通巻103号 - 少年俳句会

五
月
号
︵
通
巻
一
〇
三
号
︶
号
・
隔
月
発
行 平
成
二
十
六
年
五
月
二
日
発
行
少
年 平
成
二
十
六
年 五
月
号
︵
通
巻
一
〇
三
号
︶
パ
ー
ト
Ⅳ
・
十
三
号
少年
平成二十六年五月二日発行
五月号
一〇〇〇円
俳 少
句 年 雑 パ
誌 ー
ト
Ⅳ
・
十
三
有季定型のときめき
自然随順のやすらぎ
切磋琢磨のよろこび
俳話断章・心を養う
稲田眸子
素十先生の直弟子を自認する長谷川耕畝氏の
「俳 人高野素十との三十 年」は興味深 い評論集
で ある。「体 験的・ 風聞的素十論」と副題して
い る よ う に 、 素 十先 生 の 素 顔 が 浮 か び上 が って
くる 読 み 物で あ る 。 そ の 中で 、 弟 子 と 一緒 に吟
行にで か けた 時のエ ピソードが記 されて いる。
雪代が滔々と流れ込む信濃川と小阿賀野川の
合流 点の橋 の上に 立ち 、上流の空から二棹三棹
と帰る雁を見て いた先生は「ほう。いいな、い
いな」と感嘆の声を上 げ、「 うん。今日はいい
ものを みた な」とご 満悦 の様子で あった そ うだ。
吟行の後、句会が 行われ た。素 十先生はき っ
と帰雁の 佳句を 投句なさ るに違いない、そう思
って いた 弟 子 達。 し か し、 素 十先 生は 帰雁 に 関
する句を 一句も 投句なさらなかった そうだ。
「君達はあわ てて見たものをすぐ作るからだ
めなん だ。い いもの は見て 置くだ けで いい。 い
いものを みた感じを大切にして おけば何時かは
それ が 句 に 現 れ る 。 別 に 雁 の 句 で な くて も よ い 。
い いも のを 見 て 心を 養 って おれ ば どこ か に現 れ
る も の な ん だ」 と 先 生 は お っ しゃ っ た そ う だ 。
キーワードは「感じを 大切に」「心を養う」
で あろ う。 心 して 学 び た い 教 えで あ る。
号
3
0
1
俳話断章
稲田眸子
稲田眸子
稲田眸子選
眸子の俳句紀行
(
特選三十三句 敷波澄衣・加藤和子・本田 蟻
ー
)
新連載・花曼陀羅
秀句ギャラリー鑑賞
巻頭作家招待席
稲田眸子
平田節子
長田民子
髙松くみ
稲田眸子選
特集・俳壇抄三十九号を読む
後藤 章
彩時記燦々
虚子嫌いが読む虚子の歳時記
溝口
巻
銀幕の季語たち
篠﨑代士子
矢下丁夫他
代士子の万華鏡
山岡叡命
俳句紀行燦々
号
3
1
・
Ⅳ
叡命さんのフォトアルバム
小野京子
通
ト
京子の愛唱一○○句[癒し]
中嶋美知子
直
次
自叙伝「私は軍国少女」
松村れい子
パ
目
れい子の宝箱
裏表紙
1
6
117
127
150
157
166
173
2
37
118
130
155
162
169
)
)
四季の句暦
この本、この一句
輝二さんのつれづれ紀行
ちょっと俳句ing
自註シリーズ
俳誌歴訪
ひなたとみずきの子育て日記
くにをの絵手紙紀行
稲田眸子
稲田眸子
荒木輝二
佐藤白塵
田みゆき
阿部王一
細井みどり
梅島くにを
便りの小箱
編集ノート
絵/福井美香
表紙題字/泉 澂
挿
177
180
197
200
175
179
190
199
201
稲田眸子の俳句紀行
一書信
東京に出て幾とせの花愛でる
きかん坊のごとく連翹枝伸ばす
山吹や正座して書く一書信
天空へまたも書信か揚雲雀
さつと炙つて骨ごと食す初諸子
山茱萸や秘仏の扉閉ぢしまま
西 方 に 沈 黙 の 海 春 愁 ふ
ピーピー豆
今日は、今年度最初のジュニア俳句スクールの日。
去年は、カラスノエンドウ豆で作った草笛、通称、
ピーピー豆を鳴らし、草笛体験をしてもらった。
(今年もそうしたいなあ…)そう思いながら、い
つもの裏庭に到着。去年、上質のカラスノエンドウ
豆がいっぱいとれた場所をうろうろ。「あった、あ
った。よかった」と思いながら、指先で豆の太さを
確かめる。「おやっ…、どこか変だ。場所が悪いの
かな」と呟きながら、他の場所に指先を移す。しか
し、どのピーピー豆もぺちゃんこ。上質のピーピー
豆はぷっくりと太ったやつ。それでなければ、音が
しっかり出ない。今回のこれは音がでないどころで
はない。笛そのものができそうにないのだ。どうし
たことであろう。しばし思いを巡らせる。今年は春
のドカ雪が二度も続いた。そうだ、あのせいに違い
ない。ちょっとした気温の変化が植物達に微妙な影
響を及ぼしていたのだ。それが驚きであった。
今回の授業も、裏庭を観察し、去年と違ったこと、
発見したことを皆で発表し合った。それをモチーフ
とした句作りにチャレンジ。楽しい時間を過ごした。
身の回りの環境のちょっとした変化に気付き、その
ことに思いを馳せる子ども達を育てたいものである。
―1―
敷 波 澄 衣
稲田眸子選
湖 の 宿 草 の に ほ ひ の 諸 子 焼 く
加 藤 和 子
特選三十三句
春 場 所 や 贔 屓 力 士 は 髷 結 へ ず
本 田
蟻
青 空 の 礫 の ご と し 落 雲 雀
―2―
限
り
り
揚
演
雲
習
縹
雀
地
色
宮 崎 敬 介
川さち子
川西ふさえ
はなだ
す
よ
は
渡
空
空
雀
見
み
の
雲
雀
声
白
揚
雲
の
余
揚
采
松村れい子
喝
雲 雀 野 や ホ ス ピ ス の 窓 開 か れ て
中嶋美知子
城 戸 杉 生
雲 雀 野 や 八 分 音 符 で 駆 け る 子 ら
小 野 京 子
乾 坤 の 一 点 と な る 雲 雀 か な
山 茱 萸 の 花 に 目 ざ む る 母 の 里
市 川 和 子
小 野 啓 々
山 茱 萸 の 背 負 籠 に 溢 れ 揺 れ 通 し
山 岡 叡 命
太 陽 に 近 づ き す ぎ て 落 つ 雲 雀
山茱萸にファッションモデルに反射板
―3―
そ の 皮 で 染 め し ス カ ー フ 桜 東 風
強 東 風 や 花 粉 敵 の 如 く 来 る
福 田 久 子
永 福 倫 子
阿 部 鴫 尾
東
白 濤 の し ぶ く 大 岩 涅 槃 西 風
山
佐 藤 裕 能
西
彼 岸 西風 卒 塔 婆 か た りと 揺ら しけ り
に
平 田 節 子
京
お 彼 岸 の 真 西 に 夕 日 沈 み ゆ く
ふ
柴田芙美子
笑
佳 苑
山
山
瓏
濱
玲
樹 木 葬 墓 地 に 芽 吹 き の 音 す な り
今
宮 川 洋 子
に
春 一 番 吹 き と ば さ る る 作 業 帽
天
笠 村 昌 代
東
と
月
春
佐 藤 白 塵
の
汐 入 の 池 春 水 の ほ と ば し る
―4―
誕
れ
青
桜
生
淡
上 田 雅 子
の
包
ま
の
菱 餅 や よ き 母 と な れ 人 と な れ
に
空
利 光 幸 子
横
泡
の
し
新
の
東
小 野 啓 々
波
餅
奥土居淑子
の
ブ ラ ン チ に ワ イ ン を 添 へ て 西 東 忌
草
す
鯛
く
綱
佐々木素風
桜
貝
引
み
く
じ
梅島くにを
藤 井 隼 子
初
眠 る 児 の 輝 く 頬 や ス イ ー ト ピ ー
吉
倉 田 洋 子
と
泣 虫 の 頬 あ か あ か と 大 西 日
し
篠﨑代士子
よ
東 ド イ ツ の 壁 粉 砕 す 冬 の 月
旅
松 く
へ
み
雪 掻 き の 又 一 人 増 え 一 人 減 り
東
髙
―5―
彩時記燦々
雲 雀 青 空 の ソ ロ コ ン サ ー
雲 雀 重 力 を 置 き 去 り に し
雲 雀 み 空 の 下 の 立 ち
雲 雀 高 み の 空 の ま ん 中
はなだ
雲 雀 余 白 の 空 は
縹
雲 雀 砂 丘 消 え ゆ く 日 本
り
下
地
り
中
ト
て
話
に
色
海
稲田眸子選
中 川 英 堂
御 沓 加 壽
川さち子
山 岡 叡 命
高 橋 敏 惠
阿 部 王 一
阿 部 王 一
落 合 青 花
河 野 キ ヨ
川西ふさえ
敷 波 澄 衣
◇雲雀(ひばり)・揚雲雀(あげひばり)・落雲雀(おちひばり)【 春・動物 】
揚
揚
揚
揚
揚
揚
揚 雲 雀 天 空 縦 横 無 尽 な
揚 雲 雀 風 に 煽 ら れ 急 降
揚 雲 雀 見 渡 す 限 り 演 習
揚 雲 雀 ス カ イ ツ リ ー は 遥 か な
揚 雲 雀 旗 は 宅 地 売 り 出 し
―6―
を 見
風 に
つ 見 上
の 土
送 る 揚 雲
乗 る 揚 雲
げ ゐ る 揚 雲
手 揚 雲
学 部 実 験 草 地 揚 雲
々 と 流 る 雲 間 へ 揚 雲
ば た き の 次 第 に う す れ 揚 雲
空 に 昇 り き つ た る 揚 雲
り 来 る や ふ わ り ふ わ り と 揚 雲
行 雲 伸 び ゆ く 空 を 揚 雲
と 子 の 遊 山 の ひ と 日 揚 雲
讐 の 彼 方 に な り ぬ 揚 雲
采 の 声 み 空 よ り 揚 雲
奥 に 残 る ふ る さ と 揚 雲
の 井 は 空 の ど こ か に 揚 雲
髪 刈 り し 客
心 地 良 き 里
ペ ダ ル 漕 ぎ つ
人 柱 伝 説
農
滔
羽
天
降
飛
父
恩
喝
耳
空
雀
雀
雀
雀
雀
雀
雀
雀
雀
雀
雀
雀
雀
雀
雀
佐 藤 裕 能
杉 野 豊 子
杉本美寿津
福 田 久 子
佐々木素風
中嶋美知子
浜 田 正 弘
佐々木紀昭
宮 崎 敬 介
宮 川 洋 子
松村れい子
梅島くにを
石 塚 未 知
佐藤美代子
城 戸 杉 生
―7―
陽 に 近 づ き す ぎ て 落 つ 雲
雀 落 つ 畑 に 混 じ る 貝 の
空 の 礫 の ご と し 落 雲
雀 の 巣 探 し 求 め し 幼 き
覚 め ゐ て 雲 雀 さ え ず る 郷 を 恋
空 に 鳴 き 続 け る は 雲 雀 ら
線 の 電 車 待 つ 間 の 雲 雀 か
ば り ひ ば り こ こ は 阿 蘇 の 草 千
ま び す し 雲 雀 は 何 処 目 を 凝 ら
手に 寝こ ろ び目 を 閉ぢて 聞 く雲
えいたいごう
雀 は る か 掩体壕 の 野 の 広
鳶 の 輪 を ぬ け て 高 み へ 揚 雲
飼 い 葉 刈 る 子 ら と 見 上 げ る 揚 雲
乾 坤 の 一 点 と な る 雲 雀 か
揚 雲 雀 急 転 直 下 落 雲
雀
粉
雀
日
ふ
し
な
里
す
雀
さ
雀
雀
な
雀
小 野 啓 々
濱
佳 苑
本 田
蟻
荒 木 輝 二
佐志原たま
宮 川 洋 子
本 田
蟻
堀 内 夢 子
御 沓 加 壽
佐 藤 年 緒
篠﨑代士子
田みゆき
佐 藤 辰 夫
城 戸 杉 生
平 田 節 子
太
雲
青
雲
目
天
単
ひ
か
土
雲
―8―
城 戸 杉 生
浜 田 正 弘
溝 口
直
々
雲
れ
姉
隠
子
け
向
下
仕
蒼 天 や 雲 雀 の 高 さ 日 の 高 さ
麦 畑 畝 で 雲 雀 ら 鬼 ご つ こ
ひ ば り 鳴 く 丘 を 秘 密 の 場 所 に す る
一 途 雲 雀 啼 く 野 の 厖
を 彷 徨 ひ を ら む 高
野 や ホ ス ピ ス の 窓 開 か
野 に 囀 り て を り 三
野 や 道 草 の 子 の 見 え
野 や 八 分 音 符 で 駆 け る
野 の 明 る き 中 を 帰 り
雀 淋 し い と き は 上 を
ば り 宙 に 残 し て 土 手
雀 聞 け ば そ ろ そ ろ 野 良
新 谷 慶 洲
矢 下 丁 夫
松村れい子
椎名よし江
津田緋紗子
中嶋美知子
川さち子
笠 村 昌 代
石 渡
清
城 戸 杉 生
翔
空
雀
雀
雀
雀
雀
雲
ひ
雲
小 野 柳 絮
と
雀
て
妹
れ
ら
り
き
る
舞
飛
天
雲
雲
雲
雲
雲
夕
夕
夕
◇連翹(れんぎょう)【 春・植物 】
連 翹 の 口 八 丁 の 黄 を 飛 ば し
―9―
連 翹 の 咲 き ゐ て 庭 の 賑 々
連 翹 の 籬 続 く や 城 下
連 翹 の 透 き 間 で あ い さ つ を 交 は
連 翹 の 揺 れ て 牛 舎 に 仔 の 気
し
町
す
配
大塚そうび
阿 部 鴫 尾
阿 部 王 一
小 野 京 子
藤
溝
松
村
南
新 谷 慶 洲
井 隼 子
口
直
嶋 民 子
田 文 雄
桂 介
石 渡
清
貞永あけみ
杉本美寿津
敷 波 澄 衣
高 橋 敏 惠
唄
り
り
な
路
す
も
雨
村
音
家
翹 の 花 唱 和 す る わ ら べ
翹 の ほ ろ ほ ろ 散 り し 昼 下 が
翹 の 黄 色 眩 し き 朝 帰
翹 の 垣 根 を 揺 ら す 子 猫 か
翹 の 生 垣 続 く 通 学
翹 の 背 丈 と な り て 通 園
翹 の 枝 垂 れ 充 つ れ ば 気 鬱 に
翹 の 黄 の 解 れ ゆ く 夜 半 の
翹 の 戸 毎 に た わ む 峡 の
翹 の 垣 結 ふ 村 の 観 世
翹 の 垣 根 と 言 へ ば わ か る
連
連
連
連
連
連
連
連
連
連
連
― 10 ―
翹 や 保 育 園 バ ス か ま び す
翹 や 長 き 手 足 の チ ア ガ ー
翹 や 木 魚 の 音 の 寺 真
翹 や 花 び つ し り の 子 沢
翹 や 一 直 線 に 花 開
翹 や 古 民 家 の 土 間 薄 暗
翹 や 煙 草 く ゆ ら す 老 農
翹 を 髪 に か ざ せ し 村 の 子
翹 を 回 し 枝 振 り 定 め 活
つ て ゐ る ご と 固 ま り て 連 翹 咲
り上 げ し 絵 の具 のや うに咲 く連
連 翹 の 角 を 曲 が っ て 蕎 麦 屋 ま
連 翹 の 炎 の ご と く 揺 ら ぎ 立
連 翹 や 着 信 音 の ポ ッ プ
連 翹 や 空 一 面 を 明 る く
し
ル
昼
山
く
き
夫
ら
く
く
翹
で
つ
調
し
惠
倉 田 洋 子
津田緋紗子
富岡いつ子
中 川 英 堂
堀 内 夢 子
濱
佳 苑
山 本 枡 一
司 良
長 田 民 子
加 藤 和 子
佐 藤 年 緒
南
桂 介
山 口 慶 子
奥土居淑子
神 永 洋 子
連
連
連
連
連
連
連
連
連
笑
盛
髙
― 11 ―
生 け 垣 を 越 え て 一 途 に 伸 ぶ 連 翹
山 吹 の 花 咲 く 庭 に 客 迎 ふ
山 吹 の 光 を 浴 び て 水 車 か な
敷 波 澄 衣
佐藤美代子
佐々木紀昭
福 田 久 子
山 吹 の 一 重 好 み も 母 ゆ づ り
新 谷 慶 洲
藤 井 隼 子
御 沓 加 壽
水野すみこ
宮 崎 敬 介
和田かおり
石 渡
清
笠 村 昌 代
武田東洋子
司 良
◇山吹(やまぶき)【 春・植物 】
湯
な
し
会
に
面
吹
吹
吹
吹
吹 の 渓 谷 ゆ け ば 洞 川
吹 の 花 を 愛 で ゐ る 老 母 か
吹 の 影 揺 れ 犬 の 驚 き
吹 の 山 吹 荘 に 一 と 句
吹 や 交 は す 言 葉 の し な や か
吹 や お 辞 儀 し 合 う て 初 対
王 な ほ 贅 を 削 ぐ や う 濃 山
だ は り は さ ら り と 捨 て て 濃 山
動 滝 ま で の 小 径 の 濃 山
達 の 哀 歌 恋 し や 濃 山
惠
山
山
山
山
山
山
仁
こ
不
公
髙
― 12 ―
車 場 の 裏 に 黄 金 の 濃 山
と 枝 の 山 吹 挿 さ る 厠 か
な 褒 め て ゆ く 山 吹 の 花 盛
多 き 町 の 石 垣 黄 山
重 の 山 吹 に 実 な く ば か な し け
い 日 の 庭 の 山 吹 父 母 の 居
月 や 山 吹 あ ふ る る ご と く 咲
方 に 山 吹 咲 い て 空 き 家 ら
訪 へ ば 山 吹 の 庵 教 へ く
下 が り 山 吹 散 る や 城 の
ガ ム テ ー プ 貼 ら れ し ポ ス ト 濃 山
垣 根 越 し 交 は す 挨 拶 濃 山
い ま 盛 り 東 御 苑 の 濃 山
ド ラ イ ブ の 窓 に 飛 び 交 ふ 濃 山
吹
な
り
吹
れ
て
き
し
れ
跡
吹
吹
吹
吹
佐 竹 孝 之
佐 藤 裕 能
田 﨑 茂 子
富岡いつ子
溝 口
直
村 田 文 雄
上 田 雅 子
加 藤 和 子
川西ふさえ
山 本 枡 一
濱
佳 苑
山 口
修
小 野 柳 絮
大塚そうび
水
ひ
み
坂
八
遠
歳
八
道
昼
◇諸子(もろこ)【 春・動物 】
― 13 ―
音
す
子
釣
柴田芙美子
佐々木紀昭
富岡いつ子
梅島くにを
の
は
諸
子
後 藤
章
佐 竹 孝 之
津田緋紗子
水野すみこ
牧
一 男
後 藤
章
後 藤
章
後 藤
章
佐々木素風
浜 田 正 弘
高 橋 敏 惠
波
交
初
諸
諸
諸
ぐ
持
釣
な
舟
日
な
な
な
な
な
往
水
噛 め ば 湖 国 の
素 焼 き 塩 焼 き 盃
る 近 江 の 宿 の
詠 み し 小 川 や
初
初
夕
家
虫 に 指 先 染 め て 諸 子
子 釣 る 川 面 に 朝 の 光 か
を 乗 せ て 光 の 中 の 諸 子
子 釣 り 老 い に 賜 る 小 半
頭 の 棹 に ち ら ば る 諸 子 か
を 尾 鰭 で 打 て る 諸 子 か
ち 舟 を 覗 け ば 群 れ て 諸 子 か
命 寺 さ ま の 蜆 と 諸 子 か
ら か き 光 に 透 け て 諸 子 か
ぐ れ た る 諸 子 が 一 尾 右 往 左
殖 の 諸 子 を 晒 す 井 戸 の
子
子
る
の
赤
諸
子
諸
船
掌
朽
長
柔
は
養
― 14 ―
村 酒 場 諸 子 自 慢 の 親 爺 さ
近 江 路 の 旅 の 終 り に 諸 子 買
諸 子 焼 く 煙 一 筋 余 呉 の
も ろ こ 焼 く 狭 き 路 地 な る 漁 師
敷 波 澄 衣
杉 野 豊 子
山 本 枡 一
石 塚 未 知
松 村 勝 美
柴田芙美子
ん
ふ
海
町
湖 の 宿 草 の に ほ ひ の 諸 子 焼 く
二 月 の 膳 の に ぎ は ひ 諸 子 煮 る
阿 部 鴫 尾
小 野 京 子
小 野 柳 絮
市 川 和 子
佐 藤 裕 能
佐 藤 辰 夫
津田緋紗子
堀 内 夢 子
茱 萸 の 群 れ 咲 く 丘 や 秘 密 基
茱 萸 の 花 に 目 ざ む る 母 の
の 音 の か す か な 響 き 花 山 茱
茱 萸 の 背 負 籠 に 溢 れ 揺 れ 通
茱 萸 の 濡 れ て 黄 金 の ひ ろ ご れ
茱 萸 の 一 枝 を 活 け し 座 敷 か
茱 萸 の 花 咲 く 峡 や 子 牛 生
茱 萸 の 柄 の 鎌 軽 し 草 を 刈
◇山茱萸の花(さんしゅゆのはな)【 春・植物 】
地
里
萸
し
り
な
る
る
山
山
鈴
山
山
山
山
山
― 15 ―
松 村 勝 美
牧
一 男
田みゆき
津田緋紗子
咲
開
か
小
く
に
な
屋
に
満
さ
の
中嶋美知子
長 田 民 子
小 野 啓 々
山 岡 叡 命
松村れい子
永 福 倫 子
利 光 幸 子
河 野 キ ヨ
の 黄 色 鮮 や か 雨
の ひ か え め に 咲 き
の 花 見 る に よ き 遠
や 窓 開 け 放 ち 杣
茱
茱
茱
茱
里
と
色
板
黄
る
り
萸
萸
萸
萸
萸
山
山
山
山
茱 萸 や 水 音 ば か り 窯 の
茱 萸 や こ ぼ れ 話 の 次 々
茱 萸 を 抜 け た る 風 の 玉 子
茱萸にファッションモデルに反射
色 の 空 に け ぶ れ る 山 茱 萸 の
雨 に 山 茱 萸 の 黄 の 噴 き 上 が
先 の 甕 に 山 茱 萸 溢 れ を
山 の 古 木 と な り し 花 山 茱
川さち子
落 合 青 花
山
山
山
山
鉛
糠
店
里
◇東風(こち)【 春・天文 】
朝 東 風 や 山 鳩 庭 に 来 て を り し
夢 託 す 天 神 さ ま の 東 風 の 苑
― 16 ―
ん ぐ ん と 武 将
風 の 中 背 筋
風 吹 け ど 病
風 吹 い て 村
る
髙
像
跡
る
な
船
風
風
士
る
ず
る
す
し
生
阿 部 鴫 尾
惠
本 田
蟻
濱
佳 苑
小 野 啓 々
中嶋美知子
矢 下 丁 夫
永 福 倫 子
松 嶋 民 子
矢 下 丁 夫
杉本美寿津
上 田 雅 子
司 良
和田かおり
中 川 英 堂
松村れい子
凧 は 東 風 に 乗
ば し て 出 勤
梅 は 花 も な
二 人 の 留 学
ぐ
東
東
東
東 風 や 花 粉 敵 の 如 く 来
東 風 や 運 慶 作 の 仁 王
東 風 や 門 に 表 札 あ り し
東 風 に 柴 折 戸 高 き 音 立 つ
東 風 の 空 に 身 を 漕 ぐ 鴉 か
東 風 や 岸 に 寄 ら ざ る 蜆
の 皮 で 染 め し ス カ ー フ 桜 東
斉 に 発 声 練 習 桜 東
空 に 威 風 堂 々 東 風 の 富
東 風 や 農 業 ハ ウ ス 建 て 終
東 風 や 耳 鳴 り け ふ も 治 ま ら
の
伸
の
に
強
強
梅
強
強
荒
そ
一
天
夕
夕
― 17 ―
福 田 久 子
梅島くにを
永 福 倫 子
◇涅槃西風(ねはんにし)・彼岸西風(ひがんにし)【 春・天文 】
白 濤 の し ぶ く 大 岩 涅 槃 西 風
寺 山 を 越 え 来 る 雲 や 涅 槃 西 風
釣 り 上 げ し 雑 魚 を 放 て り 涅 槃 西 風
佐 竹 孝 之
首 藤 加 代
佐 藤 辰 夫
本 田
蟻
松 嶋 民 子
田みゆき
河 野 キ ヨ
佐 藤 裕 能
武田東洋子
ふ 脚 の 甦 り あ り 涅 槃 西
舞 ひ 湯 に 四 肢 を 弛 め て 涅 槃 西
た き り の 窓 よ り 少 し 涅 槃 西
へ の 栄 枯 盛 衰 涅 槃 西
羽 の 矢 し か と 受 け 止 め 涅 槃 西
車 押 す 婆 さ ま や 涅 槃 西
槃 西 風 静 か に 亀 の 浮 か び 来
岸西 風 卒 塔 婆 か たりと 揺ら しけ
代 遺 跡 住 居 跡 に も 彼 岸 西
小 野 京 子
風
風
風
風
風
風
る
り
風
廃
仕
寝
古
白
猫
涅
彼
古
◇桜(さくら)・花(はな)【 春・植物 】
花 の 声 風 の 声 聴 く 夜 明 け か な
― 18 ―
崎
崎
藤
藤
敬
敬
白
白
介
介
塵
塵
宮
宮
佐
佐
り
る
り
列
朝 桜 ひ か り は い つ も 東 よ
胎 蔵 界 金 剛 界 や 花 満 つ
人 住 ま ぬ 孤 島 に 桜 咲 き ゐ た
夜 桜 に 城 の 桝 形 人 の
佐 藤 白 塵
武田東洋子
笠 村 昌 代
松 く
夜 桜 や 舳 先 な ら べ て 屋 形 船
◇春麗ら(はるうらら)・麗らか(うららか)【 春・時候 】
句 帳 手 に 女 十 人 麗 ら か に
春 う ら ら そ ぞ ろ 歩 き の 夫 と 我
春 う ら ら 思 ひ も 掛 け ぬ 電 話 鳴 る
◇花見(はなみ)・花の宴(はなのえん)【 春・人事 】
宮 川 洋 子
宮本陸奥海
宮
み本陸奥海
る
丸
茶
車 椅 子 連 ね 花 見 の 列 長 し
二 年 余 の 治 療 に 癒 へ て こ の 花 見
東 西 の 訛 り 飛 び 交 ふ 花 の 宴
髙
映
東
堀 内 夢 子
の
窓
屋
愁
◇春愁(しゅんしゅう)【 春・人事 】
春
― 19 ―
西
軍
館
上 田 雅 子
貞永あけみ
や
将
春 愁 や 西 方 浄 土 と い ふ 教 へ
母 恋 ひ の 東 男 や 春 愁 ふ
花
◇菜の花(なのはな)【 春・植物 】
の
武
跡
菜
篠﨑代士子
平 田 節 子
矢 下 丁 夫
阿 部 王 一
溝 口
直
田 﨑 茂 子
佐志原たま
御 沓 加 壽
川さち子
菜 の 花 や 東 に 筑 波 幽 か な り
国 東 は 野 仏 多 し 菜 の 花 路
◇春(はる)【 春・時候 】
東 西 の 春 の 緊 張 ウ ク ラ イ ナ
東 に 向 か ひ 春 光 浴 び に け り
◇春暁(しゅんぎょう)【 春・時候 】
春 暁 や 始 発 電 車 の ゴ ツ ト ン と
春 暁 の ブ ル ー ト レ イ ン 東 へ
◇彼岸(ひがん)【 春・時候 】
西 方浄 土に 行 き た しと 思ふ 彼 岸か な
お 彼 岸 の 真 西 に 夕 日 沈 み ゆ く
― 20 ―
◇雪(ゆき)【 冬・天文 】
遠 景 に 比 良 の 暮 雪 や 湖 西 線
冠 雪 大 き な 笠 の 修 行 僧
◇青き踏む(あおきふむ)【 春・人事 】
青 き 踏 み つ つ 草 の 名 を 口 ず さ む
今 こ こ が 西 方 浄 土 青 き 踏 む
◇春場所(はるばしょ)【 春・人事 】
春 場 所 や 贔 屓 力 士 は 髷 結 へ ず
春 場 所 や 贔 屓 力 士 は 西 側 に
◇連翹忌(れんぎょうき)【 春・人事 】
阿 多 多 羅 の 空 の 青 さ や 連 翹 忌
阿 多 多 羅 山 の 智 恵 子 の 空 や 連 翹 忌
◇山笑ふ(やまわらう)【 春・地理 】
山 笑 ふ お 日 さ ま 西 を め ざ す な り
山
笑
ふ
京
に
西
山
東
山
柴田芙美子
椎名よし江
大塚そうび
首 藤 加 代
加 藤 和 子
椎名よし江
佐 竹 孝 之
松 村 勝 美
落 合 青 花
柴田芙美子
― 21 ―
◇芽吹く(めぶく)【 春・植物 】
ひ と 雨 に 芽 吹 き の 庭 の 覇 気 戻 る
樹 木 葬 墓 地 に 芽 吹 き の 音 す な り
◇糸桜(いとざくら)・枝垂れ桜(しだれざくら)【 春・植物 】
糸 桜 醤 油 の 町 に 愛 で に け り
大 枝 垂 れ 桜 を 支 ふ 竹 の 棚
◇早春(そうしゅん)【 春・時候 】
早 春 や 東 京 の 人 と 結 ば れ る
◇暖か(あたたか)【 春・時候 】
あ た た か し 三 陸 鉄 道 再 開 へ
◇春(はる)【 春・時候 】
長 田 民 子
濱
佳 苑
宮本陸奥海
宮本陸奥海
松 く
利 光 幸 子
荒
み 木 輝 二
組
定
醤
ひしほ
西 見 れ ば 富 士 の 山 影 春 の 夕
髙
木
◇春寒(はるさむ)【 春・時候 】
や
る
敷 波 澄 衣
寒
ま
蔵
春
◇桜冷え(さくらびえ)【 春・時候 】
― 22 ―
原 発 の 避 難 計 画 さ く ら 冷 え
強 が り を 言 ひ た る 後 の 彼 岸 寒
市 川 和 子
石 塚 未 知
奥土居淑子
る
◇彼岸寒(ひがんざむ)【 春・時候 】
返
荒 木 輝 二
空
に
上
甲
弦
羅
干
の
す
◇春の昼(はるのひる)【 春・時候 】
西
◇冴返る(さえかえる)【 春・時候 】
冴
昼
縁
亀
月
の
の
修
宮 川 洋 子
山 口
平 田 節 子
浜 田 正 弘
春
池
◇朧(おぼろ)【 春・時候 】
春 お ぼ ろ 汀 女 も 見 し か 野 毛 の 月
◇啓蟄(けいちつ)【 春・時候 】
啓 蟄 や 少 し や る 気 に な つ て ゐ る
◇花曇り(はなぐもり)【 春・天文 】
花 曇 り 待 合 室 の オ ル ゴ ー ル
◇春一番(はるいちばん)【 春・天文 】
春 一 番 吹 き と ば さ る る 作 業 帽
― 23 ―
の
月
東
天
に
◇春の月(はるのつき)【 春・天文 】
春
◇春の雪(はるのゆき)【 春・天文 】
今
玲
瓏
と
春 の 雪 積 ん で ク ロ ネ コ 便 来 た る
◇菜種梅雨(なたねつゆ)【 春・天文 】
東 塔 の 黒 々 と し て 菜 種 梅 雨
◇春夕焼(はるゆやけ)【 春・天文 】
春 夕 焼 西 方 浄 土 へ つ づ き け り
◇春の星(はるのほし)【 春・天文 】
老 詩 人 ま ど さ ん 逝 き し 春 の 星
◇水温む(みずぬるむ)【 春・地理 】
水 温 む こ ろ の 思 ひ 出 考 の 声
◇春水(しゅんすい)【 春・地理 】
汐 入 の 池 春 水 の ほ と ば し る
◇春の川(はるのかわ)【 春・地理 】
笠 村 昌 代
神 永 洋 子
神 永 洋 子
水野すみこ
利 光 幸 子
市 川 和 子
佐 藤 白 塵
― 24 ―
東
西
に
街
を
貫
く
◇げんげ田(げんげんだ)【 春・地理 】
春
大
河
唐 突 に う ら 返 さ れ し げ ん げ 田 よ
◇菱餅(ひしもち)【 春・人事 】
空
淡
加 藤 和 子
倉 田 洋 子
上 田 雅 子
の
青
菱 餅 や よ き 母 と な れ 人 と な れ
東
◇草餅(くさもち)【 春・人事 】
餅
の
利 光 幸 子
の
大塚そうび
阿 部 鴫 尾
し
草
◇石鹸玉(しゃぼんだま)【 春・人事 】
しゃ ぼ ん 玉 吹 かれ て 二塁ベー ス まで
◇春ショール(はるしょーる)【 春・人事 】
祝 ひ 合 ふ 喜 の 字 の 齢 春 シ ョ ー ル
◇春灯(しゅんとう)【 春・人事 】
松 嶋 民 子
も
お
東
門
春 灯 や 捧 げ 持 ち く る 奉 書 焼
我
一
水野すみこ
講
ひがし
徒
恩
◇報恩講(ほうおんこう)【 春・人事 】
報
― 25 ―
◇椿寿忌(ちんじゅき)【 春・人事 】
椿 寿 忌 や 師 が 説 き く れ し 句 の 調 べ
◇西東忌(さいとうき)【 春・人事 】
ブ ラ ン チ に ワ イ ン を 添 へ て 西 東 忌
◇先帝祭(せんていさい)【 春・人事 】
西 方 に あ り し お 浄 土 先 帝 祭
◇春の鳥(はるのとり)【 春・動物 】
鳴 く 声 の 日 に 日 に 高 し 春 の 鳥
◇囀り(さえずり)【 春・動物 】
囀 り に 東 雲 の 端 の そ よ ぎ け り
◇百千鳥(ももちどり)【 春・動物 】
東 雲 に ふ た め き 湧 く や 百 千 鳥
◇燕(つばめ・つばくらめ)【 春・動物 】
国 東 の 石 の 仏 へ つ ば く ら め
◇桜鯛(さくらだい)【 春・動物 】
小 野 京 子
小 野 啓 々
川西ふさえ
佐 藤 辰 夫
清
倉 田 洋 子
石 渡
田みゆき
― 26 ―
桜
鯛
く
波
新
の
横
泡
綱
に
の
包
◇桜貝(さくらがい)【 春・動物 】
引
◇雲丹(うに)【 春・動物 】
ま
誕
れ
生
桜
霞
む
山
桃
の
す
佐々木素風
奥土居淑子
花
佐々木素風
平 田 節 子
山 口 慶 子
貝
帰 ら ば や 西 海 産 の 雲 丹 の 味
◇鳥雲に(とりくもに)【 春・動物 】
の
際
西 方 に あ り し 浄 土 や 鳥 雲 に
雲
◇桃の花(もものはな)【 春・植物 】
東
◇土筆(つくし)【 春・植物 】
紅
く
淡
田 﨑 茂 子
る
濃
つ く し の 子 描 き し 絵 手 紙 届 き け り
映
◇紅梅(こうばい)【 春・植物 】
に
梅
永 福 倫 子
壁
奥土居淑子
く
城
◇馬酔木(あしび)【 春・植物 】
母 の 忌 の 近 し 馬 酔 木 の 花 万 朶
― 27 ―
◇多羅の芽(たらのめ)【 春・植物 】
多 羅 の 芽 の 味 ほ ろ ほ ろ と 苦 き 夜
◇花菜(はなな)【 春・植物 】
大 鍋 に 色 濃 き 花 菜 盛 り 上 が る
◇スイートピー(すいとぴー)【 春・植物 】
眠 る 児 の 輝 く 頬 や ス イ ー ト ピ ー
◇落花(らっか)【 春・植物 】
に
母
の
刺
繍
の
紅
椿
ひ と ひ ら の 落 花 ミ ッ ク ス ピ ザ の 上
底
◇椿(つばき)【 春・植物 】
眼
◇雪椿(ゆきつばき)【 春・植物 】
ザ ビ エ ル の 布 教 の 旅 や 雪 椿
◇朝焼け(あさやけ)【 夏・天文 】
朝 焼 け や 西 に 残 れ る 月 淡 し
◇山背(やませ)【 夏・天文 】
川西ふさえ
長 田 民 子
桂 介
藤 井 隼 子
南
藤 井 隼 子
佐 藤 年 緒
山 岡 叡 命
― 28 ―
稜 線 の ご ろ ご ろ 岩 や 山 背 来 る
◇西日(にしび)【 夏・天文 】
泣 虫 の 頬 あ か あ か と 大 西 日
◇柏餅(かしわもち)【 夏・人事 】
リ ハ ビ リ 科 の 休 憩 中 の 柏 餅
◇端午の日(たんごのひ)【 夏・人事 】
唐 揚 げ の 笠 子 が ぶ り と 端 午 の 日
村 田 文 雄
修
倉 田 洋 子
山 口
蒲
東 雲 や い つ も 青 春 登 山 す る
永 福 倫 子
佐 藤 年 緒
高 橋 敏 惠
村 田 文 雄
菖
駅
◇登山(とざん)【 夏・人事 】
花
の
作
の
日
短
本
き
最
◇鰯雲(いわしぐも)【 秋・天文 】
晋
◇花菖蒲(はなしょうぶ)【 夏・植物 】
命
端
雲
篠﨑代士子
西
鰯
◇茱萸(ぐみ)【 秋・植物 】
開 墾 の 鍬 投 げ 捨 て て 茱 萸 を も ぐ
― 29 ―
髭
剃
狂言「舟渡聟」
を
り
て
◇寒し(さむし)【 冬・時候 】
大
◇小春(こはる)【 冬・時候 】
舅
の
顔
寒
し
カ ー テ ン 洗 う て 一 と 日 窓 小 春
◇春を待つ(はるをまつ)【 冬・時候 】
東
低
つ
牧
一 男
川西ふさえ
笠 村 昌 代
高
ら
吸 う て 吐 く 吸 う て 吐 く 息 春 を 待 つ
西
◇空風(からっかぜ)【 冬・天文 】
も
か
首 藤 加 代
日
山
み 口 慶 子
篠﨑代士子
松 く
風
本
◇冬夕焼(ふゆゆうやけ)【 冬・天文 】
冬 夕 焼 切 絵 の や う な 樹 々 の 影
◇冬の月(ふゆのつき)【 冬・天文 】
東 ド イ ツ の 壁 粉 砕 す 冬 の 月
◇マスク(ますく)【 冬・人事 】
偏 西 風 街 に マ ス ク の 目 立 ち け り
髙
― 30 ―
◇雪掻き(ゆきかき)【 冬・人事 】
の
旅
鬼
よ
を
し
務
と
め
吉
て
み
四
く
十
じ
髙
年
梅
み島くにを
佐志原たま
松 く
初
雪 掻 き の 又 一 人 増 え 一 人 減 り
分
◇節分(せつぶん)【 冬・人事 】
節
へ
◇初神籤(はつみくじ)【 新年・人事 】
東
椎名よし江
◇福寿草(ふくじゅそう)【 新年・植物 】
聖 火 消 ゆ 一 日 し ず か に 福 寿 草
川さち子
落 合 青 花
 司 良 惠
和田かおり
中 川 英 堂
東 風 や 山 鳩 庭 に 来 て を り
託 す 天 神 さ ま の 東 風 の
ん ぐ ん と 武 将 の 凧 は 東 風 に 乗
風 の 中 背 筋 伸 ば し て 出 勤
風 吹 け ど 病 の 梅 は 花 も な
◇東
し
苑
る
す
し
朝
夢
ぐ
東
東
― 31 ―
学
来
王
し
東 風 に 柴 折 戸 高 き 音 立 つ
東 風 の 空 に 身 を 漕 ぐ 鴉 か
東 風 や 岸 に 寄 ら ざ る 蜆
の 皮 で 染 め し ス カ ー フ 桜 東
斉 に 発 声 練 習 桜 東
空 に 威 風 堂 々 東 風 の 富
東 風 や 農 業 ハ ウ ス 建 て 終
東 風 や 耳 鳴 り け ふ も 治 ま ら
雲 に ふ た め き 湧 く や 百 千
雲 の 霞 む 山 際 桃 の
雲 や い つ も 青 春 登 山 す
東 風 吹 い て 村 に 二 人 の 留
強 東 風 や 花 粉 敵 の 如 く
強 東 風 や 運 慶 作 の 仁
梅 東 風 や 門 に 表 札 あ り
強
強
荒
そ
一
天
夕
夕
東
東
東
る
な
船
風
風
士
る
ず
鳥
花
る
生
る
像
跡
小 野 啓 々
中嶋美知子
矢 下 丁 夫
永 福 倫 子
松 嶋 民 子
矢 下 丁 夫
杉本美寿津
上 田 雅 子
石 渡
清
佐々木素風
高 橋 敏 惠
松村れい子
阿 部 鴫 尾
本 田
蟻
濱
佳 苑
― 32 ―
の
イ
大
花
東 の 石 の 仏 へ つ ば く ら
愁 の 映 る 丸 窓 東 茶
恋 ひ の 東 男 や 春 愁
の 花 や 東 に 筑 波 幽 か な
に 向 か ひ 春 光 浴 び に け
暁 の ブ ル ー ト レ イ ン 東
の 月 東 天 に 今 玲 瓏
塔 の 黒 々 と し て 菜 種 梅
の 餅 東 の 空 の 青 淡
ひがし
恩 講 我 も お 東
一 門
り に 東 雲 の 端 の そ よ ぎ け
東 西 の 訛 り 飛 び 交 ふ 花
東 西 の 春 の 緊 張 ウ ク ラ
東 西 に 街 を 貫 く 春
国 東 は 野 仏 多 し 菜 の
国
春
母
菜
東
春
春
東
草
報
囀
め
屋
ふ
り
り
へ
と
雨
し
徒
り
宴
ナ
河
路
田みゆき
堀 内 夢 子
貞永あけみ
御 沓 加 壽
田 﨑 茂 子
阿 部 王 一
笠 村 昌 代
神 永 洋 子
利 光 幸 子
水野すみこ
倉 田 洋 子
宮本陸奥海
溝 口
直
加 藤 和 子
川さち子
― 33 ―
東 ド イ ツ の 壁 粉 砕 す 冬 の 月
東 へ 旅 よ し と 吉 初 み く じ
篠﨑代士子
梅島くにを
福 田 久 子
◇西
白 濤 の し ぶ く 大 岩 涅 槃 西 風
梅島くにを
永 福 倫 子
佐 竹 孝 之
首 藤 加 代
佐 藤 辰 夫
本 田
蟻
松 嶋 民 子
田みゆき
河 野 キ ヨ
佐 藤 裕 能
武田東洋子
山 を 越 え 来 る 雲 や 涅 槃 西
り 上 げ し 雑 魚 を 放 て り 涅 槃 西
ふ 脚 の 甦 り あ り 涅 槃 西
舞 ひ 湯 に 四 肢 を 弛 め て 涅 槃 西
た き り の 窓 よ り 少 し 涅 槃 西
へ の 栄 枯 盛 衰 涅 槃 西
羽 の 矢 し か と 受 け 止 め 涅 槃 西
車 押 す 婆 さ ま や 涅 槃 西
槃 西 風 静 か に 亀 の 浮 か び 来
岸西 風卒 塔 婆 か たりと 揺ら しけ
代 遺 跡 住 居 跡 に も 彼 岸 西
風
風
風
風
風
風
風
風
る
り
風
寺
釣
廃
仕
寝
古
白
猫
涅
彼
古
― 34 ―
菜
お
遠
春
山
山
西
西
ブ
西
帰
西
今
春
春
の 花 や 西 軍 武 将 館
彼 岸 の 真 西 に 夕 日 沈 み ゆ
景 に 比 良 の 暮 雪 や 湖 西
場 所 や 贔 屓 力 士 は 西 側
笑 ふ お 日 さ ま 西 を め ざ す な
笑
ふ
京
に
西
山
東
見 れ ば 富 士 の 山 影 春 の
空 に 上 弦 の 月 冴 返
ラ ン チ に ワ イ ン を 添 へ て 西 東
方 に あ り し お 浄 土 先 帝
ら ば や 西 海 産 の 雲 丹 の
方 浄 土 に行 き た しと 思ふ 彼 岸か
こ こ が 西 方 浄 土 青 き 踏
夕 焼 西 方 浄 土 へ つ づ き け
愁 や 西 方 浄 土 と い ふ 教
跡
く
線
に
り
山
夕
る
忌
祭
味
な
む
り
へ
佐志原たま
平 田 節 子
柴田芙美子
椎名よし江
落 合 青 花
柴田芙美子
荒 木 輝 二
市 川 和 子
小 野 啓 々
川西ふさえ
山 口 慶 子
篠﨑代士子
首 藤 加 代
水野すみこ
上 田 雅 子
― 35 ―
田
岡
田
福
節
叡
洋
倫
子
命
子
子
平
山
倉
永
に
し
日
駅
西 方 に あ り し 浄
朝 焼 け や 西 に 残
泣 虫 の 頬 あ か あ
鰯
雲
日
本
最
首 藤 加 代
山 口 慶 子
土 や 鳥 雲
れ る 月 淡
か と 大 西
西
端
の
本 日 も 西 高 東 低 か ら つ 風
偏 西 風 街 に マ ス ク の 目 立 ち け り
― 36 ―
阿部鴫尾
市川和子
永福倫子
落合青花
小野柳絮
神永洋子
河野キ ヨ
佐々木紀昭
貞永あけみ
佐藤美 代子
椎名よ し江
篠﨑代士子
杉野豊子
高橋敏惠
田﨑茂子
富岡いつ子
中川英堂
濱 佳苑
石塚未知
上田雅子
大塚 そうび
小野京子
笠村昌代
川西ふさえ
後藤 章
佐志原たま
佐藤年緒
佐藤白塵
敷波澄衣
首藤加代
杉本美津寿
髙松くみ
津田緋紗子
長田民子
中嶋美知子
平田節子
俳句紀行燦々
矢下丁夫
石渡 清
梅島くにを
奥土居淑子
小野啓々
加藤和子
倉田洋子
佐々木素風
佐竹孝之
佐藤辰夫
佐藤裕能
柴田芙美子
城戸杉生
髙司良惠
武田東洋子
利光幸子
新谷慶洲
浜田正弘
藤井隼子
牧 一男
松村れい子
溝口 直
宮崎敬介
山本枡一
山口慶子
和田かおり
堀内夢子
松嶋民子
御沓加壽
南 桂介
宮本陸奥海
山岡叡命
 川さち 子
阿部王一
本号の共通テーマは、次のようで した。
○雲雀
○諸子
○連翹
○山吹
○山茱萸
○東
○西
福田久子
本田 蟻
松村勝美
水野すみこ
宮川洋子
村田文雄
山口 修
 田 み ゆき
荒木輝二
― 37 ―
矢下丁夫の俳句紀行
連翹
春暁や始発電車のゴツトンと
春 霞西に 虚ろ な明け の月
天空を彷徨ひをらむ高雲雀
連翹の嵩高き枝揺れやまず
連翹を活けしデパート賑やかに
荒東風や岸に寄らざる蜆船
天空に威風堂々東風の富士
連翹
連翹を見たくて、皇居の東御苑を訪ねた。以前に
見かけた記憶のとおりすぐに見つかった。枝振り、
色あい、その佇まい。少し早くて頼りなげな感じは
するものの、これこれ、としばし近くから、また遠
くから眺めた。ついでに苑内の早咲きの桜なども楽
しんで回った。
たまたま翌週買い物に出ると、デパートの入口ホ
ールに、連翹をあしらった直径三メートルほどもあ
ろうかと思われる大きな生け花が飾られていた。
さながら、前週はまだ化粧の覚えもない少女のよ
うな、そしてこの週は艶やかに着飾った臈長けた夫
人のような連翹だった。随分違った印象を持った。
俳句入門したばかり。兼題に与えられる馴染みの
薄い季語などに早々から戸惑っている。それ自体が
多様であるとともに、日常の中で接する自然や伝統
が限られてきていることがあるのだろうが、俳句の
扉を叩いたことで、自分の季節感や民俗知識が乏し
いことを痛感している。
― 38 ―
阿部鴫尾の俳句紀行
雛の肌
河川敷に遊ぶ子のあり揚雲雀
連 翹 の 籬 続 く や 城 下 町
山 吹 や 道 灌 漑 祀 る 供 養 塔
山茱萸の群れ咲く丘や秘密基地
強東風や花粉敵の如く来る
しゃぼん玉吹かれて二塁ベースまで
酒 蔵 に 飾 り し 雛 の 肌 白 く
城・寺・古墳巡り
仕事から解放されてから、あっと言う間に十年が
過ぎてしまった。自由な時間が出来たら、あれもし
よう、これもしてみようと、いろいろ計画したが、
思うようにはいかないまま、後期高齢者も三年目を
迎えることになった。
その、あれもこれものの中に、城巡り、神社仏閣
巡り、古墳巡りがあった。その巡りには車が必要だ
ろうということで、古稀の時に運転免許を取得した。
しかし、免許は大腸癌手術後の抗癌剤の服用なども
あって、失効させてしまった。仕方なく旅行会社の
ツアーに参加して、巡りを楽しんできたのであるが、
さらに楽しむためには、マイペースの旅に如かず、
ということに至ったのである。
電車とバス、飛行機と船などを小まめに組み合わ
せ、乗り物の割引券やお得な宿を探し、自分達の旅
を作り上げるのは楽しい作業である。
国内観光の三大資源である城・寺・古墳の数は、
大凡であるが、城が五千、神社が八万、寺が八万五
千、古墳が二千五百あるのだそうで、全国に点在し
ている。気の遠くなるような数字であるが、それぞ
れに故事来歴があり、存在を誇っているに違いない。
巡る相手に不足なし、充実した吟行の場でもあり、
力が入るのである。
― 39 ―
石塚未知の俳句紀行
強がりを
連翹のたわみて風に逆らはず
心地良き里風に乗る揚雲雀
行き行きて春野優しき風ばかり
儚げに 白 山吹 の風 に揺る
近江路の旅の終りに諸子買ふ
山茱萸の花満々と露地の奥
強がりを言ひたる後の彼岸寒
仁右衛門島
嬉しいことに旅仲間は色々いるが、やはり趣味仲
間が一番楽しい。特に、俳句仲間との旅は格別であ
る。三十年来所属した結社は残念ながら解散となっ
てしまったが、気心の知れた者同士と時々句会と称
して親睦を深めている。それが結社の句会とは違っ
た楽しさである。
年二回と決めて行われる吟行旅行にも参加してい
るが、今春は房総巡りということで、花摘みあり、
温泉ありの句材も豊富な穴場である。特に、鴨川に
ある仁右衛門島は、小さいながら歴史もあって、句
碑も至るところにあり、俳句に縁深い島である。芭
蕉句碑から始まり、名立たる俳人の句碑が個人の島
に十基以上とは思いがけない隠れた名所といえる。
海暮れて鴨の声ほの可に白し
松尾芭蕉
あるときは船より高き卯波かな
鈴木真砂女
島の裏側には、戦に敗れた源頼朝が安房に逃れて
来た時、身を潜めたと伝えられる洞窟や、安房鴨川
に寺を展いた日蓮上人が旭を拝した所といわれる神
楽岩がひっそりと歴史を物語っている。
三十八代目として、島を守り続けたという島主に
見送られ、島を後にしたが、収穫の多い吟行旅行で
あった。
― 40 ―
石渡 清の俳句紀行
桃李
夕ひばり宙に残して土手下る
山茱萸のしもと一筋天を撥ね
東雲にふためき湧くや百千鳥
ももすもも愁眉を開く西王母
仁王なほ贅を削ぐやう濃山吹
連翹の枝垂れ充つれば気鬱にも
ひばり野にきのふの空のあるばかり
柴又風景
三郷からほど近いこともあって、葛飾柴又には親
しみを感じる。そこには自ずと見馴れた風景がつい
てまわる。麗らかな江戸川の土手に寅さんとマドン
ナが、肩を寄せるように座り、傍らに源公が寝ころ
びながらそっと聞き耳を立てている。草野球を見お
ろしながら雲雀がピーチク、渡し船の櫓のきしみが
眠気を誘い、やがて妹のさくらが自転車で通りかか
る頃、夕茜が川面を染め始める。
落花狼藉とらやは今日ももめている 清
以前、国際交流基金の担当者の方に伺った話だが、
映画「寅さんシリーズ」は、ドイツ語圏では受けが
良いのだが、フランス語圏では評判が芳しくないの
だとか。特に寅さんのキャラクターが共感を呼ばな
いらしい。このシリーズを支えているのは、トリッ
クスター寅さんの人情ドタバタというより、陰の主
役、妹さくらの情愛だと思うのだが、そこはエスプ
リのお国柄、如何ともしがたいことか。
― 41 ―
市川和子の俳句紀行
考の声
西 空 に 上 弦 の 月 冴 返 る
水温むころの思ひ出考の声
夕東風や艫綱ぴんと舟溜り
今日雲雀声を聞いたと電話口
かど
山吹や小流れ迅し社司の門
小流れに山吹ぶらりぶらりかな
山茱萸の背負籠に溢れ揺れ通し
敵前逃亡
夫には心の奥の一隅にずっと蟠っていた事があっ
た。亡くなる前、ある雑誌に、「敵前逃亡」と題し
て投稿した。旧制高等学校文科から、医学部の大学
へ進学したという事が、敵前逃亡だったと本人は思
っていたようだ。
現代の若い人達には理解しにくい事だが、男子は
二十歳で徴兵検査を受け、殆どの若者が戦場へ駆り
出された。医学部は卒業を待って、軍医として出征
した。夫は一人息子、父が余命幾許もない病で、母
一人残してという気持ちだったのか、それを推し量
る術もないが、人生の方向転換をしたのだ。その事
を本人は敵前逃亡と思っていたのであろう。
夫が大学に入学した翌年終戦。同級生は徴兵を免
れたのだから、心を傷めなくてもと思ったが…。こ
のような気持ちを持ったまま人生を過ごした人が日
本には大勢いたのであろうか。
夫は、医者になった事を後悔していた様子はなく、
医者としての使命を充分に果たしたと思う。息子が
「親父は最後まで侍だったね」と言っていた。親の
生きざまを認めている事を私は良しと思った。
来年は夫の十三回忌。私はと言えば、のうのうと
楽しく生きている。
― 42 ―
上田雅子の俳句紀行
雲雀
駆け 回る 野球少年 朝 雲雀
歳月や山吹あふるるごとく咲き
夕東風や耳鳴りけふも治まらず
心地よき苦さを噛みぬ山の茱萸
春愁や西方浄土といふ教へ
菱餅やよき母となれ人となれ
千 枚 の 棚 田 の 宿 や 夕 蛙
国語辞典
近頃、国語辞典にどっぷりつかっている。今私の
手元にあるのは「新明解国語辞典」(三省堂・第五
版)である。知る人ぞ知る「新解さんの謎」(赤瀬
川原平著)という本まで出ているユニーク辞書であ
る。何がユニークかというと、その語釈、用例がか
なり主観的であることだ。
【読書】本を読むこと(三省堂国語辞典・二版)
普通はこんなものだ。
【読書】〔研究調査のためや興味本位ではなく〕教
養のために書物を読むこと。〔寝転がって読んだり、
雑誌・週刊誌を読むことは本来の読書には含まれな
い〕(新明解国語辞典・初版)
編纂者の主張としての読書の意味が述べられてい
る。でもなんか納得する。用例も然り。
【時点】〔一月九日の「時点」では、その事実は判
明していなかった〕(新明解・四版)
この具体的な日にちに意味はあるのか。その事実
とは何か。「辞典なのに新聞みたいだ」と新解さん
の謎でもつっこまれている。
そして、最新刊「辞書になった男・ケンボー先生
と山田先生」(佐々木健一著)によって、なぜこの
ような個性的な辞書が生まれたのか、さらに〔一月
九日〕と〔その事実〕の謎も解けたのだった。
― 43 ―
梅島くにをの俳句紀行
涅槃西風
西山の寺の炉に夜々志功寄る
東 へ旅よしと 吉初みく じ
ひんがしを向く虚子句碑や萩の中
老杉を透けて西日や素十句碑
髪刈りし客を見送る揚雲雀
家持の詠みし小川や諸子釣
寺山を越え来る雲や涅槃西風
異性との同級会Ⅲ
富山市のY子さんからの電話は「福光町に疎開さ
れていた棟方志功さんの『文学と民藝』展を見るク
ラス会にしよう」だった。
その町に産声を上げた俳誌は、昭和三十一年七月
で、表紙は志功さんの版画だった。五年半のあいだ
発行された俳誌の表紙の絵は五回も変わっているの
が、私の本棚でわかる。
文化勲章を受けられた翌年に、父は志功さんの
「右向きの柵」の名の美人画を買った。そんなこと
もあって志功さんに愛着があった。
その民藝展には、あの当時の俳誌も並んでいた。
戦中戦後の小説家の装画を手がけられた冊数が何百
冊も数えられた。
志功さんは浪漫派となり、「大和し美し」を発表
する。柳宗悦の民藝運動や宗教的な影響で、強烈な
る版画作品を制作された。生命力が漲り、絵と言葉、
詩の作品に、私は魅了された。
今回は大変に実り多いクラス会で、時間の経つの
を忘れるほどであった。一同は感銘を受けてコーヒ
ーだけで、駄弁ができずに解散した。
― 44 ―
永福倫子の俳句紀行
桜東風
五位鷺の見遣る大濠木の芽風
その皮で染めしスカーフ桜東風
城壁に 映る紅梅 濃く 淡く
糠雨に山茱萸の黄の噴き上がる
涅槃西風岩に不動の太公望
釣り上げし雑魚を放てり涅槃西風
鰯 雲 日 本 最 西 端 の 駅
梅日和
日本伝統工芸展を福岡三越まで、観に行った。
陶芸、染織、漆芸、金工、木竹工、人形、諸工芸
の七部門の作品が三百点余り展示され、圧巻だった。
日本伝統の技の繊細さ、感性は日頃の努力と研鑽
の賜だろうと感心するばかり。そして、各部門の受
賞者に、三十代、四十代の若い方が多いのに驚くと
共に、頼もしく思った。
その後、福岡城跡へ足を伸ばした。
黒田如水(官兵衛)、長政が築城した五十二万石
の城址だけに、建物として残るのは多聞櫓等数少な
いが、その石垣や城郭は、流石に堅牢な構えであっ
た。
二の丸跡は梅が見頃で、濃淡様々の紅梅が美しく
咲き誇っていた。梅の香の中、しばし往時を偲びな
がら散策してきた。
本丸跡の桜、舞鶴公園の如水隠棲地跡の牡丹園、
そして、大きな藤棚等があり、四、五月頃は百花繚
乱となるだろう。NHKの大河ドラマの「官兵衛」
の高視聴率とも相俟って、さぞや賑わうことだろう
と思いながら帰路についた。
― 45 ―
大塚そうびの俳句紀行
喜寿
川 縁 の 片 側 残 る 春 の 雪
青き踏みつつ草の名を口ずさむ
見守りぬよちよち歩き揚雲雀
連翹の咲きゐて庭の賑々し
山茱萸の渋さを舌が覚えゐる
ドライブの窓に飛び交ふ濃山吹
祝ひ 合ふ喜の字の齢春ショール
機械音痴
月に一度の俳句塾の帰り、電車の中で必ず取り出
す物がある。前回の句会報である。
ほとんどの方は、既に、パソコンで、句会の案内
やこの句会報を送受信をしていらっしゃるのだが、
私を含め数名の方はプリントアウトされた物を一ヶ
月遅れで頂くのだ。
一年ほど前に、池袋の街角で「奥さん、本日中に
パソコン購入頂くと、ぐっとぐっととお安くなりま
すよ」と店員さんに声をかけられた。渡りに船とば
かりに、その誘いに飛びついた。
数日後、すべての設置を終え、まずは長女に報告
をと思い、意気揚々と電話したのだった。ところが、
「お母さん、すぐに解約して頂戴。お母さんは携帯
のメールで充分なのよ。ちょっとしたミスで大変な
ことになるんだから」との返事。けんもほろろの娘
の言葉に、少し怯みながらも妙に納得してしまった。
思えば、FAXの扱い、BS放送の切替もままなら
ず、長女にSOSを発することが度々であったのだ。
数日後、事情を説明し、解約手続きを済ませた。
そんなこんなで、文明の利器の恩恵に未だに与る
ことのできないでいる私なのだ。
― 46 ―
奥土居淑子の俳句紀行
花影
冬の虹ぴいえむにてんごの空に
桜 鯛 新 横 綱 の 誕 生 す
母の忌の近し馬酔木の花万朶
原発の避難計画さくら冷え
山吹の花の影より風生まる
廃屋 に八重 山吹の 花盛り
連翹 や 着信音のポップ 調
花冷え
大気汚染物質PM2・5の報道が喧しい。
中国では汚染の状況が深刻らしいが、その微小粒
子物質が、ここ長崎にも飛来する。大気の澄んだ日
は、その濃度は十マイクログラム未満だが、たまに
一○○を越える日もある。十から四十、五十の間を
日々行き来している。ちなみに、わが国の環境基準
とやらは三十五、米国ではもっと細かく区分され、
健康に害がないのは十二とされているそうだ。
今までも春風とともに黄砂がやってきて、わが家
の前景を霞ませることはよくあった。大気に雨気が
含まれる日などは、すぐ近くの岬も視界から消えた。
しかし、最近は、気のせいか、その薄黄色のベール
の濃度が高いように思う。太陽が遮られ、空気が冷
たい。降り込みさえしなければ、雨の日でもベラン
ダに干していた洗濯物も、大気が怪しい日は、エア
コンでの部屋干しとなる。布団乾燥機の出番も増え
た。かくして、地球の温暖化は進んでいくのだ。
かたや庭先の鶯の高音に聴き入りつつ、かたや気
管支喘息の発作に怯えつつ、人類としての罪悪感を
拭えない花冷えの日々である。
― 47 ―
落合青花の俳句紀行
意のままに
山吹 を花びら肩 に 山下る
揚 雲雀み 空 の下の立ち 話
山茱萸の小枝ふわふわ山ガール
母の声空を見上げし雲雀の子
意のままにならぬ連翹意のままに
夢託す天神さまの東風の苑
山笑ふお日さま西をめざすなり
仕事は仕事
「お母さん、今年も又、東小の卒業式の花の活け
込みお願いしたいんだけど」「いいわよ、いつな
の?」「三月十三日の昼過ぎに迎えに行くけど、い
い?」
こんなやりとりを電話でしたのは二月の初め、身も
心も寒さに閉じ込められていた日だった。
息子が花屋を開店して十年が過ぎた。「忙しいば
かりで儲からないよ」と言いながらも、地域の人達
に支えられ、何とか今日まで続いているようだ。こ
んな処に花屋さんが? と言うような処で、店を構
えて、本当にやって行けるのだろうかと心配してい
たけど、今では外注も増え、お嫁さんと二人駆け回
っている。
ケアセンターでのアレンジ教室、各学校等の式典
の折りの活け込み等、全く利益に結びつかない仕事
も「素敵なお花を活けて貰ってありがとう」と感謝
されれば、それが一番と言う息子。
「『損して得取れ』ってお母さんいつも言ってる
よね。こんなボランティアのような仕事も仕事だ
よ」と息子。(偉い! さすが母さんの子、よくぞ
言ってくれました)心が温まるようなその言葉に少
しホロリとした。
活け込み当日、車の中での会話である。
― 48 ―
小野京子の俳句紀行
山吹は
花の声風の声聴く夜明けかな
山茱萸の花に目ざむる母の里
借景は あの裏山や濃 山吹
連翹の揺れて牛舎に仔の気配
椿寿忌や師が説きくれし句の調べ
涅槃西風畝立て直す老いひとり
婆ちやまの後ろ姿や涅槃西風
もの思う
公園の桜は満開。小さな庭の椿や山吹、薔薇の蕾
もふくらんで、春を謳歌している。今朝は著莪の花
が静かに静かに花を開きはじめている。
著莪は母の好んだ花、よく生花に使っていた。
そう言えば、我が家は、生花の四つの流派が混在
している家庭であった。父は末生流、母は古流、私
は池坊、娘は小原流。父母が健在であれば、この季
節、四つの流派が部屋を飾ったであろうと思うと残
念でならない。もっと早く父母の流派に関心を持ち、
勉強しておくべきであったと思う。
末生流 文化・文政頃に大坂に起った末生斉一甫
(山村山磧)を始祖とする。
古流
一志軒今井宗普が、宝暦、明和の頃に江戸
で創始。
池坊
(もと京都六角堂頂法寺の坊の名)立花お
よび生花の現存最古の流派。池坊専慶には
じまり、池坊専好(初代、二代)が立花を
大成。
小原流 明治末期小原雲心の創始した盛花、投入の
流派。池坊からでて盛花という新傾向の様
式を起した。初めは国風盛花(くにぶりも
りばな)といった。
― 49 ―
小野啓々の俳句紀行
ワインを添へて
太陽に近づきすぎて落つ雲雀
漣 や 諸子は 宙に光るな り
山茱萸を抜けたる風の玉子色
山茱萸の雨の細やかもの想ふ
強東風に柴折戸高き音立つる
彼岸西風五穀豊饒はためかせ
ブランチにワインを添へて西東忌
霊感姉妹
大分市にも近年稀にみる大雪が降った。スノボー
ももう止める年かなと思っていたのだが、里心がつ
いたように行きたくなった。大雪から一ケ月も過ぎ
たが、九重も今年は雪に恵まれたはずだと思い、突
然妹を誘い出かけることにした。
妹はスノボーをしないので「雪を見に行こうよ」
と、言ったら大喜びで一緒に行くこととなった。ち
ょうど「九重にでも行きたいなって思ってた、とこ
なの」と。
翌週、ちもと(わけぎ)を貰ったので酢味噌和え
にしようと、「コノシロでも買おう」と思っていた
ら「〆鯖を作ったよ、取りに来ない」との連絡があ
り、早速貰いに出かけた。「ちょうど良い時にちょ
うど良い話が来るわねえ。私たち霊感姉妹かもネ」。
二人で他愛もなく喜んだ。
まだまだ実力不足だが、この特技をもっと磨けば
霊感が売れるかもしれない、とほくそ笑む二人であ
るが、何分「二人のお得」にしか霊感は働かないよ
うにあるので、この霊感商売はすでに頓挫している。
残念。
― 50 ―
小野柳絮の俳句紀行
雲雀
自在なる団地の空地揚雲雀
連翹の口八丁の黄を飛ばし
いま 盛り東御 苑の濃 山吹
落 人の 山間深 し 花山茱 萸
鈴の音のかすかな響き花山茱萸
緑 響 く 東 山 魁 夷 の 世 界
真西 向く観 音像や春 の海
樹上の楽園
昭和十九年の春か夏の頃、わが一家は長崎を引き
揚げ、父の郷里に寄寓することになった。
家屋敷の構えは大きく立派であったが、幼い私に
とっては遊べる場所は少なかった。「あそこに入っ
てはいけません」「叱られるからだめ」といわれる
処ばかりだった。
小学三年生か四年生の頃から、長屋門の外にある
一本の銀杏の樹をときどき遊び場にしていた。
はじめは第一枝に手が届かなかった。そのうちに
跳び上がればようやく下の枝に手が届くようになり、
やがて枝につかまることができた。
片腕が届けばもうしめたもの。片手でつかまって、
もう一方の手は左に張った枝をつかむ。そして樹に
登ることができた。後はもうするすると登れる。
身の置ける安定した場所の内の枝の少ない空の見
える処を探し、そこに身を置き宙を眺める。なんと
気持ちのよいことか、空はどこまでも広がり心が開
放される。風が吹く度に樹がゆれ、ハンモックで揺
られているよう。ゆっくりとゆらゆらと。
よい遊び場を見付け、独りで満足していた。誰に
も、母にもこの場所のことは言ってなかった。
― 51 ―
笠村昌代の俳句紀行
春の月
着膨れて魔女めく人とすれちがふ
吸うて吐く吸うて吐く息春を待つ
春うららそぞろ歩きの夫と我
春 の 月 東 天 に 今 玲 瓏 と
こだはりはさらりと捨てて濃山吹
花明かりして連麹は香をこぼす
夕雲雀淋しいときは上を向き
弥生三月
寒暖を繰り返しながら、春がやってくる。
三月は、雛祭、彼岸などの行事もあり、花々や鳥
の声も賑やかとなる。春の訪れを感じる時季である。
冬の重い装いを脱ぎ捨て、雛人形を飾りながら、
桃の節句を楽しむひと刻。
少し大ぶりな男雛の端正な姿、女雛の楚々とした
口許が美しい。
春の陽光が明るく照りわたった、三月に入ると、
内にひそむ生命力が、萌葱色、浅緑、くれないと、
さまざまに芽吹く花鳥諷詠の世界となる。なかでも、
牡丹の若芽の美しさは格別、花と思えないほどの艶
やかさである。
伐り倒された木の根元や、切り株から萌え出る新
芽を、ひこばえと言うそうだが、その様は逞しく、
命の息吹を感じる。
春の庭に目を転じて、日差し溢れる情景の明るさ
に、春っていいなあ、とつくづく思う私である。
― 52 ―
加藤和子の俳句紀行
贔屓力士
リビングに春めく日差しゆき渡る
樹々の間を春一番の声駈ける
春場所や贔屓力士は髷結へず
東 西 に 街 を 貫 く 春 大 河
八方に山吹咲いて空き家らし
笑つてゐるごと固まりて連翹咲く
連翹に萎へし心を取り戻し
相撲
大相撲春場所も十日目に入った。新旧力士が連日
大活躍である。私は両親の影響で子どもの頃から相
撲が大好きである。また、俳句の友人で相撲好きが
いるので、電話を掛け合って盛り上がっている。彼
女は最初の贔屓は孫に似ているという力士を応援し
ていたが、勝敗に一喜一憂する余り、十五日ですっ
かり疲れてしまうそうである。
私の贔屓力士は三十代であり、怪我がなかったら
大関まではいった人だと舞の海さんが言っている通
り、相撲巧者と言われている。負けてもいいからも
うこれ以上怪我をしないよう、心の中で願っている。
今頑張っている力士が次々出てきているので、疲
れないためにも贔屓はお互いに三人にすることにし
た。実は彼女、俳句では集中力の人で、吟行中もど
っぷりその中に浸り、呼んでも聞こえないほどであ
る。疲れる原因はそこにあるのではと私は密かに思
っている。
ミーハーの我々は観客を見て楽しんでいる。十五
日間、洋服を代えてきた女性社長風の方、芸者さん、
舞妓さん、バーの美人マダム等々華やかである。
この春場所は誰が優勝するのだろうか。
― 53 ―
神永洋子の俳句紀行
コロッケ
西行を追ふ芭蕉翁春立つ日
春の雪積んでクロネコ便来たる
春の闇すまほの声がついてくる
コロッケの匂ひまみれの揚雲雀
連 翹 や空 一面を 明るくし
山吹 の群生 あ りて 門 狭し
東塔の黒々として菜種梅雨
山吹と犬
私がその花の名を知ったのは、小学校の一年生の
頃であったろうか。近所に大きな農家があり、笊を
持って卵を買いに行った時の事である。
門に黄色の花をたくさんつけた大きな木があった。
十個の卵を笊に入れて貰い、帰ろうとした時、黒い
大きな犬が飛び出して来て、私の胸に飛びかかった。
恐ろしかったし、卵を落としてはいけないとの思い
で悲鳴をあげた。「ミル」「ミル」と家人が呼んで
くれたので、犬は去ったが、私の犬恐怖症はそこか
ら始まった。最近は小型犬の散歩が多いが、中・大
型犬が来ると今でも怖い。
帰宅して、母に話した時に、昔、太田道灌という
人が狩りの途中に雨に遇い、農家で蓑を借りようと
すると、若い女が山吹の花を差し出して、「七重八
重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞ悲しき」
と詠んだという有名な話を教えてくれた。
以来、山吹を見ると、何時もあの時の恐怖を思い
出すが、それでも私は、山吹の花が好きで、懐かし
みを覚えるのである。
― 54 ―
川西ふさえの俳句紀行
揚雲雀
カーテン洗うて一と日窓小春
待ち合はす駅の西口雪時雨
西方にありしお浄土先帝祭
はなだ
揚 雲 雀 余 白 の 空 は 縹 色
道訪へば山吹の庵教へくれ
黄金色に影も揺るるや花山茱萸
多羅の芽の味ほろほろと苦き夜
本を聴く
難解な古典文学を読みあぐね、「古事記」のCD
を買い求めたのが始まりである。
「万葉集」「平家物語」「枕草紙」等、解説が入
っていて、教室で講義を受けているより、分かり易
かった。
聞いてから、読むという事も楽しかった。
旅行に持って行くのに、小説のCDをを買ってみ
たが、とても面白く、薄暗い飛行機の席では、最適
である。
瀬戸内寂聴さんの「源氏物語」は、読む女優さん
によって景色が変り、目の前に平安時代の絵巻が甦
ってくる様である。
主人が白内障の手術で入院した時、「鬼平犯科
帳」のCDを持って行った。橋爪功さんの声は、ド
ラマでみる鬼平と異なる像を作り上げてくれる。
「日曜名作座」「松本清張名作選」等、今、私の
本棚には、本とCDが並んで置かれている。
編み物をしながら、向田邦子さんの「父の詫状」
を、岸田今日子さんの声で聴く。至福の時である。
― 55 ―
倉田洋子の俳句紀行
連翹
春雪の玻璃のくもりを指でとく
囀りに東雲の端のそよぎけり
山茱萸や髪のたかさに風生るる
唐突にうら返されしげんげ田よ
香
T
K
八重よりも一重がしたし濃山吹
連翹や保育園バスかまびすし
泣虫の頬あかあかと大西日
夫が、大学の教授を退職するというので、花束を
頂いてきた。その中に、カサブランカという百合が
あり、十数個の蕾が次々花開いて、六十五平米の住
まいの隅々まで、百合の香りが充満している。大輪
のせいか、衣服にも移ろうかというほどの、強い香
りである。触れると、オレンジ色の花粉が零れ落ち、
なか々取れない。
顕花植物はその出現時から、大きな進化をせず今
に至っているという。香りで昆虫を呼び寄せ、花粉
境界の地層に百合の花
を運搬させて繁殖する。
粉が残っていたことで、地球上の生物大量絶滅の引
き金となった巨大隕石の衝突は、六月頃だったと推
測されるらしい。六千五百万年前の六月? である。
最近の研究で、花の香りは、認知症の予防に効果
があることもわかってきた。香りを認知する部位と、
記憶をつかさどる海馬とは繋がっていて、香りで海
馬を刺激するのだという。
食卓の上の花粉を拭き取りながら、何かと塞ぐこ
との多い私に、この百合の香はどんな効用があるの
かしらん、と思ってみる。
― 56 ―
河野キヨの俳句紀行
雲雀
揚雲雀高みの空のまん中に
近江より諸子の土産届きけり
連翹の花にかすかな風残る
山 荘 の 道 程 険 し 濃 山 吹
里山の古木となりし花山茱萸
涅槃西風静かに亀の浮かび来る
やさしさを両手で掬ふ春の水
春愁
春は遅々として訪れているが、風はまだ頬を刺す。
そんな或る日、一本の白木蓮に出会う。風に揺れな
がら蕾をしっかりと守っている。光線の当り具合で、
目の錯覚か、レモン色に光る不思議な光景であった。
駅裏の騒々しい工事現場の一角でのこと。
主人の三回忌も終り、ほっとした開放感を味わう。
新聞をめくっていると、人気の児童書の一位は『サ
イエンスコナン七変化する水の不思議』青山剛昌・
小学館、二位は『アンパンマンとシャボンダマン』
やなせたかしフレーベル館とか。出版社には馴染み
があるが、私にとって題名はミステリー。知る由も
なしか。芥川賞でも、若い人の時代である。
振り返れば、子ども達には、「森の洋服屋さん」
「いたずら機関車ちゅうちゅう」「フランダースの
犬」…。「ぶんぶく茶釜」が可哀想と涙した子も今
は親の子、時は流れ、移り変りの激しい世の中に
「おいてけぼり」にならぬ様に心掛けるとしよう。
風見鶏も亡くなり、自由な毎日であるが、二婆の行
く末は見届けなければという使命感を忘れずに。
何処か静かな湖に言葉を浮かべて遊んでみたいと、
夢のような事を時々思う。無理な話である。
これから先はいつもの事ながら、神のみぞ知る。
― 57 ―
後藤 章の俳句紀行
諸子
目の黒き諸子に塩を振り焼きぬ
目の黒きまま腹見せし諸子かな
釣り上げし諸子静かに同じ向き
掌を尾鰭で打てる諸子かな
朽ち舟を覗けば群れて諸子かな
赤虫に指 先 染めて 諸 子釣
長命寺さまの蜆と諸子かな
貧乏神
貧乏神という噺がある。
貧乏神にとり憑かれた人間が逆に貧乏神に借金し
たり洗濯させて最後には次のとり憑先を世話すると
いう落ちである。八百万の神がいる国だがこの神様
だけは比喩だと思っていた。
しかし普通名詞の神として『日本大百科全書』に
も載っている。その姿も克明に記されている。七福
神もその意味で普通名詞の神達だが、こちらは祠も
あったりして祈る対象があるが、貧乏神を祭る社は
ない。ではどこにいるのか。ひろさちやによれば、
どうも福の神と一緒にいるらしい。よって「福は内、
鬼は内」が本来らしい。お参りのときも「請求書の
祈り」ではなく「領収書の祈り」、つまり福だけを
願う祈りをすれば貧乏神が嫉妬するので「ありがと
うございます」と「領収書の祈り」だけをするのが
正しい付き合い方だという。
触らぬ神に祟りなしとは神を神と意識しないこと
だが、落語の世界の住人はそのことを良く知ってい
る。日本人の深い知恵がそこにはある。
― 58 ―
佐々木素風の俳句紀行
ふわりふわりと
東 雲 の 霞 む 山 際 桃 の 花
初音聴くたどたどしきが可笑しけれ
引 く 波 の 泡 に 包 ま れ 桜 貝
蛇行する大河の上の揚雲雀
降り来るやふわりふわりと揚雲雀
細波の寄せては返す諸子網
柔らかき光に透けて諸子かな
追憶
所属している絵画部の毎年恒例の作品展に出品の
ため、作品作りをすることとなった。
今回は、人物を描きたいと思っていたことから何
を描こうか思案し、描くのであればまずこれだと言
うことで、連れ合いの若かりし頃のお気に入りのワ
ンショットを描くことにした。
押入れの奥の院に秘蔵されたアルバムを徐に取り
出し、一部セピア色に変色した一枚を選び出す。久
方ぶりの再会である。憂いをたたえた眼差しで二十
歳の乙女はこちらを見つめている。
画用紙に全体の構図を決め、丁寧にパステルで描
いていく。仕上げに一週間程度を要したが、当初の
イメージしたものがほぼ出来上がったのではないか
と…。
あの頃、多感な二十歳の乙女は、未来にどの様な
夢を描いていたのであろうか。そして四十年後の今
年、還暦を迎える自分をどのように感じるのであろ
う。「追憶」と名づけたその絵は、これからの小生
と連れ合いの「弥次喜多人生」を微笑ましく見守っ
てくれることであろう。
― 59 ―
佐々木紀昭の俳句紀行
初諸子
二 豊路に 春 呼ぶ走 り東西
紅 梅 や三年 ぶりの薄化粧
初諸子素焼き塩焼き盃交はす
連翹の枝にはりつく黄金虫
山吹の光を浴びて水車かな
山茱萸の黄に見え隠れ瓦屋根
恩讐の彼方になりぬ揚雲雀
恩讐の彼方に
「色彩をもたない多崎つくると彼の巡礼の年」を
読んだ。男女五人の高校時代のグループの中で主人
公が絶交された真意を探っていく過程の人間模様を
描いた村上春樹氏の小説。読んでいくうちに私自身
の心にくすぶっている出来事が思い起こされた。
高校時代男五人で実行委員会を作って活動してい
た。一人はすでに亡くなっているが、もう一人、私
の結婚披露宴に呼ばなかったことが原因らしく、以
後音信不通となっている小学校からの友がいる。小
・中・高校の同級会の幹事を引き受けており、彼と
会うために企画している同級会にも顔を見せない。
案内文書が返送されていないので、連絡は届いてい
ると思う。
一昨年の還暦同級会は、もう恩讐の彼方になって
いるのではと思っていたが、姿はなかった。彼は何
を考えているのだろうか。ずっと心に棘がささって
いる。最初に信用をなくさせたのは私だが、その後
の傷は私の方により濃く残っているように思える。
拒否の真相が披露宴だけにあったとしたら、村上氏
の小説ではないが、居場所に尋ねて行き、真相を確
かめるべきではないのか。このまま会うこともなく
人生を終えることは、避けたいと思っている。
― 60 ―
佐志原たまの俳句紀行
花便り
節分 の鬼を 務めて 四十年
日の暮れて庭にぼんやり梅明かり
目覚めゐて雲雀さえずる郷を恋ふ
連翹や小鹿田の里はひとけなし
皿山の欠けた大壺いたちぐさ
待ちわびて東日本の花便り
菜 の 花 や 西 軍 武 将 館 跡
小鹿田焼
わが家の玄関先には、「小鹿田焼」の壺が傘立代
わりに、鎮座している。「小鹿田焼」といっても、
既にひび割れているし、埃だらけである。
この壺は義父が日田市に赴任していた頃、気軽に
手に入れたもので、少し野性味のある仕上げになっ
ている。私はデパートに並べられている上物よりこ
の「下手物」に愛着を感じる。
開窯以来三百年余、半農半陶の村が産する無名の
日用雑器であった「小鹿田焼」は、柳宗悦やバーナ
ード・リーチの評価により名を揚げ、民芸としての
需要が高まり、生産が追い付かない時代もあったと
いう。しかし、
小鹿田皿山地区の十戸の窯元は、一子相伝、蹴轆
轤使用、唐臼による陶土作成等江戸時代からの伝統
を守り、機械化とは無縁の穏やかな焼き物作りを変
えることなく、続けているのである。
シーズンオフの皿山は、唐臼の音と、谷を下る水
の音、そして鳥の囀りだけの静かな里である。涙が
出るくらい、素朴なこの里で「小鹿田焼」は生まれ
るのである。
― 61 ―
佐竹孝之の俳句紀行
涅槃西
諸子釣る川面に朝の光かな
揚雲雀まどかなる野に事もなし
廃ふ脚の甦りあり涅槃西風
里道を少し上れば山茱萸の黄
阿多多羅の空の青さや連翹忌
水車場の裏に黄金の濃山吹
散る花を踏みて国東塔の前
重症心身障害の人達
孝之
別府にある重症心身障害児施設が開設二十周年を
迎え、式典が行われたので参加した。開設当時に事
に当たった者としては感無量の思いであった。
入所児童は身体障害が重度でかつ知的にも著しい
遅滞を併せもつ。幼児期から療育を受けながら育っ
ても日常生活では家庭の負担が大きく、施設に入所
して過ごすことになる。重度障害といってもこの人
達の健康状態は安定しており、快・不快の情動の表
出は豊かである。そして紛れもなく「生きて在る」
のである。特に瞳の輝きには生命が宿っているとい
ってよい。
私が施設棟に入って行くとホールに居るこの人達
が一斉に私の方を見るのであるが、その眼差しには
何らかの意思や願望が篭められていて私に迫ってく
るのを常に感じた。当時私は俳句作りをしていたの
ではないが、次のような一句をノートに書き付けた。
まなざしでせまるきみたち
今回久しぶりにホールに入って同じような瞳の輝
きに出会い感動した。この眼差しこそがこの人達の
生きている証なのである。
― 62 ―
貞永あけみの俳句紀行
西へ東へ
クレー ン車と空を競ひて揚雲雀
岸辺より少年の声諸子釣り
連翹の黄の解れゆく夜半の雨
野晒しの仏にも咲き濃山吹
風誘ふ山茱 萸の 花塔 の上
母 恋 ひ の 東 男 や 春 愁 ふ
春塵や西へ東 へ思い馳せ
夜桜
待ち侘びた桜が、あっという間に満開となり、あ
と四、五日で雨や寒の戻りが迫っているという夜、
母、妹、娘夫婦と大分のお花見のメッカである大分
城址公園に、夜桜を見に行った。弁当は持たず、歩
いて花を見ようという事で、神社側より歩き始めた。
うす暗く静かなその気配に、桜の妖気を感じた。
反対側に行くと、ライトアップされており、花見
客の宴会でいっぱいであった。日本の花見そのもの。
新入り歓迎を兼ねた職場の団体、家族、若者、やや
高齢のグループと様々な宴が開かれ、皆桜の樹の下
で楽しそうだった。デジタル、IT、情報などとは
無縁のど宴会は、人間の営みそのもので、なぜかホ
ッとする。仕出し弁当だろうが、バーベキューだろ
うが、「お酒と花と団子」は、人間幸せと思えると
ころが嬉しい。
昔より四季を楽しむ中でも、「花見」に対する世
の人の思いは強いものがある。一緒に飲んだり、食
べたり、花を見たり…。
生も死も含めて、桜の花の妖気に負けない人の生
命の力を感じた夜桜見物であった。
― 63 ―
佐藤年緒の俳句紀行
西行のごとく
土手に寝ころび目を閉ぢて聞く雲雀
晋 作 の 短 き 命 花 菖 蒲
西行のごとくに花の下に逝く
微 笑 み し 人 が 遺 し た 桜 花
ザビエルの布教の旅や雪椿
盛り上げし絵の具のやうに咲く連翹
山吹を見逃す吾と愛でる妻
五郎さんのこと
科学ジャーナリストの小出五郎さんが一月にこの
世を去った。まだ七十二歳だった。NHK解説委員
を辞めたのちも執筆や番組に活躍。若手のフリーラ
ンスのライターにも、ジャーナリズムの在り方、持
つべきこころざしを伝える科学ジャーナリスト塾を
立ち上げるなどして若者を育ててきた。
小出さんは、少年時代に第五福竜丸の被爆のニュ
ースを聞いたことがきっかけで、大学は海洋生物へ
の放射線影響について研究した。NHKのディレク
ターとして核戦争後の世界を警告した番組の制作で
国際的な評価を得た。3・11後には、原発の在り
方を問うたほか、政治に干渉されるNHKの経営の
在り方にも危機感を感じ、ブログの「5656報
告」でも積極的に発言をしていた。
三月二十二日に小出さんを慕っていた人々が偲ぶ
会を開いた。ペンを手に机に資料を置いてほほえむ
遺影。その額の周りには、淡く色づいた桜花の枝が
飾られた。「死ぬときは西行の歌のように、静かに
は花の下で逝きたいね」などと私につぶやいたこと
もあった。旧暦の「如月の望月のころ」とは今ごろ
だなと思いつつ、彼が伝えた「平和はつくるもの
だ」という言葉を噛みしめた。
― 64 ―
佐藤辰夫の俳句紀行
一枝
鳴く声の日に日に高し春の鳥
宝冠もいぶし銀なり享保雛
幾年の慈しみあり今日の雛
山茱萸の一枝を活けし座敷かな
飼い葉刈る子らと見上げる揚雲雀
寝たきりの窓より少し涅槃西風
山吹の花知らぬまに六十路越す
「名前」
最近、知っていた人の名前が出てこないという失
敗談をよく耳にし、談笑の種とする。しかしこれは、
知っていると思っていながら実は知らなかったとい
うお話である。
俳句でいただく兼題。その兼題の動植物、しかも
極めて身近な動植物で当然見知っていると思い込ん
でいたその姿や花の色、鳴き声などの知識が曖昧だ
ったのである。あらためて歳時記での確認しきりで
ある。小学校のテストの如く写真と名前や声を結ぶ
問題を出されればたちどころに降参すること間違い
なし。
先日、ヘレン・ケラーをモデルにした映画「奇跡
の人」のDVDを見た。この中で家庭教師サリバン
女史が心身傷だらけになって、物に「名前」がある
ことをヘレンに教える場面あった。物の名を知るこ
とが環境との相互交流の懸け橋となり、社会に生き
る礎になると説く女史の姿に強く心うたれた。
これまで見たり聞いたりする機会が十分にある身
近なものでさえ、いかにいい加減に対峙していたか
を知り自分を恥じた。今からでもじっくり丁寧にみ
つめ、正しい名前で呼びかけようと心した。
― 65 ―
佐藤美代子の俳句紀行
春の海
ペダル漕ぎつつ見上げゐる揚雲雀
初諸 子釣 り し少年 父笑顔
連翹の花咲きほこる垣根見ゆ
山吹の 花咲く庭 に客迎ふ
手入れせし主逝き三年山茱萸
春 の 宵東 の空にまろ き月
春の海 夕日西 空 染め 沈む
バトンタッチ
ある会の評議員会の席上、八十二歳の方から「二
十年間担当を続けてきた評議員を辞めさせてほし
い」との挨拶があった。理由は片方の耳に補聴器を
つけているが、もう片方は全然聴こえず、ガーガー
と雑音ばかり。会議の内容がほとんど聞き取れなく
なったとのこと。頭脳、足腰健在、なかなかの酒豪
家でもあるが、お気の毒なことである。
若い人との入れ代わりも大事なことであるが、現
在は退職後五年間は、全額の年金が支給されない制
度となっている。この間何らかの仕事につき、働か
ねばならないので、会議に出席することも出来ない
のが実態である。
私も二つの会と同好会の事務局を担当している。
九十歳に近い方やそれ以上の方には、安否確認かた
がた声かけをし、便りを手渡している。五十字以内
の近況報告等も順番にお願いしている。みなさんの
近況報告を読ませて頂くのが楽しみで、元気をいた
だいている。
ぼちぼちであっても、心身共に健康で奉仕精神を
持ち、明るく人と接し、「まどみちお」さんではな
いが、主婦業も「死んだらやめーる」である。
― 66 ―
佐藤白塵の俳句紀行
舳先ならべて
パンジーが朝の銀座で思案顔
汐入の池春水のほとばしる
山茱萸に背中押されて新任地
山水を飾 る山吹雨 に映え
人住まぬ孤島に桜咲きゐたり
夜 桜 に 城 の 桝 形 人 の 列
夜桜や舳先ならべて屋形船
銀座の顔
銀座通りは私の通勤経路である。毎朝地下鉄の駅
から地上へ出るとそこは銀座の街。京橋方面へ銀座
通りを歩いて出社する。昼食後の散歩にもよく銀座
通りを歩く。日の暮れる頃、帰宅時にも通る。休日
は何処へ行くにも先ずは家から銀座まで歩いて、そ
の先の行程へ向かう。私にとって銀座通りは最も親
しみを感じる通りなのである。
朝も昼も夜も休みの日も銀座通りには人が多い。
銀座の顔は決して若者だけではない。多様な年齢層、
色々な国からのお客も歩いている。アメリカ、中国、
韓国、マレーシア、フィリピン、ベトナム、ロシア
…。飛び交う言葉も多彩。
銀座通りの歩道沿いの花壇にはこれらのお客さん
を迎えるため、季節の花々が植えられる。しかし銀
座に人があふれる時、実は行き交う人々は案外足下
の花を見ていないようだ。春の朝に珍しく早出した
折、人影がまだない通りで、私は花壇の色とりどり
のパンジーに初めて気付いた。あたかもなぜ自分が
この通りに植えられたのか、そのわけを自らに問う
ような風情でパンジーは俯き加減に咲いていた。
パンジーの名は思案するという意味のパンセに由
来するそうだ。
― 67 ―
佐藤裕能の俳句紀行
揚雲雀
農 学 部 実 験 草 地 揚 雲 雀
連翹の枝葉掻き分け犬の顔
ひと枝の山吹挿さる厠かな
山茱萸の濡れて黄金のひろごれり
東 よ り 花 の 便 り の 風 嬉 し
彼岸西風卒塔婆かたりと揺らしけり
諸子だよ声が奥から湖畔宿
揚雲雀
春、雲雀の囀りを聞くと、心から安らいだ楽しい
気分になれるのは私だけではないと思う。
昭和二十七年頃通学していた井の頭線駒場駅の南
側には田畑があり、春この時期には揚雲雀の囀りが
空高く響き、駅や大学の構内を行き交う人や道を行
く人々が、上を見上げ啼き声を響かせながら空高く
舞う雲雀を観ている姿は何となく安らぎを覚えた。
戦争に敗れて七年、荒廃と混乱の中から、すでに
この「雲雀を見上げる」精神的ゆとりと平和で豊か
な明日への挑戦と希望を皆が持っていたと思う。
この農場は当時、農学部の実験農場で稀に付属の
生徒も来ていた。上昇し急降下して行く雲雀の姿を
追ったが、巣は発見出来なかったと話していた。
残念だが、現在では、この駒場駅周辺で雲雀の囀
りを聴く事は出来ないだろう。彼らの住める草地も
田畑もビルに変わり、生息出来る環境は消滅してい
るようだ。
私の住む所沢の町でも最近、雲雀の囀りは聴けな
くなった。が友人と久しぶりに訪れた大学の付属農
場や仲間で行った成東の草原の空に可憐に舞う雲雀
の囀りを聴き、とても心が癒され、楽しい気分に浸
った。
― 68 ―
椎名よし江の俳句紀行
雲雀野
雲雀野に囀りてをり三姉妹
連 翹 の落 花賑やか雨 の 道
奥に咲く八重山吹や大手門
山茱萸の花に出合ひし峠道
春場所や贔屓力士は西側に
冠 雪 大 き な 笠 の 修 行 僧
聖火消ゆ一日しずかに福寿草
きさらぎの乱
何十年振りともいわれるほどの大雪が二度も私達
の町を覆った。まさに、きさらぎの乱である。
春は花、秋は月、冬は雪さえてとか、優雅に詠わ
れてきたが、様相が一変しての二月であった。各地
の被害のニュース、その大きさに驚く。
九日早朝、ご近所の方が、玄関周りだけでも掃き
ましょう、とお出で下さり、家周りに少し歩けるほ
どの道を確保して下さった。そのお心遣いが嬉しか
った。私共は二階のベランダの除雪、五十センチ近
い積雪を庭にボンボン投げ落とした。新雪で柔らか
いとはいえ、老いた身にはかなり堪えた。今後の対
策を考えねばならないと話し合ったのである。
今丁度、ソチオリンピックの祭典。気持ちと共に
スイッチを切り替えた。若人の躍動、限界への挑戦
に感動しつつ、五感を集中させての観戦であった。
真央さんの渾身のステージ、そのすばらしさに涙が
溢れた。
今後何度このような感動に出会えるのであろうか。
夢が広がる。しかし心の奥にあるシグナルが赤、青
と点滅しているようにも思えた。雪の下に現れた福
寿草のテレビ映像、その健気さが眩しかった。
― 69 ―
敷波澄衣の俳句紀行
一重好み
ひしほ
春 寒 や 木 組 定 ま る 醤 蔵
るり一華コップにさして朝の膳
山吹の一重好みも母ゆづり
連翹の垣 結ふ 村 の観世音
ぱちぱちと山茱萸花つけ真弓坂
揚雲雀砂丘消えゆく日本海
湖の宿草のにほひの諸子焼く
春寒や
かつて日本海側には大きな砂丘が延々と続いてい
た。アカシヤの防風林が季節になると、甘い香りを
漂わせ、友人と海を見に出掛けていた。
竹で組んだ防砂の柵が波のように砂地にうねり、
光と影のモノクロ風景をねらうカメラマンが作品に
していたものである。
春先になると、艶やかに照る緑の葉と白とうす紅
の茎が砂の上に顔を見せた。浜防風と呼び、掘りあ
げてハンケチに包み、家に持ち帰ってお刺身のつま
や酢のものに使った。運がよければ、桜貝が渚にう
ちあげられていて、小箱にうすく綿をしいて並べた。
浜昼顔や浜なすも砂丘ならではの美しい花である。
砂に寝ころんで雲雀の声を聞いた青春の日の思い出
がなつかしい。
今は開発されて砂丘の面影は失せ、わずかな砂地
を残すだけである。家が建ち並び、畑がある。水の
便がよくなったからである。大野川が海へ注ぐあた
りには古い醤蔵が残っている。ティルームにリメイ
クされ、若者が車で夕日を見に来て、醤油味のソフ
トクリームを楽しんでいる。
― 70 ―
柴田芙美子の俳句紀行
諸子
真つ直ぐに雲より落ち来揚雲雀
初諸子噛めば湖国の波の音
もろこ焼く狭き路地なる漁師町
山茱萸にいつも留守なる坂の家
山吹の吹かれ行く手を塞がるる
山 笑 ふ 京 に 西 山 東 山
遠景に比良の暮雪や湖西線
諸子
「諸子の炊いたん(照りだき)」が送られてきた。
もとより近江堅田の友人からである。今時こんな立
派な諸子がどこで獲れるのだろうとまず疑問符であ
る。
諸子などの高級魚は姿を見なくなって久しい。
私は近江堅田の湖畔で育った。子供のころ早春の
まだ肌寒い湖畔に釣糸を垂れる人を見て春が来たこ
とを感じ、漁師町が活気に満ちていてさまざまな魚
が水揚げされていたことを思い出す。中でも諸子は
一段と光っていた。
琵琶湖で獲れる豊富な魚の何と贅沢なことであっ
たか。
友人は季節の魚が数少なくなった今もそれなりの
お付き合いもあって手に入れているようで、その家
の伝統の味が私の口に合ってしまっているのである。
近年少なくなった諸子の味に心温まる友への思い
と故郷への思いを改めて噛みしめたのであった。
― 71 ―
篠﨑代士子の俳句紀行
えんたいごう
掩体壕
雪形は湯けむりに似し扇山
雲雀はるか掩体壕の野の広さ
花菜漬そへて諸子の京料理
咲きみちて連翹風になびくかな
開墾の鍬投げ捨てて茱萸をもぐ
西方浄土に行きたしと思ふ彼岸かな
東ドイツの壁粉砕す冬の月
春の大雪
二月十三日の午後から大分県内は大雪となった。
たまたま出掛けていた、大分オアシスタワーホテル
二十一階のスカイレストランの眺望は素晴らしかっ
た。
大玻璃戸の外の景色は何時もと違い、雪と霙が風
に煽られて舞い上がり、美しくも凄まじい眺めであ
る。市街地に流れる風雪はめったに見られない光景
なので、友人と午後のお茶を楽しんだ。
明けて十四日はバレンタインデーである。雪景色
を期待してカーテンをあけてみると、普段と変わら
ぬ冬枯れの庭のたたずまいである。
どうやら別府は雪にならず雨が降ったらしいと溜
息をついて、二階のベランダに出てみると、正面の
鶴見岳と扇山は真白な雪景色となり、見事な変身で
ある。
高速道路は通行止めであり、市中に流れこんだ車
で交通機能は麻痺している。
地獄めぐりの道路を境として、鉄輪付近は雪が積
もっている。「雪景色が綺麗ですよ」との日本料理
屋「みね久」からの連絡。その声に誘われ、カウン
ター越しの雪見灯籠の雪を楽しんだ。
― 72 ―
首藤加代の俳句紀行
涅槃西風
仕舞ひ湯に四肢を弛めて涅槃西風
今生に過不足のなし西行忌
本日も 西高東 低からつ風
一つだけ叶ふ願ひや夕雲雀
受験子の弾む声あり揚雲雀
今ここが西方浄土青き踏む
六人で 鞦韆 を 漕ぐ旅 の島
能古島
能古島に吟行に行った。二月下旬だったが、よく
晴れた暖かな良い日だった。姪浜からフェリーに乗
る時、日本で一番短距離のフェリーとパンフレット
にあった。
能古島に着くと直ぐ昼食をすることになり、近く
の食堂に入った。皆で雲丹丼を食べることになった。
カウンターに六人で並んで座り、お店の人としゃべ
りながら食事をした。
私以外は皆上級者。句材になりはしまいかと、お
喋りにも聞き耳を立てていたが、美味しい雲丹丼を
前にすっかり忘れてしまっていた。
この能古島への吟行は私には千載一遇の好機だっ
た。以前、転勤で博多に住んだ義姉、四季折々能古
島に来たことを会う度に何度もその話をし、まるで
能古島がユートピアのように話していたのである
実際に来てみると、鄙びた雰囲気ではあるが、ど
こか洗練されている。落ち着いた佇まいが床しい。
大きな木に竹を渡し、ロープを吊るしたブランコ
があった。そのブランコに乗り、竹のしなる音を聞
きながら、六人で思い思いにブランコを漕いだ。
― 73 ―
城戸杉生の俳句紀行
雲雀
人 柱 伝 説 の 土 手 揚 雲 雀
乾坤の一点となる雲雀かな
蒼天や雲雀の高さ日の高さ
大辺路と中辺路分かつ揚雲雀
夕雲雀聞けばそろそろ野良仕舞
東風吹いて 旅の心の生まれけり
春銀河我がふるさとを流れをり
妻と「ゆず」
今日も「ゆず」の曲を聴かされ、いよいよ洗脳さ
れそうである。数年前から妻が「ゆず」の追っかけ
を始め、各地のライブは当然ながら、出身地の横浜
を訪ね歩くまでの熱狂である。
歌詞の中にでてくる物事には全て興味があり、そ
の一節に「からっぽの木」なるものがあるが、何の
木なのか私に聞いてくるのである。調べてみると横
浜の清水ヶ丘公園にある「エノキ」のことであるの
が判明した。
木の名前が分かると今度は、そのエノキの種から
育てた苗木を分けてもらえると、わざわざ横浜まで
一泊二日の旅。山に植えたいと言うものの、もらっ
てきた苗木三本は一〇センチ程度の一年生のため、
山出しは出来ず、どうしたらいいと聞くので、鉢を
買ってきて二年ほど自宅で育てることにした。
エノキは落葉樹なので、冬には葉が落ちて枯れ木
状態になったが、三月も下旬になると芽が緑になり、
日々、緑が膨らんで、ホットしている。
元来、エノキは日本に普通に生育している樹で、
当地でも川沿いや神社などによく見られ、珍しい樹
ではないのだが。
― 74 ―
杉野豊子の俳句紀行
雲雀
滔々と 流る 雲間 へ揚 雲雀
身を潜めあれよあれよの雲雀かな
雲雀には雲雀の住処高々と
少年は広き湖面の釣り諸子
二月の膳のにぎはひ諸子煮る
山吹のこぼるる笑みに顔寄せる
山吹も 連翹 花も 黄花な り
愁い
高いつもりで低いのが教養
低いつもりで高いのが気位
深いつもりで浅いのが知識
浅いつもりで深いのが欲望
厚いつもりで薄いのが人情
薄いつもりで厚いのが面皮
強いつもりで弱いのが根性
弱いつもりで強いのが自我
多いつもりで少ないのが分別
少ないつもりで多いのが無駄
最近、良いニュースが無い!といってよいほど少
ない。常々、世の中変わったなと感じている年代で
ある。
あるところで掲示してあった一枚の紙に釘付けに
なった。なるほどと考えさせられる内容であった。
解ったつもりでいるが……。
一
二
三
四
五
六
七
八
九
十
いつも目につく所に貼っておこうと思っている。
たまには声に出して読んでみようと考えてもいる。
― 75 ―
杉本美寿津の俳句紀行
雲雀
土塊の中より雲雀舞ひ上る
羽ばたきの次第にうすれ揚雲雀
青空の点となりたる雲雀かな
土 塊 に 紛 れ し 畑 の 落 雲 雀
連翹の戸毎にたわむ峡の村
あはあはと山茱萸の黄のふくらみぬ
夕東風や農業ハウス建て終る
雲雀よ雲雀
日が差して暖かい午後、畑より雲雀が舞い上がっ
た。天で我が世の春を謳歌している。
「春がきた―」と思わず顔がほころぶ。
田から、畑から、野から春は生まれているようだ。
田畑を東西に分けて、日本三景の一つ、「天の橋
立」まで、サイクリングロードが続いている。
好天の日は、その道をサイクリングする人、ジョ
ギングを楽しむ人、夫婦、友達、親子で散策するな
ど、大勢の人が、それぞれに体力維持に利用してお
られる。私もそのひとり。
ロード周辺の田畑より、舞い上がる雲雀、舞い降
りる雲雀に幾度となく出会う。
さあ、そんな中で、どれ位の人が雲雀に興味を持
ち、鳴き声を聞いたり、天を仰いだりと、関心を持
たれているのかなあと思ってみたりもする。
句づくりをしているお陰で、少しの変化に気づい
たり、興味を持って見たり、聞いたりできるのかな
あと自負している私がいる。(あ~恥ずかしい、恥
ずかしい)
― 76 ―
髙司良惠の俳句紀行
揚雲雀
赤黄と直立不動チューリップ
揚雲雀いつの間にやら見失ふ
連翹を髪にかざせし村の子ら
山吹のどこか淋しく枝垂れ咲く
公 達 の哀 歌恋しや濃 山吹
ぐんぐんと武将の凧は東風に乗る
西空に夕日沈むやおぼろ月
山菜を楽しむ
今年の冬は今までにない寒い日が続いた。三月の
下旬頃から不順な気候もどうやら春の気配を感じる
ようになった。
農村に住む私にとって、心弾む山菜の季節。先ず、
田んぼで芹を見つける。田芹といわれ、貴重な山菜。
なんといっても春の訪れを一番に告げてくれる。
家の前の堤防をそっと探る。蕗の薹、瑞々しい薄
緑の中に花を包んでいる。ちょっと可哀想だと思い
ながら摘み取る。掌にのせ、春の挨拶をし、よろこ
びを分かち合う。新鮮な香りに夕餉の食卓に話が弾
む。
そろそろ土筆。子ども心に郷愁が蘇ってくる。母
が作る卵とじ。父にはお酒の友に佃煮の珍味。車座
になったあの食事。母のぬくもりが懐かしい。
庭に金柑が眩しく熟れる。甘露煮の王者とも言え
る絶品である。蕗、蓬、菜の花、独活、蕨、薇、木
の芽、竹の子、春の豊富な食材に感謝する。伝統の
料理、温もりの食材。日本の春は素晴らしい山菜に
恵まれている。今日も草刈機の音がする。
年々芽吹きが少なくなっていく山菜。淋しい限り
である。夕餉の食卓に弾む話、子ども心にそれぞれ
の原風景にしたい。
― 77 ―
高橋敏惠の俳句紀行
連翹の家
連翹の垣根と言へばわかる家
養殖の諸子を晒す井戸の水
山茱萸や爆ぜて大空まき散らす
水門は開け放たれて雲雀東風
揚雲雀旗は宅地売り出し中
東雲やいつも青春登山する
大磯 の 青鳩 鳴く や西 行忌
春愁
彼岸参りに故郷の檀家寺へ行く。狭い山村ゆえ墓
参する人、地下に眠る人々も懐かしい。お隣のお墓
の草抜きをしている見知らぬ人達に声をかけた。故
人のお子さんが二人いるけど遠くて来られないから
友達三人で来たとのこと。故人は近所の駄菓子屋さ
んのおばさんなのでお礼を言って別れた。
誰にも実家のお墓には格別な想いがある。嫁いだ
女性にとって、許されるものであるのなら父母の元
にいつか帰ってきたい場所である。今まで公言しに
くい話だと思っていたけれどそういう時代ではない
ようで、アンケートにも同じ考えの人が多数だ。
実家のお嫁さんも本心は入りたくないと話してい
る。若くして亡くなった姪も同じ思いであったが実
際には嫁ぎ先の知らない人たちと一緒に眠っている。
逝って五年過ぎるも毎月二回、御主人が会いに来て
いるから慰められるか?
檀家寺と違って都営霊園など、後継ぎが絶えたの
か立派な墓地にも関わらず荒れ果てた墓を見れば色
々な想いがよぎる。私も墓に関心大の年齢だ。先ほ
ども墓セールスの電話があったばかりだがとりあえ
ずお断りした。
― 78 ―
髙松くみの俳句紀行
早春
冬夕焼切絵のやうな樹々の影
雪掻きの又一人増え一人減り
早春や東京の人と結ばれる
春うらら思ひ も掛けぬ電話鳴る
梅林の引き立つ一本山茱萸花
山吹 や茎 鉄砲で遊 びけ り
卒園の記念樹連翹子等の夢
一本の電話
「お元気ですか…突然の電話ですみません。こち
らは○○ハウス、担当のSと申します。実は…」と
事の次第を説明し始めた。「ええっ? そんな余り
に急な話、本当ですか」。その後の経過などのこと
を狐につままれたような状態で聞くことになった。
七年前。今回の話の高齢者施設が新聞で報道され
た。入居者の生き生きした生活やスタッフの活躍振
り、又、総合的な福祉関係の施設としての歴史やそ
の理念に関心があった。一人暮しでの将来を考えて、
入居を希望するという書類を提出していた。その時
点で既に五十人待ちだった。まだまだ先の事、そう
思い胃ながらも、毎年届くアンケートにはキャンセ
ルはしていなかった。
それがである。全く何の予告もなく、七年振りに
「急に空室が出たのです…今も入居のご希望は?」
という先刻の電話。しかも決断するまでの期間が短
い。自分なりの人生設計もある。頭の中を今やって
いる事などが駆け巡る。専門家の友人からは、この
チャンス、この施設については検討するに値すると
のアドバイス。さて、このタイミングで、どの道を
選ぶか、折角得られた望んでいたチャンスではある。
今、大きな重い選択を迫られている。
― 79 ―
武田東洋子の俳句紀行
句帳に手に
見失ふあれはたしかに揚雲雀
遠目にも明るき連翹我が庭に
不動滝までの小径の濃山吹
胸像へ石橋わたる東風の庭
古代遺跡住居跡にも彼岸西風
句 帳 手に 女十 人麗ら かに
山茶花の花びら散りし茶筅塚
みんな笑顔に
介護職について、やがて二十八年。みんな笑顔に
なっていただきたいと願い、一生懸命やってきた。
南砺市でも高齢者が多く、老々介護の方がいらっ
しゃる。
幸いにも、南砺市地域で先進的な在宅医療が進め
られている。例えば、昭和五十九年より脊髄小脳変
性症の対象者へ在宅医療を行うため、訪問診療、訪
問看護を開始し、その後、訪問リハビリ、在宅酸素
療法など数々の在宅医療の取り組みが行なわれてき
た。さらに、平成十六年には回復期リハビリ病棟、
リハビリセンター、デイケアセンター、在宅介護支
援センターや訪問看護ステーションなどの在宅医療
基盤に関する増改築が完成した。
家に他人を入れるのはいやだと言う方が今でもい
らっしゃる中、家族や地域、在宅介護、在宅医療と
連携をとり、高齢者のサポートをしている。
自分一人では何もできないが、恵まれた地域に育
ち、恵まれた仲間に感謝している今日この頃である。
― 80 ―
田﨑茂子の俳句紀行
絵手紙
東 よりの ぼ りし朝日 初鏡
花辛夷つぼみほぐるる気配なし
東に向かひ春光浴びにけり
つくしの子描きし絵手紙届きけり
窓 の外連 翹 咲きて 父 の声
山茱萸の口に残りし渋味かな
みな褒めてゆく山吹の花盛り
春を待つ
長く厳しかった寒い冬が、ようやく終わりを告げ、
春がやってきた。病のある私には寒さは辛かった。
春を首を長くして待っていた。
前向きな心を持って前に進まなきゃと思っても、
心が折れている今は、なかなかわかっていてもポジ
ティブな心が持てない。後ろを見るよりも、前に歩
みを進めようと思ってもどうにもならない。どうに
もならない部分もあるが、取り返したい、前のよう
な生活がしたい。
焦ることはないが、人は前に戻ることはできない
のだ。人生の反省の時なのかも知れない。人間、立
ち止まって考えなければいけない時があるのだろう。
大いなる愛の父や母が恋しくなってしまう。これか
らどうやって生きていけるかわからないが、楽しく、
明るく、前向きでやっていけたら満足である。病を
得てしまった事は残念な事だったけれど、完全に直
ったわけではないが、これから先は「気力」かな?
まあ、ここで自分の反省を考えて、これからの自
分のあり方を考えて、最後の一瞬までベストを尽く
せるよう過ごしたい。
― 81 ―
津田緋紗子の俳句紀行
開け放つ窓
雲雀野や道草の子の見え隠れ
諸子鮨湖西の人のよく笑ふ
子を乗せて光の中の諸子舟
連翹や長き手足のチアガール
山吹 の花の 径ゆく 柩かな
山茱萸の花咲く峡や子牛生る
山茱萸や窓開け放ち杣の小屋
伊東静雄「菜の花忌」
三月二十六日の長崎新聞の一面トップに「伊東静
雄未発表詩発見」の文字が踊った。友人丸山薫の詩
集「花の芯」の最後部遊び紙に二頁にわたり書き込
まれていたその詩は、伊東が男女共学となった阿倍
野高校へ移動した頃に書かれたものらしいという。
彼らは何とはなしにやってくるらしい/そんな時
きまって相手の肩に手をおいたり/指先をもてあそ
んだりするのは女の生徒だ/それは遠くからみてゐ
ていい静かさだ/もうしばらくさうしてをればいい
と思う一つの絵だ…。
毎年三月の最後の日曜日は、伊東静雄を偲ぶ菜の
花忌である。諫早公園中腹にある詩碑の前で集まっ
た一人ひとりが菜の花を献花し、好きだったビール
が供えられる。
菜の花忌は、司馬遼太郎の忌としての知名度が高
い。司馬の菜の花忌の話が起きた時、諫早から「同
名は如何なものか」という書面が送られた。結局、
司馬夫人との間で、両雄並び立とうと了承されたと
いう。
司馬遼太郎の菜の花忌に先立つこと三十二年、伊
東静雄菜の花忌は今年第五十回である。
― 82 ―
利光幸子の俳句紀行
春近し
西 の 空 綿 雲 二 つ 春 近 し
あたたかし三陸鉄道再開へ
店先の甕に山茱萸溢れをり
草 の 餅 東 の 空 の 青 淡 し
連翹のきままに風と遊びけり
歌姫のプラ イドかけて雲雀鳴く
老詩人まどさん逝きし春の星
花々に囲まれて
私達の津留公民館子ども生け花教室も毎年、三月
の第二週土日の公民館祭に参加。小一から高三まで
の十六名が花展に出瓶した。広いとはいえない会場
だが、子ども達の力作が並ぶ。
「可愛いね」「春爛漫」「子ども達の楽しそうな
顔が浮かぶ」「珍しい花もあるね」等々とのうれし
い反響。顔をほころばせながら見て下さる人々に、
私達はお礼を伝える。
ある人が、M君の投げ入れの前で足を止め、「男
の子とはすごい。山茱萸が生きているね」と、褒め
てくれた。花歴五年のM君の取り合わせは、主枝の
山茱萸、ピンクの百合、ゴッドセフイアーナ。難し
い投げ入れに挑戦したM君は、四月から中学生。
四月から中一、中三になる子ども達は、他に五名。
月一度、花に向き合うこの一時が、心の安らぐ時間
になれば嬉しい。
花展に向けての打ち合わせは、二月後半から始ま
る。花材の取り合わせ、花型、花器等細かに打ち合
わせる。お花の話は勿論だが、お茶の時間、人生の
大先輩であるお二人の先生のお話がまた勉強になる。
どんな形で私の感謝を伝えればいいのだろう。
― 83 ―
富岡いつ子の俳句紀行
坂多き町
強東風や隠れの里の殉教者
桜東風甲板 に女子遊 学生
草原に雲雀あがれる阿蘇ひなか
連 翹や木 魚の音の寺真昼
坂 多 き 町 の 石 垣 黄 山 吹
山茱萸をいとおしむ人城の址
夕ぐるる近江の宿の初諸子
潜伏キリシタン跡
樫山は江戸時代、大村藩領であったが、佐賀藩深
堀領の飛地が点在したため、これがキリシタンの潜
伏に好都合であったという。この地方のキリシタン
の信仰の支えとなったのが日本人宣教師バスチャン
であった。
神山と呼ばれた赤岳の麓には椿の大木があり、バ
スチャンが記した十字の跡は聖なるものとされた。
安政三年(一八五六)、浦上で起こった三番くず
れは、樫山にも飛火、浦上のキリシタンに聖像を託
された茂重は捕らえられ、拷問の末牢死した。この
時、役人による焼却を恐れたキリシタン達はこの椿
の大木を伐採、その木片を分配したという。海抜一
一八メートルの赤岳は霊山とし、参詣できない場合
は長崎の岩屋山から遙かに拝んでいたそうである。
殉教者茂重翁の碑が皇太神宮神社の境内に今も残っ
ている。
その他にも善長谷教会、深堀陣屋跡、深堀鍋島家
墓地、華南系の墓地の様式を残す明人の五官の墓な
ど興味深いものがある。
― 84 ―
長田民子の俳句紀行
覇気
突然に飛び出す雲雀高笑ひ
連翹を回し枝振り定め活く
山茱萸やこぼれ話の次々と
東より黄蝶のやうに登場す
隣県の開花予報や東風の吹く
ひと雨に芽吹きの庭の覇気戻る
大鍋に色濃き花菜盛り上がる
安くて多くて簡単
三月で高齢者の集うサロンの世話係を終え、ほっ
としている。サロンは、月一回色々な催し物とその
後の茶話会を楽しむ会である。おやつは会費で用意
する菓子もあるが、手作りの一品を持ち寄ることで、
話が弾んだり作り方を教え合ったりの良さもある。
私も何やかや工夫して作った。人数が四十人前後
いるので、お金が安くて量が多くて簡単に出来るも
のを考えた。「この前の人参は、人参嫌いの孫もボ
リボリ食べたよ」「ブロッコリーの茎は捨てていた
けど、美味しかったので嫁にも教えたよ」「大根の
漬け物あれからずっと作っているよ」「野菜のチッ
プス、買ったのかと思った」などを聞くと嬉しい。
メモ用紙を持って作り方を聞きにくる人がいるが、
「簡単すぎてごめんなさい」というような物ばかり
である。
サロンの日が近づくと、何を作るか考えるのも楽
しみになった。本屋や美容院の料理本がヒントにな
ることもある。六年間だから、かなりの品数になる
が、全部は思い出せない。
最終の三月は、たまたま八百屋で見掛けた干しい
もを焼いて持って行った。「珍しい、懐かしい、美
味しい」の言葉が返ってきた。
― 85 ―
新谷慶洲の俳句紀行
雲雀
飛翔一途雲雀啼く野の厖々と
若 葦 の 叢 柳 諸 子 群 れ
連翹の花唱和するわらべ唄
山吹の 渓谷ゆけ ば洞川 湯
山茱萸の大山詣で登りつめ
山梔子の散る西都原古墳群
東海 の 伊豆 山濡らす 翁雨
メンソレターム
幼少の頃、東京白金御料地の山野を駈け巡り、木
登りに興じて、メンソレを手放した事がない。メン
ソレとはメントール入り軟膏で発売元は近江兄弟社、
創始者は米国キリスト教会伝道師ヴオーリスで、明
治中期に来日、近江教会敷地に結核病棟及び老人棟
を建設、教育では幼稚園、小、中、高校及び桜美林
大を設ける。次に、独学で建築を学び、ヴォーリス
建築事務所は多くのキリスト教系学園の建築、次で
個人宅、高島屋百貨店にまで及ぶ、様式は機能性を
重視し、装飾はろまんの有る精神性を感じさせる。
先年、東京パナソニックビルで回顧展が催され、
その偉業の中で、心打たれたのは兄弟「はらから」
精神の実践として、当時の日本人の体型に合わせた
階段の巾と高さで、会場に実物の十段ばかりの木造
階段がもうけられてあった。なるほどと手摺りに支
えられ、登り降りしてみたが、その「はらから」の
思いが足の底に伝わってきた。ヴォーリスは日本人
を妻とし、日本人に帰化、終戦時にはマツクアーサ
ーGHQとも連携して進言し、近江で昇天。
人一生の偉業には数々あれど、ヴォーリスの業績
の精神性、「はらから」実践の巾の広さには只々感
銘するばかりである。
― 86 ―
中川英堂の俳句紀行
縦横無尽
湖面波諸子が揺らす春日和
連翹や花びつしりの子沢山
秘境谷山吹の花に語りかけ
東風吹けど病の梅は花もなし
良く見れば山茱萸の花魔性花
揚 雲雀天空 縦横無尽な り
西方 の 浄土 の 雲波吉 野山
春の徒然
春一番が大気を掻き混ぜ、冬気配を一掃し、確か
に春に入ったと感じる今日この頃である。世間では
年度が替わって、入社・入学・昇進・転居等と世俗
的な種々な動きが活発で、しかもパリッと身も引締
まる季節である。
こうなると毎日が日曜日人生の新米で、怠惰生活
に引き込まれそうな自堕落予備軍の私でさえも「だ
らだらしている訳にはいかない」と身も心も引き締
めようとするから不思議である。
これまでの仕事人生活では、職場や地域社会等種
々な拘束の元に行動していたことは間違い無い。こ
の拘束の隙間からのわずかな自由なるものを見つけ
て楽しんできたようだ。今の私はこの拘束が全く無
い自由人で、自分の意志で諸事決めて、好き勝手な
行動が取れるという大変な自由を手に入れたようで
ある。がしかし、待てよ。今まで大きな拘束と思っ
ていた下において自由を満喫し、これからは幅広い
条件の下での自由といいながら、何でも自分の最良
で一から決めなければならないという極めて不自由
な日々を送ることになるのかもしれない。
そう考えると、何だか落ち着かない奇妙な気持ち
で日々を過している今日この頃である。
― 87 ―
中嶋美知子の俳句紀行
揚雲雀
飛行雲伸びゆく空を揚雲雀
強東風の空に身を漕ぐ鴉かな
雲雀野や八分音符で駆ける子ら
山茱萸や水音ばかり窯の里
石積みの垣の山吹花すだれ
武 士 道 や 形 崩 さ ぬ 落 椿
卒業子別の顔して証書受く
初めての運動会
日田郡大山村立松原分教場に着任したのは、昭和
二十二年九月。女学校卒の所謂代用教員である。全
児童百人足らずの三学級。教員は中年の主任と、女
学校卒の親友玲ちゃんと新米の私で、山間僻地の小
規模校である。着任早々一、二年生の複式学級を担
任、しかも運動会直前での競技指導も重なり、負担
過重で、てんてこ舞であった。
戦後初めての運動会は、校区挙げての一大イベン
トであり、お祭でもあった。したがって、前日の会
場作りや競技への参加には至って積極的に協力し、
学校としては大助かりである。プログラムの半数は
老若男女総出で、よちよち歩きの幼児の旗拾い、海
老腰で杖をついての老人競技等、多彩である。中で
も、最高の盛り上がりは、三地区代表の対抗リレー
で、素足で形振り構わず直走る壮年や、和服の婦人
の真剣な姿。応援席も総立ちとなり、校区民の完全
な一体化だ。
戦中は実施される事の無かった運動会。敗戦二年
目にして、この小さな山の分校に活気と平和が甦っ
てきたのだ。私にとっては、初めての運動会だった
が、感銘深い、貴重な体験の一日であった。
― 88 ―
浜田正弘の俳句紀行
雲雀
連翹の鮮やかな黄や深大寺
まつたりと浮かびし諸子昼下がり
はぐれたる諸子が一尾右往左往
岩陰に群れたる諸子ひ そひ そと
父と子の遊山のひと日揚雲雀
麦 畑畝で 雲雀ら鬼ごつこ
春おぼろ汀女も見しか野毛の月
野毛山
横浜に行く機会があり、暖かい春の陽気に誘われ
て野毛山に寄った。野毛山はJR桜木町駅から徒歩
十五分程度の高台にある。野毛山公園と道路一つ隔
てて野毛山動物園があり横浜市の観光スポットの一
つとして有名だ。
野毛周辺はかつての高級住宅街で、外人も多くが
住んだという。俳人中村汀女は熊本県の出身だが、
大蔵官僚の夫の転勤に合わせて横浜市に居住したこ
とがあり、横浜を詠った句も多い。野毛山公園に入
るとすぐ〈蕗のとうおもひおもひの夕汽笛〉と記し
た汀女の大きな句碑が目に付く。
今の野毛山は前面に高いビルが建ち並び海を見渡
すことは出来ないが、汀女が住んでいた頃は横浜港
が俯瞰でき、港に出入りする汽船の汽笛も野毛山の
高台まで届いていたのであろう。園内には佐久間象
山の像などもある。
公園を一めぐりした後、入場無料の看板に誘われ
て隣の動物園にも立ち寄った。動物への興味はない
が、ベンチの脇に植えられた沈丁花の香りが心を癒
してくれた。
― 89 ―
濱 佳苑の俳句紀行
芽吹き
雲雀落つ畑に混じる貝の粉
樹木葬墓地に芽吹きの音すなり
連翹や古民家の土間薄暗き
ガムテープ貼られしポスト濃山吹
山茱萸や音なく人の近づきぬ
梅東風や門に表札ありし跡
箸で 食 ぶ西 洋料 理春 の雷
お墓
ふと思い立って夫と「お墓のバス見学会」に参加
した。私たちには継がなければならないお墓はなく、
息子夫婦には子供がいない。
海への散骨や共同墓も考えていたのだが、袖ヶ浦
にあるその墓地は六千坪ほどの樹木葬墓地だという。
案内されたその墓地は山門や伽藍を見下すなだらか
な芝山の斜面にあり、所々に桜や楓、小楢や楠の木
などが植えられていて、どこかなつかしい長閑な風
景であった。
ここでは五平米ほどの個人区画に遺骨を埋葬し、
俗名を刻んだ小さな大理石のプレートを置く。植樹
はこの地に自生する樹木を計画的に増やしていき、
後世に生態系の機能した里山として残すというもの
であった。
これは、自然を損なうことなく死して土に還ると
云う本来の墓地のありようではないかと思った。翌
月、息子夫婦を連れて行った。彼らも大いに賛同し
てくれたので手当するに至ったのである。
墓標となるプレートには息子夫婦の分を残し、上
方に私たちの名前を刻むつもりだ。
桜の咲く頃にまた、子供や孫たちを誘い弁当を持
って訪ねたいと思っている。
― 90 ―
平田節子の俳句紀行
西方浄土
枝先に春 美しや 花山茱萸
揚 雲 雀 急 転 直 下 落 雲 雀
東風吹いて豊後三山驚かす
西方にありし浄土や鳥雲に
お彼岸の真西に夕日沈みゆく
花にまだ少し間のあり西行忌
啓蟄や少しやる気になつてゐる
やる気
何が楽しいかといって、花の苗を持ってどこに植
えようかと思う時ほど幸せを感じる事はない。中学
生の頃から、お小遣いで好きな花の苗など買ってき
て、庭に勝手に植えたりもしたものだ。
花の好きな人は、花の苗の交換をするのが大好き
で、相手のないものをどうしてもあげたくなる。
先日も、友人が庭に芽吹いたものの目録を送って
くれた。御主人がお茶の先生なので、珍しい茶花な
どが沢山植えられている。その中に「やましろ菊」
という名前があった。はじめて耳にする名前なので、
是非欲しいと所望すると、臼杵から電車に乗り、我
が家までわざわざ持ってきて下さった。どんな花が
咲くのか、又楽しみが増えた。春先に名草の芽を見
つけた時も嬉しい。
私の句集出版祝いをして頂いた時、娘が挨拶の中
で「母のストレス解消は、俳句に向かう事でもある
が、もう一つ何かいやな事があると、庭で黙々と土
いじりをしていた」と言っていた。よく見ているも
のだと思う。そんな私に主宰から「花曼陀羅」の執
筆依頼を頂いた。不安もあるけれど、一年間頑張っ
てみようと、少しやる気になってきた。
― 91 ―
福田久子の俳句紀行
春光
白濤のしぶく大岩涅槃西風
夕東風の靡く葦辺に啼くや鴨
天空に昇りきつたる揚雲雀
生け垣を越えて一途に伸ぶ連翹
春黄金花にぎはへり雑木林
声の艶うばはれ春のやまい風邪
三・一一の三年目の春
春光や海の底まで満ちたもれ
桜貝
甲午年の如月、私は風邪で臥せてしまった。心は
虚ろ、灰色の空のような心情であった。
その風邪も癒え、久しぶりに戸外に出た。久々の
青天は、私を海へと誘い出す第一歩のような気がし
た。さっそく、千里浜海辺へと自動車を走らせた。
早春の風を乗せた白波が巻き寄せる汀。その汀を
歩きながら、波音を肌で感じた。波の泡に見え隠れ
する桜貝を見つけては掬い上げた。
中学生の頃、ラジオ歌謡で覚えた淡き恋の歌詞。
「わが恋の如く悲しや桜貝、かたひらのみのさみ
しくありて」(八洲秀章氏の一首)。
この短歌をモチーフに、土屋花情氏が作詞された
と知る。
うるわしき桜貝ひとつ、去りゆける君に捧げむ―
はろばろと通うかおりは、君恋ふる胸のさざなみ、
ああなれどわが想いは儚く、現世の渚に果てぬ
作曲家、八洲秀章氏の恋人が胸の病で世を去った
淋しさを「かたひらのみのさみしくありて」と吟じ
られた優美さの姿情に感銘し、久しく慣習的な叙情
に浸ることができた。病に臥せ、辛い思いもしたが、
収穫の如月でもあった。
― 92 ―
藤井隼子の俳句紀行
連翹
連翹のほろほろ散りし昼下がり
連翹の花咲き満ちし里の道
山吹の花を愛でゐる老母かな
活けありし山茱萸の花明かりかな
白木蓮ひらりと飛んで空青し
眼 底 に 母 の 刺 繍 の 紅 椿
眠る児の輝く頬やスイートピー
確定申告
「確定申告」の季節になった。申告は自由の年齢
になり、最近は申告しなかったが、今年は医療費が
多くかかったので申告してみることにした。
まず、申告に必要なものを揃える。①申告用紙A、
②年金の源泉徴収票(年金機構・共済)、③社会保
険証明書(国民保険・介護保険)、④生命保険等の
証明書、⑤医療費の領収証等を準備する。
次に、自分で計算してみる。「還付金あり」「不
足金の納税」のどちからになるか微妙な数字になっ
た。確認のために、税務署ではなくて市役所の申告
相談会場に行った。結果は、東日本大震災税の関係
で「不足金納税」になった。市役所の相談員の男性
は「七十歳を過ぎての申告は、還付金がなくて納税
の数字になった場合、申告しなくていいですよ。税
務署に申告すれば不足金を納めなければなりません。
持参した証明書等を使って県民税と市民税の申告を
すると税金が安くなります」と、にこにこしながら
教えてくれた。
今日は市役所に相談に来てよかった。諸申告の智
恵をいただいた。外に出るといい天気で、雪柳が風
に揺れていた。
― 93 ―
堀内夢子の俳句紀行
東茶屋
揚雲雀ひとり見てゐる石舞台
連 翹 や 一 直 線 に 花 開 く
幸福の黄色の山吹風に揺れ
山茱萸の柄の鎌軽し草を刈る
春 愁 の 映 る 丸 窓 東 茶 屋
東西の交はる大地チューリップ
ひばりひばりここは阿蘇の草千里
五つの手
長崎の桜の花が満開の日曜日。プリンスホテルで
友人のピアノコンサートが開かれた。
友人の孝子さんは、七十九歳で心臓の大手術をし、
医師にやりたいことをやりなさいと言われたそうだ。
高校生と大学生の男の子の孫がピアノコンクールで
何度も受賞しており、その二人とピアノの連弾をす
ることを思いついた。彼女は今までピアノを習った
ことはなかったが、それでも毎日の練習に必死で耐
え、とうとう晴れのコンサートの日を迎えることが
できた。彼女は傘寿の誕生日を迎えたばかり。
四人の子ども達とたくさんの友人達は、彼女を祈
るような気持ちで見守っていた。
美しい和服を着た彼女は少し緊張気味であるが、
凛とした佇まい。メンデルスゾーンの「歌の翼に」
が始まった。
一台のピアノに五つ手。二人の若者にエスコート
され、夢のような調べが生まれた。
大成功であった。鳴りやまない拍手に、友人は涙
ぐみながら微笑を浮かべていた。私達も思わず感動
の涙で胸が熱くなった。桜の花を愛でながらのピア
ノコンサート、幸福な一日であった。
― 94 ―
本田 蟻の俳句紀行
雲雀
単線の電車待つ間の雲雀かな
青空 の礫 のごとし落 雲雀
藁屋根を越ゆ山茱萸の黄なりけり
強東風 や運慶 作の仁王像
湖 の 泊りと まりの諸 子鮨
連翹や外ながしゆく豆腐売り
古へ の 栄枯盛 衰涅槃西風
平泉
二月中旬、東京での会合の後、思い立って平泉を
訪れた。芭蕉の足跡を訪ねたいと思ったからである。
東北新幹線と在来線を乗り継いで二時間余の旅であ
った。
中尊寺の参道はゆるい上り勾配でおよそ二十分の
道のり、薄く残る雪を踏みしめ歩いた。途中、弁慶
堂、薬師堂、地蔵堂など多くの堂字があったが、大
方は雪のため閉ざされていた。本堂に参拝した。
金色堂は軒先に雪の残る覆堂の中にある。覆堂に
入ると仄暗いなかに金色堂が浮かびあがった。天井
も柱も床も皆金箔で覆われ、阿弥陀如来、観音菩薩、
勢至菩薩を中心に全部で三十二の黄金の仏像が安置
されている。各部に施された装飾も美しい。その見
事さに只々圧倒された。
また、壇の下には清衡、基衡、秀衡と三代の棺が
納められている。金色堂は阿弥陀堂であるとともに
葬堂でもあったのだ。奥州藤原氏の栄枯を思い、し
ばらく佇んだ。
その夜は一関に泊った。「富澤」という料理屋で
おいしい刺身と天婦羅と岩手のお酒をいただいた。
金色堂を見た感動を胸に秘め、幸福な一夜だった。
― 95 ―
牧 一男の俳句紀行
山茱萸
狂言「舟渡聟」
大髭 を剃りて 舅の顔 寒し
待春の想ひをこむる謡かな
雲雀鳴く古戦場なる空高く
山茱萸のひかえめに咲き満開に
山茱萸や芯の芯まで濡れそぼつ
山茱萸ののびやかにのぶ枝の夢
船頭の棹にちらばる諸子かな
弥生子と狂言
野上弥生子は昭和二十年二月に小学館より、小学
校二、三年生のための狂言の話を依頼され、九番の
狂言を書き下ろしている。私の手許に今ある岩崎書
店が昭和五十年に発行している日本古典物語全集の
中の「お能・狂言物語」も若い人向けで、恐らく同
じものと思われる。
法政大学に野上記念能楽研究所を残すほど、能の
研究で知られる夫の野上豊一郎は、明治四十一年頃
より、師である夏目漱石や安部能成氏らと下掛り宝
生流(ワキ方宝生流)の家元の宝生新氏に、弥生子
は子供に手の掛からなくなって新氏の弟子筋にあた
る尾上始太郎(もとたろう)氏に謡曲を習っている。
明治・大正時代、間狂言が始まると、トイレに立
ったり、煙草を吸ったり、雑談したりと、狂言はお
よそ能より軽視されていたと言われている。
弥生子が謡曲だけに留まらなかったのは、「太郎
冠者行状」や「山伏行状記」まで書き、狂言にも造
詣が深かった夫の影響であろう。狂言の執筆にあた
り、軽井沢の山荘の弥生子に狂言全集を送っている。
弥生子の「お手数でございました」という返信が微
笑ましい。
― 96 ―
松嶋民子の俳句紀行
奉書焼
伊予の子の連れて戻りし春の風
一 斉 に 発 声 練 習 桜 東 風
白羽の矢しかと受け止め涅槃西風
山朱萸の九谷の壺を喜べり
連翹の垣根を揺らす子猫かな
三井寺の鐘の余韻やもろこ舟
春灯や捧げ持ちくる奉書焼
白羽の矢
先日、校長室に呼ばれ、二度とないと思っていた
三年生の担任をお願いしたいと教頭先生から言われ
た。体育祭の綱引きの時、綱を引く生徒のそばで、
わっしょい、わっしょいとやっていた姿やその他い
ろいろを見て決めたとのことであった。とても驚い
たが、やはり自分の中にやりたい気持ちがあったの
で、さまざまなサポートはするという言葉にも背中
を押され引き受けた。
百パーセント反対するであろう家族にはまだ言え
ないでいるが、親友に電話すると、「生徒の気持ち
に添えると思われたんだと思うよ。はりあいになる
し、あなたの人生に必要な選択だったよ」と励まし
てくれた。また、昨夜、今の一年生の担任と副担任
の飲み会があったのだが、私が持つことになったク
ラス(二年の時の先生が転勤される)の担任は誰か
という話題になった時、ある先生が「話があったと
き、すぐにやりますと言う人なら、誰がやってもう
まくいく」と言われた。今は言えないので黙って聞
いていたが、とても勇気づけられた。
当地出身の山中鹿之助のように「われに七難八苦
を与えたまえ」という心境である。家族には四月初
めの職員会議があった日に話すつもりである。
― 97 ―
松村勝美の俳句紀行
連翹忌
日輪に影の溶け込む揚雲雀
諸 子焼く 煙一筋余呉 の海
阿多多羅山の智恵子の空や連翹忌
華やかに咲きても実なき山吹よ
山茱萸の黄色鮮やか雨に咲く
瀬戸内に漁旗たなびく雲雀東風
涅槃西風胡沙のせ海峡渡り来る
取り留めの無い話
今年の春は何故か可笑しい。由布市も二月中旬に
記録的な大雪に見舞われ、高崎山が真っ白に雪に覆
われた。久しぶりに雪折れの音を聞いた。北国を思
わせる寒さかと思えば、四月中旬の陽気が続き、体
調管理が難しい。我が家の猫達も恋の季節というの
に、例年になく大人しい。不思議だ。
猫といえば、妻の家の「カッチャン」が十六年の
生涯を閉じた。自宅の白木蓮の下に埋葬する。泰然
と父親らしい銀虎の猫だった。この狭庭には、犬や
猫をもう何匹埋葬したやら。秋には、柿の実、季節
ごとに様々な花が鮮やかな咲き誇る。
今、庭には紅梅、白梅、杏の花が満開、白木蓮は
苞が取れ、花片が今開かんと待っている。紫木蓮は
まだ眠っている。猫柳は陽に銀鼠色を輝かせている。
紅椿はまだ蕾が堅い。桃色椿は八重を重ねている。
七種類の水仙も咲初めている。初夏の花金雀枝も何
輪か咲いている。藪柑子も愛らしい赤い実をつけて
いる。枯芒が一叢穂を風に靡かせている。雪柳、小
手鞠も咲くのを今か今かと待っている。
十五、六匹の猫が、自分の好きな庭石の上で日向
ぼっこをしている。何故か例年と違うと思うのは私
だけであろうか。
― 98 ―
松村れい子の俳句紀行
雲雀野
雲雀野やホスピスの窓開かれて
空の井は空のどこかに揚雲雀
日のかけら放ちて諸子釣られけり
連翹のひとかたまりの日の光
花山茱萸島の日射しを独りじめ
鉛色の空にけぶれる山茱萸の黄
東風吹いて村に二人の留学生
一見旧の如し
「山茱萸」を山ぐみと読んだので、さあ大変。庭
に茱萸の木があるのでいよいよ歳時記と合わないと
混乱。
こういう時は先輩に尋ねるに限るも「そうなの」
とはかばかしい答えは得られなかったが、折り返し
の電話で「山しゅゆ」と読むのだと教えてくれた。
先輩と電子辞書のありがたいこと。
山吹、連翹は春の体内時計に組み込まれているが、
山茱萸は見たことがあるような、ないような曖昧模
糊状態の内に、関西在の姉が帰省してきたことであ
っさりと解決をした。
姉の日課は食後のウオーキングで始まる。里帰り
してもこのスタイルは変わらず自分の好きなコース
もすでにあって、この朝、朗報を持って戻ってきた。
一度覚えるとつぶらな黄色の花はあちらこちらに咲
いていてこんなに身じかな花木であったのかと知る。
教室に入りはじめのころ知らない兼題が出される
度に新入り同志で見つけ回ったことが懐かしく思い
出される。だからであろうか、季語も一度体内に組
み込まれると一見旧の如く感じられるのかもしれな
い。されど作句となると進歩はなかなか見えない。
― 99 ―
御沓加壽の俳句紀行
雲雀
菜の花や東に筑波幽かなり
山吹 の影 揺れ 犬の驚き し
琵琶湖より届く諸子や遙々と
揚 雲雀風 に煽ら れ 急降下
囀りだけの雲雀野にひとり居り
揚雲雀江戸の両岸黄の帯に
かまびすし雲雀は何処目を凝らす
ハイ苦から俳育へ
俳句を詠む度に、生みの苦しみを伴うことから、
自分にとっての俳句=ハイ苦(ハイレベルな苦し
み)と記したことがある。
眸子先生は本誌や俳句塾で「俳育のすすめ」を論
じられておられる。「俳句の上達率云々よりも俳句
に親しむことを通して、丁寧に観察する機会を増や
し、自然環境を保全する心を養うこと、そのような
心根の優しい子ども達が増えることを目標とすべ
き」と。
世界中が争いの渦の中にあることを思うとき、子
どもに限らず「心根の優しい人間」を増やすことは
すべての人間にとって大切なことである。
「世界平和」を大上段に振りかざして叫ぶのでは
なく、静かに論じ実践されるところが俳人たる所以
なのだろう。
それにしても、自らのことしか考えていなかった
度量の狭さに恥じ入るばかりである。「俳育は他人
の為ならず」と心して臨ませていただかなければと
思った次第である。
― 100 ―
水野すみこの俳句紀行
山吹
縄飛びの 大波小 波揚 雲雀
諸子釣り老いに賜る小半日
一佳 信 掌に連翹 の花明 り
山吹の 山吹荘に 一と句会
山茱萸を含みらららら山日和
ひがし
報 恩 講 我 も お 東 一 門 徒
春夕焼西方浄土へつづきけり
報恩講
浄土真宗お東の実家は、信心深い一族であった。
幼い頃より、朝は炊き立ての仏飯を仏壇にお供え
してお参りするのが私の日課となっていた。母は商
家で忙しく、私は九人弟妹の長女で、おばあちゃん
子。よく祖母に連れられ、お寺参りにも出掛けた。
その頃の庫裡の大炉はいつも焚かれていて、門徒
衆が集まり、世間話に花を咲かせていた。子供心に
も結構楽しかったような気がする。
住職は東大の哲学科で学ばれた名僧で、ご自身の
死ぬ日まで予言されたた方で、炉話にもよく加わら
れた。一番楽しかったのは、報恩講であった。朱の
御膳に朱の椀がずらりと並び、子供心にはとても豪
華に見えた。門徒の女衆の手作りではあるが、坪の
帚木の実の胡麻和えが大好きで、今でも家で作って
よく食べている。お平は、椀一杯の大きさのがんも
どきで、生姜の一片がちょこんとのっていた。葛切
も三色美しく、高足の椀に盛られ、炒り酒の出汁で
頂く。とても美味しい。煮物、酢の物等も畑でとれ
たものばかりだが、小皿についた果物や森永キャラ
メルが子ども心にとても嬉しかった。
祖母との思い出は楽しく、心が和んでくる。
― 101 ―
溝口 直の俳句紀行
秘密の場所
ひばり鳴く丘を秘密の場所にする
佃煮はいつももろこが定番に
連翹 の黄色 眩 しき朝帰 り
東西の春の緊張ウクライナ
八重の山吹に実なくばかなしけれ
睨みたるメバルと詠みし友ありし
可憐やな庭に咲きたるはるこがねばな
ウクライナ
ウクライナのクリミヤ半島が騒々しい。
ナイチンゲールが看護の始祖として、毎年看護学
校で戴帽式がある。ナイチンゲールがクリミヤ戦争
で悲惨な戦争を体験して看護学を作った。クリミヤ
戦争てどこにあって、どこの戦争?それまではっき
り知らなかった。黒海につきでた半島でバルカン半
島にある。 今はウクライナの領土である。かって
のソ連邦だったところでロシア人が多い。彼らがロ
シア領にしてほしといいだして今大変だ。憲法にな
い国民投票をしてロシアに帰属したいと言っている。
ロシアは虎視眈眈。本家のウクライナは西欧寄り。
また、かっての東西冷戦みたいになるかもしれない。
戦争の悲惨を訴えたナイチンゲールの精神はどこ
へいってしまったのだろう。戦争、冷戦、また戦争
になっては、繰り返しだ。戦争だけはいけない。戦
争の悲惨さをまた繰り返しては絶対にいけない。
― 102 ―
南 桂介の俳句紀行
ひとひらの
ひとひらの落花ミックスピザの上
花の下妻はメールに余念なき
連翹の花まで届けホームラン
浅田真央選手
V
T
連 翹の 枝上段 に 構えけ り
連翹の背丈となりて通園す
連翹の角を曲がって蕎麦屋まで
山脈は さらに 南 へ揚 雲雀
ソチオリンピック、女子フィギュア、ショートプ
ログラム、浅田真央選手がまさかのミスの連続で十
六位の大出遅れ。我が夫婦は の前で「子供が受験
に失敗したような気分」と私が言えば、「真央ちゃ
んに何と言って声をかけてあげればいいの」と妻。
二人とも赤の他人なのに、完全に身内モードになっ
て意気消沈した。
思えば年齢制限でオリンピックに行けなくなかっ
たときから十年近く彼女を見続けてきた。国民の多
くは年齢層により彼女を孫に、娘に、妹に、姉に見
立て、その成長を見守ってきたのである。
次の日がフリー、願うことはただ一つ。メダルな
どどうでも良い、彼女が納得出来る演技をし、笑顔
で終えてほしい、それのみであった。
果たすかなその願いは見事に叶えられ、八種類の
トリプルジャンプを決める会心の演技、彼女の歓喜
の涙と素敵な笑顔に再会し目頭が熱くなった。
何という選手なんだろう、どん底のショックから
一夜で立ち直り、そしてオリンピックはメダルでは
ない、それ以上の感動があるのだということを体現
してくれたのだから。
魔法にかかった二日間、ありがとう。
― 103 ―
宮川洋子の俳句紀行
雲雀
散り初めし八重山吹の一二輪
連翹の一枝の花の二つ三つ
連翹のひ とむ れだけを暮れ残す
天空に鳴き続けるは雲雀らし
耳奥に残るふるさと揚雲雀
車椅 子連ね 花見の列長 し
春一番吹きとばさるる作業帽
雪の中の道
二月十五日土曜日、朝カーテンを開け。ここは何
処と思った。見渡す限り、すっぽり雪に覆い尽くさ
れている。私は今、何処にいるの? と考えていた。
一晩で認知症になり、自分の居場所さえ解らなくな
ってしまったのかと一瞬思った。
朝食をとり、外に出る。雪は六十センチを越して
いた。私の住む団地(三百戸余りのマンション)で
は、雪の予報が出ると、管理事務所前にスコップが
並べられる。その数は三十本以上あった。それら全
てが出尽くしている。一歩を踏み出すも困難な状態。
孤立するのではと不安になった。急病人、怪我人が
出ても、救急車も入れない状態。「皆さん、交代で
雪かきをして下さい」とマイクで呼びかけて行く男
の人。スコップは戻って来る見込みはなさそうだと
思った私は、塵取りを持ち出し、雪かきを始めた。
雪かきはあたりが薄暗くなるまで続き、道がうま
れた。その後も、雪かきは数日続いた。団地内は、
私の背丈より高い雪の壁に囲まれた生活が暫く続い
た。「災害は忘れた頃にやって来る」の言葉を思い
出していた。
後日、自治会で「一戸に一本のスコップを用意し
ましょう」と呼びかけるチラシが配られた。
― 104 ―
宮崎敬介の俳句紀行
朝桜
喝 采 の声 み 空より揚 雲雀
時よとまれと告げにけり揚雲雀
移ろう刻を先取りす落雲雀
山吹や交はす言葉のしなやかに
山吹や母を思慕して半跏仏
朝桜ひかりはいつも東より
胎蔵 界 金剛界 や 花満つる
喜びの予言者
わたしのよく知っている鐘のの音は
鳥のふたたび目覚めるときに
遠くから金の音色を響かせる。
それでよいのだ。
(故郷・ヘルダーリン)
ここには、諦念があり、むしろ肯定的な幸福感、
若い頃の詩句「晴れやかな老い」があると思う。
だが 水はしずかに流れくだり
ひねもす おだやかにせせらぎが聞こえる
しかしあたりの村々は
安らかに憩い、午後の時を黙し続ける(天から)
最後期の詩の源、「平和」がここにはある。
空高く星くずが現れ出るとき
そして広く拡がった生命は一層霊的になる(冬)
あまりにも高い稀薄な空間に上昇してしまったヘ
ルダーリンは、遙か下の人の世をみる、そのささや
かな営みや小さな喜びなどを。そして彼はそれらを
愛し、高いところから身を近づけるようにして、人
々に呼びかける、もっと大きい強い喜びがあること
を
ヘルダーリンは、「喜びの預言者」でもある。
― 105 ―
宮本陸奥海の俳句紀行
花見
長き冬耐へて山茱萸満開に
糸桜醤油の町に愛でにけり
大枝垂 れ桜を 支ふ竹の棚
東西の訛り飛び交ふ花の宴
二年余の治療に癒へてこの花見
連翹の陽に映ゆ坂道ランドセル
囀りは 揚雲雀な り新団地
清水公園の枝垂れ桜
さま
今年は近場でゆっくり花見をしようと息子も誘い、
北隣、野田の公園へ車で出かけた。
到着後直ぐに桜の中心の第一公園へ。都内の開花
宣言が出た昨日も今日も気温が上がり、ここの桜も
七、八分咲きへと一気に見頃。一番の見所で花見弁
当を食べようと席を捜すと、メインの枝垂れ桜の直
ぐ南東脇、通路を隔てた萩の傍に太い木の根型の椅
子が四個ある。そこで三人が弁当を食べながら、青
空を背景に見頃の枝垂れや周りの五、六分の染井吉
野をじっくり眺めた。枝垂れ具合を整える棚の支柱
しゅうらくかん
は細身の竹製で、 様 になっている。京都円山公園の
枝垂れ桜も見事な咲き振りながらあちらは丸太支柱。
デジカメを手にした息子も、次々やって来る女性
ごうしょ
グループや地元風の一団も、茶室聚 楽 館前に植わ
る淡く紅の射した小輪の桜がそよぐ風情に見とれ、
又カメラを向けている。
園内の金乗院 参道の赤伊豆桜も境内の古木再生
「劫 初の桜」も見事であった。
野田は利根川と江戸川の分岐点の直近で江戸期に
水運と醤油で栄えた湊町。当園は野田醤油創業一族
が造り、聚楽園の名で一般開放した由。この町衆文
化の粋が細身の竹に現れているのであろう。
― 106 ―
村田文雄の俳句紀行
初めての山
遠い日の庭の山吹父母の居て
連 翹 の 生 垣 続 く 通 学 路
唐揚げの笠子がぶりと端午の日
槍 ヶ 岳 東 斜 面 の 光 る 雪
雲 海 や 岩 稜 線 に 岩 雲 雀
岩 肌 に 雪 渓 残 る 西 穂 高
稜線のごろごろ岩や山背来る
西穂高岳
一九六九年の黄金週間の前日、新宿二十三時五十
五分発、長野行夜行普通列車は満員の登山客を乗せ
出発した。早目にアルプス広場に並んだが、席に座
れず、通路に寝る。木製床の油の臭いと車輪の音が
する。途中下車やトイレへ行く人に小突かれる。そ
れでも眠いから、列車通路でも案外眠れるものだ。
朝、松本駅で下車、私鉄経由で新島々駅からボン
ネットバスで上高地へ向う。梓川の畔で食事後出発。
残雪を踏みながら約四時間で西穂山荘へ到着。山
荘も混合い、一つの布団に三人が寝る状況だった。
翌朝、独標を目指す。ガレ場で一瞬何かが動く。
鳥だった。「雷鳥ですか」と先輩に聞くと「岩雲雀
だよ」との答え。そして、急な岩場を登り、いよい
よ独標に到着。
この先は険しい難所だが、折角ここまで来たのだ
から山頂を目指すことにした。急斜面の登り降りが
続く岩稜線は一歩踏み外せば命は無い。慎重に手と
足で這いつくばる。ようやく標高二九○九mの西穂
高岳に到達。思わず万歳をした。先輩が穂高連峰か
ら槍ヶ岳、乗鞍、焼岳等パノラマを解説してくれた。
心地よい風で汗と疲れが吹き飛んで行った。
― 107 ―
山本枡一の俳句紀行
うつろい
村酒場諸子自慢の親爺さん
眼からウロコ
」
連翹や煙草くゆらす老農夫
揚雲雀カラス横切る開発地
昼下がり山吹散るや城の跡
「
)
(
」
「
(
)
大 西 日 雀 群 れ な す 大 欅
雪 国や東 の 窓に薄日射す
凝固せし被爆の里や溶ける雪
長谷川櫂の 古池に蛙は飛び込んだか を読んだ。
子規や虚子をはじめとして従来、この句の解釈は
「古池に蛙が飛び込んで音がした」という平板な写
生句として定着していたが、櫂氏は 蛙が水に飛び
込む音を聞いて、心の中に古池の幻が浮かんだ 、
即ち、現実の世界 音 をきっかけに心の世界 古池
とが交錯する句である、との解釈。切れ字の働きに
よって現実の向うにある宇宙へと展開・共鳴してい
く蕉風俳句開眼の記念史的句であると。ここに至る
までの論考を志考、去来等の文書を元に解き明かし
ていく平明な語り口。
同じく「音」をきっかけに、〈閑かさや 岩に沁
み入る蝉の声〉等の解説。
ということで、櫂氏の話にすっかりはまってしま
った。そこで、小生もあやかりたいと、蔵の街・茨
城の真壁の雛祭に独り吟行に出かけた。結果は散々、
駄句の山。
筑波峰や琴の音響く雛の里
琴の音や里人こぞり飾る雛
琴 の 音 や 顔 容 涼 し 京 の 雛
等々。やけになり、揚句に次の一句を捻った。
雛の酒紙のコップの呷り酒
― 108 ―
山岡叡命の俳句紀行
諸子
東北東へ祈りそれぞれ恵方巻き
揚雲雀スカイツリーは遥かなり
ふるさとの諸子で手酌ひとりごと
連翹の盛ん句友の秘密基地
朝焼けや西に残れる月淡し
山吹の群れ黙し合ふ江戸城址
山茱萸にファッションモデルに反射板
恵方巻き
恵方巻きは「丸かぶり寿司」といわれ、起源とし
ては諸説存在し定かではないが、習慣として江戸末
期頃からといわれている。「恵方巻き」の言葉は近
年使われ出して広まったらしい。
節分の日は仕事を終えて帰宅し、各部屋に「鬼は
外」の豆撒きをした後、家族皆なで太巻ずしを切ら
ないで、恵方に向かって一本を黙して食べ終えるの
を習慣としている。今年の恵方は東北東である。
「恵方巻き」を手に持って東北東へ向き、皆で頬
張っている状況を想像するだけでも楽しい。私はい
つも家族の無病息災を願うことにしているが、我が
家から東北東の位置にあの東北大震災の被災地があ
り、一日も早い復興をあわせてお祈りした。
『少年』の兼題に「東」があるので、被災地の東
北にも関連させ、恵方巻きで作句しようと思った。
「恵方巻き」は、私の歳時記には見出せないが季
語として使われているのかどうかをネットで調べて
みた。〈恵方巻きかぶりつけよと言はれても 岡本
泉〉は『鷹』の秀句に選ばれていた。この句は恵方
巻きが季語として扱われており、主宰の選である。
私も「恵方巻き」を季語として句を作ってみようと
思って悪戦苦闘することにした。
― 109 ―
山口 修の俳句紀行
連翹
連 翹 や土 塀 の小 径萩 城下
朝東風に旗なびかせて船帰る
西国を打つも又好し彼岸かな
花曇り待合室のオルゴール
垣根越し交はす挨拶濃山吹
ひばり野のごく片隅の昼ご飯
(
()
西国を打つ
)
リハビリ科の休憩中の柏餅
広辞苑に「西国を打つ」とは「西国三三か所の観
音詣りをすること」とある。
私が仏教に惹かれたのは、二四、五歳の頃である。
その頃は、どちらかというと原始仏教や禅宗に興味
があり、鈴木大拙、中村元、ショーペンハウエルな
どの本を読んだり、寺詣りをしたものである。
それが、年を取るにつれて、世の中、なかなか思
うようにうまくはいかぬものだということがわかっ
てくると、邪道だとは思いつつも現世利益を求める
ようになった。
心の底では、神仏を信じない自分を嗤いながらも、
法華経の一節の観音経を読んでみたり、観音様にお
参りするようになったのである。
さて、西国三三か所であるが、第一番補陀落山青
岸渡寺 和歌山県 に始まり第三三番谷汲山華厳寺
岐阜県 に終る三三か所の寺をいう。定年後、是非、
三三か所をお詣りしたいと考えたのであるが、現在
のところ、お詣りした寺は一〇か所に過ぎず、腰、
膝に病を持つ身には、観音様につきものの長い石段
を考えるにつけ、この結願は叶わぬ夢となるのかな
と思うこの頃である。
― 110 ―
山口慶子の俳句紀行
春うらら
連翹や杜子春の夢ほろほろと
連翹の炎のごとく揺らぎ立つ
帰らばや西海産の雲丹の味
諸子の目無邪気に虚空見つめたり
苔む せし 幹に紅 白夫婦梅
西域の古跡画展やつちぐもり
偏西風街にマスクの目立ちけり
座敷梅
座敷梅の案内は一月下旬から三月上旬までである。
ところは福岡県みやま市の二つの盆梅園。この二園
は松の盆栽でも有名だそうだ。
私は何度か訪れたことがあり、今年は一度も行っ
たことがないという友人と出かけた。
庭には大しだれ梅や一つの根から二つの幹が出て、
紅白に咲き分けている夫婦梅、そして、樹齢四、五
百年という五葉の松の堂々とした姿もあって、目を
驚かせ、心を躍らせる。
圧巻は百畳の座敷に所狭しと展示された盆梅で、
一度味わうとその魅力にとりつかれる。
馥郁とした香りの漂う中、紅、白、ピンク、うす
黄等の梅花、三十センチほどの小木から二゜メート
ル余の巨木までの数百鉢の盆梅、年輪を重ねた見事
な根の形に酔いしれる。
接ぎ木もせぬのに、一枝、二枝が違った色に咲き、
「思いのまま」と名づけられたものもあり、趣深い
野梅あり、また根元からおおかたが枯れている木の
先に生き生きと花をつけている不思議である。
今年の観梅もなかなかのものである。
― 111 ―
川さち子の俳句紀行
国東
揚 雲雀見渡す 限り 演習地
雲雀野の明るき中を帰りけり
雲雀野をゆく少女らの童唄
掌に捕れば雲雀悲しき目をしたる
山吹 や蘭学 の師 の 塾の跡
国東は野仏多 し菜の 花路
朝東風や山鳩庭に来てをりし
野雲雀
ある朝、雲雀は私の掌の中にいた。
野原は野焼きの後の草が茂りはじめている。中で
も早々盛り上がるのが山藤で、こんもりした場所が、
なぜか七、八カ所並んで野原の中の一本道に沿って
ある。学校の帰り、雲雀がその茂りのそばに落ちて
ゆくのを何度も見た。あそこに巣があるに違いな
い! そっと近寄ってガバっと茂みに被さった。
む? 茂みを間違えた! そのまま左の茂みに目
をやると、雲雀と目が合った。
次の朝、覚えておいた茂みに、がばっと被さった。
捕まえた!信じられない!
両掌で包み込むように、首だけ出して学校に連れ
て行った。大得意で皆に見せた。
「可哀想に! 逃がしてやったら?」誰かが言う。
心がサッと冷えた。「わぁ!すごい」と言われた記
憶はまったくない。雲雀は声もたてず、悲しい目を
してじっと見ている。空へ放してやった。
雲雀の声を聞く度に、その悲しそうな目だけが、
思い浮かぶ。もう二度と雲雀を捕らえまい!
― 112 ―
田みゆきの俳句紀行
揚雲雀
鳶の輪をぬけて高みへ揚雲雀
銀鱗 の諸 子はねと ぶ台秤
山吹の白き一重の花が好き
真つ盛りなる連翹に翳り無し
山茱萸の花見るによき遠さかな
国東の石の仏へつばくらめ
猫車押す婆さまや涅槃西風
早春の黄色い花
日記を長らく書き続けている。一旦始めたことは
何とか続けようと思っていることもあるが、最近は
記憶力があやしくなってきて、日記が何かと役に立
つことが多くなった。三年連用日記を続けていると、
昨年の今日は何をしていたのか分かる。未来は未知
の世界、おまけに過去も茫茫としており心許ない。
蜷の道のように細くても、日記で自分の生きてきた
跡を確認できると何となく安心するのである。
毎年、日記に書き添えていることがある。庭の草
木の記録である。今年は立春過ぎから冴返る日が続
いたけれど、土佐水木や山茱萸や馬酔木が開花した
日は昨年とほぼ同じ。白木蓮が満開になった日も、
昨年より二日遅れただけだった。
些細な心象風景に拘っていないで、季節の移ろい
や自然の変化に呼応して心のバランスを取り戻せる
のが有り難い。これも俳句を続けてこられた大きな
拠り所だと思っている。
山茱萸の堅い小さな蕾がふくらんでゆく日々は、
正に春の歩みと重なる。黄色のクロッカスが咲き、
続いて白や紫のクロッカスが咲く頃には、山茱萸も
土佐水木も満開になる。早春の黄色い花に「生きて
いる喜び」を毎年与えてもらっている。
― 113 ―
和田かおりの俳句紀行
背筋伸ばして
雲雀鳴く空を眺めて一休み
諸子釣揺れゐる竿の岸辺かな
山吹やお辞儀し合うて初対面
山吹に紛れゆきたる山の人
山茱萸の花の明るくなりし窓
西 日 さ す 古 家 の 隅 雪 柳
東風の中背筋伸ばして出勤す
山茱萸
所用で電車に乗っていた時のこと。停車した駅の
近くの木に見慣れない花が咲いていた。
木を彩る黄色の花々。なんていう花なんだろうと
思って眺めていたのだけれど思い当たらない。
『少年』の兼題を調べて、山茱萸の花だと知った。
ものの本によれば「元々は薬用植物として江戸自体
中期に朝鮮から果実が持ち込まれたが、現在では春
を告げる花木のひとつとして切り花や庭木、公園樹
として親しまれている。主な開花期は三月から四月
上旬で、葉が芽吹く前に五mmほどの黄色い小花を
枝いっぱいに咲かせ、満開の花が黄金色に輝くよう
に咲く」。見慣れないのではなくて、咲いていたの
に毎年気がついていなかったんだろう。
身の回りに目をやり、調べると新しい発見が随分
ある。車より電車、そして一番は歩くことだろうと
思ってはいるのだけれど。山茱萸の花はとても風情
のある花だ。もっと早く気がつけばよかったと思う。
春というと桜が華やかだが、他にもたくさん味の
ある花が咲く。たくさんの花と木々、春の訪れはい
いものだなとやはり思う。
― 114 ―
阿部王一の俳句紀行
揚雲雀
待 春 の 東 京 駅 の 赤 煉 瓦
春暁のブルートレイン東へ
西 口 は 青 山 通 り 春 の 旅
揚雲雀青空のソロコンサート
揚雲雀重力を置き去りにして
連翹の透き間であいさつを交はす
山吹に微塵の汚れなかりけり
異動
今春の異動で別府に戻ることになった。
中津での四年の勤務…。たくさんの出会いがあり、
その分の思い出ができた。そして、仕事上、本当に
多くの事を学ぶことができた。それが子どもたちの
幸せにつながってくれることを願うばかりである。
この間、中央政界では政権交代があり、一強多弱
となり、東アジアでの緊張の高まりの中で、この国
の形を一気に変えてしまおうとする政治状況となっ
た。また、東日本大震災と福島原発事故があり、身
近なところでは、中津・日田・竹田豪雨があり、大
雪による交通遮断があり…、自然の猛威を身にしみ
て感じた四年間でもあった。
今の私のテーマソングはAKBの「前しか向かね
え」である。
人生にとって大事なことは未来にある♪
新しい世界にビビッてるけどもう後には引け
ねえ♪
歩いた道振向いたって風が吹いているだけ♪…。
どこかで聞いたフレーズではあるがそれだけ、不
易なのだろう。これまでそうしてきたように、これ
からも覚悟を決めて前に進んで行こうと思う。
― 115 ―
荒木輝二の俳句紀行
雲雀の巣
池の縁甲羅 干す 亀春 の昼
池の 傍連 翹 の 花競ひ 咲き
雲雀の巣探し求めし幼き日
C Dの 音 広が り ぬ山吹に
いつのまに高級魚の諸子かな
公園に微かに揺るる連翹かな
西見れば富士の山影春の夕
都立水元公園
定年後始めた俳句は、JR常磐線金町駅近くで女
性が多い小さな句会で手ほどきを受けた、先生から
は有季定型の厳守とのアドバイスがあった。加えて、
歳時記や花についての本を購入しなさいとのアドバ
イスもあった。月二回の句会であったが、句会の皆
さまと兼題を決め、二週間後句会をするというサイ
クルである。
兼題が決まるといつも近くの水元公園に行き、い
ろんなものを静かに眺めていた。ポプラ並木、桜、
菖蒲,連翹等々、小合溜にはカイツブリや鴨等が見
られ、岸には釣り人がいた。私が撮ったカラー写真
には桜、連翹、柳、青い空があり、それらの中から
気にいったものを句づくりの参考とした。
俳句をつくりだして良かったことは、①花や鳥の
名前と姿を覚えたこと、②国語辞し典をよく見たこ
と、③句づくりに困ると部屋の窓から小さく見える
富士山を見たり、カメラで撮ったりしたこと、④近
くの公園をよく散歩したこと等々である。
これらのことが体調を崩し出来なくなった時、三
郷市の広報紙で稲田先生のことが目にとまり事情を
お話をして入門させて頂いた。従って、eメールの
交換で現在に至っている。
― 116 ―
巻頭作家招待席
髙松くみ
鰤起し度肝 ぬかれて しまひけり
髙松くみ
「鰤起し」は鰤の獲れる頃、十二月、一月
頃に鳴る雷のこと。北陸地方では豊漁の前兆
という、そう歳時記に記されている。難しい
季語。俳句を嗜んでいなければ分かりにくい
独特の言葉でもある。「冬の雷」ではない。
今回この季語を使って、北陸での一句を授
かったことは素直に嬉しい。
一日中、雨や霙の降っていたバスの旅も終
り、ホテルの前で下車した瞬間、ドドドーン
という地響きのような凄い音、水溜りに足を
とられているところへ、青い光がピカー!
怖いと身を縮めてホテルの玄関に駆け込んだ。
そこへ又ゴロゴロゴーンとガラス越しに稲光。
その夜は一晩中、雷が暴れていた。あの地
に立ち、空の色、海の色、風の音を全身で感
じることができたゆえに、この季語が使い切
れたのだと思う。
[誌友へのメッセージ]
よき出会いは、人生を明る
く、楽しいものにしてくれ
る。この頃、句に向き合う
自分が自然体であることが
嬉しい。『少年』を通して、
良き師、良き友人に恵まれ
たことに感謝。今回の選に
ついては、先生から「自信をもって頑張りな
さい」という励ましと受け止め、精進したい
思います。
[自選の三句]
夫 の 忌 や 白 水 仙 に 雨 上 る
葉牡丹を競り落したり大晦日
黒猫の木立に消ゆる余寒かな
[趣味等]
詩吟、アクアビクス、園芸。動物好き。
[現住所]
〒二〇五 ○〇一一
東京都羽村市五ノ神二 六 三十二
― 117 ―
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秀句ギャラリー鑑賞
〈 パ ー ト Ⅳ ・ 十 二 号 分〉
和田 か お り
長 田民 子
冬 の 蠅 も ぢ もぢ して る 部 屋の 隅
部 屋 の 隅 に 小 さ く 動 く 冬 の 蠅 、 も しか した ら 、
も う 終 わ り が 近 づ い た 、 命 絶 え 絶 え の 動き か も し
れ な い と も 思 え ま す 。 作 者 が 「 も ぢ も ぢ して る 」
と い う 表 現 で 、 小 さ い な が ら こ こ ま で 生き て き た
蠅 を 愛 し く 可 愛 ら し く 思 う 気 持ち が 分 か り ま す 。
よく 童謡 などで 使われ て い る「 して る」「 …見
て る 」の語 法 が俳句で は ど う なのか と 日頃か ら 思
って い ま し た が 、 こ の 蠅 の 仕 草 を 見 て い る 作 者 は
敢て 、歯 切 れ の い い 「 も ぢ も ぢ して る 」 の 表 現 を
使 い 、 成 功 して い る と 思 い ま した 。
冬の蠅永らえてまだ卒寿なり
神 永洋 子
髙 司良 惠
小 野啓 々
何 と 言 って も 「 ま だ 卒 寿 な り 」 に 、 は っ と し 、
背 筋 が 伸 び る 思 い で し た 。 冬 ま で 生き て き た 蠅 と
ご 自 分 の 人 生 を 重 ね ら れ て の 意 気 込 みで しょ う 。
私 の 県 で は 、平 均 寿 命 は 全 国 的 に も 高 い の に 、
健 康 寿 命 は ぐ ん と 下 が って い る ら し く 、 そ の 対 策
を 考 え て い る そ うで す 。 運 動 や 外 で の 活 動 、 人 と
の ふ れ 合 い の 大 切 さ も わ か り ま す が 、 こ の 句を 読
んで 、 何 より も 前 向き な気 持ち や 心 構 え だ な と 思
い ま し た 、 ま だ ま だ 何 で も 出 来 そ う な 気 持ち に さ
せられ ます。
硝 子 戸 に身 じろ ぎ も せ ぬ 冬 の 蠅
飛 ぶこ と を 忘 れ 玻 璃 戸 の 冬 の 蠅
暖 か い 陽 射 し の 窓 に じ っ と 動 か な いで い る 冬 の
蠅 。 う る さ く 飛 び 回 る 夏 の 蠅 は 、 秋 に は 動き が 鈍
く な り 、冬 は凍 蠅 と も 言 う よ う に 動 か ず 生死 の 間
の よ う に な る の が 習 性 の よ うで す 。
お二 人の 句 は 同 じ よ う な情 景 を 見 て い るので す
― 118 ―
(
)
宮 崎敬 介
が 、 言 葉 は 、 それ ぞ れ が 自 分 の 持ち 味 の あ る も の
で 表 現して い ます。 日 本語の 豊 かさを 感 じます。
も し か し た ら 死 ん で い る の で は と い う 思 いで 見 て
い る 目 、 少 し 面 白 味 の あ る 本 当 は深 刻 ? 飛 ぶ こ
と を 忘 れ て い る の で は と い う 思 いで 見 て い る 目 、
そ れ ぞ れ に 味 わ い の あ る 句で す 。
極楽の五感あづけて寝酒かな
就 寝 前 に 飲 む 寝 酒 は 、体 が 温 ま る 、 よ く眠れ る
た め の よ うで す が 、 そ の 他 に 、 一 日 の 疲 れ が 取 れ
る 、 嫌 な こ と が あ って も 「 ま あ 、 い い か 」 と 思 え
る 、 そ ん な 効 用 も あ り そ うで す 。
こ の 方 の 寝 酒か ら は 、 本 当 に 身 も 心 も 解き 放 た
れ 、 満 ち 足 り た 美 味 し さ が 伝 わ って き ま す 。 「 極
楽 」 は 五 感 に も 寝 酒 に も 掛 か っ て い る よ う で 、こ
れ 以 上 の 幸 せ な 寝 酒 は な いで し ょ う 。
寝 酒 を 美 味 し く 感 じ る の は 、 き っ と 充 実 した 一
日 、 何 か い いこ と が あ っ た 嬉 し い 一 日 だ っ た の で
し ょ う 。 そ れ が また 明 日 へ の 活 力 に な って い く の
で す。
雪女声震はせて童話読む
藤 井 隼子
城戸杉 生
降 り 続 く 深 い 雪 に 閉 ざ され る 雪 国で は 、 小 さ い
頃 か ら 雪 女 の 話 な ど 沢 山 聞 い て い る と 思 わ れ ま す。
雪 女 に つ いて の 言 い 伝 え も 知 り 、 雪 国 だ か ら こ そ
分か る 、 雪 女 の イ メ ー ジ が 作 ら れて い る の か も し
れ ま せ ん。
雪 の 少 な い 、 殆 ど 降 ら な い 土 地で は な か な か 想
像で き な い 雪 女 を 、 読 み 聞 か せ に よ って 伝 え よ う
と して い るの で しょ う 。 作 者 自 身 か ど う か は 分 か
りま せ んが、声を震わ せた り、強弱や 明暗を つけ
た り し て 読 む こ とで 、 雪 の 情 景 、 雪 女 の 不 思 議 さ
や 不 気 味 さ が 想 像で き る こ と を 願 っ て い る の で す 。
聞 き 入 って い る 子 ど も の 姿 が 見 え る よ う で す 。
今 、 読 み 聞 か せ の グ ル ー プ が あ ち こ ち にで き 、
学 校 を 回 って い る と 聞 き ま す 。 子 ど も た ち に と っ
て も 楽 し いひ と と き で し ょ う 。
この年になれば会ひたし雪女
こ の 年 に な れ ば 、会 い た い 人 や 見 た い も の は い
ろ いろ あ る で し ょ う 。 確 か に 、 雪 女 も そ の 一 つ か
― 119 ―
後藤
章
も しれ ま せ ん 。
昔 話 に 聞 い た り 、 本 を 読 ん だ り して 知 っ た 雪 女
は 妖 怪 じ み た も ので 、 自 分 な り に 怖 い 雪 女 を 想 像
して い ま す 。 し か し 、 大 人 に な る と 、 雪 女 と い う
言葉の響きか らも 、怖 いより 妖艶な美 しさのイメ
ージ が 強 く な る の で は と 思 い ま す。 色 白 の 整 っ た
顔 、 抜 け る よ う な 白 い 肌 、 白 い ベ ー ル を 靡か せ ふ
わ り ふ わ り と 近づ く 姿 と な る と 、会 って みた く な
る 作 者 の 気 持 ち が 分か り ま す 。
で も 、 も っ と会 いた い の は 、 も しか し た ら 雪 と
い う 人 だ っ た り して … 。
雪 原 に 夜 の 濃 淡 雪 女
「 夜 の 濃 淡 」 に 心惹 かれ ま し た 。 な か なか 使 え
な い 言 葉で す 。 確 か に 、 暗 い だ け の 雪 原 や 薄 明 か
り だ け の 雪 原で は 雪女 の 怪 し げ さ 、 艶 め か し さ 、
霊 妙 さ は 出て こ な いの で は と 思 いま す。
濃 淡 は 時 間 、 場 所 、 天 候 、 灯 火 な ど に よ って で
き る の で し ょ う 。 そ れ に よ って 見 え た り 見 え な か
った り 、 浮 か ん だ り 消 え た り 、 光 っ た り 影 に な っ
た り の 雪 女 の 出 現 が 想 像 され る ので す 。
倉田洋子
雪 国 の 自 然 の 変 化 や 寒 さ 冷 た さ を 体 感 した 方 で
ない と詠 めな い句だ と 思いま した。
龍の玉山に生まれて海を恋ふ
水 野 す みこ
光 沢の あ る 美 しい 瑠 璃 色の 龍 の 玉は 、 海 の 中 の
宝石の ように思え ます。
「 陸は も と 海 なり 青 き 竜の 玉 」( 中 村 苑子 ) の
句 と も 通じ る な あ と 思 い ま した が 、 作 者 は その 上
で 「 海 を 恋ふ 」 を 最 も 言 い た か った の だ と 思 い ま
す。 龍 の 髭の 狭 く 奥深 いとこ ろ にい る龍 の 玉が 、
広 々 と し た 海 を 恋 し が って い る の で は と 想 像 し た
作者 の 優 しさ 、 思 いや り の深 さ が伝 わ って き ま す 。
季 語 を 季 語 と し て 詠 む だ けで な く 、 自 分 に 引 き
寄 せ 、 同 じ 場 に 立 って 受 け 入 れ る こ と で 、 自 分 ら
し い 句 に な る の だ と 学 び ま した 。
跪く句碑にこぼれて龍の玉
「 跪 く 」 か ら 、 尊 敬 し 、 親 交 の深 か っ た 俳 句 の
師か先 輩の 方の 句碑で しょ うか 。今 は 亡き 方 の よ
うに思 え ま す。
― 120 ―
飯 野亜 矢子
生 前 、 龍 の 玉を 好 ま れ た の か 、 句 碑 の 周 り に は
龍 の 髭 が 植 え ら れ 、 今 丁 度 、 龍 の 玉 と な って こ ぼ
れ る よう に姿 を 見 せて いるので はと想 像 します 。
句 碑 を 見 る 度 に 、 句 を 読む 度 に 様 々 な 思 い 出 に
浸 り 、 そ の 方 と 語 り 合 う よ う なひ と と き な ので し
ょ う 。 「 こ ぼ れ る 」 は 、 そ ん な 中で の 作 者 の 涙 と
も と れ ま す。
忘 れ ら れ な い日 々 の こ とを 思 い なが ら も 、 次 へ
の 前 向 き な 歩 み を 誓 っ た こ とで し ょ う し 、 龍 の 玉
が 見 守 って い る こ と も 確 認 で き 、 少 し は 安 堵 さ れ
た の で は な い で しょ う か 。
炉明りに先祖の遺影並びをり
旧 家 に は 大 抵 、先 祖 の 遺 影 が 飾られ て い ま す 。
代 々 家 を 引 き 継 ぎ 、 家 を 守 って き た 証 で す 。
私 が 嫁 いで 来 た と き も 、 何 枚 か 遺 影 が あ り ま し
た が 、 全 く 知 ら な い 人 達 な ので 、 ぴ ん と き ま せ ん
で し た 。 そ れ に 義 父 が 加 わ り 義 母 が 加 わ って 、 初
めて 「 家 を 引 き 継 ぐ 」 「 家 を 守 る 」 と い うこ と を
意識す るよ うに なり ま した。
炉 明 り に見 え て い る 遺 影 、 そ の 炉 も 代 々 そ の 方
宮 森和 子
々 が 大 事 に 使 って き た 物 か も 知 れ ま せ ん 。
若 い 人 が 家 を 出て 行 き 、 廃 屋 が 増 え て い る と 、
テレ ビで も取 り上 げて いま した 。もの 言わ ぬ遺 影
は ど う 見 て い るで し ょ う か 。
炉話に加はり知らぬ者同士
平田節 子
山 小 屋 、 民 芸 館 、 道 の 駅 な どで よく 見 か け る 光
景で す 。 全然 知 ら な い 人で も 炉 を 囲む と 自 然 に 仲
間 に な り 、 以 前 か ら 知 って い る か の よ う に 話 が 弾
む も の で す 。 中 に は 、 方 言 丸 出 しで 、冗 談 ば か り
言 って は場 を 盛 り 上 げ る 人 が い た り しま す。
違 う 土地の 珍 し い話 に、 驚 い た り笑 っ た りの 賑
や か な 声 が 聞こ え そ うで す。
炉 火 の 温か さ が 皆 さ ん の 心を 開 き 、 遠 慮 な く 話
せ る雰 囲気 が 醸 し 出さ れ るので しょ う。
人はみな遠き日の恋炉火盛ん
炉 火 に 遠き 日 の 恋を 重 ね た こ と 、 成 る 程 と 思 い
ま し た 。 遠 い 日 の 恋 に も い ろ い ろ あ り そ うで す 。
燻 っ た だ け の 恋 、 燃 え 上 が って も す ぐ に 消 え た 恋 、
― 121 ―
(
)
松 村勝 美
離れ た 所 から 手を 翳 し 、ほ んわ か感を 楽 し ん だ 恋、
消 え た と 思 っ た の に 火 種 が 残 っ て い た 恋 、 近づ き
過 ぎ て 火 傷 し そ う に な っ た 恋 な どで す 。
「 炉 火 盛 ん 」 と 言 い 切 った 作 者 は 、 最 も 幸 せ な
恋 を し た 方 作 者 だ と 推 察で き ま す 。 そ れ は 人 生
の 中で の 宝 物 の よ う な 日 々 だ っ たこ と で しょ う し 、
そ の 後 の 歩 み の 支 え に も な って い る と 思 い ま す 。
心 の ど こ か に忘 れ るこ と の な い 大 事 な 温か い も
の を 持 ち 続け て い る が 故 に 、 他 の 人 に も 穏や か で
情 の 深 い 接 し 方 を され るの だ と 仰 ぎ見 て い ま す 。
囲炉裏端先のいくさを語る父
子 ど も の 頃 父 親 に 話 して も ら っ た こ と は 、 忘 れ
ず に 残 る も の で す 。 私 も 炬 燵で 同 じ 話 を 、 筋 も 展
開 も 分 か って い る の に 、 繰 り 返 し 聞 い た こ と を 思
い 出し ま す。
作 者 が お 父 様 の 話 を 戦 争で な く 、 い く さ と 仮 名
書 き に され た の は 、 子 ど も 心を 気 遣 い な が ら も 話
して お く べ き だ と 思 っ た お 父 様 の 気 持ち が 分 か っ
て い た か ら で し ょ う か 。 お 父 様 は 、 あ ま り 残 酷で
悲 惨 な 話 に して は な ら な い と 思 わ れ た の か も し れ
青 木稔 寿
ませ ん。
お 父 様が ゆ っくり と 火 箸を 使い なが ら話 すの を
目 を 丸 く し た り 涙 を 浮 か べ た り して 聞 い て い る 、
囲炉 裏 端 の父 子の 姿を 思い浮 か べて い ま す。
体軸をまず整へて寒稽古
心 身 共 に 引 き 締 ま っ た 寒 稽 古 の 様子 が 見 え ま す。
寒 さ を 吹き 飛 ば す 気 合 い の 入 っ た 掛 け 声 も 聞こ え
て き そ う で す 。 頑 張 り 抜 く 力 が 漲 って い ま す 。
現 代 人は 、 仕事 や 生 活習慣 に より 、 体 軸 に歪 み
が あ り 、 そ れ が 病 気 を 引 き 起 こ す 元 に な って い る
と聞き ます。
テ レ ビ 体 操 の お 姉さ ん 、 体 操 や ス ケ ー ト の 選 手 、
モ デ ル さ ん 、 み ん な体 軸 の 整 っ た 美 しさ で す 。 歌
手 の 小 柳ル ミ 子 さ ん が 、 「 ソ フ ア ー の 背 も た れ に
は 決 し て も た れ な い 」 と 言 って い ま し た が 、 よ い
姿 勢 を 保 つ に は それ だ け の 努 力 が 必 要 な ので す 。
室 内で 過ご すこ と が 多 く な って い る現 代の 子 ど
も 達 に 美 と健 康 は体 軸 か ら と 言 い た いで す 。
― 122 ―
「
」
」
「
 川さち 子
音 消 して さ ゆ ら ぎ も な き 独 楽 の 軸
市 川 和子
子 ど も の 頃 、 誰 も 一 度 は 経 験 し た 独 楽 回 しで 見
た 独 楽 の 様子 で す 。 回 る 独楽 を じ っと 見 つ め 、 少
しで も 長 く 続 く よ う 見 守 っ た も ので す 。
「 さ ゆ ら ぎ も なき 」 と 美 し く 表 現 さ れ て い ま す
が 、 私 た ち は そ の 状 態 に な った とき 「 す ん だ 、 す
ん だ 」 と 言 って い ま し た 。 今 考 え る と 澄 む ・ 清
む の 意 味 だ った ので し ょ う 。
こ う な る の も 、 軸 が し っ か り と 真 っ 直 ぐで あ る
こ と が 大 事で す 。 大 き い 子 が 、 金 槌 で 軸 を 調 整 し
て あ げ る 姿 も 思 い 出 し ま し た 。 懐か し い 情 景 に 浸
れ る 句で す。
軸足を定め春待つ心かな
春 に な った ら 暖か く な っ た ら 、 あ れ を しょ う 、
こ れ を 始 め よ う と 思 って い る う ち に 時 は 過 ぎて い
く の が 私 の 常で す が 、こ の 句 の 作者 は 、 し っ か り
と 軸 足 が 定 ま り 、 無 駄 の な い 、 ゆ と り の あ る 心で
春 を 待 って い る の で す 。
最も 大 事 な 目 標が軸 足 に なり 、計 画 、 準 備 、 心
川 西ふ さえ
構 え が 整 う の で しょ う 。
準 備万 端 、 楽 し い 春 に なり そ うで す ね。
氷上の輪舞確かな軸有りて
杉 本美 寿 津
オ リ ン ピ ッ ク の フ ギ ュ アス ケ ー トで は 、 多 く の
人が 感 動し涙 しま した 。曲 想 に 合わ せ た 美 しい 動
き 、 あ れ こ そ 確 実 な 軸 が あ って 出 来 る こ と で し ょ
う。
ジ ャ ン プ か ら の 着 地 、 片 足 立 ち して 体 を 回 転 さ
せ る ス ピ ン な ど 、素 人 目 に も 難 しさ が 分 か り ま す 。
全て 体 軸 、軸 足 に よ っ て 出 来 、 不 出 来 が 決 ま る よ
うで す 。
成 功 す る ま で の 練 習 経 過 が テ レ ビで 放 映 され て
い ま し た が 、 想 像を 絶 す る 努力 で 獲 得 す る技 なの
だ と 痛 感 し ま し た 。 確 か な 軸 と は そ う い うこ と な
ので す。
意思強き子の泣き黒子卒業す
「 意 思 強き 」 と 「 泣 き 黒 子 」 の 対 照的 な面 白 さ
を 込 め た 句 だ と 思 い ま す 。 泣き 黒 子 は 、 目 の 下 や
― 123 ―
梅 島 く にを
目 尻 に あ る 黒 子で 、 涙 も ろ い 人 に あ る と い う ら し
いで す 。 し か し 、 自 分 の 意 思 を も っ た 真 に 強 い 人
と い う の は 、 他 の 人 に も 優 し く 、 相 手 の 気 持ち の
分か る 人 だと も 言 わ れ ま す。
句 に 詠 ま れ た お 子 さ ん も 、 き っ とこ の 両 面 を 備
えた 自 慢の お 子さ んに 違いあ り ません 。 卒業 して
進 学 し て も 社 会 に 出て も 、 誰 か ら も 信 頼 さ れ る こ
とで し ょ う。
福 ほ く ろ な る 顔を 剃 る 小 春 か な
長 年 理 髪 業 を 仕 事 と して 来 ら れ た こ の 方 に し か
詠 め な い 句で し ょ う 。 多 く の お 客 さ ん と の 長 い お
付 き 合 いで 、 髪 の 質 や 色 や 癖 、 髪 型 の 好 み 、 そ し
て 黒 子 の 位 置 ま で も 熟 知 して い る の だ と 思 い ま す 。
髪 だ け で な く 、 性格や 家 庭のこ と 、 仕 事 のこ と 、
日 々 の 喜 び や 悩 み も 知 っ て い る ので し ょ う 。
お 客 さ ん も す っ か り 安 心 して 全 て を お 任 せ し 、
来 る度 に小 春の ような 心 地 よさ を 感 じ る の だ と思
います。
お 客 さ ん に 福 を も た ら す の は 、 黒 子 だ けで な く 、
作者 自 身 の 腕 と 心か も しれ ませ ん。
初髪のうなじの黒子盗み見る
春燈下うなじに黒子ちらと見ゆ
篠崎代士 子
大塚 そ う び
溝口
直
「 う な じ の 黒 子 」 と い うこ と で 、 並 べ さ せ て い
た だ き ま し た 。 日 頃 は 、 見 え な い とこ ろ だ け に 、
秘 密 め いた 色 っ ぽ さ を 感 じ ま す 。 見て は い け な い
も の を 見て い る よ う な お二 人 の 気 遣 い も 読 み 取 れ
ます。
髪 を 結 い上 げた う な じ と 春 燈 下 の う な じ 、見 て
い る も の 、 見 え て い る も の は 黒 子で す が 、 それ だ
けで は な い 、 う な じ の 美 し さ 、 姿 全 体 の 美 し さ 、
そ し て 振 る 舞 い の 美 し さ も 想 像 して し ま い ま す 。
対 象 が 誰 な の か 分か り ま せ ん が 、 女 の 子 の い な
い 私 は 、羨 ま し さ も 加 わ り 、 う ら 若 き 女 性を 思 い
描 き ま した 。
生涯を黒子に徹し冬に逝く
こ ん な 重 い 句 の 鑑 賞 文 を 書 く な ど おこ が ま し い
と 思 い ま し た が 、黒 子 を 「 く ろ こ 」 と し て 詠 ま れ
た 句 が い く つ か あ り ま し た ので 、 書 か せ て い た だ
きました。
― 124 ―
小 野京 子
奥 様のこ と を 詠ま れ た ので しょ う。 様々 な 所 で
様 々 な 人 々 の 支 え に な って 活 動 さ れ た 方 だ と お 聞
き し て い ま す 。 ま さ に 「 生 涯 を 黒 子 に 徹 して 」 の
人生だったので す ね。
「 冬 に 逝 く 」 に 、 辛 い 思 い を して い る 人 々 と 共
に あ り 、 陰 で 手 を 差 し 伸 べ 助 け た 方で あ っ た こ と
を 強 く 印 象づ け ら れ ま す。 き っ と 今 も 多 く の 人 の
心 に 、 生き 続 けて い る こ と で し ょ う 。
今生といふ文字重し冬銀河
今 生 と いう 言 葉で は なく 、 文 字に意 識 を 寄 せ た
と こ ろ が 、 作 者 の 長 年 培 って 来 ら れ た 言 語 感 覚 の
鋭 さで し ょ う 。
「 今 を 生き る こ と 」 は 、 過 去 に 築 い て き た も の 、
蓄 積 し て き た 力 、 守 っ て 来 た も の 、 背 負 って き た
こ と 、 出 会 っ た 人 々 に よ って 今 が あ る こ と を 知 る
こ と で あ り 、 「 今 を 生 き るこ と 」 は 、 現 在 を 見 つ
め 直 し 、未 来へ の 目 標 、 夢 、 生き が いへ と 繋 が る
こ とで も あ る の で し ょ う か 。
揺 る ぎ な い 一 本 の 筋 を も って い る 前 向 き な 作 者
の 未 来 は 、 冴 え た 光 を 放 つ冬 銀 河 と な るこ とで し
ょう。
鰤 起 し 度 肝 抜 か れ て し まひ け り
高 松く み
武田東 洋子
「 度 肝 を 抜 く 」 は 、 最 近 あ ま り 聞 か な い 、見 掛
け な い 言 葉の よ うで す 。 ま して 俳 句の 中で は 初 め
て 出 合 った の で 驚 き ま した 。 肝 は 肝 臓 だ と 思 って
い ま し た が 、 広 辞 苑 で 内 臓 の 総 称 で も あ るこ と を
知 り ま した 。 体 全体で と い う驚 き の 大 き さ が 分 か
りま す。
鰤 と 肝 が 通 じ合 うの か 「 度 肝 抜 かれ て 」 が し っ
か り と 納 ま っ た い い 句 だ な と 思 い ま した 。
ど こ で ど の 言 葉 を 適 切 に 使 う か は 、 俳 句で は 特
に 重 要 で す が 、 新 し い 言 葉 に 挑 戦 す るこ と も 、 句
に 新 鮮 さ が 加 わ る ので 心 した い と 思 い ま した 。
古稀の春初体験を楽しまん
か の 日 野 原 重 明医 師 が 「 七 十 歳 に な っ た ら 新 し
いこ と を 始 め よ う 」 と 提 唱 し 、 ご 自 分で も 実 行 さ
れて い ま す 。 高 齢 に な って 記録 を 作 った り 、 新 し
い 人 生 を 切 り 開 いた り す る 人 も い ま す 。
― 125 ―
作 者 の 初 体 験が 何 な の か 興 味 が あり ま す が 、 大
切 なこ と は 「 楽 し ま ん 」で し ょ う。
新 し いこ と が 身 に つ く に は 、 若 い 人 の 何 倍 も 時 間
が か か り ま す 。 そ れ で も 好き で 楽 し い こ と は 、 長
続き し ま す 。 そ ん な も の に 出 合 え る と 、 益 々 元 気
にな るで しょ う。
― 126 ―
花曼陀羅(一)
花菖蒲
平田節子
もう半世紀以上も前のお話です。短大を卒
業するとすぐに平田家にお嫁入りしました。
二十一才になったばかりでした。同居の父も
母も花好きで、広い庭にはバラ園があり、そ
の周りには肥後菖蒲がたくさん植えられてい
ました。
五月中旬のことで、葉っぱが勢いよく伸び
ていました。平田家は熊本出身なので、全部
が肥後菖蒲でした。草を抜いたり、肥料をや
ったりするのが私の役目でした。六月になる
と、蕾が上がってきて、やがて開花の時が来
ます。花弁が大きく色も白、紫、藍、紅、褐、
しぼりなどあって、雄蕊が大きく富士山形と
言われています。池や堀割に植え、上から見
て美しい江戸花菖蒲と違い、鉢植えにして座
敷で鑑賞するため、横から見て美しいように
改良されたものが肥後花菖蒲だそうです。
節子
細川家六代重賢の時、武士のたしなみとし
て始められた肥後六花の一つで、菖蒲の他に
朝顔、椿、山茶花、芍薬、菊があり、門外不
出として伝えられています。
私には気に入った花菖蒲の句がありません。
二十八才の頃、草本美沙さんに誘われ、星野
立子先生の『玉藻』に入会していたことがあ
ります。句会のお誘いがあり、初めて参加し
た吟行地が別府の海地獄でした。今考えると
非常識な話ですが、二才になったばかりの二
男坊を抱っこして連れて行ったのです。むず
がる二男をどうすることもできず、不在投句
をして帰ってしまいました。
その日、海地獄には一面に花菖蒲が咲いて
いて、〈咲くもよし蕾またよし花菖蒲〉とい
う私の句が互選に何点か入ったそうです。
その後、菖蒲を何度も見せてもらってもこ
れといった句を授かりません。それでも菖蒲
の花には幸せだった昔の日々が記されていて
懐かしい思いがします。
肥後菖蒲歳月が一気に戻る
― 127 ―
沙羅の花
節子
同
同
同
同
花好きの私は、どの花も好きで愛しい思い
がするのですが、その中でも、沙羅の花は特
別です。花菖蒲とはうって変わって好きな句
もたくさん残されていますし、平成七年に出
版した句集名も「沙羅」とつけました。
お釈迦さまの入滅の時の沙羅双樹とは種類
が違うようですが、何か関連があるようで、
放っておけない気持ちです。たった一日しか
咲かないという哀しさと、落ちてその白さを
そのまま讃えているところも好きです。
雨の日もひと日大事に沙羅の花
沙羅の花迷はずに行くほとけ道
光陰といふ遠きもの沙羅の花
い ち め ん に 鎮 魂 の 白 夏 椿
沙羅の花真白に得度受戒の日
沙羅の花は「夏椿」ともいい、六月から七
月の初めにかけて咲きます。庭木を以前の家
からたくさん運んだのですが、唯一、注文し
て植えてもらったのが、沙羅の花です。得度
受戒の時に咲いていた花として特別な思いも
あります。
三年間の通信教育と月三回のスクーリング
をした後、テストを受けて合格させて頂いた
のです。
理趣経という有難いお経があります。空海
が唐の青竜寺の恵果阿闍梨より伝授して日本
に持ち帰ったものです。それらを最澄が教え
て欲しいと高野山に出向いて来られるのです
が、他のことはすべて教えるのに、この理趣
経だけは教えられないと断る場面が「空海」
という映画の中に出てきます。最澄でさえ教
えてもらえなかったそのお経を得度受戒のあ
と伝授していただけたのです。精進潔斎や水
行など身を浄めて伝受頂いたことを鮮明に思
い出します。
あれからもう十五年が経過しました。理趣
経の伝受はとても凄いことだと今でも誇りに
思っています。
― 128 ―
花菖蒲
沙羅の花
平田節子様・小野京子様
― 129 ―
俳壇抄三十九号を読む
~ 俳 句 結 社 の 地 理 的 構 造 の 一 考 察~
稲田眸子
◆はじめに
前々号と前号では、平成二十三年三月十一
日に発生した東日本大震災に対して、「俳人
は大震災とどう向き合ったのか」と題するテ
ーマを取り上げ、考察を試みた。今後もこの
テーマは重要であると認識しているが、前号
で一区切りつれることにした。
本号は、趣きを変え、俳句結社(以下結社
と略称)の「所在地」と「掲載作品の作者の
所在地」に注目し、地理的構造の分析を試み
ることにする。その結果、結社の地域性に関
する新たな知見が得れたものと思う。
◆本号の分析の切り口
本号には448結社の情報が掲載されてい
る。その情報はアンケート方式によって収集
され、「誌名」「責任者名」「創刊年月日」
「発行所」「師系」「主張」「作品12句」
「近況」の8項目である。
「作品12句」に掲載されているのは、主
宰や編集長等結社の責任者が選出した作品。
当該結社を代表する俳句であり、その作者は
その結社の主要な会員であろう。作者名と所
在地が記されている。本分析では、作品その
ものではなく、会員の所在地に注目すること
にした。
発行所の所在地と結社の主要会員の所在地
の特徴、並びに、その関連性を分析すること
により、俳句結社の地理的構造の一端を垣間
見ることができ、俳句結社の地域性について
新たな知見が得れるのではないかと考えたの
である。
― 130 ―
◆結社の拠点である発行所の所在地
前々号には445結社、前号には442結
社、そして本号には448結社が掲載されて
いる。それら結社の拠点である発行所は、左
記に示す都道府県に置かれている。
○発行所の置かれている45都道府県
北海道、青森、岩手、宮城、秋田、山形、福
島、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、
神奈川、新潟、富山、石川、福井、山梨、長
野、岐阜、静岡、愛知、三重、滋賀、京都、
大阪、兵庫、奈良、和歌山、島根、岡山、広
島、山口、徳島、香川、愛媛、高知、福岡、
長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島、沖縄
○発行所の置かれていない2県
鳥取、佐賀
448結社の発行所の所在地の分布を図1
に、発行所の所在地が多く分布している都道
府県を表1に示す。
最も多いのは、東京の75結社。続いて、
神奈川の46結社、埼玉の28結社、大阪の
28結社である。東京への一極集中が伺える
とともに、大都市圏及びその衛星都市圏に多
く発行所が置かれている。発行所の所在地の
多い都道府県に関する前年度の比較を表2に
示す。
特徴的なのは東京が3結社増えたのに対し
て、大阪が4結社減ったことである。東京一
極集中との言葉が現れて久しいが、今なおそ
の傾向は続いているのであろうか。
また、北海道に発行所を置く結社が2結社
増えたことも特徴であろう。
◆代表的会員の所在地の特徴
前述したように、「作品12句」に掲載さ
れている作品は、当該結社の中から選出され
た代表的会員(以下、会員と略称)のそれで
あろう。その数は5186人である。当該会
員の住んでいる都道府県の分布状況を図2に
示す。
発行所の置かれていない鳥取、佐賀にも俳人
が住み、他の都道府県に置かれている結社の
会員として活躍しているようである。アメリ
カ等外国に住み、日本の結社の会員として活
躍していることも伺える。
― 131 ―
結社数
0
10
20
青森
5
岩手
3
2
1
4
5
秋田
山形
福島
40
50
8
28
埼玉
21
千葉
75
東京
46
神奈川
1
6
富山
3
石川
山梨
1
1
10
9
結社の所在地
長野
岐阜
14
静岡
27
愛知
三重
滋賀
7
2
11
京都
28
大阪
17
兵庫
11
奈良
和歌山
島根
岡山
3
2
1
8
広島
山口
2
4
徳島
香川
2
5
愛媛
高知
福岡
長崎
3
10
2
6
熊本
4
大分
6
5
宮崎
鹿児島
沖縄
80
6
群馬
福井
70
12
茨城
栃木
新潟
60
19
北海道
宮城
30
2
図1 発行所所在地の結社分布
― 132 ―
表1
発行所の所在地の多い都道府県
発行所の所在地
東京
神奈川
埼玉
大阪
愛知
千葉
北海道
兵庫
静岡
茨城
表2
結社数
多い順
75
46
28
28
27
21
19
17
14
12
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
前号と本号の比較
発行所の 結社数(38号) 結社数(39号)
②-①
所在地
①
②
東京
72
75
3
神奈川
47
46
-1
埼玉
29
28
-1
大阪
32
28
-4
愛知
27
27
0
千葉
20
21
1
北海道
17
19
2
兵庫
16
17
1
静岡
13
14
1
茨城
10
12
2
― 133 ―
表3 会員数を発行所数で割った数値の大きい都道府県
所在地
掲載された
数値の大き
発行所数② ①/②
会員数①
かった順
新潟
38
1
38
1
秋田
32
1
32
2
福井
23
1
23
3
岡山
22
1
22
4
宮城
43
2
22
5
山梨
20
1
20
6
和歌山
55
3
18
7
北海道
345
19
18
8
滋賀
36
2
18
9
山口
36
2
18
10
岩手
51
3
17
11
愛媛
80
5
16
12
香川
29
2
15
13
長崎
29
2
15
14
高知
43
3
14
15
富山
84
6
14
16
青森
69
5
14
17
静岡
190
14
14
18
三重
93
7
13
19
栃木
79
6
13
20
― 134 ―
代表的会員数(人)
0
結社の所在地
東京
神奈川
北海道
埼玉
大阪
愛知
千葉
兵庫
静岡
福岡
岐阜
京都
茨城
長野
奈良
三重
富山
群馬
愛媛
栃木
広島
熊本
青森
福島
和歌山
鹿児島
宮崎
岩手
山形
徳島
宮城
高知
石川
新潟
滋賀
山口
秋田
香川
長崎
大分
沖縄
福井
岡山
山梨
島根
佐賀
鳥取
アメリカ
ハワイ
カリフォルニア
100
200
114
110
109
105
102
96
93
84
82
80
79
78
71
69
65
55
55
54
51
49
49
43
43
39
38
36
36
32
29
29
29
24
23
22
20
15
13
6
3
2
1
図2
300
232
208
190
400
345
332
294
279
500
600
472
代表的会員の住んでいる都道府県の分布状況
― 135 ―
700
683
800
最も多いのは東京の683人、続いて神奈川
の472人、北海道の345人、埼玉の33
2人、大阪の294人である。
発行所数が多ければ会員数が多いのは容易
に予想できることであり、発行所数の多い東
京や神奈川の会員数が多いのは当然と言えば
当然である。発行所数と会員数の関連を原単
位的に見てみよう。会員数を発行所数で割っ
た数値の大きい順に20の都道府県のリスト
アップし、表3に示す。
最も数値の大きかったのは、新潟の38で
ある。内容をみると、新潟には「朱鷺」とい
う結社の発行所が置かれており、掲載されて
いる会員の構成は、新潟9人、東京に2人、
北海道に1人となっている。27人は他の都
道府県の結社に投句している会員である。二
番目の秋田には「俳星」という結社の発行所
が置かれており、掲載されている会員の構成
は、秋田10人、埼玉に1人、東京に1人と
なっている。20人は他の都道府県の結社に
投句している会員である。福井以下について
も同様の傾向であり、それらはいずれも地方
都市である。
他の都道府県とは東京であり、神奈川、埼
玉、大阪等であろう。
◆地域結束型結社、全国展開型結社のリスト
アップ
俳句は風土の文芸でもある。そこに住む俳
人・結社の存在が日本の文化を豊かにしてい
る。故郷にとどまる俳人も、遠く移り住む俳
人も、その時々に身を置いている風土を詠う
ことが大切である。
本来、結社のあるべき姿は、地域に根付い
たものであるべきである。地域に根付くとは
地域に拠点を置き、地域の風土をしっかりと
諷詠することである。そのためには、どのよ
うなスタイルの結社が望ましいのであろうか。
そのことについて考えを巡らすことは重要な
ことである。
そのような視点から、結社の拠点である発
行所の所在地とその結社に所属する会員の所
在地との関連性を分析することにした。その
際の方法としては、発行所の所在地、会員の
― 136 ―
所在地、いわゆる「所在地」に注目したスタ
イルによる分類を試みることにした。
分類したスタイルは「地域結束型」「全国展
開型」の2つである。
「地域結束型」とは、発行所と同じ都道府
県に多くの会員が住んでいる結社を指す。
「全国展開型」とは、会員の住む都道府県が
7箇所以上にわたっている結社を指す。
それぞれの結社を左記にリストアップする。
◎地域結束型結社
地域結束型結社に分類される結社は171
あり、掲載結社数の38%を占める。この数
値を読者はどうみるであろうか。筆者は想像
していたより多いと感じた。
その内訳を北から南の順で左記に紹介する。
北海道(13結社)…俳句集団、樹氷、八雲、
アカシヤ、秋さくら、
葦牙、えぞにう、壺、
道、艀、スズラン、さ
るるん、氷原帯
…蘆光、薫風、渋柿園
○青森(3結社)
○岩手(3結社) …祭、草笛、桐の花
○宮城(2結社) …荒星、滝
○秋田(1結社) …俳星
○山形(2結社) …阿以、胡桃
○茨城(4結社) …むつみ、亞、鶏鳴、ひ
たち野
○栃木(4結社) …鹿、楷樹、紺、こだち
○群馬(2結社) …坂、やまびこ、麻苧
○埼玉(10結社)…雅楽谷、芽吹き、鏃、
あかね、相思樹、爽樹、
白鳥、浮野、橘、つば
さ
○千葉(6結社) …鴫、原人、雑草、つく
も、鵙、遊子
○東京(12結社)…青枇杷、安良多麻、都
民文芸、毎日多摩俳壇、
般若、往還、鴎座、梅
林、奔流、まいまいず、
汀、歴路
○神奈川(11結社)…東、はまなす、火焔、
夢、千種、季、末黒野、
松の花、和賀江、あか
― 137 ―
ざ、とらいあんぐる
○富山(3結社) …黒部川、清流、高志
○福井(1結社) …鳥羽谷
○長野(4結社) …白炎、信濃俳句通信、
夏木、みすゞ
○岐阜(5結社) …あすなろ、つちくれ、
恵那、天華、飛騨
○静岡(11結社)…海坂、潮音、水鳥、翌
桧、海丘、彩、鬼灯、
みづうみ、羚、小鹿、
生志花
○愛知(14結社)…萌、草の実、東海俳句、
耕・英文Ko、笹、松
籟、ひとつばたご、三
河、海鳴り、景象、と
もしび、牡丹、年魚市
潟、自然
…煌星、三重俳句、星河
…花藻
…きりん、燦、石の聲
…岩戸、駅、いづみ、半
夜、六曜、獅林、宿り
○三重(3結社)
○滋賀(1結社)
○京都(3結社)
○大阪(8結社)
○兵庫(6結社)
○奈良(3結社)
○島根(1結社)
○広島(5結社)
○山口(1結社)
○徳島(3結社)
○香川(1結社)
○愛媛(3結社)
○高知(3結社)
○福岡(3結社)
○長崎(1結社)
○熊本(5結社)
○宮崎(4結社)
木、俳句春秋
…俳星会、しぐなる、花
野、九年母、昴、貝の
会
…幻、いかるが、大和青
門
…出雲
…夕凪、創生、楓、俳句
榑、松風
…草炎、山彦
…青海波、風嶺、ひまわ
り
…草
…れんげ草、春秋、臺
…球、遊、六町
…桃子集、博多朝日、卑
弥呼
…母港
…夜行、火神、阿蘇、水
葱、霏霏
…潮騒、青銅通信、舳、
流域
― 138 ―
○鹿児島(3結社)…ざほん、天日、加世田
俳句
…天荒
○沖縄(1結社)
結社数が最も多かったのは、愛知の14結
社(27結社中の52%)、続いて、北海道
の13結社(27結社中の48%)である。
一方、東京は12結社(75結社中の16
%)、大阪は8結社(28結社中の29%)
である。
地域結束型は、地方都市に拠点を置く結社、
特に、独自の地域文化を発信している地区に
多いことが伺える。
◎全国展開型結社
総計は43結社であり、計448結社中の
9%にあたる。この数値を読者はどうみるで
あろうか。筆者は想像していたより少ないと
感じた。
その内訳を北から南の順で左記に紹介する。
○福島(1結社) …曠野
○茨城(2結社) …麻、飛行雲
○栃木(1結社) …俳句スクエア
○群馬(1結社) …鬣
○埼玉(2結社) …LOTUS、吟遊
○千葉(4結社) …人、万象、獺祭、悠
○東京(9結社 ) …歯車、同人、栃の芽、
草蔵、かまつか、好日、
未来図、扉、雷魚
○神奈川(6結社)…俳句と些事記、はるも
にあ、日矢、波、花冠、
未定
○石川(1結社) …蟻乃塔
○長野(2結社) …岳、故郷
○三重(2結社) …山繭、俳句ランド
○京都(1結社) …青い地球、
○大阪(4結社) …樫、未完現実、船団、
逸
…山茶花、雲雀
…白魚火
…春星、雉
…蕗
…WAの会
○兵庫(2結社)
○島根(1結社)
○広島(2結社)
○大分(1結社)
○沖縄(1結社)
― 139 ―
リストアップされた結社名を見ながら、意
外な感じをもった。それは、全国的に著名な
俳人が主宰する結社の多くがこの中にリスト
アップされていないからである。筆者が交流
させて頂いている著名俳人の主宰する結社の
多くは、地域結束型結社にリストアップされ
ていたのである。彼らは、東京に進出するの
ではなく、地域に根を張り、同志を育ててい
るのである。
◆結社の拠点と所属する会員の所在地との関
連性
東京には多く結社の発行所が置かれ、全国
各地に会員がいると言われているが、その実
態はどうなっているのであろうか。所属会員
はどこに住んでいるのであろうか。一方、北
海道は地域性が強く、道内以外の会員は案外
少ないのではないかと言われているが、実態
はどうなっているのであろうか。
それら実態を知るため、該当都道府県に発
行所を置く結社に投句している会員の所在地
を左記に整理してみた。( )は該当する都
道府県数である。リストアップした内容の見
方がややわかりにくいので、北海道を例にと
って説明する。
北海道を拠点とする結社に投句している会
員は、北海道に住む俳人がほとんどであり、
宮城、秋田、埼玉、千葉、東京、神奈川、新
潟、富山、長野、愛知、三重、福岡に住んで
いる会員もいることがわかる。
45都道府県の結果を左記に示す。
○北海道を拠点にする結社に投句する会員の
所在地
→北海道(19)宮城(1)秋田(1)埼玉
(1)千葉(2)東京(2)神奈川(2)新
潟(1)富山(1)長野(1)愛知(1)三
重(1)福岡(1)
○青森を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→青森(4)岩手(1)秋田(1)
○岩手を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→岩手(3)宮城(1)神奈川(1)
○宮城を拠点にする結社に投句する会員の所
― 140 ―
在地
→岩手(1)宮城(2)栃木(1)大阪
(1) 兵庫(1)
○秋田を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→秋田(1)埼玉(1)東京(1)
○山形を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→北海道(1)岩手(1)山形(4)埼玉
(1)千葉(1)東京(1)新潟(1)静岡
(1)
○福島を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→宮城(2)山形(1)福島(5)茨城
(2) 栃木(1)埼玉(2)東京(1)神
奈川(2)福井(1)静岡(1)京都(1)
大阪(1)広島(1)
○茨城を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→福島(2)茨城(12)埼玉(3)千葉
(4)東京(5)神奈川(4)福井(1)山
梨(1)静岡(1)三重(1)大阪(2)
兵庫(1)福岡(1)
○栃木を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→宮城(1)栃木(6)群馬(1)埼玉
(1) 千葉(1)東京(3)静岡(1)三
重(1) 京都(1)兵庫(2)山口(1)
香川(2) 福岡(1)熊本(1)
○群馬を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→北海道(3)秋田(1)福島(1)群馬
(8)埼玉(3)千葉(2)東京(4)新潟
(1)静岡(1)愛知(1)京都(1)和歌
山(1)山口(1)愛媛(1)高知(1)
○埼玉を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→北海道(2)青森(1)宮城(1)秋田
(1)群馬(4)埼玉(28)千葉(12)
東京(14)神奈川(6)新潟(2)石川
(1)長野(1)静岡(2)愛知(2)三重
(1)滋賀(1)京都(1)大阪(1)兵庫
(2)和歌山(2)愛媛(2)長崎(2)大
分(1)
― 141 ―
○千葉を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→北海道(3)山形(1)福島(1)茨城
(5)栃木(2)埼玉(8)千葉(21)東
京(13)神奈川(4)新潟(4)富山
(2)石川(2)長野(3)静岡(3)愛知
(1)京都(1)大阪(2)兵庫(2)奈良
(1)岡山(1)徳島(1)福岡(1)熊本
(1)
○東京を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→北海道(5)岩手(1)宮城(3)秋田
(4) 山形(2)福島(5)茨城(9)栃
木(8)群馬(2)埼玉(37)千葉(3
2)東京(73)神奈川(52)新潟
(5) 富山(1)石川(5)福井(2)山
梨(3) 長野(5)岐阜(1)静岡(9)
愛知(1) 三重(1)京都(2)大阪(1
0)兵庫(5)奈良(3)岡山(3)広島
(5)山口(3)香川(2)愛媛(1)高知
(3)福岡(6)長崎(1)熊本(1)大分
(3)佐賀(1)宮崎(1)沖縄(1)ハワ
イ(1)カ
リフォルニア(1)
○神奈川を拠点にする結社に投句する会員の
所在地
→北海道(4)岩手(1)宮城(2)秋田
(1)山形(2)福島(1)茨城(4)栃木
(3)群馬(1)埼玉(15)千葉(12)
東京(30)神奈川(45)新潟(2)富
山(1)石川(1)山梨(2)長野(3)
岐阜(2)静岡(6)愛知(3)三重
(2) 滋賀(3)京都(3)大阪(2)兵
庫(4) 奈良(1)鳥取(2)島根(3)
岡山(1) 広島(1)山口(2)香川
(1)愛媛(3) 高知(2)福岡(2)長
崎(1)熊本(3) 大分(1)鹿児島
(1)沖縄(2)アメリ カ(1)
○新潟を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→北海道(1)東京(1)新潟(1)
○富山を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→青森(1)群馬(1)千葉(1)東京
(2) 神奈川(1)新潟(2)富山(6)
石川
― 142 ―
(1)兵庫(1)和歌山(1)
○石川を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→東京(2)新潟(1)富山(1)石川
(3) 福井(1)静岡(1)三重(1)京
都(1) 大阪(2)兵庫(1)奈良(1)
大分(1) 沖縄(1)
○福井を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→福井(1)
○山梨を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→山梨(1)静岡(1)愛知(1)
○長野を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→北海道(1)福島(1)茨城(1)栃木
(1)群馬(2)埼玉(1)千葉(1)東京
(3)神奈川(3)新潟(2)石川(1)山
梨(1)長野(10静岡(1)愛知(1)
大阪(1)兵庫(1)岡山(1)愛媛
(1) 長崎(1)沖縄(1)
○岐阜を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→北海道(1)東京(1)神奈川(1)岐阜
(9)愛知(3)三重(1)兵庫(1)
○静岡を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→宮城(1)山形(1)福島(1)埼玉
(1) 千葉(1)東京(2)神奈川(2)
長野(1)静岡(14)三重(1)兵庫
(1)愛 媛(1)鹿児島(1)
○愛知を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→秋田(1)福島(1)群馬(1)東京
(5) 神奈川(2)長野(2)岐阜(8)
静岡(5)愛知(27)三重(9)滋賀
(1)京 都(1)大阪(1)兵庫(1)広
島(1) 福岡(1)
○三重を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→北海道(1)宮城(1)埼玉(1)千葉
(2)石川(1)岐阜(1)静岡(1)愛知
(3)三重(7)京都(1)大阪(1)兵庫
(1)奈良(2)岡山(1)宮崎(1)沖縄
― 143 ―
(1)
○滋賀を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→福井(1)滋賀(2)
○京都を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→秋田(1)千葉(1)東京(5)長野
(1) 愛知(1)三重(1)滋賀(1)京
都(1 0)大阪(7)兵庫(4)和歌山
(4)高 知(1)宮崎(1)
○大阪を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→北海道(1)群馬(1)埼玉(2)千葉
(3)東京(4)神奈川(4)福井(2)静
岡(2)愛知(3)三重(2)滋賀(5)
京都(3)大阪(28)兵庫(15)奈良
(12)和歌山(6)鳥取(1)岡山(4)
山口(1)徳島(2)愛媛(1)福岡
(1) 長崎(1)鹿児島(1)
○兵庫を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→秋田(1)山形(1)栃木(1)群馬
(1)
東京(2)神奈川(2)富山(3)福井
(1)山梨(1)長野(1)愛知(2)三重
(3)滋賀(2)京都(1)大阪(10)兵
庫(17)奈良(1)和歌山(1)岡山
(2)徳島(2)香川(2)愛媛(1)高知
(1)福岡(2)宮崎(1)鹿児島(1)
○奈良を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→北海道(1)岩手(1)福島(1)栃木
(1)千葉(1)神奈川(1)三重(1)滋
賀(2)京都(5)大阪(6)兵庫(2)
奈良(11)和歌山(2)愛媛(1)福岡
(2)長崎(1)
○和歌山を拠点にする結社に投句する会員の
所在地
→千葉(1)福井(1)静岡(1)愛知
(1) 三重(1)大阪(1)和歌山(3)
香川(1)愛媛(1)長崎(1)
○島根を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→栃木(1)東京(1)静岡(1)鳥取
(1) 島根(2)広島(1)佐賀(1)
― 144 ―
○岡山を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→ 富 山 ( 1 ) 愛 知 ( 1 ) 岡 山 ( 1 ) 福 岡 (1)
○広島を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→千葉(1)東京(3)神奈川(2)富山
(1)長野(1)静岡(1)滋賀(1)京都
(1)大阪(1)兵庫(1)広島(8)山口
(3)徳島(1)福岡(1)大分(1)佐賀
(1)鹿児島(1)
○山口を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→山口(2)愛媛(1)
○徳島を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→ 大 阪 ( 1 ) 鳥 取 ( 1 ) 徳 島 ( 4 ) 愛 媛 (1)
○香川を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→大阪(1)香川(2)
○愛媛を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→北海道(1)愛知(1)京都(1)大阪
(1)和歌山(1)岡山(1)徳島(2)愛
媛(5)
○高知を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→高知(3)
○福岡を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→埼玉(1)千葉(4)東京(3)神奈川
(1)新潟(1)山梨(2)京都(2)大阪
(1)広島(2)山口(2)福岡(10)長
崎(3)熊本(2)大分(3)佐賀(1)
宮崎(2)鹿児島(1)沖縄(1)
○長崎を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→神奈川(1)愛媛(1)福岡(1)長崎
(2)熊本(1)宮崎(1)
○熊本を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→茨城(1)東京(1)富山(1)福岡
(2) 熊本(6)
○大分を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
― 145 ―
→福島(1)埼玉(1)東京(2)新潟
(1) 富山(1)石川(1)和歌山(1)
福岡(2)長崎(1)大分(4)佐賀(1)
○宮崎を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→宮城(1)神奈川(1)熊本(1)宮崎
(5)
○鹿児島を拠点にする結社に投句する会員の
所在地
→千葉(1)東京(1)神奈川(1)愛知
(1)大阪(1)福岡(1)長崎(1)熊本
(1)鹿児島(5)
○沖縄を拠点にする結社に投句する会員の所
在地
→北海道(1)千葉(1)新潟(1)愛知
(1)大阪(1)福岡(1)大分(1)沖縄
(2)
まず、東京を拠点とする結社と所属する会
員の所在地との関連性を見てみよう。東京を
拠点とする結社には、42道府県や外国(北
海道、岩手、宮城、秋田、山形、福島、茨城、
栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川、新
潟、富山、石川、福井、山梨、長野、岐阜、
静岡、愛知、三重、京都、大阪、兵庫、奈良、
岡山、広島、山口、香川、愛媛、高知、福岡、
長崎、熊本、大分、佐賀、宮崎、沖縄、ハワ
イ、カリフォルニア)に住む会員からの投句
があり、東京は情報の集まる場所であること
が再認識できた。東京を拠点とする結社には
投句していない都道府県は、青森、滋賀、和
歌山、鳥取、島根、徳島、そして、鹿児島の
7県である。東京の拠点周辺に住む地域から
会員数をみてみよう。東京周辺(埼玉、千葉、
神奈川)の割合は38%であり、周辺地域の
会員が多いようである。
次に、大阪を拠点とする結社と所属する会
員の所在地との関連性を見てみよう。大阪を
拠点とする結社には、24道府県(北海道、
群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川、福井、静
岡、愛知、三重、滋賀、京都、大阪、兵庫、
奈良、和歌山、鳥取、岡山、山口、徳島、愛
媛、福岡、長崎、鹿児島)に住む会員からの
投句があり、東京の約半分であることがわか
る。大阪周辺(兵庫、奈良)の会員の割合は
― 146 ―
27%であり、周辺地域の会員が多い傾向は
同様である。
一方、北海道を拠点とする結社と所属する
会員の所在地はどうなっているのであろうか。
北海道を拠点とする結社には、13都道府県
(北海道、宮城、秋田、埼玉、千葉、東京、
神奈川、新潟、富山、長野、愛知、三重、福
岡)に住む会員からの投句がある。北海道に
住む会員の割合は56%であり、道内に住む
会員の多くは道内の結社に投句しているよう
である。
東京や大阪の大都市以外の地域は、北海道
と同様の傾向を示している。俳句結社は地域
に根付いたいわゆる地域結束型が意外に多く
存在しているようである。
東京、大阪においても、周辺都市に会員が
多く住んでいることも興味深いことである。
インターネットの発達によって、情報の伝達
は地理的制約が少なくなったと言われている
が、俳句結社とその会員の関係は、主宰者の
所在地を同心円の中心として機能しているこ
とを示唆しているように思う。
◆グローバル化と情報化
冷戦構造の崩壊を機に、インターネット等
情報技術の向上と相俟って、「ヒト・モノ・
カネ・情報」が国境を越えて自由に行き来す
るようになった。いわゆる、グローバル化が
急速に進展し、私達俳人もその恩恵を受ける
ようになった。そのグローバル化の浸透の中
で、日本文化のあり方が問われている。
欧米にも、短い詩、何百行にもわたる長い詩
など様々な形の詩はあるが、十七音で独立す
る俳句のような詩はなかった。グローバル化
によって、俳句を身近に知った欧米の詩人達
は、その能力や特性を高く評価することとな
った。
しかし、日本の知識人の多くは、古くさい
文化と思い込み、外国文化を奉っている。本
来、文化のグローバル化とは、独自文化の尊
重と共有化であるにも拘わらず、独自文化の
深化を疎かにし、文化の均質化に重要性を見
出しているように見受けられる。
私達俳人は、押し寄せてくるグローバル化
の波に揉まれながら、その時代、その時代に
― 147 ―
生きた証を俳句に託し、諷詠してきた。先に、
「文化のグローバル化とは、独自文化の尊重
と共有化」と書いたが、尊重し合うためには、
独自文化である俳句のさらなる深化と特質の
分析が必要である。
俳句は有季定型の座の文芸である。志を同
じくする者が集まり、句座を囲みながら自ら
を高め、切磋琢磨してきた。そのことによっ
て、グローバル化の波に溺れることなく、独
自の文化を守り、継承してきたとも言える。
このことは情報化についてついても言えるこ
とであろう。インターネットにアクセスすれ
ば、多様な情報を手に入れることができる。
しかし、インターネット上には洪水のような
大量の情報が掲載されている。それに呑み込
まれてしまいそうである。高度情報化社会に
生きている私達は、情報を主体的に正しく見
分け、適切に判断し、利用する能力を身につ
けることが必要である。
俳句においてもインターネットを使った様
々な取り組みが行われている。詳細な分析は
行っていないが、それによって結社の地理的
構造が変化してしまうかも知れない。それは
悪いことでないかも知れないが、注意が必要
であろう。
「あなたたちが居続けるその間だけ、あな
たたちは根を伸ばすことができるのです。あ
まりにも多くの運動が美しい花のように咲き、
すぐに死に絶えていくのが情報化時代の現実
です。なぜならそれらは土地に根を張ってい
ないからです」とは、ナオミ・クラインの言
葉である。
◆おわりに
今回の分析は、結社の運営に役立つわけで
もなく、俳句の上達に役立つわけでもないで
あろう。しかし、結社の地理的構造の一端が
垣間見えたのではあるまいか。
俳句は風土の文芸でもある。そこに住む俳
人・俳誌の存在が日本の文化を豊かにしてい
る。故郷にとどまる俳人も、遠く移り住む俳
人も、その時々に身を置いている風土を詠う
ことが大切である。
今回試みた考察によれば、東京一極集中化
― 148 ―
はなお進んではいるものの、俳句結社は地域
に根付いた、所謂、地域結束型が意外に多く
存在し、地域の風土を諷詠し続けているであ
ろうことが確認できた。このことは、文化を
保存し、継承する視点からもよろこばしいこ
とであろう。
本稿の成果をどのように受け取り、その成
果を活用するかは、読者の力量にかかってい
る。それを期待しながら擱筆する。
〔全国俳誌ダイジェスト 夏・秋号
俳壇抄 三十九号より転載〕
― 149 ―
章
虚 子 嫌 い が 読 む 虚 子 の 歳 時 記 〈一 ○ 三
後藤
〉
◆花供養
これは鞍馬山で行われる行事で花を供えて
読経するものである。雲珠櫻はこの寺に咲く
櫻のことをいうのみで、そのような種類があ
る有るわけではないようである。
さてこの季題「滑稽雑談」には如何にとひ
もといてみると、これがないのである。正確
に言うと春の季題としてはなく、夏の季題、
四月の季題として採用されていて、しかも高
野山花供として記されている。この高野山花
供が何故鞍馬山の花供養と結びついたかとい
うと、平凡社の「俳句歳時記」の解説にそう
書いてあるからである。この解説を書いた方
は丁寧に調べている。高野山に直接問い合わ
せて、「滑稽雑談」に四月の二十一日頃花供
養が行われていると記述があるが本当かと聞
いたらしい。ところが寺側の回答は、それは
間違いでその時行われているのは万燈会で、
花供養は何十年に一回しかやらないという。
解説者はきっと困惑したであろう。しかし、
現実には鞍馬山で花供養は行われている訳な
ので、「鞍馬の花供養の式も大体これと軌を
同じくするものだろう」と推定で締めくくっ
ている。
そんなこんなで「滑稽雑談」を読んでいた
らビックリする季題が四月つまり夏の部に出
ていた。「仏生会」である。同じく、改造社
の「俳諧歳時記」の夏の部にも「仏生会」あ
る。驚くべきは春の部にもあるのである。春
の部の解説の最後に「夏-仏生会」とあるか
ら不思議に思い開いてみると、春の部よりも
数段多い紙幅を使って解説している。これは
どうしたことかと思ったが考えてみれば簡単
なことで旧暦、新暦の違いなのだ。改造社の
「俳諧歳時記」が出されたのは昭和8年であ
る。この頃はまだ旧暦で行事を行っていると
ころが関西を中心に多かったのである。つま
り現在の五月八日頃に仏生会を行っていると
― 150 ―
ころもあったのである。花御堂、甘茶なども
傍題としてあるからこれらは夏の季語であっ
たのである。そうなるとこの「花」が問題に
なる。この「花」はいったい何者か。果たし
て櫻なのだろうか。時期的に櫻はもう終わっ
ているではないか。前から花御堂の祭りを見
ていて違和感があったのは決して櫻で御堂を
飾っているわけではないのである。そこでふ
と気が付いたのは、「竿躑躅」という傍題で
ある。これは竿頭に躑躅や石楠花の花をつけ
て仏生会の門戸に高く掲げたものであるそう
だ。この事実からして、この「花」は当時は
櫻ではなかったのであろう、という推論が出
来る。さらに季題として「鎮花祭」というも
のがある(平凡社の「俳句歳時記」)。これ
はあきらかに桜の花が散る頃疫病もまた流行
ることからそれを鎮めるために行われた行事
である。これは新暦の三月、或は四月初めに
に行われている。そしてこの行事は養老令の
注釈書である令義解(八三三年成立)に載っ
ているのである。このことからしてもう推論
でもなんでもなく、すくなくとも明治時代以
前の鞍馬の花供養の「花」は桜ではないと断
言できる。
現在「花」とつく季題がすべて桜に結びつけ
られているのは、旧暦から新暦に切り替えた
時、花供養、花祭りなどの「花」と櫻の
「花」が混同されたか旨く利用したのかどち
らかであろう。
鞍馬の雲珠櫻というのも昔からというが怪
しい。たしかに雲珠櫻という物は謡曲「鞍馬
天狗」にその名を残しているが、それはそれ
であり、花供養に使われていたかどうかは定
かではない。花の枝をもって鞍馬山を下って
くると解説にあるがそれは明治以後のことで
あろう。改造社の「俳諧歳時記」の解説には、
古来の櫻もその面影もなく復興事業として新
しく植樹していると書いている。昭和八年当
時でさえこの有様だったのである。ただし、
雲珠というのは上人の名前、あるいは鞍につ
ける模様が桜に似ていてその模様を雲珠とい
ったともいわれている。
いずれにしてもけっこういい加減な世界が
季語季題の世界ということになる。これはあ
― 151 ―
くまで文芸の世界であるから考証については
五月蠅くいわないという変な了解が俳句界に
あるからである。しかし句の解釈は一七音に
現れた字からしか出来ないわけだから、そこ
のところをはっきりしないと季感が伝わらな
いことになる。私は俳句はその作品の中では
っきり季感が現れていなければならないと思
う。季感をあらわすのが俳句だと思ってもい
る。それは季語が有ればいいというだけの物
ではなく、もっと微妙な物だ。季節の移りは
微妙だが確実に毎日変化しているのだ。そこ
を日々生きている人間が詠うのだ。そういう
詩なのだ俳句は。
◆御身拭
食うて寝て牛になりけり御身拭
これが虚子の例句である。明治三二年の作
である。御身拭は東北生れの私には俳句をや
らなければ一生縁のない言葉かも知れなかっ
た。実際のところこの行事を見たこともない。
季語と知ってはいたが、解説を読んでようや
く大体の事を知った次第である。
しかし解説を読んだだけではこの虚子の句
の意味が分からない。「御飯を食べてすぐ横
になると牛になるよ」とよく母親にいわれた
ものだが、それと関係があるのだろうか。
すこしは関係があるかも知れない。という
のはこの句は解説文と対なのである。どちら
かだけでは片手落ちなのである。(差別用語
らしいが、他に言いようがない)つまり解説
文にはこの儀式の内容が書かれているが、こ
の儀式が何故行われるようになったかは書か
れていない。そこをこの句が補っているとい
う構造なのだ。
このことに気付いたのは、虚子が監修した
改造社の「俳諧歳時記」の解説を読んだとき
である。ここにはこの行事の由来が詳しく記
載されていた。
ごく簡単に由来を言えば
ある人の母親は、生前の行いが悪かったの
で牛にされてしまい、今でもお堂の建築資材
を引いていると言われた。ある人は母である
牛を引き取り養っていたら三月十九日に亡く
なった。それから赤栴檀の釈迦如来の仏像を
― 152 ―
拭いてその香りのしみた布で牛を包み焼いた。
すると牛は忽ちのうちに浄土へ生まれ変わっ
たという。以後極楽往生を願って現在のよう
な解説に言う行事が行われているのである。
ここでまたちょっと脱線するのだが、この
牛が、母である解説と父である解説の二説が
あるのである。古い順にまとめれば
・誹諧初学抄=季語として採用していない
・増山井=季語として採用しているが、由来
の記述無し。寛文七年、一六六七年
・滑稽雑談=母説。正徳三年、一七一三年
・年浪草=父説。天明三年、一七八三年
・俳諧歳時記栞草=父説。嘉永四年、一八五
一年
・改造社の「俳諧歳時記」=父説(年浪草を
引用している)
・平凡社の「俳句歳時記」=母説
・講談社日本大歳時記=母説
おそらく平凡社は滑稽雑談に回帰して母説
を採ったのであろう。しかし確証が有っての
ことなのだろうか。というのは、滑稽雑談の
記述内容が正確かどうかという問題があるか
らである。この書の解説では牛になった母が
誰であるかから、書かれている。それは後堀
川天皇の母である人で、この人が生前罪深き
人だったらしく、地獄に堕ちていたのを娘で
ある安嘉門院が追善してそれが認められ畜生
道まで許されたと書いている。そうしてこの
牛が先に書いたように最後に救われるのであ
る。
ネットで調べて見ると、この後堀川天皇の
生母であり、孝行娘の安嘉門院の母でもある
人の名前は藤原陳子(一一七三年~一二三八
年)で藤原基家が四二歳頃の子供だったらし
い。どうもこの女の人が罪深い女であったら
しい。天皇の生母であった人が地獄に落とさ
れるような罪とはいったい何だったのだろう
か。この人の生きた時代がどのような時代で
あったかは一一八〇年の頼朝挙兵を上げれば
分かるであろう。天皇家を含めた貴族と武家
の主導権争いの時代に入り、承久の乱(一二
二一年)の後鳥羽法王が隠岐に流された時代
も生きていたことになる。
滑稽雑談が武家の時代になって久しい江戸
― 153 ―
時代に書かれたことを考えると、相当この人
は武家の目から見て罪深いことをしたのだろ
うか。なにせ地獄に落とされたのだから。こ
こはかなり武家の目から見た滑稽雑談の記述
であることを考えなければなるまい。
思うに滑稽雑談の説に若干の脚色があるの
ではないかと思われてきたのだが、かといっ
て父説のほうに強力な証拠があるわけでもな
い。調べた範囲では、母説ほどの具体的記述
がないのである。ということは平凡社の「俳
句歳時記」は滑稽雑談を鵜呑みにしたという
ことになる。また改造社の「俳諧歳時記」は
年浪草の記述をそのまま信じたと云うことだ
ろう。
さて本題に戻って、虚子の句の意味はお分
かりいただけただろうか。実に旨いやり方で
ある。人を食った句である。明治三二年に作
られているが「新歳時記」では初版、改訂版
でこの句は採用されておらずに、昭和九年の
増訂版で初めて採用されている。おそらく虚
子はこの句を入れようと思ったときににやり
と笑ったのではなかろうか。
― 154 ―
銀幕の季語たち(九)
溝口
直
「陽のあたる場所」のリズは薔薇
エリザベス・テイラーといえば、反射的に
「陽のあたる場所」を思い出すのは、私だけ
だろうか。私にとってこの映画(一九五八)
のリズ・テイラーは、それほど美しかった。
芳紀まさに十九歳。彼女は映画史上で一番美
しい女優と称され、もっとも輝いていた頃で
ある。
富豪の令嬢テイラーは、父の工場で勤める
モンティ(モンゴメリー・クリフト)とパー
ティで出会い、恋仲になる。モンティにとっ
ても、陽のあたる上流階級にのしあがる絶好
のチャンスであった。しかしその時、男には
妊娠している相手があった。窮したモンティ
は、心ならずもその女を殺害。結果自分も死
刑になる。それは資本主義の悲劇、即ちアメ
リカの悲劇だった。不安定な時代に生きる青
年モンティの成功と挫折。富豪の令嬢テイラ
ーの眩しさ、美しさ。(原作はセオドア・ド
ライザーの≪アメリカの悲劇」)。
ハリウッドの写真家が、エリザベス・テイ
ラーはどの角度から撮っても完璧な美人であ
る。どんな大スターといえども、どこか不得
手なアングルがあるものだが・・と書いた記
事を読んだことがある。
その他、彼女は「黒騎士」(一九五二)
「ジャイアンツ」(一九五六)、「バターフ
ィールド8」(一九六○){クレオパトラ}
(一九六三)等に出演し、文字通りハリウッ
ドの女王として君臨し続ける。同時にスキャ
ンダルの女王でもあった。彼女の回りはスキ
ャンダルだらけ。二度のアカデミー主演女優
賞しながら八回の結婚と離婚を繰り返した。
彼女の美しさ、華やかさを花に譬えれば、
薔薇であろう。紅薔薇、白薔薇、黒薔薇、ピ
― 155 ―
― 156 ―
ンク…何でもいい、二〇世紀に咲き誇った、
薔薇そのものである。
薔薇の香か今ゆき過ぎし人の香か
星野立子
かくして今年の三月二八日、薔薇はついに
散華した。享年七九歳。
(二○一一年〔平成二十三年)五月五日
「俳句文学館」より転載)
エリザベス・テイラー
20世 紀 に 咲 き 誇 っ た 薔 薇
篠﨑代士子
代士子の万華鏡(五十一)
大阪花の旅
今年の春は行きつ戻りつ、名残の雪との出
会いも例年にない趣のある風景であった。
「毎年よ彼岸の入に寒いのは」と口遊み、桜
の開花の時期を指折り数えて占っていた。
残り少なになる齢に満開の桜は、命を吹き
込んでくれるカンフル剤だ。青空のもと満開
の桜を訪ねて旅をしようと思いながらも、日
時と場所を決めかねていた。
旅程を組みながら、ひたすら「雨女」にな
らないことを祈った。桜の名所で足に負担の
かからない場所をガイドブックを繙きながら
探すことも、旅の楽しさの前哨戦である。
そして、閃いたコースは、大阪の「春の桜ク
ルーズ」と「天満天神繁昌亭の落語」、それ
に加えて、三月七日に開業した「あべのハル
カス」の展望台から大阪平野を眺める旅のプ
ランが出来上がった。
◇アクアライナー花の旅
水の都の大阪は、昔は氾濫を繰り返してい
たと聞くが、近年の治水対策によりその恐れ
はなくなり、新しい観光スポットとしての魅
力が水辺に集まり、癒しの風景になっている。
乗船口に立つと、対岸の桜の宮公園の桜が河
川敷を桜色の帯で彩っている。最高のお花見
日和に恵まれて、家族連れがそこここでお弁
当を広げているのも微笑ましい。
南米の人らしき二人組のミュージシャンが
「コンドルは飛んでいる」を歌い、CDを売
っていた。
アクアライナーの周遊コースは一時間、大
阪城をめぐり、中之島公園を大川(旧淀川)
の橋をくぐって遊覧する。
大阪は八百八橋とも言われる程橋が多いが、
低い橋の下をくぐる時は船の屋根が下がる装
置がついていて、支障もなく遊覧できて面白
い。
― 157 ―
桜が名所の大川(旧淀川)の舟遊び
春は桜、秋は紅葉、そして、中之島のバラ
園等、四季折々の花が船内から楽しめる。
ともあれ、晴天の満開の桜は譬えようもな
い美しさであった。
◇あべのハルカス
日本一の超高層ビル「あべのハルカス」が
三月七日開業した。六十階建ての高さ三百メ
ートルの超高層ビルは日本で最も高い。
「ハルカス三○○」の入口は十六階にあり、
分速三六○メートルの直通エレベーターが稼
働している。プラネタリウムの箱の中に入っ
たかと錯覚したら、もう六十階のフロアの扉
が開いた。
全面ガラス張りの回廊は、光り輝いていて
眩しいが、目がなれててくると、手許の案内
書と見比べながら人の流れに沿って歩く。
「天上回廊」の部分は、足許がガラス張り
である。その上に立ち、三百メール下をのぞ
くと、地べたが透けて見えて足がすくむ。
なるべく目線を遠くに走らせる。谷町筋に
沿って四天王寺や大阪城も見える。眼下の天
― 158 ―
「天上回廊」から望む大阪の街
王寺公園や動物園は広々として茶臼山もその
隣にある。
通天閣は意外に小さく、目を凝らしてやっ
と見つけ出した。
その隣のヘリポートのある建物は大阪市立
大学医学部である。
神戸方面の明石海峡大橋や関西空港までは
目が届かない。阪神高速が蛇のようにぬたく
っている前方は和歌山方面であり、春の空が
瑞々しく広がっている。
花霞が棚引いている山脈を見霽かすと、そ
の向うに葛城山、二上山、生駒山と「万葉の
旅」で、佐々木先生に教えていただいた地名
や山々が手に取るように眺められた。
大阪平野を俯瞰して、春の光や風の色のあ
たたかく柔らかい日和を賜ったことを春の女
神に感謝。黄砂が降らなくて本当によかった。
◇天満天神繁昌亭
朝のテレビドラマ「ちりとてちん」を見な
がら、落語専門の寄席小屋を一度訪ねてみた
いと思っていた。「春の桜クルーズ」を思い
― 159 ―
「天満天神繁昌亭」の全景
「天満天神繁昌亭」をバックに
― 160 ―
立った時の閃きは、ほんまもんの上方落語を
賞味するプランである。同行の千寿子も大賛
成である。
上方落語唯一の定席「天満天神繁昌亭」は
二○○六年に開席した。大阪天満宮の敷地の
中にあり、建設費用は個人や企業の募金でま
かなわれた。募金者の名前が提灯に記されて
いるとか、すべて大阪風である。
昼席は午後一時から四時の公演でチケット
は二千円、早速予約を入れた。四月は桂文枝
一門の出演である。
記念口上もある。六代目桂文枝の門下、桂
三扇が「創作賞」をいただいた御披露目の席
なので、出演者全員が黒紋付の正装である。
受賞者の桂三扇は二十一年のキャリア、甲南
女子大学出身の才媛だそうである。
その先輩落語家の口上が面白く、笑いを交
えながらの紹介や突っ込みに寄席は笑いぱな
しだった。
取りの桂あやめは、五代目文枝の弟子で達
者な芸であった。
女道楽の内海英華の都々逸や踊りは、この
世界ではひとりきりの芸人である。
ともかく、落語の世界でも女性の進出がめ
ざましく、頼もしい次第である。
あれだけ笑えて三時間、二千円の木戸銭は
安いものである。
― 161 ―
叡命 さんの フ ォト アルバ ム(二十六)
山岡英明
~ 植 木 市 ・ 池 上 本門 寺 ~
植木市は 、三 四月頃が 庭木の移植 に好適な季節
な の で 、社 寺の 境 内 や 公 園 、 縁 日 な ど に 若 木 の 根
を 藁で 包 ん だ 苗 木 を 売 る 市 の こ とで あ る 。 黄 緑 の
芽を萌 え 立た せ た 木や 蕾 を 膨 ら ませ た 木が 立ち 並
んで い る 風 景 は 人 の 目 を 楽 し ま せて くれ る。
植 木 市 は 全 国 各 地で 行わ れ て い る が 、 三 大 植 木 の
産 地 は 、「 福 岡 県 久 留米 市」 「 埼 玉 県 川 口 市 」
「 兵 庫 県 宝 塚 市 」 と いわ れ て い る 。
関東 一と言わ れて いた 池上の 植木 市に 行った。
総門か ら 植 木市の境内まで は九十六 段の 石段を上
って 植 木を 求 め るの は 、 少々 大 変で 障 害 に な り そ
うで あ る。 近頃 の 植木 の 流 通経 路も 変わ り 、 外 構
工 事 の 植 栽は 専 門 業 者 の 工 事 の なか に 組 み 込 まれ
よ う に な り 個 人 の 需 要 だ けで は 植 木 市 が 繁 盛 し に
く い の で あろ う か 。 訪 れ て 見 て 何 と も さ び し い 光
景 と う つ った 。
池 上 の 植 木 市 は 、 日 蓮 宗 の 開 創 を 祈 念 して 千 部
会 と い う 法要 が 毎 年 春 に 催 され 、 その 参 拝 客を あ
叡命
て こ ん で 始 め ら れ 、 も と も と は 、 本門 寺 の 山 の 下 、
呑 川 沿 い の 路 が 主 会 場 で あ った が 、 三 十 年 前 頃 か
ら 自 動 車の 交 通 が 増 え 、 本門 寺 の 山 の 上 で 植 木 市
が 開 催 さ れ る よ う に な った と い わ れ て い る。 千 部
会 の 春 の 大 会 で 法 要 が 行わ れ 、 こ れ に 伴 い 、 本 門
寺境 内、 五重塔前の 道 路、仁 王門付近に多くの 植
木 屋 がで て 、 か わ い い 鉢 植 え か ら 庭 木 まで 、 さ ま
ざ ま な 植 木 等 を 並 べ て い る。 見 て い る だ け で も わ
くわ く す る 楽 し い 市 場 で 、 私 は 柚 の 苗 木 と 梟の 竹
細 工 を 買 っ た 。 柚湯 が 楽 し み で あ る。 今 年 の 植 木
市 は 、 四 月 二 十 五 ~ 五 月 六 日 まで 開 催 さ れ る 。
本門 寺か ら 下 を 見 渡 す と 建 物 が ぎ っ し り 建ち 並 ん
で お り 緑は ほ とんど ない 。 逆 に池上 の 町から は 、
本門 寺の 緑 が 豊 か に 映 えて い る。 都 内 の 景観 も 皇
居や 明治 神 宮 な ど 限 られ た 所 に 緑が 限 られて お り
緑 の 大 切 さ を 痛 感 さ せ ら れ て い る。 将 来を 見 据 え
た 都 市 計 画 を 実 行 に 移 し 、 公 園や 道 路 の 緑を 増や
す街づ くりを期 待したい。
境 内 の 墓 地 に は 、 若 い 頃 に血 潮を た ぎ ら せ て 見
て いた プ ロ レ ス の 力 道 山 の 墓 が あ っ た 。
梟 の 竹 細 工 買 ふ 植 木 市
― 162 ―
②
①
③
④
⑤
⑥
①池上本門寺総門 ②池上本門寺植木市 ③境内の植木市 ④境内の植木市
⑤池上本門寺墓地 力道山の墓 ⑥千部会 法要
― 163 ―
~祭 ・ 渋谷
鹿 児島 お は ら 祭 ~
祭 は 、も と も と は 京 都の 上 賀 茂 神社 、 下 鴨 神 社
の 賀 茂 祭 、 即 ち 葵祭 を 指 して い た 。 葵 祭 の ほ か に 、
代 表 的 な 祭 と して 三 社 祭 ・ 神 田 祭 が あ る 。 そ れ 以
外 の 神 社 の 祭 りを 「 夏 祭 」 と して 区 別 して いた が 、
今で は 夏祭 り 全 般 を 「 祭 」 と して 夏季 の 季 語 と し
て い る。 夏 に 多 く の 祭 り が 行 わ れ るの は 、 疫 病 、
虫 害 、 風 水 害 な ど の 災 難 が 起 こ り 易 く 、 それ ら の
怨霊 、疫 病を 鎮 め祓 うこ とか ら 始 ま って いる。 夏
祭 り に 対 して 、 五 穀 豊 穣 の 祈 願 が 「 春 祭 」 、 収 穫
の喜びを 祝 う のが「 秋祭」が あ る。
お は ら 祭 は 、 鹿 児 島 県 鹿 児 島 市で 例 年 十 一 月 二
日 ・ 三 日 に わ た って 行 わ れ る 祭 り で あ る が 、 東 京
で は 、「 渋 谷 ・ 鹿 児 島 おはら 祭 」 と して 再現 さ れ 、
渋谷 ハチ公 前 広場を 中心 に 文 化村 通り ・ 道玄 坂 通
り に パ レ ー ド を 繰 り 広 げ る。 例 年 五 月 中 旬 の 土 曜
日・ 日曜日 に行われ て お り、今 年は 第 十七回で 五
月 十 七 日 土 十 八 日 ( 日 )で あ る 。
「渋谷・鹿児島おはら祭」 は、渋谷と鹿児島の
古 い 昔 か ら 深 い 結 び つき に よ る も の で 、 渋 谷 一 帯
を 所 領 す る 相 模 国 の 豪族 渋谷 氏 が 源 頼 朝 が鎌 倉 幕
府を 開 いた 後 、 源平 合 戦 の 功 に より は る か 薩 摩の
叡命
地 に 所 領 を 得 て 一 属 を あ げて 移 住 し た の が 結 び つ
き の 始 ま り と されて い る。 昨 年の 祭 の 参 加 は 六 十
連で 、 関 東 連 が 五 十 連 ・ 鹿 児 島 連 が 八 連 ・ 若 者 連
が 二 連で あ っ た 。 地 元 か ら の 参 加 も あ る が 、 鹿 児
島 出 身 の 関 東 在 住者 の 参 加 が ほ と ん ど で あ る 。 出
身 地 の ふ る さ と を 思 う 皆 の 元 気 印 の 祭 な ので あ る。
おは ら 祭 の 名 前 の 由 来は 、鹿 児島 の 代 表 的 な 民 謡
「 お は ら 節 」 に よ る も の で 、 戦 後四 年 経 った 昭 和
二 十 四 年鹿 児島 市 制 六 十 周 年 を 記 念 して 新 た に
「 お は ら 祭 」 が 始 ま り 続 いて い る も の で あ る 。
「 花 は 霧 島 煙 草 は 国 分 燃 えて 上 が る はオ ハ ラ ハ ー
桜 島 」 の 歌 詞 は な じ み深 い 一 節 で あ る 。
私 と お は ら 祭 の 関わ り は 、 鹿 児 島 出 身 の 仕 事 仲
間が東 京垂 水連 の旗 振りで あり 、船 橋ば か 面 の会
員がお はら 笑楽 会 の 代表で 参加 され て いて 応 援 に
参 加 し たこ と に 始 ま る 。 盛 大 な お祭 で あ る 。
祭 は 神 と の 信 仰 に よ る も ので あ り 、 生 ま れ 育 った
故 郷を 思 いや り 勇 気 づ け ら れ る 心 の 支 え と な る も
の で あ る 。 祭 を 楽 しむ 人 生 と し た い 。
ふ るさ との 祭 囃 子の いく たび も
― 164 ―
(
)
②
①
④
③
⑥
⑤
①おはら祭ゲート(渋谷) ②おはら祭 踊りの行進 ③特別演技 ④おはら
笑楽会の踊り ⑤船橋ばか面踊りも参加 ⑥ハチ公銅像
― 165 ―
京子の愛唱一○○句[癒し] 十三
(
)
小野京子
おぼろ夜のかたまりとしてもの思ふ
加藤楸邨
花。花はなにも語らずに、枝を伸ば
し、蕾をつけ、花を咲かせて散ってゆ
く。そして二度と元の枝に戻ってくる
ことはない。全てを自然に托して…。
心を澄ますと私たちにも、花の声を、
生命の輝きの素晴らしさを聞くことが
でき、感じることができる筈だ。
生きるとは どういうことか
人は誰に生かされているのか
私の使命は 何なのか
三月の甘納豆のうふふふふふ
坪内稔典
「貴女と話すのが好き、だって使う
言葉が面白いもの…」。七十五才の今
も、モダンバレエのステージに立ち、
ソロをつとめるAさん。かの女が感激
したのは「かぶりつきで応援したわ」
の「かぶりつき」という言葉。
このひと言で私の応援ぶりが伝わっ
てきたのだと言う。さらに、「真っ直
ぐに立てた」「安定した演技」。これ
は本人が一番気にしていた事だと言う。
それにしても、この年でまだまだ踊れ
るかの女が眩しい。
― 166 ―
待つ人のゐる明るさの春灯
片山由美子
桜が咲いた。少し軽快な服装で…と、
赤いインナー、グレイに白の縦縞のス
ーツ姿で事務局会へ出かけた。
私を見つけた若いAさん「今日の先
生は現職の頃と同じ、溌剌として若々
しい」。「二連のネックレスが光って
います」とBさん。「ちょっと気分を
変えたいと思ったの」と真顔で話す自
分に気づいて、思わず苦笑する。
もうすぐ七十八才。どんなお洒落が
似合うのかしら…。
半分は夕日の色の桜かな
小島 健
花の季節になると、花に出会わない
ではいられない私は、戸外へと出かけ
る。
晴れた日の桜も見事だが、曇天の桜
もまた情がある。何とも言えない愁い
を含んだその花の姿に絶句する。
無心に花を開き、語りかけてくるそ
の囁きを聞き洩らさないように、花び
らに頬を寄せ、そっと両手をそえると、
遠い日の思い出が甦ってくる。懐かし
い人々の囁きが聞こえてくる。
― 167 ―
山吹の花のうてなの緑かな
高野素十
昨日までは気づかなかった山吹の花
が鮮やかな黄色の花びらを開きはじめ
た。冬の寒さに耐え、朝の光の中に無
心に輝くその姿がけなげだ。草や木は
時がくれば花を咲かせ、実を稔らせ、
自分を充実、完成させてゆく。
人は…と考える時、じっくり自然を
見つめ、自然の営みに学ぶことの大切
さを思う。
自分を見直す時を持つこと、自分を
鍛え直すこと、人生設計をすることな
ど……。
ものの種にぎればいのちひしめける
日野草城
「今日は土曜日、先生は家でゆっく
りされているでしょうか。一句詠まれ
ているのでしょうか…。色んな役目を
持つことは時にはやめたくなる時もあ
るけれど、人との出会いをいただける
事はかけがえのない素晴らしいことだ
と、今頃考えるようになりました。も
う少し早く気づいておれば、その宝物
を大切にできたのに…と残念に思いま
す。まだまだ未熟な私ですが、これか
らもよろしく…」。謙虚さを失わない
Eさんからの便りである。
― 168 ―
自叙伝「私は軍国少女」(八)
中嶋美知子
(その二)女学校時代
いよいよ合格発表の朝だ。第三会場での大
失敗の絶望感で、発表を見に行く気にならず、
塞ぎ込んでいると、「どうしたん。今日発表
じゃろう。早う見に行かにゃ」
急き立てる努さんの声。
「どうも落ちちょる気がして…」
「何言よるかい。そげん心配せんでん、大
丈夫じゃが。早う行かにゃ」
「そうね、思い切って行ってみるね」
漸く決断をして、自転車を走らせた。
門を入ると、本館の壁に受験番号が貼り出
され、大勢の受験生が真剣な眼差しで見入っ
ている。早々と自分の番号を見つけ、嬉し泣
きしている者。不合格と知って口惜し涙を流
している者。悲喜交々の情景に、私の胸は高
鳴るばかり。思わず(神様、お願いします)
と、苦しい時の神頼みをしながら、百五十の
受験番号に目を移していた。(ああ、まだ無
い。まだ…)。
失望の色が濃くなり諦めかけた時、一一八
の番号が。(あっ、あった。あった)つい小
躍りしながら拍手していた。その瞬間、神様
の事等すっかり消え、母の嬉しそうな顔や、
中尾先生の「よくやったな」と満足気な声が
頭に浮かび、感謝と嬉し涙が一気に溢れ出し
ていた。
帰宅して先ず、叔母に合格の報告をすると、
「そりゃ、よかったたい」
叔母の素っ気ない返事。三人の女中さんは、
「あげえ勉強しよったけん、落ちはせんと思
うちょったよ」
忍びの勉強に気付いていたらしく、合格す
るのは当然と決め込んでいたようだ。合格を
心底祝福してくれたのは、矢張り似た者同士
― 169 ―
の努さんだった。
「ほうら、俺が言うた通りじゃったろう。
早うおふくろさんに知らせんと、どげん喜ぶ
か」
「そうね。これがせめてもの親孝行じゃも
んね」
「あんたの事を思うて手放したんじゃから。
何より喜ぶ事しゃろう」
努さんは自分の事のように、母を気遣い、
他人とは思えない温情が何よりもありかたく
思えた。
翌日、学校の帰りに、合格の知らせをしよ
うと思い、実家へ行った。女学校からは徒歩
で十分ほどの距離であったが、谷村の家に入
って以来、一度も帰っていなかった。母の事
は気になりながらも、谷村に対する気兼ねと、
仕事に追われる毎日で、ついつい足が遠のい
てしまう。
母の病状を案じながら、家に入ると、中は
深閑としていた。 もしや重態になって… 。
悪い予感がして奥の間に入ると、薄暗い三畳
の部屋で床に臥していた。私の足音で体を起
こすと、「まあ、今頃、どうしたん」
不意の来訪に驚いた様子。かなり衰弱して
いるようだが、言葉はしっかりしていて、苦
痛の様子が見えないので、幾分ほっとしてい
た。
「女学校、通ったからね」
「ええっ、そりゃあよかったね。谷村のお
陰で。よかった、よかった」
何度も頷きながら、嬉し涙が滲んでいた。
母の喜ぶ顔を見ると、胸が一杯になり、私
も涙が頬を伝った。
「胃の病気は…」
「うん、まあまあね。もう慢性になっちょ
るけん、直ぐにはようならんが。心配せんで
よかが。それより谷村の方はどげんかね」
「皆いい人ばかりで…。私の事は心配せんで、
早う病気を治してよ。何か加勢する事ない?」
「そげん事はよか。谷村ん者になったとじゃ
き、叔母さんに気に入られることが一番じゃ
が。家ん事ば考えんで、早う帰らんと…」
「うん、分かった。それじゃ、帰るね」
後ろ髪を引かれる思いで家を出た。私に心
― 170 ―
(
)
配をかけまいと、気丈に振る舞ってはいるが、
その苦衷を思うと胸が痛んだ。(何もしてや
れなくてごめんね。女学校を卒業したら一緒
に暮らせるからね)心の中で詫びながら、谷
村の家へと急いだ。
軍隊組織の女学校
夢と希望に胸を膨らませ、日田高女の門を
潜ったのは昭和十七年四月。大東亜戦争開戦
から四ヶ月後であった。国中が戦意に燃え、
学校教育にも軍国主義が一段と強調されてい
たのである。
紺の制服に純白のスカーフ。清純な県立高
女の姿に憧れ、優雅で華やかな女学校生活を
夢見ての入学だったが、日を追う毎にその夢
は消え、唯々愕然とするばかりであった。学
校の運営組織が全て軍隊化していたのだ。先
ず、校長は最高指揮官として「大隊長」と呼
び、各学年主任を「中隊長」、学級のリーダ
ーを「小隊長」、さらに、学級を四分して、
「分隊長」と称し、学校内外の行事や集団行
動、奉仕活動に至るまで軍隊組織で運営され
ていた。
一日のスタートの全校朝会も分列行進で始
まっていた。大隊長が直立不動で司令台に立
ち、その左右に中隊長が立っている。
「分列に前へ進め!」
小隊長の号令で行進が始まる。大隊長の前
では「頭、右!」の号令で一斉に校長に顔を
向けると、校長は挙手の礼で応える。
行進が終わり整列すると、「第一小隊、総員
五十名、欠席二名、出席四十八名、以上」
小隊長は出席状況を中隊長に報告する。
男子高校と全く同様で、当に軍隊そのもの
であった。
二年生になってからは、敵国語として日課
表から英語が抹消され、更に華道や茶道、作
法も廃止となり、武道や兵式教練が組み込ま
れた。兵式教練では、校区の元の下士官が教
官として来校し、基礎的な軍事教練を行って
いた。
女学校の校訓の筆頭には「貞淑にして従順」
が掲示されていたが、全く相反する軍人その
― 171 ―
お な ご め ろ う
ものの女子女郎に育成されていたのである。
はからずも第一小隊長(一年一組)に任命
された軍人大好きの私は、すっかり軍人気取
りで、得々として号令を掛けていた。今にし
て思えば、恥ずかしい限りである。
― 172 ―
女の気持ち
松村れい子
れい子の宝箱(五)
失敗譚
人間は長く生きていると数々の失敗をする。
失敗故の恥多き人生といえるかも。取り返し
のつかない失敗、忘れたい程の苦い重症のも
のもあるが、どろどろとした人間関係のなか
で生きていないので人を貶めたり、罠にはめ
たりという惑知恵がなく、単細胞なのでそう
いう類いの過ちではなく、うっかりミスとい
うか「ああ、やっちゃった」という単純極ま
りない失敗なのだが、私の場合「ああ、又や
っちゃった」では済まされない高額授業料に
なることがしばしばである。姉と行動をとも
にすることが多いいので姉のお財布にも迷惑
をかけることになったりするのである。
つい最近の二度の失敗談。この時も姉が里
帰り中のことで、四十年の運転歴で考えられ
ない鍵の紛失。今の新型車は鍵穴から登録番
号まで取り換えるのでしっかり高くついた。
その前は、山の温泉に行く途中一旦停止を
怠り違反キップを切られた。おまわりさんが
「初めての道ですか」と言ってくれたので
「はい」と同情をひいていたら、何のことは
ない姉が横から「昨日も通ったじゃない」と
全面告白。こうなったら笑いが止まらない。
先日、関西在の姉妹が集まって食事を楽し
んだとか。その時の笑いの肴になったのは私
の失敗譚。「あの人賢いのかお馬鹿さんか分
からないね」から「お金がないのに大きな失
敗が多いね。いっしょにいるのが恐ろしいわ」
と大笑いしたらしい。結局、私の人間性の甘
さが原因という結論に達したとか。
確かに私には大きな失敗が多い。それが時
としてツケが姉妹や娘たちに及ぶことがある
ので、よくよく心して行動しなければと思っ
てはいるが、わざとではないということは理
解してもらいたいと願っている私である。
― 173 ―
本は生涯の友
***
昨年の暮、この年最高の幸せ感を味わった。
この先どれほどの時間があるのか分からない
けど、生きる張り合いが二段も三段もアップ
したような気分になった。
話は三年前にもどるが母の七回忌や続けて
次女ファミリーが里帰りしてきたりと忙しい
日々が続いていた。兆候はすでに二週間前く
らいからあって、振り返った時や顔を上げた
ときなどふわっと景色が流れてめまいを感じ
ていたが、これ程大きな崩れ方をするとは想
像もしなかった。めまいは時々あってひどい
時はブラックホールに落ち込んでいくような
こともあったが、一日我慢すれば治っていた。
でも父が亡くなった後や母が亡くなった後
にも大きなめまいを起こしていたことを思い
出した。が今回はなにか違う。三日目から耳
鳴りが加わり、完全なメニエルで点滴も投薬
もさっぱり効かず、これが数カ月続き、不安
と焦りでつらい日々だった。
これは日にち薬しかないと覚悟し、表面は
明るく過ごしていたら、いつの間にか耳鳴り
も薄らぎフワフワ感もなんとなく消えて以前
の生活が戻ってきた。嬉しかった。
さあ又本を読むぞと手にとるが読めない。
長編小説が読めないのだ。集中力、持久力が
無くなったのだ。中国の壮大な春秋時代もの、
塩野七生さんのローマ人物語、司馬遼太郎さ
んみんなあきらめた。それでも本の虫は図書
館をうろうろしていた。
昨夏の頃予約していた村上春樹の長い題名
「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の
年」が師走半ばに連絡を頂いた。
ノーベル賞候補と騒がれてはいるが、一番
嫌いな作家である。しかし、読んでおかねば
と借りたものの遅々としてはかどらず二週間
の期限が過ぎたのでと返却の催促を受けた。
「明日まで待ってください」とお願いし、残
り三分の二を徹夜で読み上げた。
三年ぶりのこの達成感をどう表現したらよ
いのか。しかも一番嫌いな作家によってトラ
ウマを乗り越えたのだ。高齢になっていろん
な趣味ができなくなっても、本だけは私の生
涯の友と思うからこの気力の復活はうれしい。
― 174 ―
くにをの絵手紙紀行(二)
梅島くにを
紅梅や
虚子→素十→紘文→眸子へと、私は直系の
師弟を自負はしているが、今、自己反省する。
私が町の句会に入って一年半経った頃、虚
子先生を迎えられて富山県ホトトギス俳句大
会が開かれた。
紅 梅 や 庭 の 真 中 に 日 当 り て くにを
雪 解 水 庭 石 沿 ふ て 流 れ け り くにを
虚子先生の御目に叶って以来の師弟の源流
だ。昭和三十年代の「ホトトギス」の末尾に
は、大きな活字で、虚子選の雑詠選集の欄が
あり、私はそれを保存している。
味わい深い句ばかりが並ぶ。巷間、「私が
虚子の弟子だ。孫弟子だ」と名乗る先生が沢
山おられる。虚子先生の提唱された「花鳥諷
詠、客観写生」の信条を踏襲されているだろ
うか。気乗りしない諸々が肩で風を切ってお
られるようだ。私は今宵もこの徳利を傾けて、
虚子選、雑詠選集を繙いているのである。
― 175 ―
お涅槃
ある山寺の涅槃会に三年続けてお参りした。
檀家総代の成瀬雄達さんがこの機会に句会を
開いて呼びかけられたのだった。
その山寺は富山石川の県境にあり、細い山
道があった。その昔は加賀の国へ繭を積んだ
馬や、加賀藩のお殿様も通られた峠道なのだ。
今は「とのさまみち」の愛称で残っている。
以前に、伊藤柏翠先生がお見えになり、次
の句を残している。
藩公もまた繭馬も行きし道
柏翠
お寺の座敷に放屁虫が這い出て、句会が賑
やかになった。柏翠先生は「君達へ句の材料
に出て来た。喜べよ」だ。病気で投句だけさ
れた雄達さんは、次の投句、
涅槃図の真如の月の輝かず
雄達
が、当日の最高点の句であった。
残雪の寒垢離場。鐘楼の干し大根。十数本
の庭椿。かぶさるがごとく山寺に垂れる雲。
団子も沢山拾えた有難い涅槃会句会であった。
― 176 ―
ひなたとみずきの子育て日記(十五)
細井みどり
ひなたが五歳になった。彼が生まれてから
もうそんなに年が経ったのかとしみじみ思っ
た。彼が生まれた時のビデオがあり、五歳の
誕生日の夜に家族全員でそれをみた。
穏やかに晴れた早春のその日、予定日を過
ぎても陣痛の予兆もない中、検診で病院にい
くことになっていた。病院へ向かう車のなか
で陣痛は突然やってきた。丹後の実家に帰省
して出産することにしており、東京の夫に陣
痛がはじまったかもしれないとメールを打っ
た。その時すでにお昼すぎ。夫は焦って職場
を早退して、新幹線に飛び乗ってくれた。し
かし、東京からその山陰丹後の海に面した病
院まで、新幹線や特急、タクシーを乗り継い
て約六時間。
「初産で時間がかかるから、きっと間に合
うわよ」と母が笑いながら言った。出産に立
ち会いたいという彼は、父親学級に熱心に通
い、その日を楽しみにしていた。
そして、その日の夕刻、ひなたは元気に生
まれてきた。ずっと走り続けた夫は間に合わ
なかった。
きっと娘婿がビデオを撮るだろうと思って
いた母は、娘に言われて慌ててビデオカメラ
をまわした。その映像は一点をズームで撮り
続けたり、グラグラとゆれたりして、見てい
ると酔ってくるような図が続いている。しか
し、そのカメラをまわしながら、慌てふため
くおばあちゃんになった母の声と、産湯につ
かりながら元気に泣くひなたの声が録音され
ており、これはこれでよい思い出の記録であ
る。
ひなたはなんだか恥ずかしそうにそれを見
ていた。そして「僕は東京の人じゃなくて、
京都の人なんだね~」と言っていた。
みずきが生まれた日、それも思い出に残る
日である。
― 177 ―
彼は初夏に生まれた。もうすぐ出産予定日
という日、いつもと同じように朝起きで朝食
を作っていた。弱い陣痛が始まった気がした。
二人目ということもあり、東京の自宅から車
で五分の病院で出産することになっていた。
出勤する前の夫に、陣痛がきたことを伝え、
出勤を控えてもらい、病院に電話をした。電
話の向こうで助産師さんが「二人目は陣痛か
ら出産までがはやいから、今微弱でも早めに
病院に来てくださいと言われた」。
その言葉をききながら、頭の片隅で「まだ
こんな感じだから大丈夫よね」という思いと、
「もしかしたら早く生まれるかもしれない」
いう思いが交差した、その中で、ひなたを起
こして保育園に行く用意を始めた。
第一子の出産に立ち会えなかった夫は、今
度こそはと楽しみにしていた。病院も近い、
もし会社にいるときに陣痛がはじまっても一
時間もあれば帰ってこられる。ひなたは保育
園に通常通り登園してもらい、近くにすむ義
母に迎えにいってもらうよう、みんなで話し
て準備をしていた。
そして陣痛。すこしずつ痛みの感覚が近く
なるのを感じながら、ひなたに朝食を食べさ
せ、着替えさせ、朝八時すぎに、夫、ひなた、
私と車に乗り家を出た。
車が走り出したその瞬間、大きな陣痛がや
ってきた。慌てた私は予定を変更して先に病
院に行ってくれるよう頼み、病院に駆け込ん
だ。夫は、ひなたを保育園に預けたらすぐに
駆けつけるからといって、車を急発進させた。
「大丈夫よ、待っているから、きっとお昼頃
に生まれるんじゃないかな」といって、私は
手を振り二人を見送った。
そして、受付を済ませ、病棟についたその
瞬間、最大の陣痛がきて、みずきは生まれた。
ちょうど朝九時。病院のすぐ近くの保育園に
ひなたを預け、夫が戻ってきたとき、すでに
みずきは産湯につかっていた。
分娩室に入ってきた夫をみながら、二人で
笑い合った。日本を横断しても間に合わず、
家のすぐそこでも間に合わない。不思議なも
のね、と。
― 178 ―
俳誌歴訪
未央
阿部王一
四月号
しぐれ
同
本誌の主宰は古賀しぐれ氏。昭和五十七年、
高木石子が大阪で創刊。高浜虚子を師系とし、
大阪市北区からの発行。本号は通巻三七八号
である。
主宰詠「春のこゑ」より
海の春光の春の立ちにけり
一宮の山を背負うてゐる余寒
〈未央は「びおう」と読みます。未だ半ば
という意味で、日々研鑽して自己を磨いてゆ
くという意味が込められています。花鳥諷詠
の伝統を守りつつ、詩情豊かで、斬新な発想
の句を目ざしています〉これは、主宰から頂
いたお便りの中の言葉である。
表紙裏には、狩屋可子氏の「高木石子の一句
鑑賞」〈いつ暮れしともなく春の月ありぬ〉、
第一頁は主宰の古酒新酒「氷室一番桜」。奈
良の氷室神社と樹齢四百年とも伝わる枝垂れ
古川育栄
加藤あや
桜のに関する随筆に〈古都絵巻氷室一番桜よ
り〉の句がある。作品欄は主宰選の「雑詠」、
多田羅初美選の兼題句「雲母集」、中学生以
下が対象の「さくらんぼ」がある。句評欄の
主宰の選後評は四ページにわたる。福本恵夢
氏の「未央論壇」は「季題探検」として「律
の調べ」「色なき風」といった季題を取り上
げていて勉強になる。また、主宰他四名が吟
行をし、五句出句、五句選で合評を行う「句
座句遊」。五名の句会だからこそできる丁寧
な鑑賞、批評、添削等が繰り広げられる。参
加者の息遣いまで感じることができる。
「雑詠」より
初春や拝す木の神石の神
初氷まだ面積となり切れず
一句目。日本人の精神の根底には大自然と
共生してきた大昔からの記憶が受け継がれて
いる。今年もまた、自然の恩恵を願う作者の
思いに共感する。
二句目。温暖化がいわれているが、夏は暑
さが、そして冬は寒さが厳しくなっているよ
うだ。この冬一番の寒さの中、発見した氷の
先駆けが、絶妙に表現されている。
― 179 ―
自註シリーズ
平成十六年
(その二)
田みゆきの一○○句
春 田 打 つ 方 丈 石 の 山 裾 に
鴨長明は五十歳で出家し日野の山中に隠栖した。一丈四方の庵
跡は大きな岩の上の僅かな空間である。小鳥の鳴き声と渓水の
平成十六年
【田打・春・人事】
音だけが聞こえるこの庵で『方丈記』を認めたのである。
三 味 の 音 に そ 知 ら ぬ 貌 や 恋 の 猫
路地や塀の上から恋猫の声が聞こえるようになると気温は未だ
低くても春の訪れを感じる。動物の中で人間だけは季節を問わ
ず恋をする。何歳になっても恋の句を作りたいと思っている。
【猫の恋・春・動物】
― 180 ―
樹の上で吹くハーモニカみどりの日
平成十六年
兼題の「ハーモニカ」で作った句である。小さな楽器だから子
供のズボンのポケットにも入る。お気に入りの木に登って遠く
平成十六年
【みどりの日・春・人事】
を見渡しながらハーモニカを吹いたら気持ちが良いことだろう。
梅 雨 の 月 あ げ て 高 野 の 杉 木 立
高野山の金剛峯寺に詣でて宿坊で泊まったことがある。弘法大
一際深く感じられた。梅雨の月がかかる杉木立も暗かった。
師の御廟、豊臣家や徳川家の墓所など多くの霊が眠る夜の闇は、
【梅雨の月・夏・天文】
― 181 ―
僧 堂 の 網 戸 吹 き ぬ け 山 の 風
平成十六年
宇治川畔の興聖寺は道元禅師が開創された修業道場である。琴
平成十六年
【網戸・夏・人事】
涼しい。坐禅をする僧堂へ山や川から風が吹いてくる。
坂を登る参道は、夏には青楓が覆いとなり左右の小流れの音も
ひ し め き て 管 よ り 貌 を 出 す 穴 子
焼き穴子や穴子寿司からは想像しにくいが、水族館で夜の穴子
を見て驚いた。昼間は束ねた細い管の中に潜んでいるが、照明
を落とすと長い胴体をせり出して、ゆらりゆらりと立っていた。
【穴子・夏・動物】
― 182 ―
敦 盛 の 笛 聴 き た し や 須 磨 は 秋
平成十六年
須磨寺には平敦盛の首洗い池や首塚がある。愛用したという青
葉の笛と高麗笛も展示されている。熊谷直実に討たれたのは十
平成十六年
【秋・秋・時候】
六歳の時。須磨の秋風に吹かれながら、早世の若者を悼んだ。
ひ た ひ た と 我 に 寄 せ く る 月 の 波
琵琶湖の渚で月の出を待っていた。対岸の彦根辺りの山から名
月が昇りはじめたその瞬間、一条の金色の光が真っ直ぐに湖上
を染めて私の方へ伸びてきた。静かに寄せてくる月の波、波。
【月・秋・天文】
― 183 ―
青
竹
を
結
ひ
神
苑
の
霜
囲
平成十七年
平安神宮の大前には左近の桜、右近の橘が植えられている。黄
ときじくのかくのこのみ
色く熟れた実を沢山つけている橘に、大掛かりな霜囲がされて
平成十七年
【霜囲・冬・人事】
いた。橘の古名・非 時 香 菓には常世の国への思いが籠もる。
大 海 の 底 に プ レ ー ト 月 冴 ゆ る
東日本大震災から三年になる。三十年以内に大地震が発生する
る昨今である。皓々と照る月は、この地球をただ回り続ける。
確率が七十パーセントという南海トラフの動きが殊に気にかか
【月冴ゆ・冬・天文】
― 184 ―
寒 林 に 入 る ポ ケ ッ ト に 飴 ひ と つ
平成十七年
葉を落としきった寒林に踏み入って歩いていると身が透き通っ
平成十七年
【寒林・冬・植物】
含む飴玉から舌にジワッと広がってくるのは「生きている実感」。
てゆくような気がする。冷えてゆく生身を意識するとき、口に
吹くならば銀のフルート春めきぬ
オーレル・ニコレの音色に魅せられたせいだろうか。もしフル
ートが吹けるのならば金色よりも銀色のフルートを吹きたいと
思っていた。春の月に照らされて吹くのであれは尚のこと。
【春めく・春・時候】
― 185 ―
春 雨 や ひ ね も す 灯 す 屋 敷 神
平成十七年
琵琶湖の畔を歩いていると、庭の一角に屋敷神を祀っている家
によく出会う。紅殻塗りの古風な屋敷で、昼間にも灯明が点さ
平成十七年
【春雨・春・天文】
れていた。細かい春雨が降っていて湖の沖も仄暗い日だった。
南 風 吹 く 天 井 川 を 越 え に け り
草津は東海道五十三次のうち五十二番目の宿場町。東海道と中
山道の岐れ道にあたるところで、天井川の土手下に追分の道標
が建てられている。本陣の大福帳に草津宿の往事を偲んだ。
【南風・夏・天文】
― 186 ―
糸とんぼ草に止まりてふつと消ゆ
平成十七年
日吉大社の門前町である坂本には延暦寺の里坊が五十近くある。
穴太衆積みの石垣が続く参道を辿り大社の境内に入ると大宮川
平成十七年
【糸蜻蛉・夏・動物】
の清冽な水音が聞こえる。水色の糸とんぼも神秘的だった。
秋 風 を 奥 ま で 入 れ て 石 舞 台
奈良県の明日香村で一泊吟行をしたことがある。蘇我馬子の墓
には松虫の声。羨道から石室の奥まで風が吹きこんできた。
といわれる巨大な石室(石舞台)の傍に曼珠沙華が咲き、草叢
【秋風・秋・天文】
― 187 ―
朝 寒 や 濡 れ て 重 た き 竹 箒
平成十七年
母がしていたように庭の落葉を竹箒で掃く。こんな静かな朝の
平成十七年
【朝寒・秋・時候】
つ。露や霜に濡れた箒の感触が様々なことを思い出させる。
時間を過ごせるようになったことが無職ということかと思いつ
膝にきて止まる秋騎野の蜻蛉かな
大宇陀の又兵衛桜を見に行った時に秋騎野も訪れた。万葉集の
「ひむがしの野にかぎろひの立つみえてかへり見すれば月かた
ぶきぬ」(柿本人麻呂)の地で草に坐った時に寄ってきた蜻蛉。
【蜻蛉・秋・動物】
― 188 ―
披くより御句碑ぬらす加悦しぐれ
平成十八年
紘文先生が選者をされていた加悦町文化祭俳句大会に参加した。
平成十八年
【時雨・冬・天文】
とされ、大江山や加悦時雨も祝ってくれたような日となった。
先生が「加悦谷の畦を重ねて草紅葉」の句碑披きの白い幕を落
冬 深 し 病 室 に 鳴 る 電 子 音
五人の子供を生み育て大病をしたこともなかった母が、八十四
歳にして産まれて初めて入院した。心不全による緊急入院だっ
た。ICUの電子音が不気味に響き、不安が一層深まった。
【冬深し・冬・時候】
(続く)
― 189 ―
ちょっと俳句ing(六十五)
佐藤白塵
〈お勧めの吟行地〉
東京銀座からも徒歩でほんの十五分、都会
の中のオアシス、東京都立浜離宮恩賜庭園を
ご紹介いたします。
旧国鉄汐留操車場の跡地の再開発がこの四
半世紀で足早に進み、超高層ビルが立ち並ぶ
足元の東京湾側一帯に浜離宮庭園が守られて
います。
六代将軍徳川家宣の時、将軍家の別邸とし
てそれまでの甲府藩の下屋敷が改修され、浜
御殿と改称されました。その後徳川家斉と家
慶の頃は将軍のタカ狩りの場として使われま
した。もともと海を埋め立てて造られたため、
汐入の池が配されており、今も川鵜や鴨など
の水鳥がいつも羽を休めています。
現在は東京都の管理する特別名勝・特別史
跡として年々整備も進みつつあり、都民の憩
いの場として貴重な空間を提供しています。
特に最近は東京都が運営する水上バス、東京
水辺ラインが浜離宮の専用岸壁に立ち寄るコ
ースを設定していることなどもあり、数多く
の海外からのお客様も好んで訪れるようにな
っています。
数ある都立庭園のうちでもこの浜離宮庭園
はその規模や多彩な施設配置、歴史的背景に
おいて最も重要なものの一つと位置づけられ
ており、年々歴史的な建造物の再現や、修復、
さらに樹木植生の保護改善などの大変な努力
が注ぎ込まれているように思います。
◇雪の日
今年の東京は大雪に二回見舞われました。
如何に東京の街中の公園とはいえ、雪の日に
は、人々はなかなか歩いてここまで出て来よ
うとはしません。私は朝から雪が積もってい
るのを見ると、朝食もそこそこに、いそいそ
― 190 ―
浜離宮恩賜庭園大手門入り口
水上バスの着岸
― 191 ―
2014 年 2 月 雪の日の庭園
2011 年 春の菜の花
― 192 ―
白塵
と浜離宮へと出かけます。人が足を踏み入れ
る前に新雪を踏みしめたいからです。
今年も二月初めの大雪の朝出かけました。
普段なら小一時間で歩いて行ける距離ですが
雪の朝は足元が悪く二倍くらいの時間をかけ
てたどり着きます。大手門側の入り口で管理
事務所の方からは、園内各所に雪による危険
もあるので気をつけてと一言掛けられ、真っ
白に雪化粧した庭園に足を踏み入れます。雪
の日のお勧めは、中の御門前の広場です。こ
こは普段は広々とした砂利道で、誰もいない
なかで、どこへでも安心して深く積もった新
雪の中に足を踏み込めるのです。
庭園に人影なくて雪の音
◇内堀のお花畑
春には梅が見ごろを迎えるとすぐに、例年
内堀のお花畑は、美しく華やかな濃い黄色の
菜の花で一面が埋め尽くされます。すぐ後ろ
の汐留の高層ビル群の近代的な建物の意匠に
見事にマッチした対照的な眺めは、訪れる内
白塵
外のお客様の格好の視点場となっています。
ただ、今年は残念なことに先の大雪で、菜の
花の茎が倒されてしまい、例年よりは少し控
えめな黄色の絨毯でした。
菜の花がまなこも鼻も温める
白塵
◇汐入の池
そして桜の時期がやって来ます。園内には
多くの種類の桜が植えられており、早咲きの
ものは二月から、開花の遅い八重桜は四月後
半まで、長く楽しむことができます。汐入の
池の端には桜並木が配されています。私はそ
の並んで咲き誇る桜の中で、一本だけ薄黄色
の花を俯き加減に咲かせる鬱金桜が好きです。
この汐入の池は潮位の上げ下げに伴い水門
を開閉し常に海水の交換が行われ、水質を保
っているのです。この庭園が隅田川河口付近
に位置し、埋め立てにより海岸線が遠のかな
かったことが幸いして、都内に唯一残る汐入
の池と言われています。
汐入の池春水のほとばしる
― 193 ―
仕出し屋「辨松」の赤飯弁当
御亭山から見る汐入の池と遠景の東京タワー
― 194 ―
春の満ち汐を勢い良く取り込む汐入の池横堀水門
新装なった歌舞伎座の賑わい
― 195 ―
〈吟行地までの道案内〉
ここへ行くには都営大江戸線築地市場駅ま
たは汐留駅から約七分、あるいはJR、東京
メトロ銀座線、都営浅草線の新橋駅から十二
分くらいです。都営浅草線の東銀座駅からの
アクセスもお勧めです。
昨年新装なった歌舞伎座とその賑わいを眺
めて、瀟洒な料亭の並ぶ街を縫って歩けば緑
の庭園に十五分程でたどり着きます。入園料
一般三百円、六十五歳以上百五十円。
丘、御亭山(おちんやま)で庭園の景色を独
り占めにしながら昼ごはんにします。特に 辨
松 の赤飯芝居弁当は上品な味で私のお気に入
りです。借景に東京タワーも美しい姿を見せ
ます。
〈吟行案内人〉
〒一三五 ○○六一
東京都江東区豊洲五‐六‐四五‐九一七
‐
‐
」
-
〈ちょっと耳寄りな情報〉
東京都公園協会が発行する 都立9庭園共通
パスポート 年間四千円 を使えばここ以外に
も都内の価値ある庭園が見て回れます。
私は普段ここへは歩いて通い、毎月数回こ
のパスポートで入場させていただきます。も
うここはまるで自分の庭という気分です。四
季それぞれの趣を楽しむことができます。
私はよく朝のうちに家を出て銀座方面をぶ
らぶらし、歌舞伎座の前の仕出し屋さんで芝
居弁当を買い、庭園のまんなかにある小高い
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― 196 ―
(
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香港への慰安旅行
輝二さんのつれづれ紀行
Ⅳ
荒木輝二
一九九六年十一月、所属する経理部は大所
帯のため、金曜日の夜、土曜日の朝の二班に
分けて出発し、現地で落ち合った。JALで
行き、現地で降りた時、非常に蒸し暑かった
ことを記憶している。
昼食は点心等で頂いた後、スターフェリ―
に乗り、対岸の香港島に行った。速度の速い
エスカレーターに乗り、ビクトリアピークに
着いた。対岸の九龍半島には高層建物が立ち
並んでいた。夕方になると一斉に電気がつく。
その光景は壮観であり、それを見るために多
くの観光客が訪れるという。ジェ二ファ―・
ジョ―ンズ出演の映画「慕情」の舞台にもな
った。
夜景を楽しんだ後、エスカレ―タ―で下り、
宝石や金商品が並ぶ商店街を散歩した。狭い
所を二階建てのバスが走っていた。私達はそ
のバスにも乗った。その後、地下鉄に乗り、
ホテルのある九龍半島の南部まで行った。ホ
テルの窓から見た街角は雑然としていた。
翌日は、ガイド付きのバスに乗って市内を
観光した。高いビルを建設するのに、竹材の
足場が組まれていたのには驚いた。香港では、
当たり前のことだという。また、警察署の塀
には金網が外に向かって湾曲して張られてい
た。外部からの侵入を防ぐためのもという説
明にも驚いた。
洗濯物は、建物の中から棒のようなもの出
し、その上に干されていた。貴金属店が所狭
しとあり、気温と共に熱気ムンムンで、市民
の逞しさを感じた。
昼からは地下鉄に乗り、香港島のレパレス
・ベイに行き、記念写真を撮った。レパレス
の名前は、イギリス海軍にあった巡洋戦艦の
― 197 ―
レパルスベイでの記念写真
ビクトリアピークでの記念写真
― 198 ―
田中忠男
稲田眸子
こ の本、こ の一句(二十九)
『作務衣』
つまならぬゆびにむかれしよるのもも
(「俳句界」平成二十三年十一月号より転載)
産毛に覆われた薄い皮を指で丁寧に剥がす。
そのあとに現れる白とピンクが微妙に交じり
合った果肉にむしゃぶりつく。とろりと柔ら
かい果肉から果汁がじんわりと溢れる。官能
の味だ。この感覚をどう表現すればよいので
あろうか。漢字仮名混りで表現すると〈妻な
らぬ指に剥かれし夜の桃〉とするのであろう
が、大和言葉の響きを愛し、ひらがな表記を
追求し続けた作者は全てひらがなで表記した。
平成八年に肺癌により死去した作者の思いを
継ぎ、十五年後に「ひらがな俳句集」として
編まれた本著。収録した二百句余その全てが
ひらがなで表記されている。茨城県生まれ。
『桃』
田淵宏子
桃 流れ 来 し川の あり桃を食む
(「俳句界」平成二十三年十一月号より転載)
「昔ある所に、おじいさんとおばあさんが
住んでいました。おじいさんは山へ芝刈りに、
おばあさんは川へ洗濯に行きました。おばあ
さんが川で洗濯をしていると、ドンブラコ、
ドンブラコと大きな桃が流れてきました…」
で始まる昔話。吉備の民話「桃太郎」の冒頭
部分である。岡山の地に生まれ育った作者。
桃を食べる動作を「食ぶ」でなく、「食む」
と表現したのは、故郷をこよなく愛しんでき
た作者の心の現れ、美意識であろう。「愛と
感謝と尊敬」を理念とする『曲水』に平成七
年入会。現在、特別水巴会会員。今を生きる
作者の「愛」の句が随所に鏤められている。
― 199 ―
四 季 の 句 暦 ( 二 十 七) 稲 田 眸 子
その昔、お正月は春の始まりと考え、人々
は春の訪れがもたらす生命の誕生を心から喜
び合った。「めでたい(芽出度い)」という
言葉は「新しい春を迎え芽が出る」という意
味。また、新年の挨拶の「明けましておめで
とうございます」は、年が明け歳神様を迎え
る際の祝福の言葉であった。来る新年が皆様
にとって稔り多き年でありますよう祈念して
いる。
邂逅の姑を偲びつ福茶のむ
手塚美智子(戸ヶ崎)
人の縁とは不可思議なもの。夫
婦の間であれば、解消できるも
のが、嫁と姑となると…難しい。
こ句の嫁姑は円満な仲。姑を偲
びながら飲む福茶の味は格別で
あろう。福茶とは長寿を祝って
飲む縁起物のお茶のこと。
【福茶・新年・人事】
(「りぶる」平成二十五年十一月号より転載)
外灯のあかり掻き消す雪女郎
宮田ゑつ子(戸ヶ崎)
「眠りこけている山師の上に身
を屈め、血を吸い始めた。血を
吸われた山師たちは雪のように
白うなって…」。ある村の雪女
郎伝説の一節。外灯を掻き消す
程の吹雪に幻想を見た作者。無
事に帰宅できたであろうか。
【雪女郎・冬・天文】
― 200 ―
便り
の
小箱
三月十一日、あの日から三年が経ちました。あっ
という間ではありません。鎮魂と再生の三月という
言葉を知りました。
弥生、雛、春、三月は一年中で一番華やいだ月で
ありましたのに、「三月は無い方がよい」と、彼の
地の人達がおっしゃっていました。胸が痛みます。
東京も冬が戻ってきた様子で、寒そうですね。
福岡でのあの集まりから、またご縁ができまして、
山 口 慶 子 さ ん 、 笠 村 昌 代 さ ん と、 お 電 話 で お 話 し ま
した。嬉しいことです。どこに行っても一番年上な
のに、皆さんお友達になって下さって有難いと思い
ます。『少年』のおかげです。
( 中略)
趣味を同じにするということは、ほんとに嬉しいこ
とですね。新しい世界が開けてきたように思います。
川西ふさえ(福岡市)
*
冷たい春の朝を迎えております。三月の春は、行
き つ戻 り つ 、 残 る 寒 さ は な か な か 厳 し い も の で ご ざ
います。
先 日は 、 お 久 し ぶ り に 『 少 年 』 福 岡 在 住 の 皆 様 と
お会 いした り 、また 、 眸子 様の お話を お 聞きでき 、
有難 うござ いました。
お話の一つひとつを肝に命じながら、俳句への思
い を 深 め ま した 。 一 人 呟 く よ う な 句 作 り に 、 筆 を 折
ろうかと思っていたところでございました。折れそ
うになった心に、改めて自分を見直してみようと思
っております。あと少しの余生を、悔いのないよう
にと、思っております。
笠村昌代(福岡市)
*
春は行ったり来たり思うように落ち着いてくれま
せん 。
久方ぶりにお会いでき、直接にお話をお聞きする
ことができ、よい勉強になりました。
今までは、福岡の四人が一同に会することはなく、
先生が福岡にお出でになる折りにしか、集まる機会
がありませんでした。年に一度はこうした会が持て
たら幸せです。また、福岡にお越しの節はよろしく
― 201 ―
お願いします。
落合 青 花 ( 太 宰 府 市 )
*
今日は、冬日に逆戻りの寒さでした。ダウンジャ
ケットが、なかなか手放せません。それでも仕事場
には南側の窓から十分な陽光が射し込むようになり
まして、快晴の日には、照明はつけずに、自然光だ
けで過ごせます。
行き帰りの電車に、居眠りの人が目立つようにも
なりました。長閑で、私の好きな、電車の光景です。
倉田洋子(東京都)
*
教育会館登り口の桜の蕾が、二、三日の暖かさで
ふく ら み 始 め 、 そ の か た い 蕾 の 先 端 に 初 々 し い ピ ン
クの頭がのぞき始めています。その余りの新鮮な光
景に足を止め、見入っています。無心にその時を待
つ桜の姿を眩しく感じています。
昨日の長浜小の五年生の授業で今年度の俳句指導
が終了しました。 子どもの 中には「 俳句が好きで
す」と語る子や、授業後、階段を下りながら「いい
俳句ができて嬉しかった」等の会話が友達同士で交
わされるようになったこと。子ども達の文集の中に、
俳句のページを作ってくれる担任や、日常の生活の
中に俳句をとり入れて下さっている担任のいること
等、感謝の一年でした。長浜小からは、来年度、九
州地区の理科の公開研究会の機会をいただいている
ので、俳句との接点も考慮に入れた指導をしてみた
い等、嬉しい声もいただいています。
どの学校からも「子ども達が変わった」という嬉
しい感想をいただいています。引き続きご指導を…
…との声もいただいています。元気の続く限り、子
ども達と交流をと…と願っています。
小野京子(大分市)
*
近くの公園の山桜の蕾がほころび始めました。こ
こ二、三日、こちらも春めいてまいりました。
三月六日でしたか、新聞で日田の本諸子養殖の記
事を読みました。写真をみましたが、実感がわかず
出来ません。兼題の「諸子」は遂に作句できません
でした。皆様が諸子をどう詠んだのか、五月号が楽
しみで す 。
四月からは今より少しゆったりと過ごせそうです。
丁寧に日々暮らしたいと思っています。
利光幸子(大分市)
― 202 ―
*
彼岸に入り、ずいぶん陽光も春めいてまいりまし
た。私の今日の散策コースでは、早くも山桜が二、
三個花をつけており、土筆もいく本か見つけました。
九州の春一番はまだですが、もうそこまで春本番が
来ているようです。
私のやっかいなスギ花粉症も随分治まり、ようや
く春を満喫する事ができるようになりました。
木々に勢いがあるこの時期からは、木立の中を歩
くと気持ちまで昂るようです。自然のありがたさが
身に染 みます。
佐藤辰夫(大分市)
*
今日は雨水、もう雪の降る日のないことを祈りつ
つ、ペンを走らせております。(中略)
三月号に、家族の歩みを掲載でき、我が家のよい
記念になりましたと主人と共に喜び、感謝しており
ます 。家 族のこ と 等 、 なか なか 作品 に出来ず に おり
ましたが、『少年』の作品として残すことができま
して、嬉しいことでございます。
土曜日ごとの大雪、大変驚きました。まだまだ庭
の芝の上は真っ白ですが、庭に出て、少しずつ除雪
しております。家の方は大丈夫と思っておりました
のに、雪の重みで雨樋の一部が破損しておりました。
幸い、身体を痛めることがなかったことに感謝して
おります。
椎名 よし江(横 浜 市 )
*
大江山はまだ残雪の佇まいです。三寒が長引いて
い ま し た が 、 よ うや く 春 の 気 配 と な り ま し た 。
今年は関東方面に大雪があり、テレビでその様子
をみました。関東方面に雪が降る時は、こちらは雪
が 比 較 的 少 な く 、変 な 感 じ が し ま す 。 我 々 は 大 雪 に
慣ら されて い るので 、 さほ ど 不便 は 感 じ ま せ ん が 、
大都会は機能がマヒし、大変で すね。
杉本美寿津(京都府与謝郡)
*
夜来の雨に桜が一斉に開花致しました。開花前線
の情報にむずむずして、千寿子をお供に、大阪まで
花見 に行 くこ と に しま した 。
淀川の水上バスに乗り、あべのハルカス、繁昌亭
の 落 語 、 晴 明 神 社 、 松 蟲 塚 … 、 ち ょ っ と ハ イキ ン グ
のつもりで、「万華鏡」を書きたいと思っています。
篠﨑代士子(別府市)
― 203 ―
*
オ ラ ン ダ よ り 来た と い う チ ュ ーリ ッ プ ピ ン ク を 買
い 求 め 、 鉢 に 植 え ま した 。 そ の 葉 が 伸 び て き ま し た 。
葉先の蕾はピンクというより濃赤色を見せています。
どんな花を見せてくれるのか、楽しみです。
宮川洋子(飯能市)
*
三月四日に、お能の様々の会があり、その稽古に
追われ、へとへとになっております。会は四月二十
九日の久留米の「舞囃子」の会まで続きます。小さ
い頃からの謡と舞、そして、終戦よりの俳句は、私
の健康の源と思っています。
お送りいただいた『少年』を仲間の方々に回覧し
ました。 『少年』は読む ほ ど に楽 しく 、 頷く事ば か
りです。入会希望者をお聞きしてみますと、十一名
とな りま した。 名 簿を 送ら せて いた だき ま す 。
会員の端に加えていただき、じわじわと御指導を
仰ぎ 、勉強させて いた だければ 大変 幸せで ご ざ い ま
す。光を望んでおります。
今朝はマイナス六度の大霜。昨日の朝は一面の雪
に驚かされました。お体大事にお過ごし下さいませ。
穴井梨影女(阿蘇郡小国町 )
パ ー ト Ⅳ ・十 四号
パ ー ト Ⅳ ・ 十 五号
( 平 成 二 十 六 年 九 月 号)
共通テ ー マ 兼 題
○八朔
○厄日
○稲妻
○釣瓶落とし
○鳳仙花
○櫛
○棚
(
パ ー トⅣ ・十 七 号
)
共通テーマ 兼題
○天瓜紛
○水鉄砲
○ 袋掛
○誘蛾灯
○守宮
○南
○北
( 平 成 二 十 七 年 一 月 号)
(
パ ー ト Ⅳ・ 十 六号
( 平成 二 十 六 年 七 月 号 )
( 平成 二 十 六 年 十 一 月 号 )
(
共 通テ ー マ 兼 題
○ 初鶏
○破魔弓
○御降
○ 七福 神 詣
○寝正月
○ピン
○毛
)
(
共 通 テ ーマ 兼 題
○口切
○亥の子
○十夜
○隼
○目貼
○点
○辻
― 204 ―
)
)
― 205 ―
― 206 ―
― 207 ―
― 208 ―
― 209 ―
[執筆者住所]
◇巻頭作家招待席/ 髙 松くみ
〒205-0011 東京都羽村市五ノ神2-6-32
TEL:042-555-1883
◇秀句ギャラリー鑑賞/長田民子
〒870-0316 大分市大字一木420
TEL:097-593-0526
e-mail:[email protected]
◇虚子嫌いが読む虚子の歳時記
〒331-0044 大宮市日進3丁目34ー1 ハウス大宮日進101
TEL:0975ー68ー6566
e-mail:[email protected]
◇銀幕の季語たち/溝口 直
〒870-0952 大分市下郡北3-24-2
TEL:0975ー69ー5074
e-mail:[email protected]
◇代士子の万華鏡/篠﨑代士子
〒874-0033 別府市上人南町11組
TEL:0977ー66ー0015
◇花曼陀羅/平田節子
〒870-0875 大分市青葉台2ー2ー11
TEL:0975ー45ー8707
◇叡命さんのフォトアルバム/山岡叡命
〒274-0816 船橋市芝山6-36-3
TEL:047-461-6683
e-mail:[email protected]
◇京子の愛唱百句「癒し」/小野京子
〒870-0873 大分市高尾台2丁目8番4号
TEL:097-544-3848
◇自叙伝「私は軍国少女」/中嶋美知子
〒870-0864 大分市国分1975-18
◇れい子の宝箱/松村れい子
〒 870-0826 大 分 市 大 字 永 興 城 南 西 町 1 A33-331
TEL:097-544-4941
◇ひなたとみずきの子育て日記/細井みどり
〒181-0064 東京都三鷹市野崎2-13-30
TEL:0422-33-1127
e-mail:[email protected]
◇俳誌歴訪/阿部王一
〒874-0910 別府市石垣西6丁目3番46号
TEL:0977ー22ー9617
e-mail:[email protected]
◇くにをの絵手紙紀行/梅島くにを
〒939-1552 富山県南砺市柴田屋114-1
TEL:0763-22-2764
◇自註シリーズ/田みゆき
〒611-0011 宇治市五ケ庄戸ノ内50-67
TEL:0774ー32ー5914 e-mail:[email protected]
◇ちょっと俳句ing/佐藤白塵
〒135-0061 東京都江東区豊洲5-6-45-917
TEL: 03‐3534‐8377 email:[email protected]
◇輝二さんのつれづれ紀行/荒木輝二
〒341-0036 三郷市東町370-1-604
TEL:048-956-5637
e-mail:[email protected]
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