれもが大きな抱負と意欲をもっ
て乗り込んで来るが、ほとんどの学生が持参した能力
では、到底乗り越えることができない壁にぶつかり、
フィッシャー・愛子
しばしば落胆してしまう。アメリカの大学は宿題がた
くさんあるし、レポートもテストもしばしばある。ア
メリカで育ちアメリカの高校を卒業してきたアメリカ
の学生でさえ、全力投球して単位を修得していくのに、
日本から突然現れた留学生には歯が立たないことが多
くても不思議ではない。
だが不可能を強調したところで何の役にも立たない。
私は常々留学生達にこう言っている。何でもいい、何
か自分にできることを見出し、それに注目してそこか
ら留学生活を展開させていくことが賢明ではないだろ
うかと。そして留学を終えて帰国する時、手土産にで
きる何ものかを留学中に収穫して欲しい。
アメリカの大学にはワークスタディ(work study)と
いう制度がある。学生が学内で仕事をすると、それに
対して、時給が支給される。宮教大の留学生はこの制
度の一環として日本語科に送られ、個人学習の必要な
学生の指導をしてくれる。日本語科にとっては歓迎す
る助っ人であり、留学生もこの仕事を通してアメリカ
人学生との交流の場が与えられ、友達の輪も広まって、
予期しなかったボーナスを手に入れて喜んでいた。
この長く続いた交換留学プログラムを通して、大勢
の若者達が海を渡った。それぞれに不慣れな異文化の
中で予想以上に深い違いに当惑しながらも、お互いの
共通点とともに越えがたい溝を熟知していく。今日で
は「グローバル」という言葉が盛んに口にされる。文
明の発達により、ここまで世界が小さくなった現代で
はグローバル的見地で物事を考えなければ価値が少な
い。その場合人種の違い、宗教の違い、文化の違いや
価値観の違いなどの問題が、当然浮かび上がってくる。
グローバルな人間たらんとする現代人がどれだけこの
違いに寛大になれるだろうか。至難の業だ。柔軟性の
ある若者達の交換留学にこそ、その大きな望みがある
のではないだろうか。
〔付記〕
フィッシャー・愛子氏 プロフィール
アメリカ・ミネソタ州・マカレスター大学教授・ジェリー・フィッ
シャー氏(日本近代史専攻)夫人。
昨年8月まで28年間、宮教大とマカレスター大学、それぞれの留
学生の教育に従事。昨年8月定年により退職された。長い間のご苦労
に対して、今年4月、宮教大横須賀薫学長から感謝状が贈呈された。
写真はその時のもの。中央がフィッシャー・愛子氏、左はフィッシャ
ー氏、右は横須賀学長。
今年の4月15日「愛子先生を囲む会」が開かれ、これまでお世話
になった留学生達、現・元教官が集まり、旧交をあたためた。(前掲、
武元論文に詳しい)
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