トルコ人日本語学習者による感謝表現の習得研究 Acquisition of

予稿集原稿
研究発表:第二言語習得研究/対照研究
トルコ人日本語学習者による感謝表現の習得研究
―日本語母語話者との比較から―
Acquisition of Gratitude Expressions by Turkish Learners of Japanese:
Comparison to Japanese Native Speakers
阪上 アックシュ ダリヤ(Canakkale Onsekiz Mart University)
阪上 辰也(広島大学)
要旨
本研究では、トルコ人日本語学習者の感謝表現の習得状況を明らかにすることを目的と
している。談話完成テストの結果、トルコ人日本語学習者は、①日本語母語話者よりも多
く感謝表現を使用し、②(トルコ語母語話者は感謝の場面で陳謝表現を使用していない
が、)日本語で感謝する場合に陳謝表現を使用することが分かった。
キーワード:感謝表現; トルコ語母語話者; 日本語学習者; 習得研究; 対照研究
1.
はじめに
本研究の目的は、日本語における感謝表現を「感謝ストラテジー」という観点から分析
し、感謝表現がトルコ語を母語とする日本語学習者(以下、トルコ人学習者)によってど
のように習得されているのかを明らかにすることである。
2.
感謝表現に関する先行研究
感謝表現は、幼児期の早い段階で習得されており(Becker & Smenner, 1986)、他の
言語にも共通の発話行為である(Coulmas, 1981; 三宅, 1994 など)。さらに、一見単純
そうに見えるこのような感謝表現ではあるが、良好な人間関係を維持する上で使用に気を
つけるべき表現でもあると言える。しかし、これまでのところ、日本語に対して、英語
(中田,1989; 三宅, 1994a; 1994b)・韓国語(泰, 2002)・タイ語(スイリラット,
2011)との対照研究はあるが、トルコ語に関しては十分な対照研究がなされていない。
2.1
日本語の感謝表現
Coulmas (1981)によれば、日本人は些細な親切や行為にも「借り(indebtedness) 」を
感じて,感謝・詫びをするとされる。また、佐久間(1983)では、感謝表現の区別につい
て、「ありがとう」は自己の喜びを表し、「すみません」は相手(他人)に対する恐縮の
念を表すとしている。さらに、佐久間(1983)は、感謝と詫びの表現の使用実態には世代
差があり、「すみません」は若い世代の軽い感謝のことばとして目上やソトの人に多用さ
れ、上の世代では目下や友達(ウチ)に対して使用される傾向があると述べ、上下関係が
使用に影響することを指摘している。
1
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2.2
研究発表:第二言語習得研究/対照研究
感謝表現の対照研究
これまで、感謝表現について日本語とは別の言語との対照研究が行われており、その類
似点や相違点が明らかにされている。
英語と日本語を比較した中田(1989)によると、英語の陳謝は、自分が相手にとって
マイナスなことをしてしまった際にそれを悔いる気持ちを表明し、感謝は相手が自分にプ
ラスなことをしてくれた際に恩を感じる気持ちを表明することから、両者が対称的なもの
と述べ、一方で、日本語の場合、陳謝と感謝は1つの連続体を成すものと捉えている。
加えて、中田(1989)と同様に、英語と日本語の感謝表現を比較した三宅(1994a)および
三宅(1994b)では、日本人が、相手の負担に注目して詫びの気持ちを持つことが多くな
る一方で、イギリス人は相手の好意に注目して、感謝の気持ちを持つことが多いと指摘し
ている。さらに、「感謝する」現象は日英双方にみられるが、「借り」の有無や大小に対
する考え方、相手との上下・親疎関係、話し手の性などさまざまな要磯が作用し合い言語
行動の違いとして表出すると述べている。
韓国語と日本語を比較した泰(2002)では、感謝表現を「定型表現」、「定型表現以
外のストラテジー」に分類し、日・韓とも定型表現の使用が多い点で類似することを明ら
かにし、日本語は定型表現のバリエーションが豊富だが、韓国語では少ないことを明らか
にした。また、日本語では親疎・上下に関わらず、常に定型表現が使用されるが、韓国語
では親しい関係の人に対し、定型表現以外のストラテジーのみの使用が多くなる傾向があ
ると述べている。
最後に、タイ語との比較を行ったスィリラット(2011)では、日本語は様々な感謝・
謝罪表現を使用するが、タイ語はどのような感謝場面でも、基本的に「コップクン(あり
がとう)」が使われると述べている。なお、話し手の属性は、日本語母語話者もタイ語母
語話者も男女間、年代による差はほとんど見られず、話し手と聞き手の関係(社会的距
離)が日本語の感謝・謝罪表現の使い分けに最も影響を与える要因となっており、上下、
親疎ともに関係があることを指摘している。
上記で述べたように、日本語の感謝表現は、他言語と比較して結果、類似点も見られる
が、その種類や使用に関わる要因が複雑に作用している点で大きく異なっていることがわ
かる。しかしながら、このような違いがトルコ語と比較した場合でも見られるのか、さら
に、日本語を学ぶトルコ人学習者は、どのようにして日本語の感謝表現を用いているのか
についての研究は、管見の限り見当たらない。
3.
研究課題
第 2 章での先行研究を踏まえ、本研究では以下の 2 点を研究課題として設定する。
1)トルコ人日本語学習者と日本語母語話者の感謝表現の類似点・相違点は何か
2)トルコ人日本語学習者とトルコ語母語話者の感謝表現の類似点・相違点は何か
2
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4.
研究発表:第二言語習得研究/対照研究
実験方法
トルコ人日本語学習者と日本語およびトルコ語母語話者に対して、12 問から成る談話
完成テストを行った。
4.1
実験参加者
実験参加者は、トルコ語母語話者が 40 名(男女 20 名ずつ)、日本語母語話者が 40 名
(男女 20 名ずつ)、そしてトルコ人日本語学習者が 40 名(男性 10 名、女性 30 名)で
あった。なお、トルコ人日本語学習者は、学習時間数の多い大学の学部3年生と 4 年生
を対象とした。
4.2
実験内容
Cheng (2005) を参考にして、1) 上下関係、2) 親疎関係、3) 相手への負担度、4) 性
別という4つの要素を考慮に入れた談話完成テスト(12 問)を実施した 。場面設定につ
いての詳細は、表1に示すとおりである。
表1. 談話完成テストにおける場面設定
上下
親疎
親しい
目上
親しくない
親しい
同級生
親しくない
親しい
後輩
親しくない
4.3
負担度
低
高
低
高
低
高
低
高
低
高
低
高
場面
本の返却日を延ばす
推薦状を書いてもらう
締切を延長してもらう
推薦状を書いてもらう
コピー取らせてもらう
引越を手伝ってもらう
落とした紙を取ってもらう
コンピュータの使い方を教えてもらう
ドアを開けてもらう
荷物を郵便局で送ってもらう
エレベータのドアを開けてもらう
風邪薬を買ってもらう
分析方法
表2で示すように、Cheng(2005)で用いられている「感謝ストラテジー」という観点
に基づき、談話完成テストで得られた各データを分類した。
例えば、単純な「ありがとうございます」という表現は「お礼ストラテジー」として
分類した。また、相手に行動を「助かった」などのような表現を用いて相手の行動を評価
した場合には「プラス評価ストラテジー」に分類し、「すみません」のような表現を使っ
たものは「陳謝ストラテジー」に分類した。さらに、相手に無理をさせたことを自覚して
いることを表明しているような「お忙しいところ」・「わざわざ」などの表現は「自覚ス
トラテジー」に、「今度お礼に〜をする」のような表現は「恩返しストラテジー」として
扱い、「〜先生」・「〜ちゃん」のような表現は「呼びかけストラテジー」に分類した。
3
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研究発表:第二言語習得研究/対照研究
表2.
ストラテジー
お礼
感謝
プラス評価
陳謝
負担に関する自覚
恩返し
その他
呼びかけ
5.
5.1
感謝表現の分析基準
日本語
(どうも)ありがとうございます
感謝します
おかげでレポートを出せる/助か
った
すみません/お手数をかけました/
わるいね
無理を言って/忙しいのに/急に/
お世話になりました
また今度お礼する
用事の方は大丈夫だった?/名前
は?/あ!
先生、〜さん、〜ちゃん、
トルコ語
(Çok) teşekkür ederim/ Sağol
Minnettarım
Sen olmasaydın dersten
kalırdım
Kusura bakma
Uğraştın o kadar/zahmet
oldu/zahmet ettiniz
Sana birşeyler ısmarlayayım
Üç gün sonra kitabınız
getireceğim
Kardeşim/kankam
benim/hacı
実験結果
使用された感謝ストラテジーの全体的傾向
使用された感謝ストラテジーの頻度は、表3に示すとおりであり、頻度の差を可視化し
たものが図1である。
表3.
ストラテジー
各母語話者の感謝ストラテジーの使用頻度
トルコ人日本語学習者
日本語母語話者
トルコ語母語話者
お礼
491
(46.36%)
444
(49.94%)
468
(42.78%)
感謝
4
(0.38%)
1
(0.11%)
2
(0.18%)
プラス評価
108
(10.20%)
112
(12.60%)
111
(10.15%)
陳謝
89
(8.40%)
149
(16.76%)
26
(2.38%)
自覚
109
(10.29%)
94
(10.57%)
78
(7.13%)
恩返し
16
(1.51%)
40
(4.50%)
44
(4.02%)
その他
51
(4.82%)
34
(3.82%)
37
(3.38%)
呼びかけ
191
(18.04%)
15
(1.69%)
328
(29.98%)
合計
1059
(100.00%)
889
(100.00%)
1094
(100.00%)
4
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研究発表:第二言語習得研究/対照研究
図1. トルコ人日本語学習者・日本語母語話者・トルコ語母語話者による使用された
感謝ストラテジーの頻度
600
500
400
300
トルコ人日本語学習者
日本語母語話者
トルコ語母語話者
200
100
0
上記の結果から、類似点が 3 点見られる。まず、1)どのグループにおいて最も使用さ
れているストラテジーが「お礼」のストラテジーであり、「プラス評価」のストラテジー
が同様に使用されていることが分かる。さらに、2) トルコ人日本語学習者と日本語母語
話者では陳謝表現が使用され、3)トルコ人学習者とトルコ語母語話者では、「お礼」の
次に最も使用されているストラテジーは「呼びかけ」であるという点である。
次に、相違点として、日本語において「お礼」の次に「陳謝」が使用されているのに対
し、トルコ語では「お礼」の次に「呼びかけ」のストラテジーが使用されている点が挙げ
られる。
5.2
各観点からの感謝ストラテジーの使用傾向
上下関係・親疎関係・負担度という3点から見た感謝ストラテジーの使用傾向を観察す
る。まず、上下関係の違いによる感謝ストラテジーの頻度をまとめた結果を表4に示す。
表4.
上下関係から見た感謝ストラテジーの使用頻度
トルコ人日本語学習者
日本語母語話者
トルコ語母語話者
先生
友だち
後輩
402
321
395
340
307
366
317
261
333
表4から、日本語においてもトルコ語においても上下関係が下から上になるにつれて、
感謝表現が増加していることが分かる。
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研究発表:第二言語習得研究/対照研究
次に、親疎関係の違いによる感謝ストラテジーの頻度をまとめた結果を表 5 に示す。
表5.
親疎関係から見た感謝ストラテジーの使用頻度
親しい
親しくない
トルコ人日本語学習者
529
530
日本語母語話者
469
420
トルコ語母語話者
560
534
表5から、日本語母語話者とトルコ語母語話者では、親疎関係において、上下関係と同
様に親しい相手ほど感謝ストラテジーの頻度が高くなり、逆の場合は少なくなっているこ
とが分かる。一方で、日本語学習者の場合は、親疎関係に関わらず、感謝ストラテジーが
同程度使用されていることが分かる。
最後に、負担度の違いによる感謝ストラテジーの頻度をまとめた結果を表6に示す。
表6. 負担度から見た感謝ストラテジーの使用頻度
低負担
高負担
トルコ人日本語学習者
466
593
日本語母語話者
368
521
トルコ語母語話者
486
608
表6から、相手に与える負担度の違いにより、感謝ストラテジーの頻度が異なっている
ことが分かる。どのグループにおいても相手への負担が高くなった場合に、感謝ストラテ
ジーの使用頻度が増加していることが分かる。
6.
考察
第5章の結果を踏まえての考察を述べる。
6.1
感謝の場面で使用される陳謝表現
英語(中田, 1989; 三宅, 1994a; 1994b)・韓国語(泰, 2002)・タイ語(スイリラ
ット, 2011)の比較結果と同様に、「陳謝」ストラテジーの使用が少ないことがわかっ
た。トルコ母語話者も相手の好意に注目し、日本語母語話者は相手の負担に注目して感謝
の気持ちを表している可能性がある。しかし、トルコ人日本語学習者は、母語ではあまり
陳謝表現を使用されていないにも関わらず、第二言語である日本語では、陳謝表現も使用
できるようになるのではないかと考えられる。
6.2
トルコ語における「呼びかけ」
トルコ人日本語学習者もトルコ語母語話者は、上下関係を問わず呼びかけを使用するこ
とが分かった。加えて、「先生」が登場する場面を除き、負担度が低く、親しくない相手
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の場合の呼びかけが最も少ないこともわかった。トルコ語における呼びかけは、相手に大
して 1)親しさを示す(同級生、後輩など)、2)誠実さを訴える(先生など)働きもある
可能性がある。
しかし一方で、日本語母語話者の場合は、呼びかけの使用が少ない。呼びかけとして多
用されていたのは、名前(7 件)、肩書き(5 件)、注意喚起(3 件)であった。日向
(1983) によれば、呼びかけは相手に話しかける意志があることを示したり、また相手の
注意を自分の方に向けさせたりする働きがあると述べられている。したがって、日本語の
場合、呼びかけを連続して使用することは、かえって失礼な印象を与えてしまうことが考
慮されているのではないかと考えられる。
7. おわりに
本研究では、トルコ人日本語学習者の感謝表現の習得状況を明らかにすることを目的と
し、トルコ人日本語学習者と日本語母語話者およびトルコ語母語話者に対し、談話完成テ
ストを行った。実験の結果、①日本語母語話者に比べ、トルコ人日本語学習者の方が感謝
ストラテジーをより多く使用していること、②トルコ人日本語学習者とトルコ語母語話者
は、日本人母語話者とは異なり、呼びかけを多用すること、③トルコ語母語話者は、感謝
の場面では陳謝表現を使用していないのに対し、トルコ人日本語学習者は日本語で感謝す
る場合に陳謝表現も使用するようになることが明らかになった。
感謝表現の使用には、上限関係などのさまざまな要因が関係することを述べ、実際にそ
の影響が観察されたが、どの要因がどの程度影響すると、感謝ストラテジーの種類が変化
したり、その頻度が変わったりするのかについては、今後の課題としたい。
【参考文献】
Becker, J. A., & Smenner, P. C. (1986). The spontaneous use of thank you by preschoolers as a
function of sex, socioeconomic status, and listener status. Language in Society, 15, pp.537546.
Cheng, S. W. (2005). An exploratory cross-sectional study of interlanguage pragmatic
development of expressions of gratitude by Chinese learners of English. Unpublished PhD
dissertation; The University of Iowa.
Coulmas, F. (1981). Poison to your soul:Thanks and Apologies Contrastively viewed.
Conversational Routine.The Hague:Mouton.
小川治子(1995)「感謝と詫びの定式表現—母語話者の使用実態の調査からの分析—」
『日本語教育』 85 号, pp.38-52
佐久間勝彦(1983)「感謝と詫び」『話し言葉の表現』講座日本語の表現 3, pp. 54-66 水
谷修編
筑摩書房
スィリラット サンタヨーパス(2011)「感謝の場面での謝罪の発話 : 日本語母語話者と
タイ語母語話者の意識と使い分け」一橋大学国際教育センター紀要 2, pp.37-55.
7
予稿集原稿
研究発表:第二言語習得研究/対照研究
泰 秀美(2002)「日・韓における感謝の言語表現ストラテジーの一考察」『日本語教
育』114 号 pp.70-79.
中田智子(1989)「発話行為としての陳謝と感謝−日英比較—」『日本語教育』68 号
pp.191-203.
日向茂男(1983)「呼びかけ」『話し言葉の表現』講座日本語の表現 3, pp. 54-66 水谷修
編
筑摩書房
三宅和子(1994a)「『詫び』以外で使われる詫び表現−その多様化の実態とウチ・ソ
ト・ヨソの関係—」『日本語教育』82 号 pp.134-146.
(1994b)「感謝の対照研究 日英対照研究―文化・社会を反映する言語行動―」
『日本語学』pp.10-18 明治書院
8