上永谷中学校 学校だより 平成26年度 第11号 上永谷 平成26年3月25日発 行 横浜市立上永谷中学校 学校長 小野寺 洋明 卒業式式辞はキャリア教育の最終講話として3年生に送りました。以下抜粋です。 本当の勝利者 68年前、太平洋戦争で、米軍の空襲により日本の多くの都市が焼け野原になりました。原子爆弾が投下され た都市もあります。軍需産業が盛んだった広島・長崎です。放射能の恐怖もあり、広島は一時期、人が二度と 住めない土地になるのではと陰口をたたかれたこともありました。 自動車メーカーのマツダは昔、東洋工業という名前でした。プロ野球の、広島東洋カープの東洋です。戦後、 日本の復興の基幹産業として、多くの自動車メーカーが発展しました。乗用車だけでもトヨタ、ニッサン、ホン ダ、三菱、スバル。それぞれ個性的な車づくりを誇っています。マツダもまた広島と日本の復興に寄与した会社 です。 私が中学生だった1960年代、マツダは画期的な新型エンジンを量産車に搭載したことで世界的に有名になり ました。ロータリーエンジンの開発です。ロータリーエンジンの理論そのものは100年昔からあったのですが、世 界中の自動車メーカーが開発に挑戦していました。普通のエンジンは「レシプロエンジン」と言います。レシプロ エンジンはガソリンの燃焼によりピストンが往復運動し、クランクシャフトを通して回転運動に変える仕組みです。 ロータリーエンジンはピストンそのものがエンジンの中で回転します。世界でただ1社、マツダだけがその技術を 成功させました。 ロータリーエンジンはクランクがない分、小型であり、回転運動に特化した長所を持っています。しかし欠点も ありました。ガソリンの消費が多かったのです。1970年代、オイルショックと言って、世界中で石油の値段が高 騰したことがありました。マツダのロータリーエンジンはその燃費の悪さゆえに販売不振に陥りました。マツダは そのエンジンの優秀性をアピールするために、世界3大レースの一つであるルマン24時間レースに参戦すること にしたのです。最初のレースはたしか4時間でリタイアだったと思います。挑戦すること12年。成績は7位まであ がりました。13度目の挑戦で、マツダは総合優勝を遂げることになります。 ルマンは他のレースと違ってゴール地点がありません。1週13キロの市街地を24時間走り続けて、その距離を 競います。その距離約5000キロを走り続ける耐久レースです。どんな車のエンジンも、24時間を時速300キロ の負荷で使用し続けることはできません。必ず何度か調整し直し、タイヤを換え、細かく整備しながらレースを 続けます。そうやって、自動車の能力を極限まで高めます。だからルマンレースで勝つメーカーは世界最高の壊 れない車を作った会社ということになります。その称号がほしくて、社運をかけて、マツダは参戦していました。 1991年、この年のルマン・レースは苛酷を極めるレースでした。37台のエントリー車のうち、完走できたのは1 2台だけです。開始から20時間を経過したとき、マツダはその12台のうちに3台を残していました。 ヨーロッパの数々の名車、アウディを交わし、ポルシェを抑え、マツダがなんと第2位、6位、8位にランクイン していました。マツダチームの誰もが喜び、このままエンジンを温存すれば、日本初の2位入賞がかなうと喜ん でいました。その時のチーフエンジニアであり、最高責任者は大橋孝至さんと言います。彼がそのとき、チーム の皆に言った言葉があります。 「今まで受けた屈辱は何だったんだ?」 実はロータリーエンジンの開発研究者はかつて大勢いました。しかし、販売不振にともない、研究者は次々と 販売に回され、事務に回され、あるいは会社を離れ、ロータリーエンジンの研究者はわずかな人数に減らされて いました。ルマンレース自体、ルールの変更により、ロータリーエンジンを使用する車の参加が、翌年からでき なくなるときでした。マツダチームは最後のチャンスとして背水の陣でこのレースに参加していたのです。だから、 エンジンの温存を優先し、2位を得たいとするスタッフたちの考え方は当然でした。しかし、それまで苦労してき たエンジニアたちの思いを全て背負って、大橋孝至さんは言いました。 「ロータリーエンジンの受けた屈辱は2位では返せない。おれたちのロータリーエンジンは絶対に壊れない。 」 その言葉でルマン優勝をねらい、1位か、あるいは全てを失うかというチャレンジが決定しました。ドライバー に「ラップタイムをあげてベンツを追え」という指示が無線で伝えられました。 1位のメルセデスベンツは4周、距離にして、50キロ先を走っていました。 ルマン耐久レースの後半は普通はいかに故障を減らすかに気を遣います。20時間を超えて、エンジンの全開走 行を指示するのは狂気の沙汰でしたから、ひたすら前へ前へと突進するマツダのチャレンジは、サーキット中で 大騒ぎになりました。マツダがベンツを追い始めたとき、3位4位5位を走っていたジャガーチームは追ってきませ んでした。安全策を優先したのですが、追う余力もすでになかったのです。 それに対し、誇り高い王者メルセデスベンツは敢然とマツダの挑戦に応えました。ベンツも最強のエンジンを 誇る会社です。余裕のあるはずのベンツが、マツダを前に行かせまいとして、さらにスピードを上げたのです。 エンジンとエンジンの勝負。会社と会社の誇りをかけた勝負になりました。大観衆の興奮の中、デッドヒートを繰 り広げること1時間。エンジンから白い煙を吹いたのはベンツの方でした。ピット、整備場でベンツのエンジンが 再び始動できたのは45分後です。マツダはゆうゆうと、残り3時間を先頭で走り、とうとう優勝しました。マツダ のチャレンジ精神に感動した群衆はレース終了と同時にフェンスを破ってコースになだれ込み、車が走行不能に なったほどです。この様子はユーチューブで見ることができます。 さて、諸君に伝えたいことがあります。ここにいる大人たち、先生も保護者である親御さんも、地域の方たちの すべて、大人たちの誰もが、実は人生で、大きな負けを経験しています。理不尽な仕打ちに眠れぬ夜を、涙で すごした経験を持っています。そして、その時は君たちの人生にも必ず訪れます。 車が売れなかったとき、マツダのエンジニアたちは会社の中でどんな気持ちでいたのでしょうか。ロータリー エンジンのおかげで会社がつぶれそうだ。おまえたちのエンジンは会社のお荷物だ。早く辞めてくれないか。そ んな声もある中、エンジニアたちは怒りではなく、恨みでもなく、ひたすら頭を下げたのです。 「申し訳ありません。続けさせてください。いいエンジンを作ってみせます。いい仕事をしてみせます。チャン スをください。 」 映画やテレビのドラマでは苦しいとき、敵に追い詰められたときに、見る人に分かり易く主人公は怒りの表現を 使います。「倍返しだ」などという捨て台詞も昨年の流行語になりました。しかし、君たちの人生で最も苦しいと きに、君たちを支えるのは、実は、怒りや憎しみではありません。何かに当たり散らすことではありません。自暴 自棄にならずに、家族のために、会社のために、商売のために、いい仕事をしようと決意すること、耐えて人に 頭を下げることです。覚えておいてください。これが世界と競って、勝ってきた日本人の本当の戦い方です。ドラ マの土下座のように、相手に頭を下げさせて勝ち誇るのは、本当の勝利者ではありません。本当の勝利者とは、 苦しいときに頭をさげる姿勢を見せる者のほうです。 余談ですが、マツダのロータリーエンジンは2年前に生産を終了しています。現在はレシプロエンジンの新型 が活躍しています。ときどき、ロータリーエンジンの再開発の話題が持ち上がるのは、私と同様に、昔のルマン レースを懐かしむ新聞記者たちの趣味の話なのかもしれません。しかし、もし万一、ロータリーエンジンが再び 生産されるという報道が出たら、マツダに限らず、自動車会社に限らず、全国の黙って働く技術者、エンジニア たちの日々の努力に、私は拍手を送ります 経済が厳しい20年がすぎ、まだまだ、安定はしませんが、やっと、かすかな希望が見える時代となりつつあ ります。君たちは技術と努力を何よりも誇りとする国に生まれ、誇り高い教育を受けてきました。全力で戦う相手 にも敬意、リスペクトの気持ちを忘れず、苦難を乗り越える人生を歩むことを希望します。 4月主な予定 7日(月)始業式・着任式・入学式 8日(火)離任式・対面式・生徒会オリエンテーション 9日(水)身体計測 10日(木)図書館・部活動オリエンテーション 11日(金)学級写真 17日(木)学級懇談会・修学旅行説明会・PTA正副委員長会 21日(月)~24(木)家庭訪問
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