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Akita University
『リア王』 にお け るジ ャ ンル標 識 につ いて*
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あ らゆる改作 は何 ほ どかは原作 を損ね るものであるが, それに して も1
681
年 のテ- ト版 『リア王』
ほ ど悪名高 い もの も珍 しい。1
)とはい え,原作 では言葉 を交 わ した ことす ら無 い コ- デ リア とエ ドガ
- を恋 仲 に した うえに, リア もグロス ター も生 き残 らせ
,『リア王』をあろ うこ とか恋愛喜劇 に変 え
て しまったのであるか ら,我々の 目には シェイ クス ピアのキャノンに対す る日 清 とも映 るこのテト版が,改悪の典型 として今 では常 に幾分 かの噺弄 をこめて語 られ るのは, まこ とに無理 か らぬ と
ころで はあるだろ うo Lか しその文学的価値 は さてお き, チ- トが改作 で喜劇 とい うジャンル を括
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1--
Akita University
向 したこ と自体 は,必ず しもご都合主義の思 い付 きとして一笑 に付 して しま うこ とはで きないので
はあるまいか。2) とい うの も, シェイ クス ピアの 『リア王』を無心 にかつ子細 に読 む な らば,喜劇へ
の指 向は既 に原作 自体 に内在 しているよ うに思 われ るか らである。3)
そこで本稿 では, この喜劇指 向 を明確 に対 象化 す るため に,作 品内に埋 め込 まれてい る g
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s (ジャンル標識),即 ち作 品が どの よ うなジャンルで読 まれ るべ きか を作 者が観客 に示す 目
期待 の地平」
印, に着 目す るこ とにす る。4) そ して喜劇 『リア王』において, いか に執掬 に喜劇 的 な 「
が喚起 されているか を,この ジャンル標識 とい う視点か ら明 らか に してみたい。5)具体 的 には,観客
を特定の ジャンル-導 くため当然 ジャンル標識の出現が予期 され る導入部 (1幕 1場)が,主 とし
て分析 の対象 となる予定である。
まず リア登場 までの 冒頭の約 30行 を考 えてみ よ うOこの場面の狙 いのひ とつがケ ン トとエ ドモン
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"に したグロスターの性格提示 にあるこ とは明 らかだが,我 々の立場 か らして
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最 も注 目すべ きは, その なかで も彼の 「
好色 さ」とい う特徴 が強調 されているこ とだ ろ う。例 えば,
ケン トにエ ドモ ン ドの こ とを紹介す る ときの
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とい う台詞 な どその典型である。 そ して, このい ささか軽薄 な 「
歳が い もない好色 さ」が,悲劇で
恐怖 と憐潤 を引 き起 こす よ りは, む しろ笑劇 で鴨 にされ笑われ るべ き登場 人物 に似つかわ しいこと
は, シェイ クス ピア 自身 も 『ウインザーの陽気 な女房達 』で示 した通 りである。従 って,例 えばコ
メデ ィア ・デ ラルテな らパ ンタロ-ネの役 どころで ある 「
好色 な老人」 とい う性格設定の グロスタ
ーが, 当時の観客 に とって, とりあえずは どたばた喜劇 にお馴染みの ス トノク ・キャラクター とし
て,つ ま りはファルス を指 向す るジャンル標識 として理解 (
誤解) された可能性 は高 いのではなか
ろ うか。7)
また彼の 「
好色 さ」 は, グロスター 自ら "
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)と認め るよ うに, キ リ
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)の罪 (
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)とも, 当然結 び付 くはずで ある。 そし
ス ト教神学の 7大大罪のひ とつ 「
てエ リザ朝の観客 で あれば,堕地獄 の罪 を犯 しなが ら未だに悔悟 していない とい うこの発端 か らだ
けで も,以後の展開で もたびたび暗示 され るこ とになる, グロスター と 「
道徳劇」の主人公 「人間」
との類似 に,既 に勘付 いた者 もいたか もしれ ない。8)っ ま りグロスター は,ファルスのみな らず,罪
か ら救済に至 る構造 を持つ,つ ま りダ ンテの 『
神 曲』的意味 での 「
喜劇」的結末 を持つ,道徳劇 と
い うジャンル- の期待 をも観客 に喚起 す る標識 として, ここでは機能 している とい うこ とになるだ
ろ う。従 ってそれ に気 が付 いた観客 は,「
王国の分割」とい う悲劇 あるいは歴史劇 で扱 うの に相応 し
いテーマ に も関わ らず, この劇 をこの よ うなジャンルで見 るべ きか, とりあえず は判断 を保留せ ざ
るをえないのではなか ろ うか。
続 いて リアが登場 し有名 な 「
愛情比べ」 のエ ピソー ドが始 まるが, ここで も リア とコ-デ リアの
評 いの悲劇 的 な トー ンを予め打 ち消すかの ように, さらに明瞭 な喜劇 的 ジャンル標識が出現 してい
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rか ら受 け継 いだ 「お とぎ話」的状況設定で ある09
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るO それは, シェイクス ピアが種本 Ki
父親 には 3人の子供が あ りましたO上二 人は 口は巧 いが意地悪で,一番下は
ま りこの場 の状況 は,「
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Akita University
口下手だが優 しい子であ りました. ところが父親 は,弟 (
妹)を妬む意地悪 な兄 (
柿)達 に崩 され,
末子 を勘 当 (
殺 して しま う)ことにな りました。
」 と,普遍的な 「お とぎ話」のパ ター ンに還元す る
こ とが可能 なのである。10) そ して 『リア王』は純粋 なお伽話 でないこ とは もちろん承知 している観客
ち, この誰 に も見落 とす こ とが不可能 な位 明瞭 なジャンル標識の故 に, この劇 が 「お伽話」風のッピイ ・エ ン ドに終 わる もの と,心の どこかでは予期 したに違 い無 い。 ま して辞 いの後 コ-デ リア
は 『シンデ レラ』型,即 ち 「
末娘 は姉達 にい じめ られなが らも,最後 には王子様 (
フランス王) に
見初め られ結婚 し」とい う典型的お伽話 のパ ター ンを忠実 に踏襲す るのであ る。 「その後長 く幸せ に
暮 らしました とき」 とい う,パ ター ンの最後の部分 だけが成就 され ないな どと予想 した観客 は, お
そら くこの時点では殆 どいなか っただろ う。
さらに,「
愛情比べ」に続 くコ-ヂ リアの勘 当 も, ケン トの追放 も, シェイクス ピアの戯 曲 を熟知
している観客 に とっては,その悲劇 的 トー ンに もかかわ らず/のゆ えに,必ず しも悲惨 な結末 を意味
,
しなか ったよ うに思 われ る。 とい うの も 『リア王』以前 にシェイ クス ピアが書 いた こ うした不条理
1
)
,
で残酷 な判決 で始 まる戯 曲は,全 て喜劇 だか らである。1 『
間違 い続 き』しか り 『
夏の夜 の夢』しか
りである。恐 ら く,判決が残酷であればそれだ け, それ を免れて最後 に得 る幸せ は一層甘美 な もの
になる し, また寧 ろ不条理で あるが故 に,悲劇 の よ うな因果律 に縛 られ ない,喜劇 とい う軽やか な
ジャンルにふ さわ しい, そ う彼の劇作家 としての本能が判断 したのだ ろ う。従 って 『リア王』の発
端 における不条理 で残酷 な判決 も, シェイクス ピアの観客 な らば, それが余 りに不 条理 で残酷であ
るか らこそ,逆 に喜劇 を予告す る一種 の ジャンル標識 として認知 したのではあ るまいか。
さらには, リアの余 りに も怒 りっぽ い性格設定 も,一種 の ジャンル標識 として,観客 の喜劇へ の
期待 を増幅 した ことだろ う。つ ま り)
)アは悲劇 の主人公であ りなが ら,笑劇 の典型的登場人物の ひ
とりである無闇 と怒 りっぽ い老人,即 ち N・
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とい う長台詞 など,確か に庶民 とは桁違 いの王の怒 りの激 しさを伝 える反面,表現 の余 りの大仰 さ
のため滑稽 さ と紙一重の印象 をも与 えるよ うに思われ るO「
怒 りと脅 し,そ して偏執 と崩 され易 さ と
をもっている」12)とい う "
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"につ いての N ・Fr
yeの定義 は, まさに リアに も当ては まる
のではなか ろ うか.す なわち,脇筋の グロス ターの 「
老 人の好色」 とい う標識 と同様 に,主筋の リ
アも 「
老人の度 を越 した怒 り」 とい う標識 によちて, その性格設定が笑劇 を指 向す るジャンル標識
として,観客 に理解 (
誤解) された可能性が高 い と思 われ るので ある。 それ に, そ もそ もダブル ・
プ ロッ トを使 うのは, シェイ クス ピアでは喜劇 に限 られているか ら, ダブル ・プ ロ ッ トの存在 自体
が ジャンル標識 として, これ また観客 に喜劇 を指向 している と理解 (
誤解) されたはず だ とも言 え
るか もしれ ない。
他方, グロス ターの 「
姦淫」 同様, リアの この理不尽 な怒 りは, キ リス ト教神学 の 7大大罪の ひ
とつ 「
激怒 」(
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)の罪 に相 当す るはずで ある。従 って,道徳劇 になれ親 しんだエ リザ朝の観客
であれば, こ うして大罪 を犯 しなが ら悔悟 しない リア とグロスターの姿が劇 の 冒頭 で重 ねて示 され
- 1
3-
Akita University
た とき,彼 らと道徳劇の主人公 「人間」との血縁 関係 を直感的 に理解 したのではなか ろ うか。 また,
コ-デ リア とケン トを 「
美徳」 (
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善 天使 」 (
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)の擬 人化 として捉 える
こ とも,道徳劇 の型 を承知 していれば,寧 ろ自然 なこ とであったろ う。 さらには,「
美徳」あるいは
「
天使」の助言 を退 けた リアの行 く手 に待つ,苦難 と悔悟 と救済の物語 さえ も, この時点で既 に予
測 し得 たか も知 れないoつ ま り, この リアの 「
度 を越 した怒 り」 は,道徳劇 と言 うジャンル を介 し
て この劇 を見 るように,観客 を誘導す る標識 として も機能 しているのであ る。
ケン トの追放の次 には, コ-デ リアの婿選 びの場面が続 く。 フランス王 は, ライバルのバーガン
デ イ公 に,態度の明確化 を迫 るのだが,この台詞 と例 えば有名 なソネ ッ ト1
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番 の冒頭の部分 を並べ
て引用 してみ る と
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と,その類似 には著 しい ものが ある。また直接 には1
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番 を譜 じていない大部分 の観客 で も,同工異
曲の表現が,1
6
世紀末 に大流行 したペ トラル カ流の ソネ ッ ト連作では,枚挙 に暇が無 いほ ど溢れて
いるこ とは承知 していたこ とだろ う。従 って, このフランス王の台詞 に, ソネ ッ トでお馴染みの ミ
ス トレスへ の 「
無私 の愛」 とい うテーマの反響 を,聞 き取 った者 もいたはずで ある。 しか も, 同様
の ジャンル標識 は,紛れ ようの無 いかたちで更 に続 けて出現 す るので ある。バーガンデ ィ公 を自ら
退 けた無一物 の コ-デ リアに, フランス王 は敢 えて求婚 す るのだが, その とき彼の台詞がオ タンモ
ロン (
撞着語法) に始 ま り, オ クシモロンで終 わってい るの だ。
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そ して, このオ クシモロンこそ, 当時隆盛 を極めたペ トラル カ流 ソネ ッ ト連作 に最 も特徴的 な語法
なので ある。14)っ ま りこの場面では, フランス王の特徴 的 な言葉使 い (
語法)が ジャンル標識 として
機能 し,親客 は,作者 にソネ ッ トとい うジャンル を介 して この場 を見 るよ うに誘導 されてい る訳で
ある。その結果観客 は,当時の ソネ ッ トに特徴的 な ミス トレス/
崇拝者 とい うロマ ンチ ックな恋愛物
語 を, コーデ リア とフランス王の間に も期待す るこ とになるだろ う。 もちろん, この「
期待 の地平」
は, フランス王退場 のため,開かれ るや否や閉 じられて しま う訳だが,喚起 されたまま放置 された
ジャンルへ の期待 の故 に観客 は,今後の展開につ いて漠然 とではあれ,- ッピイエ ン ドを予期する
のではなか ろ うか。15)
コ-ヂ リアが フランス王に伴 われて退場 した後 ,Ⅰ
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といった情 け容 赦の ない リアの像 は,観客 をして, この娘達 が先 々 もた らすであろ うリアの悲劇 を
予感 させ るに十分 な迫力である。 しか し,他方, これ までの リアの愚か さを見て きた観客 に してみ
れば, この よ うな娘達 を持 った リアに同情す る と同時に, あの よ うな父親 を持 った娘達 の悩 みに も
共感 したのではあるまいか。つ ま り二人の会話 は,平 た く言 えば もっ ともな愚痴 に も聞 こえるので
ある。 そ してそ う聞 こえた観客 に してみれば, この場 か らまず印象付 けられ るのは,喜劇一般 によ
く見か ける老 いた愚か な父親 とそれ に とって替 わろ うとす る抜 け 目の ない子供達 との葛藤 とい う,
いわゆ る 「
世代交替」のテーマであろ う。 この場合 リアは,若 い世代 の幸せ を妨 げ ようとして,最
後には してや られ る例 えば シャイロックの よ うな役 どころ とい うこ とになる。つ ま り, この二人の
会話 はその不吉 な トー ンに も関わ らず,観客 に まずは喜劇的 なジャンル標識 として認知 (
誤認) さ
れ うる可能性 もあるのだ。 しか もシェイ クスピア 自身が, この 「
世代交替」 とい うにテーマ に繰 り
返 し焦点 を当てているのが,殆 ど常 に喜劇 においてであるこ とを考 え合 わせ るな らば, この可能性
はさほ ど低 い ものではないのではあるまいか。
以上 , Ⅰ. i.を分析 して きたが,劇 をどの よ うなジャンルで受 け取 るべ きか,劇 の導入部で心
理的 な構 えを決め る際, その判断基準 となるべ きジャンル標識が,か くも執劫 に喜劇 を指 向 してい
るこ とに気が付 いた観客 は, その悲劇 的 トー ンに も関わ らず, この劇 をどの よ うなジャンルで受容
するか につ いて,少 なか らず判断 を蒔跨せ ざるをえないだろ う。しか もこの言わば宙釣 りの状態 は,
Ⅰ. i.以後 も,喜劇 を指向す るジャンル標識が切れ 目な く出現す るこ とで,持続 され るので ある。
まず道化の存在 お よびその言葉遊 びが ジャンル標識 として機能 し,観客 に対 し, リアの深刻 さ,大
仰 さを相対化す る喜劇 的パースペ クティブ を提供す るはずである。 また,既 に Ⅰ. i. で出現 して
いる 「
道徳劇」を指 向す るジャンル標識 も,今後劇 中で一貫 して現れ,「
試練 と救済」とい う喜劇 的
ビジ ョンを介 して この劇 を見 るよ うに観客 を誘 導 し続 けるこ とになる。 また舞台が荒れ野 に移 れば
パ ス トラル」を示す標識が出現 す る。 そ して, まるで 「
写真のネガ とポジが反転 した」 16)ような形
「
ではあるが, 自然- の逃避 とそこか らの帰還及 び主人公の (
精神 的)再生 とい うパ ス トラルの型 に
添って物語が展開 している と,観客 に暗示す る土 とになろ う。つ ま り 『リア王』とい う劇 で観客 は,
喜劇 を指 向す る標識群 とそれが埋 め こまれた悲劇的物語の間で,最後 まで揺れ続 けるこ とになるの
である。
さてそれでは, こ うした観客 に一見不可解 な負担 を強 いるシェイクス ピアの作劇術 は, どの よ う
に理解 され るべ きであろ うか。最後 にこの点につ いて述べ てみたい。1
7
)
私見 によれば, シェイクス ピアの狙 いは, いささか逆説的 な言 い方 なが ら, まさに 「
観客 に一見
不可解 な負担 を強い る」 ことにある といえるだ ろ う。詳 しくいえば, まず は観客 を,喜劇 を指 向す
る標識群 とそれが埋め こまれた悲劇的物語の間で絶 え間無 く揺 さ振 るこ とで, ジャンルに対 す る観
- 1
5-
Akita University
客 の 自動 化 (
固定化 ・硬 直化 ) した反応 を妨 げ るこ と, これ が第一 の狙 いで あ ろ う。 そ して, この
よ うに ジャ ンル- の期 待 が常 に裏 切 られ るため,貌 客 は, この劇 を特 定 の ジャ ンル に当て はめ,安
心 して観 るこ とを許 されず,常 に見慣 れぬ もの として,体 験 す るこ とを強 い られ るはず で あ る。 こ
れ が 第二 の, そ して恐 ら く最 終 的 な狙 いで は なか ろ うか。 言 い換 えれ ば, シェイ クス ピアが 『リア
王』 で 採 った特 異 な技 法 の真 の狙 いは,観 客 の ジャ ンル に対 す る 自動化 した反応 を常 に逆 手 に とる
こ とで, 悲劇 に も喜劇 に も安 易 に コ ミッ トで きない状 態 に置 き, その結果 として, か えって観客 に
この劇 を真 に体 験せ しめ る こ とに あ った とも考 え られ るの で あ る。18)
また こ う考 えて くる と, ア クシ ョン レベ ル な らダブル ・プ ロ ッ ト, キャ ラ クター レベ ル な ら道 化
とい う仕掛 けが, 悲劇 と して は異例 で あ るに もかか わ らず 『リア王』 で あ えて採 用 され て い る理由
ち, 自ず と明 らか だ ろ う。 これ らはみ な固定化,硬 直化 した秩 序 (-真実 ) に揺 さ振 りをか け ると
い う, つ ま りは テキス トレベ ルでの ジャ ンル標 識 と同 じ働 きの仕 掛 け なの で あ る。従 って, 我 々が
注 目 し論 じて きた悲劇 『リア王』 にお け る喜劇 的 ジャ ンル標 識 の頻 出 は, この劇 の根 底 をなす作劇
術 が要 請 す る,極 め て戟 略 的 かつ必 然的 な現 象 で あ る とい うこ とに な るだ ろ う。19)
註
* 本稿 は,東北英文学会第4
6回大会 シンポジウム 「
揺れ る Ki
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arを追 って」 (
1
9
91
年1
0月 6日,宮城
教育大学)において 口頭発表 した内容 に加筆 ・修正 を加 えたものである。
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6にその大部分が収録 されているの
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で参照 されたい。
,
2)本稿では 「
喜劇」 とい う用語 を 「
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エ ン ドを伴 う劇」とい うご く一般的な意味で用いているこ
とを, まず予めお断わ りしてお きたい。
3) 『リア王』における喜劇的な要素 について指摘 した論考は,枚挙 に暇がないほ どであるが, ここでは最
も包括的な もの として Su
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4) 「ジャンル標識」 (
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)か ら借用し
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"を参照 されたい。 また本稿で 「
観客」 とい う場合,筆者は 「ジャン
た。特 に第 6章 "
ル とい う約束事の システムを作者 と共有 し,かつ作品に対 してはいかなる予備知識 も持 たない,例えば
,「観客」の定義 に関 しては,笹 山隆氏の rド
『リア王』初演時の平均的観客」を念頭 に置いているO尚
9
8
2
)の,特 に序章および1
3
章 を参考にさせて頂 いた。
ラマ と観客』 (
研究社,1
5
) ジャンル論 と観客論 を接続す るために,
「
期待の地平」とい う用語か らも明 らかなように,Ha
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か ら, 多 くの示唆 を受 けた。
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年)収録の 『カスイーナ』や F
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好色な老人」が,喜劇 とい うジャンルに とって,当時既 にス トソク・
キャラクタ
人』を読んでみる と 「
ーであったことが解 る。
8) 『リア王』 と道徳劇 の関わ りにつ いて論 じた ものでは,古 くは Os
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1
22
8等が代表的論考 といえるだ ろ う。 また筆者 自身
も,秋 田英語英文学第3
1
号 (
1
9
8
9)掲載の拙稿 「『リア王 』 と/あるいは道徳劇」において この問題 を論
じているので参照 され たい。
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rも前掲書で "
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)と指摘 している通 り,
『リア王』の種本 である無名氏の Ki
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また喜劇 であるこ とは,本稿 の立場か らすれば実 に興味深 いこ とで ある.c
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) 『リア王』のお伽話的要素 の もつ意味 につ いての最初 の そ して最 も重要 な指摘 は,恐 ら くフ ロイ トの
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4であろ う。筆者 には, フロイ トの鋭 い洞
察が,あたか も患者 を診断す るかの よ うに,この劇 のいわば無意識の部分 を,正確 に探 り当てているよ
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"とい う鋭 い指摘 に, その発想の きっか けを負 うて いる。
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)であろ うo またペ トラル カの原詩 に触れたければ,対訳形式の R.
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)が,正確 で便利 である。特
にオ クシモロンとい う技法 につ いては,高久真一氏の 「
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tにお けるオ クシモ ロン」 (
北海
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6年,所収)が詳 しい。
道英語英文学 ⅩⅩⅠ号 ,1
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世紀半ば までテ- ト版 『リア王』が原作 を凌 ぐ人気 を博 していた理 由 も, この ジャンル標識 とい う
視点か ら,ある程度説明が付 くのではあるまいか。つ ま り,チ- ト版 とは,原作で は中絶 させ られた観
客の漠然 としたジャンルへの期待 を満 たすべ く,劇 をジャンル標識が指示す る方向へ発展 させ ていった
(
つ ま りエ ドガ一 に仏王の役 を振 り,コ-デ リア との恋愛 を物語 の中心 に据 えた),言わばあ りうべ きも
うひ とつの 『リア王』 なのである。
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)通例 こ うした作劇術 はジャル ・ミクスチュア とい う技法 として整理 されている。 またその狙 いにつ いて
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)とい う説明などが,おそ ら く現時点では最 もス タンダー ドな ものだろ うO
1
8
)つ ま り筆者 は 『リア王』 にお けるシェイ クス ピアの作劇術 を, ロシア ・フォルマ リズムでい う 「異化」
の技法 に類似の もの とみな しているわけである。「
芸術 とは作 品 を異化す る技法 (
仕掛 け)の総体 である」
とす る Ⅴ.Shkl
ovs
kyのテーゼ を, シェイ クスピアは劇作家の本能 によって既 に見事 に実践 していたの
ではなか ろ うか。cf
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,1965)
,pp.
324.
- 17-
Akita University
1
9
)この よ うないわば 「異化」とも呼 び得 るよ うな作劇術 を, シェイ クス ピアが, その最初期の作 品か ら既
に体得 していた可能性 につ いては,拙稿 「
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s試論一文体上の仕掛 け とその効果に
高知大学人文学部学術研究報告 第3
2
巻 ,1
9
8
3
年) を参照の こ と。
つ いて-」 (
- 1
8-