その2 - 小山清二による新しい国家社会の建設を目指して

29.18才まではオートバイや携帯電話を禁止(2001年9月27日)
権利には、責任と義務が伴うのである。責任と義務が果たせないで,権利ばかり主張するものではない。
現役の高校生らしき方からの問い合わせに対して、一言述べておく必要性を感じたので記載する。何
故に、18才までは、オートバイや携帯電話を禁止するかと言えば、18才と言えば、肉体的にも精神的に
も進学か就職かで人生の大きな岐路に立たされる時期に当たるし、精神も不安定な時期に置かれる傾
向が強いと思われるからだ。勿論、個人差もあり、運動神経や反射神経が抜群であったり、判断能力が
優秀な者もいることは否定しない。しかしながら、多くは事故に巻きこまれていく傾向が多いのも統計上
からも事実である。多くの高校でも禁止している状況でも解ることだ。
そして、オートバイは日常生活上に置いて、絶対不可欠なものではなく、自他共に非常に危険な玩具と
でも言えるものだ。そうした高価で危険な物は出きるだけ禁止して、人生の岐路に際しては、目下の関心
事から遠ざけて、目的に向かって専念できるようにすべきであろう。僅かな2,3年ぐらいはむしろ心身の
鍛練に当てるべきであろう。オートバイ乗りに必要な基礎体力や精神力の訓練期間と割り切って行ったと
ころで何の損があるであろう。健全な青少年を事故や経済負担からもむしろ守っていくことになるだろう。
個人差もあることは承知しているが、一部の特殊で有能な連中の例外を一般化し普遍化させるのでは
なく、大多数の未熟な連中のことを考えて、原則を優先させて全体的且つ画一的に対処して行かざるを
得ないだろう。個別の能力判定など不可能だからである。携帯電話にしても、日常生活に不可欠のもの
ではなく、経済負担の大きさや、贅沢になれることから来る金銭感覚の麻痺を無くし、健全な精神感覚を
養成することに多大なる障害があるからだ。未成年の内に、肉体的にも、精神的にも苦しさや健全な金
銭感覚を身に付けていくことが必要であろう。そうしないと目下喧伝されているような道徳教育とか倫理
教育とか、更にはボランテイア精神の涵養とかの教育が絵に描いた餅になってしまうであろう。
もっとも、そんな教育理念は拒絶すると言うのならば、社会に対する挑戦である故に、法律に訴えても
厳禁にしていくことに成らざるを得ないだろう。道徳や倫理などは本来、法律化すべきものではないが、
余りにも常識的なものが無原則的になし崩し的に崩壊していくのならば、残念ながら、法律で取り締まっ
た教え込まなければならなくなるだろう。
自己責任を徹底させる意味からも、また自己負担の原則を教え込ませるためにも、更には経済的な贅
沢品や危険な玩具を未成年者の日常生活や学校生活に持ち込ませないためにも必要と考える次第であ
る。こうした高価で贅沢品、また危険な物は、自分で労働して得た金銭で購入し、自己責任の下で、正し
い金銭感覚を養いながら、また、社会的な責任を果たせる義務感を涵養しながら自己管理し、自己獲得
していくべきと考える。全ては健全な青少年の育成と安穏な社会の基盤作りの為である。
なお、オートバイも乗用車も共に危険であることは否定しないし。また、大人も子供も共に危険であり、
同様に危険の程度はかなり異なることも否定しない。問題は、危険の発生に対して何処まで自分で責任
を取れて、自己管理できるかどうかであろう。これは何も車に限らず、飲酒やタバコ、結婚や労働、選挙
権等に対しても当て嵌まるものだ。それ故に、法律は一応、社会政策的に一定の制限を課しているわけ
である。国民の間にも、勿論、才能や適正において個人差はあるのも現実だ。しかし、そう言うことは判
定が複雑になり、やむを得ず、統一的且つ画一的に法律や規則で決定して行かざるを得ないのである。
オートバイも単に操縦技術や肉体的な腕力だけでは、単なる操縦技術の適正は図れても、責任感や義
務感といった総合的な真の適正は判断することはできないだろう。即ち、事故に対する責任の取り方が
出来るかということが大切なのである。親の親権に服している未成年者には、責任が生じない場合が殆
どである。そのような無責任者の未成年者に危険な物を与えることを社会政策として制限していくことは、
本人のみならず、他人の生命や財産も保護すると言った社会的な要請であると言えるであろう。
パソコンの操作のように、オートバイも子供は確かに大人以上に簡単に覚えることでしょう。しかし単に
操縦技術のみの問題ではなく、先述したように、責任や補償に関する判断力を考慮して18才という制限
が妥当であろうと考える次第である。運動神経抜群のスポーツマンのような子供には、大人顔負けのよう
安穏なる国家社会の建設に向けて: 73
な操縦が出きる者もいることは確かであろう。
しかし、大人顔負けの責任は取れるであろうか。法律が責任を一部免除して、親権者の親に責任を課
している以上、単なる操縦テクニックだけの問題では解決できないであろう。これは種々の契約に関して
も、例えばオートバイも購入に関する契約の主体にも、未成年者自身は単独では成り得ないし、そういう
ことも併せて考慮していく必要があるだろう。
どうしても、18才未満でオートバイに乗りたいというならば、購入資金、維持管理資金、保険金の負担、
事故が発生した場合の補償金の負担、そして場合によっては刑務所に入って罪を償う覚悟が出来て、契
約責任を果たせる者に限って、責任能力あると見なして例外的に解禁しても良いであろう。果たして、一
体何処まで実行できる若者がいるであろうか。
殆どの若者が、権利ばかりを主張し、責任や義務を親や他人に押し付けることは、とんでもない甘やか
しで溺愛であろう。当の高校生は、危険な物を子供に与えないことが子供への溺愛だと理屈を抜かして
いたが、全く逆であり、多くの未成年者の思い上がった自己中心で利己的で無責任者の現実を見ること
が出来た。現在の大人も同様に、権利ばかりを主張することが多いようで子供にも伝搬しているようだ。
なお、携帯電話やオートバイのように、便利だからと言う理由で、無原則的、無制限的に放任して解禁
していくことは、いろんな面で悪い影響があると言えるだろう。自分で働いて獲得し、責任を取れない以上、
贅沢品や高額品、危険な物は、極力、厳禁にして排除することは、本人の健全な精神発達にも多いに役
立つことだろう。そして、子供の世界で変な優越感を抱かせて健全な精神の発達を阻害しない配慮も大
切であるからだ。目下の子供の思い上がった心情は、食べ物による急成長から来る身心のアンバランス、
そして物質的、金銭的な生活環境に取り囲まれた状況により、責任感や義務感が健全に醸成されない内
に、便利さ、快適感に酔いしれて権利ばかりを主張する自分中心の思考しかできなくなってしまっている
のであろう。
携帯電話においては、今や最低でも1ヶ月で1万円は使うようであり、普通は4,5万円も多いようだし、
最高は高校生で28万円にも達しているようだ。全ては親の負担であり、お金の有り難みを心底から理解
しない無責任の世界を形成しつつあり、極めて不健全な精神を醸成していると言えよう。それに授業中で
も、受信のベルが鳴ったり、互いに電話のやりとりをして、授業を軽視して心が上の空の現象が横行して
いるらしい。
教室や学校は一種の静穏さが求められているのに、こうした騒々しさや雑念の世界に身や心を置いて
どうして健全な精神が涵養されうると言うのであろう。要するに、学校という一種の厳粛さを必要とする環
境は、携帯電話という玩具(おもちゃ)を玩(もてあそ)ぶ遊技場や娯楽場ではないと言うことを今一度、思
い起こさせることであろう。。
また、戦後間もなく、二宮尊徳の薪を担いで本を読んで歩きながら勉強している銅像を、教師の方々は、
歩きながら本を読むことは危険だからと言って排除していった経緯があるのに、今や歩きながら電話した
り、危険なオートバイも放任しているところがあるのもおかしな話であろう。もっともオートバイはかなりの
高校で禁止しているのが多く、極めて正常であろうと思われる。教師も殆ども権利ばかりを主張するとこ
ろから、生徒もそうした傾向に染まっていくのは、当然であり、子供はむしろ大人の世界の犠牲者とも言
えるであろう。確かにオートバイの件は、国家社会の改革に関しては些細なことかも知れないし、最後に
登場する課題かも阿知れないが、案外、身近で差ほど気付かないが重要な問題とも言えるであろう。
なお、こういうことは、18才未満の子供も含めた多数決で決めたり、各個人の自己責任で自由に出来
る性質のものではないことは常識であり、社会政策的なものと言えよう。目下、民主主義とは子供も含め
た全員の多数決によるものといった馬鹿げた考え方が、一部の教師を中心に蔓延しているようだ。校長
の権威や責任もあったものではない。誰も責任を取らずに権利ばかりを主張するといった悪しき民主主
義が広まっているようだ。
ところで、オートバイが危険であると言った考えは、当然に、時代と共に変化していくこともあり得るだろ
安穏なる国家社会の建設に向けて: 74
う。例えば、安全な道路や車が完成したり、18才未満の子供にも操縦を要求するような社会的な要請が
出てきたり、結婚年齢が低年齢化して、結婚者の18才未満の者に成年と見なして責任を負わせることが
出きるようになったりしたら、オートバイも18才未満の者に対しても解禁も可能になることは否定しない。
ところが、現在の種々の状況では矢張り禁止していくことであろう。
要は、先述したように、権利には義務が伴うと言うことである。最近は、大人も子供も共に、権利ばかり
主張して、義務とか責任は全て他人任せにする傾向があるだ。多くの子供は、親が当然のように、監督
責任は補償責任があるように言うが、ここにこそ大きな問題があると言えよう。多くの子供は、自分がもし
も他人に対して、不当に高い責任や補償を背負い込むような負担を強要されたらたまらないであろう。親
子の間にも同様なことが言えるのである。当方の見解を、子供に対する溺愛と言う者もいるが、全く逆で
あろう。親に全ての責任や金銭的補償を集(たか)ってまで解禁することほど、子供を甘やかせていること
になるだろう。
子供に責任能力が生じるのは一応、法律でも18才ぐらいが妥当であろう。親に全ての責任、オートバ
イで言うならば、契約に伴う契約の主体、購入に伴う金銭的負担、保険の負担、維持管理の負担、事故
等における金銭等の補償に関する負担を全て親に任せて、それも当然視するなどは以ての外であろう。
子供の方から、子供の楽しみや便利さや娯楽を奪うなと、一方的に言うことは、しかも、責任や金銭は当
然親が負担するものだと言うことは、全く権利ばかり主張して義務や責任を無視した勝手な自分本位の
考え方と言えるだろう。そうした考え方を厳しく排除し制限していくことが狙いであり、目的なのである。
18才までゆっくりと責任感が生じ、また社会に対する義務感等が身に付くまで、心身の鍛練に勤める
べきである。決して2,3年ぐらいは遅くないはずである。現在は余りにも、青少年者が、食べ物や物質的
な満足から、成長しすぎてしまったところに大きな錯覚や誤算、自分中心の考え方が次第に蔓延しつつ
あると言えるだろう。なお、権利ばかり主張して義務を忘却しているのは大人の世界でも同じことが言え
るし、むしろ大人の考えの子供への反映とも言えるであろう。例えば、原子力に反対しておきながら、自ら
の電力の消費は落とすように協力はせずに、全て政府の責任にする傾向が強いと言えよう。
しかしながら、もうじき日本は国家破産し崩壊することであろう。当方の考えの普及も、平時では不可能
であり、正に国家社会の崩壊後に焦点を合わせて実践しようと思っている次第だ。その前提として、国民
の意識が変わらなければならないからである。その為には、大きな災難が降りかかってこなければ、多く
の子供や大人も解らないからである。良薬でも大病を経験しなければ、容易には飲まないことでも解るこ
とだろう。
これからの改革は、国民みんなが理解し付いて来なければならないことも確かである。従って、国民が
鳴くまで待とうホトトギスの心境なのである。決して強制するつもりもない。しかし、国家社会のレベルで、
一旦決まったら従って貰う以外にないであろう。決まっても勝手にすることは無法者とも言えるし、許され
ることではないだろう。その内、新しい時代の夜明けが到来することであろう。それは換言すれば、亡国
の危機であり、時代の破局に他ならないであろう。
30.狂牛病問題(2002年4月30日)
追記1:
追記1
: 米国でも遂に狂牛病が発見された(2003年12月31日)
目下、話題になっている狂牛病の正式名称は「牛海綿状脳症」(BSE)であるが、英語のマッド・カウ・デ
ィズィーズ(mad cow disease)の訳語であり、この言葉の通り、牛が狂い死にする病気である。狂うと言っ
ても何も凶暴になるわけではなく、むしろ反対の元気を喪失し人間で言うならば、痴呆状態になるといっ
たものだ。従って、正確に症状を表示しているとは思えない。テレビでも口から涎(よだれ)を垂らしながら
這い回っている牛の姿が放映されていたが、大方の人の印象は最初は薄気味悪いものであったろう。そ
れからそれらの牛が大量に焼却処分されて煙が立ち上る光景が映り出された。
大半の牛にこの気味悪い病気が発症している訳ではないのだが、その危険性が少しでも有ればと言う
安穏なる国家社会の建設に向けて: 75
ことで、人間に感染する前にその可能性を見越してこれまでにイギリスだけでも100万頭もの牛が焼却
処分にされた。煙の立ち上る光景をテレビで見た方も多い者と思われる。実に、欧州全体では、実に23
0万頭が焼却処分にされた。
狂牛病が最初に発見されたのは1986年のイギリスだった。まず、イギリスでの対応が大きく遅れて被
害拡大の原因の背景を振り返ってみると、人間には感染しないと言う立場が長年支配的であったからだ。
狂牛病の発生から1996年までの実に10年間、牛の異常が報告されていたにもかかわらず、政府当局
や研究者がその存在を認めなかったものだ。これまでに世界で狂牛病は110人発生したが、大半が英
国で発生している。
狂牛病は、動物性飼料によって、種の壁を越える感染であり、共食いによる感染が原因のようだ。病気
の羊の肉の内臓やくず肉の部分を粉にして牛の飼料に混ぜて食べさせていたら発病したようだ。感染経
路にしても水平感染(仲間感染)と垂直感染(親子感染)の両方の可能性があり、変異型クロイツフエル
ト・ヤコブ病の急増が指摘されている。
そして、日本での経緯においては、政府の対応は場当たり主義的であり、特に農水省と厚生労働省の
責任の押し付け合い、縄張り意識が災いしている。資料の管轄は農水省で、食品になると厚生労働省と
いった縦割り行政の弊害である。そして農水省は2001年10月4日に飼料としての肉骨粉を全面禁止し、
その後、不可解にも11月1日に解禁している。
なお、全面禁止する直前に、肉骨粉の大量使用も明らかになっており、既に畜産業界に全面禁止の情
報が流れており、駆け込み使用が指摘されているようだ。その後、当時の事務次官が畜産関係の業界団
体に天下りして、世間から糾弾されて即刻退職したことでも解るように、極めて不可解な癒着体質になっ
ていると言えよう。
当初、日本への上陸の危険性は否定されていた。感染源の追求の姿勢が曖昧であった。感染牛の行
方も不明瞭であったようだ。日本で感染牛発生は1996年で、10年間は何も問題がなかった。と言うより
も、偶々潜伏していた可能性があるか、病状が発生する以前に狂牛病に感染した牛を処分していた可能
性も指摘されている。
政府の取った肉骨粉の一部解禁も怪しい限りだ。一説によると、同和と皇室に関係があるらしい。即ち、
畜産業界に同和関係者が多く関与している現実と、牛肉エキスをカップラーメンを初め食品に大量に使
用している日清製粉系企業に対する影響であるようだ。後日、カップラーメンなどのキャップには、肉骨粉
は使用しておりませんとの表示がされるようになったが、雪印のケースもあり、中身はそのまま廃棄しな
いで、キャップのみ交換した可能性も高いようだ。そう簡単に損失覚悟で良心的に大量廃棄することは考
えられないものだ。このままでは、第4,5の狂牛病(BSE)の発生は確実であろうと指摘されている。
ところで、狂牛病の検査は何故間違えるのか。分解酵素とモノクローナル抗体、エライザー法とウェスタ
ンブロット法、屠畜場で延髄の中心的なカンヌキを検査、権威争いで延髄のカンヌキを持ち去った後で周
囲を検査した結果、問題無しとしたようだ。症状が進展しないと検査不能であることも事実だ。牛死亡と病
状進展と延髄抽出による検査方法確立している。なお、尿や血液からも検出できるようだ。
プリオンの異常が原因の病気で、目下、プリオン仮説が有力だ。一方で、プリオン自体がリンパを伝わ
って感染し、リンパから沢山抽出されるから、正常なプリオンが異常なプリオンに転化するものであり、そ
の感染性から、ウイルス説も強いようだ。なおプリオンとは蛋白質であり、DNA-アミノ酸-蛋白質の経
路で、遺伝と感染で転移するようだ。
ところで、蛋白質の立体構造には、α へリックスと β シートがあるが、前者の α へリックスは正常であ
り、後者の β シートは板状で異常で分解されなくなるもので、これはアルツハイマー病と同じ板状構造を
有しランダムであり、アルツハイマー病と類似(β アミラーゼ)しているが、決定的な違いは感染の有無で
ある。すなわち、狂牛病は感染するのに対し、アルツハイマー病は感染しないといった違いである。
これには、感染に際しては、核酸の不在によるとかで、スローウイルス説、マンガン説が指摘されている。
安穏なる国家社会の建設に向けて: 76
感染にも経口感染と接種感染があり、良く解っていない面も多い。今のところ、ブタ、ニワトリでは感染し
ないし、ネコは感染するがイヌは感染しないようだ。しかし、ブタでも飼料により経口感染しないが、プリオ
ンを注射すると感染する。
さて、イギリスでも10年間以上の肉を食べないで菜食主義を実行してきた者が感染しているらしい。そ
の背景を分析すると、何と10年以上も前に安価なソーセージを好んで大量に食べていた時期に感染し
たらしい。それほど10数年間も菌が潜伏しているらしい。
色々な動物が感染し、例えば、ミンク、羊・山羊、ネコ・ピューマ・チータ・オセロット、シカ・エルクに可能
性があり、特にミンクは血液感染性が強いようだ。人間においても、様々な呼び名で呼ばれている。例え
ば、クールー、クロイツエルフェルト・ヤコブ病、変異型クロイツエルフエルト・ヤコブ病、ゲルストマン・スト
ロイスラー・シャインカー病、致死性家族性不眠症である。後者の二個は遺伝性が強いと言われている。
なお、クールーは、死者を敬うための習慣としての、ニューギニア高地の先住民の人肉食が原因で、男
性が肉を食べ女性が内臓を食べていた習慣から故に、女性に多く発生していた。しかしながら、目下のと
ころ、一体、何処までの量で感染するのかは不明である。
共通する病気で羊のスクレーピー、牛の狂牛病、人間のヤコブ病が指摘されているが、これらは症状が
そっくりで感染するのも同じである。実に種を越えて感染していくことがこれまでに無かったことと言えよう。
クロイツフェルト・ヤコブ病やアルツハイマー病と狂牛病は症状が良く似ているが、前二者が、脳の特定
個所の損傷であり、主に海馬(かいば)と呼ばれる脳の部分の損傷なの対して、狂牛病は脳内のどこに
でも入り込んできて損傷するのだという。
ところで、狂牛病と良く似たものに口蹄疫があるが、この口蹄疫の方は、狂牛病よりは遅れて2001年
の2月頃から騒がれた。口蹄疫の方は明らかに家畜の伝染病(疫病 an epidemic )であるようだ。口蹄疫
は、英語の「foot and mouth disease」(フット・アンド・マウス・ディズィーズ)の訳語である。この アンド の
部分を縮めて「foot'n mouth disease」(フットン・マウス・ディズィーズ)とも呼ばれるようだ。
当初は牛と豚などの蹄(ひずめ)のある動物に感染していたようだ。英語ではひずめは「hoof」(フーフ)
であるから、口蹄疫という動物疫病は元々は「hoof and mouth disease」(フーフ・アンド・マウス・ディズィー
ズ)だったのだが、次第にひずめの無い動物にも感染するようになったので、今では「フット・アンド・マウ
ス・ディズィーズ」と呼ばれるようになったのだそうだ。この2001年2月からヨーロッパで騒がれて千箇所
以上で発生が報告されたが、5月には大方終息に向かったようだ。イギリス政府は、口蹄疫の伝染を阻
止する為に340万頭の豚と羊を殺したようだ。
この対策に際してはワクチンの効き目もあったのだろうか。このワクチン(vaccine)が種痘であり、この
語の(vaca)という部分はラテン語で牛の意味であるそうだ。19世紀から20世紀の始めにかけて世界中
で蔓延した天然痘は「cowpox」(カウ・ポックス)と言って、やはり牛から人間に感染した伝染病ではなかっ
たのかと一部では指摘されているようだ。日本でも幕末に長崎に上陸して流行したようだとも報告されて
いる。
ここで、このように狂牛病と口蹄疫とは異なるもののようだ。しかしこの2つの病気はやはり似ている面
も多い。この2つの家畜に見られる現代病は事物の両輪の関係にあり、共通した側面を有している。即ち、
狭い畜舎に多くの牛がぎゅーぎゅー詰めにされて押し込められ、人工飼料を沢山与えられて飼育された
為に発生したのであろう。そして、その原因が、牛も羊も本来は草食動物なのに、年老いて用済みになっ
た牛や羊のくず肉(廃用肉)を粉末にした飼料(肉骨粉)を食べさせられていたので発病したようだ。
自分と同種の動物の肉を食べさせられ続ければ、結果的には共食いになるもので、当然に自然の法則
に反しているわけで、その動物に異常が発生していくことになるだろう。この危険性は、一部の研究者の
間でも既に指摘されていたことだ。ここに狂牛病の発生のの背景には、人間の天理に反する恐ろしい行
為に警鐘を鳴らす意味があるようだ。これは正に神仏の怒りに触れる人間の愚かしい限りの所業でもあ
るようだ。
安穏なる国家社会の建設に向けて: 77
だからその異常なプリオンなるタンパク質の半生命体のような不気味な物質の蓄積した牛や羊を飼育
し、その肉を人間が食べて発病したのだから、これは正に天罰とも言えるであろう。そもそも草食動物を
肉食性に変換させて肥え太らせ、また肉骨粉を与えてバターを製造しやすくするために、乳脂肪率を向
上させるという考えが反自然的で根本的に間違いであろう。
ところで先述したように、水平感染と垂直感染に関して言えば、水平感染とは種の壁を越えて感染する
もので、極めてこれまでの常識を覆すもので非常識である。即ち、羊から牛へ、そして人間への感染であ
る。種の特異性と感染性が特徴と言える。羊・山羊・牛・ネコ・ミンク・人間と、実に種の壁を越えて感染す
る点で特異なケースである。一方の垂直感染は親子感染のことである。
ここで、飼料の問題に関して言えば、現在、実に混乱の極みである。動物性飼料、飼料添加物、遺伝子
組み換え飼料・飼料添加物、ホルモン剤・抗生物質・抗菌剤・寄生虫駆除剤等と、自然違反したものが無
数に使用されており、健康面や安全面からも大いに問題があると言えよう。
また、食品汚染の面に関しても、牛乳、肉、牛肉エキス、骨粉・血粉(健康食品)に問題が指摘されてい
る。実に牛乳は初乳が危険であり、蛋白質の固まりであるようだ。肉骨粉は多量の乳を出すことが解って
以来、乳脂肪分を3.5以上にするという政府の指導により、バター会社の陰謀とも思えるほどに大量の
肉骨粉が使用されてきた。単なる草のみでは乳脂肪分が3.5%以上には成らないようだ。3.5%以上
にするためにどうしても肉骨粉が必要であると言うことだったようだ。
一体、牛のどの部分を食べると狂牛病が人間に移る可能性があるのか。病原体とされるタンパク質「プ
リオン」は牛の脳や脊髄など特定の部位に集中していることが解っている。危険な部位を取り除いておけ
ば食べても安全というのが政府農水省の立場だ。
欧州連合(EU)医薬品審査庁では、牛の体内でプリオンが蓄積し、高い感染性を持つ部位として脳と脊
髄、目の3カ所を指定。中度の感染性を持つ部位としては回腸(小腸の終末部)やリンパ節、胎盤などを
挙げた。このうち回腸は小腸(ヒモ)の一部として食用に出回っていた可能性がある。
一方で乳腺や牛乳や心臓(ハツ)、一般に食肉となる骨格筋には感染性は無いとしている。牛の場合、
血液からは異常プリオンは見つかっていないため、ステーキなどに血が混じっていても大丈夫だ。これら
のデータは感染牛の様々な部位から取った組織をネズミなどに移植して感染性を調べて得られたもの。
現在の技術では異常プリオンが食品に含まれているかどうかを直接検査するのは不可能だ。
万一脊髄などに含まれる病原体が解体されるときに飛び散って周辺部を汚染したとしても、検出する手
法はない。このため欧州では脊髄に近い部位の骨付き肉を食用にしない動きもある。加工食品メーカー
も使用する牛エキスやゼラチン等に脳や目などの特定部位が入っていないことを確認した。消費者心理
を考慮して、牛エキスの調達先を国産から非発生国の米国や豪州に切り替えたり、豚・鶏原料に替える
動きが加速している。しかし、後述するように、米国産といえども、環境ホルモンや抗生物質の問題の別
の理由から必ずしも安全とも言えないようだ。
現在の牛乳はその乳脂肪率のあまりの高さに、当の子牛が飲んでも下痢をし死亡率が高いようだ。実
に子牛のための乳ではなくなっているようだ。現在、人間は子牛が生きられない牛乳を飲んでいるとも言
えるわけで、実に乳業メーカーの陰謀とさえ思われてくるようだ。
実に、狂牛病の汚染の対象は何も乳製品等の食品だけではない。医薬品などにも汚染対象が拡散し
ているようだ。実に医薬品(添加剤・製造剤)、香料、歯磨き、合成洗剤、ゼラチン・コラーゲン、肥料用骨
粉に広く蔓延しているようで、専門家でも業者でも、ましてや政府当局でもその実態が正確に把握できて
いないようだ。
製薬・医療機器各社もリスクが低い国への、国産牛から抽出したコラーゲンなどの調達ルートの切り替
えに乗り出した。化粧品メーカーも牛の胎盤から抽出したプラセンタエキスを美白化粧品の成分としてい
たのを、既に政府の通知に従い、3月までにビタミンCや豚の胎盤などに変更した。
ところで、日本における動物性飼料の輸入量に関しては、肉骨粉は1975年の77,993トンから199
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5年は231,963トンへと3倍に増加し、総計では1975年の198,433トンから1995年は924,709
トンへと5倍弱へと増加したようだ。なお、肉骨分の輸入先は2000年で1位がオーストラリア、2位がニュ
ージーランド、3位がイタリア、4位がデンマークである。オーストラリアやニュージーランドは肉骨分を自
国では使用しないで外国に輸出していたことになる。また、イタリアやデンマークでは、狂牛病が自国で
発生してからも原因の肉骨粉を輸出していたことになる。
なお、農水省は畜産農家に対して、肉骨粉は牛に飼料として与えなければ大丈夫と指導していたと言う
が、畜産農家は、そのようなことは聴いていないと言うし、牛に供与していた可能性が高いようだ。種を越
えて感染する以上、農水省の一枚の薄っぺらな百数十字のメモ程度の行政指導通達は大変お粗末であ
ったと言えるであろう。米国などは比較的早い段階で、狂牛病に関する危険性を警告し、欧州の様々な
事例を紹介したビデオを制作して解りやすく啓蒙を普及させていたようだ。
一部では、英国では牛の数が18万頭に対して、狂牛病が発生した人間が110人弱、日本では狂牛病
に感染にした牛が3頭だけ発見したに過ぎないから、実際に人間には1人発見されるかどうかの確率で
あるから、それほど大騒ぎすることでもないと言った見解があるが、本質的な問題を軽視したものであろ
う。畜産の在り方の根本的な問題に対する警鐘を鳴らしていることに思いが至らないようだ。
目下、米国や豪州は肉骨粉を使用していないから安全だと喧伝されているが、アメリカ産は別の観点か
らとても安全とは言えないよう。即ち、肉骨粉よりももっとひどい成長ホルモン剤が投与されており、アメリ
カ牛の9割に該当するようだ。牛の一番活発な細胞を刺激して成長ホルモンを投与して活性化するもの
で、それは正にガン細胞であることが危険性として指摘されている。その上、抗生物質の使用もアメリカ
は実に多い。なお、豪州は今のところ比較的少ないと言えるようだ。
しかし、今度はオーストラリアで炭疽病の牛が発見されたと報告されている。某夕刊紙の2002年1月1
2日の報道を紹介すると、「オーストラリア検疫検査当局は9日、クイーンズランド州の牧場で飼育されて
いた牛のうち10頭が炭疽菌に感染し、死亡したことを明らかにした。オーストラリア産牛肉は、狂牛病騒
ぎで国産牛が敬遠される中で、「安全な牛肉」とされてきたが、どうやらそれも怪しくなってきた。いまだに
狂牛病の感染ルートを特定できない国産牛に加えて、オージービーフもヤバいとなったら、一体何処の牛
肉を食えばいいのか。」と言う。
「炭疽菌は十分に加熱処理をすれば問題はありません。ただ、菌は血液中にあるので、どの部位なら
安全とは言えません。感染しても抗生物質を投与すれば治りますが、放置すると敗血症に陥り、死亡す
る危険性があります。」と帯広畜産大学助教授・牧野壮一氏は指摘している。また「炭疽菌は狂牛病のよ
うに潜伏期間が長くなく、感染した牛は数日で発症するから、市場に出回る可能性は低いといわれるが、
それでも過去に日本でも牛肉から感染した例があるという。もう牛肉の人気はガタ落ちである。」と某夕刊
紙1月12日が伝えている。
ところで、狂牛病にかかった牛の発見が次第に拡大して行くにつれて、牛肉相場の下落や食品の原料
切り替えなど影響は広がっている。政府は牛の大がかりな検査に近く乗り出すが、日本での感染経路は
依然として未解明のままだ。人間への感染リスクがどの程度なのかも不透明さが残っている。
感染経路としては、2001年12月16日の某大手新聞報道によると、政府農水省は狂牛病疑惑のルート
を絞り込んでその解明を急いでいるという。それを以下に紹介しよう。
全国で狂牛病の全島検査が始まって間もなく2か月。9月に見つかった千葉県の牛に続き、北海道、埼
玉県で、狂牛病に感染した牛が見つかった。三頭には1996年春生まれなど共通点が多く、農水省は、
(1)飲んでいた代用乳にオランダの動物性油脂が混入、(2)イタリア産お肉骨粉が何らかの理由でエサ
の飼料に混入、(3)狂牛病発生国の肉骨粉が非発生国を経由して流入-などの感染ルートを中心に、
絞り込みを急いでいる。
1.オランダ産油脂
安穏なる国家社会の建設に向けて: 79
農水省の調査によると、三頭はほぼ誕生日が同じ。いずれも雌のホルスタインで、5歳で乳牛として使え
なくなり、食用に回された際に感染が見つかったという点でも一致していた。
特に注目されるのが、幼少期に飲んでいた代用乳が、いずれも全国農業協同組合連合会系の配合飼
料メーカー、科学飼料研究所の高崎工場(群馬工場)で製造されていた点だ。
代用乳は通常、生後7日から約1か月までの間、母乳の乳の代わりに与え、成分は脱脂粉乳や動物性
油脂、血漿タンパクなど。農水省の調査で、この代用乳には1997年に狂牛病発生国となったオランダ製
の動物性油脂が含まれていたことが解った。
厚生労働省の狂牛病専門家会議の座長、品川森一・帯広畜産大学教授は「動物性油脂は、狂牛病の
病原体であるタンパク質(異常プリオン)が混入する可能性もある」と話す。
狂牛病の潜伏期間は平均5年。ちょうど三頭の感染牛の年齢と一致する。「オランダで製造された動物性
油脂に感染牛の異常プリオンが混入。それを含んだ代用乳が子牛に与えられていたら・・・」という仮設も
成り立つ。
2.イタリア肉骨粉
従来から感染源の有力候補である肉骨粉の輸入ルートの解明も進む。
「イタリアの肉骨粉工場ではかつて、日本と締結していた衛生条件を守っていなかった疑いがある。」農
水省の某審議官は11月末、感染源の調査の中間報告を発表した。日本とイタリアが締結していた衛生
条件は「湿熱136度で30分加熱」。異常プリオンの感染性を無くすのに十分な条件だった。だが農水省
が今年10月に職員を派遣して聞き取り調査をしたところ、この工場が基準を満たすのに必要な加圧器を
新製したのは98年6月だったことが分かった。
財務省の貿易統計によると、日本はイタリアから95~97年の3年間で186万トンお肉骨粉を輸入して
いる。イタリア政府は先週「それまでは加熱器を使っており、98年6月以前も適切に処理していた」と回答
してきたが、農水省は「まだ不明な点がある」として、更に詳しく調べる。
3.非発生国を経由
農水省はオランダ、イタリアなどの狂牛病発生国からの上陸ルートを調べる一方、発生国以外で日本に
肉骨粉を輸出していた韓国、フイリピン、インドネシアなどにも担当官を派遣した。狂牛病が蔓延していた
英国から大量に輸出された肉骨粉が「非発生国」を経由して日本に輸入された可能性を探るためだ。
このほかの感染ルートとしては、
1.狂牛病の発生源となったと見られる羊の病気「スクレイピー」に感染した国内産の羊の肉骨粉牛に与
えられていた。
2.感染牛から作った輸入肉骨粉が混ざった「魚粉」が与えられていた
3.今回の発見以前から国内に潜伏していた感染牛が肉骨粉になって与えられていた-といった可能性
も指摘されている。
農水省は「有りとあらゆる可能性を徹底して調べたい」としている。
今、日本で流通している牛肉には、1.乳を搾り終えた老齢の雌の乳牛(廃用牛のこと)、2.同じ牛で
も最初から肉牛として育てた雄の肥育牛、3.肉専用の和牛の主に3種類がある。これまで日本で見つか
った狂牛病の牛はどれも廃用牛だ。同じことは英国にも当てはまる。英国では1986年の発生以来、約1
8万頭の牛が発病したが、その内8~9割が廃用牛だった。この事実は以外と知られていない。
英国の狂牛病問題に詳しい欧州議会・調査研究部長のリチャード・ノース氏(英国人)は昨年、来日して
次のようなコメントを残した。「英国では狂牛病の大半は廃用牛で生じた。(日本の和牛に当たる)アンガ
スなど肉専用種では発生していない。なのに英国人は自国の牛肉全体を買わなくなった。その結果、全
安穏なる国家社会の建設に向けて: 80
農家の2割近くに当たる約6万個の畜産農家離農した。今の日本は英国と同じ状況になりつつある。自
国の畜産業が潰れる方が余程深刻である。」肥育牛は何も絶対に安全であるとは言っていない。自国の
畜産業を潰すほどのリスクはないと言っている。日本でも同じことが言えるのではないかと思われる。
何故なら、日本のスーパーなどで売られている大半の牛肉は廃用牛ではなく、最初から肉牛として育て
られた雄の肥育牛や和牛だからだ。現在、食肉用に年間約130万頭の牛が出荷されている。廃用牛の
占める割は正式な調査がなく、はっきりしないが「廃用牛の大半が格付け外の下級肉なのでステーキに
なるようなことはない。」(農水省食肉鶏卵課)全国食肉事業共同組合連合会(東京)では「廃用牛は脂が
黄色く、肉も硬い。多くは挽き肉やペットフードに回る」と言う。
となれば、流通業者はどの種類の牛肉かを、はっきりと表示して牛肉を売ることが必要であろう。「国産
牛」だけの表示では、廃用牛なのか、乳牛の雄の肥育牛なのか分からない。その素性を明確にすれば消
費者に区別が付く。肥育牛のリスクが低いのは飼育過程からも言える。肉骨粉はもともと乳牛の乳量を
増やしたり、子牛(乳牛)の栄養補給に使われ始めた。肉骨粉から見たリスクでも肥育牛の方が低い。
では、肥育牛は肉骨粉を全く食べていないのであろうか。農水省の調査(昨年10月末)では、15道県
の約5100頭が肉骨粉か肉骨粉が混じった餌を食べていたが、5100頭のうち約4800頭(約94%)は
搾乳用の乳牛で、肥育牛は約300頭だった。
「乳牛と肥育牛を一緒に飼っている農家では、乳牛用の肉骨粉を肥育牛に与えてしまった例がある」(農
水省飼育課)とは言え、肥育牛が肉骨粉を食べた割合は少ない。
昨年10月から始まった全頭検査で廃用牛も肥育牛も、肉全体は危険部位を含むわけではなく、食べて
も大丈夫だと言えるが、いずれにせよ、このままだと狂牛病の発生していない米国や豪州の牛肉だけが
安全という結果を招くだけに終わる。多額の税金を費やして、廃用牛を食肉用に出荷せずに焼却するか、
肥育農家の所得を補償する策もあるだろうが、その前に事実を冷静に見ることが必要ではないだろうか。
一方、狂牛病問題が一旦下火になりかけた頃の2002年3月中旬の某新聞によると、異常プリオンが
これまでは牛や羊の内蔵や脊髄、そして脳の一部にしか蓄積されず、他の部位には発生しないと言われ
てきたが、何と筋肉にも蓄積されているという。
BSE-(牛海綿状脳症、狂牛病)やクロイツフエルト・ヤコブ病の病原体となるタンパク質「異常プリオ
ン」が脳など神経組織だけでなく、筋肉(骨格筋)にも蓄積するケースがあることが、米カリフォルニア大サ
ンフランシスコ校の研究グループのマウス実験で分かった。19日付けの米科学アカデミー紀要に発表し
た。
異常プリオンは体内に入ると脳や脊髄に蓄積し、神経細胞を破壊するが、食用部位である筋肉には蓄
積しないと考えられていた。国立精神。神経センターの金子清俊部長は「ネズミの実験結果が他の動物
にそのまま当てはまるとは言えず、筋肉の種類によっても感染力が違うので、さらに研究が必要だ。感染
力は低く、現在の食肉の検査体制はしっかりとしているので心配することはない」と話している。
実験を行ったのは、異常プリオンの発見でノーベル賞医学・生理学賞を受賞したスタンリー・プルシナー
教授ら。マウスの脳に異常プリオンを注射して発症させ、約4カ月後に解剖したところ、後ろ脚の筋肉に
蓄積していた。また、筋肉への直接注射で蓄積することも確認した。その感染力は、脳の1000分の1程
度だったという。
最後に、以上の経緯や背景を分析して吾々の結論を出せば、自然の肉を食べるのは大いに結構だと
思われる。すなわち、田畑にも出来ない草原や高地で放牧する民族が家畜を連れて生活して飼育しその
肉を食べるのは、実に感謝の気持ちであり、許される行為であろう。然るに、動物を囲って家畜化し、ただ
食べるために自然に反した行動の下に、肉や乳製品を飲食するために人工飼料を食べさせたりして、草
食動物に、挙げ句の果てには人工の物や、肉食させたり共食いをさせたりすることは以ての外であろう。
この問題は、現在、世界中で見解の相違がある日本を初めとする捕鯨国の捕鯨問題にも共通するもの
であろう。天然、自然に存在する動物の鯨の異常な乱獲や増加を規制するべく、適当に人間が管理して
安穏なる国家社会の建設に向けて: 81
感謝しながら食することは、実に自然に適応した行為であると言うことだ。畜産業における行為を根本的
に異なると言うことだ。鯨が可哀想という前に、人間が自然に反した飼料を与えて飼育する行為こそがも
っとも残酷で野蛮な行為と言えるであろう。捕鯨行為が、人工的に飼育する現在の畜産行為と大きく異な
っていることに改めて認識することが必要であろう。
今回の狂牛病の発生は、別の面からも、現在、進行している畜産ハイテク化に対する人類の文明に対
する警鐘とも言えるであろう。何も狂牛病に限らず、生殖操作、クローン牛(受精卵クローンと体細胞クロ
ーン、遺伝子組み換え家畜等と、数え上げたら切りがないほど氾濫している有様である。現在、クローン
牛の受精卵クローンと体細胞クローンのうち、後者は300頭いるようだ。そして通常の牛に比べて流産、
死産、病死が6倍も多いと報告されているようだ。
追記1: 米国でも遂に狂牛病が発見された(2003年12月31日)
大変興味深い本がある。「まだ肉を食べているのですか」と言う米国の牧畜家が書いた暴露本だ。その
内容を始めの部分だけを以下に紹介し、最近の米国の狂牛病の発生を伝える新聞記事を掲載しよう。こ
の暴露本を見ると、如何に牛の餌に廃用牛の骨や内臓が肉骨粉として混入し、それも死亡した牛や病死
した牛、更にはイヌやネコの死体、場合によっては人間の死体までをも混入してミンチにした餌が与えら
れていると言う。実に信じられない現実の暴露である。これでは、草食動物の牛が肉食動物に変質し、奇
病が発生しても可笑しくないようだ。
これまでは米国産には狂牛病が発生していなくて比較的安全だと言われて来た神話が遂に崩壊したと
いうことだ。これまでも米国産には環境ホルモン、遺伝子組み替えが乱用されており、そのための弊害も
指摘されていたようだ。最早、肉食西洋文明の崩壊前夜と言えるだろう。化学肥料、除草剤、殺虫剤、環
境ホルモン等の化学物質の多用により、自然体系や環境自体を汚染し破壊し、今やどうにも成らなくなっ
てきたようだ。牛の大量飼育が、森林を伐採して牧草地化し、また穀物を牛への飼料と化して、人類の食
糧危機を促進させて、地球環境や食料体系を破壊していると言えるだろう。
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【カウボーイから菜食主義者へ大転身】
【牧場主、ベジタリアンになる】私は四代続いた酪農家だ。
長年、牧場で汗と挨にまみれて働いてきた。
モンタナの農場に育ち、三十年も牛飼いをやってきた。どうすれば牛が育つか体で覚えた。当然、この
国で肉がどうやって生産されているか、それもよく知っている。
その私の今の役職はなんと、驚くなかれ「アース・セイプ・インターナショナル(ESI=国際地球救済会議)」
という環境団体の会長様だ。この団体は有機農業を推進し、ベジタリアン(菜食主義)の食事を推奨してい
る。
むろん、私も多くの人たちと同じように、これまでには牛ステーキをたらふく食べてきたものだ。
けど、あなたの目の前のステーキに、いったい何が紛れ込んでいるか? それを食べたらどうなるか? こ
のことを知ったら、あなたは、間違いなく私と同じべジタリアンになるだろう。あなたが、信じようと信じまい
と、私は今や純粋なべジタリアンだ。動物性食品はいっさい口にしない。
そして、ここで断言しておく。私は今、昔よりはるかに食生活をエンジョイしているというわけさ。
【牛もまた“肉食主義者”なり】もし、あなたがアメリカ人で肉食主義者(ミート・イーター)だったら、全面的
に次のことを知る権利がある。それは、あなたが食べたほとんどの牛にも共通する“真実”---つまり、
あなた同様、牛もまた「肉を食べてきた・・・!」ということだ。
牛が屠畜されると、重量でいえば半分ほどは食用にはならない。
たとえば腸とか、その内容物、頭部、ひづめ、そして角だ。同様に骨や血も“食べられない”。
そこで、これらは「レンダリング・プラント」(動物性脂肪精製工場)というところに運ばれる。
安穏なる国家社会の建設に向けて: 82
そして巨大グラインダー(攪拌機)に投げ込まれる。ついでに言うと、“病気で死んだ牛はまるごとほうり
込まれる”。よその牧場で病死したほかの家畜も同じだ。
【二四億ドルー.レンダリング・ビジネス】 このレンダリング・ビジネスは、今や年間二四億ドル〔訳註:現
在の換算で約二千九百億円---以下、訳註は〔 〕で示す〕強という売上げの巨大産業となっている。
それは年に約四〇〇億ポンド〔一八一四万トン---一ポンド=四五四グラム〕もの動物死体を処理して
いるのだ。
ひどい病気に纏った動物、癌に楢った動物、腐りかけた動物の死体・・・などなど。アメリカでは、これら
ほどレンダリング工場の飢えた機械にとって“美味しい“ご馳走はない。農場で死んだ家畜以外にも、もう
一つ、レンダリング業者にとって美味しい“主食”がある。それは安楽死させたペットたちだ。なんと六百万
から七百万頭もの犬や猫たちが、毎年、動物「保護施設」で殺されているのだ。
たとえば、ロサンゼルス市だけでも、毎月、約二〇〇トンもの大や猫の死体の山が、レンダリング工場に
送られている。それらには動物管理局に捕獲されたノラ犬、ノラ猫、そして道で藤き殺された死体も混ざっ
ている(クルマに談かれた死体はへ毎日集荷されるわけではない。だから夏場は腐って臭う。担当職員は
鼻でその場所を喚ぎ分けるそうだ)。
この身の毛のよだつ“混合物“は、レンダリング工場でミンチに刻まれ、高温蒸気で“調理“される。そし
て、軽い脂肪分が表面に浮いてくる。それは、化粧品や潤滑油、せっけん、ろうそく、そしてワックス原料
などに精製される。
より重いたんぱく原料等は、乾燥され、茶色の“肉骨粉”に加工される。その約四分の一の原料は、な
んと糞便なのだ。その“肉骨粉”は、家畜の飼料と同様、ほとんどのペットフードの増量材として使われる。
これは農家で「濃縮たんぱく」と呼んでいるものだ。
一九九五年だけで、屠畜場から約五〇〇万トンもの“残り物”が出ている。それらがこう“処理“され、全
米の動物たちの飼料として売られていく。
私もそんな ”エサ“ を、何トンも家畜を養うために使ってきた。しかし、”牛”を牛に食わせていた・・・な
んて、実は夢にも思わなかった,
【犬、猫、豚の死体で“栄養強化”】 一九九七年八月、BSE(牛スポンジ状脳症)いわゆる狂牛病への不
安が巻き起こってきた。これに対して米食品医薬品局(FDA)は、新しい規制を発表した。牛など反毅動物
のたんぱく質を、反劉動物に与えることを禁止したのだ。「反劉」とは、一度飲み込んだ食物を、再び口に
戻して噛み直しすること〔牛や羊などひづめが二つある晴乳類に見られる特徴〕。だから、この規制が実
際に施行されれば(行政指導の強制があるなら)、もはや牛は、無理強いされた”共食い”から解放される
ことにはなるだろう。
もう牛たちは、ほかの牛や羊や山羊などの死体の一部分を食べさせられこともなくなるはずだ。
けれども、実は牛たちは、今もムシャムシャとミンチに刻まれた馬や犬、猫、豚、鶏、それに七面鳥など
の死体をいただいているのだ……。同様に、牛の死体から選り分けられた血液成分から糞便まで、いま
だ食べている!おまけに鶏の死体から取り出した血や糞までもそこに混ぜられている。全米で約九千万頭
もの牛が飼われている。そのうち約七五パーセントが、日常的にレンダリング処理された動物死体で“栄
養強化”されたエサを食わされているのだ。
【糞をあてがわれる家畜】動物の排他物をエサに混ぜるもあたりまえ。
なぜなら肥育業者たちは、糞便を始末するにはエサに混ぜて家畜に”食べさせる“のがいちばん効率的
な“処理法“であることを知っているからだ〔彼らはよそから誕生した子牛を購入して肉牛にするなど育成
専門の畜産業者だ〕。
なにしろ、畜産業全体で、毎年、排池される糞便の量は一六〇万トンにも達する。その一部は家畜に"
安穏なる国家社会の建設に向けて: 83
食べさせる“ことで処分されてきたのだ。
たとえば、アーカンサス州の平均的な農場では、毎年五〇トン以上の鶏の”残り物“を牛にエサとして食
べさせている。そして、あるアーカンサス畜産農民は、『US ニュース・ワールドリボート』でこう証言してい
る。「最近、田舎の養鶏場の床から掻き集めた七四五トンもの“残り滓”を購入した・・・」と。それを「少量の
大豆繊維と混ぜ合わせ、八百頭もの牛に“エサ”として与えている・・・!」というのだ。それが、牛を“まるま
ると”大らせてくれる、というわけだ。
その農民はこう釈明する。「鶏の“糞“がなけりゃ、俺が飼っている牛の半分は売るはめになるサ。‐ほか
のエサは高すぎて買えないよ…::」
もし、あなたが肉好きの”ミート・イーター”なら、これらの糞が、あなたの食べ物の"食べ物”だってことを、
しっかり覚えておく、ことだ。
病気に躍ったり不健康な動物を食べると、人間も病気になるのか? どの程度まで食べたら危ないのか?
そのへんのことは、よくわかっていない。しかし、たとえば狂犬病など、ある種の病気は宿主から人間に
感染することはよく知られている。
よく知られた食物感染もある。たとえば食物が糞便に汚染され、流行性 E 大腸菌によってもたらされる
伝染病だ。毎年、約八千人ものアメリカ人が、この感染症で命を落としている。さらに食品の毒物汚染の
約八〇パーセントは、汚染された肉から発生しているのだ。これら恐るべき事実を知っておくべきだ。
さて、イギリスを震憾させた狂牛病は、種の壁を“ジャンプ”することを、私たちは、今や知っている。そし
て、それは確実に死に至る新種の変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)を引き起こすことも・・・。
【TV ショーで聴衆も唖然】この国で、あなたが真実を語ったとする。するとけったいな、実に奇怪なことが
起こる。あなたは、訴えられるのだ・・・!
一九九六年四月、私は“オプラ・ウィンフリー・ショー”のステージに座っていた。目の前にはショックで呆
然とした観客たちの顔、顔。彼らは、我々が牛を共食いさせていることを、初めて知って魂消(たまげ)きっ
ていた。
「今や・・・」と私は説得した。「我々アメリカは、狂牛病でイギリスが犯した十年の過ちと同じ道を歩いて
いる。なんの具体的な手も打たない。ただ(安全)PR ばかりだ。アメリカでは、一年に十万頭もの牛が前の
晩は元気なのに翌朝コロリと死んでる。これらの牛の大半は・・・ミンチに刻まれ、他の牛に食わせるんで
すよ。もし、こいつらの一頭でも狂牛病に感染していたら、何千頭にも感染しちまう・・・」
テレビ司会者のオブラは、仰天してこう言った。「牛は草食動物よ! 牛がほかの牛を食べるなん
て・・・。ゾッとする。もう二度とハンバーガーは食べられないわ」
舞台には、一人の男が私の隣りに座っていた。それは全米畜産牛肉協会の代表グレイ・ウェバーだ。
彼の役目は「肉は絶対に安全でアル」と大衆を説得することだった。私は彼を気の毒に思う。
それは彼にとって、どうにも手ごわいお役目なのだ。
彼は、私が言った「牛を牛に食べさせている」という事実を否定できなかった。ただ「それは、たいしたこ
とじゃない・・・」と発言して聴衆を唖然とさせ失笑をかった。
いや、実を言うと CM の放映中、彼は私にこうつぶやいたものだ。「牛を刻んで、ほかの動物に食べさ
せるなんて、とんでもないですよ。」
驚くなかれ・・・裁判に訴えられた!
【真実を言って訴えられる!】それにもかかわらず、六月初旬、テキサスの家畜業者たちから裁判を起
こされた。
訴えられたのは私だけではない。司会者のオプラも彼女の番組制作会社「ハーポプロダクション」も「食
安穏なる国家社会の建設に向けて: 84
品に関する中傷罪」の被告として訴えられたのだ。合衆国憲法の第一修正条項は「言論の自由」を保障し
ている。しかしながら、テキサス家畜業者とテキサス農業委員会は、明らかに「この条項は拡大解釈され
るべきでない」と確信していた。つまり「牛肉についての不愉快な発言を人々に許してはいけない」と:…:訴
えてきたのだ。
将来の牛肉市場の下落について指摘しつつ、原告らは私が牛や牛肉について“中傷的”言辞を吐く者
は・・・
12月26日付け某夕刊紙報道
『BSE原因は何か』「肉骨粉禁止でも止まらない感染」
狂牛病の感染源は何なのか。当初「肉骨粉」説が有力だったが、どんどん打ち消されている。例えば英
国の酪農家マーク・バーディ氏が唱えるのは有機リン系殺虫剤説だ。
「英国はウシバエ撲滅のために82年から有機リン系殺虫剤の使用を畜産農家に命令し、他国の4倍も
の殺虫剤を牛の背中に散布させた。これはウシバエのタンパク質に異常を起こし、神経バランスを崩す。
BSE感染牛が持つ異常プリオンと同じ特徴なのです。これがバーディ氏の説ですが、実際、英国政府が
肉骨粉の使用を禁じた88年以降に生まれた4万頭もの牛がBSEに感染している一方、殺虫剤を使わな
いで育てた牛が感染していないこともあり、殺虫剤や環境ホルモンなどが疑われているのです」(事情通)
今年、10月、茨城で発見された国内8頭目の感染牛も、肉骨粉説を打ち消した。
「茨城の感染牛は、2年前に肉骨粉の使用が停止された後に誕生した2歳以下の牛だった。検出された
プリオンの構造は新型で、感染源は特定できていません」(農水省関係者)BSEの闇は深い。
【狂牛病は 米国牛 1000頭以上いる!?】
「今回発見された狂牛病は氷山の一角でしかない」---米国初のBSE(狂牛病)感染牛の衝撃が広
がる中、こんな声が強まっている。米国のBSE検査は世界最大の牛肉生産国とは思えないほどズサン
で、あと1000頭以上の感染牛がいる可能性もあるのだ。
米農務省によると、米国は90年からBSE検査を行っている。しかし、日本のような全頭検査ではない。
年間約3500万頭を処理、出荷するうち、検査するのは年間約4000頭、実に約9000頭に1頭の割合。
しかも、「牛がフラついたり、立てないといった神経症状が外見に見られない限りは見過ごされる」と狂牛
病に詳しい民主党の山田正彦議員が言う。
「米農務省は、根拠もなくBSEは出ないと思い込み、ほとんど対策を取ってきませんでした。今回感染が
確認された牛は、立ち上がることもできない『ダウナーカウ(へたり牛)』。5月にカナダで発見された感染
牛と同じで、BSE感染の疑いが高いことで知られる。米国は、そんなダウナーカウすら90%以上放置し、
食肉として流通させている。肉骨粉規制も不徹底で、あと1000頭、万単位で感染牛がいる可能性もあり
ますよ」
英国では18万頭も感染牛が出ているのに、世界最大生産国の米国で今頃1頭というのも確かに変だ。
EU諸国では、安全上の理由から成長促進ホルモンなどで飼育した米国牛はほとんど輸入していない。
『恐るべきズサン 検査実態』「フラフラ牛も90%は放置され流通・・・」
ところが問題は日本だ。農水、厚労省はあわてて米国産牛の輸入を停止したが、これまでほとんどノー
チェックで流通させてきたのだ」
「米国産牛の輸入は外食産業や食肉業者が直接米国と取り引きしています。米国産牛は日本で法制
化された生産履歴管理もない。死牛の肉が紛れている恐れがあるにもかかわらず、政府による検査は実
施されていません」(雑誌『食品と暮らしの安全』の新居田真美氏)
日本人の牛肉消費量のうち約3割が米国産。何だかゾッとする事態である・・・。
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12月27日付け某夕刊紙報道
【10年前に発覚していた】「米国狂牛病」
これまで安全とされてきた米国で狂牛病が見つかったことに、米国民も大ショックを受けている。しかし、
米国での狂牛病の危険性は、10年も前から指摘されていたことが分かった。
「米ウィスコンシン大のリチャード・マーシュ教授が90年代に『スクレーピー』『牛ミンク症』というタイトル
のリポートを米農務省に提出。米国に狂牛病の牛がいる危険が高いと警鐘を鳴らしているのです。しかし
畜産業界からの圧力があったのか、米農務省は無視してしまったのです」(米在住ジャーナリスト)
『福田官房長官は「全頭検査ナシでも輸入」の暴言』
マーシュ教授は、当時米国各地にあった「ミンク農場」のミンクが、脳がスポンジ状になって次々に死ん
でいることを発見。調査の結果、病死した牛を餌にしていたことを突き止めた。
となると、これまでに米国から輸入された牛肉の多くが、狂牛病に汚染されていた可能性がある。実際、
米国のBSE検査は、世界最大の牛肉生産国とは思えないほどズサンなものだ。
「米国は日本のように全頭検査していない。検査するのは、実に9000頭に1頭の割合です。しかも、牛
がふらついたり、立てないといった神経症状が外見に見られない限りは見過ごされている。ベネマン農務
長官は『今回のケースが唯一の例だと信じている』と安全性を強調しているが、どこまで信じていいのか」
(霞ヶ関関係者)
そもそも、英国で18万頭も感染牛が見つかっているのに、世界最大の生産国である米国で、今まで1
頭も見つからなかったのも不思議だ。
しかし、福田官房長官は「米国は全頭検査しないが、大丈夫だという状況があれば(輸入を)認める」と
言っている。国民よりも米国の方が大事らしい。
【米国産の牛1頭、BSE陽性 組織採取し英で最終検査】
ベネマン米農務長官は23日、記者会見し、米国北西部のワシントン州で飼育された牛1頭が牛海綿状
脳症(BSE)に感染している疑いのあることが分かり、検査した結果、陽性だったと発表した。現在、この
牛の組織から採取した標本を、英国の研究所に送って検査しており、最終結果が出るまでに3?5日かか
るという。米国ではこれまで、BSE感染牛は見つかっていなかった。日本政府は24日午前、米国からの
牛肉の輸入停止を決めた。米国産は日本で消費される牛肉の約3割を占めており、日本の消費者にも
大きな影響を与える可能性がある。
この牛はホルスタイン種で、食肉処理の際に歩けなかったことからBSE感染の疑いがもたれた。農務
省は「成牛」としており、米ワシントンポスト紙によると「約12歳」という。今月9日に標本を採取、アイオワ
州にある農務省の研究所で2度にわたって検査した。農務省は牛を飼育していた牧場を隔離し、原因究
明などを始める。この牧場はカナダで今年5月に感染牛が見つかった牧場から100キロ足らず。ほかに
感染の疑いのある牛がいるかどうかなどは、分かっていない。
牛肉はワシントン州内の2カ所の加工処理場に送られており、農務省が追跡調査している。ロイター通
信によると、23日記者会見したワシントン州の当局者は、この肉について、「すでに消費されてしまった
可能性がある」と述べた。農務省は「(感染源となりうる)脳や背骨などは検査の際に規則に従って取り外
されている。感染牛であっても、牛肉自体が人間の健康に害を与えるという証拠はない」とし、ベネマン長
官も「私は私のクリスマス・ディナーに牛肉を用意しようと計画している」と述べ、米国内で流通している牛
肉の安全性を強調。そのうえで、「あらゆる適切な対応をとる」とした。
米農務省は90年からBSE検査を始め、今年は昨年の3倍にあたる2万526頭を検査した。ベネマン
長官は「(今回の発見は)我々の探知プログラムが機能している証拠だ」と述べた。
今年5月にカナダでBSEに感染した肉牛1頭が確認された後、米国はカナダからの生体牛や牛肉、関
安穏なる国家社会の建設に向けて: 86
連商品の輸入を禁止していたが、9月から牛肉の輸入を部分的に再開した。今回の件とカナダの感染牛
について、ベネマン長官は「関連がある可能性は低い」とした。
◇
◇
■BSE 牛の脳がスポンジ状に変化し、全身がまひして死に至る病気。86年に英国で初めて報告され
た。病原体は異常プリオンというたんぱく質。これに感染すると、もともと脳にある正常なものが異常にな
って蓄積していく。異常プリオンに汚染された肉骨粉が流通し、牛が食べて感染が広がったとみられるが、
はっきりした感染経路はまだ突き止められていない。(03/12/24 18:17)
【BSE汚染の恐れで、牛肉4.5トン自主回収へ 米業者 】
米農務省は24日記者会見し、牛海綿状脳症(BSE)の疑いのある牛の処理にかかわったワシントン州
内の業者の一つがすでに、汚染された可能性のある牛肉の自主回収を始めたことを明らかにした。問題
の牛と同じ今月9日に処理した約1万ポンド(約4.5トン)が対象。自主回収はほかの業者にも広がる見
込みだ。
また、問題の牛は同州内で乳牛4千頭を所有する大牧場で飼育されていた。潜伏期間が通常数年ある
ことから、同省では牧場が購入した01年10月以前に感染していた可能性が高いとみて、それまでのこ
の牛の飼育地や出生地などを調べている。米政府が97年に肉骨粉の使用を禁止した後の、99年生ま
れと見られており、規制の見直しも課題になりそうだ。
動物愛護団体や消費者団体は、正常に歩けない牛を食肉として販売することの禁止や、食肉処理場の
BSE対策強化を求めて、声明を出したり書簡を政府に送ったりしている。(03/12/25 11:08)
【米国産牛肉の輸入、一時停止 食肉市場への影響懸念 】
米国で牛海綿状脳症(BSE)に感染した疑いのある牛が見つかったことを受け、日本政府は米国から
の牛肉輸入を安全が確認されるまで一時停止したと発表した。米国は輸入牛肉の5割近くを占める主産
地だけに、今後、食肉市場の需給逼迫(ひっぱく)や、消費者への影響が懸念される。停止は「全頭検査
などで安全が確認されるまで」(亀井農水相)とされ、今後、再開をめぐる対応が通商交渉の火種にもなり
そうだ。
農水省は家畜伝染病予防法に基づき、牛や関連の肉製品の輸入を停止した。輸入の届け出があった
分については、厚生労働省が荷物を保留するよう各検疫所に指示した。
すでに流通している肉で、脳や脊髄(せきずい)などBSE感染の危険性が高いとされる「特定危険部
位」を含まない肉については、厚労省食品安全部は「異常プリオンは蓄積されない、と国際的に認められ
ている。健康への影響はない」とし、当面は回収を予定していない。
また、加工食品についても、厚労省は食品衛生法に基づき、輸入を停止した。すでに流通している分に
ついては特定危険部位を使ったエキス類などの加工食品に限り、輸入業者に商品回収を指示する予定。
独立行政法人農畜産業振興機構のまとめでは、02年度の国内の牛肉の消費量(推定出回り量)は93
万2000トンで、そのうち輸入品は55万8000トンと6割を占める。国別では米国からが24万トンと豪州
(26万2000トン)についで多く、輸入の4割強を占める。日本の消費量の中に占める米国からの輸入牛
肉は約3割になる。
今年5月にBSEが確認されたカナダは、牛肉輸入全体に占めるシェアが3%程度だったため、輸入停
止の影響は小さかった。米国産の輸入停止について、亀井農水相は閣議後会見で「民間の牛肉の在庫
は流通量の1.5カ月分あり、当面の需給に問題はない」としたが、輸入再開までの期間によっては需給
が逼迫し、より深刻な影響が出そうだ。
日本政府はBSEに関連してカナダや欧州連合(EU)などに対して牛肉の輸入を禁止しているが、輸入
安穏なる国家社会の建設に向けて: 87
を再開した例はない。
BSE未発生の豪州などに調達先を変更する動きが予想されるが、量をまかなえるかは不透明。牛肉
消費の減退も見込まれる。
カナダや米国は、日本のような全頭検査をしていない。亀井農水相や坂口厚労相は「対カナダと同様、
米国にも輸入再開の前提として全頭検査を求める」との考えを示した。また、日本で法制化された牛肉の
生産履歴管理(トレーサビリティー)も、国内生産者の抵抗から導入のメドは立っていないことから、推進
を求める方針だ。
◇
◇
■牛肉の輸入量 日本の牛肉輸入量は約53万4000トン(02年度)。国別の輸入量は豪州が1位で、
米国産は2位で約45%を占める。 (03/12/24 13:34)
31.ジェンダーフリー(性差別廃止)の問題点
追記1:
追記1
: 狂気・異常・非常識の男女共同参画社会基本法の実体(2003年8月25日)
追記2:
追記2: 男女共同参画社会基本法とは国家社会の解体への策謀である(2003年9月2日)
追記1: 狂気・異常・非常識の男女共同参画社会基本法の実体(2003年8月25日)
男女共同参画社会基本法について訴えさせて下さい。
【男女共同参画社会基本法とは】
「50兆円(年間予算約9兆円)を牛耳る「内閣府参画局」は悪の温床だ!!」
【ジェンダーフリーを『国家予算』としてよいのか】
「男女平等いいじゃない」とお人好し日本人は、このフェミニスト(共産主義者)達の作った法にごまかされ
ていませんか。この日本版「共産党宣言」である男女共同参画社会基本法の仮面の下には、ジェンダー
フリー(フリーセックス)というおぞましいイデオロギーで家庭、国家を破壊しようとする「文化大革命」が
着々と進められております。一握りのフェミニスト学者達による馬鹿げた主張により、教育から家庭、マス
コミに至るまで汚染は広がり、漂流国家・日本を直撃し、日本の伝統・文化は破壊されようとしております。
【男女共同参画促進条例=ジェンダーフリー】の正体とは?
1.ジェンダーフリーの名のもとに教育現場では、小学校低学年における過激な性交教育(出産シーンの
ビデオ上映)の実施。
1.男女の性差事態の否定(カルト?)で、人格破壊。
1.夫婦別姓導入による家庭破壊。
1.共同参画社会基本法』
1.文化マルキスト、フェミニスト達による国家秩序の破壊。
【約50兆円が投入されている「男女共同参画社会基本法」】
平成11年男女共同参画社会基本法(七十八号)の成立以前から十五年度までに、何と驚くなかれ50兆
円(内閣府男女共同参画局)もの巨額の税金が投入されている事実を納税者は知らない。また、誰が何
に使っているかも知らない。既に、この基本法とやらは、全国各地にある「女性センター」を拠点にフェミニ
ストが群がる巨大な利権の巣窟と化しているのだ。
自殺者三万人、失業者四百万人という不況の最中に国民の血税が不況対策ではなく、反日フェミニスト
達の拠点作りとその拡大生産に投入されている。この現実を見逃して消費税の二桁アップを企てるなど
は、許されることではない。
安穏なる国家社会の建設に向けて: 88
【家族、個人、人間のあり方に国、地方自治体は介入するな! 日本は『社会主義国家』ではない】
国会議員よ、千葉自民党県議の英断に学べ! 千葉県堂本知事は利権漁りに奔走するマルキストと
結託して条例化を企てたが、自民党県議は参画法のいかがわしさを認識して廃案にした。県民はこれを
支持し、四月の選挙では九八議席中、七一議席を占める自民党の大躍進となった。参画法による国民の
思想統制は御免だ。
【抗議先】内閣府参画局・福田官房長官 電話
03(3581)0101
FAX 03(3581)3883
男女共同参画社会基本法の廃案を求める会
日本の教育を正す母の会
電話 04(7138)0526
【注目】
国家予算及び税収と男女共同参画関係予算の年度比較表(単位:億円)
-参考資料:内閣府男女共同参画局広報誌「えがりて」より引用-
男女共同参画予算
(国家予算に占める割合)
平成10年度6兆1467億円(7.9%)
平成11年度7兆1017億円(7.9%)
平成12年度8兆3234億円(8.7%)
平成13年度8兆6960億円(9.8%)
平成14年度9兆0425億円(10.5%)
平成15年度9兆5000億円?(10.5%)
国家予算
平成10年度77兆6691億円
平成11年度81兆8601億円
平成12年度84兆9871億円
平成13年度82兆6524億円
平成14年度81兆2300億円
平成15年度81兆7891億円
税収
平成10年度49兆4319億円
平成11年度47兆2345億円
平成12年度50兆7125億円
平成13年度47兆9481億円
平成14年度約42兆円
平成15年度約42兆円(見込み)
追記2: 男女共同参画社会基本法とは国家社会の解体への策謀である(2003年9月2日)
目下、進行しているジェンダーフリーなる男女共同参画社会基本法の実施とは、その本質は男女無差
別混同参画基本法であります。男女が共同で参加するなんて言うことは当たり前のことであり、その当然
のことに反対できないように目眩ましの戦術で来ているものであります。その実体は、男女の性差を無く
し無差別で混同し国家や社会、民族や家族を解体していくというものであります。これは、政府の特定の
勢力によるものと言うよりも、もっと上の方からの指令、扇動、洗脳で動いているものでしょう。
これは一部の有識者が慧眼をもって共産主義思想だと喝破するのも真実ですが、
安穏なる国家社会の建設に向けて: 89
(http://www.jfss.gr.jp/jp/zuisou_22j.html)
最早、共産主義思想を大きく越えて、即ち、国家社会や家族の共同体を破壊し解体して、個人を個々
別々に管理する共産主義思想を越えて、イルミナテーの悪魔崇拝主義者の闇の世界支配権力のワンワ
ールドオーダーの世界統一政府の樹立への野望から来ているものでしょう。既に、住基ネットワークもそ
の一つであり、個人を都合よく管理するためのものであり、その一環として家族解体、社会解体に向けら
れたジェンダーフリー思想と言えるでしょう。正に悪魔的な宗教観によるものでしょう。
こんな邪悪な思想の普及に、実に国家予算の1割強を使うとは、正常な感覚が麻痺させられているとし
か言いようがありません。このジェンダーフリー思想を推進・展開する東大のH.S氏、O.M氏、U.C氏
らの某教授の三人組(H.S氏が副学長の時に他の二人を引っ張ったようだ)は、実に先端的思想と大真
面目に把握しているもので、何処かに邪悪な偏見と誤解があって、まんまと悪魔連中の想念波動と感応
し交流して、容易に悪魔崇拝宗教からのマインドコントロールの魔法・魔術を掛けられて洗脳されている
と言えるでしょう。
この邪悪で固執した偏見と誤謬は、実に国家社会が崩壊するまでは真摯に悔い改めて、根本的に改訂
し廃棄することは有り得ないでしょう。有り触れた議論で説得し理解を求めても、心底から納得し得るよう
なものではなく、正に寄生虫のようなものであり、普通の殺虫剤や隔離では死滅させたり、排除させたり
出来ず、被寄生本体が衰弱し衰滅し崩壊寸前に至るまでは離れることはないでしょう。実に、国家社会が
崩壊することによってしか、即ち、自らの生存すら危うくなって始めて追放することが出来るものでしょう。
今や、米国も解体寸前であります。既にパトリック・J・ブキャナン氏による「病むアメリカ滅び行く西洋」
(パトリック・J・ブキャナン(監訳)宮崎 哲弥. 成甲書房)や、最近出版された「壊れてゆくアメリカ」(ヘザ
ー・マクドナルド PHP出版)などにも、崩壊しつつある深刻な米国事情が紹介されております。これなど
は、実に死霊魂の慰謝に重大な誤りがある故に、苦怨に喘ぐ死霊魂が現世に働きかけて混乱と地獄を
招来させているようです。そこに悪魔崇拝宗教が関与して、益々、悪霊を操っていると言えるでしょう。
それ故に当方は提唱する「真仰」による死霊魂の慰謝と救済こそが、今世社会を救う第一義のものと訴
える次第であります。然るに現状は残念ながら何が一体真実か解らないままに、地獄に直行の生き様に
埋没し、カルト宗教やカルト信心が氾濫し、畜生死霊魂になる魔力、魔法、フリーエネルギーなどの魔の
信奉に成り下がっているのが殆どであります。混乱する世相は今後益々拍車が掛かっていくことでしょう。
意識変革は実に国家崩壊を伴ってこそ初めて可能となるでしょう。その国家社会の崩壊は2004,5年の
国家破産、2005,6年頃の世界経済の崩壊、世界大恐慌による大混乱を通して根本的改定・是正が達
成できるでしょう。
32.子供の権利条約とは
32.子供の権利条約とは
33.郷に入っては郷に従え
追記1: 差別問題
34.教育問題
35.歴史の様々な裏話を紹介(2003年5月9日)
追記1:
追記1
: 硝石の代金決済には女性が輸出された(2003年5月11日)
追記2
追記
2: 源平の気質が国民性を二分して来た(2003年5月12日)
追記3:
追記3
: 日本は多民族国家で、今や同じ日本丸の運命共同体(2003年5月13日)
追記4:
多民族国家だが、単一の伝統・文化を継承し発展してきた(2003年5月26日)
追記4
: 多民族国家だが、単一の伝統・文化を継承し発展
してきた(2003年5月26日)
徳川家康が群馬県得川村世頼田のサンカ出身であり、三河の松平竹千代に成り代わったもので、三河
侍というのも尾張の三河ではなく、江戸の無宿人を隔離していた三河島の浪人共を解放していったもの
であり、その三河島の三河であることをHPで指摘し、幕末時に、徳川の財宝を全て提供する代わりに、
安穏なる国家社会の建設に向けて: 90
徳川を裁かず、また徳川の秘密を暴かないようにとの密約があったようだと指摘した。
なお、この他にも、他人に入れ替わった者として、有名な義経=ジンギスカン説もある。当方もこれは真
実であろうと思っている。しかし、真実であったとしても、モンゴル人からすれば許し難い事実であり、許容
できないものであることも確かだ。異民族の支配されて来たことが天下に明らかになれば、自分達の栄光
の歴史が虚構であることが証明されてしまうものだろう。何が何でも否定して行かねばならない事項と言
えよう。
義経が衣川の決戦で死亡し、その首が鎌倉までの長い道中、時間を掛けて移送されてきたが、腐敗し
て判別が付かなかったと言うし、三陸海岸から陸奥、竜飛岬、そして函館や洞爺湖付近、日高、旭川に至
るまで、義経伝説があり、また旧ソ連の沿海州にも、かつて笹リンドウの模様が刻印された遺跡があった
ようだ。またモンゴル博物館にも、ジンギスカンが愛用した馬の鞍には、何と源氏の笹リンドウの模様が
施されていたらしい。モンゴル政府が慌てて隠匿してしまったようだ。
そして、元が源に通じ、ジンギスカンが「成吉思汗」と漢字が勝手に当てられて、また「源義経」がどこと
なく「ゲンギケイ」から「ジンギス」に通じ、後世の者に何となく名前から解るように仕掛けていったようだ。
即ち、ジンギスカンの「成吉思汗」とは、漢読みでは、「吉成りて汗を思う」、即ち、「異国の地で成功し、今
となっては汗、即ち、白拍子の静御前のことを思い起こす」と言う趣旨であり、万葉読みでは、「なすよしも
がな」、即ち、「今となっては最早どうしようもない」と言う意味のようだ。、衣川の決戦の日が義経、即ち牛
若丸の死亡した命日ではなく、京都の鞍馬山神社で幼年期を過ごした牛若丸の命日が、ジンギスカンの
死んだ命日と同じであるようだ。これは某作家の説でもあり、戦前からも指摘されてきたようだ。
なお、最近でも、ジンギスカンは日本語を知っていたという説も、「真、ジンギスカンの謎」の本が出てい
るようだ。当方もそのほか、ジンギスカンが死亡した際に、周囲に集まった豪族達の漏らした「ジンギスカ
ンはこのように小さい身体とは知らなかった」と言う感想に注目している。つまり、思うに、表面上はジンギ
スカンは身体の大きい弁慶が演じ、背後では義経が指揮し指示していたのではなかったのではないかと
思っている。だからジンギスカンが死亡した際に、実際のジンギスカンと死亡者との相違が疑問視された
のであろう。確かに大柄の弁慶が表面的にもジンギスカンであった方が、モンゴル民族を束ねて行くには
相応しいのではなかったかと思っている。
また、上杉謙信にしても女性だったと言うことを気付いている者も少ないようだ。戦国武将の中でも独身
で、頭巾を被っているなんて不可思議だ。妾・側女を置いてまでも子孫を増やすのが当然なのに、一生独
身で出家をしたというのもおかしな話だ。頭巾を被って出家し僧侶に転じたのならば、どうして戦などに明
け暮れたのだろうか。それに謙信の陣馬服の裏側が赤い色であったり、戦も勝っているにもかかわらず、
一月単位で帰郷しているところを見ると、女性特有の生理と関係しているのではないかと疑いたくもなる。
今でこそ、女社長も珍しくもないが、戦国時代でも相続人や後継者が女性であったりしたこともあり、徳川
の時代になって、男尊女卑の風潮、世相により、男にさせられたのではなかろうかと思っている。
なお、明智光秀=天海僧正という説には、未だ納得行かないものがある。恐らく真実ではないだろう。ま
た織田信長が桶狭間の戦いを3000人で決行したと言うが、真実のところ、もっと少なかったのでは無か
ろうか。思うに一桁違った300人ぐらいではなかったのだろうか。それぐらいであったからこそ、今川も油
断したのであろう。もっとも、油断するような状況であったのではないかと思われる。つまり、信長は、何も
今川を急襲するつもりで出かけていったのではなく、むしろ逆であり、今川に服従、恭順の意を示すため
に出かけていったものであろうと思われる。
ところが、急に一寸先も見えない大雨に見舞われ、その好機を捕らえて、一挙に攻撃に転じたのではな
かったのか。そう言う解釈をしないと、今川が油断していた理由、背景が全く理解できないであろう。桶狭
間という休息に不向きな場所で部隊を駐留するなど、信じられない光景だろうし、信長の攻撃に対する無
防備も理解できないであろう。もっとも、信長が流した籠城、米の買いだめと言うガセネタの情報撹乱も大
きく影響したではあろうが、どうもそれだけではなかったであろう。
安穏なる国家社会の建設に向けて: 91
ところで、織田信長が本能寺で明智光秀に打たれたと言うがどうも真相ではないように思われる。信長
の死体が見つかっていない故に、逃亡したのではないかという見解もあるが、これは単なる死体を見つ
けられなかったと言うべきであり、逃亡、生存説には疑問が残ると言うものだ。当時、光秀が天皇を密談
をしていた事実が、公家の日記が公表されて解ってきたようだ。従って、光秀単独による犯行でもないよ
うだ。
思うに、光秀単独犯行説では根拠、動機が弱いようだ。犯罪の背景を考えるに際しては、動機は勿論、
一体誰が利益の受けるのかという視点が大切であろう。当時、信長が恨まれていた相手は実に沢山いた
ようだ。権威や権力に挑戦し破壊することに多大な恐れを抱いた天皇家もそうだが、比叡山や石山本願
寺の宗教勢力、その他に重要な勢力があった。それはイエズス会の宣教師グループであった。即ち、信
長の関心事は鉄砲の原料の硝石であり、それを一手に扱っているスペイン人の本拠地からの利権の強
奪であった。
当時の日本は、種子島に鉄砲伝来以来、僅か数十年で鉄砲生産は世界一であったようだが、その原
料の硝石は日本にはなく、スペイン人からの輸入であった。信長はその産地はフイリピン当たりと思って
いたようだ。中南米からのものとは知らなかったようだ。そこで、真剣にフイリピンを攻略して硝石を一手
に奪い取ることを考えていたようだ。こうした信長の意志を見抜いて、スペイン人宣教師が天皇家と組ん
で、光秀を唆せて信長暗殺を企てたのではないかと思われる。暗殺手段は、爆殺であり、光秀が急変を
聞いて信長の殺傷現場に到達したときに、犯人に仕立てられていったのではないかと思われる。
なお、イエズス会の目的は、信長に鉄砲の原料である硝石を堺の商人を通じて一手に提供し、信長の天
下統一に向けた協力をし、その後に信長を抹殺して天下を乗っ取る魂胆であったように思われる。そのた
めに明智光秀を天皇家を使ってそそのかして、信長暗殺犯人に仕立て上げていったであろうと思われる。
しかしながら、その後の豊臣秀吉が急遽、中国毛利攻めから引き返して、山崎の合戦で明智光秀を打ち
破って、三日天下に終わらせたことは大いなる誤算であり、その後の秀吉によるキリシタン弾圧を招いた
ことも、日本占領の野望が破綻したと言うことであろう。
ところで、これら一連の事実は、信長暗殺後に猛スピードでスペイン人宣教師が長崎に逃亡し、そこか
らスペインに急遽、帰国していることからも推察できよう。これはスペインの某大学に当時の日本の出来
事、及びイエズス会の動きなどに関する資料が保存されているようだ。財産を費やして研究した矢切留夫
氏の作家の解明によるものだ。恐らく真実であろうと思われる。ただ、信長が暗殺された運命を決したも
のは、実に霊的な因果関係、因果応報の原理、カルマの法則によれば、比叡山焼き討ちにあったと言え
るだろう。幾ら堕落した僧侶といえども、御仏に仕える者を殺傷しては仏罰、天罰が下ろうと言うものだろ
う。
追記1:
追記1: 硝石の代金決済には女性が輸出された(2003年5月11日)
今でこそ原油購入は自動車や電気等の輸出代金で決済しているが、当時の日本は硝石の輸入代金に
対して、一体何で決算したのか。歴史の通説では、当時の日本からの輸出は大したことのない品物ばか
りだ。そんな物で火薬の原料の硝石を買えるものではないだろう。一部の有識者が疑問に感じ推察する
通り、人間を輸出したと言えるだろう。サンカのみならず、多くの日本人が捉えられて、特に女性の値段が
高く欧州に輸出されていったようだ。これはポルトガルの某大学に資料が残っているようだ。今でもポルト
ガルやスペインに行くと、日本人そっくりの顔達が多く見られたり、頭に物を載せて運ぶ習慣もあり、戦国
時代に大量に輸出された日本人の面影を見る想いだ。
そんなに沢山の日本人女性を欧州に輸入したら、スペインやポルトガルの欧州に女性が溢れてしまう
のではないかという疑念もあろうが、当時は女権の高まりで、生意気な女性を魔女に仕立てて、所謂魔
女狩り旋風が巻き起こっており、随分と多くの女性が財産を没収されたり、魔女として焼き殺されたりして
いったようだ。その欧州の女性の穴埋めとして、従順な日本人女性が重宝がられて、硝石代金と交換に
安穏なる国家社会の建設に向けて: 92
輸入されていったようだ。即ち、日本人女性を多く受け入れる背景があったようだ。
なお、天草四郎時貞の島原の反乱事件は、実に日本から欧州に輸出される女性が駆り集められて収
容された場所での反乱であったようだ。偶々、その中に女性のような美男子、美少年の天草四郎がいた
と言うことだろう。島原半島は、欧州向けの女性の輸出基地であったと言うことだろう。歴史はその辺がど
うも真実を解明していないようだ。何故反乱したのか。首謀者がどうして美少年の天草四郎なのか。
女性を差し出すという発想は、種子島の鉄砲の仕組みの解明に関心を持った種子島の某鍛冶屋が、
ポルトガル人に自分の女房か娘を差し出して、火薬の爆発に耐える銃身の構造を聞き出し、単なるねじ
式であったことを知り、後悔し、後で自殺したという話も伝わっているようだ。当時の日本人には、単に栓
を差し込むと言うことしか知らず、「ネジ」で栓をすると言うことは知らなかったようだ。当時の習慣でも安
易に女性を差し出すということは常識であったようだ。
なお、つい最近でも、女性の人身売買は極めて普通でもあったようだ。余り言うと、某筋から猛反撃を喰
らいそうだが、某作家が指摘しているように、大東亜戦争の末期に発生した中国残留孤児でも、何も戦争
のどさくさで離れ離れになったと言うよりも、食料と交換で、足手まといの子供達を売ってきたという方が
真相のようだ。その中でも女の子の方が高く売れたようだ。買った中国人も、労働力として重宝していった
と言うことだろう。勿論、中には人道的に預かった方もいるようだが、殆どは金で買ったか誘拐したかであ
るようだ。
話は変わるが、戦国時代の大量の戦死者の死体に関して、よく武士が敵の首を槍に掲げて歩いている
姿が描かれているが、これは日本に大量にやってきた中国人に売りさばいたようだ。買う中国人は、脳味
噌などを漢方薬として重宝していったようで、戦国時代、戦がある度に、中国人が大量に日本に買い付け
にやってきたようだ。そこから人間の内臓や脳味噌を薬として使用するところから、「生薬」と言われてい
った背景があったようだ。歴史の裏話には、今の常識では考えられないことが余りにも多いようだ
追記2: 源平の気質が国民性を二分して来た(2003年5月12日)
日本には朝鮮や中国からの弥生系が渡来する前には、縄文系と古代イスラエル系がおり、戦国武将の
中でも、同士討ちを回避するために、民族出身が解りやすいように、源氏系は白、平氏系は赤、中国系
は黒などと旗などの色で識別していたようだ。この源平は一体何時の頃から日本に渡来したのか定かで
はない。
一説には源氏は馬を操ったが故に、騎馬民族系だったかどうかは解らないが、大陸系で、また平氏は
船を操ったが故に南方海洋民族系だと言われているが、案外真実であろう。平安末期から荘園警護の武
士階級として登場するものであるが、そのルーツはもっと前からであろうかと思われる。その源平もその
区別は一旦消滅したかに見えるが、日本の歴史の中に埋没しながらも、延々と継続しているようだ。因み
に北条や足利氏は平家、織田信長は源氏、徳川も源氏であろうかと思われる。
そして、庶民の中にも秘かに継承されていったようだ。江戸時代においても、同じ人足でも、源氏系統は
陸で仕事をし、白褌の駕籠かき、平氏系統は川人足として赤褌、このように縄張りが決まっていたようだ。
これも大陸系と海洋系の違いが関係していたのかも知れない。また、明治になっても、全てではないが、
陸軍は源氏系、海軍は平氏系が主流であったようだ。兒玉源太郎(陸軍)や東郷平八郎(海軍だが)など
は源氏系であり、山本五十六(海軍)などは平氏系であったように思われる。世界的にも稀に見る陸軍と
海軍の軍隊同士の気風の相違や仲違いもここに原因や背景があるようだ。
これは日本経済、企業などにも大きく影響を及ぼしているようだ。概して源氏系は建設会社に、平氏系
は造船会社に行き、活躍していったように思われる。同じ企業でも建設業界と造船業界では全く気風が
異なるのも不思議だ。建設業界は天下り官僚を受け入れて、政府に負んぶに抱っこであるが、造船業界
は天下り官僚を受け入れず、独立独歩の気風が強く、世界に冠たる国際競争力を形成してきたが、建設
系は、優秀な技術力はあっても、価格などでは国際競争力などないのもこうした背景も関係しているよう
安穏なる国家社会の建設に向けて: 93
に思われる。
勿論、それだけではなく、建設業界を支配している建築基準法(ロー)と、造船業界を支配している単な
る規則(ルール)とでは、官僚支配を許したり、技術革新に対応できにくい体質であることも関係するが、
即ち、法律では悪法でも遵守しなければ成らず、臨機応変に技術革新に対応出来にくく、規則では必ず
しも遵守しなくてもよく、罰則も余り無く、臨機応変に対応出来てきた経緯も関係しているだろう。
なお、明治になって職業選択の自由、居住地移動の自由、結婚の自由が与えられたが、源氏系と平氏
系とは、400年ほど前から結婚の自由が解禁されていたようだ。同じ日本人同士、特に本人同士が気が
あって結婚しても、親戚付き合いを始めていくと家風や気質が異なってぶつかり、離婚に行くのもこうした
民族気質が大きく異なるように思われる。因みに、薩摩と長州でも言葉が通じなく通訳を介したと言われ
ているようだ。薩摩と長州では民族の系統が異なると言えよう。幕末までは、我が国4百4州は等と言わ
れており、世界中から流れ着いた多民族国家であることが常識であった。明治政府が、国民精神を鼓舞
するために、同一民族説を創作していったようだ。
なお、明治になって政府が国民の出身民族が解るように、名字を付けていったようだ。因みに江戸時代
を通じて名字があったのは15%ほどもいなかったのではないだろうか。国定村の忠治、宮本村の武蔵、
清水の次郎長などと呼んでいたことでも解るだろう。なお、源氏系は、名字の上の字が、織田、徳川、小
林、小野などとオコソトノホモヨロで始まり平氏系は、足利、高橋、赤井などとアカサタナハマヤワラで始ま
ると思われる。因みに、中国系はウクスツヌフムユルで始まり、中国系に仕えた朝鮮や契丹系などは、イ
キシチニヒミリなどのようだ。そして賤民系は、エケセテネヘメレなどであるようだ。某作家の説で何処ま
で真実か解らないが、案外事実であるような気がする。
追記3: 日本は多民族国家で、今や同じ日本丸の運命共同体(2003年5月13日)
日本は世界中、特に歴史の中心である大激動の中近東から流れ着いた民族の最終・終着の地であっ
たようだ。事実、中近東から難破船に乗れば、何も動力無しでも、海流や偏西風で2カ月ほどで日本に到
達するようだ。もっとも行き過ぎればハワイやアメリカにまで行ってしまうようだ。それでも、一旦、日本に
到達した以上は、流れの激しい黒潮を乗り切って外洋に出ることは余程の航海術を持ってしなければ不
可能であったようだ。それ故に、日本では外洋に逃亡することは不可能でもあったわけで、山野に逃れる
ほか無く、中央政権により隔離され支配され管理されて来やすかったと言えよう。
なお、日本が世界中からやって来た証拠は沢山あると言えよう。幾つか本にもなっているので、それを
御覧になれば納得することが出来るだろう。例えば、鹿児島の「志布志」も中近東の紅海の湾口のアデン
近くの「ジブチ」に由来し、鹿児島の薩摩隼人の隼人はボルネオの豪族でハイヤット族に由来するようだ。
現在のホテルのハイヤットホテルも米国系となっているが、実態はこのボルネオ縁のハイヤット資本であ
るようだ。日本の他の多くの地名も東南アジアやインド、中近東にもあるようだ。
また一説には平氏の平とは、ペルシア(平)から来たとか言っている方もいるようだ。因みに四大氏姓の
藤、橘、源、平の内、藤原の藤は唐中国で、橘は唐を滅ぼした契丹系の契で、源氏の源は元だとか(時
代は逆だが)、何処まで真実か残念ながら検証できない。ところで、日本にある巨大な古墳文化や巨石建
造物などを見るとそれらは大陸由来かも知れないが、仮に表面的には大陸系文化が支配し混在してい
ても、主流の根底は海洋文化に染まって、概して海洋民族の習慣や気質が強く形成されてきたと言えよ
う。魚を生で食べる習慣など世界中何処を捜してもない。辛うじてボルネオの原住民にあるようだ。
頭に鉢巻きを巻く習慣も、南方系特有であり、インドからエジプトにまで遡るようだ。また、現在北にいる
アイヌが南方系であるというのも、彼等が着る着物に大きくヒントがあるようだ。ズボンなら馬にも乗れる
が、着物では裾から言っても馬にも乗れず、自ずと大陸系ではないように思われる。また、日本には群馬
県などと呼称されるように、大陸から牧畜が伝わった可能性があるが、農耕馬であり、本格的な交通手
段、輸送手段として馬車が発達したこともない。管理支配しやすいようにと政策的なものもあろうが、矢張
安穏なる国家社会の建設に向けて: 94
り、山野や渓谷が多い地形故に、大量輸送手段の馬車も発達しなかったものだろう。
現在、日本にはワニなどいないのに、因幡の白ウサギ伝説でも知られるように、ワニが登場してくる説
話、神話がある。またライオンもいないのに獅子舞があったりもする。これらは今でこそ、情報革命で世界
中から様々な情報が伝わって来るが、昔は何も物語や情報だけが人つてに伝わったのではなく、彼の地
の南方やアフリカ、エジプト当たりから人と共に情報がもたらされたと言うことだろう。なお、「金が産出さ
れないのに金の加工技術をもってる古代スメラの英知」と有識者から指摘されたが、金の産地と加工地
が異なったり、また人や技術、情報の移動に伴う結果であろうと思われる。要は、日本の歴史がその前の
移住元の地の歴史であった可能性も多いようだ。中近東が中央アジア、中央アジアが中国や朝鮮、そし
て中国や朝鮮が日本と言うように、民族が移動する度に、歴史も移転しすり替えられていったようだ。
ところで、神社の境内の狛犬や日本の幾つかの新羅神社などにも、朝鮮文化の影響も見られるようだ。
因みに、奈良なども朝鮮語で村落を現しているようだ。また「ウロチョロするな」とは朝鮮語の「ウーロンチ
ョ、オーロンチョ:右左」が訛ったようで、「ハナから始め」「ショッパナ」のハナとは、朝鮮語で「一番、始め」
の意味だそうだ。北陸などの古墳にも多くが朝鮮の風俗が発見されているようだ。もっとも、そこに朝鮮の
文化の先進性で、日本に教えてやったのだという思い上がった独善性があるようだ。反日で凝り固まって
いる背景には、こうした歴史の背景や儒教思想が影響しているようだ。
なお、中国や朝鮮の民族は黄色系でアジア人となっているが、遺伝子的にはハム系で白色系を同じで
あり、日本人の大多数のセム系の海洋系、南方系とは民族気質が全く異なるようだ。彼等はむしろ欧米
人と同様な気質を有していると言っても良いだろう。食生活を見ても肉を食べるとか魚を食べるとかでも
理解できるだろう。なお、中国6千年前の長江文明を構築したものが現在の日本人であり、4千年の黄河
文明を形成したのが現在の中国人であるようだ。日本の源氏などは大陸系とは言うものの、インドの武
士階級が出身であり、かつての新羅にもその系統が見られ、どうも南方系で来たのが朝鮮半島から大陸
内部までいった結果ではないかと思われる。これは中国南部の河南地方や朝鮮南部の百済などでも同
じようだ。
ところで、七福神も船でやって来ているもので、頭が長い者や丸い者、太った者や痩せた者など実に
様々な者がおり、恰も世界中の民族がやってきたという象徴でもあろうが、当方はそこには、HPでは紹
介してはいないが、実に生命の神を見る想いがする。それぞれが全宇宙の生命倫理を司る神々を現して
いるものと思っている。例えば、「七難即滅と七福即生之運行」として、一、恵比寿は誠実にして律儀なる
商売繁昌の神、一、大黒天は富裕と勤勉の神、一、毘沙門天はここ一番の時に厳然とした態度に勇気を
与える神、一、弁財天は知識才能の神、一、福老寿は徳を積み延命安泰の神、一、寿老人は長寿と健康
の神、一、布袋は広き心、寛大な心が和をもたらす平和の神と、人の日常生活を支配する神々を象徴し
ているものと思っている。ここは一般の通説と少々異なるものだろう。
なお、スメラとはシュメールであると言う指摘もあり、西洋文明の基礎を作った古代メソポタミアのシュメ
ール文明を担ったシュメール人が何処に消えたかが大きく歴史の謎となっているが、当方は、シュメール
は海洋民族で、日本に流入し縄文人と合流していったのではないかと思っている。ユダヤ民族が継承し
たという説もあるが、ユダヤ一神教とシュメールの多神教とは相容れないだろう。むしろ、日本の八百万
の神に見られる多神教文化との一致の方が自然であろう。なお、スメルなどの地名は今でも中近東に残
っているようだ。
古代イスラエル民族が日本に流入してきたと言っても、中には管理抑圧支配の思想の弥生系に混血し
ている者も多く、現に中国の華僑、ハッカなどもユダヤ系ではあるが、悪しき中華思想に染まってしまい、
その崇高さなどは徹底した易性革命や内乱化などにより今や何処にも見られない。また現在の欧米の両
ユダヤ民族も、紀元前5百年ほど前のバビロン捕囚以来の悪しきタルムード思想に染まっており、西洋文
明をリードしてきたものが、ここに来て資本主義体制の破綻・行き詰まりと共に一挙に崩壊する寸前であ
ろう。それ故に、そうした資本主義の崩壊、矛盾を一挙に解消するべく、北朝鮮有事を利用して日本や朝
安穏なる国家社会の建設に向けて: 95
鮮半島を一挙に戦場化して打開を図る策謀・謀略に出てきたとも言えるであろう。
当方には、歴史はある程度は正確に解明していくことは、正しい未来の建設に向けて是非とも必要では
あろうと思っている。現在の日本民族は、狭い国内で山野を隔てて複雑な方言や風習が氾濫する多民族
国家であるのに、単一民族であると教えられているが故に、いざとなればバラバラになっていくもので、逆
に多民族国家であるという真実を教えられれば、国民が一致団結して行きやすいと思っている。それでも、
一旦、真実を解明した暁には、歴史の過去は所詮は回復できない過去であり、過去は忘れ振り切り投げ
捨て去ることによって、将来に向けて大きく飛躍、飛翔していけるものと思っている。ここにこそ、日本に流
れ着いたもの同士、国家社会のために生死を共にする一蓮托生の運命共同体の意識を持って一致団結
していく必要性があると言えるだろう。
当方が目指す数千年来の歴史の総決算が、いよいよ、歴史的大激動を伴って展開されようとしている
ようだ。惜しむらくは殆どに日本人に、その気概や危機感が全く喪失していることであろう。その戦後の自
虐的な深い眠りから目を覚ます発端となるのが、「太平の眠りを覚ます拉致事件、たった五人でノドのト
ゲも取れず」となって、国民の愛国的関心が大きなうねりとなって、意識変革を根底から変える一大危機
が急迫してきたと言えるだろう。今後展開される国内の左右両極端の諸勢力の一網打尽、一掃、排斥な
ども、こうした歴史的大掃除の大事件を経由しないでは最早不可能になってきたと言うことだろう。
追記4: 多民族国家だが、単一の伝統・文化を継承し発展してきた(2003年5月26日)
ここで重要なことを整理しておくことが必要だ。多くの専門家ですら、日本が単一民族の国家であると頑
固に主張し、多民族国家であると言うことを認めたがらないようだ。様々な陰謀論に詳しい者でも、単一
民族論者だ。そもそも複雑な言語や顔形、風習などを見ても、世界中から流入してきた形跡があることは
明らかだ。純粋で純潔な民族性、日本固有の文化や伝統を強調する余り、日本民族の単種、単一、純血
の民族性でありたい思いが強いことは理解できるが、最早、そのような認識では無理があるようだ。
そもそも単一民族説は明治になって以来、富国強兵政策の延長で、国民意識の鼓舞から生まれてきた
ものだ。現に幕末までは、我が国四百余州はと言われるように、多民族国家であることは常識であった。
国内で言語が通じないことが多々あった。薩摩と長州でも言葉が通じなかったことが語り伝えられている。
これをもってしても、一体どうして単一民族であろうか。
世界中から多様な民族が流入してきたものの、不思議と中国大陸や欧州でも見られたような、民族同
士の殺し合いや難民発生、王権転覆から追放などの革命的事件は見られず、不思議と同化し中和してき
たと言うことだ。その結果、天孫降臨伝説から天皇制、縄文精神や文化などは破壊し解体されずに、
延々と継承されてきたようだ。縄文的文化とは自然崇拝や木造建築などだ。例え、弥生文化が到来して
も、多少の殺傷や逃亡、対立、隔離などはあったかも知れないが、大陸で見られるような完全な民族抹
消、難民発生、追放事件にまでは発展しなかったと言えよう。
天皇制にしても日本古来の神道文化を密接な関係を有しており、恐らく、人類の進化の過程で、輪廻転
生から霊的進化を遂げる形で、天孫降臨してきた事実が神話として残存し、これが語り伝えられて古事
記や日本書紀となり、神話や神道文化、天皇制として継承されてきたものであろう。即ち、世界中から他
民族が流入してきたとは言え、先住民の制度や文化を破壊し追放することは出来なかったと思われる。
むしろ同化し中和し溶け込んできたものと思われる。それでなければ、堂々と出身母体を名乗っているは
ずであろう。恰も純粋な日本人のような振る舞いをしないであろうと思われる。
勿論、天皇制も万世一系であると言うつもりはない。様々な豪族達の権力争いもあったのも歴史的事実
だ。その結果、天皇の継承にも正当性が疑われるのも当然であろう。しかしながら、霊的には万世一系と
して継承されてきたように思われる。吾々は天皇制に関しては、その血統もさることながら、制度としての
継続性を重視するものである。途中で男子に恵まれずに、養子などで血統が中断すれども大して影響を
及ぼさないと言う考えだ。
安穏なる国家社会の建設に向けて: 96
なお、アメリカ国民が普段は議論し対立していても、いざ国家危急存亡となれば一つに纏まるのに対し
て、我が日本は普段は和を尊ぶと言いながら、いざとなれば国民はバラバラになるのも、こうした多民族
国家である真実を覆い隠していることに原因があろう。むしろ多民族国家であるという事実を明確にして
いった方が、国民意識も一つに纏まって、一致団結、一蓮托生の運命共同体意識が醸成されていくもの
と思われる。
36. 世界的指導国家への飛躍と国民性変革のためには、日本語は思い切って廃止した方が良いだろ
世界的指導国家への飛躍と国民性変革のためには、日本語は思い切って廃止した方が良いだろ
う(2004年3月14日)
追記1:
追記1
: 某有識者が指摘する英語第二国語論を紹介(2004年3月14日)
追記2:
追記2: かなりの暴論だと思います(某投稿者A 丸 十)(2004年3月21日)
十)(2004年3月21日)
追記3:
追記3
: 日本語欠陥は迅速性を欠き不明瞭な意思伝達性と曖昧無責任な国民性の変革の要請から
(2004年3月25)
追記4:
匿名)(2004年3月27日)
追記4
: 感想を述べさせていただきます(某有識者A 匿名)(2004年
3月27日)
追記5:
追記5: 最も古くて、最も新らしいコトバ(某投稿者A 丸 十)(2004年3月30日)
追記6:
追記6
: 世界国家への脱皮か三流国家への転落かで日本語の歴史的見直しが必須となろう
(2004年5月17日)
追記7:
追記7
: 新らしいコトバ(投稿者:寺嶋眞一氏) (2004年6月1日)
追記8:
追記8
: 追記:日本語の歴史的見直しが必須となろう (2004年6月2日)
追記9:
追記9
: 民族・国民性を決定する要因は言語ではなく、宗教観・信仰観であろう (2004年6月5日)
追記10:
追記10
: 優劣を付けられない日本国民性は曖昧模糊の日本語が原因で国家破綻の元凶となろう(20
04年6月12日)
追記11:
追記11
: 日本民族の真の固有性は世界的普遍性の神道文化であり変遷流転の日本語ではない(20
04年6月12日)
追記12:
追記12
: 某有識者が言う「正しい日本語」とは明瞭な漢語か、曖昧情緒的な平仮名のことか?(2004
年6月14日)
年6月
14日)
追記13:
追記13
: 明瞭な漢語の多用は社会発展に不可避だが、霊性低下に繋がったのは皮肉な因果だ!(2
004年6月16日)
追記14:
日本語の欠陥が強く反映しているのは無責任な役人根性による曖昧な役人用語である
追記14
: 日本語の欠陥が強く反映しているのは無責任な役人根性による曖昧な役
人用語である (2
004年6月19日)
追記15:
追記15
: 外圧による日本語と英語の併存から次第に日本語の大幅な見直しや廃止に発展するのだろ
う
か (2004年7月8日)
追記16:
日本語は国際語になり得るか
追記16
: 日本語は国際語になり得る
か (2004年7月25日)
追記17:
追記17
: 日本人は、世界を指導できる国際人になり得るのか (2004年7月30日)
追記18:
追記18
: 二重言語国家日本を如何に改訂するのか (2004年8月3日)
追記19:
追記19
: 某氏の日本語の現状分析に関する見解に共感を覚えるものだ (2004年9月11日)
追記20:
追記20
: 「個」について 投稿者:寺嶋眞一 (2004年10月16日)
追記21:
追記21
: 大変に共感・共鳴を覚えるものが多いのだが・・・ 投稿者:不動明王 (2004年11月25日)
追記22:
追記22
: 和語と漢語とカタカナ語の対立が益々混迷に拍車を掛ける 投稿者:不動明王 (2004年1
1月25日)
追記23:
追記23: 日本語について 投稿者:新民党 (2004年11月28日)
追記24:
追記24
: 補足: 完璧な言語は存在しない 投稿者:新民党 (2004年11月28日)
追記25:
追記25
: 日本語の改訂は、国際的指導国家への脱皮と国民性の変革からの要請です 投稿者:不動
安穏なる国家社会の建設に向けて: 97
明王 (2004年11月29日)
追記26:
追記26
: う~ん、ん、ん、…
う~ん、ん、ん、… 投稿者:新民党
(2004年11月29日)
追記27:
: 東アジア経済圏の共通言語として、独自の第二アジア英語圏が形成されつつあります 投稿
追記27
者:不動明王 (2004年11月29日)
追記28:
追記28
: 外来語を漢字に大幅に言い換え(翻訳) 投稿者:不動明王(2004年11月29日)
追記29:
追記29: お互いの母国語以外で 投稿者:新民党 (2004年11月30日)
追記30:
追記30
: 公平さも大切だが、現実には言語の国際性、普遍性は経済力で決定するもの 投稿者:不動
明王 (2004年11月30日)
追記31:
追記31
: 日本語と国民性の欠陥を指摘するが、両者の真の因果関係には思いが至ってないのが残
念だ 投稿者:不動明王
(2004年11月30日)
追記32:
追記32
: 英語の圧倒的浸透力に対して日本語はローカル言語に転落するだろうが、災い転じて福とな
英語の圧倒的浸透力に対して日本語はローカル言語に転落するだろうが、災い転じて福とな
すべく、国民性変革の好機到来となるであろう (2004年12月7日)
追記33:
追記33
: 「かなり気がかりな日本語」が出版されているが・・・ (2004年12月7日)
追記34:
追記34: 日本語シンポジウムを聴講した感想:思った通りに何ら有効な解決策など出てこなかった (2
004年12月20日)
追記35:
追記35: 『思い切って日本語を捨てざるを得なくなる日』が来るだろう (2004年12月21日)
追記36:
追記36
: 英語の席巻浸透は今や世界的な勢いで、果たして日本語は安泰で行けるのか (2004年1
2月27日)
追記37:
追記37
: 恐ろしいろしい予言 投稿者:豊松 (2005年1月12日)
追記38:
追記38
: 崩壊し錯乱した日本語の伝統文化の頑なな継承が国家社会の破綻を招来するもの (2005
年1月13日)
追記39:
追記39
: 英語か中国語か 投稿者:豊松 (2005年1月20日)
追記40:
追記40
: 聖心先生はかつて「国民性変革のためにも日本語を思い切って捨てるべきだ」と併行して、
「今後は英語よりも中国語が重要となるであろう」とも言われたが・・・ (2005年1月20日)
追記41:
追記41
: 意見 投稿者:豊松 (2005年1月21日)
追記42:
追記42
: 今時の社会では英語の方が中国語よりも世界性があり、抜本的な国民意識の変化になろう
投稿者: 不動明王 (2005年1月24日)
追記43:
追記43
: 某著名作家の日本語に関するコメントを紹介 投稿者: 不動明王 (2005年1月25日)
追記44:
追記44
: 何と英語の本場イギリスが、氾濫する米語を嫌悪し排斥に至っているようだ・・・ 投稿者: 不
動明王(2005年1月27日)
追記45:
追記45
: 米語の未来について 投稿者: 豊松 (2005年1月26日)
追記46:
追記46
: 日本語革命のための現実的提案 投稿者: 豊松 (2005年1月27日)
追記47:
追記47
: 荒海外洋を航海していく日本丸は、難破漂流を前に沈没を免れるべく、日本語という積み荷
(2005年2月2日)
を思い切って捨て去るを得ない時が来るだろう 投稿者: 不動明王 (2005年2
月2日)
追記48:
追記48
:
追記49:
日本語の伝統的特徴や今日的限界について考察し、日本語の乱れが今や日本人の国民性や国家社
会にも大きく影響を及ぼしつつあることをご指摘してみたいと思います。従来は長所と言われた日本語が、
今や歴史的大変動の真っ只中にあって、短所や欠陥に大きく変貌しつつある状況を踏まえて、日本語の
根本的在り方を問い直す歴史的大転換の時期に来たと言うことに警鐘を鳴らしたいと思います。これは
正しく国家の命運を決する事項に言語の在り方が大きく関係し、正に日本語自体を再検討して乱れを改
訂していく時期に来たと判断するからです。世界を指導し教導する日本の歴史的改革に際しては、実に
安穏なる国家社会の建設に向けて: 98
真正な国民性の変革こそ必須であり、その核心は実に言語の在り方に大きく左右されるからです。
日本語の在り方を巡っては、過去を振り返り、現在を観察し、そして将来を展望して洞察して行くことが
大切ですが、実に容易に即断したり判断できずに相当に難しいものを孕んでいることが明らかでしょう。
当方も何も早急且つ性急に抜本的対策を講じることを強調し訴求するものではなく、次第に国際情勢乃
至は国際環境の進展と共に、大きく行き詰まって行くにつれて、次第にその因果関係に日本語の在り方
が大いに関係してくると言うことを指摘するものであります。即ち、日本語の欠陥と限界が露呈されていく
であろうと危惧するものです。
しかしながら果たして何処まで多くの有識者が状況を正しく分析し、更には歴史的大英断の下に効果的
な解決策を提示できるのか大いに疑問です。その折りに至れば、国民全体とまで行かなくても、一部の
指導者階層当たりから、日本語の使用体系における抜本的な見直しが始まって行くであろうと思います。
正に世界国家への脱皮か三流国家への転落かの大いなる選択の岐路に立たされて行き、日本語の歴
史的見直しが必至となるだろうと予想するものです。
いまや社会には、若者の活字離れに見る精神の退廃や荒廃、個性を潰す嫉妬や妬みが氾濫した閉鎖
的社会の蔓延、そして官僚や政治家、財界人達の指導者階層の問題解決先送り、玉虫色的決着の優柔
不断、無責任な言動が氾濫しており、今や多くの難問山積の状況下で、最早どうしようもない大きな壁に
突き当たっているように思います。この由々しき状況には実に様々な原因や背景が考えられますが、従
来美徳とされて無益な対立を回避して和の精神を尊んできた曖昧模糊の日本語の長所が、いまや壮大
な欠陥を露呈しつつあり、実にこの日本語の大いなる乱れが、無責任で優柔不断な国民性の堕落へと
益々拍車を掛けつつあるものと危惧するものです。
かつて聖心先生の対話の中で、聖心先生は「日本語を思い切って廃止しないといけない」と申されまし
た。当時は日本語こそ、大和魂の根源では無いのかと思っていたものです。日本人であるという証明こそ
日本語ではないのか、日本人から日本語を捨て去ったら一体何が残るのか、むしろ日本が最終的に守る
べきものこそ日本語ではないのか、日本人のアイデンティティは実にこの日本語そのものではないのか、
それに日本語こそ、まろやかな日本人の心象を形成しているのではないのか、一体、聖心先生は何を考
えておられるのか、などと大変疑問に感じたり訝ったりし、実に先生の心の奥底を図りかねて怪訝に思っ
たりした次第です。それが今になって、聖心先生の言われた日本語廃止に関しての御指摘を漸く納得し
た次第です。
聖心先生が言われる日本語を廃止するという真意はこうです。即ち、日本語の欠点は曖昧さにあると言
うものです。主語もなく、表現の曖昧さは現在の激しい国際情勢における人間関係、外交交渉、経済活
動には極めて不向きであると言うことでした。この場合の日本語とは、当方も勘違いしていたものですが、
漢字を使用しない平仮名を中心をした日本語と言うことです。漢字で当てはめてみてやっとその意味が
理解できるという場合が多いようです。当方もHPを作成しながら、漢字を多用することにより、意味が正
確になってくる場合が多いことを痛感します。聖心先生の書かれたものも、実に大宇宙の真理や哲理、摂
理、そして真髄や真実を解明するにも漢字で表現していることが多いようです。仏教教典の表現も実に漢
字、漢語の世界ですが、これを平仮名、万葉仮名で表現すれば極めて曖昧模糊になってくるだろうと危
惧されるものです。
これで幕末時においても、対話には漢語で書いて交換していたと言うことも理解できるというものです。
日本語の良さは「しとしと、じめじめ、じとじと、ぬるぬる、ずるずる」などの擬態語、擬音語が多く、極めて
様々な情感、情緒、情景を現す場合には表現豊かで温和で柔らかい語感が響いてくると言うことでしょう。
例えば、厳格、正確、厳密、精密、緻密、細密なども、日本語で言えば、はっきり、くっきり、しっかり、きっ
かりなどでしょうか。しかし、意思の伝達における正確さや迅速性には問題が多いことは確かででしょう。
今や、明瞭な語彙の少なさや、主語のないこと、以心伝心で事足りるとする曖昧さが最大の欠点、欠陥で
ありましょう。正に役人根性を形成しているのも曖昧な日本語であり、無責任で問題先送りではぐらかし
安穏なる国家社会の建設に向けて: 99
の官僚用語というものでしょう。官僚用語では、直ちに、速やかに、遅滞なく(遅れることなく)を使い分け
ているようです。最初の「直ちに」の用語ほど早くやり、最後の「遅滞なく」は何もしないと言うことのようで
す。
例えば、日本語には一つの読みに意味が複数あり、漢字で区別すれば理解できる場合が多いと言うこ
とです。「かえる」が「変える、還る、帰る、換える、買える、代える」。「みる」が「見る、観る、視る、看る、診
る」などです。これに対応する様々な意味の英単語もあるようだし、これら漢字、漢語(中国語)や英語に
比べると、如何に日本語は語彙が不足しているかでしょう。また、厳格さにかけては世界に無比のドイツ
人に向かって、「そこに行ったら誰もいなかった」などと言おうものなら、ドイツ人は「お前は嘘つきだ、何
故なら、そこにはお前がいたはずだ。」と返されるようです。むしろ「そこには自分以外には誰もいなかっ
た」と明確に言うべきでしょう。それほど対話には厳格さを要求されているものです。
聖心先生も、今や日本語の有する柔らかい語感は曖昧さに繋がる、これが無責任や意思伝達の不備
になり、国際的な外交交渉にも著しく支障をきたし、個人間の対話にも障害を及ぼしつつあると言ってお
られました。当方自身もHP作成に際して文章作成の感覚を身に付けていくと、周囲と対話の曖昧さで摩
擦を引き起こすことも度々発生しています。言霊の世界でも、矢張り、平仮名よりも漢字の方が強く現れ
るのではないかとさえ思われる。意思の伝達は日本語ならば曖昧さ故に柔軟さがありますが、これは逆
に見れば意味不明、不鮮明、曖昧、無責任に繋がっていくものです。今更中国語でもないから、矢張り英
語に大転換していく必要性も理解できた次第です。そう言う中で、大変参考になる某有識者の見解があ
ったので如何に紹介しましょう。
追記1: 某有識者が指摘する英語第二国語論を紹介 (2004年3月14日)
ここで某元東大教授(西村肇氏)が指摘する英語第二国語論を紹介しよう。
『国語を教えるか言葉を教えるか』
私は、学生時代から、物を考えるには英語で考えるよう努力していました。研究で世界を相手に勝負し
ていくには、それが絶対に必要だと考えたからです。そのため、原則として、日本語は書かないことにして
いました。ところが、定年後は生活上、日本語を書く機会が圧倒的に増えました。ある意味では、初めて
日本語とまじめにつきあうようになったのです。すると、英語にくらべ、日本語が書きにくい言葉であるの
を痛感します。かな書きにするか、漢字をあてるか、句読点をどこに打つか、まったくルールがないからで
す。
ルールがないから、初めはとっつきやすい。しかし、どうやってもいいのではなく、正解らしいものはある
らしい。ただしそれは、感覚的にしかつかめないのです。
英語の場合も、別に、言葉の選び方、表現方法に関して完全なルールがあって、それにしたがって書く訳
ではありません。考え、考え書くわけです。実際の作業は、複数の単語あるいは表現を思いついては、そ
のうちどちらがよいか、選択の繰り返しです。ただ英語では、どちらがよいのか判断基準だけは確立して
います。それはきわめて単純で、表現は短いほうがよく、単語はイメージが明確なほうがよい。これなら外
国人でも、時間がかかるかもしれないが、考えて書けば、よい英語を書くことができます。
日本語には、このようなルールも判断基準もないから、いくら考えても、よい日本語は書けません。これ
が日本語の欠点だと思います。考えて使えない言葉は、高度の知的言語とはいえないからです。
○若者の活字離れはなぜ
日本語の知的言語性を疑わせる兆候は、いくつか出ています。いちばん顕著なのが、若者の活字離れ
です。今、二〇代の若者は、楽しみに本を読むことは少なく、マンガしか読みません。頭の中で言葉を使
安穏なる国家社会の建設に向けて:100
って考え、それを楽しむという生活習慣が、急に弱まっていることの現われでしょう。したがってそれは、
日本語の問題と考えざるをえません。日本語は、知的に若者を興奮させる魅力に欠けているようです。ス
ピード、リズム、表現力に問題があるのだと思います。
そのうちでも、話す時のスピードが、いちばん問題だと思います。話す時は、速いほうが人は注意を集
中し、興奮します。ところが日本人のスピードは、英語の二分の一以下なので、話を聞いて頭がフル回転
というわけにはいきません。NHK のアナウンサーがとくにのろいのです。ニュースステーションの久米宏
が受ける理由の一つは、彼が早口だからでしょう。
表現力も乏しい。NHK では、政治家の発言は判を押したように「という考えを示しました」としか言いませ
んが、英語では expressed(示した)、revealed(洩らした)、stressed(強調した)、confirmed(確認した)と、もっ
と血の通った表現を使います。
私自身は、英語を聞いている時と日本語を聞いている時では、頭の働き、身体の中の血の流れが、ま
るで違います。英語だと心臓がよく動きます。だから頭と体の健康のために、一日最低一時間は、米軍放
送(AFN)を聞きます。ボケ防止策です。
日本語の知的言語性を疑わせるもう一つの徴候は、日本人の外国語習得能力の低さです。
日本人の英語力は、世界一八五カ国中一六七番目、セネガルなどアフリカ途上国なみです。
これは日本がアジアにあることが原因ではないことは、米国留学志願者が受ける TOEFL 試験の結果を
見ればわかります。日本はアジアのどの国にも抜かれているからです。
中国語は、英語からは、かけ離れた言語です。名詞、動詞の区別がなく、前置詞がないことに着目する
と、「てにをは」のある日本語のほうが、英語に近いと思うほどです。しかし、中国人のほうが英語をマスタ
ーしやすいのです。数年の修練で、英米人が脱帽するような完全な英文を書く人が多くいます。これは、
言語の基礎にある概念、つまりもののとらえ方が、英語と中国語で共通点が多いことを示唆しています。
概念が共通ならば、あとは機械的な翻訳だけですむはずです。これに対して、私たち日本人は英語を学
ぶ時、英語の考え方として、英語での概念、物のつかみ方から学ばねばなりません。ここで差が出るので
す。
「やまとことば」は概念が単純で未分化であるのに対し、中国語も英語も概念が分析的で繊密です。た
とえば、「かげ」は中国語では「陰」または「影」です。これは英語の shade と shadow に正確に対応しており、
厳密に使い分けられます。「かえる」も、中国語では一つの概念ではなく、「変」「換」「替」「代」と別々の概
念です。中国人はかならず、どれであるかを区別して考えています。これらの語は、英語の vary、change、
replace、substitute に正確に対応しており、英語国民もやはり、中国人と同じく別の概念で考えているの
でます。
したがって、このような区別があいまいな日本人にとっては、まず漢字の使い方を正確にマスターする
のが英語をマスターする近道でしょう。決して仮名で「かえる」と書かず、変、換、替、代のどれかの漢字を
書くようにすれば、英語を書くための概念形成ができるはずです。明治人には立派な英文の書物を著わ
し、世界的に有名になった人が多いのですが、これは、漢籍の素養がしっかりしていたからだと思います。
○英語を使った漢字教育・国語教育
といって、現代の人びとに、英語を学ぶ前に徹底した漢字教育をするというのも、非現実的ナンセンス
でしょう。私は逆に、英語を使って漢字教育を漢字教育を補うのがよいと思います。現代の人は、概念と
しては、漢字よりもむしろ英単語のほうを正確につかんでいるからです。このような目的のためには、台
湾の漢英辞典、英漢辞典が、たいへん役に立ちます。「聞」「聴」の区別は、聞=hear、聴=listen とあるし、
見、看、視の区別も見=see、看=look at、視=look at、observe と知れば、よくわかります。「と思う」、「と考え
る」の区別も、国語辞典ではよくわからないのですが、本家に聞くと、思=think、考=study と明瞭です。
mind は日本語では「心」と訳されますが、英漢辞典では、智力、理解力、悟性となっています。つまり「頭」
安穏なる国家社会の建設に向けて:101
だといっているのです。英語の正しい解釈は、こちらです。
これでわかるように、知的言語としての国語教育は、英語、古典中国語をフルに取り入れた「言語教育」
でなければならないと思います。そのための道具として必要なのは、漢英辞典と英英辞典です。知的言
語としての国語教育のためには、現在の国語辞典は不要です。反対の人は「思う」「考える」を『広辞宛』で
引いてみてください。役に立つことは何も書いてありません。
このような新しい国語教育の方法をさぐること、それに役立つ新しい国語辞典をつくること、それにもっと
スピーディーな話し方日本語をはやらせること、これが、私のこれからの挑戦です。
『知的活動の足を引つ張る日本語』
○国際会議が不得手な日本人
一九七一年、キッシンジャーがはじめて中国を訪れ、周恩来首相と会った時の会話が先に公開されま
した。それによると「中国の視野は世界的だが、日本の視野は狭くて部族的だ」というキッシンジャーに対
し、周恩来は「島国ですからね。とても変わっています」と受けています。
欧米人は差別になりそうなことだと、普通は、こんなホンネを言いませんが、アジア人は、日本人の変な
点を遠慮なく批判してきます。たとえばアジアの国際会議に出ると、日本人とでは会議にならないと苦言
を呈します。それはどういうことなのか、最近、なるほどと思う経験をしました。
それは、アジア諸国の環境汚染防止担当者が集まる会議でした。今回は日本が当番国だったので、主
務官庁の責任者が最初に会議のねらいを英語で説明しました。ところが、これが絶対に英語には聞こえ
ない英語なのです。スピーチだけ聞いていた私にはまったく意味がとれない一五分でした。他の人はスク
リーンに写される原稿のテキストを読んで意味をつかんだようです。それならテキストを配ればよく、スピ
ーチの必要はなかったのです。
スピーチだけではまったく意味が通じないというのは、日本人が国際会議で行なうスピーチの九割に及
ぶと思います。その点でいえば、次に実務報告をした若い担当者の英語は、いちおう英語として通じるも
のでした。日本も少しは変わったかなと思ったとたん、ショックを受けました。スピーチが終わって質問が
出たのですが、質問の英語がまったくわからないし、教えられて意味がわかっても答えられないのです。
手をバタバタ、口をパクパクするばかりで、英語が出て来ないのです。スピーチをいちおうこなしただけに
めだちました。
その後私は、メモなし予定原稿なしで「水俣病の科学」について一時間話したのですが、すごい反響でし
た。タイとベトナムの代表は、講演後「感激した」と言って演台に握手を求めに来ました。そしてぜひわが
国に来てほしいと、その場で招待の申出がありました。感激したら態度で示すし、よいと思ったら自分の
判断で決定する人たちを見て、これでは日本人はとても太刀打ちできないと思いました。
○集団では強いが個人では?
もう一つ、アジアの他の国の人にできて、日本人にできないのがディスカッションです。
発表に対して質問という形で意見を述べて議論を盛り上げるのが、国際会議ではいちばん大事なこと
なのに、日本人の質問は事実確認か一方的意見の開陳で議論にならないのです。
これは社会生活の中にそういう習慣がないことからくる、どうしようもない弱点です。
アジアの中でも、インド、シンガポール、マレーシア、フィリピンは、知識人は百パーセント英語で仕事を
していますから、議論のしかたも内容もネイティブ並みです。タイ、ベトナムは少し不慣れですが、プライド
は高い人たちですから、議論ではひげをとりません。中国人はだいたい発音がひどく、マナーも悪いので
すが、大声で主張し議論してきます。
こういう人たちの中に入ると、手を振り、顔をしかめても出てくるのは単語だけ、文章にならない日本人
安穏なる国家社会の建設に向けて:102
は、言語(知的)に障害を受けているようにみえます。日本人は集団として強いだけで、個人は知的に弱い
と見られています。普通、「知的」とは、言葉を使って考え議論することで、分数の計算ができても知的と
は思わないからです。
○原因は日本語にあり
では、人間として同じなのに、なぜ日本人が「知的」に障害を受けるのか。それは日本語という言葉のせ
いではないか。これを最初にはっきり言ったのは国粋主義者の北一輝です。二・二六事件の指導者とさ
れ、無実なのに死刑にされた天才的思想家です。その彼が八〇年前、昭和大不況を解決するための提
言として書いたのが「日本改造法案大綱」とよぶ憲法草案です。これは絶対天皇制から民主国への移行、
華族の廃止、三町歩以上の土地所有禁止、男女平等を明記したもので、新憲法の内容をほとんど全部
先取りしたものです。
そのうち、教育に関しては、教育の目的を「世界的常識を養成し、個々人の心身を充実させ、天賦の才
能が花開くようにさせる」とし、そのための基礎として、国語として、エスべラント語を第二国語とすると定
めています。
なぜそう考えたかと言いますと、彼は、アジアを侵略するつもりはありませんでしたが、人口稀薄なオー
ストラリアとシベリアは日本が解放し、そこにアジア各地からの移民を招いて新天地をつくるつもりでした。
そこでの言語として不便不合理な日本語を押しつけることはできないから、日本人がエスペラント語をマ
スターせよ、というのです。
その理由として、日本語が言語として根本的弱点があると指摘し、語順の問題を取り上げています。語
順として主語の次には動詞、その次には目的語、というのが人間の心理法則に従った自然な表現であり、
欧米語も中国語もそうなっているのに、日本語だけが転倒混乱しているというのです。この不合理不便な
日本語のために日本人はおおいに苦しんでいる。だから、もし子どもの時からエスペラント語を第二国語
として教えれば、自然淘汰の原則によって、五〇年後には国民全部がエスペラント語を第一国語として
使用するようになるだろうと述べています。
○だから必要な第二国語
この北一輝の指摘は、私が体験した国際会議での日本人の苦しみを正確に見通したものです。今後の
英語教育の議論は、日本語に関するこのような認識を含めた議論としてなされなければならないと思い
ます。私自身が日英両語を同じように使っていて気づく日本語の弱点は、語順のほかに三つあります。
第一は、代名詞が末発達、そして定冠詞がないことです。そのために犠牲になるのが、正確さとスピー
ドです。
第二は基本概念の未分化です。早いと速い、影と陰、聞くと聴くと訊くが、音では無論、頭の中でも十分
に区別されていません。英語なら幼児でも early と rapid、shadow と shade は別なものなのに、です。これ
が英語がスムーズに出てこない最大の原因です。
第三が音韻の過度の単純さです。ヒトは本来、千くらいの音を聞き分ける能力をもっていて、英語はそ
れを使いますが、日本語は百しか使わないため、その能力が失われるのです。r と 1 が聞き分けられない
のは、そのほんの一例です。
このように日本語はスピード感がないので、速い正確な言葉で考え、議論を楽しむのに向いた言葉では
ありません。そのような活動を容易にするには、それに向いた言語を第二国語にすることが、ぜひ必要で
す。
『日本を変えるだめに言葉を変える』
○フランス人ならなぜできる?
安穏なる国家社会の建設に向けて:103
二〇〇二年のワールドカップは素晴らしかった。負けつづきだった日本中に久しぶりに勝利を味わわせ
てくれたのです。「トルシエ監督ありがとう。これはあなただからできたのです。日本人監督だったら、とて
も不可能だったろうことはみんなが知っています」。
もう一人、もうあきらめていた日本人に、やればできることを教えてくれたのもフランス人です。ニッサン
のカルロス・ゴーン社長です。
日本人司令官にできないことがフランス人になぜできるか。私は部下との距離の取り方とコトバの駆使
だと思います。それまでアフリカチームの監督だったフィリップ・トルシエは、部下との間に絶対的な距離
を取ります。そしてココロではなく理論とコトバで人を動かします。部下の特性を徹底的にクールに見て、
クールに処分します。ゴーン社長も同じです。ニッサン社員をどう評価するかときかれた時、「よいものは
もっているが、会議で物事を決められないのが致命的欠点」と述べていました。「放っておけば根回しする
から、会議は単なる儀式になる。会議は A を捨て B を取ることを決める場のはずなのに、彼らはそれを嫌
い、A も B も両方取るか両方を捨てる」というのです。
私はこれを聞いた時、太平洋戦争で日本が決定的敗北をこうむった、ミッドウェー海戦を思い出しました。
戦力からは負けるはずのないのに壊滅的打撃を受けたのは、意見のちがいを議論で決着することを避
け、たがいの顔を立てて、全勢力を三分してしまったからです。これはあの日米戦争の全体について言え
ることです。もし総指揮官がフランス人だったら結果は違っていたかもしれません。
○日本語に物申す!
日本人が会議の議論で A を捨て B を取ることができないのは、公開の場での批判や反論を敵対行為と
みなしてしまう日本人的心情が第一の原因でしょう。日本では、グループが違えば批判ははげしいので
すが、同じグループ内では議論で相手を負かすことは許されません。
これは日本文化の美点でありながら、危機においては弱点となりますが、それが変えられない理由の
一つは、日本語にあるように思います。私は日本語でも英語でも同じように議論する人間ですが、そこで
感じる違いは、英語では議論には議論が返ってきてそれで終わるのに、日本語では物言わぬ敵をつくっ
てしまうことです。それは、相手の意見に自分の意見をぶつけるのが英語会話の基本的マナーなのに、
日本語では同意が会話の基本だからでしょう。
会議の言葉としては、日本語はいくつかのハンディを負っています。会議の言葉とは、聴衆の神経を話
者の言葉に集中させ、興奮させるのが理想ですが、日本語はその点で英語に負けます。その第一の理
由は、スピードです。話は人の考えるスピードに合わせ、むしろそれより少し速く話したほうが人は神経を
集中し興奮してきます。ところが日本語は、現代人の思考スピードより遅いため、先が読まれてしまい、
退屈になるように思います。
退屈に追い討ちをかけるさらなる要因は、話の内容です。多くの場合、事実経過の説明に終止し、話者
の解釈や考えが述べられることが少ないのです。これは、会話の基本が同意を得ることにあるならば、意
見を言うより事実経過に終始したほうが安全だからです。
これに対し英語では、「こうならば、こうだろう」という would で表わされる予想や推定が、スピーチの基調
なのです。
でも、話を退屈、冗長にする最大要因は、日本語の過度の儀礼的表現にあると思います。
日本語では、内容よりも言い方が問題になるのです。たとえば「ございます」という語尾です。教授会な
どで「ございまして」しか聞こえない話に腹を立ててる私は「ございます」を使いません。その結果、お礼の
言葉も「ありがとう」なのですが、これを聞くとさっと顔色の変わる先輩が多くいます。むしろ「ございます」
だけ言うほうがよいのです。
○コトバも自由競争の時代へ.
安穏なる国家社会の建設に向けて:104
現代英語は話の主題をいかに正確にスピーディーに伝えるか、そこに努力を集中していますが、日本
語は誰が誰に何を伝えるか、話の内容を人間関係から切り離せません。英語の議論では What's said(内
容)だけが問題なのに、日本語では Who said(人間関係)が重要なのです。それでは、自由な議論はむず
かしいわけです。
こう考えた私は三〇年前から、東大の研究室では日本人同士でも討論はすべて英語という方針をとっ
てきました。一度だけ日本人だから日本語でやらせるという要求があったので、譲歩したところ、一カ月後
には、英語に戻してくれと頼んできました。理科系の研究者にとって、日本語での発表は何の価値もあり
ません。したがって読むのも書くのも英語だけです。さらには、英語を自由に話し、英語で考えることが、
仕事に必須だからです。
英語は第二公用語ではなく唯一の公用語だからです。
これに対し、英語で研究すると日本独自の研究ができなくなるのでは、という反論がすぐ出てきますが、
これは当たりません。たとえば私自身はアメリカ式研究に批判的だったので、まったく留学はせずに独自
で「プロセス工学」という学問を拓き、本を著わしました。日本語で出したあと英語に翻訳しました。
その五年後に、マサチューセッツ工科大学からの招待で、初めてアメリカにわたり、翌日にはその講堂
で、全教授と大学院学生を集め、「プロセス工学」を教えました。第五五回毎日出版文化賞を受けた『水
俣病の科学』は、この研究の延長です。いま英語版を執筆中で、世界が水俣病を知る最初の本になるは
ずです。このように、オリジナルな研究とは研究姿勢の問題であり、言語に影響されるものではありませ
ん。
国際化の進展は、国内と国外を単純に分けることを困難にします。日本の会社なら社長は日本人で、
会議は日本語ということが、すでに成り立たなくなっています。コトバの世界も自由競争、適者生存ですか
ら、目的に応じ英語が日本人のコトバになっていくと思います。でもそれは、幕府の伝達文書からエロ文
学まで、武士階級の読むものは、すべて漢文あるいは漢文書き下し文であった明治以前を思えば、はる
かに自然でしょう。
追記2: かなりの暴論だと思います(某投稿者A 丸 十) (2004年3月21日)
こんにちは、慧眼の不動明王様の意図的な問題提議だと受止め、若干のコメントを。
前記の元教授の論には山ほどの反論がありますが、ここでは幾つかに留めて置きます。
これから述べるコトは苗代音源、語源学を参考にしました。
この教授の言は何だか戦後の栄養学者が日本食を散々貶して、後にアメリカ辺りで和食の素晴らしさに
気付き理想の食事とまで評価され恥をかいた、表層のみに囚われた浅見の輩を髣髴させられます。
此処で問題とされているのは日本語が持つ多数の同音異義語だと思はれます。
スピードとか興奮などを求めるならどうぞハリウッド映画(安手の)やエンターテエメントのほうへと云いた
くなります。
私も日本語が持つ同じコトバで、何故種々のイミが有るのか常々不思議に思ってました、しかしそれを短
絡的には否定できませんでした、まして非知的言語なぞと決めつけるほどに言語学に関して博学でもなく、
表面的には計り知れない深い理由があると直感してました。
ここではコトバと文字を分けるコトが大事だと思います。
問題とされている大部分は文字を使い文章にする際の日本語が持つ同音異義語のあいまいさが、歴史
や、公文書や、法律、学術論文等の正確厳密さを要求される場合には不的確であるとの指摘だと思いま
す。
その問題をいつの間にか日本語全体の問題にすり替え、あげくが日本語が非知的言語と断定していま
す。
それ程非知的言語を使用する民が、古くからの万葉集や源氏物語などの知的、精神的活動の多くの文
安穏なる国家社会の建設に向けて:105
化遺産を残し、そして現在世界有数の経済大国、先進工業国として存在することが出来るでしょうか。
それから日常会話においては未だ嘗て何らの不自由を感じたことはありません。
たしかに指摘されたとうり日本語は文字による文章化が困難であることは否めません。
その理由として日本語が持つ独特の成立基盤にあります。
コトバを伝え残すには何らかの「記号」にイミと内容を背負わす必要があります。
その「記号」は中国では表意文字の漢字とし、一つの漢字に一つのイミを与えました。
別の文明を築いた国々は表音文字をつくりその組み合わせでコトバとイミを現しました。
夫れとは別に日本の古代の人々は、漢字やアルファベットが作られた時よりも遙か以前(現在より1500
0年程程)文字のない時代に、自然物の名称にコトバのイミと内容を背負わせました。
よつて日本人は周囲の自然物の名称をコトバとして使用すれば、その中に込められた古代人の生活感
覚や直感的サトリに直ちに触れることが出来ます。
言い方を変えれば、古代日本人は長い自然観察の末に得た表面のみの現象に囚われ無い、その中に
働く原理、原則、法則、秩序なども含んだコトバを創り上げ、そして今日の我々にかなりの部分を残してく
れました。
その辺りは古事記あたりが真に解釈されれば明らかになるでしょう。
同音異義語の存在はこの辺りにあると思います、表層的に見れば、全く異なる事象が同じコトバで現され
ているのは、古代人は或るモノを観察する際に、外見のみに囚われずに内在する或る種のチカラ、作用
等目に見えない在るモノを感じたのでしょう。
だから同根、同質の目に見えないハタラキやチカラが作用している事象におなじコトバを与えた。
この辺は我々日本人は日本語を長く使用しているので、いつの間にか血となり、肉となり同化しているの
であまりそのことに対する自覚がありません。
それを表層的に捉え矛盾している言語だときめつけてしまいました。
日本語が曖昧なのではなく、一つの語が一つのイミしかない漢字や漢語化した日本語、翻訳調文に強く
影響された理解力が問題なのです。
日本語の一つ一つの音が持つイミ、働きを熟知すれば、多種多様で変化自在なこの宇宙と我々を取巻く
大自然、そして世界を的確に理解できるように、古人は日本語(和語)残してくれました。
漢字、漢語に影響されない和語を柿本人麻呂は万葉集で言霊と名付け、民族語の保存を提唱しました。
「言霊」は「事霊」とも表記され、日本語の持つ一つの言葉が複数のイミ、内容を持つことが現されていま
す。
「事霊」手にとって、確認することができる具体的な物名、つまり目にすることができる物、現象を現す。
「言霊」目に見えない、物質現象の背後に働いている力、法則、秩序などの働きを現す。
つまり一つの言葉が、現象面と、其の背後にあり現象を生じさせる目に見えない働きまでも現しているの
です。
量子力学で言うところの、この宇宙のあらゆるものが持つ、粒子と波動の両面性を一つの言葉で現す程
の先進性を持つ古代からの貴重な、ほぼ原型を保つた世界でも稀な根源言語です。
さらに和語はひとつの言葉にプラスとマイナスの両面を持たせ使用してきた。
これも極めて科学的である、自然の原理に「プラス、マイナス」があることを自然の観察者である古代人
は直観していました。
複数のイミを持つ日本語を一つのイミに閉じ込める不毛の行為では日本語は死んでしまい、もはや日本
語ではありません。
この辺りは学校の日本語教育に問題があり、日本語(和語)を漢字で表せるとする漢字教育が問題です。
「記号」として文字を使うのは、現代の様な複雑な時代においては止む得ないが、しかし「漢字のような表
意文字」の多用は、必然的に日本語の持つ特質(未解明の部分が多いがその潜在する可能性は極めて
安穏なる国家社会の建設に向けて:106
大)が損なわれます。
その辺りは昔の人が遙かにコトバに対する感性、思想がしっかりとし、種々のカナを考案しました。
それなのに後生の人はカナとして使用された漢字を漢字のイミに取違え、多くの混乱を招きました。
日本語は一つ一つ音が大事なので、表意文字で表現できません。
言い方を変えると日本語(和語)の成りたちは非常に科学的で、透徹した自然観察の賜で、ニュートンが
リンゴの落下現象から目に見えない万有引力を発見したエピソードに匹敵するモノでしょう。
総てのモノが約100種類程の原子に集約でき、それがあらゆるモノを形作るコトを見ても、外見のみに囚
われていたら実相には迫れません。
日本人の日常的に使う日本語にそれ程の深いイミや内容があるとは正に驚天動地です。
さしづめ今風に云えば日本語(和語)は自然や大宇宙が発する波動と共振共鳴するコトバであると。
つまり各事象が発する波動に対応する音(声を)を色々組み合わせたモノが日本語(和語)であると。
自然との見事な二人三脚である、これこそが自然との大調和といえる、けして表面的ではない自然との
大調和です。
自然現象、自然物にイミと内容を含めた名を付けた大和言葉の成り立ちは、我々を取り巻く大自然を生
きた図書館化、あるいは生きたデーターベース化でしょう。
それ故、極めて科学的、思想的、精神的日本語(和語)を如何なる天変地異、争乱、焚書にかかわらず、
悠久の昔からほぼ原型を留めて、現在まで維持保存されてきました、奇跡ですね。
以上繰り返しみたいな所もあるでしょうが、苗代氏が膨大な頁数を使い、色々な説明している内容を私な
りに解釈し、私の考えも若干加味したものです。
それから蛇足ですが日本人の外国語習得能力の低さについてですが、これは当然でしょうコトバの成り
立ちが全く違い、それに伴い異質の思想、考え方が生じるのは当然で、純粋根元言語の使用民族と、多
民族が混在し、語源が消え去り色々なコトバがミックスした状態の世界の大部分の民族が生き残るため
日々生活の中で身につけた異種言語学習能力を捉え、其れと比較して日本語が非知的言語であるとの
決めつけは正に噴飯モノです。
云うまでもなく言語学習能力と各人の知性、資質とは別物です。
本当に必要な人は火事場の馬鹿力で短期間に取得するでしょう、大部分の日本人はそれ程外国語が必
要とされていません。
端的に言えばお金の有る国の人は旧植民地の人や、後発の国と違い余裕があり、時間と金があるから
箔をつけるために一つ英語でも身につけるかな位の人が多いと思います。
これと火事場の馬鹿力らでは勝負は目に見えてます、くれぐれも資質の優劣ではありません。
その背景には悲しい歴史の現実があります。
但し外国語の必要な立場の人には死にものぐるいで取得してもらいましょう。
更に蛇足ですが聴衆の反応の善し悪しは語る内容と熱意であって日本語のせいにしてはいけません。
同様に文章の功劣は各人の文章表現力、内容の差であつて日本語のせいにしてはいけません。
いくらでも感動与えてくれる日本語の文章があります
最後に、30年以上にわたる日本語の研究をした孤高の苗代氏の言葉を、
「人間のコトバとして最も理想的なものは、一つの音が複数のイミや内容をもつてゐることである。そこ
へゆくと、漢字は一つの文字が一つの思想しか現はさない世界で一番未開のもの。これは知能水準が充
分に発達しないによる。悪貨が良貨を駆逐し、悪行が善行よりはびこるがごとく、日本の天地は幼稚(単
一のイミ)な漢字の為に、しらずして日本語の真価を捨てたのは、民族の恥であった。」
追記3: 日本語欠陥は迅速性を欠き不明瞭な意思伝達性と曖昧無責任な国民性の変革の要請から
(2004年3月25日)
安穏なる国家社会の建設に向けて:107
早速のコメントをいただき有り難うございます。現在当HPへの数少ないご賛同者の一人であられる貴
殿に対し、見解を異にするような論議を展開することは可成り気が引けますし、当方自身もつい数週間前
までは、貴殿と同じ見解でしたし、今でも半分は可成り同意できるところがあります。苗代氏や岡潔氏、胡
蘭成氏、また彼らを真剣に研究し高く評価する某有識者の見解も十分に承知しております。当方自身も
全く日本語の長所を否定するものではありません。ただ問題とするところは、その長所が別の面では短
所となってきたと言うことです。正に長短が表裏一体であることは良くあることであり、当方もその辺の調
和をどうするかで大いに迷走していたものですが、ふとした論文を目にした結果、可成り以前に聖心先生
の言われたことを記憶の片隅から大きく蘇ってきたものであり、多くの経験と共に、聖心先生の言われた
ことに対し漸く納得が行ったという次第です。
勿論、聖心先生は英語など全く理解できないし、当方も大変苦手であり、むしろ嫌悪感さえ覚える始末
です。そこは個人的な嫌悪感を通り越して、あくまでも国家社会の利益、即ち国益を見越した上での見解
であったように思いますし、当方もその観点から納得し始めている次第です。聖心先生自身も、仏身に顛
化されるといった歴史的大偉業を達成されたわけですが、それでも、仏道をして、神道無くしては真の仏
道は有り得ず不完全であると指摘されて、極めて客観的に且つ虚心坦懐に、遠い将来を展望しながら、
真に国家社会のことを憂慮されながら真理を見据えておられたものです。
ところで、数千年来に古代インドにおける釈尊と同様に、いやそれ以上に偉大な法力を体得されて仏身
に顛化された聖心先生とは、不思議な機縁にて山中奥深いところでお会いし、実に様々な課題を長年に
亘って話し合いました。それでも当方が歴史や技術、政治、経済などの多くの面で勉強不足もあって、現
代や、過去、そして将来における全ての課題についての問題点の分析や解決策を網羅して究明すること
は出来ませんでした。歴史上の未解決の問題、現代における様々な難題、将来の予測など、実に広範多
岐に亘る様々な課題についてです。そして聖心先生の言われることは、一言一句に至るまで、広大無辺
の偉大な仏智恵に基づく真理、真実、真髄であると確信する故に、正面切って反対することもなく、真の
背景や意図を詮索しながら、素直に納得したり、その内に時機到来した暁には理解できるものだろうと自
己の未熟さや理解不足のためとしてきました。
これは観点を変えれば、実に日本の国家にとって多大なる損失であったとも言えるものです。しかしな
がら残念ながら、誰一人として関心や興味もなく全くの無視の態度でありました。現在の様々な難題に関
しても実に的確な解決策を提示できたのにと残念でなりません。また、色んな難病や奇病の治癒に際し
ても多大なる貢献が出来たのにと思うと、誠に遺憾でありますが、これも日本の運命であり、今日の日本
の国家社会の衰退・衰滅の一途を歩む原因や背景も正にそこにこそあると言えるでしょう。正に全てが天
罰、仏罰となって跳ね返ってきていると思われ、その為の衰退、崩壊ではないかと確信されるからこそ、
最後には不思議と聖心先生の御霊が浮上して来るとも思われるのです。実に仏の教えとは深淵であり、
迷妄する人間に真理を強制することなく、自然に自ら悟るように教え諭して意識を誘導されるものかと思
います。
聖心先生と話した多くの課題の中で、実に日本語の問題は、最後まで納得が行かずに心中に大いなる
疑問を感じていたものであり、今でも若干の迷いもありますが、聖心先生との日本の改革の話を通じた国
民性の変革に関する話題の中で、聖心先生は「最終的には思い切って日本語を廃止しなければいけな
い」と申され、特に「思い切って」と強調されていたのも、国家社会のため、特に日本民族の生存を賭けた
将来展望を深く洞察された上でのことであったと思われます。日本が国際社会に溶け込んでいくためにも、
そして世界的指導国家になるためにも、更にはそのための国民性の変革に際しても、日本語が大いに障
害になり果てていることを察知し予感していたのでした。
聖心先生は天皇制も大きく評価し、また元号の重要性や必要性もご指摘され、更には日本の食文化や
木造文化などの素晴らしいことも高く評価しておられました。そしてご自分が身命を賭して会得された深
淵で崇高な大宇宙の真理を表現し、後世に伝えるべく書き残し、後世の有識者が解明する時の到来を鑑
安穏なる国家社会の建設に向けて:108
みた場合にも、実に漢字、漢語でこそ初めて可能であると申されており、日本語、特に漢字や漢語の意
味内容を性格に表現するに際しての偉大さを強調しておりました。例えば、「しる」とは言っても、知、識、
織などのように、通常一般的事象と、現世における現象と、更には肉体を離脱し大宇宙に挑然した際の
事象との区別に際しても、区別されていたのであります。
またかつて歴史上にも何処にも存在しない漢字を創造されて、真理の意味を厳密に区別し解明してい
たのであります。例えば、真と神仏との組み合わせの文字や、獣扁に神仏、身と心との組み合わせなど
の文字で、実に真理を解明し表現するために様々な造語も創造しております。また、大宇宙の法則、真
理、哲理、摂理などを表現するためにも、正しい意味を現すべく、注意深く漢字、漢語を使用しておられま
す。これらを考えても(省察、考察、推察、洞察、思考、思惟しても)、実に奥深い意味合いを感じさせるも
のであり、漢字や漢語は不可欠であるように思います。
万一、これらの深遠で高邁な意味を英語で表現するとしたらとても不可能でありましょう。例えば、空、
無、色、識(織)、絶、攸(修)、境(竟)、転(顛)、こそ(劫素)、阿吽などは英語ではなかなか表現できにく
いものであるのも確かです。それでも、聖心先生は、自ら肉体を超絶して体験した大宇宙の理念に関して
は、どうせ誰も関心や興味すら示さないどころか全く理解できない故に、また日常生活においても差ほど
必須でもなく、そのような意味、内容の崇高さや深遠さは、概略的に理解できればいいのであって、その
為の日本語である必要もない、むしろ現在や将来においては、世界性、意思伝達性、迅速性、正確性、
明瞭性などの要請の方が優っているのだとも言いました。
実際に、精神、意識、心、霊、魂などは、有識者を始め日本人の多くが何も理解できておりません。英語
でも、spirit、mind、spirituality、soul、heart などの様々な表現がありますが、同様に詳細な区別は理解で
きていないように思います。そうならば、新しく定義した真の意味を日本が世界に向けて表明していけば
いいのではないのかと思います。それに深遠で崇高な理念ら理想などは、哲学や思考、思索、研究のも
のであり、日常会話や意思伝達には無縁であり、大して役立つものでないことも確かです。日本語を手放
したら、全て日本の良い文化が消滅してしまうと言うものでもないように思います。恰も、着物を捨てたら、
日本人ではなくなってしまうのではないかと言う見解にも似ているものと思います。聖心先生も、崇高な理
念や理想よりも、意思伝達手段の道具としての性格で明瞭、迅速な言葉の根本的在り方として、また正
邪、勝敗、白黒、善悪、真偽を明瞭にする信義、正義、責任を有した国民性を形成するものとしての言語
の在り方として、日本語の限界や不備、不満、不十分、欠点、欠陥などを指摘していたものです。
思うに、この日本語の問題は、恰も和服にも関係しているものかと思われます。即ち、日本の気候風土
に適合した和服ではありますが、機械文明も未発達な時代において、家屋内や隣近所での行動や動作
ならばそれで快適さが確保されて良かったのですが、今や、行動範囲が広範に拡大してきて、快適さより
も行動性、機敏性、簡便性などが要求されてくるようになると、矢張り、洋服に転換していく必要が出てき
たと同じ背景や理由が考えれるのではないかと思います。日本語の消長に関しては、今や歴史的転換
期を迎えているように思います。日本の国運が衰退して、ローカル国家に転落するのか、それとも世界的
な指導国家に大飛躍するのかの転換期に際して、日本語の根本的な在り方が問われているように思い
ます。
かつての日本の歴史において、中国から漢字が伝来して、それまでの平仮名を中心とした大和言葉と
調和し融合していったときや、仏教伝来時にそれまでの神道と融合したときや、戦国時代において従来
の刀や槍から西洋伝来の鉄砲に軍事戦略上で転換していったとき、そして幕末から明治維新に掛けては、
西洋文明の波に押されて、あらゆるものが流入する中で、服装に関しては、それまでの羽織、袴、ちょん
まげを捨てて、洋服や短髪に転換していった経緯がありましたが、日本語の将来もそれらの歴史的事件
に酷似した状況ではないかと思われます。
苗代氏や岡潔氏、胡欄成氏、またそれらを研究されている某有識者などの見解は良く存じております。
最後の苗代氏の「人間のコトバとして最も理想的なものは、一つの音が複数のイミや内容をもつてゐるこ
安穏なる国家社会の建設に向けて:109
とである。そこへゆくと、漢字は一つの文字が一つの思想しか現はさない世界で一番未開のもの。これは
知能水準が充分に発達しないによる。悪貨が良貨を駆逐し、悪行が善行よりはびこるがごとく、日本の天
地は幼稚(単一のイミ)な漢字の為に、しらずして日本語の真価を捨てたのは、民族の恥であった。」の御
言葉はもっともな長所でもありますが、他方では短所でも有り得ます。
即ち、漢字や英単語は一つの文字が一つの意味、思想しか現さないが故に明瞭、正確でも有り得、日
本語は一つの音が複数の意味や内容を有しているが故に曖昧模糊、不明瞭であることも言えようかと思
います。長所が別の観点からすれば逆に短所にもなり得ることは、日常生活の中でも頻繁に観察される
ものであり、例えば、観察の視点や見解を異にすれば、大胆・機敏が暴走にも成り、勇気が無謀に成った
り、慎重さが愚鈍にも繋がり、また信念が頑固にも成り、更には情熱が熱狂になり得、素直が幼稚にもな
り得ることに似ているものかと思います。
要は言葉に何を求めるかではないでしょうか。聖心先生は、言葉の意味や内容の奥深さや気高さよりも、
意思の正確で迅速な伝達性、国民意識の明確な態度、責任性の自覚こそ要求されるべきであると言うこ
とでした。そう言う観点からの日本語の限界と欠点、欠陥を指摘されたものと思われます。勿論、歴史的
なある局面では、日本語はそれなりに崇高な目的や意義を有していたものでしょう。特に日本語は文学
などの書き言葉では最高の表現や柔らかい情緒を醸し出してはくれるでしょう。問題は文学的な書き言
葉ではなく、また思索的な哲学上の研究上の言葉ではなく、話し言葉としての意思の正確性、明瞭性、迅
速性、伝達性、世界性であります。
国際関係に勤務する者は必須でありましょうが、国民全体にも大いに関係するものです。何故なら国民
性が正に日本語に関係するからです。聖心先生も日本語を廃止することは正に日本人の国民性の変革
に繋がるものであり、国民性が日本語によって形成されている要素が遙かに多いというものでした。曖昧
さが無責任に繋がり、和の精神がその長所とも言える柔軟性とは裏腹に、勝敗や白黒、賛否、拒諾、正
邪、善悪、優劣、真偽などを明確にせず、更には指導者すら認めず、無責任体質を醸成しているものと言
うことであります。
縄文時代、そしてそれよりもっと以前の神代の時代においては、精神や感性の世界が重きを成し、会話
なども差ほどに必要ともしない以心伝心の世界、即ち、阿吽の呼吸が支配していた暗黙知の精神世界で
あったことでしょう。言語を会話の手段して通じ合わなくても、虚心坦懐な表情や仕草などにより、また相
互の信頼や崇高な心魂により、意思が容易に理解されて伝達されたことでしょう。今は口と心を違えた言
動が蔓延し、言った言わないの二枚舌が横行する無責任時代であり、正に意志や意見、見解、立場の明
確さや責任性が重要視される時代です。情緒的な曖昧で模糊とした言動では、最早、時代の要請に合わ
なくなったと言うことでしょう。
何も英語を修得したり会得したからと言って、日本全体が英語文化に席巻されると言うのではなく、むし
ろ英語を活用して、正に英語を意思伝達の一手段として、日本文化を世界に伝搬させる方便として大い
に活用すべきではないかと言う発想の大転換が求められているかと思います。日本が世界的指導国家
に大飛躍するためにも検討すべき国民的課題であり、正に歴史的選択として問われてきているのではな
いかと思います。一ローカル国家に成り下がるか、世界の盟主になり得るのかの選択に迫られているこ
とでしょう。世界が日本文化を吸収するべく日本語を選択すればいいのですが、これは一部の外国人に
は該当しても、全世界的には極めて困難な夢物語であります故に、日本が世界基準の言語に合わせて
世界を教導していく方策として検討すべきでしょう。
それに何も、英語を選択したからと言っても、キリスト教文化全般を受け入れたり、肉食文化、家畜文明
などの西洋文明全体を受け入れていくものではありません。むしろ魚や菜食を中心とした日本食や、神
道や仏道の極意を、世界的言語の英語を利用して広範に伝搬させていく役割を日本が担っていると考え
るべきでしょう。日本が世界的指導国家の盟主として、歴史的役割を果たしていくためにも必須かと思い
ます。特に最近は急にそのようにさえ思うようになりました。正に聖心先生の指摘された真意もここにこそ
安穏なる国家社会の建設に向けて:110
あったのではないかと思った次第です。
ところで、アメリカインデアンの言葉も、元を辿れば日本語であるようです。英語にも、中国語の漢字に
も、また世界の多くの言語にも日本語由来が多く見受けられるようです。正に漢字も超古代の日本人が
発明したとの指摘もあるようです。自分のことを「身」と言いますが、英語でも「me」と言うのも相通じ関係
しているようです。元を正せば実に日本語は人類創生紀以来の言語であるとの指摘もあるようです。これ
らの超古代からの歴史的偉大さや崇高さを知った上での、日本語の正に現代史的欠陥を指摘しているも
のです。
なお、現在の役人用語は実に、英語の多様性を要領よく掴み取りして、日本語に応用して誤魔化してい
る場合が多いようです。例えば、「はやく」でも、(因みに、漢字では、早、速、疾、迅などがありますが)英
語の、atonce、immediately、early、quickly、without delay などと様々な早いレベルに対応させて、「直ち
に」、「速やかに」「遅滞なく」などを適当に使い分けたりしております。また「前向きに検討する、善処す
る、」「基本的には賛成ですが、しかしながら・・・」などと、実に、はぐらかし、誤魔化し、先送り、換骨奪胎、
骨抜きなどが横行し氾濫している有様です。国民にとっては何のことか解らないし、外国人に対しても、
日本語的発想で対処しているから余計に曖昧に聞こえてしまい同様の結果を生みだしているようです。
強調することは、あくまでも英語を意思伝達の道具として活用するのであって、英語文化を全面的に受
け入れるのではありません。むしろ逆であり、英語を通じて日本文化を伝搬させるものです。恰も洋食を
取り入れるのではなく、西洋の食材を利用して、味付けや加工は日本独自の方法で料理するものであり
ます。英語も同様であり、日本精神を英語で伝達していけばいいのです。むしろ曖昧模糊とした感覚の是
正にも成り、旗幟鮮明の真の武士道精神の涵養にも成るでしょう。女性のような大和言葉では柔らかさ
は醸成できても、明確な意思表示、正確な意思伝達には限界があるように思います。
普通の発想では、長年使い慣れた日本語を思い切って廃止して英語に転換するなんてことは全くの暴
論であり暴走であるように受け止められることでしょう。そして実践においても、平時では相当に困難であ
るのは極めて常識でありましょう。恐らくは、日本語から英語への歴史的転換が有り得るとしたら、外国に
よる占領支配政策による一方的上からの強制でこそ可能であり、また日本自ら心底から納得して自ら自
発的に改訂していく可能性も有り得るもので、更には国内や国際上の情勢変化で、極めて不便や不都合
を痛感して仕方なく日本語を捨てて英語に改訂すると言ったの三つの方向が考えられます。
大東亜戦争後にも日本語廃止論があったようですが、その折には単なる占領支配政策による日本文
化蹂躙の結果であるとのことで猛反対があったものであり、それはそれで当然であったように思います。
今、問題として指摘しているのは、何も日本文化の否定でもなく、西洋文明の賞賛でもなく、英語文化に
蹂躙され屈服するというものでもありません。恰も、快適性やリラックス感に富んだ和服を脱ぎ捨てて、行
動性、機敏性に富んだ洋服に着替えるような発想であり感覚だと言っていいでしょう。先日、見た中国映
画で、「クレージー・イングリッシュ」がありましたが、中国でも英語の必要性を世界侵出の目的として実感
している動きがあることを知りました。正に、世界的な動きと連合した検討課題でもありましょう。
既に現実社会では、日本企業の株式の半数が外人投資家により買い占められており、ソニーやキャノ
ンですら4割にも達している有様です。その役員会議にも英語を使用する風潮が次第に蔓延して言って
いる傾向があるようです。官庁に提出する株主総会議事録や取締役会の議事録も日本語ではなく英語
で提出するように改訂する要望に関しても、官庁が抵抗しているようで、それを嫌って、日本語こそ最大
の非関税障壁であるとする外国からの指摘もあるようです。その背景や理由も、実に意思伝達性の正確
性や迅速性にあるようです。また大学などの研究者の世界でも、英語で論文を世界に向けて発表し発信
していく必要に迫られているようです。逆に見れば、日本人相手では、猜疑心、不信感、嫉妬や妬みの旺
盛な中で、正しい評価を期待できなくて、むしろ外国に客観的で真正な評価を求めているとも言えるでしょ
う。
終身雇用性や年功序列システムや様々な日本古来の伝統と文化の多くが破綻していく中で、吾々日本
安穏なる国家社会の建設に向けて: 111
人は今こそ、新たな社会システムの緊急なる構築に向けて、原点に立ち返って、何を残し何を捨てるかと
言った選択も含めて、実に根本的で広範な改革を求められているように思います。正に肉を切らせて骨
を断つの気概でもって対処すべく、熾烈な改革であろうと思います。聖心先生との対話で得られたものを
当HPで指摘したように、吾々は国家社会の一体何を守るのかに関して、聖心先生は、真正で崇高な法
制度であり、日本語でもなければ日本人の生命財産でもないと言及されました。新しい日本独自の法制
度に賛同するものは外国人でも構わないと言う極めて大胆で破天荒な発想です。逆に言えば、反対する
日本人は敵でもあるというわけでしょう。
ところで日本人には明らかに米国などの外国人と比べて猜疑心が旺盛のようです。今ではある面では
無感動や無関心、無気力の極致に到達しているようです。例えば、ビジネスの分野でも、米国などの外
国人には、ダイレクトメールのパンフレットなどで関心や興味を示して評価して、即座に購入や契約に至
ることが多いようですが、日本人社会では、猜疑心旺盛で、経歴や社会的地位、財産などの姿形的な判
断が優先していく場合があるようです。表面的な個性や感情に対しても客観的に才能や能力を正しく評
価できずに、生意気だとか協調性がないとかで嫌悪し排斥したり、また誰々と一緒に食事やゴルフをした
から、年賀状をくれたからとか、同窓や同郷であるからとか、世話になったからとかの温情や情実を優先
させていくために、真の意義を発見できずに、真の価値観にも目覚めにくい国民性を形成しているのも確
かでしょう。学術や技能などの分野でも、日本人社会よりも外国人社会で賞賛され評価されて、その後に
仕方なく日本人が評価し始めるケースも多発しているようです。
正にこうした日本人の国民性の歴史的変革、思考や習性の改訂に際して、日本語の廃止こそ必須であ
ると言うことを聖心先生は言われたものと思います。確かに、日本語と英語では思考の論理過程が全く
相違するようで、脳波や感情にも大きく影響を及ぼしているようです。従って、多くの日本人は世界の多く
の民族の中でも稀に見る英語不感症、不適応の思考構造になっているようです。何処か遺伝子形成に
おいて、世界の常識と大きく異なるものでしょう。これが日本人の独自性でもあり、世界の常識が日本人
の非常識にも成り、逆に、日本人の非常識が世界の常識にもなっていると言った側面もあるようです。
思うに、日本語を思い切って廃止して英語を選択するといった歴史的大転換を実践するとしても、何も
明治初期の西洋文明一辺倒に傾斜した盲目的崇拝の結果ではなく、また大東亜戦争後の屈辱的で強制
的な占領支配政策の一環から来るものでもなく、更には最近のグローバリズムの下におけるアメリカンス
タンダードに過度に傾斜した便乗主義的でご都合主義の結果でもないように思います。正に、日本の伝
統と文化を世界に発信し、世界を教導し指導する国家社会に生まれ変わるための大いなる布石であり、
手段であり、脱皮や飛躍であろうかと思います。
かつて聖心先生は、偉大な仏身に顛化されたご自分のことに関しても、また火山灰の件に関しても、外
国ならば即座に先生の歴史的な大偉業や優秀で画期的な火山灰技術も高く評価し大いに賞賛したであ
ろうとも言っておりました。当方に多大な才能があって、外国語にも秀でていたならば、もっと聖心先生や
火山灰技術の宣伝普及に大きく貢献できたのにと残念に思います。ただ、当方にも聖心先生にも、あくま
でも日本人社会の中で評価され普及し改訂することを期待したまでであり、決して売名的で打算的で利
欲的な観点を有していなかったまでのことです。聖心先生の教えや火山灰技術に関しても、最初は一部
の有識者の日本人が気付き目覚めるかも知れませんが、大きく認識理解されて普及伝搬するのは、案
外、外国からではないかと思っております。
それでも、両者共に、余りにも通常の思考や常識的な把認識を遙かに超越したものであり、殆どの者が
理解し納得ができない歴史的な事件である故に、やむを得ないことだと諦めていたものです。但し、当方
のような損得勘定無しの天下の大馬鹿者に不思議な機縁で出会っただけでも、大変良かったと言ってお
りました。新しい国家社会の改革に際しては、火山灰技術に聖心先生の教えが便乗し融合していくように
慎重な舵取りが求められており、その過程で果たして何処まで、改革が成し遂げられるのか、そして日本
語の在り方が何処まで見直されるのか予断を許しませんが、先述したように、他からの強制でもなく、ま
安穏なる国家社会の建設に向けて:112
た日本人独自の自発性でもなく、案外、他から要求され押し切られるようにして仕方なく、ビジネスや学術
研究分野、そして政財界の指導階層当たりから次第に成し遂げられていくような感じが致しますし、既に
その予兆が始まっているようです。
現在の日本で英語に堪能な者の殆どが日本人の精神や心魂を喪失して西洋崇拝主義に感染しており、
そこを付け狙われて殆どが売国奴に成り下がっているのが現状でしょう。また真に愛国的で民族的な連
中は、英語を嫌悪しあくまでも日本人の精神的支柱であると思っている日本語にしがみつき、何処までも
死守する連中ではないでしょうか。既に、現在でも、日常生活の至る所に外来語のカタカナ文化が氾濫し
ており、ひどい日本語の文章になると、カタカナ一色であるような状況も生まれております。英語の凄まじ
い繁殖力、拡大生産力には圧倒される状況であり、日本語に言い換える余裕がないほど、後手後手に廻
っている有様です。愛国的言動をする某有識者にしても、何とか、日本語を根本的に組み直す必要性が
あるとも言っているようです。
ところで、聖心先生や当方は西洋崇拝主義から来る盲目的な英語賞賛でもなく、また愛国的見地から
の英語排斥でもなく、実に、後者の愛国的、民族的な立場で英語の必須性や重要性を指摘し、いっその
こと思い切って日本語を廃止して、今や世界的共通言語に成りつつある英語で世界と勝負をする方が勝
っているのではないかと思っている次第です。日本民族の歴史的意識変革を促進させて、真に日本の将
来や日本民族の発展を考慮し、世界の指導国家になるべき歴史的役割を果たそうとするがための見解
であります。
そして真の日本人の心魂を形成するものは、食べ物や気候風土、神仏観などにより醸成されるもので
あり、必ずしも日本語が核心を占めるものではないと確信しているものです。昔ならいざ知らず、現在の
日本人の心魂を観察するに付け、とても日本語の崇高なものは垣間見られず、大混乱に陥っている状況
下であり、これは世界から指摘されている有様でしょう。日本人自身が全く気付いていない悲劇的なもの
ではないかと思います。決して洋食や洋服を採用した誤りに気付いて後悔し、和食や和服の素晴らしさに
改めて目覚めたことと同一レベルの話ではありません。特に、世界性、普遍性を有した高尚で高邁、崇高
な真の大和魂の理念や理想を世界に向けて発信に普及させ伝搬させていくためにも、偏狭で曖昧で無
責任な国民の精神や心魂の是正が必須ではないかという思いです。
ところで、世界的に畏怖された大政治家の田中角栄氏は英語は全く話せませんでしたが、相手の気持
ちをよく理解して、交渉相手の米国政府高官の英語よりも早口でまくし立てて相手を威圧していったよう
です。これはある意味では、語彙多くして早口で話せば、的確な通訳の協力により日本語でも相手を充
分に圧倒できると言うことでしょうか。田中角栄氏は相手の心情を充分に察して相手の立場に立って思考
していったが故に、絶えず先手を打ちながら日本語でも相手を言い負かすことが出来たと言えるでしょう。
しかしながら、100年に一人と言われた田中角栄氏ほどの天才ぶりを日本人皆が発揮することが不可能
であることは明らかでしょう。それに、英語と日本語とでは論理思考が全く異なる故に、英語のような感覚
で思考を展開することは、普通の日本人的発想では、極めて困難でありましょう。英語を日本語感覚で話
す一般人も、逆におかしな思考破綻に陥っているようです。
この英語の選択というものは、先述したような漢字や仏教、洋服の伝来と並んで、戦国時代の鉄砲伝来
にも酷似した状況でありましょう。恰も刀や槍の時代に新しく鉄砲と言う武器が登場した際に、従来の日
本人の感覚ならば、鉄砲は残酷だとか卑怯だとかで採用を躊躇したであろうと思われますが、その効能
を知って広範囲且つ急速に普及していったものでしょう。鉄砲は従来の日本人の感覚に合わないからと
言って忌避し拒否できるものではありません。鉄砲伝来当初は、今日の英語と同様な嫌悪感があったよ
うに思います。その後、漸く鉄砲の威力に目覚めて、当時世界で40万丁とも言われた鉄砲の内、実に日
本が17万丁もの鉄砲を生産して世界一にのし上がったようです。これは現代の核兵器にも通じるもので
しょう。周辺の狂気国家が保有して我が国に照準を合わせている以上、対抗して保有して行くことも必須
でしょう。それと同様に、現在の国際社会において、広範に普及している最大の武器の英語で対等に勝
安穏なる国家社会の建設に向けて:113
負しなかったら、押しまくられて敗退していくのは必定でありましょう。
ところで、広島原爆祈念会館の前に「過ちは二度と繰り返しません」の碑がありますが、そこに掲示され
ている語句は、主語もなく果たして誰の過ちか全く解らないようです。その点を指して、米国が日本人を自
虐させるために書かせたものとしていますが、これは日本人自らが自己反省的に書いたものでしょう。こ
こには主語がないために、一体誰の過ちを誰が繰り返さないのか全く理解できず、日本語の欠点を如実
に現していると言えるでしょう。万一、これを英語で書けば、主語と責任の所在が明確に成るであろうと思
われます。万事、この調子で、今度とも日本語の曖昧さ、責任性の欠如から招来される欠陥が大きく浮上
してくるものと思われます。
確かに、日本語も日本人だけの閉鎖的な社会で、しかも、信義、正義、道徳、礼節、忠義を重んじる精
神性や感性の高い日本人だけで使用している時代ならば、以心伝心、阿吽の呼吸で大して問題もなかっ
たものであり、そして今でも国内の大多数の分野では充分に役立っており、大して問題がないのかも知
れません。しかしながら、狡猾で巧妙で無責任な日本人が官僚となって国家社会の権力を牛耳り、官僚
的発想が社会のあらゆる分野に、特に支配階級の中に蔓延してくれば、その曖昧な日本語故に一層の
無責任社会を形成していくように思います。特に外交やビジネスの世界では大きく障害になって損失を被
っていくことでしょう。実に魚は頭から腐ると言うように、上層部から無気力、腐敗、無責任が拡散しつつ
あるようです。
なお、英語においても幾多の変遷の歴史を辿ってきており、特に中世以降はユダヤ人が経済を支配し
て行くに連れてユダヤ化して、益々、経済の発展と共に語彙も拡大生産されてきており、話し方も他のフ
ランス語やスペイン語、そしてドイツ語などの欧州言語に比べて、攻撃性、迅速性に富んだものに大きく
変質してきているのは確かでしょう。正に西洋文明の本質こそユダヤ文明であると指摘される所以です。
そして英語の中でも特に米語は、英国本国に比べても、経済の興隆と共に近代においては特に語彙も派
生的に拡大生産されて益々速度アップし、他方ではなお一層攻撃的になっているとも指摘されております
が、これはある意味ではビジネスの興隆を反映して明瞭性を追求しスピード感に溢れているものでありま
しょう。逆に日本語では話すテンポが極めて遅く、意味内容も極めて不鮮明、不明瞭になり果てて、幾多
の誤解を生じて意思伝達に支障をきたしているように思います。
しかしながら、何も英語を話したから皆が攻撃的になると言うものではなく、英語を通じて迅速性や正確
性、自覚性などが錬磨されるものであり、英語や中国語の世界でも見識の高い穏和な話し方をされる方
は多いようです。例えば、中国語なら日本文化を真底から評価し賞賛する中国人の胡蘭成氏、英語なら
ユダヤの陰謀を暴露しているコールマン氏などでしょう。また日本語を話したからと言っても、その曖昧さ
故に一見して温和になった感じも致しますが、他方で皆が曖昧で無責任になると言うものではなく、逆に
大宇宙に語源を有する偉大な日本語を話したから皆が崇高な精神や心魂に至ると言うものでもないでし
ょう。これも意識内容や心魂の浄化や錬磨度、そして見識の問題であり、あくまでも日本語の問題は英語
と比較した上での実用上の相対的で過半の可能性として指摘しているものです。
ここで例を挙げれば、日本語でよく勘違いされるものに「どうも」がありますが、これなどは単なる謝罪な
のか、感謝なのか、弁解なのか、儀礼なのか、それとも意味不明の便宜的なものかは日本人自身にも全
く解りません。これでは正確さや迅速性を重視する現代社会においては、著しく発想の貧困を招いて意志
の疎通を欠き、トラブルの原因にも成りかねません。実際に外交上の摩擦は文化的摩擦だと指摘される
所以であり、もっと正確に言えば、言語上の摩擦に他ならないでしょう。しかも根本的に日本語で思考し
ている限り、対等に立ち向かえないでしょう。鉄砲を刀や槍のように使っているようなものでしょう。今や外
交交渉の在り方やビジネス上の契約概念にも著しく敗退し後退して行かざるを得ません。実に言語を道
具乃至武器として活用するものでしかありません。これにより、日本人の精神や心魂が破壊されるもので
はありません。既に英語を話さなくても、意識や心魂は根本から腐敗し崩壊しているものであり、英語を
話せば一層大和魂が喪失するものではないでしょう。
安穏なる国家社会の建設に向けて:114
追記4: 感想を述べさせていただきます(某有識者B 匿名) (2004年3月27日)
現代の日本語は、その本質たる心を失い、乱れに乱れています。霊性を失った国語の乱れは、国を滅
ぼすとさえ言われます。そのような意味では、今の日本語は捨てたほうが良いものと思います。
しかしながら、日本には、太古の昔から伝わる神代文字があり、また神仏の神聖なる波動と一体となっ
た言葉があったといわれます。そのような意味では、今こそ真の日本語に回帰すべき時ではないかと思
われます。
全てが日本人に失われつつある霊性の目覚めにかかっているように思います。
追記5: 最も古くて、最も新らしいコトバ(某投稿者A 丸 十 ) (2004年3月30日)
何時も真摯で、丁寧なコメントありがとうございます。
見解が異なることは別に悪いことではないですよ、見解を 100%同じくする方が異常です。
私は貴 HP の心意気と、熱意、真剣さに惹かれて閲覧、投稿させてもらってますので、見解の相違は気に
なさらないで下さい。
不動明王様が今の風潮で外国語使用を提案しているのでないことは良くわかりました。
言霊的なことは繰り返しになるので、別の側面からみてみます。
ここでは日本語(和語)の特質である自然(宇宙)の波動との共鳴共感から生まれたことを頭に入れてい
て下さい。
自然と対立し、人工的であればあるほど進歩、進化、高等化とみなす抜きがたい妄想から離れたス直な
心魂で物事を見てみたいものです。
言語には大きく分けて二つの側面があると思います。
一つはご指摘の意思、思想伝達の道具としての側面。
そしてもう一つは幼時から段階を経て成長するまでに言語を積み上げることによって、我々を取巻く世界
の構築、及び世界の認識。
それは文化と云う語では捕らえきれない程広範囲に及びこの三次元世界に意識をフォ-カスしている
我々の存立基盤でしょう。 ----是は実相ではなく仮相の世界です
我々がこの世界を認識するのは過去から現在までに蓄積された種々の情報によるものです。
その情報の大部分を占めるのは、言葉、文字による多数の概念、定義づけでしょう。
よつて我々が日時使う言語によって我々を取り巻く世界は種々の相を見せてくれるのです。
不調和で対立的な言語を長く使えば不調和で、対立的な世界を招き寄せ、それを生々しく感じるでしょう。
一方、調和的で対立を好まない言語は、やはり調和的で、穏健な世界を築くでしょう。
今現在の各国の状況を見れば過去にどのような言語を使用してきたか一目瞭然です。
自然と乖離し、人間だけが偉いと勘違いした、浅見皮相の言語を使用した民族の国々はそれ相応の状
況です。
自然を限りなく収奪し、破壊を繰り返し、その結果の自然の荒廃、これは人心の荒廃と相似形です。
英語の Neture は、自然という意味ですが、それとともに神の恩寵の届かない未開の地、の意味もあるよ
うです。
其の挙句世界中を植民地化し、限りない収奪と、破壊を世界中に撒き散らしてきました。
自分たちは神の恩寵お齎し、文明化してやったとでも勘違いしているのでしょう。
覇権国家である英国、そして其の流れの米国とここ数百年にわたり英語が広範囲に使われてますが、悠
久の歴史の流れから見れば一瞬でしょう。
やがて彼等のつもり積もらせた不調和の大反動として、自滅崩壊の道を転げ落ちるでしょう
姑息で陰険な企みなどでその流れは止められません。
安穏なる国家社会の建設に向けて:115
一方に傾きすぎたものが反転して調和を取り戻そうとする宇宙の大法則に逆らえる訳も無いでしょう。
現在の延長線では展望が開けません、最早西欧的物質文明は限界を向かえてます。
さらに十億以上の人口を超えるシナが大量消費生活に加わると途方もない環境破壊が予想されます。
この地球の自浄能力はかなり限界に来ていると思います、最早後発の国々の物欲を総て満たす程の余
力は地球にはさほど残されているとは思えません。
自然と隔離した帝国主義的言語の英語が、主流となったここ数百年の物質文明の猛烈な蔓延は、自然
破壊とモラルの低下を招きました。
これはその言語が持つ性質ゆえの必然でしょう。、
何も懐古趣味や、盲目的な国粋主義で言っているのではなく、苗代氏が繰り返し述べているように源日
本語は科学的、数学的言語です。
大部分の人はこのことが理解できません、まして言霊の働きなどは想像すらできないでしょう。
この事の理解を妨げているのは誤った教育であり社会通念です。
我々は言語をあまりにも無自覚で無意識に使用してます、その重要性には気づきません。
このことは何回繰り返しても言い足りません。
日本語が曖昧なのではなく、漢字や、外国語と対比させる行為が不毛なのです。
はっきり言えばレベルが違うのです、さらに波長が違うのです、合わないのです。
ここでは国益の面からの述べますと。
外国との交渉、取引、国際間の文献や、論文の交換が日本語的思考では、伝わりにくく、正確ではなくそ
の結果多くの不利益を招くとの指摘ですが、当方は別の視点があります。
戦後の日本の最大の不幸はただ、ただ真面目に働いてきた結果、世界的に見れば法外な資産を蓄積し
たことです。
必然的にお金は多くの亡者どもを引き寄せるでしょう、金の匂いに惹かれて、無数の寄生的な輩が内も、
外もビッシリと取り付き、今現在も刻々と生血を啜っていることでしょう。
当方としてはその殆どを呉れてやっても良いとすら考えてます。
それを守ろうとすればするほど、連中は姦計を謀るでしょう。そんな連中と付き合えば付き合うほど己が
ケガレます。
マア結果的には米国辺りにある日本の資産は殆ど帰らないでしょう。
手切れ金位の覚悟が必要でしょう。
金銭的な面から見れば今後日本は多くの損失をかくごしなければなりません。
たとえどれ程多くの資産を失うことになっても、民族の直感的サトリの粋である真正日本語がなんらかの
形で温存されれば、民族の復興は叶うでしょう。
一方たとえどれ程の多くの資産を手にしても、民族の伝統的精神性の中心である和語の働きが希薄にな
れば、内から崩壊するでしょう。
一方国を守る面から見ると、破邪顕正の剣とともに思想戦の中心であり民族の最後の抵抗線になる民族
の言語の放棄はまさに自殺行為でしょう。
日本の民族は我々が考えているほど脆弱ではないのです、一般常識から見ればまるで無防備、無警戒、
世間知らず、のお人よし民族、国家に見えているでしょう。
しかしこれが世界の一部の連中から見れば、なかなかシブトイらしいです。
何度たたいても不死鳥のごとく復活する日本民族の再生能力の素晴らしさには我々日本人が気づいて
いない。
彼らはおそらく、その源泉を自然と調和した日本語(和語)と気づいたのでしょう。
古代からの魔術を駆使して、影から世界を牛耳ろうとしている連中は、言葉の持つチカラ、影響力を熟知
している筈である。
安穏なる国家社会の建設に向けて:116
だからこそ今現在、日本語(和語)が標的にされているのです、正に国際思想戦の渦中であるのに気づ
かねばなりません。
既に純粋日本語はかなり損傷を受けています、さらに追い討ちを駈ける様に、小学校からの英語教育な
ど狂気の沙汰です、それが現在進行中なのです。
今正に最後の抵抗線が打ち破られようとしています。
ここで週間日本新聞の引用文からの引用
「この世でユ○○人が恐れるものは何かといえば、自然の万物から生じる自発的なリズムをもつ真っ当な
感情だけだ。奥の底まで、最後の一線まで、汚濁され売りとばされていない言動は、どんなものでもあれ
ユ○○人に猛烈な警戒反応をもたらす。
なぜなら、たちどころに身の破滅、とてつもない大宣伝の、奇怪で災厄そのものの、ユ○○式インチキへ
の大天罰を嗅ぎとるからだ。ヘビがマングースを恐れるように、ユ○○は本物を避ける。」
なかなか鋭い指摘ですね、この短文の中に日本語が、何故抑圧を受けねばならないかの答えがありま
す。
心ある人は多くのことを瞬間的に気づくでしょう。
それからご指摘の、日本人の一部の連中の無責任、無節操は、直接日本語とは関係なく、単に悪用して
いるだけでしょう。
あいまいな日本語を使用しているからモラルが低下したのではなく、日本語が乱れたからモラル低下が
起きたのです。
それも学校教育が長く、俗に言われるお勉強をよくした連中ほどモラル低下がはなはだしいのは、彼らは
本当の日本語からかけ離れた偽日本語を使用しているからなのです。
エリート面らした連中の頭を割って見れば漢字と、漢語、外国語、そして翻訳調の事霊的躍動のまるでな
い偽日本語がギッシリと詰り、それでもってこの世界を理解した積もりになっている思い違いの愚者達で
す。
問われているのは、偽日本語と、それを使う連中です。
何の特権的な地位や、肩書きの無い庶民こそ本当の日本人で、一部の連中は日本人の顔した非日本人
です。
大部分の日本人である庶民は、己の職務に誠実に励み、他との争いを極力避け,実直に生きていると思
います。
何でもいいですから今度現場では働いている職人さんなどを観察することを薦めします。
それはそれは真面目で、商売抜きで、己の技量と、知恵を使い作業に励みます。
見るべきは多数の庶民のモラルであり、一部の社会の上層でうまい汁を啜っているのは連中でありませ
ん。
こいつらは放っておいても消えるは、必定。
世間で言うところの教養の無い庶民の日常的なコトバや方言などに多くの大和言葉が残ってます。
私は常々、一国の工業製品はその国の人々の資質の総てが凝縮されていると思います。
品物が大事なのではなく、其処にこめられた民族の無形の資質が大事だと思います。
それは勤勉さ、誠実さ、協調性、知恵、工夫、創意、モラルなどの総体だと思います。
世界有数の第一級の物を作り出すわが国の能力は控えめに見ても極めて優れたものです。
日本人の勤勉、実直、温厚(一部の強欲な奇生的連中を除く)の気質は日常使っているコトバと切り離せ
ません。
日常使う言葉は無自覚ですが、精神形成や、気質に極めて大きな影響を与えています。、
安穏なる国家社会の建設に向けて:117
とにもかくにも日本のコトやモノや風習を、外国と比較して貶す風潮が今も蔓延しているのは困ったもの
です。
なにも私は日本を理想化するつもりはありません、確かに嫌な面も多いですが、それを遥かに凌駕した
美点を述べているつもりです。
文明の根幹にある自然観、世界観こそ肝要で、其処から派生する多くの影響こそ大事で、もし人類が地
球でこれから先も存続するつもりならば、余程の意識転換が必要です。
でなければ大自然はしかるべき反応を示すでしょう。
そこで世界で最も自然と調和した成り立ちのコトバである日本語(和語)の登場です。
是に籠められているイミや、働きは文明化(自然と対立)された外国語では代替できません。
残念ながら西欧的価値観に毒された大部分の人たちにはこの事に気づきません、そして理解できません。
それだけ自然からかけ離れた存在に陥ったのでしょう。
日本語の文法的不備がよく指摘されますが、だからこそ価値があるのです。
主語のないことは、日本語の最大の美点です。
量子力学の登場により、主観と客観が曖昧になり、観察する我と、其の対象物はかけ離れた存在ではな
いのです。
私(主語)と主張する行為は、私と他とは完全に分離独立した存在であるとの宣言でしょ。
ところが最新量子力学の成果は其れを否定しています、そんな存在などはこの宇宙の何処を探しても無
いと。
私と他の存在は共振、共鳴しながら一枚の布を織り上げるように、一体なのです。
自然の途轍した観察者である古代の縄文人は、それを直感し、主語を省くコトバを産み出しました。
古代社会や未開社会が原始的で未熟で、野蛮であるとのアカデミズムの発する呪文の様な妄言の呪縛
から覚めて、
虚心坦懐の心境で和語のもつ働きや、響きを感じるのです。
其の音に籠められた民族の叡智に気づくことです。
とにかく今日の風潮として理屈をつけたがるけども、理屈は往々にして判断違いを招きがちです。
小賢しく頭で理解しょうとすると、日本語の良さがわかりません。
今一番必要とされているのは日本精神の要である言霊としての純粋な和語の復活でしょう、軽佻浮薄な
英語の達者な輩を例え何百万も生産しても日本を守る役には何の足しにもならないでしょう。
せいぜいが足を引っ張るのが落ちだと思います。
追記6: 世界国家への脱皮か三流国家への転落かで日本語の歴史的見直しが必須となろう (2004
年5月14日)
日本語の在り方を巡っては、過去を振り返り、現在を観察し、そして将来を展望して洞察して行くことが
大切ですが、実に容易に即断したり判断できずに相当に難しいものを孕んでおり、何回も読み直しました。
そして再度、思い付くままに時間を掛けて書き留めました。若干重複や順序不同もあり、中には前と同じ
ような見解になった感じもありますが、気にして校正することなく、再度、追加してコメントをしてみたいと
思います。当方も何も早急且つ性急に抜本的対策を講じることを強調し訴求するものではなく、次第に国
際情勢乃至は国際環境の進展と共に、大きく行き詰まって行くにつれて、次第にその因果関係に日本語
の在り方が大いに関係してくると言うことを指摘するものであります。即ち、日本語の欠陥と限界が露呈さ
れていくであろうと危惧するものです。
しかしながら果たして何処まで多くの有識者が状況を正しく分析し、更には歴史的大英断の下に効果的
な解決策を提示できるのか大いに疑問です。その折りに至れば、当方のコメントが大いに参考になり、国
安穏なる国家社会の建設に向けて:118
民全体とまで行かなくても、一部の指導者階層当たりから、日本語の使用体系における抜本的な見直し
が始まって行くであろうと思います。そこにはタイトル通りに、正に世界国家への脱皮か三流国家への転
落かの大いなる選択の岐路に立たされて行き、日本語の歴史的見直しが必至となるだろうと予想するも
のです。
ところでその後、日本語を賞賛し絶賛する本を何冊か読みましたが、日本語の長所と欠点を相対的に
把握分析して、国家の将来を展望して、如何なる方策を展開していくのか、そのために日本語は如何に
あるべきかに関しては全く示唆するものはありませんでした。当方は日本語の長所は充分に熟知した上
で、時代環境的な要請や現代的課題を踏まえた上で、世界的な視野に立脚して、日本語の歴史的な在り
方を根本的に問うているものであります。
何れの見解が正しいのか敢えて性急・早急に結論を求めなくても、その内に時代的に追い詰められて、
日本語を巡る様々な因果関係に思いが至り大きな国民的議論を呼んでいくことでしょう。もし有識者や指
導者がこれに気付いて広く国民を説得して理解を求めることが出来なければ、日本は単なる一ローカル
国家に転落して押し込められ、日本語もそれに見合った世界のローカル言語に閉じ籠められていくでしょ
う。
今正に、日本語の大いなる乱れが国民性にも反映し、至っては国家社会の混乱や混迷、停滞や衰退
にも繋がっていると思われます。これまでは単なる国内的な観点で、即ち伝統と文化を伝承し継承すると
言う観点で日本語を見ておれば良かったのですが、今やグローバル化の進展と共に、日本語の長短を
世界的な視野で、国家社会の利益を勘案して分析評価していく必要がでてきたと言えるでしょう。実に、こ
の日本語の乱れを抜本的に是正するために、今正に、神代の時代に立ち返って真の日本語を構築する
か、新たな改訂を図るか、それとも思い切った日本語廃止にまで至る破天荒で抜本的な解決策を採用す
るかの歴史的選択の岐路に差し掛かっているように思います。
実に、日本語の根本的な在り方の検討乃至検証から思い切った改訂如何によっては、日本を世界の指
導国家に飛躍・飛翔させるか、それとも三流国家に堕落・転落させていくのかの歴史的転機となるでしょ
う。何故なら、今こそ言語が国民性の在り方に大きく影響を及ぼし左右してきている時期はかつてないほ
ど顕著であり、国民性の変革に際しては、日本語の再検討こそ早急に求められるべき課題であるからで
しょう。この問題は決して単なる文化や研究、そして外交やビジネスなどの分野における問題ではなく、
国家の将来の命運を決するほど、政治や行政を始め、社会経済活動全般にも及ぶ、実に国民生活全体
にも及ぶ極めて深刻な課題として急浮上してくるものと思います。それは曖昧模糊を排して何事も責任の
所在を明確にすると言う歴史的要請からでしょう。
かつて聖心先生とは当方が、日本の改革の在り方を巡って対話していた際に、最終的には国民性の変
革が必至・必須であろうという結論に関して、広大無辺の偉大な仏知恵の下に、将来を展望して得たその
抜本的な解決策が、実に国民性をこれまで形成してきた日本語の大いなる現代的欠陥であり行き詰まり
であり、今後次第にその欠陥による影響が浸透し蔓延して来るであろうというものでした。聖心先生は、
「国民性変革のためには、最終的には日本語は思い切って廃止して行ったら良い」と申されました。聖心
先生に心を寄せた当方でも、当時はただ驚天動地、吃驚仰天するばかりでした。しかしながら、大方の日
本人はこんな破天荒な方向大転換の解決策など思いも至らないし、気付くこともなく、真の解決に向けた
因果関係も理解できないままに、ただダラダラと推移して行くしかないのでしょう。
さて、日本民族の曖昧模糊とした国民性が、一方では敵味方の対立概念を生み出すことなく極めて柔
軟性に満ちて、全体として和を尊び調和ある社会を形成してきたのも事実であり、この点は大変良く承知
しております。確かにこうした長所もありましたが、然るに他方では、出る杭を打つの嫉妬や妬みの国民
性を生み出し、横並びの画一的国民性を醸成し、批判を封じ込めて誰も責任を取らない無責任体制を生
み出し、精神性や感性、霊性の大幅な低下と共に、今日のような「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」の
ような右に倣えの個性喪失の甘えと馴れ合いの国民性を醸成し、また問題先お送りの玉虫色的決着に
安穏なる国家社会の建設に向けて:119
よる責任回避、問題解決回避のダラダラとした不甲斐ない指導者を養成してきたのも事実でしょう。
この日本人の伝統的に醸成されてきた国民性を、時代環境の要請や世界的行動との調和を考慮しな
がら根本的に是正する方策として、実に日本語の中に国民性を変革する要点が介在しているという判断
の下に、聖心先生が「最終的には思い切って日本語を捨てた方が言い」と言われたのでしょう。今日多く
の方から指摘されてるような世界的共通の言語に調和して行かねば国際的な付き合いに支障を来すと
いう極めて現実的で即物的なもの以上に、実にグローバル化時代を反映して、国際社会に積極的に参
加して行くためにも、日本人の国民性を根本的に変革するという歴史的要請からのものであったように思
います。
現在の状況下では、既に乱れた日本語の根本的改革には遅すぎるほどに混乱の極みに達し、また改
訂や是正においても、最早不可能・限界に達しているからではないかと思います。これまでのように、中
国漢字を導入し大和言葉で読み替えたり、また英語を漢字に置き換えたり、更にはカタカナにそのまま置
換させてきても、既に真意を反映した翻訳も間に合わず、その限界に到達しつつあるのも事実でしょう。
ひどい日本語になると、てにおは以外は殆ど英語そのままのカタカナが充満した日本語になっているの
もあるようです。
さりとて今更、真正な日本語の原点への回帰と称して、古代朝鮮語や漢字・漢語・漢文の中国語が流
入する以前の、即ち、大和朝廷以前の宇宙的語源の神代文字に立ち返ることなど不可能でしょう。正に
霊性、感性、精神性が衰退低下し堕落破綻して来た現状を踏まえて、その背景に日本語の乱れを指摘
するものであり、最早日本語を根本的な見直しを含めて新たに立て直していくことが求められているので
す。現状の混乱する日本語をそのまま守れでは真の現状を分析して、的確な解決策を追求してはいない
ように思います。
日本語を最大限に尊重する苗代清太郎氏自身、漢字が導入してきた大和朝廷以前の頃から日本語が
おかしくなったと指摘しております。それに苗代氏は日本語の語源を宇宙起源に求めて高く評価している
もので、一部その片鱗を有している日本語を語源の崇高で高邁な由来として賞賛しているものであり、現
在の漢字が氾濫し、英語直訳のカタカナ混じりの日本語を、本来の日本語と何ら変わりのないものとして
評価しているものでもないでしょう。日本語の長所としての機能や役割が、時代環境の変遷や国民性の
変化と共に、堕落して欠点と化すに至ることがあることを理解していなかったのでありましょうか。
苗代清太郎氏も、漢字を導入した時点で日本語の長所が喪失したと言ってることは注目すべき点でしょ
う。現在の日本語は外来文化の影響を受けて進化発展を遂げてきたとはいえ、朝鮮語や中国語が、一
部では古代ユダヤのヘブライ語も豊富に導入されており、特に幕末から明治に掛けては、国内でも知識
人の多くが漢語や漢文の素養が高く、日本語で読み下していたほどです。そして国内の知識人を始め、
北東アジア人同士でも、共通言語として漢語や漢文で意思の伝達を図っていたほどです。今やそれが東
南アジアや北東アジアでも中国語から英語に大転換しているのが実体でしょう。単にアジア地域だけでな
く、英語が意思伝達の共通手段となっているのは今や世界的現象と言ってもいいでしょう。
ところで、既に徳川時代からは平仮名文化も後退して、儒教や儒学の影響の下に、神代文字に言われ
た日本語の音感や音源自身は可成り喪失されてきております。これまでは日本人特有の器用さを発揮し
て、外来語を柔軟に取り入れて、平仮名、漢字、カタカナなどを織り交ぜて、朝鮮語や中国語、そして英
語などを巧妙に融合してきたもので、これはそれなりに日本人特有の独創性の発揮であり、便利な使い
分けであったと思います。しかしながら、現在のグローバル化時代にあっては、肝心な日本語自体の語
彙の不足から来る曖昧さは否定できません。
よく日本語は語彙が豊富だと言いますが、確かに自分自身のことや相手を言うには随分沢山の語彙が
あります。また相手を軽蔑するに際しても、「馬鹿、阿呆、間抜け、とんま、根性良し」などと、よくぞここま
で言えるなと思われるくらいの差別、偏見、嫉妬や妬みに満ち溢れた語彙が氾濫しているようです。この
場合の日本語の語彙の豊富さとは、一つのことを言い表す場合の多元的な語彙の豊富さでありましょう。
安穏なる国家社会の建設に向けて:120
決して豊富な言葉を前提にした上で、一つの意味に厳格な一つの語彙が存在し、その結果豊富というも
のではないようです。あくまでも一つの対象や事物に対して様々な語彙が豊富に氾濫しているという意味
でしょう。
さて過去の歴史においても日本語の在り方に一石を投じた方がおりました。明治の森有礼文部大臣の
日本語廃止論や、戦後の作家の志賀直哉の日本語を廃止してフランス語採用論などであります。この森
有礼氏も英語が堪能であったという話も聞かないし、志賀直哉氏もフランス語で小説を書いた話も聞きま
せんし、何れも如何なる理由か定かではありませんが、複雑で理解困難な日本語の欠点を直感で感じ取
っていたのではないかと思われます。ある意味では、教育や外交、表現などの面で日本語の限界を痛感
していた点では共通しているものと推察しますが、これが日本人の国民性に潜在する欠点である無責任、
無批判性、無抵抗性にまで影響を及ぼしていることを予想していたとは思えません。
確かにその国には言語の進化発展を通じて国民性を始め、民族特有の文化や伝統を育んできた経緯
もあることは事実でしょう。日本語を思い切って廃止したら、今までの伝統と文化を捨て去ることになるの
ではないかという懸念や危惧はもっともであります。しかし、その伝統と文化が大きく行き詰まってきたら、
即ち、民族の精神に悪影響を及ぼし始めているとしたら、矢張り思い切った改訂も必至でしょう。恰も、幼
少の頃からの食べ物の習慣が悪しき病気を生み出してきたとしたら、思い切って習慣を是正し改訂して
行くべきでしょう。
特に現在の日本語は世界的な言語にまで成長した英語に圧倒されていく反面、国際化に即しても、日
本語の構文自体に主語が曖昧で省略が多く、また善悪、白黒、諾否、正邪を明確にしない言語体系など、
実に様々な問題点を有していることも確かでしょう。古代宇宙語源の日本語では、正に神人一如、神人
一体で、自他の区別を排した崇高なものであったことも理解できますが、いまや未分化や成長停止に合
って、今日の迅速性や明瞭性、そして責任性ある言語としては極めて問題を多く孕んできたと言えるでし
ょう。
今更歴史の原点に立ち返って、単なる神代文字の復活ではナンセンスでしょう。途方もない時間と労力
を消費するのは必定でしょう。現在の日本語は韓国古語や中国語の影響があって、幾分片鱗が残ってい
るとは言え、全て完全な形での本来の宇宙的語源の日本語ではないことを改めて思い起こすべきでしょ
う。それに万一、日本語を捨てて英語を話すことによって、日本人の国民性が如何に変わるかの分析と
調査が大切でしょうが、少なくとも英語特有の意思伝達の明瞭性から迅速性と責任性が現れるでしょう。
その結果、日本の命運を左右する無責任で権威主義的な高慢な現在の役人根性が改訂されるでしょう。
また成績優秀な者が安易で安逸な生活を貪るだけが目的の官僚に成りたがる国民性が是正されるでし
ょう。
ところで日本語の曖昧さを逆に美徳とする見解がありますが、かつての伝統であったその曖昧さの長所
が、今や欠点として機能し影響を及ぼしていることを真剣に考えてみる必要があるでしょう。曖昧さが良
いのだという一部の発想や見解は、実に皮肉・風刺・卑屈・自虐にしか聞こえないのは、当方の偏見でも
ないでしょう。ある時までは、曖昧模糊とした日本語の使用は、互いに対立し批判し分裂し合うこともなく、
みんなの顔を立てて「赤信号 皆で渡れば 怖くない」との集団主義、画一主義、玉虫色的決着で来て、
それが最善の調和方法であり効果的だった時期もあります。今でも、そうした思考行動パターンが通用す
る分野もあるのは確かでしょうが、今や他方で、それらが野合化して無責任体制を醸成し、とかく群れた
がるメダカや彷徨える子羊の群を大量生産しているものと示唆できるでしょう。
日本語には、西洋的善悪二元論を排し、また東洋的陰陽二元論を排し、融合や調和の日本精神を醸
成しているのだという牽強付会の見解もありますが、これは換言すれば、白黒や善悪、是非、諾否などを
曖昧模糊にして、あらゆる対立概念を封印して捨象し、一見して和の精神を強調するものですが、ある意
味では一切の批判を封じて、今日の横並びの画一的で無責任体制を形成してきたと言えるでしょう。寄ら
しむるべからず、知らしめるべからずの役人根性の源泉でもあると言えるでしょう。批判しない、批判出来
安穏なる国家社会の建設に向けて:121
ない、批判させないの日本人の国民性がまあまあ、なあなあの社会を形成して来たと言えるでしょう。日
本人同士の社会では余り問題も表面化することもなく来たものでしょう。それでも当方から見れば、怨念
や嫉妬や妬みが鬱屈し潜伏し隠蔽されて卑屈で卑怯な無責任な国民性を形成してきたように思います。
多くの日本人有識者が言うように、西洋式の善悪二元論や中国式の陰陽二元論を否定し排除するの
は根本的に誤りであり行き過ぎでしょう。両者が何時までも対立概念で行くのは是正すべきであり、今後
は、両者の融合、統合の概念で行くべきものであるのは当然であり、当方もそれを目指すものであります。
しかしここは矢張り、両極端の二元論を明確に分析した上での融合でなければなりません。最初から両
者を否定し排除してでは曖昧模糊になってしまいます。融合とはあくまでも両極端を対立・対峙させて理
解把握した上での統合なのであります。両極端が如何なるものかを是認せず、曖昧模糊として明瞭厳密
に判断区別しない内は、真の中庸・中道も有り得ないだろうと思います。
今や国民性形成の背景や原因に、あらゆる法制度が関係していたり、西洋物質文明や東洋中華文明
に犯された無神論や狂信的一神教、そして肉食などの食事にも大きく関係していると思われます。しかし
他方では、日本人自身が古来使用してきた日本語自身が、漸くグローバル化時代を迎えて、欠点が露呈
し限界に来ており、日本人自身の国民性の堕落崩壊に拍車を掛けつつあると言うことでしょう。即ち、環
境の変化により、長所を大きく越えて欠陥が表面化してきたということでしょう。特に日本人社会は指導者
階層から無責任に堕落して腐敗してきているのも、日本語を駆使して世界と勝負したり、国家社会を指導
しているからでありましょう。
今や多くの大学院での研究では英語が中心ですが、大学や大学院での教育でも殆ど英語しか使わな
いと言うところも現れたようです。例えば、最近、愛国民族派である中嶋嶺雄氏が学長に就任した某大学
でも全部英語で会話する授業を実施しているようです。ビジネスの分野でも同様であり、特に現在の企業
活動の分野では株式の過半を外国人が保有し、ソニーやキャノンですら4割にも達しているほどです。そ
のような中で、英語の必要性、流通性、重要性は日増しに高まっていることでしょう。
日本企業が高度の技術力を有しながら国際競争力を著しく喪失した因果や背景は一体何処にあったと
言えるでしょうか。多くの方が様々に分析されておりますが、中には国際的な視野に立った市場開拓の面
で過剰設備や過剰投資、過剰雇用など実に戦略的対応を誤った稚拙さの他に、新たなビジネスを生み
出し育て上げる環境の不備、出る杭を打つと言った閉鎖的な国民性の欠陥があり、更には意思伝達の
明瞭性や情報収集の迅速性を欠いたことにあり、実に、最後の所は、世界共通の言語となりつつある英
語を軽視して日本語中心の対応にあったとすら指摘する財界人も多くいるようです。
ところで、言語が国民性を反映していると言うことの証拠として、日本語に無い外来語が多くあることか
らも容易に想像できます。例えば、誰も気付いておりませんが、残念ながら、「ユーモア」に相当する日本
語はありません。外人が楽しそうにユーモラスに談笑している風景をよく見かけますが、他方で、日本人
同士の会話には何故かもの悲しい空虚な嫉妬や妬みの強烈な悪い冗談ぐらいしか垣間見れないのも当
方の錯覚でしょうか。
英語の「ジョーク」に相当する日本語は「冗談」でありますが、残念ながら「ユーモア」に相当する日本語
は「川柳」や「風流」であろうと思われますが、書き物などの一人の世界にはあっても、双方向の会話の中
には全く「ユーモア」の感覚が余り見られないのでは無いでしょうか。これは日本人社会には底抜けに明
るい笑いの「ユーモア」がなく、実に陰湿で暗い雰囲気を醸成しているとも言えるでしょう。
これは日本人社会の中にユーモアが無いということでしょう。それほど日本人の心理が曖昧模糊の中
にも調和を強要する余り、嫉妬や妬みによる足の引っ張り合いで鬱屈し抑圧され圧迫されているとも言え
るでしょう。そもそもジョークとユーモアの相違は誰も解明しておりませんが、当方の思うところ、前者のジ
ョークが他人をコケにして当該他人以外の皆を笑わせる悪質、排他、嫉妬に満ちたものであるのに対し、
後者のユーモアは、自分をコケにして皆を笑わせるものであり、誰も嫉妬や妬みを感じないものでありま
しょう。かつて外国人に、ジョークとユーモアとの相違を問い質したとこころ、今まで考えもいなかったと言
安穏なる国家社会の建設に向けて:122
っておりましたが、言われてみればそうかも知れないなどと応えていたのを記憶しております。
また日本語における敬語の複雑さも、今や実に国際常識を大きく逸脱しているようです。敬語の「(ら)
れる」でも、尊敬、謙譲、可能、自然などの使用態様の区別があり、日本人でも、相手の身分や境遇に応
じて厳密に使い分けられなくて混乱しているようです。その結果、不必要に神経をすり減らしたり、人間関
係を気まずい思いにさせている面も多発しているようです。繊細な言い回しの敬語を確実に正確に活用
できれば申し分ないのですが、今や専門家ですら充分に使いこなせていないようです。国内だけの対応
でしかも身分関係を重視してきた閉鎖的な社会であれば、礼儀、道徳、倫理の規範とも結びついて、国
民精神の涵養にも大きく貢献してきたものでしょう。今やその敬語の活用が乱れてきており、人間関係に
も支障を生じているのは否めません。
目下、日本語における敬語をしっかりと教育することが大切だとは言われますが、今や国際化の下に、
逆に日本人自身が非常識に成り下がっていく傾向もあります。例えば、中国に進出した現地の日系企業
の某工場支配人が、中国人労働者から、「あなたは」と言われて「カーッ」と頭に来て解雇してしまったとい
う話もあります。世界では相手を言うのに「YOU」で済むのに対し、日本語では、自分や相手を指すのに
様々な表現があり、それぞれ敬語の役割も果たしているからです。自分自身でも「私、俺、おいら、自分」、
相手でも「貴方様、あなた、あんた、お前、てめい、貴様」など実に豊富なものでしょう。一つの言葉に一つ
の意味しか無い外国語に対し、日本語には一つの言葉に複数の言葉があって奥が深いとは言いますが、
一つの対象に意味内容が異なる複数の言葉があり、相手や状況に応じて使い分けるなど、非情に使い
勝手が困難で複雑怪奇に出来ているようです。
また、主語が無いと一体何のことか解らないままに、外交や経済活動違は言うまでもなく、極普通の日
常生活一般の現場でもとんでもない失敗にも繋がります。例えば、上の者が下に降りる際に下の者に向
かって「尻を押さえろ」と言っても、一体誰の尻か解らない。下の相手が自分の尻を押さえて、上の者が落
ちてしまったという笑い話もあるぐらいです。一体誰が誰にしたのかは、新聞などの情報としても厳密性を
要するのは常識であり、それを会話や説明などでも曖昧模糊にしていくのは、今や時代遅れであり、日本
古来の崇高で高尚な伝統と文化であるとするのは最早詭弁以外の何物でもないでしょう。
日本語の多くの省略には、日本人同士、また気心の知れた相手同士での会話では通じるものでも、一
般には何のことか解らないことが多くあります。例えば、料理の注文を要求されて「ボクはウナギだ(ボク
の注文はウナギだ)(注:ボクはウナギの生まれ変わりだと言う意味ではない)」とか、「コンニャクは太ら
ない(コンニャクを食べる人は太らない)(注:コンニャクは太くならないと言う意味ではない)」などを見ても、
周囲や前後の諸状況を以心伝心で熟知していない限り、全くそのまま言葉を当てはめて翻訳もできない
し、日本語を学ぶ外人にも意味が通じないものでしょう。何れも主語や目的語などの関係が曖昧であり、
そのまま英語に翻訳すると、主語、述語の関係でも非常におかしなことになりかねないものです。即ち、
直訳も出来ずに言葉を補っていかないと意味が伝わらないと言う欠陥を生じるものです。この面からも外
国人が習得できない限界を生じているものです。
主語無くして通じるのが日本語とは言いますが、これは感性や霊性が高い時代、即ち、神人一如、神人
一体の下、自他をも区別しない一体であった超古代日本人から社会形成が未発展・未発達であった時代
までこそ言えることであり、社会発展や人間感情の複雑さと共に、それらが低下し崩壊しつつある現在で
は益々混迷混乱をもたらしているのも事実でしょう。日本語の曖昧模糊の性質が良いのだと言うのは、今
日の複雑な外交や経済情勢を考えると理解しがたいことであり、国際常識から言っても笑止千万であり
ましょう。これが他ならない勝敗、白黒、善悪、正否、諾否、可否、是非などを曖昧にしてしまう日本人の
国民性にも繋がっていくものでしょう。特に昨今の日本人特有の誰も責任を取ら無い無責任体制、賛否
や優劣を明確にしないで問題先送りをするまあまあ主義の馴れ合い玉虫色的決着に終始してきたもので
しょう。
なお、一説には、英語などを魔語と称し、その英語を話すユダヤが日本語に脅威を感じ、日本の社会自
安穏なる国家社会の建設に向けて:123
身を恐怖、驚異に感じると言われるのは、少し誇張とピント惚け、時には思い上がっているのではないか
と思われます。現在の日本語には軽蔑や侮蔑、排他や排斥の魔語が氾濫しており、歴史的文化遺産とさ
れる仏教教典の中にも魔との交流や魔語が氾濫しているのが現実であります。八百万の神々にしても、
殆どが畜生死霊魂の産物に過ぎません。万一連中が恐れるとしたら、それは日本語が原因ではなく、古
来、日本に生存した崇高な心魂を有された偉人達の諸精霊が成せるものでありましょう。
なおこれは、彼等の悪魔崇拝宗教の邪念波動と交流しないで隔絶した日本人の信仰観であり、無節操
で無原則で柔軟な国民性であろうかと思います。即ち、囚われない心魂が彼等にとっては恐怖や驚異に
感じるものでしょう。決して現在の日本語やそれを話す日本人の性ではないと思います。敢えて日本語だ
としたら曖昧模糊の無節操さが囚われない柔軟性の心に通じているものでしょう。換言すれば、損得打
算のない、白痴、幼稚、無知の捨て身の戦法が魔法を逆に封印しているものでしょう。催眠術に掛からな
い方法は全くの無関心・無意識・無感動になることであり、特に相手の目すら見ないことでしょう。その点
では鈍感で曖昧な日本人の心性は正に彼等にとり、呪術や魔術に掛からない不気味で得体の知れない
ものに感じることでしょう。しかし、これは一旦騙せて神通力が通じないことが解れば一挙に崩壊していく
ものです。例えば、神秘的な暗闇の森に踏み込んでも、一旦、勝手・方向が分かれば何でも無いというも
のでしょう。
ところが今やその多くの日本人の精神や心魂は、金銭崇拝や物質至上主義の現世御利益追求の蔓延
や氾濫により毒され、国内の混乱ぶりを見ていると、実に悪鬼、邪気、魔気などの魑魅魍魎が跋扈跳梁
している有様でしょう。過去の難局を上手く切り抜けてこられたからと言っても、歴史上何度でも解決可能
というわけには行きません、特に今時の危機突破においても、柳の下にドジョウが何匹でもいるものでは
ありませんし、今や歴史上最大の難局こそ、この日本語の乱れにこそあると言ってもいいでしょう。日本
語の乱れが、単なる言葉の曖昧さを通り越して、社会全体、対外的姿勢の混乱に拍車を掛け、無責任時
代、正邪、善悪の決着を付けられない百家争乱の状況を招来させ、今や多くの分野で国論が分裂しつつ
ある状況が加速されていると言っても良いでしょう。
ところで日本人社会では普段は和気藹々としておりますが、一旦議論をするとすぐムキになり感情的に
なって喧嘩になってくる日本人が大多数です。特に知能的な有識者ほど嫉妬や妬みに狂っていく精神的
荒廃は凄いものを痛感します。意見や見解を言うと、批判や非難に受け取って弾圧封殺し、これ以上何
も言うなと恫喝する有様です。そしてすぐ年齢や肩書きなどの外見、姿形、形式を気にして攻撃すること
が多いようです。また天下国家に関する議論をしても、すぐ個人的問題にすり替えて攻撃する有様です。
全く議論にもならず、短絡、単純、単細胞、幼稚的思考により感情的神経質になって、非難、中傷、攻撃
と受け止めたりして、嫉妬や妬みの下に、謙虚になれなどと説教する有様です。
実に意見や主張、批判や批評を封じ込め圧殺し黙殺する国民性が、外国からの批判・攻撃に対して逆
に的確に対処も出来ずに、是非、諾否を曖昧模糊にして付和雷同し右往左往し右顧左眄する由々しき現
状を招来させていると言えるでしょう。聖心先生も、米国人は普段は議論し対立することがあっても、いざ
となれば皆がまとまっていくのに対し、日本人は普段は協調し和合し合っていくが、いざとなれば皆バラ
バラになると言っておられ、この原因や背景は、実に無理に批判を封印し抑圧し、曖昧模糊にして思考停
止、無責任に陥って行くからだと言っておりました。日本の和合とは実にその本質は見せ掛けの虚構に
満ちた野合に他ならないものではないでしょうか。
この日本人特有の曖昧模糊が良いのだという見解に対しては、ある面では無益な対立を排除させてい
く良い場合もかつてはあったようですが、今や国際環境から言っても欠点や欠陥が多く、その現代的マイ
ナス面を指摘しているものであります。曖昧模糊から来るぶざまな対応を長所であるとするのは、状況や
背景、因果を無視した方便・思弁・詭弁でありましょう。言うべきは言い、反論すべきは反論し、行動すべ
きは行動する、これぞ国際社会に求められている外交であり交渉・交際であり、生き方・付き合い方であ
りましょう。
安穏なる国家社会の建設に向けて:124
物言わぬ腹芸や阿吽の呼吸、以心伝心、根回し、そして「話せば解る」などの後ろ向きの自分中心の思
い込みの会話は世界には通じないと言えるでしょう。経済活動の社会でも契約観念すら厳しく求められて
いるもので、なあなあ・まあまあでは全く通じないでしょう。通じるとすれば昔風の親しみ寄せ合い慈しみ
合う日本人同士、或いは馴れ凭れ集りつるみ合う狡猾漢同士だけでしょう。
ところで、英語の必要性が全国至る所で彷彿として沸き上がっており、相当に混乱した状況が生まれて
いるようです。先日も、「英語教育を小学校に導入する愚、学ばせるべきは誇り高き日本の文化、母国語
こそが文化の中核」と題して、英語の幼児教育を性急過ぎるとして批判しておられた方の見解が新聞で
紹介されておりました。それはそれで日本語と併行した英語教育を幼児期から実施すると言うことでは時
期尚早で一応もっともでありましょうが、英語教育の重要性と日本語教育の狭間の中で、今後とも、益々、
日本語と英語の両立で混乱していくことでしょう。なお余談ですが、この日本語を守れと言っておられた方
の論文には、実に、ブラックユーモア、ランキング、マスター、パーセント、フィーバー、商社マン、ボーダー
レス化などの言葉が氾濫しておりました。それほど、日本語が混乱していると言う証拠でしょう。
目下、幼児期からの英語教育に際して、賛否両論があり、確かに母国語を正確に教えないで外国語教
育を施していけば、特殊の天才児以外は、日本語の特殊な語順、語感により思考回路が大きく相違する
ために、精神錯乱、思考分裂、支離滅裂、精神分裂の症状を起こすことでしょう。欧州言語にしても中国
語にしても、母国語と外国語、特に英語との両立をバイリンガルで学習教育しても大して問題は発生しな
いのですが、中国人や西洋人のようなバイリンガルには日本語は向いていないようです。
それ故に日本語の場合は、そうした混乱を回避するためにも、日本語か外国語かの何れを採用するの
かと言った歴史的取捨選択の岐路に差し掛かって来るであろうと思われますし、場合によっては思い切
って日本語を廃止するという選択に迫られて行きかねないのではないでしょうか。これは何も当方如きが
決定するべきでもなく、国家的指導者階層が率先し、国民全体の意見を収集し要約して決定すべき課題
でありましょうが、国際環境状勢の進展から最後には、日本語をどうするかで進退窮まって行かざるを得
ない状況が出てくることでしょう。
ところで日本語が宇宙由来であるというのは、何も現在の日本語に限らず、日本語自身が超古代にお
いては世界共通の言語であったと言うことでしょう。この原始日本語から世界の言語が生誕していったと
言うことでしょう。例えば、日本語で自分自身を指すのに「かみ、み」と言いますが、これは漢字の中国語
では、「身、己」、英語では「me」と言い、日本語が世界共通であったという証拠にもなるように思います。
そして英語にも最初の古英語には主語はなかったと指摘されているし、実に十二世紀以後に出来たよう
です。
そして動詞が最後に来る日本語も、目的語が最後に来る英語などの世界言語の始めにもあったようで
す。即ち、日本語では「私はあなたを愛します」と主語の次に来るのは目的語、そして動詞であるのに対
し、英語では「I love you(私は愛しますあなたを)」で主語、動詞、目的語ですが、辛うじて、フランス語は、
「Je t'aime(I you love)(私はあなたを愛します)」と言うように、日本語特有の動詞が最後に来る語順の面
影が残っており、これを見ても、フランス語が半分も混入した英語の由来を考えると、英語も日本語と同
様にかつては同じ語順であり、主語もなく、更には語彙も同じ宇宙語源であったものと思います。ただ異
なるのは、英語などでは人間社会の複雑化や経済活動に合わせて進化発展して来たものと思いますが、
逆に見れば、日本語は未分化でそのまま残ったということでしょう。
ある程度は崇高な面が残存していることは事実ですが、他方では時代の要求や社会活動環境から見
ると、様々な問題を発生させ、特に最近のグローバルな国際環境や、日本人同士の社会でも複雑な経済
活動を反映して幾多の問題が生じてきたと言えるでしょう。その最たるものこそ、曖昧模糊から来る無責
任、無批判、無自覚の国民性であり、白黒、、善悪、諾否、是非の判断や区別も出来なく、白痴、幼稚、
無知の極みに至っていることでしょう。
週間日本新聞を主催し、苗代清太郎氏を研究する太田龍氏も、日本語の尊さ、縄文文明の再生、肉食
安穏なる国家社会の建設に向けて:125
禁止、西洋文明排除などを言っておりますが、英語に圧倒されつつある現状に対して、頑なな日本語絶
賛論から少しばかり離れて、何とか日本語を新しく構築し直さないしなければならないと暗中模索ながら
も警鐘を鳴らしているようです。しかしながら、彼が日本語の根本的解決策にまで言及できていないこと
もあり、周囲の殆どが日本語の将来の在り方にまで理解できていないようです。
目下、大学入試でも漢文の科目が大きく後退したようです。代わって古典重視の風潮も増してきました
が、これは平安時代の文学重視であり、さしずめ、平安時代の古典に逆戻りの現象でしょう。中世鎌倉時
代、足利時代頃から徳川末期に至るまで、日本は漢文による文化を発展させてきましたし、江戸時代末
期まで、中国や朝鮮などを世界と対話するにも漢語に頼っていましたが、今では漢語に代わって英語で
の対話でありましょう。それほど世界では英語が主役になり共通語になりつつあると言うことでしょう。そ
れを時代に逆行するように、古典重視の取り組みは良いものの、平安文学を重用しするのは如何なもの
でしょうか、平仮名文化に日本人の心の故郷でもある大和魂があると思っているのでありましょうか、今
や国内の方言の多様性を考えてみても、既に純粋な大和言葉の日本語は崩壊していると言えるでしょう。
ところで日本語の厳密性を崩した欠陥を紹介しましょう。従来は「をじ」「をば」と、「おじ」「おば」を厳密に
区別してきましたが、何時の頃からか、「を」を「お」に一緒にして「おじ」に統一化してしまったことで、「叔
父(父母の弟、父母の妹の夫に当たる人、叔母)」と「伯父(父母の兄、父母の姉の夫に当たる人、伯母)」
との区別も付かなくなってしまい、「おじ」と言っても漢字で「叔父」「伯父」などと区別して表記しなければ
一体誰のことは解らなくなってしまったようです。こんな例は沢山あります。即ち、会話言葉では曖昧模糊
として不明瞭の極みに達し、漢字で表現して始めて明瞭になることが余りにも山積してしまったようです。
さて日本語の崇高な面として主語、目的語、動詞などの語順を指摘し、それを最後まで守れと言う者も
おりますが、幾ら何でも日本語の語順こそ神秘的で崇高な響きであると言っては、非科学的なものでしか
ないでしょう。この語順こそが、今では世界の常識を大きく外れて孤立しており、全体の意味や意志まで
をも最後まで曖昧にしていくもので、最後まで聴かなければイエス、ノーが明白でなく、極めて不鮮明で不
明瞭な意思表示にもなり、正に諾否、是非、賛否、勝敗などの曖昧な点であり、結果的には無責任な心
象を形成していくのでありましょう。
「日本語に主語はいらない」(講談社選書メチエ)、「英語にも主語はなかった」(講談社選書メチエ)、「日
本語文法の謎を解く」-「ある」日本語と「する」英語(ちくま新書出版)の著書を有する金谷武洋氏が言っ
ているのは、あくまでも、「日本語は主語が無くても充分に意味が通じるもので、英語ほど正確に言う必要
がないものだ」「英語もかつての古英語では日本語と同様に主語は無かった」と自画自賛しているもので
しかないように思います。確かに歴史的にはそうした面があるのは否定しませんが、問題は、その後の進
化発展の段階で、英語は人間社会の複雑な発展に呼応して進化を遂げて来ましたが、日本語は朝鮮語
や中国語、英語のカタカナを取り入れた発展をしてきたものの、英語で言うような発展は余りせずに今日
まで来たのではないかと思われます。
日本語は文学的、散文的、情緒的、情感的な文章や対話には優れますが、論理的思考、意思伝達的
な説明、理論的な会話となると不得手のように思います。前者は相手がいない場合の一方的で自問自答
の独り言の場合が多いように見受けられます。これは独りの世界に閉じこもった思索向きのものと言える
でしょう。俳句や和歌、短歌、自伝的小説などはその典型的な例でしょう。他方、後者は対話的・双方向
的で相手の意思を確認しながら、正確に且つ厳密に結論を導いていくもので、これは集団での思考に適
したもので、正に交渉や外交、そして理論的な研究に適したものと言えるでしょう。
そして日本語の語感としては実に穏和で柔和で心地よい響きを醸し出してくれることもあることも確かで
しょう。これは豊穣な自然に恵まれた日本の地勢的な環境も関係し、そして互いに対立しない伝統的日
本人社会の空気も関係しているように思います。他方の英語は迅速性や明瞭性が、厳格性や攻撃性に
映って、人間関係を厳しいものにすることは確かにあるように思います。しかし他方では、英語と日本語
を両方話す子供を観察すると、英語を話すときは元気いっぱいになるのに対し、日本語の場合は余り元
安穏なる国家社会の建設に向けて:126
気がないようです。これを見ると、英語の攻撃的と日本語の温和とは、換言すれば元気の有無に関係す
るとも言えるでしょう。
それに現在は何も英語が入ってきたから日本語が乱れているとかではなく、ましてや英語を話す者の
心魂が乱れて行くからと言うものでもなく、既に日本人の精神性や感性、霊性が、長所と言われた曖昧模
糊の日本語をそのまま惰性で乱脈に使用しているもの故に、逆の欠陥と言える責任回避や問題解決の
先送りをもたらし、批判や意見を封じ込めて白黒を明瞭にしない白痴化現象を形成しているものでありま
す。
特に、現代の複雑高度な社会では、日本語は英語に比べても意思伝達における明瞭性や迅速性、そし
て世界性の面で著しく未分化、未発達で、換言すれば劣っていると指摘される所以でもありましょう。日本
人の感性や霊性、精神性が高い頃ならば、その曖昧さは以心伝心や阿吽の呼吸で伝達されて大して問
題も発生しなかったのでありましょうが、今日では、霊性が大きく喪失されてきており、また外国との交流
において、意思伝達の迅速性や明瞭性が問われ出して来ると、逆に欠点が大きく浮上し露呈してきたと
言うことでしょう。今や若者の間には、何か尋ねると「ビミョー(微妙)」と言う答えが返ってくるのが流行し
ているそうですが、単なるユーモアを通り越して精神的荒廃の前兆ではないかとさえ思えてきます。
前に日本語は言い回しでは何のことか解らずに、また平仮名の大和言葉でも解らず、実に漢字で表現
して行かねば意志の疎通を欠くと言うことを指摘しましたが、笑い話として先日の新聞で紹介された川柳
には、「課長いる?返った答えはいりません」と言うのがありました。正に「いる」と言っても、単なる会話上
の発音だけでは如何なる意味なのか解らず、文字にしない限り、それも漢字を使って表現しない限り意
思伝達が不明と言うことでしょう。即ち、「いる」では「居る」か「要る」か分からないと言うことでしょう。他に
も「入る」「射る」「煎る」「炒る」「鋳る」などがあり、主語がなければ益々意味不明で意志疎通を欠き、混乱
し誤解を与えかねないと言うことでありましょう。
本来、日本語に主語は不要というのはそれなりに意味や意義があったのであろうと推察できます。正に
日本語は自他を区別せず、何事も一体として、正に宇宙と自己の一体感の下で思考された言葉であろう
と思われますが、それは遠い昔の崇高な精神世界のことであります。現在では、その日本語特有の曖昧
さが、契約観念の曖昧さ、責任感の曖昧さ、議論や討論で白黒の決着を付けない曖昧さが横行蔓延し、
全てが問題解決の先送り、事勿れ主義の無責任で玉虫色の決着が氾濫し、横並び画一集団主義の「赤
信号、みんなで渡れば怖くない」の呉越同舟の一億総馴れ合い凭れ合いの烏合の集団に成り下がって
いるものと危惧する次第です。
ある意味では攻撃や反撥を許さない偏狭で排他的で頑固な精神性を醸成している面があろうと思いま
す。某有識者は、日本人は集団では行動できるが、個人では何もできないなどとも指摘しております。即
ち、日本人はこうした行動特性を反映して、議論が出来ない精神構造を形成しており、議論をすれば口論
喧嘩になり、この点は同じ北東アジア人でも韓国人とは大きく相違する点でしょう。韓国人などは延々と
議論をし、食事の時間が来たら仲良く一緒に食事をし、その後再度、議論をするという具合です。これは
大多数の日本人にはしつこいと感じ、議論は面倒だと言って嫌悪し反撥し排斥する傾向にあり、外交交
渉面でも敗退している原因でもありましょう。しかし、これは白黒、善悪、勝敗、優劣を明確にしていくもの
で、議論の敗者や論理破綻者は勝者に従うという原則を実践しているものでありましょう。
こういう世界の常識が欠けていると思われるから、世界的にも表舞台でも物言わぬ大人しいことが謙譲
の美徳と言わんばかりで対応している日本人像を醸成しているのでしょう。日本人社会において、喧嘩両
成敗、曖昧模糊、まあまあなあなあの事勿れ主義の世界が、見解を異にする対立や議論、反抗、反撥を
一切排除するようになり、結果的には無批判性、無責任性を生み出しているものでしょう。しかし、これは
日本人自身が外国に対しては全く受け身になって、批判も反発も出来ない堕落した腰抜け・腑抜けの軟
弱な民族性、国民性を生じていると言うことでしょう。
当面の課題としては、これまでの日本文化や伝統を形成してきた日本語の曖昧模糊の長所を、今や大
安穏なる国家社会の建設に向けて:127
いなる欠点と認識理解し、それらを根本的に是正するべく、主語や述語を明確にし、漢字などを多用して
意思伝達内容を正確にし、その結果、責任の所在を明瞭にし、白黒、善悪などを明確に決着していくこと
が必至であろうと思います。そうした努力の延長に、どうしようもない限界に突き当たっていった場合には、
最終的解決策として、当方が指摘した破天荒の解決も検討課題に上がってくるのではないかと思います。
しかしながら今や何ら問題意識や解決策の展望も見出せないままに、止めどもない混乱や無責任、無秩
序、アノミー状態に陥っていく危険性もあると思います。
日本では裁判も少なく、紛争の約三割しか裁判で解決されず、他は大抵がまあまあなあなあの喧嘩両
成敗により、官僚や政治家、有力者などにより解決されてきました。法治国家と言うにはほど遠く、実に無
法国家に近い状況と言えるでしょう。官僚が法律を作成して国会答弁で成立させ、自ら行政指導で実行
して判断してきました。所謂官僚主導の官治社会でした。正に今正に司法改革として、官主導の行政主
導から民主導への大きな流れの中で、裁判も国民の側に取り戻そうとしているのは、ある意味では白黒、
善悪、正否を明瞭にさせようとする国民自立への社会改革の一環とも言えるでしょう。最早、曖昧模糊と
した談合社会、野合社会ではやっていけなくなってきたものでしょう。
過度の裁判はある意味では円満な人間関係を大きく阻害することもありますが、別の観点に立てば、信
頼、信義、正義などの人間関係が損なわれてきたが故に、裁判で判断を強く求めて行かざるを得なくなっ
てきたものでしょう。これは別に嫌悪し排斥するものではなく、国民が自立し、意志を明瞭にし、真の民主
主義を啓蒙し鼓舞するためにも、また荒廃しつつある信義、正義、誠実の心を呼び起こし普及させるため
にも大いに歓迎すべきでしょう。米国のように過度の何でも裁判で訴えるのは行き過ぎですが、日本のよ
うに裁判を排斥し圧殺するのも行き過ぎでしょう。これでは国民性も陰鬱、憂鬱になり、健全な自由で伸
び伸びとした個性の発展性も喪失し阻害していくことでしょう。
先の青色ダイオード事件でも、裁判の200億円判決の是非はともかく、2万円は明らかに国際常識か
ら言っても異常なものでしょう。話し合いで解決できなかったからこそ、裁判に持ち込まれていったもので、
従来は裁判自体が排斥されてきたものでしょう。今や、日本人の曖昧模糊の国民性を打開するべく、そし
て心の正義や信頼感を取り戻すためにも、国民精神に警鐘を鳴らす意味でも、裁判の面から司法改革と
しても、ようやく欧米先進諸国並に着手し実行してきたと言えるでしょう。裁判は何も西洋の悪しき対立習
慣でもなく、人間社会には不可欠な制度であり、歓迎すべきものでしょう。従来の日本人社会には馴染み
無いものでしょうが、むしろその日本人社会自体が、意見や見解、批判や正義を封じ込めて圧殺してきた
ものでしょう。
なお、日本語には新しく言葉を作り出していく造語の発展性があると言われます。即ち、「車」と言う基本
的な言葉があると、そこから発展して、「車」に様々な言葉を前後に付加して実に夥しい造語を形成するこ
とが出来ます。例えば、「駐車」「新車」「汽車」「電車」「戦車」「洗車」「車輌」「車外」「車夫」「車検」「車券」
などの発展性です。また外来語でも、漢字だけの中国語とは大きく相違して、全てカタカナで表記すれば
対処できます。この点を指して、日本語は実に新語の形成に何ら不便を感じることなく、また外来語の翻
訳を敢えてしなくても、実に柔軟に対処したり取り込んできたものであります。
しかしながら、これは苗代氏が言うような自然のリズムや宇宙の波動と調和した本来の日本語ではあり
ません。中国語の漢字やカタカナの力によるものであります。本来の自然や宇宙に響きと調和した純粋
日本語が残存しているとしたら、前にも指摘しましたように、「ゆらゆら」「ふらふら」「くらくら」「つらつら」
「すらすら」「ぬらぬら」「むらむら」、「すっかり」「うっかり」「きっかり」「しっかり」などと言った擬態語、擬音
語などに現れているものでしょう。確かにこうした同じ言葉を連続させて状態や状況を醸し出すような言
語は世界的に見ても極めて稀でしょう。実に情感があって好ましいものであるのは否定しません。しかし、
これは散文や文学、詩的情緒、個人的な日記や自伝、小説の世界では有効ではありますが、今や外交、
交渉、経済活動、理論的研究分野などでは、大きく遅れを取って行かざるを得ません。
今や神代文字から漢字が導入されて、次第に自然の波動と調和した大和言葉が衰退し後退していった
安穏なる国家社会の建設に向けて:128
のも、人間関係が複雑高度化して、何を優先させていくかで次第に変質を余儀なくされてきたものであり、
それなりに進歩・進化・発展と言える側面もあったものでしょう。大和言葉を棄てて漢字文化を大きく受け
入れていったのは、必ずしも後退でもなく、人間社会の発展には不可欠であり不可避でもあったことでし
ょう。今更、語彙の数や範囲を数百年前から一千年以上も前に戻すことなどは現実的に不可能でしょう。
自然との調和が喪失されつつあるとは言え、社会の複雑さに対応していくのは必然であったとも言えるの
ではないでしょうか。
これは人口が増えてきて自然との調和が破壊されてきたから、再度、人口の数を以前に戻せと言うよう
なものではないでしょうか。進歩と破壊は表裏一体であるのはやむを得ないことでしょう。そこで見直しや
改訂、場合によっては取捨選択が大切となってくるもので、何でも元に戻せば解決するものでもないと思
います。仮に、将来、日本民族の歴史的大英断を下して、思い切った日本語の廃止を選択しても、外交
や交渉、経済活動、学究や教育などで優先使用していっても、何も神道や仏道、日本食、日本住宅、和
服、和歌・短歌・俳句などの日本文化や伝統の一切を放棄することにはならないでしょうし、放棄する必
要もありません。現に外国人は日本語をそのまま英語に取り入れていることでも分かるでしょう。表現は
漢字でも英語でもどちらでも良いでしょう。英語では不可というならば、中国語でもある漢字・漢語・漢文
ですら不可というものでしょう。
ところで、日本が世界的に行動していくためにも、世界共通の言語に依拠していく必要があるのは、通
訳の必要性を見ても理解できます。目下、日露関係を修復する動きも活発化しておりますが、某私立大
学のロシア関係の研究者の話では、この日露同時通訳が出来るのは世界的に見てもたった4人しかい
ないようです。従って、日露外交交渉をするに際しても、政府の都合で日程が決められず、実に通訳の私
的都合で日程が決定されると言うことです。英語なら通訳の数も多く、それだけ行動範囲や回数も飛躍的
に拡大していくということでしょう。日本語を理解するロシア人や、ロシア語を話す日本人を増産するよりも、
いっそのこと、日本人が日露共通の英語を話していくことにより、英露通訳で事足りて手っ取り早く対処で
きるというものでしょう。これは迅速性の確保の面から見ても、企業の合併や合弁事業でも同じことが言
えるでしょう。
要はこれまでの長所であった日本語による日本人の国民性が、今や大いなる短所になってきたという
自覚、反省、改革に繋げていく時期に来たと言うことです。例えば、人を騙さない、批判しない、互いに対
立しないなどと言った一見美徳ながらも温和一辺倒の曖昧模糊とした優柔不断の消極的で受け身の面
を根本的に転換して、今やグローバル化時代を反映して、世界的常識に沿って、人に騙されない、言うべ
きことは堂々と言うなどと言った積極的で正義感に満ちた強い威風堂々とした迅速明瞭な精神や心の国
民性に脱皮していくことが大切であることを指摘するものです。これは元気いっぱいの国民性への飛躍に
も繋がっていくでしょう。
なお、神代以来の日本語が自然や宇宙の波動と調和した言霊であると言うことは、中国由来の漢字、
漢語にも言えるでしょう。弘法大師が編み出した幾つかの祈祷文などにも魔を退散させる効果があり、当
方も聖心先生から教えていただいた幾つかの魔除けの唱文にしても、殆どが仏教教典に記載されている
漢字によるものであります。確かに大和言葉には温和な響きの中に、暖かいものを感じますが、決して魔
を退散させたり払拭したりするような強烈な波動は感じられません。むしろ漢字や漢語の方が強力な魔
除け効果があると言えるでしょう。
それ故に仏教教典にしても、今でも漢語で何となく有り難みを感じるものでしょう。その語感から来る響
きが言霊となって宇宙に反響するものでしょう。もっとも、当方が指摘するように、漢字の氾濫する仏教教
典には、逆に魔を氾濫させたり招き寄せる効果や影響が多いのも事実です。これは現在の日本語にも、
世界中から流入してきた民族同士が外洋を越えて逃げ場もなく国内的に隠遁、逃避、隔離された形で、
互いに軽蔑、排他、嫉妬し合った痕跡によるもので、既に宇宙的響きとは無縁ものので大差ないように思
います。
安穏なる国家社会の建設に向けて:129
追記7: 新らしいコトバ 投稿者:寺嶋眞一氏 (2004年6月1日)
今一番必要とされているのは日本精神の要である言霊としての純粋な和語の復活でしょう、軽佻浮>薄な
英語の達者な輩を例え何百万も生産しても日本を守る役には何の足しにもならないでしょう。
言霊は、日本語そのものである。
日本語には時制(tense)が無いので、陳述内容に現在と未来の区別もない。あるのは、現実だけである。
だがしかし、現在の地球は英米の世の中である。
かれ等は、知力を利用して現実支配を可能にした。
我々は、英語(アングロ・サクソン)の考え方をも理解すべきである。
さもないと、またもやひどい目にあう。
我々は、2発の原爆を使った重圧に耐えることが出来なかった。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
追記8: 追記:日本語の歴史的見直しが必須となろう (2004年6月2日)
ご投稿有り難うございます。以前に2章掲示板の最後のところで、確か2003年8月1日に、次のような
投稿をいただいたことを思い出しました。掲示板の切り替わり時期に遭遇して、また多忙故に、大変失礼
ながらうっかりと失念忘却しておりました。それでも記憶の片隅にあったことは確かなのですが、余り大し
て関心もなかったのも事実でしたが、今漸く関心と注意をもって興味深く拝見することが出来た次第です。
当方と相通じる見解故に大変参考になることが多いようです。改めて感謝いたします。むしろ当方の方が
今まで曖昧にしたままで、貴方様の提起された重要問題に関して、大して関心も払うことがなかった当時
の自分自身の浅学非才、無恥蒙昧の身に対し、心より叱咤反省している次第です。
http://8308.teacup.com/sozoritukoku/bbs
英語だけで考える力 投稿者:寺嶋眞一 投稿日: 8 月 1 日(金)22 時 39 分 46 秒
英語だけで考える力
我々日本人が英語を操って、英米人と対等にわたり合えるかが問題である。
「あるべき姿」と「今ある姿」を比較すれば、現実批判は可能になる。「あるべき姿」は、未来構文の内容で
ある。未来形は、英語にあって日本語にはない。日本人が現実批判能力を獲得するには、英語だけで考
える力が必要である。
現実批判があれば、その改善は要求できる。批判がなければ、現実に関する発言は趣味の問題である。
歌詠みのようなものか。
「上と見るか、下と見るか」の上下判断(序列判断)を絶えず要請される日本人社会においては、向上心の
芽生えは避けられない。
だから、日本人は指導者になりたい。お上のような境地に到達したい。
だが、今の状態では指導性は発揮できない。ただ、高い地位だけを望んでいる。これが、日本人の悩
み・矛盾である。
ところで、現在、英語を話す者の多くが、思考論理は日本的感覚でやっているものだから、幾ら英語を
話したからと言っても、あくまでも思考は日本的な曖昧模糊としたものであるので、英語会話にも限界を
感じざるを得ないと言えるでしょう。例え、日本語と英語をバイリンガルで話したとしても、日本語の感覚で
英語を話しても何も国民性の変革には繋がらないかも知れないのも確かでしょう。単なる意思伝達の手
段として英語を使うだけなのかも知れません。それでは曖昧模糊とした日本語の延長に、今後は英語を
単に持って来ざるを得ない結果に成るであり、真の意味での国民性変革にはならないでしょう。
従って、聖心先生は、日本人の国民性を根本的に変革するには、思い切って日本語を廃止することだ
安穏なる国家社会の建設に向けて:130
と指摘しておられたのでしょう。決して現在のような英語を第二外国語として習得することではなかったの
です。あくまでも日本語の廃止は国民性の変革にあったのです。単なる国際的英語を使用した方が便利
だとかと言う次元ではありませんでした。日本語の論理構造、思考回路の中にこそ、世界に通用しない偏
狭な国民性が隠蔽されており、その変革無しには、日本国民の精神構造を抜本的に改革することが不可
能だと言うことでしょう。
なお、日本の伝統と文化とは正に日本人の歴史でありましょうが、この歴史とは実に過去の歴史上にお
いて、幾多の手が加えられて改竄され隠蔽され誤魔化されてきた面が多く、実に曖昧模糊となっているも
のでしょう。この歴史的曖昧性の故に、日本人は何時まで経っても決して団結できないでいると言っても
過言ではないでしょう。先生は、我々が守るべきは日本語ではないと明確に言及されました。多くの有識
者は、日本語こそ日本人の魂そのものであり、それを無くしたら日本人でなくなると頑なに思っているよう
です。
言語とは変化し得るものであり、古来、朝鮮古語に浸食されたり、中国語も導入して、可成り、本来の日
本語は変質してきたようです。もっと原点に立ち返って言えば、日本語の故郷は何とシュメール語にある
と指摘する方もいるようです。それほど文明の発祥地である中近東を原点として、各種の世界言語が誕
生し枝分かれしていったと指摘されております。当方は縄文日本語こそ、世界共通の言語であるという見
解ですが、案外、この縄文人こそシュメール人かも知れません。
なお先に指摘しましたように、多くの有識者の中にも、母国言語とは、民族の魂そのものだ確信してい
る者が多いようですが、これは案外、誤解や偏見、錯覚であるものと思います。例えば、伝統的な芸術や
技術、服装や食事、祭り、祭祀などでも、ある意味では民族の伝統と文化という点では同じであり、民族
を歴史的に見ても、それらの多くは極めて表層的なものでしかないと思います。幾多の変遷、遍歴を経過
してきているもので、何も万古不易のものではないでしょう。即ち、今更、羽織・袴の和服や下駄・扇子の
世界が、日本古来の伝統と文化であり、絶対に死守すべきものではないでしょう。
そして英語を話すからと言って、某有識者が指摘するように、民族固有の心魂が捨て忘れ去られ、また
心魂が卑しくなるものでもないでしょう。例えば、ユダヤ人がヘブライ語を棄てて英語を話したからと言っ
て、ユダヤ人でなくなるのでもないでしょう。むしろユダヤ人としての共通性はユダヤ教でありましょう。日
本人も何も日本語が日本人であることの証でもないでしょう。むしろ日本人の証や本来の日本人魂は神
道や仏道の精神にこそあると言えるでしょう。これをもって聖心先生が言われたことは、最終的に日本人
が守るべきものは、世界に誇れる法制度であると申されたのです。この法制度の中には、新たな天皇制
や各種法制度であるものでしょう。
これは西洋が、特にアングロ・サクソンの民族が何も英語を話してきたから、凶暴略奪の搾取抑圧民族
に君臨してきたとは言えないでしょう。むしろキリズト教の根本的誤りの中にこそ、西洋人の心魂形成に
大きな役割を果たし影響を及ぼしてきた要因、要素があったと見るべきでしょう。日本人で言えば、神道、
仏道、儒教などが、民族の精神や意識、心魂を形成してきたと言えるでしょう。決して日本語が本質的な
ものではないと思います。
さて、日本語の語順で最も世界的に通用しないもので、日本人の狡猾な国民性がその日本語の言い回
しに大いに関係していると思われるものに、「貴方の言うことは基本的に(原則的に)分かった。だがしか
し(例外的に)・・・」と来る文言があります。世界的に共通していることは、最初の「貴方の言うことは分か
った」と来れば、原則的に賛成ということであります。しかし日本では次に来る「だがしかし・・・」で殆どの
場合に、先ほどの原則賛成を逆転し、例外を指摘し主張しているように見えて、その実は、後者の例外を
原則に置き換えていくことが多いものです。
即ち、「YES(イエス:はい)、BUT(バット:しかし)」の論理展開であり、原則と例外を逆転させ、本末転倒
させていくものです。これはある意味で、相手の言うことに納得し了解し賛成したように見せ掛けて、実際
は巧妙に論理をすり替えて、抵抗し反対して行くというものです。これが日本人の国民性の狡猾、巧妙さ
安穏なる国家社会の建設に向けて:131
に繋がっていくものでしょう。その上、基本的に賛成、原則的に賛同、などと言って油断させながら、巧妙
に賛否、諾否を逆転させていく傾向があるというものです。これは実にある意味では、一旦賛成し賛同し
たものをひっくり返すことで、一種の背信行為と言えるでしょう。
英語感覚では、そのような原則と例外を逆転させるような言い回しは、まず有り得ないし、ただフランス語
では「QUI(YES)、MAIS(BUT)」の論理があるようですが、恐らく、日本人が使用するような原則と例外を逆
転させるようなものではないのではと思います。この言い回しこそ、日本人自身が気付いていないもので
あり、この感覚で英語を話している英語達者な日本人も多いようです。即ち、英語でも、この順逆転換、
本末転倒の論理を使用していくことが往々にしてあると言うことです。
そのために外交摩擦を生み出していることも多いようです。外交交渉でも、原則と例外を逆転させた言
い回しに対し、外国からは嘘吐き、曖昧、無責任などと攻撃され、単に文化摩擦などを逃避しております
が、基本は日本語を使用する独自の日本人社会の特性と、それを狡猾に使用している国民性の摩擦に
他ならないでしょう。この言い回しを廃止しない限り、日本語感覚で英語を話している限り、例え、英語を
マスターしても限界があるのは必定でしょう。
知り合いの中国人が、日本人を嘘吐きだと言っていましたが、軽々しく口にした約束を平気で破ってい
ることに対する嫌悪感に他なりません。日本人の発想ならば、曖昧模糊とした軽々しい返事を連発して行
き易いのですが、世界的には通用しないことが多いようです。日本人ならば、むしろそんな口約束を信じ
る方が可笑しいとでも言うのでありましょうが、日本人の曖昧模糊とした約束が、今や世界的常識からも
逸脱してきたようです。余談ですが、中国人に対しては、食事に誘ったら誘った方が支払うことが常識の
ようです。勿論、迂闊に謝罪しようものならば、弁償が付きまとうのも常識です。日本社会のように、謝罪
を単なる言い訳や弁解に考えていては、世界に通用しないのも確かでしょう。
なお、参考までに、目下、大東亜戦争末期におけるポツダム宣言受諾に際して、日本側の誤訳により、
宣言受諾を「黙殺する」を「拒絶する」と訳したが故に、頑迷固陋な政策方針に対して、報復のために鉄槌
を下すべく、即ち、意志撤回を促すために原爆を投下したということを紹介した著書も出回っております。
(歴史をかえた誤訳 鳥飼玖美子著 新潮 OH!文庫)これなどを見ると、単なる誤訳では済まされない大
変重要な背景を痛感させられる思いです。即ち、民族の盛衰に関する事項にまで発展していくと言うこと
です。
日本語の伝統的特徴や今日的限界について考察し、日本語の乱れが今や日本人の国民性や国家社
会にも大きく影響を及ぼしつつあることを指摘させていただきました。従来は長所と言われた日本語が、
今や歴史的大変動の真っ只中にあって、短所や欠陥に大きく変貌しつつある状況を踏まえて、日本語の
根本的在り方を問い直す歴史的大転換の時期に来たと言うことに警鐘を鳴らさせていただきました。これ
は正しく国家の命運を決する事項に言語の在り方が大きく関係し、正に日本語自体を再検討して乱れを
改訂していく時期に来たと判断するからです。世界を指導し教導する日本の歴史的改革に際しては、実
に真正な国民性の変革こそ必須であり、その核心は実に言語の在り方に大きく左右されるからです。
日本語の在り方を巡っては、過去を振り返り、現在を観察し、そして将来を展望して洞察して行くことが
大切ですが、実に容易に即断したり判断できずに相当に難しいものを孕んでいることが明らかでしょう。
当方も何も早急且つ性急に抜本的対策を講じることを強調し訴求するものではなく、次第に国際情勢乃
至は国際環境の進展と共に、大きく行き詰まって行くにつれて、次第にその因果関係に日本語の在り方
が大いに関係してくると言うことを指摘するものであります。即ち、日本語の欠陥と限界が露呈されていく
であろうと危惧するものです。
しかしながら果たして何処まで多くの有識者が状況を正しく分析し、更には歴史的大英断の下に効果的
な解決策を提示できるのか大いに疑問です。その折りに至れば、国民全体とまで行かなくても、一部の
指導者階層当たりから、日本語の使用体系における抜本的な見直しが始まって行くであろうと思います。
正に世界国家への脱皮か三流国家への転落かの大いなる選択の岐路に立たされて行き、日本語の歴
安穏なる国家社会の建設に向けて:132
史的見直しが必至となるだろうと予想するものです。
いまや社会には、若者の活字離れに見る精神の退廃や荒廃、個性を潰す嫉妬や妬みが氾濫した閉鎖
的社会の蔓延、そして官僚や政治家、財界人達の指導者階層の問題解決先送り、玉虫色的決着の優柔
不断、無責任な言動が氾濫しており、今や多くの難問山積の状況下で、最早どうしようもない大きな壁に
突き当たっているように思います。この由々しき状況には実に様々な原因や背景が考えられますが、従
来美徳とされて無益な対立を回避して和の精神を尊んできた曖昧模糊の日本語の長所が、いまや壮大
な欠陥を露呈しつつあり、実にこの日本語の大いなる乱れが、無責任で優柔不断な国民性の堕落へと
益々拍車を掛けつつあるものと危惧するものです。
こういう前提や背景を踏まえて、今や日本語を思い切って捨て去る英断を下さざるを得ない時期が急迫
してくるものと思い、その折りに向けての一提言でもあります。恐らくここまで思い切った提言をなした者
は皆無ではなかったかと思います。ただ世界的な言語の英語を使用した方が便利で好都合だとか、日本
語では世界性がないとかで、英語と日本語の比較優劣を検討をされた方は大勢おられますし、また、そ
のために日本語を廃止すべきだという見解を表明された方は、過去にも現在にも幾人かおられます。
しかし、日本人の国民性の変革のために、即ち、日本人社会の曖昧模糊の不明瞭性や非迅速性、そし
て無責任性を打破改訂するべく、その関連で日本語を廃止すべきだという見解を表明された方は、過去
にもまた現在にも恐らく極めて少数か皆無ではなかったかと思います。ただ多少誤解しているかも知れま
せんが、寺嶋眞一様は大胆にもそのような日本語の欠陥を理解し、日本語の見直しを痛切に感じておら
れる見解をお持ちのようで、心強く感じた次第です。
追記9: 民族・国民性を決定する要因は言語ではなく、宗教観・信仰観であろう(2004年6月5日)
民族・国民性を決定する要因は言語ではなく、宗教観・信仰観であろう(2004年6月5日)
日本人の民族・国民性を形成するものは何も日本語ではなく、神道や仏道、儒教であり、西洋人を西洋
人たらしめているものは、何も英語などの言語ではなく、実にキリスト教であろうと思われる。即ち、西洋
文明の形成に大きく影響を及ぼしてきたもの、或いは今後の西洋文明の行き詰まりと崩壊に関係してい
るとと思われるものは一体何であるかを詳細に検討し考察すると、実にその根本的要素乃至要因、そし
て元凶は、言語と言うよりも、精神を形成してきたキリスト教文明に他ならないものと思われる。
先日、偶々、会田雄次著の「日本人の精神構造」を拝読したところ、彼は特に、言語が民族性や国民性
を形成するものではないとは明言してはいないが、その端々には、その民族国民性が実に宗教に関係し
ているという見解が伝わってくる想いだ。彼の特別の言語観を聴かないと、これだけでは何とも言えない
が、言語に関して特別に関連付けていないところを見ると、矢張り、民族性や国民性の特徴付けるものに、
言語を特別視していないように思われる。
むしろ日本人や西洋人の意識を形成している最大の要因は、実に宗教にこそあるという見解に聞こえ
てくるものだが、当方の先走った思い込みかも知れないが、一応、当方の見解に相通じるものを感じざる
を得ない。日本語を話すから日本人としてのアイデンティティを有するものではないだろうと思われる。そ
れは外見表面的なものでしかないと言えよう。実際、日本語を話す日本人でも、その心は韓国や中国な
どの外国にある者も多いようだ。この日本語自身が、時代と共に色々と変遷してきており、何も古来、些
かも変化していないとは言えないのである。むしろ神道や仏道の普遍的原理こそ、普遍的日本人の価値
観を形成し思想や行動を決定して来たものであり、今後とも決定していくものと考えていくべきであろう。
因みに、世界に離散し流浪してきたユダヤ民族をして、今日、一体感、連帯感を形成しているものは、
ヘブライ語が中核というものではないだろう。ヘブライ語を話すユダヤ人だけが真のユダヤ人でもあるま
い。矢張り、ユダヤ教を信仰する者がユダヤ人と言うことであり、これがユダヤ民族であると言うのが世
界的な常識であろう。
今、日本人を日本人たらしめるものは一体何なのか、真剣に吟味検証して行くことが求められているの
ではなかろうか。最近、某著作を通じて、当方の疑問に多少なりとも応える見解に遭遇し、一部、吾が意
安穏なる国家社会の建設に向けて:133
に通じる感想を持ったところであるが、以下、参考までに、軍人勅諭から説き起こした彼の評論を紹介し
ておこう。
『日本人の精神構造』
著者 会田雄次/著
日本人の原質は「誠」である
右の五ヶ条は軍人たらんもの暫も忽にすへからす
さて之を行はんには一の誠心こそ大切なれ
そもそもこの物此五ヶ条は我軍人の精神に L て一の誠心は又五ヶ条の精神なり
誠ならされは如何なる秦言も善行も繕うはへの装飾にて何の用にかは立つへき
誠あれは何事も成るものそかし
【訳】右の五か条は、軍人である者は片時もおろそかにしてはならない。
そこで、これを行なうためには、一つの誠がたいせつである。
そもそもこの五か条は、軍人の精神であって、一つの誠は、また五か条の精神である。
心に誠意がなかったら、どんなによい言葉も、よい行ないも、すべてうわべのかざりであり、
暮筋液秋饗放心ごとでもできるのである
日本人の意識構造を支えるもの
日本人というものの原型、コアーパーソナリティを考える場合、ヨーロッパ人のコアーパーソナリティを考
察するのとは違った考え方をしなければならない。
日本人とは何か、日本人の心は何かといった質問は新聞の世論調査的質問である。新聞の世論調査
を見てみると、平和が好ましいかとか、中国とは仲よくやっていけるかとか、自衛隊は必要かといった紋
切り型の答が返ってくる質問に終始するようだ。それだったら国民性でも世論調査でもなく、マスコミの支
配力、つまりその主張がどこまで及んでいるかとの調査にすぎない。
ここでちょっと比鞍的に人間の意識構造を三つに区分し図型化してみよう。
一番下にあるのは脳髄の旧皮質と、それに引っかかっている「情感」(感情、感覚、欲望、本能的なもの)、
それが一番根底にあって、その上にいわゆる理性の支配圏がある。知識一般、広い意味の教育、学校
教育から家庭教育、社会教育等一切の教育を含めた「知識」の世界である。その上の一番上側に「意思」
が乗っかる。
この三段構えによって人間は行動し思考するわけで、ヨーロッパの場合、意思と知識と情感はバックボ
ーンで、一本貫かれている。そのバックボーンとはキリスト教精神である。だからアメリカ人のコアーバー
ソナリティとか、.イギリス人のコアーバーソナリティ、民族性といっても、この三つを一体として論じること
ができる。
ところが日本の場合は、その三つはばらばらである。
一番下の「情」の世界では、やっぱりわれわれには神道的、ヨーロッパ的な概念でいえば多神教的なも
のが生きている。それは大地の力を信じたり、川の源の泉の中に神が住んでいると思ってみたり、災難に
遭うと回り合せが悪かったとかいう。回り合せが悪かったということは、昔からいう、金神さんにぶつかっ
たとかいうことである。各種各様の超越的なものの力が私たちの生活にたえず力を及ぼしているという。
そういう心情を持ちつづけている。
この心情の上に乗っかっているのは、知識とか知恵の混じったもの、これは幕藩体制の頃は「仏教」で
ある。社会的にこの知恵で生きている人々といえば村でなら和尚さんと庄屋さんぐらい、町では御隠居、
家主さんという「知識人」であろう。それをリードしている思想はその仏教的なもの、徳川町人の世界なら
安穏なる国家社会の建設に向けて:134
心学であろう。
ところでその上の「意思」は何か、これは全然仏教と関係のない「儒教」である。それが乗っかっている。
社会的にいえばその意思で生きている層は武士であろう。政治とか、政治の責任者とか、為政者が決断
するものは儒教的な論理である。個人の頭脳の中でもこの三つがつながっているような、切れているよう
な状態で併存している。
社会階層的にいえば、一番上は武士、まん中が大町人とか豪農、一番下の大衆というのは心情層で生
きている。日本人のコアーパーソナリティでいえば、この上の二者のほうが絶えず変わる。
仏教がキリスト教になったり、儒教が市民道徳になったりというふうに。
ただコアーパーソナリティと私がいいたいのは一番下にある心情のほうである。すくなくともそれに基盤
を置き、それと関連した意識構造である。
この心情とは旧皮質的・潜在意識的なものと、そこへフロイドの精神分析によればちょっと後天的学習
による知識がはいり込む。そういう世界である。この心情は容易に変わらない。その変わらない根底の心
情を一つとり出してみれば、「誠」である。
「誠心誠意」万能主義は通用しない
この「誠」は文化文政期ごろ決定されてしまった。
今日でも「誠」さえあれば、すべての世界すべての人々に通じるという信仰みたいなものを私たちは持っ
ている。例えばオリンピックを開いて、心から外国人をもてなした。その誠意はわかってくれるはずだと思
っている。中国復交でも、こちらが誠意を尽くせば通じると論ずる新聞もあるくらいである。
意識とか知識の異なる人とでも、この情感さえあったならば、平和に交わっていけるはずだ、何もかもみ
なそこへ通じるはずだということになる。人間に唯一の共通のものは、「誠」だと私たちは思っている。つま
り「誠心誠意」万能主義ということである。
しかし、悲しいかな、それは日本人の錯覚である。上の知識と意思が違えば戦争にもなり得るのだ。
それに抽象的な「誠」といっても具体的には各種各様の「誠」があり、「誠」と「誠」がぶつかり合うこともあ
ることを私たちは思っても見ない。
「誠」さえあればというのはいわば女性的心情で、国際政治とか商売の取引きとかは「誠」では何ともな
らないものだ。なぜなら、それは主として知識とか意思にかかわる世界であるからである。
この章で述べている「嘉言」というのは知識のことであり、「善行」というのは行動という名称である。行動
の世界、知識の世界というのは私のいう意識構造では上のほうに属する層である。
「うはへの装飾にて何の用にかは立つへき。心たに誠あれは何事も成るものそかし」と、それは日本人
の信念というか基本感情を見事にいい当てたものである。
そしていかにもことばの上ではそれはそのとおりなのだが、国際関係とか、文化とか変化対立の激しい
世界では、やっぱり嘉言も行動も一切含めて対立し、交渉し、競合し、妥協しというふうにぶつかり合わな
いと、うまくいかない。それは一つの物的ともいえる力の世界である。
誠心誠意は否定できないけれども、誠心誠意だけで何事もでき上がるというのは主観であり、単なる自
己満足であり、女性的心理であり、無理だと思う。
素朴なる人間性が残る日本人
ここでヨーロッパの場合、日本における「誠」に当たるものがあるかどうか考えてみよう。どうもうまく適合
する言葉が見当たらない。強いて考えればそれは信仰である。おそらく神に対する心構え、神の前に自
分が一個の良心となったならば、何事も、神と一切一緒だという精神がそれに類するだろうか。
おそらく近代精神だったら唯一絶対の神と、その前にある裸にされた人間とが光の中にある。
その神の栄光にすべて包まれ、一切のかげり、一切のウソいつわりを全くゼロにした人間の「良心」とい
うものが日本の「誠」に当たるのであろう。
私は「誠」と「良心」を比べた時、「誠」のほうが自然に近いと思う。キリスト教の場合、信仰の衝突はある
安穏なる国家社会の建設に向けて:135
が、日本人の「誠」にはあまりそれがないからだ。
かといって「誠」だけではいけない。上層に位置する知恵と意思がかかわっていないと、この「誠」はキリ
スト教と同じく単なる独善主義になる。そんな抽象的なだけの「誠」が大きすぎ、「誠」と「誠」が衝突すると
大変なことになる。
「誠」というのは、あくまで主観的なものであって、決して客観的根拠のあるものではない。したがって知
や意思の根底にあり、表面に絶対出ずにそれを支えるものでなければならない。
ヨーロッパの「良心」はキリスト教とかイデオロギーとかによって変形されてしまった。日本は幸いにして、
「知」「情」「意」が分裂して層が違う。はっきり言えば人間らしい原形が残った。
ヨーロッパではニーチェ的な言い方をすれば、キリスト教が原型をむちゃくちゃにしてしまい、うぶな人間
性、素朴な人間性、したがって崇高でもある人間性をこわしてしまった。ニーチェが怒ったのはそれである。
中国でも儒教が心情まで浸みとおって支配している。ここでは儒教意思が知を決定し情まで型にはめて
しまった。日本では幸いにして、「知」「情」「意」が分裂しており、それはある一面からすれば大変心許な
い変わりに、素朴なる人間性が最後まで残った。これは万国共通のものにしてもいいと思う。
それは根底に「誠」をふくんでそれと一体をなす知と意と合したものでない限り他人に通じない。この知
と意は歴史的条件、社会的条件によって変わる。問題はその「嘉言」と「善行」でありそちらのほうに日本
は反省を置くべきである。
知を排し、意志を否定し、ただ「情」を「誠」という形で主張している現在の風潮は心細い。もう少し、この勅
諭のような教えを反省すべきところではなかろうか。
追記10: 優劣を付けられない日本国民性は曖昧模糊の日本語が原因で国家破綻の元凶となろう(20
04年6月12日)
主語もなく曖昧模糊の日本語特有の思考構造が、白黒、善悪、諾否、優劣などを曖昧模糊とする日本
人の国民性を醸成して来て、今や国家を破綻させる元凶となるでしょう。特に昨今の日本人特有の誰も
責任を取ら無い無責任体制、賛否や優劣を明確にしないで問題先送りをするまあまあ主義の馴れ合い
玉虫色的決着に終始してきた体質は、大きな曲がり角に来ていることは確かでしょう。そこで思い切った
日本語廃止の結論に至った背景や経緯を説明したものでありますが、次第に深刻な問題として浮上して
来ざるを得なくなるでしょう。
ところで、日本人社会に現れる体質に関して、日産を買収した仏系企業のルノーから送り込まれたゴー
ン社長が大変興味深いことを指摘されておりました。それは、日産内部を観察して思ったことであり、なか
なか鋭いところを付いているものと思います。それは社内の会議で、多くの案の比較優劣を検討した後に、
最終的に、A,Bの両案に絞り込んで行っても、何れを採択すべきか何時までも結論を出せなかったこと
を指摘しているようです。これが、迅速的確な対応を迫られるビジネス社会において、多大な遅滞、遅延
を生じて日産の破綻を招いた元凶であり欠点だったと指摘しているようです。
こういう白黒や優劣を付けられない体質こそ、日本人の国民性というものでしょう。現在でも、国会や官
庁や企業などでの多くの議論や討論を見ても、みんなの顔を立てると言った玉虫色的決着や問題解決
先送りの体質が、一見すると、和を尊ぶもので無益な対立を回避して行こうとするものですが、結果的に
はとんでもない袋小路に追い込まれて行きかねないものでしょう。そしてこの体質は、何も最近に始まっ
たものではなく、また現代的な特徴や傾向ではなく、実に歴史的なものかと思います。矢張り、日本語自
体から来る欠陥が、日本人の意識構造を形成しているように思われてこざるを得ません。
大東亜戦争における真珠湾攻撃の大成功により、従来型の戦艦同士の戦いから大きく戦術が転換さ
れ、今後は航空機戦の時代であることを、実に世界に先駆けて実証して見せたものです。しかしその後も
戦艦大和のような巨艦を建造して行ったのも、歴史的な謎とされておりますが、戦艦の水兵の仕事を無く
すことが出来なかったから、無理して惰性的に戦艦建設に走って行かざるを得なかったようです。これを
安穏なる国家社会の建設に向けて:136
見ても、実に日本人の国民性が形式や慣行、メンツなどに囚われて、最終的決断力や選択力の欠如に
繋がる優柔不断に陥っていくかが解るというものでしょう。日本人は最後には最適・最良の案を如何に絞
り込んで選択していけないかと言うことを、如実に物語っているものでしょう。実にこの国民性形成との因
果関係が、日本語の思考構造にあるというのが結論でもあります。
正に、白黒や優劣を付けられない優柔不断の日本人の国民性は、これまでは互いに対立し合うことも
なく、和気相合の風潮や空気を醸成し、日本人社会全体を温和で友好な共同体を形成してきたと言える
でしょう。ところが、こうした長所は、ある面では批判を封じ込めて圧殺し、出る杭は打つの国民性を形成
してきたのも否めません。この長所でもあった国民語が今では短所に大きく変貌しつつあり、特にこの曖
昧模糊の日本語から来る思考構造が、実に日本国民の精神性を優柔不断の問題解決の先送り、批判
精神の欠如、無責任体制に堕落させている原因であると確信するもので、これが至っては国家を破綻さ
せる元凶となっていくものでありましょう。
追記11: 日本民族の真の固有性は世界的普遍性の神道文化であり変遷流転の日本語ではない(200
4年6月12日)
これまでと大きく観点が異なり、可成り反発・嫌悪を覚悟で、誰も気付かないことで、大変重要な課題に
関して、当方の考察を紹介しました。それは日本語を巡る現実的な問題であり、将来に関わる重要な課
題であります。この日本語の今日的問題が、実に遠き将来において、我が国国民性や国家社会の命運
を決する事項になるものと確信するものに他なりません。決してこれは当方の誤解と誤謬、独善と偏見に
満ちた見解ではなく、遠き将来においては、可成り、真実・真理・真髄を突いたものになっていくのではな
いかとさえ思っているものであります。この見解に対して、何も今すぐ判断し見解を表明し結論を導かれ
なくても、次第に時代の進展と共に、自ずと状況が展開され、その適否が証明されていくのではないかと
思います。
今や、日本人を真に日本人たらしめるものは一体何なのか、真剣に吟味検証して行くことが求められて
いるのではないでしょうか。即ち、吾々日本人は一体最後まで守るべきものは何であるのか、吾々日本
の民族性・国民性を決定する最大の要因は何であるのかといった根本的課題に思いを至らせる時期に
来たと言えるでしょう。当方が幾多の試行錯誤の果てに確信するに至った結論的な解答は、実に日本民
族を形成し決定する要因こそは、幾多の変遷を経て変質改竄されてきた日本語それ自体ではなく、正に
世界的普遍性を有し、日本民族固有の宗教観であり信仰観である「神道」にこそあるべきものと言うこと
です。
実に遠くない将来において、吾々日本人をして、世界の模範・規範となって世界を指導し教導する真の
日本人たらしめるものこそは、日本語ではなく、世界普遍の宗道とも言える「神道」であり、そして「神道」
を基礎に据えた「仏道」であり、歴史的宗教改革の総決算としての両者の融合・実践でありましょう。それ
に併せて道徳、倫理、礼儀などの規範として「儒教」なども関係してくるものでしょう。実に日本人や西洋
人を始め、世界的にも共通して言えることは、国民や民族の意識を形成している最大の要因である絆や
規範は、実に宗教観や信仰観、そして道徳観にこそあるという見解が真理ではないでしょうか。
日本語を話すから日本人としてのアイデンティティを有するものではないだろうし、それは外見表面的な
ものでしかないように思われます。実際、日本語を話す日本人でも、その心は北朝鮮や韓国、そして中国
などの外国にある売国奴や亡国奴の者も多いようです。日本語を話すから日本人であることは、この際
再考していくべきではないでしょうか。これまでにも、日本人としてのアイデンティティ(同一性)は、表面的
な日本語ではなくて、日本人の奥深い心象を形成してきた神道であり仏道であり儒教精神であったものと
思われます。現在、そうした宗教観や信仰観が喪失されつつある中で、日本人としての一体感・同一性も
喪失しつつあると言えるでしょう。それが日本語の乱れにも大きく影響を及ぼして、国民性を堕落崩壊せ
しめているものと思われます。
安穏なる国家社会の建設に向けて:137
この日本語はあくまでも民族国民性を決定する要因の付属的・付随的なものであり、また表層的・表面
的なものでしかなく、今や、世界的な視野に立脚して、そして歴史的展望を踏まえて、日本語に内在し招
来する幾多の弊害に焦点を当てて、検討検証を加えていく時期に来たと判断するもので、場合によって
は根本的な見直し・改訂が必至となってくるものでしょう。この日本語自身が、時代の変遷と共に変質を
余儀なくされており、古来、些かも変化していず純粋性が保持されてきたとは言えないものです。むしろ神
道や仏道や儒教などの普遍的原理・規範こそ、普遍的日本人の価値観を形成し思想や行動を決定して
来たものであり、今後とも決定していく最大の要因と考えていくべきではないでしょうか。
ところで、西洋人を西洋人たらしめて、彼等の思想を形成してきた背景や根本要因も、何も英語などの
言語ではなく、実にキリスト教でありユダヤ教の精神であろうと思われます。即ち、西洋文明の形成に大
きく影響を及ぼしてきたもの、或いは今後の西洋文明の行き詰まりと崩壊に関係していると思われるもの
は一体何であるかを詳細に検討し考察すると、実にその根本的要素乃至要因、そして元凶は、言語と言
うよりも、精神を形成してきたユダヤ・キリスト教文明に他ならないものと思われます。因みに、世界に離
散し流浪してきたユダヤ民族をして、今日一体感や連帯感を形成しているものは、ヘブライ語の言語が
中核というものではないでしょう。ヘブライ語を話すユダヤ人だけが真のユダヤ人でもないでしょう。矢張
り、ユダヤ教を信仰する者がユダヤ人と言うことであり、これがユダヤ民族である証明でもあり、世界的な
定説・常識でありましょう。
こう言う考え方には、日本語を真底から崇拝する愛国民族派の方々は勿論、英語の必要性や重要性を
声高らかに強調する外国語、特に英語崇拝者からも、そこまではと可成り抵抗があろうかと思います。し
かしながら、今や単に日本語を話すからと言っても、頑迷固陋に神道を忌避・排斥し、仏道を嫌悪し排除
し、儒教精神を封建的と称して排他消滅させつつ、国歌国旗にも愛着の念すら感じないで、心魂は朝鮮
や中国に向けられている亡国奴の輩が大変多いのも事実です。こういう由々しき現実世相を直視して行
けば、自ずと吾々が最後まで守るべきものは一体何であるのか、そして真の日本人としてのアイデンティ
ティ(同一性)は如何なるものなのかが見えてくるのではないでしょうか。
そこで「神道」や「仏道」「儒教」などに関することは今回さておき、日本語のみに関して、思考してみた次
第です。即ち、日本語の伝統的特徴や今日的限界について考察し、日本語の乱れが今や日本人の国民
性や国家社会にも大きく影響を及ぼしつつあることをご指摘してみた次第です。従来は長所と言われた
日本語が、今や歴史的大変動の真っ只中にあって、短所や欠陥に大きく変貌しつつある状況を踏まえて、
日本語の根本的在り方を問い直す歴史的大転換の時期に来たと言うことに警鐘を鳴らした次第です。こ
れは正しく国家の命運を決する事項に言語の在り方が大きく関係し、正に日本語自体を再検討して乱れ
を改訂していく時期に来たと判断するからです。世界を指導し教導する日本の歴史的改革に際しては、
実に真正な国民性の変革こそ必須であり、その核心は実に言語の在り方に大きく左右されるからです。
日本語の在り方を巡っては、過去を振り返り、現在を観察し、そして将来を展望して洞察して行くことが
大切ですが、実に容易に即断したり判断できずに相当に難しいものを孕んでいることは明らかでしょう。
当方も何も早急且つ性急に抜本的対策を講じることを強調し訴求するものではなく、次第に国際情勢乃
至は国際環境の進展と共に、大きく行き詰まって行くにつれて、次第に日本国家の命運の因果関係に日
本語の在り方が大いに関係してくると予想し指摘するものであります。即ち、日本語の欠陥と限界が露呈
されていき、国民性の堕落を招来させて内部から崩壊させていくであろうと危惧するものです。
しかしながら果たして何処まで多くの有識者が状況を正しく分析し、更には歴史的大英断の下に効果的
な解決策を提示できるのか大いに疑問です。その折りに至れば、国民全体とまで行かなくても、一部の
専門家や指導者階層当たりから、日本語の使用体系における抜本的な見直しが指摘されて行くであろう
と思います。正に主体性を有した世界的指導国家への脱皮飛躍か、それとも主体性無しの唯々諾々の
物言わぬ三流国家への転落かの大いなる選択の岐路に立たされて行き、日本語の歴史的見直しが必
至となるだろうと予想するものです。
安穏なる国家社会の建設に向けて:138
いまや社会には、若者の活字離れに見る精神の退廃や荒廃、個性を潰す嫉妬や妬みが氾濫した閉鎖
的社会の蔓延、そして官僚や政治家、財界人達の指導者階層の問題解決先送り、玉虫色的決着の優柔
不断、無責任な言動が氾濫しており、今や多くの難問山積の状況下で、堕落しきった心魂を前に、最早ど
うしようもない大きな壁に突き当たっているように思います。この由々しき状況には実に様々な原因や背
景が考えられますが、従来美徳とされて無益な対立を回避して和の精神を尊んできた曖昧模糊の日本
語の長所が、いまや壮大な欠陥を露呈しつつあり、実にこの日本語の大いなる乱れが、無責任で優柔不
断な国民性の堕落へと益々拍車を掛けつつあるものと危惧するものです。
こういう前提や背景を踏まえて、日本語の在り方を根本的に改訂し、場合によっては思い切って捨て去
る英断を下さざるを得ない時期が急迫してくるものと思い、その折りに向けての一考察でもあります。恐ら
くここまで思い切った考察をなした者は今までは皆無ではなかったかと思います。ただ世界的な言語の英
語を使用した方が便利で好都合だとか、日本語では世界性がないとかで、英語と日本語の比較優劣を
検討したり、そのための第二外国語の重要性や必要性を強調された方は大勢おられます。またそのため
に日本語を廃止すべきだという見解を表明された方は、過去にも現在にも幾人かおられました。
しかし、一部の洞察力のある有識者の中には、大胆にもそのような日本語の欠陥を理解し、日本語の
見直しを痛切に感じておられる方もいるようですが、日本人の国民性の変革のために、即ち、日本人社
会の曖昧模糊の不明瞭性や非迅速性、そして無責任性を打破改訂するべく、その関連で日本語を思い
切って廃止すべきだという見解を表明された方は、過去にもまた現在にも恐らく皆無ではないかと思いま
す。
正に肉を切らせて骨を断つの気概でもって対処すべく、熾烈な改革であろうと思います。既に聖心先生
との対話で得られたものを指摘し紹介しましたように、吾々は国家社会の一体何を守るのかに関して、聖
心先生は、真正で崇高な法制度(神道を基礎・規範にした国家体制)であり、日本語でもなければ日本人
の生命財産でもないと言及されました。新しい日本独自の法制度に賛同するものは外国人でも構わない
と言う極めて大胆で破天荒な発想です。逆に言えば、反対し嫌悪する日本人は、説得・理解・協力が不可
能ならば、意識変革を促したり排除し淘汰するべき存在というわけでしょう。
聖心先生は、日本人の国民性を根本的に変革するには、日本語特有の思考を変革するべく、思い切っ
て日本語を廃止することだと指摘しておられたのでしょう。決して現在のような英語を第二外国語として習
得することではなかったのです。あくまでも日本語の廃止は国民性の変革にあったのです。単なる国際
的英語を使用した方が便利だとかと言う次元ではありませんでした。日本語の論理構造、思考回路の中
にこそ、世界に通用しない偏狭な国民性が隠蔽されており、その変革無しには、日本国民の精神構造を
抜本的に改革することが不可能だと言うことでしょう。正に、国際化の下に、日本の命運を決するような
様々な難題が山積していく中で、最後は「肉を切らせて骨を切る」「骨を切らせて命を絶つ」の捨て身の選
択や判断、破天荒な戦法を試されていくものでしょう。
取り留めもなく、思い付くままに書き連ねてきましたが、何も性急に結論を出さなくても、現実は次第に
当方が懸念する方向へと動きだしているように思います。日本語の根本的在り方を巡る静かなる文化大
革命が水面下で進行しているように感じます。特に昨今のグローバル化を反映した国際社会の急激な情
勢の変化は、日本の伝統文化をも大きく改変・変革しようとしているように思います。その中に、実に我が
国固有の日本語があり、その現代的欠陥を真底から認識し、新たなる挑戦を真摯に受けて立ち、更なる
国家社会、日本民族の発展を目指していく歴史的転機の時期に来たようです。こうした歴史的大激動の
背景を踏まえた上で、当方の一見解を心の片隅に入れて置かれることも大変重要ではないかと思い、ペ
ンを走らせた次第です。
平成16年(2004年)6月10日
追記12: 某有識者が言う「正しい日本語」とは明瞭な漢語か、曖昧情緒的な平仮名のことか?(2004
年6月14日)
安穏なる国家社会の建設に向けて:139
某有識者が「正しい日本語を7,8歳頃までに修得すれば、左脳が活性化して、自然のリズムを肌に感
じる繊細な感覚が醸成される」との趣旨を指摘しているが、周囲も何も知らずに勝手に分かったようにも
っともだと肯いているが、この「正しい日本語」とは、一体如何なる日本語であるのかは何も言及していな
いし、考えてもいないのではないかと思う。恐らく、大方の有識者が理解しているこの正しい日本語とは、
平仮名のことであり、この平仮名こそ世間が認める大和言葉というものであろう。決して西洋外来語のカ
タカナではないことは当然ながら、中国由来の漢字・漢語でもないだろう。
しかし、この平仮名では何度も言うように、確かに語感が柔らかいことは確かだが、曖昧模糊となってい
くものだ。例えば、「まきば」は「巻き狩り」とも関連するのだが、「牧場(ぼくじょう)」では自然と調和する言
葉ではなくなっていくようだ。「くるま(車)」でも、曖昧模糊となって、何の車か分からない。漢字で正確に
書いて始めて明確になると言うものだ。例えば、馬車、牛車、自動車、電車、自転車などで明確になると
言うものだろう。「かぜ(風)」にしても、大和言葉では、「ものすごい、大きい、はげしい、暖かい、冷たい、
はるの」などの形容詞を付けて程度を表現するのだが、漢字で書けば、台風、突風、春風、冷風、温風な
どで明快になると言うこだろう。
これから見ても、平仮名大和言葉では確かに語感が柔らかい響きを有しているものだが、曖昧さを有し
ている印象は避けられない。それに、何時までも平仮名では通用しないであろうし、次第に成長に伴って
漢字を使用して行かざるを得ないものだ。この漢字を使用していかないと、曖昧な日本語に成らざるを得
ない。現在の大方の日本人で、漢字を重要視しない日常会話の世界や、田舎の方では、十分通用してい
るものだが、外交や交渉、ビジネスや研究の世界では、明確さを追求するべく、漢字を多用して行かざる
を得ないだろう。
これこそ正に当方が指摘する問題点に他ならない。即ち、情緒的で温和な語感の長所である平仮名大
和言葉が、ある時に至って曖昧模糊として意思伝達性の不明瞭、白黒のはっきりしない優柔不断性など
の短所に転化し、今や短所・欠点の方が優ってきており、それが実に国民性にも大きく関係してきており、
その曖昧模糊とした無責任性や問題先送り体質、批判精神を封じ込めて、長い物に巻かれろ式の実に
主体性の無さや内向きの消極的な国民性を形成してきているものと懸念するものです。
実に1300年前以来、即ち、大和朝廷が出来て以来、今日に至るまでに形成されてきた日本人の国民
性の変革を指摘する有識者が多いのですが、その国民性の変革を如何にしたら為し得るのかは何も解
っていないようです。単に法制度を変革すれば済むものではないでしょう。その法制度の解釈や運用に、
大きく、国民性が関係してくるからに他なりません。曖昧模糊とした情緒的な国民性は、時には巧妙・狡
猾に転化し、換骨奪胎、二枚舌、すり替え、はぐらかし、先送り、無責任などを生み出していくものでしょう。
それが今日の官僚などの指導者階層に見られる役人根性とでも言える体質であり風潮や傾向ではない
でしょうか。
追記13: 明瞭な漢語の多用は社会発展に不可避だが、霊性低下に繋がったのは皮肉な因果だ!(2
004年6月16日)
前に投稿者の丸十氏が以下のようなことを指摘しましたが、今改めてこの認識理解の中に、誠にもって
真理を突いた正解と、現代的で根本的な限界があることを痛感いたします。
『それからご指摘の、日本人の一部の連中の無責任、無節操は、直接日本語とは関係なく、単に悪用し
ているだけでしょう。
あいまいな日本語を使用しているからモラルが低下したのではなく、日本語が乱れたからモラル低下が
起きたのです。
それも学校教育が長く、俗に言われるお勉強をよくした連中ほどモラル低下がはなはだしいのは、彼ら
は本当の日本語からかけ離れた偽日本語を使用しているからなのです。
エリート面らした連中の頭を割って見れば漢字と、漢語、外国語、そして翻訳調の事霊的躍動のまるで
安穏なる国家社会の建設に向けて:140
ない偽日本語がギッシリと詰り、それでもってこの世界を理解した積もりになっている思い違いの愚者達
です。
問われているのは、偽日本語と、それを使う連中です。
何の特権的な地位や、肩書きの無い庶民こそ本当の日本人で、一部の連中は日本人の顔した非日本
人です。
大部分の日本人である庶民は、己の職務に誠実に励み、他との争いを極力避け,実直に生きていると
思います。
何でもいいですから今度現場では働いている職人さんなどを観察することを薦めします。
それはそれは真面目で、商売抜きで、己の技量と、知恵を使い作業に励みます。
見るべきは多数の庶民のモラルであり、一部の社会の上層でうまい汁を啜っているのは連中でありま
せん。
こいつらは放っておいても消えるは、必定。
世間で言うところの教養の無い庶民の日常的なコトバや方言などに多くの大和言葉が残ってます。』
今になって改めて心の奥底に思うことは正にこのことなのです。確かに、田舎では心が穏和な方が多く、
また中小企業には自然と調和した情感豊かな素晴らしい技術があり、また日常生活においても、本来の
平仮名日本語の使用でも差ほど困ってもいないし、むしろ、エリート面らした指導者階級の連中に日本語
の乱れがあって、国民性の堕落や崩壊などのモラルの低下を招いているという趣旨のご指摘であるよう
に思います。そしてこの乱れた「日本語」こそ、「漢字と、漢語、外国語、そして翻訳調の事霊的躍動のま
るでない偽日本語」であると言うことです。確かにこのご指摘は真理を突いており大正解であります。然る
に、正にこの点にこそ、逆に今日的限界もあり大問題が存在するのであります。本来の平仮名大和言葉
の日本語と、漢字外来似非日本語の両者は、実に表裏一体の相互補完の関係であるように思います。
幼児期から学習し修得してきた文部省唱歌などに見られるように、平仮名の歌詞や詩歌には実に心温
まる穏和で情緒的な響きがあって、これこそ正に自然のリズムに調和し宇宙の鼓動にも響き合う本来の
平仮名日本語であり大和言葉であろうかと思います。これが残っているのは、皮肉ながらも、田舎や中小
企業であり、日常生活であるのも確かでしょう。そしてこの平仮名日本語の情緒的で穏和な語感や響き
の下に、穏和な国民性を醸成しているものでしょう。
然るに、次第に成長するに連れて、即ち、複雑高度の社会に組み込まれて行くに連れて、どうしても明
晰明瞭な漢字や漢語を使用して行くことが不可避にも必然にもなって行きます。その結果、この平仮名日
本語の良き特徴の語感が、逆にその曖昧さが裏目になって、次第に消滅して行くものかと思います。特
に社会的に出世していく連中にこそ、モラルの低下現象が顕著になっていくのは、実に職務上、明晰な意
味を有した漢字、漢語を多用して行くからに他なりません。それも、本来の曖昧情緒的な日本語感覚で、
漢字や漢語を多用しても曖昧な解釈の下になる語法でしかありませんから、どうしても限界があって混乱
に拍車を掛けて行かざるを得ないように思います。
この辺の理解や判断、そして評価や選択などが大変に困難であろうかと思います。即ち、自然と調和し
た情緒的で豊かな語感の日本語から招来される穏和な日本人像の中に、正に裏返しとして曖昧模糊とし
た日本語の欠陥を内包し、それを是正していく過程で、明瞭で明晰な漢字や漢語を多用していっても、根
幹が本来の日本語の曖昧な感覚や語法に依拠している限り、漢字や漢語が大々的に是正することには
ならず、単なる便利な文字の使用に終わりかねません。思考方法や論理方法の抜本的是正や改訂にま
で繋がるものではありません。
ここで大きく問題となるのは、曖昧模糊とした本来の平仮名日本語に復帰して、漢字文化を大幅に後退
させていくのか、そしてそこに内在している無責任な問題先送り体質の国民性をそのまま包合し妥協して
いくのかであり、それとも本来の大和言葉に見られるように、素晴らしい語感でありながらも曖昧模糊とし
た平仮名大和言葉の日本語を捨てて、明瞭で明晰な漢字、漢語を多用して、中国語的語感や感覚に大
安穏なる国家社会の建設に向けて:141
きく偏った日本語に大変質して行くのかでありましょう。実に、歴史的にも際どい困難な選択であり判断で
あったと言えるでしょう。そして現在、正にこの歴史的決着に迫られていくものと思う次第であります。長
い間、平仮名日本語で感性や国民性を形成して来た日本人が、漢字を習得して行くに連れて、混乱し迷
走していくことの因果は、実に皮肉であり逆説としか言いようがありません。
実に当方は、聖心先生のご指摘された真意を注意深く汲み取って思案していった結果、この日本語に
内在する特徴が、次第に長所から短所に推移し、最後には長所が短所を吸収して解消していけない限
界を感じるものであり、むしろ内在する長所こそが、現代社会における最大の欠陥と把握することが必須
となった次第です。この日本語に存在する素晴らしい伝統と文化に基ずく特徴を最大限に尊重しながらも、
今や要請されているものは、単に、国際化を反映して第二外国語としての英語の積極的活用の重要性
から来るものではなく、世界に通用する国民性の意識変革であり大改訂であります。
そのための日本語の大幅な見直しであり、根本的改訂に他なりません。曖昧情緒的な日本語が曖昧無
責任な国民性や指導者階層を形成し、そうした欠陥的な国民性を変革するためには、日本語を思い切っ
て捨てざるを得ないと言うのが聖心先生の判断であったと言うことです。実に、日本語廃止という破天荒
な大英断に至る背景には、実に日本人の国民性の改革に向けて不可避であり必須であり必至だと言うこ
とに他ならないということでしょう。広大無辺の仏知恵を会得された聖心先生でこそ、人智を遙かに超越さ
れて正しい因果関係による本質を瞬時に把握されておられたものと思う次第です。
追記14: 日本語の欠陥が強く反映しているのは無責任な役人根性による曖昧な役人用語である (2
004年6月19日)
読売新聞で「日本語の現場」を連載しているが、6月18日で50回を数え、特に6月16日付け「日本語
の現場」で面白い記事があったので紹介する。
『役所言葉は研究課題?』
「前向きに善処します」
??典型的な役所言葉でヤリ玉にあがる言葉の一つだ。こんな言葉遣いにいらいらするのは一般市民だけ
ではない。昨年四月に初当選した名古屋市議の長谷川由美子さん(45)(公明)は、自らの体験に照らして
独自の分析を加えている。
きっかけになったのは、年六月の市議会でのやりりだった。初質問で「個人の携帯電話に地震警報を信
できないか」と提案、市側から「研究課題」との口答を引き出した。
意気揚々と質疑を終えたら、先輩議員から「あれは『やらない』ということなんだよ」と言われ、「え
っ!?」と絶句。そこで過去三年間の議会答弁に出てきた「検討します」「研究します」「検討議題とさせて
いただきます」などの言葉を調べ上げた。
議会で質疑されたのは五十施策。答弁の言い回しと実施率の関係をみると、
▽「前向きに検討」=80%
▽「今後検討」=60%
▽「今後研究」=40%
▽「検討課題」=20%
▽「研究課題」=0%
「検討」との答弁があれば実施率は高い。しかし同じ「検討」でも下に「課題」がついた途端、実現性は
20%に落ち込んでいた。
「前向きに検討」は「できる可能性がきわめて高いので、市も全力を尽くます」との回答らしく、「研究課題」
の実現性は皆無。つまり、「市としては何もできません」という意味になるようだ。
安穏なる国家社会の建設に向けて:142
長谷川さんはこの調査結果も議会に報告し、「その場しのぎ、煙に巻くような答弁より、もう少し明確で、
一般市民が聞いてわかりやすい答弁を心がけるべきです」と注文をつけた。
これが「前向きに検討」されるのか、それとも「研究課題」で終わるのか。注目したいところだ。
〒100?8055 読売新聞社東京本社
「日本語の現場」取材班
FAX 03・3217・1679
メール [email protected]
なお、6月15日付けでは、片仮名を日本語に言い換える動きも紹介していたので参考までに紹介しよう。
カタカナ語や行政用語を拾い上げて如何に言い換えるか、そのままでいいか、一語ずつ検討していった。
「フリートーク」が「話し合い」に、「イベント」は「催し」に変わったほか、「クーリング・オフ制度」には「無条
件解約制度」の注釈も付けている。
追記15:
追記15: 外圧による日本語と英語の併存から次第に日本語の大幅な見直しや廃止に発展するのだろ
うか (2004年7月8日)
今や司法改革と称して、司法試験合格者が1200人当たりから1500人へ、そして数年後には一挙に
3千人と急増化するそうだ。この司法関係者の増加には裁判官は大して増員もされずに、専ら弁護士の
増加だそうだ。しかもこの増員を巡る改革は弁護士会も要望していず、国民も要求していない。実に経済
界からの要望であり、その背後のアメリカからの要求だ。それもアメリカ経済界や法曹界の要求だ。一説
に言う弁護士開放であり、米国弁護士の参入である。
そのために、目下、政府法務省当たりで、英語使用可能の裁判にするように法改正が検討されている
ようだ。そうなれば日本の裁判所がアメリカ式に英語で裁判が展開されることになるそうだ。これをもって
司法改革と言い、弁護士参入の開放解禁であるようだ。ただでさえ、取締役会議事録の日本語翻訳が非
関税障壁となって、日本進出が阻止されていたのだが、今やそれすら撤廃される方向で、英語使用も可
能になり、面倒な日本語の翻訳文添付も不要になるようだ。
そうすると否応なく、日本語と英語の併存から、次第に日本語の大幅な見直しから、思い切った廃止に
拍車が掛かるようだ。かつて聖心先生が言われたように「日本語は思い切って廃止した方が良い」とは、
実に国民性の変革もさることながら、こうした事態の到来を予期されていたのでは無かろうかと、今更な
がら想い出されるものだ。何も当方如きが率先して実施しなくても、次第に時代の趨勢となっていくものだ
ろう。その折りのことを想定して指摘したものだが、何時の日にか、当方の指摘が先見性があったと評価
されるものと思う。今は猛反発を喰らうだけであるが、時代の波が押し流して行くであろう。
当方自身は日本語や漢字が大好きであるし、何時の日にか、聖心先生の書かれた難解な語句や文章
を解明したいと思っているが、そのためには深遠な漢字の意味や内容の理解が必須だ。とても英語では
解明し尽くされないものだ。当方の言う日本語廃止などは、遠い将来の日本民族の発展のためを考慮し
たものである。何時かは歴史的選択を迫られて行くであろうと思われる。既にその兆候が外圧という形で
現れてきているのだ。
ところで日本語の本質や矛盾を指摘した本が見つかったので紹介しよう。
NHKブックスから幾つか出版されている。その一つが金田一春彦氏の「日本語の特質」だ。前に金田一
氏の講演を聴き、その後に、日本語長所は解ったが欠点があるとしたらどうかと質問したが、さあーと言
って何も考えてはなかったようだ。そこで少し誘導するために曖昧性はどうかと問い質したところ、厳格な
ドイツ人との相違の話になった。専門家と言えども、余り日本語の将来や欠点に関しては深刻には考え
ていなかったようだ。専門家ほど現状分析に終始し、総合的な分析力に欠けるようだ。
安穏なる国家社会の建設に向けて:143
他には「日本語の将来」があったが、「二重言語の国家・日本」は当方の分析を的確に付いており、相通
じるところがあるようだ。また「日本語は進化する」の著作が出版されているが、当方が言うところとほど
同じ内容で、日本語の性質をズバリ分析し指摘している。しかし、日本語を思い切って棄てるべきだとま
では結論していないが、心の奥底では同感だという想いが伝わってくるようだ。
追記16: 日本語は国際語になり得るか (2004年7月25日)
「日本語は国際語になり得るか」と題して、日本で日本語学校を経営している台湾総督府顧問でおられ
る金美齢氏が講演されたようだ。結論から言うと、残念ながら成り得ないと言うものだ。その理由は4つあ
り、一つは圧倒的な英語の一人勝ちであり、そんな現状の中では日本語のみならず、他の世界中の言語
が同じようになり得ないと言うことである。即ち、フランス語であろうとイタリア語であろうとドイツ語であろう
と、人口が多い中国語であろうとなり得ないと言うことだ。
二つ目には、日本語独特の複雑さだ。平仮名、片仮名、漢字という多様性が複雑性になり、外国人に
は習得を極めて困難にしていると言うことだ。それに敬語や言い回しの多様性が、外国人には簡単に習
得できない厚い壁を感じさせているという。三つ目には、日本政府の情熱の欠如だという。日本語を国際
語に押し上げたり、外国人が習得しやすいように配慮する熱意が全く皆無だという。外国ならば、観光誘
致や外国語習得に多大なる熱意を傾けるのに、日本政府には全く欠けているという。これが国際語にな
り得ない一因だという。
そして4つめには、少し忘れたが、確か日本人の国民性にあると言ったように思われる。正確な日本語
を話さない曖昧で情緒的な国民性ではなかったかと思われる。これは様々な方言や言い回しにより、日
本語を複雑多様にしており、日本人同士でも対話が通じない状況が起きているのが問題だと言うことで
はなかったかと思う。むしろ当方は因果関係を逆に考えているものだ。曖昧な日本語だからこそ日本人
の国民性を形成したと言うことで、それが長所でもあるが、今や大いなる短所となってきたという点だ。
一応、4つの指摘により、日本語は国際語には成り得ないということまでは、当方も同じ見解だが、金美
齢氏は、だからと言って、別に日本語を排して英語にするとかは何も考えていなく、無理して国際語にな
らなくてもローカル言語でも構わないと言う。国際化とか国際人、国際語などという言葉には容易に賛同
できないものを感じており、敢えて国際語を目指す必要はないし、無理であり、さりとて日本語を無くす必
要はなく、無くしたら日本人としてのアイデンティティを喪失して日本人ではなくなると結論していたようだ。
ここが当方と見解が別れるところだ。当方は一応、圧倒的な英語に押されて、日本語がローカル言語の
転落していく中で、英語と日本語の併存する状況が生まれていき、最後には日本語が地方や単なる日常
会話の中にだけ生きて、終いには、フイリピンにおけるタガロク語のような存在になって、思いきった廃止
にまで追い詰められていくような状況を想定しているものものだ。何も早急に廃止するというのではなく、
次第に追い詰められて行かざるを得ないことを指摘するものだ。そう言う状況に遭遇した大英断を国家
的レベルで成さざるを得ない岐路に立たされるということだ。それに当方は、日本語を無くしたからと言っ
ても、日本人でなくなるとは思ってもいない。既に漢字を借用していること自体が、純粋日本人では無いと
言うことだし、日本人たらしめるものは日本の伝統文化の神道と仏道と儒教精神の宗教観・信仰観であ
ろうと思っている。
これは誰にも解らないだろうし、当方はそういう非常事態の到来もさることながら、日本人の国民性の変
革からも効果的であることを指摘するものだが、国民性の変革のためなんて言うと、殆どの者が頭に来る
であろうと危惧するものだ。しかし、英語の圧倒的な攻勢を前に、また日本国民性の優柔不断や堕落性、
隷従性を前に、誰かが気付き言い出すであろうと思われる。なお、これは日本人は国際人になり得るかと
も大いに関係するものであろう。金美齢氏は、全く次元が異なる問題だと言っているようだが、言語が国
民性を形成するものだ。
安穏なる国家社会の建設に向けて:144
追記17: 日本人は、世界を指導できる国際人になり得るのか (2004年7月30日)
台湾総督府顧問の金美麗氏は、日本語が国際語には成り得ないけれども、別に国際語には成らなくて
も構わないと言っていたが、これからすると、日本人も敢えて国際人には成らなくても構わないと聞こえて
くるものだ。これでは積極的に飛躍していく努力や欠陥克服を最初から放棄して、歴史の激流に翻弄され
埋没して行かざるを得ないであろう。言うなれば国家の弱体化や衰滅化であり、最後は国家消滅である。
当方はこんな情けない結果を指をくわえて待っているのは実に亡国的発想でしかないと思っている。敢え
てそれでも構わないと抜かしている者は、特別に確たる展望や崇高な理念など有していなくて、日本民族
の歴史的役割などに思い至ることもないからであろう。
ところで、この日本語が国際語になり得ない以上、日本人が日本語を駆使する以上は、最終的には日
本国民全体は国際人には成り得ないと言うことでだろうと思われる。矢張り、国際人になり得るのは、国
際的な指導力を発揮して行くのは当然であり、そのためには国際感覚は当然ながら、世界を引っ張って
いく手段として誰にでも理解できる言語が使用されていくことが必須と成るだろう。例え、崇高な理念を提
示しても、それを簡単に翻訳し理解できることが必須となるであろうと思われる。そのための努力を怠らな
いことが大切だろう。
目下、日本が世界に誇れる様々な伝統と文化的遺産が存在するが、真意や真実を解明しているには
程遠いものを痛感するが、その他にも積極的に外国に向けて発信する努力を放棄している感がする。例
えば、神道にしても、単なる自然崇拝のアニミズムの多神教の宗教であるぐらいの認識が神道界でも一
般的だが、こんな程度ではとても世界に冠たる神道を普及させていくのは至難の業であろう。そう言う感
覚では、世界に発信しても、真底から共鳴し賛同を受けて普及して行くには限界があるというものだ。
また、国際人になるためには、国際語の英語を話していけば、それで充分かと言えばとんでもないであ
ろう。何故なら、国際語としての英語の発想や感覚を修得していかなければならないからだ。多くの英語
が堪能な連中にしても、日本語の感覚で英語を話している場合が多いようだが、これでは国際語の英語
を話していると言うだけで、感覚は日本人特有のものが浸透しているままであろう。
昔、田中角栄と言う大政治家がいたが、彼は別に英語が堪能でもなかったが、感覚は国際的であった
が故に、適切な通訳の協力の下に、米国政府と対等にやり合って、むしろ彼等を畏怖させていったようだ。
然るに英語が堪能な某政治家に至っては、余りにも曖昧模糊で優柔不断な日本特有の感覚で外交交渉
をするものだから、相手に多くの誤解を与えていったようだ。要は国際人とは、国際語を習得すると言うこ
とではなく、国際的感覚を会得すると言うことだろう。英語の強烈な浸透と言った外的攻撃を頑固に排斥
するのではなく、巧妙に回避しながら、肉を切らせて骨を断つの気概で、それに便乗して同化し、場合に
よっては逆に乗っ取っていくことが必須であろう。
矢張り、日本人が国際的になるためには、単に英語を習得すれば良いと言うものではなく、日本語の発
想を思い切って捨てて、国際語の英語的感覚や発想を修得していく必要があるだろう。これは別に英語
を習得することもなく、まず始めに、日本語で、意志の正確性、迅速的判断、自己主張の明瞭性等を実施
していくことが大切となろう。これには幼児から日本語を学習して、その後に英語を習得すると、どうしても
日本語の感覚が染みついて英語感覚は会得できないようだ。さりとて、日本語と英語の両方をバイリンガ
ルに修得すると、どちらも修得できない思考分裂に陥っていくようだ。これは日本語特有の習得における
左脳の働きにあるようだ。世界の殆どの言語は右脳で習得するものだが、この左脳の作用は日本語独
特のようだ。
それ故に、聖心先生も、思い切って日本語を捨てたらいいと言われたのであろう。これは、あくまでも、
日本人の国民性の変革に向けたものであり、換言すれば、国際人に大きく飛躍し脱皮し指導国家に変身
するために必須と言うことだろう。日本民族の劣等卑屈的な面を有する国民性に関しては余り言いたくも
ないが、この国民性の欠点を克服するには、日本語との関係を思い切って遮断することが必至と指摘さ
れたのであろう。聖心先生のことに関しても、何ら関心や感動を向けられることのないどうしようもない鈍
安穏なる国家社会の建設に向けて:145
感さの国民性である。
そこで、国際的感覚の会得とは言っても、矢張り、最終的には、思い切った英断が必至と言うことで、聖
心先生は遠い将来のことを深く考慮し展望して指摘されたものであろう。これは恰も、和服は国際的衣服
になり得るのかに対して、矢張り、洋服には遠く及ばないと言うことで、思い切って洋服に切り替えたもの
と同じことではないだろうか。換言すれば、国際的英語を乗っ取って、国際的指導力を発揮することが要
求されていると言うことだろう。
当方は、新しい時代に向けて日本から崇高な理念が発信されていき、それを全世界が模倣し修得して
いくような流れが出てくるものと思っているものだ。これは現在まで世界を指導してきた西洋文明、即ち、
ユダヤ文明の破綻終焉で急迫化してきているものと思っている次第だ。今や至る所で、当方から、恐らく
極東の日本から世界を変革する動きが登場すると言うことが指摘されているようだ。何とこれは聖書の中
にも指摘されているという。そう言えば、ノストラダムスも同じことを指摘していたし、アインシュタインも然
りだったようだ。
西洋文明が大きく行き詰まって来たからと言っても、何も英語が崩壊し衰退化し消滅化していくのでは
ない。もっとも、これに取って代わり得る言語、例えば、日本語などが国際語としての性格を有しているな
らば、交替していくこともあり得ることだ。しかしながら残念なことに、迅速性、正確性、明瞭性、簡便性等
の点では、現在の英語に代わり得る言語は見あたらないように思われる。そこで、英語を単なる手段とし
て利用して、日本の真の伝統と文化を世界に発信して教導し感化することを考えていく方が、積極果敢な
日本民族の生き残り戦略であり、日本民族の果たすべき歴史的役割や使命、責務ではないかと思われ
るが、時代が次第にそのような状況や国民意識の変革と併行しながら追いやっていくことであろう。
追記18: 二重言語国家日本を如何に改訂するのか (2004年8月3日)
拝啓
暑中お見舞い申し上げます。毎日暑い日が続きますが如何お過ごしでしょうか。
さて、先日お渡しした「日本語の現状と将来」に関する小論文は、内容的には大変ご立腹かも知れませ
んが、残念ながら極めて真実かと思います。当方自身も真理を探求したのは良いのですが、余りにも根
元的な問題である故に、一体如何なる状況が解決させていくのか、全く予想すら付きません。吾々が慣
れ親しんできた日本語自体が、これまで欠陥が隠蔽されてきたものが、ここに来て最大の国民性の破綻
に繋がってきたとは、実に驚きです。この因果関係に気付いておられる方は殆どいないように思います。
ただ、NHKブックスで「二重言語国家日本」を著述された方が、何となく示唆されておられるようです。
即ち、書き言葉と話し言葉の乖離であり、建て前と本音の乖離であり、これほど分離した言語は世界中
でもないように指摘されております。因みに、書き言葉に建前が多く、話し言葉に本音が多いようです。そ
して会話や話し言葉の英語などに比べて、日本語は書き言葉が中心であり、それも中国借用の漢語で表
現しない限り、曖昧模糊になって行くもので、その曖昧性が日本人の国民性の曖昧性、無責任性、優柔
不断性、問題先送りの難問回避性等を生み出し、崇高な理念に対する評価も理解も感動も感銘も関心も
なく、今や誰も責任を取らない一億総無責任無感動体制に堕落してしまったと言えるでしょう。
昔はまだ儒教精神や漢語の素養により、武士道精神もあったのですが、戦後はアメリカ精神を叩き込
まれて民主主義、人権主義、自由主義、平等主義、平和主義なる思想が植え付けられてきたものです。
これらはそれなりに崇高なものですが、如何せん、日本は真意を理解できずに、ただ左翼的発想で解釈
し曲解し歪曲して導入理解して来たにしか過ぎません。今やその猛毒が全身に回ってきて、国家崩壊に
至ろうとしております。民主主義なる概念も「デモクラシー」と正確に理解すれば、単なる多数決ではない
ことに思いが至るのですが、日本では議論をさせないで少数意見を封じ込んでいくのが、穏和な空気を
醸成して和を尊ぶ民主主義と誤解したようです。憲法を現す「コンスティテューション」も同様に、真偽も理
解できない中で、勝手な解釈に突っ走っていったようです。
安穏なる国家社会の建設に向けて:146
実に現在の日本には、こうした真偽の逆転現象や捻れ現象が山積しております。吾々が良かれと思っ
てきたものが、案外それが原因となって問題を発生させていることが余りにも多く存在しております。日本
語が本来の和語と中国伝来の漢語との二極分解した二重性の下に、現在の日本が二重言語国家にな
っており、現在の国民性や国家の迷走の原因は正にそこにこそ存在すると言えるでしょう。和語と漢語の
二重性により、これまでは極めて便利だとか言ってきたものですが、注意深く考えてみると、実にここにこ
そ、和語と漢語の凭れ合い、馴れ合いがあり、思考分裂が起きているようです。例えば、柔らかい響きの
「早く寝る」と堅い厳格な響きの「早急に就寝する」などの和語言葉と漢語言葉の分離であり、思考の分
裂状態であります。
また、日本社会を広く被っている集団主義や馴れ合い主義、凭れ合い主義、集りや甘えも過度の依存
心も、どうも自立心を大きく欠如した、換言すれば芯を欠いた言語形態にあるように思います。即ち、和語
と漢語の両立であり併用であり、分化であります。これはある面では便利でありますが、中国漢字の導入
以来、歴史的には絶えず、和語と漢語との間をゆらゆら、ふらふらと行き来しており、一見すると情緒的
ではありますが、意志薄弱、優柔不断、中心を欠いて極端から極端への振れを醸し出しているとも言える
でしょう。
歴史的にも日本人を真に日本人たらしめてきたのは平仮名の和語ではなく、漢字、漢語の世界であり
ました。「臥薪嘗胆」「捲土重来」などの漢語中国語が、皮肉にも精神的支柱であったものです。今やこう
した漢語文化が後退していく中で、日本文明は西洋カタカナ文明と中国漢字文明と、本来のひらがな和
語文化の狭間にあって翻弄されていっているのが現状ではないでしょうか。また言語の果たす役割も、今
や情報や意志の迅速的確正確明瞭な伝達性が要求されてきており、単なる書き言葉中心の芸術性の高
い日本語が多くの欠陥を呈しており、原点に返って大きく見直していく時期に来ていると言えるでしょう。
誠に残念ながら、当方は既に日本文化が破綻し崩壊の極みに差し掛かってきたように思います。某有
識者は日本語が国際語になり得ない理由の中で、日本人の曖昧な国民性が日本語を曖昧に駆使してい
る状況下では無理だと指摘しておりますが、当方はむしろ逆であり、曖昧な日本語の曖昧な駆使が、曖
昧な国民性を形成してきたもので、偶々、漢字や漢語を多用して思考行動されてきた時代の方々だけが、
国際的感覚や儒教精神、武士道精神を形成してこられたものと思っております。
然るに今や、カタカナ英語の氾濫や、平仮名曖昧な和語への回帰などで日本語は大いに乱れており、
最早どうしようもないところまで来たように思います。単に日本語を守って行けば良いという限界を通り越
しており、若い世代から崩壊し始めたようです。これは何も日本語以外の言語を早急に導入すれば解決
するというものでもなく、日本語の発想で外国語を話しても何ら解決には至らないでしょう。特に役人言葉、
官僚用語が典型的な曖昧無責任な日本語に成り果てているようです。
こうした日本人の意識崩壊は、今や至る所に氾濫しているようです。戦後の国民性を破壊せしめた似非
平和憲法を始め、教育基本法や日米安保条約や東京裁判は勿論、それらばかりではなく、実に多くの誤
魔化しや欺瞞、欺罔が氾濫しております。これらの根底に存在するものが実に曖昧な日本語であり、そ
れを無神経に駆使している曖昧で無責任な国民性に他ならないと痛感するものです。このことに気付い
ておられる有識者は殆どいないように思うのが残念であり、今や有効適切な解決策もなく、実に歴史を総
決算していく必要があると言えるでしょう。また現在の多くの難問山積の中で、多くの有識者でも一部で
は正論を吐いても総合的に大局的に全てに亘って整合性を有して真実に迫っている方は極めて少ない
のではないかと思います。
ところで、最早、当方の考える新しい国家社会の建設に際しては、全てが崩壊して行かねば成りません。
全てというのは日本国内の全ての制度や既成組織のみ成らず、国外の既成権力的組織も同様です。即
ち、米国や中国やロシアなども破綻し崩壊していくことが必須と言えるでしょう。今正に、当方が展望する
ようなシナリオになっていく兆候が現れ始めたようです。即ち、巨額な公的債務による国家破産やハイパ
ーインフレ、預金封鎖などの可能性であり、またドル崩壊や米国崩壊であり、実に資本主義経済の破綻
安穏なる国家社会の建設に向けて:147
であり、原油価格の急上昇であり原油の著しい枯渇化であり、その壮絶な争奪戦突入の予兆であります。
既に米国崩壊を論じる有識者も登場しており、一気に流れが加速していくことでしょう。これを変えるた
めに、朝鮮や台湾、そしてイラクやイラン、またパレスチナなどで大規模戦争を開始する動きも活発化し
てきたようです。日本も米国の圧力から憲法改正をして自衛隊を軍隊に昇格し、それは真の独立国家な
らば大変結構なのですが、現在の米国の属国化では米軍の下部組織として徴兵制実施して、米国のた
めの戦争に大動員させられるようです。
これまでは世界から集る米国経済を日本は金融資金面で協力してきたものですが今後は日本人の生
命や財産を提供させられていくようです。これらの一連の大激動の動きが、一挙に天下の大掃除へと歴
史の流れを急激に変化し始めることでしょう。全てが破壊と創造に向けて走り出したようです。当方にとっ
ては正に高みの見物を決め込んで事態の成り行きを見守るしかありません。大崩壊は当方にとっても正
に歓迎すべき大創造に繋がるものです。国民が自発的に意識変革を為し得るのならば、危機は回避され
たでしょうが、最早、壮絶な犠牲と混乱を伴って始めて達成されるものでしょう。 平成16年8月2日
追記19: 某氏の日本語の現状分析に関する見解に共感を覚えるものだ (2004年9月11日)
某掲示板に、以前に当掲示板にも投稿された寺嶋氏のコメントが紹介されていた。某掲示板主催者は、
寺嶋氏のことを政治家だと勘違いしているようだが、当方が想像している限り、寺嶋氏は以前は学者であ
ったように思われるが、現在は何をしているのか定かではない。寺嶋氏の見解には当方も共感を覚える
ものだが、氏は何処までも日本語を死守しているように思われるのに対し、当方は場合によっては日本
語を思い切り捨てざるを得ないと覚悟しているものだ。この目的は、単に国際的な風潮に便乗するという
次元ではなく、実に日本人の国民性の変革であり、日本語特有の思考方法の変革である。
氏のコメントを見ると、何やら当方の見解に一歩近付いているようにも思われるのは当方の錯覚であろ
うか。即ち、日本語が国民性の欠陥にも大きく影響を及ぼしていると言うことに、次第に同意しているよう
に思われる。なお、このコメントは直接には氏のHP上には掲載されていないようだが、氏のHP上で展開
紹介されている内容を整理して投稿されたように思われる。それにしても、英語と日本語の比較において、
ここまで突っ込んで、日本語の分析を欠陥を交えて記載された背景を見ると、少しは当方のコメントも参
考になっているのかも知れない。詳細は氏のコメントや最後の氏のHPを見れば納得が行くものと思う。
以下、某掲示板で紹介されていた氏のコメントを再度紹介しておこう。
「[165] 日本異質論
Name:寺嶋眞一 Date: 2004/09/08(Wed) 17:23
日本語には、時制がない。
したがって、日本語は実況放送・現状報告のための言葉となっている。
日本語は、現実構文(現在構文)だけの言語と言える。
意思(will)は、未来構文の内容である。
未来構文の内容には、個人的な違いが表れる。
未来構文がなければ、個人的な違いの重要性は理解しにくい。
だから、日本人には個人主義の理解が難しい。
未来に関する想いは、ばらばらな単語で表現される。発言は、意味を構成しない。
想いは、胸のうちで、どろどろしている。腹芸の動機となっている。
これは、言語能力の発達していない幼児のような状態である。以心伝心が必要な場合か。
このような人間の要求を恣意(私意・我儘・身勝手)という。
安穏なる国家社会の建設に向けて:148
客観的な事柄に関する個人的な違いは、事実誤認と考えられる。主観的な事柄に関する個人的なことは、
個人の感覚・感情である。感覚・感情は個人的なことで、こうした趣味のようなものには、論拠がない。し
たがって、この種の個人的な違いを議論に載せることはできない。(There is no accounting for tastes.)
英語による議論は、未来構想に関する議論であるが、日本語ではうまくいかない。
それは、未来構文がないからである。日本語の考えで行けば、未来構想は現実には存在しないことであ
り、虚言である。
この内容は現実構文には載らず、また、無理に載せても実感が湧かないので相手に信じてもらえない。
話にうつつ(現)を抜かしたことになるのである。
山本七平は「空気の研究」を著した。「大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずる
に至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃
至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。」とある。ここに出てくる『空気』は、気
分・雰囲気のようなものである。部屋の空気をかぎ分け、部屋の気分・雰囲気をかぎ分けて、それを口に
出して歌を詠む。気分・雰囲気の良さを争う歌会のようなものか。英米人の議論とは、次元が違うから、
日本人には議論ができない。英米流の議論ができないと、あやまちを何回となく繰り返すことになる。県
民感情を代表する政治家と、国民感情を代表する政治家ばかりでは、恣意(self-will)の政治に筋を通す
ことはできない。『空気』は、日本人にとって不可抗力に見える。
「英米人の議論は、未来構文の「あるべき姿」と現在構文ないしは過去構文の「今ある姿」の比較に関す
る結論である。「あるべき姿」の内容には個人的な差が見られ、「今ある姿」を「あるべき姿」に近づける手
段にも、さまざまな方法が考えられる。だから、各人の意見を比較して議論することは有意義である。中
庸の徳は、リーズナブル(reasonable)である。リーズナブルとは、理由になりうる・理性になりうるという意
味である。その逆は、「理由なく、理性を失った」(unreasonable)となる。「シェイム オン ユウ」(Shame on
you!) という。この種の恥は、わが国にはない。
日本人の発言は、「今ある姿」に限られている。だから、歌詠みのようになる。議論は、事実認定の範囲
に限られている。現実肯定主義か、その否定形かの極端に走らざるをえない。改革の余地が見出せない
不毛の議論になる。恣意と恣意との相克は、足して二で割る喧嘩両成敗となる。
日本人は、「あるべき姿」としての話の筋を掴むのではない。実況放送・現場報告の筋を掴むのである。
浪曲を聞くのと似たようなものである。だから、「それでどうした」の問いには答えが出せない。英米人の
高等教育は、この種の答えを求めるためにある。だから、ただ「今ある姿」のみを頭に詰め込むがり勉で
は、知的水準の向上は望めない。
外国人は、「あるべき姿」を探求するために、先進国であるわが国に留学してくる。そして、大学院に進学
して哲学博士(Doctor of Philosophy, Ph. D.)の称号を得ようとする。だがしかし、わが国には、医学博士や
工学博士など博士号は数々あるが、哲学博士は稀である。しかし、このような日本特有なものは、国際的
に通用しない。それで、哲学博士以外の博士も、Ph.D.(哲学博士)と読み替えて、学位記を持ち帰らせて
いる。だが、表面だけを繕っても、この国の病気は治らない。
英語の勉強は、単なる外国語の勉強ではなく、正しい考え方を習得する勉強にもなる。もし、英語によら
なければ、われわれの学問もない。だから、わが国の有識者・知識人は、英語による考え方をも習得しな
くてはならない。」
追記20: 「個」について 投稿者:寺嶋眞一 (2004年10月16日)
「個」について
個は邪魔
日本語には時制がない。
安穏なる国家社会の建設に向けて:149
日本語には現実構文はあっても、未来構文はない。
現実構文の内容に個性は現れない。
個人的な違いは、事実誤認と考えられる。
日本人の議論は、事実関係の段階に終わることが多い。
個人的な違いは、未来構文の内容に表れる。
英米人の議論は、個人的な見解の段階にまで達する。
実験科学の報告書では、現実構文の内容は実験結果(results)であり、未来構文の内容は考察
(discussion)になる。
未来構文が無ければ、個人の大切さもわからない。
個人主義は、利己主義と間違えられることになる。
宮本政於は、<お役所の掟>の中で、以下の如く述べている。
■私が疾病(しっぺい)対策課に移動となった第一日目のこと、自分の持ち物をデスクの上に置く。たまた
ま、その中に日刊新聞の「ヘラルド・トリビューン」や週刊誌の「タイム」があったからだろう。それを見てい
た課長が、「人が変わると、デスクの上もかわるもんだ。しかし、デスクの上が変わるのはかまわないが、
仕事の内容はきちんと継続性を持たせておくことが大事だぞ」と、ちょっと心配そうに、私に忠告したこと
があった。与えられた役を好き嫌いなく遂行する官僚主義にどっぷり漬かった役人にとって「個」の形成は
邪魔以外のなにものでもない。だから、新しく課長の補佐となった私の持ちものから、「この男は『個』を主
張する可能性がある」と思い、「大丈夫かな」との不安が生じたのだろう。
599 文字
個の否定
代表性民主主義は、個人の考えを公人として実行することにある。個人が無ければ、公人選びも予定通
りにはならない。責任者の行為に関して、私人としてか、公人としてか、の激論が絶えず起こる。だれにも、
個人としての意見はあってしかるべきである。ただ、その個人に、社会に対する代表権があるかないかの
違いである。個人意見の撲滅作戦は、無責任な政治の基礎をなしている。
宮本政於は、<お役所の掟>の中で、以下の如く述べている。
■そこで、官僚に代表される、大組織の世界が、「個」の否定を大前提にしているとして考えると、なるほ
どと思い当たるフシが多々ある。「大過(たいか)なく」に代表されることなかれ主義、自主的・独創的の否
定、自由競争より悪平等、ポリシーよ闥イ和、能力より年功序列などは、この基本がなくしては成立しなし。
根回しによる「みんなで渡れば怖くない」的状況の形成、、、、、これらはすべて「個」の徹底した否定と絡
み合っている。
内のこと
日本語には、階称(言葉遣い)がある。
「上と見るか、下と見るか」の判断が、人間の序列をつくる。
横並びの序列判定に加わることのできる人は「内の人」である。出来ない人は「よそ者」である。
日本人社会は、序列でできている。
その中での個人的な「言いたいこと」は、日本語では処理に困ることが多い。
それは、発言が理性判断に基づいていないからである。
盲目の判断では、議論はできないからである。
だから、言いたいことがあっても我慢しなければならない。
安穏なる国家社会の建設に向けて:150
不自由を常と思えば不足なし、である。
英米人の場合は、非理性・理不尽を「シェイム・オン・ユー」(Shame on you!) の一語で切り落とす。
だから、議論が可能になる。
宮本政於は、<お役所の掟>の中で、以下の如く述べている。
■幹部たちが例外なく力説した事項に「外に出たらなにをしてもかまない。だが『内』にいる間は言いたい
ことがあっても我慢しなければならない」ということがあるが、この「内」の理論は「個」の否定と密接した関
連を持つ。
追記21: 大変に共感・共鳴を覚えるものが多いのだが・・・ 投稿者:不動明王 (2004年11月25日)
寺嶋眞一氏が時々、大変優れた記事を紹介して下さって大変感謝している次第だ。氏は元々が大学教
授であるようで、今は引退しているように思われる。氏のような高名な研究者の方が、当HPをご訪問して
下さるとは、誠にもって光栄の至りだ。当HPを何処で如何にして知ったのか大変興味と関心を抱かせる
ものだ。
さて、氏の指摘する日本語と日本人の思考論理、果てはその国民性との関連においては、実に同感で
きるものが多い。なかなか奥が深く、格調が高いものだ。さすがに第一線で活躍した研究者の方だけある
と思っている。単に、日本語の特徴を分析するのみならずに、その日本語を使いこなす日本人の意識、
思考、感情にまで至って、分析、評価するのも、余り類を見ないものだ。この点でも大変好感が持てる識
見・見解である。
それでも残念ながら、当方は、聖心先生の指摘した「曖昧模糊とした日本語の欠陥を是正して、日本人
の国民性の変革のためにも、思い切って日本語を廃止した方が良い」という結論に漸く理解を示し、心底
から納得出来たものだ。ここが氏と大きく結論が異なる点だ。氏は、何処までも日本語を守っていく立場
だ。
しかしながら、氏の考えを追究していくと、どうして、こんな日本語を何処までも死守するのか理解できな
いし、そうした結論が出てこないものだ。最後は聖心先生や当方の考えに辿り着いても良いようにさえ思
われるのだが、先入観念に囚われているようで、思い切った最終結論が出るまでには今少し時間が掛か
るのかも知れない。矢張り、普通一般の常識的な人間では、理論や思考を越えた現実が先行して始めて、
即ち、英語の世界的な浸食現象が蔓延し、日本語の乱れや崩壊が顕著になって行くに連れて、漸く、現
実的な見方を考慮した真理が見えてくるのかも知れない。聖心先生のような破天荒な仏知恵など理解で
きないのも当然だろうと思われる。当方でも、随分長い年月を要したものだ。
殆どの日本人に対して、思い切って日本語を捨てる原因や動機、背景を、実に日本人の国民性の変革
のためにと言っても、誰も耳を貸さないであろうと思われる。極めて少数の者が、日本人の国民性の欠点
を指摘するが、それでもその原因が何と日本語にあると理解できる者は殆どいないであろうと思われる。
誠に不幸であり残念だ。曖昧な和語日本語の感覚で、厳格な漢語漢字を使用しても、曖昧な誤用や悪用
により、おかしな官僚用語の乱発を招来しているのが現状だ。
なお、単に国際的な感覚や視野を身に付ける意味ならば、第二英語公用語論や実用論の段階で終始
してしまうぐらいだ。それでは、現在のように、一体何時から英語の学習を始めるのかでケンケンガクガク
とした議論になったり、また必要性を痛感している者だけが実践すればいいのだと言う結論に行くしかな
い。これでは,国民性変革などの発想は出てこないものだ。それに、自分自身に照らして、謙虚に自己変
革の必要性を痛感している者など皆無だろう。
追記22: 日本語の在り方を巡って、和語と漢語とカタカナ語の両極端同士の対立が益々混迷に拍車を
掛けるだろう 投稿者:不動明王 (2004年11月25日)
産経新聞11月20日付け報道があったので、以下に紹介する。
安穏なる国家社会の建設に向けて:151
この批判記事における論争を見ると、美しい日本語の定義を巡って、如何に混乱しているかが分かると
いうものだ。また筆者自身、日本語を守るために、敢えて、故意に漢字を使わないように心掛けているつ
もりであろうが、平仮名では逆に曖昧模糊としている印象も拭えない。正に、当方が指摘する点である。
即ち、本来の平仮名日本語を使用すれば、確かに美しい情緒的情感豊かな語感が響き渡ってくるものだ
が、これは曖昧模糊とした語感でもある。漢字を当て嵌めてみて始めて意味が通じるというものだ。また
漢字を多用していくと、本来の日本語の語感が喪失してくると言うものだ。これこそ実に和語と漢語の二
重言語国家と指摘する所以だ。そしてこの二重性が思考分裂を招来しているとするものだ。この観点で
評価し分析すれば、批判している方も、批判さえている者も、どちらも日本語の欠点・欠陥の中で藻掻い
ている構図が浮かび上がって来るというものだ。
産経新聞11月20日付け報道
【美しい日本語守る感受性はいずこ】
『必要な文章への自意識養う教育』
「言語学者の日本語に鍔然」
月刊誌『正論』の十月号に「かけがえのない美しい日本語を守るために」という論文が載っていた。早速
読み始めたが、内容よりも文章そのものに違和感があり、先に進めなくなった。
十一月号にこの論文に関する投書があった。いわく、「題名および筆者の略歴とは裏腹に…あまりにも
稚拙な文章に愕然といたしまして…せっかく正しい主張をしていても表現が正しくなければ読者は納得い
たしません。編集部でチェックを入れる、帰国子女なり国籍なり略歴に明記する等、日本語にハンディが
ある執筆者にはご配慮をお願いします」とあり、専門家にあるまじき事実誤認や語法の誤りを指摘してい
た。「意外に」が「意外と」になっていたり、「草履」と「サンダル」を混同していたり。私も「若者は、外来語の
感染源になりやすい」には、しばらく考え込んでしまった。
さて論文の筆者というのは女性でT大大学院の助教授で、社会言語学者である。ちなみに投書したひと
も大学関係者で女性である。
事実誤認やこまかいまちがいよりも私が気になったのは、主張の当否もさることながら、稚拙と評された
日本語の文章についてである。
「外来語の功罪論ずる前に」
論文はかく始まる。
「近年、すさまじい勢いで外来語が流入し、カタカナ言葉がはびこっている」
外来語の流入は外国語の流入とすべきだろう。
以下、主張と文章の両方を鑑賞・評価していただくために貴重な紙面をさいてみよう。「日本語と共存で
きない外来語は水際で食い止めなければならないし、流入したものは早期に消滅させることが必要であ
る。日本人の日本語能力の退化はますます激しくなる」「問題は、日本国内に流入し、既存の日本語を浸
食する外来語である。それらの多くは、安易に使われる特徴を持つ。美しい日本語に衰退の危機をもた
らしている原因は数多くあるが、その一つこそ、こうした外来語の流入と繁殖に他ならない」
カタカナ語の氾濫を問題にする声は多い。だれの目にもわかりやすいからであろう。
美しい日本語とはなにかについて、論議されたことはあるのだろうか。私は外来請うんぬんよりも、文章
の質を問題にしたい。この言語学者の文章についていえば、和語が少なく、しかも表現がぎこちなく月並
みで、生硬で情緒が乏しい、と漢語で総括しておこう。美しい日本語を論ずるにふさわしい日本語とはと
ても思えないのだ。
私が関わったいくつかの大学にも、粗末な文章を書く教員がいた。論文の要旨英訳を頼まれたものの、
安穏なる国家社会の建設に向けて:152
日本語そのものが意味不明、なにが主語か、まるで判じ物であった。
かと思うと、原書からのへたな直訳を、自分の論文として昇格審査を通そうとする。実際通るのである。
審査する教授の側に、文章に対する感受性が乏しいからである。これで学生の卒業論文指導などができ
るのだろうか。最高学府にしてこうである。
「自己表現の力とは文章力
思い返してみると、私は学校教育の中で、作文は書かされたが、文章を添削されるなど、日本語につい
て指導されたことはなかった。
文筆家は「どこで文章修業をしましたか」とよく質問されている。「学校で」という答えはまずない。本をた
くさん読んだ、とか、「べつに」と答えあぐねるひとも多い。
教えられなくても、文章がうまいひとはうまい。だから文章の勉強は学校教育になじまないともいえる。
しかし、自己表現の大切な道具としていいかげんな文章を書かないこと、何度も読み返し、正しくこころよ
く伝わるかどうか吟味することなど、文章への意識を養う教育は可能であり、必要である。
日本はほぼ単一民族で、日本語がわかって当たり前の社会である。したがって、教育の土台にまず日
本語教育が必要とは考えない。すぐに英語や算数が登場する。
国語を大切にしなければという問題意識が薄いのも、みんなが日本語がわかる社会だからだろう。
後年、生涯学習としてエッセイ教室に入り、意識して文章を書くことに初めて目覚めたと感動する中高
年者も少なからずいる。
「かけがえのない美しい日本語を守る」には、外来語の功罪を論じるよりも、日本語にたいする関心を育
てることである。日本語学校が外国のためにだけあるのはもっいない。しきりにいわれている自己表現力
とは、つまり文章力のことであろう。日本人は日本語の文章に関心をもとう。
(きむら はるみ)
追記23: 日本語について 投稿者:新民党
投稿者:新民党 (2004年11月28日)
しかし日本語というものは外国語の影響を多分に受けています。
もし中国語(漢字)の要素を取り除いてしまったら、それはもはや日本語ではないでしょう。事実、漢文は
外国語の授業ではなく、国語の授業で習います。
生きている言語は常に変化するのであり、逆に言えば変化し続ける言語だけが生きた言語なのです。
したがって古き良き日本語が失われることは自然の摂理ともいえる現象なのです。
言語もまた諸行無常なのです。
私たちはそれに執着するべきではないでしょう。
私たちが行うべきは古き良き日本語の保存ではなく、新しい日本語の創造であるべきです。
問題はどういう方向に変化させるかです。外来語だらけになってしまわないために、例えばアイヌ語とか
方言とか古語とかを、若者言葉のような感覚で、結局的に取り入れてみたらよいでしょう。
追記24: 補足: 完璧な言語は存在しない 投稿者:新民党 (2004年11月28日)
英語は世界共通語に最も近い国際語であるが、しかしやはり欠点もある。
例えば発音とスペリングの著しい乖離。それはもはや表語文字というより表意文字だ。
ところで私は日本語の廃止には反対だ。
英語にしてもスパングリッシュやシングリッシュのように、方言の範疇を越えてしまいそうな方言もある。日本人が
英語を母語に持ったとしても、日本語を母語に持つゆえに、方言以上のもはや英語ではない英語になる
かもしれない。
エスペラントにしても母語にすれば必然的に方言が生まれるのであり、発展段階の言語であるがゆえに、
安穏なる国家社会の建設に向けて:153
方言の多様性もまた激しくなるだろう。
したがってエスペラントを共通語として機能させるためには母語にしてはならない。あくまで外国語として
学習しなければならない。
しかし私はエスペラントをそれなりに評価している。エスペランチストの持つ平和思想などは妄想だと思っては
いるが…。もう少し現実的になって、ヨーロッパ諸語における平等主義など捨ててしまい、英語とスペイン
語に特化して、語彙を取り入れたら良いと考える。
追記25: 日本語の改訂は、国際的指導国家への脱皮と国民性の変革からの要請です 投稿者:不動
(2004年11月29日)
明王
当方の日本語を思い切って廃止するというのは、最終的に日本人の国民性の打破であり、変革に他な
りません。日本語は確かに世界的にも稀なで医術性の極めて高い言語であり、美しい情緒的な自然のリ
ズムに調和して言語の片鱗を有しており、また平仮名、漢字、片仮名などを多様に駆使して、大変便利な
面もあるのも確かでしょう。こうした長所を過大評価していけば、当然のように廃止など以ての外となるで
しょう。
それでも思い切って廃止というのは、正に国民性の変革でしかありません。廃止する日本語も、情緒、
情景、情感などの芸術性の高い書き言葉として、例えば、看板や表示、日記、小説、書道、和歌、俳句、
短歌などの世界に残存する可能性もあるでしょうが、現在、要求されている言語の価値は、実に迅速性、
明瞭性、自己主張性、意思伝達性などであります。即ち、感受性に富んで表現力豊かながらも、受動的
で曖昧模糊とした言語体質からの脱却であり、自己発信型、自己主張型への脱皮、飛躍であります。
既に憲法改正の議論も活発化しておりますが、殆どの有識者も気付いておりませんが、憲法第9条の
解釈にしても、少なくとも10数通りもあり、厳密に解釈すれば、何と200通り以上もあるようです。これだ
け混迷し混乱するのも、実に日本語の曖昧さから来るようです。その曖昧さが曖昧な思考を形成し国家
迷走の元凶に至っているものです。実に皮肉な因果関係に気付いている者は皆無のようです。
そこで新しい日本語を創造する手段や、英語の第二実用語、第二公用語の活用も考えられますが、既
にHPや掲示板でも指摘するように、日本語の和語と漢字漢語とでは、便利な半面、曖昧な和語と厳格な
漢語の両極端の凭れ合い構造により、また平仮名和語と、英語や中国語などの世界の多くの言語とでは、
脳の働きが全く異なる故に、世界の常識を全く正反対の思考に陥っていくようです。これまではその特異
性も大いに価値あるものでしたが、今後はそれが実に亡国の命取りに至っていくものでしょう。従って、和
語と漢語の併用や、英語併用のバイリンガルにも限界があるし、また単に日本語の誤用や乱用の問題で
はないと言う結論であり、そこで、思い切って廃止すると言うことであります。
即ち、沈黙は金、出る杭は打つなどの国民性では、受け身思考、縮み思考、消極曖昧思考、優柔不断
な無責任思考などに導いて、現在のような腰抜け、腑抜け、間抜けの思考に陥っていくしかありません。
大激動の襲来後に、大混乱を経て世界平和が到来し、安穏な世界が実現できれば、日本語のようなユニ
ークな言語も意義や価値が見出されるでしょうが、今時のグローバル化においては、例え、グローバル化
の終焉があっても、それはあくまでも地域的な経済的なものであり、意識的、言語的、通信的なグローバ
ル化は、今後も益々顕著になっていくことで、最早止められないものでしょう。
英語は単に意思伝達の手段として利用するものであります。ご指摘のように完璧な言語はありません
が、少なくとも曖昧な日本語よりはベターでしょう。また英語にも方言があると言うことですが、日本語ほ
どの方言ではないし、また敬語の複雑さもないでしょうし、日本語ほどの書き言葉と話し言葉の乖離もな
いし、建て前と本音の乖離もないし、口と心の大きく異なる言った言わないなどの二枚舌の狡猾な習慣も
余りないでしょう。
これはある意味では、中国漢語からの独立でもあり、中国文化や中国的思考との決別でもあり、西洋
英語経済圏との一体化でもあり、新しい日本の創造であり出発でもあります。そしてこのことは、また世界
安穏なる国家社会の建設に向けて:154
的指導理念の提示と共に、日本が世界の指導国家に飛躍するためにも不可避でもあるように思います。
多くの日本人は余り気付いてはいませんが、既に、英語感覚で日本文を創造しており、英語的な感覚思
考で論文を書いたり講演したりしている有様です。即ち、純粋の漢字に代わって、英語の翻訳漢語が氾
濫し蔓延しているのが現状でもあります。
日常生活の中でも、実に気付かぬ内に英語(テーブル、ライト、ドア、ガラス等)が氾濫し、既に日本語
は大きく変質してきております。この柔軟な日本人の感覚を持ってすれば、一挙に英語への転換も、かつ
てのちょんまげや和服を捨てたように可能ではないかと思います。既に、世界は洋服に統一されていった
ように、言語も今後は次第に国際的な言語に統一化されていくか、ローカル言語に転落していくかでしょ
う。そこで、思い切って廃止するという最終的な選択の岐路としての判断に迫られていくことでしょう。変転
し変質する言語はあくまでも、最終的に民族性を決定する固有の要因ではなく、民族の固有性は実に宗
教観や信仰観に他なりません。
以下に当方の参考HPを列挙しておきます。なお、これらを総合した7万数千字余りの論文も完成してお
りますが、著作権の問題もあり、HP上に掲載するかどうか検討中です。
世界の指導国家になるためには日本語の思い切った見直しが必至となろう(2004年6月10日)
世界の指導国家になるためには日本語の思い切った見直しが必至となろう(2004年6月10日)
曖昧な日本語と日本国民性と日本国家 (2004年8月2日)
追記26: う~ん、ん、ん、…
う~ん、ん、ん、… 投稿者:新民党 (2004年11月29日)
しかし「大アジア共栄圏」が形成されつつある今、英語に改宗とはどうなんでしょう?
むしろ中国語の重要性が高まってくるのではないですか?
私はエスペラントを改良して積極的に普及させることのほうがより現実的だと考えています。母国語を捨
てるというのは、やはりかなり抵抗があります。
とりあえず国際語の勢力情勢を見てみますと、スペイン語と中国語が急速に台頭して、フランス語の価値
は相対的に下がっているように思います。
とはいえ英語の影響力はダントツですから、これを打ち破ることは困難ですね。
エスペラントを普及させるためには、いかにして英語圏の人たちに広めるかを考えなければなりません。
そのためのまず一歩として国際語の多様化が必要です。これは先ほど書きましたように現在進行中です。
ついでにアラビア語も普及させたらよいでしょう。南米国家連合の公用語としてスペイン語。アラブ・イスラ
ム連盟の公用語としてアラビア語。EU・北アメリカ・オセアニアは英語。そして大アジア共栄圏の公用語とし
て中国語。こうなってくればそのときこそ世界共通語が必要になってきます。そこでエスペラントというわ
けです。なんせ欧米人にとって中国語やアラビア語は死ぬほど難しいでしょうから、それらを学ぶより、よ
り簡単なエスペラントを選択する可能性は十分あります。日本は英語を学びながら中国語を学ぶのは重
労働であり、いかにも両国の属国といったかんじで屈辱的ではありますが、しかたがありません。いずれ
にせよ我々庶民活動家にとっては情報戦こそが唯一の戦場であり、外国語こそは最大の武器です。この
さい何語でもいいから、一つくらいは会得しておかねばならないでしょう。
追記27: 東アジア経済圏の共通言語として、独自の第二アジア英語圏が形成されつつあります 投稿
者:不動明王 (2004年11月29日)
確かに、目下、米国の影響力を排除した形で、東アジア共同体の大経済圏が構築されようとしておりま
す。かつて米国によって潰されたのがウソのように思われるほど、大きく実現に向けて動き始めているよ
うです。今年の5月に、東アジア共同体構想が発足したようです。そのアジア経済発展の中核的原動力
は中国と日本であり、将来は中国が主導権を取っていく可能性が高いようですが、日本は中国に飲み込
安穏なる国家社会の建設に向けて:155
まれることなく、独自の地位を確保していくことでしょう。これは通貨で言えば、中国元と日本円との共存
共栄する通貨圏の形成でしょう。EU(欧州連合)のユーロのようなアジア共同通貨の発行への模索もあ
りますが、EUと大きく異なって、経済発展のレベルも異なり、民族の複雑性も反映して、更には中国と日
本の見解の一致も困難であり、実現は可成り困難と言えるでしょう。
そこで、アジア経済圏で使用されようとしている共通言語は、経済力が優位で旺盛な中国語ではなく、
何と英語のようです。ここにおいて使用されている英語は、本場米国の英語とも異なって、第二英語圏の
形成に動いているようです。正にアジア英語圏とでも言える存在になっていくようです。即ち、米国英語圏
とは無縁のアジア独自の共通言語としての英語圏であります。恰も、幕末時において、中国、日本、朝鮮
とが外交交渉を行う上において、共通言語として漢語漢字漢文の中国語を使用したような状況が、今日
において、かつての中国語に代わって英語が主役になっているようです。正に共通の意思伝達のツール
言語としての英語であります。今後ともこの役割は高まっていくことでしょう。
なお、中国語は約15億人もが話す言語ですが、矢張り複雑な漢字故に中国自身も簡略字体を推進し
ている有様です。かつて毛沢東自身も、漢字の複雑さと量の多さに、教育の負担からの解放を考慮して、
いっそのこと中国語、漢字を廃止しようと思った時期もあったようです。しかしながら周囲から止められて
断念したようです。それは、折角、少数民族の言語を廃止して中国語に統一したのに、今更中国語を廃
止していけば、かつての少数民族の言語の復活と共に、民族独立の気運に拍車を掛けるというものであ
ったようです。即ち、中国語の廃止が中国大分裂を招来するという懸念があったものです。
それでも中国でも漢字の廃止を陰で考慮しているのは間違いありません。その証拠に、益々漢字の簡
略化が進展していくことでも解ります。矢張り、漢字は表現するものであって、会話や意思伝達の手段と
しては余りにも複雑怪奇のようです。良く日本語和語は和歌に適し、中国語漢字は漢詩に適し、英語は
会話に適すると言われますが、実に言語の特徴を物語っているように思います。今や英語は韓国でも中
国でも、世界共通言語として真剣に取り組み始めているようです。
なお、日本と中国との経済が一体化して、10年後には、日本にとっては現在の米国との貿易よりも中
国との貿易が高まって、日本と米国、日本と中国との関係が逆転する可能性すらあるようです。その結果、
英語よりも中国語の重要性の方が増大していきますが、それでも共通言語として英語が大いに影響を発
揮していくのではないかと思います。即ち、日本側と中国側との両方からアクセスできる共通の言語とし
て英語が独自に見直されていくものと思っております。今更、世界中の何処にも使用されていないエスペ
ラント語でもないでしょうし、豊富な語彙の英語を、エスペラント語に言い換えるなどは既に困難でありま
しょう。またスペイン語やフランス語もドイツ語もローカル言語に転落して行かざるを得ないでしょう。
言語の国際性と言うのは、何も人口比率ではなく、経済力、軍事力、言語情報力と言えるでしょう。その
意味では、英語の一人勝ちであるのは否めない現実でもあります。例え、今後、米国の没落があっても、
今日の英語の国際的言語の地位は、世界共通言語として、また第二アジア英語圏としての価値は揺らぐ
ことはないでしょう。なお、1980年代頃の経済発展著しい頃の日本の経済力を展望して、日本語の国際
言語にと言う観測もありましたが、今や凋落する経済を反映して、すっかり過去の幻影となっていくように
思います。また軍事力も有しない日本にとって、言語情報力も、日本語の複雑さもあって、英語に圧倒さ
れているのが現実であります。つまりは英語の日本語への翻訳こそ氾濫しているものの、日本語から英
語への翻訳は微々たるものでしょう。その意味でも、日本語の情報発信力は極めて弱いと言えるでしょう。
追記28: 外来語を漢字に大幅に言い換え(翻訳) 投稿者:不動明王 (2004年11月29日)
可成り前のニュースだが、掲載を忘却していたのでここに紹介する。国立国語研究所が中心となって、
外来語の片仮名を日本語に大幅に言い換えを実施した。日本語と言っても殆どが漢字である。今更大和
言葉の平仮名では曖昧なものになって行かざるを得ないのだろう。それにしても、今後益々、外来語が氾
濫していくが、何処まで追い付いていけるのであろうか。いっそのこと、現在、普通に使用されている多く
安穏なる国家社会の建設に向けて:156
の片仮名も同様に言い換えを試みても良いのではないのか。本気でやったらとても無理であろう。例えば、
バケツ、タバコ、ライト、モノレール、テレビ、カセット、ビデオ、コップ、ガラス、アンテナ、バッグ等々だ。従
来の片仮名には如何に対処するつもりなのであろうか。
日経新聞紙報道2004年6月30日
『外来語33語言い換え』
ドメスティックバイオレンス→「配偶者間暴力」
ユニバーサルデザイン→「万人向け設計」
『国立国語研、第3弾中間発表』
国立国語研究所は二十九日、なじみの薄い外来語を日本語に置き換える「言い換え語」の第三弾の中
間まとめを発表した。「ドメスティックバイオレンス」を「配偶者間暴力」とするなど三十三語について言い
換えを提案した。
今回は初めて過去二回の言い換えのわかりやすさについて意識調査も実施。六割以上の人が「インフ
ォームドコンセント」を「納得診療」としたほうが「わかりやすい」と答えた。
「オンライイン」など4語言い換えせず
国語研は当初、第三弾で六十五語の言い換えを検討。しかし第二弾で言い換えを見送った「オンライン」
「データベース」は定着度が高く、「フォーラム」「メセナ」の二語は固有名詞として使われている例が多い
として、計四語について言い換え自体をしないことにした。
同様に見送られた、「いつでもどこでも様々な情報を入手できる」という意味を示すラテン語「ユビキタ
ス」は適当な言い換えが見つからず検討することとし、結論の出た三十三語について延べ三十九例の言
い換え語を発表。残る外来語の言い換えは第四弾で検討する。
国語研は八月末の最終発表までに言い換え語を原則、一語に絞る。
言い換え語の一覧は国語研のホームページ(http://www.kokken.go.jp)に掲載している。
『言い換えのわかりやすさ初調査』
「納得診療」→65%
「日帰り介護」→40%
国立国語研究所は今回初めて、外来語の言い換え提案がどのように受け止められているかについて
意識調査を実施した。「インフォームドコンセント」を「納得診療」と置き換えたケースは「言い換え語がわ
かりやすい」が六割以上に達した半面、「デイサービス」を「日帰り介護」と言い換えた例は「もとの外来語
がわかりやすい」が五割近くと最も多かった。
調査は「インフォームドコンセント」、「グローバル」(地球規模)、「デイサーピス」の三語について昨秋、
全国の十五歳以上の男女四千五百人を対象に面接で実施。三千八十七人(六八・六%)から回答を得た。
「インフォームドコンセント」「グローバル」は「言い換え語がわかやすい」と答えた人がれぞれ六五・五%、
五六・三%と半数を超えた。しかし「デイサービス」は「もとの外来語がわかりやすい」が四八・四%と「言
い換え語」の四〇・八%を上回った。
「デイサービス」は四人に三人以上が外来語の意味を理解している一方、「グローバル」は四人に二人
未満、「インフォームドコンセント」は同一人未満しか理解しておらず、外来語の「認知度」によって言い換
え語の“人気”が左右される傾向。また三語とも年齢が高くなるほど「言い換え語がわかりやすい」とする
比率も高くなっている。
安穏なる国家社会の建設に向けて:157
国立国語研究所が第3弾の中間発表として示した外来語とその言い換え語
外来語
言い換え語
アカウンタビリティー
説明責任
イニシアチブ
カウンターパート
①主導②発議
対応相手
ガバナンス
コンファレンス
統治
会議
コンプライアンス
サプライサイド
法令順守
供給側
スキル
スタンス
技能
立場
ステレオタイプ
セーフガード
紋切り型
緊急輸入制限
セットバック
ソリューション
壁面後退
問題解決
ツール
道真
デジタルデバイド
情報格差
デフォルト
①債務不履行②初期設定
ドクトリン
原則
ドメスティックバイ
配偶者間暴力
オレンス
ハザードマッブ
災害予測地図、防災地図
パブリックインボル
住民参画
ブメント
パブリックコメント
意見公募
プライオリティ-
優先順位
ブレークスルー
突破
プレゼンス
存在感
フロンティア
新分野
ポートフオリォ
①資産構成②作品集
ボトルネック
支障
マンパワー
人的資源
ミッション
使節団、使命
モビリティー
移動性
ユニバーサルデザイン 万人向け設計
リテラシー
読み書き能力、活用能力
ロードプライシング
通行課金
追記29: お互いの母国語以外で 投稿者:新民党 (2004年11月30日)
渡部昇一さんはお互いの母国語以外で交渉するべきだと言っています。
これはつまり日本人と中国人の交渉に英語を用いたり、日本人とアメリカ人の交渉にスペイン語を用いた
安穏なる国家社会の建設に向けて:158
りということです。英語圏の人たちに有利にならないようにということです。これなんかどう思いますか?
追記30: 公平さも大切だが、現実には言語の国際性、普遍性は経済力で決定するもの 投稿者:不動
明王 (2004年11月30日)
あらゆる言語を公平に取り扱うとの原則を貫徹するならば、そのような配慮も大切ですが、言語が世界
性、国際性を帯びるためには、経済力、軍事力(政治力)、そして言語情報力が必須でしょう。この要件に
合致しているのは最早英語しかありません。即ち、英語が断然突出して一人勝ちの世界なのです。インタ
ーネットで使用されている言語の8割が英語なのです。そして経済力も圧倒的に英語の世界なのです。
即ち、経済発展と共に、英語の語彙の繁殖力と侵出力は、他の言語の比較には成りません。それ故に、
どうしても英語優位に成らざるを得ませんし、英語の優位性を軽視して、全ての言語を公平にと言うのは、
世界経済の現実や実態を直視し理解していないからでしょう。
それ故に、世界は英語を共通言語として習得する傾向が益々高まっているものです。それでも、一昔前
の発想によれば、英語の侵略とか、植民地支配とか、英米文化に屈服したとか、キリスト教の侵出感染
だとかの抵抗感や屈辱感がありましたが、現在の英語の浸透性に対しては、全くそのような懸念や危惧、
そして悲壮感などは全くありません。これは英語を英米の民族語として利用して、彼らの支配圏に組み込
まれていくと言うものではなく、単なる英語を共通言語の道具として利用することに納得し割り切っている
からでしょう。そう言う観点から言えば、別に英語を世界共通言語として活用していっても、格別に英米に
優位に成るというものでもありません。
これは柔道などがオリンピックの種目になったところで、日本優位というのは一時的でしかないのと同じ
ことでしょう。それを世界的に公平にするべきだと言って、新しい柔道を創作するのもおかしな話ですし、
特別のルールを構築するのも如何かと思いますし、矢張り、柔道自体が、世界的なオリンピックスポーツ
として優位であれば、世界共通のスポーツとして採用していくしかないでしょう。日本に優位であるから採
用しないと言う偏見は捨て去るべきでしょう。英語にしてもその語彙の豊富さや迅速性、経済力などの優
位性は、最早止めることは不可能と言って良いでしょう。
ところで、言語が国際性に成り得るには単に人口数の大きさでは有り得ません。それだけならば中国語
などは15億もありますが、これまでは経済力もなく、地域も中国本土の閉鎖的地域のローカル言語でし
かありませんでした。今後は経済発展も手伝って、世界言語に成り得る可能性もありますが、世界に伝
達すべき情報力、情報量がありません。これはスペイン語でも同じことです。人口数は、中南米諸国を中
心にして大変な数でありますが、世界に向けて発信する経済力もなく、政治力、情報量もありません。
従って、単なる道具としての言語だけならば、全ての言語が可能性がありますが、それに加えて、国際
性を有していなければ、使用する価値が生まれてきません。この国際性の最たるものがグローバル化時
代を反映して経済力が圧倒的地位を占めていくものです。これは英語にしかない語彙が余りにも豊富な
ことでも分かるように、語彙の発展性や繁殖力は経済力に比例するものです。それら全ての新語の言い
換えが可能なのかの問題に至ります。英語の語彙の導入を拒絶するならば、翻訳、言い換えを徹底して
行かねば成りませんし、或いは鎖国をして、ローカル言語に転落覚悟で母国語を何処までも死守して行く
しかありません。
追記31: 日本語と国民性の欠陥を指摘するが、両者の真の因果関係には思いが至ってないのが残
(2004年11月30日)
念だ 投稿者:不動明王
「日本語は国際語になりうるか」(講談社学術文庫 鈴木孝夫著)の中で、著者の鈴木氏は、日本が取
るべき言語国家戦略として、1.日本語を世界に普及せよ、2.英語を英米の民族語としてではなく、日本
にとって必要な世界中のあらゆる言語を習得せよ、3.言語を国際的共通言語として活用せよ、等と掲げ
るが、他方で日本の情報鎖国体制や日本人の国民性の欠点を指摘する。こうした思考を突き詰めていけ
安穏なる国家社会の建設に向けて:159
ば、どうして日本語の死守のまま、展望を開いても既に限界があることに思いが至らないのであろうか。
当方は、むしろ欠陥を克服するに際して、最終的には思い切って日本語を捨てざるを得なくなると指摘
するものだ。換言すれば、多くの有識者にとっては、真の因果関係、即ち、日本人の国民性を形成して、
現在もなおも束縛している要因や背景が如何なるところにあるのかを理解できないものだろうと懸念する。
この鈴木氏も、日本人の国民性を的確に把握しながらも、また他方で、日本語の欠陥にも言及しながら
も、現在の日本語の小手先を弄した改革で乗り切って、世界的に脱皮する必要性を訴えているものだが、
この展望や手法が既に限界であり、思い切って捨てた方が、国際的国家への飛躍と共に、国民性の変
革に貢献できる可能性が遙かに大きいと示唆するものだ。否、示唆するどころか、身命を賭して断言でき
るというものだ。
多くの有識者にとっても、また国民の大多数にとっても、長年慣れ親しんできた日本語、しかも現在も利
用している日本語を思い切って捨てるなどをいう発想も行動も、極めて不可能であるのは当然だろう。一
体如何なる契機で実現できるのか分からない。既に、日本語の専門家ですら、外国の有識者から、「日
本は未だ日本語を使っているのですか」と聴かれるようだ。これほど、外国人には既に日本語の将来性
や展望が、皮肉ながらも理解できているのではないだろうか。当の日本人からは、率先して実行できる次
元や事項のものではないだろう。し、ましてや多数決などで決定する事項でもないだろうと思われる。
鈴木氏のように、多くの日本語専門家の中には既に、日本語の欠陥も理解し、また日本人の国民性を
欠点にも理解を示しながら、それらの両者の因果関係に理解を及ぶものは皆無のようであり、例え理解
が出来ても、その解決方法に至っては、実に破天荒な発想故に殆ど思考が付いて来れないのではない
だろうか。ましてや廃棄するなどと言うのは、学者の提言などで実行できるものではないだろうし、権力的
行使によって初めて実現できるものでしかないように思われる。
それは戦争による占領統治か、独裁的権限によるぐらいでしかないように思われる。但し、柔軟な日本
人の国民性であれば、思い切った破天荒な行動も可能であるように思われる。事実、既に、日本語が荒
廃、崩壊して、メチャメチャなあらゆるカタカナ、漢語が氾濫して、言語体系が破綻しているのが現状だ。
今更正しい日本語を構築し治すのか、それとも思い切って廃棄するのかの歴史的選択の岐路に立たさ
れているようにも思われる。
追記32: 英語の圧倒的浸透力に対して日本語はローカル言語に転落するだろうが、災い転じて福とな
すべく、国民性変革の好機到来となるであろう (2004年12月7日)
最近、中公新書から出版された東京大学大学院助教授の斉藤兆史氏の訳書である『消滅する言語-
人類の知的遺産をいかに守るか』において、訳者自らの感想文が新聞に掲載されていた。この外国人の
著述における見解は、当方が指摘しているものと全く同じものだ。訳者の斉藤氏も、共鳴するものである
が、その解決策に至っては、殆どの有識者と同様に、有効策を思い付かない有様だ。それでも、正しい現
状認識に至った点でも評価されるべきだろう。何故なら大多数の者は、現状認識や分析ですら出来てい
ない状況だからだ。
当方は、氏のように、大多数の有識者の日本語を守れと言う見解や思考、対応では、既に限界があり、
効果的でないことを警鐘を鳴らしているものだ。また、第二言語をバイリンガルに習得するのも、極端な
負担になりかねないし、思い切って捨てざるを得ないし、捨てた方が良いと結論を下しているものだ。そ
れは何も英語に屈服するものではなく、実に、日本人の国民性の変革にこそあるのだ。こうした観点から、
「思い切って日本を捨てる」等と提唱している者は残念ながら皆無と言えよう。昔、森有礼初代文部大臣
にしても、日本語の欠陥から廃止することを提起していたが、国民性の根本的変革からの提案ではなか
った。
2004年12月2日付け読売新聞紙夕刊報道
【危機に瀕する日本語】
安穏なる国家社会の建設に向けて:160
『英語論理の「鋳型」 繊細な思考放棄?』
先週、『消滅する言語-人類の知的遺産をいかに守るか』(中公新書という訳書を出版した。消滅の危機
に瀕する弱小言語の現状を紹介し、その保存や研究の重要性を説いた本である。著者は、『言語学概
説』(一九七一)、『言語学百科事典』(一九八七)、『英語-きのう・今日・あす』(一九八八)、『地球語とし
ての英語』(一九九七)などの著作でも知られるイギリスの言語学者デイヴィッド・クリスタル。彼の計算で
は、いま二週間に一つの割合で地球上から言語が消えているという。たしかにこれはただ事ではない。
クリスタルによれば、土着言語が死に至る典型的な過程は次のようなものである。まず、その言語がさ
らに優位な言語と接触する。土着言語の共同体内で、とくに若い世代に対してその優位言語の使用を奨
励するような動きが起こる。土着言語は、優位言語から多くの語彙を借用するようになり、構造的に劣化
する。
やがて共同体の中で土着言語と優位言語との二言語併用状態が発生し、それがかなり急速に優位言
語だけを使用する単一言語状態に移行する。そして、最終的に土着言語が消滅する。恐ろしいことに、土
着言語話者の数が多ければこの流れを免れるというものでもないらしい。
となると、これは一大事だ。これぞまさに日本語と英語をめぐる現在の日本の言語状況ではないか。さ
らに悪いことに、日本では、少子化によって若い日本語話者の頭数が単純に減少している。その貴重な
世代に国を挙げて早期英語教育を施そうというのだから、日本語の未来は暗い。
日本語の乱れ(すなわち構造的劣化)が指摘されるようになって久しいが、最近では、日本人自身がそ
れに気づかなくなっているようだ。先ごろ新聞報道を見て驚いた。差別的な響きのある「痴呆症」に代わっ
て、広く民間に支持された「認知症」なる用語を使用するよう、厚生労働省が御触れを出したというのであ
る。
「健忘症」、「不妊症」、「感染症」の例を見ても分かるとおり、「症」の前には病気の性質を示す概念が来
る。「認知」してしまう病気とは、一体どういう病気なのか。余計なものを「認知」しすぎているだけですよ、
といって年寄りを喜ばせようというのか。官民ともに、言葉の作り方もわからなくなってしまったのか。
カタカナ英語の増加による語彙の減少も深刻である。昔なら「介護」「世話」「看病」「面倒」「手当て」「手
入れ」「気配り」などと繊細に表現していた概念を、最近ではことごとく「ケア」の一語で言い換えてしまう。
老人のケア、お肌のケア、心のケア……。UVケアの「ケア」は「遮断」の意だろうし、近頃は「ストレス・ケ
ア」(この「ケア」は「除去」の意)なるカタカナも目にする。困った状況に対して手を施すことは、何でもかん
でも「ケア」になってしまうのだ。
現在の日本人は、異常とも思える英語狂騒のなかで、わざわざ好んで母語による織細な思考を放棄し、
自分たちの脳を英語の論理の鋳型に押し込めようとしているように見える。このま熱ま放っておくと、日本
語が危機に陥っていることを感じ取るだけの母語能力すら失ってしまうのではないか。
『消滅する言語』を読み、弱小言語のみならず日本語についてもう一度本気で考えてみてほしい。
斉藤 兆史(さいとう よしふみ)
東京大学大学院助教授。1958年、栃木県生まれ。著書に「英語達人塾」、訳書にナイポール「イスラ
ム再訪」など。
追記33: 「かなり気がかりな日本語」が出版されているが・・・ (2004年12月7日)
最近は日本語を巡る話題や出版が相次いでいる。これも何やら当方の波動が伝達しているのか解らな
いが、ものすごい議論に発展していく予感がするものだ。以下に、集英社新書の野口恵子氏の「かなり気
がかりな日本語」の著作の表紙カバー裏の紹介文や冒頭序文を掲載しておこう。内容は混乱する日本語
の現状に対する危機を指摘し、日本語を正しく使い治せと警鐘を鳴らしているものだ。特に問題点の指摘
安穏なる国家社会の建設に向けて:161
に終始し、試行錯誤し右往左往しているようで、大して改革的思考は見当たらない。
特別に「正しい日本語、美しい日本語とは何か」の項目を掲げて記載するけれども、別に解答を示して
いるものでもないようだ。敬語の乱れや日本語の複雑な欠陥などを始め、日本語を巡る様々な問題点を
列挙して、知識や分析の鋭さには敬意を表するものであるが、単なる現状分析に終わっているところが
多くの有識者と同様に限界というものではないかと思われる。むしろ専門家故に、過去の経緯や現状分
析には長けているが、その問題点の抽出から思い切った解決策には、かなりの洞察力や創造的才能が
要求されると言うことであろうと思われる。
今や、日本語に関する問題点が多くの有識者によって次第に明らかになりつつあるが、どれもこれも大
した展望を描ききっていないように思う。これは日本語と国民性との関係には思いが差ほど至っていない
からであろうと思う。仮に思いが至っても、何処が悪いのかという居直りの発想しか生まれてこないように
思われる。謙虚に国民性の変革を成し遂げて行くからには、自己に対する厳しい分析も必須になるもの
であろう。矢張り、日本語と国民性の因果関係に至る分析や解決策などは、余程の深い洞察、先見性、
創造性がないと理解できない壮大な課題ではないだろうか。個人的に言っても、長い間に食生活の誤り
偏りを指摘されて、その結果の病根を摘出するためには、「思い切って習慣を根本的に改訂し捨て去るこ
とだ」と史的されても、「はい、そうですか」と素直に理解納得する者など皆無であろう。
当方にしても、聖心先生との対話の中で、「日本の改革に際しては、様々な法制度を整備し構築しても、
誤り偏った精神や心魂で、その解釈や運用を誤っていっては何も解決しないし、やはり最終的には、国民
性の変革こそ必須ではないでしょうか。この国民性の変革は果たして如何なる方策で成し得るのでしょう
か。」との問いに対し、聖心先生は「最後は思い切って日本語を捨てることだ」と言われた。その後、先生
のご指摘を真底から理解するのに、随分長い年月を要したが、これも日本人の国民性に対する深い観察
と分析を通じた上での理解と納得のためであったとしか言いようがない。
それにしても、聖心先生から、幾ら、君にとってやり甲斐のある日本の改革という仕事が待っているだろ
う」と言われても、「思い切って日本語を捨てる」などと言った大胆不敵で破天荒な改革など、果たして可
能であろうかと疑問に思わざるを得ないが、国内外の諸情勢の変化、環境の変化が、次第に国民意識
の変革や改革に向けて、何かが誘導していくものであろうと期待するものだ。聖心先生も、「既にボクの
波動が広範に浸透しているから、国民が気付かぬ内に、(国民意識の)改革が進展して行くであろう。最
後には日本人の柔軟性に大いに期待するものだ。」等と言っておられたからには、偉大な広大無辺の仏
知恵により、それなりの将来展望を明確に見通しておられたものと思われる。
『かなり気がかりな日本語』(野口恵子著 集英社新書2004年1月21日発行)』
日本語ブームが起きて久しいのに、ちまたで聞こえる人々の日本語はなぜヒドイ状態のままなのだろ
う?敬語や慣用語は間違って使われ、陳腐な接客マニュアル語は一向に改められない。大人たちは若
者コトバを取り上げて、「まともな日本語が話せないなんて!」と嘆くが当の大人たちも語葉は乏しく、言
語コミュニケーションも苦手のようだ。日本語と外国語を、外国人と日本人に教えている著者は、最近、日
本人の日本語が「かなり気がかり」になっている。大学生の使う言葉や、流行している言い回し、いまどき
の敬意表現、言語コミュニケーションの空虚な実態などに、耳をそばだてメモをとりながら、著者は徹底的
に観察している。そして、日本語力を高めるためのトレーニング方法を提案する。あなたの日本語を振り
返るために、かなり気がかりな一冊!
はじめに
ブームとは、ある現象が突然、そして急激に盛んになることをいう。二一世紀に入ってすぐの二年間ほ
ど、日本国内は日本語ブームだった。より正確には、何冊かのベストセラーに端を発した「日本語本」の
安穏なる国家社会の建設に向けて:162
出版ブームであった。もし本当に日本語ブームであったのなら、つまり、本当に日本語に対する関心が高
まって、本当に人々が自分の使う日本語を反省して、本当に自らの日本語力を鍛えようとしたのなら、そ
ろそろ多少なりとも成果が表れてもよいころである。
ところが、テレビやラジオや町で見聞きするかぎり、日本人が日本語を理解し運用する能力、ならびにコ
ミュニケーションの能力が高まったとは思えない。せめて人々が自分の用いる日本語に気をつかうように
なったかというと、その気配もあまり感じられない。読書人口が増えたようすも見られない。少なくとも電車
のなかでは、高校生や大学生だけでなく大人たちまで携帯メールに没頭し、本を読む人は明らかに減っ
ている。政治家の暴言、妄言、失言はあとをたたず、敬語や慣用句は間違って使われ、陳腐な接客マニ
ュアル語は一向に改められない。
多くの人がブームに乗って「日本語本」を買ってはみたけれど、最後まで読み通さなかったか、あるいは、
読んで納得したはいいが実行に移すことをしなかったのだろう。実行に移すとはすなわち、各々が日本語
のコミュニケーション能力の向上をめざして、名文を繰り返し音読したり、幅広い読書をしたり、新しい語
句を覚えようと努めたり、間違って使っていた表現を直したりするということである。
もちろん、頭で理解していても、それを実践し、かつ継続していくのは、何であれ容易なことではない。そ
うでなければ、「三日坊主」「言うは易く行うは難し」「不言実行」などという言葉も生まれなかっただろう。
健康のためには日々の食事に気を配り、腹八分目で箸を置き、ストレスをためないようにし、適度な運動
を欠かさないこと、と知ってはいても、意志が弱かったり、モチベーションがいま一つ足りなかったり、やむ
をえぬ事情があったりして、思うように実行できずに皆悩んでいるのだ。日本語も同じことかもしれない。
気にはしつつも、なかなか改められない……。
老いも若きも、かなりの人々が何となく日本語が乱れていると感じ、自分自身の日本語を磨きたいと願
い、コミュニケーションのあり方も改善されるべきだと思っているのは確かなようだ。日本の言語文化の行
く末に一抹の不安を抱いている人もいるだろう。
日本語は、日本列島に暮らす圧倒的多数の人々にとっての第一言語であり、死ぬまで付き合っていく
言語である。しかも、少なからぬ人々にとっては、自在に操ることのできるただ一つの言語でもある。外部
の力によって日本人から日本語が奪われることはあるまいが、内部から崩壊していくおそれがないとは
言えない。そうならないためにも、日本語への関心が一過性のものであってはならない。
ところで、日本語の乱れというと、決まって若い人の使う言葉がやり玉にあげられる。「けんもほろろ」を
「剣がぼろぼろ」の意味と理解し、「故郷に錦を飾る」を「故郷にワクを飾る」と読む若者がいると聞いて、
大人たちは悲嘆する。だがこれは、日本語が乱れているのではなく、言葉を知らない若者がいるにすぎな
い。そして、言うまでもなく、大人たちのなかにも言葉を知らない者は大勢いる。
大人たちは、まともな日本語が話せないなんて世も末だ、と大げさに嘆いてみせるか、「声を出して泣き
たい『娘たちの日本語』」(「サンデー毎日」二〇〇二年九月八日号)と茶化すかのどちらかだ。まともな日
本語なるものを本気で若い人に覚えてほしいと思うなら、教えればいいのだ。冗談めかしてごまかそうと
せずに、きちんと教えなかったこと、手本を示してこなかったこと、覚える手助けをしなかったとと、あるい
は、教えられるだけのまともな日本語を実は自分たちが身につけていないことを反省したほうがよい。
教わっていないことを、人はできるようにならない。著の持ち方も算数の九九も、敬語の便い方も車の
運転も、私たちはだれかに教えてもらってできるようになった。習って、見て、聞いて、まねて、覚えた。習
うとは、見よう見まねで覚えることであり、見ならうことであり、慣れることなのだ。
若者の日本語に関して言えば、大学生と話をしていると、確かに彼らの日本語の世界がきわめて限ら
れていると感じることがある。ここで言う日本語の世界とは、日本語を運用するうえで手本とし、ときに借
用し、折にふれて参照すべき世界のことである。テレビを見て笑い転げ、友だちとおしゃべりをし、ひっきり
なしにメールを送り合い、アルバイト先でマニュアルに則った応対をする彼らの言語コミュニケーションを
まるごと否定するつもりはない。しかし、大学生の日本語の世界のかなりの部分が、同年代の仲間との
安穏なる国家社会の建設に向けて:163
会話、携帯メール、バラエティータレントによるテレビのおしゃべり番組、接客マニュアル語から形づくられ
ているとしたら、それはあまりに狭い。日本語の世界の容量や幅を、何もいまから狭めておくことはない。
一方、若者たちの日本語力を憂える大人たちは、先輩として、後輩が豊かな日本語の世界を構築する
よう導いてきたのだろうか。そもそも大人たち自身が、広くかつ深い日本語の世界を持っているのだろう
か。さらに、その日本語の世界のなかから選び取った磨き抜かれた日本語を駆使して、円滑なコミュニケ
ーション活動を行っていると言えるのだろうか。いずれの問いにも、即座にイエスと答えられる先輩はそう
多くないだろう。私も即座に、臆面もなくノーと言える。
本を読まないせいで語彙が乏しいのは、ひとり若者たちだけではない。対面のコミュニケーションを苦手
とするのもまた、若者の専売特許ではない。子どもは親の言うことは聞かないがすることはまねるものだ、
と言われる。日本語使用の面でもそのとおりなのか、最近の日本語と日本語のコミュニケーションを観察
してみようと思う。まず、大学生の言語コミュニケーションを取り上げる。そのあと「先輩たち」の観察に移
るが、わけても、人々が好んで使う最近のはやり言葉と、伝統的な規範とは異なった様相を呈してきた敬
語を観察する。それから、コミュニケーション不全の現状を記述し、最後に、言語コミュニケーションをより
豊かなものにするにはどうしたらよいか考える。
どうしたらよいか考えるが、これさえ実行したら驚異的な効果が表れるといった唯一の方策など存在し
ないことはわかっている。さまざまな方法のうちのどれが、またはどれとどれが自分に合うか、自ら考えて、
試してみるしかない。この本で提案する方法は、私自身が人から教わって、あるいは本を読んで納得し、
目下実践中、もしくは実践しようと心がけているものである。
本書がめざすのは、最近の日本語とコミュニケーションについて考える材料を提供することである。最
近の日本語といっても、私が仕事と生活の場としているのが東京都と埼玉県であるため、取り上げる例
は、首都圏という限られたエリア内で拾ったものでしかない。日本語の多様性は無視できず、コミュニケー
ションの状況も地域によって大きく異なる。広い範囲から事例を集めることをしないで「最近の日本語」を
論じる厚かましさは、承知のうえである。
私は現在、三つの大学で非常勤講師をしている。教えているのは、外国人学生を対象とした日本語・日
本事情、若干の留学生を含む文学部の学生に対する日本語教育概論、それに、日本人学生への初級レ
ベルのフランス語だ。一語学教師として、日本人と外国人、日本語と外国語の間で右往左往しながら
日々を送ってきたが、数年前から、外国人の日本語や日本人の外国語以上に、日本人の日本語が気に
なりだした。当初は「何となく気になる」程度だったが、最近では「かなり気がかり」になってきた。このよう
な思いが、この本の生まれるもとになっている。
日本人、外国人、と私は書いたが、本書においてこの区別は必ずしも国籍や民族によるものではない。
これまでに獲得してきた主たる言語文化が日本語を基盤としたものであるか否かの違いで分けて、便宜
的に前者を日本人、後者を外国人とした。日本語を母語(子どもが最初に習得する言葉。第一言語)とし
ない外国籍者のなかには、日本語の理解・運用能力および日本語を用いた際のコミュニケーションのとり
方が、同じ年齢層、同じ社会・経済的背景の日本語母語話者のそれと変わらぬ人もいる。この本では、そ
のような人を日本人・日本語母語話者の側に組み入れていることを断っておきたい。
(野口恵子 のぐちけいこ)
一九五二年生まれ。日本語フランス語教師。青山学院大学文学部フランス文学科卒業後、パリ第八大
学に留学放送大学「人間の探究」専攻卒、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課
程単位取得退学。フランス語通訳ガイドをへて、九〇年より大学非常勤講師。文教大学、東京富士大学、
東京農工大学で教鞭をとる。
安穏なる国家社会の建設に向けて:164
追記34: 日本語シンポジウムを聴講した感想:思った通りに何ら有効な解決策など出てこなかった (2
004年12月20日)
生まれて初めて天下の慶応大学の構内に入った。偶然に知人と出会ったが、彼は別の大学卒業であ
るが、色んな大学に詳しく、彼の話では、慶応の特徴は、早稲田と違って、大学校内に立て看板がないこ
と、トイレに落書きがないことであるという、確かにそうした雰囲気であったし、何よりも学生がセンスが良
くて垢抜けしており、何処か良家のお坊ちゃんやお嬢さま風が多かった。
さて、シンポジウムであるが、参考までに講演者のレジュメを紹介しておくが、何でも昨年は英語教育の
賛成派と反対派が入り乱れて討論をしたそうだが、今回は全員反対派の登場であると言うことだった。前
もって有る程度話の内容は予想していたものであり、大して新鮮味が無かったようだ。英語教育の必要
性では全員一致しているものだが、何時から始めるのかで、巷間言われているような幼児からとか、小学
生からでは、逆に混乱を煽っていき、何ら効果的ではないと言う結論であった。結局、もっと日本語や他
の勉強をした方が遙かに良いというものであった。ただそれだけである。したがって、中学生の勉強であ
る程度感覚を身に付けて、社会に出てから、本当に必要性を痛感してから初めても良いと言うことであっ
た。
当方は次の予定があったので、一応、シンポジウムの予定の終了時間の6時半頃までいたが、話によ
ると何と7時半頃まで開催していたそうだ。これならば、もう少し聴衆の質問を聞いておれば良かったかな
と言う思いもあったが、聴くところによれば、聴衆からは、「それでは一体英語教育をどうしたらよいのか」
などがあったらしいが、講演者の誰も明確に応えられなかったという。当方は既に見解を表明していると
おり、英語教育は必要だが、逆に混乱しか残らないであろうというもので、その意味ではシンポジウムの
講師達と全く見解は同じで共鳴するものが多い。
むしろ当方は、英語教育の必要性は、国民性変革に向けて、討論のやり方や思考を涵養し、論理的な
考え方を身に付けるために必須と思っており、そういう観点からの説明は殆ど内容に思われる。コメンテ
ーターの鈴木孝夫氏も、日本語や国民性の欠陥を指摘するが、その両者の因果関係にまで踏み込んで
分析もしていないし、解決策にも思いが至らないようだ。それでも鈴木孝夫氏や斉藤兆史氏などの講演
者やコメンテーター達の本はある程度知っているが、実際にご尊顔を拝見したのは初めてだった。その意
味では大変恐悦至極で、有意義であった。
当方の指摘するような、「思い切って日本語を捨て去らざるを得なくなる日」とか、「思い切って日本語を
捨て去るべき日」などと言うものは、殆どの有識者でも理解できないようだ。ましてや一般国民に至っては、
全く理解も出来ずに、ただ嫌悪感や反発を催すだけだ。遠い将来や国民性の欠陥克服に向けた聖心仏
陀先生のご指摘など、全く理解できないのは残念だが、何時の日にか、どうしようもなく追い込まれて行
ってこそ、初めて誰かが言い出すであろうと思われる。それまで気長に待つしかないようだが、出版して
世に問うてみるのも面白いかなと思ったりもする。
追記35: 『思い切って日本語を捨てざるを得なくなる日』が来るだろう (2004年12月21日)
拝啓
その後如何お過ごしでしょうか。最近、会う人ごとに、日本語の欠陥と国民性の欠陥を指摘し、両者の
因果関係から、「思い切って日本語を捨てざるを得なくなる日が来るであろう」と言って反応を観察してい
ますと、殆どが理解も出来ずにも反発し嫌悪する有様ですが、仕方ありません。聖心仏陀先生との対話
で「日本の改革には最終的には国民性の改革が必至であり、そのためには日本語を思い切って捨てるこ
とだ」というご指摘など、全く理解できないようです。これは日本を代表する有識者でも同じことであろうと
思います。日本語と国民性の両者の欠点や欠陥を分析指摘する方は多いのですが、両者の因果関係に
まで踏み込んで解明され、明確な展望や背景の下に、実に国民性変革の要請からの日本語の改訂にま
で言及される方は殆ど皆無のようです。
安穏なる国家社会の建設に向けて:165
最初は成る程と同感される方でも、暫く時間を経過し他人と議論してくると、「日本語は日本人の精神的
支柱です。矢張り、日本語を無くすのは駄目です。日本語と英語の併用が良いのでは」などと言い出す始
末です。この日本語と英語の併用では全く大混乱を招来すると言うことで、先日、慶応大学で開催された
日本語シンポジウムでも、講演者の殆どが、英語教育の無駄を強調して、英語教育の効果が殆どなくて
混乱を煽るだけならば、最初から無駄なことをするな、英語を必要とする者だけがやれば良いのだと言う
大合唱であったものです。確かにこれはこれなりに大正解なのであり、当方も全く同感であり、小学生か
らの英語併用教育の大混乱に関しては賛成するものに他なりません。
この日本語シンポジウムでも、英語の必要性は認めながらも、小学校や幼児から、現在の学習時間を
削ってまでも、僅かな英語教育を実践しても何も効果はなく、逆に混乱を煽るだけだと言うことでした。帰
国子女の調査においても、殆ど外国語の維持がものにならず、多くが中途半端に終わって、何ら外国語
を習得することが出来なくて、日本語も習得が不調に終わって全く無駄であると言うことでした。そこで、
最後に、聴衆から、それでは英語教育の解決策はどうかと言う質問をぶつけられても、殆どのパネラー
達は何も回答できなかったようです。
多くの有識者は、正しい日本語の重要性を説くのですが、その肝腎な正しい日本語とは何かを巡っても、
殆ど誰も明快に説明できないし、解っていないように思います。現在の漢字やカタカナ混じりの日本語を
正しい日本語としているようならば、正しいという基準が実に曖昧模糊であると自認しているものではな
いでしょうか。既に日本語が内部から乱れており、崩壊の一途を辿っている現状を指摘する者も多いので
すが、一体如何にして建て直すのか、処方箋が全く見えてこないものです。当方はその由々しき現状を
指摘して、国民性変革のために、思い切って捨てざるを得なくなる日が到来するであろうと警告を鳴らし
ているものです。それも単なる受け身で敗北的な感じではなく、実に全く逆であり、国民性の変革のため
であり、日本が世界の指導国家に飛躍するためにも必須であるという観点からであります。
ところで、よく日本の伝統文化を尊重するためにも日本語を大切にとは言われますが、日本人ほど自国
自身の文化・伝統を簡単に捨ててきた民族は、少数民族は例外として、人口大国の中では世界的にも稀
でありましょう。英語圏の人にとっては、中世の英語文献にしても、現在の英語で読解できるようだし、中
国語にしても、昔の漢語の文献が現在でも読めるようですが、日本の平安時代の古典にしても、明治の
翻訳文にしても、現在の日本語では殆ど読めないと言いますし、現に全く読めません。
当方にしても、古典などには、そのエキスや極意だけ抽出すれば、あとは膨大な時間を労してまで枝葉
末節に至るまで習得しても大して興味も関心も沸かないものです。源氏物語のストーリーにしてもそれほ
ど現代に通じる文学的価値があろうとも思われないのが正直な心情です。ましてや、古典の内容を昔の
言葉で国民全員が読むことに対しては、残念ながらその意義や価値などを見出せないし、そのようなこと
は、研究者に任せておけば良いことではないかとさえ思われます。今回、英語教育にしても、必要性を痛
感する者だけがやれば良いとまで言い切る有識者がもいましたが、ある意味では全く合理的見解であろ
うと思います。
さて一体何が日本の伝統や文化であるのかに関しても、殆ど正確に答えられる者など居ないのではな
いのでしょうか。伝統と文化にしても、単に形式的に残存させただけで、実際の中味に至っては、殆ど日
本人自身が捨て去ってきたものでしょう。かつて聖心仏陀先生も、世間で伝承されている日本の伝統や
文化などは大して価値が無く、そんなもの守る必要は無いと言うことでありました。むしろ、従来の伝統文
化の中味を根本的に改訂し直して行くことが必至・必須であり、それと併行して、新しい国家社会の建設
を成して、その根幹の法制度を守っていくべきだということでありました。
即ち、過去の制度や文物には、単なる芸術的な価値ぐらいしかなく、人類普遍性を有した崇高な価値や
意義など余り無いと言うことでした。偉大な仏身顛化の歴史的大偉業を成し遂げた聖心仏陀先生にして
みれば、人間の業績などは、何らかの邪念や怨念が入っており大した価値が無いと言うものであろうと思
いました。それも曖昧模糊に迷走し迷妄の中に埋没した悪しき慣習などは、思い切って捨て去るべきであ
安穏なる国家社会の建設に向けて:166
ろうと言われました。
もっとも、天皇制や神道、そして仏道などは、伝承されてきた現在の伝統と文化の価値観を超越した普
遍的真理として、新しく中味を改訂して残存させ、そして世界に普及し教導すべきであるのは当然であり
ます。そのためにも憲法などの改正と連動されていくことが大切でありますが、殆どそのような議論も提
示もなく、一体、真の神道とは何か、仏道とは何か、天皇制の役割や意義、皇室の存在意義などに関し
ても、宗教家や学識者の専門家自身が余り理解していないように思います。単に歴史を辿ったり、現状を
追認するだけで、真理、真実に迫って世界に冠たる理念を提示できていないように思います。
そこで肝腎な神道や仏道ですが、現在、世間で横行し蔓延し氾濫しているものは、殆どが、現世御利益
を求める群衆に迎合して、それに惹きつけられる魔を崇拝する邪宗教に他ならないものと思わざるを得
ません。神社・仏閣などの境内において、誰の何某何万円寄付などの掲示が出ているところなど、世界
中の教会や仏閣において何処にも無いものでしょう。こんな邪心や我欲を扇動し氾濫させる邪宗教の悪
しき習慣と伝統は一掃し廃絶していくことが必須だろうと思います。真の神道や仏道の確立に向けて、現
行宗教の迷信的な慣行を根本的に打破し改訂していくことが必須でありましょう。残念ながら、現在の宗
教家や学者などの専門家には殆ど無理でありましょう。
ところで、和語平仮名を中心とした穏和な響きの感性豊かな本来の日本語にしても、基本が曖昧で情
緒的な感覚であるものだから、その曖昧な感性でもって複雑な意味深長な漢語を使いこなせていないの
が実状ではないかと思います。したがって、余計に曖昧な好い加減さに拍車を掛け加速させて行かざる
を得なくなるものでしょう。例えば、目下、政府や国民の最大の関心事である北朝鮮拉致にしても、「拉
致」とは言いますが、拉致などは北朝鮮内で、しかも単に知り人を拘束するぐらいが拉致であり、日本か
ら見ず知らずの者を連れ去ることなどは、強制連行であり誘拐に他ならないものでしょう。またシベリア抑
留とは言いますが、これも満州からシベリアへの強制連行であり、またこれこそ拉致と言うべきでありまし
ょう。実に、情緒的で曖昧な感性の日本人は、複雑な漢語を適切に使いこなせないで、拉致、抑留、誘拐、
拘束、拘留等の厳密な意味すら理解できていないように思います。こんな例を挙げれば切りがないほど
ですが、残念ながら、曖昧な感性の日本人自身が何ら気付いていないものです。
なお英語にしても、maybe,perhaps,probably の可能性の程度の区別も知らずに、全て多分とか、恐らくな
どと一律一様に訳している有様です。英語の厳密な語彙の相違など考えも付かずに、曖昧な感覚で翻訳
や通訳をしても、大切なところでは全く役立たないと言うものでしょうし、その厳密な相違を会得する気も
ないものでしょう。万事この調子で、基本が曖昧な上で、漢語中国語や英語を習得しても、結局使いこな
せない上に、解釈、運用、実践が実に複雑多岐に渡っていき、最後は曖昧な国民性の蔓延や氾濫から、
国家社会の形骸化、空洞化に至り、現在のように国家迷走に堕落していると指摘するものです。この弊
害は外交やビジネス、そして法制度の解釈にまで、実に至る所で顕在化しつつあると言えるでしょう。
目下、政治課題になっている憲法改正にしても、その中心となる憲法第9条の解釈にしても、憲法の法
律専門家でも何と二百通り以上の解釈があるようです。即ち、自衛隊が違憲か合憲かを巡っても、国論
が分裂している有様だし、国際紛争を解決するための軍隊とは言っても、一体、国際とは何か、紛争とは
何か、軍隊とは何か、などと思考を巡らして行くには、余りにも日本語で飼い慣らされた曖昧な思考論理
では解決できない欠陥を有しているものです。実にこの曖昧な言語感覚にこそ、拡張解釈や脱線解釈を
平気で許容し包容する曖昧な国民性が根底に存在し、国家迷走の原点があると言えるでしょう。これは
最早、日本語の正しい使用では解決できない日本語の構造的欠陥、限界から来るものであり、それを曖
昧無責任で駆使する国民性の変革の問題に他なりません。
結局、幾ら崇高な理念に基づく法制度を整備し創設しても、解釈や運用、実践において、曖昧模糊とし
て勝手で自由な解釈や運用を放置し放任していけば、なし崩しになり、結果的には何ら効果はないものと
懸念するものです。憲法然り、教育基本法然りでしょう。野党の連中は、いみじくも、「単に法律を変えたぐ
らいでは何も変わりはしない」などと言って教育基本法改正に猛反対していますが、正に、正しく理解し納
安穏なる国家社会の建設に向けて:167
得し運用し実践するべく、国民性が変革されなければ何ら効果的では無いと言うもので、その意味では
真実を付いているというものでしょう。矢張り、あらゆる法制度の改革に際しては、最終的には正しい解釈
と理解を成して、真摯に実践していくという国民性の変革無くしては、真の改革の実現は不可能であり、
極めて不徹底になって行かざるを得ないと言うことでしょう。その国民性変革の要諦こそ、実に聖心仏陀
先生は、「国民性変革のためには日本語を思い切って捨てることである」と申されたのでした。
然からば、「思い切って日本語を捨てる日」、或いは「捨てざるを得なくなる日」とは、一体如何なるシナ
リオで到来するのでありましょうか。まずは早急に実施できることなど無理なのは当然であり、逆に喪失
するものも多く、また大混乱に陥るのも必定でしょう。用意周到な準備や理解、政策展開が必須でしょう。
それでも、既に現在でも、国際的な外交やビジネス、研究の分野での英語の必要性では多くの有識者の
間では見解が一致しているものです。そして次第に社会の上層部から英語と日本語の併用が行われて
行くであろうと容易に想像できるものです。
この傾向や風潮が蔓延していくと、英語が出来る日本人と出来ない日本人との間で、分裂、分離が形
成されていくことに成らざるを得なくなるものと思います。そこで、次第に一般国民の世界にも、英語習得
の流れが浸透して来るであろうと思います。現に、看板や広告、歌謡、日常単語など随所に英語が氾濫
しており、次第に国民の会話の中にも浸透して行くであろうと思われます。そして英語と日本語が併存し
混在して行くに連れて、大混乱や混迷の果てに、アグレッシブ(攻撃的、積極的)で語彙が豊富な英語に
対して、内向き、消極的な曖昧で語彙が少ない日本語が駆逐されて行くことになるであろうと予想できま
す。既に、英語の単語だけを借用し利用するようなカタカナ混じりのおかしな日本語が氾濫しつつあるの
が現状でしょう。この現状に対して、英語習得の教育を如何にするかで、政界や官界、経済界、教育界な
どで大混乱に陥っているものでしょう。
目下、出版されている本で外国人が著したものに「消滅する言語」がありますが、何とそれによると、現
在、二週間に一つの割で世界中から言語が消えているようです。それに対して訳者の日本人言語研究
者は、これは少数言語だけの話ではなく、日本語にも言えるのではないかと危惧を表明しております。確
かに言語には方言に近い類似言語の類もあり、方言が淘汰されていくのは必然でしょうが、歴然とした言
語でも、二つの言語の併存は、両者が対等の性質であれば可能なのですが、著しく性質や性格が相違
するならば、併存は有り得ず、勢力の優っている言語が他を駆逐し淘汰していく傾向を有しているようで
す。
これに対して著作者も訳者も懸念を表明し、貴重な人類の文化遺産として是非とも死守せよと警鐘を鳴
らすものですが、正に当方が指摘し懸念し展望する点でもあります。むしろ解決策を逆手にとって、思い
切って捨てることが賢明だとするものです。確かに、英語の迅速性、明瞭性、意思表示力、伝達性に比べ
て、日本語は読み、書きの言葉としては素晴らしいものですが、如何せん、沈黙は金などで代表されるよ
うに、極めて消極的、内向き、縮み思考の言語であり、一方的な会話なら兎も角、理論や対話を要する話
し言葉としては、今日のグローバル化時代を反映した言語としては不完全で欠陥が多いものと言えるでし
ょう。それ故に、例え、一億数千万人が使用しているからと、油断していると一挙に乱れて崩壊していく欠
陥を内包している言語とも言えるものです。現実は知らずの内に、日本語が大いに乱れ崩壊しているも
のでしょう。
恐らく、現状のまま混迷状態が推移して、何ら有効な対策が打てずにこのまま放置していけば、受け身
思考の日本語は、積極的で迅速性の英語に駆逐され淘汰されて、タガロク語のようなローカル言語に転
落して行かざるを得なくなるであろうと危惧するものです。それを食い止めるには、思い切って言語鎖国
をして、純粋な日本語を死守するしかないし、それとも逆に、思い切って日本語を捨て去っていくかの、正
に当方が指摘するように、歴史的選択の岐路に立たされると言うことでしょう。言語鎖国とは言っても、グ
ローバル化時代を背景にして、今更ながら情報鎖国など殆ど不可能であるのは明らかでしょう。そこで正
に、肉を切らせて骨を切るの例えの如く、思い切って国民性の変革に為にも、日本語を捨てて行かざるを
安穏なる国家社会の建設に向けて:168
得なくなる日が到来するであろうと思うものです。
それでも、日本語が最後まで残存するとしたら、その平仮名と漢字、カタカナの便利性から、表示力や
識別性、情緒的な表現力を評価して、看板や広告、和歌や短歌、詩歌、歌謡、経文、祝詞、そして小説や
日記などの読み書きなどの個人的な一方的な内面心理的な文章であり、また話し言葉としても日常的な
会話とか、一方的な講演などぐらいで、正に個人的な分野とか一方向的な分野ぐらいではないかと想像
されます。それぐらいは残存させても何ら構わないし、長所として大いに活用しても差し支えないものでし
ょう。
しかしながら、双方向的な対話や契約、ビジネス、外交、法律文書、官僚文書などと厳密性、迅速性、
正確性を要求する分野には益々不適合となって行かざるを得ないでしょう。即ち、原則日本語、例外英語
の立場や環境が逆転し、日本語を例外として利用して行かざるを得なくなると言うものでしょう。必ずしも
全面的に廃止というものではなく、徐々に浸透し進展していくシナリオも考えられるものです。
そして、万一、思い切って日本語が捨てざるを得なくなる日が到来するとしたら、恐らくその折りまでに、
成し遂げておくべきことは、最後に残すべきものは何かを明確にすべきであろうと思います。即ち、世界を
教導できる真の神道や仏道を確立しておくことであろうと思います。単なる現行の神道や仏道ではなく、
真の崇高な理念に基ずく神道であり仏道であり、それらの融合概念の確立でありましょう。
それで無ければ、早急に日本語を捨て去っていけば、無節操な国民であれば、何ら抵抗無くキリスト教
文化に席巻・支配・洗脳されて行くことは明白でありましょう。これでは日本人としての最終的なアイデン
ティティの喪失に繋がっていくのは必然でありましょう。とは言いながらも、現在では何と、クリスチャンで
もないのに、キリスト教の教会で結婚式を挙げる男女が7割を超えたようです。こんな無節操で無思想、
無定見の国民性が現実であります。
そこで、このまま座視して単に日本語を守れという大合唱だけの曖昧な思考の延長では、内部から空
洞化して崩壊していくものでしょう。これは日本の伝統文化についても言えることでしょう。したがって、単
に曖昧模糊の乱れた日本語や伝統文化を盲目的に守っても駄目だし、日本人として何を、しかも何処を
改訂して最後まで守るべきかを明確にして行かねば、曖昧にしたまま、英語と日本語を併用させて混在さ
せても、また現行の変質した文化伝統を守っても、悪しき習慣をそのまま温存させていく混迷を益々深め
ていくか、最後は大混乱から崩壊に至るというものでしょう。
なお、英語の浸透でも、単なる物質を表現する単語ぐらいならば、日常生活面で氾濫しても何も問題は
ありませんし、それに今でも単に便利だからと言って、無節操に無制限に使用しており、それは対して格
別に、日本語に置き換えて使えと言って神経質になるものではないでしょう。即ち、広く国民の日常語に
浸透している単なるテーブル、クロス、ライト、ドア、カーペットぐらいの英単語なら何ら併用しごちゃ混ぜ
で使用しても問題はないでしょう。
しかし、概念や理念、哲学、思考、論理などを伴う単語の場合になると、その厳密な意味や意義を理解
して使わないと、大変な誤解を招くことになるものです。例えば、デモクラシー(民主主義)、コンスティテュ
ーション(憲法)などになると、論理的思考が要求されるものでしょう。正に国民性を決定する最大の要因
となるものものに他なりません。実に、日本人の国民性の変革は、この論理的思考、概念や理念の把握、
実践的議論などの思考を身に付けるために必須というものでしょう。これが曖昧な日本語では益々混乱
し混迷していくというものです。
そして、英語に席巻されて衰退し混迷する日本語を思い切って捨てざるを得なくなる日が接近しようとも、
決してこれは敗北主義でもなく、英語の西洋文明の支配下に屈服するものでもなく、英語植民地支配に
成り下がるものでもありません。実に、国民性を変革し、迅速明瞭な言語発信能力を有した国民性に転
換させ、自己主張を明確にし、世界に冠たる指導国家・国民性に脱皮・飛翔・飛躍するものであります。
正に、出る杭を打つとか、沈黙は金などの国民性を支配している空気の刷新であり、一掃であります。残
念ながら、現在の日本語、それも益々曖昧で無責任に堕落し崩壊していく日本語の乱れを維持している
安穏なる国家社会の建設に向けて:169
限り、またそれに汚染された国民性の変革無しでは、殆ど限界であり、不可能とも言えるでしょう。
かつてアインシュタインが指摘したように、日本が世界の盟主たらんとする気概と自負があるのならば、
それに向けた展望と政策を早急に検討し模索し追及するべきでしょう。今や誰も気付かないことでありま
すが、大変重要な課題であることを日増しに痛感し確信を抱くものです。敢えて当方如きが警鐘を鳴らさ
なくても、国語の乱れや崩壊、日本の衰退現象から、誰かが、その内にそれらの関連性に、即ち、日本語
と国民性、そして国家崩壊の現象との因果関係に気付いていくことでしょう。個人の長年の悪しき食べ物
などの習慣も、最後に大病や事故を経験して初めて悟って改訂するようになるものでしょう。これは平凡
で通常の人間としては極めて当然の理解であり帰結でありましょう。
唯一、時代の先を読み取る先見性や洞察力を有して、小さな節穴から将来を展望できる方でこそ、理解
し思考できるものでしかないようです。後日、後世の歴史家が、実に節穴ではなくて、真実、真理を突いた
穴であったと解明することでしょう。それでは遅すぎるものでしょうが、残念ながら、これが真の因果関係
にも気付くことなく、右往左往し試行錯誤し百家争鳴の中を、迷妄と狂気の間を彷徨い漂流し放浪する人
間社会、人間心理というものではないかと思います。それでも、無節操や無定見とは言うものの、ある意
味では極めて柔軟性に富んだ日本民族ならば、思い切って日本語を捨て去ることなど、時代環境が要請
するとなれば、変わり身の速い歴史的経緯を観察すれば、アッという間に成し遂げていくのではないかと
秘かに思っております。
平成16年(2004年)12月21日
追記36. 英語の席巻浸透は今や世界的な勢いで、果たして日本語は安泰で行けるのか (2004年1
2月27日)
ドイツでも英語の圧倒的な浸透・氾濫・攻勢に抵抗しているようだが、目下のグローバル化経済を反映
して、言語鎖国をしていくか、それとも、大混乱の後に何れかの言語が淘汰されていくのか、それとも、思
い切って捨て去って、グローバル言語に統一されて行くのか、正に世界は歴史的選択の岐路に立たされ
て行くであろう。
ドイツ語やフランス語では言語ナショナリズムで抵抗するのも理解できるが、日本語の場合は、既に「ク
レオール語と日本語」の本でも指摘されるように、日本語はクレオール語(メチャメチャに破壊された言
語)であるという。またある本では、日本語が漢字やカタカナに席巻されて、不思議と消滅しなかったのは、
複雑な言語構造と、日本人の外国語習得の不得手さにあったという。そのために、外国語に切り替える
こともできなく、また外国からも侵略を受けなかったと言うことらしい。
正に当方が指摘するように、日本語の乱れを指摘しているものだが、この乱れは既に侵略され蹂躙さ
れ破壊されていると言っても良いほどだ。日本語本来の形こそ残存しているものの、すっかり本質が形骸
化し、日本語の特性が無くなっていることにどうして気付かないのだろうか。良く正しい日本語とは言うが、
実に当方が指摘するように、一体如何なる日本語が正しいのか、有識者一人一人の見解を聴きたいもの
だ。
なお、日本語が完全に消滅しなかったのは、既に指摘するように、日本語と外国語とでは、脳の活用が
全く正反対である故に、バイリンガルが不得手であったと言うことだ。したがって、完全な外国語への侵出
も、また外国語からの完全な侵略を受けることもなく、辛うじて、日本列島という島国の閉鎖的な日本人
社会の中で独立を保って来られたというものだ。
そこで、今までの閉鎖的社会であったればこそ、延命で来たものと思われる。しかしながら、現下のグロ
ーバル化時代を反映して、圧倒的な英語の浸透力、繁殖力、攻勢を前に、果たしてどれだけ抵抗できる
のか。むしろ敗北主義や占領支配の従属意識に囚われることなく、思い切って国民性変革の好機と捉え
て、更に世界的指導国家への飛躍を考えて、世界共通の言語ツールとなりつつある英語を武器にして、
思い切って日本語を捨て去る日の遠くないことを予言しておこう。これはある意味では良いことなのだと、
有識者は始め国民の大多数が理解できるのかどうかが不安材料だ。
安穏なる国家社会の建設に向けて:170
産経新聞紙2004年12月23付け報道
『英語乱用待った!!』ドイツ 広告、ラジオ・・・母国語見直し
【ベルリン=黒沢潤】英語が氾濫するドイツで、母国語を見直す機運が高まっている。大手企業が自社広
告のスローガンを英語からドイツ語表記に変えるケースが相次いでいるほか、独連邦議会も先週、ラジ
オ放送でドイツ語のポップ・ミュージックを35%以上流すよう求める決議を可決した。
「BRUNCHEN」(ブランチを食べる)、「MAILEN」(メールする)、「SMALLTALKEN」(ちょっとした会
話をする)。
ドイツ語には最近、英語の単語が交じった「DENGLISH」(ドイツ語を意味するDEUTSCHと、ENGLI
SHを合わせた造語)と呼べるる言葉が増えて、いる。テレビのCMでも、英語の単語がそのまま使用され
るケースが多い。これは、英語がドイツ語と同じゲルマン語系であるのに加え、旧西独国民が冷戦時代、
米国などと政治、経済、文化面で緊密な関係を保っていたため英語をあまり苦にしないとの事情からだ。
だが、世界的に著名な作品をドイツ語で著したゲーテやシラーなどを出したお国柄だけに、こうした英語
偏重傾向を懸念する声が高まってきたのも半ば当然だった。
こうした中、ルフトハンザ航空は今夏、「他に良い旅行の方法はない」との英語の広告を「すべてはこの
瞬間のために」(独語表記)に変更。マクドナルドも「いつも、いい時」の英語の広告を「それが好き」(同)
に変えるなど、表記を見直す企業が相次いでいる。独連邦議会も、母国語を守り自国のミュージシャンに
活躍の場を与えようと、国内のラジオ局にドイツ語の曲を35%以上、流すよう求める決議を可決した。ベ
ートーベンやワーグナーといった巨匠を生んだ歴史を誇るこの国にも二十一世紀の今日、英米系の音楽
があれていて、自国の音楽業界は苦境に陥っている。
バイス独首相府・文化事相は35%決議について、「私たちは正しい道を歩み始めた。この措置は、ドイ
ツの”ナシヨナリズム”に基づくものではない」と強調した。
ラジオ局を持つ独ARDなどは「いい音楽に割り当てなど不必要だ」と反発、決議が拘束力を持たないこ
ともあって無視する構えだ。政府はしかし、放送をチェックし場合によっては強力な措置を講じる方針とい
う。
追記37.恐ろしいろしい予言 投稿者:豊松 (2005年1月12日)
聖心先生が日本人が日本語を捨てなければならないときが来ると予言されたようですが。
それは本当に日本語が曖昧だかと理由で言われたのでしょうか。
もしかしてもっと深い意味があるのではないですか。
日本国が崩壊、しいては日本民族が滅亡する危機がやってくると。
かつて他国に侵略される以外で母国語を放棄した民族などいないでしょう?
追記38.崩壊し錯乱した日本語の伝統文化の頑なな継承が国家社会の破綻を招来するもの (2005
年1月13日)
これも下記のサイトに紹介しているものですが、可成り以前に、聖心先生に、「日本の改革とは言っても、
いくら崇高な法制度を整備し構築していっても、結局、解釈や実践で偏っていけば何にも成らずに、正しく
解釈し正しく実践する真正な精神や意識、心魂の形成が大切であり、即ち、国民意識の変革が大事では
ないでしょうか。」との問い掛けに対し、同意されたのに際して、「それではこの国民性の改革には如何な
る方策があるのでしょうか。」と再度尋ねたら、「それには思い切って日本語を捨てることだ。」と申された
のでした。
当時は、吃驚仰天であり青天の霹靂であり奇想天外であり荒唐無稽であり、正に日本語こそ、日本人
のアイデンティティであり、日本人の貴重な文化遺産であり、果たして、日本語と国民性との間にそんな
因果関係があるのであろうか、またそんな大胆な改革が出来るのであろうか、また聖心先生の崇高な漢
安穏なる国家社会の建設に向けて:171
字を使った理念の解明なども不可能ではないのかと思ったりしました。ただ先生は、「真の因果関係はそ
うだが、果たしてどれだけの国民が理解出来るかな。実行となると可成り難しいかな。」と申しておりまし
た。しかし、「もし、因果関係に気付いて、思い切った改革を実行しなければ、次第に矛盾が顕著になって、
最後は大きな破局を迎えるだけだろう。」とも言っておられました。
実に広大無辺の偉大な仏知恵により、前世、現世、来世と亘って、様々な事象や事例の因果関係を瞬
時に把握し、適切な解決策を提示されている聖心先生であるからこそ、決して間違ってはいない真理で
あろうという確信があったのは確かです。しかしながら、余りにも思考の常識を超越していたが故に、当
時はただ素直に受け入れて理解出来ないままに、随分長い間、心や意識の片隅に追いやられて、もやも
やとした忘却の意識の彼方にあったものですが、半年前の2004年6月頃に、何気ない日本語の欠点に
関するコメントを拝見し、聖心先生の指摘を記憶の奥から呼び戻してきたものです。別にそこに聖心先生
の言われたことが書いてあったものではなく、それによって日本語の関心が啓発されて記憶が呼び戻さ
れて行ったというものでした。これまでの時間は、単なる忘却の時間でもなく、実に、心の片隅で国民性
の欠陥を観察してきたものであり、ただそれだけをボンヤリと分析して来たところが、ふとした偶然で一挙
に先生のお言葉を想い出して理解出来たと言えるでしょう。
日本語に関する欠点の指摘を偶然に知って、日本語と国民性との関連が、恰も電流が走るが如く、ふ
とした閃きで両者が一直線に結び付いて行き、かつての聖心先生のお言葉がようやく理解出来たのであ
ります。もっとも、これまでもその真意を確認し検証することも出来たのですが、如何せん、余りにも現実
離れをしており、検証よりも理解の方を優先する余り、随分長い時間、意識の奥底に放置していたもので
す。そこで少しずつ記憶を呼び起こしていくと、実に日本語の曖昧さが国民性の曖昧さに繋がり、国家社
会の迷走、分裂、崩壊に至るということです。この連鎖を断ち切るためには、「思い切って日本語を捨て去
ることだ。」と言うことでした。
絶対に信頼し信用し確信して、思考を巡らし調査し検証していけば、実に神仏が導いてくれるかのよう
に、不思議と先生が言われた因果関係が手に取るように理解出来てきます。即ち、日本語の長所と欠点、
また国民性の長所と欠陥の両者が客観的に見えてきて、その欠陥部分が、実にかつては長所でもあっ
たものが、今や国際環境や時代変遷と共に欠陥に変質し転換して、このままでは国家破綻していく危機
を痛感した次第です。
そう言う確信の下に、多くの専門有識者の言動を分析し検証していくと、確かに日本語の長所ばかり指
摘する方も多く、欠点を指摘する方も少なくなく、また国民性の長所を指摘する方も多く、それに負けず劣
らずに国民性の欠陥を言及される方もおり、実に千差万別であり百花繚乱、百家争鳴、百家騒迷の観が
あり、大混乱に陥っている現状を憂いている方が実に多いようです。しかしながら誰にも適切な解決策が
思い浮かばないようです。精々が正しい日本語を構築せよと言うだけで、一体何が正しい日本語なのか
も誰も明快に提示出来ません。
中にはカタカナ外来語を排斥せよとか、漢字すらなくせとか、ローマ字表記にしろとか、幼児や小学生
から英語教育を実施せよとか、否全く不必要で混乱するだけであり必要な者だけがかってにやれば良い
とか、実に大混迷の状況です。既に掲示板などで指摘しておりますが、現在の日本語は中国語漢字によ
り侵略され破壊されており、本来の日本語の片鱗だけが残存しており、てにおはが末尾の動詞のみで辛
うじて命脈を保っており、今や漢字に代わって英語カタカナ語が交代、交替するような状況であります。例
えば、「幸せな暮らしを楽しむ」が「幸福な生活を享楽(満喫)する」から「ハッピー(な)ライフをエンジョイす
る」になっているものです。
しかし単なる正しい日本語を再構築すれば済む話ではなく、実に日本語に内在するどうしようもない欠
陥であり、即ち、平仮名和語と漢字漢語の凭れ合いからくるもので、実に書き言葉と話し言葉の乖離であ
り、建前と本音の乖離であり、言った言わないの二枚舌が横行しているのが現実であります。かつての自
然と調和した曖昧模糊とした情緒的な柔らかい穏和な響きの日本語が、国民性の欠点にそのまま反映し
安穏なる国家社会の建設に向けて:172
て、曖昧模糊の無責任性、現実直視や問題把握の能力欠如、変わり身の早い無節操や無定見、無思想
に堕落しているものであります。日本人自身が自らの国民性の欠点を指摘されて自覚出来る者など殆ど
いないでしょう。もし出来れば、意識変革が為し得るものでしょうが、何も自覚していないところに悲劇が
あると言えるでしょう。
そして日本語を思い切って捨てるシナリオも紹介しておりますが、別に権力的な行使をしなくても、次第
に曖昧な日本語と英語の浸透で大混乱に陥って、次第に日本語が淘汰駆逐されていくのか、それとも三
流国家に転落していく中で、次第に閉鎖的な日本語だけに世界に回帰していくのか、或いは思い切って
言語鎖国、情報鎖国の強制手段を講じるのか、更には思い切って日本語を捨て去るのかの、正に歴史
的選択の岐路に立ち行くと言うことでしょう。
さりとて、その場合にも、決して敗北主義に否定的に考えるのではなく、実に日本人の国民性の変革に
向けて、また世界の指導国家に飛躍するためにも、逆転の発想により、前向きに対処して行くことが賢明
であろうと指摘するものです。それに日本語とは言っても、現在の文体が完成したのも、精々が百年前の
ことであり、必ずしも昔から変遷無しで来た伝統的文化遺産でもなく、実に日本語自体が破壊され、閉鎖
的な島国を反映して、完全な侵略崩壊にも会わずに、また日本人自身の外国語習得の不得手に助けら
れながら、辛うじて崩壊を回避されて来たまでです。しかし、今やグローバル化した国際環境の中で、日
本語の命運が尽きつつあるように思いますが、一体誰がこの因果関係を理解し、思い切った改革を実践
出来るのでしょうか。
追記39.英語か中国語か 投稿者:豊松 (2005年1月20日)
日本人が日本語を捨てるとなると、母国語として英語か中国語を選択することになると思う。あるいは新
しい言語を創造するのか。英語を母国語として中国語を 第一外国語とするか、中国語を母国語として英
語を第一外国語とするかすれば解決できるだろうが、それではまるで、香港かシンガポールのようだ。いず
れにせよ日本人は滅亡するのだ。
追記40. 聖心先生はかつて「国民性変革のためにも日本語を思い切って捨てるべきだ」と併行して、
聖心先生はかつて「国民性変革のためにも日本語を思い切って捨てるべきだ」と併行して、
「今後は英語よりも中国語が重要となるであろう」とも言われたが・・・ (2005年1月20日)
かつて聖心先生と日本の改革に際しての対話において、当方が「あらゆる分野における法制度の真正
な改革は当然だが、最終的にはそれを正しく解釈し運用していくには、現在の曖昧模糊の無責任な国民
性の改革が必須であり、そのためには如何にしたら良いのでしょうか」との問い掛けに対し、先生は「国
民性変革のためには日本語を思い切って捨てるべきだ」と言われた。
「それでは日本語に変わり得る言語は一体何であるのでしょうか」に対しては、「矢張り、圧倒的な勢力
を有する英語ではないのかな」と言っておられた。「それでは、漢字、漢語に基づいて、先生の教えられる
深淵な意味や意義、崇高な理念や大宇宙の解明に関しては、英語では不十分ではないのでしょうか。矢
張り、漢字の力が必須ではないでしょうか。」と尋ねると、「別に漢字はなくても構わない。哲理や真理等
のや研究や解明には良いが、余りにも複雑すぎて日常的生活手段や外交には習得が困難ではないか
な」とも言っておられた。
またある時には、「(雑念、先入観、固定観念、既成概念になるから)思い切って本を捨てることだ。」とも
言われたが、「それでは、十五巻の大漢和辞典や二十巻の日本語大辞典等も不要なのでしょうか」との
問い掛けには、「それは晩年になってから、ボクのことを研究するために必要になってくるだろう。もし捨て
ると後で後悔し再度買い求めることになるだろう」と言われた。これは、先生が書き残された文物が漢字
や漢語を多用しているから、そのための哲学的思考や真理の解明においては、複雑で深淵で高度の意
味を有する漢字の力を高く評価するものであり、漢語や日本語の辞典類が必要になるであろうと言うもの
であった。
安穏なる国家社会の建設に向けて:173
他方では、聖心先生は「今は日本にとっては英語が必須だが、その内に(現在に置き換えると、実に10
年前後先頃の2014,5年頃か)中国語が英語に取って代わって必須となるであろう」と言われた。即ち、
換言すれば、日本と米国との貿易や交流に代わって、日本と中国との交流が増大していき、最後は日米
関係と日中関係が逆転すると言うことを予言されたものだ。既に2005年現在において、日米の貿易高
よりも、日中の方が勝ってきており、今や日本の最大の貿易相手国は米国よりも中国であるのが現実だ。
思えば、20年前の1980年代前半頃に言われたことで、なかなか先見性のあるお言葉だったと記憶して
いる。
しかし、これは、思い切って日本語を捨てて英語を採用すると言うことが、英語に代わって中国語を採
用するべきだと言うことにはならないのではなかろうか、この点を聖心先生に問い直すべきであったかも
知れないが、有耶無耶に終わってしまったのが後悔される。ただこれは、日本にとって中国との結び付き、
連携が強くなって行かざるを得ないと言うことであり、必ずしも全世界が英語よりも中国語の習得が必至
というものでもあるまい。既にインターネット社会では8割も英語が使用されており、英語の世界的情報手
段としての地位は揺らぎそうもないであろう。英語よりも中国語というのは、対中国関係で言われたもの
であり、世界的には英語の圧倒的勢力は盤石ではなかろうか。
この中国語も、複雑な漢字を巡って大きく揺れているのが現実であり、中国自身が漢字を捨て去るのも
時間の問題ではないのかと思われる。一時的には中国の経済力が急成長し、それに連れて中国語の浸
透力が強まりこそすれ、世界を席巻し英語の地位を脅かすまでには行かないのではなかろうか。あくまで
も経済や貿易、ビジネスの社会における現象だけではないのだろうか。この経済にしても、圧倒的に英語
の語彙が氾濫しており、漢字に置き換えるに際して、むしろ日本初の漢字、漢語を中国が導入し借用して
いる有様だ。そうなると同じ漢字文化圏で情報を共有することがあっても、発信源は矢張り英語となるの
ではないだろうか。
事実、中国でも英語熱が急激に高まっており、韓国でも台湾でも然りだ。日本だけが大きく取り残されて
いきそうだ。既に東南アジアでも、英語が共通言語として浮上してきており、米国経済圏や文化圏とは全
く無縁の第二英語圏が形成されているようです。これも既にインターネットの使用言語の8割が英語であ
るという事実が、例え、米国経済が崩壊して、米国の影響力が大きく後退していったとしても、その傾向は
変わりないのではないかと思われる。
それに聖心先生が言われたような中国語が必須というのも、あくまでも貿易面でのことであり、中国から
何かを学ぶためというものでもないと思う。現在の中国には情報の発信力は余りないようだ。まさか中華
料理を学ぶための中国語というものでもあるまい。矢張り、特許権の数や、研究論文の数にしても、米国
がダントツなのだ。これはノーベル賞の受賞者の数でも明らかだ。現に中国自身が米国に憧れており、中
国語を捨て去るほどの英語熱が盛んなのが現実だ。米国のような弱肉強食の風土の中国人には合うの
であろうか。
いずれにしても、曖昧な日本人の国民性変革に向けては、日本語を捨て去るほどの大改訂が必須であ
るのは言うまでもないが、それに代わり得る言語となると、英語か中国語となるのであろうが、今更中国
語では、日本語の曖昧さや敬語などの複雑な感覚に洗脳された日本人の国民性が、複雑な漢字を使い
こなせなくて、より厳密・性格・迅速になることを大きく通り越して、思考や意識が大混乱していくのではな
いだろうか。ただでさえ、現在の日本語は、中国語、漢字により侵略され、蹂躙され、支配された言語であ
る。今更漢字一色では、中国との経済的交流の情報手段としての便利性はあっても、国民性の変革には
ならないであろうと思われる。
それでも、日本語を思い切って捨てるべきだとも言われたのは、世界語としての価値は英語が圧倒的
だと言うことであろう。中国語が日中関係にとって必須だとしても、それはあくまでも日本との関係でしか
ないし、それも貿易面での交流が活発になるからと言うものであり、中国から何かを学び取る必要からで
はない。それに英語は何も日米関係にのみあるのでではない。実際に、英語は次第に世界共通言語に
安穏なる国家社会の建設に向けて:174
なっていく傾向さえあると言うものだ。事実、東南アジア諸国でも共通語として英語が大きな影響力を及
ぼしてきており、第二英語圏を形成しているのが現状だ。
聖心先生が言われた「日本語は思い切って廃棄」と「中国語が将来は必須となる」と言うのは必ずしも
矛盾はしないと思う。日本語廃棄は日本人の国民性の変革からの要請だからだ。曖昧模糊とした平仮名
で思考を形成した上で、その延長に厳格な漢字を使用していっても、曖昧な漢字使用しかできなくなって
きて、その結果、平仮名和語文化と漢字漢語文化との二重言語国家となり、思考分裂状態に陥るものだ。
それが、建て前と本音の乖離、書き言葉と話し言葉との乖離を生み、日本人の二枚舌とか、無責任、先
送りの曖昧な国民性を形成し、急激に展開するグローバル化時代を反映して、これまで隠蔽され、場合
によっては長所とさえ言われてきた日本語の欠陥が大きく浮上して、国家社会の溶融現象、崩壊現象、
迷走状態を現出させてきたと言えよう。しかしながら、こんな因果関係に思いを馳せらせながら理解でき
る者など殆どいないであろう。自分の性格を指摘されて、納得し変革しようと思う者などまずいないのが
現実だ。
ところで、平仮名では曖昧さがあるのは誰でも知っていることだ。漢字を当てはめてみて漸くその意味
が理解できると言う欠陥を有しているものだ。この曖昧さが大変良いのだとする見解はまるで空想非現
実的なお伽噺の世界の話に聞こえてしまう。書き言葉と話し言葉の世界を勘違いしている典型的な曖昧
模糊の日本人の発想でしかない。この国民性を打破し改訂すべきだと言っているのだ。そしてその曖昧
さで漢字、漢語を使用しても、依然として曖昧な誤用、悪用に陥っていくしかないものだ。
例えば、北朝鮮による拉致と言っても実際は誘拐に他ならない。拉致と誘拐の区別すら付かない思考
分裂だ。またシベリア抑留とは一体何のことだ。抑留ではなくて、それこそ拉致ではないのか。万事この
調子で、思考停止か分裂、迷走に陥っているのが実状だ。この矛盾や限界に何も気付いていないのが日
本人社会だ。矢張り、思い切って日本語を捨て去るとは言っても、肝心の日本人自身が、その国民性故
に何も矛盾改訂に向けて必要性を痛感していないのが殆どだ。正に因果関係の逆転であり、エンドレス
の議論でしかないものだ。実に不幸なことだ。
そもそも言語の改訂や変革などは、それも思い切って捨て去るなどの歴史的変革などは、一有識者を
始め、指導者が表明したところで、達成できるものではない。仮に国民が賛成したとしても、具体的に実
行して、ものになるには二、三十年もの年月を要するものだ。一朝一夕にして完成するものではない。そ
して、国民のかなりの者が賛成して実践していくか、独裁指導的な権力を有する環境が登場してこざるを
得ないものだ。それには戦争や革命などの歴史的変革時でしか有り得ないものだ。平和な時代では、母
国語を捨て去ることなどの歴史的大転換など決して起こり得ないものだ。
当方の日本語の現状分析に多大な理解を示したはずの者でも、暫く時間を経過すると、矢張り、日本
語廃止は無理で暴走・暴論であり、バイリンガルで行くべきだなどと反論してくるようだが、このバイリンガ
ルの具体的な実践を巡って、百家争鳴の議論が対立している有様だ。即ち、英語教育開始の年齢が問
題であるとして、幼児から英語を、小学生から英語で大いに見解が対立しているようだ。また、英語を第
二実用語乃至第二公用語でと言った見解も浮上しており、反論も多くて、英語を必要と感じている者だけ
が実践すれば良いのだとの見解があるのが承知している。全てが当然でもっともな見解なのだ。
何故ならば、既にHPや掲示板で紹介したように、日本語の習得における脳は左脳を駆使して会得する
ものであり、英語や中国語の世界殆どの言語とは脳の使い方が全く異なるのだ。この点からの分析をし
ている者は余りいないように思われる。従って、日本人は殆どの国民にとってバイリンガルは不向きであ
るのが真実であり、幾ら英語を優れた教育で習得しようとしても、モノにならない理由がここにあると言え
よう。それ故に、国民性の変革から、思い切って捨て去ると言うことを聖心先生が指摘されたものだろう。
日本語は何でも外来語を受け入れて消化し吸収して、極めて柔軟性に富んでいる半面、崩壊しやすい
言語でもあろう。現に存在する日本語は「てにおは」の助詞や「ある、いる」などの動詞を付けるだけで文
章を完成できることが殆どであるが、これは中国語の漢語を曖昧な和語に置換させたり、語彙の少ない
安穏なる国家社会の建設に向けて:175
和語に代わって用いているものであり、現代は、それが漢語から西洋外来語の片仮名に代わっているも
のであろう。そんな柔軟性が、便利という側面とは裏腹に、固有性を喪失して破壊していく運命を有して
いるとも言えよう。
そして聖心先生は、「日本は中国とは仲良くやって行かねばならない」とも言われた。これは恫喝的な中
国と上手くやらねばならないと言うことと、アジア人同士互いに反目し合ってはならないと言う意味であっ
たように思う。しかし、目下の中国の反日運動は、必ずしも中国人民の意志ではなく、一部の政権中枢に
よって自らの政策失敗を隠蔽し、国民を誘導するために画策・策謀されたものでしかない。日本語を捨て
るということは、ある意味では、中国語によって蹂躙され破壊された日本語を捨てると言うことでもある。
換言すれば、中国文化との決別でもある。これは狡猾で獰猛な大陸文化の侵略との離別とも成るであろ
う。日本はむしろ、米国の慣習や思考に感化されて来ており、これは日本人の思考の変革においては大
変良いことであった。今更、狡猾な中国文化に感染して行っては、歴史を逆回りさせるものであろう。
実際に、中国語、漢語、漢字は、前後に様々な漢字をくっつけて造語を可能にして便利であり、また多
様な漢字の力により緻密で、厳密であるという半面、大変難解で複雑な意味をも有するものであり、ある
意味では、大変複雑でとても厳密に使いこなせないもので、結果的には解釈も曖昧になり勝ちだ。かつて
1974年の日中国交回復における条約にも共通言語として英語が使われて、台湾問題の関係で、テリト
リーを日本側は領域と訳し、中国側は領土と約して、見解や解釈に大きな齟齬をきたしていったようだ。
そんなこともあって、漢字では様々な解釈のニュアンスを残して行きやすいものだ。その上に、インターネ
ット社会において、漢字の変換は大変厄介な作業であり、迅速性にもマイナス要因だ。そんな意味もあっ
て、中国語が必須とは言うものの、世界共通語としての、英語は、その簡便性、迅速性、明瞭性の色んな
点で、中国語よりも世界性があると言えるだろう。
日経新聞紙2005年1月8日付け報道
日経新聞紙2005年1月8日付け報道
『情報化時代の国語改革』
蘭学を学んだ福沢諭吉や勝海舟が時流を続んで英語に転じ、たちまち上達した。ドイツ人シーボルトは、
オランダ語の支配する長崎で活躍した。その後ヨーロッパ勤務の機会があり、英・蘭・独語は東北弁・関
西弁より似ていることを知った。オランダ人やドイツ人は、関西人の私が標隼語を話す程度の労力で英語
を話せる。
二十世紀末に日本経済がつまずいた原因はいろいろあったが、グローバル化・情報化の中で言葉の壁
のためカヤの外になったことも大きい。それを回復するには、とりあえず英語能力を習得することが先決
ではある。しかしあと三十年もすれば、中国はアメリカと並ぶ覇権国になる。
そのとき少なくとも東アジアでは、中国語は英語と並ぶ情報媒体になっている。今は英語習得に余念の
ない中国人も、そのころには外国人に中国語を求めるに違いない。韓国では漢字復活の動きがある。日
本人・韓国人は、中国語習得ではドイツ人やオランダ人に対して有利な立場に立っている。
英語の例で分かるように、共通語の確保は情報化時代の覇権国には必須用件だ。中国は、国内の意
思疎通円滑化とともに将来の国際的普及をにらんで、中国語の使い勝手をよくするためいろいろな努力
をしている。標準語と簡体字の使用を義務付ける法律が二〇〇一年に施行された。中国語の明確で正し
い使い方に誘導する措置も含まれている。
日本や韓国が中国語化することまでは考えられないが、将来、東アジアで中国語を中心とする言語間
調整の動きが起こることは大いにありうる。今は繁簡まちまちの漢字体は、電子情報化時代には大きな
障害になる。その共通化第一の課題となろう。
相互理解促進のためには、それぞれの国語をできるだけ、論理的で簡素なものにする努力も必要である。
現在の日本語は仲間内の暗号化し過ぎているが、そのことについて危機意識が乏しいのは心配だ。日
安穏なる国家社会の建設に向けて:176
本は明治時代に国語改革の実績を持っている。標準語の確立や言文一致は歴史的大事業だった。多く
の欧米語の日本訳は現代中国語になっている。
グローバル化・情報化への対応とは、ブロードバンドの普及や英語の習得だけではない。。歴史的関係
の深い周辺諸国との言語のの調和を含め、日本語の伝達能力向上は二十一世紀の重要な課題である。
追記41.意見 投稿者:豊松 (2005年1月21日)
言語によって国民性が決まるというのはおおよそ正しいように思われる。日本人の特徴である曖昧さ・柔
軟性は日本語の性質そのものだ。哲学が発達したドイツやギリシャは語形変化の多様性に富んだ極め
て難解で明確な言語を持つ。同じ哲学の原型が生まれた中国では、それは近代的哲学や科学ではなく、
宗教と芸術に消化された。漢字のなせる業だろう。中国語は哲学的な文章よりも、簡潔で詩的な表現に
向いているからだ。また文字の特異性・優秀さ・歴史に対する優越感が彼らの傲慢の原因でもある。さて
私が思うに日本人が日本語を捨てるにあたって宗主国に媚びるような形でそれを行うのはどうかと思う。
中国語と英語は確かに優秀ではあるが、完璧ではありえないし、また必ずしも日本語に優るとは思えな
い。例えば中国語は表音文字を持たない。それゆえ日本語ほど柔軟性をもたず排他的で、近代において
西洋に遅れを取った原因になった。英語は言語学者からラテン語から派生した言語の中では最も堕落化
が進んだ言語と揶揄されている通り、単純化されており、これが国際化にあたり役に立っているのは事実
ではあるが、日本語を捨てる理由が、曖昧模糊を払拭するためならば、はたしてそれに変わる言語が英
語であってよいのだろうかと疑問に感じる。アルファベット表記はパソコンを使ってコミュニケイトする現代にお
いては漢字を圧倒するのは間違いないのだが、いかんせん英語ではそれを有効に使えていない。綴りと
発音の乖離が甚だしく、英単語は漢字のように表意文字化・シンボル化しているとさえいえる。また母音
を(エアやゥなどアイウエオ以外の母音)表記のうえで正確に区別できないのは明らかに欠陥である。日本
語を最大限に評価するならば、その柔軟性しいては創造性にあると思う。日本語そのものは捨てても発
想は残しておきたい。またそれをいかすべきだろう。逆に悪い部分は捨て去るのだ。悪い部分とは曖昧模
糊さであり、言語の特殊性(日本語はどの言語系統にも属さない)による、多言語習得時の困難さである
(日本人は外国語が苦手だ)。であるから新しい日本語を創造するに当たっては、多言語との特に英語と
中国語に対する互換性を重視するべきだと考える。
追記42.今時の社会では英語の方が中国語よりも世界性があり、抜本的な国民意識の変化になろう
投稿者: 不動明王 (2005年1月24日)
大変、示唆に富む濃厚なご意見ありがとうございます。普通の方は猛反発し嫌悪されることが多いので
すが、比較的、沈着冷静に対応されたことに対して心より感謝と敬意を払う次第です。この言語が国民性
と大いに関係すると言うことに気付いておられる方は余りおられないように思います。またその両者の欠
陥面の因果関係にまで理解されておられる方は極めて少なく、ましてや、聖心先生がご指摘された大胆
で破天荒な解決策には思いも行かないし理解も出来ず、大いなる戸惑いを感じられる方が殆どではない
かと思います。
なお、まず言語と国民性との関連で言えば、英語には、圧倒的な経済活動力を反映して、語彙の豊富
さから迅速性、明瞭性、簡便性があるのは確かでしょう。迅速性は話す速度や単語数、それに歌誌の一
音符に表現される語彙の多さからも理解できます。また中国語には豊富で厳密な意味を有する漢字文化
を反映して、豊かで多彩な表現が多く、コンパクトな表現力も、例えば何字以内にまとめるには最高のも
のであり、漢詩などには最適なものであるのも事実ですが、余りにも複雑な漢字が氾濫する余りに、逆に
漢字の意味の悪用や誤用から来る狡猾さ、誤魔化しなども多いのも事実でしょう。これらが米国人の勇
猛果敢な正義感をもたらしている面もあろうかと思います。英語は契約観念の重要性からも、経済活動
における会話などに最も適した言語とも言えるようです。
安穏なる国家社会の建設に向けて:177
また中国人の場合は、表現力の豊かな漢字を反映して、白髪三千丈式の誇大妄想的な大風呂敷の寛
大で大人の風格さえある大らかな国民性を生み出している反面、逆に漢字の有する魑魅魍魎の複雑怪
奇性、厳密性から迷路、袋小路に入って狂気に駆り立たせる嫉妬や妬みの強い攻撃性や狡猾性、そして
中華独善排他主義などの高慢な国民性を醸し出しているのも否めません。歴史的にも易性革命と称する
皆殺しの政権交代を始め、今日の中国の我が国に対する恫喝的な態度を見れば、実に中国漢語の文化
世界が反映していると思われます。
ところで日本は中国から漢字を中心に、様々な中華文明を導入してきたものですが、漢字と共に中華
文明を全面的に受け入れてきたわけではありません。既に菅原道真公の時から、最早中国から学ぶも
のは何もないと言って、遣唐使を廃止してきましたし、他にも可成り排除してきたものも多いようです。例
えば、科挙の制度、皇帝制度、宦官制度、人肉食、易性革命、墓荒らし、弁髪、纏足などでしょう。矢張り、
これは日本人の国民性に合わなかったと言うことでしょう。
なおこの漢字ですら、日本は決して盲目的に受け入れたわけではなく、先人達は可成り苦心して消化し
吸収してきたようです。この中国語の漢字・漢語は大変に意味のある奥深い言語であることは間違いあり
ません。それ故に、日本は大和朝廷以前に流入してきた漢字を受け入れて、それまでの大和言葉に漢字
を当てはめて、即ち、漢字を借用して万葉仮名を考案してきたものでしょう。それから漢字を単なる中国
式の音読み以外に訓読みを発明し、漢字を二種類に使い分けてきたものでしょう。今日の日本文明に果
たした中国漢字文明の貢献は計り知れないものがあるのは事実でしょう。
この漢字文化を日本独自の吸収、消化が、今日の漢語・漢字(音読み)と和語・平仮名(訓読み)の両方
を適当に使い分ける大変便利な日本を生み出してきたものですが、これは反面、平仮名大和言葉と漢語
中国語の二重言語国家を形成し、平仮名と漢字の折衷文体を至り、馴れ合い、もたれ合いの思考構造を
生んできたものです。即ち、平仮名、音読み中心の女性的な大和言葉から、漢語、訓読み中心の男性的
な漢語中国語の両極端の間を行ったり来たりしていて、芯のない中心が空洞化した言語思考構造であり
ます。これは本来の平仮名和語日本語が漢字漢語中国語により、便利で大いに役立った反面、思考的
に蹂躙され強姦され支配されてきたとも言えるようです。
今では、厳格な漢字文化に染まらなかった反面、曖昧模糊とした日本独自の文化が復活してきており
ます。これは「仮定のことには答えられない」などに現れているように、現在形中心の思考構造であり発
想論理構造であり、未来形志向が出来ないものであります。研究分野においても、欧米の研究者は、自
ら仮説を立てて実証していくような姿勢がありますが、日本では往々にして、仮説の提示自体が、証明さ
れていないものは無視するという姿勢が強いようです。何事も、仮定や仮説や仮想の積み重ねでの思考
や発想が大切なのに、日本では仮説や仮定、仮想の前提設定の排除から始まって、仮想敵国の想定す
ら思考しない、実に戦略的思考が全く出来ない論理的思考欠如を招来し、実に感性中心の情緒的な言
語感覚に陥っております。
偶々、幕末時から明治に掛けての日本人の国家戦略的思考や国民精神が、著しく高揚し鼓舞した進取
の気性に富んだ勇猛果敢な精神状況を生み出していったのは、実に江戸時代を通じた教育により、漢籍
の素養と共に漢字、漢語の中国語の世界に浸っていたからとも言えるでしょう。漢字や漢語の醸し出す
男性的語感が国威発揚に大きく貢献したことも事実でしょう。例えば、臥薪嘗胆、捲土重来、文明開化、
脱亜欧入、八紘一宇、鬼畜米英等々、数え上げたら切りがないほど、短い漢語や漢字の熟語が「寸鉄人
を殺す」ほどの強い語感、語調を提供してきたことでしょう。
実に日本語の変遷発達の歴史においても、平仮名大和言葉だけでは何処までも曖昧情緒的な雰囲気
になっていくだけで、人間の文明史は情報化社会の進展であるとしたら、とても進歩発展は望めなかった
し、また近代化や外来文化の導入にも大きく支障を来していたことでしょう。実に、こうした漢語、漢字の
御陰で、またその漢字を柔軟に器用に音読みと訓読みを併用させて、使いこなせて来た日本独自の創造
的対応が大きく貢献し寄与したことでしょう。これはこれなりに大いに評価するものであります。
安穏なる国家社会の建設に向けて:178
問題は、これらはあくまでも外来文化の受け身的で吸収には大いに役立ってきたものですが、即ち、平
仮名、漢字、そして片仮名の存在により、翻訳力により外来文化を貪欲に吸収して、効果的だったのは事
実でしょう。この翻訳は1970年代頃までは努力してきたのですが、1980年代からは努力を放棄して、
安易に片仮名で代用している有様です。そしてこの日本語の長所としては、何でも取り込める柔軟性、自
然と調和した情緒的、温厚的、情感的な国民性にも寄与してきているのも事実であり、また欠点としては、
情報の発進力が弱く、日本人の国民性として受け身思考、縮み思考、曖昧模糊性、優柔不断性を形成し、
今では役人根性とでも言える無責任性、問題解決先送り性を生み出して、国家社会の上層部から腐敗、
堕落させ、迷走、溶解させているのも事実です。
聖心先生がご指摘された「日本語を思い切って捨てる」というのも、実にこうしたマイナス面での「国民
性の変革」からの要請に他なりません。特に閉鎖的な島国から大きく脱却させられていくグローバル化時
代を反映して、今やかつての長所が短所に大きく転換してきている現状から、国民性変革に向けた歴史
的解決策に他なりません。この国民性は既に指摘しておりますが、現実直視が出来ずに、問題把握能力
や解決能力を欠き、事なかれ主義で曖昧模糊とした無責任性と出る杭は打つといった嫉妬や妬みの多
い国民性であります。他方では、変わり身の早い無節操や無定見性、無節操性であり、これは反転して
柔軟性、創造的改良性にもなっているものでしょう。
大東亜戦争終了後に、米国に帰国したマッカーサーが、日本人の国民性を表して「日本人の精神年齢
は13歳だ」と言ったようですが、殆どのマスコミは、怒りの抗議もせず、自戒的な反省もせず、何ら感情を
表さなかったと言います。正にこれこそ、無感動で無関心で無気力で無感性な日本人国民性の一端を現
しているものでしょう。この13歳の年齢だという真意は、実に幼稚、白痴、純粋無垢のナイーブで、馬鹿
みたいに欺罔、欺瞞されやすい国民性を観察して皮肉ったものでしょう。温和で素朴で純粋な国民性も、
見方を変えれば、精神年齢が13歳のナイーブな国民性と言うことになるのでしょう。
今では熾烈な国際社会の中では、日本の外交姿勢にも顕著に表れてきており、日本の常識が世界の
非常識になっており、また逆に日本の非常識が世界の常識になっている例が余りにも多いようです。この
日本の特殊事情を、逆に評価し居直る向きも多いようですが、これでは弱肉強食の新たな帝国主義、民
族主義が蔓延して、外交が獰猛化し脅迫化し恫喝化している中で、余りにも、土下座外交、謝罪外交、屈
従外交を礼讃するものでしかありません。今後ともグローバル化していく国際社会においては、日本人特
有の国民性でもって、情緒的、情感的、情景的で曖昧模糊とした悠長な感性に浸っている余裕はないの
です。確とした戦略的思考の展開、自己主張の出来る外交姿勢が求められているものです。
ところで、漢字の素晴らしさは、何と言っても豊富な意味を有していることでしょう。これが実に思索的、
哲学的、論理的思考に役立っていることでしょう。曖昧模糊の平仮名ではとても生み出せないものでしょ
う。恐らく、中国から漢字が伝来流入して、それに接した際の日本人の感想は、驚異と尊敬と羨望であっ
たものと思われます。然るに余りにも、複雑難解であったのも確かでしょうし、それまでの神代以来の大
和言葉に取って代わるだけの習得力もなかったものでしょう。それは島国という地政学的な環境が幸運
にも不運にも左右して、折衷的なものを生み出す余裕があったというものかと思います。
中国の古い漢語辞典である「説文解字」によれば、実に多様で多彩な漢字が列挙されております。例え
ば、馬にしても、馬の年令、毛色、大きさ、そして馬車の作り方などで、実に様々な馬に関する漢字、漢語
があります。また山でも、高くそびえる山、向こうにまで延々と連なる山、険しい山、孤立した山、なだらか
な山、木が多い山、こんもりとした山など、実に山を現す様々な豊かな漢字があるようです。それに漢字
は様々な漢字を前後に追加捕足して、新たな造語を生み出していく簡便性、発展性もあります。
なお、因みに、最も字画数が多い漢字は、龍が4個、田字型に集まった漢字であり、全部で何と龍が16
で掛ける4個で64字画数もあるようで、読みは「テツ、テチ」、意味は「言葉が多い、多言」と言う漢字です。
こんな豊富で多種多様で多彩な漢字は、確かに豊かな表現力、描写力があっても、現実の日常会話の
世界では全く使われないもので、ある意味では複雑極まって、会話には色んな問題も出てきているようで
安穏なる国家社会の建設に向けて:179
す。即ち、書き言葉としては豊かな表現ではあっても、余りにも多彩過ぎて、日常的には複雑怪奇になっ
て容易に使いこなせないものでしょう。
かつて中国周辺諸国は漢字を拒絶したり、部分的に取り入れたり、或いは席捲支配されていった経緯
がありました。大陸内部のチベットやモンゴル、満州などでは、漢字文化圧力に抵抗出来ずに支配され、
辛うじて周辺の半島や辺境地帯、島国などの地域で、漢字の侵略を食い止めてこれたようです。例えば、
現在、ベトナムでは漢字は使用されていず、韓国でもハングル文字であり、日本では漢字の音読みのみ
を受け入れてきており、独自の大和古葉を必死になって守ってきたと言えるでしょう。
ところで目下、韓国では、日帝時代を払拭廃棄していったがために、漢字を全て捨て去ってハングル文
字一辺倒にしてしまい、そこで再度、漢字の持つ長所を見直して漢字復活の動きもあるようです。これは
中国の影響かも知れませんが、韓国人の某有識者(呉善花女史)によれば、矢張り、日本人が編み出し
た漢字の訓読みは素晴らしく、韓国も、日本語に習って漢字の音読み以外に訓読みも併用すべきだと主
張しているようです。即ち、漢字の素晴らしさと、日本人が使っている漢字の音訓併用の優れた文化を絶
賛しているものです。
当方も、この漢字文化の持つ長所、即ち、表記するだけで意味が即座に伝達出来、また簡潔明瞭に表
現出来ることは何よりも優れた点であるのは否めない事実でしょう。また漢字の音訓併用の日本独自の
文化の素晴らしさも全く否定しません。中国語では漢字一色であり、それも音読みばかりで柔軟性に欠け
ているのが欠点でしょう。その意味では、現在の日本語は、本来の平仮名、漢字や漢語の中国語を音訓
取り混ぜて併用し、更には西洋外来語をカタカタで取り込んでいくような柔軟性を有した言語であるのも
確かでしょう。
こうした点を充分に勘案考慮した上で、今や長所が欠点と化し、むしろ今まで隠蔽されてきた欠陥面が
大きく浮上してきており、その欠陥面が最早修復出来ないほどに至っており、それが柔軟で多様で多彩
な日本語の長所が、日本語の乱れ、崩壊、溶解に至り、国民性との関連でも国家破綻に導くような大変
重大な局面に至っているものです。それが、一体何が正しいのかの評価や理解や判断も出来ない曖昧
模糊性、指導者すら選別出来ない混乱状態、無責任、問題解決能力の欠如などに顕著に表れてきてい
るものでしょう。この因果関係に気付いている者は残念ながら全く皆無のように思います。
なお、英語にも欠点があることは、「インターネットで日本語はどうなるか」の著者は、英語の書き言葉と
発音が大きく異なる面があり、その解決策として、不規則語を無くしプレーン英語(明瞭な英語)を提唱し、
具体策として、1.文章短く、2.能動態を用いる(受動態は避ける)、3.普段使う用語を使う(専門用語は
避ける)、4.読み手は「YOU」、書き手は「WE」とする、5.抽象名詞は避ける、などを提起しております。
なお明治時代の初代文部大臣であった森有礼も、英語の欠点を指摘し、その改良案を指摘しておりま
す。彼は日本語廃止論者であったと言いますが、実際は単に英語併用論者であったという者もおります。
彼も英語の限界や欠点を理解しており、現在、一部の有識者から指摘されているように、日本人が習得
しやすいように、不規則動詞を無くして規則動詞にするとか、発音とスペルと一致させるとかなどを独自
に提案していたようです。
ところで、中国自身が、余りにも中国語の漢字の複雑さを嫌って、どんどん漢字を簡略化して簡体文字
が氾濫しており、最終的には、漢字を廃止して、発音記号に似た「ピンイン」に統一するのではないかとさ
え思います。事実、中国語の習得には、漢字習得よりも、アルファベットで表現されるピンイン習得による
英語から入った方が良いとか言われるぐらいです。それに中国では、英語の必要性を痛感したり、迅速
的で積極的な英語の魅力に取り憑かれたかの如く、目下、急激な英語熱が広範に沸騰してきている有様
です。
なお、一部の有識者は、英語と中国語・漢字の混合が好ましいと真剣に模索している動きもあるようで
す。即ち、英語の間に漢字の熟語を取り込んでいくことで、漢字の形や表現を見ただけで、一目瞭然に理
解出来る長所を導入することを提示しているものです。当方はその是非に関しては何ともコメントしようが
安穏なる国家社会の建設に向けて:180
ありませんが、万一、日本人が英語習得に、国民総決起で取り組むならば、かつての漢字に訓読みを付
けていったように、英語にも日本語をどんどん取り込んで大きく使い易いように変質させていく柔軟性や
創造性を発揮出来るのではないかと思います。
既に、日本人独特、特有の創造性や柔軟性、無節操性を発揮して、リストラ、コンビニ、テレコム、パソコ
ンなどの様々な英語を簡略化して使っているのが現実であります。この調子で英語の迅速性、明瞭性、
積極性を大いに吸収しながら国民意識を変革し、併せて柔軟性や創造力を発揮して、日本語特有の単
語や擬態語、擬音語などの語彙や言い回しを普及して行けば良いかと思います。現在でも、スシ、カイゼ
ン、ツナミ、テンプラなどの随分多くの日本語が英語にも導入されておりますが、これらは殆どが単なる単
語程度であり、英語の根本的な部分まで侵略しておりません。日本語を思い切って捨てた暁には、日本
人はフランス以上の高級感溢れるフランス料理を作り出したと同じように、世界統一言語を編み出してい
くのではないかと思います。
即ち、日本語を思い切って捨てると言うことは、単に日本人の国民性の変革のみならず、世界の指導国
家に大飛躍する可能性もあり、これは示唆だけはしておりますが、具体的には神道文化の普及もありま
すが、英語の改良化もあり、世界統一言語への改訂もあろうかと思います。聖心先生がご指摘された「日
本語を思い切って捨てる」というのは何も植民地支配に甘んじて、決して宗主国の文化に服従するという
ものではなく、日本民族のあくまでも大いなる発展を期したものであります。
この日本語の文体が現在のように完成したのも、精々が百年前であり、当時は候文から、平仮名大和
言葉文、漢語書き下し文、それらの折衷文体、そして西洋外国翻訳調文体もあって、大混乱であったもの
です。そんなわけで、日本語自体が、日本古来の貴重な文化遺産であるというのも、中味を見れば実に
変転流転が激しく、変質し改竄され浸食されてきたかが理解できるかと思います。日本人が伝統と文化
だと思っているものが、案外、破壊され改竄されて変質してきていると言うことであります。前にも言いま
したが、今や、幸せな(幸福な:ハッピーな)暮らしを(生活を:ライフを)楽しむ(享楽する:エンジョイする)
の組み合わせで、実に多様な何種類もの日本語文体がが可能になっている有様で、これは実質的には、
単なる便利さを越えて、崩壊寸前であると言うことでしょう。
日本語を捨てると言うことは、恰もちょんまげを捨てる、和服を捨てる、畳を捨てるなどと同じようなもの
でしょう。勿論一部では有効でしょうが、何処までも頑固に固執するべきものでもないでしょう。それこそ、
日本人の柔軟性により、如何様にも成るものではないかと思います。何よりも日本語を捨て去るのは、国
民性の変革に他ならないのであって、これは国民全体が参加して意思を統一し、多数決により決定され
るべきものでは無いように思います。何故なら、殆どの国民が、どうして自分の国民性を変革する必要が
あるのかと猛反発するのが必至だからです。
追記43.某著名作家の日本語に関するコメントを紹介 投稿者: 不動明王 (2005年1月25日)
『「わがまま」のすすめ』(堺屋太一著 東京書籍出版 2004年12月)の本を読むと、そこに作家の堺屋
太一氏の日本語に関するコメントがあった。これまでの「週刊新潮」などの雑誌に投稿した文章をまとめ
たものだが、当方自身が全く読書もしないでいたために、殆ど気付くことがなかったものだ。今になってあ
らためて読んでみると、多くの者が日本語に関して深く考え憂いていたことが解っただけでも大いに収穫
があった。
ここにおいて、堺屋太一氏は、作家だけあって、なかなか上手く、日本語の歴史的経緯や性質や欠点、
そして現状の問題点などを、実に広範に亘って客観的に抽出し把握し、真実に迫って分析し評価してい
るもので、当方にとっても大いに参考になるものだ。最先端を行く有識者が、日本語に関して如何に考え
ているかを知るだけでも、大変役立つものだ。
ここで、氏は最後に、現在の日本語に関する問題として、日本語の乱れを指摘するが、その解決策とし
ては、単に「明確な意味のある美しい日本語」をというだけで、乱れきった現在の日本語の解決策を具体
安穏なる国家社会の建設に向けて:181
的に提示しているものではない。矢張り、優秀な堺屋太一氏ですら、現在の日本語を取り巻く種々の問
題を、「明確に意味のある具体的に問題解決する方策」を提示出来ていないようだ。どうしても、普通一般
の作家や評論家と同じく、新しい大胆な解決策を提示し切れていないのが残念だ。
もっとも余りにも大胆で方向違いなものでも困るというものだ。例えば、加藤秀俊氏は漢字を無くせと主
張しており、梅棹忠夫氏は、漢字を廃止してローマ字表記にせよと言っており、他にも多くの有識者は、
西洋外来語を使用禁止にしてカタカナを排除せよと言ったりしているが、堺屋太一氏は、「美しい日本語」
という言葉で誤魔化している点だ。正にここにこそ、日本語の曖昧模糊とした情緒的な欠陥があるという
ものだ。
それでも一方的な日本語の礼讃論者ではなく、日本語の歴史的役割を多大に評価しながらも、現在の
日本語に対して危機を痛感し、警鐘を鳴らしている点では大いに評価出来るものだ。既に雑誌などで紹
介しているものであり、知っている方もあろうが、参考までに再度、以下に、堺屋太一氏の日本語に関係
する部分の全文を紹介しておこう。
「わがまま」のすすめ
「わがまま」のすすめ
日本を創った「言葉の創造力」
言葉が創った近代日本
言葉は知的努力の集積である。その言葉が日本で衰えているとすれば、この国の知的努力が減退して
いろ証だろう。
実際、この二十年ほどの間、日本語を正確で多様でわかりやすく、そして美しくしようという努力は、か
つてないほどに衰退した。高校生や大学生の言葉の乱れや味わい深い地方弁の消滅のことだけではな
い。言葉を操る知的作業者の努力不足こそ目を蔽いたくなるほどだ。
例えば機具や新手法に関する名称の翻訳努力の停止、映画の題名の記号化、政治言論における論理
の喪失などがそれである。これらすべては、今の日本人の知的怠慢の証拠といえるだろう。
日本人は、古米、言葉創り多大の努力をしてきた。この国の言葉創りの中でも特筆すべきは、漢文の訓
読と仮名文字の発明である。前者によって中国の文献を日本語で理解できるようになり、膨大な数の語
法や語彙を導入することができた。これほど巧妙な翻訳法を普及させた民族は珍しい。このおかげで、今
日のわれわれも、ほんの僅かの勉学で、まったく話せない中国語の文献や新聞を読むことができる。
後者、つまり仮名文字の発明も、それに劣らない。これによってこの国の言葉を簡便でしなやかに書き
留めることができるようになり、早くから女性にも習熟されていた。
日本は、古くから外来文化の導入に熱心であり、巧妙でもあった。多くの技術では、導入して四十年経
つと師の国を超えるまでに上達した。銅を溶着させて巨大な銅像を造る技術も、鉄を鋳て鉄砲るを造る技
術も、そうであった。
その半面、この国は、自らの倫理と美意識と自然環境に適しない外来文化を厳しく拒絶した。その中に
は、道教思想、易牲革命、宦官制度や初期キリシタンなどがある。
このような熱心を導入と厳格な選別ができたのも、外国語の文献をこの国の言葉で読む技法と、この国
の言葉を語るがままに記す手法とを両用できたからであろう。
こうした言語的努力の慣習は、明治の文明開化においても遺憾なく発揮された。幕末維新の人々は、
洪水のように押し寄せる近代文明の新概念のほとんどを漢字表記の日本語に翻訳して定着させた。そ
の中には、鉄道、郵便、電信、金融、法律、医学薬学、軍事に関する諸用語から、企業組織や会計制度
に関する呼び名までが含まれていた。
二十世紀の今日でも、「定期預金」や「貸借対照表」といったものを指す自国語を持たない国は相当に
多い。そこでは「タイム・デポジット」とか「バランス・シート」という外来語をそのまま使うか、「一定の期日
安穏なる国家社会の建設に向けて:182
まで引き出せない預け方」とか「左に資産を右に負債や正味資産を書いた紙」といういい方をするしかな
い。このことが.近代的な金融や経営の普及を難しくしていることは甚だしく.発展途上国の経済協力事業
に当たった人々を嘆かせた。外来語をそのまま使用することは、文化的階層的な障壁を感じさせ、経営
の近代化と新規起業の拡大を妨げるものだ。
それに比べて日本では、幕末維新の文明開花とともに、近代的な技術と制度と組織に関する用語をま
ず日本語に訳した、というよりも日本の伝統と風土に適した近代的概念を創って適切な名称を付けた。こ
のことが、明治から昭和に至る日本の近代化を促進し、近代的な組織と産業に、全国全階層の参加を促
すことになった。これを抜きにしては.明治初期の銀行設立ブームや近代郵便の猛烈な普及は考えられな
い。
明治の文明開化に当たっての技術や制度の導入に関しては、多くの伝記や神話が作られている。これ
に貢献したお雇い外国人のこともよく語られている。だがその技術や制度を広める基礎となった言語的努
力、翻訳語の創作と概念の定着に努めた人々のことは、あまり語られることがない。この点、多くの訳語
を創った栗本鋤雲、福沢諭吉、成島柳北らの業績は高く評価すべきだろう。
もちろんこれには、幕末の日本の商工業がかなりの水準に達しており、金融や経営に関する概念が相
当にできあがっていたことも見逃せない。また、寺小屋や修養塾などの教育機関が普及していたことも効
果があった。
明治維新の年(一八六八年)、すでに成人した男性の四十パーセント、女性の三十五パーセントが寺小
屋などの教育機関に通った経験を持ち、読み書き算盤の知識があったといわれている。同じころ、世界で
最も進んだ工業国のイギリスでは、教者機関に通った経験を持つのは成人男性の二十五パーセントだけ
だった。当時のイギリスには女性の入学を認める教育機関はなかったのである。
教者熱心な日本人は、それでもこの教育制度に満足しなかった。維新のあとでは、早々と近代的学校
教育の仕組みと仕方を採り入れ、教科書・椅子式による小学校の設置に力を注いだ。幕末維新の先人た
ちが創った新概念が全国民に広まったのは、こうした決断の成果である。
漢字表記の利害
日本で外来の近代概念が広く伝わり早期に定着したのには、日本語の持つ構造的性格的な利点が大
いに作用している。その最大のものは、漢文訓読以来の伝統で、漢字表記によって高度難解な新概念を
日本文に容易に挿入できたことだ。
漢字には一字ずつ意味がある。このため、外来語や新造語でも漢字で表記すれば、その字面だけでお
およその意味が推定できる。このことは、外来語や新造語を取っ付きやすいものにも.憶えやすくもした。
明治から昭和にかけて流入した科学技術や経営経済に関する何万もの近代用語が、国民大衆に普及し
たのには、-この効繋が大きかった。
例えば化学や物理の学術用語がすべて外来語のカタカナ書きだったら、生徒学生の習学はずっと困難
だったろう。経営や法律の用語がみな外来語だったら、中小企業や一般家庭に近代的な経営や民法の
概念が普及するのはずっと遅れただろう。
私には、中国の人名や地名は漢字のほうがずっと憶えやすい。読むのも速いし、誤解や混同も少ない。
ただし中国の固有名詞を漢字日本式音読で憶えためでは、会話はもちろん外国の新聞も読み辛くなる。
小平(トンシャオピン)や江沢民(リャンズーミン)はわかるが温家宝(ウェンジャーパオ)になるとわからな
くなる。王朝名でもQINとQINGを、前者が秦で後者が清と知るにはそれなりの手間がかかる。
もっと大きな問題は、漢字が意味を持つため、訳語によって誤った印象与えてしまうことだ。例えば幕府
の外国奉行だった栗本鋤雲が、ネーヴィー(NAVY)という英語を「海軍」と訳した。このため日本では、ス
イスやチェコなど海に面しない国々の「海軍」は奇妙に感じられる。もともと”NAVY”には航行の原義は
含まれているが、海とは限らない。ボーテン湖にもドナウ川にもネーヴィーがいるのである。「鳴く鳥」の原
安穏なる国家社会の建設に向けて:183
義から発したスワン(SWANN)を「白鳥」と訳したから、オーストラリアの黒い白鳥は収まりが悪い。
もっと実害があったのは、戦後にコンピュータを「電子計算機(電算機)」と直訳したことだ。このため日
本では、一九七〇年ごろまでコンピュータを電子算盤程度にしか考えない者が少なくなかった。これがこ
の国でのコンピュータの利用範囲を限定させ、ソフト・コンテンツの普及を遅れさせたとの指摘もある。こ
の点、中国はより巧妙で、コンピュータに「電脳」という訳語を付けた。このほうが.実態に適応している。
成功した言葉・失敗した言葉
日本人の外来語を適切な日本語に訳す努力は、昭和になっても衰えない。しかし、明治以来の専門教
育が定着し、各分野に高等教育を受けた「泰斗」や「長老」ができあがると、翻訳事業は独善的になり、敢
えて難しい--日常用語からはかけ離れた--ものになる。維新から第二、第三世代が翻訳した西洋
哲学や財政学に関する専門用語がそれである。
近代工業社会では、知識と職種を細分化し、そのそれぞれに専門家を育て閉鎖的な職縁社会を作った。
各分野の専門家は、他からの評判と職域侵害を避けるために、隔絶した人脈と知識体系を創り上げよう
とした。日本語に訳される専門用語が日常の言葉から断絶したものになったのは、専門家たちの自己防
衛意識も働いていたためであろう。
その最たるものは軍事組織だ。陸海軍では兵営や鑑内で用いる言葉に独特のいい回しと名称を用いて、
いかにも専門技能者らしく振る舞っていた。軍務大臣現役制や指揮権継承の兵科優先などは、こうした
言語性によっても通りやすくなっていた。
しかし、太平洋戦争後にわかったところでは、昭和の軍人たちの知識は古く、国際情勢も補給組織も、
航空機や潜水艦の用法も、偵察情報の重要さも、まったく理解していなかった。言語の壁によて他からの
批判を免れようとする者は必ず退廃する。戦前の陸海軍も平成の金融業界も同じである。
それでも戦前には、言論界での競争は盛んであり、名訳名言が次々と創られた。昭和になってからも
「百貨店」、「摩天楼」、「流線型」などわかりやすい訳語ができた・「自動車」、「電話」、「放送」などもそれ
たろう。なかでもオリンピックゲームを「五輪大会」と訳した川本信正・読売新聞記者の命名は大したもの
だ。
こうした翻訳努力は、つい最近、一九八〇年ごろまで続いた。戦後も人口に膾炙した名訳がいくつもあ
る。戦前のリーグ・オブ・ネーションズを「国際連盟」と訳したのに対し、戦後のユナイテッド・ネーションズ
を「国際連合」、略して国連としたのも名訳だ。これが今日風の略号で「UN」だったら、今ほどの権威は得
られなかったのではないだろうか。インターナショナル・バンク・フォー・リコンストラクション・アンド・デベロ
ップメント(国際復興開発銀行)という長くてわかりにくい名称の機関を「世界銀行(世銀)」としたのも五輪
並みの名訳だ。これが「IBRD」なら、日本ではなじみのないものになっていたに違いない。
翻訳の放棄
しかし、こうした知的努力も、八〇年代のバブル景気とともに消えてしまった。
ことのははじまりは、やっぱりコンピュータだったようだ。コンピュータを電子計算機と訳した失敗に懲り
てか、これを扱う技能者にアメリカ帰りが多かったせいか、七〇年代末から続々と世に知られるようにな
った部品や用法の名が、日本語に訳されることもなくカタカナのままで通用した。これが八〇年代に入っ
てからのパソコン・ブームで大衆の間にも拡まったわけだ。今は数十種類もあるパソコン雑誌は、記事の
三割ぐらいはカタカナで占められている感じだ。
これを見て他の業界も翻訳努力を怠ってカタカナのまま使い出した。英語発音カタカナ表記は書きやす
くて無意味だから知的作業は要らない。欠点はやたらに文字数が多くなることだ。このため人口に膾炙す
ると、適当な短縮表現が生まれる。パーソナル・コンビュータをパソコン、コンビニエンスストアをコンビニと
略したのは八〇年代の成功例だろう。こうして紙面にカタカナが増えると、これに乗って怠惰になる業界
安穏なる国家社会の建設に向けて:184
が現れた。その最たるものは外国映画輸入業者だ。映画にとって題名は重要と思われていたので映画
輸入業者も配給会社も懸命に知恵を絞った。それだけに内容をいい当てた見事を題名が生まれた。「大
いなる幻影」「旅情」「真昼の決闘」「昼下がりの情事」など原題以上に美しく内容にも敵ったものが出た。
ところが八〇年代に入るとそんな努力は放棄され、原題をそのままカタカナで表示するものが多くなっ
た。なかには長々とカナ文字を並べなからも意味不明というものもある。「プライベート・ライアン」を「ライ
アン二等兵」(なぜそうしなかったのか)という意味だと知る者は少数派、むしろ「私的なライアン」と思い込
んでいた人も多い。
こうなると、.映画の題名は単なる記号で、それによって内容や雰囲気を発散する「言葉効果」のないも
のになってしまう。映画産業は知的努力の大きな部分を放棄してしまった。
人間は怠惰になりやすい。出版社もテレビ葉界も、これに倣って英語発音カタカナ表記で済ます傾向が
拡まった。特にひどいのは霞ヶ関の官僚たちだ。カタカナのほうが国会でも記者団からも突っ込まれない
と思って、官庁文書にやたらとカタカナをちりばめた。さすがにわかりにくいとの批判があり、国立国語研
究所が六十二語のいい換え語例を発表したが、あまり上手とはいえない。知的努方の怠慢で能力も低下
したのだろうか。
一方、新聞などでは、カタカナ書きでは字数が多いという問題が生じた。新聞の活字の大型化で一行十
一~十二字になると、これが重大な支障になった。だがその解決法は、より悪いほうに向かった。英単語
の頭文字を並べたローマ字二ないし四文字の略号を使いだしたのだ。
日本の場合、新聞などは略号の初出の次にカッコ書きでその意味を漢字表記で説明しているが、もと
の英語を記載していないからわかりにくい。そのため、千字ぐらいの短い記事でも、何度もはじめのほう
の略号注記を見直しながら読まねばならない。
略号には、情緒ばかりか内容を想像させる何ものもない。だから、これが増えると余程前後関係を心得
ていなければ会話も文書も通じない。UFJとUSJと、どちらが銀行でどちらがテーマパークかもわからな
くなってしまう。企業名をいつもローマ字三文字にするのもいい加減で止めてほしい。
略号には、同じ字でたくさんの意味を持つものがある。さる高名な政治宝が、「CDには八つの意味があ
る」といって、コンパクト・ディスク、キャッシュ・ディスペンサー、譲渡性預金、クリエーティヴ・デザイナーな
ど八つを並べたところ、番記者から「まだ、クリスチャン・ディオールと中日ドラゴンズがありますよ」とから
かわれたという。因みに英語の辞典を引いて見ると、「シヴィル・ディフェンス(民間防衛)」という思いがけ
ない意味が第一に出ている。ローマ字略号は国際的に通用するが、同国人でも同業者にしか伝わらない
ようだ。
美しい日本語を
英語発音のカタカナ表記もローマ字表記の略号も、それ自体は意味のない記号に過ぎない。意味のな
い言葉は美しくない。日本語は今、美しさも利便さも失いつつある。外来語をこの国の言葉に翻訳しようと
いう知的探求心の衰え、外来の題名や部品、用法を日本の言葉として理解したいという知的な冒険心の
喪失、そうしたことが、流行歌詞までを意味不明の横文字まじりに変えている。
明治以来、数々の詩人が唱歌や歌謡曲の歌詞を書いて、この国の詩集と音楽と娯楽を華やかにしてく
れた。北原白秋、野口雨情、西条八十らの作詞は、日本文化に深みを与えたといえる。
だが、そんな情緒と幻想を追えたのも、私たちの世代の者には小椋住や阿久悠までだ。最近の新人歌
手がエレキギターとともに大声を張り上げる流行歌詞には意味不明のものが少なくない。意味のない言
葉はけっして美しくない。それは国会問答でも同じだ。政治家も官僚も、意味のある美しい日本語に心掛
けよう。
日本の言葉は、明確な意味のわかる言葉を創り出して世に拡める側の知的努力の低下、いわば日本
社会全体の知的怠慢によって、危機に陥っているのである。
安穏なる国家社会の建設に向けて:185
追記44.何と英語の本場イギリスが、氾濫する米語を嫌悪し排斥に至っているようだ・・・ 投稿者: 不
動明王(2005年1月27日)
今や英語と米語と差異が明確になってきた。これは米国の方が経済活動が盛んであるがために、英語
をより発展して、語彙を豊富に製造し生産し創造しているからだ。かつての世界経済の中心であった英国
も、今ではその中心的位置を米国に取って代わられた。京都大学教授の中西輝政氏は、大英帝国衰亡
史などの大部の本を書いて、大英帝国の衰退を背景や理由を詳細に分析しているが、そんな面倒な本
を読まなくても、簡単に言えば、経済の中心を担っていたユダヤ人が英国から米国へと移動していったか
らだ。
矢張り言語の発展性や拡張性は,経済活動に比例するものだ。その意味では、今では英国よりも、米
国の方が圧倒的だ。従って、英語も衰退し米語が大発展しているのが現実だ。それは語彙の豊富さや創
造性、浸食性などに現れているものだ。即ち、今や英国自身が、米国発の英語の語彙を導入している有
様だ。それに以下の報告を見ると、何と5年後には世界で20億人が英語を学ぶという。そして英語が母
国語の人を足せば、いずれ地球上で2人に1人が英語を話す時代になると言う。こうなれば矢張り、英語、
特に米語が世界共通の統一言語となるのだろうか。
毎日新聞紙2005年1月26日付け報道
「米語」の侵略
本家「英語」の保護主張
「英国では「米語」パワーの増大を論じる本が注目を集める」
「英国のテレビは『米語』ではなく『英語』を使うこと」。03 年1月、労働党のバーンズ下院議員がこんな法
案を英議会に提出した。エレベーターではなくリフト、バケーションと言わずホリデー、ムービーの代わり
にフィルム!!。禁止用語がずらり並べられた。
過激な主張は否決された。「それでも、人々に警鐘を鳴らす効果はあった」と語るのは、一緒に運動した
元ラジオ記者のニック・ジョーンズさん(62)だ。「米国のテレビ番組を見て育つ子供たちが、救急車を呼ぶ
時の電話は 999 番(英)でなく 911 番(米)だと言うようになった」と米メディアの影響を嘆く彼は、英語の「絶
滅」を防ぐため、米語と異なるつづりをリストアップし保護を主張。「バンク・オフ・イングランド」(イングランド
銀行)をもじって、これを「バンク・オブ・イングリッシュ」と名付けた。
英文化普及機関「ブリティッシュ・カウンシル」によると、5 年後には世界で 20 億人が英語を学ぶという。
英語が母国語の人を足せば、いずれ地球上で 2 人に 1 人が英語を話す時代になる。ところが、英語の本
家本元である英国人の心境はいささか複雑だ。
朝の BBC ラジオ番組で司会進行役を長年務めてきたジョン・ハンフリー氏は、最近出版した著書「言葉
に詰まって」の中で「我々は自分たちの言葉が世興共通語だと言いたがるが、それは英語ではなく米語
だ」と皮肉った。「かつての植民地(米国)が我々の栄誉を盗んだことへのうらみ」が英国民の心の中に生じ
ている、という。
90 年代前半の調査では、英国人の 5 人に 1 人が「米語のアクセントはイライラする」と回答している。元
からの抵抗感に加え、フリーダム(自由)やデモクラシー(民主主義)を乱発するブッシュ米政権の登場が、
反感に拍車をかけた側面もある。「自由や民主主義の定義は米国人と我々では異なる。英語は米国の
大統領にハイジャックされてしまった」とジョーンズさんは苦々しげだ。
だが、フランスに見られる排外的な「母国語」保護の空気はむろんない。かつてマクミラン英首相がケネ
ディ米大統領に語ったように、世界帝国の座を米国に綴った英国は「ローマ(米国)に対するギリシャ」なの
だ、という達観とペーソスがどこかに漂う。たかが単語のつづり、されどつづりの、兄貴分の意地とでも言
安穏なる国家社会の建設に向けて:186
えばいいだろうか。
【ロンドン小松浩】
追記45.米語の未来について 投稿者: 豊松 (2005年1月26日)
米語が世界語であることは今後も変わらないと思います。しかしそれが好ましいかといえば疑問に感じま
す。世界で最も浸透している英語はハリウッド映画でお馴染みの米西海岸方言です。さて近年その地域
はスパニッシュ移民の浸透が甚だしいです。そしてこの傾向は今後の半永久的に続くと思われます。したが
って米語はスペイン語の影響を受け変化し続けるのでしょう。スペイン語に日本語同様に母音が5つであ
ったり、スペリングの混乱がありません。米語がその影響で簡単になってくれれば良いのですが、ただし
変化し続けるというのはとても不安定な状態であり、英語学習者にとってまた難しい問題が増えたという
ようなことにもなりかねません。私はそのことをちょっと懸念しています。
追記46.日本語革命のための現実的提案 投稿者: 豊松 (2005年1月27日)
(2005年1月27日)
私は英語を母国語にすることにも中国語を母国語にすることにも反対です。新しい日本語は日本人の手
によって創造されるべきだと考えます。しかしながらそれは壮大な夢であり、非現実的だといえます。
未だかつて言語を一個人が創造し、なおかつそれが大衆に浸透したという事例はありません。エスペラント
はそれに極めて近いですが、それでもそれは人工語にしてはという基準での話であり、使用者の絶対数
で見るならば、まるでたいしてことはありません。
一個人あるいは少数の者でも出来ることがあるとすれば、それは文字の創造でしょう。
中国人にとっての漢字。韓国人たちにとってのハングル。民族の独自性・自尊心を保つものとして文字の
果たす役割はとても大きいといえます。
漢字のような表意文字を作るのは容易ではありませんが、表音文字ならば十分可能でしょう。
追記47.荒海外洋を航海していく日本丸は、難破漂流を前に沈没を免れるべく、日本語という積み荷を
思い切って捨て去るを得ない時が来るだろう 投稿者: 不動明王 (2005年2月2日)
日本語という積み荷を満載した日本丸も、波も穏やかな内海や入り江を順風漫歩に航行している時は
何ら問題はなかったと言えるでしょう。然るに、現在や今後とも、グローバル化した国際環境の中を、実に
荒海の外洋を航海していく際には、日本丸は予期していなかった幾多の障害に揉まれ遭遇して行かざる
を得ないでしょう。下手すれば、難破し漂流し沈没していく危険性もあるというものでしょう。そこで、この
沈没と言う非常事態の発生を回避し免れるためには、日本語という積み荷を思い切って捨て去る時が来
るだろうと言うことです。
難破し漂流している船で、急迫化してきた沈没という厳然たる現実を前にして、日本語という荷物・積み
荷をどうするか、思い切って捨てるか、非常事態でこそ判断できるものであり、通常の平凡な思考では、
則ち、平和、平時では何も思考できないのがの人間の常でありましょう。バラバラな日本語という積み荷
を、如何に整理するかではありません。則ち、奇麗で美しい正しい日本語とは一体如何にあるべきかなど
を悠長に堂々巡りをしている論議している段階では最早ありません。積み荷を奇麗で美しく正しく整理整
頓をしていれば済む話ではありません。如何に思い切って捨てるかは、生命の安全が掛かっているとも
言え、国民性の変革と日本民族の発展か消滅かが掛かっているとも言えるものです。
人間誰しも、自分自身の性格や食習慣、生活信条、嗜好品などを、思い切って捨てて改訂せよなんて
言われて、はいそうですかと同意する者など殆ど居ないであろうし、それが人間的常識というものでしょう。
簡単に同意できる場合があるとすれば、難病や奇病と言った非常事態が発生してきた際でこそ可能であ
り、その折りには、その病気との因果関係を真摯真剣に考えていく余裕が生まれて、耳を傾けるであろう
と思われます。
安穏なる国家社会の建設に向けて:187
日本丸の積み荷の日本語にしても同じことが言えることでしょう。平時では、思い切って日本語を捨てる
ということを、幾ら因果関係を説明しても、余程の達観者や先見性、洞察力を有した者でない限り、賛同
することなど不可能でしょう。昨日も某講演会で、講師が、9割を占めるナイーブな日本人の国民性を、今
や根本的に変革しなければならないと警鐘を鳴らしていました。余りにも現実を直視できず、また真実を
理解することも出来ない幼稚な国民性を嘆いて言われたものです。解決策に際しても、ただ一人一人が
目覚めていくことだと言っておられました。
そこで当方が講師に向かって、例え、国民の各自が目覚めたとしても、1割でしかない、後の9割の大
多数の国民に向かって、幾ら真実を解いても、「それは貴方の考え過ぎだ。それは無茶な考えだ」などと
言って真剣に考えようとしない国民性の原因と最終的な解決策を問い質してものですが、殆ど現状分析
だけで終始し、大した提案もなかったようです。実にナイーブな国民性の原因こそ、実にナイーブな日本
語の使用に他なりません。則ち、温和で情緒的で曖昧模糊の素朴な語感のある、ある意味では無責任で
不明瞭で意志薄弱な言語感覚自身であろうかと思います。それ故に聖心先生は、「思い切って日本語を
捨て去ることだ」と申されたのでしょう。なお、帰りの懇親会の場で、日本語を巡る当方の見解に対して、
長らく抵抗し疑問に思っていた知人の方が、漸く当方の指摘することを奥深く理解でき納得できたもので
した。
37.敵前強行突破の一大転機・一発逆転・起死回生・一網打尽と成り得るか(2004年7月19日)
某団体が小論文を募集しているので、投稿案を書いた。別に全部投稿するわけではなく、目下、厳選し
検討中だ。中には先生が「これは君が専門家でもないから言うべきではない。無視されるだけだ。権威を
付けてから言うべきだ」と言われたのもあるが、今やペンネームだし、何でも良いと言うから、専門性や権
威などに囚われなくても構わないのではないかと思う。またアイデアを盗用されても別に構わないと思う。
今更天罰を喰らうだけだろうと判断した。
この募集は、一言で総理や国家を動かすような内容のもので、採用されれば、当団体が出版や講演、
雑誌投稿などで協力すると言うことだ。内容は何でも良いということで、一人で何回でも応募可能と言うこ
とだ。万一、評価採用されれば、これにより当方の境遇が大きく転換する契機となるだろう。正に聖心先
生が、「皆がビックリするだろう」、「専門とも縁が切れるだろう」と言ったのは、実にこのことではなかった
のかと思われる。
そして「ボクのことは某技術案件に便乗していくだろう」と言うのもこのことであったのかと、今更ながら
思い起こされるというものだ。送付してもHP作成でも大した反応が無かったが、これまでのものは、全て
単なる伏線であり布石であり、捨て石であったのだろう。実に長い間、心の片隅で忘却しないで鮮明に刻
まれていたものだ。先生が、平凡でボケで行けと言われたのも、実に周囲の邪念波動を受けないことを
戒められたものであろうと思われる。
それにしても山岳修行を終えてから急激に境遇が変化していきそうだ。矢張り、守護神である龍神さま
のご協力としか思えない。また近い内に感謝の山岳修行に挑戦するつもりだ。その場所は誰も知らない
聖地である。恐らく聖心先生の御霊が宿る場所では、世界広しと言えども何処にも無く、唯一の場所であ
ろう。聖心先生も「小さなところ(当方自身)から大きく発展するだろう」「吾々のことは後世においてテレビ
などで伝えられていくだろう」と言うのも、今回の投稿が契機となっていくのではないかと思われる。正に
裏が表に大変換するということだろう。
当方もあれこれと思案したが、今更、選別しても仕方ないので思いきって全部投稿することにした。最後
に投稿したものは、何と受付順番が434番だった。全部で500件以上もの膨大な量の投稿があったよう
だ。その中で当方の投稿文は全部で57件で約1割強と言うことだ。当方自ら選別するのも面倒だし、選
別は先方にさせることにした方が、先方や周囲の考え方や感触が解るというものだ。
それにしても、当該団体は今から選考をし年内で最優秀賞を決定するとはのんきな話だ。それ故に、某
安穏なる国家社会の建設に向けて:188
技術案件に関しては、「もっと早くからやっておけば良かった」と後悔するのだろう。もっとも、何も関心も
感動もなければ、最早日本はお仕舞いだろう。某掲示板投稿者のような阿諛嘲笑のノー天気の状況では、
日本有数の某団体と言えども救いがたい縁無き衆生と言うことだろう。世間をアッと言わせるような投稿
を期待すると言う割には、果たしてそのような崇高な内容を評価出来るのかどうか甚だ疑問だ。
従って、むしろ全部投稿した方が大きな賭になろうというものだ。あらゆるジャンルにまたがったもので、
実に一発大逆転の一網打尽の関ヶ原を仕掛けたとも言えるだろう。正に聖心先生が言われたように「皆
がビックリするだろう」「皆が付いてくるだろう」「もっと早くからやっておけば良かった」「経済界から引っ張
るだろう」等と言った一連の予想も、これが契機となるのかも知れない。
もっともっと投稿することも出来るが、ここらで止めておこう。それにしても次から次へと壮大な智恵が湧
いてくるものだ。これらは殆ど聖心先生との対話で生まれたものだ。心から先生には感謝する次第であり、
最後には大いなるお返しをしなければ天罰を喰らうだろうと思っている。先生の最後に返してくれれば良
いと言っておられた。決して摘み食いや食い逃げをしてはならないと言うことだろう。即ち、先生を利用し
てはならず、先生の偉大な教えや示唆を活用して、日本の国家社会の改革に役立てて行って欲しいとい
うことだろう。必ずや先生との堅い約束を果たして見せよう。
第1回投稿内容 (2004年6月15日~7月15日)
作品(500字以内)
1.ニックネーム:日本列島噴火爆発:国土開発・利用:55
画期的な火山灰利用新素材技術に基ずく新日本列島大改造の実践により地球国家再生へ
世界最大の未利用資源の火山灰を活用し、高い強度、断熱、耐火、耐久、防水・防湿、殺菌・防カビ、耐
酸・耐アルカリ、意匠性等を有する画期的な多機能新素 材を紹介する。新素材は、適切な補強材との組
み合わせで、鉄鋼や樹脂、木材等にも代替可能な材料特性を有するから、従来のコンクリート、レンガ、
タイル等 の建設材料を始め、船舶、車輌、タンク、管等の鉄鋼・機械や樹脂・木製品など広範な用途に
及ぶものだ。火山灰は微細な結晶で吸水性に富み、脆く取り扱い困難で厄介な廃棄物だが、新素材は
従来の砂利や礫などの骨材表面を独自の火山灰モルタルで被覆して堅固な被膜体を形成し、常温常圧
の無焼成で安価に固化製造が可能だ。骨材には火山礫や殆どの産業廃棄物が適合し、放射性高レベ
ル産業廃棄物の処理にも効果的だろう。火山灰利用新素材による国家的プロジェクトの推進により、現
下のコンクリートや鉄鋼、樹脂、木材等を巡る諸難題の有効解決から、内需拡大、国土開発、省資源・省
エネ(炭酸ガス排出削減)、各種産業廃棄物処理、河川・湖沼の浄化、砂漠の緑化、地球自然の再生等
に多大な効果を招来し、国内外を起死回生する歴史的材料革命・産業革命になるだろう。
2.ニックネーム:日本語鑑定改訂士:国民生活:56
曖昧情緒的な日本語の乱れが無責任で優柔不断な国民性を醸成し国家迷走の元凶となった
無責任で優柔不断な国民性から国家迷走の元凶である曖昧情緒的な日本語の乱れを正そう
今や深刻化する国家社会の衰退破綻・堕落崩壊の原因が、日本語の乱れや欠陥にあることを指摘する。
平仮名の大和言葉による本来の正しい日本語は、自然のリ ズムや宇宙の響きと調和して左脳を活性化
し、情緒的で穏和な語感を有した素晴らしい言語であるが、一語彙に複数の意味を有し曖昧模糊の面が
あるのも確かだ。現在の日本語は朝鮮古語や漢語や英語などの外来語を取り入れて複雑高度に進化し
てきた。本来の日本語に内在する特徴として、主語が明確でなく意味や意志の不明瞭性等が指摘される
が、これが白黒、善悪、優劣、勝敗、諾否、適否等を曖昧にし、非難や対立を排して穏和を尊ぶ国民性を
形成してきた。しかし曖昧模糊の情緒的で穏和な響きの日本語が、迅速性や主体性、正確性の欠如から
安穏なる国家社会の建設に向けて:189
意志・主張・批判・評価・結論を回避する曖昧な優柔不断性、内向き思考の国民性を形成してきた面もあ
る。今や日本語の欠陥面が国民性にも悪影響を及ぼして、無責任、問題解決先送りの体質に蝕み、国
家社会を溶解させる元凶になりかねない。世界への日本文化の正しい発信や、種々の改革の根幹であ
る国民性の変革のためにも、今や日本語を根本的に見直して大胆な改訂の検討が必須と思う。
3.ニックネーム:世直し大明神:救世主の代理の使者:国民生活:64
国民総決起による「真仰」の実践こそが今世社会を救う第一義のものとなるだろう
今や世界は数千年来の宗教的対立の総決算となった観がある。ユダヤ、キリスト、イスラム教の世界三
大宗教の根本理念における重大な誤りを指摘し、宗教を超越した真正な信仰である真仰とは何かを提起
する。目下の殆どの宗教は、現世御利益追求や霊力崇拝の畜生死霊魂の魔に通じる信心であり、仮に
欲望や願望を排し感謝の念を有しても、感謝対象を誤った魔に通じる信仰であり、感謝対象が真正な真
仰ではない。また大宇宙の創造主である真の神仏は大自然界には存在せず、地球上に降臨も現出もせ
ず、人間と対話もしないと思われ、輪廻転生界を超越した超絶無限の宙天に鎮座されておられると思わ
れる。真仰とは、自らの心魂を清浄にして宙天に鎮座される真の神仏とを直結一体化させながら、無私
の感謝の念を有して真の神仏を仰ぎ詣拝することであり、世界人類共通普遍の黙祷に他ならない。なお
霊界と現世とは表裏一体であり、現世の混乱は霊界の死霊魂の苦怨の反映であろう。従って慈愛に満ち
た感謝の想念による真仰は、苦怨に喘ぐ死霊魂を慰謝し救済し、安穏で健全な現世社会を招来させるだ
ろう。正に国民総決起による真仰の実践こそが、今世社会を救う第一義のものとなるだろう。
4.ニックネーム:天空からの使者:国民生活:65
神聖な波動の発信浸透が邪悪で猜疑な想念を一掃廃絶し今世社会を浄化刷新するだろう
二千五百年前の古代印度の釈尊と同様に真の仏身顛化の歴史的大偉業を達成された方を紹介し、仏
身、如来、神仏、解脱とは何かを提示する。人間を越えた仏身とは、身命を賭した神聖で清浄な魂の離
脱により、輪廻転生界を超越した宙天への入場が瞬時に許可された方だ。この宙天の玉座に鎮座される
真の神仏こそ、大宇宙が消費する全エネルギー粒子を生産湧出する創造主であろう。この宙天の神聖な
エネルギー粒子を瞬時に把持した真法により、難病やケガの治療を始め、全ての因果関係を把握し広大
無辺の仏知恵を受持するに至った。殆どの霊感は輪廻転生界に徘徊する畜生死霊魂の魔との交流や憑
依による魔感であり、祟りや罰は畜生死霊魂の魔や霊能力者自身が発する邪念波動を受けるからだ。
真の神仏による神聖で光輝な波動は罰や祟りなど当てず、自らが発した邪悪で猜疑な想念波動が遮断
されて自らに跳ね返り、自業自得や因果応報に至るものだ。宙天よりの真の神仏の神聖な波動が充満し
たものに対し、嫌悪や中傷や反発の邪念波動を発することは要注意だろう。正に日本からの神聖で光輝
な波動の発信浸透が、国内外の邪悪で猜疑な想念を一掃廃絶し今世社会を浄化刷新するだろう。
5.ニックネーム:創造立国綜合推進総務責任者:政治・行政:70
創造技術立国を目指した抜本的行政改革こそが21世紀日本の命運を決するだろう
今やグローバル経済を反映して国内外の諸情勢が激変し、産業空洞化や国際競争力低下を招来し、従
来の加工貿易立国の国是も大きな転換点に来た。即ち国内外の経済環境の大変化により、単純に原材
料を輸入して高付加価値を付けて高度の製品を輸出して外貨を稼ぎ、資源エネルギー、食糧等を購入す
ると言う加工貿易立国が、地代や賃金で優位に立つ発展途上国の追い上げにより行き詰まっている有
様だ。今や新たな国家再生の方向は創造技術立国であろう。創造技術立国への総合的推進には、知的
安穏なる国家社会の建設に向けて:190
財産権等の出る杭を尊重して、真正な評価や誠実な対処が為し得る教育環境や契約遵守社会の醸成、
そして国民意識の変革が必須だ。目下、様々な施策が関係機関による検討実施されているが、根本的
改革には不十分だ。ベンチャービジネスの活性化や創造教育の鼓舞に向けた各種法制度の整備も必須
だが、関係行政機構の大改造が必至だ。ここに提示する根本的改革こそが、新しい21世紀の日本の命
運を決するだろう。それは各省庁に跨る各種知的財産権の管轄の一元化であり、特許庁が経済産業省
から分離独立し特許省への昇格であり、戦時体制の延長である大企業優先の経済産業省を大改造する
ことだ。
6.ニックネーム:健全家庭建築設計家:国民生活:72
少子化対策や健全で安穏な家庭環境育成に向けて共稼ぎを制限することが必須だ
社会の最小構成単位は家庭と個人であり、安穏な社会形成には健全な家庭と個人の調和が大切だ。健
全な家庭での健全な子供の育成が必須であり、単に子供の数が問題ではない。現下の少子化や子供の
非行、家庭の崩壊現象は、親の都合を優先させた家庭軽視の共稼ぎ風潮の蔓延が原因だ。有能な女性
の家庭外活動や社会貢献は尤もだが、皆が真似をするから問題だ。飲酒や喫煙、運転で少数に問題な
しでも全員に解禁出来るのか。某外国では共稼ぎを支援する保育所や老人ホームの増設結果、子供の
非行や老人の自殺が増えている。なお共稼ぎと共働きを厳密に区別することが大切だ。農山漁村や個人
商売などで夫婦協力して働く共働きは結構だが、別々に働き稼ぐ別働きや共稼ぎが、安穏で健全な育児
や家庭形成に弊害なのだ。各個人や各家庭の様々な態様により、共稼ぎは一律に弊害が表面化しない
し容易に因果も理解できないが、子供の成長や社会的に危険な賭である。健全な家庭の形成には共稼
ぎを制限し、育児の負担を軽減するべく教育や住宅面で公的補助が必須だ。各家庭での稼ぎ手は夫婦
一方にし他方は奉仕で働き許可制にすべきだ。意識変革不能ならば家庭重視の母親女性の移民も検討
課題だ。
7.ニックネーム:宝物探査モグラ隊長:資源・エネルギー:72
天然の原子炉である火山深部のマグマ溜まり内部から放射性物質のウラン資源等を抽出へ
通説のプレートテクトニクス説は地殻表面の視覚的な現象分析には効果的だが、地殻内部等の様々な
細部現象は全く解明できず限界・破綻だ。年間数センチしか移動しないプレート相互の摩擦熱の蓄積歪
みエネルギーでは、膨大な火山爆発や地震発生のエネルギーは発生しない。今や地殻表面は数枚の巨
大プレートの被覆ではなく数百枚のプレートが指摘され、プレートの境界以外でも地震や火山が発生して
いる。火山爆発等の物理化学反応は全く解らず想像するしかない。放射性核実験と酷似した火山爆発現
象を観察し、仮説として、火山噴火はマグマ溜まり内の濃縮放射性物質が臨界点に達し核分裂反応で発
生し、放射能は爆発瞬間に消滅し別の未知の素粒子の核種に転換したことを指摘する。傍証として、未
解明の巨大な桜島大根の謎や、奇怪な動植物が多いガラパゴス諸島の謎、火山地帯に地磁気の異常
が起こる背景は、未知の素粒子や放射性物質の照射や影響が原因だと指摘する。なお火山爆発と地震
発生は同じ原理であり、発生する深さの相違でしかない。天然の原子炉であるマグマ溜まり内部から放
射性物質のウラン等を抽出すれば、地震発生や火山爆発を抑止し災害発生の予防にもなるだろう。
8.ニックネーム:放心性異常気性人間:環境問題:73
昨今の異常気象や温暖化の主因は炭酸ガスではなく放射性核実験による放射性塵であろう
目下、地球上で頻発化する異常気象や温暖化の主因は炭酸ガスとするが、フロンガス同様、空気より重
安穏なる国家社会の建設に向けて:191
い炭酸ガスが如何に高度1万米の成層圏に到達できるのか、精々が対流圏3千米当たりの測定結果で
しかない。炭酸ガスは、窒素ガスと共に酸性雨や光化学スモッグ等の大気汚染の原因だが、最近の異常
気象等の主因ではない。炭酸ガスは植物による光合成作用で空気中から森林に吸収され、雨水に溶解
して海洋に流出して貝殻の炭酸カルシウムとして吸着されて自然界では循環固定される。植物の光合成
作用には空気中の炭酸ガスの量だけでは大不足し、大地や地殻内部からの大量の炭酸ガスの地上空
中への放出無くしては考えられない。異常気象や温暖化の頻発化は1960年代頃から炭酸ガスの大量
発生の工業化と共に始まったが、同時期から毎年5,60回で累計1800回以上も実施された放射性核
実験による放射性塵が主因だろう。現に大量の放射性物質が植物に残留しているのが検証され、決して
地球上から雲散霧消してはいない。炭酸ガス主因説に異を唱えて太陽光線や太陽の黒点活動との関係
を指摘する者もいるが、この太陽活動に影響を与えるのが放射性核実験による放射性塵だろう。
9.ニックネーム:白衣の天使:福祉・医療・教育:74
爆発するエイズへの的確な原因究明と適切な対策予防が真剣に求められているだろう
今やエイズは爆発的に世界に蔓延し人類滅亡の危機が急迫している。エイズ菌は人間のホモ同士の性
行為から発生したものだが、アフリカは不衛生で輸血等で蔓延したものだ。色白の人間ほど発生しやすく、
黄色人種には発生しにくいが、エイズ菌の体内侵入には抵抗力なく感染する。オーラルセックスやアナル
セックス等の不自然な性行為が原因であり、即刻啓蒙して厳禁にすべきだ。セックスを玩具にした天罰で
あり、梅毒と同じく現代社会を大混乱に落とし込むだろう。エイズ菌は男性精子のオタマジャクシが体内
で孵化しカエルになったものだろう。精子は人畜無害な単なる物質でなく、動き生息する生命物である。
エイズ菌は血液や精液内に多いが、汗や唾液にも僅かに100分の1で存在するから日常生活の中で空
気感染しないとは限らない。エイズ菌は土葬などで地下水に紛れ込んで水道水に混入する危険性がある
が、一旦空気中に浮遊すれば太陽光線に弱く死滅する。エイズ患者の対策としては、結核患者と同様に
隔離して太陽光線の殺菌で治療し、死後はペスト患者と同様に火葬に付して殺菌することだ。今こそ爆
発するエイズに対する的確な原因究明と適切な対策が真剣に求められている。
10.ニックネーム:巨石文明解剖診断師:文化・芸術:75
エジプトピラミッドの巨石を始め世界の古代文明の巨石は人工コンクリートであろう
古代エジプトのピラミッドの建造方法や目的背景等が全く未解明である。通説では大量の奴隷を使用し、
400キロも離れたエチオピアの山中から切り出し運搬したとされるが、頂点の石はどうして積み上げたの
か。大人数の労働者を駆使し動員した大都市の痕跡もなく、数トンから数百トンもの巨石を如何なる方法
で積み上げ建造したのか全く謎である。ピラミッド石を割ると中から毛髪や枝葉が発見されることがある
が、人工凝固によることを示唆するものだ。天然石か人工石かは時間の経過と共に専門家でも判断が出
来ないようだが、表面にコケが生えるか否かで判断が出来よう。天然石にはコケが生えるが、人工石で
は不思議とコケが生えないものだ。世界中の巨石には不思議とコケが生えていないようだ。今回、無焼
成の天然火山灰を常温常圧で固化する高殺菌性の画期的な新素材を知ったことで、古代エジプトのピラ
ミッドの巨石は、恐らく砂漠の砂と岩塩、有機物、石灰等を混練し凝固したものと洞察した。砂漠の砂は
岩石が風化し粉砕したものではなく、断熱性や殺菌性に富む微細な火山灰だ。なお不思議な各種のピラ
ミッドパワーは、三角錐形状でなく火山灰の未知の特性に関係するだろう。
11.ニックネーム:戦国乱世風雲児:国際問題:80
国際情勢の歴史的激変の中で国民意識を変革し崇高な理念提示で日本が世界を教導しよう
安穏なる国家社会の建設に向けて:192
今や2004年春頃を境に世界は歴史的大激動に入った。軍事覇権米国の衰退からEUの台頭への大転
換であり、グローバリズムの終焉も遠くない。通貨統合を終えて欧州憲法から欧州大統領へと欧州合衆
国の創設が進行中だが、EUも最後に破綻する兆候も現れている。台頭著しい中国経済も深刻な問題も
抱えて、最後は大分裂崩壊に至ると予想される。中国の崩壊は暴走する経済を政治が制御可能との大
誤算によるものだ。ロシアも原油高を反映して外貨準備も好調だが、軍事優先では東西への再分裂は不
可避だろう。勿論、日本も安泰ではなく、不良債権や財政破綻、産業空洞化の進展と共に税収悪化や為
替変動等で最後は貿易面で破綻し、三流国家への転落も必至だろう。次第に世界は南北米ドル経済圏、
EUユーロ経済圏、そして中国元と日本円とが共存するアジア経済圏へと、三大経済圏に収斂されるだろ
う。世界的指導国家への大転換を目指した日本の歴史的改革の実践は、米国やEU、中国、ロシア等の
大国の衰退破綻及び協力理解の歴史的大激変を背景に、世界に誇り教導する崇高な理念の提示登場
と、国家破産から総懺悔し理解協力する国民意識の大変革が三位一体として必須であろう。
12.ニックネーム:平成枢密院議長:政治・行政:81
首相公選制を採用し政党数は三党に制限し参議院は廃止し衆議院の定数を増加せよ
下火になった首相公選制だが、天皇制とも矛盾しないし議院内閣制を否定する憲法違反でもなく、主権
在民の憲法理念からすれば首相公選制は当然であろう。イスラエルは首相公選制が破綻したとするが、
これは首相公選制が間違いだったと言うよりも、多数政党下の公選制が間違った方向へと導いた感が強
い。政党は結社の自由の原則に則って無制限に乱立させるものではない。政党数は右派・左派・中道の
三党に制限するべきだろう。何事も三個で安定する。目下話題になっている二大政党では、政権交代の
度に極端から極端に揺れて不安定にさせるが、三党では中道勢力が介在することで極端にぶれていくこ
とはないだろう。なお衆参両議院制では、昨今の審議法案数の増加傾向の中で充分な審議時間が取れ
ず、参議院は単なる衆議院のコピーで形式儀式化しつつある。二院制なら充分にチェック可能と言うのは
幻想だ。形式的なチェックではなく充分な実質的審議をすべきだろう。即ち、衆議院の定数を増加し、衆
議院で充分な審議をすれば充分であり、集中審議して効率化を図ることが必須だろう。そこで首相公選
制を採用し政党数は三党に制限し、参議院は廃止して衆議院の定数を増加することだ。
13.ニックネーム:国体刷新連盟理事:政治・行政:82
歴史的総決算を成して自主独立国家の基礎である真の国体を確立しよう
国家の基本は軍事と経済で両者の調和を欠けば国家破綻であり、両者の根底に存在するのが国体だ。
軍事には戦略的思考、自主防衛自立心、産業育成、失業者対策等の役割があり経済の重要性は当然
だ。自主独立国家とは憲法や防衛、教育、資源・食糧等で自立した国家社会だ。国体の基本は、世界普
遍の神道と、神道が基本の仏道と、倫理・道徳・礼儀の儒教との三位一体に基ずくものだ。神道とは教義、
教祖、教典等の宗教を越えた宇宙理念の体現である世界普遍の「宗道」であり、何も超国家主義的思想
ではない。また仏道も神道無しでは真の仏道成り得ないもので、実に神道と仏道の融合が必須であろう。
神道と教派神道とを、また仏法(仏道)と仏教とを混同するなかれ。神道、仏道、儒教を国家が直接に支
配し管理するものではなく、その理念を汲み取った憲法を始め、各種法制度を整備して、真正な政治の
遂行が大切だ。神道は天皇制に関係し、天皇こそ神を祭祀する国民統合の象徴として、権力とは分離し
た永遠不変の権威者として君臨し、仏道は法律に反映させ、儒教精神も教育や国民道徳に反映させて
いくことだ。歴史的総決算を成して自主独立国家の基礎である真の国体を確立しよう。
14.ニックネーム:真正胎児診断女医:医療・教育:140
安穏なる国家社会の建設に向けて:193
合理的な倫理観を大胆に提示して堕胎の是非を巡る世界的論争に一石を投じよう。
今や米国では堕胎の是非を巡る大論争で国論を二分し、宗教的対立論争にまで発展している状況だ。
然るに日本では優生保護法はあるが、堕胎は水面下では比較的に自由放任の状況だ。一律に堕胎は
死罪に相当する悪と断罪したり、また自由意志に基づく自己責任問題に出来ない要因もあり、一体如何
に判断するべきであろうか。性交を全て崇高な行為として、やむを得ない経済的理由や強制不本意な性
交により妊娠した者に、生命道徳倫理観を強調して出産を強制したり堕胎を厳禁に出来ないだろう。この
堕胎の是非は科学的実証的に決着できる問題ではなく、哲学論争に成りかねないが、合理的に思考して
判断する必要があろう。妊娠3カ月までの堕胎ならば母胎は比較的安全だが、3カ月を経過すると極めて
母体にも胎児の生命に危険を招来するようで、母胎の安全との関係で考えるべきだろう。生命体としての
魂魄が宿るのは、精子と卵子の結合時か出産時か、一体いつの段階かで見解が錯綜するが、堕胎や水
子供養の是非を含めて、母胎が安全な妊娠3カ月を境に判定していくことが合理的だろう。今こそ日本か
ら合理的な倫理観を大胆に提示して、堕胎の是非を巡る世界的な論争に一石を投じよう。
15.ニックネーム:動物交替植物化人間:医療・教育:141
植物人間の本質を理解し現状を合理的に打開し医療や看護の負担から解放しよう
植物人間問題は安楽死を巡る論争とも関係するが、少し観点が異なる。これは今後急激に問題化してく
るだろう。刑法にも民法にも死亡や殺人の概念はあっても、何をもって死なのかその定義はない、人間の
死は、臓器移植法で死の概念を初めて脳死とすると定義したが、脳死の他に心臓の鼓動停止や呼吸停
止が考えられるが、何れも真理ではないと思われる。人間は肉体・精神と心と魂との三位一体で構成さ
れ、心は死後は霊に転化し、魂こそ永遠不滅の生命体だろうと思われる。正に死とは本人の魂が肉体か
ら離脱することで、体内に人間の魂があるか否かが重要では無かろうか。今後、幾ら医学や科学が進歩
しても永遠に解明不能だろう。植物人間とは事故瞬間に本人の魂が抜け出て畜生死霊魂が交代潜入し
た結果だと思われる。例え、微笑や発声、身体微動があっても、本人の魂は既に肉体内に存在せず死亡
したものと思われる。そこで合理的で便宜的な判定は、3ヶ月経過しても何ら回復困難であるならば、人
間としての魂は既に肉体から脱却して、代わりに畜生死霊魂が混入したと判断しても良いかと思われる。
植物人間の本質を理解し現状を合理的に打開し無駄な医療や看護の負担を解放しよう。
16.ニックネーム:安楽決死救助隊:医療・教育:142
本人や家族の意思を最大に尊重し適切な判断対処の下に安楽死を許容すべきだ
安楽死の是非は今や世界的な深刻な課題で、オランダでは既に法制化され、日本も不可避の問題だろう。
安易に広範に安楽死を認めていった結果、臓器移植への便乗やベッド管理の経営都合から悪用実施さ
れていくのは問題だが、看護する家族側の生活費や医療費の負担の現状を優先考慮されるべきだ。現
在は医者が単に回復可能であるかの判断で延命措置を施している状況だが、無益徒労の過剰医療を排
した合理的な快復可能性を巡る医者の判断が必要だ。安楽死は何よりも看護を巡る本人や家族の意志
を最大に尊重し認める方向で考慮されるべきだ。その際に医療以外の要素も考慮されるべきで、故意の
殺人の可能性を検証し排除するべく、刑法犯罪に抵触するかの法的判断で、警察の関与を認めることだ。
そして看護する家族の負担を経済面から解放するための判断として、生活に密着した地方自治体を代表
する県知事の判断が関与されるべきだ。即ち、医者と警察、県知事の三者の合意により安楽死の是非を
総合的に判断して行くべきだ。本人や家族の意思を最大に尊重し、看護費用や労働等からの負担解放
を優先的に考慮し、無駄無益な過剰医療を排し、適切な判断対処の下に安楽死を許容すべきだ。
安穏なる国家社会の建設に向けて:194
17.ニックネーム:土地浮動産鑑定士:国土開発・利用:143
土地に関する種々の問題点を解決するためにも土地の公有化は最重要な検討課題だろう
土地は空気や水と同様に公共財の性質を有し、今や完全私有財産を認めて投機対象や固定不動産とす
るのは実に弊害が多い。建物は所有権対象の不動産でも良いが、各種災害で境界標が移動消滅する状
況下では土地は流動産だ。土地投機の抑制や防止、公共工事の測量買収の効率化、また土地の有効
活用を図った流通化促進、更には、自然災害等に際しての土地境界紛争の合理的解決に向けても、土
地の公有化は効果的で不可欠だろう。仮に土地を公有化しても、現状の土地所有権が土地利用権に転
換し、土地の所有権売買が利用権売買に、また現在の土地の固定資産税が土地利用・賃借料に転化す
るだけで、外面形式的には現状と大した変化も混乱も生じない。また土地公有制は資本主義社会でも一
部実施され、原則私有財産制度と何ら根本的に矛盾しない。目下、抵当権設定は賃借権には不可だが、
抵当権を準所有権の土地利用権への設定は可能だ。土地を担保にした土地本位制が崩壊した現在、改
めて土地を国民全体の公共財として再認識し、土地の有効活用を促進し、更に地震や風水害で移動す
る境界紛争を合理的に解決する等の種々の問題点に対処するためにも土地の公有化は最重要な検討
課題だろう。
18.ニックネーム:空中楼閣マンション居住者:政治・行政:144
空中楼閣の区分所有権を見直して分譲から賃貸へと需要サイドに立った政策転換を
コンクリートマンションが大量建設され所有権分譲されているが、極めて困難な問題に直面し次第に廃墟
化して大きな社会問題化するだろうと懸念する。それは空中で区分する区分所有権自体が、所有権一般
の性質からも不自然な法律であるからだ。それに半永久的な財産価値を有する所有権としては、地震や
腐朽等での建て替えを巡る厳しい賛成決議要件、多額な建設費用分担等で深刻な社会問題となろう。ま
た老朽コンクリート住宅の部品交換での技術的問題やコンクリート耐久性に見る維持管理費用の膨大な
点だ。そしてコンクリート特有の湿気や気密等での精神健康面の問題だ。即ち、法律、技術、健康から来
る諸問題だ。現在の分譲を中心とした売買方法は、分譲業者には建設費用の早期回収やその後の自然
破壊現象に対する責任回避等で歓迎すべきことだが、不動産が高価な買い物である点を考慮すれば、
購入者から見れば多大な損失であり、購入者の自己責任の賭けに帰すべき問題ではない。今や区分所
有法を根本的に見直し、供給者側からの所有権分譲の法制度を需用者側に立った法制度にするべく再
検討し、所有権分譲を制限して地震や腐朽等の建て替えに際して有利に賃貸化するべきだ。
19.ニックネーム:眠れる森の美女:産業:145
建築基準法における木材使用基準を緩和し健康生活を回復し山林を活性化しよう
現在の建築基準法では木材の使用は著しく制限されている。戦前は木材が多用され健康や林業にも貢
献していたが、戦後は空襲被害から木は燃えるものと言う固定観念を生み、建築基準法改正により木材
が排除され、健康悪化や森林の荒廃を招来した。木材は薄く細く使用するから燃えるので、厚く太く利用
すれば燃えずに表面が焦げるだけだ。事実、昔の家屋で太い柱等は、火災後に焦げた木材の表面を削
って再利用していた。木材は内装材料として使用制限されているが、室内には家具や家電製品等の様々
な燃えるものが山積している。内壁等の内装だけを不燃化にして制限しても極めて不十分だ。延焼や火
災の拡大化防止は、屋根や外壁、台所の不燃化で充分で、厳しい内装制限は過剰規定だ。現在、様々
な化学的材料や物質が氾濫し、また湿気増加や通気性悪化を招き、健康に悪影響を及ぼしているが、吸
湿性を有した木材使用緩和で健康面にも効果的だ。居住面での精神安定の健康面の観点から、そして
安穏なる国家社会の建設に向けて:195
森林活性化の林業保護など内需拡大を推進するためにも、木材使用を制限した建築基準法の内装制限
の規定緩和が必要になった。更に集成材による主要構造材への活用も大幅に推進して行くべだろう。
20.ニックネーム:男女健全化推進委員会:国民生活:146
売春防止法を見直し公設場所での性解放を実施し健全な家庭や個人の育成を図るべきだ
今や売春行為は売春防止法施行によっても一向に無くならずに隠れて広範に横行し、一部には病原菌
の蔓延もある。売春行為を一律厳禁にすれば性犯罪が多発するとの指摘も真実だ。単に売春行為から
の女性の隔離厳禁では真の女性の保護にもならない。女性を束縛し管理抑圧の強制売春は、前近代的
で非民主的で反人権主義的で、女性を悲惨な境遇に落とし込めて大問題だが、女性自身の積極自発的
な性的処理は適切な対価を伴えば制限することはない。自然で自由な恋愛としてのドライな性交渉まで
禁止する必要はないし女性にも長所が多い。適切な金銭的対価の下に、意欲的な女性の性的欲求を合
法的に満足させることは女性自身にも受容可能な利点があり、男性を真に精神的に自立し自信を有した
男性ならしめる上でも社会的に効果的で、安穏で健全な家庭や個人の育成にも役立つものだ。しかし伝
染病や危険な病原菌の蔓延を防止するためには、民間経営は厳しく取り締まって性行為場所を公設とし、
女性も自由登録制にして準公務員化し、病原菌検査を強制的に義務付けすることが必要だ。今こそ売春
防止法を見直して性の自由解放を公設場所で公然実施し、健全な家庭や個人の育成を図ることだ。
21.ニックネーム:司法公証人法務健闘委員会:政治・行政:147
公証人国家試験の実施と共に司法書士と公証人との統合化の新制度作りが必須であろう。
現在の司法制度改革の対象には司法書士と公証人が欠落する。公証人国家試験は過去一度しか実施
されていないが、西洋主要国では日本の司法書士の登記業務を公証人が担当し、国民一人当たりの公
証人数は日本の司法書士人数に一致する。弁護士と司法書士とが業務内容で重複ではなく司法書士と
公証人とが酷似する。司法書士の登記業務は、弁護士の裁判業務と法律知識の駆使で類似するが、単
に裁判の進行に左右される裁判業務と大きく相違し、唯一高度の公証的判断を仰ぐものだ。西洋主要国
が登記業務を公証人が担当するのも、登記業務が公証的判断を要するからだ。日本の司法書士の不自
然な状況は関係者の慣習的且つ恣意的なもので、また弁護士法の法律業務独占の規定からだ。既に公
証人の公証的業務と司法書士の公証的な登記業務とは大いに重複し整理統合が必要だ。現在、登記申
請の電子化の中で、益々公証的な役割が司法書士に求められ、真に国民に身近な法律家を養成し、国
家社会の要求に応えるためにも司法書士の公証人化が必須だ。今こそ世界の実体に合わせるべく、公
証人国家試験の実施と共に、屋上屋を架さないように、司法書士と公証人との統合化の新制度作りが必
要だ。
22.ニックネーム:遺産相続調停員:国民生活:148
現行均分相続規定を是正し男女平等で長子相続を原則とし親の指名か同居を例外にせよ
現行民法の問題点は、社会の最小単位が家庭と個人で構成されるのに、個人中心で法律が制定されて
いる点だ。一番の大問題は均分相続だ。現在の均分相続は戦後創設されたものだが、今や均分相続の
為に、親の面倒は誰も見ずに相続争いが多発化している。戦後間もない頃は、自発的な相続放棄等で
友好に財産相続が為されたが、現在では、条文通りの均分相続で各自平等の権利を主張して争ってい
る有様だ。現行制度では、親の面倒は遺産分割協議で何ら特別寄与分にも考慮も評価もされない。親と
の同居は親に安心感を与え、精神的に特別の貢献乃至寄与をしているから特別寄与分に認めていくべ
安穏なる国家社会の建設に向けて:196
きだ。兄弟姉妹の生育環境から来る性格性質上、長子の兄姉が他の弟妹に比較して生存競争にも弱く、
性格も温和に出来ていることが多いようだ。そこで問題が多い均分相続を是正しながらも、封建時代や
戦前のような長男相続ではなく、男女平等の精神の下に、大幅な長子相続を原則にし、例外的に親の指
名や同居した者に相続させたら良い。長子相続を親が望まなければ、生前に公平な財産分与も可能で、
末子相続も例外とすべきだ。なお夫婦財産は共有との理念の下に夫婦間の相続は廃止すべきだ。
23.ニックネーム:単独親権行使反逆児:国民生活:149
離縁や離婚、死別での未成年者の単独親権行使を制限し共同親権行使を徹底させよ
現行民法では、健全な未成年者の保護育成の観点から両親の共同親権行使を強制するが、不充分な
未成年者保護規定が散見される。即ち、未成年者養子縁組みの際は、共同親権行使を義務付けている
のに離縁は片親と可能だ。また離婚や死別の際には、単独親権行使を当然の如く認めている。これでは
共同親権行使を唱った民法の規定の趣旨に反して未成年者保護に不十分だ。単独親権行使で育った子
供の心には、知らずの内に、限りない孤独と苦悩を植え付けて精神的荒廃を招来していく。また離婚を巡
り、親権者の資格の争奪や、面接権行使等で離婚夫婦が反目し合うことも多く、青少年犯罪の多くが家
庭環境に関係して社会的に混乱を招来している。現状では親も子も互いに離れたがらず、共に寄り添う
ように生きていく姿は哀れを誘う。この解決は、単独親権行使を排除して、未成年者養子の離縁や両親
の離婚、死別の際に、強制的に子供を他の夫婦に養子に出して共同親権行使を徹底することだ。後で実
親に子供を返して、未成年者の共同親権行使をできる社会的配慮が好ましい。その方が子供も健全に
成長出きるし、親も容易に再婚に踏み切ることが出来て、互いに新しい人生の再出発が図られる。
24.ニックネーム:起死回生的起氏改姓論者:国民生活:190
実家の姓を継承する改姓を擬似養子縁組制度によりいつでも無条件で認めていくことだ。
夫婦別姓問題の是非を巡り左右が対立している。社会の最小構成単位に家族と個人がある以上、家族
は一体であるべきで、結婚は単なる同居ではなく結婚が何たるかを理解しない議論が横行しているのは
残念だ。夫婦個人よりも家族重視の観点に立った別姓反対派の言うように、夫婦別姓は親子別姓に繋
がり家族解体に繋がるとの論理の方が正解だろう。別姓賛成派が指摘するように、婚姻を契機に改姓す
る社会的支障は通称使用で対処できるし、また実家の姓を継ぐ必要ならば、子供無しでは姓の継承効果
は一代で終了し永続性はない。現行法でも、実家の姓を継ぐ場合には、現行養子制度を活用して子供を
実家に養子に出せば済むが、成人養子ならば養親の一方が生存している必要があり、また未成年者養
子では養親が共に健在だとの制約がある。そこでこの際、家族一体継承の観点からも、実家の姓を継承
出きるように、養親の生存に関係ない擬似形式的な養子縁組を認めた改姓配慮が必要だろう。即ち、現
行の婚姻や縁組み、離別や死別等の改姓基準を緩和し、単純に父母祖父母の実家の姓継承が目的の
場合には、養親の生存に関係しない擬似形式的な改姓や養子縁組を何時でも無条件で認めることだ。
25.ニックネーム:上の空のソナタ:通信・情報:191
UFOは地球外生物でも宇宙人でもなく畜生死霊魂の仕業による幻影だと覚醒しよう
今やUFOなる現象を巡って世界的にも大関心を呼んでいるが、果たしてこれは一体何が原因であろうか。
巷間指摘されるように、宇宙人や地球外生物の地球への訪問なのであろうか。未だかつてUFO物体が
肉眼や双眼鏡で把握されたが、ビルの陰から陰へと移動して最後は視界から消滅して、未だに誰にも捕
獲されていない。米国某機関でも捕獲した写真が公開されたが、目がギョロッとした写真が如何にも作為
安穏なる国家社会の建設に向けて:197
的で偽物だ。通説に疑問を呈する意欲的な科学者は、UFOは地上の反射鏡面体の広告塔や屋根板が
天空に反射した蜃気楼現象として現れることを指摘し証明している。しかしそれだけでは解明出来ない不
十分な面があるのも確かだ。このUFO現象は何も現代に特有のものでもなく、古来、仏画等に描かれた
普賢菩薩や文殊菩薩等の菩薩群、天女や天馬等と同じ幻影現象だろう。そこでこの幻影の本質は一体
何であろうか。思うに、この現象は畜生死霊魂の仕業で、昔から人々の時代を反映した心に呼応し、面白
可笑しく変幻自在に現れる幻影であり、今日のUFO現象は多くの宇宙志向の人々の心に反応した結果
だろう。今こそUFO現象は畜生死霊魂の仕業による幻影だと覚醒しよう。
26.ニックネーム:タネ明かし屋凡平:福祉・医療・教育:192
健康とは健やかなで康らかな心であり、清浄な心から清血になり健康な心を形成しよう
多くの者は健康に対して正しい認識をすることなく、根本的に誤解し偏見しているように思われる。身体
の頑丈さや丈夫さ等をもって健康的だと称することが多いが、これはあくまでも外見から見た判断でしか
ないものだ。真に健康は内面的なものだろう。例えば、机を叩いて壊れないからと言って、机は健康とは
言わず。単に頑丈や丈夫でしかない。人間も外見が筋骨隆々の肉体を見て健康だと錯覚するが、真の
健康を判断する要因には余り関係しない。逆に言えば、頑丈や丈夫な身体を有しても不健康な者は多い
し、外見的に身体が貧弱華奢な者でも健康的な者は多い。然からば、健康とは一体如何に判断すべきで
あろうか。健康とは読んで字の如く、健やかさと康らかさであり、これは対象や本質が外見的な身体では
なく、実に内面的な心である。勿論、これは原則であり、例外的には外部から無理に提供された化学物質
などで健康を害することもあろうが、それでも真正で無意識の心であれば、被害は少ないことも確かだ。
健康とは頑丈で丈夫な身体ではなく、また清潔な身体でもない。実に、健康とは健やかで康らかな「心」で
あり、真正で清浄な心から清血になり健康な心が形成されるものだ。
27.ニックネーム:ガン個粉砕:福祉・医療・教育:193
ガンは不平不満の誤り偏った心から発生し感謝満足の囚われない心がガンを防止する
今やガンは3人に1人で蔓延し国民的関心を呼んでいるが、ガンを宣告されても、その後何も手術もしな
くても心機一転で快復していくこともあり、下手に手術をしてガン細胞を除去したけれども、寿命を短縮さ
せていくことも多い。ある程度はガン細胞の除去も効果的だが、ガン細胞を刺激して増殖させる可能性も
あり、最終的には悪性のガンか良性のガンかを含めて心の在り方に関係するように思われる。通説では、
ガンの原因は発ガン物質が含有される食べ物だとされるが、食べ物の種類や内容ではなく、食べる際の
心の在り方に関係するものだろう。今や如何なる食べ物でもガンになり得るし、余り食べ物の物性や要素
等に囚われるべきではないだろう。ガン細胞は特殊化学物質の体内侵入や照射等で、蛋白質等との異
常物理化学反応でも形成されるが、大概は心の誤り偏りからしこりとなって生まれるようだ。今や心の在
り方が、赤血球や白血球の増減等の血液やリンパ液、細胞活動等にも大きく影響を及ぼす最大の要因
だと判明している。ガン細胞は不平不満の偏った心から形成されるもので、何事にも感謝満足し、気にせ
ず囚われのない円満で安穏な心が、ガン細胞の発生を防止すると思われる。
28.ニックネーム:節穴のぞきゴキブリ魔:環境問題:194
生活全般から化学物質を見直し国民意識を変革して健康生活を回復しよう。
先般の建築基準法改正で漸くシックハウス症候群の原因として幾つかの化学物質が建築から規制排除
されたが、今や巷には化学物質が氾濫し蔓延している有様だ。何処かで過剰で無責任な化学物質使用
安穏なる国家社会の建設に向けて:198
放置を根本的に見直して行かねば、健康を蝕む大変な社会問題になると懸念する。特に最近の食品は
原子力以上に危険な化学物質で汚染されている。今や農業や畜産、食品業において、科学万能思考の
蔓延により、栽培、飼育、育成、製造等の各方面で、生産者や製造者すら嫌悪する化学肥料や農薬、人
工飼料、化学物質等の多用で、生産性や健康安全面でも既に限界に来た。狂牛病等の異常発生は正に
人類への警鐘だろう。既に農畜産物や製造食料品の多くに、防腐剤や着色剤等の化学物質が混入し、
また水道水にも過剰な塩素が混入し汚染されている。水道水の殺菌には、欧州では塩素ではなく過酸化
水素を使用し、米国では塩素使用の上限を設定しているのに、日本では下限を設定して過剰投与を放任
しているのが実体だ。これは生産者の安易な姿勢の他に、消費者の外見重視の対応にも原因があろう。
今こそ食料安全行政を徹底して国民意識を変革し、生活全般の化学物質を見直し健康生活を回復しよう。
29.ニックネーム:人事担当総理代人:政治・行政:214
歴史的な改革断行の成功への要諦は人事権の一元集中化にあることの再認識が必須だ
公務員制度改革に際しては、縦割り行政の弊害を無くし、省庁による私物化された行政を廃止するため
にも、官僚人事権の一元化を図ることが必須だ。目下、中央官庁における官僚の人事権は、各省でも官
房長か秘書課長か大臣か全く曖昧だ。局長以上の幹部は官邸が人事権を有しているとは言うものの、果
たして官房長官か総理大臣か全く曖昧だ。総理自らが改革断行を唱えるならば、まずは人事権を最高司
令官の総理に結集する一元化を実施することだ。英国のサッチャー首相の種々の改革断行の成功は、
首相自身に人事権を集中し掌握させたことだ。然るに我が国の現改革断行政権では勇ましい改革の掛
け声にもかかわらず、肝心の役人を動かすだけの威力や権力は弱い。反対する官僚がいても何ら人事
権で対抗することすら出来ない状況では改革にも限界があろう。反対意見や反対勢力を抱え込んでいて
一体何が出きるのか。人事の流動化が図られてこそ改革が進展するものだ。改革断行の成否は正に人
事権の問題に帰着し、人事権無しでは大改革への実行力も限界だ。この鉄則を忘却し放置しては既に改
革の限界が露呈した。歴史的な改革断行への成功は人事権の一元集中化だと再認識することだ。
30.ニックネーム:霞ヶ関巡回清掃車:政治・行政:215
公的職業に従事する公務員等は民間経験者から一定期間の任期で採用し活性化すべきだ
今や国家戦略的視点に立脚した真の行政改革が必須であり、特に公務員の意識変革、役人根性の打
破是正が必須だ。そこで公務員は国民的視野で国民の目線に立った血の通った行政を実行させ、また
天下り確保のタカリや甘えの私物化行政からの決別を促進させるべく、民間経験を5年以上経験した者
から採用し、精々20年間だけ面倒見ることだ。公務員というのは何も中央省庁の国家公務員ばかりでは
なく、地方公務員も然りだし、裁判官や教師などの公的職業全般に言えることだ。要は国民のためになる
目線や常識が必要だ。これは幾ら研修を実施しても養成できないもので、民間経験でしか身に付かない
ものだ。なお天下りは事後収賄罪の刑法犯罪であり、厳しく制限していくことだ。公務員の在職関連への
再就職に関しては、事後収賄罪の時効期間との関係で5年間の禁止期間を設けるべきだ。公務員の政
治家への転向も、政治の官僚化、即ち、既得権益擁護の現状維持化を招来させないためにも、官僚離脱
後5年間は制限して民間経験をさせるべきだ。5年間で組織も環境も意識も大きく変貌し、在職中の利益
誘導も抑制され、純粋に実力評価の移動から役人根性が大きく改造是正されるだろう。
31.ニックネーム:列島改造絨毯爆撃機:政治・行政:216
国土の総合開発と環境保全との調和がとれた行政には国土開発環境保全省の設立が必須だ
安穏なる国家社会の建設に向けて:199
環境省創設は、回収空きビンの中味で所轄担当省庁が決まる縦割り行政の弊害を除去したのは評価で
きるが、国土の総合的開発と調和した環境行政への対応には極めて不十分だ。環境省が、環境保全行
政を画一的独善的に采配実施し、環境現状維持を優先する後ろ向きの偏った姿勢に徹して、国土の均
衡ある発展を忘却し、経済や開発との調和・調整に大きく支障を来すのではと危惧する。新しい環境省で
も国民経済や国土の開発発展の総合的視点への欠落を憂慮する。個々の環境対策は、各省庁に環境
対策部門を設け、開発と連動して考慮することは当然だが、国家的には、環境行政は開発行政と提携し
て同じ官庁組織内で一括処理し対処する方が効率的で官庁間の対立抗争もない。即ち、国家的な見地
から、縦割り行政を打破して環境行政の一元化を達成していくのは当然だし、他方で、国土開発と環境
保全を統合するべきだ。例えば水利行政においては治山、治水の両方を視野に、河川と林野の開発と保
全の行政は一体化するべきだ。そして国家大局的には、旧環境庁と旧国土庁と林野庁とを統合化して、
一官庁内で国土開発と環境保全とを調整しながら推進実施する国土開発環境保全省の設立が必須だ。
32.ニックネーム:廃棄物処理対策班:政治・行政:217
新しい国際環境の激変を背景に国家再生に向けた経済産業省の大改造が必須だ
今やグローバル経済化で、既に日本は世界の工場の地位を中国に明け渡し、産業の国内空洞化を招来
し、片方で国内企業の多くが外資系に乗っ取られて地方の衰退や失業者の増大を招いている有様だ。
有識者の間でも、未だに日本を加工貿易立国だとか、輸出立国だと錯覚している者が非常に多い。既に
高付加価値製品を外国に販売して外貨を稼ぐと従来の加工貿易構造が大きく崩壊している状況下では、
経済産業省の役割は大きく後退した。国家再生の基本は経済であり、その国家的司令塔は経済産業省
である。然るに経済産業省は1940年来の戦時体制のままで、今や激動する国際情勢にも対応不充分
だ。現在の経済産業省は何ら適切な産業政策も打ち出せず、最早時代遅れの官庁でしかない。今や経
済産業省の天下り確保や大企業省としての行政姿勢を転換し、真に国民のための産業政策を実施させ、
更に知ったか振りの国際感覚欠如の体質を転換させるべきだ。そこで経済産業省は多国籍企業を所管
する米国の通商代表部のような機関に改造し、現在の中小企業庁を中小企業を担当する米国商務省の
組織に転換し、産業活性化に向けて中小企業やベンチャーを主体とする行政に転換させるべきだ。
33.ニックネーム:官庁ビル解体請負業者:政治・行政:218
行政改革の要諦は行政と予算とを統合した行政管理予算庁を設置することだ
行財政改革は内閣府と財務省とで別々に進行中であるが、強力な実現は不可能であり、最大限の効果
をも期待できないと思われる。即ち、現在、行政改革推進の中核的役割は内閣府(旧行政管理庁)が担
当し、そして財政改革を推進するのは財務省主計局だ。両者が密接に連携を保って強力に行財政故草
を推進すべきだが、現在の別々の組織運営では、他の省庁の場合と同様に、省庁間の利害抗争等を生
みかねない。この際、行財政改革を連携を密にして効率的に強力に推進し、且つ永続的に推進するには、
両者は統合されるべきだ。これなくしては統一的で総合的な大改革は期待し得ず、小手先を弄したその
場限りの極めて不徹底な結果に終始するだろう。これにより、内閣主導で且つ責任を明確にした行財政
改革が実現達成できるというものだ。実に国家予算の編成には厳正中立の姿勢と高次元からの政策的
判断が要求されるものである。かつて旧大蔵省改革で金融と財政の分離が為されたが、世界でも金融と
財政は一体であり、むしろ主計局の予算編成権を内閣直轄に分離させて米国的予算庁を設置するべき
だった。行財政革の要諦は内閣府と財務省主計局と統合した行政管理予算庁を設置することだ。
安穏なる国家社会の建設に向けて:200
34.ニックネーム:硬質天板改造師:政治・行政:219
国家社会の未来永劫の発展を祈念し天皇は最高権威者で神道の最高祭祀者として君臨する
現行憲法は、外見上は天皇元首の立憲君主制であるが、片方では国民主権を謳う民主主義制度を採用
し、実に曖昧矛盾の折衷的条文だ。国家社会の永遠の繁栄には天皇制は不可欠だが、真にあるべき天
皇制を提示したい。天皇は国民統合の権威の象徴としての名誉的元首なら問題はないが、天皇元首論
では天皇が権力者で総責任者になり、現行憲法の主権在民と矛盾し、歴史的激動に際して天皇制の安
泰は期待できない。他方で天皇は権力者だが責任は内閣総理大臣が負担する論理があるが、これは権
力と責任を分離して一億総無責任に堕落するものだ。国家を支える権威と権力とを分離し、権力は主権
在民の下に総理大臣が司り、権威こそ天皇が司るようにするべきだ。その方が権威の象徴としての天皇
制は永続していくことが出来る。また天皇の役割は宗教を越えた世界宗道とも言える神道の最高の祭祀
者であろう。また国家社会が未来永劫に安泰するには、現在の皇室典範を改正し、男女平等思想による
女帝、養子、自発的退位を認めるべきだ。権力と権威との明確な分離に際し、現憲法の天皇の権力的国
事行為を大幅に削減し、現在の皇居を権力的な場所から神聖で静寂な地域に移転することが必須だ。
35.ニックネーム:もう沢山狂惨党主席:国民生活:220
全ての区別は差別に繋がるとの男女共同参画社会の在り方は危険な文化大革命思想だ
真の男女共同参画社会の在り方は夫婦や子供を中心に家庭との調和から考えるべきだ
国連条約の批准を受けて、国内段階で男女共同参画社会の実現を巡り総力を上げて推進中だ。国家予
算が年間80数兆円なのに、その1割強もの年間10兆円もの予算を既に数年にも亘って使っているのが
実体だ。男女共同の社会を構成し参画するのは当然だが、どうも実体は、全ての男女の区別が差別にな
ると言う理屈で、社会から全て男女の区別を無くすという文化大革命思想のようだ。これは下手すれば国
家社会や家族の解体思想にも繋がる危険なものだ。全ての区別は差別に繋がるとは大偏見だ。男女の
区別が当然の場合もあれば差別になる場合もあり、一律一概に断定できるものではない。服装も髪型も
トイレも全て男女同一に出きるのか。おかしな論理を振りかざして区別や差別の撤廃を主張する者は、自
ら男女の性判別不能な行動様式を実践することだ。この偏見に満ちた思想論理を一体何処で改訂出き
るのか。社会の最小単位が家庭と個人である以上、家庭と個人との調和が大切であるから、家庭を中心
とした子供の育児や夫婦の在り方から考察することだ。家庭外では男女の権利は完全同一であるべきだ
が、家庭内まで全ての区別は差別に繋がるという男女共同参画社会の思想は偏見が多い。
36.ニックネーム:家庭破綻常習犯:国民生活:222
社会の最小構成単位である家庭の円満な秘訣は夫唱婦随の協力関係が大切だ
今や離婚率も3組に1組の割合で急上昇中であり、欧米の離婚先進国にも迫る勢いだ。そこで健全で安
穏な家庭とは如何なるものかを背景に、夫婦とは如何にあるべきかを考察してみたい。まず、国家社会
の最小構成基本単位は家庭と個人であろう。全て法律や制度は、この家庭と個人の調和と融合を最大
限且つ基本に考慮するべきだろう。ところで家庭内では夫婦の男女平等は当然だが、余りにも画一絶対
視していけば、船頭が二人いる船のように舵取りが分裂して破綻する。即ち、夫婦が相互に対等な権利
を何処までも主張し合っては、凸と凸とでぶつかり合って家庭という組織は崩壊する。矢張り家庭という
組織が円満に行くためには、凸と凹の関係でなくては成らない。これは社会の多くの組織で共通して言え
る。そこで、夫婦関係においては、平等・対等と相互協力の調和が大切となろう。家庭という一組織内で
は、男は女に命令するのではなく指導する、女は男に服従するのではなく協力するといった夫唱婦随の
安穏なる国家社会の建設に向けて:201
相互協力的な意識関係こそ円満で永続的な家庭環境を形成するものだ。そして妻も自分独自に自由勝
手に社会を見るのではなく、夫を通じて社会を見ることで夫婦一体感が形成できよう。
37.ニックネーム:東京特別区立候補予定者:政治・行政:252
国会議員立候補は年齢上限は排し下限は40歳以上とし官僚は一定期間は制限するべきだ
現在、官僚出身や世襲議員が余りにも多いが、これが政治の硬直化や停滞を招来しているようだ。政治
の官僚化や若手世襲議員による政治の未熟化を防止して政治の活性化を図るには如何にすべきだろう
か。官僚は先例や慣行を遵守する現状維持が本来の仕事だが、政治家は現状打破が目的で、両者は
根本的に性格を異にするものだ。それ故に官僚から政治家になっても、多くは既得権益擁護や現状維持
の官僚的政治の行動や発想しかない。また世襲議員では、身命を賭して難局に対処するという気概も生
まれにくいものだ。しかしながら、官僚や世襲議員にも優秀な者も少なくなく一概に全て駄目だとも言えな
い。一体如何に判断すべきだろうか。思うに真に国家社会に役立つ国会議員に要求されるものは、行動
する若さと体力ではなく正しい判断と対処であろう。正しい判断と対処が出きるには可成りの人生経験が
必要であり、2、30代では政治家として勉強する時期でヒヨコだし、5、60歳でも未だ子供だ。7、80歳で
初めて可能だろう。政治家の特質を充分考慮して、職業選択の自由の原則を見直し、国会議員立候補に
は年齢上限は廃し下限は40歳以上にし、官僚は一定期間は制限するべきだ。
38.ニックネーム:ガキ大将養成特別担当教師:福祉・医療・教育:253
創造的教育環境には転校や飛び級を大幅に認め18歳までは収入を得ることを厳禁にせよ
教育は、子供や親にとり義務と権利の両要素を備え国家の責務でもある。教育には管理と放任の両方
の調和が大切で、自由闊達な創造的な教育環境を醸成することだ。管理中心では創造精神が圧迫窒息
し、放任では自由無秩序状態に堕落し、両者の均衡を欠けば個人も社会も閉塞か放漫に至るのが必定
だ。ゆとり教育やエリート教育は堕落や高慢を助長しかねないが、共に各自の個性に応じた教育を考慮
する面では何れも正解で両者の調和が大切だ。単なる偏差値教育による差別を回避して理解を重視す
る一方で、画一的教育を排除し、各人の能力発揮の時期や速度に応じて個性を伸ばす個性化教育や創
造教育に転換することだ。自己責任の下に自由に各自の能力や特性、人生設計に合わせて様々な教育
機会を選択可能にして飛び級や転校を自由に認めることだ。また極端なエリート競争主義に走ることを是
正し正常な教育を実施するためにも、ボランティア教育を強制誘導して社会性を身に付けさせ、18歳ま
では収入獲得を厳禁にして本格的な競争は社会に出るまで待機させることだ。そして教師は5年間程の
民間経験を考慮して採用し、道徳、倫理、礼儀の大切さを根本から教育する修身教育復活が必要だ。
39.ニックネーム:終身雇用局流動不安定課破綻係長:産業:254
今や企業負担の各種扶養福利厚生諸費等を国家社会が負担支援する政策大転換が必須だ
今やグローバル経済化の進展による国内外の企業経営環境の激変により、即ち激しい国際競争力確保
の要請から、またや外資系進出による株式取得からの圧力から、日本的労働環境も大変動を余儀なくさ
れている。日本の伝統的な企業風土や慣行の終身雇用や年功序列、退職金及び各種福利厚生制度等
が破綻しつつある現在、これまで企業が負担してきた家族扶養等の労働慣行を誰が引き継ぐのか。各企
業の自由采配や独自運用を放任していけば、企業は当然の如く採算性追求の市場原理主義的資本主
義社会に則り、国際競争力を追求して自己防衛に走る余りに、家族扶養手当等を率先して削減していく
だろう。企業活動の目的は営利追求であり、慈善事業を実施するものではなく、従来通りに労働者の家
安穏なる国家社会の建設に向けて:202
族扶養義務を強制出来ないのは当然だ。しかしこうした雇用関係の大変動は、労働者の家族扶養を大き
く破綻させ国民生活を破壊するだろう。社会の構成単位の家族が破綻しては、健全な社会の実現は期待
できないであろう。現下のグローバル経済化での競争原理は仕方ない面もあるが、今や従来、企業が負
担してきた各種扶養手当や福利厚生諸費等を国家社会が負担し支援していく政策大転換が必須だ。
40.ニックネーム:宗教政治死相腐朽駆除剤:政治・行政:270
政教分離原則とは、宗教団体の特定の政治団体への政治活動の参加支援の厳禁である
宗教の本質とは、死霊魂の正しい慰謝と供養、救済を最大の目的とし、安穏社会形成を祈念した奉仕活
動に専念し、世俗的な政治から隔絶して政治を傍らから温かく見守ることだ。公益宗教法人法で守護す
る幾多の減税措置もその趣旨だ。宗教団体の広範な政治活動への参加や支援を認めるならば、最早宗
教団体ではなく政治団体、思想団体である。それなら宗教法人を返上させ税法上の特典を剥奪すべきだ。
宗教法人を隠れ蓑にして税法特典を享受して政治活動をするのは制度の趣旨を大きく逸脱するものだ。
憲法で規定する宗教と政治との関わりを禁止する政教分離の趣旨は、正に特定の宗教団体の偏った教
義による政治参加、政治支配を厳禁にし排除することだ。なお死霊魂に対する慰謝や供養という伝統と
慣習による参拝行為や合掌行為は、宗教概念を超越した素朴な習俗行為であり、最低限の社会的儀礼
であり常識的行為であり、人間として国家社会として当然の責務である。倫理、道徳、礼儀等の一連の習
俗的慣行に対してまでも、宗教行為と混同して排除否定する昨今の傾向は、常識的判断を大きく逸脱し
た偏見と誤解に満ちた妄想だ。真の政教分離とは何かを原点に立ち返って想起すべきだ。
41.ニックネーム:八幡大菩薩:国民生活:271
信仰の自由の下に魔を氾濫させ死霊魂への残虐非道の行為を放置放任してはならない
現世御利益と霊力信仰を売り物にする宗教は、真の信仰の本質を大きく逸脱した社会悪の邪宗、邪教で
邪道だ。健全な国家社会の建設には、無原則的な信仰の自由を制限し、公益性を考慮することが大切だ。
この公益性とは死霊魂に対する正しい慰謝と供養、救済であり残虐非道行為の厳禁排除である。霊力信
仰や現世御利益信仰は人々の心に魔の畜生霊を招来し社会混乱を煽るもので、また魔を信奉し氾濫さ
せる宗教団体は邪宗教として厳しく制限するべきだ。魔は人々の欲望や願望に呼応して引き寄せられて
心に付着し、様々な精神障害や混乱を生じさせるのだ。今や信仰や宗教の自由とか称して、死霊魂の正
しい慰謝や供養に逆行して、死霊魂を魔の餌食にして益々苦しめ地獄に落とし込め、国家権力の不介入
の聖域と化しているのが実状だ。生者への残虐非道な行為では刑罰等で国家権力の介入は当然だが、
死者への残虐非道行為や魔の氾濫行為に関しては、信仰の自由で放置放任されるているのが実状だ。
現実社会の混乱は正に死霊魂の苦怨の反映で、信仰の自由の下に魔を氾濫させ死霊魂への残虐非道
の行為を放置放任してはならず、正しい信仰や宗教の確立は国家社会の大重要課題で急務である。
42.ニックネーム:特ダネ公益追究特派員:国民生活:272
憲法で言う表現・報道の自由は個人の場合と第4の権力であるマスコミとで区別せよ
今や新聞やテレビ、雑誌等のマスコミの出版や報道に関して、憲法に保障された表現の自由を隠れ蓑に
して、公共の利益に反した無責任な内容の記事、放映が実に多いことが懸念される。表現の自由を盾に
して、他から何の監視も為されず、自主的判断や規制に任せて、全く自由放任になっているのが現状だ。
無原則的な報道の自由や表現の自由は行き過ぎであり、社会に及ぼす影響を考えた場合に公益性を重
視した制限は当然である。特に未成年者の精神や心の健全な育成や発達を最大限に考慮し、安穏なる
安穏なる国家社会の建設に向けて:203
社会を建設していくためにも、残酷や暴力、卑猥な描写を全面的に禁止乃至制限していくべきだ。また、
裁判等を巡る報道に対しても、個人のプライバシー確保と公益性との調和が大切であり、ある程度の規
制は当然だ。憲法で唱う表現の自由に関しては、何ら社会的に訴える手段を有しない個人の場合と、報
道権力を有したマスコミの場合とは明らかに区別して、巨大報道権力の横暴を規制していくべきだ。即ち、
単なる個人の表現の自由の権利を越えた第4の権力のマスコミ等には、より一層の社会的な責任と義務
が伴うことに注意を喚起させて、その報道や表現には一定の規律乃至制限が必要だ。
43.ニックネーム:呉越同舟七福神:文化・芸術:273
一蓮托生の運命共同体で難局対処する日本民族の心を一つにした歴史認識の変革が必須だ
日本は普段は調和を尊び表面的には議論し対立することはないが、いざと成れば国民の心や意志がバ
ラバラになる傾向が強い。これに対し複合多民族国家の米国は普段は議論し対立するが、いざと成れば
国民の意思が一つにまとまっていくことが多い。この米国と日本の国民性の差異は何処から来るのだろ
うか。米国は複合多民族国家だとを明確に意識する故に国民の意志が一致団結するからだと思われる。
然るに日本は実質上は米国と同様に複合多民族国家であるにも関わらず、無理に真実を隠蔽して単一
民族とするが故に、一向に国民の心が一つに統合されずに矛盾を抱えたまま混乱迷走して最終的に反
目し合うようだ。日本は世界中から渡来した多民族で複合的に構成され、大した民族的争いもなく単一的
に調和融合して来た複合多民族国家である。山野に囲まれた狭小な島国の中で、様々な方言や風習や
料理が混在し、各人の風貌や気質も大きく異なることが実に複合多民族の証だ。今や純粋単一民族から
複合多民族への歴史認識の大転換が必須だ。同じ島国日本に漂着した者同士は一蓮托生の運命共同
体であり、歴史的真実を基に心を一つにし一致団結して難局に対処する国民意識の変革が大切だ。
44.ニックネーム:年金未納監視探偵員:国民生活:296
年金は広く租税で徴収し給付は一律基本部分と保険方式で対処し所得保障から生活保障へ
今や国民年金の未納者は20代で5割程に達し、全体では約4割に達している。他方で厚労省の官僚達
が国民が納付した年金資金を無駄な施設に投資したり、自らの天下り確保の退職金や交際費等に浪費
し、既に年金制度は崩壊しているとの指摘もある。公的年金制度の役割は世代間相互扶助であり所得
格差の是正である。自ら支払った年金資金は当然に自ら給付を受ける権利を有するならば、公的年金制
度は形骸不要と化し、各自が自己責任で老後計画を実施すれば済む話だ。現在の年金制度は、支払期
間中の所得の何割かを保証すると言った所得保障制度であるが、高額所得者の年金給付は抑制し、老
後の最小限の生活保障を基本に据えることが大切だ。年金制度は共稼ぎ等の高額給付は所得と勘案し
て大幅に是正し、家庭を大事にする観点から、給付は夫婦一体の家族単位で支給されるべきだ。そこで
年金資金の負担は支払い漏洩を無くすためにも、消費税や所得税その他の租税から広く国民全体から
所得に応じて徴収する租税方式で対処し、給付の基礎部分は国民各位で一律にし、より豊かな老後の
生活費部分は自己責任や自助努力の保険方式で対処し、所得保障から生活保障への視点転換が必須
だ。
45.ニックネーム:平成救国大師:政治・行政:297
日米安保条約を日米平和友好通商条約に転換し真の自主独立平和国家への脱皮が必要だ
今や国内外の情勢は風雲急を告げ大激動を迎えつつある。国家破産の経済危機も急迫化し、中近東や
北朝鮮関係の軍事危機も潜在化し、両方同時の破綻襲来は極力回避すべきだ。万一、軍事的動乱に巻
安穏なる国家社会の建設に向けて:204
き込まれれば日本は再起不能の大打撃を受けるのは必至だ。既に東西冷戦終結により日米安保条約も
大きく役割が後退し、米軍の日本駐留の目的も、従来の日本防衛よりも米国の世界戦略の一端を担う役
割に変化し始めている。今後は真の国益を考慮した自主防衛力を整備し、日本独自の戦略平和国家の
樹立を目指して行くことが大切だ。それには米国の理解協力乃至米国自身の破綻崩壊が必至だが、相
当に困難な国運の舵取りが迫られるだろう。現状では益々日本は米国に従属支配され、完全な属国とし
て本格的な軍事協力の運命に追い込まれるだろうと懸念する。他方では日米経済の衰退破綻と共に日
米共倒れの大波乱によるグローバル化の終焉も切迫化し、次第に米軍の軍事的存在意義は後退し米軍
の日本撤退も現実化すると展望する。今や大幅な主役の交替と共に国民意識の変革を成し遂げながら、
真の自主独立平和国家の樹立に向けて、日米安保条約を日米平和友好通商条約に転換することが必
要だ。
46.ニックネーム:神聖天照大光明神:政治・行政:298
欺瞞の東京裁判史観と似非平和憲法から覚醒し戦後日本の呪縛を一掃し解放するだろう
現世は邪悪な想念や汚濁が社会に蔓延し、殆どの表面的事象が詐欺、恫喝、謀略の産物であり、実に
世界は欺瞞と虚構に満ちた魑魅魍魎の世界だ。現在の国論分裂・国家迷走の最大の原因となった根源
こそ、欺瞞の東京裁判史観と似非平和憲法だ。戦後日本を呪縛して日本民族を意識改造し、真正で健全
な思考や判断力を麻痺し破綻させたものだ。東京裁判は15世紀初頭の英仏戦争におけるジャンヌダル
ク裁判と同じ戦勝者が裁く一方的なものだった。ジャンヌダルクもローマ法王により魔女から聖女に改訂
宣言されるのに実に500年を要している。日本もこのままでは半永久に侵略悪者扱いの汚名を着せられ
て、隷従卑屈国家に転落し国家溶解に至るのは必定だ。今こそ似非平和憲法を廃棄し東京裁判史観の
属国意識から脱却し真の独立国へと脱皮することが必要だ。占領基本法の性格を有する現憲法の廃棄
宣言と共に東京裁判史観の改訂には、国際軍事と国際経済を支配する米国と、国連を中心に国際政治
を支配する欧州の理解と協力が必須だ。今や歴史的大改訂は、日本侵出の欧米国際金融資本を巻き込
む世界的経済大崩壊の状況下で、肉を切らせて骨を断つの神一厘の差の神仕組みにより可能だろう。
47.ニックネーム:里のお地蔵さん:福祉・医療・教育:322
教育荒廃の真の背景や原因を正しく把握理解し真正で適切な総合的打開策を講じるべきだ
昨今の教育現場の荒廃が凄まじいが、この真の原因は三つと洞察するが、正しく総合的に把握理解して
いる者は極めて少ないと思われる。一つは多くの方が示唆している教育環境を取り巻く学校や家庭にお
ける諸々の要因だ。特に子供達同士の虐めの結果が学校に誘発されて現れたもので、原因は家庭にあ
ることが多い。荒廃した家庭環境が子供達の精神を破壊し、それが原因となって学校に結果として現れ
た面が強い。二つには食べ物による影響だ。これは食事のカロリー中心や西洋化肉食化により、子供達
の身体が早く成長し過ぎたためで、大きな身体と小さな心との不均衡により自らの精神や心を制御する
能力を喪失したためだ。三つには殆ど誰も言及しない最重要な原因だが、実に苦怨に喘ぐ幾多の戦争犠
牲者達の怨念が、青少年達の未熟で柔らかい心魂に付着憑依して精神異常を招来している点だ。これら
の解決には、学校や家庭を健全にするべく種々の法制度の整備が必須で、特に共稼ぎ等から来る子供
の精神的孤独を解消する家庭環境の是正が大切だ。そして健全な食生活や心魂の発達を回復し、更に
は道徳や倫理等の情操・宗教教育の基に、各家庭で正しい死霊魂の慰謝と供養が肝要であろう。
48.ニックネーム:ネコ犯罪目撃証人:国民生活:323
未成年者の残虐犯罪の背後には猫の虐待等による憑依現象が絡み適切な対応が必須だ
安穏なる国家社会の建設に向けて:205
最近の青少年の犯罪は、余りにも凶暴化し残酷化し陰湿化しているが、殆どの医者や心理学者、宗教家
には精神異常犯罪の真因と対策が解っていないようだ。最近の未成年者の残酷な犯罪の背後には、猫
への同情・廃棄・虐待・殺傷からの憑依現象による因果関係が実に多く見受けられる。米国でも、凶悪犯
罪の背後に猫との関係を指摘する意見も登場している。畜生死霊魂の中でも特に猫とサルの祟りや怨
念が強いようだ。日本でも昨今の幾多の残虐な殺傷事件を見ると、犯人の猫に対する虐待残虐行為が
関係しているようだ。異常事件の背後に畜生死霊魂による憑依付着現象から招来される精神異常化が
ある。畜生死霊魂に憑依された青少年犯罪者に対し、単に少年院等の閉鎖的場所に隔離監禁では何も
効果的解決にならない。厳罰で臨むと言っても、制裁的な厳罰ではなくて、心や魂の自力による救済を支
援することが必須だ。即ち、某スクールで実施したような生きるか死ぬかの身命を賭した環境や訓練を与
えて精神的鍛錬の更正が必要だ。特に畜生霊魂に付着されて凶暴化した青少年に対しては、自力で困
難に耐え得る厳しい心身の試練が必要で、それを乗り越えて畜生死霊魂との離別が可能だろう。
49.ニックネーム:知恵の輪解き明かし名人:産業:324
今や原油と水は戦略物資と化し世界的争奪戦が始まったが創意工夫で解決打開が可能だ
今や世界は原油と水の争奪戦が始まった。様々な代替エネルギーも原油に交替できるほど有望ではな
い。当面は原油が産業の主役となり壮絶な争奪対象と化すだろう。なお原油は地球内生成物の石炭と異
なり宇宙飛来のものだ。その証拠に様々な炭化段階で存在する石炭に比べて、原油は重質・軽質の区
別はあるが、原油の様々な生成段階のものが発見されていない。また聖書にも空からビチューウメン(原
油)が降ってきたとの記載もある。この事実に基づいて智恵と工夫により探査すれば、原油は豊富に獲得
出来るだろう。また現在、水の一般的な供給は河川と湖沼であるが、世界では既に河川の上中下流域に
おける深刻な争奪戦が始まったようだ。日本でも河川や湖沼が汚濁化し、安全な水不足も深刻化しつつ
ある。中東地帯で実施している淡水化プラントによる海洋からの供給は高コストに付くのが現実だ。ところ
で河川の流入もない某外国の湾口では、船舶が湾奥へ行くに連れて船足が速くなるが、これは海水から
淡水に変化して船底に付着している貝殻海草が離脱するからだ。ここには海水を淡水化できる自然の原
理が隠されており、創意工夫により海水から大量安価な淡水の供給が可能となろう。
50.ニックネーム:新しい夜明け:経済:373
資本主義を基本に社会主義で融合した新しい自由・計画の混合経済制度の構築が必須だ
先の旧ソ連邦の共産主義の崩壊に次いで今や資本主義も弱肉強食の市場原理主義の蔓延により破綻
終焉に近付きつつある。投資と生産と消費とが調和しないと資本主義のゲームは終了だ。資本主義は自
由奔放の欲望礼賛的だが、問題点は弱肉強食、競争至上主義、市場万能主義の世界であり、人間の幸
福とは必然的には相容れない利益追求欲をその教義とし、過度の抑圧的搾取的な体質は人間性破壊を
生み制限されるべきだ。一方で、社会主義は物質的な意味での平等と豊かさが保障されるが、問題点は
中央集権国家の官僚支配による非効率的な生産と流通の計画管理であり、労働疎外の非人間的で堕
落した生活環境を強制され易い。21世紀は20世紀までの対立概念ではなく融合概念で行くべきだ。バ
ブルを産み易い高度経済成長を制限して安定低成長を目指し、環境に調和した循環型社会を醸成すべ
きだ。新しい時代は資本主義を基本とし社会主義で調和させた両者の融合する第三の方向が大切だ。
即ち自立・自存・自活の自由経済社会と、「共生の思想」を基本にした共存・共栄・共立の共同体的計画
経済社会の融合だ。従来歴史を総決算し21世紀を展望する中庸・中道の新しい混合経済の構築が必須
だ。
安穏なる国家社会の建設に向けて:206
51.ニックネーム:卒倒ソクラテス:国民生活:374
21世紀は精神と心、心と霊、霊と魂の真正な理解と認識に努めて行く時期に来たようだ
多くの医者や学者や宗教家は、精神と心、心と霊、霊と魂とを混同し、これらの厳密な相違を真剣に探求
し理解していないようだ。人間は、「態と心と魂」により構成されていると思われる。この「態」は精神と共に
ある肉体であり、精神は意識にも通じるもので、神経や知覚などの脳の働きであり、死後は消滅するもの
だ。「心」は古来、多くの文学者等が素直に感じたまま、「胸が熱くなる、胸に感動を覚える、胸から涙が込
み上げる」等と表現してきた想いだが、実に胸に宿っている働きを表現したものと思われる。よく思考と言
うが、思うと考えるとは概念的にも相違し、心に思う、頭で考えるの表現からもその相違が理解できる。こ
の心は、肉体消滅の死後は「霊」に変化するものと思われる。霊こそ心が想念波動となって浮遊するもの
だろう。「魂」は生存中は原則的には働かず、正に火事場の馬鹿力のように、身命を賭した無意識の行動
により、下腹部から込み上げてくる発魂にて働くものと思われる。肉体消滅の死後は、魂は永遠の生命
体として輪廻転生界を遍歴して行くものと思われる。21世紀に突入した現在、実に概念を正しく理解して
真理を探求し幾多の迷妄を打破することが大切だ。
52.ニックネーム:宇宙船北斗七星号:文化・芸術:375
輪廻転生と因果応報の法則を真理として容認認識し正しい生き方を理解することだ
今や輪廻転生と因果応報の原則を素直に真理として認識し、正しい霊魂観を理解する歴史的転換点に
来たようだ。輪廻転生とは魂が永遠不滅の生命体として前世、現世、来世と輪廻転生していく法則だ。こ
の真理を受容すれば、現世に生きる目的が魂の錬磨や向上、浄化だと自ずと理解でき、多くの混乱や対
立が一掃され協調と共存の思想が生まれるだろう。因果応報の原則も同様に真理で善行善果、悪行悪
果のことだ。即ち必ず原因に対応する結果があり、善行や悪行にはそれぞれ良い結果や悪い結果があ
ると言うことだが、単純に一律の因果に至るものではない。原因と結果の間には縁があり、実に心の在り
方や先祖の霊魂が関係するものだ。即ち、打算や売名、利欲で善行を実施しては善果は帳消しだ。虚心
坦懐の真正な心魂で実践することが大切だ。悪行も真実、正義と確信し誤解して実行すると容易には悪
果は現れにくい。また先祖の善行や功徳が子孫の多少の悪業も帳消しにするが、先祖の功徳が払底し
てくれば因果応報通りに天罰を喰らうようだ。逆に先祖の悪業は子々孫々まで祟り、子孫の多少の善行
では運命を容易には変革できないものだ。なお相互に衝突するカルマの優劣も複雑に影響する。
53.ニックネーム:伊豆の海ナマズ:環境問題:397
東海沖駿河湾地震の発生よりも伊豆半島の反対側の相模湾の方が可能性が高いと思われる
1978年頃から東海沖地震が喧伝されて来たが既に4分の1世紀も経過しても全く発生の兆しもない。そ
の間に伊豆七島の三宅島の火山噴火や東京近辺での地震の頻発化を見ると、東海沖地震の可能性よ
りも東京近辺での大地震の可能性が高いと思われる。東海沖地震は、伊豆半島付近の海洋底地殻内部
で沈降する両巨大プレート同士の衝突による歪みエネルギーの蓄積発生からの想定であろうが、伊豆半
島の東西では半島の堅固な山塊を境に地震発生の影響が大きく相違する。相模湾伊豆大島付近で発生
した1929年も関東大地震も、伊豆箱根の堅い岩盤で遮断されて伊豆半島を越えて西には伝搬していな
い。伊豆半島付近であれば西でも東でも大差ないとは素人的判断だ。伊豆半島の東西では地殻構造も
大きく異なり、地震発生の原因や背景が大きく相違する。伊豆半島付近での大地震発生の可能性は存
在しても東海沖地震の可能性は低いと思われる。それに東の相模湾では巨大都市東京への影響は甚
大だが、西の駿河湾では伊豆半島に遮断されて東京へは大した影響はない。巨大地震発生の可能性は、
安穏なる国家社会の建設に向けて:207
喧伝される伊豆半島の西側の東海沖の駿河湾よりも、反対側の東側の相模湾の方が高いと思われる。
54.ニックネーム:無知無恥中学生:国民生活:398
各種猥褻強姦行為の親告罪適用を年齢規定と共に見直して非親告罪を適用し処罰すべきだ
刑法176条から179条に亘って強制猥褻罪、強姦罪、準強制猥褻・準強姦罪、未遂罪の規定を設け、1
3歳以上の男女に対する暴行又は脅迫を用いた強制猥褻行為、13歳未満の男女に対する猥褻行為、
暴行又は脅迫を用いた13歳以上の女子に対する強姦行為、心神喪失若しくは抗拒不能に乗じた猥褻
行為や強姦行為等の準強制猥褻や準強姦行為等は、未遂行為も含めて親告罪になっている。但し二人
以上は非親告罪だ。既に6カ月間の親告期間の制限規定は撤廃されたが、犯罪対象年齢の13歳の規
定は妥当だとしても、親告罪適用や年齢は如何なものか。これら犯罪行為を受けた13歳以上の男女や
13歳未満の男女、また13歳以上の女子に親告罪と言っても、これらの犯罪行為に対する法律を深く理
解して親告罪の適用を知る未成年者が果たしてどれだけいるのか。余りにも低年齢を対象とするものだ。
親告罪適用は未成年者等のプライバシー保護への配慮だろうが、法律に無知な場合が多い未成年者に
親告義務を課す等は保護としては不十分だ。犯罪抑止の社会性や未成年者保護を重視して、親告罪の
適用を年齢規定と共に見直し、二人以上の場合と同様に非親告罪を適用し処罰すべきだ。
55.:ニックネーム:大和共和国大使:政治・行政:432
最適行政単位は面積と人口を考慮し中央集権緩和の下に府県制堅持で道州制は行き過ぎだ
道州制論議が地方分権論議と併行して活発化だが、道州制の中味も不鮮明で、単に広域的な行政効率
化を図る経済的視点からの要請が多いようだ。単純に面積のみの観点から、現在の府県制が時代に不
適合として解体する道州制は余りにも飛躍し過ぎだ。きめ細かな住民サービスや地域の活性化に対して
も不均衡を拡大し、均衡のとれた効率的な国土の発展の視点からも問題がある。行政が適切に住民の
要望を把握し、効率的に行政サービスを行えるには、単なる面積の他に最適な人口があり、その意味で
も現在の府県単位の行政機構は堅持するべきだ。中央集権を緩和し各地方自治体が自立することは大
切だが、各道州が独立国家化する連邦制への道を開いては、国家の中に国家を形成する国家解体の結
果に至るものだ。地方分権論議の結果が道州制では、真の地方分権の真の趣旨や精神から大きく逸脱
し暴走だ。むしろ市町村の面積的統合を図る方が、行政の効率性や歳出の合理化等で効果的だ。広域
的行政上の要請や事例によっては、各自治体が適宜に臨機応変に連携協力して広域行政に対処展開
するのは可能だ。最適行政単位は面積と人口を考慮し中央集権緩和の下に府県制堅持で道州制は行
き過ぎだ。
56.ニックネーム:大宇宙統体教伝道師:政治・行政:433
外国人参政権付与は日本国籍取得を最低条件に日本への愛国心や忠誠心等を重視すべきだ
永住在日外国人参政権付与問題で国論が二分しているが、参政権付与の是非は公務員適格の是非と
密接に関係し何れの場合も明らかに不当だ。積極的推進派の中は、単に人道的同情的な立場からより
も、選挙対策としての住民の頭数確保の面から打算的に提唱したり、真正な国家観を喪失し反国家的政
治姿勢を有する者も少なくないようだ。地方参政権も国政での参政権も同様の次元の問題で公務員を選
挙することでは同じだ。参政権行使を認めれば、次の段階は公務員の資格だろうが、公務員になるのは
国家と運命共同体になる自覚が必須だ。公務員の候補者になる立候補権も、公務員を選ぶ参政権も同
様の権利で、単なる納税義務を果たすのと参政権付与の権利とは次元が異なる。当該外国人が郷に入
安穏なる国家社会の建設に向けて:208
っては郷に従わずに反日的言動や感情を有する以上、選挙権は国家的な重要課題だと認識し理解こと
が必須だ。参政権付与は単なる町内会での私的な選挙権と同様な次元で論じるべきではない。反日的
外国人が大挙して住民票を移動させて、市町村を支配管理し、様々な勝手な条例の制定も可能なのだ。
当該参政権は日本への愛国心や忠誠心等を重視し、少なくとも日本国籍取得を最低条件にすべきだ。
57.ニックネーム:内閣官房主席補佐官:政治・行政:434
真の三権分立とは主権在民の下で最高責任指導権力の内閣が三権を調整し統御することだ
司法、行政、立法の三権分立が民主主義国家の基本理念であり、現行日本憲法でも三権が相互監視す
る制度となっているが、その解釈運用においては再考慮が必要だ。三権は相互に監視制御しあって暴走
防止が大切だが、三権が個々独立に対等に分立して行動すれば、相互牽制の長所よりも、政府権力は
求心力や機動性を欠き分裂化するのも必定で、真の主権在民による責任民主主義から離れて国家基盤
が弱体化し易い。三権の上には、主権在民の下に選挙された強力な権限を有する総理大臣が最高責任
者として君臨し、三権を調整し統率し制御していく内閣主導の役割や仕組みが好ましい。高い資質や品
位、明確な目的理念や国家の方向性、国家観を有した総理大臣を中心とする内閣が、責任と果敢な実
行力を持って国家社会のために各種の政策課題を実行することが必要だ。勿論、権力の独裁横暴への
弊害を極力防止する措置を講じることも大切だが、三権を調整し統御する内閣総理大臣の権限の強化と
責任の明確性が必要だ。昨今の内閣法改正により、内閣機能の強化や内閣総理大臣の強固な指導力
発揮の確保に向けて大きく前進し、本来の理想的国家像の方向性が出て来たことは当然で歓迎すべき
だ。
選考結果:第1回入選作(500字以内)
第1等(1本=10万円5件)
旧40.ニックネーム:宗教政治死相腐朽駆除剤:政治・行政:270
政教分離原則とは、宗教団体の特定の政治団体への政治活動の参加支援の厳禁である
宗教の本質とは、死霊魂の正しい慰謝と供養、救済を最大の目的とし、安穏社会形成を祈念した奉仕活
動に専念し、世俗的な政治から隔絶して政治を傍らから温かく見守ることだ。公益宗教法人法で守護す
る幾多の減税措置もその趣旨だ。宗教団体の広範な政治活動への参加や支援を認めるならば、最早宗
教団体ではなく政治団体、思想団体である。それなら宗教法人を返上させ税法上の特典を剥奪すべきだ。
宗教法人を隠れ蓑にして税法特典を享受して政治活動をするのは制度の趣旨を大きく逸脱するものだ。
憲法で規定する宗教と政治との関わりを禁止する政教分離の趣旨は、正に特定の宗教団体の偏った教
義による政治参加、政治支配を厳禁にし排除することだ。なお死霊魂に対する慰謝や供養という伝統と
慣習による参拝行為や合掌行為は、宗教概念を超越した素朴な習俗行為であり、最低限の社会的儀礼
であり常識的行為であり、人間として国家社会として当然の責務である。倫理、道徳、礼儀等の一連の習
俗的慣行に対してまでも、宗教行為と混同して排除否定する昨今の傾向は、常識的判断を大きく逸脱し
た偏見と誤解に満ちた妄想だ。真の政教分離とは何かを原点に立ち返って想起すべきだ。
2等(技あり=5万円5件)
旧16.ニックネーム:安楽決死救助隊:医療・教育:142
本人や家族の意思を最大に尊重し適切な判断対処の下に安楽死を許容すべきだ
安楽死の是非は今や世界的な深刻な課題で、オランダでは既に法制化され、日本も不可避の問題だろう。
安穏なる国家社会の建設に向けて:209
安易に広範に安楽死を認めていった結果、臓器移植への便乗やベッド管理の経営都合から悪用実施さ
れていくのは問題だが、看護する家族側の生活費や医療費の負担の現状を優先考慮されるべきだ。現
在は医者が単に回復可能であるかの判断で延命措置を施している状況だが、無益徒労の過剰医療を排
した合理的な快復可能性を巡る医者の判断が必要だ。安楽死は何よりも看護を巡る本人や家族の意志
を最大に尊重し認める方向で考慮されるべきだ。その際に医療以外の要素も考慮されるべきで、故意の
殺人の可能性を検証し排除するべく、刑法犯罪に抵触するかの法的判断で、警察の関与を認めることだ。
そして看護する家族の負担を経済面から解放するための判断として、生活に密着した地方自治体を代表
する県知事の判断が関与されるべきだ。即ち、医者と警察、県知事の三者の合意により安楽死の是非を
総合的に判断して行くべきだ。本人や家族の意思を最大に尊重し、看護費用や労働等からの負担解放
を優先的に考慮し、無駄無益な過剰医療を排し、適切な判断対処の下に安楽死を許容すべきだ。
効果(賞金無し=対象49件)
旧6.ニックネーム:健全家庭建築設計家:国民生活:72
少子化対策や健全で安穏な家庭環境育成に向けて共稼ぎを制限することが必須だ
社会の最小構成単位は家庭と個人であり、安穏な社会形成には健全な家庭と個人の調和が大切だ。健
全な家庭での健全な子供の育成が必須であり、単に子供の数が問題ではない。現下の少子化や子供の
非行、家庭の崩壊現象は、親の都合を優先させた家庭軽視の共稼ぎ風潮の蔓延が原因だ。有能な女性
の家庭外活動や社会貢献は尤もだが、皆が真似をするから問題だ。飲酒や喫煙、運転で少数に問題な
しでも全員に解禁出来るのか。某外国では共稼ぎを支援する保育所や老人ホームの増設結果、子供の
非行や老人の自殺が増えている。なお共稼ぎと共働きを厳密に区別することが大切だ。農山漁村や個人
商売などで夫婦協力して働く共働きは結構だが、別々に働き稼ぐ別働きや共稼ぎが、安穏で健全な育児
や家庭形成に弊害なのだ。各個人や各家庭の様々な態様により、共稼ぎは一律に弊害が表面化しない
し容易に因果も理解できないが、子供の成長や社会的に危険な賭である。健全な家庭の形成には共稼
ぎを制限し、育児の負担を軽減するべく教育や住宅面で公的補助が必須だ。各家庭での稼ぎ手は夫婦
一方にし他方は奉仕で働き許可制にすべきだ。意識変革不能ならば家庭重視の母親女性の移民も検討
課題だ。
第2回投稿内容(2004年11月15日~2005年1月15日)
再度、「日本を変える」原稿を投稿しておこう
9月開始の予定であった某財団の「日本を変える」投稿募集の第2回目の企画が、しばらく遠離ってい
て、何か政治的な圧力があって中止に追い込まれるかと危惧していたが、11月中旬から再開され、募集
は来年1月中旬までの予定だ。第1回の終了後は、人気投票の悪ふざけ的な評価や投稿に対し馬鹿馬
鹿しくてやる気もなく、二度と参加しないと決め込んでいたが、前回、一本(1等)と技あり(2等)に入選し
たわけでもないが、前回に投稿して没になった原稿を改訂して再度投稿しておこうと思う。今回は少しは
正しく評価するものと期待したいからだ。別に新たな視点で評価されなくても、当方の思考の整理ともなる
ものだ。前回は全部で57件応募したが、今回は、80件以上にも成る予定だ。取り敢えずは、11月中旬
過ぎに、27件ほど投稿しておいた。なお前回は500字以内と言うことであったが、今回は少し簡略化し
て400字以内に減縮したようだ。ある意味では厳密に記載するのが困難になった課題もあるが、別の観
点からは、簡潔にまとめる要領や才能を試される意味もあって、必ずしもマイナスとも言い切れないよう
に思われる。それに今回は外部から2,30歳代の若手も参加して選考していくようだという。また今回は、
落選のものも含めて、全ての投稿作品を課題だけでも公開するという。これならば、課題だけである程度
内容が推察・想像・理解できるならば、大いに関心を呼んでいくことであろうと期待するものだ。センセー
安穏なる国家社会の建設に向けて:210
ショナルなテーマであれば、たとえ落選になっても、社会的インパクトは大きいと言えるだろう。
作品(400字以内)
1.ニックネーム:火山列島噴火爆発仕掛け人;14
画期的新素材技術を国家買収し「新日本列島大改造論」の国家プロジェクトを実践せよ
世界最大の未利用資源の火山灰を活用した画期的な多機能新素材が登場した。新素材は極めて高い
強度、断熱、耐火、耐久、防水・防湿、意匠性等を有する内外装不要で、適切な骨材や補強材との組み
合わせで、従来のコンクリート等の建設材料や鉄鋼や樹脂・石材・木材等にも代替可能だから広範な用
途に及ぶものだ。火山灰は取り扱い困難で厄介な廃棄物だが、新素材は常温常圧の無焼成で安価に固
化製造が可能だ。骨材には火山礫や殆どの産業廃棄物が適合し、高レベル放射性産業廃棄物の処理
にも効果的だ。現下のコンクリートや鉄鋼、樹脂、木材等を巡る諸難題の有効解決から、内需拡大、国土
開発、資源・エネルギー消費の大幅削減、各種産業廃棄物処理、河川・湖沼の浄化、砂漠の緑化等に多
大な効果を招来し、国内外を起死回生する歴史的材料革命・産業革命になろう。当該新素材技術を個人
や企業に委ねずに、国益重視で国家買収して国家プロジェクトを実践せよ。
2.ニックネーム:日本語改訂士:15
世界的指導国家に向けて自立主体的な国民性への変革のために日本語を根本的に改訂せよ
今や深刻化する国家社会の衰退・堕落の原因は日本語の乱れや欠陥にある。平仮名大和言葉の本来
の日本語は、自然のリズムや宇宙の響きと調和して左脳を活性化し、情緒的で穏和な語感を有した素晴
らしい言語だが、一語彙に複数の意味を有し曖昧模糊だ。現在の日本語は朝鮮古語や漢語や英語等の
外来語を取り入れて複雑高度に進化してきた。本来の日本語の特徴は主語や意味・意志の不明瞭性等
が指摘されるが、これが白黒、善悪、優劣等を曖昧にし、非難や対立を排して穏和を尊ぶ国民性を形成
し、他方で迅速性や主体性、正確性の欠如の意志・主張・評価・結論を回避した優柔不断、内向き思考、
複雑な敬語の形式重視の国民性を形成してきた。今やグローバル化で日本語の欠陥面が国民性にも悪
影響を及ぼし、無責任、問題解決先送りの体質に蝕み、国家社会を迷走溶解させる元凶になり、世界へ
の日本文化の発信や国民性の変革に向けて日本語の大胆な根本的改訂が必須だ。
3.ニックネーム:世直し大明神:16
今世社会を救う第一義のものとして、国民総決起による「真仰」、即ち黙祷を実践しよう
今や世界は数千年来の宗教的対立の総決算となった。世界三大宗教の根本理念における重大な誤りを
懸念し、宗教を超越した真正な信仰である真仰とは何かを洞察する。目下の殆どの宗教は、現世御利益
追求や霊力崇拝の畜生死霊魂の魔に通じる「信心」や、感謝対象を誤った魔に通じる「信仰」で、感謝対
象が真正な「真仰」ではない。大宇宙の創造主の真の神仏は大自然界には存在せず、地球上に降臨も
現出もせず、人間と対話もしないと思われ、輪廻転生界を超越した超絶無限の宙天に鎮座されと思われ
る。真仰とは、自らの心魂を清浄にして宙天に鎮座される真の神仏とを直結一体化させながら、感謝の
念を有して真の神仏を仰ぎ詣拝することで世界人類共通普遍の黙祷である。現世の混乱は死霊魂の苦
怨の反映であり、慈愛と感謝の想念に満ちた国民総決起の真仰の実践は、苦怨に喘ぐ死霊魂を慰謝し
救済し、安穏で健全な現世社会を招来させ今世社会を救う第一義のものだ。
安穏なる国家社会の建設に向けて:211
4.ニックネーム:天空からの使者;17
神聖波動の発信浸透で、邪悪で猜疑な想念を一掃廃絶し、今世社会を浄化刷新するだろう
釈尊が達成された真の仏身顛化の歴史的大偉業、仏身、如来、神仏、解脱とは何かを洞察する。人間を
越えた仏身とは神聖で清浄な魂が肉体を離脱し、輪廻転生界を超越した宙天に到達された方だ。この宙
天の玉座に鎮座される真の神仏こそ、大宇宙が消費する全エネルギー粒子を生産湧出する創造主だろ
う。この宙天の神聖なエネルギー粒子を瞬時に把持した真法で、全ての因果関係を把握し広大無辺の仏
知恵の受持が可能だ。殆どの霊感は輪廻転生界に徘徊する畜生死霊魂による魔感であり、真の神仏に
よる神聖で光輝な波動は、自らが発した邪悪で猜疑な想念波動が遮断されて自らに跳ね返って自業自
得や因果応報に至るものだ。宙天よりの真の神仏の神聖な波動が充満したものがあれば、それに対し嫌
悪や中傷や反発の邪念波動を発することは要注意だ。今正に日本からの神聖光輝な波動の発信浸透で、
国内外の邪悪で猜疑な想念を一掃廃絶し、今世社会を浄化刷新するだろう。
5.ニックネーム:創造立国綜合推進総務責任者:18
21世紀日本の命運を決する創造技術立国の実現を目指して抜本的行政改革を実践せよ
今やグローバル経済を反映して国内外の諸情勢が激変し、国内外の経済環境の大変化により、地域経
済衰退化や国際競争力低下を招来し、従来の加工貿易立国の国是も大きな転換点に来た。今や新たな
国家再生の方向は創造技術立国であり、その総合的推進には、知的財産権等の出る杭を尊重して、真
正な評価や誠実な対処が為し得る教育環境や契約遵守社会の醸成、更に創造的国民意識の変革が必
須だ。目下、関係機関により、ベンチャービジネスの活性化や創造教育の鼓舞に向けた各種法制度の
様々な施策が実施されているが、現行行政機構内では根本的改革には不十分で限界だ。正に特許庁を
中心とする強力な知的財産行政推進への抜本的行政改革の実践こそが新しい21世紀の日本の命運を
決するだろう。それは各省庁に跨る各種知的財産権の管轄の一元化であり、全産業を対象とする特許庁
が特定製造分野を管掌する経済産業省から分離独立し、特許裁判所への昇格が必須だ。
6.ニックネーム:健全家庭建築設計家:19
少子化対策や健全な家庭環境育成に向けて共稼ぎ制限を仕事の分かち合いから実施せよ
安穏な国家社会形成には社会の最小単位の家庭と個人の健全な調和が大切で、単に子供数が問題で
ない。現下の少子化や子供の非行、家庭の崩壊現象は、親の都合を優先する家庭軽視の共稼ぎ風潮の
蔓延が原因だ。有能な女性の家庭外活動や社会貢献は尤もだが皆が真似るから問題だ。飲酒や喫煙、
運転で少数に問題無しでも全員に解禁出来るのか。某外国では共稼ぎを支援する保育所や老人ホーム
の増設結果、子供の非行や老人の自殺、離婚が増え、働く女性の子育て支援が有効ではない。共働きと
共稼ぎは厳密に相違し、農山漁村や個人商売等で夫婦協力する共働きは結構だが、別々に働き稼ぐ別
働きや共稼ぎが安穏で健全な育児や家庭形成に弊害だ。各個人や各家庭の様々な態様により、共稼ぎ
は一律に弊害が表面化せず容易に因果も理解できないが子供の成長や社会的に危険な賭だ。少子化
対策や健全な家庭環境育成に向けて、仕事の分かち合いの観点から共稼ぎ制限を実施せよ。
7.ニックネーム:宝物探査モグラ隊長:20
マグマ溜まり内部からウラン等を抽出し資源エネルギー国への大転換を達成せよ
プレートテクトニクス説は地殻表面の視覚的な現象分析には効果的だが、多くの地震や火山等の地殻内
安穏なる国家社会の建設に向けて:212
部の様々な細部現象は全く解明できない。プレート相互の摩擦熱の蓄積歪みエネルギーでは、膨大な火
山爆発や地震発生のエネルギーは発生しない。放射性核実験と酷似した火山爆発現象を観察し、仮説
として、火山噴火はマグマ溜まり内の濃縮放射性物質が臨界点に達し核分裂反応で発生し、放射能は
爆発瞬間に消滅し別の未知の素粒子の核種に転換したことを指摘する。傍証として、未解明の巨大な桜
島大根の謎や、奇怪な動植物が多いガラパゴス諸島の謎、火山地帯に地磁気の異常が起こる背景は、
未知の素粒子や放射性物質の照射や影響が原因だと指摘する。なお火山爆発と地震発生は同じ原理で
あり発生する深さの相違でしかない。天然の原子炉のマグマ溜まり内部から放射性物質のウラン等を抽
出し、資源エネルギー国への大転換を達成し、地震発生や火山爆発の抑止せよ。
8.ニックネーム:放心性異常気性人間:21
異常気象や温暖化の主因は放射能核実験の放射性塵であり炭酸ガス説の迷妄を脱却せよ
目下、地球上で頻発化する異常気象や温暖化の主因は炭酸ガスとするが、フロンガス同様、空気より重
い炭酸ガスが如何に高度1万米の成層圏に到達できるのか、精々が対流圏3千米当たりの測定結果で
しかない。炭酸ガスは窒素ガスと共に酸性雨や光化学スモッグ等の大気汚染の原因だが最近の異常気
象等の主因ではない。炭酸ガスは植物による光合成作用で空気中から森林に吸収され、海洋に流出し
て貝殻の炭酸カルシウムとして吸着され、自然界で循環固定される。植物の光合成作用には空気中の
炭酸ガスの量だけでは大不足し、大地や地殻内部からの大量の炭酸ガスの地上空中への放出があって
可能だ。異常気象や温暖化の頻発化は、1960年代頃から炭酸ガスの大量発生の工業化と共に始まっ
たが、主因は同時期から毎年5,60回で累計1800回以上も実施された放射性核実験による放射性塵
だ。今こそ異常気象や温暖化が主因とされる炭酸ガス通説の迷妄を脱却せよ。
9.ニックネーム:白衣の天使:22
爆発するエイズへの的確な原因究明と有効適切な対策予防を早急且つ広範に実施せよ
今やエイズは爆発的に世界に蔓延し人類滅亡の危機が急迫している。エイズ菌は不自然な性行為が発
生原因で、不幸にも不衛生で輸血等で蔓延したものだ。エイズ蔓延防止には、当該性行為の危険性を啓
蒙して厳禁にすべきだ。精子は人畜無害な単なる物質でなく、動き生息する生命物であり、エイズ菌は精
子のオタマジャクシが体内でカエルに孵化したものだ。エイズ菌は血液や精液内に多いが、汗や唾液に
も僅かに存在するから日常生活の中で空気感染しない保障はない。エイズ菌は土葬などで地下水に紛
れ込んで水道水に混入する危険性があるが、一旦空気中に浮遊すれば太陽光線に弱く死滅する。エイ
ズ菌発生には人種も関係するが、エイズ菌の体内侵入には殆ど抵抗力なく感染する。エイズ患者の対策
としては、結核患者と同様に隔離して太陽光線の殺菌で治療し、死後はペスト患者と同様に火葬に付し
て殺菌することだ。今こそ的確な原因究明と適切な対策を早急に実施せよ。
10.ニックネーム:巨石文明解剖診断師:23
エジプトピラミッドの巨石を始め世界の古代文明の巨石は人工コンクリートであろう
古代巨石技術を解明して資源エネルギー問題を解消し火山灰宝庫の砂漠を緑化しよう。
古代エジプトのピラミッドの建造方法や目的背景等が全く未解明だ。通説では大量の奴隷を使用し、遠く
離れたエチオピアから切り出し運搬したとするが、大人数の労働者を駆使し動員した大都市の痕跡もなく、
巨石を如何なる方法で積み上げ建造したのか全く謎である。ピラミッド石を割ると中から毛髪や枝葉が発
見されるが、人工凝固によることを示唆するものだ。天然石か人工石かは時間の経過と共に専門家でも
安穏なる国家社会の建設に向けて:213
判断が出来ないようだが、世界中の巨石には不思議とコケが生えていないようだ。古代エジプトのピラミ
ッドの巨石は、恐らく砂漠の砂と、岩塩、有機物、石灰等を常温常圧で混練し凝固したものだろう。この砂
漠の砂は岩石が風化したものではなく断熱性や殺菌性に富む微細な火山灰である。今こそ砂漠の砂使
用の古代巨石技術を解明し、併せて火山灰を有効活用する画期的技術を広範に普及させ、資源エネル
ギー問題を解消して豊富な火山灰宝庫の砂漠を緑化しよう。
11.ニックネーム:戦国乱世風雲児:24
国際情勢の歴史的激変の中で国民意識を変革し崇高な理念提示で日本が世界を教導しよう
歴史的激変の中で、米国が撞き欧州が捏ねし天下餅、それを吾が真正(神聖)日本が喰え
今や2004年春頃を境に世界は歴史的大激動に入った。軍事覇権米国の衰退からEUの台頭への大転
換であり、EUも最後に破綻する兆候も現れて、グローバリズムの終焉も遠くない。台頭著しい中国経済
も深刻な問題も抱えて最後は大分裂崩壊に至ると予想される。中国の崩壊は暴走する経済を政治が制
御可能との大誤算によるものだ。ロシアも原油高を反映して外貨準備も好調だが、軍事優先では東西へ
の再分裂は不可避だろう。日本も不良債権や財政破綻、産業空洞化の進展と共に税収悪化等で最後は
貿易面で破綻し、三流国家への転落も必至だ。次第に世界は南北米ドル経済圏、EUユーロ経済圏、そ
して中国元と日本円とが共存するアジア経済圏へと三大経済圏に収斂されよう。世界経済の衰退及び大
国の理解の歴史的大激変を背景に、世界を教導する崇高な理念の提示と、国民意識の大変革を三位一
体として、日本から歴史的大改革を実践し世界的指導国家への大転換を。
12.ニックネーム:真正胎児診断女医:25
合理的な倫理観を大胆に提示して、堕胎の是非を巡る世界的論争に一石を投じよう。
今や米国では堕胎の是非で国論を二分し宗教的対立論争に発展している状況だ。日本では優生保護法
はあるが、堕胎は自由放任だ。一律に堕胎は悪と断罪したり、また自由意志に基づく自己責任問題に出
来ない要因もあり、一体如何に判断するべきか。性交を全て崇高な行為として、やむを得ない経済的理
由や強制不本意な性交により妊娠した者に、生命道徳倫理観を強調して出産を強制出来ない。この堕胎
の是非は科学的実証的に決着できないが合理的思考で判断すべきだ。妊娠3カ月までの堕胎ならば母
胎は比較的安全だが、それ以降は極めて危険であり母胎の安全との関係で考えるべきだ。生命体として
の魂魄が宿るのは、精子と卵子の結合時か出産時か、一体いつの段階かで見解が錯綜するが、堕胎や
水子供養の是非を含めて、母胎が安全な妊娠3カ月を境に判定するのが合理的だ。今こそ合理的な倫
理観を大胆に提示して、堕胎の是非を巡る世界的な論争に一石を投じよう。
13.ニックネーム:動物交替植物化人間:26
植物人間の本質を理解し現状を合理的に打開し医療や看護の負担から解放しよう
刑法にも民法にも死亡や殺人の概念はあっても死の定義はない、人間の死は、臓器移植法で死の概念
を初めて便宜的に脳死と定義したが、他に心臓の鼓動停止や呼吸停止が考えられるが何れも真理では
ないようだ。人間は肉体・精神と心と魂との三位一体で構成され、心は死後は霊に転化し、魂こそ永遠不
滅の生命体だろう。正に死とは本人の魂が肉体から離脱することで、体内に人間の魂があるか否かが重
要だろう。植物人間とは事故瞬間に本人の魂が抜け出て畜生死霊魂が交代潜入した結果だと思われる。
例え、微笑や発声、身体微動があっても、本人の魂は既に肉体内に存在せず死亡したものと思われる。
そこで合理的で便宜的な判定は、3ヶ月経過しても何ら回復困難であるならば、人間としての魂は既に肉
安穏なる国家社会の建設に向けて:214
体から脱却して、代わりに畜生死霊魂が混入したと判断しても良いと思われる。植物人間の本質を理解
し現状を合理的に打開し過剰な医療を排し看護の負担を解放しよう。
14.ニックネーム:東京湾のウミヘビ:27
外洋から深すぎる東京湾は巨大都市物流の安全やコスト低減から半分ぐらい埋め立てよ
1日1800隻の船舶が移動する東京湾内は、3千万人巨大都市東京の巨大物流を取り扱うには湾奥が
深すぎ、経済的物流の安全とコストに問題が多い。東京湾の埋め立ては、浄化能力が低下するとは思わ
れないし、またヒートアイランド現象の原因は都市のコンクリート化にあり、東京湾干拓は内陸部の湖沼
ではなく外洋に近接した湾口だ。現在でも東京はコンクリートによる温度上昇に見舞われているが、埋め
立て地全体をコンクリート化するものではないし、風もむしろ内陸部から海洋への発生が大きく、湾内を
半分干拓しても差ほど深刻な問題にはならない。このままでも巨大都市東京から排出される廃棄物の量
を裁く場所もなく、その意味では東京湾の干拓も効果的だ。それに東京湾は水深が150メートルもあり、
海底の岩盤に達する杭を打設して巨大ビル群が建ち並ぶ景観を危惧することは非現実的で杞憂だ。巨
大物流の安全とコスト低減から東京湾を半分ほど埋め立てよ。
15.ニックネーム:土地浮動産鑑定士:28
土地の私的所有権を制限して公有化し、種々の問題点を合理的且つ有効に解決せよ
土地は空気や水と同様に公共財の性質を有し、今や完全私有財産を認めて投機対象や固定不動産で
は実に弊害が多い。建物は所有権対象の不動産でも良いが、各種災害で境界標が移動消滅する土地
は流動産だ。土地投機の抑制や防止、公共工事の測量買収の効率化、また土地の有効活用を図った流
通化促進、更には、自然災害等に際しての土地境界紛争の合理的解決に向けても、土地の公有化は効
果的で不可欠だ。仮に土地を公有化しても、現状の土地所有権が土地利用権に転換し、土地の所有権
売買が利用権売買に、また現在の土地の固定資産税が土地利用・賃借料に転化するだけで、外面形式
的には現状と大した変化も混乱も生じない。土地を担保にした土地本位制が崩壊した現在、改めて土地
を国民全体の公共財として再認識して土地の有効活用を促進し、土地の私的所有権を制限して公有化
し、地震や風水害で移動する境界紛争などの種々の問題点を合理的且つ有効に解決せよ。
16.ニックネーム:空中楼閣マンション居住者:29
空中楼閣の区分所有権を見直して集合住宅は分譲から賃貸へと需要サイドの政策転換を
コンクリートマンションは極めて困難な問題に直面し、次第に廃墟化して大きな社会問題化を懸念する。
空中区分所有権自体が不自然な法律であり、半永久的な財産価値を有する所有権としては、地震や腐
朽等での建て替えを巡る厳しい賛成決議要件、多額な建設費用分担等で深刻な社会問題となろう。また
老朽コンクリート住宅の部品交換での技術的問題やコンクリート耐久性に見る維持管理費用の膨大な点
だ。そしてコンクリート特有の湿気や気密等での精神健康面の問題だ。現在の所有権分譲を中心とした
売買方法は分譲業者に有利だが、不動産が高価な買い物である点を考慮すれば、購入者から見れば多
大な不利の面もあり、購入者の自己責任の賭けに帰すべき問題ではない。今や区分所有法を根本的に
見直し、供給者側からの所有権分譲の法制度を需用者側に立つ法制度に再検討すべく、集合住宅は地
震や腐朽等の建て替えに際して有利に所有権分譲から賃貸化に制限すべきだ。
安穏なる国家社会の建設に向けて:215
17.ニックネーム:眠れる森の美女:30
建築基準法における内装制限の木材使用基準を緩和し健康生活を回復し山林を活性化せよ
現在の建築基準法では集成材による主要構造材への活用が若干緩和されたが、概して木材の内装使
用は著しく制限されている。戦前は木材が多用され健康や林業にも貢献していたが、戦後は空襲被害か
ら木は燃えるとの固定観念を生み、建築基準法改正で木材が排除され、健康悪化や森林の荒廃を招来
した。木材は内装使用が制限されているが、室内には家具や家電製品等の燃える物が山積する。内壁
等の内装だけを不燃化し制限しても不十分だ。延焼や火災の拡大化防止は、屋根や外壁、台所の不燃
化で充分で、厳しい内装制限は過剰規定だ。現在、様々な化学的材料や物質が氾濫し、また湿気増加
や通気性悪化を招き、健康に悪影響を及ぼすが、吸湿性を有した木材使用緩和で健康面にも効果的だ。
居住面での精神安定の健康面の観点から健康生活を回復し、そして山林資源を活性化し内需拡大を図
るためにも、木材使用を制限した建築基準法の内装制限の規定基準を大幅に緩和せよ。
18.ニックネーム:起死回生的起氏改姓論者:31
実家の姓を継承する改姓を相続権のない形式的擬似養子縁組制度により無条件で認めよ
夫婦別姓問題で見解が対立しているが、結婚は単なる同居ではないことを理解しない議論が横行してい
るのは残念だ。別姓賛成派が指摘するように、婚姻を契機に改姓する社会的支障は通称使用で対処で
きるし、また実家の姓を継ぐ必要ならば、子供無しでは姓の継承効果は一代で終了し永続性はない。現
行法でも、実家の姓を継ぐ場合には、現行養子制度を活用して子供を実家に養子に出せば済むが、成
人養子ならば養親の一方が生存している必要があり、また未成年者養子では養親が共に健在だとの制
約がある。そこでこの際、家族一体継承の観点からも、実家の姓を継承出きるように、養親の生存に関
係ない擬似形式的な養子縁組を認めた改姓配慮が必要だろう。即ち、現行の婚姻や縁組み、離別や死
別等の改姓基準を緩和し、単純に父母祖父母の実家の姓継承が目的の場合には、養親の生存に関係
せず相続権もない擬似形式的な改姓や養子縁組を何時でも無条件で認めることだ。
19.ニックネーム:上の空のソナタ:32
UFOは地球外生物や宇宙人でもなく畜生死霊魂の仕業の幻影と覚醒し迷妄から脱却せよ
今やUFOなる現象を巡って世界的にも大関心を呼んでいるが、果たしてこれは一体何が原因だろうか。
巷間指摘されるように、宇宙人や地球外生物の地球への訪問なのだろうか。未だかつてUFO物体が肉
眼や双眼鏡で把握されたが、ビルの陰から陰へと移動して最後は視界から消滅して未だに誰にも捕獲さ
れていない。某科学者は、UFOは地上の反射鏡面体の広告塔や屋根板が天空に反射した蜃気楼現象
であると指摘しているが、それだけでは解明出来ないのも確かだ。このUFO現象は何も現代に特有のも
のでもなく、古来、仏画等に描かれた普賢菩薩や文殊菩薩等の菩薩群、天女や天馬等と同じ幻影現象
だろう。この現象は畜生死霊魂の仕業で、昔から人々の時代を反映した心に呼応し面白可笑しく変幻自
在に現れる幻影であり、今日のUFO現象は多くの宇宙志向の人々の心に反応した結果だろう。今こそU
FO現象は畜生死霊魂の仕業の幻影と覚醒し迷信迷妄から脱却せよ。
20.ニックネーム:タネ明かし屋凡平:33
健康とは健やかで康らかな心であり、清浄な心から清血になり健康な心を形成しよう
多くの者は健康に対して根本的に誤解し偏見しているようだ。身体の頑丈さや丈夫さ等を健康的だとする
安穏なる国家社会の建設に向けて:216
ことが多いが、これはあくまでも外見から見た判断でしかない。真に健康は内面的なものだ。外見が筋骨
隆々の肉体を見て健康だと錯覚するが、真の健康を判断する要因には余り関係しない。逆に言えば、頑
丈や丈夫な身体を有しても不健康な者は多いし、外見的に身体が貧弱華奢な者でも健康的な者は多い。
然からば、健康とは一体如何に判断すべきか。健康とは読んで字の如く、健やかさと康らかさであり、こ
れは対象や本質が外見的な身体ではなく、実に内面的な心であるのが原則だ。例外的には化学物質な
どで健康を害するが、それでも真正で無意識の心であれば、被害は少ないことも確かだ。健康とは頑丈
で丈夫な身体ではなく、また清潔な身体でもない。実に、健康とは健やかで康らかな「心」であり、真正で
清浄な心から清血になり健康な心が形成されるものだ。
21.ニックネーム:ガン個粉砕マン:34
ガンは不平不満の誤り偏った心から発生し感謝満足の囚われない心でガンを予防せよ
蔓延するガンの治療ではガン細胞の除去も効果的だが、ガン細胞を刺激して増殖させる可能性もあり、
最終的には悪性のガンか良性のガンかを含めて心の在り方に関係するように思われる。通説では、ガン
の原因は発ガン物質が含有される食べ物だとされるが、食べ物の種類や内容ではなく、食べる際の心の
在り方に関係するものだろう。今や如何なる食べ物でもガンになり得るし、余り食べ物の物性や要素等に
囚われるべきではないだろう。ガン細胞は特殊化学物質の体内侵入や照射等で、蛋白質等との異常物
理化学反応でも形成されるが、大概は心の誤り偏りからしこりとなって生まれるようだ。今や心の在り方
が、赤血球や白血球の増減等の血液やリンパ液、細胞活動等にも大きく影響を及ぼす最大の要因だと
判明している。ガン細胞は不平不満の偏った心から形成されるもので、何事にも感謝満足し、気にせず
囚われのない円満で安穏な心がガン細胞の発生を防止すると思われる。
22.ニックネーム:節穴のぞきゴキブリ魔:35
生活全般から化学物質を見直し国民意識を変革して健康生活を回復しよう。
今や生活環境には化学物質が氾濫し蔓延している有様だ。何処かで過剰で無責任な化学物質使用放
置を根本的に見直して行かねば健康を蝕む大変な社会問題になろう。特に最近の食品は原子力を遙か
に越えた危険な化学物質で汚染されている。今や農業や畜産、食品業において、科学万能思考の蔓延
により、栽培、飼育、育成、製造等の各方面で、生産者や製造者すら嫌悪する化学肥料や農薬、人工飼
料、化学物質等の多用で、生産性や健康安全面でも既に限界に来た。既に農畜産物や製造食料品の多
くに、防腐剤や着色剤等の化学物質が混入し、また水道水にも過剰な塩素が混入し汚染されている。水
道水の殺菌には、欧州では塩素ではなく過酸化水素を使用し、米国では塩素使用の上限を設定している
のに、日本では安易な姿勢から下限を設定して過剰投与を放任している状況だ。今こそ食料安全行政を
徹底して国民意識を変革し、生活全般の化学物質を見直し健康生活を回復しよう。
23.ニックネーム:人事担当総理代人:36
歴史的な改革断行の成功への要諦は、人事権の一元集中化にあることを再認識せよ
公務員制度改革に際しては、縦割り行政の弊害を無くし、省庁による私物化された行政を廃止するため
にも、官僚人事権の一元化を図ることが必須だ。総理自らが改革断行を唱えるならば、まずは人事権を
最高司令官の総理に結集する一元化を実施することだ。英国のサッチャー首相の種々の改革断行の成
功は、首相自身に人事権を集中し掌握させたことだ。然るに我が国の現改革断行政権では勇ましい改革
の掛け声にもかかわらず、肝心の役人を動かすだけの権力は弱い。反対する官僚がいても何ら人事権
安穏なる国家社会の建設に向けて:217
で対抗することすら出来ない状況では改革にも限界があろう。反対意見や反対勢力を抱え込んでいて一
体何が出きるのか。人事の流動化が図られてこそ改革が進展するものだ。改革断行の成否は正に人事
権の問題に帰着し、人事権無しでは大改革への実行力も限界だ。この鉄則を貫徹させて、歴史的な改革
断行への成功に導くためには、正に人事権の一元集中化だと再認識せよ。
24.ニックネーム:霞ヶ関巡回清掃車:37
公務員等は天下りを制限し、民間経験者から一定期間の任期で採用し活性化すべきだ
今や国民的視野で血の通った行政を実行させ、天下り確保のタカリや甘えの私物化行政からの決別を
促進させて役人根性を打破するべく、公務員は民間経験を5年以上経験した者から採用し、精々20年間
だけ面倒見ることだ。公務員は何も中央省庁の国家公務員ばかりではなく、地方公務員も然りだし、裁判
官や教師などの公的職業全般に言えることだ。要は国民のためになる目線や常識が必要だ。なお天下り
は事後収賄罪の刑法犯罪であり、厳しく制限していくことだ。公務員の在職関連への再就職に関しては、
事後収賄罪の時効期間との関係で5年間の禁止期間を設けるべきだ。公務員の政治家への転向も、政
治の現状維持の官僚化を招来させないためにも、官僚離脱後5年間は制限して民間経験をさせるべきだ。
5年間で組織も環境も意識も大きく変貌し、在職中の利益誘導も抑制されよう。公務員等は天下りを制限
し民間経験者から一定期間の任期で採用し活性化すべきだ。
25.ニックネーム:列島環境整備士:38
国土の総合開発と環境保全との調和がとれた行政には国土開発環境保全省を設立せよ
環境省が環境保全行政を画一的独善的に采配実施し、環境現状維持を優先する後ろ向きの姿勢に徹し
て、国土の均衡ある発展を忘却し、経済や開発との調和・調整に大きく支障を来すことと懸念する。新し
い環境省でも国民経済や国土の開発発展の総合的視点への欠落を憂慮する。個々の環境対策は、各
省庁に環境対策部門を設け、開発と連動して考慮するのは当然だが、国家的には、環境行政は開発行
政と提携して同じ官庁組織内で一括処理し対処する方が効率的で官庁間の対立もない。即ち、国家的見
地から縦割り行政を打破して環境行政の一元化を達成していくのは当然だし、他方で、国土開発と環境
保全を統合するべきだ。例えば、水利行政においては治山、治水の両方を視野に、河川と林野の開発と
保全の行政は一体化するべきで、旧環境庁と旧国土庁と林野庁とを統合化して、一官庁内で国土開発と
環境保全とを調整しながら推進実施する国土開発環境保全省を設立せよ。
26.ニックネーム:対外交易担当部長:39
国際貿易協定の一元的且つ総合的に推進するべく経済産業省を通商代表部に大改造せよ
今やグローバル経済化で、企業の海外進出で国内空洞化を招来し、外資系の日本企業株式取得も進行
している有様だ。既に高付加価値製品を外国に販売して外貨を稼ぐと従来の加工貿易構造が大きく破綻
している状況下では、経済産業省の役割は大きく後退した。国家再生の基本は経済であり、その国家的
司令塔は経済産業省である。然るに経済産業省は1940年来の戦時体制のままで、今や激動する国際
情勢にも対応不充分だ。現在の経済産業省は何ら適切な産業政策も打ち出せず、急激な時代展開に対
応できていない。今や経済産業省の天下り確保や大企業省としての行政姿勢を転換し、真に国民のため
の産業政策を実施させ、体質転換を図るべきだ。そこで経済産業省は多国籍企業を所管する米国の通
商代表部のような組織に改造し、現在の中小企業庁を中小企業を担当する米国商務省の組織に転換し、
産業活性化に向けて、中小企業やベンチャー主体の行政に転換させるべきだ。
安穏なる国家社会の建設に向けて:218
27.ニックネーム:官庁ビル解体請負業者:40
有効な行政改革の要諦は、行政と予算とを統合した行政管理予算庁を設置することだ
内閣府と財務省とで別々に行財政改革を実践するのでは、強力な実現は不可能であり、最大限の効果
をも期待できない。即ち、現在、行政改革推進の中核的担当は内閣府で、そして財政改革を推進するの
は財務省主計局だ。両者が密接に連携を保って強力に行財政故草を推進すべきだが、現在の別々の組
織運営では、他の省庁の場合と同様に、省庁間の利害抗争等を生みかねない。行財政改革を連携を密
にして効率的に強力に推進し、内閣主導で且つ責任を明確にした行財政改革が実現するためには、両
者は統合されるべきだ。実に国家予算の編成には厳正中立の姿勢と高次元からの政策的判断が要求さ
れるものである。かつて旧大蔵省改革で金融と財政の分離が為されたが、世界でも金融と財政は一体で
あり、むしろ主計局の予算編成権を内閣直轄に分離させて米国的予算庁を設置するべきだった。行財政
革の要諦は内閣府と財務省主計局と統合した行政管理予算庁を設置することだ。
28.ニックネーム:好戦的首相公選広宣者:224
憲法の主権在民の精神や趣旨を徹底させるべく、三権を統括する首相の公選制を実践せよ
三権分立は相互に権力を牽制し合い独裁を排除することでは理想的だが、逆に権力の弱体化に繋がり
国家意志を不明確にしていくものだ。現行憲法の主権在民の理念や趣旨を徹底させれば、当然に首相
公選制に到達するものだ。現行の議院内閣制では、首相の権限は余りにも小さく、思い切った改革の断
行には程遠い。かつてイスラエルにおいて首相公選制が破綻したとするが、これをもって首相公選制が
間違いだったと安易に総括する前に、何故イスラエルが破綻したのかを厳密に検討し検証することが大
切だ。むしろイスラエルの失敗は、多数政党の乱立を許し、その多党政の下での公選制が間違った方向
へと導いた感が強いように思われる。今こそ国民の直接的政治参加を促進させるべく、政党数を制限し
て、憲法の主権在民の理念に沿って、三権を分立してその最上部から三権を統括する米国型大統領制
の実現に向けて首相の権限を安定強固に確立し、首相の公選制を実践せよ。
29.ニックネーム:国体刷新を期す憂国者:225
歴史的総決算を成し憲法の基礎である自主独立国家の真の国体を神道を基礎に確立せよ
憲法とは国家の根幹を成す国体を規定するもので、国体の基本は、世界普遍の神道と、神道が基本の
仏道と、倫理・道徳・礼儀の儒教との三位一体に基ずくものだ。神道とは教義、教祖、教典等の宗教を越
えた宇宙理念の体現である世界普遍の「宗道」であり、何も超国家主義的思想ではない。また仏道も神
道無しでは真の仏道成り得ないもので、実に神道と仏道の融合が必須だ。神道と教派神道とを、また仏
法(仏道)と仏教とを混同するなかれ。神道、仏道、儒教を国家が直接に支配し管理するものではなく、そ
の理念を汲み取った憲法を始め、各種法制度を整備して、真正な政治の遂行が大切だ。神道は天皇制
に関係し、天皇こそ神を祭祀する国民統合の象徴として、権力とは分離した永遠不変の権威者として君
臨し、仏道は法律に反映させ、儒教精神も教育や国民道徳に反映させることだ。歴史的総決算を成し憲
法の基礎である自主独立国家の真の国体を神道を基礎に確立せよ。
30.ニックネーム:男女健全化推進委員会:226
売春防止法を見直し公設場所での性解放を実施し健全な家庭や個人の育成を図るべきだ
今や売春行為は売春防止法施行でも広範に横行し病原菌の蔓延もある。売春行為を一律厳禁にすれば
安穏なる国家社会の建設に向けて:219
性犯罪が多発するのも真実だ。女性を束縛し管理抑圧の強制売春は、前近代的で非民主的で反人権主
義的で、女性を悲惨な境遇に落とし込めるが、女性自身の積極自発的な性的処理は適切な対価を伴え
ば制限することはない。適切な金銭的対価の下に、意欲的な女性の性的欲求を合法的に満足させること
は女性自身にも受容可能な利点があり、男性を真に精神的に自立し自信を有した男性ならしめる上でも
社会的に効果的で、安穏で健全な家庭や個人の育成にも役立つものだ。しかし伝染病や危険な病原菌
の蔓延を防止するためには、民間経営は厳しく取り締まって性行為場所を公設とし、女性も自由登録制
にして準公務員化し、病原菌検査を強制的に義務付けすることが必要だ。今こそ売春防止法を見直して
性の自由解放を公設場所で公然実施し、健全な家庭や個人の育成を図ることだ。
31.ニックネーム:司法公証人実現担当大臣:227
国民に身近に役立つ法律家を育成するためにも司法書士と公証人との統合化が必須だ
現在の司法制度改革の対象には司法書士と公証人が欠落する。弁護士と司法書士とが業務内容で重
複ではなく司法書士と公証人とが酷似する。司法書士の登記業務は、弁護士の裁判業務と法律知識の
駆使で類似するが、単に裁判の進行に左右される裁判業務と大きく相違し、唯一高度の公証的判断を仰
ぐものだ。西洋主要国が登記業務を公証人が担当するのも、登記業務が公証的判断を要するからだ。日
本の司法書士の不自然な状況は長年の慣習と関係者の怠慢と恣意、また弁護士法の法律業務独占の
規定からだ。既に公証人の公証的業務と司法書士の公証的な登記業務とは大いに重複し整理統合が必
要だ。現在、登記申請の電子化の中で、益々公証的な役割が司法書士に求められ、真に国民に身近な
法律家を養成し、国家社会の要求に応えるためにも司法書士の公証人化が必須だ。今こそ世界の実体
に合わせ、屋上屋を架さないように司法書士と公証人との統合化の新制度作りが必要だ。
32.ニックネーム:遺産相続調停員:228
現行均分相続規定を是正し男女平等で長子相続を原則とし親の指名か同居を例外にせよ
現行民法の問題点は、社会の最小単位が家庭と個人で構成されるのに、個人中心で法律が制定されて
いる点だ。一番の大問題は均分相続だ。現在の均分相続は戦後創設されたものだが、今や均分相続の
為に、親の面倒は誰も見ずに相続争いが多発化している。戦後間もない頃は、自発的な相続放棄等で
友好に財産相続が為されたが、現在では、条文通りの均分相続で各自平等の権利を主張して争ってい
る有様だ。現行制度では、親の面倒は遺産分割協議で何ら特別寄与分にも考慮も評価もされない。親と
の同居は親に安心感を与え、精神的に特別の貢献乃至寄与をしているから特別寄与分に認めていくべ
きだ。兄弟姉妹の生育環境から来る性格性質上、長子の兄姉が他の弟妹に比較して生存競争にも弱く、
性格も温和なことが多い。そこで封建時代や戦前のような長男相続ではなく、男女平等の精神の下に、
大幅な長子相続を原則にし、例外的に親の指名や同居した者に相続させたら良い。
33.ニックネーム:単独親権行使反逆児:229
離縁や離婚、死別での未成年者の単独親権行使を制限し共同親権行使の原則を徹底させよ
現行民法では、未成年者養子縁組みの際は共同親権行使を義務付けているのに離縁は片親と可能だ。
また離婚や死別の際には単独親権行使を当然の如く認める。これでは共同親権行使を唱った民法の未
成年者保護規定の趣旨に反して不十分だ。単独親権行使で育った子供の心には、限りない孤独と苦悩
を植え付けて精神的荒廃を招来し易い。また離婚を巡り、親権者の資格の争奪や、面接権行使等で離
婚夫婦が反目し合い、青少年犯罪の多くが家庭環境が関係し社会的混乱を招き易い。現状では親子も
安穏なる国家社会の建設に向けて:220
互いに離れたがらず、共に寄り添い生きる姿は哀れだ。そこで単独親権行使を排除して、未成年者養子
の離縁や両親の離婚、死別の際に、強制的に子供を他の夫婦に相続権が発生しない養子に出して共同
親権行使を徹底することだ。後で実親に子供を返して、未成年者の共同親権行使の社会的配慮が好ま
しい。その方が子供も健全に成長出きるし、親も容易に再婚に踏み切ることが可能だ。
34.ニックネーム:硬質天板改造師:230
天皇陛下を最高祭祀者とし天皇制を国家安定の基本と考えて早急に皇室典範を改正せよ
現行憲法は、外見上は天皇元首の立憲君主制であるが、片方では国民主権を謳う民主主義制度を採用
し、実に曖昧矛盾の折衷的条文だ。国家社会の永遠の繁栄には天皇制は不可欠だ。天皇は国民統合
の権威の象徴としての名誉的元首なら問題はないが、天皇が権力的元首では天皇が総責任者になり、
現行憲法の主権在民と矛盾し、歴史的激動に際して天皇制の安泰は期待できない。他方で天皇は権力
者で責任は内閣総理大臣が負担する見解があるが、これでは権力と責任を分離して一億総無責任に堕
落する。権威と権力とを分離し、権力は主権在民の下に総理大臣が司り、絶対不可侵の権威こそ天皇が
司るようにすべきだ。その方が権威の象徴の天皇制は永続出来る。また天皇の役割は宗教を越えた世
界宗道とも言える神道の最高の祭祀者であろう。国家社会が未来永劫に安泰するには、男女平等思想
による女帝、養子、自発的退位を認めるべく、早急に現在の皇室典範を改正することだ。
35.ニックネーム:もう沢山狂惨頭主席:231
全ての性区別否定の男女共同参画社会推進は危険な社会解体の文化大革命思想で是正せよ
国連条約の批准を受けて、国内段階で男女共同参画社会の実現を巡り総力を上げて推進中だが、国家
予算の1割強もの予算を既に数年にも亘って使っているのが実体だ。男女共同の社会を構成し参画する
のは当然だが、実体は全ての男女の区別が差別になると言うのは偏見と妄想であり、社会から全て男女
の区別を無くす文化大革命思想であり、国家社会や家族の解体にも繋がる危険なものだ。男女の区別
の是非は一律に断定できないし、トイレや浴室、服装や髪型などの生活上の区別を全て排除して男女同
一に出きるのか。不可解な論理を展開して区別や差別の完全撤廃を主張する者は、自ら男女の性判別
不能な行動様式を実践することだ。この偏見に満ちた妄想・狂騒の思想論理は国家社会が崩壊するまで
改訂不能だろう。家庭外では成年男女の権利は完全同一であるべきだが、社会の最小単位が家庭と個
人である以上、家庭内まで性区別や役割分担等の排除は暴論で早急に是正せよ。
36.ニックネーム:家庭破綻常習犯:233
社会の最小構成単位である家庭の円満持続の秘訣は夫唱婦随の凹凸の協力関係が大切だ
今や離婚率も3組に1組の割合で急上昇で欧米の離婚先進国にも迫る勢いだ。全て法律や制度は、国
家社会の最小構成基本単位の家庭と個人の調和と融合を最大限且つ基本に考慮するべきだろう。家庭
内では夫婦の男女平等は当然だが、画一絶対視すれば船頭が二人いる船のように舵取りが分裂して破
綻する。夫婦が相互に対等な権利を何処までも主張し合っては家庭という組織は崩壊する。家庭組織が
円満に行くためには、凸と凹の関係でなくては成らならず、社会の多くの組織で共通して言える。そこで、
夫婦関係においては、平等・対等と相互協力の調和が大切となろう。家庭という一組織内では、男は女
に命令するのではなく指導する、女は男に服従するのではなく協力するといった夫唱婦随の相互協力的
な意識関係こそ円満で永続的な家庭環境を形成するものだ。そして妻も自分独自に自由勝手に社会を
見るのではなく、夫を通じて社会を見ることで夫婦一体感が形成できよう。
安穏なる国家社会の建設に向けて:221
37.ニックネーム:東京特別区立候補予定者:234
国会活性化に向けて立候補年齢の下限は40歳以上とし、議員在籍年数を40年とせよ
政治の官僚化や若手世襲議員による政治の硬直化や停滞を防止して政治の活性化を図ることだ。官僚
は先例や慣行を遵守する現状維持が本来の仕事だが、政治家は現状打破が目的で、両者は根本的に
性格を異にする。それ故に官僚から政治家になっても、多くは現状維持の官僚的政治の行動や発想しか
ない。また世襲議員では身命を賭して難局に対処する気概も生まれにくい。しかし官僚や世襲議員にも
優秀な者も少なくなく一概に全て駄目でもない。真に国家社会に役立つ国会議員に要求されるのは、行
動する若さと体力ではなく正しい判断と対処である。それには可成りの人生経験が必要であり、若手世代
では政治家として勉強する時期でヒヨコだし、中年世代でも未だ子供だ。老高年世代で初めて可能だろう。
そこで政治家の特質を充分考慮して、職業選択の自由の原則を見直し、国会議員立候補の年齢下限を
40歳以上にし、官僚は一定期間は制限し、在籍年数は40年とせよ。
38.ニックネーム:ガキ大将養成特別担当教師:235
転校や飛び級を大幅に認め18歳までは収入獲得を厳禁にした創造的教育環境を確立せよ
教育には自由闊達な創造的な環境を醸成することが大切だ。管理中心では創造精神が圧迫窒息し、放
任では自由無秩序状態に堕落し、両者の均衡を欠けば個人も社会も閉塞か放漫に至るのが必定だ。管
理と放任の両方の調和が大切で、ゆとり教育やエリート教育は堕落や高慢を助長しかねないが、共に各
自の個性に応じた教育を考慮する面では何れも正解で両者の調和が大切だ。画一的教育を排除し、各
人の能力発揮の時期や速度に応じて個性を伸ばす個性化教育や創造教育に転換することだ。自己責任
の下に自由に各自の能力や特性、人生設計に合わせて様々な教育機会を選択可能にして飛び級や転
校を自由に認めることだ。ボランティア教育を強制誘導して社会性を身に付けさせ、18歳までは収入獲
得を厳禁にして本格的な競争は社会に出るまで待機させることだ。教師は5年間程の民間経験を考慮し
て採用し、道徳、倫理、礼儀の大切さを根本から教育する修身教育復活が必要だ。
39.ニックネーム:終身雇用局流動不安定課破綻係長:236
今や企業負担の各種扶養福利厚生諸費等を国家社会が負担支援する政策大転換が必須だ
今やグローバル経済化の進展による国内外の企業経営環境の激変により、即ち激しい国際競争力確保
の要請から、また外資系進出による株式取得からの圧力から、日本的労働環境も大変動を余儀なくされ
ている。日本の伝統的な企業風土や慣行の終身雇用や年功序列、退職金及び各種福利厚生制度等が
破綻しつつある現在、従来、企業が負担してきた家族扶養等の労働慣行を誰が引き継ぐのか。各企業の
自由采配や独自運用を放任していけば、企業は当然の如く採算性追求の市場原理主義的資本主義社
会に則り、国際競争力を追求して自己防衛に走る余りに、家族扶養手当等を率先して削減していくだろう。
社会の構成単位の家族が破綻しては、健全な社会の実現は期待できないであろう。現下のグローバル
経済化での競争原理は仕方ない面もあるが、今や従来、企業が負担してきた各種扶養手当や福利厚生
諸費等を自由放任させずに、国家社会が負担し支援していく政策大転換が必須だ。
40.ニックネーム:資源エネネルギー立国達成確信者:237
偏見誤解を脱却し原子力を推進し新素材を基に資源エネルギー立国の歴史的大転換を図れ
日本の軽水炉の原子炉はロシアの以前の黒鉛炉とは異なり構造的欠陥はなく安全だ。従来の世界の原
安穏なる国家社会の建設に向けて:222
子力発電所の事故は殆どが構造的欠陥か人為的ミスによるものだ。今や高騰し枯渇化しつつある原油
情勢を反映して、国家安全保障上の観点から、原子力を再評価していく時期に来た。高レベル放射性廃
棄物処理には、火山灰利用の画期的技術に見る混練技術が効果的だ。また火山灰利用の高耐久性材
料も、原子力発電所における各種配管などにおける減損、減厚などの発生防止にも効果的だ。更に火山
爆発の原理は、ウラン等の放射性物質の濃縮により臨界点に到達した結果の核融合反応によるもので、
マグマ溜まり内部を探査すれば豊富にウランが存在する。目下、ウラン鉱石は地上に露出するものしか
探知出来ないのが実状だが、実に火山国日本にはウラン資源は日本には豊富に存在する。今こそ、偏
見と誤解を脱却して原子力を推進し資源エネルギー立国への歴史的大転換を図れ。
41.ニックネーム:八幡大菩薩:238
信仰の自由の下に魔を氾濫し人心を荒廃する死霊魂への残虐非道の祈願行為を厳禁にせよ
現世御利益と霊力信仰を売り物の宗教は、人々の心に魔の畜生霊を招来し荒廃させ、魔を暗躍し氾濫さ
せ社会混乱を煽るもので、真の信仰の本質を大きく逸脱した社会悪の邪宗教で邪道で厳しく制限すべき
だ。安穏で健全な国家社会の建設には、無原則的な信仰の自由を制限し、死霊魂に対する正しい慰謝と
供養、救済を重視し、死霊魂への残虐非道の行為を厳禁し排除することだ。畜生死霊魂の魔は、人々の
欲望や願望に呼応して引き寄せられて心に付着し、様々な精神障害や混乱を生じさせるのだ。今や信仰
や宗教の自由の美名の下に、死霊魂の正しい慰謝や供養に逆行して、死霊魂を魔の餌食にして益々苦
しめ地獄に落とし込め、国家権力の不介入の聖域と化している状況だ。現実社会の混乱は正に死霊魂
の苦怨の反映だ。正しい信仰や宗教の確立は国家社会の大重要課題で急務だ。信仰の自由の下に、魔
を氾濫させ人心を狂気にする死霊魂への残虐非道の祈願行為を厳禁にせよ。
42.ニックネーム:特ダネ公益追究特派員:239
表現・報道の自由は個人の場合と区別しマスコミは責任を明確にして氏名を付記公開せよ
今や新聞やテレビ、雑誌等のマスコミの出版や報道には、憲法に保障された表現の自由を隠れ蓑にして、
公共の利益に反した無責任な内容の記事、放映が実に多い。表現の自由を盾にして他から何の監視も
為されず、自主的判断や規制に任せて全く自由放任になっている現状だ。無原則的な報道の自由や表
現の自由は行き過ぎであり、社会に及ぼす影響を考えた場合に公益性を重視した制限は当然である。即
ち、表現・報道の自由に関しては、単なる個人の場合に比べて、第4の権力のマスコミ等には、より一層
の社会的な責任と義務が伴うことに注意を喚起させて、その報道や表現には一定の規律乃至制限が必
要だ。そこで、何ら社会的に訴える手段を有しない個人の場合と、報道権力を有したマスコミの場合とは
厳密に区別して、巨大報道権力の横暴を規制していくべきだ。具体的には、マスコミの場合には、責任の
所在を明確にして、取材者や投稿者の氏名を付記して公開させよ。
43.ニックネーム:呉越同舟七福神:240
一蓮托生の運命共同体で難局対処する日本民族の心を一つにした歴史認識の変革が必須だ
日本は普段は調和を尊び表面的には議論や対立を回避するが、国民の心や意志がバラバラになる傾向
が強い。他方で複合多民族国家の米国は普段は議論し対立するが、複合多民族国家だとを明確に意識
する故に国民の意志が一致団結し易い。日本は複合多民族国家であるのに、無理に真実を隠蔽して単
一民族とするが故に、国民の心が一つに統合されずに混乱迷走して最終的に反目し合うようだ。日本は
世界中から渡来した多民族で複合的に構成され、大した民族的争いもなく単一的に調和融合して来た複
安穏なる国家社会の建設に向けて:223
合多民族国家である。山野に囲まれた狭小な島国の中で、様々な方言や風習や料理が混在し、各人の
風貌や気質も大きく異なることが実に複合多民族の証だ。今や純粋単一民族から複合多民族への歴史
認識の大転換が必須だ。同じ島国日本に漂着した者同士は一蓮托生の運命共同体であり、歴史的真実
を基に心を一つにし一致団結して難局に対処する国民意識や歴史観の変革が大切だ。
44.ニックネーム:年金未納監視探偵員:241
年金は広く租税で徴収し給付は一律基本部分と保険方式で対処し所得保障から生活保障へ
既に年金制度は崩壊しているが、公的年金制度の役割は世代間相互扶助であり所得格差の是正である。
自ら支払った年金資金は当然に自ら給付を受ける権利を有するならば、公的年金制度は形骸不要と化
し、各自が自己責任で老後計画を実施すれば済む話だ。現在の年金制度は、支払期間中の所得の何割
かを保証すると言った所得保障制度であるが、高額所得者の年金給付は抑制し、老後の最小限の生活
保障を基本に据えることが大切だ。年金制度は共稼ぎ等の高額給付は所得と勘案して大幅に是正し、家
庭を大事にする観点から、給付は夫婦一体の家族単位で支給されるべきだ。そこで年金資金の負担は
支払い漏洩を無くすためにも、消費税や所得税その他の租税から広く国民全体から所得に応じて徴収す
る租税方式で対処し、給付の基礎部分は国民各位で一律にし、より豊かな老後の生活費部分は自己責
任や自助努力の保険方式で対処し、所得保障から生活保障への視点転換が必須だ。
45.ニックネーム:平成救国大師:243
日米安保条約を日米平和友好通商条約に転換し真の自主独立平和国家への脱皮が必要だ
今や国内外の情勢は風雲急を告げ大激動を迎えつつある。国家破産の経済危機と軍事危機の両方同
時の襲来は極力回避すべきだ。万一、軍事的動乱に巻き込まれれば日本は再起不能の大打撃を受けよ
う。既に東西冷戦終結で日米安保条約も大きく役割が後退し、米軍の日本駐留目的も、従来の日本防衛
よりも米国の世界戦略の一端を担う役割に変化し始めた。今後は真の国益を考慮して自主防衛力を整
備し、日本独自の戦略平和国家の樹立を目指すことだ。現状では益々日本は米国に従属支配され、完
全な属国として本格的な軍事協力の運命に追い込まれよう。他方では日米経済の衰退破綻と共に日米
共倒れの大波乱によるグローバル化の終焉も切迫化し、次第に米軍の軍事的存在意義は後退し米軍の
日本撤退も現実化するだろう。今や大幅な主役の交替と共に国民意識の変革を成し遂げ、真の自主独
立平和国家の樹立に向けて、日米安保条約を日米平和友好通商条約に転換することだ。
46.ニックネーム:神聖天照大光明神:244
世界大動乱の危機を好機とし欺瞞の東京裁判と似非平和憲法の戦後日本の呪縛を解放せよ
現在の国論分裂・国家迷走の最大の原因となった根源こそ、欺瞞の東京裁判史観と似非平和憲法だ。
戦後日本を呪縛して日本民族を意識改造し、真正で健全な思考や判断力を麻痺し破綻させたものだ。東
京裁判は15世紀初頭の英仏戦争におけるジャンヌダルク裁判と同じ戦勝者が裁く一方的なものだった。
ジャンヌダルクもローマ法王により魔女から聖女に改訂宣言されるのに実に500年を要している。日本も
このままでは半永久に侵略悪者扱いの汚名を着せられて、隷従卑屈国家に転落し国家溶解に至るのは
必定だ。占領基本法の性格を有する現憲法の廃棄宣言と共に東京裁判史観の改訂には、国際軍事と国
際経済を支配する米国と、国連を中心に国際政治を支配する欧州の理解と協力が必須だ。今や歴史的
大改訂はぜ国際金融資本を巻き込む世界的経済大崩壊の状況下で可能だ。今こそ似非平和憲法を廃
棄し東京裁判史観の属国意識から脱却し真の独立国への脱皮が必要だ。
安穏なる国家社会の建設に向けて:224
47.ニックネーム:里のお地蔵さん:245
教育荒廃の真の背景や原因を正しく把握理解し真正で適切な総合的打開策を講じるべきだ
昨今の教育現場の荒廃が凄まじいが、この真の原因は三つと洞察するが、一つは学校や家庭等の教育
環境における諸々の要因だ。特に子供達同士の虐めの結果が学校に誘発されて現れたもので、原因は
家庭にあることが多い。。二つには食べ物による影響だ。これは食事のカロリー中心や西洋化肉食化に
より、子供達の身体が早く成長し過ぎたためで、大きな身体と小さな心との不均衡により自らの精神や心
を制御する能力を喪失したためだ。三つには実に苦怨に喘ぐ幾多の戦争犠牲者達の怨念が、青少年達
の未熟で柔らかい心魂に付着憑依して精神異常を招来している点だ。そこで総合的な解決に向けて、学
校や家庭を健全にするべく種々の法制度の整備が必須で、特に共稼ぎ等から来る子供の精神的孤独を
解消する家庭環境を是正し、そして健全な食生活や心魂の発達を回復し、更には道徳や倫理等の情操・
宗教教育の基に、各家庭での死霊魂の正しい慰謝と供養が肝要であろう。
48.ニックネーム:ネコ犯罪目撃証人:246
未成年者の残虐犯罪の背後には猫の虐待等による憑依現象が絡み適切な対応が必須だ
最近の未成年者の残酷な犯罪の因果関係には、猫への同情・廃棄・虐待・殺傷からの憑依現象が多い
ようだ。米国でも、凶悪犯罪の背後に猫との関係が指摘されており、畜生死霊魂の中でも特に猫とサル
の祟りや怨念が強いようだ。日本でも昨今の幾多の残虐事件の背後には、犯人の猫に対する虐待残虐
行為が関係し、畜生死霊魂による憑依付着現象から招来される精神異常化がある。畜生死霊魂に憑依
された青少年犯罪者に対し、単に少年院等の閉鎖的場所に隔離監禁では何も効果的解決にならない。
厳罰で臨むと言っても、制裁的な厳罰ではなくて、心や魂の自力による救済を支援することが必須だ。即
ち、某スクールで実施したような生きるか死ぬかの身命を賭した環境や訓練を与えて精神的鍛錬の更正
が必要だ。特に畜生霊魂に付着されて凶暴化した青少年に対しては、自力で困難に耐え得る厳しい心身
の試練が必要で、それを自力で乗り越えて畜生死霊魂との離別が可能だろう。
49.ニックネーム:知恵の輪解き明かし名人:247
今や原油と水は戦略物資と化し世界的争奪戦が始まったが創意工夫で歴史的解決が可能だ
今や世界は原油と水の争奪戦が始まった。様々な代替エネルギーも原油に交替できるほど有望ではな
い。当面は原油が産業の主役となり壮絶な争奪対象と化すだろう。なお原油は地球内生成物の石炭と異
なり宇宙飛来のものだ。その証拠に様々な炭化段階で存在する石炭に比べて、原油は重質・軽質の区
別はあるが、原油の様々な生成段階のものが発見されていない。智恵と工夫により探査すれば原油は
豊富に獲得出来るだろう。既に河川と湖沼における水の深刻な争奪戦が始まったようだ。日本でも河川
や湖沼が汚濁化し、安全な水不足も深刻化しつつある。ところで河川の流入もない某外国の湾口では、
船舶が湾奥へ行くに連れて船足が速くなるが、これは海水から淡水に変化して船底に付着している貝殻
海草が離脱するからだ。ここには海水を淡水化できる自然の原理が隠されており、創意工夫により、海水
から大量安価な淡水の供給が可能で、先の原油獲得と共に画期的となろう。
50.ニックネーム:新しい夜明け:248
資本主義を基本に社会主義で融合した新しい自由・計画の混合経済制度の構築が必須だ
先の旧ソ連邦の共産主義の崩壊に次いで今や資本主義も弱肉強食の市場原理主義の蔓延により破綻
安穏なる国家社会の建設に向けて:225
終焉に近付きつつある。投資と生産と消費とが調和しないと資本主義のゲームは終了だ。資本主義は自
由奔放の欲望礼賛的だが、弱肉強食、競争至上主義、市場万能主義は、人間の幸福とは必然的には相
容れない利益追求欲をその教義とし、過度の抑圧的搾取的な体質は人間性破壊を生み制限されるべき
だ。他方で社会主義は物質的な意味での平等と豊かさが保障されるが、中央集権国家の官僚支配によ
る非効率的な生産と流通の計画管理であり、労働疎外の非人間的で硬直的な社会制度に堕落し易い。
新しい時代は資本主義を基本とし社会主義で調和させ両者の融合が大切だ。即ち自立・自存・自活の自
由経済社会と、「共生の思想」を基本にした共存・共栄・共立の共同体的計画経済社会の融合だ。従来
歴史を総決算し21世紀を展望する中庸・中道の新しい混合経済の構築が必須だ。
51.ニックネーム:卒倒ソクラテス:249
21世紀は幾多の歴史的迷妄を脱して精神と心霊と魂の真正な理解と認識に覚醒せよ
多くの有識者は精神と心と霊と魂とを混同し、厳密な相違を真剣に探求し理解していないようだ。人間は
態と心と魂により構成されると思われる。この態は精神・意識と共にある肉体であり、精神は神経や知覚
等の脳の働きであり死後は消滅するものだ。心は古来、多くの文学者等が素直に感じたまま、「胸が熱く
なる、胸に感動を覚える、胸から涙が込み上げる」等と表現し、実に胸に宿っている働きを表現したものと
思われる。この心は、肉体消滅の死後は霊に変化すると思われる。霊こそ心が想念波動となって浮遊す
るものだろう。魂は生存中は原則的には働かず、正に火事場の馬鹿力のように、身命を賭した無意識の
行動により、下腹部から込み上げてくる発魂にて働くものと思われる。肉体消滅の死後は、魂は永遠の
生命体として輪廻転生界を遍歴して行くものと思われる。21世紀に突入した現在、実に概念を正しく理解
して真理を探求し幾多の迷妄を打破することが大切だ。
52.ニックネーム:宇宙船北斗七星号:250
輪廻転生と因果応報の法則を真理として理解し、正しい人生観や信仰観の確立が大切だ
今や輪廻転生と因果応報の原則を素直に真理として認識し、正しい霊魂観を理解することが大切だ。輪
廻転生とは魂が永遠不滅の生命体として前世、現世、来世と輪廻転生していく摂理だ。この真理を受容
すれば、現世に生きる目的が魂の錬磨や向上、浄化だと自ずと理解でき、多くの混乱や対立が一掃され
協調と共存の思想が生まれるだろう。因果応報の原則も同様に真理で善行善果、悪行悪果のことだ。原
因と結果の間には縁があり、実に心の在り方や先祖の霊魂が関係するものだ。即ち、打算や売名、利欲
で善行を実施しては善果は帳消しで、虚心坦懐の真正な心魂で実践することが大切だ。また先祖の善行
や功徳が子孫の多少の悪業も帳消しにするが、先祖の功徳が払底してくれば因果応報通りに天罰を喰
らうようだ。逆に先祖の悪業は子々孫々まで祟り、子孫の多少の善行では運命を容易には変革できない。
輪廻転生と因果応報の法則を理解し正しい人生観や信仰観が大切だ。
53.ニックネーム:伊豆の海ナマズ:251
東海沖駿河湾地震の発生よりも伊豆半島の反対側の相模湾の方が可能性が高く要注意だ
1978年頃から東海沖地震が喧伝されて来たが全く発生の兆しもない。その間に伊豆七島の三宅島の
火山噴火や東京近辺での地震の頻発化を見ると、東海沖地震の可能性よりも東京近辺での大地震の可
能性が高いと思われる。東海沖地震は、伊豆半島付近の海洋底地殻内部で沈降する両巨大プレートに
よる歪みエネルギーの蓄積発生からの想定だが、伊豆半島の東西では半島の堅固な山塊を境に地震
発生の影響が大きく相違する。相模湾伊豆大島付近で発生した関東大地震も伊豆半島を越えて西には
安穏なる国家社会の建設に向けて:226
伝搬していない。伊豆半島付近であれば西でも東でも大差ないとは素人的判断だ。伊豆半島の東西で
は地殻構造も大きく異なり、地震発生の原因や背景が大きく相違する。伊豆半島付近での大地震発生の
可能性は存在しても東海沖地震の可能性は低いと思われる。巨大地震発生の可能性は、喧伝される伊
豆半島の西側の東海沖の駿河湾よりも、反対側の東側の相模湾の方が要注意だろう。
54.ニックネーム:無知無恥中学生:252
各種猥褻強姦行為の親告罪適用を年齢規定と共に見直して非親告罪を適用し処罰すべきだ
刑法は強制猥褻罪、強姦罪、準強制猥褻・準強姦罪、未遂罪を設け、13歳以上の男女への暴行又は脅
迫を用いた強制猥褻行為、13歳未満の男女への猥褻行為、暴行又は脅迫を用いた13歳以上の女子
への強姦行為、心神喪失若しくは抗拒不能に乗じた猥褻行為や強姦行為等の準強制猥褻や準強姦行
為等は、未遂行為も含めて親告罪だ。但し二人以上は非親告罪だ。既に親告期間の規定は撤廃された
が、犯罪対象年齢の13歳の規定は妥当だとしても親告罪適用や年齢は如何なものか。13歳以上の男
女や13歳未満の男女、また13歳以上の女子が、これらの犯罪行為に対する親告罪適用の法律をどれ
だけ深く理解しているのか。親告罪適用は未成年者保護への配慮だろうが、法律に無知な場合が多い
未成年者に親告義務を課すのはどうか。犯罪抑止の社会性や未成年者保護を重視して、親告罪の適用
を年齢規定と共に見直し、二人以上の場合と同様に非親告罪を適用し処罰すべきだ。
55.:ニックネーム:大和共和国大使:253
最適行政単位は面積と人口を考慮し中央集権緩和の下に府県制堅持で道州制は行き過ぎだ
道州制論議と地方分権論議が活発化だが、道州制の中味も不鮮明で単に広域的な行政効率化の経済
的視点からの要請だ。単純に面積の観点から現在の府県制が時代に不適合として解体する道州制は余
りにも飛躍し過ぎだ。きめ細かな住民サービスや地域の活性化に対しても不均衡を拡大し、均衡のとれ
た効率的な国土発展からも問題だ。行政が適切に住民の要望を把握し効率的な行政サービス実行には、
単なる面積の他に最適な人口があり、その意味でも現在の府県単位の行政機構は堅持するべきだ。中
央集権を緩和し各地方自治体の自立は大切だが、各道州の独立国家化の連邦制では、国家の中に国
家を形成する国家解体に至り易い。地方分権論議の結果が道州制では、真の地方分権の真の趣旨や
精神から大きく逸脱し暴走だ。広域的行政は各自治体が適宜に連携協力して対処することで可能だ。最
適行政単位は面積と人口を考慮し中央集権緩和の下に府県制堅持で道州制は行き過ぎだ。
56.ニックネーム:国家統合伝道師:254
外国人参政権付与は日本国籍取得を最低条件に日本への愛国心や忠誠心等を重視すべきだ
永住在日外国人参政権付与問題で国論を二分するが、参政権付与の是非は公務員適格の是非と密接
に関係し何れの場合も明らかに不当だ。地方参政権も国政での参政権も同様の次元の問題で公務員を
選挙することでは同じだ。参政権行使を認めれば、次の段階は公務員の資格だろうが、公務員になるの
は国家と運命共同体になる自覚が必須だ。公務員の候補者になる立候補権も、公務員を選ぶ参政権も
同様の権利で、単なる納税義務を果たすのと参政権付与の権利とは次元が異なる。当該外国人が郷に
入っては郷に従わずに反日的言動や感情を有する以上、選挙権は国家的な重要課題だと認識し理解こ
とが必須だ。参政権付与は単なる町内会での私的な選挙権と同様な次元で論じるべきではない。反日的
外国人が大挙して住民票を移動させて、市町村を支配管理し、様々な勝手な条例の制定も可能だ。当該
参政権は日本への愛国心や忠誠心等を重視し、日本国籍取得を最低条件にすべきだ。
安穏なる国家社会の建設に向けて:227
57.ニックネーム:内閣厨房主席料理官:255
真の三権分立とは主権在民の下で最高責任指導権力の内閣が三権を調整し統御することだ
司法、行政、立法の三権分立が民主主義国家の基本理念であり、現行日本憲法でも三権が相互監視す
る制度だが、その解釈運用においては再検討が必要だ。三権は相互に監視制御しあう暴走防止が大切
だが、三権が個々独立に対等に分立して行動すれば、相互牽制の長所よりも、政府権力は求心力や機
動性を欠き分裂化も必定で、真の主権在民による責任民主主義から離れて国家基盤が弱体化し易い。
三権の上には主権在民の下に選挙された強力な権限を有する総理大臣が最高責任者として君臨し、三
権を調整し統率し制御していく内閣主導の役割や仕組みにすべきだ。高い資質や品位、明確な目的理念
や国家の方向性、国家観を有した総理大臣を中心とする内閣が、責任と果敢な実行力を持って国家社
会のために各種の政策課題を実行することが必要だ。権力の独裁横暴への弊害を極力防止する措置を
講じながら、三権を調整し統御する内閣総理大臣の権限の強化と責任の明確性が必要だ。
58.ニックネーム:不動明王:256
釈尊以来の仏身顛化の歴史的大偉業を達成され今世社会を浄化する聖心先生を御紹介
二千五百年前の古代印度の釈尊と同様な真の仏身顛化の歴史的大偉業を達成された聖心先生を御紹
介する。人間を越えた仏身とは神聖で清浄な魂が肉体を離脱し、輪廻転生界を超越し宙天に到達され再
度肉体に帰郷した如来(来るが如し)だ。宙天の創造主の真の神仏から大宇宙が消費する全エネルギー
粒子が生産湧出されるが、この波動粒子を瞬時に把持した真法・真力で広大無辺の仏知恵を受持し全
ての因果関係を把握する。現在や古代からの殆どの霊感は輪廻転生界に徘徊する畜生死霊魂の魔感・
魔力・魔法だ。宙天よりの真の神仏の神聖で光輝な波動が充満した仏身に対し嫌悪や中傷や反発の邪
念波動を発することは極めて要注意だ。何故なら自らが発した邪悪で猜疑な想念波動が遮断されて自ら
に跳ね返って自業自得や因果応報に至るからだ。今正に今世社会の浄化刷新の歴史的総決算に向け
て、日本から神聖光輝な波動を発信浸透し国内外の邪悪な想念波動を一掃するだろう。
59.ニックネーム:公園墓地整備推進課:257
仏舎利塔内に御霊を共同安置し周囲に広大な憩いの空き地を確保した共同墓地を建設せよ
死霊魂の慰謝と供養は国民全体の責務であり、それによって生者の安穏も確保されると言う因果がある
ものだ。然るに墓地の供給は今や限界だ。これ以上、山野を開発して、墓地を拡大供給することは自然
環境の破壊に繋がるのは明白だ。これでは墓地入手を巡っての競争率の激化と共に、一部の資金的に
余裕がある者だけにしか墓地建設の恩恵を享受することが不可能なのは必定だ。そこで永眠する死霊
魂の安穏な環境の確保と共に、そこを訪問する遺族達の憩いの場を兼ねて、広い公園広場を確保するこ
とが大切だ。土地の有効利用を図って出来るだけ多くの人々が墓地保有の恩恵に与れるように、狭小で
狭隘な個々の墓地を排して仏舎利塔形式の墓地を建設し、その中に位牌を安置して、先祖の御霊を奉
納し、当該塔の周囲には広く空き地を確保して憩いの場を提供すれば良いと思われる。そのような墓地
を建設をしても決して死霊魂に対する不敬にも不浄にも当たらないはずだ。
60.ニックネーム:企画賛同熱血漢:267
政府も東京財団の崇高な企画を真似て日本や世界を変える国民総決起の投稿を大募集せよ
今や歴史的大激動の難局を切り抜ける方策は如何なるものか。暗闇のトンネルの入り口から出口に至る
安穏なる国家社会の建設に向けて:228
道筋を示せる者はいないのか。東京財団の今回の企画は、恰も徳川政権末期の阿部正広の如く天下に
大号令を掛けて意見を求める実に崇高で遠大な歴史的にも画期的な趣旨のものだ。目下、政府が進め
る諸改革も膠着状態だ。既成の専門家諸氏の能力では限界だ。何故なら過去にも外国にも学者の書物
の中にも解決策や教科書がないからだ。今正に求められているのは、幕末時の下級武士や脱藩浪人等
の勤王の志士に見られたように、既得権益、先入観、既成概念、固定観念を超越した者であり、身命を
賭して難局に立ち向かって新時代を打開できる先見性や洞察力に富んだ者の登場ではないか。政府も
東京財団の崇高な企画を真似て日本や世界を変える国民総決起の大投稿を募集せよ。大局的且つ総
合的観点から広く国民から異見を募集し、国家社会の難局を切り抜けるために活用せよ。
61.ニックネーム:子育て支援者:317
少子化対策は働く女性支援の保育所整備よりも家庭での自立的子育て支援を優先すべきだ
少子化対策には働く女性の子育てを支援して保育所を増設しても何ら有効でないことが判明した。保育
所の整備拡張は他人任せの家畜的・ペット的子育てには便利でも、必ずしも子供の出生率の向上には
役立たない。むしろ働く便利な環境になって、子育てや第二の出産よりも仕事の方が優先され、一層の
長時間残業労働へと追い立てられる現状だ。現在の働く女性を中心とした保育所整備による出産や子育
て支援では、出産を誘導し促進する流れにも逆行し、実に倒錯した矛盾の政策が実施されている。他人
任せの保育所の子育ては家畜小屋的管理でもあり、親子共に不健全な精神を醸成して行き易い。健全
な親子関係の育成にも真の少子化対策には何ら効果的ではない。むしろ健全な家庭と子供を育成する
真の少子化対策は、保育所の建設・維持の資金をもっと有効に活用し、家庭内で安心して自分で子育て
が出来るように、専業主婦の自立した子育てを金銭的にも直接支援すべきだ。
62.ニックネーム:政党助成金管理者:318
政党の乱立混乱を抑制するべく政党数は三党に制限して中庸・中庸の安定政治を推進せよ
政党は憲法で唱う結社の自由の一般的原則に則って無制限且つ自由に乱立させるべきでない。政党は
普通一般の私的結社とは性格が大いに相違し、公益的、公共的観点に立って最高の国益を追求し判断
する機能を有する国家の立法府機関であり、この点を最重要視すべきだ。何事も三個で均衡が取れて安
定するもので、政党も同様に三党で安定する。そこで政党数は国家の安定を目指して右派・左派・中道
の三党に制限し集約すべきだ。現在の多数党乱立では混乱し、話題の二大政党では政権交代の度に極
端から極端に揺れて不安定にするが、三党では安定中道勢力が介在し極端にぶれていくことはないだろ
う。即ち、中道勢力がキャスティングボードを握って、必要に応じて右派や左派と連携することで、安定的
中庸政治の展開が可能だ。国民の税金から政党助成金が支給されて、強固な公益性が期待されるから
には、政党数は三党に制限して安定的な中庸・中庸の政治を推進せよ。
63.ニックネーム:平成枢密院議長:318
単なる衆議院のコピーの参議院は廃止し衆議院定数を増加し審議の集中化や効率化を図れ
既に参議院の形骸化を懸念した改革案が模索中であり、参議院の独自性追求から大胆な参議院廃止ま
で論議が錯綜し迷走している状態だ。思うに、衆議院だけでも審議法案が山積して十分な審議時間が確
保されない現状下で、参議院まで同様に法案審議をしていたら、慎重な審議を通り越して時間の浪費で
あるのは確かだ。現在の参議院は単なる衆議院のコピーで形式儀式化しつつあるのは正解だ。二院制
なら充分にチェック可能と言うのは今や有名無実の幻想だ。屋上屋を架すような形式的なチェックではな
安穏なる国家社会の建設に向けて:229
く、充分な実質的審議をするべく、審議を集中化や効率化を図るべきだ。そこで十分な審議時間の確保と
二重審議の無駄を廃する一挙両得の解決策を実現するべく、思い切って参議院は廃止して一院制を採
用し、併せて選挙区制度も勘案しながら衆議院の定数を増加し、国民の意見を十分に反映させて衆議院
で充分な審議を尽くし、審議の集中化や効率化を図ることが大切だ。
64.ニックネーム:大学教育の創造的破壊者:319
創造教育確立に向け大学教育の創造的環境を実現するべく創造的破壊の大改革を実践せよ
目下、混迷する社会を打開するものこそ教育分野である。新たな教育改革が検討されているが、矢張り
基本は創造的教育の実現であろう。そこで創造的教育の確立に向けて何を為すべきかは、まず創造的
破壊の大改革を実践することだ。小学校、中学校、高等学校などはある程度は管理と放任の両方の観
点からの改革が必須だが、大学に至ってまで管理する必要はないであろう。むしろ個性的で創造的な人
間を育成するには全面的な自由放任主義が必須だ。勿論、医師や実験等の研究・学問分野では、一定
の定員制や選抜も必要だが、大学全体にまで絶対視する必要性はない。閉塞感を打破して創造的な環
境の整備や確立に向けて、大胆な創造的破壊が必須だ。具体的には、大学入試は廃止、進級試験も廃
止、定員も廃止、単位制も廃止、卒業試験も廃止だ。仮に試験を実施しても理解を徹底し確認する程度
で十分だし、大学卒業レベルの認定資格は、最終的な大学卒業検定試験で充分だ。
65.ニックネーム:安穏な老後を乱されたくない老人:320
夫婦財産は共有である故に、安穏な老後生活を乱すことなく夫婦間の相続は廃止すべきだ
現行民法の相続法の規定では、夫婦の片方が死亡すれば相続が発生するが、夫婦は一体であり、婚姻
中に夫婦で築いた財産は共有が原則だ。むしろある意味では持分のない総有的性格を有するものだ。
従って、離婚の場合と相違して、夫婦一方の死亡で共有財産を精算するのは不自然で、安穏な老後を相
続開始で法律が無慈悲にも邪魔するものだ。戦後の均分相続制で、親の死亡に際して、親と同居も何ら
寄与分に考慮されず、親の面倒を見るよりも親の財産を如何に相続して分捕るかで喧噪な対立劇を演じ
る場合が多い。相続を契機とした家族対立の機会を一掃し、安穏な家庭環境を確保することが大切だ。
そこで夫婦の他方の死亡に際しては離婚の場合と区別して、夫婦一体で夫婦財産は持分のない総有の
性格を有することを再確認し、他方の死により当然に持分財産を分割移転させずに総有的に他が保有す
ることにし、安穏な老後生活を乱すことなく夫婦間の相続は廃止すべきだ。
66.ニックネーム:毒身危賊:322
少子化対策に高齢独身税を課し結婚したら住宅を支給して結婚を誘導し奨励し促進せよ
今や少子化が大きな社会問題化している。少子化は先進諸国の共通の問題だが、日本独自の原因や
背景も関係している。外国では結婚はするが、金銭的な理由などにより、出産を諦めたり遅延させたりし
て少子化を招いていることが多いが、日本では、そもそも最初から結婚しない若者が増加しており、これ
は世界にも余り見られないユニークな現象だ。これには様々な理由が指摘されるが、概して若者に明る
い未来観がなく、無気力や無感動、無関心に堕落していることも関係したり、また独身者は往々にして自
分で儲けた金は自分で使いたい利己的な性格も多く、また閉じこもりや引きこもりの孤独な性格も関係し
ており、それを反映して、自分中心の人生観しかなく、家族の面倒を見る協調性や自己犠牲心がないとも
言える。そこで収入のある高齢の独身者には独身貴族税を課し、結婚したら住宅や祝賀金などを支給し
て、独身貴族から地獄の独身に意識変革させて結婚を誘導せよ。
安穏なる国家社会の建設に向けて:230
67.ニックネーム:国家防衛ビジネス保険担当班:444
中国進出企業は投資資金は回収出来ずに中国大動乱の際の難民流入阻止の保険と心得よ
今や中国経済の著しい発展の下に日本企業の中国進出が著しい。諸外国と相違して、我が国は過去の
歴史認識の圧力も関係し、世界的対中ビジネスの風潮にただ流されているだけの企業戦略なき進出が
多い。即ち日本企業の中国進出は友好親善がお題目のようだが、これは文化やスポーツの世界には言
えることで、熾烈な国際競争力の下での経済やビジネスの世界では通用しない。特に知的所有権や契約
観念の重要性を大して理解せず、道徳や倫理観にも大きく欠如する中国に対しては、現在の友好親善ム
ードの対応では、迅速、積極、戦略等の面で数歩も上手を行く中国により、甘い日本政府や企業の対中
姿勢では足下を見透かされて、日本企業の投資資金は回収出来なくなるだろう。しかしこれは観点を変
えれば、暴走する経済により中国経済社会の大動乱の際に、攻撃的ライオンに与える餌の如く、大量難
民の日本への流入阻止の保険となって我が国防衛に大きく貢献するものと心得よ。
68.ニックネーム:境内の狛犬:445
神聖で崇高な神社や仏閣から恥ずべき欲望や願望の現世御利益的行為を一掃し浄化せよ
神社・仏閣とは神聖で崇高な領域だが、日本では寄付行為のお札が掲示される光景が日常的で、国民
の現世御利益を求める似非信心や信仰を反映し、それに便乗した御利益宗教が蔓延している。これを日
本独自の伝統的な素晴らしい宗教文化と勘違いするなかれ。これは実に嘆かわしい売名、利欲の風潮
の蔓延であり、諸外国の寺院や教会には有り得ない光景であり慣習だ。宗教や信仰の自由の美名に隠
れて、売名、打算、利得の悪しき願望や欲望の扇動は、魔の氾濫や暗躍に荷担し助長し社会を狂気に落
とし込める元凶だ。正しい信仰とは、一心不乱に自力で頑張り感謝する心に神が助けるのであり、最初
から願望や欲望の神頼みでは後で魔神・魔仏へのお礼参りが大変だ。願わなくても神が助け、触らぬ神
には祟り無しが真実だ。現行御利益信仰や信心は始めに自力心放棄で他力本願の本末転倒だ。神聖で
崇高な神社や仏閣から恥ずべき欲望や願望の現世御利益的行為を一掃し浄化せよ。
69.ニックネーム:真実一路:478
靖国神社問題は中韓の圧力に屈さずに慰霊への感謝と慰謝の区別を教示し毅然と対処せよ
靖国神社参拝問題が政冷経熱で日中間の深刻な懸案事項だ。死者の菩提を弔う信仰を否定し執拗な
排他的中華独善宗教への対抗は、崇高で普遍性を有する真正な信仰観に関する理論武装と説得が必
要だ。死者に鞭打つ中韓の霊魂観や信仰観は、死霊魂の慰謝と救済を忘却・無視し、日本国民の意識
を自虐化させて国家の弱体乃至崩壊を画策し、日本攻撃の手段として悪用したもので極めて牽強付会で
無理難題と言うものだ。幾多の戦争犠牲者の英霊・死霊への感謝では、戦争賛美や美化として中韓に誤
解され易い。死ねば皆、天に召されて慰霊の対象となるのは当然だ。英霊などへの慈愛と慰謝で望むべ
きでA級戦犯も大犯罪人も存在しない。苦怨に喘ぐ死霊魂の慰謝と救済は人類普遍の真理で、安穏社会
の実現に国家や国民全体に共通する責務で、内政干渉や歴史認識とは無縁のものだ。靖国神社問題は
中韓の圧力に屈さずに、慰霊への感謝と慰謝の厳密な区別を教示し毅然と対処せよ。
70.ニックネーム:教科書選定委員:479
義務教育の教科書選定は地方分権には馴染まず国定教科書を策定し国家の意思統一を図れ
義務教育は地方分権には馴染まず、軍事や徴税、防衛、警察、公共インフラと同様に、統一した国民意
安穏なる国家社会の建設に向けて:231
識の涵養や鼓舞のためにも、中央政府が国益観や国家観を有して率先して実施すべきものだ。高等教
育はある程度自由な思考を形成するべく緩和しても良いが、小、中の低学年の義務教育における教科書
は、自国に対し誇りを有して愛することができる健全な常識のある国民性形成のためにも、中国や韓国
の国家主導の政策や制度やを学んで国定にすべきだ。なお教科書は事実を事実として書くべきだが、そ
の解釈や評価は千差万別で、外国と見解を一つに統一することは困難だ。外国を極端に刺激する内容
は抑制すべきだが、何から何まで迎合し屈服する必要はなく、我が国独自の評価は当然だ。外国の圧力
を受け入れるならば、相互主義で外国の教科書にも歴史判断で介入し干渉するべきだが、これは将来に
向けて有意義ではない。今こそ国定教科書を策定し国家の意思統一を図れ。
71.ニックネーム:戦略推進本部長:480
国家の基本は経済と軍事で政府戦略本部を設置して経済・軍事面で戦略的思考を構築せよ
国家の基本は経済と軍事であり両者の調和や均衡を欠けば国家破綻だ。経済の重要性は衣食住の充
足した国民生活実現に向けて当然だ。他方で軍事の重要性は何も一方的な対外侵略に向けた存在では
なく、むしろ国家社会の専守防衛に不可欠で、それの放棄や軽視は自主独立の国家防衛意思の放棄に
他ならならず、知らずの内に国民意識に甘えと依存心を植え付けて亡国・売国へと導いていくものだ。自
主防衛軍事力の整備は、単なるハード面での武器保有を超えて、堂々たる外交姿勢確立にも不可欠で、
戦略的思考を構築し、自主防衛自立心を涵養し、先端技術の産業を育成し、失業者対策等にも大きく貢
献し、このソフト面での役割を重要視すべきだ。自主独立国家とは、憲法や防衛、教育、資源・食糧等で
自立した国家戦略を構築し、国家社会の安全を経済と軍事の両面で防衛する気概を有する存在だ。まず
前提に政府に戦略本部を設置して経済・軍事両面で戦略的思考を構築せよ。
72.:ニックネーム:財政再建責任者:550
原則的に特殊法人に課税し補助金行政を排して低利融資に切り替え民営的体質に転換せよ
国家財政再建や国民意識の変革に向けて、余りに多い公益法人の放漫財政の整理も必須だが、現状
打破の体質改善が必須だ。ところがいきなり特殊法人などの政府機関の民営化ではなく、まずは甘えや
集りの意識を排した体質改善に向けて民営的体質に転換させ、真の公益性、公共性の追求へと意識変
革を誘導し促進させることだ。それには、固定資産税を始め無税の特典を返上させて各種課税対象を拡
大し、また原則的には補助金行政を排して低利融資に切り換えて、自尊、自助、自立の組織に転換させ、
自立した国家社会の確立を図ることだ。現在の広範多岐にわたる補助金支給の対象を、やむなく自立で
きない分野だけに厳正に選別し限定して、相互扶助、相互連携の下に、例外的に補助金支給を認めてい
き、現行制度の運用の原則と例外を逆転させることだ。即ち、活性化に向けて原則的に特殊法人に課税
し、補助金行政を排して低利融資に切り替え、民営的体質に改善し転換せよ。
73.ニックネーム:高速道路表示恐怖症:551
江戸幕藩体制を脱却し他県から都心通過の高速道路利用者に行き先を分かり易く表示せよ
東京大都市には高速道路のバイパスがなく、霞が関や永田町、銀座等の都心通過の高速道路体系だ。
その上、他県から上京して他県に行く都心通過者には極めて不親切な表示だ。即ち、通過する向こうの
横浜や千葉、水戸、大宮等の大都市の行き先表示がない。因みに西から千葉方面に向かうのに、小松
川、箱崎、浦安等の表示では、地方から来た者には一体何処を指すのか不明だ。東京中心の驕った地
元優先の表示だ。遠方からの通過者には、運転最中に行き先表示の確認で極めて危険を強いられる。
安穏なる国家社会の建設に向けて:232
大東京にはバイパス的利用など皆無とでも言うのか。東京を通過することなく、東京にのみ用事がある者
ばかりだと思っているのか。東京を、しかも、霞が関や永田町をバイパスして単なる通過点にしか利用し
ない者を愚弄し無視しているのではないか。これでは江戸幕府中心の中央集権体制の発想だ。他県から
都心を通過して他県に行く高速道路利用者に行き先を分かり易く表示せよ。
74.ニックネーム:魚礁ヘドロ:552
ダム湖底や河口海底のヘドロは火山灰であり画期的火山灰固定技術で魚礁建設で対処せよ
今やダム湖底や河口・湾口の海底に堆積する大量のヘドロの処理が大問題だ。廃棄物として如何なる手
段で何処に排出し集積させるかが難問だ。一時、ダムのゲート開門で大量の堆砂を排出した結果、河口
の湾内に流出して、海草や貝、魚等が死滅した。また海底ヘドロの処理も何処に搬出するかで明快な解
決策がないのが実態だ。このヘドロは全国の山野に堆積する火山灰に他ならない。実に火山国日本を
反映し、全国の山野は火山灰に覆われており、降雨により泥流と化すのも火山灰が原因だ。この流出火
山灰の最終集積地がダム湖底や河口の湾内海底であり、大量にヘドロ廃棄物として堆積しているものだ。
そこで画期的な火山灰固化技術により、火山灰ヘドロを固化して排出し、魚礁に形を変えて、沿岸や海
洋に搬出して設置していけば、堆積ヘドロの排除、沿岸・海洋・海底の自然環境の保全、魚礁の設置で
魚の生息環境を形成し漁業資源確保と、実に一石数鳥にも成るだろう。
75.ニックネーム:登校希望者:647
土曜日には学校を地域住民に解放して、生徒と交流を深めて講演会などを実施せよ
ゆとり教育も結構だが、土曜日を何もせずに生徒を放任するのは、ゆとりではなくてほったらかし教育だ。
中には塾に精を出す生徒もおり、一体何のために土曜日を休校にしているのか制度趣旨が曖昧だ。そこ
で教育を学校だけに委せずに、住民参加の授業を採用実践し、生徒に学校や教師以外の外の世界と交
流させて、社会を体験させることだ。具体的には地域住民参加の様々な趣向の授業を実施することだ。
土曜日特有の授業の内容は、社会人参加の講演会から、研究活動、補習授業、またボランテイア活動な
ど、地域の特性を生かして何でも良いだろう。その方が真の生徒と学校と社会との有意義な連携活動が
図られるであろう。子供にとっても、教師以外との接触により、社会を見る目が養われるであろう。閉鎖的
な学校の環境を是正し、開かれた学校社会を形成するのに大きく貢献できるだろう。土曜日には学校を
地域住民に解放して、生徒と交流を深めて講演会などを実施せよ。
76.ニックネーム:ボランテイア教育誘導宣伝隊:648
生徒が積極的に参加するべくボランテイア教育を、クーポン券配布で利益誘導し実施せよ
最近の子供の非行には労働などの肉体的苦労の欠如にも関係しているようだ。子供に労働は悪だと見
解の下に、閉鎖的な学校だけの知識吸収の勉強だけでは、生徒に閉塞感、窒息感を植え付けやすい。
生徒に広く集団性、協調性、奉仕性を教育しながら社会体験をさせることだ。即ち、生徒にボランテイア
活動を実施して、社会活動を体験させるべきだ。単なる学校知識の習得ではなく、労働の喜びや尊さを
教えて、社会的体験をさせることが大切なのは当然だ。そこで、ボランテイア活動を誘導し促進させるた
めにも、ただ強制的に実施させても限界があり、当面は、生徒に自発的に喜んで参加させるために、誘
導し促進させる方策が必須だ。そこで射幸心を煽るようなものではなく、教育的配慮からの図書券や専門
学校等の授業料や、公的施設利用券などの商品券やクーポン券を配布し誘導することだ。これで生徒も
ボランテイア活動を楽しんで参加し実行するようになるであろう。
安穏なる国家社会の建設に向けて:233
感想:
またまた第一回に続いて何と76個も投稿してしまった。15日締め切りであcるが、最後の二個は16日付
け0:00と16日0:02であった。もしかしたら、15日経過で拒絶されるかも知れないが、一応、受け付け
ましたという自動返信メールが来たので、大丈夫であろう。前回は570件も集まったが、今回も当方の投
稿が恐らく最後であろうと思われるが、実に648件目であった。前回よりも何とも70件以上も多い。今回
こそは真に日本を変えるものを選考して貰いたいものだ。なお以後の予定は次のようだ。
2005 年 1 月 15 日(土)第 2 回募集受付終了
2005 年 1 月 24 日(月)財団ホームページ上で第 1 次選考結果(入選作)を発表
一般ユーザー(読者)から評価受付開始
2005 年 2 月 7 日(月)一般ユーザー(読者)から評価受付終了
2005 年 2 月 15 日(火)最終審査結果発表をホームページ上で発表
第2回選考結果
有効(3万円=8件)
旧71.ニックネーム:戦略推進本部長:480
国家の基本は経済と軍事で政府戦略本部を設置して経済・軍事面で戦略的思考を構築せよ
国家の基本は経済と軍事であり両者の調和や均衡を欠けば国家破綻だ。経済の重要性は衣食住の充
足した国民生活実現に向けて当然だ。他方で軍事の重要性は何も一方的な対外侵略に向けた存在では
なく、むしろ国家社会の専守防衛に不可欠で、それの放棄や軽視は自主独立の国家防衛意思の放棄に
他ならならず、知らずの内に国民意識に甘えと依存心を植え付けて亡国・売国へと導いていくものだ。自
主防衛軍事力の整備は、単なるハード面での武器保有を超えて、堂々たる外交姿勢確立にも不可欠で、
戦略的思考を構築し、自主防衛自立心を涵養し、先端技術の産業を育成し、失業者対策等にも大きく貢
献し、このソフト面での役割を重要視すべきだ。自主独立国家とは、憲法や防衛、教育、資源・食糧等で
自立した国家戦略を構築し、国家社会の安全を経済と軍事の両面で防衛する気概を有する存在だ。まず
前提に政府に戦略本部を設置して経済・軍事両面で戦略的思考を構築せよ。
入選(賞金なし=57件)
旧16.ニックネーム:空中楼閣マンション居住者:29
空中楼閣の区分所有権を見直して集合住宅は分譲から賃貸へと需要サイドの政策転換を
コンクリートマンションは極めて困難な問題に直面し、次第に廃墟化して大きな社会問題化を懸念する。
空中区分所有権自体が不自然な法律であり、半永久的な財産価値を有する所有権としては、地震や腐
朽等での建て替えを巡る厳しい賛成決議要件、多額な建設費用分担等で深刻な社会問題となろう。また
老朽コンクリート住宅の部品交換での技術的問題やコンクリート耐久性に見る維持管理費用の膨大な点
だ。そしてコンクリート特有の湿気や気密等での精神健康面の問題だ。現在の所有権分譲を中心とした
売買方法は分譲業者に有利だが、不動産が高価な買い物である点を考慮すれば、購入者から見れば多
大な不利の面もあり、購入者の自己責任の賭けに帰すべき問題ではない。今や区分所有法を根本的に
見直し、供給者側からの所有権分譲の法制度を需用者側に立つ法制度に再検討すべく、集合住宅は地
震や腐朽等の建て替えに際して有利に所有権分譲から賃貸化に制限すべきだ。
安穏なる国家社会の建設に向けて:234
旧17.ニックネーム:眠れる森の美女:30
建築基準法における内装制限の木材使用基準を緩和し健康生活を回復し山林を活性化せよ
現在の建築基準法では集成材による主要構造材への活用が若干緩和されたが、概して木材の内装使
用は著しく制限されている。戦前は木材が多用され健康や林業にも貢献していたが、戦後は空襲被害か
ら木は燃えるとの固定観念を生み、建築基準法改正で木材が排除され、健康悪化や森林の荒廃を招来
した。木材は内装使用が制限されているが、室内には家具や家電製品等の燃える物が山積する。内壁
等の内装だけを不燃化し制限しても不十分だ。延焼や火災の拡大化防止は、屋根や外壁、台所の不燃
化で充分で、厳しい内装制限は過剰規定だ。現在、様々な化学的材料や物質が氾濫し、また湿気増加
や通気性悪化を招き、健康に悪影響を及ぼすが、吸湿性を有した木材使用緩和で健康面にも効果的だ。
居住面での精神安定の健康面の観点から健康生活を回復し、そして山林資源を活性化し内需拡大を図
るためにも、木材使用を制限した建築基準法の内装制限の規定基準を大幅に緩和せよ。
旧72.:ニックネーム:財政再建責任者:550
原則的に特殊法人に課税し補助金行政を排して低利融資に切り替え民営的体質に転換せよ
国家財政再建や国民意識の変革に向けて、余りに多い公益法人の放漫財政の整理も必須だが、現状
打破の体質改善が必須だ。ところがいきなり特殊法人などの政府機関の民営化ではなく、まずは甘えや
集りの意識を排した体質改善に向けて民営的体質に転換させ、真の公益性、公共性の追求へと意識変
革を誘導し促進させることだ。それには、固定資産税を始め無税の特典を返上させて各種課税対象を拡
大し、また原則的には補助金行政を排して低利融資に切り換えて、自尊、自助、自立の組織に転換させ、
自立した国家社会の確立を図ることだ。現在の広範多岐にわたる補助金支給の対象を、やむなく自立で
きない分野だけに厳正に選別し限定して、相互扶助、相互連携の下に、例外的に補助金支給を認めてい
き、現行制度の運用の原則と例外を逆転させることだ。即ち、活性化に向けて原則的に特殊法人に課税
し、補助金行政を排して低利融資に切り替え、民営的体質に改善し転換せよ。
安穏なる国家社会の建設に向けて:235