第33回 定例会

東京モラロジー・ビジネスサークル(TMBC)講演会
(http://www.j-mbc.net/)
ひろ
講師
国際ジャーナリスト
廣
ぶち
淵
升
講演録
彦 氏
メ デ ィ ア が 伝 え な い 『世界』
開催日:平成16年6月21日
場所:麗澤大学東京研究センター(西新宿)
講演の要旨
1.
マスコミ界で三十数年、うちニューヨークとロンドンで8年間勤務。報道されない興味
深いこと、大事と思われること、誤解・錯覚などについて話したい。
2.
水玉のネクタイが大好きな総理大臣がいた。
「タフガイは水玉のタイを締めず」という
台詞(せりふ)もあり、欧米には水玉のネクタイを締めている男は、いざという時に決断が
出来ない、というイメージが強い。
3.
シェークスピアの「ヴェニスの商人」についての誤解が日本に蔓延。80年代後半のバ
ブル期、日本は「かねだ、金」と大騒ぎ「ヴェニスの商人的発想」と、有名評論家達が騒い
だ。彼らは、肉を1ポンド切り取らせようとする悪徳金貸しのシャイロックが、ヴェニスの
商人と思っている。ユダヤ人のシャイロックと日本経済とをダブらせて、メディアはこんな
経済は潰さなければならないと世論を誘導した。
ヴェニスの商人は、友のために借金の保証人になった極めて徳の高い、カッコいい青年、キ
リスト教徒であるアントニオである。なぜ日本では、「ヴェニスの商人」が金貸しになって
しまったか?この誤解は、経済政策に重大な錯覚を招いた。
当時の日銀総裁の三重野康氏は、
平成の鬼平とおだてられ、インフレに立ち向かうなどと言って、潰さなくてもいい日本経済
を潰してしまった、というのが経済の玄人筋の見方。
4.
「スヌーピー」という犬についの誤解。スヌーピーが活躍する漫画シリーズ「ピーナッ
ツ」の価値は、日本では認識されていない。人類で最初に別の天体に足跡を印したのは19
69年の7月、アポロ11号のアームストロング船長。そのリハーサルが69年の5月にア
ポロ10号でなされ、月への着陸船の名前が「スヌーピー」、月の上空から「スヌーピー」
に指令を出す母船の名前を「チャーリー・ブラウン」とした。スヌーピーの飼い主の名。な
ぜ NASA は漫画の主人公の名前を、重要な飛行ミッションにつけたのか?その理由を日本の
メディアで解説しなかった。アポロ計画で、アメリカが全世界に伝えたかったものは、技術
的成功だけではない。それは、アメリカ国民の心、自由な心、伝統とか権威に囚われない心、
人々が本当に誇りに思っているもの、いとしいと思っている名前を大事なミッションにつけ
る心を持っているぞ、というメッセージである。陽性だが、ひかえめな漫画の主人公のキャ
ラクター。チャーリー・ブラウンは床屋の息子であり、アメリカの平均的市民の極めて地味
な生活を、漫画が体現している。
5.
日本のメディアで意識が薄いのは、スパイ行為、諜報活動に関すること。有楽町の外国
人特派員クラブの会員になって二十数年になるが、冷戦時代に、名刺を渡されるソ連人の殆
んど、8割以上は、スパイと思え、という鉄則があった。現に、1979年に日本からアメ
リカに亡命したレフチェンコという大物は、ノーボエ・ブレーミアという雑誌の特派員とし
て日本に来て、もちろん彼は KGB(ソ連の情報機関)のエージェントとして日本の政・財・
マスコミ界に入り込んで、日・米・中の離間を謀るなど謀略の限りを尽した。日本でのスパイ
活動について、アメリカ議会で証言している。
6.
イギリスのジョンルカレという世界一のスパイ小説家は、ジェームズ・ボンドが所属し
た MI6(Military Intelligence 6=軍事情報部6課)の職員で、英国外務省を隠れ蓑にして
いたらしい。冷戦時代の数々の名作があるが、日本語訳で売れたのは3∼4万部程度。世界
のインテリが読んでいるジョンルカレを日本人はあまり読んでいない。諜報、謀略の闇の世
界について知っていて、そしらぬ顔でつきあうのが練達の記者。その情報でイラク、アフガ
ンで起こっていること、中国経済の深読みができるはず。また、戦国時代の権謀術数とか世
界史における大事件の智識をもっておれば、この人物は今おれに謀略を仕掛けてきているな、
1
とわかるはず。
7.
小泉首相が北朝鮮から帰って来てから、朝鮮総連のある会合に自民党総裁としてメッセ
ージを寄せた。しかし、これを朝日新聞、毎日新聞が全く伝えていない。先週の週間文春で
はじめて知った。産経と読売は伝えた。全く伝えないというのは、どういうことか?朝日、
毎日だけを読んでいる人は、その事実を知ることはできない。
8.
田中角栄さんが失脚の前年(1973 年)に、ロンドン、パリ、ボン、モスクワを訪問して
いる。西ドイツの首都、ボンのギムニッヒ城に一泊し、あくる日「総理の今朝はどうでした
か?」という質問に対して、総理の報道担当官は「総理はお城のほとりを流れている川を散
策しながら、シューベルトの「鱒」を歌った」と言った。角栄さんがシューベルトの「マス」
を歌うのか、と驚いた。浪花節でなくて急にドイツで、シューベルトが活躍した国にきて、
旅情にかられて青春時代の「マス」をホントに歌ったのか、と感じた。田中総理のイメージ
を持ち上げると、彼はその官僚を後日に天下り先の良いポストにつけてやった、という。
9.
日本のメデイアで残念なことは、論説からエッセイを書く執筆陣、読者の投書までを一
色に染め上げてしまうこと。イラク派遣反対となれば、そういう論客ばかりを集める。反対
の意見が載ることは皆無。ところが、ニューヨーク・タイムズには、自社の社説に真っ向か
ら反対の意見を掲載する。Editorial(社説)の反対側のページに「OP-ED (Opposite side
of Editorial)」欄として全然違う意見を掲載する。したがって、ニューヨーク・タイムズ
は、保守的な論もかなり多い。どっちが正しいかは、読者が判断できる仕組。この評判が良
かったので、ワシントン・ポストをはじめ、全米の殆んどの新聞が「OP-ED」欄を設けている。
ところが、
日本の新聞では、一紙しか読んでいないと論点の比較のしようがない。
それでも、
保守系の新聞には、比較的に他の意見も垣間見ることが出来る。
10. 客観報道に徹したサンプル。第2次世界大戦中にアメリカの CBS 放送(当時は Columbia
Broadcasting System)のロンドン特派員で Edward R. Murrow がいた。1940年にはドイ
ツ空軍機が毎夜ロンドンに爆弾を落とすが、そうした中で E.Murrow は極めて客観的な報道
に徹した。本来ならナチスに対する憎しみなどを込めて話すところを、今爆弾が落ちるのを
見た、というような客観報道を通して、アメリカ人は先祖の国、イギリスがナチスドイツの
爆撃に遭っていることを、身にひしひしと感じた。やがてアメリカは参戦する。Murrow は、
冒頭に「ハローアメリカ」と言って放送をはじめた。戦争が終わって、ヒーローとしてアメ
リカに帰ってから、テレビのニューズキャスターの草分けとして活躍し、全米を恐怖に巻き
込んだ赤狩り旋風のジョゼフ・マッカーシー上院議員と番組のなかで対決し、この議員の政
治生命を葬ってゆく。
11. アメリカ大統領選挙で注目したいのは、民主党、共和党の各党大会で候補者が指名され、
その夜に行なう「指名を受けます」というスピーチ。これが決定的に重要。「私は8年前に
もこの壇上に立っていた。皆さんの推薦を受けた共和党候補でした。しかしその私がここに
立っている・・・・」と始めていったが、一番のポイントは、
「アメリカの多くの少年少女にと
って、人生は結構つらいものである。
・・・・一人の少年を想像して欲しい、お父さんの生活が
苦しいため、彼は小学校を出てすぐに働きにでなければならなかった。
・・・・少年は夜、遠く
へ去ってゆく汽車の汽笛を聞いていた。
・・・・少年にとって、その汽車は東部へ行くのだ、ワ
シントンへ行くのだ、そして何時か自分もホワイトハウスの主になるのだ、と思っていた。
その少年が、いま皆さんの前に立っている・・・・」と述べた。浪花節である。これが聴衆に
馬鹿うけした。これがリチャード・ニクソン、彼は勝って大統領になった。対抗馬の民主党
ヒューバート・ハンフリーは、弁舌が上手すぎて、上滑り。ハンフリーは負けると思ったが、
日本のメディアはこれらを伝えなかった。
<廣淵升彦氏プロフィール>
1933 年和歌山県生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ朝日ニューヨーク、ヨーロ
ッパ両支局の初代支局長。解説委員、報道制作部長、国際セミナー専任局長歴任。レーガン元大統領、カダフィ国家
元首らに単独会見。ジャーナリスト、共栄大学教授、横須賀市教育委員として執筆、講演活動、テレビ番組出演と活
躍中。〈主な著書〉『スヌーピーたちのアメリカ』(新潮社) 「タフガイは水玉のタイを締めず」(朝日新聞、エッセ
イ)『スヌーピーたちの心と時代』(講談社+α文庫) 訳書に「最新・英国の解剖」A.サンプソン著など。
2
講演の粗筋
マスコミで三十数年働き、現在は大学でも教えている。報道されていない興味深いこと、
大事と思われること、誤解・錯覚などについてお話しし、参考にしていただきたい。ニュー
ヨークとロンドンで8年間勤務。アングロサクソン圏を中心に、その間ベルリンやパリには都合
三十数回出かけて、大陸ヨーロッパにも馴染むことが出来た。アラビア語は話せないが、アラブ
諸国にも数回出かけた。
13. 国 王 と い う 仕 事 昔、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団にサー・トーマス・ビーチャム
という有名な指揮者がいた。戦時中、ビーチャムはパーテイで、何度か上品なご婦人に逢った。
どこかで見かけたが思い出せない。あるとき思いあぐねて「ご主人は昔と同じ仕事をしています
か?」と問いかけた。その貴婦人は「相変わらず、国王という仕事をしております」と応えた、
という。それは現女王エリザベス女王2世の母上、エリザベス皇太后で人徳があり、人気が高か
った。これは本当の話で、作り話ではない。イギリス風のユーモアを感じさせてくれる話。
14. 赤 旗 法 今から100年ほど前、イギリスにあった法律で共産党とは無関係。自動車が世の
中に出てきて間もない頃、ロンドンの街中を馬車がいっぱい走っていた。自動車がクラクション
を鳴らすと馬車の馬が驚いて竿立ちになったりして危険だ、自動車を持つ人は、赤い旗を掲げた
従者を自動車の前を走らさなくてはならない、という法律。馬の関係者によるロビー活動によっ
て1886年にできた。韋駄天のような従者を雇えない人は、自動車を持つ資格はない、とされ
た。自動車は、特権階級の「おもちゃ」で贅沢品ある、と考えた。車の所有者は、お忍びで出か
けるわけにゆかず、従者も人間だから50キロなど簡単に走れるものでない。
15. Ford -T 時代は下がって、アメリカではヘンリー・フォードが「どんな貧しい労働者でも自
動車が持てる社会をつくる」という夢に燃えて、徹底的に流れ作業を推し進めコストダウンをし、
T 型フォード(Ford-T)を発売、数年後には値段を4分の1以下に下げた。同じ自動車を、かた
や贅沢品とみなし、他方では生活必需品とする。
赤旗法はひど過ぎる、天下の悪法だとして、ロビー活動したが、廃止まで10年が必要だった。
赤旗法という悪法があったことを忘れないために、毎年11月の第一日曜日には、ハイドパーク
に Vintage Car (Classic Car は和製英語)が集まり、英仏海峡に臨む保養地ブライトン市までの
80キロの道を走るレースがある。賞金が出るわけでもない。ただ、楽しく南の町まで走って、
また戻ってくるだけ、という悠々たるもの。60年以上も前の車、部品のネジがひとつはずれた、
と言っても大変なことなのだが、無事に帰ることに神経を集中する。こんなレースを、大真面目
にやる神経というのは相当なもの。
12.
16. 大 英 帝 国 と ロ ス ト ボ ー ル ある大新聞のロンドン特派員が、日本に帰ってからロンドンに関
する本を出した。その中で、英米でゴルフをした人は経験したと思うが、ゴルフ場に子供たちが、
ニューボール同然のロストボールを半額近くの値段で売りに来る。特派員はその光景を見て、大
英帝国の威信もいよいよ地に落ちた、と憤慨している。さもしい、不愉快な経験であった、その
日からゴルフはやめた、と書いている。
アメリカでは、ロストボールを売りにくる子供をみて、自分の小遣い銭は親に頼らず、自分の
才覚で稼ごうとしている、もう小さな実業家だと、と励ましを込めて買う。しかし、言い値でか
ったのでは教育にならないから、半値位でどうか、と切り出し交渉をして落着く値段で買ってや
る。両者の幸福な合意により、売買が成立するが、これは心理ゲームでもあり、大人はニコニコ
してそれを眺めていればよい。
17. 心 の プ リ ズ ム の 歪 み ロストボール売りで「大英帝国の威信も地に落ちた」と判断したこの
特派員の見方には問題がある。ロストボールならいいが、福祉とか防衛などの価値観に、このユ
ガミ(歪み)が反映したならば、「心のプリズムの歪み」によって、間違った結論になる。この
歪みは日本のメディアに特徴的。事実をゆがめて取ってしまって、報道する。いくら指摘しても、
30∼40歳代の記者が80∼90代の頑固爺さんのように、一切聞く耳を持たない。
もろもろの件、例えば社会主義に対する見方など、シリアスな問題になると、日本のメディアは
数十年遅れている。ベルリンの壁が崩れることを予測していなかった。 資本主義の腐敗という
ような一方的な思い込みのために、社会主義の実態が判っていない人が随分多かった。学者には、
今でもそんな人が多い。
3
18. タ フ ガ イ は 水 玉 の タ イ を 締 め ず 水玉のネクタイが大好きな総理大臣がいた。自分の好み
を押し通すのは結構だが、一国の宰相が、自分の好みに固執するのは、如何なものかということ。
あの人が総理大臣になったとき、メディアが水玉のネクタイと、クリーンな人柄を結びつけた。
それまでの、如何わしい政治家、利権直結の政治屋とは違った、素人っぽいところがいい、と持
て囃した。そこまではいい。しかし、あたかも水玉のネクタイが国民を幸せにするかのような報
道が行なわれた。
1994年12月、総理を退いて3年ぐらい経ったころ、小沢一郎さんが新党をつくって海部
さんが党首になった。また水玉のネクタイを締めてテレビに出た。これでは、あまりにも進歩が
ないではないかと、朝日新聞の論壇という欄(現「私の視点」)に「タフガイは水玉のタイを締
めず」という文を書いた。
欧米には、かなり根強く、水玉のネクタイを締めている男は、いざという時に決断が出来ない、
優柔不断である、というイメージが強い。お客に威圧感を与えてはいけない職業の人、例えば銀
行員など、ちゃんと計算をして水玉のネクタイを締める。しかし、一国の宰相、公党の党首が優
柔不断、ソフトなイメージを与えるネクタイを締めていると、この男はイザというとき決断が出
来ない、と欧米の指導者に会ったときには、思われる危険性があること知るべきである。そろそ
ろ、お辞めになっては如何ですか?と締めくくった。その反響に驚いた。年賀状に、自分は水玉
模様のネクタイを持っていない、と書いてきた人がいた。記者クラブの新年会で政治記者をやっ
ているが、あんな文章は書けない、海外特派員でないと無理だろう、あの出典は何だ?とか。
せりふ
19. 「タフガイは水玉のタイを締めず」という台詞は、アメリカで100万部売れたベストセラ
ー「3匹の盲目のねずみ」(Three Blind Mice:ABC, CBS, NBC アメリカ三大ネットワークに
は世の中が見えていない、と批判。血湧き肉躍る人間ドラマの面白さがある。日本語訳は 5,000
部も売れなかった)のなかに、また、マザーグウスの歌で、ジェームス・ボンドシリーズの映画
の中にもでてくる、有名な台詞。
かつて、ABC 放送の夕方6時からのニューズ番組のキャスター、フランク・レイノルズはソフ
トタッチで、非常に女性に人気があった。彼は、水玉のネクタイをこよなく愛していた。ところ
が、彼の上司である報道局長は「ニューズキャスターにとって、大事なのは人気じゃない。信頼
だ。タフガイは水玉のタイなど締めるもんじゃない」と業務命令によって水玉タイを禁じた。そ
ういう事実があったことを、日本のどのメディアも伝えていない。しかし、上司が水玉タイを禁
じるということは、そういう考え方が普及している、常識になっている、ということ。これには
後日談があり、フランク・レイノルズは うつうつと楽しまず、上司に対して怨みを抱きながら
死んでいった。その葬儀の日に、レイノルズ夫人は遺体にワイシャツを、背広を着せて、彼の愛
した水玉のタイを締めさせた。100万部売れた本にある伝説。
20. 「 ヴ ェ ニ ス の 商 人 」 は 金 貸 し シ ャ イ ロ ッ ク で は な い シェークスピアの「ヴェニスの商人」
についての大誤解が日本に蔓延している。これは水玉タイよりもっと深刻な誤解。1995年2
月号の文芸春秋の巻頭エッセイに書いた。80年代後半のバブル時代、日本は「金だ、かねだ」
と大騒ぎしているが、これでは外国から軽蔑を買うだけだ「ヴェニスの商人的発想である」と、
有名な学者や評論家達がマスコミで話したり、書いたりした。この人たちは「ヴェニスの商人」
イコール「ユダヤ人悪徳金貸しのシャイロック」と思っていた。この無知・無教養による誤解が
日本全国に蔓延していて、シャイロックと日本経済とをダブらせて、メディアはこんな経済は潰
さなければならないと世論を誘導した。
シェークスピアの作品を読めば、ヴ ェ ニ ス の 商 人 は、困窮した友のために借金の保証人になり、
困ったヴェニスの市民には無利子で融資をしてやるような、皆から慕われている極めて徳の高い、
極めてカッコいい青年、キリスト教徒のアントニオだと知る。
肉1ポンド切り取らせようとするシャイロックは金貸しであって、商人ではない。Merchant of
Venice の Merchant(商人)には、日本語にあるマイナスのイメージはない。それなのに、なぜ
日本では、原作に当たりもしないで「ヴェニスの商人」が「金貸し」になってしまったのか?
この誤解は、経済の運営そのものに響いてくる重大な錯覚をもたらし、当時の日銀総裁の三重
野康氏は「平成の鬼平」とおだてられ、インフレに立ち向かうなどと言って、健全な経済まで潰
してしまったと思う。三重野さんは、第一高等学校の寮長をし、独特のメンタリティで、日銀番
4
の記者たちがおだてたから、潰さなくてもいい日本経済を潰してしまった、というのが経済の玄
人筋の見方。その背景には「日本」イコール「ヴェニスの商人」イコール「悪」という、とんで
もない無知・無教養の図式のイメージが出来上がっていた。偶にはシェークスピアでも読んでみ
よう、と言いたい。「ヴェニスの商人」のプラスの価値を、無知・無教養から勝手にマイナスの
価値と取った例である。
21. チ ャ ー リ ー ・ ブ ラ ウ ン と ス ヌ ー ピ ー 見逃すことができない誤解は「スヌーピー」とい
う「犬」についてもある。この「犬」になぜ、力こぶをいれるかというと「スヌーピー」は欧米
においてはインテリの読み物となっているからである。しかし、スヌーピーが活躍する漫画シリ
ーズ「ピ ー ナ ッ ツ」そのものの価値が、日本では認識されていない。人類が、最初に別の天体に
足跡を印したのは、1969年の7月、アポロ11号のアームストロング船長が月面の降り立っ
たとき。アポロ11号の、そっくりそのままのリハーサルが69年の5月に行なわれた。これが
アポロ10号。
その月への着陸船の名前が「ス ヌ ー ピ ー」で、月の上空をグルグル廻りながら、着陸船「スヌ
ーピー」に指令を出す母船の名前は「チ ャ ー リ ー ・ ブ ラ ウ ン」というニックネーム。スヌーピー
というビーグル犬の飼い主の名である。
なぜ NASA は漫画の主人公の名前を、莫大な国家予算を使った重要な飛行ミッションにつけたの
か?その理由を日本のメディアで解説したものは殆んどなかった。当時、私はニューヨークに滞
在していて、国際的な映像配信のコオデイネ―ターグループのアジア代表を務めていた。10号
は、11号の本番さながらで、月面に着陸しており、ハッチを開けて外に出なかっただけの差で
あった。
ア ポ ロ 計 画 の メ ッ セ ー ジ アメリカが全世界に伝えたかったメッセージは、技術的成功だけ
ではない。それは、アメリカ国民の心、自由な心、伝統とか権威に囚われない心、人々が本当に
愛しているもの、誇りに思っているもの、いとしいと思っているものの名前を、大事なミッショ
ンにつける心意気を持っているぞ、というメッセージ。陽性だが、ひかえめな漫画の主人公のキ
ャラクターである。日本の宇宙開発事業団が、そういう名前を付けられるだろうか?無理であろ
う。
ヒューストンへ出張してきた私の会社の大先輩は、映像を伝える時間が迫っているにもかかわ
らず、スヌーピーという白い犬は、ビーグル犬で飼い主の少年は床屋の息子で、住んでいるのは
ミネソタか、ミズリー州などの中西部、すなわちアメリカの平均的市民の、田舎の、極めて地味
な生活を、漫画が体現している、といくら説明しても、よく理解してもらえなかった。スヌーピ
ーの本を買ってくるかと思った。もう買いに行く時間はなかった。
「それは、日本でいえば のらくろ のようなもんだな」とおっしゃる。
「違う。のらくろは、
完全に擬人化された犬ばっかりの社会の主人公で、そのなかで、だんだん出世してゆく犬の話。
スヌーピーは人間社会のペットとして飼われているが、人間なみに考え行動する。のらくろは黒
いがスヌーピーは白い」と説明したが違いが解ってもらえない。放映本番のなかで「日本でいえ
ば、さしずめ のらくろのようなもの」と言ってしまった。補佐が足りない、と冷や汗を流して、
私自身を責めた。
22. 友 達 と は どんな漫画か、お手元のプリントをご覧下さい。スヌーピーの前でウッドストッ
ク(不思議な小鳥)がピアノを弾いており「友達とは、自分のピアノのおさらい会に、あなたを
招待しない、というような誰かさんのことをいう」とある。日本では、友達というのは自分のピ
アノ発表会に、あなたを誘ってくれるのが友達、というような価値観。作者のチャールズ・シュ
ルツさんはそんなに甘くない。人間観察がもっと鋭い。子供のピアノ発表会は、下手な演奏に決
まっている。うちの坊やは、ピアノが上手を思っているのは、先生を別にすれば親だけ。それを
2時間も聞かされるのは退屈。だから、ホントに大事な友達は、そんな下手な演奏会には誘わな
い。誘うのは、退屈させてもかまわない人だけ、ということになる。単純だが、人間観察に充ち
た絵でパッと、示している。
23. 傷 つ き や す い 誰 か に 逢 い た い 2人の少女が歩いてくる。ヴァイオレットが「この辺りに
は、ろくな男の子がいない。心からステキだ、と思える誰かに逢いたいわ」という。そうすると、
いつもチャーリー・ブラウンにガミガミ噛みついているルーシーが、「私は、正直でユーモアの
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センスがあって、チョット可愛くて、傷つきやすい誰かに逢いたいわ」という。小学生にそう言
わせている。それを横で聞いていたスヌーピーが「J O E Perfect(完璧太郎)」と言う。自分は
その条件を全てそなえているから、どうぞお付き合いねがいます、というわけ。たった 4 コマの
なかに、これだけの人生が語られている。
日本では、ここ二十数年来、若い女性は「背が高くて、給料が高くて、学歴が高い誰かさんに
逢いたい」と、半分面白がりながらも言ってきている。三高でも嫌なやつもいるだろう、しかし、
この三高のなかに精神的価値が含まれていない。ルーシーは、「・・・・傷つきやすい(繊細な、感
受性の鋭い)誰かに」と言っている。男はタフであればいい、というものではない。傷つきやす
くなければ価値がない、とされる。
24. LOVER ’S LIE スヌーピーが「いとしい人よ、君がいなくてとても寂しい。・・・・あの公園
でチョコレートチップクッキーを食べた日々のことをおぼえているかい?・・・・君が僕のもとを
去ってから、僕はただ一つのクッキーも食べていない・・・・」と綴った。知らない人が読むと、け
なげな犬だと感心するが、実際はチャ―リ・ブラウンのクッキーをショッチュウ食べている。
スヌーピーは、ちょっと書き過ぎたと顔を赤らめながら「LOVER’S LIE!(恋人がよくつく嘘
だ)」とつぶやく。
「ばれたか」というわけ。4コマに、神と人との関係をはじめ様々なテーマの
核心が、一言の言葉に込められている漫画。イタリアでもフランスでも文化勲章に当たる章を受
章している。漫画の殿堂に入っている。大企業の会長、社長、大学の総長などのリーダー達が読
んでいる。だから、アポロ10号という世紀の大ミッションの、多額の国家予算をつぎ込んだ計
画の、指令船と月面着陸船の名前に採用された。日本のメディアは、アポロ計画の成功を伝えた
が、計画を推進し成功に導いたスヌーピーとチャーリー・ブラウンの意味するところの精神的内
容については、殆んど伝えなかった。
25. 僕 の 父 さ ん
チャーリー・ブラウン少年、ある年の父の日が6月21日。今年は明日。ヴ
ァイオレットが、「私の父はあなたのお父さんよりクレジットカードをたくさん持ってる」と。
「君は恐らく正しいよ」と、チャーリー。「私の父は、あなたのお父さんより、ゴルフボールを
遠くへ飛ばせるわ」に対し、「わかってる。僕の父さんは、まだティーショットを右に左にひっ
かけてしまうんだ」。「私の父は、あなたのお父さんよりボーリングが上手よ」に対し、
「わかって
る。父さんは未だにあのボールをどの角度をつけて投げればよいか知らないんだ」と。
続く4コマで、彼女は気分をよくして言い募る「私の父は、・・・」と話し始めたとき、
「ちょっ
と待って、もうそれ以上言わないで。君に見せたいものがあるから、一緒に来てくれないか?」
とチャーリーの父親の床屋へ連れてゆく。
「わかるかい?私の父の床屋だ。この中で1日中働いているが、ありとあらゆる種類の客と付き
合わなくてはならない。中には、気難しくなる客もいる。しかし、君にはわかるかい?僕は父さ
んの店に、どんな時にも入ってゆける。そうすると、どんなに忙しい時にも仕事の手を一寸休め
て、僕に大きな微笑を投げかけてくれる。
何故だかわかるかい?何故なら、父さんは僕が好きだからだ」というと、あれだけ威張ってい
たヴァイオレットが「父の日、おめでとう。チャーリー・ブラウン」と言って立ち去ってゆく。
そこで、あれだけ威張られたにもかかわらず、彼は腹を立てていなくて「ありがとう、僕からも
君のお父さんによろしく、と言っておいてくれよな」と言って別れる。
子供にとって、父親の社会的地位がどうであろうと、ゴルフが上手であろうと、そんなことは
何の価値もない。大事なのは、どんなに疲れ果てて、客にどんな嫌なことを言われても、入って
いったときに、坊主よく来たなといってニコッと笑ってくれること。父の笑顔のなかには、何の
計算もなく息子への純粋な愛情があるだけだ。父さんは僕が好きなんだ。
これは「ピーナッツ」の漫画シリーズのなかで、最高傑作と言われているもの。作者シュルツ
さんが4年前に亡くなったとき、NHK のクローズアップ現代に私も出演したのだが、インタビュ
ウされたアメリカ男性の殆んどが、この作品のことを話したがった、という。アメリカ人にとっ
て、これほど価値があるとされるものが、日本のメディアには取上げられることがなく、可愛い
ぬいぐるみとして少女たちに注目されるだけというのは問題。
26. Emotional Journalism 日本のメディアで、欧米のメディアと比べて一番特徴的なことは
なにか、といえば韓国や中国程ではないが、「あまりにも情緒過多(Emotional)」なこと。これ
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は、極めて危険なこと。Emotional Journalism について考えてみたい。戦時中のマスコミは、
軍部の意をうけてあまりにも英米に対する反感を煽りすぎた。したがって、正しい世論が形成さ
れずに段々と危険なところへ入っていった、ということの反省をしたはず。ところが、最近のメ
ディアをみていると、その反省は遠い彼方のことになってしまい、極めて情緒的になっている。
先般の小泉首相が北朝鮮から帰ってきた日、あの時点では家族の発言がストレートに報じられ
て、いい線いっていると思ったが、世論調査の結果、あの訪朝が 60 パーセント以上の支持を得
たという数字が出てから、ガラリと変わった。そして、キムジョンイルに馬鹿にされたというこ
とは、霞んでしまって、とにかく 5 人が帰ってきて良かった、ということになってしまった。
27. ホ ル ム ズ 海 峡 自分が勤務した局も、大きなことは言えない。1980年に、イラン・イラク
戦争が勃発。第1次オイルショックから7年後で、石油が来なくなると言う恐怖感があった。
石油は、タンカーがホルムズ海峡というペルシャ湾の出口を通って、日本にもたらされる。もし、
ホルムズ海峡にタンカーが5隻沈められたら、原油を満載したタンカーは通れない、と言われた。
当時解説委員をしていたが、後輩たちが現地へ行ってくれというので、直ちにホルムズ海峡へ飛
んだ。まず、マスカットというオマーンの首都について、そこからオマーン海軍のヘリコプター
でホルムズ海峡へ行った。
ところが、ホルムズ海峡は実に静かであった。そこへ到着する前に朝日新聞に、少年兵がオマ
ーン海軍の船の上で銃を構えてパトロールしている緊迫した写真が掲載された。一触即発の危機
が迫っている、との印象を与えた。しかし、現地は静かで、アメリカの報道担当官が、いくらホ
メイニのイランであってもここにタンカーを沈めるような暴挙はしない。そんなことをすれば、
他の国からイランにミサイルを打ち込まれるだろう、世界の石油の大動脈であるホルムズ海峡に、
イラン・イラク戦争の災害が及ぶことはない、と言った。
28. 緊 迫 感 が な い こ と が ニ ュ ー ス ホテルに帰ってから、極めて淡々とホルムズ海峡の様子を
伝えた。それに対して、後輩たちには気に入らない、もっと緊迫した調子で「ホルムズ海峡波高
し」のような調子でやってくれませんか、と頼まれた。日本海と違って、波など全くない、いく
ら地中海からイギリスやフランスの艦船がやってきている、と言われても、海峡は静かであった。
「緊迫感がない」ことがニュースである、と言ったのだが後輩たちは納得しなかった。しかし、
少なくとも自分が所属していたメディアでは、煽情的な報道は一切しなかった。社内的には、ワ
イドショウ的に派手にやりたいとういう潜在的な欲求があり、だ いぶ不満がつのった。ニュース
番組を見るときは、必ず割り引いて接していただきたい。
29. 読 者 ・ 視 聴 者 の 意 地 悪 が メ デ イ ア を 良 く す る 今のイラク戦争についても、各局とも大変
だ、と報道している。本当の裏の話はどうなっているのか、というのは難しい問題。裏を読み、
その裏を読むというように、メディアに馴れることが必要。これが、ワイドショウや時代劇の見
過ぎで、単純化してしまう傾向にある。20年前に比べて、視聴者の意地悪の度合いが減ってい
る。新聞も併せ読みし、読者や視聴者がもっと意地悪になることによって、メディアが良くなる
と思う。
間違っていると思えば、新聞社やテレビ局にファクスなどで文句をいう。自分が一言いったぐ
らいで、どうなるものでもない、と思わないで、やっていただきたい。筋がとおっておれば、か
なり効果がある。今のテレビ番組は完全にミーハー向けになっているから、皆さんの真面目な声
を反映させていただきたい。スヌーピーを読み、テレビを見て、アメリカの子供たちは、しょっ
ちゅうメディアに電話をしている。
30. Espionage 日本のメディアで意識が薄いと思うことは、espionage、スパイ行為、諜報活
動に関すること。スパイの暗躍について、あまりにもナイーブ。有楽町の外国人特派員クラブの
会員になって二十数年になるが、かつての冷戦時代には、名刺を渡されるソ連人の殆んど、8割
以上は、スパイと思え、という鉄則があった。
1979年に日本からアメリカに亡命したレフチェンコという大物が、ニュータイムズ、ノー
ボエ・ブレーミアという雑誌の特派員として日本に来ていたが、もちろん彼は KGB(カーゲベー、
ソ連の情報機関・秘密警察)のエージェントとして日本の政・財・マスコミ界に入り込んで、日・
米・中の離間を謀るなど謀略の限りを尽していた。ノーボエ・ブレーミア東京支局長という彼の
名刺をまだ持っているが、彼は日本でのスパイ活動について、アメリカ議会で証言している。
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31. ス パ イ イギリスでは、Gentleman は政治と宗教の話をあまりしてはいけない、とされ天気
の話をすればいい、とよく言われる。あえて言うと、スパイについて社民党の皆さんの意識が一
番欠けていた。共産党は、分かってやっていると思う。橋本龍太郎さんも、中国の女性スパイと
怪しい仲になったが、本人にその自覚がなかった。
各国は、練達の手練(てだれ・てれん・腕利き)を送り込んできており、我々クラスの者にも
誘惑がある。特 派員を送り出すパーテイでは、特にモスクワへ行く人には「絶対に自分がモテル
と思うな」とスピーチしてきた。モテル訳がない、腹に一物があって近づいて来るんだから、何
年か経って日本に帰ってからもジャーナリスト活動やりたかったら、絶対に誘惑にかかってはな
らない、と言ってきた。しかし、なかには負けたやつがいたかもしれない。
32. ジ ョ ン ル カ レ イギリスの世界一のスパイ小説家、もと英国外務省に勤めていたというが、
本当はジェームズ・ボンドが所属した MI6(Military Intelligence 6=軍事情報部6課)の職員
が、外務省を隠れ蓑にしていたらしい。寒い国からきたスパイについての、数々の名作がある。
日本でどれくらい売れたか?早川書房から出たが、3∼4万部程度。世界のインテリが読んでい
るジョンルカレを日本人はあまり読んでいない。諜報、謀略についての智識に欠けている。
彼らの闇の世界を知っていて、そしらぬ顔でつきあうのが練達の記者。それで、イラク、アフ
ガンで起こっていること、中国経済の深読みができるはず。受験戦争を、入社試験を勝ち抜いて、
記者になっても、人間の屈折した心理を知らずに、また苦労もせずに組織の階段を上がってゆこ
うとする人には、こうした謀略の世界は厳しい。しかし、戦国時代の権謀術数とか世界史におけ
る大事件の智識をもっておれば、この人物は今おれに謀略を仕掛けてきているな、と分かるはず。
33. 意 図 的 な 事 実 無 視 小泉首相が北朝鮮から帰って来てから、朝鮮総連に自民党総裁としてメ
ッセージを寄せた。しかし、これを朝日新聞、毎日新聞が全く伝えていない。先週の週刊文春で
はじめて知った。産経と読売は伝えた。
朝鮮総連の有る会合に、日本国総理大臣としてメッセージを送り、誰かが代読したらしいが、
全く伝えないというのは、どういうことか?小泉首相の代理が、こういうメッセージを代読した、
と伝えればよい。朝日、毎日だけを読んでいる人は、その事実を知ることはない。この種の話は、
非常に気の滅入る話。
心 な ら ず も 報 道 1974年に田中角栄さんが失脚したが、その前年に、ロンドン、パリ、ボ
ン、モスクワを訪問した。東京から、記者たちが大挙してついて来た。特派員は、東京からの記
者たちを表に立てて、裏で手助けをする。
西ドイツの首都、ボンでギムニッヒ城に一泊。あくる日、総理の報道担当官はメディアに向か
って「総理の今朝はどうでしたか?」という質問に対して、「総理はお城のほとりを流れている
川を散策しながら、シューベルトの「鱒」を歌った」と言った。角栄さんがシューベルトの「マ
ス」を歌うのか、と驚いた。
昔は、NHK でも「マス」をよくやっていた。旧制高校の学生は、皆この歌を知っていたから、
大正生まれの人には馴染みかとも思ったが、浪花節でなくて急にドイツで、偉大なるシューベル
トが活躍した国にきて、旅情にかられて青春時代の「マス」をホントに歌ったのか、と感じた。
総理のイメージを持ち上げると、田中さんはその官僚を後日に天下り先の良いポストにつけて
やった。通産省のある人は永年忠勤を励んだ結果、ある石油開発会社の社長にしてもらい、随分
長期に社長をやっていた。報道官は、我が国の総理は、それほど教養が有ると世界に向けて喧伝
しようとして「鱒」を出してきたな、と思ったが、新聞記者はそれを書かざるを得ない。類した
ことは、今も行なわれている。それとわかる報道官ならば、割り引いて記事にできる。
34. 正 義 感 過 多は日本のメディアのもう一つの特徴。何も分からない視聴者や読者に、おれが教
えてやるんだという態度が強すぎる。記者を養成するときにいう言葉に「社会の木鐸(ぼくたく)
たれ」がある。木鐸とは、古代中国の聖天子の御代に、異変があったときに木鐸が鳴り出し世の
中に警鐘を発するもの。だから、新聞記者は木鐸となって正義を追求し、大衆を啓蒙しなければ
ならない、と思い込んでいる。わたしは、日本には木鐸が過剰だと言いたい。淡々と、客観的に
事実を報道することに専念すればよろしい、と思う。
35. 主 張 の 偏 向 日本のメデイアで残念なのは、論説からエッセイを書く執筆陣、読者の投書ま
でを一色に染め上げてしまうこと。イラク派遣反対となれば、そういう論客ばかりを集める。反
対の意見が載ることは皆無にちかい。
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ところが、さすがニューヨーク・タイムズには、自社の社説に真っ向から反対の意見を掲載する。
Editorial(社説)の反対側のページに「O P- ED (Opposite side of Editorial)」欄として全然
違う意見を掲載する。したがって、ニューヨーク・タイムズは、保守的な論もかなり多い。
どっちが正しいかは、読者が判断できる仕組になっている。この評判が良かったので、ワシント
ン・ポストをはじめ、全米の殆んどの新聞が「OP-ED」欄を設けている。ところが、日本の新聞で
は、一紙しか読んでいないと論点の比較のしようがない。それでも、保守系の新聞には、比較的
に他の意見も垣間見ることが出来るようではある。
36. 客 観 報 道 に 徹 し た E .Murrow
第2次世界大戦中にアメリカの CBS 放送(当時は Columbia
Broadcasting System)のロンドン特派員で Edward R. Murrow がいたが、このひとは磯村尚徳さ
んとか私などにとって、本当に尊敬の対象であこがれの的であった。活字ジャーナリズムの経験
が一切なく抜擢されて、ロンドンに送り込まれる。
1940年にはドイツ空軍の飛行機が夜な夜なロンドンやブライトンに爆弾を落とすように
なるが、そうした中で E.Murrow は極めて客観的な報道に徹した。テレビはない時代、ラジオで
「私は今、あるビルの屋上にいます。国家および個人の安全のために、どこから放送しているか
は言えません。はるか南の方角に今青い高射砲の光が見えました・・・・・」というように、本来な
らナチスに対する憎しみなどを込めてはなすところを、今爆弾が落ちるのを見た、というような
客観報道を通して、アメリカ人は自分たちの先祖の国イギリスがナチスドイツの爆撃に遭ってい
ることを、身にひしひしと感じた。それがアメリカ人の中に徐々に浸透し、この戦争は大変だ、
という気持ちになり、やがてアメリカは参戦する。
Murrow は、冒頭に「ハローアメリカ」と言って放送をはじめた。戦争が終わって、ヒーロー
としてアメリカに帰ってから、テレビのニューズキャスターの草分けとして活躍する。そして、
全米を恐怖に巻き込んだ赤狩り旋風のジョゼフ・マッカーシー上院議員と番組のなかで対決し、
この議員の政治生命を葬ってゆく。
37. Acceptance Speech 大統領選挙では、ジョン・ケリーに比べてジョージ・ブッシュは劣勢
と言われている。注目していただきたいのは、民主党、共和党の各党大会で候補者に指名された、
その夜に行なう「指名を受けます」というスピーチ(Acceptance Speech)である。これが決定的
に重要。わたしが取材したなかで、この共和党候補のスピーチ内容が日本のメディアで殆んど伝
えられなかった。それは、勝敗を分ける重要なものであった。
「私は8年前にもこの壇上に立っていた。皆さんの推薦を受けた共和党候補でした。しかしそ
の私がここに立っている・・・・」と始めてから、ベトナム戦争をどう終結させるか、経済政策、
政策綱領を話していったが、一番のポイントは、「アメリカの多くの少年少女にとって、人生は
結構つらいもの。敗北の悔しさを噛みしめている子供たちも多い。しかし、それはごく一部。一
人の少年を想像して欲しい、彼のお父さんは生活が苦しいため、彼は小学校を出てすぐに働きに
でなければならなかった。母親は、最愛の息子が軍人になって戦場に赴くときに涙を流した。母
親は、戦いを禁じるクエーカー教徒であった。その少年が、人生の幾つかのステージで忘れ難い
支援者に出会ってゆく。少年は夜、遠くへ去ってゆく汽車の汽笛を聞いていた。あの汽車はどこ
へゆくのか、と思っていた。少年にとって、その汽車は東部へ行くのだ、ワシントンへ行くのだ、
そして何時か自分もホワイトハウスの主になるのだ、と思っていた。その少年が、いま皆さんの
前に立っている・・・・」と述べた。
浪花節である。これが聴衆に馬鹿うけした。わたしは、この演説の肉声で放送させろ、文章に
すれば迫力がなくなる、と本社とやり合ったが通らなかった。これがリチャード・ニクソンであ
り、彼は勝って大統領になった。人々の情感に訴えてゆく彼の能力に感歎させられた。一方、対
抗馬の民主党ヒューバート・ハンフリーは、弁舌が上手すぎて、上滑り。人の心を打たない、し
たがってハンフリーは負けると思ったが、日本のメディアはこれらのことを伝えなかった。
<質疑応答>
Q:日本の新聞についてお話ください。望ましい読み方、新聞の組み合わせなど。
A:朝日新聞と毎日新聞は同じ傾向であるから、仮に「 A」とすれば、どちらかを読めばよい。また、
読売新聞と産経新聞を「B」として、B の両方を読む必要はない。A と B のうちから、各1紙を選んで
併せ読むと良いと思う。
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電車の週刊誌中吊広告の目次は、毎週見て欲しい。週刊新潮、週刊文春の記事には、800万部の
新聞が伝えない貴重な情報が入っている。読みたいと思ったときには、お買いになることをお勧めし
たい。新聞社と違うメンタリティで編集している。
Q: ニューズキャスターに、自分の意見を述べる人が多いのに腹立たしく思う。
「何故、あんな戦争
を始めたのだろう」と自問するキャスターの意見など聞きたくないが、なぜテレビ局の経営者が言わ
せているのか?
A: アメリカのジャーナリストは、エド・マロウーを鏡として育ってきている。したがって、ニュ
ーズキャスターは意見を述べてはならない。意見は、横にいる解説者が言う、とするのが鉄則。キャ
スターは客観報道に徹すべきである。私が報道製作部長の時は、何とかしてそのメンタリティを直そ
うと悪戦苦闘したが、左翼的な労働組合員もいて、なし崩し的になってしまった。アメリカであんな
ことしたら、キャスターばかりか関係者もくびになる。まだ希望は捨てていないが、直すには大変な
努力と時間が必要。NHKさえも、基準を踏み外している。
エド・マロウーの後輩で、ウオルター・クロンカイトはCBSで19年間、視聴率トップの夜7時
のニューズキャスターを勤めたが、そんな馬鹿なことは一切しなかった。意見があるときは、解説者
を呼んできて話させていた。「これはオピニオンだ」「これは Fact だ」と視聴者は直ちに見抜けた。
いわゆる「報道の自由」の問題ではない。ラジオ、テレビ局は国民に代わって政府から免許をいた
だいて放送している。アメリカで、ボストンのテレビ局が住民の利益を代表していない、という理由
で連邦通信委員会から免許を剥奪されたことがあった。
日本の場合、新聞社がテレビ局の資本を握ったことのマイナス面も大きい。アメリカでは、ニュー
ヨーク・タイムズなどはラジオ局を手放してきている。電波と新聞は競合すべきで、同じ資本系列に
なることで堕落が始まった。民主主義の進んだアメリカでは、テレビ番組に Bias(偏向性)がつい
ているか、どうかについて小学校の先生が教えている。小学生にもソッポを向かれてしまう。ラ・マ
ンチャの男の「impossible dream」を夢見て、孤独な戦いではあるが、正してゆかねばならない。
Q:日本とアメリカの関係についてお話しください。
A:日米関係は、例えば米韓関係に比べて安定している。反米感情もあるが、日米安保条約の廃棄に
至ることはない。貿易摩擦も殆んど無くなった。アメリカのメディアが反日的な論陣を張ることも減
ってきた。今後も、かなり安定して、関係が深まってゆくと考えている。
政治家にアメリカの政治家と対等に渡り合える人物、例えば歴史認識、古典文学についての知識、
教養とかを持ち合わせた人物の数が少なすぎることは問題である。これは、両国のより良いコミュニ
ケーションの成立に問題が生じている。日本の学校で、韻文とか古典文学の良さ、欧米の文学などを
教えていない咎めが一杯出てきている。
現在の韓国や中国の若者が持っている欧米に関する知識を、日本の若者は持ち合わせていない。こ
れは、極めて危惧すべき問題で、永田町にいる2代目、3代目の政治家たちは、学生時代勉強せずに
遊んでいたから、とても向うのインテリと友達になれない。30歳以上年上の連中、例えば中曽根さ
んなどは、対等に付き合えた。現在の官僚も、公の意識よりも「私」の意識がつよくて、日本の国際
的な恥さらしとなっている。
昨日、駐日英国大使サー・スティヴン・トーマス・ゴマソール氏のお別れ昼食会があった。二等書
記官時代からお付き合いをお願いしてきたが、あのようなエリート官僚と、日本の官僚はつきあえて
いるのか、という懸念を深めてきた。日米関係の根幹は変わらないが、どのようにして心が通じ合え
るような関係に深めてゆくか、が重要である。そしてメディアがアメリカのことを正しく伝えてゆく
か、である。楽観60、悲観40ぐらいといえようか。
誰が日本を支えてゆくか。ビジネスをやっている人は、必死であるから、それが可能である。産業
界しかない。教育界はとても駄目。対等に渡り合えない。シュヴァイツア博士は「認識においては悲
観的である。だが、意欲と行動は楽観的である」と言ったが、これしかない。冷静にみてゆくと悲観
的にならざるを得ないところもある。
先週、日本の国際企業の経営者連中と韓国のサムソン電子の経営戦略を見聞してきたが、完璧な英
語、完璧な日本語を話し、戦略に対する自信にあふれ目の色が違っていた。勝ち組はすごい、と実感
した。
以上
(文責:TMBC 事務局 佐藤忠道)
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