2016年8月[PDF:357KB]

平成28年8月号
ナショナル・トラストについて
千葉銀行ロンドン支店
新たに 8 月 11 日が「山の日」として祝日となり、日本の国民の祝日は合計 16 日
となりました。一方、英国の祝日は合計 8 日と少なく、9 月以降はクリスマスまで
祝日がありません。その分、英国は日本に比べ高い有給休暇取得率を誇り、年間の
平均休日日数は日本と大きな差は見られません。有給休暇取得率が低いけれども祝
日が多い日本、祝日が少ないけれども有給休暇取得率が高い英国、両国のいい所取
りはなかなか難しそうな現状です。
1.はじめに
7 月 28 日、絵本「ピーター・ラビットのおはなし」の作者である英国の絵本作家、
ビアトリクス・ポターの生誕 150 周年を迎え、英国では様々な記念行事が行われて
います。青い服を着たうさぎのピーターは、日本でも様々な CM キャラクターに採用
されたことで注目を集め、その可愛らしさから高い人気を集めています。
「ピーター・ラビット」の作者として有名なポターですが、著名な女性作家とし
ての一面以外に、熱心な環境保護活動家としての一面も持ち合わせていました。今
回の EU インサイトでは、彼女が生涯をかけて保護した英国の湖水地方、そして英国
の環境保護組織「ナショナル・トラスト」の歴史を紐解いてみます。
2.「ナショナル・トラスト」
(1)概要
ナショナル・トラスト(正式名称:歴史的名所や自然的景勝地のためのナショナ
ル・トラスト)は、英国における最大の環境保護組織であり、英国内の 350 以上の
屋敷や庭園、1,200km 以上もの海岸線、247,000 ヘクタール(千葉県の面積のおよそ
半分)以上の土地など、1,110 ヶ所以上のプロパティ(保護資産)を所有する民間
で最大の土地所有者でもあります。
450 万人(英国民の約 7%)がナショナル・トラストの会員となっており、会員は
年会費を支払うことで、ナショナル・トラストが所有するプロパティに無料で入場
できるほか、様々なサービスを受けることができます。
日本をはじめとした他の国々では、環境保護は民間からの要請を受けて、政府や
地方自治体が主体となって行われることが一般的であると思われます。では、なぜ
ナショナル・トラストがこれほど巨大な民間環境保護組織へと成長したのか、その
足跡を辿ってみましょう。
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(2)歴史
ナショナル・トラストは 1895 年、社会活動家のオクタヴィア・ヒル、弁護士のロ
バート・ハンター、牧師のハードウィック・ローンズリーの 3 人の有志たちによっ
て設立されました。当時の英国は、産業革命の名のもとに自然や歴史的に価値のあ
る建物を破壊し、工場や労働者の生活する街を建設する動きが活発化しており、ヒ
ルのような社会活動家が企業や議会に訴えかける形で環境保護の必要性を叫んだと
ころで、まともに取り合ってもらえない事態が続いていました。
この事態を重く見た 3 人の創設者たちは「地域の乱開発を防ぐためには、その土
地を買い上げるしかない」との考えのもと、1895 年にナショナル・トラストを設立、
1899 年に最初の自然的景勝地であるロンドン北東部に位置するウィッケン・フェン
の湿地帯を購入し、環境保護活動を開始しました。
ナショナル・トラストという団体名は、日本語に訳すと「国民のための信託」と
なり、労働者向けの住宅改良運動に尽力したヒルの提案によって、慈善的な組織で
あることを強調するために名づけられました。
その後、弁護士であるハンターは、ナショナル・トラストの活動に法的な支援を
求めるため、「ナショナル・トラスト法」の草案を議会に提出し、1907 年に承認さ
れました。ナショナル・トラスト法には、①歴史的建築物等の所有者は、保存費用
を生み出す基本財産(建物そのものや、庭園等の観光資源)をナショナル・トラス
トに寄贈すれば、相続税が免除される上、寄贈者とその子孫はテナントとしてその
建物に住み続けることができる、②ナショナル・トラストが管理する資産は譲渡不
能を原則とする、といった寄贈を呼び込むための内容が盛り込まれています。
当時の英国では、地方貴族の荘園である「カントリー・ハウス」が凋落の危機に
瀕していました。カントリー・ハウスの運営には大量の使用人や庭師など施設の維
持管理をする人が必要でしたが、産業革命による社会構造の変化により、貴族であ
ってもこれらの人を雇うことは経済的に困難となっていました。ナショナル・トラ
ストへ寄贈すれば、施設の維持管理に要する費用はナショナル・トラストが負担し
てくれるため、貴族たちは次々と寄贈を行い、建物に居住しつつも運営費用の負担
を免れる道を選びました。こうして、ナショナル・トラストは広大な土地と多くの
建物を保有する巨大組織へと成長していきました。
会員の寄付や寄贈によって成長してきたナショナル・トラストですが、1970 年代
に入り、その性質を大きく変化させていきます。カントリー・ハウスの保存にばか
り注力してきた当時のナショナル・トラストは、貴族主義的で、上流階級のみが集
う閉鎖的な組織となっていると批判を浴びていたため、ナショナル・トラストをよ
り多くの人に開かれた組織とするべく、1971 年にナショナル・トラスト法が改正さ
れました。
法改正によってナショナル・トラストは、①景勝地や建物に見学やレクリエーシ
ョンのために訪れる客に対し、軽食レストランや駐車場といった施設、サービスを
提供し、料金を徴収すること、②保有する土地での狩猟、ボート、釣りといったレ
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クリエーションを提供し、料金を徴収すること、③保有する資産に関連する商品、
グッズ等を販売すること、等が許可され、単なる環境保護組織から、公衆を惹きつ
け自然と歴史の大切さを伝える公共的な存在へと変化していきました。1971 年の改
革を機に、数万人程度であった会員数は爆発的に増加し、10 年後の 1981 年 5 月に
は 100 万人を突破、現在は 450 万人以上が名を連ねる一大組織へと成長しました。
(3)湖水地方
ナショナル・トラストの管理地で最も有名な湖水地方(Lake District)は、大小
さまざまな湖が点在する風光明媚な地域であり、英国における有数のリゾート地と
して知られています。冒頭に述べたとおり、ポターは湖水地方の美しさに魅了され、
生涯をその保護に捧げました。ここで、彼女と湖水地方の出会いを振り返ってみま
しょう。
ロンドンの裕福な中流階級の娘として生まれたポターは、16 歳のときに初めて湖
水地方を訪れました。ロンドンでの堅苦しい生活に嫌気がさしていたポターにとっ
て、湖水地方の自然や動植物は何よりの癒しとなり、たちまちそれらの観察に夢中
になりました。また、この時、湖水地方への鉄道建設反対運動を指導していた、後
にナショナル・トラスト創始者のひとりとなるローンズリー牧師と出会い、友情を
育んだことも彼女の人生に大きな影響を与えました。
ポターが 37 歳のとき、湖水地方での経験を基に作り上げた絵本「ピーター・ラビ
ットのおはなし」が出版され、翌年までに 5 万部を売り上げるベストセラーとなり
ました。その翌年、ポターは本の印税と叔母の遺産で湖水地方のニア・ソーリー村
にあるヒル・トップ農場を購入し、湖水地方での創作拠点を手に入れました。
その後、絵本の創作と農場経営の二束のわらじで働き続けたポターは、その収入
のほぼ全てを湖水地方の土地購入に費やし、最終的に 4,000 エーカー(東京ドーム
およそ 350 個分)の土地と 15 の農場を所有する湖水地方屈指の大地主となりました。
1943 年、ポターは 77 歳でその生涯を閉じました。遺言により、湖水地方の不動
産すべてがナショナル・トラストに寄贈され、ナショナル・トラストは湖水地方の
4 分の 1 をその管理下に収めることになりました。彼女の遺灰は、愛した自然がよ
く見えるようにとニア・ソーリー村の丘に撒かれ、今もその美しい風景を見守り続
けています。
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3.日本における「ナショナル・トラスト」
日本でのナショナル・トラスト運動の起こりは、鎌倉市の鶴岡八幡宮の裏山にあ
る「御谷(おやつ)の森」保護運動だと言われています。高度経済成長期真っ只中
の 1964 年、東京オリンピックの開催年でもあるこの年は、日本中が住宅開発ブーム
に沸いており、古都・鎌倉の聖域であった御谷の森にも宅地造成計画が持ち上がり
ました。これに反発した地元住民たちは「財団法人 鎌倉風致保存会」を設立し、英
国のナショナル・トラストに着想を得て募金活動を開始しました。そして集まった
募金と鎌倉市からの資金によって御谷の森の土地 1.5 ヘクタールを買い上げ、美し
い自然を護ることに成功しました。
鎌倉風致保存会の成功譚はたちまち全国に轟き、1968 年に運輸省(現国土交通省)
所管のもと、観光資源保護財団(現、財団法人日本ナショナルトラスト)が設立さ
れました。その後、各地でその土地の自然を護るための民間団体が設立され、現在
は全国各地で 50 以上、千葉県でも 2 つの団体が自然保護活動を展開しています。
このように、英国のナショナル・トラストが、その存在の根拠となる法律を持ち、
一つの巨大な組織として各地の自然を保護しているのに対し、日本のナショナル・
トラストは、公益社団法人や NPO 法人といった民間の団体が、それぞれの地域での
有志らによって設立され、募金活動や地方自治体への支援を仰ぐ方法で活動すると
いった違いが見受けられます。
英国に比べると、日本のナショナル・トラストを支援する法整備はまだまだ未発
達であり、今後更なる寄付や寄贈を呼び込む仕組みづくりや、活動の幅を広げるた
めの法改正に期待が持たれます。
4.おわりに
For ever, for everyone.(永遠に、すべての人のために)というスローガンのも
と、100 年以上の永きにわたり自然環境、歴史的遺産の保護に尽力してきたナショ
ナル・トラスト。ほんの少人数で始まった組織が、僅かな資金を元手に小さな土地
を買い、資金を集めては買い足しという地道な活動を懸命に続けてきたことが、多
くの自然環境を今日まで護ってきたという結果に繋がっています。
日本のナショナル・トラストについても、法律が整備され、多くの人が関心を持
つようになれば、これまで以上にたくさんの自然環境を保護することができるよう
になることでしょう。本稿がナショナル・トラストの活動について、多くの人の目
に留まる一助となれば幸いです。
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【参照ウェブサイト】
National Trust
https://www.nationaltrust.org.uk/
環境省
https://www.env.go.jp/
N.T.E ジャパンクラブ
http://www.netjc.jp/
(公財)日本ナショナルトラスト
http://www.national-trust.or.jp/
(公社)日本ナショナル・トラスト協会
http://www.ntrust.or.jp/
※ ここに掲載されているデータや資料は、投資等の判断となる情報提供を目的としたものであり、投資勧
誘を目的としたものではありません。投資等の最終決定は、ご自身のご判断でなされるようお願いいた
します。また、弊行はかかる情報の正確性や妥当性については責任を負いません。
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