第13回「リリー インスリン50年賞」特集号

第13回「リリー インスリン50年賞」特集号
第13回「リリー インスリン50年賞」表彰式 第13回の表彰式が2015年11月5日、東京のホテルニューオータニ東京で開催されました。
2015年度は女性6名、男性5名の計11名の方が受賞。表彰式では50年以上にわたるインス
リン治療への努力を讃え、受賞者のお名前が刻まれた記念メダルと表彰状が贈られました。
また、各受賞者が長年どう糖尿病と向き合ってこられたかのエピソードが紹介されました。
希望をもって治療を継続することの勇気と、
その真摯な取り組みには、
会場のご家族、
主治医、
関係者一同、
胸を打たれました。
受賞者の皆さまは、
今日まで糖尿病とともに歩むことができた
のは、家族をはじめ、縁ある皆さまの支えがあったからこそと謝意を示し、
『この受賞を励み
に、
これからもがんばっていきます』と、受賞の喜びを述べられました。
第13回「リリー インスリン50年賞」表彰式にあたってのごあいさつ
「リリーインスリン50年賞」はインスリン治療を50年以上
イーライリリーは世界で最初にインスリンを発売して以来
継続されている糖尿病患者さんの、
長年の努力を讃えると
90年以上、糖尿病治療の発展と共に歩んできました。
共に、他の患者さんが前向きに治療に取り組んでいただ
50年にわたって糖尿病治療を継続してこられた受賞者
けることを目標として、糖尿病患者さんが勇気や希望を
の皆さま、それを支えてこられたご家族の皆さま、
さらに
持つ一助となることを願い、1974年に米国で設立され
長年にわたり治療を引き継がれてこられた歴代の先生方
ました。
の努力とその成果をお祝いさせていただくことほど、
日本では2003年から表彰を開始し、本年は11名の方が
嬉しいことはございません。
また、
受賞者の皆さまの力強い、
受賞されました。合わせて88名の方が受賞されたことに
前向きなお言葉は、多くの糖尿病患者さんの励みになる
なります。
ものと確信しております。誠におめでとうございます。
日本イーライリリー株式会社 糖尿病・成長ホルモン事業本部 事業本部長 カディール
1
テペバシ
L i l l y D i ab e t e s T I M E S
「リリー インスリン50年賞」とは
インスリン治療を50年以上継続されている糖尿病患者さんの長年のご努力
を讃えるとともに、ほかの糖尿病患者さんが治療に前向きに取り組んで
いただけるような目標となり、勇気と希望を与えることを願い、1974年に
米国で創設されました。
これまでに米国を中心に約1,500名以上の患者さん
が受賞しており、
日本でも2003年の表彰開始以来、2015年までで88名の
患者さんが受賞されています。
2
糖尿病だったから出逢えた人がいる
受賞者
小森 美加子 様
1961年生まれ
インスリン治療歴50年
(1型糖尿病)
福岡県福岡市在住
4歳で告げられた、長くて2ヵ月の命。
五島列島の宇久島で暮らしていた4歳の時、近くの病院で糖尿病と診断されました。
その後、佐世保の病院で処方
されたアリナミンとインスリン治療が身体に合わず、口から泡を吐く低血糖に。
インスリンが効かず、長くて余命
2ヵ月の宣告を受けましたが、助けたい一心のお母様は島に戻り多くの人に相談されたそうです。
理解されない糖尿病。
島の町長が九州大学病院を紹介してくださり、
体に合った治療がスタート。
福岡に引っ越した小学生の頃は、
低血糖
に備えて飴などを持参し、
「ずるい」と非難されたことも。いつも隠れて食べていたそうです。
また、学校の先生も
糖尿病への理解が低く、
お菓子を食べるのをあまり良い目で見てくれなかったそうです。
多くの出逢いに助けられ。
17歳で網膜症を発症。高校卒業の頃にはほとんど見えなくなりました。腎臓も悪くなり、28歳からは透析を受ける
ことに。ただ、悪いことばかりではありません。病気をきっかけにさまざまな出会いがあり、友達もたくさんできま
した。今では多くの時間を共に過ごされるパートナーの方と巡り逢えたのもこの頃です。
これからもパートナーの
方と平穏に生活をしていきたいとおっしゃっています。
いつも誠実に、
治療に真面目に取り組まれます
小森美加子様
の主治医
佐々木 伸浩 先生
福岡赤十字病院
前向きに、明るく元気に過ごされるお姿に勇気づけられています。
私が初めて小森さんにお会いしたのは10年前でしたが、その当時から視力障害があり、血液透析もされていま
した。
ですが、そんなことを気にする様子もなく、前向きに、明るく元気に生きておられるお姿に、我々医療者は
大変勇気づけられています。
3
L i l l y D i ab e t e s T I M E S
糖尿病のことが告白できなかった
受賞者
齊藤 茂 様
1953年生まれ
インスリン治療歴50年(1型糖尿病)
埼玉県草加市在住
当時は小児糖尿病が極めて珍しい病気。
小学校6年生で糖尿病と診断。当時小児糖尿病は極めて珍しく、即インスリン治療にはならず、なぜ糖尿病に
なったのかを調べることが主体の入院でした。髄液を採ったり、筋電計の電極針を筋肉に刺す検査などで、
とても
痛い思いをされたそうです。
青春の思い出。
入退院の繰り返しで、小学校の卒業式と中学校の入学式に出席できませんでした。
インスリン注射のために朝夕
2回の通院が必要で、学校行事を制限され、修学旅行も全て欠席。大学入学後からは自己注射で生活の自由が
はるかに増し、
クラブの合宿や旅行に参加できるようになりました。
話したくても話せなかった。
大学卒業後、
システム開発の仕事に。やりがいが生きる励みとなり、32歳の時に
糖尿病を隠してお見合い結婚。奥様からは事前に聞いていたら断っていたかも
しれないと言われたそうですが、
今では二人のお子様も成人され、
夫婦でクルーズ
旅行に行くことを目標とされるなど、幸せいっぱいです。
いつまでも人間的な魅力に
あふれた人生を
齊藤茂様の
主治医
小澤 直子 先生
草加市立病院
大人で紳士な齊藤さんですが、
じつは…。
平成16年に赴任し、内分泌代謝外来を開始したのを契機に当科を紹介受診されました。
当初は非専門医にかかっておられたこともあり、血糖コントロールも不十分。初対面でいきなりでしたが、
イン
スリンレジメンの変更と入院についてご提案しました。
お忙しい中、
すぐに考えてくださり、入院の日程も調整して
くださいました。最初は静かな方だと思っていたのですが、1型糖尿病患者さん向けの会でお話しいただいた
ところ、子供の頃の話、奥様とのなれそめなどをユーモアたっぷりに語られ、社交的でユーモアのセンスがある方
だったんだと改めて気づきました。
年下の患者さんを安心させる包容力。
治療に真面目で、最近では口出しすることもあまりないのですが、それに甘えすぎないように気をつけたいと
思っています。
ご自身は不良患者だと笑っていらっしゃいますが、1型糖尿病患者さんの交流会でも包容力のある態度で、発症間
もない年下の患者さんたちを安心させてくださいます。
先日、冠動脈バイパス術を受けられたのですが、麻酔が切れてきた時にも看護師の声掛けにすぐ落ち着き、
指文字でしっかり希望を伝えておられたその落ち着きぶりに「さすがだな」
と思いました。
4
糖尿病の知識と経験を
2冊の本にして出版
受賞者
高橋 哲雄 様
1935年生まれ
インスリン治療歴50年(1型糖尿病)
愛知県大府市在住
夢を現実に。
30歳から50年間のインスリン治療。
50年賞のことを知ってから、
受賞を目標に歩んで来られました。
「夢は50年賞
のステージで、
ピースサインで写真を撮ること」
とおっしゃっています。
幸せからの急転。
結婚2年目、30歳の時に糖尿病と診断。
ご長女誕生1年目の最も幸せな時でした。突然の病魔に、人生がどうなる
のかと不安を覚えられたそうです。3年後に地元の室蘭から名古屋へ転勤。見知らぬ土地で頼る人がいない環境
はとても辛かったそうですが、
“やりがいのある仕事”と
“仲間とのつきあい”を糖尿病とともに歩む励みにされて
こられました。
多くの経験を多くの方に伝えることで。
定年退職後は、糖尿病を友として上手につきあう勉強を重ね、その知識を一人
でも多くの方に伝えようと本を出版されています。多くの経験をもとに、糖尿病と
歩んでおられる方々に勇気を与えるために、現在、3冊目の本の出版を目標に
元気に過ごされていらっしゃいます。
50年の次は60年に向けて
がんばりましょう
高橋哲雄様の
主治医
林 良成 先生
刈谷豊田総合病院
医者と患者を超え、人と人の関係へ。
初めてお会いした時、私が医者になる前に1型糖尿病を発症され、
インスリン自己注射が保険承認される前から
とても苦労して治療を継続されていることに深く感動しました。
信頼をいただけるなら全力で応えなければと思って
いましたが、当初はお勧めする治療方針に納得をいただけず、意見をぶつけあったりもしました。
何度かの入院治療を機会に、
時間をかけてお話しするうち、
医者と患者を超えた人と人の関係が生まれたように思い
ます。糖尿病研究会で貴重な体験を講演していただいたのも理解しあうきっかけになったのではないでしょうか。
意欲と研究心に頭が下がる想い。
最初の頃は、通院された大学病院や有名病院を例に出されて大きなプレッシャーでしたが、私は自身が信じる
治療方針を丁寧に説明するよう心がけました。
高橋さんは1型糖尿病をとてもよく研究され、早い時期にSMBGデータをパソコンで解析して持参されるなど、
毎回感心させられました。乱高下する血糖値をなんとか自己管理しようとする意欲や研究心には頭が下がります。
5
L i l l y D i ab e t e s T I M E S
いつも助けてくれる
周りの方に本当に感謝
受賞者
松本 浩一 様
1953年生まれ
インスリン治療歴50年(1型糖尿病)
茨城県つくば市在住
12歳で死と直面。
小児糖尿病が知られていなかった12歳の頃、糖尿病診断までに数々の病院をまわることに。そして今も通院
されている東京女子医科大学でようやく糖尿病と診断され、即入院。入院後数日で糖尿病昏睡を引き起こし、死と
直面。幸い適切な治療のお蔭で一命を取りとめ、1週間ほどで回復されました。
心ない言葉をかけられたこともあった。
糖尿病を理由に心ない言葉をかけられても、家族の支えでさほど気にすることもなかった中学・高校時代。今は
素敵な奥様と二人のお嬢様に恵まれ、糖尿病に理解ある同僚にも巡り逢えた幸せな日々。糖尿病は“日常”で、
それほど苦労が無いと話されながらも、
かつては行く末が不安になる出来事がありました。
周りのサポートの大切さ。
一人で家にいたある日、低血糖で意識を喪失。何度電話しても繋がらず心配になった奥様が、お父様に助けを
求め、そのまま救急搬送。一命は取りとめましたが、短期記憶障害で1ヵ月ほど簡単な質問にも答えられなくなり
ました。低血糖の恐ろしさが身に染みた出来事。
それ以降は大きな体調不良もなく、周りにサポートされて過ごす
毎日を想い、
「周りの方には本当に感謝です」
とおっしゃっています。
合併症もない、
本当に上手な糖尿病とのつきあい方
松本浩一様の
主治医
佐藤 明子 先生
東京女子医科大学
糖尿病センター
ごく自然に糖尿病と向き合い、つきあっていらっしゃいます。
診察室で初めてお会いした時、
とても元気よく挨拶をしてくださいました。
明るく前向きに、
そしてごく自然に「糖尿病」
と向き合い、
つきあっていらっしゃるのがとても印象的でした。
慣れた治療から新しいインスリンに変えることになったある日、一緒に今までのインスリンについて振り返る機会
がありました。
昔は注射器を煮沸していたことなど、当時の様子をお聞きできたのは貴重なことでした。
糖尿病と上手につきあい、お仕事もこなす姿勢に頭が下がります。
糖尿病とのおつきあいは松本さんの方が先輩なので、血糖のコントロールはご本人にお任せしています。
私は、体調面はもちろん、
お仕事やご家族のことなどの生活環境を伺いながら、通院が負担にならないよう心がけ
ています。
合併症もほとんどなく、
1型糖尿病と本当に上手につきあいながらお仕事をこなされている姿勢には頭が下がります。
また、当時の主治医であり、私の恩師でもある大森先生の温かい励ましとご指導に敬意を表します。
6
糖尿病に負けない
強く熱い気持ちで
受賞者
山内 宗広 様
1957年生まれ
インスリン治療歴53年(1型糖尿病)
沖縄県那覇市在住
チャレンジ精神。
5歳からインスリン治療を開始。
スポーツが好きで、高校2年から始めたゴルフで一時はプロをめざしていました
が、父親に「プロにはなれるかもしれない。
でも体力的に厳しいからアマチュアでゴルフを楽しんだほうが良い」と
言われ、悔しいながらも断念。
それでも今は、
その決断が正しかったとおっしゃっています。
生きたいという想い。
21歳の入院中、急性肺炎に。大部屋で周りの方に迷惑はかけられないと思い、廊下を這ってトイレへ行く途中、
看護師さんに発見され即ICUへ。
その時、
“三途の川”を目のあたりにし、
そこから逃れようと泳げないのに必死に
泳いだことを今でも鮮明に覚えているそうです。
そして、
その時、
ご家族は主治医から、
「今夜が山です」
と告げられて
いたそうです。
負けない気持ち。
28歳までしか生きられないと宣告されていたご家族は、
誕生日を迎えるたびに別れが近づいているようで辛かった
そうです。それでも、糖尿病に負けない強い気持ちで合併症もなく、
これまで大変元気に楽しく過ごされてきま
した。強く、熱い気持ちでこれからも、
さまざまなチャレンジを続けるそうです。
しっかりとした自己管理に
いつも感心させられます
山内宗広様の
主治医
小宮 一郎 先生
メディカルプラザ大道中央
いつも前向き、真面目に。
ずっと関東にいらっしゃいましたが、30年前に沖縄に戻ってこられました。
出会った頃は、発症からすでに20年以上経っているにもかかわらず、合併症が少なく、運動や生活習慣にしっかり
と気を遣われてきたんだなと感じました。
体調が悪くなれば必ず連絡をいただくようにしていましたので、合併症を発症された際にもすぐに対応ができ、
悪化する前に抑えることができました。
そんな時でも前向きで、真面目な姿勢はとても印象的です。
高いレベルの自己管理にはいつも感心させられます。
合併症が少ないのは、発症初期から血糖コントロールが良かったためだと思います。
ただ、
それでもコントロールが乱れることもありますので、
生活習慣に対するアプローチやアドバイスを心がけております。
そんな中でいつも感心させられるのは、
自己管理をしっかりされていることです。
体調の変化に敏感で、薬がなくなった等の緊急時には連絡をくださいます。
あらゆることに冷静に対処され、治療に真面目に取り組んでおられるのは本当にすごいことだと思います。
7
L i l l y D i ab e t e s T I M E S
私の人生は妻と卓球に
支えられてきた
受賞者
大野 盛男 様
1946年生まれ
インスリン治療歴50年(1型糖尿病)
埼玉県越谷市在住
治る病気だろう。最初は安易に考えていた。
高校入学後、喉が乾き、多尿になり、授業の間も我慢できず、体重もみるみる落ちていきました。高校2年生で糖尿
病と診断されましたが、それほど気にすることもなくそのうち治るだろうと思われたそうです。当初は飲み薬で治
療されていましたが、次第に効かなくなり、体調が悪化され、入院されることになりました。
好きな食べ物の味を忘れる。
それからインスリン治療を受けられ、食事にも気を配るようになられました。甘いものが好きで特に饅頭が大好物
でしたが、甘いものは控えるように言われ、一切食べられなかったそうです。高校の卓球部で一緒だった奥様は、
「饅頭の味忘れた」
と言われた時、
すごく切なくなったそうです。
趣味でやっていた卓球が道を開いてくれた。
結婚と同時に始められた卓球場・卓球用品販売のお仕事。
「俺は50歳までしか
生きられないだろうから…」と夫婦で仕事をがんばられました。今ではお孫さん
にも恵まれ、
これからは仕事を引退し、二人仲良く海外旅行を満喫したいとおっ
しゃっています。
卓球を愛する熱血漢。
そして努力の人
大野盛男様の
主治医
内村 功 先生
千代田朋仁クリニック
畏敬の念と、私の不安。
初めてお会いしたのは昭和50年頃。
インスリンを打ちながら卓球の現役選手として活躍されている大野さんに畏敬の念を抱きつつ、
私はといえば、
突然引き継いだかけ出しの医師として
(さあこれからどうしよう…)
と、
じつは頭をかかえていました。
当時は超速効型や持効型溶解インスリンもなく、
患者さんの努力の割にはコントロールが思わしくない状態でした。
良い結果は出なくとも黙々と治療を続けていただけたことで今があると思います。
これからも先を見据えて。
大野さんの努力のおかげで現在、糖尿病の合併症はありません。
これからはさらに認知症などにも注意していきたいと思います。
本当に努力家でいらっしゃいます。
熱心なるが故にがんばりすぎて低血糖を繰り返したこともありましたが、最近ではまるくなられて、
ピンポン球の
ように直球だけでなくドライブもかかるようになりました。
8
これからも今の平凡が
続きますように
受賞者
高取 たつみ 様
1960年生まれ
インスリン治療歴50年
(1型糖尿病)
福岡県北九州市在住
4歳で交通事故。6歳で糖尿病。
糖尿病発症前の4歳の時、バスにはねられる大きな交通事故に。バスに偶然乗り合わせていたお医者様の応急処
置のおかげで足の切断を避けられました。2年後糖尿病と診断されインスリン治療を開始。当時は幼かったのと、
交通事故の印象が強くて、糖尿病を気にすることはあまりなかったそうです。
ピアノが私を変えてくれた。
何にでもチャレンジをされ、
自己注射も10歳の頃から。中学ではピアノの魅力に惹き込まれ、演奏している時は事
故も病気も忘れて夢中になれたそうです。
その後もずっとピアノを続け、有名なジャズピアニストの先生に教わり、
高校を卒業した後、
ピアノ講師や結婚式の演奏などのお仕事に就かれました。
平凡が一番。
26歳の時、中学の同窓会で再会したのがご主人。意気投合し、頻繁に会うようになりました。病気や事故の怪我の
ことを勇気を出して打ち明けたのは、
ご主人のことが大好きだったから。
ご主人からは「たつみちゃんには変わり
ないよ」と、
とても優しいお言葉が返ってきたそうです。今は愛犬の“ココちゃん”と三人で幸せに暮らしていらっ
しゃいます。
そして、
これからもこの平凡な日々が続いてほしいとおっしゃっています。
注射、食事療法、思春期の
精神的苦痛。大変だったはず
高取たつみ様
の主治医
横溝 由史 先生
横溝内科クリニック
リリーインスリン50年賞のために。
2011年2月が初診で、他の患者さんと何ら変わることない方との印象でした。
1型糖尿病の多くの方は、
自分なりの治療のやり方を持っておられ、
ほとんど治療の話をした記憶はありません。
ただ、
「リリー賞のためにがんばってます」の一言は、
よく覚えています。
50年。本当によく耐えたと思います。
4才頃の交通事故で残った右肢後遺症や脊髄炎などで杖歩行、
リハビリなどを経てこられました。重症低血糖も
年に数回あり、逆に高血糖とならないことを考え、食事のアドバイスなどをおこなっています。
50年にもわたるインスリン治療の歴史は、
とても耐えがたいもの。
小学校の子供に“針金”と思われた注射を1日おきや毎日打ち、食事療法を強いられ、保険で認められない注射を
お母様がおこない、多感な思春期には精神的苦痛を多く受け…。
これらを乗り越えた50年…。
よく耐えてこられたと思います。
9
L i l l y D i ab e t e s T I M E S
大勢の方に助けられ、
ここまで来れた
受賞者
青木 みき子 様
1940年生まれ
インスリン治療歴60年(1型糖尿病)
静岡県静岡市在住
あと10年。
まさかの告知。
15歳の時、喉の渇きに耐えきれず、近くの病院へ。診察では「ひどいから大きな病院へ行くように」と言われたそう
です。ベテランの先生に「長く生きられてあと10年」
と言われた時は、
ショックが大きかったそうです。
世界の色が変わった瞬間。
そんな時に27歳の若い先生から「僕が治してあげる」と心強いお言葉。
とてもうれしく、先生に出会えてよかった
と心から喜ばれました。いろいろなことを教えてくださり、
とても可愛がってくれたそうです。入院から2ヵ月ほど
経った退院の日、勉強のため出かけられていた先生がわざわざ戻ってきてくださり、
「いいか、
がんばるんだぞ」と
声をかけてくださり、
ニコッと微笑み肩をポンっと叩いて見送ってくださいました。
皆様に感謝。
一年ほど後、28歳という若さで先生が亡くなられました。悲しみにくれ、
“先生がいないんだから、生きられるはず
ない”と思ったそうです。それでも周りの支えがあり、先生は星になって見守ってくれているとの思いで糖尿病と
向き合われました。友に恵まれ、主治医の稲葉先生にも「すごく助けられている。大勢の方に助けられ、
ここまで
長生きさせてもらった。感謝してもしきれない。私は幸せ者だ」
とおっしゃっています。
真似できない逆境のたびに
前向きになる強さ
青木みき子様
の主治医
稲葉 直之 先生
静岡済生会総合病院
有言実行を続けてこられた方。
「次回の受診日までには∼する」。
「1年後には∼となるようにする」など、青木さんは糖尿病治療に限らず目標を
しっかりと掲げて達成する「有言実行」を続けてこられた自信にあふれた方です。
糖尿病治療における私の大先輩。
長い糖尿病歴を持つ青木さんは、糖尿病治療において、
いわば私の大先輩。
インスリン投与の方法など、教えていただくことのほうが多いくらいです。
これまでに何度か大きな手術を経験されていますが、そのたびに「前向き」になっていく強さは、簡単には真似
できないことだと思います。
10
好きな釣りも長生きも
みんな家族のおかげ
受賞者
猿渡 忠美 様
1943年生まれ
インスリン治療歴50年(1型糖尿病)
福岡県福岡市在住
糖尿病。当時耳にすることがなかった病名。
登山からの帰宅後、頭痛と微熱があったのでクリニックを受診。異常なしの診断でしたがその後、ひどい喉の渇き
が続き、3週間で体重が8㎏も減少。当時、流行していた結核かと、別の病院での検査の結果、
「若年性糖尿病です。
本日から入院してください。」
と言われました。何が何だか理解できなかったそうです。
己の行いが招いた結果。
6ヵ月の入院を経て、2年後に自己注射を開始。初めての時は震えてなかなか打てなかったことが、今だに脳裏に
残っておられるそうです。食事療法も気にかけられていましたが、糖尿病のことは上司にしか話しておらず、同僚や
先輩からよく食事に誘われたそうです。断りきれない時は、少しぐらいと羽目を外すことも。そんなことが重なり、
コントロールが乱れ、幾度となく入退院を繰り返されました。
仕事、周りの方々、そして家族の存在。
発症から9年間で5回入院。
このままではだめだと、体に合った仕事に転職。その後は入院もなく63歳の定年を
迎えられました。現在は家族で釣りを楽しんだり、
お孫さんと過ごすなど、素敵な日々を送られています。
「家族が
いるから好きな釣りもできる。長生きもできた。
これからも長生きしたい。」
と、
すごく感謝されています。
今の元気なお姿はきっと、
後に続く患者様の希望
猿渡忠美様の
主治医
中村 宇大 先生
九州大学病院
50年賞受賞は、徹底した自己管理の結晶。
私が生まれる前からインスリン治療を続けてこられたのに、
いつも謙虚で控えめな猿渡さん。
インスリン50年賞のお話をしても最初は断られ、驚きました。
発症からずっと毎月の定期通院を継続されています。HbA1cはほぼ一定で、年間の変動が少ないのが特徴です。
血糖自己測定の結果を自作の表に記載され、
インスリン量も細かに記載されています。次回来院日までに必要な
インスリン本数、内服薬の処方日数、
センサーや注射針の個数も毎回記載して持参されます。徹底した自己管理が
受賞につながったと感じます。
尊敬に値するストイックさ。
レギュラーインスリン
(R)
とNPHインスリン
(N)
の2種類を使用されています。
新しいタイプのインスリンをお勧め
もしましたが、
一貫して変更を希望されませんので、
ご本人の意思を尊重して無理に変更しないようにしています。
また最近、高齢者の仲間入りをされましたので低血糖を起こさないよう留意もしています。50年経った今でも
視力低下や尿中アルブミン排泄の増加もみられず、合併症もほとんどないのはやはり、徹底した自己管理の賜物
でしょう。血糖変化を気にされ、あまり旅行もされないとも伺いました。医療者としてはむしろ気の毒に感じました
が、
このストイックな生き方を尊敬したいと思います。
11
L i l l y D i ab e t e s T I M E S
「リリー インスリン50年賞」応募要項
「リリー インスリン50年賞」への応募を希望される方は、
裏面の応募用紙にご記入の上、下記書類とともに事務局宛にお送りください。
◆応募資格
※
インスリン治療を50年以上 継続されている方
(弊社インスリン製剤でなくても結構です)
。
※休薬期間を除きます。
◆応募する際に必要な書類
応募用紙とは別に、証明書類として、糖尿病と診断された日付とインスリン治療を開始した
時期を証明する下記の書類 A と B の両方をご用意ください。
A
患者さんの現在の主治医からの証明
B
下記1∼3のいずれかの書類
1. 最初の糖尿病診断とインスリン治療開始の頃に書かれた、患者さんご本人もしくは
患者さんのご家族による日誌のコピー※1
2. 診断当初(50年以上前)のカルテのコピー
3. 少なくとも2名のご親戚もしくはご友人からの証明※2
※1 尿検査、
血液検査の結果、
食事療法、
インスリンの投与量、
その他の関連情報が書かれていればなおよい。
※2 糖尿病と診断され、
インスリン治療を開始した当時に起こった具体的な出来事について詳細を述べたもの。
◆送付先
〒541-8790 大阪市中央区久太郎町2-1-25 JTBビル6F
株式会社 J プロデュース内
「リリー インスリン50年賞」事務局行
ご提出いただいた個人情報は、
「リリー インスリン50年賞」
の表彰目的にのみ使用し、
ご本人の同意なく、
日本イーライリリー株式
会社および米国のイーライリリー・アンド・カンパニー以外に開示することはいたしません。
「リリー インスリン50年賞」
のご応募は、
毎年8月末で締め切らせていただきます。
また、9月以降のご応募につきましては次年度の選考対象とさせていただきます。
※1 ※1 ※2
※3
※1 通話料は無料です。携帯電話、PHSからもご利用いただけます。
※2 フリーダイヤルでの接続ができない場合、
この電話番号におかけください。
※3 祝祭日および当社休日を除きます。
12
「リリー インスリン50年賞」のご応募に際し、
事務局である Jプロデュース株式会社より直接ご連絡をさしあげることがありますのでご了承ください。
13
L i l l y D i ab e t e s T I M E S
Note
14
LLD-P048(R0)
2016.01