“ニッポン”の魅力に迫る! 関西 “和テイスト”

KIPPO
Kansai International Public Relations Promotion Office
第 78 回 KIPPO プレスツアー
源流 “ニッポン”の魅力に迫る!
関西 “和テイスト”の世界
いま、海外の人びとが、あらためて注目する“ニッポン”が関西にある。日本の伝統文化の中から誕生したものや、海外から伝来し
日本で工夫が加えられたもの、あるいは先進技術を駆使して誕生したものまで多種多様である。彼らはそれらを指して“Cool Japan”
と持て囃す。評価の背景には、独創性や“粋”で“繊細”な技、匠が追い求める“ものづくりの哲学”への尊敬と憧れ、そして品質への
信頼感がある。関西各地には、そんな“ニッポン”らしさや“和テイスト”を体感できるエリアが数多く存在する。今ツアーでは、それらを
眼で追い、舌で味わい、そして匠の境地を実際に肌で感じながら匠たちの技を取材する。
■ 日本が世界に誇る “メイド・イン・和歌山” の美味!
・有田みかん -黒潮かおる和歌山県有田(ありだ)のみかんは日本一!
望月良男市長インタビューと、早和果樹園こだわりの栽培現場を取材
・湯浅醤油 -世界中で愛用される調味料 “醤油” 発祥の地・和歌山県湯浅(ゆあさ)町
上山章善町長インタビューと、湯浅で受け継がれる“本物”の醤油づくりを取材
■ ものづくりの“匠”が住まう 歴史と伝統のまち
‐大阪府 堺(さかい)市
・市長インタビュー
- 竹山修身市長が語る堺の魅力
・和包丁 -世界の一流料理人が絶賛する抜群の切れ味
・線 香
–香りの芸術! 伝統の線香づくりと新たな挑戦
・和菓子
–“茶の湯”文化発祥の地・堺で見つける “和”スウィーツ
【実施日】
2010 年 10 月 28 日(木)~29 日(金) 〔1 泊 2 日〕
【参加資格】
外務省発行記者証保持者
【主催】
関西広域機構 関西広報センター(KIPPO)
〒530-0005 大阪市北区中之島 5-3-51 大阪国際会議場 11F
【協力】
電話 06-4803-5551
和歌山県、大阪府堺市
【日程】
1 日目:9:00:関西国際空港集合 → 午前~午後:和歌山県有田市、湯浅町取材 → 夜:交流会、宿泊(和歌山市内)
2 日目:朝:大阪府堺市へ移動 → 午前~午後:堺市取材 → 18:00 頃 JR 新大阪駅解散
【定員】 15 名(1社1名 TV(最大 2 社)は 2 名まで可)
*参加ご希望の方は、申込書に必要事項を記入のうえ、お申し込みください。
*参加費の支払い方法やご利用いただく交通手段等の詳細は、申込者に連絡します。
*応募者多数時の参加者選定について:
国・地域別の人数バランスや、過去に KIPPO ツアーに参加された記者についてはその実績等を考慮します。
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日本が世界に誇る “メイド・イン・和歌山” の美味!
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【黒潮かおる和歌山県有田(ありだ)のみかんは日本一!】
“果樹王国”紀州・和歌山を代表する果物・みかん。和歌山で栽培されるみかんは、品質の高さ、酸味・糖度・味の
濃さなどのバランスの良さから日本一とも評される。中でも県北西部に位置し、紀伊水道(和歌山県、徳島県、兵庫県
淡路島に囲まれる海域)に面する有田(ありだ)市は、温暖な気候がみかんの栽培に適し、またその栽培手法が優れ
ていると言われている。同地では、古くからみかん栽培が盛んで、“有田みかん”は全国的に有名である。また、最近で
は、海外での日本食ブームの広がりと富裕層の増加で、高額でも安全で高品質な日本産農産物の需要が拡大してい
る。そこで有田市では、アジアや中東地域を中心に、“有田ブランド”の知名度アップに積極的に取り組んでいる。今ツ
アーではまず、有田市の望月良男市長を訪ね、同市や有田みかんについて説明を受けた後、みかん栽培の現場を
取材する。
(有田みかん 取材先) 株式会社 早和(そうわ)果樹園
有田市の早和(そうわ)果樹園は、今から 30 年前に地元の農家 7 戸が共同で設立(2000 年に会社組織化)した事業
体である。当時、食文化の多様化や国際化の流れの中で、農業政策が目まぐるしく変化し、生産農家は翻弄されてい
た。さらに、後継者難など、みかん農家を取り巻く環境も例外なく厳しい状況にあった。そのような中で 7 軒の農家が協
力し合い立ち上げた早和果樹園では、昔ながらの栽培方法に加え、試行錯誤を繰り返した末、特殊シートを用いた土
壌の水分調整や、センサーによる計測でみかん一つ一つの甘度を正確に管理するなど、“有田ブランド”の振興と他産
地との差別化を図り、取引先や消費者から認められてきた。また、同社では、高品質で美味しいみかんづくりのために、
そして、“有田みかん”を全国・世界へ PR するためにさまざまな工夫を凝らしている。特に 2000 年以降、栽培に加え、
新たな展開として、高級みかんの素材を活かした加工品の生産・販売を手掛けて話題を呼んでいる。今回は、同果樹
園の視察と秋竹新吾社長へのインタビューを通して、そのこだわりの栽培と、積極的な事業展開等を取材する。現地を
取材する 10 月末頃の有田の山肌は、収穫期を前に鮮やかなみかん色に染まり始める。この風景だけでも一見の価値
は十分にあり!
【世界が認める調味料・醤油 -発祥の地・和歌山県湯浅(ゆあさ)町で受け継がれる“本物”の醤油づくり】
世界中の食卓にのぼり、愛用される調味料・醤油。和歌山県・湯浅(ゆあさ)町は、醤油の発祥地である。湯浅醤油
の起源は今から 750 年以上前の鎌倉時代(1254 年)にさかのぼる。和歌山県由良(ゆら)町の禅寺・興国寺(こうこくじ)
の開祖・覚心(かくしん)が、中国(南宋)の金山寺より野菜と大豆を材料に用いる径山寺味噌(きんざんじみそ)の製法
を持ち帰った。この味噌は、当時、健康食として盛んにつくられるようになり、やがて由良の隣まち・湯浅町にも伝わった。
径山寺味噌を醸造する際、瓜や茄子などの野菜が使われるが、これらの野菜から余分な水分(“たまり”という)が出る。
これらは、カビや腐敗のもとになるため捨てられていたものだ。ある時、これを調味料として利用してみるとなかなか美味
であることが分かった。そこで、最初の工程から調味料として作れば新しい“醤(ひしお)”ができる、と考えたのが“醤
油”の始まりと言われている。また、湯浅の水が醤油づくりに適していたことも同地で醤油作りが発展した一因となっている。
江戸時代(1603‐1868)には、湯浅醤油の評判は全国に拡がり、名声の高まりとともに製造技術も進化を遂げた。当時、湯浅には 90 軒以上の醤油屋
があったが、その中の何軒かが今の房総半島・銚子(ちょうし)に移り住み、醤油の製造から販売までを一貫して行う者まで現れた。こうして湯浅の醤油
づくりの工程は、紀州(和歌山の旧名)から江戸(関東)へ、そして全国に広まり、千葉県・野田のキッコーマンや銚子のヤマサなど、大規模な醤油メーカ
ーが誕生した。それに伴い、江戸時代後期以降、日本の醤油づくりは関東の大規模メーカーが中心となったため、発祥地・湯浅の知名度や声価は次
第に衰退するようになった。現在、醸造法の科学的改良により、工場で大量生産される醤油が市場の大半を占め、同時に、昔ながらの醤油の味と香りは
失われつつある。しかし、醤油の発祥地・湯浅町には、こだわりの製造手法と伝統を大切に受け継ぎ、“本物”を求める料理人等のニーズに応え続ける
醤油屋が今も存在する。
ツアーでは、上山章善町長から町の概要説明を受けた後、歴史と伝統が息づく町家、入り組んだ細い路地等が古き良き時代の佇まいを今に伝え、
国の「伝統的建造物群保存地区」に指定されている湯浅町湯浅地区を訪問。風情ある町並み(写真)をめぐりながら、発祥の地で受け継がれる“本物”
の醤油づくりの現場を取材する。
(湯浅醤油 取材先1) 株式会社 角長(かどちょう)
1841 年創業、170 年の歴史を誇る醤油製造元。同社は、創業以来使用する醤油蔵、醸造用の杉製の木桶(写真)、“湯浅たま
り”と言われる伝統的な製造方法等、老舗としての歴史と伝統を守り続けている。それを証明するかのごとく、同社の蔵の天井や梁、
桶一面には、醤油の製造過程で必要不可欠な“酵母”(こうぼ)が白く付着している。この“蔵付き酵母”こそが、伝統ある醤油メー
カー・角長最大の宝であり、美味しさの秘訣なのだ。材料となる大豆は岡山産、小麦は岐阜産、塩はオーストラリア産天日塩にこ
だわる。湯浅の上質な水も仕込みに欠かせない。今回は、六代目当主・加納誠氏の案内のもと、角長 170 年の歴史を物語る醤油
蔵を見学する。機械や化学調味料等は一切使わない、昔ながらの製法に基づく 100%手作りの “本物”の醤油づくりを取材する。
(湯浅醤油 取材先2) 湯浅醤油(ゆあさしょうゆ) 有限会社
2002 年に、“丸新本家”(1881 年創業、醤油、味噌、梅等の製造元)から醤油部門だけを分離独立、グループ会社・湯浅醤油有
限会社を設立。伝統を守りながらもクオリティー性の追求とブランド力を高める商品の開発・製造を手がける。“湯浅発祥の醤油づ
くりの伝統を絶やしたくない”、“本物の醤油を世界に広めたい”、“醤油をより身近なものにしたい”、そんな熱い想いを持って同社
社長・新古敏朗氏(丸新本家五代目)は会社を設立した。同社が製造する“生一本黒豆醤油”は、国内はもとより海外のフランス料
理シェフ等にも、その香味が高く評価され、隠し味として愛用されている。また、見学可能な醤油蔵や、地元小学生への食育活動
等がメディアで取り上げられることも多く、新古社長の熱意が確実に“形”となって現れている。ツアーでは、ミシュランシェフも “世
界一”と認める同社の醤油や、同社長の湯浅の伝統を守り伝えるための新たな挑戦等を取材する。
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ものづくりの“匠”が住まう
歴史と伝統のまち・大阪府堺(さかい)市
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大 阪 ・堺 市 で親 しまれるご当 地 ソング“新 堺 音 頭 ”の歌 詞 の中 に、“ものの始 まりなんでも堺 ”というフレーズがある。中 世 の堺 は貿 易 港 と
して栄 え、外 国 からさまざまな新 しい製 品 や技 術 がもたらされた。堺 から全 国 に広 まったとされるものの中 には、線 香 、三 味 線 、金 魚 等 があ
る。また、16世 紀 にポルトガルから日 本 に伝 えられた鉄 砲 の製 造 技 術 が、タバコ包 丁 、堺 刃 物 (和 包 丁 )、自 転 車 の製 造 へと、堺 で形 を変
えながら受 け継 がれ、いずれも堺 から全 国 、世 界 へと広 がり、現 代 に息 づいている。今 回 のツアーでは、ものづくり文 化 のまち・堺 を訪 問 。
竹 山 修 身 市 長 から同 市 の魅 力 を聞 くほか、堺 を代 表 する“もの”の中 から、和 包 丁 、線 香 、和 菓 子 を取 り上 げ、“ニッポン”ならではの“職
人 技 ”を取 材 する。
【世 界 の一 流 料 理 人 が絶 賛 する抜 群 の切 れ味 ! ‐堺 和 包 丁 】
日 本 料 理 の調 理 に欠 かせない道 具 の一 つ、和 包 丁 。中 でも堺 市 産 の和 包 丁 は、国 内 の料 理 人 の約 9
割 が使 用 しており、和 包 丁 の代 表 格 と言 える。また最 近 では、その抜 群 の切 れ味 が、国 内 のみならず海
外 のシェフにも支 持 されるようになり、堺 市 では主 に欧 米 向 けの輸 出 量 が拡 大 しているという。今 回 の
KIPPOツアーは、堺 の和 包 丁 について最 新 事 情 を探 り、その作 り手 、使 い手 、それぞれの匠 の技 を取 材
する。
堺 の包 丁 づくりは、同 地 で古 くから発 達 していた鉄 の鍛 造 ・鋳 造 技 術 をもとに、16世 紀 にポルトガルか
ら鉄 砲 とともに伝 来 した“たばこ”の葉 を刻 むための“たばこ包 丁 ”が大 量 に作 られるようになったのが始 まり
とされる。江 戸 時 代 (1603‐1868)には、徳 川 幕 府 が堺 刃 物 の切 れ味 の良 さに品 質 証 明 を付 けて専 売 し
たことにより、その名 声 が日 本 全 国 に広 まるようになった。同 時 に、高 い技 術 を持 つ職 人 が堺 に集 まり、さ
まざまな種 類 の刃 物 が生 産 されるようになった。以 後 、堺 は、日 本 有 数 の刃 物 、特 にプロの料 理 人 が使
用 する和 包 丁 の産 地 として全 国 、世 界 にその名 を馳 せている。
深 刻 な不 況 を受 けて料 亭 の閉 鎖 が相 次 ぐ昨 今 、和 包 丁 の国 内 需 要 は減 少 傾 向 にあるが、海 外 への輸 出 は好 調 だという。地 元 関 係
者 の分 析 によると、欧 米 で、美 味 しくてヘルシーな日 本 食 がブームとなり日 本 食 レストランが増 加 し、和 包 丁 の需 要 が高 まっている。また、
フランスやイタリア料 理 のシェフも、京 料 理 に代 表 される切 り口 が美 しい盛 り付 けを取 り入 れたいと、切 れ味 のよい和 包 丁 が重 用 されるよう
になっている。このような状 況 を受 け、堺 市 は2年 前 から、ニューヨークを拠 点 に海 外 での販 路 開 拓 ・拡 大 を目 指 してPR活 動 を強 化 。“包
丁 といえば堺 ”の知 名 度 向 上 に取 り組 んでいる。また、アメリカの名 門 料 理 大 学 ・The Culinary Institute of America(CIA)は、毎 年 主 催 す
る国 際 会 議 “Worlds of Flavor International Conference and Festival”(*1)を、今 年 は「日 本 の味 と文 化 」というテーマで11月 4日 ~6
日 に開 催 する。日 本 から著 名 な料 理 人 や料 理 関 係 者 等 が多 数 参 加 するほか、堺 からは自 治 体 関 係 者 や刃 物 職 人 等 が参 加 し、美 しくて
美 味 しい料 理 を下 支 えする堺 の和 包 丁 をPRする。
今 ツアーでは、堺 刃 物 商 工 業 協 同 組 合 連 合 会 ・山 脇 良 庸 (よしのぶ)専 務 理 事 から、堺 の和 包 丁 に関 する概 要 や最 新 事 情 を聞 くほか、
鍛 冶 職 人 、研 ぎ職 人 の熟 練 した技 (*2)を取 材 する。また、昼 食 時 には、堺 の和 包 丁 を愛 用 する料 理 人 を代 表 して、リーガロイヤルホテル
堺 の内 田 料 理 長 (なにわの名 工 )による野 菜 彫 刻 の実 演 を取 材 する。
(*1)世 界 の食 、トレンドに最 も影 響 力 があると評 される料 理 の国 際 会 議 。カリフォルニア・ナパバレーで開 催 される。
(*2)堺 の和 包 丁 は、金 属 を熱 して柔 らかくし、槌 (つち)で延 ばして包 丁 の形 を作 る「鍛 冶 (火 造 り)」と、包 丁 の形 になったものを研 いで切 れる状 態 に
する「研 ぎ」(刃 付 け)を、それぞれ専 門 の職 人 が分 業 して行 うのが特 徴 。
【香 りの芸 術 ! 伝 統 の線 香 作 りと新 たな挑 戦 ‐堺 線 香 】
15~16世 紀 にかけて外 国 との交 易 で栄 えていた堺 では、白 檀 (びゃくだん)、沈 香 (じんこう)、伽 羅 (き
ゃら)など香 木 (香 の原 料 )が持 ち込 まれ、茶 道 、華 道 とともに、香 煙 の薫 りを楽 しむ“香 道 ”が発 達 してい
た。現 在 の線 状 の線 香 は、椨 (たぶ)の木 の皮 を乾 燥 させて粉 にしたものを基 材 に、沈 香 などの天 然 原 料
を調 合 して作 るが、その製 法 は16世 紀 に中 国 から堺 に伝 えられ、同 地 で製 造 されるようになったのが日 本
における線 香 づくりの始 まりと言 われる。江 戸 時 代 以 降 、今 も堺 では、香 木 などの天 然 香 料 を調 合 した伝
統 的 な線 香 づくりが続 けられている。一 方 で、アロマセラピー用 のお香 や花 の香 りのお香 などの新 商 品 も
多 種 作 られており、現 代 人 のライフスタイルに合 う商 品 が人 気 を集 めている。
ツアーでは、奥 野 晴 明 堂 を取 材 する。同 社 は、江 戸 時 代 の享 保 年 間 (1716-1736)の創 業 以 来 、同 家
に代 々伝 わる香 りの調 合 が記 された調 合 帳 をもとに、試 行 錯 誤 を重 ねながら時 代 が求 める香 りを創 作 す
る。「伝 統 を守 るためにも、新 しいものに挑 戦 しなければならない」と語 るのは、八 代 目 当 主 の奥 野 圭 作 氏 。
一 例 として、ハーブを組 み合 わせて沈 静 効 果 を高 めたアロマセラピー香 や、お香 の原 料 を紙 に塗 り、さまざまな型 に切 り抜 いて使 用 する
“紙 線 香 ”や“壁 紙 ”、また、試 験 的 に車 に塗 装 して大 阪 モーターショーに出 品 した“e香 car”(エコカー)などが注 目 を集 めている。ツアーで
は奥 野 圭 作 氏 とその御 子 息 で九 代 目 ・浩 史 氏 へのインタビュー取 材 のほか、同 社 工 場 を訪 問 し、線 香 の製 造 風 景 を撮 影 する。
【“茶 の湯 ”文 化 発 祥 の地 ・堺 で見 つける “和 ”のスウィーツ】
戦 国 時 代 (15~16世 紀 )に堺 の豪 商 ・千 利 休 (せんのりきゅう)が確 立 した“茶 の湯 ”文 化 。お茶 には和
菓 子 が付 き物 であることから、堺 では古 くから和 菓 子 づくりが盛 んに行 われた。さらに、外 国 との交 易 で栄
えていた堺 では、砂 糖 などの原 材 料 が手 に入 りやすかったことも和 菓 子 づくり発 展 の一 因 となった。ツア
ーでは、堺 に多 く残 る老 舗 和 菓 子 屋 の一 つで、1909年 創 業 の美 乃 や三 代 目 当 主 ・高 田 和 夫 氏 を取 材
する。同 氏 は、 “最 高 の原 材 料 で精 魂 込 めた和 菓 子 づくり”の伝 統 を守 りながら、現 代 にあったテイスト
や新 風 を取 り入 れた新 しい和 菓 子 づくりも実 践 し、大 阪 府 優 秀 技 能 者 表 彰 (なにわの名 工 )や、堺 市 も
のづくりマイスターにも認 定 される実 力 者 である。今 回 の取 材 では、高 田 氏 が記 者 の昼 食 会 場 となるリー
ガロイヤルホテル堺 まで出 向 き、和 菓 子 づくりを披 露 。紅 葉 を模 したものなど、和 菓 子 ならではの“季 節
感 ”を表 現 する繊 細 な匠 の技 を間 近 で取 材 ・撮 影 する。