(昭和 18 年 10 月 国家総動 員令によ り大学・ 高専の学 生,陸・海 軍に入隊 ) 抱えてよたよたと飛行するまだ半人前のパイロット、まして洋上低空飛行は高度 な技術を要しますから、それをあえて命令した上層部は単に人間爆弾,人間ミサ イルとして考えていたようで、誠に痛恨極まりない至上命令であるが、上官の命 令は陛下の命令であるとした職業軍人の思い上がりが悲劇を生んだ。 昭和 20 年 4 月 のある日 、富岡小学 校に急降 下の訓練 をしてい た赤とんぼ 1機が 降下角度が入りすぎたのか、機首を上げるのが遅れ、校門の脇にあった大きな柳 の木に翼が 接触し て仏ヶ浜の 砂浜に不 時着した ことがあ った。 教育訓練が終了すると、宇都宮、熊谷、明野基地等で実戦特攻機の操縦訓練を 短期間行ってから九州の知覧特攻基地へ送られ沖縄戦へと飛び立って護国の盾と なった。 富岡国民学校(小学校)の上空を練習機が編隊を組み,翼を振りながら南を目 指し飛び去っていくのを校庭で懸命に手を振って見送ったことが今でも鮮明だ。 8 月 15 日 、 終 戦、 双 葉 中 学の 兵 舎 では 訓 練中 の 予 備学 生 と本 チ ャ ンで あ る上 官 と の 間 で 軋 轢が あ り 、日 本 刀 を 振 り 回 し て の 騒 動 が あ っ た ら し い 、 そ の 時 の 刀 傷 が 教室の柱にあり、当時から教師をしていた教頭の半沢先生が授業中、教室の柱の 疵を示して教えてくれたことがあった。 幕末の池田屋騒動のような乱闘があったらしい。 また同じ頃、特攻隊員に選ばれ出撃命令が出 ると、郷土訪問飛行が許可され(出身地の上空 を 旋 回 し て 別 れ を 告 げ る )、 富 岡 町 出 身 の パ イ ロ ットは前日富岡署に連絡が入り、警察から家族 に知らされ、地上すれすれに飛び、我が家や小 学校の上空を旋回し、パイロットの顔が見える くら い の低 空で、 多分 10 代 後 半の 若人 だっ たの でし ょう、 やが て翼 を振 りな がら -6-
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