仙台医療センター医学雑誌 Vol 4, 2014 フィリピンレポート 驚きの疾病構造 菊地佑樹 1) 1) 仙台医療センター 研修医 (2014 年 3 月 21 日受領) 本年度から正式に始まった国立病院機構仙台医 日から 2 週間、同僚の研修医とともに RITM にて 療センターとフィリピン共和国熱帯医学研究所 マーク・パサヤン先生の指導のもとで研修を行った (Research Institute for Tropical Medicine:RITM) (図 1:研修日程) 。RITM は感染症専門の病院で の若手職員交換協定第 1 号として、2013 年 11 月 3 あり、毎日の回診を通じて日本ではみることのない 多数の疾患を経験した。入院患者は主に HIV 感染 による後天性免疫不全症候群(AIDS)患者であり、 さまざまな感染症を合併していた。結核および非結 核性抗酸菌症の合併率が高く、髄膜炎や脳膿瘍、全 身のリンパ節腫脹を呈した症例が見られた。リンパ 節腫脹により胆道が狭窄し、黄疸を呈した症例では、 CT が使用できないため、超音波検査から経験的に 診断し、抗結核薬を開始していた。AIDS 患者にお いては口腔カンジダがほぼ必発で、帯状疱疹やニュ ーモシスチス肺炎の症例も見られた。2 ヶ月続いた 下痢ののち両下肢麻痺で来院した AIDS 患者は、ク リプトスポリジウム症に伴って低 K 血症になって 図 1 滞在スケジュール 毎朝 8:30 から回診がある。残り いた。突然の意識障害をきたした患者は低 Na 血症 の時間にカリキュラムが割り当てられている。ケースカンフ であり、Na 摂取不足に加えて、抗 HIV 薬による腎 ァレンスでは「インフルエンザ」が取り上げられていたが、 障害が考えられた。脳症により長期入院している患 熱帯のため、日本で診るほどよくある疾患ではないらしい。 者も複数見られた。RITM には HIV 専門外来があ フィリピン総合病院はマニラ中心部にある中核病院で、カン り、毎日数十人の患者が受診していたが、パサヤン ファレンスのテーマは「HIV 患者に対する腎移植」だった。 先生はよく通りすがりに患者に声をかけた。パサヤ 検査科は基本的に日本と同じだが、結核・マラリア・住血吸 ン先生が日本人に病状を聞かせてあげてくれと頼 虫の専門部署があった。フィラリアやレプトスピラなど幅広 むと、みな快く話してくれた。みな自分の CD4 リ い検体が保存されていた。皮膚科には HIV 専門外来、らい ンパ球数を覚えていて、すぐに答えてくれるのが印 病外来がある他、アトピー性皮膚炎や乾癬、尋常性天疱瘡な 象的だった。4/l などという人もしばしばいて驚か どの一般的な疾患も診療していた。 された。サイトメガロウイルスによる網膜炎はとて 67 驚きの疾病構造 も頻度が高く、外来でガンシクロビルの点滴を受け リが横切ることがあった。パサヤン先生が即座に蹴 ている患者がたくさんいた。6 か月前 0.1 だった視 飛ばすと、ゴキブリはひっくり返された亀のように 力が今は 0.5 あり、CD4 リンパ球数も 5/l から 84/l なって、しきりに足を動かしていた。パサヤン先生 まで上がってうれしいと話した患者は、パサヤン先 はそのゴギブリをこちらに蹴飛ばしながら「これが 生について訊かれると「彼はすばらしい医者だ。天 フィリピンのサッカーだ」と言っていた。フィリピ 職だね。 」と言っていた。私たちが目にした HIV 患 ンには蚊も多い。私も十数カ所刺されたが、マニラ 者はみな男性で、パサヤン先生によればみなゲイだ にはマラリア・フィラリアは存在しないので、基本 という。 「日本で働いたことがあるのよ」と日本語 的にデング熱を考えればよいとのことであった。滞 を流暢に話した女性患者は、日本で性転換した男性 在中、私は幸いにも何の病気にもかからなかった。 だった。なぜフィリピンにゲイが多いのか。パサヤ 動物咬傷 ン先生によると、理由は不明だが、増えたのはここ 10-20 年程のことらしい。それ以前はむしろカミン フィリピンでは犬に噛まれるひとがとても多い。 アニマル・バイト・クリニックには 1 日に 30 人以 グアウトが許されない厳しい社会だったそうだ。 AIDS 以外の疾患の診療も多数経験した。開口障 上の患者が訪れる。みな犬に噛まれたときは狂犬病 害は軽度だが、腹筋の緊張が見られた破傷風の症例 予防注射を受けなくてはならないと知っているの では、抗生剤と免疫グロブリンの他に、ベンゾジア だ。犬に噛まれた後でも、皮下予防接種と受傷局所 ゼピンを用いて筋痙縮を予防することの重要性を への免疫グロブリン注射の1ヶ月に渡るプログラ 教わった。皮膚科のらい病外来では、耳介・頬など ムを受ければ、狂犬病の発症を確実に防ぐことがで から皮膚生検し、薬物療法の効果を評価していた。 きると聞いて驚いた。あまりに多くのひとがあまり らい病は多剤併用療法で治るのだという。ジフテリ にいろいろな場所を噛まれて来院する。なぜ噛まれ アの赤ちゃんは、呼吸困難のため気管切開まで施行 るのか。パサヤン先生によれば「みんな犬が好きな したが ARDS のため救命できなかった。発熱・関 んだ」という。 蛇に噛まれたひとも来院した。噛まれた指はもの 節痛で来院した患者は、1 日で発疹が消退したこと から、チクンギニアが疑われた。パサヤン先生曰く、 すごく腫れていたが、抗ヘビ毒血清を用いて、翌日 麻疹やデング熱が鑑別診断だが、発疹の出現の仕方 の腫れが増悪しないため、問題ないとのことだった。 がそれらとは異なるとのことだった。日本で経験し ヘビ毒を採取しているスネイク・ファームを見学さ たことのない疾患だらけで、パサヤン先生の質問に せてもらった。採取したヘビ毒を馬に注射して、抗 も答えられないことが多かった。ジフテリア=偽膜 血清を作っているのだそうだ(図 2:写真) 。 という知識など習ったかどうかも疑わしかった。 最後に 日本とは疾病構造が全く異なり、従って鑑別診断 も全く異なっていた。検査は日本に比べて限られて 今回の研修を通じて、日本でみることのない疾患 おり、採血・培養・単純 X 線・超音波検査が使用で を経験することができた。言葉で聞いたことしかな きるが、金銭の問題もあり、できるだけ検査を絞っ く、遠い外国の話と感じていた疾患群が、現実感を ていた。日本で使用できる薬もフィリピンでは使え もつ重みのあるものとして迫ってきた。 英語を用いて途上国で生活するという体験もす ない場合があった。診療環境はとても厳しい。 ばらしいものだった。現地で私たちを指導してくだ 病棟の環境もよいとはいえなかった。クーラーは なく、開け放たれた部屋に扇風機がまわる。壁際の さったパサヤン先生をはじめ、RITM の職員の方々、 棚に生食が置かれているが、その横に米粒大の糞が 東北大・JICA のスタッフの皆様、このような貴重 ぽつぽつと落ちていた。見上げるとイモリのような な機会を与えてくださった西村先生をはじめ、仙台 動物が壁に張り付いていた。回診中、廊下をゴキブ 医療センターの先生方に深く御礼申し上げます。 68 仙台医療センター医学雑誌 Vol 4, 2014 図 2 ヘビ毒の採取 ヘビがビンに噛み付くと同時にヘビ 毒が採取される。一度に採取できるのは 5ml ほど。採取し たヘビ毒を馬に注射して抗血清をつくる。毒をもたないヘビ もおり、”チェリーパイ”と呼ばれて可愛がられていたが、ぐ るぐる巻きにして獲物を絞め殺すのだという。 69
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