ノースプレインファームの仲間たち

活 躍 す る 同 窓 生 Vol.42
勝野 未来さん
農場部 岐阜県出身
在学中のゼミ:応用家畜繁殖学研究室(堂地修教授)
ノースプレインファームの仲間たち
北海道紋別郡興部町
◆入学のきっかけ:岐阜農林高校で担任だった古関敬先
生(酪農学科1991年卒, 大学院1993年修了)に勧められて。
◆入社のきっかけ:大学の就職課で紹介されて。
◆仕事について:朝早いのが辛いけど毎日楽しい。特に、東京の百貨店で
の催事に行った時、お客さんの声を聞くことができてやりがいを感じた。
蒲原 聡さん
製造部ミルクプラント 横浜市出身
在学中のゼミ:肉製品製造学研究室(鮫島邦彦教授)
もりかわ よしひろ
森川 良浩さん 短大 酪農科 1990年卒
とりい
れいじ
鳥居 礼治さん 大学 酪農学科 1980年卒
かつの
みき
勝野 未来さん 大学 酪農学科 2010年卒
だいこく ひろし
大黒 宏さん 大学 酪農学科 1980年卒
かもはら
さとし
とやま
いさく
蒲原 聡さん 大学 酪農学科 1989年卒
外山 伊作さん 大学 酪農学科 1979年卒
ノースプレインファームは、北海道のオホーツク海に面する酪
等の製造販売やレストラン経営なども手がけ、北海道のみにとど
農と漁業の町、興部町にあり、放牧酪農を基盤とした乳牛・肉牛
まらず、首都圏や関西などでも人気を集めています。
の飼養、牛乳・乳製品、肉製品、菓子等の食品製造と販売さらにレ
また、
この町とこの会社の不思議な魅力に惹きつけられるのか、
ストラン事業等をおこなっています。
この会社には、地元で生まれ育った人だけでなく、全国から移住
創業者の大黒宏さんは、酪農家の長男。小学生の時は、
「給食
して来た人たちが多く在籍。酪農学園の卒業生も現在6名が在籍
の牛乳はなぜ町外の工場から運ばれるのか?」、酪農を志した本
し、それぞれの個性を発揮し仲間と共に会社を支えています。
学在学中には、
「今の酪農は継続できる形態か?」
「農家が減少し
6人がノースプレインファームで働くことになった理由と会社
続けると規模拡大で生き残っても過疎化で地域が崩壊してしま
での役割はさまざまで、それぞれの夢の途中に、
ちょうど今ここで
う」
と考えていました。本学卒業後、ニュージーランドとオーストラ
6人の人生が交差しています。
リアで半年間研修し
「食の安全や循環と持続可能な農業を考える
6人の方々に、酪農学園入学のきっかけ、入社までのストー
と草を収奪しすぎない小さい農業が必要」
と確信、量を追い求め
リーなどのお話をうかがいました。
る農業から質を高める農業へ転換しました。そして、夢だった牛
乳の販売実現のため粘り強く折衝、1988(昭和63)年新規の乳業
許可を勝ち取り、
ノースプレインファーム(株)を設立、農場ブラン
ド牛乳製造販売の先駆けとなりました。
牧場内のミルクプラントで製造した「オホーツクおこっぺ牛乳」
は、わずか27本の宅配から始まりましたが、酪農家自らが牛乳を
売るという珍しさと、低温殺菌&ノンホモジナイズの味の良さが
次第に評判となり、1991(平成3)年からはバター、チーズなど乳
製品工場も操業を開始するなど事業を拡大。現在、肉製品・菓子
牧場でのんびり草を食む牛たち
⑫ 酪農学園だよりvol.134(2012.7.1)
ノースプレインファーム株式会社
会社概要
資本金:8150万円 従業員数:正社員30名、パート・アルバイト40名
事業内容:乳牛・肉牛の飼養、牛乳、乳製品、肉
製品、菓子等の食品製造・販売、牛乳等宅配事業、
学校給食牛乳、
レストラン事業等
酪農の概要:草地面積110ha(放牧地30ha、採
草地80ha)畑1ha、山林80ha、搾乳牛52頭、育成
46頭、肉用肥育牛60頭
ノースプレインファームのホームページ www.northplainfarm.co.jp
牧場内にあるレストラン
「ミルクホール」
レストラン
「ミルクホール」の店内
◆入学のきっかけ:広大なキャンパスに憧れて
◆入社までのストーリー:農業コンサルタントとして、勤務
するうち絵に描いた餅ではなく実際に生産に関わりたくなって入社。
◆仕事について:現在、
ヨーグルト、牛乳など乳製品製造を担当。東京の催
事で、障害者の方が、少しずつだけど、毎日買いに通って来てくれて
「美味
しい」
と言ってくれた時は、本当にうれしかった。
◆興部での生活について:都会の人間は田舎にあこがれる。
クマよけの鈴
をつけてジョギングする興部生活を満喫中。
外山 伊作さん
取締役参与 千葉県出身
在学中のゼミ:
土壌肥料学研究室
(原田勇教授)
森川 良浩さん
農場課長 中頓別町出身 在学中のゼミ:家畜繁殖学研究室
(平尾和義教授)
◆入学のきっかけ:酪農家の師弟は酪農
学園へ行くものと思っていた。
◆入社までのストーリー:学生の時に大黒牧場に実習に来
た。その時はよくやるなぁと思っていた。卒業後、農協職員
そして、酪農自営も経験したが、酪農家が牛乳をビンに詰
め生産販売、
レストランまでしているところはそうそうない
と入社。
◆仕事について:農場課長として、牛舎での管理だけでな
く草地など農場全般を担当。自営と違い勤務制だと、時間
の制約など不都合なこともあるが、交代制で引き継ぎをき
ちんとし、生き物・自然を相手に対応。
放牧中心の牛にストレスをかけない酪農で乳量は、ほぼ
全道平均量。堆肥を使った土づくりで良質の草をつくり、健
康な牛を育てて、安全でおいしい牛乳を生産している。
毎日搾乳した分を製品にするので、品質管理、衛生管理
などアバウトにできないが、直接お客さんに届けるので、や
りがいがある。
◆入学のきっかけ:首都圏の大学の農学部に入学したが農業を体験できなくて退学し、酪農学
園大に入学。
◆入社までのストーリー:前の職場で休みなく仕事に没頭して7年。退職後、
「世の中で自分は
必要とされていないのではないか」
と落ち込んでいた時に、大黒さんに誘われて入社。入社して
初めての休日、
「安らぎ」
ってこういう感じなのかと体感したことを今でもよく覚えている。
◆仕事について:第3農場でレストランで提供する野菜など主に畑作を担当。それから、
自作の
ピザ窯でおいしいピザが焼け、それが新店舗での企画に生かされたり、おもしろそうなことを見
つけてやってみるのがたのしい。その他、増えすぎたエゾシカによる被害を減らすためハンティ
ングはもちろん解体処理加工施設も自前で作った。おいしい鹿肉をレストランで提供できるよ
うになるかも。
大黒 宏さん
代表取締役社長 興部町出身
在学中のゼミ:家畜管理学研究室(西埜進教授)
◆どんな会社:
「農的不易流行」時代を見据えつ
つ、軸は変わらない。
人は、耕作不適地で牛を飼って乳肉を得た歴史がある。酪農
の基本は変えずに、商品展開や販売戦略は、
トレンドを追う。草
で牛を飼うことをベースにして、いかに付加価値を高め、次世代
に引き継いでゆくか、畜産をベースにしていかに住みよい町に
してゆけるかが、自分の大きなテーマ。それにみんなが賛同し
てくれて、
自分たちの使命になっているのだと思う。
それから、人と人との間は一番大事。渡り鳥の群れがぶつか
らずに隊をなして目的地に向かうように、付かず離れず相手の
領分を犯さない適当な距離感で、組み合ってひとつの方向に向
かっていくことが大切だと思う。
◆地方の地域活性について:興部という町に、外から来た人が
居を構えることが地域のエネルギーになる。変えようとする力に
なる。移り住んで来た人たちが、地域で発言していくことが、そこ
に以前からあった変なルールを改善し活性していくのだと思う。
◆後輩たちへのメッセージ:熱い心を持て。
鳥居 礼治さん
専務取締役 大阪府出身 在学中のゼミ:家畜管理学研究室(西埜進教授)
サークル:肉牛研究会
◆入学のきっかけ:子どものころ、
よく動物の映画を
観た。特に「黒い牡牛」
という映画が感動的で、将来牛に関わる仕事
がしたいと思った。酪農家になるには、
日本で唯一酪農学部のある酪
農学園大学をと入学した。
◆入社までのストーリー:学生時代に別海へ実習に通い、卒業後は、
酪農家になるための資金と経験を積むために別海の牧場に就職。5
年後、同級生の大黒さんから、入植にと興部町富丘を紹介された。自
分で決めていた入植の条件「海・山・川」が揃っていたので、別海をあ
きらめて興部町の肉牛農家のあとに移り住む。その2年後、
アメリカ
牛肉が自由化され、
自分の考えていた小規模での肉牛経営では、成り
立たなくなってしまった。生産した肉を独自に加工販売しようともし
たがダメだった。その時、大黒さんから
「肉を会社で加工販売したい
から一緒にやらないか」
と誘われ、考えた末に入社することにした。
◆夢:まだ、酪農家になる夢は捨てていない。今は、専務業の他、鳥居
牧場をノースプレインファームの第2農場とし、
レッドミートとして販
売するために、牧場で生まれた乳牛の雄を放牧で肥育しているが、会
社の経営が軌道にのったら、妻と二人で酪農をやりたい。
酪農学園だよりvol.134(2012.7.1)⑬