2011 年世界マスターズ選手権大会 参加結果報告(概要) (社)日本ウエイトリフティング協会・マスターズ委員会 (一般社団法人) 日本ウエイトリフティング協会・マスターズ委員会 1 「2011年 第 27回 IWF 世界マスターズ・ウエイトリフティング選手権大会 兼第18 回世界マスターズ女子ウエイトリフティング選手権大会」 ( 概 要 ) 1 開催期日 2011年 10 月 29 日(土)~ 11 月 5 日(土) 2 場 キプロス国リマソール市・「スピロス・キプリアーノ・アスレチィックセンター」 所 (Spyros Kyprianou Athletic Center, Limassol, Cyprus) 3 参加選手 女性の部は、20 カ国 69 名、男性の部は、35 カ国 294 名、合計 363 名が競技。 ○日本国からは、女性 2 名、男性 32 名の参加で金 3(4)、銀 8(3)、銅 9(2)、合計 20(9)個。④-4(8),⑤-6(4)、 ⑥-0(3)、⑦-0(2)、⑧-2(1)、団体選手権 第 5(6)位入賞。*カッコ内は、2010 年実績。 ◎メダル獲得数合計 20 個は、昨年 9 個の大変厳しい状況から回復傾向。(昨年比+11 個) ○昨年(2010 年)、年末になって、カナダ国モントリオール市のモントリオール大学内と早くから決まって いた競技会場がキャンセルになり、急きょ、キプロス WL 協会が開催を引き受けることになった。と、 「IWF Masters Home Page」を何気なく開いて見て、一行目に、このネット配信がされていてたのに驚いた。 一体、何があったのか。それは、ともかく今年(2011 年)は、地中海の東端に浮かぶキプロス島(四国の 半分の大きさで面積は、9,251 ㌔㎡)の「キプロス共和国」(2008 年現在の人口 871,000 人。ギリシャ系キ プロス人が 78%、トルコ系キプロス人が 11%、その他が 11%)。キプロス国の北の陸地は 100 ㎞弱で、ト ルコ。東は、レバノン、ベイルート、その南隣がイスラエル・エルサレム、シナイ半島、スエズ運河を経 て、エジプトと続き、アフリカ大陸の北端を地中海沿いに西にリビア、チュジニア、アルジェリア、モロ ッコと続く。今年 2 月にチュジニアから始まり、パソコンによるネット革命の連鎖が続く。 「ツイッター」 や「フェイスブック」を使った民主化へのネット革命だ。独裁的な政権が倒され、エジプトやヨルダン、 シリア、サウジアラビアなど中東で次々に民主化への波が広がりつつあるという大きな出来事が続いてい る。このキプロス周辺の不安定な社会情勢を心配して、今回の参加を断念する代表選手も。 そこへ、3 月 11 日には、 「東日本大震災」が発生。滋賀県の大津市琵琶湖におの浜にマスターズ WL の仲 間が集まる「日本マスターズ WL 研究会」(佐々木巌塾長)に練習に行き、その帰路、京都の左京区浄土寺 の拙宅に戻る途中の逢坂山付近でカーラジオのニュースで知った。東北の三陸沖でマグニチュード 9.0 の 巨大地震発生。これは、神戸の地震の比ではない。大変なことになる予感がした。そして、巨大地震に続 き、千年に一度という「巨大津波」が震源地に近い岩手、福島、宮城、茨城の太平洋沿岸の各県を襲い、 特に、福島原発の壊滅的な被害から、日本は、「放射能汚染被害の時代」に入ってしまった。 10 月に入って、WM に間もなく出発という時になって、トルコ東部(イランに近い側)で、10 月 23 日 午後 1 時 40 分ごろ M7.2 の巨大地震発生。建物倒壊による大規模な被害が伝えられる。これは、世界マス ターズの会場地キプロス国に近いのでショックだった。 (結果は、キプロスには、影響なしと判明。 ) 10 月 20 日には、内戦状態の続く、リビアの最高指導者だったカダフィ大佐が反対派に銃撃を受け死亡 し、同 23 日、リビアの反カダフィ派「国民評議会」は、カダフィ政権の独裁支配との決別と全土の解放を 宣言。同 10 月 23 日、タイ国の大規模な洪水被害が、バンコク市街中心部に拡大し、当地に進出している 日本企業の自動車やデジタル製品の生産にかかわる多くの部品メーカーに被害が出て日本経済に影響。 ギリシャ発の金融危機が発端で起きたヨーロッパの経済不安。ギリシャ国民の政治に対する不満も大き く、アテネ市民による過去最大というゼネスト。火炎瓶と催涙弾の飛び交う大規模デモが TV のニュース に。そして、若者を中心にニューヨークにも経済格差不安への怒りの連鎖が広がる。ギリシャ、イタリア、 スペイン、フランスへとヨーロッパ全土に広がる「ユーロ不安」の拡大は、雇用問題にも直結して世界の 経済が大変厳しい状況に。 2 このような背景の中で、世界マスターズ(WM)が開催され、35 カ国から 363 名のマスターズリフター がキプロス国のリマソール(Limassol)市に集まった。 青い空とコバルトブルーに染まる海の色。リマソール海岸のキプロス WL 協会指定のリゾートホテルに 宿泊する。夏のバカンスが終わった後ではあったけれど、キプロスでは、夏日が続き、海水浴を楽しむ人々 も。若者で賑わう夜のホテル周辺のレストラン街は、メーン道路を一歩入れば、狭い道に両側駐車で車が ひしめく中を縫って、あらかじめホテルのフロントで聞いておいた「うまい料理の店」から、お気に入り の店を探し、魚介類を大皿に山盛りにしたキプロス料理、お肉の炭焼きを中心にしたトルコ風の料理など を選ぶ、それは、どれも、量が多くて4人で 2 人前の料理を食べきれなかった。味付けも美味で満足した。 ドバイを拠点とするエミレーツ航空は、機内食その他サービスも良かったし、機内のレイアウトも気に 入った。前の座席の背面に設置の横長の液晶ディスプレイもやや大きく、タッチパネルで見やすく最後部 の座席を真野さんが往復ともに指定して頂いてトイレに便利でとてもありがたかった。関空からドバイま で 10 時間半、ドバイで約 4 時間待ちの後、目的地であるキプロスのラルナカ(Larunaka)空港まで 3 時 間 40 分。ドバイで東京からのグループと合流し、岡山の全日本マスターズ以来の楽しい会話に待ち時間が 過ぎる。ラルナカ空港から滞在ホテルと競技会場のあるリマソール(Limassol)市までは、約 70 ㎞を南下。 鉄道のないキプロスでは、高速道路を車で移動することになる。白っぽいベージュ色の岩肌にオリーブや 松の樹木が所々に点在する乾燥した低い山肌が続く。どこまでも退屈な同じ風景が続き、森は見当たらな い。空港でレンタカーを借りる。初めてのことである。レンタカーカウンターに行き、手続きをとる。広 島の中島淳子先生(広島でアジア大会があったときの通訳の統括リーダーをされた方で真野さんがお願い されて同行してくださった。)そして、初参加の川﨑雅子選手(真野さんがリフティングを指導された)のお 二人がてきぱきと契約手続きを進めてルノーに決める。スーツケースを 4 個工夫して積み込む。ハンドル は、川﨑選手が握る。時計回りのロータリーから放射状に伸びる道路に入る。信号はない。従って、ロー タリーに入ろうとする車が道路ごとに進入を伺っているし、既にサークルに入った車が近づくスピードと 車間距離を計って車を操ることになるが、このとき、車を出すのか、次のタイミングを待つのかの判断に 度胸が必要だ。日本ではまず、ロータリーは、走る機会がないから、この間合い取りが大変だ。それを、 真野さんがお連れした広島の女性は、すごい度胸で車を操った。それに加えて、土地感のすごいこと。今 いる位置関係が外国の道路事情で、しっかりつかめて方向性を間違わないのはすごい。例えば、 「この道は 一番最初に通った道ですね。もう少し行くと大きな交差点に出て、右角のビルの 2 階のショウウインドゥ にウエディングドレスのマネキンが展示してあるとこですよね。 」と、川﨑さん。間もなく、そのとおりの 状況が。レンタカーにナビの設置がないのに、これには脱帽です。車線の変更などは、スピードで間合い を調整してすっと入る。同乗者に不安を感じさせない見事なもの。車の運転が出来るだけでは、外国では 車を操れないと思った。1 時間弱でリマソールに。高速を降りて海岸道路に入り、ホテル街から目的の「カ ニカ・パンティオン・ホテル」を見つける。宿泊手続きをしてから競技会場に行くことに。ホテルのロビ ーに入ったところで先着の日本人グループが大会参加の受付手続き中。そこには大会責任者のデニスさん と係員が事務所を開設。まずは、経費の支払いと「参加選手 ID カード」を受け取る。山内選手が実にてき ぱきと事務の手伝いをしてくださってスムースに手続きが運ぶ。各自がスーツケースを押して一旦部屋に 入り、競技会場の確認と「テクニカル・ミーティング」に出かける。競技会場は、海岸べりのホテルから は山手側になる。アスレッチックセンターは、大きな建物だった。固定の観覧席だけで約 4,000、広いフ ロアーの半分を幕で仕切り、アップ場と競技ステージ側に。この競技ステージと観覧席の間にオーケスト ラの一団が入るスペースを置いて観覧席になる。このスペースが何とも意味の無い大空間で、これが予測 どうり競技者と観覧席側の一体感が盛り上がらずに、いかにも惜しい。初参加の川﨑選手に、ここがアッ プ場(競技ステージを幕で仕切った裏側)で、ここから、ステージに向かって、コントローラの合図で階段 3 を上り、炭マグをつけて、この位置に進み、視線の位置は、正面の、あの辺りを…と、真野さんが指差し 説明され、川﨑さんが確認する。競技用の器具は、スエーデン製のエレイコ。川﨑さんがバーを握ってク リーンをし、感触を当たってみる。デジタル時計がこれ、持ち時間のタイムアウト 30 秒前に「ファイナル コール」のブザーが鳴る。鳴り終れば、残り 28 秒以内だ。胸キュンのスタート。大事なチェックが進む。 このときは、笑顔で。それから、18:00 前、本大会の「最終エントリー」の場となる「テクニカル・ミー ティング」の会場に、中島淳子先生にもご同行いただく。「国別対抗選手権大会」のエントリーに関する手 続き、団体戦参加料の支払い。これらを参加各国がするのでかなり時間が掛かる。ここは、中島淳子先生 に要領よく話しを進めて頂く。その後~問題の下記ルールである。 ○20 ㎏/15 ㎏ルール(根拠規則 6.5.7)S と C&J の第 1 試技重量の和がエントリートータル よりも男子で 20 ㎏、女子で 15 ㎏を下回ってはならない。(このルールを実行し監視する責任 者は…とつづきます。)このルールは、特に定めがない限りは全ての競技において適用される。 「世界マスターズ選手権大会」の場合は、「エントリー・トータル」ではなく「参加基準記録」 から男子は、-15 ㎏。女子は、-10 ㎏、(大会要項で一覧表に示される)が基本になる。 この件について、参加国で理解していない出席者がいて C&J の第1試技のときに、各カテゴリーに示さ れた S の第1試技と C&J の第1試技の和が上記の条件を満たしていない場合は、C&J の第1試技の重量 を当該数字の重量に変更する。というやり取りがあった。これも、中島淳子先生の説明で細部にまで、ど ういう質疑がされているのかが理解できてよかった。そして、もう一つ「いざ、キプロスへ!」の出発前 に日本代表の皆さんにお送りしました文書で、最も気になる新しく改正されたルールの適用~ ○コールされて 30 秒以内に次の重量の申し出をすること。この申し出をしておけば、その後、 ファイナルコール(最後の 30 秒前の合図)までに、最大 2 回の変更が認められる。(根拠規則 6.5.13) ( 通常、コンピュータによる+1 ㎏の自動増量が行われるが、この場合も、申し出をしなけ れば前記 2 回の変更は、できない。) この件の話しは、ミーティングでは、出なかった。下手に念押しをすることは、控えた。それでも、こ のルールの運用が実施されたら、えらいことになるな。という心配はあった。が、結論からいいますと、 この件は、今大会では、今までどおりの実に、ホスピタリティーな競技の進行であった。即ち、W45-53 ㎏級の川﨑雅子選手が第1試技を成功させる。真野さんが 2 回目は、何キロです。と、大森に合図される。 大森が復唱して試技カードのテーブルに跳んで行く。進行係員が「川﨑選手の試技カード」を抜き出して、 ボールペンと一緒に差し出し、記入の準備をしてくれている。その「試技カード」に、指定のキロ数と記 載者のサインをする。これで、2 回目の試技申込が成立する。3 回目も同様。J の 1 回目は、上記に記載の とおり、川﨑選手の場合、W45-53 ㎏級の「参加基準記録」が「77 ㎏」-10 ㎏で「67 ㎏」が制限記録。S は 30 ㎏であるから、J の第 1 試技は、37 ㎏以上からのスタートとなる。従って、40 ㎏からスタートの川 﨑選手は文句なしの OK だ。 真野さんの話では、今日(10 月 28 日)は、キプロスの建国記念日だという。金曜日の夜ということもあっ てホテル周辺のレストラン街は、若者を中心に大賑わい。 こんな事があった。岩崎さんのグループが散歩中に、集合写真を撮ろうとして、たまたま近くにいた女 子高校生に一緒に入ってくれるかと聞いたら大喜びで入ってくれて、撮影中キャア、キャア笑いの渦に。 私たちは、世界マスターズの日本国代表選手で、この人は、(水村選手を指差し)80 歳の選手だよ。と、 岩崎さんがいったら、感激した女子高生の一人が撮影後に海に飛び込んだ。服のまま。そして、その女性 を引き上げようとした同級生の女性が逆に海に引き込まれた。もう、やんやの喝采で大騒ぎになった。日 本では考えられませんよ。いい記念になりました。 (岩崎さん談) 4 ○10 月 29 日(土) 競技会初日。9:30 検量~11:30 競技開始で、今回は、M80 の 80 才以上のグループには、 7 名が競技。初参加の M80-56 ㎏級水村春生選手(東京都)80 才が BW52.30、S26-J33-T59-MP257.6321 で 優勝。 「金メダル」を獲得。おめでとうございます。素晴らしい。勝手が判らない初めての世界選手権大会。 大変な緊張の中を見事にやりきった。ご自分をしっかりと見失うことなく表現された。世界のステージで 会場から大きな拍手。いきなり世界の頂点に立って、「日の丸」を揚げ、 「君が代」の演奏を聴く。胸には 輝く「金メダル」 。 「表彰台のあの高いところに立って体が震えましたよ。 」と、水村さん。アップ場で、セ コンドに、岩崎修平さん(東京都)、古賀弘さん(長野県)、鈴木幸宏さん(静岡県)が付き、身の回りの世話と 的確な指示。それをしっかり守った。そしたら、「重量がウソのように軽くて、体がよく動いて、自分でも 最高のフォームだった。 」と、水村選手が述懐。 「キプロスまで来て、よかったです。人生が変わりました。」 とも。眼には、うれし涙が。こうして、日本国初の 80 才代のマスターズ選手が日本国マスターズ史上に残 る大成功を収めた。日本チーム最初のメダルは、水村春生選手の「金メダル」。拍手。 ・続くセッシヨンの競技開始で、M75-69 ㎏級 柴坂總七選手(東京都)77 才が BW67.00、S40-J42-T82、 MP251.7345 で「第 4 位」入賞。おめでとうございます。こうして、日本チームの初日が終わった。 少し早い目に、宿舎の「カニカパンティオンホテル」に引き上げる。夕刻、ホテルの部屋に山内さんが 大会役員から預かってきたと、領収書 2 枚を届けてくださった。 (IWF マスターズに加盟料と国別団体選 手権の参加料の支払い分)そして、今夜は、水村さんの「金メダル」受賞のグループチームのお祝い晩餐 会ということで、昨晩、池田さんご夫妻が行かれてよかったという魚料理が美味しい「ビッグベン」とい うレストランへ。真野さんグループは、とりあえず海岸べりを散策がてらに出かけて見ようと話している ところに、川崎さんとアニータさんご夫妻、三石さんのグループが帰ってこられて、ホテルのロビーは、 日本人グループのパーティーになって、しばし、1年振りの外国での再会を楽しむひと時となった。 それから、暮れなずむ海岸道路に出て、左右の車の切れ目のタイミングをはかって、車道を横切り、た そがれ時のビーチに出る。丁度、正面付近の見当にブルーライトに光るガラス張りの建物があって、近づ くとイタリアンレストランだった。建物の海側にせり出した方には、ガラス窓はなく、海から寄せるそよ 風が頬に心地よい。最も海側のテーブルに着く。足元の床下には波が小刻みにリズムを奏でて、空を仰げ ば茜色の空に濃い紫に染まった雲の帯が天空を横切り、その西端の切れ目には糸を引いたような三日月が 掛かっていた。漆黒の海に向かって、右手に当たる西側に伸びる明かりの繋がりが大きく弧を描いていて キプロス南岸の地形を現わし、一方、東側も光の点描が遠くラルナカ空港の方向に伸びて、小さくなって 行き、その少し上空に一瞬、花火が上がっては消えた。中島淳子さんがレストランの女性を呼んで、遠く に花火が見えることを話される。あの辺りに大きなホテルがあって、きっとお祝い事でもあるのでしょう。 ということだった。いつの間にか、もう、満席で賑わってきた。食事は、「KEO」という名のキプロスの 地ビールで乾杯。 「マルガリータ」という名のピッツアを味も焼き加減もいいと、皆笑顔で口々に。世界で 最初にワインを生産したというキプロスの本場のワインを飲みながら、無事にキプロスに着いたことを楽 しむ。中島淳子さんの日本人の英会話論や、広島で開催されたアジア大会のときの通訳の立場から見たリ フティング事情。今、大変な事になってきた世界経済と日本国の行く末を語り合った。そして、真野さん のリフティングに対する情熱の話になる。真野さんが、リフティングをしたいために公務員を辞めて、自 営業をはじめ、家族も護りつつ、広島のリフティングを発展させて来た話はすごい。真野さんの話を聞い てポンとお金を出してくださった人がいてリフティング道場を開く。抜群の環境で、真野さん自身が手を とってリフティングを指導され、お金は取らないという。これが、広島の「真野道場」である。脱帽。プ ロ野球や競輪の選手、サッカーの高校選手も教えを請う。基礎体力の強化以外にも「リフティング」を教 えて欲しいということらしく、重量を宙に浮かせて仕事をするフリーウエイトの「リフティングの動き」 が、他の競技にも大事な要素を秘めていることが「分かるコーチが出てきた様やけエ。」という真野さん。 5 明朝は、最初の試合(8 時 00 分検量)ですからと、川﨑雅子さんが一足先に席を立たれる。心地よくほ てった頬に、地中海の余り風が撫でて行く。キプロス初日の夜の食事は、いい気分のスタートである。 ○10 月 30 日 (日) 今日は、サマータイムが元に戻される日。「午前 4 時 00 分を同 3 時 00 分に時計を 1 時間遅らせる。 」という作業が全てに強いられる。それと知らずに、午前 7 時前に食堂に行ったら、まだ食 べ物が揃っていないと、おかんむりだったのは、日本人選手ばかり。 (正しくは、午前6時前だった。 )も しかして、と、フロントの古い大時計を見に行ったら 1 時間遅らせて、正しくサマータイム終了の調整が されていた。 日本人の女性選手の出番である。最初に 8:00 検量~10:00 競技開始が、初参加の川﨑雅子選手(広島県)、 その次のセッション 10:00 検量~12:00 競技開始で岩永小百合選手(山梨県)と続く。 W45-53 ㎏級の川﨑雅子選手(広島県)のグループでは、S のスタート重量が、①45 ㎏英国のジョアンヌ・ マクマナス選手。②40 ㎏が同じく英国の、ベベリー・パチソン選手。③に 30 ㎏で川﨑雅子選手が申告し 3 名がグループ上位を占める。S のベストは、①45 ㎏ジョアンヌ・マクマナス選手。②43 ㎏ベベリー・パ チソン選手。③30 ㎏川﨑雅子選手(広島県)でJに進む。J のスタート重量は、①英国のジョアンヌが 62 ㎏。 ②英国のベベリーが 60 ㎏。③川﨑雅子選手が 40 ㎏を申告。まず、メダル争いは、川﨑選手が第 2 試技で 42 ㎏を自分でも始めてのフィーリングという、両肘がスッと入って体軸から離れない見事なクリーンに続 いて、ジャークもスッと差し上げに成功した。スプリットの前後開脚がビシッと決まって自己ベスト重量 を成功させた。会場から大きな拍手。やった!世界のトップステージで自己ベストを表現した川﨑雅子選 手。指導の真野さんが笑顔になり、そして、44 ㎏をやろう。できる。と緊張した顔で川﨑選手に。「やり ます!」と、川﨑選手が答える。44 ㎏と大きな声で大森が復唱してステージ裏の進行係のテーブルに飛ん で行って川﨑選手のファイナル重量を申告する。コールがあってステージに上がり、バーの前に進んだら まず、最高のフォームをイメージして、それから始めてください。川﨑選手がこれから未知の重量に挑む。 コールされる。真野さんが川﨑選手の肩をポンと叩いて、「さあ、やるよ。」と激を飛ばす。 「よし。軽いよ。」 「自信を持って。」と、セコンド陣営から声が掛かる。階段を上がって、炭マグを両手に付ける川﨑選手。 プラットに立って、一礼し右手を高く上げ、「よし。」と、声を掛けるとステージ中央のバーベルに向かっ て進む。肩幅位にバーを握り、スタート姿勢を取る。激が飛び、会場が静寂に。次の瞬間、スタートを切 る。ファーストからセカンド爆発に。シャフトを体軸から離さず川﨑選手が体を伸ばし、更に後方に倒し たかと思うとその反動で体を起こし、次の瞬間、両肘が鋭く前に突き出て、クリーンが決まっていた。力 の無駄がなく、見た目にも軽く取った。そして、真っ直ぐに体を沈め、鎖骨に重量を乗せたまま、長身の 川﨑選手が力強く床を踏み込むと長い両脚を鋭く伸ばし、長い両腕を突き刺す様に上に伸ばした。両手首 は、後方によく折り曲げて安定していた。スプリットの前後の脚を踏み込んだ前足から平行に戻す。 「やっ たー。 」 「我慢だ。 」大声の激に続いて、大きな拍手が響く。ブザーが鳴って白ランプが。文句なしの成功だ。 更に拍手の続く中、川﨑選手が笑顔で観客に答える。階段下で待ち構える真野さんが握手の手を差し伸 べ、笑顔笑顔。「初めての重量を挙げました。」と、川﨑選手。勿論、「銅メダル」確保。「おめでとう!」 よくやった。と、真野さんの目にも涙が光る。川﨑選手の顔も、もうぐしゃぐしゃ。 キプロスに来てよかった。という気持が後からふつふつと体を駆け巡る。初参加、初メダリストとなっ た川﨑雅子選手。日本チームの陣取る観覧席に拍手で迎えられる。近くで観覧の外国人選手の一団が笑顔 で川﨑選手に拍手で祝福。川﨑選手が笑顔で返礼をする。会場が熱気を帯びていい雰囲気になってきた。 〇次のセッシヨンで W45-58 ㎏級の岩永小百合選手(山梨県)の出番になる。岩永選手は、今回も、ダイア ナ・ロイ(オーストラリア国)との因縁の一騎打ちかと思ったら、テクニカルミーティングでギリシャ国のマ リア・クリストホリディが登録しているのでトップは、この3選手のメダル争いになる。S のスタート重 量は、マリア選手が 52 ㎏。岩永選手とダイアナ選手が共に 50 ㎏。トップグループで最も体重の軽い岩永 6 選手が 50 のスタートを綺麗に決める。ダイアナ選手は、1 回、2 回と低い姿勢でしゃがむスクワットスタ イルで決まっている様に見えるのだが、しゃがんだ状態で両腕も伸び、立ち上がる動作に移る。次の瞬間、 後ろにバーが流れて落下し、立てない。これが 2 回続く。ダイアナ選手がどうして…。調子が良くないら しい。色白のダイアナが顔面蒼白に。 3 回目も決まらないかもしれない。誰の眼にも、そう見えた。オーストラリアの選手が大きな声を掛け る。ファイナル。今度は、しゃがまずに、ハイスナッチでスパッと決めた。ダイアナ選手は、これが出来 るんだ。会場から大きな拍手。ニコリともせず、顔面蒼白のまま、表情を変えずにステージを降りるダイ アナ選手。重量が 52 ㎏になりマリア選手が 1 回目を決め、岩永選手が 2 回目の試技,同 52 ㎏を決める。会 場から大きな拍手が上がる。岩永選手がトップ争いのモードに。53 ㎏に重量が上がり、岩永選手が 3 回目 ファイナルに挑む。が、惜しくも失敗。マリア選手は、2 回目を 55 ㎏、3 回目 57 ㎏を成功させ S のベス トは、①マリア・クリストホリディ(ギリシャ国)57 ㎏。②岩永小百合選手(山梨県) 52 ㎏。③ダイアナ・ロ イ(オーストラリア国)50 ㎏がトップグループで J にコマを進める。J のスタートは、①70 ㎏で、ダイアナ 選手。②68 ㎏、マリア選手。③62 ㎏、岩永選手という申告。J の結果ベストは、①78 ㎏、ダイアナ選手。 ②72 ㎏、マリア選手。③65 ㎏、岩永選手が、上位を決め試合を終える。岩永選手が、「銅メダル」確定。 おめでとうございます。 W45-58 ㎏ 級 の 結 果 デ ー タ ①「金メダル」マリア・クリストホリディ(ギリシャ国 B/W57.55-Age47-S57-J72-T129-MP207.4349 。 ② 「 銀 メ ダ ル 」 ダ イ ア ナ ・ ロ イ ( オ ー ス ト ラ リ ア 国 )B/W57.85-Age46-S50-J78-T128-MP203.3805 。 ③ 「 銅 メ ダ ル 」 岩 永 小 百 合 選 手 ( 山 梨 県)B/W56.00-Age48-S52-J65-T117-MP193.3331。今回は、予期せぬギリシャ国のマリア選手が 2 位と 1 ㎏差で優勝したけれど、このクラスも、何と云う熾烈な戦いであったことか。1位、2 位がマスターズ・ ポイント 200 を超えるということは、男子なら 400 を超える数字に等しい。岩永さんが、よく 3 位をキー プしてくれたと感謝と拍手を贈ります。ありがとう。もう、すぐ目の前まで来ている岩永さんの 200 ポイ ント。そして、その実現には、J の設定を 70 において取り組むことから始めてほしい。 「70 以上が当然」 と。そのためにしなければならないことを見つけてほしい。(滋賀県の大津で、佐々木巌さんや海東さんと 新しい技術に取り組んでいますから、それがどれほど難しいことかは判ります。が、それだからこそ貴重。) 今後を期待しています。新しいステージに岩永さん独自のオリジナル技術を高めてほしいと願っています。 ○10 月 31日 (月) M70-62 ㎏級、 8:00 検量~10:00 競技開始に、元山寗男選手(東京都)、岩崎修平 選手(東京都)が出場。岩崎選手は、全日本マスターズ岡山・倉敷大会での結果が示す様に、その前から、 ある発見があって調子が右肩上がりで輝きを増す。上位 3 位以内の安定的な実力が誰の目にも明らかに。 本人も体の快調な異変に楽しい日々。よし、ここでもっと上位に安定させよう。当然の意識に練習が楽し く、体軸から逃げない思うとおりの軌跡をバーが走る。したがって、重量は軽い。重量のセットを間違っ てはいないかと再度確認するほど軽くて、スピードが乗る。ええっ、こんなことが実際にあるんだ。大学 のある時期の練習でもこんな事があったなと、岩崎さん。しかし、大学の時と違うのは、調子のいい時に ブレーキを掛けてくれる者が回りにいない。勢いがどんどんついて行く。よし、レベルをもっと上げよう。 アスリートなら当然、より高いランキングに定着したい。が、この時点で、すでに落とし穴に。それから、 腰に違和感がと思った時には、もう、手遅れだった。怪我は、深いものだった。ある姿勢になったときに 我慢できない痛みの衝撃が体を走る。世界の舞台でメダルに手が届くという確信が、キプロスに立つ前の 大事な仕上げの練習が、日に日に遠のく。痛みのために本来の自分のフォームがうまく取れない。そこへ、 試合の日が近付いてくると、何故か、時が加速を始める。つらい出発になった。いつしか、こういう状態 でも棄権はしないでトータルを出そう。それは、それで世界のステージで、この状況での達成感をプライ ドにする以外にない。 「この状況で、 」というのが他人に示せなくて残念だが、とにかく、この状況でも必 7 ず、トータルを出して見る。心境は、そう変わった。 一方で、 「金メダル」を狙い、万 一、 「金」がだめでも、何としても今回は、「400 ポイント」を出して マスターズリフター名誉の「400 ポイントクラブ」入りを確実にできるチャンスと見ている。調子は万全。 桂川選手につづきたいと、元山選手。気になる S の上位スタートは、①ロシアのクリコフ選手 70 才が 60 ㎏。②元山選手 70 才が 58 ㎏。③ドイツのヘス選手 72 才が 48 ㎏で上位を占め、岩崎選手が本来なら上位 ③以内に入ったのだが 30 ㎏スタートで⑤にポジションを取る厳しいことに。S のベストは、①クリコフ選 手 67 ㎏。②元山選手 66 ㎏。③ヘス選手 50 ㎏。④岩崎選手 45 ㎏と英国のウイッテレイ選手の 44 ㎏の上位 にコマを進める。岩崎選手が今回は、世界でメダルに手が届くと見たのは的中していた。J に進む。J のス タートは、①クリコフ選手 80 ㎏。②元山選手 76 ㎏。③ヘス選手 63 ㎏。⑤岩崎選手 40 ㎏と腰に負荷を避 けた限界の重量となった。J の結果は、①クリコフ選手 85 ㎏。②元山選手 78 ㎏。③ヘス選手 68 ㎏。⑤岩 崎選手 60 ㎏と 6 本パーフェクトで負傷を克服して願いどおりのトータルを樹立。この結果、M70-62 ㎏級 は、元山寗男選手(東京都)がトータル 144 ㎏で「第 2 位」「銀メダル」念願のマスターズポイントも 400 ポ イントを樹立「400 ポイントクラブ」入りを果たした。日本国では、桂川孝三選手に次いで2人目の偉業。 拍手。おめでとうございます。そして、岩崎修平選手(東京都)がトータル 105 ㎏樹立。「第 5 位」入賞。お めでとうございます。苦しみを克服してのトータル樹立は、苦境を乗り越え可能性を広げた大事な体験だ ったし、次を期待しています。 M70-62 ㎏級の結果データ ①「金メダル」エゴル・クリコフ選手(ロシア国)70 才、BW59.80、S67-C&J85-T152、 MP433.3653。②「銀メダル」元山寗男選手(東京都) 70 才、BW61.90、S66-C&J78-T144、MP400.5334。③「銅 メダル」クラウス・ヘス選手(ドイツ国)72 才、BW61.85、S50-C&J68-T118、MP348.7888。④「第 4 位」ブ ライアン・ウイッテレイ選手(英国)71 才、BW61.40、S44-C&J63-T107、MP310.0151。⑤「第 5 位」岩崎修 平選手(東京都)70 才、BW61.15、S45-C&J60-T105、MP294.5890。 続くセッション 9:30 検量~11:30 競技開始で、M70-69 ㎏級には、桂川孝三選手(千葉県)、古賀弘選 手(長野県)、真野正選手(広島県)が、M70-77 ㎏級には、前川正喜選手(北海道)が、それぞれ出場。 M70-69 ㎏級の S のスタート重量が並ぶ。 ①ポーランドのスタレーガ選手 70 才が 65 ㎏。 ②桂川孝三選手(千 葉県)73 才が 63 ㎏。③真野正選手(広島県)70 才が 60 ㎏。④ドイツのファベル選手 71 才が 59 ㎏。⑤古賀 弘選手(長野県)74 才が 52 ㎏。と上位がコマを並べる。S のベストは、①スタレーガ選手 68 ㎏。②桂川選 手 67 ㎏。③ファベル選手 64 ㎏。④真野選手 60 ㎏。⑤古賀選手 52 ㎏。と、息の詰まる厳しさで J に進む。 J のスタートは、①に桂川選手とポーランドのスタレーガ選手が 82 ㎏の同重量でトップに並ぶ。③ドイツ のファベル選手 73 ㎏。④真野選手 70 ㎏。⑤古賀選手 60 ㎏と、いよいよ結着に向けて勝負の時間帯が迫る。 1回でも失敗すれば、それだけ上位への位置づけが厳しくなる「本数ゲーム」と云われる所以である。選 手もセコンドも空気が張り詰める。J の進行に弾みがつくかどうかは、最終順位を占うのに大事な鍵を握 る。それは、スタート重量がどんな感じでできるか、これは、どの選手も 1 回目をやり終えるまでわから ない。 「当たり」を見るという胸キュンのこの一瞬は、S のときも同じだけれど J は、いよいよ勝負。順位 が決まるのだ。メダルかメダルには届かないのか。メダルは、何色をつかむのか。これらを、1回目の試 技で読み取る。各国のセコンド陣営が食い入るようにアップ場の液晶画面を見る。自国の選手がどの位置 に食い込めるかを知るデータだからだ。古賀選手が第 2 試技で 65 ㎏を決め、第 3 試技を 70 ㎏とする。真 野選手が 70 ㎏を第 2 試技で決め第 3 試技を 73 ㎏としたので、古賀選手がファイナルの 70 ㎏に、これは、 惜しくも失敗。ファベル選手が 73 ㎏の第 1 試技を成功させ、同重量を真野選手がファイナルに挑む。惜し くも失敗。ドイツのファベル選手が 80 ㎏を J ベストとして競技を終える。そこで、69 ㎏級の優勝争いは、 S で桂川選手が 67 ㎏、ポーランドのスタレーガ選手が 68 ㎏をそれぞれベストとしているので、この二人 の優勝争いに絞られる。桂川選手が 1 ㎏差でスタレーガ選手を追うかたちで J に来て、そこで、桂川選手 8 が 82 ㎏でスタートを思わぬ失敗。次に、ポーランドのスタレーガ選手が同記録のスタートを成功。動きか ら見て軽いとは云えない。そして、桂川選手が第 2 試技で同重量に挑む。成功。拍手。そして、第 3 試技 を 84 ㎏として成功させる桂川選手。これで、トータルを 151 ㎏としてトップに。しかし、桂川選手にも う、試技は残されていない。スタレーガ選手の出方を見る。スタレーガ選手は、それを見て、第 2 回目の 試技を 85 ㎏とした。そして成功させトータルを。153 ㎏として桂川選手の上に。第 3 試技を棄権する。桂 川選手には、後 1 試技がほしい。残念。第 1 試技の失敗が尾を引くこととなった。体重が軽く好条件が揃 っていただけに残念。マスターズポイントは、金メダルのスタレーガ選手が 412 に対して桂川選手が 424 で「69 ㎏級で最高点」となった。 「銀メダル」おめでとうございます。真野正選手(広島県)が「第 4 位」、 古賀弘選手(長野県)が「第 5 位」に入賞も確定。おめでとうございます。 M70-69 ㎏級の結果データ ①「金メダル」ロマン・スタレーガ選手(ポーランド国)70 才、BW64.85、 S68-C&J85-T153、MP412.1419。②「銀メダル」桂川孝三選手(千葉県) 73 才、BW68.20、S67-C&J84-T151、 MP424.8985。③「銅メダル」 フリエドリッチ・ファベル選手(ドイツ国)71 才、BW68.25、S64-C&J80-T144、 MP388.5164。④「第 4 位」真野正選手(広島県) 70 才、BW68.25、S60-C&J70-T130、MP338.6553。⑤「第 5 位」古賀弘選手(長野県)74 才、BW66.65、S52-C&J65-T117、MP338.3158。 M70-77 ㎏級は、前川正喜選手(北海道)が奮闘。このクラスも強く厳しいことになっている。ヨーロピア ンマスターズが急激に強くなって来ている今。大きな動きの渦に弾き飛ばされてはいけない。我慢の時で ある。前川さん御自身も少し前からそれを察知されていて練習に革命を起こそうとされている。そして大 事なことは、 「何としても世界選手権の表彰台に立ち続けること。日本国の前川正喜を世界にしっかりアピ ールし続けて、その内に新しい表現を完成させて世界のマスターズを驚かせてみたい。」という信念がある。 S のスタートが並ぶ。降順上位が①70 ㎏、ベラルーシのヨゼフ・ラゾー選手 70 才。②62 ㎏、ロシアのユ ーリー・メドヴェデフ選手 73 才。③50 ㎏、前川正喜選手(北海道)74 才。④40 ㎏、英国のアレックス・ハ ート選手 74 才。S のベストが出る。①70 ㎏、ラゾー選手。②62 ㎏、メドヴェデフ選手。③55 ㎏、前川正 喜選手(北海道)。④44 ㎏、ハート選手。そして、J のベストでは、①メドヴェデフ選手 88 ㎏でトップに。 ②ラゾー選手が 80 ㎏。③前川正喜選手(北海道)が 72 ㎏。④ハート選手 50 ㎏。と、結果が出た。前川選手 が「銅メダル」受賞、おめでとうございます。さすがです。来年を期待しています。 M70-77 ㎏級の結果データ ①「金メダル」ユーリー・メドヴェデフ選手(ロシア国)73 才、BW70.55、 S62-C&J88-T150、MP413.2173。②「銀メダル」ヨゼフ・ラゾー選手(ベラルーシ国)70 才、BW76.45、 S70-C&J80-T150、MP365.0769。③「銅メダル」前川正喜選手(北海道) 74 才、BW70.40、S55-C&J72-T127、 MP354.6805。④「第 4 位」アレックス・ハート選手(英国)74 才、BW75.15、S44-C&J50-T94、MP252.5263。 M70-94 ㎏級に,11:30 検量~午後 13:30 競技開始で大森康正選手(京都府)が出場。S のベストが出る。 ① 70 ㎏、オーストリアのベルナール・リエデル選手 70 才。②70 ㎏、チェコのフランチエスカ・ノバック 選手 71 才。③60 ㎏、大森康正選手(京都府)71 才。④48 ㎏、オーストラリアのフランシス・パーソン 選手 70 才。が上位を占める。そして、J のスタート重量は、①95 ㎏、チェコのノバック選手。②92 ㎏、 オーストリアのリエデル選手。③70 ㎏、大森康正選手(京都府) 。④65 ㎏、オーストラリアのパーソン 選手。と、Jでは、チェコのノバック選手がトップに立った。J のベストが出る。①100 ㎏を決めたノ バック選手。②92 ㎏、リエデル選手。③75 ㎏、大森康正選手(京都府)。④72 ㎏、パーソン選手。と、 決着がついた。 「第 4 位」に入賞したノバック選手と大森は、同じプラットでのアップだった。パーソ ン選手には、オーストラリア・ダーウィン市に在住の女性のコーラル会長が毅然とした指示を出し、 若手マスターズ(全員女性)がきびきびと動いてパーソン選手のセコンドをしていたのが印象的。大森 が久し振りに「銅メダル」 。オックスフォードの大会からだからもう、10 年以上もメダルなしだったこ とになる。やっぱり、うれしい。メダルが取れるときには、それを望まず。ひたすら記録に拘って、 9 失敗しても、それをよしとして、周りの声を聞くことはなかった。取れなくなってメダルが遠のき歳 を重ねると、正直ほしいと願ったが、もう、メダルはボクから遥か遠くに距離を置く様になり、 「勝利の女 神様」は、長いこと首を立てに振ってくれることが無く、無冠のアスリートを余儀なくする。 続いて、13:30 検量~午後 15:30 競技開始のセッションで、M65-56 ㎏級に,山内英雄選手(大阪府)。 M65-62 ㎏級に、池田功選手(埼玉県) 、川崎英俊選手(東京都)。M65-77 ㎏級に、竹下彰彦選手(兵庫県) が出場。M65-56 ㎏級 山内英雄選手(大阪府)67 才。昨年このクラスに出場して世界選手権を制した山内 選手。今年は、 「ディフェンディング・チャンピオン」という立場での出場となった。このカテゴリーの世 界で頂点に立っているのは、日本国の山内英雄であって、このポジションは、自分が守らねばならぬ。 この 1 年は、更なる前進を自分のものにして、まだ見ぬ世界へ身を置き、圧倒的な力を付けて、必ず挑ん でくる彼の国の代表選手を一刀のもとになぎ倒さねばならない。そして、山内選手の 1 年は、どんなもの だったのか。マスターズリフティングは、若いときのリフティングではない。加齢の中に身を置くことは、 年々、体が硬直化し、筋繊維の減少後退する中で重量の負荷を掛けトレーニングを重ねるということは、 自己崩壊の危険がいつ起こるとも知れない恐怖の状況下に身を置きつつ、強い意志で前に進む。これは、 「未知の世界への挑戦」でもある。したがって、マスターズの練習は、実は、各選手が自己の体を使った 大事な研究の場でもある。そして、この世界選手権の場は、実は、あれから 1 年間、自分が何を考え、自 分の体を使い、何をものにしたかを世界に披露するハレのステージでもある。自分のオリジナルを、世界 が受け入れるかどうかの発表の舞台だ。この日の設定重量が正しかったのか、そう考えると 1 年は早い。 競技日程の 1 日前に実施される「テクニカルミーティング」。この日が「最終エントリー」であるというこ とは、 「IWF マスターズ規則集」に定められている。それでは、この日にはじめてエントリーは、可能かと いうと技術的には出来ない。ただし、変更はできる。思わぬ選手が自分のクラスに名を連ねていて、競技 当日アップ場の掲示板を見て驚いたりする。山内選手のクラスでは、チエコ国のヤン・ヘレブラント選手 65 才が S のスタート 51 ㎏で、山内選手と同重量にコマを並べる。このクラス上位は、この 2 名が事実上 の優勝争いになる。お互いに 1 回目の試技を軽く成功させる。さあ、胸キュンの競技がスタートした。2 回目の重量をヘレブラント選手は、54 ㎏、山内選手は 55 ㎏とする。まず、ヘレブラント選手が 2 試技目 54 ㎏を決める。これを見て。続いて、山内選手が 2 試技目、55 ㎏に挑む。軽くとれるはずの重量が決まら ない。予期せぬ失敗。両腕に力が入り気味。従って、少し入り急ぎだ。バーが高く来るまで待てずに飛び 込む。残念。再度、同重量に挑戦。今度は、確実に取れると誰もが山内選手に激を飛ばす。3 試技目。ア クシデント。今度は、バーの高さは出ていたのに山内選手の右足が横にすべった。真横に両脚を鋭く広げ てバーの真下に飛び込むフォームの山内選手。試合で初めてのアクシデント。バランスがとれずに失敗。 会場からため息が。残念。この後、ヘレブラント選手が 56 ㎏に挑むも失敗。これで、S のベストは、①チ エコのヤン・ヘレブラント選手が 54 ㎏。②山内選手 51 ㎏で、試合は、J に進む。J のスタート重量は、① ヘレブラント選手が 60 ㎏。②山内選手が、55 ㎏と、S の成功本数がそのまま J のスタートに反映。つまり、 S を 1 本の成功で終わった山内選手が J の 3 試技のどこかで、ヘレブラント選手を逆転しないといけない 追う立場にいる。J がスタートする。山内選手の出番が来て第 1 試技 55 ㎏を文句無く決める。ヘレブラン ト選手が 60 ㎏のスタート重量を決め、S で 3 ㎏、J で 5 ㎏現時点で山内選手に 8 ㎏リード。そして、2 試 技目を山内選手と同重量の 65 ㎏に合わせてくる。これは、山内選手きついことになった。2 試技目 65 ㎏ を厳しい状況ではあるが、山内選手が成功させれば、その時点で、116 ㎏となり、ヘレブラント選手の 114 ㎏の 2 ㎏上位に来る。山内選手が 2 試技目に挑む。が、失敗。ヘレブラント選手が同重量に挑む。成功。 これでトータルを 119 ㎏とし山内選手に 13 ㎏の差を付けたヘレブラント選手。お互いにファイナルの 1 試 技を残す。山内選手は、逆転を狙うために 14 ㎏以上が必要となる。従って、1 試技目に成功させた 55 ㎏ に 15 ㎏を増量して 70 ㎏に挑戦し逆転のギャンブルを打つ。挙がれば「金メダル」の可能性を引き寄せる 10 ファイナル。大きな激励を受けて、リングの中央に進む。チエコ陣営が食い入る様に見つめる。会場が静 まる。会場の空気が止まる。山内選手がスタートを切る。次の瞬間。失敗。残念。56 ㎏級の優勝争いが幕 となった。ご苦労さん。 力的には、互角だったのに、試合が後手に回り有利に進められなかった反省が残る。試合は、標的とす る選手に先攻して相手に守りの体制を取らせる。つまり、攻めに有利な余裕をつくる。そのカギは、成功 本数にあると見た。試技を落とすと、それだけ厳しい状況になって行く。 M65-56 ㎏級の優勝争いの結果データ ①「金メダル」ヤン・ヘレブラント選手(チェコ国)65 才、BW55.50、 S54-C&J65-T119、MP303.7544。②「銀メダル」山内英雄選手(大阪府)67 才、BW55.65、S51-C&J55-T106、 MP283.7019。「銀メダル」確定。おめでとうございます。次回は、必ず、「金メダル」を期待。拍手。 M65-62 ㎏級 池田功選手(埼玉県)69 才、川崎英俊選手(東京都)68 才。マニュエル・チャウ選手(ベネズ エラ国)65 才。このクラスは、この 3 名が上位を固め順位を競う。Sのスタート重量は、①57 ㎏が、川崎 選手。②56 ㎏、池田選手。③55 ㎏、チヤウ選手。Sのベストは、①川崎選手 62 ㎏。②池田選手 59 ㎏。③ チャウ選手 55 ㎏。そして、Jのスタートは、①77 ㎏、川崎選手。②75 ㎏、チャウ選手。③71 ㎏、池田選 手。と、並んだ。ベネズエラ陣営が「銀メダル」を狙って来ているのが見える。チャウ選手には、トップ の川崎選手が+7 ㎏、池田選手が+4 ㎏で体重はというと、チャウ選手が最も軽い 60.10 ㎏。池田選手 61.30 ㎏、川崎選手 61.55 ㎏である。トップを走る川崎選手は、Jには、圧倒的な自信と強さがある人である。 ベネズエラ陣営がどんな手で来るか。そうなれば、そうなるで、受けて立つ。頭から叩き潰してやるぞ。 という力量がある川崎選手。しかし、闘志を内に秘め静かに構える川崎選手。一方、池田選手の 71 ㎏をど う考えるか。最初からSで 4 ㎏の貯金があるからチャウ選手に対しては、75 ㎏のスタートと同じでこのま まだとチャウ選手のJの 1 本目終了時点で、チャウ選手と同トータル 130 の計算。しかし、体重差で池田 選手は、チャウ選手の上位に届かない。1 試技目は、同記録で様子を見て、万一の場合も「銅メダル」の 確保を 1 試技目で確実にしてから安心して、2、3 試技目で更に上を目指すという考えになる。このクラス で 70 ㎏といえば厳しい重量である。決して楽な重量ではない。失敗する確立も大きい。池田選手の銅メダ ルをまず、確保する 1 試技目 71 ㎏のスタート。残念、失敗。第 2 試技、同重量を申告。これを成功させる。 まずはトータルが出た。池田選手のセコンド陣営が「ほっと」。しかし、大事な勝負の試技を 1 っ無駄にし ている。残る 1 本の試技で勝負を打つしかない。池田選手がJを 2 本取れば、チャウ選手がJ54 ㎏のスタ ートで終わったと仮定すれば、池田選手が銀メダル以上を確定することになる。したがって、もう 1 本成 功させたい池田選手。しかし、この願いは、聞き入れられなかった。ベネズエラ国のチャウ選手も池田選 手も共にJをスタートの 1 本で終えた。トータルは、130 ㎏の同記録で銀と銅を分けた。1 ㎏余り体重が重 かった池田選手。 「銀メダル」に手が届いていたのに残念。 「銅メダル」受賞おめでとうございます。拍手。 川崎選手は、Jを 2 本成功させ、ベストを 81 ㎏とし、トータル 143 ㎏で圧倒的な勝利で「金メダル」 。お めでとうございます。池田選手も「銅メダル」おめでとうございます。頂点とサイドに「日の丸」が上が り、 「君が代」が会場に鳴り響く。 「日の丸」が 2 本掲揚される表彰台で川崎選手と池田選手が笑顔で握手 をし、右手を振って観客の声援に答える。会場が拍手で包まれた。 M65-62 ㎏級の優勝争いの結果データ ①「金メダル」川崎英俊選手(東京都)68 才、BW61.55、S62-C&J81-T143、 MP368.7544。②「銀メダル」マニュエル・チャウ選手(ベネズエラ国)65 才、BW60.10、S55-C&J75-T130、 MP312.5555。③「銅メダル」池田功選手(埼玉県)69 才、BW61.30、S59-C&J71-T130、MP349.5902。 M65-77 ㎏級 竹下彰彦選手(兵庫県)が入るこのクラスも上位5名がほぼ互角の実力といえる厳しいメン バーが揃う。Sのスタートは、①番手に 70 ㎏で、竹下選手 68 才、ポーランドのピオトル・コワレウスキ ー選手 69 才、デンマークのエルリング・ヨハンセン選手 67 才が同記録の 70 ㎏でコマを並べ、②番手に 65 ㎏で、ロシアのニコライ・クッドレイ選手 67 才、③番手に 61 ㎏でオーストリア国のリチャード・ウォ 11 ルター選手 67 才が、上位グループを占める。従って、試技本数を落としたものが間違いなく脱落を余儀な くする。竹下選手の①番手のグループでは、まず、優勝候補のコワレウスキー選手が三振りで競技から落 ちる。これは、大きなアクシデント。それだけプレッシャーがきついのだ。試合は、何が起きるか分から ない。そして、竹下選手も第 1 試技を落とす。いつも低く入るのを得意とする竹下選手、3 人が 70 ㎏のス タート争いで緊張があったのか。同記録を 2 本目にはしっかり押さえてほっと。3 試技目は、72 ㎏を失敗 の竹下選手はSのベストをスタートの 70 ㎏で終わる。デンマークのヨハンセン選手が第 1 試技 70 ㎏。第 2 試技 73 ㎏、第 3 試技 76 ㎏と 3 本成功させる。Sの結果は、①ヨハンセン選手 76 ㎏。②竹下選手 70 ㎏。 ③70 ㎏の同記録で 65 ㎏スタートのロシアのニコライ選手が 2 本目 68 ㎏を決めて、3 本 70 ㎏を成功させて 体重差で竹下選手の下に付けた。④は、第 2 試技で 65 ㎏を成功のオーストリア国ウォルター選手。このト ップグループがJにコマを進める。Jのスタートは、①85 ㎏でデンマークのヨハンセン選手が抜け出す。 ②81 ㎏でロシアのニコライ選手。③80 ㎏で竹下選手。④78 ㎏でオーストリアのウォルター選手。の順に スタートポジションを取る。まず、ウォルター選手が第 1 試技の 78 ㎏を失敗し第 2 試技を 80 としたので、 竹下選手の出番となる。竹下選手が大事なスタートの 80 ㎏を惜しくも失敗。これをオーストリア国の様な リフティング先進国の試合巧者が見逃すはずがなく、2 試技目の 80 ㎏に大きな激が飛ぶ。その中で、オー ストリアのウォルター選手が 80 ㎏を決める。続いて、竹下選手が同記録を決める。オーストリア陣営は、 ファイナルを 86 ㎏とし、竹下選手が現時点でのトータル 150 ㎏をターゲットに 151 ㎏として上位に立つ作 戦を打ってきた。いよいよ勝負の決着。竹下選手が 82 ㎏をファイナルとして、つまり、トータル 152 ㎏と ウォルター選手に対する封じ手を立て、第 3 試技に挑む。しかし、絵に描いたようにいつも行くわけでは なく、失敗に終わり、結局、150 ㎏でウォルター選手の結果を待つ。86 ㎏をウォルター選手が成功させる と第 3 位以内から転落、失敗すればその瞬間、竹下選手が第 3 位以内を確定する。もう、手持ちのコマは ない。メダルを願うばかりである。ニコライ選手が 81 ㎏、ヨハンセン選手が 85 ㎏の第 1 試技を決め試合 が進む。第 2 試技の 85 ㎏を軽くニコライ選手が決めて、重量が 86 ㎏になりウォルター選手のファイナル。 オーストリア陣営が同選手に激を飛ばし、日本国陣営が見つめる中、ウォルター選手が失敗、会場にため 息。この瞬間に竹下選手の「銅メダル」確定。おめでとうございます。この後、ヨハンセン選手が第 2 試 技で 90 ㎏を成功。 ニコライ選手がファイナルで 90 ㎏を成功させそれぞれJのベストとし試合は終わった。 M65-77 ㎏級の結果データ ①「金メダル」エルリング・ヨハンセン選手(デンマーク国) 67 才、BW76.05、 S76-C&J90-T166、MP360.3513。②「銀メダル」ニコライ・クッドレイ選手(ロシア国) 67 才、BW75.35、 S70-C&J90-T160、MP349.1530。③「銅メダル」竹下彰彦選手(兵庫県) 68 才、BW72.25、S70-C&J80-T150、 MP347.7651。④「第 4 位」リチャード・ウォルター選手(オーストリア国) 67 才、BW76.25、S65-C&J80-T145、 MP313.3792。 ○11 月1日 (火) 9:30 検量~11:30 競技開始で M60-56 ㎏級に、鈴木幸宏選手(静岡県) 、藤本進選手(大 阪府) 、市川秀俊(長野県) 。M60-62 ㎏級に、佐古浩選手(大分県) 。M60-69 ㎏級に、金子耕二選手(大阪府)、 児玉義久選手(宮崎県) 、森野覚志選手(東京都)、田島俊信選手(大阪府)。朝から 2 試合目のセッション 15 に日本チーム最多の 8 選手が出場する。 M60-56 ㎏級 このグループは、鈴木幸宏選手(静岡県) 、藤本進選手(大阪府)、市川秀俊選手(長野県)の 3 名がウクライナ国のジュリヤ・ラグノフ選手 60 才、ロシア国のウラジミール・シシュキン選手 61 才を 含めた 5 名がトップグループで競技をする。Sのスタートは、①60 ㎏ ジュリヤ・ラグノフ選手、②60 ㎏ 鈴木幸宏選手、③57 ㎏ ウラジミール・シシュキン選手、④56 ㎏ 藤本進選手、⑤52 ㎏ 市川秀俊 選手。 そして、Sのベストは、①60 ㎏ 鈴木幸宏選手、②鈴木選手と同記録の 60 ㎏ ジュリヤ・ラグノフ選手、 ③59 ㎏ ウラジミール・シシュキン選手、④56 ㎏ 藤本進選手、⑤54 ㎏ 市川秀俊選手。Jのスタート 12 が並ぶ。①79 ㎏ ジュリヤ・ラグノフ選手、②72 ㎏ 宏選手、④66 ㎏ 藤本進選手、⑤65 ㎏ ウラジミール・シシュキン選手、③70 ㎏ 鈴木幸 市川秀俊選手。いよいよ決着を付ける種目、このスタート重量は、 全員が成功させベストは、①82 ㎏ ジュリヤ・ラグノフ選手、②75 ㎏ ウラジミール・シシュキン選手、 ③73 ㎏ 鈴木選手、④66 ㎏ 藤本進選手、⑤65 ㎏ 市川秀俊選手と結果が出た。これで、鈴木幸宏選手 が第 2 位のウラジミール・シシュキン選手に 1 ㎏差で惜しくも第 3 位「銅メダル」。おめでとうございます。 「第 4 位入賞」藤本進選手、 「第 5 位入賞」市川秀俊選手、お二人とも、上位入賞おめでとうございます。 M60-56 ㎏級の結果データ ①「金メダル」ジュリヤ・ラグノフ選手(ウクライナ国)60 才、BW55.45、 S60-C&J82-T142、MP334.5606。②「銀メダル」ウラジミール・シシュキン選手(ロシア国)61 才、BW55.90、 S59-C&J75-T134、MP319.3502。③「銅メダル」鈴木幸宏選手(静岡県)64 才、BW54.20、S60-C&J73-T133、 MP339.9612。④「第 4 位」藤本進選手(大阪府) 62 才、BW54.85、S56-C&J66-T122、MP299.8886。⑤「第 5 位」市川秀俊選手(長野県)62 才、BW55.70、S54-C&J65-T119、MP289.0198。 鈴木幸宏選手(静岡県)64 才がトップグループ5名の中で 400 ポイントにもう少しの最高のマスターズポ イントをマーク。拍手。 M60-62 ㎏級 佐古 浩選手(大分県)の出場。昨年(2010 年)、ポーランド国チエハヌフ市であった「世界 マスターズ大会」で、佐古選手は、ベラルーシ国のアナトリー・ラブロフ選手をJで逆転して「金メダル」 S(S70-C&J95-T165)に輝き、今年は、ディフエンディングチヤンピオンという立場。Sのベストは、①79 ㎏ フレデリック・ロウ選手(米国)64 才、②70 ㎏ 佐古 浩選手(大分県)60 才、③70 ㎏ カレル・プロ ウル選手(チエコ国)64 才、④48 ㎏ イリ・ブロドスキー選手(チエコ国)61 才がトップグループでJに突 入する。Jのスタート重量は、①90 ㎏ 佐古 浩選手、②90 ㎏ 米国のフレデリック・ロウ選手、③88 ㎏ チエコのカレル・プロウル選手、④64 ㎏ チエコのイリ・ブロドスキー選手と並び、いよいよ決着に 向かって時が進む。ベストは、どうなったか。佐古選手もフレデリック選手も第 2 試技で 95 ㎏をキープし、 まず、フレデリック選手がファイナルを 97 ㎏としてこれを失敗し、トータルを 174 ㎏とした。次に、佐古 選手が 101 ㎏に増量して惜しくも失敗。今回は、世界の頂点から一歩降りる。Sの 9 ㎏差が逆転できずに トータルにのしかかる。164 ㎏で「銀メダル」確定の、佐古選手。ご苦労さん。拍手です。会場からも、 真摯に取り組んだ佐古選手に大きな拍手があった。来年は、定年最初のWMに。期待していますから。 M60-62 ㎏級の結果データ ①「金メダル」フレデリック・ロウ選手(米国)64 才、BW62.00、S79-C&J95-T174、 MP402.1483。②「銀メダル」佐古 浩選手(大分県)60 才、BW61.00、S70-C&J95-T165、MP362.0175。③「銅 メダル」カレル・プロウル選手(チエコ国)64 才、BW61.50、S70-C&J88-T158、MP367.2627。④「第 4 位」 イリ・ブロドスキー選手(チエコ国)61 才、BW58.55、S48-C&J64-T112、MP257.7103。 M60-69 ㎏級 金子耕二選手(大阪府) 、児玉義久選手(宮崎県)、森野覚志選手(東京都)、田島俊信選手(大 阪府)の4名の日本人選手が同じクラスに出場する日本国参加選手の山場といっていい。Sのスタート重 量が並ぶ。①80 ㎏ ドイツのユーゲン・グレイナー選手 60 才、②75 ㎏ 森野覚志選手(東京都)61 才、③ 73 ㎏ 金子耕二選手(大阪府)64 才、④70 ㎏ オーストリアのヨハン・アンジェルバーガー選手 60 才、 ⑤70 ㎏ ロシアのユーリー・ラマツラエフ選手 61 才、⑥67 ㎏ フィンランドのラッセ・トルミコスキー 選手 62 才、⑦65 ㎏ 児玉義久選手(宮崎県)60 才、⑧65 ㎏ ベラルーシのユーリ・マカリエフ選手 61 才、 ⑨60 ㎏ 田島俊信選手(大阪府)64 才、がトップグループでコマを並べる。Sの結果は、①ドイツのユーゲ ン・グレイナー選手がパーフェクトで 86 ㎏とし、②76 ㎏、オーストリアのヨハン・アンジェルバーガー 選手、③76 ㎏、同記録で、体重がわずかに重い金子耕二選手(大阪府)が入り、④75 ㎏ 森野覚志選手(東 京都)、⑤70 ㎏ ベラルーシのユーリー・ラマツラエフ選手、⑥70 ㎏ 児玉義久選手(宮崎県)⑦70 ㎏ フ ィンランドのラッセ・トルミコスキー選手、⑧65 ㎏ 島俊信選手(大阪府) ベラルーシのユーリ・マカリエフ選手、⑨60 ㎏ として、Jに進む。 13 田 Jのスタート重量は、①100 ㎏ ドイツのユーゲン選手、②95 ㎏ ロシアのユーリー選手、③93 ㎏ 森 野覚志選手(東京都)、④91 ㎏ オーストリアのヨハン選手、⑤85 ㎏ 金子耕二選手(大阪府)、⑥80 ㎏ 児 玉義久選手(宮崎県) 、⑦80 ㎏ ラッセ選手、⑧80 ㎏ ユーリ選手、⑨70 ㎏ 田島俊信選手(大阪府)、こ の厳しい激戦クラスのJの結果は、①106 ㎏ ドイツのユーゲン選手、②98 ㎏ 森野覚志選手(東京都)、 ③96 ㎏ オーストリアのヨハン選手、④95 ㎏ ロシアのユーリー選手、⑤91 ㎏ ⑥86 ㎏ フィンランドのラッセ選手、⑦85 ㎏ 金子耕二選手(大阪府) 、⑧80 ㎏ ベラルーシのユーリ選手、 児玉義久選手(宮崎県)、 ⑨75 ㎏ 田島俊信選手(大阪府)、となった。 M60-69 ㎏級の結果データ ①「金メダル」ユーゲン・グレイナー選手(ドイツ国)60 才、BW68.90、 S86-C&J106-T192、MP388.1155。②「銀メダル」森野覚志選手(東京都)61 才、BW68.20、S75-C&J98-T173、 MP358.2805。③「銅メダル」ヨハン・アンジェルバーガー選手(オーストリア国)60 才、BW67.30、 S76-C&J96-T172、MP352.9491。④「第 4 位」ユーリー・ラマツラエフ選手(ロシア国)61 才、BW64.20、 S70-C&J95-T165、MP355.5956。⑤「第 5 位」 金子耕二選手(大阪府)64 才、BW68.10、S76-C&J85-T161、 MP349.3855。⑥「第 6 位」ッセ・トルミコスキー選手(フィンランド国)62 才、BW68.75、S70-C&J86-T156、 MP326.6603。⑦「第 7 位」 ユーリ・マカリエフ選手(ベラルーシ国)61 才、BW68.85、S65-C&J91-T156、 MP321.1334。⑧「第 8 位」児玉義久選手(宮崎県)60 才、BW67.45、S70-C&J80-T150、MP307.3617。⑨「第 9 位」田島俊信選手(大阪府)64 才、BW68.25、S60-C&J75-T135、MP292.5517。 〇日本選手の活躍⇒「銀メダル」森野覚志選手(東京都)、 「第 5 位」 金子耕二選手(大阪府、「第 8 位」児 玉義久選手(宮崎県) 、 「第 9 位」田島俊信選手(大阪府)。ご活躍、ご苦労様でした。拍手。 ・M60-77 ㎏級 12:00 検量~14:00 競技開始で M60-77 ㎏級に、三石悦雄選手(千葉県)62 才、岡田隆選 手(山梨県)63 才が出場。三石選手は、本来、94 ㎏級の選手だが 30 数年振りの減量で 77 ㎏級に出場とな った。これは、大変なことで、三石選手が「思いの外、減量のダメージがあり、筋肉も落ち、情けなかっ た。練習中、腰、肩の痛みがとれなかった。 」と、いう。岡田選手は、消防署の予防課長を定年退職し、司 法書士として事務所を開設。練習にも励む。しかし、このクラスもみんなが強い。Sのスタート重量は、 ①83 ㎏ 三石悦雄選手(千葉県)62 才、②80 ㎏ ロシア国のアレハンダー・クルネフ選手 64 才、③80 ㎏ ロシア国のゲナディ・モロチェフ選手 61 才、④72 ㎏ 岡田隆選手(山梨県)63 才、⑤71 ㎏ ポーランド 国のズビグニエフ・マコウスキー選手 64 才、⑥62 ㎏ オーストラリア国のローレンス・タウンセンド選 手 60 才。Sの結果は、大事なスタート重量でアクシデント。他を圧倒する最終出番の三石選手がスターと をわずかに決められず失敗。騒然となるセコンド陣営。三石選手が得意とするスナッチ種目で思わぬ番狂 わせが起きる。三石選手自身も自分を許せない気持ちが全身を走る。三石選手が怖い顔になって、取り巻 きのセコンドに 2 回目の試技を 87 ㎏と告げる。セコンドの数名が急ぎ「増量申告」に走る。パワーポイン トのスクリーンが表示される。明らかに会場から声が上がり、空気が揺れる。世界の頂点に立つ三石選手 のチャンピオンとしてのプライドだ。が、このことは、それと同時に大変な勝負の決断でもある。80 ㎏の スタートを成功させているロシア国のアレハンダー選手とゲナディ選手がセコンドに促されて出番のため にステージ階段付近に移動する。2回目の試技、アレハンダー選手が 83 ㎏を成功させ、ゲナディ選手が 84 ㎏を成功させる。3回目を 85 ㎏アレハンダー選手が失敗。ゲナディ選手が 87 ㎏と体重が 0.30 軽量優 位を生かしてトップを狙ってきた。ここで、三石選手の出番となる。2回目の試技 87 ㎏。周りからも激が 飛ぶ。絶対に取るぞ。という気迫。これが、力みになって、三石選手には問題のない重量なのに、わずか にフィニッシュにブレが出る。失敗。動揺するセコンド陣営。気合を入れるゲナディ選手と取り巻く陣営 が目の色を変えて挑みかかる。しかし、これは、失敗。さあ、三石選手のフィニッシュ。この1本が命綱 に。強烈なプレッシャーの中で、三石選手は、押さえどころの 1 点をしっかりイメージする。バーがここ に来たとき、爆発の寄せを切る。得意とする三石選手オリジナル。バーの前に立つ。もう 1 度イメージし 14 てスタートを切る。成功。会場が万雷の拍手に変わる。やった。笑顔のセコンド陣営が三石選手を拍手で 囲む。これでSの順位が決まる。①87 ㎏ 三石悦雄選手(千葉県)、②84 ㎏ ゲナディ・モロチェフ選手(ロ シア国)、③83 ㎏ アレハンダー・クルネフ選手(ロシア国)、④80 ㎏ 岡田隆選手(山梨県) 、⑤74 ㎏ ビグニエフ・マコウスキー選手(ポーランド国)、⑥67 ㎏ ズ ローレンス・タウンセンド選手(オーストラリ ア国)。 これで、キケンしたチエコ国のヨゼフ・モシキィー選手 64 才を除き上位6名がJにコマを進める。Jの スタート重量は、①110 ㎏ アレハンダー選手、②96 ㎏ ゲナディ選手、③95 ㎏ 三石選手、④92 ㎏ 田選手、⑤91 ㎏ ズビグニエフ選手、⑥86 ㎏ ローレンス選手、と並ぶ。Jの結果は、①110 ㎏ 岡 ロシア のアレハンダー選手、②96 ㎏ ロシアのゲナディ選手、③95 ㎏ 三石選手、④92 ㎏ 岡田選手、⑤91 ㎏ ポーランドのズビグニエフ選手、⑥90 ㎏ オーストラリアのローレンス選手、と確定。 M60-77 ㎏級の結果データ ①「金メダル」アレハンダー・クルネフ選手(ロシア国)64 才、BW76.10、 S83-C&J110-T193、MP391.7640。②「銀メダル」三石悦雄選手(千葉県)62 才、BW76.85、S87-C&J95-T182、 MP356.6723。③ 「銅メダル」 ゲナディ・モロチェフ選手(ロシア国)61 才、 BW76.55、 S84-C&J96-T180、MP347.8620。 ④「第 4 位」 、岡田隆選手(山梨県)63 才、BW75.20、S80-C&J92-T172、MP346.2563。 「第5位」ズビグニエ フ・マコゥスキー選手(ポーランド国)64 才、BW72.80、S74-C&J91-T165、MP343.6314。「第6位」ローレ ンス・タウンセンド選手(オーストラリア国)60 才、BW76.15、S67-C&J90-T157、MP298.9574。 〇「銀メダル」三石悦雄選手(千葉県) 、「第 4 位」 、岡田隆選手(山梨県)おめでとうございます。 ○三石悦雄選手(千葉県)62 才、のS87 ㎏は、 「日本新記録の樹立」です。おめでとうございます。 ・M60-94 ㎏級 14:00 検量~16:00 競技開始で、世界マスターズ初参加の鬼塚 晃選手(大分県)60 才、 Sのスタート重量は、①85 ㎏ 鬼塚 晃選手(大分県)60 才、②82 ㎏ アルフレッド・レオパルド(ドイ ツ国)62 才、③80 ㎏ レオニド・ブドニトスキィー(ウクライナ国)64 才,④79 ㎏ ステファン・ヤコブソ ン(スエーデン国)64 才、⑤72 ㎏ カール・ニルソン(スエーデン国)61 才、⑥72 ㎏ ジャン・ポール・ベ ルマ(フランス国)62 才、⑦61 ㎏ ウルフ・ゲオルグ・ラロソン(スエーデン国)63 才、と並んだ。これを 確認した鬼塚選手は、初参加の世界選手権で「ポールポジション」を取った。と、体が震えたのではない か。よし、トップをキープすれば優勝、金メダルだ。と、そしてSの結果は、①90 ㎏ 鬼塚選手(大分県)、 ②83 ㎏ ステファン選手(スエーデン 国) 、③82 ㎏ アルフレッド選手(ドイツ国)、④80 ㎏ ジャン選 手(フランス国)、⑤80 ㎏ レオニド選手(ウクライナ国)、⑥75 ㎏ カール選手(スエーデン国)、⑦65 ㎏ ウルフ選手(スエーデン国)、と出てJに進む。鬼塚選手は、世界での自分のアスリートとしての立ち位置 を実感として確認できた思いに体の振るえを覚えた。それは、ここちよかった。もう、「金メダル」に手が 届いている。という確信。さあ、もう一勝負だ。そしたら、世界の頂点に立っているのは、自分だ。体が 熱くなって行く。 Jのスタート重量は、 ①100 ㎏ 鬼塚選手(大分県)、②100 ㎏ アルフレッド(ドイツ国)、③98 ㎏ ジ ャン選手(フランス国)、④97 ㎏ レオニド選手(ウクライナ国)、⑤90 ㎏ カール選手(スエーデン国)、⑥ 85 ㎏ ステファン選手(スエーデン国) 、⑦81 ㎏ ウルフ選手(スエーデン国)、と上位が並ぶ。ウクライナ のレオニド選手が 97 ㎏を三振りであっという間に脱落。情け容赦のない勝負の世界だ。従って目を離せな いのは、98 ㎏を成功させて第 2 試技を 106 ㎏としたフランスのジャン選手。100 ㎏を成功させて第 2 試技 を 106 ㎏としたドイツのアルフレッド選手。勿論、鬼塚選手が最初に 100 ㎏を問題なく決める。白 3 の判 定。そして、第 2 試技を 105 ㎏とした。これで、トップ金、銀、銅のメダル争いは、この 3 選手の争いに 絞られた。このとき、鬼塚選手は、ファイナルの第 3 試技に 110 ㎏を挙げる自信があった。これを勝負ど ころと決めていた。第 2 試技の 105 ㎏を挙げる。よし!と、鬼塚選手。しかし、その判定を見ると、白2、 赤 1 であった。ジュリー席からクレーム。レフリーが呼ばれる。再度の判定は、赤3と出る。いったいど 15 うなったのか。戸惑う鬼塚選手と、セコンド陣営。 「何が起きたのか。 」再度 105 ㎏に挑戦する鬼塚選手。 これでダメ押しができる。しかし、動揺が治まらない状態での挑戦。クリーンの段階でのブザー。失敗。 予期せぬアクシデントに翻弄される。無念。その後、フランスのジャン選手が 106 ㎏を 2 回失敗。ドイツ のアルフレッド選手が 106 ㎏を成功させ、ファイナルの第3試技で 109 ㎏を成功。トータル 191 ㎏とした。 最終試技の理解を超えた(実は、クリーンをして立ち上がってから鎖骨にバーを乗せ直す動作が連続動作 ではなく、もう一つ動作をしている。とされた)鬼塚選手のファイナル。これは、2回目のジュリーから のクレームで成功を失敗とされた時点で、このことが理解できていれば、鬼塚選手に,何でもない重量の 105 ㎏だったから集中してファイナルをやれたのに、動揺したままでの挑戦に、もったいない失敗だった。 それでも、 「銀メダル」の確保に拍手です。おめでとうございます。この初の世界選手権での大変な経験も 大事な体験として、今後のフォーム改善を誓う。何といっても世界での自分の位置を確認できたのは今後 に大きな手応えと世界マスターズでの自信。拍手。 M60-94 ㎏級の結果データ ①「金メダル」アルフレッド・レオパルド(ドイツ国)62 才、BW92.90、 S82-C&J109-T191、MP340.9446。②「銀メダル」鬼塚晃選手(大分県)60 才、BW92.90、S90-C&J100-T190、 MP327.8615。③ 「銅メダル」 ジャン・ポール・ベルマ(フランス国)62 才、BW93.60、 S80-C&J98-T178、MP316.7268。 ④「第 4 位」ステファン・ヤコブソン(スエーデン国)64 才、BW93.25.S83-C&J90-T173.MP317.6022。⑤「第 5 位」カール・ニルソン(スエーデン国)61 才、BW91.20.S75-C&J94-T169.MP299.2304。⑥「第 6 位」ウルフ・ ゲオルグ・ラロソン(スエーデン国)63 才、BW87.95.S65-C&J81-T146.MP270.9991。⑦「失」レオニド・ブ ドニトスキィー(ウクライナ国)64 才,BW92.20.S80-C&J97X-T0.MP----。 ・M60-105 ㎏級 14:00 検量~16:00 競技開始で、下坂義昭選手(秋田県)が出場。 Sのスタート重量。①90 ㎏ アントン・マグドレン選手(チエコ国)64 才、②87 ㎏ 下坂義昭選手(秋田県) 62 才、③85 ㎏ プレベン・クレブス選手(デンマーク国)60 才、④65 ㎏ ブルノ・サボデリー(フランス国)60 才、が上位を占める。デンマークのプレベン、日本の下坂選手、チエコのアントンの上位3名が競り合う。 第2試技の終了時点では、92 ㎏を成功させた下坂選手がトップ。プレベン選手が 2 本成功で 90 ㎏。アン トン選手は、90 ㎏スタートをつまずいて第 2 試技目にものにした。勝負がかかる第 3 試技は。まず、控え めなプレベン選手が 93 ㎏を成功させる。下坂選手とアントン選手は、95 ㎏を申告し互いに譲らず勝負に 打って出る。胸キュンのギャンブルが見られるから面白い。結果は、2人とも 95 ㎏を失敗。控え目だが 3 本成功させたプレベン選手が 93 ㎏で①番、下坂選手 92 ㎏で②番、スタートが一番強かったアントンが 90 ㎏で③番という結果で、トップ3名を先頭に、J になだれ込む。Jのスタート重量①115 ㎏ デンマークの プレベン選手、②113 ㎏ 下坂義昭選手(秋田県) 、③110 ㎏ チエコのアントン選手)、④80 ㎏ フランス のブルノ選手、こうなると、上位3選手のメダル争いが一層熾烈となる。アントン選手がスタートの 110 ㎏を失敗し、第 2 試技に成功させファイナルを 115 ㎏とする。下坂選手がスタート重量 113 ㎏を成功させ、 第 2 試技を 117 ㎏とする。次に、プレベン選手が 115 ㎏のスタートを成功させ、第 2 試技を 120 ㎏とする。 いよいよ決着のときが迫ってくる。誰もが、1 年をこのときのために取り組んできたという思いがよぎる。 国を代表して、ここまでやって来て、今、勝負のときが来ている。アントン選手が 115 ㎏を失敗、競技を 終える。下坂選手の第 2 試技 117 ㎏の出番が来る。下坂選手がこれを失敗。会場にため息。そして、プレ ベン選手が 120 ㎏の第 2 試技を成功させる。したがって、下坂選手は、ファイナルを 122 ㎏としてプレベ ン選手のトータル 213 ㎏の 1 ㎏上の逆転を狙う。挙がれば、プレベン選手のファイナルを残すものの、下 坂選手がトップに上がる。金メダルをかけた勝負に会場の空気が張り詰める。セコンド陣営も必死。下坂 選手も気合をかけてステージに上がる。激が飛ぶ。が、下坂選手の 122 ㎏は、残念、失敗。プレベン選手 は、ファイナルをキケン。試合が終わる。 M60-105 ㎏級の結果データ ①「金メダル」プレベン・クレブス選手(デンマーク国)60 才、BW103.35、 16 S93-C&J120-T213、MP352.5352。②「銀メダル」下坂義昭選手(秋田県)62 才、BW103.80、S92-C&J113-T205、 MP350.4479。③「銅メダル」ロチェフ選手(ロシア国)61 才、BW76.55、S84-C&J96-T180、MP347.8620。 「銀メダル」獲得の下坂選手。おめでとうございます。でも、おしかった。S で 1 試技、J で 1 試技あれ ば金メダルに届いた試合だった。次回を期待しています。 ○11 月 2 日 (水) 13:30 検量~15:30 技開始で、 ・M50-77 ㎏級 小嶋栄二選手(新潟県)が初参加。 Sのスタート重量。①100 ㎏ ホルガー・ワーム選手(ドイツ国)50 才、②97 ㎏ リスザード・ズィジェコ ウスキー選手(ポーランド国)54 才、③92 ㎏ 小嶋栄二選手(新潟県)52 才、④85 ㎏ グロバニー・ポッダ 選手(イタリア国)51 才、⑤67 ㎏ ジョーマ・コルテライネン選手(スウェーデン国)51 才、が上位に並ぶ。 S のベスト ①102 ㎏、リスザード選手、②100 ㎏、ホルガー選手、③97 ㎏、小嶋栄二選手(新潟県) 第 3 試技で 102 ㎏に挑戦、惜しくも失敗。Jのスタート重量。①123 ㎏ ドイツのホルガー選手、②121 ㎏ ポ ーランドのリスザード選手、③115 ㎏ 小嶋栄二選手(新潟県)、④100 ㎏ イタリアのグロバニー選手、が 上位グループでスタートを切る。スウェーデンのジョーマ選手は、S で、スタートの 67 ㎏を3振りで脱落。 トップ4選手の上位争いとなる。J のベスト イタリアのグロバニー選手が、スタートを成功させ、第 2 試技 105 ㎏を成功。ファイナルの第 3 試技 109 ㎏を失敗。ベストを 105 ㎏として競技を終える。小嶋選手 がスタートの 115 ㎏を成功させ、第 2 試技 120 ㎏に挑む、これを惜しくも失敗。ファイナルを 122 ㎏とし て第 2 位の「銀メダル」を狙う。が、この第 3 試技 122 ㎏も失敗に。ベストは、スタートの 115 ㎏。ドイ ツのホルガー選手も第 2 試技 127 ㎏、第 3 試技 128 ㎏を失敗。スタートの 123 ㎏のみで試合を終え、ポー ランドのリスザード選手が第 2 試技で成功させた 125 ㎏が最高重量で J を終了した。 初参加の小嶋栄二選手が世界の舞台キプロスの世界選手権で初メダル。 「銅メダル」を確実に。拍手です。 素晴らしい。これから、更に、上位を目指してください。 M50-77 ㎏級の結果データ ①「金メダル」リスザード・ズィジェコウスキー選手(ポーランド国)54 才、 BW76.65、S102-C&J125-T227、MP376.4410。②「銀メダル」ホルガー・ワーム選手(ドイツ国)50 才、BW76.30、 S100-C&J123-T223、MP349.3943。③「銅メダル」 小嶋栄二選手(新潟県)52 才、BW75.20、S97-C&J115-T212、 MP342.4487。④ 「第4位」 グロバニー・ポッダ選手(イタリア国)51 才、 BW76.80、 S91-C&J105-T196、MP308.9245。 〇小嶋栄二選手(新潟県)が初参加で「銅メダル」獲得。おめでとうございます。 ○11 月 3 日(木) M45-77 ㎏級 南 13:30 検量~15:30 技開始で、南、水谷、渡辺選手が出場。 充宏選手(鹿児島県) 、 Sのスタート重量は、①95 ㎏ 南 充宏選手(鹿児島県)46 才、体重が 71.85 と最も軽量。②95 ㎏ バキ デン・ナルミディノフ選手(ウズベキスタン国)48 才、BW76.05、③95 ㎏ シャチャワン・コシュナウ選手(ド イツ国)46 才,BW76.05、④95 ㎏ ミカイロ・ブルコフ選手(ウクライナ国)48 才、⑤93 ㎏ ヨハン・シャ エダー選手(ドイツ国)45 才、⑥92 ㎏ ケント・オルソン選手(スウェーデン国)48 才、⑦92 ㎏ ソルステ ン・ティチェルト選手(ドイツ国)49 才、⑧86 ㎏ ラルフ・クリンシャット選手(ドイツ国)45 才、⑨85 ㎏ ジョルグ・シャンバチ選手(ドイツ国)45 才、⑩80 ㎏ トム・ブリュイネン選手(オランダ国)49 才、Sは、 南選手 (鹿児島県)が「ポールポジション」 。しかし、油断ならない力的に互角といっていい。 Jのスタート重量は、①123 ㎏ ドイツのソルステン選手、②122 ㎏ ウクライナのミカイロ選手、③121 ㎏ ドイツのヨハン選手、④121 ㎏ ドイツのシャチャワン選手,⑤117 ㎏ ウズベキスタンのバキデン選 手、⑥115 ㎏ 南 充宏選手(鹿児島県)、⑦113 ㎏ スウェーデンのケント選手、⑧107 ㎏ ドイツのラル フ選手、⑨105 ㎏ ドイツのジョルグ選手、⑩95 ㎏ オランダのトム選手。と、勝負の決着を付ける手順 の上位が公表された。半数以上が互角の力を持つグループが勝負を目指して、すごい迫力で第 2 試技に突 入する。第 2 試技では、①127 ㎏、ウクライナのミカイロ選手、②127 ㎏、ドイツのソルステン選手、③121 ㎏、ドイツのヨハン選手、 (ドイツのシャチャワン選手が同記録を三振りし脱落。)④120 ㎏、南 17 充宏選 手(鹿児島県) 、がトップのメダル圏内グループとしてファイナルに進む。第 3 試技、121 ㎏を成功させ、 ウズベキスタンのバキデン選手が試合を終える。重量は、122 ㎏に増量。南選手の出番。南選手は、この 重量を惜しくも失敗。残念 1 ㎏が届かなかった。南選手がこの重量に成功しているとトータル 221 ㎏は、 体重差で「第 3 位」 「銅メダル」獲得だった。トータル 221 ㎏で 3 名の選手が並び、体重の最軽量だった南 選手が最上位を確保できた試合だった。惜しい。次回を期待しています。その後は、124 ㎏を成功させた ドイツのヨハン選手がトータル 221 ㎏の体重差で「第 3 位」となった。127 ㎏を成功させたドイツのソル ステン選手がトータル 222 ㎏で「第 2 位」に。131 ㎏を成功させたウクライナのミカイロ選手がトータル 226 ㎏で「優勝」という息を呑む厳しい試合が終わった。 M45-77 ㎏級の結果データ ①「金メダル」ミカイロ・ブルコフ選手(ウクライナ国)48 才、BW76.15、S95-C&J131-T226、MP349.6386。 ②「銀メダル」ソルステン・ティチェルト選手(ドイツ国)49 才、BW76.10、S95-C&J127-T222、MP345.8194。 ③「銅メダル」ヨハン・シャエダー選手(ドイツ国)45 才、BW74.20、S97-C&J124-T221、MP338.2397。④ 「第 4 位」 バキデン・ナルミディノフ選手(ウズベキスタン国)48 才、BW76.05、 S100-C&J121-T221、MP342.1565。 ⑤「第 5 位」南 充宏選手(鹿児島県)46 才、BW71.85、S100-C&J120-T220、MP346.6297。⑥「第 6 位」ラ ルフ・クリンシャット選手(ドイツ国)45 才、BW76.45、S93-C&J114-T207、MP311.4580。⑦「第 7 位」ケン ト・オルソン選手(スウェーデン国)48 才、BW75.35、S92-C&J113-T205、MP319.0540。 「第 8 位」ジョルグ・ シャンバチ選手(ドイツ国)45 才、BW76.15、S90-C&J110-T200、MP301.5910。 「第 9 位」トム・ブリュイネ ン選手(オランダ国)49 才、BW76.30、S90-C&J103-T193、MP300.2011。 〇この厳しいクラスで、 南選手「第 5 位」入賞。おめでとうございます。拍手。 M45-85 ㎏級に,水谷一人選手(三重県) 、渡辺光弘選手(北海道)が、それぞれ出場。 Sのスタート重量は、①102 ㎏、ペドロ・インファンテ選手(ベネズエラ国)47 才、②101 ㎏、アドナン・ マルフォス選手(レバノン国)47 才、③100 ㎏、水谷一人選手(三重県)45 才、BW81.75、④100 ㎏ジョン・マ クワン選手(スコットランド国)46 才、BW84.45、⑤95 ㎏、ラルス・ノルマン選手(スウェーデン国)46 才、 ⑥95 ㎏、ミハエル・ブランケ選手(ドイツ国)46 才、⑦85 ㎏、渡辺光弘選手(北海道)49 才、BW78.65、⑧85 ㎏、ザビエル・チェルギ選手(フランス国)45 才、BW84.40、⑨85 ㎏、サンテ・ギラルデ選手(イタリア国) 47 才、BW84.40、と並ぶ。本来が倒的なパワーを発揮する水谷選手。この時も、うまく調子を積み上げら れれば、本来、水谷選手には問題のない重量だったし、今回、 「優勝できる。」という確信の重量だった。 何で。という思いと、やることはやった。という思いが交差したはずだ。挑戦の火を消さないで、何度で も挑んでほしい。水谷選手の思いを大事にしてほしいと願う。拍手。ご苦労さん。 S ベスト ①107 ㎏、ベネズエラのペドロ選手、②105 ㎏、レバノンのアドナン選手、③100 ㎏、スウェー デンのラルス選手、④100 ㎏、スコットランドのジョン選手、⑤99 ㎏、ドイツのミハエル選手、⑥92 ㎏、 イタリアのサンテ選手、⑦90 ㎏、フランスのザビエル選手、⑧85 ㎏、渡辺光弘選手(北海道)、と、順位が 並び J に進む。 Jのスタート重量は、①128 ㎏、ペドロ・インファンテ選手(ベネズエラ国)47 才、②126 ㎏、アドナン・ マルフォス選手(レバノン国)47 才、③123 ㎏、ラルス・ノルマン選手(スウェーデン国)46 才、④123 ㎏、 ミハエル・ブランケ選手(ドイツ国)46 才、⑤120 ㎏ジョン・マクワン選手(スコットランド国)46 才、⑥ 105 ㎏、サンテ・ギラルデ選手(イタリア国)47 才、BW84.40、⑦105 ㎏、ザビエル・チェルギ選手(フラン ス国)45 才、BW79.75、⑧95 ㎏、渡辺光弘選手(北海道)49 才。 J のベスト ①139 ㎏、スウェーデンのラルス選手、②134 ㎏、レバノンのアドナン選手、③134 ㎏、ベネ ズエラのペドロ選手、④126 ㎏、ドイツのミハエル選手、⑤125 ㎏、スコットランドのジョン選手、⑥110 ㎏、フランスのザビエル選手、⑦110 ㎏、イタリアのサンテ選手、⑧95 ㎏、渡辺光弘選手(北海道)。 18 M45-85 ㎏級の結果データ ①「金メダル」ペドロ・インファンテ選手(ベネズエラ国)47 才、BW84.35、S107-C&J134-T241、MP350.6427。 ②「銀メダル」ラルス・ノルマン選手(スウェーデン国)46 才、BW82.00、S100-C&J139-T239、MP349.8125。 ③「銅メダル」アドナン・マルフォス選手(レバノン国)47 才、BW83.40、S105-C&J134-T239、MP349.6968。 ④「第 4 位」ミハエル・ブランケ選手(ドイツ国)46 才、BW83.45、S99-C&J126-T225、MP326.4094。 ⑤「第 5 位」ジョン・マクワン選手(スコットランド国)46 才、BW84.45、S100-C&J125-T225、MP324.4840。 ⑥「第 6 位」サンテ・ギラルデ選手(イタリア国)47 才、BW84.40、S92-C&J110-T202、MP293.8138。 ⑦「第 7 位」ザビエル・チェルギ選手(フランス国)45 才、BW79.75、S90-C&J110-T200、MP294.0610。 ⑧「第 8 位」渡辺光弘選手(北海道)49 才、BW78.65、S85-C&J95-T180、MP275.3357。 〇渡辺光弘選手(北海道)が「第 8 位」入賞。おめでとうございます。 ○11 月 4 日(金) M45-+105 ㎏級 9:30 検量~11:30 競技開始で、清野裕司選手(福島県)が出場。デビューの頃の、清野 選手は、圧倒的な強さで会場をうならせたものだった。毎回、表彰台の常連さんだった。あの、東日本大 震災以来練習どころではなかった日々。大変な日々だったはずだ。それでも世界マスターズに選ばれたら 世界の舞台に立ち続けたいという清野選手。この行動にどれほど多くの人々が元気をもらい、生きる勇気 を得られていることか。そして、誰もが、清野選手の可能な限り他の出場選手のサポートをする優しい姿 勢に感謝している。Sのスタート重量 ①128 ㎏、ジャリ・ヒルボネン選手(フィンランド国)48 才、②125 ㎏、コンスタンチン・スモロノジン選手(ロシア国)47 才、③107 ㎏、フランチスカ・ザボ選手(スロバキア 国)46 才、④105 ㎏、ユーゲン・ブラウン選手(ドイツ国)45 才、⑤100 ㎏、清野裕司選手(福島県)47 才、 ⑥95 ㎏、ロマン・シンハム選手(オーストリア国)47 才、⑦90 ㎏、ナテック・アグハイエフ選手(アゼルバ イジャン国)46 才、と並ぶ。S のベスト ①128 ㎏、フィンランドのジャリ選手、②125 ㎏、ロシアのコン スタンチン選手、③111 ㎏、スロバキアのフランチスカ選手、④105 ㎏、清野裕司選手(福島県) 、⑤105 ㎏、 ドイツのユーゲン選手、⑥100 ㎏、アゼルバイジャンのナテック選手、⑦95 ㎏、オーストリアのロマン選 手、の順位で J に進む。Jのスタート重量 ①150 ㎏、ジャリ・ヒルボネン選手(フィンランド国)48 才、 ②145 ㎏、コンスタンチン・スモロノジン選手(ロシア国)47 才、③143 ㎏、ユーゲン・ブラウン選手(ドイ ツ国)45 才、④135 ㎏、フランチスカ・ザボ選手(スロバキア国)46 才、⑤120 ㎏、清野裕司選手(福島県) 47 才、⑥115 ㎏、ロマン・シンハム選手(オーストリア国)47 才、⑦115 ㎏、ナテック・アグハイエフ選手(ア ゼルバイジャン国)46 才、と並ぶ。J のベスト ①158 ㎏、ロシアのコンスタンチン選手、②150 ㎏、フィ ンランドのジャリ選手、③148 ㎏、ドイツのユーゲン選手、④141 ㎏、スロバキアのフランチスカ選手、⑤ 125 ㎏、オーストリアのロマン選手、⑥120 ㎏、清野裕司選手(福島県) 、⑦115 ㎏、アゼルバイジャンのナ テック選手、以上で J を終え、試合が終了。M45-+105 ㎏級の結果データ ①「金メダル」コンスタンチン・ スモロノジン選手(ロシア国)47 才、BW117.00、S125-C&J158-T283、MP363.3841。②「銀メダル」ジャリ・ ヒルボネン選手(フィンランド国)48 才、BW112.40、S128-C&J150-T278、MP363.7242。③「銅メダル」ユー ゲン・ブラウン選手(ドイツ国)45 才、BW140.05、S105-C&J148-T253、MP307.2187。④「第 4 位」フランチ スカ・ザボ選手(スロバキア国)46 才、BW108.70、S111-C&J141-T252、MP327.9733。⑤「第 5 位」清野裕司 選手(福島県)47 才、BW105.60、S105-C&J120-T225、MP298.0955。⑥「第 6 位」ロマン・シンハム選手(オ ーストリア国)47 才、BW105.40、S95-C&J125-T220、MP291.6596。⑦「第 7 位」ナテック・アグハイエフ選 手(アゼルバイジャン国)46 才、BW107.55、S100-C&J115-T215、MP280.7849。 〇清野裕司選手(福島県)が「第 5 位」入賞。おめでとうございます。拍手。 M40-62 ㎏級 10:00 検量~12:00 競技開始で M40-62 ㎏級に、作田佳弘選手(富山県)が出場。このクラ スは、作田選手と英国のマーク・ベック選手とのトップ争いとなった。 19 Sのスタート重量は、年齢も体重も同じという珍しいケース。で、①80 ㎏、作田佳弘選手(富山県)41 才、 ②78 ㎏、マーク・ベック選手(英国)41 才、このスタート重量は、不気味だ。2 本目にどう出るか、これで マーク陣営の考えていることがほぼ理解できる。どんな、力量の選手かを見極めながら慎重にアップを進 める作田選手のセコンド陣営。第 2 試技を、まず、英国のマーク選手が 82 ㎏を成功。作田選手が 83 ㎏を。 楽に取れるはずが、思わぬ失敗。連続試技として第 3 試技再度、83 ㎏に挑む。大事なファイナル試技。緊 張の激が飛ぶ。成功。83 ㎏を S のベストとした作田選手。これでほっと。すると、英国のマーク選手が第 3 試技を 85 ㎏とした。1 ㎏下に付けて、ファイナルで逆転という作戦だ。しかし、緊張に体をこわばらせ たのは、英国のマーク選手だった。85 ㎏の逆転ギャンブルは、ならなかった。こうして、トップ争いの 2 人は、優勝を狙いつつ、J になだれ込んだ。Jのスタート重量は、①100 ㎏、作田佳弘選手(富山県)に対 し、②99 ㎏、マーク・ベック選手(英国)と出た。この 1 ㎏下に付ける攻め方が何とも微妙で試合巧者かも しれないという深読み。と、変更をするかも知れない。との思い。Sの読みから、力量は、作田選手とほ ぼ互角か、マーク選手が、やや下らしいと読み取る。しかし、Jがずば抜けて得意ということだってあり うる。トップ争いをリードして優位を保たねばならぬ。それには、「強気で攻め続ける。」これが、大事と 見た作田陣営。J のスタートをトップ 2 人が成功。第 2 試技をマーク選手が 104 ㎏、作田選手が 105 ㎏を 成功させ、第 3 試技は、マーク選手が 108 ㎏、作田選手が 108 ㎏と同記録で勝負に出る。作田選手は、マ ーク選手に現時点で+2 ㎏として優位にコマを進めている。このファイナルは、2 人とも失敗し試合を終え る。作田選手が、初参加で「金メダル」を獲得。おめでとうございます。素晴らしい。拍手。 M40-62 ㎏級の結果データ ①「金メダル」作田佳弘選手(富山県)41 才、BW61.50、S83-C&J105-T188、 MP311.7130。②「銀メダル」マーク・ベック選手(英国)41 才、BW61.50、S82-C&J104-T186、MP306.3969。 ○11 月 5 日 (土) 9:00 検量~10:00 競技開始で、M35-69 ㎏級に、久保田秀敏選手(神奈川県)が出場。 Sのスタート重量 ①105 ㎏、マーシン・クルザッカ選手(ポーランド国)36 才、②98 ㎏、久保田秀敏選手 (神奈川県)37 才、③95 ㎏、アフタンディル・フンバトリィ選手(アゼルバイジャン国)36 才、④90 ㎏、オ サマ・ミスト選手(レバノン国)36 才、が上位でスタート重量を申告。S のベスト ①112 ㎏、ポーランド のマーシン選手、②101 ㎏、久保田秀敏選手(神奈川県)、③100 ㎏、アゼルバイジャンのアフタンディル選 手、④96 ㎏、レバノンのオサマ選手、のトップグループが S を終え J に進む。Jのスタート重量 ①120 ㎏、アフタンディル・フンバトリィ選手(アゼルバイジャン国)、②120 ㎏、マーシン・クルザッカ選手(ポ ーランド国)、③118 ㎏、久保田秀敏選手(神奈川県)、④115 ㎏、オサマ・ミスト選手(レバノン国)、とし て勝負の決着に向けて各選手が上位メダルへのドラマとなる重量を並べる。さあ、もう後には引けない。 セコンド陣営との張り詰めた空気がアップ場を一変する。J のベスト ①127 ㎏、アゼルバイジャンのアフ タンディル選手、②125 ㎏、ポーランドのマーシン選手、③118 ㎏、久保田秀敏選手(神奈川県) 、④115 ㎏、 レバノンのオサマ選手、が上位でこのクラスの試合を終える。 〇久保田秀敏選手(神奈川県が「銅メダル」獲得。おめでとうございます。 M35-69 ㎏級の結果データ ①「金メダル」マーシン・クルザッカ選手(ポーランド国)36 才、BW67.30、 S112-C&J125-T237、MP350.3259。②「銀メダル」アフタンディル・フンバトリィ選手(アゼルバイジャン国)36 才、BW66.65、S100-C&J127-T227、MP337.6699。③「銅メダル」 久保田秀敏選手(神奈川県)37 才、BW68.40、 S101-C&J118-T219、MP324.1994。④「第 4 位」オサマ・ミスト選手(レバノン国)36 才、BW68.00、 S96-C&J116-T211、MP309.8227。 久保田選手の出場で、今回の日本チームの参加選手は、全て終了する。皆さん、ご苦労さまでした。 ・キプロスは、いいとこでした。もう一度行きたい国の一つです。でも、48 年前の 1964 年に多数を占め るギリシャ系住民と少数派のトルコ系住民による民族紛争が起きました。領土問題、キプロスの分断は、 今も、 「グリーンベルト」として。検問を簡単な手続きでトルコ側に入り、観光することができました。 20 ○2011年の「ベストリフター」の発表!(2011 IWF-Masters Weightlifting Championships Best Lifter) ○女性の部「グラン・マスター」の称号は、エスメラルダ・ペルドモ(ベネズエラ国) Women's Grand Master - Esmeralda PERDOMO ・ マリリン・ムンクレス(米国)70才、BW87.90 W70-+75 ・ ジャニー・ケアー(英国)65才、BW89.70 ・ パトリシア・ハケット(米国)63才、BW61.95 W65-+75 S30-J40-T70 MP143.3960。 S37-J42-T79 W60-63 MP136.0899。 S39-J51-T90 MP179.1427。 MP199.8333。 ・ マルガ・ジョーゲンセン(デンマーク国)56才、BW48.85 W55-53 S40-J56-T96 ・ コーラル・クイネル(オーストラリア国)54才、BW55.05 W50-58 S52-J61-T113 MP203.4753。 ・ マリア・タカック(ハンガリー国)45才、BW91.20 W45-+75 S75-J95-T170 ・ エスメラルダ・ペルドモ(ベネズエラ国)42才、BW52.00 W40-53 MP212.8483。 S66-J70-T136 ・ リデア・コフチュン(ロシア国)36才、BW66.70 W35-69 S70-J97-T167 MP224.7995。 MP218.0014。 以上が2011年IWFマスターズのベストリフター。WM2008年ギリシャの大会では、W45/58㎏級岩永小百 合選手(山梨県)45才が、日本国女性初の「ベストリフター」に選ばれました。BW55.37 S57-J70-T127、 MP195.6542で「世界のトップ3」にランキング、200ポイントまでもう少しのところまで迫っている。 ○男性の部「グラン・マスター」の称号は、エゴール・クリコフ(ロシア国) Men's Grand Master – Egor KULIKOV ・リチャード・グリーンブラット(米国)82才、 BW73.80 M80-77 S45-J62-T107 MP414.8921。 ・マーセル・ペロン(カナダ国)78才、BW76.30 M75-77 S61-J80-T141 ・エゴール・クリコフ(ロシア国)70才、BW59.80 MP419.0856。 M70-62 S67-J85-T152 ・パベル・クリコフスキー(ベラルーシ国)66才、BW84.25 M65-85 MP433.3653。 S92-J109-T201 MP401.7760。 ・フレドリック・ロウ(米国)64才、BW62.00 M60-62 S79-J95-T174 MP402.1483。 ・アンドリュウ・サーバー(英国)55才、BW68.35 M55-69 ・サージェイ・エルマコフ(ロシア国)51才、BW92.25 ・チボール・メッセイ(スロバキア国)49才、BW104.60 S92-J108-T200 M50-94 MP363.5309。 S122-J140-T262 MP377.1411。 M45-105 S130-J145-T275 MP370.6378。 ・アンドレア・ロバッテイ(イタリア国)42才、BW116.60 M40-+105 S157-J186-T343 MP419.4647。 ・ヴラジミール・スチャック(ロシア国)39 才、BW134.40 M35-+105 S173-J184-T357MP410.8415。 ○2011IWFマスターズのベストリフターが上記のとおり決まりました。が、今回も、M70-69 ㎏級、桂川 孝三選手(千葉県)は、MP424.8985 の高得点を樹立しましたが、上記のとおり「グラン・マスター」の称 号を与えられたクリコフ選手が同じ M70 のために残念ながら年齢グループトップの条件にかなわなかった ものの、桂川選手については、毎回 400 ポイントを越える日本国が世界に誇る「偉大なベストリフター」 であることに変りはありません。 ◎国別団体選手権 日本国は、 「第 5 位」に入賞しました。ご苦労様でした。①ウクライナ国 216 点、②ロ シア国 214 点、③ベネズエラ国 213 点、④ドイツ国 207 点、⑤日本国 197 点、⑥米国 195 点、⑦ベラルー シ国 171 点、⑧フィンランド国 170 点、⑨英国 123 点、⑩ノルウエー国 121 点、⑪レバノン国 120 点、⑫ スロバキア国 98 点、⑬スコットランド国 88 点、⑭カナダ国 76 点、⑮ウズベキスタン国 22 点。 21 ○重要事項の確認について ~今回具体的に発表された「ドーピング結果」~ 今回のインターネット上に、2011.1.24 付けで発信された「2010IWFWMの記録表」には、6 本パーフ ェクトで第 2 位に 10 ㎏以上の大差を付けた 2 名のトップリフターが、 「ドーピングテスト」の結果、陽性 反応が出て、下記の文書(「DQ マーク」)が添付され、順位から除外されている。トータル重量が記されな い状態で、世界にネット配信されているので誰でも見ることができます。(インターネット画面から IWF World Masters Home Page 入力・検索で、この「2010WM 記録表等」がご覧いただけます。 ) DQ - Disqualification by the IWF-Masters Anti Doping Commission(IWFマスターズ反ドーピング委 員会による資格剥奪) 薬物検査が厳しくなってきたこたことを参加者全員が認識して、例えば、 「治療のために薬物使用の疑い がある場合」の手続きを確実に守ることが、マスターズ選手としての自分自身を守ることになります。 (この判定公表から 2 年間の競技会に出場停止を経て復帰できるようですが、マスターズ選手に 2 年の 年月は、過酷です。 ) 今回、WMの競技の模様が Live で衛星回線を使ってTV放送され、日本で競技の模様を見たと現地に電 話いただきました。ご連絡、ありがとうございました! ○2011 年 11 月 7 日(月)には、全員無事に帰国しました。 御支援、ありがとうございました。 ○今後の「世界マスターズ選手権大会」について ・ 2011 年 キプロス国、リマソール Limassol, Cyprus 10/29~11/05 ・ 2012 年 ウクライナ国、リヴィヴ Lviv, Ukraine 9/15~9/22 ・ 2013 年 イタリア国、トリノ Torino, Italy (「マスターズゲームス」 8/2~8/11 *WL 競技は、8/3 ~ 8/10 ・ 2014 年 ・ 2015 年 デンマーク国、コペンハーゲン フィンランド国 Copenhagen, Denmark (9 月第1週に開始) 「あとがき」~ 〇1st.November. 2012 静岡の鈴木幸宏さんから、朝、電話を貰いました。帰国してから何かしら体調が良くなく、 しばらくは、いつもの様な練習ができなくて…。私もそうでした、ひどい状態でした。など と話した後、 「WM大会結果」を地元体育協会と地元の新聞社に同県から一緒に参加した近く に居住の、山田陽一さんと報告に行ってきました。 そして、新聞社は、必ず来訪記事を載せてくれるし地元体協では、表彰の対象にしてくれ る。それは、自分のためにというのではない。 「マスターズスポーツ」を高齢者にも広く知っ てほしいから。と、熱く話して大いに盛り上がりました。ありがとうございました。 「2011 年の世界マスターズ」の報告が、遅れまして申し訳ありません。恥ずかしいことで すが、次々に、これより先に作成しなくてはならないマスターズ関係の仕事が入りまして、 際限もなく遅れ、こんなことになってしまいました。お詫びいたします。 (以上・ 文責 大森康正) 22
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