Akita University 『リア王』 にお け るジ ャ ンル標 識 につ いて* 佐 々木 和 貴 Ge ne r i cSi gnal si nKi n gLe ar KazukiSASAKI Abs t r ac t TheTat e' sKi n gLe af( 1 6 81 )hasbe e nnot or i ousf ori t sc omi cadapt at i on.Butr eadi ngt heor ig inal de t ac he dl ya ndcar e f ul l y,wew il lf indt hati thadal r e adyi nvol ve dt hei nc i t e me nt st os uchacomi c a dapt at ai on.The nt hepur pos eoft hi st he s i si st oi ndi ca t ehow t hec omi cge ne r i ce xpe c t at i onsar e e vokedi nt hi sgr eatt r a ge dy.Andt oobj e c t i f yt he mc l e ar l yweno t i c et hege ne r i cs i gnal s ,t hati s ,t he mar kswi t hwhi c ht hepl aywr i t es ugge s t st hege nr eofhi spl ayt ot heaudi e nc e. Thea nal ys i si smai nl yf oc us e donAc tISc e neii nwhi c ht hege ne r i cs i gnal ss houl dappe ar f r e que nt l y,a ndt hef ol l owi ngt opi c sar edi s c us s e d.Fi r s t ,Gl o uc e s t e ras" l e wdol dman"a ndLearas e nr age dol dma n"e voket hege ne r i ce xpe c t at i o nt owar dt hef ar c easwe l last hemol ar i t ypl a y. Se c ondl y,Lear ' sc ompar i s on ofdaug ht e r s 'afe c t i onss ugge s t st hehappy e ndi ng be c aus eoft he f ai r yt al e l i kes t r uc t ur eoft hi se pi s o de,andt hec our t s hi pofKi ngofFr anc ehi nt st hes ameonac count ofhi sPe t r ar c ha ndi c t i o nwhi c hwasc har ac t e r i s t i coft heco nt e mpor ar ys onne ts e que nc e s .Thi r dl y, t he t e r r i bl ec onve r s at i onbe t we e nGone r i landRe gana boutLearmayha vet hepos s i bi l i t yt hatt heaudi e nc e s houl d( mi s ) unde r s t andi ta st heco mi cge ne r i cs i gnalbec aus et het opi ci st hea l t e ma t i onofgene r at i ons whi c hc hi e lybel f ongst ocome di e si nShake s pear e. I nc onc l us i onwet r yt opr o vet hati nI . i . t hec omi cge ne r i cs i gnal sc ons i s t e nt l yac tagai ns tt het r agl C t o neandt hatdur i ngt hes c e net heaudi e nc emus the s i t a t et ode ci dehow t oac c e ptt hepl a y. And mor eove r ,s uc hge ne r i cs i g nal sof t e nappe are ve raf t e r war ds . The r e f o r ewemayas s umet hatt he audi e nc eofKi n gLe a fhasal wayst obecons c i ousoft hegapbe t we e nt het r a ics g t or ya ndt hee mbe dde d c omi cge ne r i cs i gnal sandc an' teas i l yde ci det hege nr eoft hepl ayt i l lt hee nd.Andi nt he丘nals e c t i o n t hi ss ee mi ngl ype c ul i a rdr amat ur gyi sa nal ys e da ndourhypot he t i calvi e wi spr opos e dt hati ti snotonl y s t r at egi cbute s s e nt i alf ort hi spl ayandt hepl aywr i t e. あ らゆる改作 は何 ほ どかは原作 を損ね るものであるが, それに して も1 681 年 のテ- ト版 『リア王』 ほ ど悪名高 い もの も珍 しい。1 )とはい え,原作 では言葉 を交 わ した ことす ら無 い コ- デ リア とエ ドガ - を恋 仲 に した うえに, リア もグロス ター も生 き残 らせ ,『リア王』をあろ うこ とか恋愛喜劇 に変 え て しまったのであるか ら,我々の 目には シェイ クス ピアのキャノンに対す る日 清 とも映 るこのテト版が,改悪の典型 として今 では常 に幾分 かの噺弄 をこめて語 られ るのは, まこ とに無理 か らぬ と ころで はあるだろ うo Lか しその文学的価値 は さてお き, チ- トが改作 で喜劇 とい うジャンル を括 一一1 1-- Akita University 向 したこ と自体 は,必ず しもご都合主義の思 い付 きとして一笑 に付 して しま うこ とはで きないので はあるまいか。2) とい うの も, シェイ クス ピアの 『リア王』を無心 にかつ子細 に読 む な らば,喜劇へ の指 向は既 に原作 自体 に内在 しているよ うに思 われ るか らである。3) そこで本稿 では, この喜劇指 向 を明確 に対 象化 す るため に,作 品内に埋 め込 まれてい る g e ne r i c s i g na l s (ジャンル標識),即 ち作 品が どの よ うなジャンルで読 まれ るべ きか を作 者が観客 に示す 目 期待 の地平」 印, に着 目す るこ とにす る。4) そ して喜劇 『リア王』において, いか に執掬 に喜劇 的 な 「 が喚起 されているか を,この ジャンル標識 とい う視点か ら明 らか に してみたい。5)具体 的 には,観客 を特定の ジャンル-導 くため当然 ジャンル標識の出現が予期 され る導入部 (1幕 1場)が,主 とし て分析 の対象 となる予定である。 まず リア登場 までの 冒頭の約 30行 を考 えてみ よ うOこの場面の狙 いのひ とつがケ ン トとエ ドモン f oi l "に したグロスターの性格提示 にあるこ とは明 らかだが,我 々の立場 か らして ドを引 き立て役 " 最 も注 目すべ きは, その なかで も彼の 「 好色 さ」とい う特徴 が強調 されているこ とだ ろ う。例 えば, ケン トにエ ドモ ン ドの こ とを紹介す る ときの Gl ou. ・ -t ho ught hi skna vec a mes o me t hi n gs auc i l yt ot he wor l dbe f o r ehewass e ntf o r ,ye twashi smot he r f ai r;t he r ewa sgoo ds por ta thi smaki ng,a ndt he ll.203) 6 ) who r e s onmus tbea c knowl e dge d.( とい う台詞 な どその典型である。 そ して, このい ささか軽薄 な 「 歳が い もない好色 さ」が,悲劇で 恐怖 と憐潤 を引 き起 こす よ りは, む しろ笑劇 で鴨 にされ笑われ るべ き登場 人物 に似つかわ しいこと は, シェイ クス ピア 自身 も 『ウインザーの陽気 な女房達 』で示 した通 りである。従 って,例 えばコ メデ ィア ・デ ラルテな らパ ンタロ-ネの役 どころで ある 「 好色 な老人」 とい う性格設定の グロスタ ーが, 当時の観客 に とって, とりあえずは どたばた喜劇 にお馴染みの ス トノク ・キャラクター とし て,つ ま りはファルス を指 向す るジャンル標識 として理解 ( 誤解) された可能性 は高 いのではなか ろ うか。7) また彼の 「 好色 さ」 は, グロスター 自ら " Doyo us me l laf aul t? "( 1 .1 5 )と認め るよ うに, キ リ 邪淫 」 ( Lus t )の罪 ( f a ul t )とも, 当然結 び付 くはずで ある。 そし ス ト教神学の 7大大罪のひ とつ 「 てエ リザ朝の観客 で あれば,堕地獄 の罪 を犯 しなが ら未だに悔悟 していない とい うこの発端 か らだ けで も,以後の展開で もたびたび暗示 され るこ とになる, グロスター と 「 道徳劇」の主人公 「人間」 との類似 に,既 に勘付 いた者 もいたか もしれ ない。8)っ ま りグロスター は,ファルスのみな らず,罪 か ら救済に至 る構造 を持つ,つ ま りダ ンテの 『 神 曲』的意味 での 「 喜劇」的結末 を持つ,道徳劇 と い うジャンル- の期待 をも観客 に喚起 す る標識 として, ここでは機能 している とい うこ とになるだ ろ う。従 ってそれ に気 が付 いた観客 は,「 王国の分割」とい う悲劇 あるいは歴史劇 で扱 うの に相応 し いテーマ に も関わ らず, この劇 をこの よ うなジャンルで見 るべ きか, とりあえず は判断 を保留せ ざ るをえないのではなか ろ うか。 続 いて リアが登場 し有名 な 「 愛情比べ」 のエ ピソー ドが始 まるが, ここで も リア とコ-デ リアの 評 いの悲劇 的 な トー ンを予め打 ち消すかの ように, さらに明瞭 な喜劇 的 ジャンル標識が出現 してい ng Le i rか ら受 け継 いだ 「お とぎ話」的状況設定で ある09 ) つ るO それは, シェイクス ピアが種本 Ki 父親 には 3人の子供が あ りましたO上二 人は 口は巧 いが意地悪で,一番下は ま りこの場 の状況 は,「 - 1 2- Akita University 口下手だが優 しい子であ りました. ところが父親 は,弟 ( 妹)を妬む意地悪 な兄 ( 柿)達 に崩 され, 末子 を勘 当 ( 殺 して しま う)ことにな りました。 」 と,普遍的な 「お とぎ話」のパ ター ンに還元す る こ とが可能 なのである。10) そ して 『リア王』は純粋 なお伽話 でないこ とは もちろん承知 している観客 ち, この誰 に も見落 とす こ とが不可能 な位 明瞭 なジャンル標識の故 に, この劇 が 「お伽話」風のッピイ ・エ ン ドに終 わる もの と,心の どこかでは予期 したに違 い無 い。 ま して辞 いの後 コ-デ リア は 『シンデ レラ』型,即 ち 「 末娘 は姉達 にい じめ られなが らも,最後 には王子様 ( フランス王) に 見初め られ結婚 し」とい う典型的お伽話 のパ ター ンを忠実 に踏襲す るのであ る。 「その後長 く幸せ に 暮 らしました とき」 とい う,パ ター ンの最後の部分 だけが成就 され ないな どと予想 した観客 は, お そら くこの時点では殆 どいなか っただろ う。 さらに,「 愛情比べ」に続 くコ-ヂ リアの勘 当 も, ケン トの追放 も, シェイクス ピアの戯 曲 を熟知 している観客 に とっては,その悲劇 的 トー ンに もかかわ らず/のゆ えに,必ず しも悲惨 な結末 を意味 , しなか ったよ うに思 われ る。 とい うの も 『リア王』以前 にシェイ クス ピアが書 いた こ うした不条理 1 ) , で残酷 な判決 で始 まる戯 曲は,全 て喜劇 だか らである。1 『 間違 い続 き』しか り 『 夏の夜 の夢』しか りである。恐 ら く,判決が残酷であればそれだ け, それ を免れて最後 に得 る幸せ は一層甘美 な もの になる し, また寧 ろ不条理で あるが故 に,悲劇 の よ うな因果律 に縛 られ ない,喜劇 とい う軽やか な ジャンルにふ さわ しい, そ う彼の劇作家 としての本能が判断 したのだ ろ う。従 って 『リア王』の発 端 における不条理 で残酷 な判決 も, シェイクス ピアの観客 な らば, それが余 りに不 条理 で残酷であ るか らこそ,逆 に喜劇 を予告す る一種 の ジャンル標識 として認知 したのではあ るまいか。 さらには, リアの余 りに も怒 りっぽ い性格設定 も,一種 の ジャンル標識 として,観客 の喜劇へ の 期待 を増幅 した ことだろ う。つ ま り) )アは悲劇 の主人公であ りなが ら,笑劇 の典型的登場人物の ひ とりである無闇 と怒 りっぽ い老人,即 ち N・ Fr yeの云 う " s e ne xi r a t us "を想起 させ るのである。例 えば Thebar ba r o usSc y t hi a n, Orhet hatmake shi sge ne r a t i o nme s s e s Togor gehi sappe t i t e ,s hal lt omybo s s o m e l i e v' d Bea swe l lnei ghbo ur ' d,pi t i e d,& r l l .1 1 5 2 0 ) Ast ho umys o me t i medaught e r .( とい う長台詞 など,確か に庶民 とは桁違 いの王の怒 りの激 しさを伝 える反面,表現 の余 りの大仰 さ のため滑稽 さ と紙一重の印象 をも与 えるよ うに思われ るO「 怒 りと脅 し,そ して偏執 と崩 され易 さ と をもっている」12)とい う " s e ne xi r a t us "につ いての N ・Fr yeの定義 は, まさに リアに も当ては まる のではなか ろ うか.す なわち,脇筋の グロス ターの 「 老 人の好色」 とい う標識 と同様 に,主筋の リ アも 「 老人の度 を越 した怒 り」 とい う標識 によちて, その性格設定が笑劇 を指 向す るジャンル標識 として,観客 に理解 ( 誤解) された可能性が高 い と思 われ るので ある。 それ に, そ もそ もダブル ・ プ ロッ トを使 うのは, シェイ クス ピアでは喜劇 に限 られているか ら, ダブル ・プ ロ ッ トの存在 自体 が ジャンル標識 として, これ また観客 に喜劇 を指向 している と理解 ( 誤解) されたはず だ とも言 え るか もしれ ない。 他方, グロス ターの 「 姦淫」 同様, リアの この理不尽 な怒 りは, キ リス ト教神学 の 7大大罪の ひ とつ 「 激怒 」( Ange r )の罪 に相 当す るはずで ある。従 って,道徳劇 になれ親 しんだエ リザ朝の観客 であれば, こ うして大罪 を犯 しなが ら悔悟 しない リア とグロスターの姿が劇 の 冒頭 で重 ねて示 され - 1 3- Akita University た とき,彼 らと道徳劇の主人公 「人間」との血縁 関係 を直感的 に理解 したのではなか ろ うか。 また, コ-デ リア とケン トを 「 美徳」 ( Vi r t ue)あるいは 「 善 天使 」 ( Goo dAnge l )の擬 人化 として捉 える こ とも,道徳劇 の型 を承知 していれば,寧 ろ自然 なこ とであったろ う。 さらには,「 美徳」あるいは 「 天使」の助言 を退 けた リアの行 く手 に待つ,苦難 と悔悟 と救済の物語 さえ も, この時点で既 に予 測 し得 たか も知 れないoつ ま り, この リアの 「 度 を越 した怒 り」 は,道徳劇 と言 うジャンル を介 し て この劇 を見 るように,観客 を誘導す る標識 として も機能 しているのであ る。 ケン トの追放の次 には, コ-デ リアの婿選 びの場面が続 く。 フランス王 は, ライバルのバーガン デ イ公 に,態度の明確化 を迫 るのだが,この台詞 と例 えば有名 なソネ ッ ト1 1 6 番 の冒頭の部分 を並べ て引用 してみ る と Fr a nc e . Lo ve ' Sno tl o ve Whe ni ti smi ngl e dwi t hr e ga r dst hats t a nd Al ooff r o mt h' e nt i r epoi nt .( l l .2 3 7 9 ) So nne t1 1 6- ・ l ovei sno tl o ve Whi c hal t e r swhe ni tal t e r a t i on丘nds , Orbe ndswi t ht her e mo ve rt or e mo ve.( ll .2 5 ) 1 3 ) と,その類似 には著 しい ものが ある。また直接 には1 1 6 番 を譜 じていない大部分 の観客 で も,同工異 曲の表現が,1 6 世紀末 に大流行 したペ トラル カ流の ソネ ッ ト連作では,枚挙 に暇が無 いほ ど溢れて いるこ とは承知 していたこ とだろ う。従 って, このフランス王の台詞 に, ソネ ッ トでお馴染みの ミ ス トレスへ の 「 無私 の愛」 とい うテーマの反響 を,聞 き取 った者 もいたはずで ある。 しか も, 同様 の ジャンル標識 は,紛れ ようの無 いかたちで更 に続 けて出現 す るので ある。バーガンデ ィ公 を自ら 退 けた無一物 の コ-デ リアに, フランス王 は敢 えて求婚 す るのだが, その とき彼の台詞がオ タンモ ロン ( 撞着語法) に始 ま り, オ クシモロンで終 わってい るの だ。 Fai r e s tCo r de l i a,t ha ta r emo s tr i c h,be i ngpoo r; Mos tc hoi c ef o r s ake n;a ndmo s tl o ve d,d e s pi s e d! Thoul o s e s the r e ,abe t t e rwhe r et o丘nd.( ll .2 4 9 6 0 ) そ して, このオ クシモロンこそ, 当時隆盛 を極めたペ トラル カ流 ソネ ッ ト連作 に最 も特徴的 な語法 なので ある。14)っ ま りこの場面では, フランス王の特徴 的 な言葉使 い ( 語法)が ジャンル標識 として 機能 し,親客 は,作者 にソネ ッ トとい うジャンル を介 して この場 を見 るよ うに誘導 されてい る訳で ある。その結果観客 は,当時の ソネ ッ トに特徴的 な ミス トレス/ 崇拝者 とい うロマ ンチ ックな恋愛物 語 を, コーデ リア とフランス王の間に も期待す るこ とになるだろ う。 もちろん, この「 期待 の地平」 は, フランス王退場 のため,開かれ るや否や閉 じられて しま う訳だが,喚起 されたまま放置 された ジャンルへ の期待 の故 に観客 は,今後の展開につ いて漠然 とではあれ,- ッピイエ ン ドを予期する のではなか ろ うか。15) コ-ヂ リアが フランス王に伴 われて退場 した後 ,Ⅰ .i.の3 0 0 行 に も及ぶ展開 を締め くくるのは' - 1 4- Akita University ゴネ リル と り-ガンの会話であるO そ して,例 えば二人の描 き出す Re g.' Ti st hei mf ir mi yo t fhi sa ge;ye theha se ve rbut s l e nde r l ykno wnhi ms e l f . Go n.Thebe s ta nds ounde s tofhi st i mehat hbe e nbut r a s h;t he nmus twel ookf r om hi sa ge ,t or e c e i veno t lo a net hei mpe r f e c t i o nsofl onge ngr afe dc o ndi t i o n, butt he r e wi t halt heunr ul ywa ywa r dne s st ha t l l .2 9 2 1 8 ) i nf ir m andc hol e r i cye ar sbr i ngwi t ht he m.( といった情 け容 赦の ない リアの像 は,観客 をして, この娘達 が先 々 もた らすであろ うリアの悲劇 を 予感 させ るに十分 な迫力である。 しか し,他方, これ までの リアの愚か さを見て きた観客 に してみ れば, この よ うな娘達 を持 った リアに同情す る と同時に, あの よ うな父親 を持 った娘達 の悩 みに も 共感 したのではあるまいか。つ ま り二人の会話 は,平 た く言 えば もっ ともな愚痴 に も聞 こえるので ある。 そ してそ う聞 こえた観客 に してみれば, この場 か らまず印象付 けられ るのは,喜劇一般 によ く見か ける老 いた愚か な父親 とそれ に とって替 わろ うとす る抜 け 目の ない子供達 との葛藤 とい う, いわゆ る 「 世代交替」のテーマであろ う。 この場合 リアは,若 い世代 の幸せ を妨 げ ようとして,最 後には してや られ る例 えば シャイロックの よ うな役 どころ とい うこ とになる。つ ま り, この二人の 会話 はその不吉 な トー ンに も関わ らず,観客 に まずは喜劇的 なジャンル標識 として認知 ( 誤認) さ れ うる可能性 もあるのだ。 しか もシェイ クスピア 自身が, この 「 世代交替」 とい うにテーマ に繰 り 返 し焦点 を当てているのが,殆 ど常 に喜劇 においてであるこ とを考 え合 わせ るな らば, この可能性 はさほ ど低 い ものではないのではあるまいか。 以上 , Ⅰ. i.を分析 して きたが,劇 をどの よ うなジャンルで受 け取 るべ きか,劇 の導入部で心 理的 な構 えを決め る際, その判断基準 となるべ きジャンル標識が,か くも執劫 に喜劇 を指 向 してい るこ とに気が付 いた観客 は, その悲劇 的 トー ンに も関わ らず, この劇 をどの よ うなジャンルで受容 するか につ いて,少 なか らず判断 を蒔跨せ ざるをえないだろ う。しか もこの言わば宙釣 りの状態 は, Ⅰ. i.以後 も,喜劇 を指向す るジャンル標識が切れ 目な く出現す るこ とで,持続 され るので ある。 まず道化の存在 お よびその言葉遊 びが ジャンル標識 として機能 し,観客 に対 し, リアの深刻 さ,大 仰 さを相対化す る喜劇 的パースペ クティブ を提供す るはずである。 また,既 に Ⅰ. i. で出現 して いる 「 道徳劇」を指 向す るジャンル標識 も,今後劇 中で一貫 して現れ,「 試練 と救済」とい う喜劇 的 ビジ ョンを介 して この劇 を見 るよ うに観客 を誘 導 し続 けるこ とになる。 また舞台が荒れ野 に移 れば パ ス トラル」を示す標識が出現 す る。 そ して, まるで 「 写真のネガ とポジが反転 した」 16)ような形 「 ではあるが, 自然- の逃避 とそこか らの帰還及 び主人公の ( 精神 的)再生 とい うパ ス トラルの型 に 添って物語が展開 している と,観客 に暗示す る土 とになろ う。つ ま り 『リア王』とい う劇 で観客 は, 喜劇 を指 向す る標識群 とそれが埋 め こまれた悲劇的物語の間で,最後 まで揺れ続 けるこ とになるの である。 さてそれでは, こ うした観客 に一見不可解 な負担 を強 いるシェイクス ピアの作劇術 は, どの よ う に理解 され るべ きであろ うか。最後 にこの点につ いて述べ てみたい。1 7 ) 私見 によれば, シェイクス ピアの狙 いは, いささか逆説的 な言 い方 なが ら, まさに 「 観客 に一見 不可解 な負担 を強い る」 ことにある といえるだ ろ う。詳 しくいえば, まず は観客 を,喜劇 を指 向す る標識群 とそれが埋め こまれた悲劇的物語の間で絶 え間無 く揺 さ振 るこ とで, ジャンルに対 す る観 - 1 5- Akita University 客 の 自動 化 ( 固定化 ・硬 直化 ) した反応 を妨 げ るこ と, これ が第一 の狙 いで あ ろ う。 そ して, この よ うに ジャ ンル- の期 待 が常 に裏 切 られ るため,貌 客 は, この劇 を特 定 の ジャ ンル に当て はめ,安 心 して観 るこ とを許 されず,常 に見慣 れぬ もの として,体 験 す るこ とを強 い られ るはず で あ る。 こ れ が 第二 の, そ して恐 ら く最 終 的 な狙 いで は なか ろ うか。 言 い換 えれ ば, シェイ クス ピアが 『リア 王』 で 採 った特 異 な技 法 の真 の狙 いは,観 客 の ジャ ンル に対 す る 自動化 した反応 を常 に逆 手 に とる こ とで, 悲劇 に も喜劇 に も安 易 に コ ミッ トで きない状 態 に置 き, その結果 として, か えって観客 に この劇 を真 に体 験せ しめ る こ とに あ った とも考 え られ るの で あ る。18) また こ う考 えて くる と, ア クシ ョン レベ ル な らダブル ・プ ロ ッ ト, キャ ラ クター レベ ル な ら道 化 とい う仕掛 けが, 悲劇 と して は異例 で あ るに もかか わ らず 『リア王』 で あ えて採 用 され て い る理由 ち, 自ず と明 らか だ ろ う。 これ らはみ な固定化,硬 直化 した秩 序 (-真実 ) に揺 さ振 りをか け ると い う, つ ま りは テキス トレベ ルでの ジャ ンル標 識 と同 じ働 きの仕 掛 け なの で あ る。従 って, 我 々が 注 目 し論 じて きた悲劇 『リア王』 にお け る喜劇 的 ジャ ンル標 識 の頻 出 は, この劇 の根 底 をなす作劇 術 が要 請 す る,極 め て戟 略 的 かつ必 然的 な現 象 で あ る とい うこ とに な るだ ろ う。19) 註 * 本稿 は,東北英文学会第4 6回大会 シンポジウム 「 揺れ る Ki n gLe arを追 って」 ( 1 9 91 年1 0月 6日,宮城 教育大学)において 口頭発表 した内容 に加筆 ・修正 を加 えたものである。 1 )N. Tat e版 Ki n gLe a rにつ いては,Br i anVi c ke r s編 Sh ak e s pe ar e:TheCr i t i c alHe r i t a ge , vol . 1 . 1 6 2 3 ganPa ulLt dリ1 97 4 ) ,pp. 3 4 41 3 8 6にその大部分が収録 されているの 1 6 9 2( London:Rout l e dge& Ke で参照 されたい。 , 2)本稿では 「 喜劇」 とい う用語 を 「 - ツピイ・ エ ン ドを伴 う劇」とい うご く一般的な意味で用いているこ とを, まず予めお断わ りしてお きたい。 3) 『リア王』における喜劇的な要素 について指摘 した論考は,枚挙 に暇がないほ どであるが, ここでは最 も包括的な もの として Su s anSnyde rの TheCo mi xMat r i xo f Sh ak e s pe we' sTy l a ge di e s( Pr i nc e t o n: ,またジャンル論の視点か ら特 に注 目され るもの として Ro nal dF. Mi l l e r , " Ki n g Pr i nc e t onU. P. , 1 97 9 ) Le ar& t heComi cFor m" ,Ge nr e8( 1 97 5 ) ,1 1 2 5の二つ を挙 げてお く0 4) 「ジャンル標識」 ( ge ne r i cs i gnal s ) とい う呼称及び コンセプ トは Al as t ai rFowl e rの Ki nd so fLi おy z 2 - t ur e:AnI nt r o du c t i o nt ot heThe o 7 yO fGe nr e sa ndMo de s( oxf or d: oxf or dUPリ1 98 2 )か ら借用し Ge ne r i cSi gnal s "を参照 されたい。 また本稿で 「 観客」 とい う場合,筆者は 「ジャン た。特 に第 6章 " ル とい う約束事の システムを作者 と共有 し,かつ作品に対 してはいかなる予備知識 も持 たない,例えば ,「観客」の定義 に関 しては,笹 山隆氏の rド 『リア王』初演時の平均的観客」を念頭 に置いているO尚 9 8 2 )の,特 に序章および1 3 章 を参考にさせて頂 いた。 ラマ と観客』 ( 研究社,1 5 ) ジャンル論 と観客論 を接続す るために, 「 期待の地平」とい う用語か らも明 らかなように,Ha nsRo b e r t Jaus sの To u ' a r danAe s t he t i co fRe c e pt i o nt r a ns .T. Baht i( Mi nneapol i s: U. ofMi nne s ot aPr . ,1 9 8 2 ) か ら, 多 くの示唆 を受 けた。 6)テキス トは,Ke nne t hMui r編の Ne w Ar de n版 Ki n gLe a f( London:Me t hue n,1 9 6 4 )による0 7 )た とえば古代 ローマ喜劇全集 ・ プ ラウ トゥス I I( 東京大学出版会,1 97 6 年)収録の 『カスイーナ』や F 商 , 好色な老人」が,喜劇 とい うジャンルに とって,当時既 にス トソク・ キャラクタ 人』を読んでみる と 「 ーであったことが解 る。 8) 『リア王』 と道徳劇 の関わ りにつ いて論 じた ものでは,古 くは Os c ar∫.Campbe l lの " TheSal vat i o n ofLe ar "ELH 1 5( 1 9 4 8 ) ,9 31 0 9,新 しい ところでは Emr ysJo ne sの Sc e ni cFo m si nSh a k e 砂e W - 1 6- Akita University ( Oxf or d:oxf or dU. P. ,1 9 71) ,pp. 1 5 2 9 4お よび Al vi nB.Ke r nanの ThePk 7 yu ) r i ghta sMa gi c i a n ( Ne wHea ve n& London: Yal euPリ1 9 7 9 ) , pp. 1 1 22 8等が代表的論考 といえるだ ろ う。 また筆者 自身 も,秋 田英語英文学第3 1 号 ( 1 9 8 9)掲載の拙稿 「『リア王 』 と/あるいは道徳劇」において この問題 を論 じているので参照 され たい。 9 )S.Snyde rも前掲書で " Ki n gLe afde r i ve sf r om onecome dy 〔 Ki n gLe i r 〕& gi ve spl acet oanot he r 〔 Tat e ' sKi n gLe ar〕. "( p. 1 4 0 )と指摘 している通 り, 『リア王』の種本 である無名氏の Ki n gLe i rも f . The Tr u e Chr o ni c l e また喜劇 であるこ とは,本稿 の立場か らすれば実 に興味深 いこ とで ある.c Hi s t o r i eo fKi n gLe i ra ndThr e eDa u ght e r si nNar 7 1 at i v e& D7 1 ama t i cSo ur c e so fSh a k e s pe we ,Vol . VI Ie d.G.Bul l oug h ( London:Rout l e dge& Ke ganPau l Lt d"1 9 7 3 ) ,pp. 3 3 7 1 4 02. 1 0 ) 『リア王』のお伽話的要素 の もつ意味 につ いての最初 の そ して最 も重要 な指摘 は,恐 ら くフ ロイ トの " TheThe meoft heThr e eCas ke t s "( 1 9 1 3 )i n TheKi n g Le arPe 坤I e x,e d.H.Bonhei m ( Sam Fr anci s co: Wads wor t hPubl i s hi ngCompany, 1 9 6 0 ) , pp. 6 2 4であろ う。筆者 には, フロイ トの鋭 い洞 察が,あたか も患者 を診断す るかの よ うに,この劇 のいわば無意識の部分 を,正確 に探 り当てているよ ゆho l o g yo fFo l kl we( Aus t i n: U. ofTe xasPr . 1 9 6 8 ) うに思 われ る。 またウラジ ミール ・プ ロップの Mo 及 び Th e o r yandHi s t o 7 3 ,O fFo l kl we( Me nneapol i c e:U.ofMi nne s ot aPr. ,1 9 84 )ち,構造 とい う視 ,『リア王』 とお とぎ話 との共通性 につ いて多 くの示唆 を与 えて くれ る0 点か ら l l ) この節は Nor t hr opFr yeの "Wenot i c ehow of t e nt heac t i onofaShake s pear eancome dybe gi ns wi t hs omeabs ur d,c r ue l ,ori r r at i o nall aws . "とい う鋭 い指摘 に, その発想の きっか けを負 うて いる。 c f .Anat o myo fCr i t i c i s m :Fo urEs s a y s( Pr i nc e t on:Pr i nc e t o nU. P. ,1 9 5 7 ) ,p. 1 6 6. 1 2 )I bi d. ,p. 1 7 2 . 1 3 ) テキス トは,G. B. Evans編の Th eRi v e r s i deSh ak e s pe we( Bos t on:Houg ht onMi f ni nCompany,1 9 7 4 ) による。 1 4 )ペ トラル キズムー殻 についての,最 良の参考書 は今 で もや は り Le onar d Fo r s t erの The Ic y Fi y l e , ( Cambr i dge: Ca mbr i dgeU. P. , 1 9 6 9 )であろ うo またペ トラル カの原詩 に触れたければ,対訳形式の R. M. Dur l ng, i Pe t y wc h' sLy n' cPo e ms , ( Mas s ac hus e t t s: Ha r var dU. P. , 1 9 7 6 )が,正確 で便利 である。特 にオ クシモロンとい う技法 につ いては,高久真一氏の 「 Ro me o& J ul i e tにお けるオ クシモ ロン」 ( 北海 9 7 6年,所収)が詳 しい。 道英語英文学 ⅩⅩⅠ号 ,1 1 5)c f . 1 9 世紀半ば までテ- ト版 『リア王』が原作 を凌 ぐ人気 を博 していた理 由 も, この ジャンル標識 とい う 視点か ら,ある程度説明が付 くのではあるまいか。つ ま り,チ- ト版 とは,原作で は中絶 させ られた観 客の漠然 としたジャンルへの期待 を満 たすべ く,劇 をジャンル標識が指示す る方向へ発展 させ ていった ( つ ま りエ ドガ一 に仏王の役 を振 り,コ-デ リア との恋愛 を物語 の中心 に据 えた),言わばあ りうべ きも うひ とつの 『リア王』 なのである。 1 6 )Mi l l e r ,op.° i t . ,p. 5. 1 7 )通例 こ うした作劇術 はジャル ・ミクスチュア とい う技法 として整理 されている。 またその狙 いにつ いて は,R. L.Col i eの TheRe s o ur c e so f Ki nd:Ge nr e The o 7 yi nt heRe na i s s a nc e( Be r ke l e y:U.of Cal i f or ni aPr . ,1 9 7 3 )における " t oco nve ys ome t hi ngoft her angeandvar i e t yofhumanexpe r i e nc e" ( p. 9 6 )とい う説明などが,おそ ら く現時点では最 もス タンダー ドな ものだろ うO 1 8 )つ ま り筆者 は 『リア王』 にお けるシェイ クス ピアの作劇術 を, ロシア ・フォルマ リズムでい う 「異化」 の技法 に類似の もの とみな しているわけである。「 芸術 とは作 品 を異化す る技法 ( 仕掛 け)の総体 である」 とす る Ⅴ.Shkl ovs kyのテーゼ を, シェイ クスピアは劇作家の本能 によって既 に見事 に実践 していたの ではなか ろ うか。cf .V.Shkl ovs ky," Ar tasTechni que",i nL. T.Lemon& M. J.Rei s( t rams.& eds. ) , Rus s i anFor mal i s tCr i t i c i s m :FourEs s a y s( Li ncol n:U.ofNebraskaPr. ,1965) ,pp. 324. - 17- Akita University 1 9 )この よ うないわば 「異化」とも呼 び得 るよ うな作劇術 を, シェイ クス ピアが, その最初期の作 品か ら既 に体得 していた可能性 につ いては,拙稿 「 TheCo me d yo fEr r o y s試論一文体上の仕掛 け とその効果に 高知大学人文学部学術研究報告 第3 2 巻 ,1 9 8 3 年) を参照の こ と。 つ いて-」 ( - 1 8-
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