Head of Yarra Report - Partez Rowing Club, Tokyo, Japan

2015年第57回ヘッド・オブ・ザ・ヤラ参加報告
和田 格人(パルテ)
はじめに
オーストラリアのメルボルン市で 2015 年 11 月 28 日(土)に開催された掲題レース(8.6Km)に出漕した
レポートである。今後もパルテで参加の可能性があるので参考のためにまとめた。パルテは 2011 年にも
このレースに参加しているが、その時は上流で大雨が降って流れが速く一部のレースしかできなかった。
したがって正規の大会進行でレースしたのは今回が初めてである。
ヤラ川コースとメルボルンのボート環境
スタート地点の艇庫街はメルボルンの中心駅であるフリンダース・ストリート駅と川を隔てて対岸にあ
る。この駅はメルボルン都市圏に向けて放散する郊外鉄道網のステーションであると同時に、その前の交
差点は都心部を巡るトラムの重要な乗換え駅である。つまり東京でいえば川のそばという点では浅草駅、
郊外へのステーションという意味では新宿駅や渋谷駅に該当する駅のそばに艇庫があることになる。駅
脇には水上バスの発着場があるが、そこより上流には来ないから、上流部はほぼ完全にローイングコース
として利用できる。駅側護岸は高さ3m 程度の絶壁護岸だが、艇庫側は公園で水面から土手上まで1mほ
どしかない芝生の斜面である。こんな環境であればボートを漕いでみたいという気持ちにもなるだろう
し非常に練習しやすい環境である。このあたりは言葉で説明するより地図を見れば一目瞭然なので、スタ
ート付近の俯瞰図を貼り付けておく。
スタート
艇庫群
水上バス発着場
フリンダース St.駅
1
レースコース
スタートから 3Km は川幅も広くゆるいカーブである。そこを過ぎると次第に川幅が狭まり両岸が高くな
りカーブもきつくなる。終盤はローイングボート同志がやっとすれ違える川幅できつい左カーブが続き、
最後 500m ほど直線があって Hawthorn 橋をくぐってゴールする。レース動画は Head of the Yarra で探
せば You Tube でいくらでも見つかる。コース途中には艇庫が散在し、今回我々がお世話になった 本レ
ガッタ主催クラブ Hawthorn ボートクラブはゴール地点東岸にある。またレースコース 2/3 程度の地点
までは左右いずれかに遊歩道が沿っていて自転車で伴走できる。
Start
Goal
ピンクは高速道路
地図でお分かりの通りコース周辺は公園が多くそしてスポーツ施設が多い。スタート東の Melbourne
Park は毎年 1 月の全豪オープンテニス会場でコートが全 24 面にテニス用スタジアム一つがある。その
北東 Yarra Park には当市最大のスタジアム Melbourne Cricket Ground (通称 MCG)があって、これは
1854 にクリケット会場として創設されて、一時は 13 万人の収容能力があったが安全衛生等の理由で改装
されて現在の収容力 10 万人ちょっと(世界 10 位)、1956 年のメルボルンオリンピックでは陸上競技と
開会式・閉会式の会場となった。現在はクリケットも行うが主にオーストラリアの国技であるオージーフ
ットボール(シーズン中毎週 1 試合以上、決勝戦など)が多く、他にサッカー、ラグビー、コンサートな
どに使用。2006 年コモンウェルスゲームズ(イギリス連邦に属する国や地域が参加して 4 年ごとに開催
される総合競技大会)では再び陸上と開会式・閉会式に使用し、ともかく世界のクリケットプレーヤーに
とっての甲子園と言える突出した存在だそうである。地図左下に池が頭を覗かせている緑地帯が Albert
Park でこの池の周回(ほぼ 5Km)で F1 オーストラリア GP が 3 月開催されている。地図には出てないが臨
港部には Ethiad Stadium というまた別の 5.5 万人規模のスタジアムがあって、何でこんなに競技施設
があるの?というほどだが、ともかくメルボルンがスポーツ大好き都市であることはたしかだ。
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コーナリングについて
後半は急カーブ続きで大変である。事前によくコースを研究しておくことと練習が必要である。今回我々
が特にトラブルもなく完漕できたのは事前練習の成果もあるが、何より地元出身で本レースの経験もあ
る Lisa がコックスに乗ってくれたことが大きいと思う。我々は全部 Lisa の Stroke Side Dead Slow,
Bowside Pull Hard (大体こんなコールだったと思う)で S サイド思い切り弱く B サイド強くで艇を止
めることなく乗り切ったが、他のクルーは S サイド完全にやめたり S サイドブレーキしたりもしていた
ようだ。右の拡大地図はコース最東地点の直角カーブだが太い黒線が 50m を示す。エイトの全長が 18m 程
度だから大体感じが想像できると思う。さらにこれらの
どこかで抜いたり抜かれたりになることもあると思ってい
ただきたい。
荒川はヤラ川ほどには急カーブはないが、対向船がないの
を見計らって川幅をいっぱいに使って急カーブする練習、
あるいは武蔵野線鉄橋上の埼玉県側水門開口部がちょうど
荒川に直角になっているので、そこを使って 90 度カーブの
50 m
練習を行った。
レース全般について
2015 年レースの参加クルー総数がプログラムによると 231(全部エイト)。レース開始が 10:30 で最終レ
ースゴールが 14:50。その間はいかなるボートも川を下ることはできない。すなわちゴールしたエイトは
全部一度陸に上げて、レース終了後に漕ぎ下るかトレーラーに積んで搬送することとなる。おそらく 100
人では効かない数のボランティアが運営に携わっていると思われる。前日に HBC(Hawthorn Boat Club)
艇庫の中に電気メガホンだけで 50 台ほど準備されており、役割分担とタイムスケジュールの詳細な表が
貼り出されていた。8.6Km の曲がりくねったコースだから相当数の安全監視役が配置されていたはずであ
る。
プログラムは本格印刷の 28 ページで参加者に無
料配布でなく 1 冊 5 ドルで売り子が売りにくる
ので買った。内容は会長あいさつ、熱射病への
注意と対策、カテゴリー区分・分類規定・年齢
ハンディ、コース地図(全体、スタート付近、
ゴール付近)
、気象急変等で予定通り実施でき
なくなった時のプラン、ビクトリア州のボート
安全規則、スタート順・グリッド配置・クル
ー番号・メンバー表、過去の各カテゴリーベ
ストタイム、昨年優勝クルーとタイム、この
レガッタがどんな風に始まったかの(57 年前の
メンバーの)回顧エッセイ、過去の発展年表、
それに若干のクルー写真とスポンサー広告と
Goal の Hawthorn 橋から艇庫と川を見る。
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いったところ。気の毒なことにメンバー表の我々を含め 8 クルー分の区画だけ cox 名の欄が抜けていて
Lisa の名前が入っていない。
参加クルーはトップクルーから草の根クルーまで多様性に富み、それがこのレースを味わい深いものに
している。高校生男女(その中で A, B, C に分かれている)
、成人は男女で各オープン・B/C/D Grade の
4 クラス、マスターズは男子 7 クラス(最高が平均 70 歳以上)
、女子 5 クラス(最高が平均 55 歳以上)、
男女ミックスが 5 クラス。
これまでワールドマスターズ等で外国の中高年クルーはいろいろ見てきたが、
高校生のエイトがこれだけたくさんいるのを見たのは初めてだった。オーストラリアでも高校生だとあ
ごひげを生やしたおじさんのような少年もいれば小学生程度にしか見えない子もいて、レベル的にも結
構幅があり、これで 8.6Km 漕げるのかいな?という感じのクルーもいたが、がたがたバシャバシャしな
がらみんな出ていくのだから偉いものである。ちなみに Post Race Release によると最高齢クルーは平
均年齢 81 歳・タイム 40 分 43 秒。
前日夕方と当日朝に川でエイト以外のボートが練習しているのを見かけたが、大体少年男女の 4X+と 1X
で、コーチが自転車ないし小型のアルミボートでついて指導しているので、それだけの配慮はきちんとで
きているのだと思われる。少年男女や女子エイトの練習を見ていると大体共通のルーティンがあって、川
に出たらフィニッシュの腕漕ぎ・上体漕ぎから初めていた。もちろんそれだけではないだろうが、オース
トラリアと言えば世界でもローイング競技力の高さでは有数の国だから、普及育成プログラムは安全面
も含めしっかりしていることは間違いないと思う。
Head of the Yarra のホームページは下記で、過去から最近の記録、レース要領等を見ることができる。
http://headoftheyarra.com/
パルテの練習とレース
地図を見れば分かるが艇を借りた Hawthorn
Boat Club (以下 HBC)はメルボルン中心部から
東に 5Km ほどのところにある。幸いなことにト
ラム(路面電車)の路線脇にあって、Hawthorn
Bridge という停留所で下りればすぐである。
また今回は間夫妻がレース後観光の足もかね
てレンタカーを借りていたので何人かはそれ
に分乗し、レース当日の着替え等の保管、
運搬もこれにお願いした。
まずは前日 27(金)15 時に HBC 艇庫集合。
現地までは飛行機便も時間帯も全くバラ
バラというパルテ方式をとった。貸して
もらったエイトはサイクス製の設定体重
90kg 艇でリガーハイトは全て 17cm に
スタートして 100m ほどからスタートを見る。
左手岸の乳黄色の石柱がスタートライン
4
きちんと合わせてあった。我々にはハイト
が少し高いのではという懸念はあったが、出してみるとそんなこともなく、一人だけ高くて漕げないとい
う人(5 番)がいたのでリガー根元の穴を一つ下げて付け直してよしとした。ひとつ失敗だったのは工具
を何も持って行かなかったこと。言えばもちろん快く貸してくれるが、使用している計測器具、工具が微
妙に日本とは違って作業がもたつくので、やはり最低一式は普段使用している自分たちの工具と計測器
を持っていくべきであった。ハイト計は L 型ではなく日本にもあるパンタグラフ式を使っていて、これ
は日本から持っていく必要はない。コックスボックスとストロークコーチは私が一式持って行ったので
正解。ただしコンセントがオーストラリアでは電圧 220-240 ボルトでプラグ形状も異なるので充電は要
注意。
この日ネイサンの到着が遅くなりそうで、リサはコックス向け説明会が HBC で 18 時からあるのでそれま
でに上げなければならず困ったが、宮阪さんの大学ボート部同期で松下さんという方が当地にいて、宮阪
さんを車で送ってくれてきていて、こちらでも漕いでいて明日も某クルーで参加することになっている
ということで、これ幸いと代打で乗ってもらいコースの後半半分ほどを下って引き返してくる練習をし
た。松下さんによるとメルボルンの中高年オアズマンに本レースは大人気で、参加シートの奪い合いでな
かなか乗れないのだが、たまたま明日は若手のクルーで席が空いて乗れることになったそうである。また
このレガッタはエイトだけだが、1年の別の時期にはスカルのヘッドレースもあるとのこと。前日になる
と国内の他の水域から来たボートトレーラーが Hawthorn 橋すぐ上の公園(渓谷地帯なのであまり広く
ない)と周辺道路にぎっしり詰まってボートを下ろしたりリギングしたりの作業が始まっていた。
当日
レース開始が 10:30 で 9:30 までにスタート地点に下ってきてボートを上げてくれればいいとのことで、
8 時に HBC 艇庫集合で 8 時半には蹴りだしてスタートへ向かおうということで全員がそろって、ただし間
さんは手首の腱鞘炎があってレース以外は休みたいということで、応援&観光で来ていた高木さんに
Stroke にのってもらってスタートへ向かった。HBC のひとつしかないランディング(ただし同時にエイ
トが 3 つ着けられる)から続々とボートが出ていく。大体 LP でスタートへ向かうが、途中に何箇所かあ
るランディングからもエイトが出てきて、数珠つなぎというほどではないが、ある程度の流れになって下
る。
艇庫街のランディングで上げたら係の人がこっちに置きなさいと誘導してくれて、しかも昨日託した HBC
の馬がスッと出てきて、百杯ほどのエイトが公園の芝生にずらっと並んで待つ形となる。我々のスタート
は 13:06 のグリッドなので、それまでほかのスタートを見たりして適当に時間をつぶし 12:15 に集合し
て 12:30 頃蹴りだし。水上でのアップはできないので、岸からの指示によって同一グリッドのスタート
順に並んで次々と前の組が出発して行くのに合わせ前進していった。
レース
このレースはタイムレースだが、スタートはグリッドスタートという形式をとる。すなわち同クラスのエ
イトが横 4 列で並び、ほぼ 10 秒間隔でスタートする。同クラスのグリッドが続く場合には 2 分間隔で次
のグリッドが出るが、前のグリッドが遅いクラスの場合には 10 分程度おいてからスタートさせていた。
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これはヘッドレースにおいて並べて競う側面とタイムを争う側面を合体させたうまい形式だと思う。次
の写真は横1線 4 艇のみだが、時に横 2 線で全部で 6-7 艇で 1 グリッドという場合もあった。この少し
先がスタートラインで、タイム計測はそこを横切った瞬間に始まる。
スタート前には No. 170 少し前へとか出すぎだから下がれとか英語でいろいろ言われるので日本人のコ
ックスにはつらいところかもしれない。スタートは出発時間が来たら「Crew 170, done」 (スターターに
よってダンと言う人もあればゴーとコールする人もあり)、5-10 秒おいて「Crew 171, done」という感じ
である。
我々は同一グリッド4艇の先頭なので後ろから追われる展開になる。前半比較的直線で後半曲がりくね
っており、後半に抜かれるとコースを譲らなければならずロスが大きいので前半がんばって頭を押さえ
て逃げ切る方向で行こうということで、最初の橋まで SR30 かそれ以上、それを過ぎてから SR28 に落と
してリズムを作る打ち合わせであった。
しかしやはりレースになると力が入ったか、スタートは SR34 で出てそこは予想以上によかったが、橋を
過ぎても 28 に落ちず結局ずっと 30 で漕いだ。
そのためかどうかレース中は S サイドに傾くことが多く、
前の人たちは結構漕ぎにくかったとレース後言っていた。すぐ後ろのシドニーRC は非常に速く(このク
ラス全体 3 位)
、前半重視でいったにもかかわらず 1km ほどで追いつかれ抜かれる。前半区間で同一グリ
ッドの他 2 艇(VRC と BGRC)はむしろスタートより引き離していて姿も見えなくなったが、中盤過ぎて疲
れが出てきたあたりで次グリッドの速い艇が追いついてきて、高速道路橋の下付近で1艇 (No. 176, 全
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体 1 位。間さんによると見る間に追いつかれ、さすがに速かったとのこと)に、さらに直角カーブを曲が
って少し行ったあたりでもう1艇(No. 178, 全体 5 位)に抜かれた。このあたりのカーブ連続区間で抜か
れたところはコックス大変だったと思うが、接触も岸に寄りすぎることもなく進む。15 分から 25 分のあ
たりはかなりしんどく、前の方のシートから前半は盛んに声が出ていたのがだんだん静かになってきた
ので終盤は Bow である私が意識して声を出すようにした。戸田でこのレースを想定した距離を練習して
おいた成果か SR は 30 から落ちず進む。さらにいちばん苦しいこの区間でバウサイド強くの急カーブが
連続したがうまくコーナリングして最終直線に入った。 Lisa から「Last Curve」のコールが入って最
後の橋をくぐればあと 500m、S サイドに Melbourne Girl’s College の船台が見えればラスト 100 と分
かっていたので、さすがに最後は少しレートと艇速が上がって - すいません stroke の間さんによれば
上がったんじゃなくて Lisa の「Go Home !」コールで上げたそうです - HBC 前に差し掛かったら、観
衆からものすごい声援が来て、これはもう頑張らざるを得ずにラストスパートしてゴールブザーを聞い
た。HBC 側の岸を見たら、渓谷といえるような狭い斜面と橋の上下に数百人の人だかりだった。たしかア
ナウンスで Tokyo とかなんとか言っていたようなので、遠来クルーということで特に声援が多かったか
もしれない。レースの時はわからなかったが、あとで橋から撮ったビデオを見たら 100m 以上後ろではあ
るがまた次の 2 艇が追って来ていて、危ないところであったと胸をなでおろした。発表タイムは 33 分 28
秒 23 で参加クラス 50 代男子全 21 クルー中 16 位。同クラスの優勝タイムが 28 分 31 秒、ボトムタイム
37 分 32 秒である。
ともかく艇を着けてこの時にゼッケンとバウナンバーは回収。HBC から借りた艇だったので、そのまま艇
庫の一番上のアームに乗せて収納した。艇庫周辺の狭いスペースに人、ボート、オールがひしめいていて
ボートを方向転換することなどできないので、入っていた時とは逆向きだったがそのまま入れてしまっ
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た。あとからゴールしてくるボートを見物する余裕もあまりなかったが、最初は団子状態のグリッドスタ
ートでもゴールでは結構差がついて、1艇づつ入ってくるのが多かったようにみえた。
レース後 艇を借りた Hawthorn Rowing Club の前で
レース後ボートを返納してやれやれとい
うことで Hawthorn 橋をくぐって上流の
公園に出ると、そこは千人以上のオアズパ
ーソン
であふれ、ウエアや帽子・ノンアルコール
およびアルコール性ドリンク・焼きそば風
軽食のテントが全部で5つくらい、真ん中
で中年バンドがロックを生演奏して、女子
高生か女子大生と思われるギャルたちが
参加賞 T シャツを着て輪になって踊りまく
り、大人たちは仲間・旧知どうしで話に余
念なしというお祭り状態であった。我々も
ビールを飲んで一息ついて、ここに居残っ
て最
後の表彰式等を見たい気持ちもあったが、打ち上げパーティーの時間があったので、適当な時間で会場を
あとにして街に引き上げた。
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その他
当方オーストラリアは初めてで、自然・人々・文化的にいろいろ新鮮で、ほんの1日半市内観光も楽しん
だ。ともかく晴れたときの日差しは強烈で、オーストラリアの人がオゾン層破壊・紫外線を気にするわけ
がよく分かった。11 月末はまだ春だそうだが、もうこの時期からサングラスは必需品である。
メルボルンはイギリス文化圏なのでボートは古くから行われていたようで、艇庫の中には 19 世紀のオア
ズマンや漕いでいる写真、それに古い木のオールが飾ってあった。サイクスは比較的新しいメーカーかと
思っていたら、飾ってある木製マコンブレードのオールに Sykes の銘と住所が印刷してあってその時代
からの会社と知った。
さすがオーストラリアで、本レガッタ参加ボートの半数以上が Sykes ボート/Croker
オール、スポンサーのひとつが CoxMate 社だった。我々の世代が学生時代乗っていたような木造エイト
で参加しているチームもいた。先に述べたようにボート環境的に豊かなのはもちろんだが、同時に艇庫や
用具を大切に使う配慮が各所に見られた。Hawthorn BC の艇庫もそんなに大きくはないがよく整備され
ており、日曜大工的な工夫で使いやすくしてある部分もあり、さすがと思わされた。
土地の主流文化は英国調だが、同時にかなり多文化な街でアジア系の人が多い。大部分は中国系だと思う
が中国語でない言葉でしゃべっているアジア人も大勢いたし、金曜夕方の駅前広場ではアフリカ系の人
たちが太鼓と鉦で輪になって踊る姿もあった。メルボルンのこの時期の日没が 8 時頃で、6 時頃のフリン
ダース駅前はこれからナイトライフをエンジョイしようという人達や河畔のそぞろ歩きを楽しもうとい
う家族連れでごった返し、ものすごいエネルギーを感じた。また別の時間帯にトラムで港の前を通ったら
ドラゴンボートの練習をやっており、この街も環太平洋チャイナ文化圏の一角であることを再認識した。
金曜夕方に Hawthorn 橋から都心に向かうトラムには途中からイブニングドレスの女性グループやらブラ
ックスーツ・蝶ネクタイの男性陣だのが乗り込んで来て、たぶん都心部のクラブあたりのパーティーに向
かうのであろうが、当方の文化背景とは全く違うものが実地に見られて大変面白かった。
出漕メンバー:
Cox: Lisa Muntz、Stroke: 間博之、7 番:松井良和、6 番:Nathan Wilson、5 番:松根進、4 番:熊谷政
行、3 番:宮阪(稲門ミドル)
、2 番;田中耕一、Bow:和田格人
これに応援で高木亨子さんが同行。間さんとネイサンは夫人連れでこのあと数日オーストラリア観光。さ
らにネイサンの母上もタスマニアからいらしていた。リサは地元なのでご家族他知り合い多数。
レースに向けた練習:
記録を見ると5月と6月に各1回練習して、7月第一週から本格的に練習を開始して毎週末の練習とし
ている。毎週全員が参加することは困難だったので、ほぼ毎回パルテの誰かに代打をお願いした。代打で
参加してくださった皆さんに改めて感謝申し上げる。
私・和田が練習メニュー作成係を仰せつかって7月以降の練習を作成した。2015 年パルテでは 10 月 17
日の Head of the Charles (米国ボストンのヘッドレース)に向けたエイトも編成して練習が同時進行し
ていたので、その練習内容を参考にただし時期を 1 か月スライドさせた形で考えた。7-8 月は暑いので、
SR20-22 で秋ヶ瀬往復の距離をこなすことを目標とした。9 月はこれに短いパドルを加えた。また Charles
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クルーが練習前に Ergo で SR24×15 分漕⇒9 月以降 SR26×15 分漕を導入して、特に朝の練習でこれをや
っておくと循環機能が目覚めた感じで、乗艇してからよく漕げる(気がした)ので、これを我々も採用し
た。50 代ともなるとエルゴで体力アップは望めないと思うが、ある程度やっておくと筋肉と循環機能が
運動に慣れて、乏しい手持ちの能力をより効率的に発揮できるようになるという私の実感と期待による
導入である。10 月に入るとインターバルを追加した。Charles 終了後はいよいよ Yarra レースの距離を
意識した 5 分から 15 分程度のちょっと強め漕からほぼ全力漕を導入した。また 10/30 と 31 の週末はほ
ぼこのメンバーで石川県津端(6Km、エイト)コースと富山県神通川コース(7.2Km、シングルスカル)の
ヘッドレースに参加した。
荒川で 11 月最後の 2 回の練習は秋ヶ瀬道路橋から船着場上流送電線までほぼレースと同じ距離を SR28
ノンストップ漕を行った。特に最後の練習では Yarra と同日開催の Head of the Ara パルテエイトク
ルーに並べてもらい非常に刺激になった。松根さんによるとそれまでとは違う強気なオールが引けてク
ルーとして自信になったことが本番で大きかった、恥ずかしながらその練習でクルーの特性をつかめた
部分があり、したがって 5 か月間のヘッドレース練習メニュー構成にはやや反省点があったとのことで
ある。たしかにレートは低くていいから秋ヶ瀬道路橋-戸田橋上流送電線一発の練習をもっと早くから
やるべきであったという感はある。ただしこの練習は運が悪いと笹目橋下流の終盤部分でウェイクボー
ドのモーターボートと遭遇して大波をくらってヨレヨレになることがある(経験的に遭遇確率 5 割)。
幸いなことに上記の秋ヶ瀬一発漕はともにこれに出会わず漕ぎきることができた。
おわりに
以上、ボートのことを中心にまとめた。ボート以外のことで旅行での見分、考えたこととかいろいろある
のだが、それを書き出すと切りがないのでそれは宴席等での話題としたい。MCG についてはネイサンにい
ろいろ教えてもらって感謝します。MGC についてとか、オーストラリアにおけるクリケットもしくはオー
ジーフットボールの位置づけとか、なぜメルボルンでこんなにスポーツ施設が多いかについては彼の方
でいっぱい話したいことがあるようなので、それは彼に譲ることとしたい。
以上
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