フランスの有名なフィギュア

 プログラム
ライナーノート
ていないというだけなのだ。
曲家として新しいことに挑戦する姿勢を最後ま
ドイツ音楽などと比べてフランス音楽は、圧
で崩さなかった。一方で、批評家としては異常
吉岡 哲理
倒的な知名度を誇る作曲家もいなければ特定の
に保守的だった。ストラヴィンスキーのバレエ
ジャンルに集中しているわけでもなく、とても
《春の祭典》が初演された際に最初の数分で早
ここにひとつクイズがある。
中途半端な認識しか持たれていない。ここまで
くも激昂して席を立ったというエピソードは、
「ドイツ・オーストリアの作曲家を時代に関
読んでくれたみなさまがこの認知度の差という
音楽史上あまりに有名な一つの“事件”だ。
係なく思いつく限り答えなさい」(時間3分)
事実を知り、そして「ああ、たしかにねー」「フ
そんな彼のピアノ三重奏曲は2つある。ただし
クイズでもなんでもないじゃん! と跳ねつ
ランスの作曲家ってそんなにたくさんいるんだ
第1番を書いたのは1869年(34歳)であり、今日
けずに、少し考えてみてほしい。クラシック音
」という感想を持ってくれれば、これを書いた
のプログラムに取り上げた第2番とは23年も離れ
楽に詳しいひとなら“ドイツ3大B”と呼ばれる
私の意図は十分に伝わったのだと判断したい。
ているのだ。第1番の時点ではまだ現役だったワ
ガブリエル・フォーレ
Gabriel Urbain Fauré
ピアノ三重奏曲ニ短調 作品120
Trio pour piano et cordes op.120
1 Allegro ma non troppo
2 Andantino
3 Allegro vivo
カミーユ・サン=サーンス
Charles Camille Saint-Saëns
ピアノ三重奏曲第2番ホ短調 作品92
Trio no 2 pour piano et cordes op.92
1 Allegrro non troppo
2 Allegretto
3 Andante con moto
4 Grazioso, poco allegro
5 Allegro
あ
あ
ー 休憩 −
エルネスト・ショーソン
Ernest Chausson
ピアノ四重奏曲イ長調 作品30
ライナーノート
Quatour pour piano et cordes op.30
ライナーノート
1 Animé
2 Très calme
3 Simple et吉岡 哲理
sans
4 Animé
TOTEMO
バッハ、ベートーヴェン、ブラームスを中心に
ーグナーの影響をそのまま受けていたサン=サ
15人くらいぱぱっと出てきただろうか。私は13
フォーレ/ピアノ三重奏曲(1923)
ーンスが、それを脱し新たな自分の世界を創造
人が限界だったけれど。
19世紀のフランスにおいてフォーレは異端児
しようとした第2番。もうそこにドイツの影は薄
では第2問。
だった。当時の流行や伝統に悉く逆行した。音
く、早くも完成をうかがわせる彼独自の色で一
「イタリアの作曲家を時代に関係なく思いつ
楽教育機関の最高峰であるパリ音楽院にはそっ
面が彩られている。
く限り答えなさい」
ぽを向いてニデルメイエール宗教音楽学校に進
一瞬(えっ)と思うかもしれない。でも、バ
み、オペラは1曲も書かなかった。もちろん“ロ
ショーソン/ピアノ四重奏曲(1897)
ロック時代の人々やオペラ作曲家を考えてみれ
ーマ大賞”も獲っていない。それでも彼は自分
残念ながらフォーレやサン=サーンスに比べ
ばいい。ヴィヴァルディの『春』といえば小学
の力を周囲に認めさせた。そして、多くの傑作
るとこのショーソンは知名度も音楽史への貢献
校で聴いた/聴かされた経験のあるひとがほと
と多くの弟子を世に送り出したのだ。晩年はベ
度も劣る。ただ、ドビュッシーを保護し、また
んどだと思うし、プッチーニのオペラ《トゥー
ートーヴェンと同じく聴覚障害に蝕まれたが、
社交界に紹介したのが、ほかでもない彼とその
ランドット》はフィギュアスケートの荒川静香
その重大な病ですらフォーレの意欲的な前進を
奥さんなのだ。
が使ったことで有名になった。彼らはいずれも
止めることはできなかった。
両親の意向から大学では法律を学んでおり、
イタリア人なのだ。
この三重奏曲は死の間際に書かれたものだ。
戦争に徴兵されたことも重なって、彼はとても
それでは最終問題に移ろう。
そのためか、無駄な寄り道をしない、シンプル
遅い段階で作曲家としてデビューした。また、
「フランス・ベルギーの作曲家を時代に関係
で老成された作品となっている。このすぐ後に
フォーレやサン=サーンスと違い短命だった。
なく思いつく限り答えなさい」
書かれ白鳥の歌となった《弦楽四重奏曲》も含
それも、自転車で門柱に激突するという不幸な
帰りがけにでも、3分間でどれだけ思いついた
め、作曲家フォーレの集大成がここにあると言
事故で亡くなっている。したがって、作曲家と
かをこっそりと耳うちしてほしい。ただ予想す
っていいだろう。
して活躍していたのは、20年間にも満たないの
るに、音楽系の大学で勉強している人たちで、
だ。当然ながら残した作品数も相応に少ない。
今日のプログラムに登場する作曲家を除き、5人
サン=サーンス/ピアノ三重奏曲第2番(1892)
この四重奏曲は、事故の2年前に完成されたも
の名を思いつけばよいほうなのではないだろう
音楽家であると同時に哲学者でもあり評論家
のだ。パリ万博における東洋音楽の衝撃が曲の
か。
でもありまたエッセイストでもあった多彩な人
随所にはっきりと示されている。とはいえ、東
これがなにを意味しているのか? フランス
物、それがサン=サーンスだ。ニデルメイエー
洋的な旋律の中にも“フランスらしさ”を感じ
に作曲家が少ないという事実はまったくない。
ル宗教音楽学校で自分の生徒だったフォーレと
られるはずだ。今日はぜひ、幸せな人生を送り
実際に、欧米諸国でその名を知られまた評価さ
生涯の関係を築き、師弟としてあるいは友人と
ながらも報われない最期を遂げたショーソンと
れているフランスの作曲家は、近代だけで少な
して互いに影響しあった。
いう作曲家の一端に触れていただきたい。
くとも30人以上は存在する。ただ日本で知られ
サン=サーンスは矛盾を抱えていた。彼は作