時間 10:45~11:05a.m. 場所 清泉礼拝堂 チャペルへの招き週間 チャペルヘの招き 2010 年 4 月 12 日 №365(2010-1 号) 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。 苦しみの日々が来ないうちに。 「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。 (コヘレトの言葉12章1節) 4月12日(月) 担 当 速水清隆(宗教委員長/文学部教授) 題 目 目からうろこ 聖 書 使途言行録9:1-19 コリントの信徒への手紙二12:7-10 讃美歌 151 奏 楽 川井田潤一(文学部教授) 4月19日(月) 担 当 杉本孝作(副学長) 題 目 ラザロの復活 聖 書 ヨハネによる福音書11:38-44 讃美歌 453 奏 楽 川井田潤一(文学部教授) 4月13日(火) 担 当 得永幸子(社会福祉学部教授) 題 目 未知の世界への招待 聖 書 ヨハネによる福音書15:16-17 讃美歌 151 奏 楽 野町太郎 4月20日(火) ※10:45-11:25 担 当 太田直宏(岡山 YMCA 総主事) 題 目 のび太くんのように生きよう 聖 書 ルカによる福音書17:20-21 讃美歌 453 奏 楽 野町太郎 4月14日(水) 担 当 中島 歩(社会福祉学部 2 年) 題 目 愛のうちに歩みなさい 聖 書 エペソ人への手紙5:2(新改訳) 讃美歌 151 4月21日(水) ※10:45-11:25 担 当 太田直宏(岡山 YMCA 総主事) 題 目 あいのためにメタノイア 聖 書 ルカによる福音書17:20-21 讃美歌 453 奏 楽 野町太郎 4月15日(木) 担 当 清水幸一(総合教育研究センター教授) 題 目 神さまのはかりごと 聖 書 コリントの信徒への手紙一2:9 讃美歌 151 奏 四国学院大学 宗教センター www.sg-u.ac.jp メールアドレス [email protected] 春季キリスト教強調週間 楽 野町太郎 4月16日(金) 担 当 村上茂樹(総合教育研究センター准教授) 題 目 示された地 聖 書 創世記12:1-7 讃美歌 151 奏 楽 野町太郎 奏 楽 野町太郎 4月22日(木) ※10:45-11:25 担 当 太田直宏(岡山 YMCA 総主事) 題 目 ふるさとのうたをうたいながら 聖 書 ルカによる福音書17:20-21 讃美歌 453 奏 楽 野町太郎 4月23日(金) 担 当 赤井勝哉(文学部長) 題 目 イサクの燔祭 聖 書 創世記22:1-19 讃美歌 453 奏 楽 野町太郎 ※春季キリスト教強調週間は 10:45~11:25 のロングチャペルになります。 ◆ ◆チャペルの心得◆◆ 愛の実践をめざして~ふるさとを口ずさみながら 太田 直宏(岡山 YMCA 総主事) 「志を果たして いつの日にか帰らん 山は青きふるさと 水は清きふるさと」 この有名な「故郷」を作曲した岡野貞一は、幼少の頃岡山のキリスト教会で宣教師からオルガンを 習ったことが契機となって、作曲家への道を志したそうだ。 彼が見て「美しい、素晴らしい」と感じたわれ らがふるさと日本。しかし、今この日本では、環境のみならず、 こどもたちの安心安全をめぐる状況すら 非常に危うくなっている。かつて日本アカデミー賞で絶賛され、話題となった映画「ALWAYS~3丁目の 夕焼け」の頃、 昭和30年代は、地域に確かな共同体が存在したという意味で非常に素晴らしい時 代だったと思う。しかしながら、時代は移り、家族の形態や地域のあり方は様変わりしてしまった。今岡 野が生きていたら、このような日本の状況をとても残念に思うであろう。私たちの「ふるさと」をこのままにし ておいて良いとは到底思えない。 「肝苦しい」と書いて「チムグリさん」と読む。これは「他者の痛みや苦しみを思うと、自分のはらわたが痛 いほど苦しい」という意味を持つウチナグチ、つまり沖縄の言葉である。しかし、私たちの現実はどうであろ うか?「勝ち組、負け組み」という言葉に象徴されるように、他者への配慮や思いやりといった事柄は、ど こかへ置き去りにされてしまったように感じるのは、私だけではあるまい。 しあわせとは何だろう?ある人が、「幸せとは、土と¥から成り立つもの。すなわち、土地とお金を求め る生き方である」と揶揄している。しかし、その結果はどうであったか? 今の日本の状況を見ても明らか なように、そのような「しあわせ」の在り方は、もう終わりにしなければならない。では、私たちがめざすべき 「しあわせ」とは一体何なのか。 私が暮らす岡山の瀬戸内海には「長島」という小島がある。ここにはハンセン病を罹った方々の療養 施設があったことで知られている。ご存知のようにかつては隔離政策がとられ、本土と行き来するための 橋すら存在しなかった。元患者の方々からお話を伺うと、偏見と誤解で多くの差別が繰り替えされてき たことが分かる。彼らとの対話を通して、「病気にかかった方に対する痛みを覚えない」ばかりか、「自分 たちの目に触れないようにすることでその存在に気がつかないふりをしてきた」思いやりに欠ける自分たち の姿を思い知らされるのだ。 岡野貞一が感銘を受けたであろう聖書には、重い皮膚病人(ハンセン病)を癒すイエスキリストの記 事が掲載されている。その箇所は「イエスは、はらわたがちぎれる想いに駆られ」と訳されている。原語で あるギリシャ語は、splanchnizomai。これは、「内臓」すなわち腸や肝臓をさす名詞(splanchnon)に由 来する。当時、内臓は人間の感情の座であるとみなされていたため、同語は「憐れみ」や「愛」という言 葉に転化したらしい。偏見がゆえに誰もが忌み嫌い、近寄ることすらしなかったハンセン病の患者の 方々に、イエスキリストは自ら近寄り、助けた起こしたと聖書は言うのである。 「出会った人の痛みに響きあい、弱者とされている人々と共にある生き方」。このような生き方こそを 「仕合せ」とよびたい。人と人がつながり、痛みや喜びに響き合って、「お互いに仕え合って生きる社会」 こそを再構築していかなければならないと思うのである。それは、誰もがチムグリさんを感じる、愛に満ち 溢れた社会と言い換えることができる。 チャペルでは、 1.脱帽 2.喫煙、飲食は厳禁 3.携帯電話等の電源を切る。 4.静粛を保つ。 チャペルアワーにおいては、 1.開始時刻まで、聖書箇所を黙読し、黙想をする。 2.司会者、担当者の指示に従う。 3.讃美(讃美歌斉唱)は、歌詞を味わいつつ、心を合わせて行う。 4.聖書朗読の際は、自身の聖書、または配布プリントに目をやり、朗読に耳を 傾ける。 5.語られるメッセージを静かに拝聴する。 6.讃美、聖書朗読、メッセージの間、一切私語は慎む。 7.「キリスト教概論(5)」の登録者は、受付で出席カードを受け取り、退出時に 指定のボックスに入れる。 春季キリスト教強調週間のご案内 4 月 20 日(火)~22 日(木)の 3 日間 講師として太田直宏先生をお招きしてチャペルでお話していただきます。 講師:太田 直宏(おおた ただひろ) 先生 (財団法人岡山YMCA 総主事) テーマ:「ひびきあい」 時間 10:45~11:05a.m. 場所 清泉礼拝堂 特集:建学の精神を考えるⅠ チャペルヘの招き 2010 年 4 月 26 日 №366(2010-2 号) あなたがたは地の塩である。 (マタイによる福音書5章13節a) 4月26日(月) 担 当 末吉高明(学長) 題 目 Vos estis sal terrae 聖 書 マタイによる福音書5:13 讃美歌 6 奏 楽 4月28日(水) 担 当 漆原光徳(副学長) 題 目 スポーツ選手の祈り 聖 書 コロサイの信徒への手紙3:23-35 讃美歌 6 楽 5月3日(月) 祝日のためお休みです 川井田潤一 4月27日(火) 担 当 神野 明(副学長) 題 目 聖書における食事と酒 聖 書 シラ書(集会の書)9:10、31:27 讃美歌 6 奏 楽 野町太郎 奏 特集:建学の精神を考えるⅡ 5月4日(火) 祝日のためお休みです 5月5日(水) 祝日のためお休みです 野町太郎 4月29日(木) 休日のためお休みです。 5月6日(木) 担 当 金 永 子(社会福祉学部長) 題 目 ハンセン病療養所 聖 書 ヨハネによる福音書9:39-41 讃美歌 6 奏 四国学院大学 宗教センター www.sg-u.ac.jp メールアドレス [email protected] 楽 野町太郎 5月7日(金) 担 当 橋本一仁(社会学部長) 4月30日(金) 休校日のためお休みです。 題 目 わたしは世の終わりまであなたがたとともにいる 聖 書 マタイによる福音書28:16-20 讃美歌 6 奏 楽 野町太郎 二つの石碑 ◆ ◆チャペルの心得◆◆ 速水清隆(宗教委員長) 本学には二つの石碑がある。一つは、昨年 10 月に創立 60 周年を機に、定められた、学 院&ユニバーシティモットーを刻んだもので、敬愛館前、通称グリーンベルトにあり、ラ テン語で“Vos estis sal terra” とある。これは新約聖書にあるイエス・キリストの 言葉で、「汝らは地の塩である」 と訳される。イエスキリストが、弟子たち、そして、 多くの群衆たちに語られた、「山上の説教」の中の、一節である。 今一つは、清泉礼拝堂にいたるアプローチの左側にあり、「汝の若き日に汝の造り主を 覚えよ」 と刻まれている。これは、創立 30 周年の際の記念石碑である。 今年の新入生たちには、チャペルオリエンテーションの中で、これらの石碑を紹介し、 これは四国学院の皆さんへの願い、祈り、思いである、と申し上げた。 「汝の造り主を覚えよ」 と聖書では語られている。それは、一人ひとりが、それぞれ 意味のあるものとして生み出されたからである。かけがえのない存在であるからである。 造り主は、一人ひとりに意義を与えて生み出された。それがあなたがた一人ひとりなのだ。 空しく、無為に歩むのではなく、自分の価値を信じ、また、見出していってほしい。その ために、四国学院は、また、私たち教職員は、その手助けをしているのである。 そのように、本年の入学生だけでなく、これまでの学生たちにも私は語ってきた。そし て、今年は、今一つの石碑、学院&ユニバーシティモットーとして与えられた聖書の言葉 が刻まれた石碑が建てられた。当然のこと、この石碑が建って、初めての新入生が今年の 1 年生であるが、この石碑をもって、この石碑の言葉をもって、更に、四国学院の学生へ の願い、祈り、思いは、さやかに示された、と思う。30 周年の記念石碑から、あなた方 はかけがえのない存在だと語っている、と記したが、更に、 「汝らは地の塩である」、この 聖書の言葉は、一人ひとりが、それぞれ欠かすことの出来ない働きを持っていること、一 人ひとりが確かな役割を果たすべく、生み出されていることを、一人ひとりに、親しく語 り掛ける、また、高らかに宣言する言葉である、と言えよう。 これら二つの石碑は、学生たち一人ひとりへの、四国学院の願いである、祈りである、 思いである。このことを、まず何より学生一人ひとりに是非受け止めて頂きたい。 しかしながら、これらの石碑はまた、私たち教職員に語り掛けられている言葉である、 とも私は受け取っている。私たちの働きを、学生たちを託された意味を、確認する石碑で ある、と考えている。私は、この石碑の前に立つときに、また、その前を通り過ぎる際に も、身の引き締まる思いが与えられている。 二つの石碑、「汝の若き日に汝の造り主を覚えよ」、そして、「汝らは地の塩である」 四国学院大学の願いを、祈りを、思いを、私たちはまた、それぞれの胸に刻みたいもので ある。 チャペルでは、 1.脱帽 2.喫煙、飲食は厳禁 3.携帯電話等の電源を切る。 4.静粛を保つ。 チャペルアワーにおいては、 1.開始時刻まで、聖書箇所を黙読し、黙想をする。 2.司会者、担当者の指示に従う。 3.讃美(讃美歌斉唱)は、歌詞を味わいつつ、心を合わせて行う。 4.聖書朗読の際は、自身の聖書、または配布プリントに目をやり、 朗読に耳を傾ける。 5.語られるメッセージを静かに拝聴する。 6.讃美、聖書朗読、メッセージの間、一切私語は慎む。 7.「キリスト教概論(5)」の登録者は、受付で出席カードを受け取り、 退出時に指定のボックスに入れる。 時間 10:45~11:05a.m. 場所 清泉礼拝堂 社会福祉学部週間Ⅰ チャペルヘの招き 2010 年 5 月 10 日 №367(2010-3 号) 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。 (詩編23編1節) 5月10日(月) 担 当 李 静 淑(本学教授) 題 目 「丁寧に生きる」という言葉 聖 書 フィリピの信徒への手紙2:1-5 讃美歌 Ⅱ-1 奏 楽 川井田潤一(本学教授) 5月11日(火) 担 当 江國史子(本学教授) 題 目 怒りの葡萄 聖 書 コヘレトの言葉4:9-12 讃美歌 Ⅱ-1 奏 楽 野町太郎 5月12日(水) 担 当 島影俊英(本学教授) 題 目 関わるということ 聖 書 ヨハネによる福音書13:1-8 讃美歌 Ⅱ-1 奏 楽 野町太郎 5月13日(木) 担 当 西谷清美(本学教授) 題 目 友の死から人とのかかわりを考える 聖 書 ヨハネによる福音書12:24-26 讃美歌 Ⅱ-1 奏 四国学院大学 宗教センター www.sg-u.ac.jp メールアドレス [email protected] 楽 野町太郎 5月14日(金) 担 当 村上武志(本学教授) 題 目 他を思いやる心 聖 書 ヨハネによる福音書13:34-35 讃美歌 Ⅱ-1 奏 楽 野町太郎 文学部週間Ⅰ 5月17日(月) 担 当 山本精一(本学教授) 題 目 ノマドの信 聖 書 詩編23編 ヨハネによる福音書10:7-18 讃美歌 2 奏 楽 川井田潤一(本学教授) 5月18日(火) 担 当 ムアンギ ゴードン(本学教授) 題 目 平和の実現 聖 書 マタイによる福音書5:9 讃美歌 2 奏 楽 川井田潤一(本学教授) 5月19日(木) 担 当 梶野啓介(本学卒業生) ・ ・ 題 目 クリスチャンになること 聖 書 マタイによる福音書11:28 讃美歌 2 奏 野町太郎 楽 5月20日(木) 担 当 池内 功(本学教授) 題 目 活かす腎臓Ⅱ 聖 書 マルコによる福音書5:25-34 讃美歌 2 奏 楽 野町太郎 5月21日(金) 担 当 東城眞造(本学名誉教授) 題 目 タラントンの教え 聖 書 マタイによる福音書25:14-19 讃美歌 2 奏 楽 野町太郎 ◆ ◆チャペルの心得◆◆ 静けさという贈りもの 得永幸子(宗教委員長) 5月から宗教委員長になりました得永幸子です。皆さんとチャペルでお会いできること チャペルでは、 1.脱帽 2.喫煙、飲食は厳禁 3.携帯電話等の電源を切る。 4.静粛を保つ。 を心から嬉しく思っております。どうぞよろしくお願いいたします。 さて、皆さんにとってチャペルとはどんな場所でしょうか?少し厳粛な気分になるとこ ろでしょうか。その分、敷居が高く入りにくいところかもしれません。式典のときにだけ 行く特別な場所でしょうか?その分、縁の薄い遠いところかもしれません。 チャペルは授業のある日はいつも開いています。チャペルアワーだけでなく、9時から 5時までずっと開いています。チャペルは静かなところです。静かな空間に身を置きたく なったとき、一人になりたいとき、落ち着いて何かを考えたいとき、そっと入って、しば らく静かな時間と空間を味わってみませんか?荒ぶった気持ちが鎮まり、散漫だった思考 がゆっくりとまとまっていくのが感じられると思います。 一人になること、静かな空間に身をおくこと、何もしないでじっとしていること、そん チャペルアワーにおいては、 1.開始時刻まで、聖書箇所を黙読し、黙想をする。 2.司会者、担当者の指示に従う。 3.讃美(讃美歌斉唱)は、歌詞を味わいつつ、心を合わせて行う。 4.聖書朗読の際は、自身の聖書、または配布プリントに目をやり、 朗読に耳を傾ける。 5.語られるメッセージを静かに拝聴する。 6.讃美、聖書朗読、メッセージの間、一切私語は慎む。 7.「キリスト教概論(5)」の登録者は、受付で出席カードを受け取り、 退出時に指定のボックスに入れる。 なことから、私たちの日常はいつしかかけ離れてきました。そのことに気付くことさえ難 しい現代社会の中で、大学のキャンパスに黙想の場があることには、大きな意味があるの ではないでしょうか。 自分自身を見つめ、自分自身と語らう時間の重なりの中で、チャペルを包む大いなるも のの存在を感じ、チャペルに満ちた静けさの中に聞える大いなるものからの呼び掛けに気 ガーデンパーティのご案内 付くことができたら、外の喧騒からはけして得られない深い世界と出会えるはずです。 明るいこと、元気なこと、コミュニケーションをとることに積極的であること、そして、 ノリがいいこと。大変高く評価される特質です。でも一方で、それらに意図的に背を向け て自分自身と向き合い、自分自身の心の奥深くまで探索の旅に出ることも時には必要です。 宗教センターを拠点に活動するサークル・グループをご紹介します。 それが十分できるのが大学生活のだいご味ではないでしょうか。自分と向かい合うという 作業はけして心地よいことばかりとは限りません。時には、見たくない自分を見ざるを得 軽食を囲みながらクラブ紹介を行います。気軽にのぞいてみてください。 なくなることもあるかもしれません。そこで、たじろぎ、おののき、今まで持ち続けてき た自分の物差しを手放して、深い迷いに陥る、実はそんなときこそ、私たちは大いなるも 日 時:6月16日(水)15:10~ 場 所:宗教センター 前庭(入口付近) のの声、神の呼び声のすぐ近くにいるのです。 チャペルは黙想の場です。そして、黙想は祈りへとつながる営みです。チャペルアワー はもちろんのこと、それ以外の時間にも、祈りの場としてのチャペルを四国学院大学の学 生の特権としてどうぞ大いに活用して下さい。チャペルはいつでも開いていますから。 時間 10:45~11:05a.m. 場所 清泉礼拝堂 社会学部週間Ⅰ チャペルヘの招き 5月24日(月) 担 当 伊藤松雄(本学教授) 題 目 映画「アリス・イン・ワンダーランド」から 聖 書 詩編55:23 讃美歌 19 奏 2010 年 5 月 24 日 №368(2010-4 号) 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。 そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 (マタイによる福音書6:33) 楽 川井田潤一(本学教授) 5月31日(月) 担 当 宮田康三(本学教授) 題 目 strokeについて 聖 書 マタイによる福音書6:33-34 讃美歌 461 奏 楽 川井田潤一(本学教授) 5月25日(火) 担 当 田尾和俊(本学教授) 題 目 相手の立場に立って考えること 聖 書 コリントの信徒への手紙一7:29-31 讃美歌 19 奏 楽 野町太郎 6月1日(火) 担 当 松井愛奈(本学准教授) 題 目 心を亡くさない「いそがしさ」 聖 書 ルカによる福音書10:38-42 讃美歌 461 奏 楽 野町太郎 5月26日(水) 担 当 山本睦子(本学教授) 題 目 「個食」について考える 聖 書 申命記8:4-10 讃美歌 19 6月2日(水) 担 当 川井田潤一(本学教授) 題 目 ピアノ演奏-ショパン心の叫び 聖 書 詩編147:1-7 讃美歌 461 奏 楽 野町太郎 5月27日(木) 担 当 片山昭彦(本学准教授) 題 目 健康に感謝! 聖 書 テサロニケの信徒への手紙一5:16-18 讃美歌 19 奏 四国学院大学 宗教センター www.sg-u.ac.jp メールアドレス [email protected] 社会福祉学部週間Ⅱ 楽 野町太郎 5月28日(金) 担 当 近藤 剛(本学助教) 題 目 硬式野球部での活動 聖 書 ヘブライ人への手紙12:11-12 讃美歌 19 奏 楽 野町太郎 奏 楽 野町太郎 6月3日(木) 担 当 村田哲康(本学教授) 題 目 キリストの愛に依って満たされる 聖 書 エフェソの信徒への手紙3:16-19 讃美歌 461 奏 楽 野町太郎 6月4日(金) 担 当 古賀松香(本学准教授) 題 目 一人ひとりと丁寧にかかわる 聖 書 ローマの信徒への手紙12:9-15 讃美歌 461 奏 楽 野町太郎 人生はあなたを見捨てない ◆ ◆チャペルの心得◆◆ 得永幸子(宗教委員長) 「わたしはあなたのために信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、 兄弟たちを力づけてやりなさい」ルカによる福音書22:32 「だめや~」「無理~」学生たちのあきらめの良い言葉を耳にしない日がありません。 そう言いながら頑張ることもあれば、本当にあっさり単位や資格取得をあきらめてしまう 学生もたくさんいます。そして、まるで自分の人間としての可能性まで否定してしまい自 分を罰するかのように、リストカットをしたり、薬物に依存したりする学生さえ少なから ずいます。 「やりもしないうちに、あきらめないで」 「逃げずに最後までやりとおして」 「そ んなに簡単にあきらめないで」 「自分の未来まであきらめないで」 「自分の人生まであきら めないで」そんなときどれだけ学生に言葉を返してきたことでしょう。 自分が大切な存在である。自分がかけがえのない存在である。と、同時に、自分の苦し さは必ずしも絶対的なものではなく、生きてあるかぎり必ず人間に共通のものである。そ んな視点を獲得するために、学生はどれだけ悪戦苦闘することでしょうか。教員は寄り添 いつつも、広い視野を保って学生を見守ろうとしてどれだけ戦うことでしょうか。 大学のキャンパスではこうした営みが目に見えないところで日々繰り返されていきま す。 でも、忘れないで頂きたいのは、私たちが人生をあきらめ、私たちが人生を見捨てるので あって、人生が私たちをあきらめ、見捨てるのではないということです。 イエスの弟子、ペトロはイエスがユダヤ人に捕まえられ、処刑される前に、「お前もイ エスの仲間だろう」と尋ねられたとき、恐怖から「イエスを知らない」と言ってしまいま す。ペトロはイエスを見捨てたと同時に自分のこれまでの人生も見捨てたのです。そのこ とに気づいた彼は、外の闇に出て行って激しく泣きます。それは深い絶望の涙だったでし ょう。 しかし、そんなペトロのためにイエスは「あなたの信仰がなくならないために私は祈っ た」と言います。ペトロが見捨てたペトロの人生をイエスだけは見捨てませんでした。 人生は誰をも見捨てません。私たちにいのちを与え、私たちに生きよと言われる神が私 たちを見捨てないからです。だから、あなたもあなたの人生を見捨てないで下さい。あな たの生活を見捨てないで下さい。 涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる。詩編126:5 チャペルでは、以下のことを守ってください。 1.脱帽する。 2.喫煙、飲食は禁止 3.携帯電話等の電源を切る。 4.静粛を保つ。 チャペルアワーでの望まれる参加の仕方は、以下の通りです。 1.開始時刻まで、聖書箇所を読み、静かに待つ。 2.讃美(讃美歌斉唱)は、起立し、声を合わせて歌う。 4.聖書朗読の際は、自分の聖書、または配布プリントに目をやり、 朗読に耳を傾ける。 5.語られるメッセージを静かに拝聴する。 6.讃美、聖書朗読、メッセージの間、一切私語は慎む。 7.「キリスト教概論(5)」の登録者は、受付で出席カードを受け取り、 退出時に指定のボックスに入れる。 ガーデンパーティのご案内 軽食を囲みながら、歌とゲーム、クラブ紹介を行います。気軽にのぞいてみてください。 日 時:6月16日(水)15:10~ 場 所:宗教センター 前庭(入口付近) 時間 10:45~11:05a.m. 場所 清泉礼拝堂 文学部週間Ⅱ チャペルヘの招き 6月7日(月) 担 当 後藤一都(本学卒業生/日本アライアンス教団 新居浜キリスト教会牧師) 2010 年 6 月 7 日 №369(2010-5 号) 兄弟たち、あなたがたは、 自由を得るために召し出されたのです。 ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、 愛によって互いに仕えなさい。 (ガラテヤの信徒への手紙5章13節) 題 目 我が民を慰めよ 聖 書 イザヤ書40:1-8 讃美歌 242 奏 川井田潤一(本学教授) 楽 6月14日(月) 担 当 ムアンギ ゴードン(本学教授) 題 目 心に施された割礼こそ割礼なのです 聖 書 ローマの信徒への手紙2:25-29 讃美歌 262 奏 楽 川井田潤一(本学教授) 6月8日(火) 担 当 谷原博信(本学非常勤講師) 題 目 何を学ぶか 聖 書 箴言1:7 讃美歌 242 奏 楽 野町太郎 6月15日(火) 担 当 山﨑和明(本学教授) 題 目 神さまは本当にいるのか? 聖 書 ローマの信徒への手紙1:20a 讃美歌 262 奏 楽 野町太郎 6月9日(水) 担 当 速水清隆(本学教授) 題 目 居場所 聖 書 ヨハネによる福音書14:1-7 讃美歌 242 6月16日(水) 担 当 山﨑和明(本学教授) 題 目 もしイエス・キリストがいなければ 聖 書 ヨハネによる福音書1:14 讃美歌 262 奏 楽 野町太郎 6月10日(木) 担 当 須浪敏子(本学教授) 題 目 血肉の愛も恋愛も・・・ 聖 書 マタイによる福音書12:46-50 讃美歌 242 奏 四国学院大学 宗教センター www.sg-u.ac.jp メールアドレス [email protected] 社会学部週間Ⅱ 楽 野町太郎 6月11日(金) 担 当 浜島 敏(本学名誉教授) 題 目 十字架は冤罪か 聖 書 ルカによる福音書22:70 讃美歌 242 奏 楽 野町太郎 奏 楽 野町太郎 6月17日(木) 担 当 山﨑和明(本学教授) 題 目 神と人とに奉仕する 聖 書 ガラテヤの信徒への手紙5:13 讃美歌 262 奏 楽 野町太郎 6月18日(金) 担 当 逢坂十美(本学教授) 題 目 「できない」となぜいえるのか 聖 書 ヨハネによる福音書5:19-23 讃美歌 262 奏 楽 野町太郎 居場所 速水 清隆(本学教授) 「ここは私の居場所ではない。」「私には居場所がない。」 「居場所」という言葉をしばしば耳にする。ネット上のある図書検索によると、 「居場所」 がタイトルに入っている書籍は、現在刊行されている和書だけで、200 冊を大きく上回る。 そして、それらのタイトルから判断すると、その中の相当数が、いわゆるハウトゥー本の ようである。それほどに、人々は自分の「居場所」を求めているのであろうか。それほど に、自分の「居場所」が見出し得ないのであろうか。それほどに、ハウトゥー本の助けを 借りなければ「居場所」を見つけられない人が多くいるのであろうか。 かく言う私も「居場所」を求めて彷徨っていた人間である。若い頃、私には自分の家庭 が疎ましい場所であった。自分の生まれ育った町が息苦しく、自分の「居場所」ではない ように思えていた。大学に進学し、家庭をそして自分の町を離れ、大学が、また、大学の ある町が、私の「居場所」となった。しかしながら、一人暮らしを謳歌する一方で、孤独 感、疎外感に苛まれ、そこもまた、自分の「居場所」ではなくなっていった。必ずしも「居 場所」という言葉をもって、当時はそのように考えていた訳ではないが、自分自身が「生 きている」 「輝いている」という実感、また、 「居心地のよさ」を、覚えていなかったのは 確かである。それでも、長い年月を経て振り返るに、私の置かれた場所は、すべてその時々 に備えられた、誰でもない私自身のための「居場所」であったことを、しみじみと感謝をも って、今は覚えられるのである。 翻って、四国学院大学に集う学生にとって、四国学院は一人ひとりの「居場所」となっ ているだろうか、そして、そのキャンパスの中心であるチャペルは一人ひとりにとっての 「居場所」と成り得ているだろうか、と考えるのである。 「居場所」とは、探して見出される場合もあるが、また、既に与えられている、そこに 今置かれている、また、備えられているにもかかわらず、そのことに気づかず、むしろ、 自分が否定や拒絶をしているものが、正に自身の「居場所」であることが、実は多いので はないだろうか。 四国学院大学が、そして、チャペルが、四国学院に集められた一人ひとりにとっての「居 場所」である。チャペルアワーで語られる聖書の言葉は、講壇からのメッセージは、一人 ひとりを「居場所」へといざなうものとして、日々提供され続けているのである。そのよ うに、私は確信し、祈りのうちに覚えている。 主イエスは、聖書の言葉をもって、私たちを絶えず招いておられる。 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。… …わたしの軛は負いやすく、私の荷は軽いからである。」(マタイによる福音書 11:28~ 30) 「人の子(イエス・キリスト)は、失われたものを捜して救うために来たのである。」 (ル カによる福音書 19:10) チャペル って? 何を しているのか 歌、ゲーム、 分からない をとおして チャペルの雰囲気を 味わってみませんか? 入りづらい 行きづらい 日:2010.6.16(水) 時間:15:10~ 場所:清泉礼拝堂前にて 主催:宗教センター 時間 10:45~11:05a.m. 場所 清泉礼拝堂 特集:マイノリティ・ウィーク チャペルヘの招き 2010 年 6 月 21 日 №370(2010-6 号) わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。 これからは、もう罪を犯してはならない。 (ヨハネによる福音書8章11節b) 6月21日(月) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 主よ、いのちのことばを 聖 書 ヨハネによる福音書6:48-51 讃美歌 187 奏 楽 川井田潤一(本学教授) 6月22日(火) 担 当 久保量生(善通寺バプテスト教会牧師) 題 目 罪ある女を救われたイエス 聖 書 ヨハネによる福音書8:1-12 讃美歌 187 奏 楽 野町太郎 6月23日(水) 担 当 斎賀 稔 (日本福音キリスト教会連合 善通寺キリスト教会牧師) 題 目 エリフの祈り 聖 書 ヨブ記36:15-16 讃美歌 187 奏 野町太郎 楽 6月24日(木) 担 当 丸畑幸夫(元本学教授) 題 目 幼子のように 聖 書 マタイによる福音書18:1-5 讃美歌 187 奏 四国学院大学 宗教センター www.sg-u.ac.jp メールアドレス [email protected] 楽 野町太郎 6月25日(金) 担 当 加藤親平(日本キリスト改革派 善通寺教会牧師) 題 目 愛の贈り物 聖 書 ヨハネによる福音書3:16-17 讃美歌 187 奏 楽 野町太郎 6月28日(月) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 いつくしみ深き 聖 書 コリントの信徒への手紙二1:4-5 讃美歌 312 奏 楽 川井田潤一(本学教授) 6月29日(火) 担 当 播磨倫子(社会福祉学部3年) 題 目 人との出会いで学んだこと 聖 書 エフェソの信徒への手紙5:1-2 讃美歌 312 奏 楽 井村あゆみ(社会福祉学部2年) 6月30日(水) 担 当 野町太郎(本学オルガニスト) 題 目 本国は天に 聖 書 フィリピの信徒への手紙3:17-21 讃美歌 312 奏 楽 野町太郎 7月1日(木) 担 当 根本博愛(本学教授) 題 目 傍観者と当事者 聖 書 ルカによる福音書10:30-37 讃美歌 312 奏 楽 野町太郎 7月2日(金) 担 当 守家信佑(社会学部3年) 題 目 障害者支援を行うことの重要性 聖 書 テサロニケの信徒への手紙一5:12-13 讃美歌 312 奏 楽 野町太郎 ◆◆担当牧師の教会案内◆◆ 三つの譬の中に見る神の愛 (ルカによる福音書 15 章 1-32 節) 丸畑幸夫(元本学教授) (一)迷える羊の譬 羊飼いは、自分の百匹の羊のうち一匹が逃げ出した時、何をするか。百匹のうち一匹である。彼はそ の一匹をあきらめるか。そうではない。その一匹に対する愛は、百分の一ではない。イエスが世に来られ た目的は「一人の罪人」をも救うことにある。一人の罪人が悔い改めてイエスの救を信じ、その魂が神の ものとなる時、全天どよめき、神の御前で燃え上がるような喜びがある。イエスはこの喜びを受け取って 私と一緒に喜んでください、と言っておられるのである。神の霊的生命の分身である一個の人間が、死 を免れて天国の門に立つや古今東西、すべての聖徒、すべての天使、すべての宇宙が歓喜する。あな たの目が一人の罪人の悔改めを見て喜び輝くとするならば、まぎれもなくあなた自身が神につける民で あることのしるしである。 (二)失った銀貨の譬 銀貨は婦人のものである。十枚のうち一枚を失ったといっても、貴重な一枚である。罪人一人は多数 の中の一人であるけれども、親にとって多数の子の中の一人一人が、百%の愛を注ぐ価値があるように、 神にとって一人一人は、全体に等しい価値がある。だから一枚の銀貨、すなわち一人の人間を失うこと は、キリストにとって苦痛であり、取り戻すことは喜びである。 私の長女が、かわいがっている文鳥を、あやまって踏んずけてしまった。(実は、軽く背に触れた程度だ ったらしいけれども。)文鳥が今にも死ぬのではないかと思って、彼女は小さな胸を痛め、寝付かれぬ程 であった。それが失われる危険のある場合には彼女の愛はかえって強く傾くのである。 (三)放蕩息子の譬 三つの例のうち最も豊かなるものである。これは所有物についてではない。大切な息子が失われてし まった。父親は、いなくなったと思っていた息子を再び見いだした時、筆では充分記し得ぬ喜びをかみし めている。 神に背いた罪人は、神にとって死んで失われた者であり、その帰還は、復活である。天において大いな る歓喜あるのは、そのためである。 放蕩息子は、父にとって失われたものとなった。神の霊の分身は失われてしまった。父親の苦痛はその まま天父の苦痛である。子は父を捨てた。父は子を捨て得なかった。子は父の財産分与の権利を主 張し、持ち去った。人間は、神のものをひったくって自分のものとする。そして、神の賜物を乱用する。天 父はその物質の喪失のゆえに悲しまない。天父の痛みは、彼とのつながりを失えば、命の枯れてしまう 人間、彼の霊の分身のためである。父親の心配通り、子は飢え、死の危険にさらされた。天父の心配 通り、霊的生命は枯渇し、人は永遠の死に瀕する。 ●善通寺バプテスト教会 765-0073 善通寺市稲木町506-5 久保量生 牧師 0877-62-7799 ●日本福音キリスト教会連合 善通寺キリスト教会 765-0011 善通寺市上吉田町3-2-2 斎賀 稔 牧師 0877-62-0966 ●日本キリスト改革派 善通寺教会 765-0013 善通寺市文京町4-9-22 加藤親平 牧師 0877-62-1521 キリスト教系サークル紹介 現在活動しているキリスト教系サークルを紹介します。 ☆ 清泉礼拝堂聖歌隊 毎日のチャペル・アワーでの讃美歌をリードする働きをしています。 活動日:毎週木曜日 17:00~ 礼拝堂にて 連絡先:[email protected] ☆ 一粒の麦 聖書研究会を開いています。 活動日:毎週火曜日 12:40~ チャペル入口ラウンジにて ※ 参加希望者は活動日に来てください。 ☆ 学生YMCA 聖書のイエスに生き方を学び、仲間と共に生きる中で、 社会の課題に挑戦する力を養います。 日本・世界YMCA運動につながり、学内・全国・海外での交流は自らの考えを深め、 また人と人とのつながりも大きく広がっていきます。 連絡先:[email protected] 清水研究室(8 号館3F) [email protected] 時間 10:45~11:05a.m. チャペルヘの招き 2010 年 7 月 5 日 №371(2010-7 号) 7月5日(月) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 主よ、み手もて 聖 書 マルコによる福音書14:36 讃美歌 285 奏 楽 川井田潤一(本学教授) 7月6日(火) 担 当 木村一雄 求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。 そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 (マタイによる福音書7章7節) (本学非常勤講師/日本基督教団琴平教会牧師) 主に祈り、委ねなさい 聖 書 申命記6:4-5、レビ記19:18 マタイによる福音書22:34-40 讃美歌 312 奏 楽 野町太郎 題 目 7月12日(月) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 あまつましみず 聖 書 ヨハネによる福音書4:13-14 讃美歌 217 奏 楽 川井田潤一(本学教授) 7月13日(火) 担 当 金子えつこ(本学非常勤講師) 題 目 抱っこ 聖 書 ヨハネの手紙一5:1-15 讃美歌 217 奏 楽 野町太郎 讃美歌 285 7月14日(水) 担 当 吉田 豊(本学教授) 題 目 信頼 聖 書 詩編23:1-4 讃美歌 217 奏 野町太郎 奏 7月7日(水) 担 当 宮脇賢一(法人事務部長) 題 目 不公平 不平等 聖 書 マタイによる福音書20:1-16,25:14-30 楽 7月8日(木) 担 当 新垣 努(恵みキリスト教会シャローム牧師) 題 目 教会とは何か 聖 書 列王記第一6:38(新改訳) 讃美歌 285 奏 四国学院大学 宗教センター www.sg-u.ac.jp メールアドレス [email protected] 場所 清泉礼拝堂 楽 野町太郎 7月9日(金) 担 当 神尾 哲(図書課長) 題 目 浦島太郎の海 聖 書 マルコによる福音書8:11-13 讃美歌 285 奏 楽 野町太郎 楽 野町太郎 7月15日(木) 担 当 ガルアルディ マリア エリザベッタ(文学部2年) 題 目 苦しんでいたあの時、あなたは1人ではなかった 聖 書 ヨハネによる福音書3:16,8:12 讃美歌 217 奏 野町太郎 楽 7月16日(金) 担 当 WL.モーア(本学理事/評議員) 題 目 父なる神 聖 書 マタイによる福音書7:7-11 讃美歌 217 奏 楽 野町太郎 ◆◆担当牧師の教会案内◆◆ 「憐れみの器」 ローマの信徒への手紙 9 章 19-29 節 村上茂樹(本学准教授) 私たちは自分と他者とを比べて、身体的な違いや能力の違いを嘆き、他者を羨ましく思 い、「どうして私はこんな体に生まれたのか」、「どうして私には、あんな能力がないのだ ろうか」と神に訴えたくなるようなことが多々あります。けれどもパウロは私たち人間が、 私たち人間をそのように創った神に対して、不平を言うことはできないと述べています。 なぜなら、神は勝手気ままに私たち人間を創っているのではないからです。そこには神の 計画があり、私たち人間の生きる意味があるというのです。 パウロは、神と人間の関係を焼き物師と焼き物(器)にたとえています。焼き物師に限 らず、物を作ることに誇りを持っている職人たちは、優劣のある作品を作っている人はい ません。彼らは用途によって異なる器を作っているのです。ですからパウロが伝えたいこ とは、神が創る人間には優劣があるのだということではありません。そうではなくて、焼 き物師が用途に合わせて異なった器を作るように、神は私たち人間一人一人を異なった人 間として創っているのだということです。もし器が全て同じ形であったら、困ると思いま す。全てが平たいお皿みたいな器だったら、水を汲むこともできません。いろいろな形が あるからこそ、それらを使ってうまく生活できるのです。そのように神は、皆で支え合っ て生きることができるように、私たち一人一人を違う形、違う能力、それぞれ個性を持っ た者として創っているのだとパウロは述べているのです。 ですから私たちは神から与えられたもの、持って生まれたものだけでなく、成長するう ちに身についたもの全て、自分にとって都合の良いことも、悪いことも全てには意味があ ります。私たちは神から与えられているものを神のために使うこと、つまり、自分もそし て相手も共に喜びに満ちた幸せのために使うことが求められています。 またパウロは不幸を通してしか、かなわない幸せがあることも私たちに伝えています。 パウロはそのことを、栄光を示すために、「神はわたしたちを憐れみの器として」準備し ているのだと表現しています。「憐れみ」とは他者の痛みを、自分の痛みとして感じるこ とです。苦しみや、悲しみや、辛さ、不幸を望む人は誰もいません。しかし、私たちが経 験する苦しみや、悲しみや、辛さを通してしか、つまり自分自身が痛みを感じることを通 してしか、私たち人間は他者の本当の痛みに共感できないのだとパウロは言うのです。 神は私たちを決して不幸のまま見捨てておくことはありません。私たちが経験した苦し みや、悲しみ、心の痛みが、これから私たちが出会う人たちを助け、共に喜びで満たされ る真の幸せを、神は私たちに与えるのだとパウロは伝えています。私たちは決して孤独で はありません。私たちは人から支えられて、また人を支えて生きているのです。私たち人 間は、神が人を通して示す神の愛に支えられていることを心に留めたいと思います。 ●恵みキリスト教会シャローム 765-0073 善通寺市中村町2088-3 新垣 努 牧師 0877-63-3738 ●日本基督教団 琴平教会 766-0004 仲多度郡琴平町榎井387-6 木村一雄 牧師 0877-75-1810 宗教センターからのお知らせ 「チャペルアワーの終了時間が伸びて次の授業に遅刻してしまった。」 という学生からの声から、チャペルアワーにより参加しやすくする為に 7月 1 日より「遅延届」を発行することになりました。 以下の①②をともに満たす場合「遅延届」をセンターにて発行します。 ①チャペルアワーの終了時間が11:05を過ぎた場合 ②2限目の講義を履修している場合 遅延届が必要な学生はチャペルアワー終了後礼拝堂入口にて申し出てください。 時間 10:45~11:05a.m. チャペルヘの招き 2010 年 7 月 19 日 №372(2010-8 号) 主よ、あなたはわたしの神 わたしはあなたをあがめ/御名に感謝をささげます。 (イザヤ書25章1節a) 7月19日(月) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 牧主わが主よ 聖 書 ヨハネによる福音書10:11-12 讃美歌 345 奏 楽 7月26日(月) 補講日につき休みです。 川井田潤一(本学教授) 7月20日(火) 担 当 松田ちから(本学准教授) 題 目 2010 聖 書 ルカによる福音書12:22-27 讃美歌 354 奏 楽 野町太郎 7月27日(火) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 ほむべきかな 聖 書 イザヤ書25:1 讃美歌 534 奏 楽 野町太郎 7月21日(水) 担 当 野町太郎(本学オルガニスト) 題 目 復活 聖 書 イザヤ書62:6-7 コロサイの信徒への手紙3:1-4 讃美歌 354 7月28日(水) 担 当 北村易則(図書課職員) 題 目 かかわるうえで 聖 書 ローマの信徒への手紙12:15 讃美歌 534 奏 楽 野町太郎 7月22日(木) 担 当 清水幸一(本学教授) 題 目 神さまの計画 聖 書 ローマの信徒への手紙8:28 讃美歌 354 奏 四国学院大学 宗教センター www.sg-u.ac.jp メールアドレス [email protected] 場所 清泉礼拝堂 楽 野町太郎 7月23日(金) 担 当 八木洋一(本学非常勤講師) 題 目 家族は今? 聖 書 マルコによる福音書3:31-35 讃美歌 354 奏 楽 野町太郎 奏 楽 野町太郎 7月29日(木) 担 当 三好一弘(父母の会 事務局長) 題 目 思い煩いの原因 聖 書 詩編23編 讃美歌 534 奏 楽 野町太郎 7月30日(金) 担 当 中澤加代(本学助教) 題 目 ありがとう 聖 書 コリントの信徒への手紙一10:13 讃美歌 534 奏 楽 野町太郎 8月2日(月) 担 当 村上茂樹(本学准教授) 題 目 土の器 聖 書 コリントの信徒への手紙二4:1-18 讃美歌 534 奏 楽 川井田潤一(本学教授) チャペル 春季キリスト教強調週間後のチャペルアワーに出席して 田中 寿美子(文学部2年) 熊田茉依(社会福祉学部4年) ああ鐘が鳴っている 一限が終わり、チャペルへ行かなくては 私は、今回のチャペルで各担当の先生からのお話を聞き、日々の生活の様々な場面で、 神様は私たちを支えてくださり、幸せへと導いてくださるのだと感じた。今までの月日を 振り返ると、人が人として生きる中でたくさんの事象が起きる。その事象により、人には 嬉しい・苦しい・悲しい・楽しいなどの感情が生まれ、人間性という性質が成長していく。 感情を感じる事は、人が成長するのに大切な経験で、神様から与えられたものではないだ ろうか。各先生方は、毎日の中にその神様から得た考え方や自身を成長へ導く方法をお話 されたと思う。自分では気がつかない事に対し、友達や親や周りの人から教えてもらった。 そして自分は良い方へと歩いて行けた。その「人から教えてもらう」という機会そのもの が神様から与えられた事象なのではないだろうか。自分では気がつかない事や、逆に自分 が気づいた人の良いところや悪いところ。それを教え合うという事で人は成長し合える。 更に相手と理解し合えていないと出来ない事であると思う。私は毎日の生活の中で、何を 大切にして生きているのかを考えた時に、人から取り入れた知識や技術をどこで・誰に発 揮できるかを探している様に思う。人から人に伝わる事には善し悪しがある。しかし、昔 から人から人へと伝えられてきたからこそ今がある。チャペルにてお話してくださった先 生方一人ひとりが、何を伝えたかったのかを考え、そしてその事を自分の中で上手く取り 入れてまた違う形でも人に伝えるという事が大切だと思う。なので、こうした機会を設け てくださった神様は、きっと人から人へ伝える・伝えられるという事を大切にしていくこ とを教えてくださっていると感じた。 人が生きていく中で覚えている事象のほとんどが、楽しかった事・辛かった事と相対的 な出来事だと思う。特に辛かった事は過去の事としてだけでなく、傷としても残る。辛さ の重みは人それぞれだとしても、決して残していたくはない事は間違いない。人によって 辛い事は経験する必要は無いと考える人も居る。しかし私は、その出来事がもし神様から 与えられた事象だとしたら、どの様な意味を持つのだろうかと考えた。私が辛い出来事に 遭遇してしまったら、神様から与えたれたものは、その出来事の後に自分が何を思い、何 に重点を置き生きていかなければならないのかを“考える機会”を神様が与えてくださっ ているのではないだろうかと思った。人は一人では生きていけない。だからその逆は共に 支えあっているからこそ生きているという事だと思う。嬉しい時には共に喜び、悲しい時 には共に助け合うという機会を神様は与えてくださっている。 前期のチャペルに出席し、日常の様々な出来事に対して、その時々に自分や人に対して 何を伝え支え合うのか。自分を立たして生きていく事は常に神様から与えられた事だと思 うと、一人ではないのだと思える様になれた。 讃美しなくてはと私はいそぐ パイプオルガンの音が聞こえる 讃美歌を歌わなくては その厳かな音色にあわせて ああ鐘が鳴り終わる 休み時間なのに忙しくなってたいへんだけど 私でもお役にたてたらと入った聖歌隊 なんとか間に合った さあ歌おう会衆の方とともに お話を聞こう、お祈りをしよう、皆の魂のために そのひとときは、私をすがすがしい気持ちにさせる 柔らかい朝の光が輝いている朝のチャペル 2010 年度前期最後の「チャペルへの招き」をお届けします。前期中、チャペルアワーにこつこ つと出席して下さっている学生の中から、お二人が書いてくださった文章と詩で前期最後の「チ ャペルへの招き」を締めくくれることを、本当に感謝いたします。 「チャペルを学生たちにとって 集いやすい場所にしてください」という祈りに、神様が耳を傾けてくださっていることを感じま す。 チャペルに集う人、お話をする人、オルガンを弾く人、讃美する人、お祈りによって支える人、 日々の実務を滞りなく整える人、お掃除によって私たちを気持ちの良い礼拝堂に迎える人、皆様 に支えられて前期のチャペルアワーがここまで守られてまいりましたこと、神様と皆様に改めて 深く感謝申し上げます。 どうぞ、長い夏休みの間、皆様の健康を神様が守ってくださいますように。そして、後期授業 再開とともに、またチャペルで皆様にお目にかかれますように。心からお祈りいたします。 宗教委員長 得永幸子 時間 10:45~11:05a.m. チャペルヘの招き 2010 年 10 月 1 日 №373(2010-9 号) あなたの神、主はあなたを良い土地に導き入れようとしておられる。 それは、平野にも山にも川が流れ、 泉が湧き、地下水が溢れる土地、 小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろが実る土地、 オリーブの木と蜜のある土地である。 (申命記8章7節-8節) 10月1日(金) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 「われに来よ」と主は今 聖 書 マタイによる福音書11:28 讃美歌 517 奏 楽 10月5日(火) 担 当 村上茂樹(本学准教授) 題 目 本当の自分を生きる 聖 書 出エジプト記4:1-17 讃美歌 517 楽 野町太郎 10月6日(水) 担 当 北村易則(図書課職員) 題 目 食事の喜び 聖 書 申命記8:7-10,11:13-17 讃美歌 517 奏 四国学院大学 宗教センター www.sg-u.ac.jp メールアドレス [email protected] 楽 10月11日(月) 祝日につき休みです。 野町太郎 10月4日(月) 担 当 中島 歩(社会福祉学部2年) 題 目 わたしはあなたとともにいる 聖 書 出エジプト記3:12(新改訳) 讃美歌 517 奏 楽 川井田潤一(本学教授) 奏 場所 清泉礼拝堂 野町太郎 10月7日(木) 担 当 清水幸一(本学教授) 題 目 あらゆる人知を超える神の平和 聖 書 フィリピの信徒への手紙4:6-7 讃美歌 517 奏 楽 野町太郎 10月8日(金) 担 当 木村一雄 (本学非常勤講師/日本基督教団琴平教会牧師) 題 目 メメント・モリ 聖 書 イザヤ書22:12-13 コリントの信徒への手紙一15:29-34 讃美歌 517 奏 楽 野町太郎 10月12日(火) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 みどりもふかき 聖 書 ルカによる福音書2:39-40 讃美歌 122 奏 楽 野町太郎 10月13日(水) 担 当 中村寿夫 (日本長老教会 満濃キリスト教会牧師) 題 目 神の前に豊かにならない者 聖 書 ルカによる福音書12:16-21 讃美歌 122 奏 野町太郎 楽 10月14日(木) 担 当 中島美和(救世軍高松小隊 小隊長) 題 目 本当に価値のあるもの 聖 書 マタイによる福音書4:17 讃美歌 122 奏 楽 野町太郎 10月15日(金) 担 当 木俣 努(本学監事) 題 目 「言」 聖 書 ヨハネによる福音書1:1-5 讃美歌 122 奏 楽 野町太郎 ◆◆担当牧師の教会案内◆◆ お帰りなさい、キャンパスへ 得永幸子(宗教委員長) 求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。 門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 (マタイによる福音書7:7) 暑い暑い夏休みが終わり、後期が始まりました。お帰りなさい、キャンパスへ。お帰りなさい、 ●日本基督教団 琴平教会 766-0004 仲多度郡琴平町榎井387-6 木村一雄 牧師 0877-75-1810 ●日本長老教会 満濃キリスト教会 766-0013 仲多度郡まんのう町東高篠181-2 中村寿夫 牧師 0877-75-2510 ●救世軍 高松小隊 760-0026 高松市錦町2-9-26 中島美和 小隊長 087-851-0752 チャペルへ。皆さんの元気な声のないキャンパスは深く長い眠りの中に沈んでおりましたが、皆 さんが帰ってきたとたん、木々の緑も急に生き生きしてきたように思われます。今年の秋はいっ たいどんな風景を私たちに見せてくれるのでしょうか。豊かな実りの季節が展開されるのか。厳 しすぎた夏の暑さが実りの上にも翳を落すのか。少し不明な気がいたします。 さて、後期に皆さんの学びはどのような実を結ぶのでしょうか。前期にはチャペルアワー全体 を通して、キリスト教が伝えるさまざまな考え方、ものごとの捉え方をお伝えしてきました。皆さ ん一人ひとりにとって、神とは何か、皆さんの生きる基準はどこにあるのか、あるいは生きる根 拠はどこまで深めて考えられるのか、そうした問いへの導入になればとの、願いをこめていろい ろな方たちに語って頂きました。後期には、皆さんがそれぞれにその問いを深めて行って頂きた 2010年学院クリスマス クリスマス聖歌隊メンバー募集 いと願っております。 大学で学ぶ知識のおそらく全てが、根源的に「それではあなたはどう考えるのか。あなたはど うこの知識を活かし、あるいはどう否定し、そしてどう生きるのか」との問いを皆さんに問いかけ ていると思います。学んだことを自分に引き寄せ、自分の中に問いとして取り込み、熟成させ、 やがて自分なりの答えとして身に引き受けて行く。そんな時間をどうぞ大切にして下さい。それ はけして簡単に答えの出ることではなく、たやすい作業ではありません。これが 100 点という正 答もありません。一人一人が自らの答えに出会うまで問い続ける、ある意味で孤独な道のりで す。しかし、その孤独な問いに必ず寄り添って下さる神さまと出会うためには最適な道のりでも あります。 どうぞ、後期の学びが皆さんの人生にとってかけがえのない問いかけの日々となりますよう に。チャペルアワーでそのささやかなお手伝いをしたいと、祈りつつ毎日皆さんをお待ちしてい ます。 12 月 21 日(火)に行われる学院クリスマスでのクリスマス聖歌隊のメ ンバーを募集します。今まで歌ったことけど、歌ってみたいという方はぜ ひ一緒に歌ってみませんか?楽譜が読めなくても大丈夫です。 練習日時・場所など詳しくは宗教センター又はチラシ・掲示板にて確認 してください。 時間 10:45~11:05a.m. 場所 清泉礼拝堂 特集:四国学院の歩みとともに チャペルヘの招き 2010 年 10 月 18 日 №374(2010-10 号) 心の貧しい人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである。 悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。 (マタイによる福音書5章3-4節) 10月18日(月) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 昔主イエスの 聖 書 マルコによる福音書4:30-32 讃美歌 21-412 奏 楽 川井田潤一(本学教授) 10月19日(火) 担 当 土居千城 (本学卒業生/日本キリスト改革派引退教師) 心の貧しい人は幸いです ― 扉の向こうに広がる世界 ― 聖 書 マタイによる福音書5:1-3 讃美歌 534 奏 楽 野町太郎 題 目 10月20日(水)※10:45-11:25 学院創立記念礼拝 秋季キリスト教強調週間 10月25日(月) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 慕いまつる主イエスよ 聖 書 イザヤ書41:10 讃美歌 新聖歌191 奏 奏 四国学院大学 宗教センター www.sg-u.ac.jp メールアドレス [email protected] 楽 野町太郎 10月22日(金) 担 当 吉田 豊(本学教授) 題 目 体を鍛えて! 聖 書 コリントの信徒への手紙一6:19-20 讃美歌 21-412 奏 楽 野町太郎 川井田潤一(本学教授) 10月26日(火)※10:45-11:25 担 当 末吉高明(本学学長) 題 目 Vos estis sal terrae.(汝らは地の塩である) 聖 書 マタイによる福音書5:13-16 讃美歌 新聖歌191 奏 楽 川井田潤一(本学教授) 10月27日(水)※10:45-11:25 担 当 末吉高明(本学学長) 題 目 「人間」への問い 聖 書 ルカによる福音書7:33-34 マルコによる福音書7:1-8 讃美歌 新聖歌191 奏 10月21日(木) 担 当 八木洋一(本学非常勤講師) 題 目 地を耕す 聖 書 マルコによる福音書4:1-9 讃美歌 21-412 楽 楽 野町太郎 10月28日(木)※10:45-11:25 担 当 末吉高明(本学学長) 題 目 「愛」への問い 聖 書 マタイによる福音書25:31-46 ローマの信徒への手紙12:1 讃美歌 新聖歌191 奏 楽 野町太郎 10月29日(金) 担 当 渕上行道 (日本福音キリスト教会連合 丸亀聖書教会牧師) 題 目 心の目開かれて 聖 書 マタイによる福音書7:1-11 讃美歌 新聖歌191 奏 楽 野町太郎 ※学院創立記念日・秋季キリスト教強調週間は 10:45-11:25 のロングチャペルとなります。 ◆◆担当牧師の教会案内◆◆ 心の貧しい人は幸いです 土居 千城 (日本キリスト改革派引退教師) 私は四国学院の前身である四国キリスト教学園に、昭和25年4月開学当日に入学し、 昭和28年3月に第二回生として卒業しました。年齢で申しますと、約60年前の19歳 から21歳までの三年間でした。 今、思い返してみますと、学園での学びは、私に二つの扉を開いてくれました。第一の 扉は、ギリシャ語への扉でした。ギリシャ語を専攻した私は、初め古典ギリシャ語を学び、 次いで新約聖書ギリシャ語を学びました。 第二の扉は、聖書の世界への扉でした。ギリシャ語で読む聖書には、広々とした世界が あり、慈しみに満ちた世界がありました。 例えば今日のテキスト、「心の貧しい人は幸いです」は、私が初めて読んだ聖書の箇所 でして、戦後すぐの昭和21年の秋、中学三年のときでした。 「奇麗な言葉だなあ……」というのがそのときの感想でした。ところが、ギリシャ語を学 んでいると、聖書の世界がどんどん広がって行きました。 「心」 (プニューマ)は、日本語の「心」では表し切れないもっと広い意味、 「魂」の意味 を含んでいます。 けいけん きよ 「心 また、 「貧しい」 (プトーコス)は、 「敬虔な、聖い」意味も含んでいます。従って、 の貧しい人」は、「神の御前に、自分の魂の貧しさを知る謙遜な人」を表してもいるので す。 そして、学園時代のギリシャ語と聖書の学びは、その後の私の人生に、大きな土台を据 えてくれました。 そこで、毎日のチャペルを通して、皆さんにも聖書の世界が広がりますようお祈りして います。 ●日本福音キリスト教会連合 丸亀聖書教会 763-0012 丸亀市土居町1-7-17 渕上行道 牧師 0877-22-9516 時間 10:45~11:05a.m. チャペルヘの招き 2010 年 11 月 1 日 №375(2010-11 号) 特集:私の学生時代 11月1日(月) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 主が受け入れてくださるから 聖 書 ヨハネによる福音書15:12-13 讃美歌 21-542 奏 ひとりよりもふたりが良い。 共に労苦すれば、その報いは良い。 倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。 倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。 (コヘレトの言葉4章9節-10節) 場所 清泉礼拝堂 楽 川井田潤一(本学教授) 11月8日(月) 担 当 山下泰代(保健館職員) 題 目 私の学生時代 聖 書 コヘレトの言葉4:9-12 讃美歌 21-542 奏 川井田潤一(本学教授) 11月2日(火) 担 当 村上茂樹(本学准教授) 題 目 共に生きる 聖 書 創世記11:1-9 讃美歌 21-542 奏 楽 野町太郎 11月9日(火) 担 当 近藤朋子(宗教センター職員) 題 目 温かな日々 聖 書 フィリピの信徒への手紙2:3-4 讃美歌 21-542 奏 楽 野町太郎 11月3日(水) 11月10日(水) 担 当 中澤加代(本学助教) 題 目 めぐり会う 聖 書 コヘレトの言葉3:1 讃美歌 21-542 祝日のため休みです 奏 11月4日(木) 推薦入試のため休みです。 11月5日(金) 推薦入試のため休みです。 楽 野町太郎 11月11日(木) 担 当 山崎 晶(本学准教授) 題 目 見るまえに跳べ 聖 書 マタイによる福音書6:33-34 讃美歌 21-542 奏 四国学院大学 宗教センター www.sg-u.ac.jp メールアドレス [email protected] 楽 楽 野町太郎 11月12日(金) 担 当 宮橋小百合(本学助教) 題 目 大学生時代で一番苦しかった時期 聖 書 ルカによる福音書6:27-31 讃美歌 21-542 奏 楽 野町太郎 土を耕す 八木洋一(本学名誉教授) わたしは、1971年3月から四国学院大学の教員として 40 年間勤めてきました。気がつくと チャペル 豆知識(1) 70歳になっていました。 「生き死にすることはどういうことか」を、若い時のようにもっぱら前 を向いてではなく、むしろ後ろを振り返る仕方で捉え返すことができる境涯になりました。人生 とか、生涯を一方的にただ「生から死へ」の運動方向、つまりははじまりから終わりの方向から だけでなく、 「死から生へ」の方向、終わりからはじまりの方向からも、往還(行きと還り)とし て感じ取ることのできる人生の時節にさしかかったのだといえるでしょう。 70歳の人生の時節を迎えて、わたしに今語れること、特に若い人たちに語ってみたいことは 何かを改めて考えてみました。それで素直に思ったことは、細々ながらこの50年間、問い続け てきた、人間にとって「宗教とは何か」について辿り着いたことを語ることで、わたしと同じよ うに「生き死にするとはどういうことか」という人生最大の問いを自分の課題として受けとめ、 手放すことなく、粘り強く真剣に取り組んでいる若い人のヒントになれば、幸いなことではない かということでした。と言っても、わたしが何か完全なものに辿りついたなどいう大それた思い でいるわけでは決してありません。 もう一つ改めて気づいたことがあります。それは、「宗教とは何か」について語ることは、 「教 える」-「教えられる」という、いわば一種の権力関係ではなく、その根本は「必要なものを分 かち合う」こと/関係として成り立つのではないかということです。この関係こそ本来の「教育」 ということはないでしょうか。その意味で。 「宗教とは教育である」と言い切れるように思います。 そこで、わたしは、70歳になった自分に次の大きな二つの課題を課して、許される限り、シ リーズとして今後チャペルで話をさせていただきたいと願っています。課題の一つは、宗教は教 育「必要なものを分かち合うこと」であるという命題を展開すること。具体的には、宗教という 観点から教育とは何かを問うことによって、逆に教育の観点から宗教とは何かを深める課題。も う一つは、宗教は教育であるという観点、これを「宗教教育」の観点といえば、この「宗教教育」 の観点をベースに「生涯教育」という理念を基礎づける課題の二つです。 ところで、宗教ということにしても教育ということにしても、いずれも「人間が人間であるこ との本質」にかかわる人間の事象だと言えますが、この場合、 「人間であることの本質」の特徴と は何かといえば、人間は変わらない不変の本質として「ある」のではなく、常に人間としての本 質に「なる」ようなあり方をしているということだと言えるでしょう。 「人間形成」ということが 言われる所以はここにあります。一般的に言って、宗教もまた教育も「人間形成」としての人間 における「いのちの営み」だと言えるでしょう。 さて、 「土を耕す」と言う今日のテーマは、そのような意味での宗教また教育の比喩です。つま り宗教にしても教育にしても、蒔かれた種が成長し実を豊かに結ぶように、 「土を耕す」ようなも のだという比喩、譬えです。テキストでは、よく耕されていない、その意味で荒れた「悪い地」 に落ちた種は成長できずに実を結ぶまでにいたらなかった。しかし「良い地」、すなわち、これは 「良く耕された地」を意味すると考えられますが、 「良い地」に蒔かれた種は、 「はえて、育って、 ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」と言われます。 この比喩で語られていることの意味を、今後、ご一緒に考えていくことにいたしましょう。 讃美歌ってなあに? 歌は人類の歴史の本当に始めのころから、人と共にありました。心の中の思い、 高まる感情、それが自然に抑揚やリズムを持った声になりました。歌のはじまりで す。そして声と声が呼び合って、誰かの声といっしょになり声を合わせるとき、あ るいは声で気持ちを交わすとき、歌はもっと豊かになりました。そうして、人間の 歴史の中で、歌はいつも人々と共にありました。 神様への信頼、感謝、神様に守られて生きることの喜び、そして痛切な神様への 訴えからも歌は生まれます。誰かの歌が、人の心を打ち、いっしょに歌いたくなり、 礼拝で共有されるようになり、楽譜に書留められ、一冊の本になり、こうして讃美 歌集ができていきました。 チャペルアワーは声を合わせて讃美歌を歌うことから始まります。一週間同じ歌 を歌いますから、少しづつ覚えてみましょう。間違ってもいいから、声に出してい っしょに歌いましょう。遠い昔から歌い継がれてきた讃美歌には神様を信じた人た ちの思いの歴史がいっぱい詰まっています。新しく生まれた讃美歌には新鮮な信仰 の姿が歌われます。今は遠く感じられるかもしれませんが、いつかあなたの生きる パワーになるかもしれませんよ。 時間 10:45~11:05a.m. チャペルヘの招き 2010 年 11 月 15 日 №376(2010-12 号) わたしの目にあなたは価高く、貴く わたしはあなたを愛し あなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の代わりとする。 (イザヤ書43章4節) 11月15日(月) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 きみは愛されるため生まれた 聖 書 コリントの信徒への手紙一13:13 讃美歌 きみは愛されるため生まれた 奏 楽 川井田潤一(本学教授) 11月22日(月) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 ガリラヤの風かおる丘で 聖 書 ルカによる福音書23:42-43 讃美歌 21-57 奏 楽 川井田潤一(本学教授) 11月16日(火) 担 当 山浦良治 (日本バプテスト連盟丸亀城東町キリスト教会牧師) 言葉はあなたの口と心に 聖 書 申命記30:11-14 讃美歌 きみは愛されるため生まれた 奏 楽 野町太郎 題 目 11月17日(水) 担 当 野町太郎(本学オルガニスト) 題 目 収穫の時 聖 書 ヨブ記2:7-10 マルコによる福音書4:13-20 讃美歌 きみは愛されるため生まれた 奏 楽 野町太郎 11月18日(木)※学生プロデュースチャペル 担 当 詫間佳子(キャンパス・ソーシャル・ワーカー) 題 目 伴走者として 聖 書 イザヤ書43:4 讃美歌 きみは愛されるため生まれた 奏 四国学院大学 宗教センター www.sg-u.ac.jp メールアドレス [email protected] 場所 清泉礼拝堂 楽 松本佑紀(社会福祉学部4年) 井村あゆみ(社会福祉学部2年) 11月19日(金) 担 当 福田 哲(日本基督教団 多度津教会牧師) 題 目 動かず動く 聖 書 ルカによる福音書10:38-42 讃美歌 きみは愛されるため生まれた 奏 楽 野町太郎 井村あゆみ(社会福祉学部2年) 11月23日(火) 祝日のため休みです。 11月24日(水) 担 当 上野清次郎 (日本基督教団坂出大浜教会牧師) 題 目 自由を得させる真理 聖 書 ヨハネによる福音書8:31-38 讃美歌 21-57 奏 野町太郎 楽 11月25日(木) 担 当 ダビデ・ジャンカー(高瀬キリスト教会牧師) 題 目 「空の空」2 聖 書 伝道者の書1:3-11(新改訳) 讃美歌 21-57 奏 楽 野町太郎 11月26日(金) 担 当 隅野 徹(日本基督教団香川教会牧師) 題 目 心の目が開かれるように 聖 書 エフェソの信徒への手紙1:15-19 讃美歌 21-57 奏 楽 野町太郎 ☆サークル紹介☆ 現在チャペルを拠点として活動しているサークルを紹介します。 クリスマスの飾りつけやリース作りを一緒にしませんか? ☆ KGK一粒の麦 いち ば く <一麦って??> 宗教センターでは、チャペル内の、クリスマスの飾りつけや、リース作りを行います。 この機会に、皆さんもご一緒にクリスマスを迎える準備をしましょう。 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは 一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます (新改訳聖書:ヨハネの福音書 12 章 24 節) ~私たちは小さい者ですが、私たちが、神様のことを伝えることで実は結ばれる。~ 11月24日(水)-26日(金) 11月29日(月)15:10-18:30 於 宗教センター <活動> 毎週火曜日の昼休みに、チャペル二階にある集会室で讃美をしたり聖書を通して語りあったりして います。今は、聖書の一番初めの創世記について学んでいます。1 年生から 4 年生、まで、アット ホームな雰囲気で活動中!!聖書に興味がある人は一度チャペルへどうぞ。 いろんな人と出会える機会がたくさんあり。毎回新鮮な活動をしています。聖書に書いてある謎だ らけの文を解いていくのがおもしろいーです。誰かと一緒に活動できることが幸せ~です。 A:明日 C:チャペルで M:待ってるよ! A・C・Mより 学院クリスマス 2010年12月21日(火)清泉礼拝堂 講師:村上茂樹 (本学准教授) クリスマス礼 拝:10:45~11:25 燭 火 礼 拝:17:00~18:00 チャペル豆知識(2) ☆ 清泉礼拝堂聖歌隊 <活動日> 毎週水曜日 17:00~19:00 清泉礼拝堂にて練習しています。 <メンバーより一言> ・ 個人レッスンでは自分の声と向き合い、全体練習では、ハーモニーのひとつとなるような声 のあり方を学びます。学びの多いやりがいのある活動です。練習は真剣そのもの。飲み会 では、思いっきりはじける。聖歌隊に入隊すれば、充実した学院生活間違いなし!!歌 うのが好きな人、いつでも扉を開いて待っています。 ・ この聖歌隊は驚くほど個性豊かな人たちで構成されています。普段は統一性がなさそう なメンバーですが、歌を歌うとなれば不思議なことに、一体となってきれいなハーモニーを 奏でちゃうんです。私もその中に混じって、いつも楽しく歌わさせてもらってます。クリスマス には活躍する予定なので、楽しみにしてください。 ・ 私が、聖歌隊に入ったときは、歌うことが好きで入りましたが、今はもっと歌うことが好きに なったので、聖歌隊に入ってよかったと思いました☆ ・ 何に対しても全力投球!!活気溢れるサークルです。 <先生より一言> ・ 神と人とに仕え、皆さんの心の糧となるような音楽を目指し、11人で精進しています。 メンバー一人一人の成長を見守ってください。 クリスマスって何? 季節が冬に向かってくると、町のあちこちでクリスマス・ソングが流れ、クリスマスツリーやライトアップされ た町並みなど、クリスマス気分が盛り上がってきます。四国学院大学でもさまざまなクリスマス行事が 次々と開かれます。 でも、クリスマスって何?プレゼントやパーティの季節? 実はクリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う時なのです。2000 年前のイスラエルはローマの支配下に あり、人々はローマの圧制におびえ、重税にあえいでいました。暗黒時代は長く続き、人々は苦しみの 中で、じっと耐えながら自分たちを解放してくれる「救い主が生まれる」と言う古くからの預言を信じて待 ち続けていました。そして、クリスマスのこの日、人々が待ち望み続けていた救い主、神のひとり子イエス・ キリストが生まれたのです。2000 年経った今、キリストを自分の救い主と信じる人々によって今年も世 界中でクリスマスが祝われます。 けれども、キリストが説き明かした罪から解放されて生きる新しい生き方を、人々は受入れませんでし た。彼らが待ち望んでいたのはローマの支配からの解放であって、自分の罪からの解放ではなかったので す。裏切られたと感じた人々はやがてキリストを十字架につけて殺してしまいます。クリスマスはそんなキリ ストの苦難の生涯の始まりでもあります。しかし、これこそが私たち人間に永遠のいのちを与えるための 神さまの大きな大きなご計画ですから、クリスマスは喜びと同時にとても厳粛なときでもあるのです。 時間 10:45~11:05a.m. 場所 清泉礼拝堂 特集:人権週間 チャペルヘの招き 2010 年 11 月 29 日 №377(2010-13 号) わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。 (マタイによる福音書28章20節b) 11月29日(月) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 主を待ちのぞむ 聖 書 イザヤ書9:1-2 讃美歌 94 奏 楽 川井田潤一(本学教授) 奏 楽 川井田潤一(本学教授) 11月30日(火) 担 当 八木洋一(本学名誉教授) 題 目 いのちという原テキスト 聖 書 マタイによる福音書6:25-34 讃美歌 94 奏 楽 井村あゆみ(社会福祉学部2年) 松本佑紀(社会福祉学部4年) 12月7日(火) 担 当 仲宗根政貴(大学院社会福祉学専攻) 題 目 come rain or come shine 12月1日(水) 担 当 河崎倫子(四国福音キリスト教会牧師) 題 目 あなたに本当のクリスマスを! 聖 書 ヨハネによる福音書1:1-5、14 讃美歌 94 12月8日(水) 担 当 片岡信之(本学助教) 題 目 北欧のノーマライゼーション思想 聖 書 ヤコブの手紙2:8-9 讃美歌 103 奏 楽 野町太郎 12月2日(木) 担 当 橋本一仁 (クリスマス・プロジェクト実行委員長/社会学部長) 四国学院大学 宗教センター www.sg-u.ac.jp メールアドレス [email protected] 12月6日(月) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 羊飼のみた光 聖 書 ルカによる福音書2:8-11 讃美歌 103 いつもあなたがたと共にいる 聖 書 マタイによる福音書28:16-20 讃美歌 94 題 目 奏 楽 野町太郎 12月3日(金) 担 当 小野淳子 (日本イエス・キリスト教団 高松新生教会牧師) 題 目 まことの光が世に来た 聖 書 ヨハネによる福音書1:1-13 讃美歌 94 奏 楽 野町太郎 ―どんなときでも、最良のものを― 聖 書 テサロニケの信徒への手紙5:12-15 103 奏 楽 野町太郎 讃美歌 奏 楽 野町太郎 12月9日(木) 担 当 大山治彦(本学教授) 題 目 ヤワラちゃんにみる男女共同参画 聖 書 ガラテヤの信徒への手紙3:28 讃美歌 103 奏 楽 野町太郎 12月10日(金) 担 当 渡邊紗織(社会福祉学部2年) 題 目 悲しむ人とともに悲しむ 聖 書 マタイによる福音書25:35-40 讃美歌 103 奏 楽 野町太郎 伴走者として 詫間 佳子(キャンパス・ソーシャルワーカー) (11 月 16 日チャペルアワーより) 11 月 28 日(日)から始まるアドベント(待降節)とクリスマス期間中の クリスマス・プロジェクト行事の中から、清泉礼拝堂で行われるものをお知らせします。 今日のチャペルは、学生プロデュースということで、学生が企画、讃美歌の選択、司会進行、祈祷などすべて を担当しています。また私がメッセージをお伝えすることになったのも学生自身からの依頼によってのことです。学 生とともにありたいと考えている私にとって、この依頼はとても光栄なことです。四国学院にいて、毎日開かれるチ ャペルを大事に思い、チャペルにより多くの人が参加することを願う学生がいるということを私自身も大事にし、多く の方にこのことを知ってほしいと思います。 学生プロデュースということで、いつもと違うチャペルではありますが、メッセージとしては特別なことができるわけで 四国学院大学クリスマス・コンサート 「聖なるクリスマスの調べ」 12 月 8 日(木)18:30 開演(18:00 開場) 入場無料 はありません。私がこの大学のキャンパス・ソーシャルワーカーとして大事にしていることを自分自身改めて考え、お 伝えできればと思っています。 私は四国学院大学の社会福祉学科で 4 年間過ごし、その後、社会福祉施設や精神科病院でソーシャルワ ーカーとして勤務した後、3 年前からキャンパス・ソーシャルワーカーとして、母校であるここ四国学院大学に勤務 しています。 第 34 回四国学院大学メサイア演奏会 12 月 11 日(土)18:00 開演(17:30 開場) 入場料:一般 2800 円、学生 1000 円 この間、たくさんの学生たちとの出会いがありました。友達とのこと、家族との関係、あるいは自らの障害や病の こと・・・皆、何かしらの生きづらさをかかえながらも自分の生き方や人生を懸命に模索しています。私は、それまで 彼らがその時その時を生きてきたことに心を動かされ、これからの自身の生き方について語る姿に感動します。彼 らの未来を描く時間を共有できることは喜びのひとつです。 時にソーシャルワーカーって何する人?と聞かれることがあります。生活の伴走者という表現が、学生にも、また 宗教センター、初年次セミナーⅡ プロジェクト 「クリスマス週間チャペルアワー」 12 月 13 日(月)~16 日(木)10:45~11:05 私自身にもしっくり来るような気がします。一緒に歩き、疲れたら一緒に休み、そろそろ行こうかとまた一緒に歩き 出すような伴走者です。 例えば、24 時間テレビのマラソンでは、ひとりの人が走るために多くのスタッフがチームを組んで伴走しています。 最後の舞台でスポットライトがあたるのはランナーだけです。伴走者は、さあいってらっしゃいと送り出すだけです。 高校生のためのチャペルプログラム 12 月 17 日(金)16:30~18:00 あるいは、エベレスト登頂でも同じように、多くの伴走者、支援者に支えられ、例えばひとりの人がゴールである 頂上をめざします。しかし、ゴールを目の前にしながらも、時にその人の体力、天候、時間の制約によっては、登 頂を断念することがあります。それを一緒に泣きながらも考え、最後は登頂者自身が山を降りるという決断をする こともあるのでしょう。 第 18 回善通寺市民クリスマス 12 月 18 日(土)18:30~20:00 自分の人生を生きるのは、その人自身であって、どんなに行きづまったり、悩んだりしても、それを代わって生き ることができないように、代わりに何とかしようとしたり、解決したりはできないでしょう。行きづまりや悩みも自分のこ とと受け止めながら、自分の人生を生きていこうとすることに価値があり、尊いことであると思います。 中国に生まれた教育者、ジェームズ・イェンのことばに次の様なものがあります。 人々の中へ行き 人々と共に住み 人々を愛し 人々から学びなさい 2010 年 12 月 21 日(火) 人々が知っていることから始め ク リ ス マ ス 礼 拝:10:45~11:25 人々がもっているものの上に築きなさい キャンドルサービス:17:00~18:00 しかし、本当にすぐれた指導者が仕事をしたときには その仕事が完成したとき 人々はこう言うでしょう 「我々がこれをやったのだ」と この詩が意味するところを心に刻みながら、これからも伴走者としてのソーシャルワーカーでありつづけたいと思い ます。 学院クリスマス 講師:村上茂樹(本学教員) 時間 10:45~11:05a.m. 場所 清泉礼拝堂 特集:クリスマスを考える チャペルヘの招き 2010 年 12 月 13 日 №378(2010-14 号) 天使は言った。 「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。 この方こそ主メシアである。 12月13日(月) 担 当 橋本一仁(社会学部長) 題 目 イエスはベツレヘムの馬小屋に生まれ… 聖 書 ルカによる福音書2:1-7 讃美歌 109 奏 楽 川井田潤一(本学教授) 12月14日(火) 担 当 村上茂樹(本学准教授) 題 目 私たちと共にいる神 聖 書 マタイによる福音書1:18-25 讃美歌 109 奏 楽 川井田潤一(本学教授) (ルカによる福音書2章10節-11節) 12月15日(水) 担 当 清水幸一(本学教授) 題 目 クリスマス新たな旅立ち 聖 書 ルカによる福音書2:8-21 讃美歌 109 奏 楽 野町太郎 12月20日(月) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 主はきませり 聖 書 ルカによる福音書4:18-19 讃美歌 112 奏 楽 川井田潤一(本学教授) 12月21日(火)※学院クリスマス 担 当 村上茂樹(本学准教授) 題 目 神の一滴 聖 書 ヨハネによる福音書1:16-18 讃美歌 112 奏 楽 野町太郎 12月22日(水) 担 当 加藤親平 (日本キリスト改革派 善通寺協会牧師) 題 目 闇を引き裂く光 聖 書 ルカによる福音書2:8-18 讃美歌 112 奏 野町太郎 楽 12月16日(木) 担 当 杉本孝作(副学長) 題 目 クリスマス・プレゼント 聖 書 マタイによる福音書2:1-12 讃美歌 109 奏 四国学院大学 宗教センター www.sg-u.ac.jp メールアドレス [email protected] 楽 野町太郎 12月17日(金) 担 当 栗林輝夫(本学監事) 題 目 東方の三博士とは誰のこと? 聖 書 マタイによる福音書2:1-12 讃美歌 109 奏 楽 野町太郎 ※学院クリスマス・チャペルアワーは 10:45~11:25 までです。 闇に輝く光 得永幸子(宗教委員長) 2000 年前のイスラエル地方はローマ帝国に支配されていました。その前も様々 な外国の支配の下にあり、人々は永い間圧制に苦しみ、重税にあえいでいました。 暗黒時代がずっと続いていたのです。その中で、人々はその暗闇を打ち破り、自 分たちを解放してくれる救い主が生まれると言う聖書の預言を信じ、ひたすら待 ち続けていました。 イスラエル地方の周りは砂漠地帯です。その砂漠地帯の数少ない草地で草を求 めて羊を連れ歩く羊飼いたちがいました。そこでは狼が絶えず羊を狙っていまし たから、彼らは一年中屋外で羊と共に寝起きして羊を守る必要がありました。羊 飼いたち自身が狼に襲われる危険とも隣合せであったに違いありません。彼らに とり、夜は星と月、自分たちの作る焚き火以外の明りはありませんでした。荒野 はひたすら漆黒の闇の中にあったのです。 そして、ローマの圧政に苦しむ民は、辛く危険な生活を送る羊飼いたちを、宗 教的戒律も守らず、教養もない粗野な者として、自分たちよりさらに蔑んでいま した。 イスラエルは 2 重の闇に包まれていたのです。そんな彼らの上にかつて見たこ とがない明るい星がひとつ輝きました。救い主イエス・キリストの誕生を知らせ る星でした。 最初にこの星に気づいたのは神殿に務める偉い人でもなければ、政治を司る総 督でもなく、この羊飼いたちでした。驚いて星を見上げる彼らに天の使いが現れ、 救い主の誕生が知らされたのです。神の独り子イエス・キリストをお与えになっ た限りない神様の愛が私たちの上に注がれていること、その愛は地位や身分に関 係なくすべての人に注がれていること、そのことを示すために神様は羊飼いたち を選ばれたのです。 今でも、街の明かりの届かない山奥や、街中でも月の出ないくらい夜、星がひ ときわ明るくまたたくのをみなさんもご存じだと思います。私たちを取り囲む闇 が深ければ深いほど、私たちが光を待ち望む思いは強くなります。人間の絶望の 暗闇を打ち破る光として、イエス様がこの世に来られたことを実感するために、 クリスマス時期になると、あちこちでロウソクやイルミネーションが点されます。 そのため、街はいつもより明るいくらいです。現代人は本当の暗闇というもの をほとんど知らないと言っていいでしょう。けれども、それではこの現代の世界 が明るい希望に満ちているかというと、むしろ白々とした人工の明かりに、終始 隅々まで照らされることで、自分たちを取り囲む闇も、自分たちにとって何が希 望の光になるかも区別がつきにくい状態になっているのではないでしょうか。そ して、そのために私たちは闇を見据える力を失ってきた気がします。クリスマス を、2000 年前に暗闇の中で救い主の誕生を待ちわびていた人々の思いに触れ、そ の闇にてりわたったいのちの光、主イエスキリストの誕生を私たち自身の中に迎 えるときとしたいものです。 時間 10:45~11:05a.m. 場所 清泉礼拝堂 チャペルヘの招き 1月3日(月) 1月10日(月) 祝日の為休みです。 2011 年 1 月 6 日 №379(2010-15 号) この水を飲む者はだれでもまた渇く。 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。 1月4日(火) (ヨハネによる福音書4章13節b-14節a) 1月5日(水) 1月11日(火) 担 当 村上茂樹(本学准教授) 題 目 喜びを共に 聖 書 フィリピの信徒への手紙2:12-18 讃美歌 304 奏 楽 野町太郎 1月12日(水) 担 当 久保量生(善通寺バプテスト教会牧師) 題 目 博士たちの贈り物 聖 書 マタイによる福音書2:1-11 讃美歌 304 奏 1月6日(木) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 真実なるみかみを 聖 書 マタイによる福音書7:24-25 讃美歌 304 四国学院大学 宗教センター www.sg-u.ac.jp メールアドレス [email protected] 奏 楽 野町太郎 1月7日(金) 担 当 島 達夫(本学教授) 題 目 生命の泉 聖 書 ヨハネによる福音書4:13-14 讃美歌 304 奏 楽 野町太郎 楽 野町太郎 1月13日(木) 担 当 八木洋一(本学名誉教授) 題 目 己事究明としての宗教 聖 書 マタイによる福音書7:7-11,13-14 讃美歌 304 奏 楽 野町太郎 1月14日(木) 担 当 木村一雄(本学非常勤講師/ 日本基督教団琴平教会牧師) きっぱり捨てて歩み出せ! 聖 書 マタイによる福音書2:1-12 讃美歌 21-279 奏 楽 野町太郎 題 目 主の恵みの年 学院クリスマスのご報告 得永幸子(宗教委員長) 主がわたしを遣わされたのは、 捕らわれている人に解放を、 目の見えない人に視力の回復を告げ、 圧迫されているひとを自由にし、 主の恵みの年を告げるためである。 (ルカによる福音書 4:18~19) 昨年12月21日に行いました、学院クリスマスについて以下の通りご報告します。 ■ 献金のご報告 ■ 学院クリスマスチャペル・アワー、キャンドルサービスにおいて捧げられました学院クリスマス献金 は、総額 25,831 円でした。これを以下の内訳で 2 つの団体に送金させて頂きました。感謝して ご報告申し上げます。 社会福祉法人 香川いのちの電話協会 日本国際飢餓対策機構 新しい一年が始まりました。4 つの季節がめぐり、必ずまた新しい年が来る。当たり前 と言えば当たり前ですが、こんなすごいことが当たり前に訪れることに人間や自然や宇宙 12,831 円 13,000 円 を超えた大いなる力を感じずにはいられません。 どうもありがとうございました。 日本人は古来、新年をとても大切なものと受け止めてきました。日本人はもともと宗教 的な感受性の豊かな民族でした。初詣、初日の出を拝む早朝登山、それらは宗教が力を失 った今でも、多くの人によって受け継がれています。かねては宗教を全く意識せずに生活 ■ 学院クリスマス参加者ご報告 ■ している人々も、四季がめぐり新しい年が来るとき、何か身が引き締まる気持ちがし、そ 午前の学院クリスマスチャペル・アワー、午後のキャンドルサービス参加者は以下の通りです。 うすると自分を超えたものの前に自然に祈りの姿勢を取るのではないでしょうか。今でも、 私たちはたとえ特定の宗教を信じていなくても、宗教的感性を持ち続けているのだと思い ます。 そんな新年は、自分自身の様々な問題の中に閉じ込められている私たちを解放し、見る べき真実を見られずにいる私たちの目を開いてくださり、本当の自由へと導いてくださる 主イエス・キリストを思うのに一番ふさわしいときではないでしょうか。休暇前に繰り返 し語られたクリスマスの喜びは、けして季節限定のものではありません。キャンドルサー ビスで点した火は一年中私たちの内にあります。その火を燃やし続け、内からその炎が輝 き出るような生き方をすることができたら、と切に願います。 どうぞこの一年が皆さんにとって主の恵みが溢れる一年でありますように。その恵みを み な 感じ取れる感性が活発に活動する一年でありますように。主の聖名によって心からお祈り します。 ・ ・ 学院クリスマスチャペル・アワー キャンドルサービス 109名 102名 時間 10:45~11:05a.m. チャペルヘの招き 2011 年 1 月 17 日 №380(2010-16 号) 神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは動揺しない。 (詩編62編7節) 1月17日(月) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 まどろみ眠りまさじ 聖 書 詩編121:1-2 讃美歌 301 奏 楽 松本佑紀(社会福祉学部4年) 1月18日(火) 担 当 相澤弘典(松山城南高校 宗教主任) 題 目 試練と逃れる道 聖 書 コリントの信徒への手紙一10:13 讃美歌 301 奏 楽 野町太郎 1月19日(水) 担 当 増田屋和子(本学卒業生) 題 目 応えの歩み 聖 書 詩編37:23-24 マタイによる福音書28:16-20 讃美歌 301 奏 楽 野町太郎 1月20日(木) 担 当 松田基教(日本キリスト改革派高松教会牧師) 題 目 神にのみ、希望を置く 聖 書 詩編62:6-7 讃美歌 301 奏 四国学院大学 宗教センター www.sg-u.ac.jp メールアドレス [email protected] 楽 野町太郎 1月21日(金) 担 当 金子えつこ(本学非常勤講師) 題 目 「幸せにする」と「幸せになる」 聖 書 ルカによる福音書11:9-13 讃美歌 301 奏 楽 野町太郎 場所 清泉礼拝堂 1月24日(月) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 主をほめたたえまつれ 聖 書 詩編92:2-4 讃美歌 9 奏 楽 松本佑紀(社会福祉学部4年) 1月25日(火) 補講日のため休みです。 1月26日(水) 担 当 丸橋布美子(文学部 4 年) 題 目 条件のない愛 聖 書 イザヤ書43:4 讃美歌 9 奏 楽 野町太郎 1月27日(木) 担 当 信太聖吾(日本基督教団坂出教会牧師) 題 目 安心して行き(生き)なさい 聖 書 ルカによる福音書7:47-50 讃美歌 9 奏 楽 野町太郎 1月28日(木) 担 当 斎賀 稔 (日本福音キリスト教会連合善通寺キリスト教会牧師) 罪赦された人 聖 書 詩篇32:1-2(新改訳) 讃美歌 9 奏 楽 野町太郎 題 目 己事究明としての宗教 八木洋一(本学名誉教授) 前回のチャペルで「いのちという原テキスト」というタイトルで話をしましたが、どうも上手く伝わらなかった ようです。それで今回は同じ趣旨のことを違った観点から言い直してみたいと思います。 前回の話の要点は何であったかといいますと、「宗教とは何か」という問いを自分の真剣な問いとして 自らに引き受け、その問いに答えを求めようとするとき、その究明の根本的な、また最終的な参照すべ き準拠、つまり reference は何かというと,それは、わたしたち一人ひとりが現に「身体として今ここに生き ている」という「いのちの営み」としての原テキストであるということでした。 「己事究明」という言葉があります。これは、煎じ詰めると「『私』とは何か」という問いをどこまでも根本 から、徹底的に追求し、納得することを意味します。「『私』とは何か」というこの問いは、次のように言い 換えることができます。「『私』は、どこから来たのか、また、なぜいまこの瞬間ここにこうしているのか、そし てやがてどこへ行くのか」という、人間として生きている限り、避け難い問いとしてわたしたちを悩ませる問 いです。P. ティッリヒは、この問いは人間の究極的関心であると言っていました。 ところで、わたしたち人間を「宗教とは何か」という問いに向かわせる内発力は何でしょうか。 それは、人間の、「いのちの営み」としての究極の関心事であるこの問い、すなわち、わたしたち一人ひ とりの生き死にする「いのちの営み」が究極的に何によって成り立っているのかという問いだと考えられま す。 この場合、わたしは、わたしたちの生き死にする「いのちの営み」とそれを成り立たせる究極的なはたら きを「いのちのはたらき」として区別し、その関係を考えるということにしています。 そうすると、「己事究明」の問い、つまり、「『私』は、どこから来たのか、また、なぜいまこの瞬間ここにこ うしているのか、そしてやがてどこへ行くのか」という問いは、その問い自体はわたしたちの「いのちの営み」 ですが、その問いは、「いのちの営み」が、それとして成り立つ「いのちのはたらき」そのものに対する究極の 関心として発せられているということになります。その意味でこの究極の関心そのものが、人間における 「いのちのはたらきの」の「いのちの営み」だと言えるのです。 この究極の関心事は、人間のその他の無数の関心事とは次元が異なります。イエスに倣って言えば、 「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようか」といった関心事とは次元が異なるのです。 イエスのメッセージについてはおいおい立ち入って話すことになると思いますが、その中心は、何はさてお いても、またどんな犠牲を払っても、まず「神の支配」(神のはたらき)を求めなさい、ということだった考え られます(マタイ13:44、45参照)。イエスの語る「神の支配」(はたらきとしての神)とは、今日の話の 脈絡で言いますと、己事究明の問いとして言い表される人間の究極的関心事、すなわち、わたしたち の生死の「いのちの営み」がその実現として成り立つ「いのちのはたらき」のことだと言えます。 本日のテキスト、マタイの7:7〜11におけるイエスの言葉、すなわち、「求めよ、そうすれば、与えられ るであろう。探せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば開けてもらえるであろう。すべて求 める者は得、探す者は見いだし、門をたたく者は開けてもらえるからである」という言葉、これは、イエス 自身の己事究明の道としての生きる経験から出た言葉として読めます。そうである限り、この言葉は己 事究明の道を真剣に歩むわたしたちへのイエスの励ましの言葉になるはずです。 しかし、13、14節を視ますと、イエスは、恐ろしい人間の現実を直視しているとも読めます。つまり、 己事究明(宗教)としての「いのちにいたる門」は狭く、その道は細く困難をともなう。それを見いだす人は 少ない。反対に己事究明の狭い門、細い困難な道を逸れて、安易な大きな門、広い道をいく人は多 いが、それは、滅びにいたる門、また道であるとイエスは言うのです。さあ、あなたは、どうしますか、とイエ スはわたしたち一人ひとりに決断をせまって来るようです。この一年も一人ひとりがそれぞれの「己事究 明」の道を歩みたいものです。 ◆◆担当牧師の教会案内◆◆ ●日本キリスト改革派 高松教会 760-0072 高松市花園町2-8-13 松田 基教 牧師 087-831-5638 ●日本基督教団 坂出教会 762-0031 坂出市文京町1-9-14 信太 聖吾 牧師 0877-46-4604 ●日本福音キリスト教会連合 善通寺キリスト教会 765-0011 善通寺市上吉田町3-2-2 斎賀 稔 牧師 0877-62-0966 川井田先生をしのんで 毎週月曜日のチャペルアワー、入学式や卒業式などの学校行事、クリスマス関連の様々 な礼拝でオルガンを弾いていてくださった川井田潤一先生が1月3日19時23分にお 亡くなりになりました。12月初旬から体調を崩しておられましたが、クリスマス前の多 忙な時期を何とか乗り切ろうと踏ん張っておられました。けれども学院クリスマスの前日、 ついに「やっぱり無理です」という言葉を残して、入院。一日も早いご回復をという皆の 祈りにもかかわらず、帰っていらっしゃることはできませんでした。 あまりにも突然の死に、多くの教職員学生がことばを失い、呆然と立ち尽くすのみでし た。特に初年次基礎演習クラスターの学生、ゼミの学生の皆さんの悲しみはいったい如何 ばかりでしょうか。皆さんを慰めるためのことばを見つけることができません。 けれども一方で、私たちは深い悲しみや大きな喪失感を通して、かえって互いをとても 近くに感じられる気がいたします。残されたものの身体が丸裸のいのちとしてここにいる、 はかな そのいのちがなんとも 儚 く愛おしく大切なものに思われます。どれほどそのいのちが互 いを必要とし合っているか、川井田先生の死は、私たちにそのことを気づかせてくれます。 そして悲しみの中で寄り添う人々の、その中には川井田先生も一緒にいらっしゃると感じ ずにはいられません。 私たち一人ひとりが、先生と出会えたことの幸せ、先生と過ごした時間が与えてくれた ものの豊かさ、今の悲しみ、共に泣くことのできる仲間の存在、それらすべてを大切にし たいと心から願っております。そして、インマヌエル(我ともにいます)の主ご自身が私 たちと共に泣き、寄りそってくださることを感じたい、そこに本当の慰めを見出したい、 そう切に祈らずにはいられません。 (宗教委員長 得永幸子) 時間 10:45~11:05a.m. チャペルヘの招き 2011 年 1 月 31 日 №381(2010-17 号) 主があなたを祝福し、あなたを守られるように。 主が御顔を向けてあなたを照らし/あなたに恵みを与えられるように。 (民数記6編24-25節) 1月31日(月) 担 当 得永幸子(宗教委員長) 題 目 神、共にいまして 聖 書 イザヤ書41:10 讃美歌 405 奏 楽 井村あゆみ(社会福祉学部2年) 2月1日(火) 担 当 松本佑紀(社会福祉学部4年) 題 目 神が備えられた恵み 聖 書 コリントの信徒への手紙一10:13 讃美歌 405 奏 楽 野町太郎 2月2日(水) 担 当 菅原 豊 (日本福音キリスト教会連合 白金キリスト教会牧師) 主があなたを祝福されますように 聖 書 民数記6:22-27 讃美歌 405 奏 楽 野町太郎 題 目 2月3日(木) 担 当 白石剛史 (日本同盟基督教団 高松泉キリスト教会牧師) 隔てを超えて 聖 書 ヨハネの福音書4:7-9(新改訳) 讃美歌 405 四国学院大学 宗教センター www.sg-u.ac.jp メールアドレス [email protected] 題 目 奏 楽 野町太郎 2月4日(金) 補講日につき休みです。 場所 清泉礼拝堂 2月7日(月) 担 当 松田ちから(本学准教授) 題 目 共に喜び、共に泣く 聖 書 ローマの信徒への手紙12:15 讃美歌 405 奏 楽 井村あゆみ(社会福祉学部2年) 2月8日(火) 担 当 村上茂樹(本学准教授) 題 目 始まりの時、終わりの時 聖 書 ヨハネによる黙示録21:1-7 讃美歌 405 奏 楽 野町太郎 ■ 感 謝 この一年間の日々のチャペル・アワーを、多くの方々のお支えとお祈り、また、ご奉仕によって、守るこ とができました。ここでは特に労苦頂いた学生の皆さんのお名前を記し、感謝とさせて頂きます。 三人の兄弟たち 村上茂樹(本学准教授) ヨーロッパに、こんなブラックジョークがあります。 父親からとても愛されていた三人の兄弟がいました。ある日、上の二人の兄たちがどこ かへ遊びに行っていて、家には一番末の子だけが残っていました。父親はその一番末の子 を抱き上げ、「私はお前を愛しているよ、お前は私の宝だ。さあ私が大切にしているこの 指輪をお前だけにあげよう。」と言って指輪を与えました。時は流れ、父親は天に帰らな くてはならない時が来ました。父親は三人の子どもたちを枕元に呼び、「私が天に帰った 後、私の後を継ぐのは私が一番愛した子どもだ」と言って、天に帰って行きました。残さ れた三人の子どもたちは自分たちの中で誰が一番父親から愛されていたのだろうかと議 論を始めました。父親から指輪をもらっていた一番末の子は兄たちに指輪を見せて、自分 こそが一番父親から愛されていたと主張しました。すると二人の兄たちは指を差し出しま した。二人の兄たちが差し出した指には、末の子が父親からもらったのと全く同じ指輪が はめられていました。三人の子供たちは全く同じ指輪を父親から贈られていたのでした。 それからと言うもの三人の兄弟はそれぞれ、自分こそ一番父親から愛されていたんだと言 って譲らず、争い続けているそうです。この三人の子どもの名前は、ユダヤ、イスラム、 キリストというのだそうです。 ユダヤ教、イスラム教、キリスト教この三つの宗教は共に旧約聖書を重んじ、同じ神、 聖書の神を信じている宗教です。イスラム教は「アッラーの神を信じる」宗教として知ら れていますが、アッラーの神とは旧約聖書に出てくるアブラハムのことです。アブラハム と妻サラには子どもがなかなかできませんでした。そこでサラは自分の召使ハガルとアブ ラハムとの間に子どもをもうけて跡継ぎにすることを考えました。こうしてアブラハムと ハガルの間にイシュマエルという子が生まれます。このイシュマエルがアラブ人の祖先、 イスラム教の創始者モハメットの祖先とされています。アブラハムとサラとの間にはイサ クという子が生まれます。このアブラハム、イサクと受け継がれて行くのがユダヤ教です。 キリスト教はユダヤ教から分かれた宗教ですから、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、 この三つの宗教は父なる神を同じくする兄弟ということになります。 冒頭の話を聞いたら、今この三つの宗教が互いに争っている原因、喧嘩の種を作ったの は神様ではないか。神様がすべて悪い。神様にすべての責任があると思うかもしれません。 でもブラックジョークには皮肉が込められています。なかなか本当のことが行われないこ とに対して人は皮肉を言います。ですからこの話にも皮肉が込められています。 神様はこの三人の子供たちを等しく愛し、この三人の子供たちが自分の後を継ぐように 願いました。だから三人の子供たちに指輪を渡しました。指輪は輪です。輪とはつながっ ていて、結ばれています。平和を象徴しています。神様は互いに助け合って、神様が創っ たこの世界を平和に導くことを願って、三人の子供たちに指輪を渡しました。それなのに 神様の願いに反して、この三つの宗教は互いに自分が正しいと言い張って、互いに支え合 って父なる神様が創ったこの世界を平和に導くどころか、喧嘩ばかりしているということ をこの話は私たちに指摘しています。 神様は私たち人間が自らの正しさを主張し、互いに争うのではなく、互いに支え合って、 平和な世界を築くことを願っていることを覚えたいと思います。 ・司会 ガルアルディ・マリア・エリザベッタ(文学部2年) 中島 歩(社会福祉学部2年) ・清泉礼拝堂クワイア 秋山 沙織(社会福祉学部1年) 立花 健(文学部1年) 安田 声(社会福祉学部1年) 井村 あゆみ(社会福祉学部2年) 田中 寿美子(文学部2年) 永森 祐基(文学部2年) 船長 勝(文学部2年) 村上 絢乃(文学部2年) 佐藤 証(文学部4年) 松本 佑紀(社会福祉学部4年) 松本 佑紀(社会福祉学部4年) ・ハンドベル・クワイア 石川 美里(社会福祉学部2年) 多田 和人(社会福祉学部2年) 久保 友香(社会福祉学部3年) 中川 美奈(社会福祉学部3年) 中野 紗也(社会福祉学部3年) 柳本 紗希(社会福祉学部3年) ・燭火礼拝での奉仕(上記以外) 岡林 史也(社会福祉学部2年) 黒川 友里加(社会福祉学部2年) 池田 竜(社会福祉学部3年) 大西 宏平(社会福祉学部3年) 清 美咲(文学部3年) 山本 文香(文学部3年) 津村 哲雄(文学部4年) 中西 大樹(文学部4年) 丸橋 布美子(文学部4年) 次年度もまたこのような学生の皆さんの奉仕を受けてチャペルが守られますように祈ります。 来年度チャペル・アワーのご案内 来年度のチャペル・アワーは4月の授業開始日より再開します。 また、4月中旬には春季キリスト教強調週間を予定しています。 詳細については、来年度最初の「チャペルへの招き」などで案内します。 来年度も、ぜひチャペル・アワーへ参加してください。
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